ピッツ・ベルニーナ(4049m)

   8月20日、夜中に再びまとまった雨が降ったようだ。 am7:00の天気予報は昨日の予報と変わっていなかったので安堵したが、朝食の最中から再び激しい雨となり、天気予報も怪しくなってきた。 モチベーションも天気と共に急降下し、午後の出発時間までホテルの部屋でオリンピックを観て過ごす。 結局午前中は雨が降ったり止んだりの変わりやすい天気だった。 1階のレストランは地元では有名なピザの店らしく、今日もお昼時になると大勢の団体客が大型の観光バスで次々に来店していた。 ピザは下山後に試すことにして、昼食はインスタントラーメンで簡単に済ませた。

   期待と不安の気持ちを抱きながら、pm2:15発のバスでポントレジーナに向かう。 ポントレジーナを流れる川は一昨日からの雨で茶色く濁っていた。 ポントレジーナ駅をpm3:03に発つベルニナ急行でベルニナ・ディアヴォレッツァの駅へと向かい、同駅からロープウェイでディアヴォレッツァの展望台/山岳ホテル(2973m)に上がる。 天気はやや回復し、久々の陽射しがとても暑く感じる。 昨日見た氷河湖のラーゴ・ビアンコがロープウェイの車窓から良く見えたが、ディアヴォレッツァの展望台からペール氷河越しに見たベルニナ・グループの山々は雲や霧のため、昨年と同様にすっきりと望むことは叶えられなかった。

   展望台の周囲を写真を撮りながら散策し、ホテルのフロントでチェックインを申し出ると、指定されたドミトリーの部屋は、昨年泊まった部屋の隣だった。 ホテル内にはまだガイドのステファン氏らしき人は見当たらず、ロープウェイの改札口でpm5:30の最終便で上がってくるだろう氏を待つことにした。 間もなく到着した最終便からザイルを担いで降りてきた最後の乗客は、紛れもなくステファン氏だったが、氏はガイドにしては珍しくメガネをかけ、ガイドという感じは全くしない風貌と独特の雰囲気を持った方だった。 早速握手を交わして簡単な自己紹介をし、展望レストランで氏と夕食の席を共にした。

   山岳ホテルの夕食は昨年同様とても美味しく、肉料理の付け合わせのマッシュポテトのように見えた料理はトウモロコシの粉を練り固めた“ボレンタ”という地元の料理で、ステファン氏の好物のようだった。 夕食後は氏と雑談を交わして親睦を深める。 いつものように氏に年齢やガイド歴等を訊ねてみると、氏は現在39歳だが、ガイド歴は意外にもまだ5年とのことだった。 さらに意外なことに、氏はもともと地理学、特に岩石や氷河の研究者で、現在もチューリッヒの大学で講師をしているとのことで、趣味でやっていた登山もガイドの資格を取り、登山シーズンは二足の草鞋を履いているというとてもユニークな方だった。 氏は他にも沢山の趣味を持っているようで、グライダーにも乗っているとのことだった。 明日からの登山ルートの概要について氏に訊ねると、私の持っている地図に携帯用の小さなペンでルートをなぞりながら詳細な解説をしてくれた。 また、予定ではピッツ・パリュの頂を踏んでから稜線の肩を縦走して山小屋に泊まり、翌朝ピッツ・ベルニーナの頂を往復してから、直接このホテルに下山するという周回コースだが、私達の希望で逆の順路で周回することも全く問題は無いので、出発までにどちらかを選択して下さいとのことだった。 尚、前者のコースではこのホテルからピッツ・パリュまでは3〜4時間、ピッツ・パリュから山小屋までは2時間、翌日の山小屋からピッツ・ベルニーナまでは上り下り共に2時間、山小屋からこのホテルまでの下りは3〜4時間とのことだった。 更に氏は地図に載っている山々を指して、ピッツ・ベルニーナの語源は分からないが、ピッツ・パリュはロマンシュ語(スイスの第4の公用語)で「湿原」、ベラヴィスタは「絶景」、クラスタギュッツアは「鋭い稜線」、プリビュースは「危険」、コンブレナは「鶏冠」、ディアヴォレッツァは「悪魔」と、一つ一つ丁寧に教えてくれた。 またステファン氏は日本人をガイドするのは初めてのようで、私達がお願いするまでもなく「ペースが速かったり、写真を撮りたい時は声を掛けて下さい」と大変嬉しいことを言ってくれた。 今回も昨年に続き、良いガイドさんに恵まれたようだった。 空気が澄んでいる早朝に頂に立ちたいという希望を優先させ、当初の予定どおり明日はピッツ・パリュを登るルートで行きたい旨を氏に申し出た。 ステファン氏から「明日の朝食はam4:30からで、am5:00過ぎに出発します」との指示があり、明日からの山行に胸を膨らませながら早々に床に就いたが、夜中にトイレに起きた時に外の様子を伺うと、何と雪がしんしんと降っていた。 昨年の悪夢が脳裏に浮かび、どうすることも出来ない現実と当てならない天気予報を恨んだ。


ホテルのレストラン


ディアヴォレッツァの展望台/山岳ホテル


展望台から見たピッツ・パリュ


展望台から見たピッツ・ベルニーナ


山岳ホテルの展望レストラン


   8月21日、天気が心配でおちおち眠れず、am4:00に起床して外に出てみると、ホテルの周囲には5cmほどの新雪が積もり一面白銀の世界となっていたが、有り難いことに雪は止んでいた。 ステファン氏も外に出てきて「昨夜は天気が悪かったけど、今は星が見えているので、たぶんこれから天気は良くなってくるでしょう。 新雪がこれだけ積もっているので、今日はゆっくり登りましょう」と言った。 今日も駄目だろうと心の準備をしていたが、氏の一言で急に登れるような気がしてきた。 わくわくしながら身支度を整えレストランに行くと、総勢30人程の登山者やガイド達が既に朝食を食べ始めていた。 氏は全く急ぐ様子もなく朝食を食べていたので、私達も慌てることなくしっかりと腹ごしらえをした。

   不要な荷物を厨房の奥の控室にデポし、am5:20にホテルを出発した。 いよいよ一年ぶりにアルプスの登山が始まるのかと思うと、何か独特の緊張感が高まってくる。 ステファン氏は外に出るなり「まるで今日は初冬のようだ」と吐き捨てるように呟いた。 取り付きまではアルペンルートを行くのだろうか、アンザイレンはしなかったが、氏から「暗いので足元には充分注意するように」との指示があり、慎重に氏の後に続く。 展望台の周辺のトレイルは新雪のため歩きにくいのみならず、登り下りの連続で全く標高を稼げず、ホテルから45分ほどでペール氷河の取り付きに着いた。 気温はマイナス2℃だった。

   ステファン氏は「エイトノットが一般的ですが、私はこの方が優れていると思います」とわざわざ前置きをして、独特の結び方でザイルを結び、アイゼンを着けてam6:25に取り付きを出発した。 20分ほど氷河をトラバース気味に進む。 間もなく夜が明けてきたようでヘッドランプは不要となったが、辺り一面の霧で何も見えない。 凍てついた氷河を渡りきると前方に大きな岩壁が立ちはだかり、右へとルートをとった。 ようやく氷河に傾斜が出てくると、クレバスが所々で大きく口を開き始めたので、氏はザイルを延ばして墜落防止のための結び目を作り、「私が落ちても落ち着いてその場でじっと待っていて下さい。 自力で這い上がってきますから」と丁寧に指示した。

   傾斜が次第に強まり、いよいよピッツ・パリュへの本格的な登りとなった。 ステファン氏のペースは相変わらずゆっくりだったが、氏は「ペースが速かったら声を掛けて下さい」と言ってくれた。 しかし肝心の天気の方は良くなる兆しは無く、逆に雪がパラつき始めた。 霧のためぼんやりと見える周囲のクレバスが山(パリュ)の名前の由来である“湿原”のようにも見えたが、そんなロマンチックな思いは次第に濃くなる霧と降雪にかき消されていった。 直前を先行するパーティーがいるためルートの状況はかろうじて分かるが、写真を撮るような天気ではないので、氏に声も掛けずにただ黙々と登る。 次第に風も強まってきた。 最近では天気の良い日にしか山を登っていないので、久々の悪天候が非常に憂鬱だ。 すでに取り付きから1時間半ほど登り続けているが、天気は回復するという予報のため、引き返すパーティーは無かった。 ようやく氏から「あと10分ほどで休憩します」との指示があった。 おそらく風の当たらない良い場所がこの先にあるのだろう。

   am8:00ちょうどに、ちょっとした平坦地に着き、先行していたパーティーもそこで休憩していた。 そのパーティーはピッツ・パリュへの日帰り登山をするというホテルで同室したフランス人の家族だった。 そのパーティーのガイド氏とステファン氏は知り合いのようで、何やら話し合いをしてから、「天気が予想よりも悪く、回復する見込みが無さそうなので、当初の予定を変更することにしました」と私達に説明した。 そして「あと30分位で山頂に着きますので、そこで最終的に行くか戻るかを決めようと思います」と付け加えた(あとでこれは私の聞き違いだったことが分かった)。

   再びフランス人のパーティーの後に続いて登り始めたが、しばらくすると周囲が少し明るくなり、薄日が射しそうな天気となった。 “天気は快方に向かっている。 山頂での展望は期待出来ないが、予定どおり山小屋まで行けるだろう”と思ったのは甘かった。 30分ほどクレバスを迂回しながらジグザグに登っていくと、フランス人のパーティーが立ち往生していた。 その前のパーティーが先を登っていく姿が霧の中に見えたので、山頂への順番待ちをしているのだろうと思ったが、そこは山頂直下ではなく、何か重苦しい雰囲気に包まれていた。 再びガイド氏同士で話し合いをした後、意外にもフランス人のパーティーは速やかに下山を始めた。 それとは対照的に、傍らをガイドレスのパーティーが通り過ぎ、全く躊躇もせず登り続けていく。 フランス人のパーティーの中に中学生位の子供がいたので、この先は困難だとガイド氏が判断して下山したのだと思ったが、ステファン氏も「ここから先は風が強くルートの状態も悪いので、ここで引き返そうと思います」と私達に説明した。 先ほどの氏からの説明を誤認し、多少困難でも最低ピッツ・パリュの頂だけは踏めると勝手に解釈していたので、突然の登山中止の決定にやりきれない気持ちで一杯だった。 しばらくは未練がましく指呼の間にあるはずの山頂方面を見上げていたが、氏の決断を覆して自己主張するのは後々マイナスになると思い、作り笑顔で「ノープロブレム!」と元気に答えた。 決断を下した氏も辛いのだ。 最高到達点での記念写真を撮り、am8:50に私を先頭に下山を開始したが、この間にもまた1パーティーが傍らを通り過ぎていった。

   先頭を任されたものの霧はますます濃くなり、しばしばトレイルを見失って立ち往生する。 眼鏡の水滴が凍りつき、さらに視界が悪くなっている。 ちょっとした雪でもトレイルは簡単にかき消され、アルプスの山でのホワイトアウトの怖さを思い知った。 しばらく下って標高が少し下がるとようやく雪は止み、辺りが良く見渡せるようになったが、上方はまだホワイトアウトしていて何も見えない。 ペール氷河を渡り、取り付きまで1時間半ほどで戻ったが、未練はますます募るばかりだった。 ここまでくればもう急ぐ必要はないので、アイゼンを外して休憩していると、意外にも山頂を目指した猛者達が次々に戻ってきた。 氏は「おそらく殆ど全員が戻ってくると思いますよ」と言った。 やはり私達が引き返した地点から上は相当状態が悪かったのだろう。 ディアヴォレッツァの山岳ホテルまでのアルペンルートを登りながら、“なぜこんなにこの山との相性が悪いのか?。 もしかしたら今シーズンも登れないのでは”というマイナス思考が頭を支配しはじめ、まるで敗残兵のように足取りは重たくなった。 今年のアルプス山行は前年とは違い、のっけから波乱の幕開けとなった。 am11:10に山岳ホテルに到着。 再び今日このホテルに泊まることになるとは思わなかった。 ステファン氏の話によると、ピッツ・ベルニーナを直接目指したパーティーもほぼ全員引き返してきたようだった。 氏に今日の最高到達点から山頂までの所要時間を訊ねると、意外にもまだそこは3620mで、天気が良くても山頂まであと約1時間を要するとのことで、氏の判断が正しかったことが分った。


ガイドのステファン氏


ペール氷河の取り付き


ペール氷河をトラバース気味に進む


悪天候のため山頂の手前で引き返す


ペール氷河の取り付きからディアヴォレッツァの山岳ホテルへ


   デポ品を回収し、フロントで氏と共に連泊の申し込みを行い、昼食をとりながら今後の計画について氏と話し合った。 氏は明日・明後日で予定どおりの山行を行い、その後にピッツ・ロゼッチを登るためには、遅くとも明後日の正午までにはディアボレッツァに下山しなければならないので、今日とは反対回りのルートで明日中にピッツ・ベルニーナを登っておく必要があることを説明してくれた。 しかしこの提案は明日の行動時間が長くなるのみならず、ピッツ・ベルニーナの頂を踏むのが午後になってしまうため、私はあまり乗り気ではなかった。 しかしピッツ・ロゼッチにも是非登りたいし、万が一明日も今日と同じルートで駄目だったら精神的に参ってしまうので、この提案を受け入れてみることにした。

   昼食後、ステファン氏は落胆している私達を気遣って「ホテルの裏手にあるムント・ペルス(3207m)まで案内しましょう」と誘ってくれたが、生憎の天気のため氏の誘いを丁重に断り、明日の長い山行に備えて氏と歓談したり、昼寝をしたりしてのんびり過ごすことにした。 ステファン氏に今シーズンのアルプスの山の状況等を訊ねたところ、先週までに氏の知る限りでは38人が遭難死し、この数字は例年よりも多いということで、全般的に天候やルートの状況が悪いということを物語っていた。 但し、その殆どが単独行者だったと氏は付け加えた。 また、意外にも氏はガイドの仕事の中では、ピッツ・パリュのバリエーションルートの登攀が面白いとのことで、個人的な山の好みとしてはヴァイスホルンが一番とのことだった。 私もヴァイスホルンが今シーズンの一番の目標で、来週ツェルマットのガイド氏と登る予定だと話した。

   夕方になっても相変わらず山々を厚い雲が覆っていたが、陽射しは幾分強まってきたようだった。 夕食のテーブルには100人ほどの登山客やガイドが顔を揃え昨日以上に賑やかだったが、ステファン氏の話では、殆どがピッツ・パリュへの日帰り登山者とのことだった。 ピッツ・ベルニーナに登るためにはこのホテルを含めて2泊を要するが、ここに泊まれば日帰りで登れるピッツ・パリュの方がお手軽なためだろう。 夕食のメインディッシュは鶏肉のブラウンソース添えだったが、さすがにホテルだけあって味付けも良くとても美味しかった。 夕食後にテレビの前に集まっている人が多く、オリンピックの中継かと思ったが、シュピンケンという相撲のような格闘技の全国大会だった。 氏によればスイスでは結構人気があるスポーツらしい。 続いて放送されたpm8:00前の天気予報では、明日は長期予報どおりの快晴となっていたが、今日のようなことがあるので素直に喜ぶことは出来なかった。


山岳ホテルと背後のムント・ペルス(右)


山岳ホテルの寝室


   8月22日、am4:00過ぎに起床して恐る恐る外の様子を伺うと、嬉しいことにまさに満天の星空で、眼前にはベルニナ・グループの山々のシルエットが見渡せた。 図らずもこれがディアヴォレッツァから初めてまともに見たピッツ・ベルニーナの山頂だった。 今日こそはあの山の頂に立つことが出来るのだろうか?。 この山だけは最後の最後まで登頂の予想はつかない。

   昨日と同じスケジュールで朝食を済ませ、昨日より少し早くam5:05にホテルを出発。 昨夜ステファン氏から聞いた話では、ペール氷河の取り付きまで250mも下るという。 取り付きから山頂までの単純標高差は1300mほどだ。 取り付きへは明瞭な踏み跡が続いているが、一部が凍っているため、その都度氏が「アイス!」とこまめに注意してくれる。 先行するパーティーのヘッドランプの灯がすでに氷河上に見える。 行先は私達と同じピッツ・ベルニーナか、それともパリュのバリエーションルートか?。 30分ほどで取り付きに降り立ち、アイゼンを着けアンザイレンした後、新雪が5cmほど積もったペール氷河に足を踏み入れる。 気温はマイナス4℃だったが、風が無いので寒さは感じなかった。 月は無いが相変わらず満天の星空で、昨日とはまるで雰囲気が違う。 間もなく空が白み始め、ヘッドランプが不要となると、左手のパリュの黒いシルエットが青白く浮かび上がってきた。 思わず氏に声を掛け、写真を撮らせてもらう。

   幅が1kmほどの平坦なペール氷河の核心部を僅か15分ほどで渡り終えると、これから辿るフォルテッツァ稜の取り付きの“カモシカの避難所”と名付けられた岩場に向けての傾斜の緩い登りとなった。 振り返ると背後のディアヴォレッツァの展望台付近が茜色に染まり始め、夜明けの時刻が近づいてきたことを告げていた。 周囲は爽やかに明るさを増し続け、間もなく左手のパリュや右手に見えてきたモルテラッチ(3751m)の頂稜部に待望の朝陽が当たり始めた。 すかさず氏に声を掛け写真を撮らせてもらうが、ピッツ・ベルニーナはこれから辿るフォルテッツァ稜に隠され、その雄姿を拝むことは叶わない。

   右手からボヴァルヒュッテ(2495m)を出発し、モルテラッチ氷河を遡ってきたと思われる3人組のパーティーが登ってくるのが見えた。 ペール氷河を過ぎてから30分ほどでフォルテッツァ稜の取り付きに着き、ステファン氏はザイルの間隔を短くするために足を止めた。 この間に3人組のパーティーは私達の登っているトレイルの上方に合流したが、その先には先行するパーティーの姿は見られなかった。 氏は「これからフォルテッツァ稜を登りますが、ルートの状況によってアイゼンを着けたり外したりします。 ペースはちょうど良いですか?。 もし速ければ速いと言って下さい」と細かな説明をしてくれ、ガイド登山というよりはさながら“登山教室”といった感じだった。 右手の岩場との境目の雪面にジグザグに刻まれた登り易いトレイルをひと登りすると、フォルテッツァ稜にも朝陽が当たり始め、待望の御来光となった。 am7:00ちょうどに3人組のパーティーと共に、日溜まりとなっている傾斜の緩い所で休憩となった。 3人組のパーティーはガイドレスだった。 昨日までとはまるで違う絶好の登山日和になりそうで、氏と共に「ナイス・ウエザー!」を連呼する。

   10分ほど休憩してから、3人組のパーティーに続きジグザグに刻まれた登り易いトレイルを足取りも軽く登っていくと、間もなくなだらかで幅の広い稜線に登り詰めた。 突然、まるで私達を驚かせるかのように、抜けるような青空の下にピッツ・ベルニーナがその大きな雄姿を現した。 ステファン氏は私がリクエストするまでもなく足を止めてくれた。 ディアヴォレッツァの展望台から見た同峰の印象とはまるで違う迫力と山群の盟主に相応しい気品に満ち溢れた容姿に、昨年一緒に登る予定だったガイドのポール氏が“アルプスで一番好きな山”と語っていたことが納得出来た。 だが、その素晴らしい展望と引き換えに、その頂は遙かに遠く、とても今日中に辿り着けるとは思えなかった。

   なだらかで幅の広い雪稜を右手にピッツ・ベルニーナ、左手にピッツ・パリュの両山を望みながら、相変わらずゆっくりしたペースで登っていく。 しばらくは全く楽な稜線漫歩の登高が続いたが、稜線は次第に痩せて間もなく岩場が現れた。 昨日の新雪がうっすらと岩に積もり、2級程度の比較的簡単なルートをアイゼンを着けたまま登る。 他のパーティーはアイゼンを外しスタカットで登っているため、順番待ちの時間が長くなった。 たまらず穏やかなステファン氏もノーマル・ルートを外れ、少し強引に攀じって先行パーティーを追い抜いた。 地元のガイド氏らが付けたのだろうか、所々の岩に矢印のペンキマークが印されていた。 雪が無ければ短時間で通過出来そうな岩場を1時間以上も掛けて通過し、トレイルの脇の日溜まりとなっている所で大休止となった。 ペール氷河の対岸に見えるディアヴォレッツァの展望台もいつの間にか遠くなった。


新雪が5cmほど積もったペール氷河


ピッツ・パリュの黒いシルエットが青白く浮かび上がる


幅が1kmほどの平坦なペール氷河の核心部を渡り終える


ピッツ・パリュの頂稜部に朝陽が当たり始める


ペール氷河からフォルテッツァ稜の取り付きへ登る


フォルテッツァ稜の取り付き


フォルテッツァ稜の取り付きから見たピッツ・ベルニーナ


フォルテッツァ稜から見たペール氷河


フォルテッツァ稜の中間部にある2級程度の岩場


岩場の上の日溜まりで大休止する


岩場の上から見たピッツ・ベルニーナ


岩場の上から見たピッツ・パリュ


岩場の上から見たモルテラッチ


   ここから再び稜線はなだらかになり、しばらく登ると“ベラヴィスタテラス”という裾野のようになだらかな雪のスロープとなった。 ここでトレイルは真っすぐに登るものと右に折れるものとに分かれた。 他のパーティーは真っすぐに登っていったが、私達は山小屋の建つ峠に向けて右に折れた。 覆いかぶさるようなベラヴィスタ(3892m)の巨大な雪庇の下をトラバースしていく極楽のトレイルを鼻歌交じりでしばらく進んだが、途中からは一変して風が急に強まり、先行者のトレイルはいつの間にか消えていた。 前方にクラスタギュッツァ(3869m)の岩峰が見えてきたが、これがツェルマットから仰ぎ見たマッターホルンの形にそっくりでとても面白かった。

   ここからはステファン氏の指示で私が先頭となり、右手の足下に見えるモルテラッチ氷河の源頭部に向けて100mほど凍った急斜面を慎重に下ってから少しだけ登り返すと、巨大なクレバスが行く手を塞いでいた。 一瞬“氏もルートを見誤ったか”と思ったが、氏はクレバスに辛うじて架かっているスノーブリッジを目ざとく見つけては、私達にそこを渡って行くように後ろから指示した。 妻と顔を見合わせながら半信半疑で肝を冷やしながら幾つかのスノーブリッジを渡ったが、振り返って見上げると“よくあそこを下ってこれたものだ”と感心せざるを得なかった。 この山域の氷河やクレバスのことを知り尽くした氏だからこそ出来た芸当なのだろう。

   今日の宿泊先のマルコ・エ・ローザ小屋(3609m)が指呼の間に見え、僅かに登り勾配となっているトレイルをしばらく歩き、am11:30に登山客で賑わっている山小屋に着いた。 ステファン氏から「ここで腹ごしらえをしてから、山頂に向けて概ね正午には出発しましょう」という指示があった。 昼食は行動食だけで簡単に済まそうと思ったが、居心地の良い食堂の雰囲気に思わず気が緩みスープを注文すると、ミネストローネ風の具沢山のスープが鍋ごとテーブルに運ばれてきた。 まだ山頂往復には4時間ほどかかることは分かっていたが、出発してからすでに6時間以上が経ちお腹が空いていたので、付属のフランスパンと一緒にお腹が一杯になるまで食べてしまった。


ベラヴィスタテラスに向けてフォルテッツァ稜を登る


越えてきたクレバスやスノーブリッジを振り返る


マルコ・エ・ローザ小屋の建つ稜線上のコル


稜線上のコルから見たクラスタギュッツァの岩峰


マルコ・エ・ローザ小屋


マルコ・エ・ローザ小屋の食堂


   結局1時間以上も昼食の休憩をしてしまい、pm0:40に山頂に向けて出発したが、今回のように昼食を山小屋で食べてから山頂に登るということは、他のアルプスの山ではめったに経験出来ないことだろう。 嬉しいことに午後になっても空の青さは全く衰えることなく、霧も湧き上がってくる気配が無かった。 昨日までの悪天候が嘘のような快晴の一日となったが、なにせ“鬼門”の山なのでまだ安心は出来ない。 ステファン氏は「山頂まで2時間位ですよ」と私達に説明してくれた。 スパラ稜と名付けられた広い雪の急斜面の尾根をジグザグに登る。 山小屋の建つ峠は風の通り道となっているようで、イタリア側から冷たい風が強く吹いてくる。 この風のお陰で普通なら腐り始める雪が未だ締まったままで、予想外に快適な登高となり、食べ過ぎて重たくなった体(足)には嬉しかった。

   30分ほどで雪の急斜面を登り終えると、峠を挟んで屹立するクラスタギュッツァの岩峰もあっという間に目線の高さになり、尾根は急に痩せて岩稜の登攀となった。 右手の奥には目指す山頂と米粒ほどの登山者の人影が見え、あと1時間ほどで着くだろうと思ったのも束の間、さほど難しくない2級程度の岩場は先ほどと同様に新雪が積もり、下ってくる登山者とのすれ違いで渋滞していた。 反対側から山頂に至る“アルプスで最も美しい雪稜”と讃えられているビアンコ・グラート(稜)からの縦走者も多いのだろうか?。 アイゼンを着けたまま岩場を登り終えると、今度は一変してナイフエッジの長い雪稜となった。 ステファン氏によれば、いつもはこの痩せ尾根には雪は無いとのことだった。 少し横風のあるスリリングな雪稜歩きは、次第に近づいてくる憧れの頂への気持ちの昂りに一段と磨きをかける。 山小屋を出発してからいつの間にか2時間が経過していた。

   頂上直下の易しい岩場を喜びに浸りながらひと登りすると、pm3:05に猫の額ほどの狭いピッツ・ベルニーナの山頂に辿り着いた。 pm3:00を過ぎているにもかかわらず、山頂付近にはまだ4〜5組のパーティーが寛いでいた。 昨年来の雪辱をようやく果し、鬼門をクリアーすることが出来た安堵感と、未明からの長い行動時間の末に辿り着けた達成感とで胸は一杯だ。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ダンケ・シェーン!」。 真っ先にステファン氏と固い握手を交わし、妻と登頂の喜びを分かち合った。 ベルニナ山群の盟主に相応しい山頂からの絶景に妻も少し興奮気味だった。 氏はそのまま私達を狭くて細い山頂の岩場の先に導くと、反対側からのルートのビアンコグラートの取り付きから山頂に至るまでのルートを丁寧に説明してくれたが、その直後にヘリコプターが飛来し、ビアンコグラートの中程辺りで旋回を始めた。 氏はすかさず「恐らく遭難ではなく、ルートが長く新雪でコンディションが悪いため登攀不能者が出たのだと思います」と説明してくれた。 ビアンコグラートでは良くあることなのだろうか?。 氏はすぐ隣に聳えているピッツ・シェルシェン(3971m)とピッツ・ロゼッチ(3937m)の頂を私達に教えると、ちょうど誰もいなくなった山頂に戻り記念写真を撮ってくれた。 氏はさらにピッツ・パリュの手前の純白の端正なピークを指さして、「あの山はピッツ・トゥーポ(3996m)と言って4000mに僅か4m足りない不遇な山なんですよ」と教えてくれた。 ヨーロッパアルプスでは4000m峰がいわゆる“百名山”なのだ。 ピッツ・パリュも下から見上げた穏やかな山容とは全く異なった別の山に見える。 快晴の天気の下、ベルニナ山群の最高点からはディアヴォレッツァの展望台から見上げた山々のみならず、その山群の全容が良く見渡せ、唯一この場所がそれを可能にしていることをあらためて教えてくれた。 意外にも山頂からはサンモリッツやポントレジーナの町ではなく、モルテラッチ氷河の流れていく遙か先にサメダンの町だけが見えた。 山頂の岩の隙間に置かれたアルミ製の飯盒の中に入っていた本のような“登頂ノート”に名前や登頂の喜びを記したが、予想どおり日本人の名前は見当たらなかった。

   pm3:35、30分ほどの長い滞在をした後、印象深く名残惜しい頂を後にして山小屋へと下山した。 結局下りも岩場の通過に時間がかかり、山小屋に着いたのはpm5:30だった。 昼食や休憩も含めると12時間以上の長い行動時間だったが、それだけに印象深い山行となった。 ステファン氏に「今日は私達の遅いペースに合わせていただきありがとうございました!」とお礼を言うと、意外にも氏から「スピードが速いだけが能じゃありません。 速いと(無謀な)若者のように死んでしまいますよ」と、まるでアルプスの登山では常識の“スピード=安全”の哲学を否定するかのような返事が返ってきた。 やはり氏(先生)は今までのガイド諸氏とは明らかに違うタイプの人だった。

   昨年建て替えられたばかりという木造の新しい山小屋は木の香りに溢れ、国境となっている稜線を越えてイタリア側に建っているためか、いかにもイタリアらしい陽気な雰囲気に包まれていた。 建物の中外にあるスピーカーからはリズム感のある音楽が流れ、廊下の壁には若い女性の大きなヌードのポスターが貼ってあった。 山頂に登頂ノ−トはあったが、山小屋には宿帳のようなものは無く、記念の足跡を残すことは出来なかった。 pm6:30の夕食の時間となると、80席ほどある食堂は満員となった。 同じテーブルには私達より僅かに年上に見えた男女のペアがついた。 料理が配膳されるまでの間、夫婦のように思えた二人と社交辞令のような雑談を交わしたところ、二人は共にアメリカから来たとのことだったが、意外にも長い金髪を束ねた女性の方がガイドだった。 クライアントの男性はデジカメとは別に大型の一眼レフカメラを持ってきたほどの写真好きで、「明日はどちらが先にピッツ・パリュに着くか競争しましょう(写真を撮ると遅くなる)」と私に向かってジョークを飛ばした。 スープの後のメインディッシュはパスタか肉料理かの選択が出来たので前者を注文したところ、出てきたフィットチーネは薄味で予想以上に美味しかったが、デザートに選んだケーキはクッキーのようにボロボロで全くいただけなかった。

   夕食後はステファン氏と明日以降の計画について再度話し合った。 氏からの説明によれば、明後日第一志望のピッツ・ロゼッチに登るためには、B.Cのチェルバハットまでのアプローチに時間が掛かるため、遅くとも明日の正午までにディアヴォレッツアの展望台に下山しなければならないが、第二志望のモルテラッチであれば、ディアヴォレッツァの展望台からB.Cのボヴァル小屋まで歩いて2〜3時間ほどで行けるので、明日の行動に余裕が持てるとのことだった。 さらにモルテラッチであれば山小屋から3時間ほどで登れるため多少天気が悪くても大丈夫だが、ロゼッチは山小屋から6時間ほど掛かる上、岩場の登攀が今日のピッツ・ベルニーナよりもワンランク難しいため、確実に登るためには今日のような晴天でないと難しいと、地図をペンでなぞりながらルートを丁寧に説明してくれた。 しかし何といっても明日以降の天気によって計画は変わってしまうので、明日ディアヴォレッツァの展望台に着いた時に最終決定すれば良いとのことだった。

   窓の外が夕焼けの空となり、カメラを片手に慌てて小屋の外に飛び出していったが、少し風のある山小屋の周りは昼間の暖かさが嘘のように恐ろしく寒かった。 食堂に戻って再び氏と雑談を交わした後、疲れた体を労るため明日の好天を祈りながら早々に床に就いた。


スパラ稜から見たピッツ・ベルニーナの山頂


ピッツ・ベルニーナの山頂


山頂から見たピッツ・ロゼッチ(中央)とピッツ・シェルシェン(左)


山頂から見たピッツ・トゥーポ


山頂から見たピッツ・パリュ


辿ってきたスパラ稜


アルミ製の飯盒の中に入っていた本のような登頂ノート


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P