憧れのヨーロッパアルプス 5

  【羨望の山々】
  2001年の夏、私は妻と共にスイス随一のアルペンリゾート地であるツェルマットの町を再訪した。 目的はアルプスで最も有名な山であるマッターホルンを登るためである。 当時はまだアルプスでの登山経験も浅く、全てにおいて無我夢中の境地であったが、幸運にもマッターホルンの頂に一回のチャレンジで辿り着くことが出来た私は、その翌日、同峰への登頂の余韻に浸りながらツェルマット周辺では屈指の展望を誇るスネガへとケーブルカーで向かった。 展望台からあらためて憧れのマッターホルンの雄姿を眺め、写真を撮ろうとすると再び感動が蘇り、涙腺が緩んでくるという思い出は未だに忘れることが出来ない。 マッターホルンはツェルマットの町からも良く見え、またその天を突く槍の矛先のような際立った容姿に、始めて同峰を仰ぎ見た人はその魅力とりつかれてしまうものである。 私も他ならぬそのうちの一人であった。 スネガを始め、ゴルナーグラート、クラインマッターホルン等の展望台が、アルプスのシンボルであるマッターホルンがより良く眺められる場所に設置されていることは当然のことであろう。 さらに“主役”のマッターホルンをより魅力的にしているのは、その周りを取り囲んでいる山々の存在である。 スネガの展望台からはツェルマットの町を挟んでマッターホルンが孤高を誇り、その優美な姿を披露しているが、少し間をおいてその左手に連なるモンテ・ローザグループ、即ちブライトホルン、ポリュックス、カストール、リスカム、モンテ・ローザといった雪山と、これとは全く対照的な右手のオーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンといったそれぞれに個性的な岩峰のトリオが“名脇役”を演じて同峰を引き立てていることが良く分かる。 この年にマッターホルン、ドム、モンテ・ローザの山頂に足跡を残した私は、ツェルマットを再訪する機会があれば、是非これらの山々にもチャレンジしてみたいと心に誓った。

  帰国後にツェルマットで仕入れた高価なガイドブックや手持ちの資料等でこれらの山々のことをあらためて調べてみたところ、意外にも名脇役を演じているこれらの山々の一般ルートは、一部の山を除いてはマッターホルンよりも難しいことが分かった。 マイナーな山ほど難しいのは、世界各国共通のようだ。 以来、私にとってこれらの名脇役達は主役のマッターホルンを凌駕するほどの“羨望の山々”となった。 これらの羨望の山々については、素人の私には縁が無いものだと諦めていたが、その後にアルプスの山で知り合ったガイド諸氏からの情報を聞いているうちに、単純な私はマッターホルンの時と同様に“もしかしたら私にも登れるのではないか”という錯覚に陥った。 特に強い憧れを抱いたのは“アルプスで最も美しい山”と讃えられているヴァイスホルン(4505m)である。 以前ドムに登った時に、ランダの谷を挟んで対峙する同峰を間近に見て、その讃美の表現に納得したのは記憶に新しい。 またガイドブックによれば、オーバーガーベルホルン(4063m)が最も美しい山だという意見もあるらしく、日本では知名度が低いこれらの山々はアルプスの中では折り紙付きの名峰らしい。 ヴァイスホルンを登られた経験のある知人の細井さんにアドバイスを求めたところ、意外にも技術的な問題より体力が勝負の山であるとのことであった。

  その後2003年の夏に念願のアイガーの絶頂にも立つことが出来た私は、ますますアルプスの山の虜となった。 高所順応をしながら辛抱強く一つの高峰を目指すことも素晴らしいが、変化に富んだスマートな登山がアルプスの魅力であり、私の感性に合っているのかもしれない。 5年連続、5回目となる今回のアルプス弥次喜多山行では再びツェルマットに滞在し、大胆にも憧れのヴァイスホルンに登ることを第一の目標にし、次にツェルマットからB.Cの山小屋に直接徒歩でアクセス出来るオーバーガーベルホルンとツィナールロートホルン(4221m)を登り、もしこの三山が全て登れた場合には、初めてスイスを訪れた年に天候不良のため登れなかった、ツェルマットの北東部に位置するヴァイスミース(4023m)とラッギンホルン(4010m)にも足を延ばそうと考えた。 また昨年涙を飲んだスイス東部の秀峰ピッツ・ベルニーナ(4049m)とピッツ・パリュ(3905m)を何としても登りたかったので、これについてはツェルマットから“遠征”する方法ではなく、麓のポントレジーナ周辺に滞在しながら頂を目指すという計画を立てることにした。

  昨年大変お世話になったグリンデルワルトの日本語観光案内所が、地元のガイド組合のみならずスイス国内の他のガイド組合へも同一の条件(料金・サービス)でガイドの手配をしてくれることが分かったため、今回も同案内所にガイドの手配を依頼することにした。 料金は1件(山)当たり50フラン(邦貨で約4500円)であるが、過去の経験上現地に行ってから直接折衝したり、個人レベルで日本から手紙やメールで予約を入れるよりは、同案内所のような現地のエージェントを通じて確実な予約を入れておき、後は現地で細かな打ち合わせをする方が、天気やルートの状況に応じていろいろアレンジしてくれるので、結果的には得策である。 今回はピッツ・ベルニーナ(ピッツ・パリュを通るルート)、ヴァイスホルン、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスミース、ラッギンホルンの6(7)つの山のガイドの手配を依頼したが、特に前半に予定したピッツ・ベルニーナとピッツ・パリュ登山では、予備日を3日も設けるという一見無駄に見える計画を立てたが、結果的にはこれが正解となり、海外登山の難しさをあらためて認識させられることとなった。 今回は新規に購入したパソコンの電子メールで同案内所にガイドの手配を依頼したが、時差がある海外とのやりとりではメールが大変有益であった。 また僅かではあるが、インターネットによりこれらの山々の情報を入手することが出来て、こちらも大変役に立った。

  日本語観光案内所の上西さんと何度かメールでのやりとりをした結果、ピッツ・ベルニーナについては昨年と同様ポントレジーナのガイド組合が、2日間のツアーをガイドの拘束料なしに予備日を含めた5日間の中でアレンジしてくれるとの朗報であった。 ヴァイスホルン、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルンの三山については、当初第一志望のヴァイスホルンを最初に登る計画でいたが、ツェルマットのガイド組合(アルパインセンター)から、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンを先に登った方が良いというアドバイスがあったため、素直にこれに従うこととし、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンはB.Cの山小屋(ロートホルンヒュッテ)が同じなので、少々きついが連続で登り、その後に1日予備日を設けてヴァイスホルンを登ることにした。 さらにその後はツェルマットからサース・グルントに電車とバスで移動して、ヴァイスミースとラッギンホルンの二つの山を登ることにした。 この両山についてはサース・フェーのガイド組合が主催しているとのことであったが、残念ながら両山とも麓の町からの日帰り登山となるということであり、同案内所を通じての予約の段階では4年前に“下見”に行ったB.Cの山小屋(ホーザースハウス)に泊まり、そこからアタックしたいという希望は叶えられなかった。
  航空券とホテルについてはインターネットによらず、いつもどおり旅行会社のH.I.Sに依頼したが、ドルやフランといった外貨の高騰により、ピッツ・ベルニーナの麓にあるポントレジーナで一番安かった希望のホテルが満室のため4か月前でも予約が取れず、仕方なくスイス随一の高級保養地である隣町のサンモリッツにある『ゾンネ』(ツイン・朝食付きで一泊15400円)というホテルになった。 ホテルの数が多いツェルマットでも同様に選択の余地は少なく、一番安い『ペーレン』(ツイン・朝食付きで一泊15200円)というホテルになった。 航空券はここ数年利用していたシンガポール航空よりもマレーシア航空が@133000円と@1万円以上安かったので、初めて利用することにした。 今回は勤務先の20年の永年勤続ということで長期の休暇が取れたため、滞在期間が現地18泊と非常に長く、また登山を計画している山も多いので、ホテル代・生活費・ガイド料・交通費を含めると今までで一番多くの出費が予想されたため、アパートやユースホステル等の安宿も再検討したが、最終的には煩わしさを排除して登山に集中出来るように、例年と同様に三ツ星のホテル泊まりとした。

  【サンモリッツ】
  2004年8月18日、前日の正午に成田を発ち、途中クアラルンプールを経由したマレーシア航空の旅客機は、am6:25に霧に煙るチューリッヒのクローテン空港に到着した。 成田からクアラルンプールまでは7時間、クアラルンプールからチューリッヒまでは12時間という長旅であったが、昨年に続きアルプスの山に向かえる幸せを考えれば全く苦にならない。 同空港は滑走路の拡幅や建物の改装があったようで、着陸後は空港内を電車で移動することとなり、以前より入国に時間が掛かった。

  空港駅をam7:13に出発する電車に乗り、チューリッヒで乗り換えた後、同駅をam7:35に出発するクール行きの特急列車に乗った。 時間が早いためか乗客はまばらである。 天気は回復傾向にあるのか、チューリッヒ湖の湖面が陽光に照らされて光っている。 昨年は気が付かなかったが、チューリッヒ湖の次に現れた湖の対岸には、岸辺から1000m前後の高さで屹立する山々の絶壁が屏風のように延々と連なっている。 標高はせいぜい2000m程度であると思われるが、とても険しく荒々しい岩峰群だ。 これらの山々が登山対象になっているかどうかは知る由もないが、スイスには個性的な山が多いことをあらためて実感する。

  出発直前にツェルマットに滞在されていた細井さんからいただいた情報どおり、今シーズンのアルプスの山の天候は不安定なようで、しばらくすると空は早くも曇り始めた。 昨年の悪夢がチラリと頭をかすめる。 am8:50に終点のクールに到着。 急ぐ必要はないが、次の電車は1時間後なので、反対側のホームで出発を待っていたサンモリッツ行きの急行電車に走って飛び乗った。 クールからは通称『氷河急行』と呼ばれる路線に入る。 昨年は雨と霧で車窓からの風景を全く楽しめなかったが、今回は曇天ながら氷河急行の名物になっている『ランドヴァッサー橋』(川床からの高さが65m、半径100mの緩やかな半円を描く石造りのループ橋)や周囲の景観を充分に堪能することが出来た。 長短合わせて50以上のトンネルを抜け、クールから標高差1000m以上を稼いだ列車は、アルブラ峠を長さ5866mのトンネルで抜け、最初の滞在地のサンモリッツがあるエンガディンの谷へと一気に滑り込んで行った。

  am11:00に終点のサンモリッツの駅に到着したが、天気はさらに下り坂となり、冷たい風が吹いていてとても寒い。 おそらく気温は10℃以下であろう。 チェックインの時間にはまだ早いので、駅からバスに乗り、町の中心部へと向かう。 運転手さんに銀行の前のバス停で降ろしてもらい、昨日成田空港の銀行で入手した額面100フランのトラベラーズチェック50枚(邦貨で約45万円)を両替したが、50枚の小切手へのサインは結構骨が折れた。 この銀行でも旅行者が一度にこれだけ多くの小切手を交換したことはないであろう。 実際には受け取らなかったが、1000フラン(邦貨で約9万円)の紙幣があることをこの時初めて知った。 スイス随一の高級保養地であるサンモリッツの町は、サンモリッツ湖の北西斜面に拡がるホテルの大半が4ツ星以上という『ドルフ』地区と、サンモリッツ湖の南西で古くから温泉場として栄えていた『バート』地区(独語で温泉の意味)に分かれている。 もちろん私達の滞在するホテルはバート地区にあり、小さなマーケットで当座の食料を調達した後、駅前〜ドルフ〜バートを循環している地元の『エンガディン・バス』に乗って滞在先のホテル『ゾンネ』に向かった。 意外にもホテルは町の中心部から1km程しか離れておらず、荷物さえ無ければ歩いても15分程であった。 またホテルの目の前がバス停になっていて、15分毎の循環バスと1時間毎のポントレジーナ行きのバスもここから発着するため、当初は不便だと思っていたホテルは私達にとっては大変都合の良い宿となった。 また、歩いて5分程の所に大きなマーケット『コープ』があり、結果的に商業施設の少ないポントレジーナ周辺に滞在するよりはメリットが大きかった。

  『ゾンネ』の外壁には大きく“ピザ”という文字が書かれていて、お昼時ということもありレストランは大勢のお客さんで賑わっていた。 チェックイン後に案内された3階の部屋は10畳程の明るく良い部屋であり、特にお風呂が新しくリフォームされていて妻には好評であった。 マーケットで買ったパンと機内食の残り物で簡単に昼食を済ませ、ホテルの周辺の散策に出掛けようとしたが、小雨がパラついてきたのでホテルで寛ぐことにした。 テレビをつけるとアテネオリンピックの中継をしていて、ちょうど競泳の北島選手が金メダルを取ったシーンが放映されていた。 こちらでは時差なしで競技が見られることに気が付いたが、当然のことながら人気の競技は日本と違い、その後はフェンシングや乗馬等を主に放映していた。 長旅の疲れか、時差ボケか、テレビをつけたまま夕方までベッドで寝入ってしまった。 pm8:00前の天気予報では、明日はまだ天気がぐずつきそうだが、週末にかけて天気は尻上がりに良くなるようであり、四日後の日曜日が良い天気のピークになっていた。 夕食は日本から持参したカップ麺であったが、何故か外国だとこんな粗末な物でも美味しく感じられるから不思議だ。


チューリッヒからクールへの特急列車(終点のクール駅にて)


氷河急行の名物になっている『ランドヴァッサー橋』


  8月19日、夜中に再びまとまった雨が降ったようで、天気は相変わらず不安定なようであった。 am7:00の天気予報では今日は曇り時々雨、明日は曇り時々晴れ、明後日は晴れ、その次の日曜日は快晴となっていたので、これから向かうポントレジーナのガイド組合での打ち合わせでは、とりあえず今日の予定はキャンセルし、一日順延してもらえるようにお願いしようと思った。 朝食のバイキングではハムやチーズの種類が豊富でしかも美味しく、また果物も缶詰ではなかったので、三ツ星のホテルとしては上等だった。

  ホテルの前からam9:15発のバスに乗り、20分ほどでポントレジーナのガイド組合に到着。 カウンターで名前を告げ、スタッフの方に先ほどの提案を申し出ようとしたところ、意外にもすでに担当のガイド氏から電話で“明日は天気が悪いので一日順延した方が良い”という指示があったとのことであった。 さらにもし明後日の天気が悪くなれば、明日の朝再びここで打ち合わせを行うということで構わないとのことであった。 ガイド氏の名前はステファン・フェリックス、予定どおりであれば明日の夕方ディアヴォレッツァの山岳ホテルで落ち合って下さいとのことであった。 またガイド料は後で直接ガイドに支払っても良いし、今ここで支払っても良いとのことだったので、迷わず前者を選択することにした。

  打ち合わせは理想的な形で終わったが、一日順延して予定どおりに登れた場合、二日間の予備日が空くので、スタッフの方に「この周辺にガイド登山の対象となっているお勧めの山はありますか?」と訊ねたところ、ピッツ・ベルニーナの隣接峰のピッツ・ロゼッチ(3937m)が良いとのアドバイスがあった。 スタッフの方によると、同峰はピッツ・ベルニーナよりも岩登りの要素が強く、また難易度も少し上のようであった。 ガイド料は二人で630フラン(邦貨で約56700円)で、B.Cとなる『チェルバハット』まではポントレジーナの駅前から途中にある山岳ホテル『ロゼッチ』まで1時間ほど馬車に乗って行き(徒歩では2時間)、そこからさらに2時間ほど山道を登るとのことであった。

  ガイド組合を後にしてポントレジーナの町で地図と土産物を買った後、相変わらずの曇天であったが、時差ボケの解消のためにハイキングの本に紹介されていた電車を使って周回するお手軽なハイキングコースを歩いてみることにした。 ポントレジーナの駅前でチェルバハットに通じるトレイルの標識を確認し、pm0:09発のベルニナ急行に乗って、ハイキングの起点となるオスピツィオ・ベルニナ駅に向かう。 曇天にもかかわらず、登山電車の旅を楽しむ観光客で車内は賑わっていた。 また、一番後ろの車両は屋根が無い貨車のような“パノラマカー”であったが、寒さにも負けず乗っている強者が結構多いのには驚いた。 電車は針葉樹林帯の中をジグザグのカーブを繰り返しながらどんどん高度を稼いでゆく。 途中のモルテラッチ駅付近は、晴れていればピッツ・ベルニーナの雄姿を望める所なのでハイカーの姿が目立ったが、残念ながら山頂に通ずる氷河は見えたものの、その頂は今日もお預けであった。 同駅を過ぎた辺りから森林限界を越え、電車は国道と平行して走行するようになり、車窓からは“槍ヶ岳”や“剣岳”のような険しい3000m級の山々が次々と望まれ、東部アルプスの懐の深さをあらためて感じた。

  車窓の右手に乳白色をした氷河湖のラーゴ・ビアンコ(伊語で白い湖)が見えると、間もなくベルニナ線の最高地点(2253m)であるオスピツィオ・ベルニナ駅に到着し、pm1:00前に小雨の中を傘をさしてハイキングに出発した。 一つ先のアルプ・グリュム駅まで約2時間ほど歩くだけのお手軽なコースであるが、生憎の天気のため4〜5組のハイカーしか下車しなかった。 線路と湖に並行してつけられた林道のような幅の広い起伏のないトレイルを歩くが、曇天のためコースのハイライトであるラーゴ・ビアンコも全く冴えない。 40分ほどで線路や湖を離れ、ハイキングコースの最高点であるサッサル・マソンの山小屋(2355m)までの登りにかかる。 30分ほど山裾を回り込むように緩やかに登ると、味わいのある石造りの山小屋に到着した。 好天であれば賑わうであろう山小屋の周囲には、生憎の天気のため誰もいなかったが、傍らには立派な石造りのワイン貯蔵庫が二つもあった。

  周囲の高い山々は雲を呼び、パリュ氷河も下の方の滝しか見えなかったので、高山植物を愛でながら早々にゴールであるアルプ・グリュム駅へと下る。 pm3:00過ぎに同駅に着き、間もなく到着した電車に乗ってポントレジーナに向かった。 同駅からバスでサンモリッツのホテルに戻り、『コープ』に食料等を調達しに出掛けた。 ドルフ地区とバート地区のほぼ中間にあるこのマーケットは、食料品のみならず日用雑貨の品揃えも豊富であった。 天気は再び悪くなり、ホテルに帰った直後に夕立のような土砂降りの雨となった。 夕食は日本から持参したレトルトパックのカレーに野菜を沢山入れて食べた。 pm8:00前の天気予報では三日後の日曜日を境に天気は下り坂に向かいそうで、先ほど決めたばかりのピッツ・ロゼッチへの登山計画は早くも暗雲が立ちこめてきた。


サンモリッツで滞在したホテル『ゾンネ』


ポントレジーナのガイド組合(観光案内所)


ポントレジーナの市街地


ポントレジーナの駅


ベルニナ急行


曇天のため氷河湖のラーゴ・ビアンコも全く冴えない


サッサル・マソン小屋


石造りのワイン貯蔵庫


アルプ・グリュムの駅


サンモリッツ周辺の路線バス


サンモリッツの『バート』地区の教会


  8月20日、夜中に再びまとまった雨が降ったようであったが、am7:00の天気予報は昨日までのものと変わっていなかったので安堵した。 しかし朝食の最中から再び激しい雨となり、天気予報も怪しくなってきた。 モチベーションも天気と共に急降下し、午後の出発時間までホテルの部屋でオリンピックを観て過ごす。 結局午前中は雨が降ったり止んだりの変わりやすい天気だった。 1階のレストランは地元では有名なピザの店らしく、今日もお昼時になると大勢の団体客が大型の観光バスで次々に来店していた。 ピザは下山後に試すことにして、昼食はインスタントラーメンで簡単に済ませた。

  期待と不安の気持ちを抱きながら、pm2:15発のバスでポントレジーナに向かう。 ポントレジーナの町を流れる川は一昨日からの雨で茶色く濁っていた。 ポントレジーナ駅をpm3:03に出発するベルニナ急行でベルニナ・ディアヴォレッツァの駅へと向かい、同駅からロープウェイでディアヴォレッツァの展望台/山岳ホテル(2973m)に上がる。 天気はやや回復し、久々の陽射しがとても暑く感じる。 昨日見たラーゴ・ビアンコがロープウェイの車窓から良く望まれたが、ディアヴォレッツァの展望台からペール氷河越しに見たベルニナ・グループの山々は雲や霧のため、昨年と同様にすっきりと望むことは叶えられなかった。

  展望台の周囲を写真を撮りながら散策した後、ホテルのフロントでチェックインを申し出ると、指定されたドミトリーの相部屋は、昨年泊まった部屋の隣であった。 ホテル内にはまだガイドのステファン氏らしき人は見当たらず、ロープウェイの改札口でpm5:30の最終便で上がってくるであろう氏を待つことにした。 間もなく到着した最終便からザイルを担いで降りてきた最後の乗客は、紛れもなくステファン氏であったが、氏はガイドにしては珍しくメガネをかけ、ガイドという感じは全くしない風貌と独特の雰囲気を持った方であった。 早速握手を交わし簡単な自己紹介をした後、展望レストランで氏と夕食の席を共にした。

  山岳ホテルの夕食は昨年同様とても美味しく、肉料理の付け合わせのマッシュポテトのように見えた料理はトウモロコシの粉を練り固めた“ボレンタ”という地元の料理で、ステファン氏の好物のようであった。 夕食後は氏と雑談を交わして親睦を深める。 いつものように氏に年齢やガイド歴等を訊ねてみると、氏は現在39歳であるが、ガイド歴は意外にもまだ5年であるとのことであった。 さらに意外なことに、氏はもともと地理学、特に岩石や氷河の研究者で、現在もチューリッヒの大学で講師をしているとのことであり、趣味でやっていた登山についてもガイドの資格を取り、登山シーズンは二足の草鞋を履いているというとてもユニークな方であった。 氏は他にも沢山の趣味を持っているようで、グライダーにも乗っているとのことであった。 明日からの登山ルートの概要について氏に訊ねると、私の持っている地図に携帯用の小さなペンでルートをなぞりながら詳細な解説をしてくれた。 また予定ではピッツ・パリュの頂を踏んでから稜線の肩を縦走して山小屋に泊まり、翌朝ピッツ・ベルニーナの頂を往復した後、直接このホテルに下山するという周回コースとなっていたが、私達の希望で逆の順路で周回することも全く問題は無いので、出発までにどちらかを選択して下さいとのことであった。 尚、前者のコースではこのホテルからピッツ・パリュまでは3〜4時間、ピッツ・パリュから山小屋までは2時間、翌日の山小屋からピッツ・ベルニーナまでは上り下り共に2時間、山小屋からこのホテルまでの下りは3〜4時間であるとのことであった。 更に氏は地図に載っている山々を指して、ピッツ・ベルニーナの語源は分からないが、ピッツ・パリュはロマンシュ語(スイスの第4の公用語)で「湿原」、ベラヴィスタは「絶景」、クラスタギュッツアは「鋭い稜線」、プリビュースは「危険」、コンブレナは「鶏冠」、ディアヴォレッツァは「悪魔」と、一つ一つ丁寧に教えてくれた。 また氏は日本人をガイドするのは初めてのようで、私達がお願いするまでもなく「ペースが速かったり、写真を撮りたい時は声を掛けて下さい」と大変嬉しいことを言ってくれた。 今回も昨年に続き、良いガイドさんに恵まれたようであった。 空気が澄んでいる早朝に頂に立ちたいという希望を優先させ、当初の予定どおり明日はピッツ・パリュを登るルートで行きたい旨を氏に申し出た。

  pm8:00を過ぎたところで氏から「明日の朝食はam4:30からで、am5:00過ぎに出発します」との指示があり、明日からの山行に胸を膨らませながら早々に床に就いたが、夜中にトイレに起きた時に外の様子を伺うと、何と雪がしんしんと降っていた。 昨年の悪夢が脳裏に浮かび、どうすることも出来ない現実と当てならない天気予報を恨んだ。


ディアヴォレッツァの展望台/山岳ホテル


展望台から見たピッツ・パリュ


展望台から見たピッツ・ベルニーナ


山岳ホテルの展望レストラン


  【ピッツ・ベルニーナ】
  8月21日、天気が心配でおちおち眠れず、am4:00に起床して外に出てみると、ホテルの周囲には5cmほどの新雪が積もり一面白銀の世界となっていたが、有り難いことに雪は止んでいた。 ステファン氏も外に出てきて「昨夜は天気が悪かったけど、今は星が見えているので、たぶんこれから天気は良くなってくるでしょう。 新雪がこれだけ積もっているので、今日はゆっくり登りましょう」と言った。 今日も駄目だろうと心の準備をしていたが、氏の一言で急に登れるような気がしてきた。 わくわくしながら身支度を整えレストランに行くと、総勢30人程の登山者やガイド達が既に朝食を食べ始めていた。 氏は全く急ぐ様子もなく朝食を食べていたので、私達も慌てることなくしっかりと腹ごしらえをした。

  不要な荷物を厨房の奥の控室にデポし、am5:20にホテルを出発した。 いよいよ一年ぶりにアルプスの登山が始まるのかと思うと、何か独特の緊張感が高まってくる。 ステファン氏は外に出るなり「まるで今日は初冬のようだ」と吐き捨てるように呟いた。 取り付きまではアルペンルートを行くのであろうか、アンザイレンはしなかったが、氏から「暗いので足元には充分注意するように」との指示があり、慎重に氏の後に続く。 展望台周辺のトレイルは新雪のため歩きにくいのみならず、登り下りの連続で全く標高を稼げず、ホテルから45分ほどでペール氷河の取り付きに着いた。 気温はマイナス2℃であった。

  ステファン氏は「エイトノットが一般的ですが、私はこの方が優れていると思います」とわざわざ前置きをして、独特の結び方でザイルを結び、アイゼンを着けてam6:25に取り付きを出発した。 20分ほど氷河をトラバース気味に進む。 間もなく夜が明けてきたようでヘッドランプは不要となったが、辺り一面の霧で何も見えない。 凍てついた氷河を渡りきると前方に大きな岩壁が立ちはだかり、右へとルートをとった。 ようやく斜面に傾斜が出てくるようになると、クレバスが所々で大きく口を開き始めたので、氏はザイルを延ばして墜落防止のための結び目を作り、「私が落ちても右往左往しないでその場でじっと待っていて下さい。 自力で這い上がってきますから」と丁寧に指示した。

  傾斜が次第に強まり、いよいよピッツ・パリュへの本格的な登りとなった。 ステファン氏のペースは相変わらずゆっくりであったが、氏は「ペースが速かったら声を掛けて下さい」と言ってくれた。 しかし肝心の天気の方は良くなる兆しは無く、逆に雪がパラつき始めた。 霧のためぼんやりと見える周囲のクレバスが山(パリュ)の名前の由来である“湿原”のようにも見えたが、そんなロマンチックな思いは次第に濃くなる霧と降雪にかき消されていった。 直前を先行するパーティーがいるためルートの状況はかろうじて分かるが、写真を撮るような天気ではないので、氏に声も掛けずにただ黙々と登る。 次第に風も強まってきた。 最近では天気の良い日にしか山を登っていないので、久々の悪天候が非常に憂鬱だ。 すでに取り付きから1時間半ほど登り続けているが、天気は回復するという予報のため、引き返すパーティーは無い。 やっと氏から「あと10分ほどで休憩します」との指示があった。 おそらく風の当たらない良い場所がこの先にあるのだろう。

  am8:00ちょうどに、ちょっとした傾斜の無い場所に着き、先行していたパーティーもそこで休憩していた。 そのパーティーはピッツ・パリュへの日帰り登山を予定しているというホテルで同室したフランス人の家族であった。 そのパーティーのガイド氏とステファン氏は知り合いのようで、何やら話し合いをした後、「天気が思ったよりも悪く、回復する見込みが無さそうなので、当初の予定を変更するつもりです」と私達に説明した。 そして「あと30分位で山頂に着きますので、そこで最終的に行くか戻るかを決定しようと思います」と付け加えた(あとでこれは私の聞き違いであったことが分かった)。

  再びフランス人のパーティーの後に続いて登り始めたが、しばらくすると周囲が少し明るくなり、薄日が射しそうな天気となった。 “天気は快方に向かっている。 山頂での展望は期待出来ないが、予定どおり山小屋まで行けるだろう”と思ったのは甘かった。 30分ほどクレバスを迂回しながらジグザグに登っていくと、フランス人のパーティーが立ち往生していた。 その前のパーティーが先を登っていく姿が霧の中に見えたので、山頂への順番待ちをしているのだろうと思ったが、そこは山頂直下ではなく、何か重苦しい雰囲気に包まれていた。 再びガイド氏同士で話し合いをした後、意外にもフランス人のパーティーはすんなりと下山を始めた。 それとは対照的に、傍らをガイドレスのパーティーが通り過ぎ、全く躊躇もせず登り続けていく。 フランス人のパーティーの中に中学生位の子供がいたので、この先は困難であるとガイド氏が判断して下山していったのだと思ったが、ステファン氏も「ここから先は風も強くルートの状態も悪いので、ここで引き返そうと思います」と私達に提案した。 先ほどの氏からの説明を誤認し、多少困難でも最低ピッツ・パリュの頂だけは踏めると勝手に解釈していたので、突然の登山中止の決定にやりきれない気持ちで一杯であった。 しばらくは未練がましく指呼の間にあるはずの山頂方面を見上げていたが、氏の提案を覆して自己主張するのは後々マイナスになると思い、作り笑顔で「ノープロブレム!」と元気に返答した。 決断を下した氏も辛いのだ。 最高到達点での記念写真を撮り、am8:50に私を先頭に下山を開始したが、この間にもまた1パーティーが傍らを通り過ぎていった。

  先頭を任されたものの霧はますます濃くなり、しばしばトレイルを見失って立ち往生する。 眼鏡の水滴も凍りつき、より視界が悪くなっている。 ちょっとした雪でもトレイルは簡単にかき消され、アルプスの山でのホワイトアウトの怖さを思い知った。 しばらく下って標高が少し下がるとようやく雪は止み、辺りが良く見渡せるようになったが、上方はまだホワイトアウトしていて全く何も見えない。 ペール氷河を渡り、取り付き地点まで1時間半ほどで戻ったが、未練はますます募るばかりであった。 ここまでくればもう急ぐ必要はないので、アイゼンを外して休憩していると、意外にも山頂を目指した猛者達が次々に戻ってきた。 氏は「おそらく殆ど全員が戻ってくると思いますよ」と言った。 やはり私達が引き返した地点から上は、氏が言ったとおり相当状態が悪かったのであろう。 ディアヴォレッツァの山岳ホテルまでのアルペンルートを登りながら、“なぜこんなにもこの山との相性が悪いのか?。 もしかしたら今シーズンも登れないのでは・・・”というマイナス思考の発想が頭を支配しはじめ、まるで敗残兵のように足取りは重たくなった。 今年のアルプス山行は前年とは違い、のっけから波乱の幕開けとなった。


ガイドのステファン氏


ペール氷河の取り付きへのアルペンルート (帰路の撮影)


ペール氷河の取り付き


ペール氷河をトラバース気味に進む


悪天候のため山頂の手前で引き返す


ペール氷河の取り付きからディアヴォレッツァの山岳ホテルまでのアルペンルート


  am11:10に山岳ホテルに到着。 再び今日このホテルに泊まることになるとは思わなかった。 ステファン氏の話によると、ピッツ・ベルニーナを直接目指したパーティーもほぼ全員引き返してきたようであった。 デポ品を回収し、フロントで氏と共に連泊の申し込みを行い、着替えをした後に氏と昼食をとりながら今後の計画について話し合った。 氏は明日・明後日で予定どおりの山行を行い、その後にピッツ・ロゼッチに登るためには、遅くとも明後日の正午までにはディアボレッツァに下山してこなければならないので、今日とは反対回りのルートで明日中にピッツ・ベルニーナを登っておく必要があることを説明してくれた。 しかしこの提案は明日の行動時間が長くなるのみならず、ピッツ・ベルニーナの頂を踏むのが午後になってしまうため、私はあまり乗り気ではなかった。 しかしピッツ・ロゼッチにも是非登りたいし、万が一明日も今日と同じルートで駄目だったら精神的に参ってしまうので、この提案を受け入れてみることにした。

  昼食後、ステファン氏は落胆している私達を気遣って「ホテルの裏手にあるムント・ペルス(3207m)まで案内しましょう」と誘ってくれたが、生憎の天気のため氏の誘いを丁重に断り、明日の長い山行に備えて氏と歓談したり、昼寝をしたりしてのんびりと過ごすことにした。 氏に今日の最高到達点から山頂までの所要時間を訊ねてみると、意外にもまだそこは3620mであり、天気が良くても山頂まであと約1時間を要したとのことであった。 さらに今シーズンのアルプスの山の状況等を訊ねたところ、先週までに氏の知る限りでは38人が遭難死し、この数字は例年よりも多いということで、全般的に天候やルートの状況が悪いということを物語っていた。 但し、その殆どが単独行者であったと氏は付け加えた。 また意外にも氏はガイドの仕事の中では、ピッツ・パリュのバリエーションルートの登攀が面白いとのことであり、個人的な山の好みとしてはヴァイスホルンが一番であるとのことであった。 私もヴァイスホルンが今シーズンの一番の目標で、来週ツェルマットのガイド氏と登る予定であることを話した。

  夕方になっても相変わらず山々を厚い雲が覆っていたが、陽射しは幾分強まってきたようであった。 夕食のテーブルには100人ほどの登山客やガイドが顔を揃え、昨日同様に賑やかであった。 ステファン氏の話では、殆どがピッツ・パリュへの日帰り登山であるとのことであった。 ピッツ・ベルニーナに登るためにはこのホテルを含め2泊を要するため、ここに1泊して日帰りで登れるピッツ・パリュの方がお手軽なためであろう。 夕食のメインディッシュは鶏肉のブラウンソース添えであったが、さすがにホテルだけあって昨夜同様に味付けも良くとても美味しかった。 夕食後にテレビの前に集まっている人が多く、オリンピックの中継かと思い見にいくと、「シュピンケン」という相撲のような格闘技の全国大会があったようであった。 氏によればスイスでは結構人気があるスポーツらしい。 続いて放送されたpm8:00前の天気予報では、明日は長期予報どおりの快晴となっていたが、今日のようなことがあるので素直に喜ぶことは出来なかった。


山岳ホテルとムント・ペルス(右)


山岳ホテルの寝室


  8月22日、am4:00過ぎに起床して恐る恐る外の様子を伺うと、嬉しいことにまさに満天の星空であり、眼前にはベルニナ・グループの山々のシルエットが、うっすらとではあるが完全に見渡せた。 図らずもこれがディアヴォレッツァから初めて見たピッツ・ベルニーナの頂稜部であった。 今日こそはあの遙か遠い山の頂に立つことが出来るのだろうか?。 この山だけは最後の最後まで登頂の予想はつかない。

  昨日と同じスケジュールで朝食を済ませた後、昨日より少し早くam5:05にホテルを出発。 昨夜ステファン氏から聞いた話では、ペール氷河の取り付きまで約250mも下るという。 取り付きから山頂までの単純標高差は1300mほどである。 明るければ全く問題のない明瞭な踏み跡が続いているが、一部が凍っているため、その都度氏が「アイス!」とこまめに注意してくれる。 先行するパーティーのヘッドランプの灯がすでに氷河上に見える。 行き先は私達と同じくピッツ・ベルニーナであろうか、それともパリュのバリエーションルートか?。 30分ほどで取り付きに到着し、アイゼンを着けアンザイレンした後、新雪が5cmほど積もったペール氷河に足を踏み入れる。 気温はマイナス4℃であったが、風が無いので寒さは感じなかった。 月は無いが相変わらず満天の星空であり、昨日とはまるで雰囲気が違う。 間もなく空が白み始め、ヘッドランプが不要となると、左手のパリュの黒いシルエットが青白く浮かび上がってきた。 思わず氏に声を掛け、写真を撮らせてもらう。

  幅が約1kmの平坦なペール氷河の核心部を僅か15分ほどで渡り終えると、これから辿るフォルテッツァ稜の取り付きである“カモシカの避難所”と名付けられた岩場に向けての傾斜の緩い登りにかかった。 振り返ると背後のディアヴォレッツァの展望台付近が茜色に染まり始め、夜明けの時刻が近づいてきたことを告げていた。 周囲は爽やかに明るさを増し続け、間もなく左手のパリュや右手に見えてきたモルテラッチ(3751m)の頂稜部に待望の朝陽が当たり始めた。 すかさず氏に声を掛け、写真を撮らせてもらうが、ピッツ・ベルニーナはこれから辿るフォルテッツァ稜に隠されていて、その雄姿はまだ拝むことは叶わない。

  右手からボヴァルヒュッテ(2495m)を出発し、モルテラッチ氷河を遡ってきたと思われる3人の健脚のパーティーが登ってくるのが見えた。 ペール氷河を過ぎてから30分ほどでフォルテッツァ稜の取り付きに着き、ステファン氏はザイルの間隔を短くするために足を止めた。 この間に3人組のパーティーは私達の登っているトレイルの上方に合流したが、その先にはパーティーの姿は見られなかった。 氏は「これからフォルテッツァ稜を登りますが、ルートの状況によってアイゼンを着けたり外したりします。 ペースはちょうど良いですか?。 もし速ければ速いと言って下さい」と細かな説明をしてくれ、ガイド登山というよりはさながら“登山教室”といった感じであった。 右手の岩場との境目の雪面にジグザグに刻まれた登り易いトレイルをひと登りすると、フォルテッツァ稜にも朝陽が当たり始め、待望の御来光となった。 am7:00ちょうどに3人組のパーティーと同様に、日溜まりとなっている傾斜の緩い所で休憩となった。 健脚のパーティーはガイドレスであった。 昨日までとはまるで違う絶好の登山日和になりそうで、氏と共に「ナイス・ウエザー!」を連呼する。

  10分ほど休憩した後、再び3人組のパーティーに続きジグザグに刻まれた登り易いトレイルを足取りも軽く登っていくと、間もなくなだらかで幅の広い稜線に登り詰めた。 突然、まるで私達を驚かせるかのように、抜けるような青空の下にピッツ・ベルニーナがその大きな雄姿を現した。 ステファン氏は私がリクエストするまでもなく足を止めてくれた。 ディアヴォレッツァの展望台から見た同峰の印象とはまるで違う迫力と山群の盟主に相応しい気品に満ち溢れた容姿に、昨年一緒に登る予定であったガイドのポール氏が“アルプスで一番好きな山”と語っていたことが納得出来た。 だが、その素晴らしい展望と引き換えに、その頂は遙かに遠く、とても今日中に辿り着けるとは思えなかった。

  なだらかで幅の広い雪稜を右手にピッツ・ベルニーナ、左手にピッツ・パリュの両山を望みながら、相変わらずゆっくりとしたペースで登っていく。 しばらくは全く楽な稜線漫歩の登高が続いた後、稜線は次第に痩せ、間もなく岩場が現れた。 昨日の新雪がうっすらと岩に積もり、2級程度の比較的簡単なルートをアイゼンを着けたまま登ることとなった。 他のガイドレスのパーティーはアイゼンを外し、スタカットで登っているため順番待ちの時間がいつもより長くなっているようだった。 たまらず、穏やかなステファン氏もノーマル・ルートを外れ、少し強引に攀じって先行するパーティーを追い抜いてゆく。 地元のガイド氏らが付けたのであろうか、所々の岩に矢印のペンキマークが印されていた。 雪が無ければ20分ほどで通過出来た岩場を1時間以上もかかって通過し、トレイルの脇の日溜まりとなっている所で大休止となった。 ペール氷河の対岸に見えるディアヴォレッツァの展望台もいつの間にか遠くなった。

  ここから再び稜線はなだらかになり、しばらく登ると“ベラヴィスタテラス”という裾野のようになだらかな雪のスロープとなった。 ここでトレイルは真っすぐに登るものと右に折れるものとに分かれた。 殆どのパーティーは真っすぐに登っていったが、私達は山小屋の建つ峠に向けて右に折れた。 覆いかぶさるようなベラヴィスタ(3892m)の巨大な雪庇の下をトラバースしていく極楽のトレイルを鼻歌交じりでしばらく進んでいったが、途中からは一変して風が急に強まり、雪面は凍りつき先行者のトレイルはいつの間にか消えていた。 前方にクラスタギュッツァ(3869m)の岩峰が見えてきたが、これがツェルマットから仰ぎ見たマッターホルンの形にそっくりでとても面白かった。

  ここからはステファン氏の指示で私が先頭となり、右手の足下に見えるモルテラッチ氷河の源頭部に向けて100mほど凍った急斜面を慎重に下ってから少しだけ登り返すと、巨大なクレバスが行く手を塞いでいた。 一瞬“氏もルートを誤ったか”と思ったが、氏はクレバスに辛うじて架かっているスノーブリッジを目ざとく見つけては、私達にそこを渡って行くようにと後ろから指示した。 妻と顔を見合わせながら半信半疑で肝を冷やしながら幾つかのスノーブリッジを渡ったが、振り返って見上げると“よくもあそこを下ってこれたものだ”と感心せざるを得なかった。 この山域の氷河やクレバスのことを知り尽くした氏だからこそ出来た芸当なのであろう。


新雪が5cmほど積もったペール氷河


ピッツ・パリュの黒いシルエットが青白く浮かび上がる


幅が約1kmの平坦なペール氷河の核心部を渡り終える


ピッツ・パリュの頂稜部に朝陽が当たり始める


ペール氷河からフォルテッツァ稜の取り付きへ登る


フォルテッツァ稜の取り付き


フォルテッツァ稜の取り付きから見たピッツ・ベルニーナ


フォルテッツァ稜から見たペール氷河


フォルテッツァ稜の中間部にある2級程度の岩場


岩場の上の日溜まりで大休止する


岩場の上から見たピッツ・ベルニーナ


岩場の上から見たピッツ・パリュ


岩場の上から見たモルテラッチ


ベラヴィスタテラスに向けてフォルテッツァ稜を登る


越えてきたクレバスやスノーブリッジを振り返る


  今日の宿泊先であるマルコ・エ・ローザ小屋(3609m)が指呼の間に見え、僅かに登り勾配となっているトレイルをしばらく歩き、am11:30に登山客で賑わっている山小屋に着いた。 ステファン氏から「ここで腹ごしらえをした後、山頂に向けて概ね正午には出発しましょう」という指示があった。 昼食は行動食だけで簡単に済まそうと思ったが、居心地の良い食堂の雰囲気に思わず気が緩みスープを注文すると、ミネストローネ風の具沢山のスープが鍋ごとテーブルに運ばれてきた。 まだ山頂往復には4時間ほどかかることは分かっていたが、出発してからすでに6時間以上が経ち、お腹が空いていたので、つけ合わせのフランスパンと一緒にお代わりをしてお腹が一杯になるまで食べてしまった。

  結局1時間以上も昼食のための長い休憩をした後、pm0:40に山頂に向けて出発したが、今回のように昼食を山小屋で食べてから山頂に登るということは、他のアルプスの山ではめったに経験出来ないことであろう。 嬉しいことに午後になっても空の青さは全く衰えることなく、霧も湧き上がってくる気配も無かった。 昨日までの悪天候が嘘のような快晴の一日となったが、なにせ“鬼門”の山なのでまだ安心は出来ない。 ステファン氏は「山頂まで2時間位ですよ」と私達に説明してくれた。 スパラ稜と名付けられた広い雪の急斜面の尾根をジグザグに登る。 山小屋の建つ峠は風の通り道となっているようで、イタリア側から冷たい風が強く吹いてくる。 しかしこの風のお陰で、普通なら腐り始めている雪が未だ締まったままで、意外にも快適な登高となり、食べ過ぎて重たくなった体(足)には嬉しかった。

  30分ほどで雪の急斜面を登り終えると、峠を挟んで屹立するクラスタギュッツァの岩峰もあっという間に目線の高さになり、尾根は急に痩せて岩稜の登攀となった。 右手の奥には目指す山頂と米粒ほどの登山者の人影が見え、あと1時間ほどで登れるだろうと思ったのも束の間、さほど難しくない2級程度の岩場は先ほどと同様に新雪が積もり、登りのみならず下ってくる登山者との行き交いで渋滞していた。 反対側から山頂に至る“アルプスで最も美しい雪稜”と讃えられているビアンコ・グラート(稜)からの縦走者も多いのであろうか?。 アイゼンを着けたまま岩場を登り終えると、今度は一変してナイフエッジの長い雪稜となった。 ステファン氏によれば、いつもはこの痩せ尾根には雪は無いとのことであった。 少し横風のあるスリリングな雪稜歩きは、次第に近づいてくる憧れの頂への気持ちの昂りに一段と磨きをかける。 山小屋を出発してからいつの間にか2時間が経過していた。

  頂上直下の易しい岩場を喜びに浸りながらひと登りすると、pm3:05に猫の額ほどの狭いピッツ・ベルニーナの山頂に辿り着いた。 pm3:00を過ぎているにもかかわらず、山頂付近にはまだ4〜5組のパーティーが寛いでいた。 昨年来の雪辱をやっと果し、鬼門をクリアーすることが出来た安堵感と、未明からの長い行動時間の末に辿り着けた達成感とで胸は一杯である。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ダンケ・シェーン!」。 真先にステファン氏と固い握手を交わし、妻と登頂の喜びを分かち合った。 ベルニナ山群の盟主に相応しい山頂からの絶景に妻も少し興奮気味であった。 氏はそのまま私達を狭くて細い山頂の岩場の先に導くと、反対側からのルートであるビアンコグラートの取り付きから山頂に至るまでのルートを丁寧に説明してくれたが、その直後にヘリコプターが飛来し、ビアンコグラートの中程辺りで旋回を始めた。 氏はすかさず「恐らく遭難ではなく、ルートが長く、新雪でコンディションが悪いため登攀不能者が出たのだと思います」と説明してくれた。 ビアンコグラートでは良くあることなのであろうか?。 氏はすぐ隣に聳えているピッツ・シェルシェン(3971m)とピッツ・ロゼッチ(3937m)の頂を私達に教えてくれると、ちょうど誰もいなくなった山頂に戻り、記念写真を撮ってくれた。 氏はさらにピッツ・パリュの手前の純白の一つの端正なピークを指さして、「あの山はピッツ・トゥーポ(3996m)と言って4000mに僅か4m足りない不遇な山なんですよ」と教えてくれた。 ヨーロッパアルプスでは4000m峰がいわゆる“百名山”なのである。 ピッツ・パリュも下から見上げた穏やかな山容とは全く異なった別の山に見える。 快晴の天気の下、ベルニナ山群の最高点からはディアヴォレッツァの展望台から見上げた山々のみならず、その山群の全容が良く見渡せ、唯一この場所がそれを可能にしていることをあらためて教えてくれた。 意外にも山頂からはサンモリッツやポントレジーナの町ではなく、モルテラッチ氷河の流れていく遙か先にサメダンの町だけが見えた。 山頂の岩の隙間に置かれたアルミ製の飯盒の中に入っていた本のような“登頂ノート”に名前や登頂の喜びを記したが、予想どおり日本人の名前は見当たらなかった。

  pm3:35、約30分ほどの長い滞在をした後、印象深く名残惜しい頂を後にして山小屋へと下山した。 結局下りも岩場の通過に時間がかかり、山小屋に着いたのはpm5:30であった。 昼食や休憩も含めると12時間以上の長い行動時間であったが、それだけに印象深い山行となった。 ステファン氏に「今日は私達の遅いペースに辛抱強く付き合っていただいてありがとうございました!」とお礼を言うと、意外にも氏から「スピードが速いだけが能じゃありません。 速いと(無謀な)若者のように死んでしまいますよ」と、まるでアルプス登山の常識である“スピード=安全”の哲学を否定するかのような返事が返ってきた。 やはり氏(先生)は今までのガイド諸氏とは明らかに違うタイプの人であった。

  昨年建て替えられたばかりという木造の新しい山小屋は木の香りに溢れており、国境となっている稜線を越えてイタリア側に建っているためか、いかにもイタリアらしい陽気な雰囲気に包まれていて、建物の中外にあるスピーカーからはリズム感のある音楽が流れ、廊下の壁には若い女性の大きなヌードのポスターが貼ってあった。 山頂に登頂ノ−トはあったが、山小屋には宿帳のようなものは無く、記念の足跡を残すことは出来なかった。

  pm6:30の夕食の時間となると、80席ほどある食堂は満員となった。 同じテーブルには私達より僅かに年上に見えた男女のペアがついた。 料理が配膳されるまでの間、夫婦のように思えた二人と社交辞令のような雑談を交わしたところ、二人は共にアメリカから来たということであったが、意外にも長い金髪を束ねた女性の方がガイドということであった。 クライアントの男性の方はデジカメとは別に大型の一眼レフカメラを持ってきたほどの写真好きで、「明日はどちらが先にピッツ・パリュに着くか競争しましょう(写真を撮ると遅くなる)」と私に向かってジョークを飛ばした。 スープの後のメインディッシュはパスタか肉料理かの選択が出来たので前者を注文したところ、出てきたフィットチーネは薄味で予想以上に美味しかったが、デザートに選んだケーキはクッキーのようにボロボロで全くいただけなかった。

  夕食後はステファン氏と明日以降の計画について再度話し合った。 氏からの説明によれば、明後日第一志望であるピッツ・ロゼッチに登るためには、B.Cとなるチェルバハットまでのアプローチに時間が掛かるため、遅くとも明日の正午にはディアヴォレッツアの展望台に下山しなければならないが、第二志望のモルテラッチであれば、ディアヴォレッツァの展望台からB.Cとなるボヴァル小屋までは歩いて2〜3時間ほどで行けるので、明日の行動に余裕が持てるとのことであった。 さらにモルテラッチであれば山小屋から3時間ほどで登れるため多少天気が悪くても大丈夫であるが、ロゼッチは山小屋から6時間ほど掛かる上、岩場の登攀が今日のピッツ・ベルニーナよりもワンランク難しいため、確実に登るためには今日のような晴天でないと難しいと、地図をペンでなぞりながらルートを丁寧に説明してくれた。 しかし何といっても明日以降の天気によって計画は変わってしまうので、明日ディアヴォレッツァの展望台に着いた時に最終決定すれば良いとのことであった。

  窓の外が夕焼けの空となり、カメラを片手に慌てて小屋の外に飛び出していったが、少し風のある山小屋の周りは昼間の暖かさが嘘のように恐ろしく寒かった。 食堂に戻って再び氏と雑談を交わした後、疲れた体を労るため明日の好天を祈りながら早々に床に就いた。


マルコ・エ・ローザ小屋の建つ稜線上のコル


稜線上のコルから見たクラスタギュッツァの岩峰


マルコ・エ・ローザ小屋


マルコ・エ・ローザ小屋の食堂


スパラ稜から見たピッツ・ベルニーナの山頂


ピッツ・ベルニーナの山頂


山頂から見たピッツ・シェルシェン(左)とピッツ・ロゼッチ(中)


山頂から見たピッツ・トゥーポ


山頂から見たピッツ・パリュ


辿ってきたスパラ稜


登頂ノートに名前や登頂の喜びを記す


  【ピッツ・パリュ】
  8月23日、am5:00起床。 今日も見事な星空だ。 朝一番でピッツ・ベルニーナの頂を目指すパーティーが出発したためか、あるいは皆下山するだけなのか分からないが、昨夜の賑わいが嘘のように食堂は空いていた。 今日はクラスタギュッツアからベラビスタに至る稜線の肩を縦走してピッツ・パリュ(3905m)を登った後、出発点のディアヴォレッツァの展望台に下るという行程であるが、ステファン氏の説明によればルート上には昨日よりも難しい所は無いということであり、また山小屋からピッツ・パリュまでの単純標高差は約300mしかないため、縦走登山というよりは下山という印象が強く、昨日に比べれば全く気楽である。

  ゆっくりと朝食をとり、am6:00過ぎに山小屋を出発。 すでに夜明けは近く、ヘッドランプは不要である。 ほぼ水平なトレイルを今日も峠から吹く強い風に後押しされながら歩き始めると、幾重にも鋸の歯のように途切れることなく連なる周囲の山々の上空が茜色に染まり、稜線漫歩しながら心ゆくまで素晴らしいアルプスの夜明けのシーンを鑑賞することが出来た。 もちろん写真撮影はいつでもOKである。 憧れの頂のピークを踏むことはそれなりの価値があり一番の目標であるが、アルプス山行で最も印象的で感動するのは、このような素晴らしい景観に遭遇することが出来た時である。

  間もなく左手のピッツ・ベルニーナが朝陽に照らされ黄金色に輝き始めた。 ステファン氏に声を掛け、すぐに写真を撮る。 ほぼ同時にスタートしたアメリカ隊は撮影に夢中でまだ後方にいる。 トレイルは予想以上に易しく、また氏のペースも遅いため、昨日のピッツ・ベルニーナの登頂の余韻に浸りながらの快適な稜線漫歩が続く。 地元のガイド組合がここを一般ルートとして採用している理由が分かった。 氏とのコミュニケーションも充分にとれているので、このまま良い天気が一日続けば、本当に楽しいアルプスの一日となるだろう。 背後から吹き続ける風が、足元の乾いた雪を前方に運び、芸術的なシュカブラに磨きをかけている。

  1時間以上も“氷河トレッキッング”のような快適な登高を続けた後、トレイルは右手の稜線のコルに向けて徐々に高度を上げるようになり、am8:00過ぎにピッツ・パリュの西峰とベラビスタの間の稜線のコルに着いた。 ディアヴォレッツァの展望台からは想像もつかなかったが、コルの向こう側には目を見張るような広大な万年雪原が拡がっていた。

  ステファン氏がザイルを短く結び直すため少し休憩した後、西峰、本峰 東峰の3つのピークから成るピッツ・パリュへの登りにかかる。 先行しているパーティーが多く、ルートの状況が手に取るように良く分かる。 ここからルートは稜線通しとなったが、雪が岩に変わっただけの快適な登高である。 30分ほどで目立たない小ピークに到着。 ここが西峰とのことであり、少し下った先で写真タイムとした。 眼前には丸いなだらかな頂の本峰が見えたが、こちらも西峰と同様にルートは容易そうであった。 ミックスの易しい岩場をいったん西峰と本峰との間のコルに向けて下り、再び登り返した後、広くてなだらかな雪のスロープを20分ほど登ると、およそ山頂とは思えない平らな広場のような所に着いた。 100mほど先にペール氷河に向けて大きく張り出した雪庇に向かって歩いているアメリカ隊の姿が見えた。 あの雪庇の上が山頂(最高点)に違いない。 振り返るといつの間にかピッツ・ベルニーナの姿もだいぶ遠くになっていた。

  am9:30、山頂で女性ガイドと写真を撮り合っているアメリカ隊に続き、私達もピッツ・パリュの頂に辿り着いた。 妻と交互にステファン氏と握手を交わした後、アメリカ隊の男性客とも「コングラチュレーション!、ユー・アー・ウイナー(貴方の勝ちだ)!」とおどけながら握手を交わしてお互いの登頂を讃え合った。 山小屋からの行程が楽だったこともあり、いつものようにこみ上げてくる感動や達成感というものは無かったが、昨年から数えて三度目のチャレンジでやっと辿り着けたという独特の嬉しさと安堵感で胸が一杯だった。 間もなくガイドレスの3人組のイタリア人のパーティーが相次いで到着すると、山頂は賑やかで楽しい雰囲気に包まれた。 いつもなら狭い山頂での写真撮影には気を遣うが、ここでは全くその心配は要らないので、皆でお互いの記念写真を撮り合った。 周囲の山々の写真を一通り撮り終えた後、山頂から一段下がった平らな場所にどっかりと腰を下ろし、休憩というよりは日向ぼっこに近い感じで30分ほど寛ぐ。 快晴の天気に恵まれた憧れの頂からの素晴らしい展望は、一昨日の敗退の悔しさを帳消しにしてさらにお釣りがくるほどであった。 この二日間でベルニナ山群の景観を充分に堪能することが出来たので、天気を心配しながらぎりぎりのスケジュールであえて明日ピッツ・ロゼッチを登ることもないので、氏に明日は山に登らないことを打診した。 

  am10:00過ぎ、ステファン氏に促されることもなく腰を上げ、最後のピークである東峰に向かって私が先頭になって下り始めたが、ここからはそれまでの易しいルートから一変してナイフエッジの雪稜の急斜面となった。 雪も少し柔らかくなり始めていたので、ピッケルを深く刺し込み小刻みなステップで一歩一歩慎重に下った。 一昨日の悪天候ではこんな所は絶対に登れなかったことが分かり、氏の判断が正しかったことがあらためて分かった。 10分ほどでナイフエッジの雪稜を無事下り終えると再び幅の広い尾根となり、5分ほど登り返すと平らで小広い東峰の頂に到着した。 ピークからの写真撮影が済むと、意外にも氏はトレイルを外し、私達をペール氷河に向って張り出している雪庇の方に導いた。 氏に促され下を覗き込むと、急峻な雪と岩の顕著な尾根がペール氷河からこの頂に突き上げていた。 氏の説明によれば、『東尾根ルート』というバリエーションルートで、氏も大好きな人気のルートであるとのことであり、ガイド登山であれば私達でも登れるとのことであった。 

  am10:30、ピッツ・パリュの3つのピークに別れを告げペール氷河へと下る。 引き続き私が先頭で、大きくジグザグの切られた明瞭なトレイルに従って40分ほど下ると、クレバスが大きくなり始め、一昨日引き返した“最高到達点”に着いた。 何の特徴も無い場所であったが何故かとても懐かく感じられ、あらためて今日の登頂の成功に感謝した。 ここからは一昨日往復したトレイルであったが、当日はホワイトアウトで何も見えなかったため、見える景色は新鮮であった。 急ぐ必要もないので何度も足を止め、後ろを振り返りながらマイペースで下った。

  pm0:50、山頂から3時間弱で氷河の取り付きに到着。 アイゼン・ハーネス等を外し、やっと登ることが出来たピッツ・パリュを見上げながら大休止となる。 あとはゴールのディアヴォレッツァの展望台まで1時間足らずの“ハイキング”である。 取り付きからは敗退した一昨日とは全く違う軽い足取りとなったが、これも全て目標の山に登れた気持ちの余裕からであろう。 ステファン氏や妻から少し遅れ、何度も後ろを振り返りながら所々で写真を撮り、しみじみと山行の思い出に浸りながら歩いた。

  pm2:00過ぎにディアヴォレッツァの展望台に到着。 あらためてステファン氏と固い握手を交わしながらお礼を述べ、氏を展望レストランに誘い打ち上げの昼食をとった。 意外にもレストランには日本人の団体観光客の姿があった。 雲一つ無い青空の下、ペール氷河越しに一幅の絵のようなベルニナ山群の山並みが望まれ、昨日・今日と展望台に上がってきた観光客は幸運である。 昼食後氏にガイド料1430フラン(邦貨で約128700円/一昨日登れなかったピッツ・パリュのガイド料400フラン・邦貨で約36000円を含む)を支払った後、感謝の気持ちを込めて100フランのチップを手渡した。 雑談の最後に氏のパソコンのメールアドレスを教わり、山行中に撮った写真を送る約束をした。

  予想どおりステファン氏はサンモリッツのホテルまで車で送ってくれると言うので、ご好意に甘えることにして、pm3:30のロープウェイで一緒に下山した。 山麓駅に到着した頃から少し雲が湧き始めたが、途中のモルテラッチ付近では車や観光バスを路肩に停め、山(ピッツ・ベルニーナ)を眺めている観光客が多かった。 私達が明日の山行をキャンセルしたため、氏が明日の予定を確認するためポントレジーナのガイド組合に立ち寄り、ホテルにはpm5:00過ぎに到着した。 3日間を一緒に過ごし、山行の思い出をより豊かなものにしてくれた氏と再会を誓い合って再び固い握手を交わした。

  ステファン氏の車を見送りホテルに入ると、意外にも支配人が私達をつかまえて、「3日間ホテルに戻らないので、山で遭難したのではないかと心配していました。 警察に捜索願いを出す寸前でしたよ!。 次回からはフロントに予定を話しておいて下さい!」と血相を変えてまくし立てた。 確かに予定が一日延びたため、3日間部屋を留守にしたが、今まで他のホテルでそんなことを言われたこともなかったので私達も驚いたが、とりあえず支配人に丁重に陳謝した。 久々にゆっくりと風呂に入り、明日のハイキングの予定を考えながら夕食はホテルで自炊して簡単に済ませた。 夜の天気予報では明日はやはり雨となっていた。


クラスタギュッツアからベラビスタに至る稜線の肩を縦走してピッツ・パリュへ向かう


素晴らしいアルプスの夜明けのシーン


朝陽に照らされ黄金色に輝き始めるピッツ・ベルニーナの頂稜部


快適な稜線漫歩


ピッツ・ベルニーナ


ピッツ・パリュ西峰とベラビスタの稜線のコルから見た広大な万年雪原


ピッツ・パリュ西峰への登り


ピッツ・パリュ西峰から見たピッツ・ベルニーナ


ピッツ・パリュ西峰から見たピッツ・パリュ


ピッツ・パリュの山頂


ピッツ・パリュの山頂から見たピッツ・パリュ東峰


ピッツ・パリュ東峰の山頂


ピッツ・パリュ東峰から見たピッツ・パリュ


ピッツ・パリュ東峰から見たペール氷河


一昨日引き返した“最高到達点”


クレバス帯から見たピッツ・パリュ東峰


ペール氷河の取り付きでステファン氏と    背後はピッツ・ベルニーナ


ディアヴォレッツァへのアルペンルートから見たピッツ・パリュ


ディアヴォレッツァへのアルペンルートから見たラーゴ・ビアンコ(湖)


ディアヴォレッツァから見たピッツ・ベルニーナ


  8月24日、夜中から雨が降り始め、昨夜のみならず一週間前の長期予報も的中した。 am7:00の天気予報では明日からはまずまずの天気が続くようだったので安堵した。 山小屋での朝は慌ただしかったので、朝食のバイキングを1時間以上かけてゆっくりと食べ、優雅に時を過ごす。 雨は時々激しく降り、昨夜考えたコルヴァッチュの展望台〜ムルテル〜フォルクラ・スールレイ〜ポントレジーナへのハイキングは諦め、雨が止んだらピッツ・ネイルの展望台にロープウェイで上がることにして、午前中は部屋でオリンピックをテレビで観て過ごす。 ピッツ・ベルニーナ、ピッツ・パリュの登頂というサンモリッツ滞在中の目標を達成出来たことで心中は穏やかであったが、もしずっと悪天候が続いたら、昨年来の雪辱を果たせず精神的に参ってしまうところであり、あらためて出費はかさんだが予備日を多めに取っておいて良かったと思った。

  階下のレストランには天気に関係なく、今日もお昼時になると観光バスや乗用車でピザを食べにくる人達が大勢集まって来た。 私達も夕食はレストランでピザを食べることにし、昼食は明日のツェルマットへの移動に備えて持参した食糧品を減らすために自炊とした。 午後になっても雨は止まず、ピッツ・ネイルの展望台に行くことも止め、pm2:00過ぎに雨が小降りになったところを見計らって、町の散策と若くして亡くなった地元の画家のセガンティーニの美術館見学に出発した。

  美術館に着いたとたん雨は止み、青空が少し覗いてきたので、絵画鑑賞もそこそこにそのまま美術館の裏手のハイキングトレイルを標識を頼りにどんどん上へと登る。 少し登った所からサンモリッツの町の中心部に下るつもりでいたが、天気が上向いてきたのでさらに上へと延びているトレイルを思いつくまま適当に登る。 トレイルを所々で横切っている車道の脇には、いかにも高級リゾート地らしい豪華なシャレーや貸別荘、プチホテルが点在しているが、日本の投資目的で乱開発されたリゾート地と全く違い、皆一様に景観に上手く溶け込んでいる。 サンモリッツ湖の周囲に聳えている山々にまとわりついていた雲もすっかり取れ、ポントレジーナの町並みも青空の下にはっきり望まれるようになり、ピッツ・ネイルの展望台に行けば良かったと後悔した。 スキー場のリフト乗り場を過ぎると、バート地区から上がってくるゴンドラの終点駅で『シグナル/2310m』という表示のある所に着き、結局ゴンドラ一本分の標高差(350m)を足で稼いでしまった。

  シグナルからは新雪を戴いたピッツ・コルヴァッチュ(3451m)とその麓に拡がるシルヴァプラナ湖やセーユ湖も良く見渡せ、登りの苦労?も報われた。 再び湧きだした雲で陽射しが遮られるとジャケットを着ていても寒くなり、今度は標識を見ながらサンモリッツの町の中心部に向かって一番近いトレイルを選んで一目散にどんどん下る。 30分ほどで中心部まで下り、インフォメーションセンターへ向かう。 同所の一角に平日の夕方1時間だけ開設されている『日本語観光案内所』の窓口に、ガイドブックやホテルの掲示板に紹介されている菅原さんを表敬訪問した。 菅原さんは元々スキーの指導員としてサンモリッツを訪れたということであったが、現在は地元の方に合気道を教えているとのことであり、サンモリッツ(スイス)では精神的なものを大変重んじる国民性があることを教わった。 案内所ではホテルの予約等をFAXやメールで無料で行ってくれるとのことで、次回?の参考になった。 明朝乗る氷河急行のことを訊ねると、平日なので予約はしなくても大丈夫とのことであった。

  ホテルに戻り夕食はレストランで名物のピザを食べる。 さすがに専門店だけあってメニューは20種類以上もあり、一人前15フラン前後と周囲の物価からすると安く、味もまずまずだったので、店の繁盛ぶりが納得出来た。


サンモリッツ湖


セガンティーニの美術館


セガンティーニの作品


サンモリッツの町の中心部


ピッツ・コルヴァッチュ(左)


ホテルのレストランのピザ


  【3度目のツェルマット】
  8月25日、今日は次の滞在地であるツェルマットに向かう移動日だ。 サンモリッツからツェルマットまでは、氷河急行で約7時間半の長旅である。 am7:00の天気予報では、明日以降は快晴とはいかないまでもまずまずの天気が続くようであった。 身も心も軽やかにホテルをチェックアウトし、バスでサンモリッツの駅へと向かう。 窓口でam9:25の始発の氷河急行の切符を買おうとすると、意外にも駅員さんは「乗車後に車内で支払って下さい」と言った。 すでにホームに入線していた電車に乗り込むと空席が所々にあったので安堵したが、どうも車内の雰囲気がおかしいような気がしてよく辺りを見ると、窓の上の小さな枠に『Reservation』と朱記された長方形の小さなカードが差し込んであり、近くにいる人に訊ねると、カードが入っていない所が空席だと教えられた。 見渡すと禁煙席には空きがないことが分かり、仕方なく喫煙席に落ちつくこととなった。

  サンモリッツから二つ目のサメダンの駅からピッツ・ベルニーナとピッツ・パリュが揃って車窓から遠望され、ツェルマットに向かう私達を見送ってくれた。 間もなく検札に回わってきた車掌さんに二人分の運賃131フラン(スイスカード利用のため半額)と“予約料(急行券)”の18フラン(スイスカード適用外)を支払った。 次いでレストランの予約係の人も巡回してきたが、貧乏人の私達には無縁であった。 曇が少々あるものの、まずまずの天気であり、カメラやビデオを片手に車内を動き回っている乗客も多かった。

  クール方面との最初の分岐となるライヒェナウまでは昨年と合わせて二度往復したので、車窓からの風景も川を挟んだ対岸の崖の上に点在している古城が目に留まった以外は特に新鮮なものは無かった。 氷河急行の路線では一番標高の低い同駅(604m)から先の区間では、電車はフォルダ−ライン川を遡るように緩やかな勾配を登っていったが、谷が深いためか車窓からの景色は単調であった。 谷から這い上がると、しばらくは長閑な田園地帯を走り、ディゼンティースに着いたが、町は想像していたよりも遙かに小さかった。 同駅を過ぎると氷河急行の路線中で最も標高が高いオーバーアルプ峠(2033m)に向かって勾配は一段と急になり、ラックレール区間に入った。 車窓からは再び氷河を身にまとった3000m級の山々が所々に垣間見られるようになったが、他の路線に比べて際立ったものは無く、スイスの山岳風景としては平凡であった。 これは私達がスイスの風景に慣れ親しんできた証拠かもしれない。

  最高点のオーバーアルプ峠にさしかかると、線路のすぐ傍らに真っ青な水を湛えた細長い湖があった。 峠を越えると電車は『悪魔の橋』と呼ばれる石造りの高い橋梁があることで有名なアンデルマットに向けて急降下していった。 アンデルマットは古くから東西南北の交通路の交差点で、宿場町として栄えていたという歴史のある町であるが、ディゼンティースよりは一回り以上大きいものの、想像していたよりもこぢんまりとしていた。 「間もなくフルカ・トンネルに入ります」というアナウンスが流れ、狭軌の鉄道としては世界一長いという全長15407mのトンネルに入ったが、ガイドブックによればこのトンネルの上のフルカ峠が元来氷河急行の一番の絶景ポイントであり、氷河急行の名前の由来にもなったローヌ氷河が線路に迫る区間であったが、冬季の豪雪により通年の通行が出来ないため、1982年にこのトンネルを開通させたとのことであった。

  フルカ・トンネルを抜けるとツェルマットのあるヴァリス州に入った。 サンモリッツ周辺ではすでに秋の気配を感じたが、この辺りはまだ緑濃く盛夏のような雰囲気であった。 ベルン方面との分岐となるブリークを過ぎ、次のフィスパの手前で初めて名峰ビーチホルン(3934m)の雄姿を写真に収めることが出来た。 どこから見ても均整のとれた三角錐である同峰は、いつか機会があったら登ってみたい憧れの山だ。 ここから終点のツェルマットまでは通い慣れた区間である。 ザンクト・ニクラウスの駅でブライトホルンに出迎えられ、pm5:03にツェルマットに到着したが、マッターホルンは真っ白であり、今シーズンもまた登山者の挑戦を拒んでいるようであった。

  ツェルマットの町は3年ぶり3度目であったが、メインストリートの喧騒や雰囲気は懐かしいというよりも、まるでつい最近来たような感じがするほど記憶に新しく、以前のような驚きや新鮮味が感じられなくなったことは少し残念だ。 駅前のインフォメーションセンターに立ち寄り、インターネットの山の天気予報を見ると、今朝のテレビの天気予報とは違い、明日は雨で明後日は晴れとなっていた。 ころころと変わる不安定な天気に悩まされながら、ガイド組合(アルパインセンター)に向かう途中で色々と今後の予定を思案する。 アルパインセンターのカウンターで順番待ちをしていると、原田さんという邦人のご夫妻が現れたので早速情報交換をする。 ご夫妻は今春オートルートをスキーでシャモニからツェルマットまで滑って来られた時に、マッターホルンに一目惚れし、今回ご夫妻で同峰を登りにこられたとのことであったが、生憎の降雪でルートがクローズされているため、ずっと待たされているとのことであった。 滞在期間も残りあと僅かなので仕方なくモンテ・ローザに変更されるとのことであったが、とても落胆されている様子だったので、「モンテ・ローザはスイスとイタリアの両国の最高峰で、マッターホルンと比べても遜色の無い素晴らしい山だと思います。 登る時間が長いので、山頂に着いた時はとても感動しますよ」と言って励ました。 しばらく情報交換させてもらうと、意外にもご夫妻から私が明日以降に登山を予定しているオーバーガーベルホルンで、昨日降雪のため邦人の登山者が山小屋に戻れなくなり、ヘリコプターで救助されたというタイムリーな情報をいただくことが出来た。 やはりマッターホルンと同様に、こちらもルートの状況は悪いようだ。

  受付の女性スタッフの方(クリスティーヌさん)にオーバーガーベルホルンとツィナールロートホルン登山のガイドを予約したバウチャーを提示すると、すぐに電話でB.Cの山小屋であるロートホルンヒュッテに連絡を取ってくれた。 クリスティーヌさんは「山小屋からの情報によれば、現状では両山ともルートの状況はそれほど悪くないとのことですが、明日は不安定な天気なので、予定どおり明後日のアタックであれば、明朝に決定すればOKですよ」とアドバイスしてくれた。 とりあえず決定をギリギリまで先に延ばすことが出来たが、細井さんからの情報どおり、マッターホルンと同様に天気が良くても降雪のため山に登れないという状況に追い込まれそうな悪い予感が頭をよぎった。

  原田さんご夫妻とお互いの健闘を祈り合って別れ、今日から11泊するB.Cのホテル『ペーレン』へ向かう。 ホテルは意外にも駅から5分ほどの所にあり、新館と旧館に別れていたが、予想どおり私達の部屋は旧館の方であった。 しかし広いベランダからはマッターホルンがとても良い角度で望まれ、リフォームされたばかりの大きなバスタブのある風呂もあり充分に満足であった。


オーバーアルプ湖


アンデルマットの町


  8月26日、夜中に雨が降ったようで地面がかなり濡れている。 山(マッターホルン)は深い霧に覆われていて全く見えない。 am7:00の天気予報では生憎今日は曇り時々小雨であるが、明日と明後日はまずまずの晴天となるようであった。 嬉しいことに朝食のバイキングは生ハムやクロワッサンがメニューに入っていて、過去に滞在したホテルの中では一番充実していた。 今年はホテルだけは“当たり年”のようだ。

  am9:00前にアルパインセンターに行くと、前回お世話になった片腕の無い(山の怪我であろうか?)スタッフのオルウェルさんが受付をしていたので、細かなこちらの希望(天気とルートがベストの状態の時に登りたい旨)を申し出ようと思ったところ、逆にオルウェルさんの方から「今日の雨(山は雪)で明日はルートのコンディションが悪くなるため一日延期した方が良いですね」というアドバイスがあり、ガイドの手配も全く問題無い様子であった。 マッターホルンのガイドが仕事にあぶれているためであろうか?。 決定は再び明朝で構わないということになったが、今日の雪の降り方次第では明後日以降も登れなくなる可能性があることを示唆しているような感じがして素直に喜べなかった。 しばらくアルパインセンターの中をウロウロしていると、シャモニの神田さんの会社のスタッフの方がいらしたので、「来年はまたお世話になるつもりです。 神田さんに宜しくお伝え下さい」と早くも来年の予約?を入れた。

  アルパインセンターを後にして、前回の滞在時にお世話になった土産物屋『WEGA』の店主の西永さんを訪ねに行く。 3年振りの再会がとても嬉しく、西永さんも喜んでくれた。 西永さんから「今年は猛暑だった昨年とは全く逆の冷夏で雪も多く、マッターホルンも8月の上旬からずっと登れなくなっているので、他の山でも充分気を付けて登って下さい」とのアドバイスをいただき励まされた。 午後も天気が悪いのでハイキングには行かず、町の散策と買い物をする。 今回の滞在でツェルマット周辺の山々への登山は“卒業”しようとこの時は考えていたので、アルプスの山の写真集、ガイドブック、地図等を物色し、マッターホルンの詳細な登攀ルートが載っているマニアックな写真集や、アルプス登山のバイブルである『アルプス4000m峰登山ガイド』の独語の原著や英語版も記念に買った。


ツェルマットで滞在したホテル『ペーレン』


ホテルの朝食のバイキング


ツェルマットのメインストリート


アルパインセンター(ガイド組合)


教会


チーズの専門店


  【ヴァイスミース】
  8月27日早朝、天気が気になって目が覚めると、図らずもモルゲンロートに染まり始めているマッターホルンの雄姿がベランダから見えた。 少し得をしたような気分になり、写真を撮りながら眺めていると分刻みに山肌の色が変わり、1時間後には昨日の降雪で真っ白に雪化粧したマッターホルンが青空の下に眩しいほどに輝いていた。 その素晴らしい景観は観光客にとっては大歓迎であるが、登山者にとっては全く有り難くないものであるから皮肉なものだ。 私も昨日雪さえ降らなければ、今頃はツィナールロートホルンの頂へアタックしていたことであろう。 am7:00の天気予報では今日・明日と4日後が快晴となっていた。

  am9:00前にホテルを出発し、アルパインセンターへと向かう。 今日も昨日の天気予報以上の晴天となり悔しいかぎりだ。 マッターホルンが登れないためか受付は空いており、滞在期間が無いので何とか明日ツィナールロートホルンに登りたいと食い下がっている外国人と私達だけであった。 早速オルウェルさんがロートホルンヒュッテに電話を入れ、「am10:00頃にヒュッテから下りてくるガイドがここに立ち寄るので、その時に最新の状況が分かると思います」と説明してくれたので、この提案に従い1時間近く待つことにした。 ホテルに戻るのも面倒なので、情報交換の場所としては一番良いアルパインセンターの中で時間をつぶす。 しばらくすると原田さんご夫妻もやって来られたので、再度お互いの健闘を誓い合うと共に、これも何かの縁と住所交換をさせていただく。 私も悔しい気持ちで一杯だったが、マッターホルンを登りに来られたご夫妻はなおさらのことであろう。

  結局そのガイドはアルパインセンターには立ち寄らず電話連絡だけが入ったようであったが、それによるとやはり昨日の雪で一旦状態が良くなったルートが再び悪くなったため、しばらくはまた困難な状態が続くとのことであった。 オルウェルさんから「ルートの状態が悪い時に無理して登るより、滞在期間がまだあるのであれば状態の良いヴァイスミースとラッギンホルンを先に登ったらいかがですか?」とのアドバイスがあった。 もともとヴァイスホルンを第一目標にしていたため計画(優先順位)は変えたくなかったが、何処にも登れなくなってしまっては元も子もないので、この提案を素直に受け入れることにした。 意外にもオルウェルさんは早速現地(サース・フェー)のガイド組合に電話を入れて、ガイドの手配のみならず“山小屋(ホーザースハウス)に連泊してそこから各々の山をアタックしたい”という私達の希望が叶うように交渉してくれ、当初日本語観光案内所を通じての依頼では叶えられなかった計画を、ベテランの手腕により僅か数分の間で手配してくれた。 私達のために骨を折ってくれたオルウェルさんにチップを手渡してホテルに戻り、時刻表を片手にツェルマットの駅へと急いだ。

  pm0:10発の電車に乗り、シュタルデンへと向かう。 登山口となるサース・グルントや今日宿泊する山小屋には4年前に一度“下見”に行ってるので、全く迷う心配は無い。 また、シュタルデンからのポストバスの乗り継ぎが悪く、同駅で必ず待たされることも記憶に新しい。 シュタルデンの駅のベンチでバスを待ちながらランチタイムとし、ブリークからやってきたpm1:44発のポストバスに乗り、サース・グルントへ向かう。 車窓からはビーチホルンがとても良い角度で望まれ、今朝のマッターホルンに続き何か得をしたような気分であったが、午後に入ってからも快晴の天気は続き、“こんな天気の良い日を移動日にするのは本当にもったいない”とボヤかずにはいられなかった。

  30分ほどバスに揺られた後、サース・グルントの一つ手前のバス停で下車し、バス停の近くにあった『コープ』で行動食とミネラルウォーターを買ってからゴンドラに乗り込んだ。 今日は自分の足を全く使わずに3100m付近にある山小屋までアプローチが出来るため全く楽チンだ。 ゴンドラは谷間に拡がるサース・グルントの集落から一気に急斜面を這い上がると、間もなく車窓からドムを盟主とするミシャベルの峰々が眼前に大きく姿を現した。 途中駅のクロイツボーデン(2397m)で景色を眺めるために一旦下車すると、背後には憧れのヴァイスミースとラッギンホルンが私達を歓迎するかのように大きく聳えていた。 ここから望む両山は隣り合わせにありながら、前者はなだらかで丸みを帯びた純白の雪山であり、後者は赤茶けた岩肌の痩せた荒々しい岩峰という正に対照的な山容をしているのが面白い。

  クロイツボーデンからゴンドラを乗り継ぎ、pm3:30に今日と明日宿泊する山小屋のある終点のホーザース(3098m)に着いた。 同駅のすぐ傍らに建っているホーザースハウスはツェルマット周辺の洒落た石造りの山小屋とは違った木造の平屋の地味な建物であり、それがまた周囲の景観にとてもマッチしている。 この味わい深い山小屋に泊まって朝夕の景色を楽しむことも前回からの宿題であり、今回図らずもそれが叶えられたことは本当に幸運であった。 女将さんに挨拶をして宿泊の手続きをしたが、女将さんはあまり英語が上手ではなく(もっとも私達はそれ以下であるが)、先程アルパインセンターを通じて予約をしてあるにもかかわらず少々苦労した。 意外にも狭い山小屋の内部は殆どが食堂のスペースで占められていたため、私達の寝室として案内されたのはゴンドラの駅舎の上にあった屋根裏部屋であった。 外からは全く想像も出来ない所に、上下で10人ほど寝れる4畳半ほどの広さの小部屋が4つほどあり、思わぬ“別館”の存在に驚かされた。 先程の予約の段階ではガイド氏もまだ決まっていなかったので、山小屋の広いテラスから憧れのヴァイスミースやラッギンホルンを眺め、その頂に思いを馳せながら、それらしき人がゴンドラで上がって来るのを待つことにした。 果して今回はどんな人であろうか。 ステファン氏のように優しい方なら良いが・・・。

  pm5:00過ぎに、ザイルを担いだ背の高い若い人が一人で食堂に入ってきたので、一目でその方が私達のガイド氏であることが分かった。 早速元気良く挨拶を交わし、自己紹介をする。ガイド氏の名前はイワン・インボデン、生まれはスイスであるが、母親はイタリア人であるとのことであった。 陽気で少しはにかみがちな氏の仕草には、正にそれが表れていた。 イワン氏は住まいがここ(サース・フェー)とツェルマットの中間にあるザンクト・ニクラウスなので、ツェルマットとサース・フェーの両方のガイド組合に属しているとのことであり、今回の私達の希望と氏のスケジュールがぴったり合ったようだ。 今日はアラリンホルンをガイドされたとのことであった。 氏はまだ30歳で、先日お世話になったステファン氏と同様にガイド歴は5年とのことであったが、過去に何度か日本人をガイドした経験があるという。 氏の印象では、日本人はマッターホルンを登りたいという気持ちが他の(外国)人より強く、また天気が悪くてもなんとか山頂まで行きたがる傾向があるとのことで、正に的を得た認識を氏が持たれていたことに、思わず相槌を打ちながら苦笑いした。 スイスの山の中では地元のヴァイスホルンが一番好きで、外国ではK2に興味があるとのことであった。 私達も今回が5度目のアルプス山行であり、先週のピッツ・ベルニーナを始め色々な山に登っているという経験談を話し、氏とのコミュニケーションを図った。 雑談中に私が時々メモを取っていると、氏は「何故何回もスイスに来ているのに、同じガイド(プライベートガイド)にしないのですか?。 その記録を書く時にその方が(話題が豊かになって)良いのですか?」と不思議そうに訊ねてきたので、「単に言葉(英語)が苦手なので、上手くやりとりすることが出来ないんです」と苦笑いしながら答えた。

  pm6:00に夕食となったが、ヴァイスミースとラッギンホルンは朝一番のロープウェイに乗れば麓から日帰りでも登れる山なので、平日である今日の宿泊客は30名ほどであった。 連泊となるこの小さな山小屋でどんな料理が出るのか楽しみであったが、クリーミーなクノールスープのようなものが最初に配膳され、メインディシュはブラウンソース仕立ての大きなミートローフと付け合わせはマカロニ、人参、グリンピースとシンプルなものであったが、味はとても美味しかった。 もちろん全てお代わりは自由である。 夕食後は引き続きそのままの席でイワン氏と歓談する。 氏に海外の山の経験を訊ねてみると、ドロミテ(イタリア)でのクライミングが主で、唯一の山行は意外にも昨年の秋にガイドとして登られたキリマンジャロであるとのことであった。 私達も数年前に登ったことがあると意気投合し、お互いに「ジャンボ!」と言っておどけあった。 登山予定のヴァイスミースとラッギンホルンのルートの状況や難易度を訊ねると、ラッギンホルンは意外にも例年より雪が少ないとのことであり、また両山とも易しい山なので、私達のアルプスでの登山経験からすれば全く心配は要らないとのことであった。 明日のスケジュールを確認すると、am5:00から始まる朝食を食べた後、6:00頃に出発すれば良いので、ヘッドランプは要らないとのことであった。

  イワン氏との雑談のネタも尽きてきたpm8:00頃から“夕焼けショー”が始まると、私達を含めテラスに出て写真を撮る人が多かった。 この山小屋には麓からゴンドラに乗るだけで来られるので、宿泊客の中には一般の観光客もいるようだった。 夕陽に照らされ金色に輝いていたヴァイミースの山肌は、夕陽がミシャベルの山々の稜線から沈むと、今度は淡いピンク色に染まり始めた。 今日は山に登れなくて残念ではあったが、朝焼けに染まるマッターホルンと夕焼けに染まるヴァイミースをじっくり鑑賞し、その姿を写真に収めることが出来たことで大満足な一日となった。 後は明日あの憧れの頂に快晴の天気の下に辿り着くことが出来たら100点満点である。 pm9:00過ぎにイワン氏と食堂で別れ、歩いて1分ほどの別館に戻り早々に就寝した。


ホテルのベランダから見たマッターホルン


サース・グルントへ向かうバスの車窓から見たビーチホルン


クロイツボーデンから見たドムを盟主とするミシャベルの峰々


クロイツボーデンから見たラッギンホルン


クロイツボーデンから見たアラリンホルン


ゴンドラの終点のホーザースの駅


ゴンドラの駅舎の屋根裏部屋が山小屋の寝室になっていた


ホーザースハウス(背後はラッギンホルン)


ホーザースハウスから見たヴァイスミース


山小屋の夕食のメインディシュ


アーベンロートに染まるヴァイスミース


  8月28日、am4:30起床。 身支度を整えて本館の食堂へ向かう。 気温は低いが、有り難いことに風も無く満天の星空であった。 昨日の天気予報でも快晴を告げていたので、期待が高まり早くも胸が踊り始める。 “私は本当に単純な人間だなあ”とつくづく思う。 少し遅れて食堂に現れたイワン氏と予定どおりam6:00ちょうどに山小屋を出発。 ガイドブックによれば山小屋から山頂までの所要時間は3〜4時間と短く、クレバス以外の危険は無い山なので全く気は楽だ。 空は僅かに白み始め、5分ほど先にある氷河の取り付きまでの幅の広い岩屑のトレイルにヘッドランプは不要であった。 右手にはドムを盟主とするミシャベルの山々の白い山肌が、まだ明けぬ夜空にシルエットのように浮かび上がり、これから始まるドラマチックな朝焼けのシーンに付加価値をつけている。

  取り付きでアイゼンを着け、アンザイレンして慎重にクレバス帯を登り始める。 ふと、4年前に霧に煙る中を“下見”と言い聞かせてここを訪れたほろ苦い思い出が蘇ってきた。 20分ほど登り体が温まってきた頃、西の空がピンク色に染まり始め、イワン氏に声を掛けて早くも写真タイムとさせてもらう。 その直後に今度はミシャベルの山々の白い山肌がモルゲンロートに染まり始め、すぐにまた足を止めて写真を撮らせてもらうが、氏は快く何度もそれを許してくれた。 北側の斜面を登っているため、御来光を拝むことは出来なかったが、すでに周囲には白い山肌と青空しか見えず、絶好の登山日和となったようだ。 突然今度は氏が足を止め、ルートから少し外れた雪壁に立てかけてあったアルミの大きな梯子を指して、「あれは昨年の猛暑でクレバスが開き過ぎた時に使った物です」と説明してくれた。 クレバス帯を登り終えると、大勢の登山者によって踏み固められた幅が50cmほどある明瞭なトレイルが現れ、以後山頂までそれは続いていた。 氏のペースも昨夜の“公約”どおり非常にゆっくりであり、私はもちろんのこと心配性の妻もすでに登頂を確信したようで、「今日の天気ならガイドレスでも登れたね〜」と軽口を叩くほどであった。

  取り付きから1時間ほど登ると、主稜線に上がる手前に唯一アクセントを付けている大きな岩が露出している所に着き、そこで最初の休憩となった。 先行していた一組のパーティーもそこで休憩していた。 そこは主稜線への取り付きであるばかりか素晴らしい展望台でもあり、足下のサース・タール(谷)を挟んで大きく聳え立つドムが圧巻であった。 モンテ・ローザも良く見える。 「今日は良い天気になりましたね!」とイワン氏に全身で喜びを表現すると、氏は間近に見える山並みを指し「来年はあのリムプフィシュホルン(4199m)を登りに行きませんか?。 あそこにはブリタニアヒュッテという山小屋があって、そこを拠点にすれば翌日シュトラールホルン(4190m)にも登れて非常に効率的ですよ」と、まだ今日の山の頂にも着いていないのに、笑いながら話しかけてきた。 氏も今日の好天に上機嫌なのであろう。

  10分ほど休憩した後、山頂に向けて真っすぐに延びる主稜線の左側をキープしながら(右側は急な崖となっているのであろう)緩やかに登る。 すでにホーザースハウスは足下に小さく見え、ペースは遅いものの短時間で効率良く標高を稼いだようであった。 左手には明日登る予定のラッギンホルンが、この山とは対照的に雪のない岩肌をさらして鎮座している。 トレイルは相変わらず明瞭で、今夏の悪天候もこの山に関しては全く影響がなかったことが分かった。 今日の登山には“苦しい”とか“辛い”とか“不安”という登山中に一度は感じる要素がまるで無い。 唯一心配なのは、こんなに楽な登山を体が覚えてしまうと、これから予定しているヴァイスホルンのような厳しい山が登れなくなってしまうのではないかということである。

  しばらくすると未明に出発したと思われるパーティーがもう下山してきた。 今日中にラッギンホルンにも登るつもりなのであろうか?。 すれ違い際彼等に「リミテッド・エクスプレス!」と声を掛けると、彼らは苦笑いしていたが、イワン氏は私達に「ベリー・ビジー(忙しいのは嫌いだ)!」と吐き捨てるように言った。 相変わらず主稜線の左側をキープしながら緩やかに登っていくと、ちょっとした広場となっている平らなコルに着いた。 ようやくここで私達にも太陽が当たり始めると、イワン氏はとても嬉しそうに空に向かって何やら大きな声で叫んだ。 風もなく日溜まりとなっているそのコルで休憩となったことは言うまでもない。 ここからは山頂も指呼の間に見え、山頂に向けて一筋の明瞭なトレイルが真っすぐに伸びていた。 どうやら先行しているのは先ほどの1パーティーだけのようであった。

  コルからは再び主稜線の左側につけられている日陰のトレイルを登る。 傾斜が少し増して高度感も出てきたが、締まった雪はアイゼンが良く利きとても登り易かった。 左手のラッギンホルンにも良く陽が当たるようになり、写真を撮ろうとイワン氏に声を掛けると、氏は笑いながら「それは構いませんが、山頂まであと5分ですよ」と言った。 氏の言ったとおり間もなく傾斜は緩み、稜線は陽光に満ち溢れたなだらかな雪のスロープとなった。 数十メートル先に見えるパーティーのいる所が山頂であろう。

  am8:55、出発してから僅か3時間足らずで憧れのヴァイスミースの山頂に辿り着いた。 大きな雪庇の張り出した広い山頂に十字架は無かった。 雲一つ無い青空の下、すぐ隣のラッギンホルンの右にはフレッチホルン(3993m)が顔を揃え、その遙か後方には昨年訪れた懐かしいベルナー・オーバーラントの名峰の数々が遠望された。 モンテ・ローザはツェルマットからの見慣れた山容とは全く違う姿で望まれ、相変わらずドムを頂点とするミシャベルの山々は恰好の被写体を提供している。 絶好の天気に恵まれ、何の苦労もなく辿り着いた頂には達成感や安堵感といった言葉は見当たらない。 何と穏やかで幸せに満ちたアルプスの頂であろうか!。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、パーフェクト!」。 イワン氏と満面の笑顔で握手を交わす。 氏も絶好の天気に恵まれた頂に、一人の登山者として喜びを表していた。 妻も全く疲れた様子は無く、余裕の笑顔だ。 妻に続いて3人組のパーティーとも握手を交わし、お互いに記念写真を取り合った。 写真撮影や行動食の補給もいつものように慌ててすることはない。 2台のデジタルカメラとコンパクトカメラで気が済むまで周囲の写真を撮った。 4年前に悪天候で登山を断念した悔しさも報われ、先日のピッツ・ベルニーナ、ピッツ・パリュに続き、相次いで雪辱を果たすことが出来て気持ちも晴々とした。 妻と山座同定を楽しんでいると、イワン氏もさり気なくこれに加わり、私達の知らないイタリア側の遠くの山や湖、そして周囲の低い山の名前を一つ一つ丁寧に教えてくれた。 モンテ・ローザの足下に見える湖は、1965年に氷河が大崩落して大勢の死者が出たために造られた人造湖であるとのことであった。 私達の登ってきたルートの反対側にはアルマゲラー小屋(2860m)から登ってくる明瞭なトレイルがあり、二組のパーティーが相次いで登ってきたのは意外だった。 

  am9:40、快晴無風の山頂に45分ほど滞在した後、イワン氏に促されることもなく私を先頭に下山にかかった。 急いだ訳でもないのに30分ほどであっと言う間に主稜線を下り終え、先ほど休憩した大岩の辺りに着くと、土曜日ということもあってか麓からの日帰り登山者達が次々に登ってくるのが見えた。 さながらブライトホルンやモン・ブランのような賑わいだ。 すでに気温は上昇し、雪も腐り始めてきているので、快適な登山にはならないだろう。 当初の計画どおりであれば、私達もあの集団の中にいたと思うと、今回は正に“災い転じて福となす”との諺どおりであった。 少し優越感に浸りながら登ってくる多くの登山者達に道を譲り、鼻歌交じりにマイペースで下る。 相変わらず楽しさに満ち溢れた登山である。 しかも今日は山小屋に連泊するため麓まで下ることもない。 下部のクレバス帯からはイワン氏が先頭になり、クレバスを跨いだり飛んだりしながら和気あいあいと進んだ。

  am11:00、ホーザースへは目と鼻の先である氷河への取り付きに到着。 憧れのヴァイスミースへの極楽登山は終わった。 登攀具を外してしばらくのんびりと寛ぐ。 取り付きからの岩屑のハイキングトレイルには氷河見物の日本人観光客も散見され、そのうちの一人に「あの山は登ることが出来るんですか?」と訊ねられ、何故かそれが少し誇らしかった。 am11:30に山小屋に到着。 別館で着替えをした後、食堂でイワン氏と昼食を共にする。 氏の勧めで注文した通称『ポパイ』という料理は、下の土台となっているパンにワインがたっぷりとしみ込んでいたので、お腹が一杯になったことも手伝って急に睡魔が襲ってきた。 しばらく氏と歓談した後、天気も少し崩れてきたため、別館の寝室で昼寝を決め込んだ。

  眠っている間にさらに天気は悪くなったようで、目覚めた時にはすでにヴァイスミ−スは雲の帽子を深く被っていた。 あっという間にpm6:00からの夕食の時間となり食堂に行くと、今日は土曜日ということもあって昨日の倍以上の宿泊客で賑わっていた。 今晩のメインディシュは豚肉を柔らかく煮たものと山小屋のメニューの定番であるマッシュポテトであり、昨夜に続きとても美味しかった。 麓からのゴンドラが新鮮な食材を運んでくれるからであろう。 残念ながら天気は回復せず昨日のような素晴らしい“夕焼けショー”は叶えられなかったが、雲の合間から稜線に沈む夕陽だけは辛うじて見ることが出来た。

  夕食後イワン氏に今後登山を予定している三つの山々についの話をすると、私のアルプスでの登山経験からすれば、全て登れるのではないかという嬉しい“お墨付き(社交辞令?)”を頂くことが出来た。 尚、通常ヴァイスホルンは6時間、オーバーガーベルホルンは5時間、ツィナールロートホルンは4時間で登れるとのことであり、私がガイドブックを読んで予想した時間より全て1時間短かった。 すでにアルパインセンターでガイドの予約はしてあることを氏に話したところ、意外にも氏は笑いながら「予約をキャンセルして私と一緒に登りませんか?」と提案してきた。 今日一緒に登ったことで氏には“良い客”に思えたのであろうか?。 もちろん私も氏なら申し分ないし、そう願いたかったが、今年はこれらの山のルートの状況が悪く、他の山に変更せざるを得ない可能性があったことと、会話に自信がないため電話だけでは詳細なやりとりが出来ない(携帯電話もない)ので、折角の氏からの誘いを苦笑いしながら断らざるを得なかった。 多分“プライベート”にした方が所属先のガイド組合へのマージンを支払わなくて済み、氏の手取りが増えるからであろう。 氏のあっけらかんとした合理的な提案に、いかにもイタリア風な気質を感じた。


ミシャベルの山々の白い山肌がまだ明けぬ夜空にシルエットのように浮かび上がる


ミシャベルの山々がモルゲンロートに染まり始める


取り付きから西稜の肩に向けて登る


西稜のコルから見たヴァイスミースの山頂


ヴァイスミースの山頂直下


ヴァイスミースの山頂


山頂から見たラッギンホルン    背後はベルナー・オーバーラントの山々


山頂から見たモンテ・ローザ


山頂から見たドムを盟主とするミシャベルの山々


山頂から見た東側の風景


山頂から遠望したアレッチ氷河とフィンスターアールホルン(右上)


西稜のコルから見たヴァイスミースの山頂


西稜のコルから見たラッギンホルン


中間点の露岩付近から見た山頂


中間点の露岩付近から見たビーチホルン


氷河の取り付きから見たドム(中央)


ホーザースハウスの食堂


  【ラッギンホルン】
  8月29日、夜中に階下のトイレに行ったついでに外に出てみると、空には満月に近い月が煌々と輝いていたが、山々は霧に包まれていた。 一昨日の天気予報でも今日は快晴ではなかったので少し気掛かりであったが、昨日とても良い思いをしたので、今日は多少の難があっても仕方がないと割り切れる心の余裕があった。 am4:30に起床し、身支度を整えて本館の食堂に行くと、幸運にも霧は晴れていた。 昨日同様イワン氏は約束のam5:00を少し過ぎてから食堂に現れた。 私達が寝た後も食堂で遅くまで飲んでいたのであろう。 今日ものんびりムードで朝食をしっかりと食べる。

  am6:00、昨日と全く同じ時刻に別館から出発。 幅の広い岩屑のハイキングトレイルを昨日と反対の方向に下る。 昨日のように空気が澄んでいないためヘッドランプを点けて歩く。 予想どおりヴァイスミースに登るパーティーが圧倒的に多いため、先行するパーティーのヘッドランプの灯は見えない。 5分ほど歩くと目立たない赤いポールが岩に立てかけてあり、そこからトレイルを外れて踏み跡の“アルペンルート”へと入る。 4年前の下見の時に何故この分岐に気が付かなかったのか不思議である。 踏み跡はかなり明瞭で、良く見ると所々に小さなケルンが積まれている。 大小の岩がごろごろしている裾野のような所をトラバース気味に緩やかに登っていく。 下からは見えない上の氷河から流れ出す小沢を6〜7回飛び石伝いに渡り、30分ほどでワイヤーロープが岩に取り付けてある実質上の取り付きに着いた。 ヘッドランプをしまい、ここでアンザイレンする。 イワン氏は長いストックを逆さまにしてザックにねじ込み、おどけながら「これは避雷針です。 これで貴方達には雷が当たらないからご安心を!」と言った。 すかさず私が「“サンダー”は日本語で“カミナリ”と言うんですよ」と教えると、氏は「それは面白い。 “カミナーリ”はイタリア語ではハイキングのことを意味するんですよ」と笑いながら答えた。

  ワイヤーロープを掴みながら急な岩場を登っていくと、トレイルの脇の岩陰に若い女性が一人で佇んでいた。 トイレにしてはまだ早過ぎるし、休憩するような場所でもなかったので、この先のルートが分からず進退極まってしまったのであろうか?。 イワン氏は彼女に声を掛けることもなく先へと進んだが、彼女も私達の後をついてくることもなく謎は深まった。 急な岩場をひと登りすると、平らな岩屑の広場となり、山小屋から45分ほどでその先に拡がる盆地状の小さな氷河の末端に着いた。 ここがガイドブックに記されているヴァイスミースヒュッテ(2726m)からのトレイルとの合流(分岐)点なのだろう。 氷河の取り付きにはアイゼンを着けたりしながら一服している10数人ほどの登山者達で賑わっていた。 おそらく殆どのパーティーはヴァイスミースヒュッテから登ってきたのであろう。

  私達もここでアイゼンを着けながら一服した後、傾斜の緩い雪渓のような氷河を登り始めた。 幅の狭い盆地氷河にはクレバスも無さそうで、単独行の人もいる。 右手には頂上に向けて切り立った屏風のような幅の広い岩壁が圧倒的な高さで聳え立ち、直登することを拒んでいる。 緩やかな氷河上を30分ほど登るとカールの底のような所に突き当たり、氷河の上端から左手の岩場に取り付いた。 アイゼンを外し急な岩場をひと登りすると、おびただしい数の大小の岩が堆積している所に着いた。 遙か足下にはちょうど朝陽が当たり始めたサース・フェーの町の家々が米粒のように見えた。 イワン氏に声を掛け、周囲の風景の写真を撮る。 ヴァイスミースやモンテ・ローザはすっきりと望まれたが、ドムは相変わらず雲の帽子を被っていた。

  右手に見える山頂に背を向けて、一旦左手の尾根の末端に取り付いてから、山頂に向けて真っすぐに延びる顕著な主稜線に向けてジグザクを切りながら登っていく。 アルペンルートのように踏み跡は明瞭で、確保が必要な所は皆無であり、面白いように標高が稼げる。 他にも似たような踏み跡があるようで、各々のパーティーが登り易いルートを選んで登っていくが、皆時間的に大差はなく主稜線直下の所で合流した。 主稜線に上がると、左手に寄り添うように聳えている隣接峰のフレッチホルン(3993m)が大きな姿を現した。 先日見たピッツ・トゥーポ(3996m)同様、4000mに僅かに満たない不遇な山だ。 但し、中にはアイガー(3970m)、ラ・メイジュ(3983m)、ビーチホルン(3934m)のような名峰もあるので、一概に標高だけとは言えない面もあるのは事実だ。

  ガイドブックを読んだイメージでは、主稜線に上がってからは易しい2級程度の岩登りが連続するという感じであったが、稜線の傾斜は下から見上げていたよりも緩く、依然として微かではあるが踏み跡はあり、注意深くルートファインディングしていけば手を使わなくても登れる所が殆どであった。 ガイドレスでも充分登れそうなルートのコンディションに、すでに昨日同様登頂を確信した。 緊張感も薄れ、少しザレた斜面になった所で私が足を滑らせると、イワン氏がその音に反応して振り返った。 てっきり氏が注意を喚起するのかと思ったが、氏は笑いながら「こんな所で滑るなんて恰好悪〜い」と悪戯っぽく私をけなした。 しばらくすると今度は当の氏が足を滑らせた。 「しょうがないガイドだなあ〜、まったく!。 昨夜は飲み過ぎたか!」と氏は笑いながら言い放った。 昨日と同様に今日も楽しい雰囲気の登山であったが、唯一の心配は天気であった。 今日は麓から湧き上がる霧の上昇スピードが速く、すでに先ほどの盆地氷河の所まで霧が忍び寄ってきている。 あの霧よりも先に頂上に到着しなければ、楽しみにしている展望はお預けとなってしまう。 霧に見舞われたアルプスのデビューの山であるメンヒの山頂の思い出が頭をかすめる。 のんびりとはしていられない。 氏もそれを察してか、ペースは幾分昨日よりも速い。 氏が時々「ペースは速くないですか?」と声を掛けてくれるが、ここは妻にも頑張ってもらうしかないので「妻は少々バテ気味ですが、まだまだ頑張れます!」とその都度答える。

  まだ山頂らしき所は見えてこないが、左手に見える本峰より僅か20mほど低いフレッチホルンの頂が良い目標となる。 すでに下りてくるパーティーもあり、山頂はそれほど遠くないはずだ。 頭上に大きな杭のようなものが見えてきた。 あそこが山頂だと思ってラストスパートに入ったが、それはルートを外さないようにとケルンの代わりに置かれていた粗末な太い棒であった。 ヴァイスミースにはイタリア(南)側からも霧が頂稜部付近まで上がって来ている。 果して霧との競争に勝てるのであろうか?。

  am9:00過ぎにやっと山頂らしき所と人影が見え、「あと5分ですよ!」と昨日同様にイワン氏から声が掛かる。 間もなく山頂に立つ十字架がはっきり見え、am9:10に憧れのラッギンホルンの頂に辿り着いた。 眼前のヴァイスミース同様、反対のイタリア(南)側はすでに頂上直下の所まで雲海となっており、昨日見えた少し低い周囲の山々は全く見えなかった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 氏と固い握手を交わし、私の早いペースに合わせてくれた妻を労う。 雲や霧のため展望は昨日よりも数段見劣りするが、何と言っても霧との競争に勝ったことがとても嬉しかった。 意外にも山頂は十字架一本分のスペースしかない狭さであり、先に到着した二組のパーティーが山頂を譲ってくれるのを待ち、霧が上がってこないうちに氏に記念写真を撮ってもらう。 簡素な丸い鉄パイプで作られた十字架にはキリスト様はおらず、代わりに1・9・7・4という4つの数字の形をしたプレートが横棒に溶接されていた。 十字架を立てた年を意味するものなのであろうか?。 山頂からはヴァイスミースの全容が良く望まれ、この頂が同峰を眺めるには一番の展望台であることがあらためて分かった。 また意外にも、すぐ隣のフレッチホルンの頂稜部には大きな氷河が見られ、クロイツボーデンのゴンドラ駅から眺めた痩せた山容とは全くその趣を異にしていた。 山頂は風が強く、また狭すぎて座ることも出来ないので、少し下がった風の余り当たらない岩陰で熱い紅茶を飲みながら一息つく。 相変わらずドムは雲の帽子を被り、遠くの山々もすっきりと望むことは叶えられないが、ヴァイスミース同様4年前に登れなかった頂を踏めたことで気分はとても爽やかであった。 妻にとってはこの頂が今シーズンの最後となる予定であった(私もここが最後になる可能性があった)ので、風は冷たかったが30分ほど登頂の余韻に浸りながら滞在する。 氏は手持ち無沙汰で他のパーティーのガイド氏達と雑談を交わしていたが、決して私達に下山を促すようなことはしなかった。

  am9:40、体も冷えてきたのでイワン氏に促されるまでもなく私を先頭に下山にかかる。 確保が必要な危険箇所は全く無く、私の拙いルートファインディングでも正しいルートを外すことはあまりない。 ガイドレスのパーティーや単独行者もポツリポツリと登ってくるが、ヴァイスミースと比べると遙かに登山者の数は少ない。 だがこの山はコンディションさえ良ければ、アルプスでは貴重なガイドレスや単独でも登れる4000m峰であることが分かった。 いつの間にか霧は勢力を弱め、氷河の下りも全く問題ないように思えたが、イワン氏は「この時間帯は落石が多いので急いで下りましょう!」とアイゼンを着けずに少し腐った雪の上を小走りに下る。 あっと言う間に盆地氷河の末端まで下りきり、一服しながら赤茶けた岩壁を眺めるが、霧のためすでに山頂は見えなくなっていた。

  pm0:10、出発してから約6時間後に山小屋に帰着。 二日連続の“極楽登山”は最高の結果を出して無事終了した。 ツェルマットへ帰る支度を整えてから、食堂でイワン氏と祝杯を兼ねた昼食を共にする。 氏は今日もお気に入りの“ポパイ”を注文した。 昼食後氏にヴァイスミースとラッギンホルンの両山合わせてのガイド料970フラン(邦貨で約87300円)を支払った後、感謝の気持ちを込めて100フランのチップを手渡した。 昨夜の話しは冗談ではなかったのか、氏は再び次回はガイド組合を通さずにプライベートで一緒に登りましょうと提案した。 ガイド組合のマージンはそんなに高いのであろうか?。 氏のメールアドレスと携帯の電話番号を教えてもらい、とりあえず今回の山行中に撮った写真を送ることを約束した。 機会があればプライベートで氏にガイドを依頼したいと願ったが、果してこの希望は将来実現するのであろうか?。 待ち合わせ場所については、ツェルマット駅前のマクドナルドということで氏と笑いながら合意した。

  pm1:20、麓のサース・グルントをpm1:45に出発するバスに乗るため、イワン氏と一緒にゴンドラに乗って下ったが、麓の駅に着く寸前に無情にもバスは走り去ってしまった。 氏はてっきり私達がサース・フェーに滞在しているものだと思い込んでいたようで、ツェルマットに行くなら自宅のある途中のザンクト・ニクラウスまで車で送ってくれるということになった。 シュタルデンの駅の手前の三叉路をツェルマット方面に進路を変えてザンクト・ニクラウスの駅へと向かう。 氏の話では、このシュタルデンからザンクト・ニクラウスの間の山道では車両への落石による死亡事故が頻繁にあり、現在立派なトンネルを建設中であるとのことであった。 間もなく車窓から形の良い雪山が見えてきたので氏に山の名前を訊ねたところ、ブルネユール(3838m)という山で、氏にとっては故郷の山であるとのことであった。

  40分ほどのドライブを終え、ザンクト・ニクラウスの駅に到着。 イワン氏と最後の握手を交わして別れたが、一週間後に偶然再会することになるとはお互いに知る由もなかった。 pm3:10発のツェルマット行きの電車に乗り、pm3:45に同駅に着いた。 一旦荷物を置きにホテルに帰ると、意外にもサンモリッツのホテルと同様に支配人が私達をつかまえて、「2日間もホテルに戻らないので、山で遭難したのではないかと心配していました。 警察に捜索願いを出す寸前でしたよ!。 次回からはフロントに予定を話しておいて下さい!」と血相を変えてまくし立てた。 今まで他のツェルマットのホテルでそんなことを言われたこともないので私達も驚いたが、何か最近事件でもあったのであろうか?。

  部屋に荷物を置き、明日以降の打ち合わせをするためアルパインセンターへ向かう。 オルウェルさんからここ3日間の晴天で希望している三山(ヴァイスホルン・オーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン)のルートのコンディションは大分良くなったと聞いて安堵したが、掲示板に貼られているインターネットの山の天気予報では明日・明後日と変わりやすい不安定な天気が続くようだったので、明後日に予定していたアタック日の順延を申し出たが、マッターホルンの登山が未だ解禁になっていないことでガイドがあぶれているのか、前回同様明日のam9:00に最終決定すれば良いとのことであった。 夕食の食材をマーケットで買っている間に天気は崩れ、雨が降ってきた。 やはりまだまだ安定した天候にはなっていないようだ。


盆地状の小さな氷河の取り付き


氷河の上端から岩場に取り付く


朝陽が当たり始めたヴァイスミース


岩稜にはアルペンルートのように明瞭な踏み跡があった


ラッギンホルンの山頂


山頂から見たヴァイスミース


山頂から見たフレッチホルン


山頂から見たモンテ・ローザ(左端)とアルプフーベル(右端)


  【ロートホルンヒュッテ】
  8月30日、am6:30起床。 カーテンを開くと朝焼けのマッターホルンが見えた。 昨夜は雪とはならなかったようで、山肌の雪はだいぶ溶け、黒い地肌が少し見えた。 am7:00の天気予報では、今日は晴れ時々曇りで午後はにわか雨、明日も同じで、明後日だけは快晴となっていた。 それ以降はまた“晴れ時々曇りで午後はにわか雨”という変わりやすい天気が続くようで、明後日が好天のピークのような状況であった。 滞在日はあと6日で、登りたい山はあと3つ。 2日間快晴の天気は続きそうにない・・・。 久々の朝食のバイキングも上の空で、登る山の選択に悩む。 第一志望のヴァイスホルンはツェルマットからの移動に時間が掛かり、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンは第二志望ながら同じ山小屋に連泊して3日間で両方登れるメリットがある・・・。 決断がつかないまま時間だけが経過し、am8:30にとりあえずアルパインセンターへ向かう。 生憎オルウェルさんは不在であった。 インターネットの山の天気予報でも明後日だけは快晴となっていた。 さんざん悩んだあげく、やはり第一志望のヴァイスホルンにしようと決め、クリスティーヌさんにガイドの手配を申し出たところ、意外にも彼女から「ヴァイスホルンヒュッテは(ルートのコンディションが悪く)宿泊客が激減したため、昨日で今シーズンの営業を終え、管理人が山から下りてしまいました」という説明があり、今まで悩んでいたことは徒労に終わった。 尚、小屋は開いているので自炊なら宿泊可能であるとのことであったが、ただでさえ厳しい登山であるのに加え、そのような状況ではルートのコンディションも悪いに違いないので今回は潔く諦め、オーバーガーベルホルンとツィナールロートホルンのガイド(明日・明後日)の手配を申し込んだ。 ガイド料はオーバーガーベルホルンが816フラン(邦貨で約73500円)、ツィナールロートホルンが731フラン(邦貨で約65800円)であった。

  ホテルに戻り、am10:00に相棒の妻と共に今日の目的地であるB.Cのロートホルンヒュッテに向けて出発する。 メインストリートの途中のレストランの脇から狭い路地に入り、しばらくは石畳の急な坂道を登る。 レストランの2階に取り付けられていた小さな指導標には『エーデルワイス45分・トリフト2時間・ロートホルンヒュッテ4時間30分』とあった。 標高3178mの所にあるロートホルンヒュッテまでは約1500mの標高差があるので、明日からのアタックに備えて時間を気にせずに登ることにする。 ロートホルンヒュッテまでのハイキングトレイルには、途中にエーデルワイスヒュッテというレストラン(1961m)とトリフトヒュッテ(2337m)という山岳ホテルがあり、体力や目的に応じて日帰りや泊まりのハイキングを楽しむことが出来るが、8月の終わりの平日のためか人影は少ない。 10分ほどで舗装は切れ、照り返しのきつい小さな牧草地を過ぎるとトレイルは涼しい樹林帯へと入り、崖の上に建つエーデルワイスヒュッテまではジグザグの急登となった。

  am11:00、コースタイムぴったりに45分でエーデルワイスヒュッテに着いた。 その名のとおり、(栽培された)ひょろ長いエーデルワイスが花壇に咲いていた。 すでにツェルマットの町は眼下に収まり、レストランのテラスからはドムとテッシュホルンが肩を並べて高さを競い合っている様子が望まれ、またブライトホルン(4164m)がとても大きく見える。 何も注文しないでテラスで寛ぐのも申し訳ないので、写真を撮って早々に先へと進む。 再び樹林帯に入り緩やかに登っていくと、谷を挟んで右手の崖に氷河から流れ出す水が滝となって落ちてくる所に出た。 滝を見ながらザレた岩場のトレイルを急登し、橋を渡って谷の左岸に取り付く。 この辺りから森林限界となり、登ってきたトレイルを振り返ると、豆粒ほどに見えるゴルグラートの山岳ホテルの背後にモンテ・ローザ(4634m)とリスカム(4527m)の白い頂が見えてきた。 谷の左岸につけられた勾配の緩やかなハイキングトレイルを谷を遡るようにひたすら歩く。 上空は青空であるが、谷の奥に見えるはずのオーバーガーベルホルン(4063m)は霧に包まれて望むことは出来ない。 トレイルの脇に咲く地味ながらも種類の多い高山植物を愛でながら黙々と歩を進めていくと、次第に霧は薄れ、オーバーガーベルホルンの頂稜部が不意に顔を覗かせた。 憧れの山との3年ぶりの対面に、始めて同峰を見た時のような新鮮な感動を覚えた。 慌てて写真を撮るが、有り難いことに徐々に霧は上がり、しばらく登ると今度は谷の右岸の奥にウンターガーベルホルン(3391m)の尖峰も見えてきた。 オーバーガーベルホルンの“前山”にしておくには惜しいほどの迫力がある山だ。 谷をさらに詰めると視界が開け、オーバーガーベルホルンの支峰であるヴェレンクッペ(3903m)も望まれるようになった。

  間もなくトレイルの先にスイスの赤い国旗が見え、pm0:10にトリフトヒュッテに着いた。 ヒュッテの先は小広い草(湿)原のようになっていて、まるで山上のオアシスのようであった。 アザミやクロッカスの花々が群落をなし、すでに秋の始まりなのであろうか虫(コオロギ?)の音がうるさいほど響いている。 ヒュッテの傍らには荒々しいウンターガーベルホルンが聳え立ち偉容を誇っているが、オーバーガーベルホルンはさらにその奥に一段と高く望まれ、そのあまりの神々しさに“あの頂を踏むことなど本当に出来るのだろうか?”と不安が募る。 逆にもしそれが叶ったとしたら、どんなに素晴らしいことであろうと思った。 生憎ツィナールロートホルン(4221m)の頂稜部は奥まっていて見えないが、素晴らしいロケーションを誇るヒュッテの周りの草原でランチタイムとする。 座るのにちょうど良い岩が点在する草原は、昼寝でもしていきたいような心地良さであったが、夕方にはまたにわか雨が降るかもしれないので、30分ほど休憩した後にトリフトを出発する。

  温暖化で後退しているガーベルホルン氷河の舌端を回り込むようにしてつけられた明瞭なハイキングトレイルをジグザグにひと登りすると、すぐにメッテルホルン(3406m)への分岐があった。 立派な指導標には『ロートホルンヒュッテ2時間30分・メッテルホルン2時間45分』とあった。 メッテルホルンは4年前に初めてスイスの地を訪れた時に知り合った田村さんから教えてもらったお勧めのツェルマットの裏山であり、明日は妻が一人で登ってみるという。 日本でも単独行などしたことがない妻にとって、私以上に大冒険となるに違いない。 分岐を右に分けてしばらく登ると、今日の目的地であるロートホルンヒュッテが遙か遠くの岩棚の上に米粒ほどの大きさで見えてきた。 まだまだ先は長そうだ。 気持ちを新たにして登り続けると、間もなくまた平らな湿原のような所に出た。 湿原には氷河から流れ出す小沢が何本にも枝分かれしてトレイルを横切っているため、何度か飛び石伝いに浅い沢を渡り、痩せ尾根のような顕著なモレーンの背につけられたトレイルに取り付く。 モレーンの背を登るにつれ、上下の湿原は昔の氷河の跡であることがはっきりと分かった。 谷底のツェルマットの町は全く見えなくなり、僅かの時間でとても山深い所まで来たことを実感する。 再び少し霧が湧き始めたので、少しペースを上げて登る。 氷河から吹き下ろす風は冷たく、霧で太陽が遮られると途端に寒さが身にしみる。 トリフト氷河の舌端が見えた所からモレーンの背を外れ、大小の石がゴロゴロしている斜面にジグザグにつけられたトレイルを登っていくと、不意にマッターホルンの穂先がミッテルガーベルホルンの稜線の上から頭を出した。 思わぬユニークな景観に足取りも軽くなり、登るにつれて大きくなるマッターホルンに励まされながら単調なジグザグのトレイルを休まず登っていくと、再びゴールのロートホルンヒュッテが頭上に見え出した。

  pm3:50、ツェルマットから約5時間を要してロートホルンヒュッテに到着。 周囲の景観に溶け込んだ頑丈な石造りのとても味わいのある山小屋である。 外見は硬派なイメージであったが、意外にも山小屋には男性のスタッフはおらず、若い女性3人だけで切り盛りされていた。 受け付けを済ませ、寝室に案内してもらう。 寝室は3階の屋根裏部屋であったが、こぢんまりとした10人ほどのベッドスペースがある室内には、効率良く荷物や衣類を置ける棚がつけられていて使い勝手が良さそうであった。 着替えをして2階の食堂に行くと、宿泊客が少ないのか誰もおらず、吐く息が白くなるほど寒かった。 注文した温かいスープと紅茶を飲んでも体は温まらず、フリースの上着を着込んだが、じっと座っていると体がどんどん冷えてくる。 ヒュッテが氷河の傍らに建っているためか、あるいは体力を消耗したためか分からないが、今までのアルプスの山小屋でこんなに寒い思いをしたことはない。 せっかく食堂でのんびり寛ごうと思っていたのに、とんだ耐寒訓練になってしまった。 テーブルに宿帳が置かれていたので、ホームページにツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンのガイドレスの登攀記録を載せていた日本人のパーティーの名前を探したところ、1か月ほど前にその方々の名前が記されていた。 暇つぶしに他にも日本人の名前がないか探したところ、今シーズンは他に2名の名前があった。 もちろん私達も宿帳に足跡を残したことは言うまでもない。 意外にも宿帳に記された目的の山は、オーバーガーベルホルンの支峰であるヴェレンクッペが一番多かった。

  引き続き寒さに震えながらガイド氏の到着を待っていると、夕食の時間が近づいてきたのか、私達だけで占領していた食堂にも徐々に宿泊客が集まり始め、顎髭をたくわえた体格の良いいかにもガイドらしい風体の山男が入ってきた。 目が合うとすぐに「サカイさんですか?」と声を掛けられた。 ガイド氏にはすでにクライアントの情報が入っていたようだ。 早速自己紹介をして握手を交わし、妻のことも紹介した。 ガイド氏の名前はヘンドリー・ヴィリー、生まれも育ちも地元のツェルマットであるという。 いつものようにのっけから氏の年齢を訊ねると、偶然にも私と同じ44歳であった。 私達は外国語(英語)が殆ど喋れないことを謝ると、この日は最後まで氏の方から積極的に話しかけてはこなかった。 先日のステファン氏やイワン氏とは違い、ヘンドリー氏にはいかにも硬派な山男という雰囲気が漂っていた。 経験上、山の話題であれば片言の英語でも通じるので、氏と少しでも打ち解けようと、いつものように私のアルプスでの山の経験と思い出を語り、氏にも山の経歴等を訊ねてみると、やはり今まで知り合ったガイド諸氏とは違って、ヒマラヤの高峰も数多く経験されているようであり、何とマカルー(8463m)とダウラギリI峰(8167m)を友人と登り、ローツェ(8516m)は山頂は踏めなかったが、登られたことがあるとのことであった。 他にも主なところでは南米のチンボラッソ(6310m)やアコンカグア(6959m)にも登られた(もちろんバリエーションルートであろう)ということであり、外見どおり現役バリバリの登山家であった。 少々気後れしたが、念のためスイスで一番好きな山を訊ねてみると、意外にもヴァイスホルンとのことであり、今年知り合った3人のガイド氏が口を揃えてヴァイスホルンを挙げていたことは大変興味深かった。 私も今回登る予定でいたが、山小屋が閉まってしまったので予定を変更したことを話すと、氏は笑いながらフライパンを振る仕草をして「それはもったいない。 自炊も楽しいですよ」と言わんばかりであった。

  ヘンドリー氏と山の話をしていると夕食の時間となり、狭い食堂はいつの間にかほぼ満席となった。 私達のテーブルには明日ツィナールロートホルンに登られるというオーストリアから来たガイドパーティーがついた。 オーストリア隊のガイド氏はヘンドリー氏にドイツ語でルートの状況を色々と訊ねていたが、氏は嫌がらずに淡々と説明していた。 夕食はスープと生野菜の盛り合わせの前菜に続き、メインディシュはビーフシチューと塩味の濃いバターライスであったが、さすがに3人の女性陣が腕を奮ったものだけあり、とても美味しかった。 夕食後氏から「明日はツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンのどちらを登りますか?」と訊ねられたので、「明日は明後日よりも少し天気が悪そうですね・・・」と氏に投げかけ、逆に氏の意見を聞こうと思ったところ、「いや、明日は晴れますよ」とあっさり自信に満ちた答えが返ってきた。 仕方なく「ツィナールロートホルンの方がオーバーガーベルホルンよりも行動時間が短く、少し易しそうなのでツィナールロートホルンを先に登りたいと思います」と希望を言うと、「分かりました。 ただ両者(の難易度)はさほど変わりませんよ」とまた素っ気ない答えが返ってきた。 氏にとってはこの程度の山は朝飯前のことなのであろう。 明日のスケジュールを訊ねると、朝食はam4:00からで、出発は食べ終わってからということだけで特に時間の指定は無かった。 やっと体も温まり眠くなってきたので、pm8:30には床に就いた。


ホテルのベランダから見た朝焼けのマッターホルン


エーデルワイスヒュッテ


ヒュッテのテラスから見たドム(左)とテッシュホルン(右)


ヒュッテのテラスから見たツェルマットの町


トリフトヒュッテへのトレイルから見たオーバーガーベルホルン


トリフトヒュッテ


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たメッテルホルン(茶色の尖峰)


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たウンターガーベルホルン


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たオーバーガーベルホルン(左)と支峰のヴェレンクッペ(右)


ロートホルンヒュッテへのトレイルから見たモンテ・ローザ(左)・リスカム(中)・ブライトホルン(右)


岩棚の上に建つロートホルンヒュッテ


ロートホルンヒュッテ


ロートホルンヒュッテから見たヴェレンクッペ


ロートホルンヒュッテの食堂


ロートホルンヒュッテの寝室


  【ツィナールロートホルン】
  8月31日、am3:30起床。屋外のトイレに行くと霧はあがり、満天の星空であった。 果してヘンドリー氏の予報は当たるのであろうか?。 昨夜は適度の疲労のため良く眠れ、体調は万全である。 am4:00からの朝食は昨夜と同じテーブルで再びオーストリア隊と共にする。 身支度を整えテラスに出ると、氏からヘルメットを被るようにとの指示があり、先日の極楽登山とは違う緊張感に身が引き締まる。 氏とアンザイレンした後、妻の見送りを受けてam5:00に憧れのツィナールロートホルンの頂を目指して出発した。

  まだ夜明けには遠く、ヘッドランプの灯を頼りに山小屋の背後にある氷河まで岩屑の踏み跡を登って行く。 “待ってました”とばかりにオーストリア隊が私達の後ろにぴったりと続く。 10分ほどで氷河の取り付きに着き、アイゼンを着ける。 前方にはヘッドランプの灯は見えず、どうやら私達が一番乗りのようであった。 雪の表面がクラストしているため、アイゼンの爪を利かせながら勾配のそこそこある斜面をジグザグに斜上していく。 意外にも5分も経たないうちにオーストリア隊はついてこれなくなり、その後は彼らと下りで再会するまでルート上には私達のパーティーだけとなった。 ヘンドリー氏のペースは思ったよりも速くなく、今のところ充分についていけるので安堵した。 たぶん氏はペース配分について私に意見を求めることはないだろうし、またそんなことではこの山を登ることは出来ないであろう。

  30分ほど登った所で氷河を離れ、アイゼンを外して狭い急なクーロワール(岩溝)に取り付く。 短時間で200mほどの標高を効率よく稼ぎ、ほんの少しだけ心に余裕が生まれる。 3級程度の岩場を最初の部分だけは上からヘンドリー氏に確保されて登ったが、その後はコンテニュアスで氏にどんどん引っ張られ、足がついていけず途端に息が切れる。 このクーロワールは正にツィナールロートホルンへの“登竜門”であり、氏は私の拙い技量を即座に見抜いたことであろう。 クーロワールを抜けると夜も少し白み始めた。 次はどのような試練が待っているのかと戦々恐々としていたが、岩の上に積もった雪でルートは予想どおりミックスとなっていたものの、確保が必要な所も無いばかりか次第に傾斜は緩み始め、間もなく山腹をトラバースするような感じの易しい“アルペンルート”の歩行となった。 気温は低いが風が無いため寒さは感じない。 危険な要素が無くなったため、氏は意識的にペースを落とし、先ほどまで不足していた酸素の補給も充分間に合ってきた。 良く見るとルート上には所々に小さなケルンや踏み跡が見られ、一般ルートを忠実に辿っていることが分かった。

  20分ほど極楽の歩行を続けた後、突然ヘンドリー氏は進路を90度右に変え、上に見える氷河に向けてミックスとなっている緩やかな傾斜の岩場を直登し始めた。 間もなく再び氷河を登ることとなり、取り付きでアイゼンを着ける。 気が付くと足下はもの凄い雲海となっていて、その高さは3000mをゆうに超えていた。 東の空はすでに明けてきているが、南に小さく見えるマッターホルンや南西方向のオーバーガーベルホルンはまだ明けきらぬ夜空の下、満月の明かりに照らされて神秘的な姿を披露している。 時計を見るとam6:30であった。 テルモスの紅茶を素早く口に含み、写真家でもなかなか遭遇出来ないであろう素晴らしい光景に興奮しながら、ここぞとばかりに写真を撮る。 今日妻が登る予定のメッテルホルン(3406m)も頂だけが雲海から頭を出し、まるで大海原に浮かぶ小島のようであった。 かわいそうに今頃雲海の下にいる妻は、この風景はおろか御来光すら拝むことは出来ないであろう。 ヘッドランプをしまい、先ほどと同じようなクレバスの無い雪渓のような登り易い氷河を直登気味に登る。 所々で岩が露出しているがアイゼンを着けたままガンガン登る。 その間にも毎日繰り返されるアルプスの荘厳な夜明けは音をたてずに進行し、振り返ればマッターホルンやオーバーガーベルホルンもミシャベル連山の向こうにある太陽から漏れてくる光を受けて淡く染まり始めている。 筆舌に尽くし難い芸術的な光景であったが、写真を撮りたいという気持ちをぐっとこらえ、いつものように心のシャッターを切った。

  間もなく頭上に顕著な稜線が見え始めると、左手には朝陽に輝く憧れのツィナールロートホルンの頂稜部が見えてきた。 am7:00ちょうどに雪庇の発達した稜線上に躍り出ると、雪庇の向こう側にはまるでピラミッドのように均整のとれた形をしたヴァイスホルンがどっしりと鎮座していた。 雪稜の先には目指すツィナールロートホルンの頂が要塞のように立ちはだかっている。 ダン・ブランシュ(4356m)も今まで展望台から眺めていた姿とはまるで違うストイックな面持ちで氷河から屹立し、オーバーガーベルホルンの隣に望まれるようになり、展望台やハイキングトレイルから羨望の眼差しで見上げていた神々しい山々の領域に、いつの間にか足を踏み入れていることを実感した。

  有り難いことに傾斜の緩い雪稜には風も無く、しばらくは山頂を正面に見据えながらの快適な稜線漫歩となった。 ヘンドリー氏の天気予報は当たったようで、雲海はその高さを維持したままであり、贅沢にも雲の上で爽やかなアルプスの山の朝をまるで氏とたった二人で独占しているような錯覚を覚える。 これだからアルプスの山はやめられない。 間もなく雪稜は痩せ、最後はナイフリッジとなったが、昨日までにつけられたトレイルも明瞭で、歩行には全く問題はなかった。 ガイドブックの写真で見た“ガーベル(独語でフォークという意味)”と名付けられた顕著なコルが頂稜部の岩塔の左下にはっきりと見えた。 あとはあのコルから始まる核心部のルートのコンディション次第である。

  小さなピ−クの手前で稜線を少し外れて斜めに下ると、再びミックスの岩場となった。 しばらくアイゼンを着けたまま岩場を登り、傾斜がきつくなりルート上から雪がなくなった所でヘンドリー氏からアイゼンを外すようにとの指示があった。 今日はアイゼンを脱着する時が休憩タイムとなる。 上を見上げると、角張った大小の岩が複雑に重なり合い、先行しているパーティーも無いので、一見しただけではどこが正しいルートなのか全く分からない。 しかしさすがに地元の出身である氏は全く迷うことなく、巧みなルートファインディングでどんどん私を上へ上へと引っ張り上げる。 とても同じ歳とは思えないような氏のパワーに脱帽する。 息が弾むが負けてはいられない。 傾斜が一段ときつくなると、所々に地元のガイド氏らによって取り付けられたと思われる確保用のリングボルトが見られるようになった。 3級程度のクラック(岩の割れ目)の登攀が連続し、セルフビレイを取ってスタカットで登る。 ヘンドリー氏が上から「クラック!、クラック!(足を岩の割れ目にねじ込み、岩のへりをつかんで登りなさい)」と下から見上げている私に何度も繰り返し叫ぶ。 背中に当たる暖かい太陽の光が登攀の緊張感を和らげ、また氏が先行している間は休めるので、不足気味の酸素の補給も充分に出来て助かった。

  am8:00、山小屋を出発してから3時間でとうとう主稜線上のコル(ガーベル)まで辿り着いた。 ガイドブックの所要時間とぴったり同じだったので嬉しくなる。 意外にもヘンドリー氏から、ここで再びアイゼンを着けるようにとの指示があったが、愚かにもコルに着いた安堵感からか、その理由について全く気に留めることはなかった。 ちょうど良い休憩となったので、行動食を頬張りながら写真を撮る。 コルは日溜まりのように暖かく、休憩場所としては最高であった。 氏も初めてここで食べ物を口にした。 相変わらず雲海は山や谷を埋め尽くしたままであり、空は快晴である。 同じような状況であった2年前のバール・デ・ゼクランへの登山のことを思い出す。 ここから山頂までの標高差はもう200m足らずだと思われ、ガイドブックにも山頂まで1〜2時間と記されていたので、“もしかしたら、このまますんなり登頂出来るのでは”という甘い考えが一瞬脳裏をかすめた。

  am8:10にコルを出発。 いよいよ憧れの頂を目指してのラストスパートに入った。 コルからは稜線上ではなく、陽の当たらない裏側(西側)に回り込み、寒々とした西側斜面を斜上しながら頂上を目指すようだ。 ところが稜線の裏側に回り込むと状況は一変した。 先ほどまでの暖かな陽射しに恵まれ風も無い東側とは全く異なり、そこには強い風が吹き荒れていて、また岩という岩には2cmほどの“エビのシッポ”がびっしりと張り付き、一面真っ白になっていた。 ヘンドリー氏が先ほどアイゼンを着けるようにと指示したのはこのためであった。 岩を攀じ登る時はこのエビのシッポを払わなければならないが、岩に固くこびり付いているためとても厄介である。 素人の私はこの状況を見てすっかり絶望し、即座に“この先の核心部の登攀は私には無理だ”と判断し、恐らく氏からも“ここから先はご覧のとおりルートの状態が悪く危険なので、残念ですがここで引き返すことにします”という決定が下されるに違いないと思った。 しかし予想に反して氏は全く躊躇せず、高度感はあるもののまだ足場のしっかりしている岩壁を、強風をもろともせずどんどん先へと突っ込んで行った。 行き詰まる所までは行こうというのか、それともこの程度のことはこの山では織り込み済みなのであろうか?。

  強い風に凍えながらしばらく半信半疑でヘンドリー氏のあとを追う。 登攀用の薄手の手袋はすぐに濡れてしまったが、スペアに替えてもすぐにまた濡れてしまうので、冷たくて我慢が出来なくなるまで交換せずに頑張る。 岩壁をしばらく斜上し、核心部の登攀に入った。 乾いていれば3級程度の快適な岩だが、ベルグラならぬエビのシッポのせいで、上から氏に確保されながらスタカットで登る。 1ピッチが長くなると、先ほどまでは良い休憩であった待ち時間が、風の寒さで苦痛となる。 再び長いクラックの岩壁の下に着くと、そこには20mほどの長さのフィックスロープが垂れ下がっていた。 意外にも氏から、それを使って登るようにと指示があったので、これも地元のガイド氏らによって取り付けられたものだと分かった。 今日のような状況では本当にありがたく、芥川小説の『蜘蛛の糸』のワンシーンが頭に浮かんだ。 ロープにしがみつきながら、無我夢中で長い1ピッチを登り終え、次の1ピッチを登る前に上を見上げた時、ホームページの写真で見た独特の山頂の岩の形が目に入り、目を凝らすとその上に十字架のような物も見えた。 あと僅か50mほどである。 ありがたいことに風も収まってきた。 もうここまで来れば、氏も引き返すことなく、何とか山頂まで連れていってくれるに違いない。 先ほどまでとは違い、何が何でもあの頂に立ちたいと願った。 登攀ルートは再び稜線に合流するようになり、周囲も明るくなってきた。 最後はあっけないほど易しい稜線上の岩登りとなり、小さなギャップを挟んで指呼の間に山頂の立派な十字架が見え、やっと憧れの頂への登頂を確信した。

  am9:00、人待ち顔の十字架のキリスト様に迎えられ、憧れのツィナールロートホルンの頂に辿り着いた。 再び眼前にはヴァイスホルンが大きく望まれ、ヘンドリー氏に連れてきてもらっただけなのに、何か自分が凄いことをやり遂げたような錯覚に陥った。 ただ展望台から羨望の眼差しで眺めていた神々しい山々の一つの頂に、今こうして立っているのは紛れもない事実であった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 本当に頼もしい山男である氏に興奮しながらお礼を述べ固い握手を交わすと、意外にも氏から「今何時ですか?」と素っ気なく訊ねられた。 氏は時計をしていないのであろうか?。 「9時ちょうどです」と答えると、今度は「何時に山小屋を出発しましたか?」と訊ねられた。 「5時頃ですが・・・」と答えると、今度は何故かとても嬉しそうに「フォー・アワー!、パーフェクト(それは上出来だ)!」と褒めて?くれた。 エビのシッポの張り付いた十字架のキリスト様を抱きしめて、早速氏に記念写真を撮ってもらう。 今日は今まで感動を共にしてきた相棒の妻が隣にいなくて残念だ。 撮影が終わると、氏は“あとはどうぞお好きに”と言わんばかりに、少し離れた南側の陽当たりの良い所にどっかりと腰を下ろし、一人煙草を吸い始めた。 一方、私は憧れの山に登れたという達成感のみならず、素晴らしい展望を誇るこの山の頂に全く興奮が覚めやらない。 雲海に浮かぶマッターホルンの北壁は言うに及ばず、すぐ隣に聳えているオーバーガーベルホルン、ダン・ブランシュ、ヴァイスホルンの岩峰のカルテットの眺めが正に圧巻であった。 明日アタック予定のオーバーガーベルホルンの登攀ルートも良く見渡せた。 支峰のヴェレンクッペを越えていくそのルートは今日以上に遠く、また険しそうであったが、百戦錬磨の氏ならきっと私の夢を叶えてくれるだろう。 山頂から見える山に登りたくなるのが私の常だが、今回諦めたヴァイスホルンや計画外であったダン・ブランシュにも無性に登りたくなってきた。 雲海に浮かぶ周囲の山々の写真を何枚も撮り、いつの日かその頂に立つことを夢見て一人悦に入った。


妻の見送りを受けてヒュッテを出発する


未明のマッターホルン


満月の明かりに照らされたオーバーガーベルホルンとダン・ブランシュ(右)


南東稜から見たツィナールロートホルンの頂稜部(左の稜線の凹がガーベル・右端の凸が山頂)


雲海越しのモンテ・ローザ(左端)と辿ってきた南東稜(手前)


主稜線上のコル(ガーベル)直下の3級程度の岩場


ツィナールロートホルンの山頂直下


ツィナールロートホルンの山頂


山頂から見たヴァイスホルン


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たオーバーガーベルホルン(手前)とダン・デラン(奥)


山頂から見たダン・ブランシュ


山頂で寛ぐヘンドリー氏とドム(右)


山頂から見たメッテルホルン(中央)


  am9:20、あっと言う間に時間は経過し、ヘンドリー氏はおもむろに腰を上げた。 夢から現実に戻る時が来たのだ。 キリスト様に別れを告げ、もう二度と来ることは叶わない憧れの頂を後にした。 いつものように私が先頭になり、一旦解けた気合を入れ直して先ほどの記憶を呼び起こしながら稜線上を辿る。 間もなく陽の当たらない寒々しい西側斜面に入るとルートも不案内になり、一気に緊張感が高まった。 アイゼンを着けているため逆に足場が不安定で、全く気を抜ける所がない。 再び風も出てきた。登りでは3級程度だった岩壁が凍結のため4級にも感じる。 だが一番心配だったのは、何度か懸垂下降で下りた時のことであった。 懸垂で私が下に着いた後にヘンドリー氏が繋いでいるザイルを岩に絡めるだけの簡易な確保でクライムダウンしてくるのであるが、今日は他に登ってくるパーティーも期待出来ず、万が一氏が墜落して行動不能になった時に、一人で山小屋まで帰ることが出来るかどうか急に不安になった。 何も指示されてはいなかったが、登っている時以上に氏の動きに注目し、墜落に備えてザイルが弛まないように常に最適の状態に保つ。 しかしそんな素人のつまらぬ心配をよそに氏は巧みに下降を続け、私の不安も取り越し苦労に終わった。

  核心部の下降を終え、ガーベルのコルに向けて下っていく所で、ようやくオーストリア隊が登ってきた。 彼らはこの段階ですでに私達より2時間遅れであり、てっきり途中(ガーベルのコル)で引き返したものとばかり思っていた。 スムースにすれ違いが出来る所だったので、オーストリア隊のガイド氏がヘンドリー氏に先の状況を色々と訊ねていた。 技術はあっても初めての異国の山のガイドは大変だ。 クライアントも相当苦労していることだろう。 二人を励まして見送ると、間もなく3人のガイドレスのパーティーも相次いで登ってきたが、その後はもう誰にも出会うことはなかった。

  am10:25、登りよりも長い時間を費やし、ガーベルのコルに到着。 相変わらず風もなく日溜まりとなっているコルで10分ほど休憩する。 ヘンドリー氏は再び煙草に火をつけた。 空はますます青くなり、雲海は未だにその高度を保ったままだ。 相棒の妻もそろそろこの雲海を突き抜け、メッテルホルンへ向かうトレイルの途中からこちらを眺めていることだろう。 今日は一緒に同じ山を登れなくて残念だったが、違った視点での情報交換が楽しみだ。

  コルからの下降は岩も乾いているうえ、“生きて帰れる”という安堵感も加わって先ほどまでの緊張感は全く無くなり、またヘンドリー氏にも先を急ごうとする雰囲気が感じられなくなったため、所々で氏に断りながら山頂方向の写真を撮らせてもらう。 ナイフエッジの雪稜も鼻歌交じりに通過し、大きく雪庇の張り出した広い尾根で最後の休憩をした後、稜線を外れ少しザラメ状になり始めた氷河の斜面をどんどん下る。 登ってきた正しいルートの一部をショートカットする形で“登竜門”のクーロワールを下降し、最後の氷河を取り付きに向けて真っすぐにどんどん下る。 氷河の取り付きでアイゼンを外し、ザイルが解かれると、とたんに気が抜けてしまい、手袋を忘れてきてしまった。

  pm1:00前に山小屋に無事到着。 お礼の握手を交わすと、再びヘンドリー氏から「パーフェクト!、グッド・クライミング(今日は会心の登山でしたね)!」と労われ、明日のオーバーガーベルホルン登山に向けてのハードルを無事クリアーしたようであった。 着替えをした後、氏を誘い食堂で遅い昼食をとる。 天気が良いため食堂はとても暖かく、昨日の寒さが全く嘘のようだ。 氏の勧めで『レシュティ』(地元の家庭料理で、短冊状に切って焼いたジャガイモの上に、卵、ソーセージ、ホウレン草等を乗せたもの)を注文したが、町のレストランでもこんなに美味しいものは食べたことがないほど美味しかった。 昨夜の夕食もそうであったが、この山小屋の女性スタッフは本当に料理上手だ。

  昼食後はヘンドリー氏との歓談もそこそこに明日に備えて昼寝を決め込んだ。 ふと、妻の安否が気になったが、石橋を叩いても渡らない性格だから大丈夫であろう。 夕方近くに目を覚まして山小屋の中をぶらぶらしていると、オーストリア隊のガイド氏と再会した。 今日の登頂を祝して雑談を交わすと、当初マッターホルンを登る予定でツェルマットに来たが、まだルートの状態が悪くて登れないので、急遽この山(ツィナールロートホルン)を登ることになったとのことであり、明日はツェルマットに下山後、ヘルンリヒュッテに行き、イチかバチか明後日マッターホルンにアタックされるとのことであった。 ヨーロッパアルプスの一端が属するオーストリアにも素晴らしい山は沢山あるが、日本と同様に4000mを超える山がないので、オーストリアの登山愛好家もスイスの4000m峰には強い憧れがあるらしい。 私も将来、オーストリアの最高峰であるグロース・グロックナー(3798m)やオルペラー(3478m)やハービヒト(3280m)といった名山に是非登りたいという話をすると、「ここに連絡を頂ければ私か他の者が案内(ガイド)しますよ」と言って、『ポール・ホーバル』と記されたチロルのガイド組合の名刺をいただいた。

  pm6:30、夕食の時間となり食堂に行くと、今晩はフランスから来たという(ガイド?)パーティーと同席することとなった。 彼らも明日はオーバーガーベルホルンに登られるとのことだったので、「私は全くの素人なんですが、今日は隣にいる素晴らしいガイドさんにツィナールロートホルンに連れていってもらったんです。 明日はオーバーガーベルホルンまで背負っていってもらう予定です」とジェスチャーを交え話しかけたところ、片方のガイドらしき人が、「貴方のガイドさんはとても報酬が高い。 私は公認のガイドではないので、報酬?はとても安いんです。 ただし安い分クライアントは大変なんですよ!」と隣にいる中年の男性客を見ながら笑い飛ばし、食卓は和やかな雰囲気になった。 夕食の献立はスープ(ミネストローネ)、菜っ葉のサラダに続き、メインディッシュはチキンソテーであったが、インゲンのベーコン巻きや冷凍ではないポテトフライも添えられ、とても3000mを超えた山小屋で作った料理とは思えないほど美味しかった。 食後は昨日同様フランス隊のガイド氏がヘンドリー氏にルートの状況を詳しく訊ねていた。 多分彼も初めての山なのであろう。 私も明日のスケジュールを氏に確認すると、今日と全く同じで、am4:00から朝食が始まり、食べ終わり次第の出発で良いとのことであった。

  pm8:30、明日の長い行程に備えて早々に就寝したが、間もなく誰かが部屋に入ってきて私を起こした。 何か緊急の用事かと思って慌てて起きたが、その人はトリフトヒュッテで妻から私宛の手紙を託され、わざわざ届けてくれたのであった。 単独行の妻も無事だったようで安堵した。


南東稜から見たオーバーガーベルホルン(右)とマッターホルン(左)



南東稜から見たオーバーガーベルホルン(左)とダン・ブランシュ(右)


南東稜から見たヴァイスホルン


南東稜から見たメッテルホルン


  【オーバーガーベルホルン】
  9月1日、am3:30起床。 屋外のトイレに行くと、昨日と同じ満天の星空であり、満月が煌々と輝いていた。 もともとの天気予報も今日は快晴であったため、早くも心が弾む。 身支度を整えて食堂に行くと、すでにフランス隊は慌ただしく朝食を食べ、少し遅れて入ってきたヘンドリー氏と入れ替わるようにして出発していった。 今日は山頂への往復に10時間以上かかることが予想されているので、私も昨日より幾分早く朝食を済ませ、am4:45に氏とアンザイレンして山小屋を出発した。

  ゴロゴロとした大きな岩の上を5分も歩かないうちに氷河への取り付きとなり、すぐにアイゼンを着ける。 遙か前方の氷河上にはフランス隊を含む先行パーティーのヘッドランプの灯がいくつか揺れている。 取り付きからは傾斜の殆ど感じられない緩やかな登りが続き、まだ目覚めていない体には嬉しい限りだ。 またヘンドリー氏も決して飛ばそうとはせず、普通の歩みを続けていく。 難易度の高い山なので、ルート上にこういう楽な区間があると嬉しくなる。 “もしかしたら今日も夢が叶うかもしれない”と考える心の余裕さえ生まれた。

  ところが、そんな悠長な気分に浸ったのも束の間、何故か突然気分が悪くなり始め、そのうちお腹も少し痛くなってきた。 訳の分からない突然の不可解な体の変調にひどく動揺したが、こんなことで弱音を吐いたら山には連れていってもらえないので、ヘンドリー氏には内緒で騙し騙し歩を進めていった。 岩稜登攀のように息が切れるほどのペースではないのが救いだが、“こんなつまらないことで潰れてしまったら本当に情けない”と気が滅入る。 オーバーガーベルホルンの支峰であるヴェレンクッペに向けて氷河上を左へ回り込むようにして進むと、間もなくクレバス帯となり、冷たい風が上から吹き下ろしてくるようになった。 クレバスを大きく迂回しながらやり過ごすと、氏のペースが少し早くなったような気がした。 このままの状態では先が思いやられるが、今日の登山にこぎ着けるまでの長い道のりを考えると、最悪でも何とかヴェレンクッペまでは登りたいと願った。 突然ヘンドリー氏が後ろを振り返り、「月がとても明るいので、ヘッドランプを消していきましょう」と声を掛けた。 この指示が単に氏の情緒的な理由によるものなのか、前後のパーティーに所在を知られたくないという戦略的な?理由だったのかは定かでないが、灯を消すと気持ちは更に暗くなった。 レモン味の飴玉をしゃぶって気分の悪さをごまかす。 氷河は次第に勾配を増し、また前日までの入山者が少なかったことを物語るかのように、トレイルは脛ぐらいまで新雪に足が潜るようになった。

  am6:10、山小屋から1時間半ほどで広大なトリフト氷河を渡り切り、ヴェレンクッペの岩壁の基部に着いた。 休憩するにはちょうど良い広場があり、先行していたフランス隊と3人組のガイドレスと思われるパーティーが休んでいた。 出発した時点ではかなり差があったのにもう追いついてしまった。 背後にはツィナールロートホルンのシルエットが大きく浮かび、東の空は茜色に染まり始めていた。 ここから先の岩場では休憩する所が無いのであろう、ヘンドリー氏は登攀に備えザイルを短めにセットしながら、「何か食べたり飲んだりしますか?」と休憩を促した。 お腹の調子の悪さは僅かに回復したようであったが、行動食は食べずにアミノ酸入りの温かい紅茶を一口だけ飲んだ。 意を決して?、氏にお腹の辺りを指しながら「リトル・ビット・バッド(お腹の調子が少し悪いのですが・・・)」とさり気なく訴えてみたが、意味が通じなかったのか、それとも私の造り笑顔に騙されたのか、氏は全く気に留めていない様子であった。 氷河上にはまだ幾つものヘッドランプの灯が揺れていたが、皆ヴェレンクッペへのガイドレスのパーティーで、最初からオーバーガーベルホルンの頂を目指していたのは、結局私達を含めここにいる3パーティーだけであった。

  写真を撮っている間に他のパーティーは相次いで出発していった。 アイゼンは外さずにヘルメットを被り、5分ほど休んだだけで私達も彼らの後を追った。 私は内心ホッとした。 先行するパーティーがいるため、この先の登攀では“順番待ち”をすることが予想され、結果的にゆっくり登れるからだ。 しかしこの甘い期待は百戦錬磨の登山家であるヘンドリー氏によって見事に裏切られた。 周囲がまだうす暗いため遠目には分からないが、正しいルート上はミックスとなっており、既にアイゼンを外していた先行パーティーは所々で迂回を余儀なくされ苦戦していた。 それに引き換えルートを熟知している氏は、その状況を見て先行パーティーの後には続かず、急な雪壁のような所を選んで、アイゼンを蹴り込みながら私のためにステップを作り、素早く私を引っ張り上げた。 さすがに高報酬だとサービス?も良い。 結局取り付きを出発してから僅かの間に先行パーティーを追い越してしまった。 後続となった他のパーティーはルートファインディングに手を焼き、私達の動向を気にしている様子がありありとうかがえた。

  間もなく正しいルートと思われる所に合流したようであったが、ヘンドリー氏は先ほどの私の“直訴”にも耳を貸さず、なおも私をグイグイと引っ張り上げ、後続パーティーはあっと言う間に視界から消えた。 岩壁の傾斜が強まり、雪がほぼルート上から無くなった所で、氏からアイゼンを外すようにとの指示があり、急いでアイゼンを外し、後続パーティーの姿が見える前に再び登攀を開始した。 酸っぱい飴玉の効果があったのか、ありがたいことに気分の悪さはだいぶ和らいできた。 また一番心配していた風も全く無く、これで何とかヴェレンクッペまでは登れそうな気がして安堵した。 コンティニュアスで登る時は一生懸命氏のペースについていくが、スタカットで登る時は意識的にゆっくりと登るようにして体力の温存に努める。 後続パーティーに追いつかれない限り、氏も大目に見てくれるだろう。 左手には朝陽に照らされ淡く輝き始めたマッターホルンの北壁が大きく望まれ、その目を見張るような素晴らしい景観に体調の悪さも忘れてしまうほどであった。

  am7:00前、険しい岩稜帯から突然平らな広場のような所に飛び出すと、その直後に待望の御来光となった。 正面には台形のヴェレンクッペの頂稜部が純白の衣裳を纏って鎮座し、スキー場のスロープのような広い斜面の上には、一筋の明瞭なトレイルがその頂に向かって印されていた。 傾斜も緩そうで山頂までここから20分とはかからないだろう。 相変わらずこの広場にも風が無く、昇ったばかりの太陽の恵みを受けてとても暖かい。 ヘンドリー氏から再びアイゼンを着けるようにとの指示があり、図らずも絶好の撮影ポイントで休憩することとなった。 北の方角には昨日登ったツィナールロートホルンがマッターホルンの北壁に負けない迫力で聳え立ち、その頂の右にはヴァイスホルンの頂稜部が顔を覗かせている。 生憎ミシャベルの山々やモンテ・ローザグループは逆光であるが、ありがたいことに今日は予報どおりの雲一つ無い快晴の天気となった。 素晴らしい景色が良い薬となったのか、体調もだいぶ良くなってきたが、まだまだ安心は出来ない。 空腹感はあったが行動食を食べるのは我慢し、再び温かい紅茶だけを飲んだ。

  10分ほどゆっくり休憩した後に眼前のヴェレンクッペの頂を目指して出発したが、後続パーティーはまだ現れなかった。 見た目以上にしっかりした踏み跡がつけられたトレイルに助けられ、拍子抜けするほど簡単に雪のスロープを登り切り、10分足らずで第一関門であるヴェレンクッペ(3903m)の山頂に辿り着いた。 すぐに目に飛び込んできた本峰のオーバーガーベルホルンは、期待を裏切ることのない神々しさで私を圧倒し、そのすぐ右隣にはダン・ブランシュが寄り添うように聳え、その迫力のある景観に付加価値を付けている。 ルート上の難所として恐れられている“大ジャンダルム”と名づけられた岩稜のピークも朝陽に照らされて良く分かる。 ルートや体調次第でこの先どうなるか分からないので、ヘンドリー氏にお願いして一枚だけ写真を撮らせてもらう。 山小屋を出発してから約2時間半が経過し、先日イワン氏から言われた所要時間である5時間のちょうど半分の時間で中間点のヴェレンクッペの頂に着くことが出来たので、ここまで来たら何が何でもあの頂を踏みたいと願った。

  am7:20、いよいよ憧れのオーバーガーベルホルンに向けてヴェレンクッペの頂を出発。 私が先頭になり幅の広い雪稜をコルに向けて下る。 もちろん昨日と同様私達が一番乗りで、前後には全く人影は見えない。 トレイルは先ほどまでの立派な踏み跡とはまるで違う数パーティーの足跡だけとなり、所々にラッセルした苦労の跡も見られ、宿帳にも記されていたとおり、ヴェレンクッペまでのガイドレス登山が圧倒的に多いことが良く分かった。 雪稜は次第に痩せ、ナイフリッジとなった。 稜線上は雪庇となっているのであろうか、踏み跡は一段下がった北側の斜面につけられていた。 標高差で100mほど下るとコルに着き、ここから先は再びヘンドリー氏が先頭になり、登り一本調子の易しい雪稜を登る。 相変わらず不気味なほど風は無く、どうやら山の神に歓迎されたようであった。 氏のペースもゆっくりとなり、私の体調もだいぶ良くなったようで、にわかに登頂への期待が高まってきた。

  間もなく大ジャンダルムの基部に着き、再びミックスの岩登りとなった。 今回もアイゼンは外さずに登ることになったが、先ほどのヴェレンクッペへの登りに比べると明らかに岩のグレードは上がり、クラックが中心の3級の箇所が多くなった。 残置スリングやリングボルトが要所要所にあったが、雪が無いことを前提にこれらの支点が設けられているため、アイゼンの前爪を僅か数cmの岩棚に乗せて登ることもしばしばで、登攀には体力を要した。 しかし相変わらず稜線上には風が無く、太陽の光を浴びながらゆっくりとホールドやスタンスを探して登ることが出来て助かった。 もしこうした環境に恵まれなかったら、素人の私はすぐに困難な状況に追い詰められてしまうだろう。 最後の核心部には長さ10m、直径が3cmほどの荒縄のようなロープが太い鉄杭を支点に上から3本ぶら下がっていた。 ちょうどマッターホルンにある固定ロープのような感じで、意外と簡単に登ることが出来たが、最後の1本を使ってジャンダルムの頂上まで登ることなく、2本目を登り終えた所から、右へトラバース気味に巻くルートを進み、再び痩せた岩稜の登下降を繰り返して大ジャンダルムの登攀を終えた。

  再び登り一本調子の雪稜の登りとなり、雪庇の張り出している稜線から数メートル離れた右の斜面につけられた足跡のトレイルを登っていく。 山頂までの標高差もあと200mほどとなり、このまま足跡のトレイルをひたすら辿って行けば、山頂直下の岩場の取り付きまで何の問題もなく行けるだろうと思った。 また、お腹の調子も良くなってきたので、もう山頂も夢ではないと密かに思い始めたが、そんな素人の甘い考えはこの山には通用しなかった。

  15分ほどゆっくりとしたペースで足取りも軽く登っていくと、次第に勾配が急になり始めた。 下から見上げた時はこの辺りから稜線上の岩場に取り付くのであろうと思っていたが、雪庇の張り出しが大きいため、すぐには岩場に取り付くことが出来そうにない。 そうなると選択肢は山頂直下まで続く北側の雪の急斜面を登るしかないが、この斜面は上方で50度以上の斜度があり、数百メートルの長さにわたって下の氷河まで続いている。 スリップしたら最後、途中では絶対に止まらない。 気が付くと、いつの間にか足跡のトレイルは無くなっていた。 ヘンドリー氏は立ち止まって上を見上げながら、どの辺りで岩に取り付こうかと思案している。 その傍らで臆病な私は再び昨日のように“ここから先は危険過ぎて無理だ”と決めつけて尻込みをしていた。 そんな私の心配をよそに氏の決断は早く、そのまま怯むことなく北側の急斜面に向かって登っていった。 斜面の角度が急になるにつれて風の当たり方が強いのであろうか、先ほどまでとは明らかに雪質が異なり、表面が固くクラストしていた。 氏は再び立ち止まり、右手で繋いでいるザイルの一方を握って私を確保しながら、左手でピッケルを振り上げて、そのブレードの部分で器用に足場を切り始めた。 砕けた氷がガラスの破片のように容赦なく飛んでくる。 何かの本で読んだことはあったが、実際に目で見るのは初めてであった。 いくら高報酬とは言え、急な斜面に30cm位の間隔で足場を作ることは大変手間が掛かる作業である。 私の道楽のために地道な作業を繰り返している氏には本当に申し訳ないが、もう黙って氏の後について行くしかなかった。 足場にアイゼンを斜め横から置き“二の字”の登りが繰り返し続く。 僅か30mほどの標高差を30分ほど費やして凍った急斜面を登ると、ようやく稜線上に岩が露出している所が現れ、無事取り付くことが出来た。 岩場は相変わらずミックスとなっていたが、先ほどの大ジャンダルムの登攀に比べれば容易であった。 そして何よりも二日続きの山行で、氏との呼吸が合ってきたことが登攀をよりスムースにしているような感じがした。 いよいよ今度こそ憧れの頂へのラストスパートに入った。 もう恐れるものは何もない。 無我夢中で岩を攀じる。 間もなく視界には青空の占める割合が大きくなり始め、その僅か数分後には眼前に遮るものなくダン・ブランシュの雄姿が大きく望まれた。 思わず拳を握りしめて「やったぜー!!」と心の底から叫ぶ。

  am9:10、未明に山小屋を出発してから4時間半ほどで、憧れのオーバーガーベルホルンの山頂の一角に辿り着いた。 そのまま10mほど凸凹の岩の上を歩いていくと山頂らしい所があったが、十字架は立っていなかった。 ヘンドリー氏は山頂はさらにあと10mほど先に行った所だと説明してくれ、ほんの僅かだけ高い雪庇の上までわざわざ導いてくれた。 雪庇の先にはマッターホルンの“弟分”であるダン・デラン(4171m)が荒々しい面持ちで氷河から屹立し、ダン・ブランシュにも負けない迫力で望まれた。 雪庇の上は危ないのですぐに岩の露出した所まで引き返す。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!、オーバーガーベルホルン・イズ・マイ・ドリーム!!」。 昨日に続き、素人の私を憧れの頂へ導いてくれた氏に体全身で感謝の気持ちを表現し、両手で拝むように固い握手を交わした。 突然の体調不良で一時は登頂も危ぶまれたが、展望台から羨望の眼差しで眺めていた神々しい山の頂に立つことが出来てもう何も言うことはない。 今回は第一目標のヴァイスホルンに登ることはもう叶わないであろうが、この素晴らしい山の頂を踏めたことで十二分に満足出来た。 氏は私の記念写真を撮り終えると、昨日同様に一段下がった陽当たりの良い場所を陣取り、煙草に火をつけた。 その後ろ姿には正に職人(登頂請負人)の雰囲気が漂っていた。 昨日のツィナールロートホルンの頂に続き、この山の頂も大変展望に恵まれていた。 同峰を取り囲むように聳えているマッターホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルン、ダン・ブランシュ、ダン・デラン等の山々は昨日と大きく変わる訳ではないが、昨日は雲海が谷を埋め尽くしていたため、今日の方が高度感が凄くてリアルである。 雲一つ無い快晴無風の頂からは周辺の山や谷や氷河は隅々までくまなく望まれたが、逆に町や人家というものは全く見えない。 目を凝らすと、遥か遠くの足下にスネガの展望台が豆粒のように見えた。 確かにあそこからここを見上げたら、とても素人が行ける所だとは思えないだろう。 心配性の妻は今頃どこかでこの山を眺めながら、私の安否を気にしているに違いない。 一方、私は360度の大パノラマに興奮しながら、同じような構図の写真を何枚も何枚も撮り続けることしか術が無かった。


東の空が茜色に染まり始める


朝陽に照らされるヴェレンクッペの頂稜部


朝陽に照らされるツィナールロートホルンと右肩の南東稜から顔を出すヴァイスホルン


朝陽に照らされるマッターホルン


ヴェレンクッペの山頂から見たオーバーガーベルホルンとダン・ブランシュ(右)


オーバーガーベルホルンの山頂


山頂から見たダン・ブランシュ


山頂から見たツィナールロートホルン(手前)とヴァイスホルン(奥)


山頂から見たマッターホルン


山頂から見たダン・デラン


山頂から見たモンテ・ローザ(左)・リスカム(中)・ブライトホルン(右)


山頂から見たドム(中央)


山頂で寛ぐヘンドリー氏


  am9:30、ヘンドリー氏が腰を上げた。 天候も安定しているため、私が強く希望すればもう少し山頂に留まることは出来そうであったが、素人の私にも先ほど登ってきたルートを下ることが困難であることは分かっていたので、山頂に固執する気は全くなかった。 二度と来ることは叶わない頂に別れを告げ、また下山後に展望台から眺めることを楽しみに下山にかかった。 いつもどおり私が先頭になり、後ろからヘンドリー氏に確保されながら稜線上の岩場を下る。 全く急ぐ必要は無いので、アイゼンの爪を引っ掛けないように注意しながらゆっくりと確実に下る。 今日は昨日のように岩にエビのシッポが張り付いていることもなく気が楽だ。 そろそろ岩場も終わろうかという所で下から声が聞こえ、フランス隊と3人組のガイドレスのパーティーが相次いで登ってくるのが見えた。 すでに私達より1時間ほど遅れているが、彼らは氏の作った足場を登る恩恵を受けることが出来たはずだ。 すれ違い際にフランス隊のお客さんを励してエールを送ると、彼からも登頂祝いの言葉が返ってきた。 岩稜の下降を終え、先ほどの急な雪の斜面の下りとなる。 足場は逆に彼らのお陰で立派になり、目が眩むほどの急傾斜も怖いと感じることはなかった。 しかし下りでは何が起こるか分からないので、一歩一歩足元に集中しながら慎重に下る。 間もなく傾斜は緩み、しばらく快適な雪稜を下った後、再び大ジャンダルムの登下降となったが、体調が良くなったためか登攀もスムースで、全く問題なくクリアーすることが出来た。 コルからはヘンドリー氏が先頭になり、ヴェレンクッペへと100mほど登り返した。

  am11:20、山頂から約2時間で再びヴェレンクッペの頂を踏んだ。 先ほどはただ通過しただけだったので、ヘンドリー氏にお願いして記念写真を撮ってもらう。 この頂を単にオーバーガーベルホルンの支峰として片づけるか、独立したピークの一つとして見るかどうかの議論は他に譲ることにして、この頂からの展望も本当に素晴らしく、地元の登山愛好家がガイドレスで登ってくる理由も納得出来る。 先ほどは思わず息を呑んだ本峰への登攀ルートや大ジャンダルムもすでに懐かしい思い出となった。 ヴェレンクッペの頂から5分ほどで雪のスロープを下り、アイゼンを外してトリフト氷河の取り付きに向かって岩場を下降する。 ミックスの岩場もだいぶ雪が溶けたようで、登りの時とは違い正規のルートを下る。 氷河の取り付きで再びアイゼンを着け、15分ほど大休止をした後、“ウイニングラン”にしては長過ぎるトリフト氷河を下る。 早朝の体調不良の原因は一体何だったのであろうか・・・?。

  pm1:20、山頂から約4時間で山小屋に到着。 再びヘンドリー氏と力強く握手を交わしてお礼を言うと、氏から今日も「グッド・クライミング!」との言葉が返ってきた。 早速氏を食堂に誘い、昼食を兼ねた2日間の山行の打ち上げを行う。 氏は2缶のビールをあっと言う間に空けてしまった。 今日も昼食にレシュティを注文したが、昨日とは違うトマトの乗った別バージョンであった。 たまたま食堂に居合わせた氏の知人のガイド氏に記念写真を撮ってもらったが、氏は悪戯っぽく私の前に自分の飲み干した空のビールの缶を置いたりしてとても上機嫌だった。 二日間にわたり私の夢を叶えてくれた登頂請負人の氏に、感謝の気持ちを込めて100フランのチップを手渡し、メールアドレスを訊ね帰国後に山行中の写真を送ることを約束した。

  ささやかな打ち上げを終えると、ヘンドリー氏は登攀具で武装した勇ましいガイドから短パン姿の“ハイカー”に変身し、明日の仕事に向けて颯爽と山を下りていった。 ツェルマットまでここから1500mの下りであるが、たぶん氏の足なら2時間位で着いてしまうのであろう。 氏を見送ってから私も着替えと荷物の整理を済ませ、山小屋のスタッフにお礼を言って思い出深いロートホルンヒュッテを後にした。 往復8時間以上も歩き続けた直後であったが、憧れの山に登れた満足感で足取りは軽い。 また今日は午後に入ってからも快晴の天気は続き、逆光ではあるが目の前に屏風のように広がるモンテ・ローザグループの銀嶺を眺めながらの下山は、まさに登山者冥利に尽きるものであった。 所々で後ろを振り返り、昨日・今日の思い出に浸りながらも、残りあと3日となった滞在日の間に、どこかもう一山登ろうと思案を巡らす。

  山上のオアシスであるトリフトに近づくと、山小屋の傍らに人がポツンと佇んでいるのが見えた。 目の悪い私にもそれが妻であることがすぐに分かり、ストックを振り回して応えた。 もちろん目の良い妻の方はずっと前から分かっていたようであった。 私のことが心配で、わざわざツェルマットから迎えにきてくれたのかと思ったところ、昨日は予定どおりメッテルホルン(3406m)の頂を目指したが、途中まで霧が濃く(雲海の下だったので)、また山頂付近の雪が多かったため登頂を断念し、今日再びツェルマットのホテルから標高差が1800mある同峰にアイゼンを着けて登り、先ほどこの山小屋に下ってきたとのことであった。 日頃からモチベーションの低い妻にそんな芸当が出来るものかと驚かされた。 以前田村さんに勧められたメッテルホルンは、期待に違わず素晴らしい展望の山であり、またその頂稜部はとてもユニークな形をしていたとのことであった。 私も報告したいことは山ほどあったが、自分だけ大枚を叩いて良い思いをしたので、とりあえず控えめな登頂報告をするに留めた。 もう急ぐ必要は全く無くなり、二人ともかなり疲れていたので、足を労りながらゆっくりツェルマットへと下った。

  pm6:30、ロートホルンヒュッテから3時間半ほどかけてツェルマットに着き、そのまま駅前のマクドナルドに直行して簡単に夕食を済ませた。 ホテルに帰り久々に風呂に入って汗を流すと、目標を達成した安堵感で気が緩み、明日の計画も立てずに寝てしまった。


辿ってきた稜線


ヴェレンクッペの頂稜部


ヴェレンクッペの山頂(背景はツィナールロートホルン)


ヴェレンクッペの岩壁の基部


トリフト氷河を下る


トリフト氷河から見たツィナールロートホルン


トリフト氷河から見たヴェレンクッペ


ロートホルンヒュッテの食堂でヘンドリー氏と


屏風のように広がるモンテ・ローザグループの銀嶺を眺めながら下山する


トリフトから見たカストール(中央左)とポリュックス(中央右)


素晴らしい展望のメッテルホルンのユニークな頂稜部(妻の撮影)


メッテルホルンの山頂から見たオーバーガーベルホルンとダン・ブランシュ(右)(妻の撮影)


  【回想のハイキング】
  9月2日、am6:30起床。 今日もホテルの窓からマッターホルンの朝焼けを見ることが出来た。 山肌の雪もだいぶ溶け、登山解禁は近そうであった。 一昨日知り合ったオーストリア人のパーティーは、果して今日予定どおりアタックしているのであろうか?。 am7:00の天気予報では、今日は晴れのち曇り、明日も大体同じであるが、夕立が予想される少し変わりやすい天気で、明後日だけが晴れの天気になっていた。 朝食のバイキングを久々にゆっくり堪能し、残り3日となった今日以降の予定を色々と思案する。 今日もまずまずの天気になりそうであったが、まだ行ったことのない所に行ってみたいという気持ちよりも、登った山々を眺めて思い出に浸りたいという気持ちが勝り、また明日と明後日でどこかもう一山登ることを念頭に入れ、今日は休養日として手軽な展望台への散策に留めることにした。

  am9:00過ぎにホテルを出発し、今回の登山の原点となったスネガの展望台(2288m)へ地下ケーブルで上がる。 もちろん今日の主役はマッターホルンではなく、その取り巻きの山々である。 嬉しいことに予報以上の晴天となり、展望台の周辺からはお目当ての岩峰のトリオ、即ち、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンが、爽やかな青空の下に悠然と頭を揃えて並んでいる姿が望まれた。 もちろんその左手にはマッターホルンも相変わらず孤高を誇っている。 良いガイドと良い天気に恵まれれば、素人でもあの険しい峰々に立つことが出来ることにあらためて感謝し、今回夢が叶ったツィナールロートホルンとオーバーガーベルホルンをしみじみと眺めながらその頂への道のりを回想したが、幸か不幸かマッターホルンを登った時のように感激で涙腺が緩むことは無かった。 ここ数年アルプス詣でが続いているためであろうか?。

  スネガからさらに上のブラウヘルト(2571m)まではゴンドラが運行されているが、足でゆっくりと標高を稼ぎながら刻々とその表情を変えていく山々の写真を撮り続ける。 ブラウヘルトに近づくにつれ、一部が前山に遮られていたヴァイスホルンやダン・ブランシュがより良く望まれるようになり、ヴァイスホルンの登攀ルートである東稜を双眼鏡で覗きながら何度も目で辿る。 スネガから1時間半ほどでブラウヘルトに着くと、意外にも駅舎の北側の陽の当たらない所に、沢山の黒い顔の羊達が暑さを逃れて?群れていた。 青空に少し雲が浮かぶようになってきたため、ブラウヘルトからは大型のロープウェイに乗って最上部の展望台であるウンターロートホルン(3103m)へ上がる。 お昼近くということもあって、レストランのテラスは大勢の観光客で賑わっていた。 展望台からは直線距離はさほど変わらないが、マッターホルンは遠ざかり、逆にヴァイスホルンが大きく望れるようになった。 その三角定規を立てたような端正な容姿は、正に“アルプスで最も美しい山”の名声に恥じない羨望の山である。ヴァイスホルンとしばらく対峙し、その遙か遠い頂に思いを馳せる。 “この山を登らずしてアルプスの山に登ったと言えるだろうか・・・”。 昨日までの感動も忘れ、憧れは募るばかりであった。

  9月になったというのに陽射しは強烈で、展望台の周囲から一通りの写真を撮り終えると、日焼けを防ぐため先ほどの羊達のように日陰に逃げ込む。 山々をのんびり眺めながら明日以降に登る山のことを思案していると、ふと、眼前のカストール(4228m)が目に止まった。 ここから望むカストールは、純白の頂稜部だけが稜線上に僅かに顔を覗かせているだけであまり見栄えはしないが、ツェルマットから日帰りで登れるというメリットがあり、またモンテ・ローザグループの中心に位置しているため、その頂からはユニークな展望が期待出来そうだ。

  2時間ほどウンターロートホルンの展望台でのんびり過ごした後、憧れのヴァイスホルンを終始正面に望みながら、トゥフテルンという小さな集落を経由してツェルマットまでハイキングトレイルを下ることにした。 9月に入った平日ということもあり、スネガやウンターロートホルンの展望台の喧騒が嘘のように殆ど人に出会わない。 所々で足を止めては眼前に大きく鎮座するヴァイスホルンの写真を撮り、今回は叶わなかったが、いつの日かあの憧れの山の頂に立つことを自らに誓った。 上空は青空であったが、いつの間にかマッターホルンは雲に覆われ始めていた。 pm5:30にホテルに戻る。 軽い散策のつもりが、気がつくと登り400m・下り1500mの立派なハイキングになっていた。 天気予報どおり昼間の天気はまずまずであったが、にわかに空模様は怪しくなり、間もなく激しい雷雨となった。


ホテルの窓から見たマッターホルン


スネガの展望台付近から見たオーバーガーベルホルンと支峰のヴェレンクッペ


スネガの展望台付近から見たツィナールロートホルン


スネガの展望台付近から見たマッターホルン


ウンターロートホルンから見たオーバーガーベルホルンとダン・ブランシュ(左)


ウンターロートホルンから見たヴァイスホルン


ウンターロートホルンから見たマッターホルン


  9月3日、am6:30起床。 幸運にも今朝もホテルの窓からマッターホルンの朝焼けを見ることが出来た。 am7:00の天気予報では、今日も昨日と同様に夕立が予想される少し変わりやすい天気ということであった。 明日はカストールに日帰りで登ることを決めたため、今日も遠出はせず、昨日に引き続き“回想のハイキング”に出掛けることにする。 目的地はマッターホルンの登山口でもあるシュヴァルツゼー(2583m)だ。 シュヴァルツゼーはマッターホルンの下見や登山で過去に何度も訪れたことのある私のお気に入りの場所であり、マッターホルンの偉容を真下から仰ぎ見る展望所であると同時に、シュヴァルツゼー(湖)越しのオーバーガーベルホルンの眺めが絵になる所だ。 昨日・今日とオーバーガーベルホルンを眺めるのに絶好のポイントに足が向いてしまうのは、すっかりこの山の魅力に取りつかれてしまった証拠である。

  明日・明後日は早朝の出発のため、ホテルでの朝食のバイキングは今日で最後である。 バイキングをゆっくりと堪能した後、am8:30にアルパインセンターに行き、オルウェルさんに明日予定のカストールのガイドの予約を申し出る。 ガイド料の安い3人のグループ登山という選択肢もあったが、確実性を期するため、通常どおりの手配とした。 ガイド料は2人で616フラン(邦貨で約55400円)であり、登山口となるクラインマッターホルンまでのゴンドラとロープウェイの切符も発券していただいた。 ガイド氏とはam6:50にゴンドラ乗り場で待ち合わせをして下さいとのことであった。 「ところでサカイさんは山(4000m峰)をいくつ登りました?」。 思いがけないオルウェルさんからの問いかけに、「20ほどです」とざっとの数を答えたとろ、ニッコリ笑って「それは凄い!」と褒められた。 もちろんこれは社交辞令であるが、ヨーロッパでは4000m峰が日本の『100名山』のようにブームとなっているようだ。 後であらためて正確に数えてみると、アイガー等は4000m峰には入らないため、この時点ではまだ16座であった。 オルウェルさんと雑談を交わしていると、マッターホルンを800回もガイドした(登った)という名物ガイドのウィリー氏(68歳)が偶然受付に現れたので、握手を交わして記念の写真を撮らせてもらった。 氏はとても愛想良く「明日は良い天気になりますから心配は要りませんよ」と予言して私達を見送ってくれた。

  アルパインセンターを出て町外れのゴンドラ乗り場へと向かう。 途中駅のフーリーで支柱が新しく付け替えられたゴンドラに乗り換えると、以前のシュヴァルツゼーの駅舎よりも少し上の所に新しい駅舎が建てられていた。 駅舎を出るとすぐに足下にシュヴァルツゼー(湖)が見えた。 3年ぶりの懐かしい景色に心が弾む。 湖越しに今日から登山解禁となったマッターホルンを見上げる。 度重なる降雪のため、結局今シーズンは1か月近くもクローズしていたことになり、あらためてこの山の頂に立つことの難しさを思い知らされる。 ヘルンリヒュッテに向かうトレイルを少し登った所で仁王立ちし、荒々しい屏風のような岩峰のミッテルガーベルホルンのさらに奥に、支峰のヴェレンクッペを従えて堂々と鎮座しているオーバーガーベルホルンを眺め、湖越しに何枚も同じような写真を撮る。 昨日は少々ヴァイスホルンに浮気をしたが、やはりオーバーガーベルホルンはどこから見ても趣のある素晴らしい山であり、幸運にもその頂に立つことが出来た私は本当に果報者だと一人悦に入った。 湖の対岸には小さな白い礼拝堂がポツンと佇み、いかにもアルプスらしい風景を演出している。 時折小さな雲がどこからともなく湧いてきてはオーバーガーベルホルンの山頂を覆い隠し、またしばらくするとどこかに消えてゆく。 その自然の営みは永遠に繰り返されるように思えた。

  妻に促され、湖畔に下りて礼拝堂に向かう。 実は今日ここを訪れた目的はもう一つあった。 マッターホルン登山の指導を仰いだ恩師の高橋さんの奥様が今春急逝され、そのご冥福を故人の思い出の地の一つと思われるこの湖畔の小さな礼拝堂でお祈りしようというものであった。 礼拝堂の中に入ると、祭壇にはローソクの火が灯り、以前訪れた時と同様に清潔に保たれた室内からは地元の人達の信仰心の深さが感じられた。 故人のご冥福をお祈りし、献花の代わりに礼拝堂の傍らに小さなケルンを積んだ。

  今日一番の目的を達成したため、ハイカーで賑わう湖畔を後にしてスタッフェル方面に幅の広いハイキングトレイルを下る。 ワタスゲが湖畔に群生している小さな池の畔を通り、覆いかぶさるような迫力のあるマッターホルンの北壁を仰ぎ見ながら、トレイルの傍らでのんびりとランチタイムとする。 この辺りから望むダン・ブランシュは、オーバーガーベルホルンの山頂から見た切り立った北壁からは想像が出来ないほど穏やかな山容であり、私をその頂に誘っているかのようであった。

  シューンビュールヒュッテへのトレイルを左に分け、スタッフェルのレストランの脇を通過してツムットの集落に向かうと、途中に手作りのチーズやバターを作って売っている小屋があった。 看板には『チーズが1kgで10フラン・バターが200gで4フラン』と書かれおり、その安さに驚かされた。 意外にもツムットの集落の手前からは背後にリムプフィッシュホルン(4199m)とシュトラールホルン(4190m)が並んで大きく望まれ、何かとても新鮮な景色であった。 緑の牧草地にはピンク色のクロッカスの花が群生し、そのコントラストがとても目に鮮やかであった。 夏の終わりを告げるかのように、虫の音がそこら中で響きわたっていた。 pm3:00頃にはホテルに戻り、土産物を買いに出掛ける。 空には白い入道雲がもくもくと湧き始め、夕方には小雨模様となった。 果して明日は有終の美を飾ることが出来るのであろうか?。


シュヴァルツゼー(湖)から見たオーバーガーベルホルン


シュヴァルツゼー(湖)から見たダン・ブランシュ


マッターホルンの北壁を仰ぎ見ながらスタッフェル方面へのハイキングトレイルを下る


ツムットの集落


  【カストール】
  9月4日、am5:30起床。 外はまだ真っ暗である。 ベランダに出てみると真上には月が煌々と輝き、マッターホルンも月明かりでうっすらと見えた。 とりあえず晴れていることにホッとする。 部屋で朝食を食べた後、am6:30にホテルを出発。 まだ薄暗いフィスパ川沿いの道をホテルから15分ほど離れた町外れのゴンドラの駅へと向かう。 朝焼けのマッターホルンの写真を撮ろうとする日本人の団体客が橋の上に大勢見られた。

  am6:45にゴンドラの駅に着くと、登山客はせいぜい4〜5人しかおらず、スキーヤーが20名ほど始発のゴンドラを待っていたが、まだ私達のガイド氏は来ていないようであった。 間もなく約束のam6:50になると、意外にもアルパインセンターのオルウェルさんが現れた。 どうやら土曜日で私達以外の登山客も多いので、混乱を避けるためにガイドと客をここで引き合わせるためにやって来たようであった。 ガイドとしてはあまり背の高くない若い方が「ボンジュール!」と声を掛けてきた。 どうやらこの方が今日の私達のガイド氏らしかった。 早速自己紹介をして握手を交わすと、氏の名前はサムということであった。 「フランス人ですか?」と訊ねると、フランスとの国境近くで生まれ住んでいるが、スイス人であるとのことであった。 サム氏と雑談を交わしていると、何と先日お世話になったイワン氏と昨日アルパインセンターでお会いしたウィリー氏が一緒にやって来た。 思わぬ再会に驚いたが、話を伺うとお二人とも今日はカストールのガイドをされるとのことであった。 サム氏は昨日ゴンドラの中にサングラスを忘れてしまったらしく、慌ただしく出札口の係員達に聞き回っていた。

  いつの間にか出札口には100人近くの人(うちスキーヤーが8割位)が集まり、その中に二人の日本人の登山者の姿があった。 情報交換にとザイルを持っている方に挨拶すると、ツェルマットでガイドの仕事をされているという川島さんという方であり、傍らにいた方は今日のお客さんのようであった(後でこれは私の勘違いであることが分かった)。 結局サム氏のサングラスは見つからず、氏も不安そうで少々ナーバスになっていた。 ゴンドラの中で再び氏と雑談を交わすと、氏は34歳ということであったが、ガイド歴は意外と長く、11年ということであった。 住まいがフランスとの国境に近いということもあり、ツェルマットとシャモニの両方でガイドをされているとのことであった。 日本人は過去に何度かガイドをしたことはあるが、日本語は難しくて全く駄目だと言う。 私達もフランス語は難しくて全く駄目だと言って、笑いながらお互いに慰め合った。 氏はガイド特有の風貌が全く感じられない、とても優しそうな感じがする好青年で、まるで友達のような印象すら受けた。 来年私がグランド・ジョラスを登りにシャモニに行く計画があることを話すと、すぐに「是非一緒に行きましょう!」と、まだ山(カストール)も登っていないうちから話が弾んだ。

  フーリーでゴンドラからロープウェイに乗り換え、さらにトロッケナー・シュテークで大型のロープウェイに乗り換える。 始発のロープウェイは午前中で終わってしまうサマースキーのゲレンデに急ぐスキーヤーで混雑していたためか、イワン氏のパーティーも乗れなかったようだ。 ロープウェイを待つ間に、運良く他人の忘れたサングラスを借りることが出来たサム氏は「ニューサングラス!」と言って陽気にはしゃいでいた。 昨日から登山解禁となったマッターホルンの黒々とした南面の岩肌が大きく車窓から望まれ、間もなく登山口のクラインマッターホルン駅(3820m)に着いた。

  駅舎の寒々しいトンネルを大雪原への出口に向かい、am8:10にアルパインセンターのガイドパーティーの中では最後尾でトンネルの出口を出発した。 雪のコンディションが良いとのことで、アイゼンは着けずにアンザイレンして歩き始める。 サム氏によると、山頂までは通常約4時間かかるとのことであった。 天気は予想以上に良くなり、雲一つ無い快晴となったが、風が少しあるためジャケットを着ていてちょうど良いくらいだ。 逆に風のお陰で雪はまだ固く締まったままで、とても歩き易い。 ブライトホルン(4164m)方面への分岐点までは同峰に登る大勢の登山者によって踏まれた明瞭なトレイルを歩く。 大雪原の向こうにはリスカムの東峰(4527m)と西峰、ポリュックス(4092m)、そして目指すカストール(4228m)が重なるように望まれたが、その頂はどれも遙かに遠く、果して今日中に山頂を踏んで往復することが出来るのだろうかと、少しだけ心配になった。 太陽のある東の方角に進んでいくため陽射しがとても眩しい。 先ほどサングラスを借りることが出来て小躍りしていたサム氏の気持ちがあらためて良く分かった。 間もなく左手の奥にはお馴染みのダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンのカルテットが顔を揃え、私達を見送ってくれた。

  ガイドブックによれば、カストールの頂へは核心部のツヴィリングスヨッホ(双子峰と言われる隣接峰のポリュックスとの鞍部)付近から始まる本格的な登高までは登攀的な要素は全く無く、氷河上を緩やかに登下降するだけのようであった。 但し、歩行距離が長いため(往復で約15km)、風が強かったり霧が発生したりすると、他の山と同様に急に困難になるとも記されていた。 また登山口から山頂までの単純標高差は400mほどしか無いが、往復の累積標高差は700mとなっているため、帰路での登り返しを覚悟しなければならない。 実はこの帰路での登り返しこそが、この山の最大の“難所”であることを後で身をもって体験することになる。

  20分ほどでブライトホルンに向かうトレイルを左に分け、トレイルを右に取ったが、今日はまだ誰もブライトホルンに登っていないようであった。 ここから先は私達にとって未知のトレイルであるが、すでに高度にも充分順応しているため緊張感は殆ど無い。 このままの天気が続けば今日も楽しいアルプスの一日になるに違いない。 間もなく前を行くイワン氏のパーティーに追いついた。 どうやら6人の団体のパーティーをイワン氏とウィリー氏で分担してガイドしているような感じであった。 68歳のウィリー氏から見れば、30歳のイワン氏はまるで自分の子供のような存在であろう。 イワン氏とジョークを交わし合いながらゆっくりと追い越す。 幅が2.5kmもあると言われるブライトホルンの長い稜線を左手に仰ぎ見ながらトレイルは緩やかな下りとなり、ますます快適な“氷河トレッキング”となったが、下っている分だけこれから稼ぐ標高も増え、帰路の登り返しがあるので気が重くなる。 ブライトホルンは独語で“幅の広い山”という意味であるが、一般的に登山対象となっている最高点(西峰)の丸い頂以外の稜線と中央峰を始めとする各ピークの縦走は、バリエーションルートとして人気がある。

  1時間ほど歩いた所で前を行くパーティーに追いついたので、サム氏を呼び止めて休憩を取らせてもらう。 まだ背後のブライトホルンの長い稜線をやり過ごしてはいないが、目指すカストールはぐっと身近になり、次第にその秘めた全容を披露し始めた。 振り返ると、おびただしい山並みの奥に優美な裾野を引く大きな白い独立峰が見えた。 グラン・パラディーゾ(4061m)だ。 トレイルはここからまた一段と下り、標高はどんどん下がっていく。 先ほどの日本人のパーティーを含め、前を行くパーティーが3組ほど見え、これから辿るルートが手に取るように良く分かる。 頭上の岩壁にへばりつくように建っている小さな避難小屋を過ぎると、ようやくブライトホルンの長大な稜線は肩を落とし、代わってポリュックスの頂稜部が左上に望まれるようになった。 ツヴィリングスヨッホに向かう明瞭なトレイルも遠目に見えた。先行していた4人のグループ登山のガイドパーティーを追い越す。 クライアントのうちの一人はGパン姿の少女であったが、後にこの少女と一緒にカストールの頂を踏むことになるとは思わなかった。

  クラインマッターホルンを出発した時には遙か遠くに見えていたカストールも、ようやく眼前に大きく望まれるようになった。 さすがに4000m峰だけあって、近くから見上げるととても重厚な面持ちである。 ツヴィリングスヨッホに登る手前で休憩となり、トレイルを少し外してアイゼンを着け、ようやく始まる“登山”に備えて行動食を充分に補給した。 その傍らを先ほど追い越したグループ登山のガイドパーティーが通過していった。

  am9:30、ツヴィリングスヨッホに向けて再び登り始める。 意外にも先行するパーティーは皆ヨッホ(鞍部)まで登らず、トレイルに従ってその少し手前から大きく右に折れ、山頂に向けて西側斜面を大きくジグザグを切って登って行った。 10分ほどでヨッホの直下に着くと、稜線の向こう側にドムが望まれた。 ヨッホを境にルート上には陽が当たらなくなり、足元の雪面は固くクラストしていて先ほどまでとは全く違う状況となった。 先ほどのグループ登山のガイドパーティーを再び追い越すとトレイルは次第に痩せ、勾配も急になってきた。 今まで楽をしてきたのでとたんに息が切れる。 しばらく登ると一昨日降った新雪がうっすらとトレイルに積もり、また違った感触でさらに登りにくくなった。

  2〜3回大きくジグザグを切って登った所で、突然下の方から叫び声がしたため、サム氏は足を止めた。 声の主は30mほど下にいる先ほど追い越したグループ登山のガイド氏であった。 ガイド氏はしばらくの間何やら大声でサム氏に話しかけていた。 サム氏からの説明では、パーティーのうちの一人の体調が悪くなり、ガイド氏と一緒にここから引き返すが、逆に元気な一人を私達のパーティーに入れさせて欲しいとの依頼があったという。 私は即座に体調を悪くしたのは、あのGパンの少女に違いないと思った。 登頂には全く支障がないとサム氏らが判断したことなので、氏の指示に従って快く了承することにした。 図らずも大休止となり、寒々しいトレイル上で下から登ってくる“珍客”を待つこととなった。 サム氏からの返答を受けてすぐに下から早足で登ってきたのは、何とGパンの少女だった。 「ボンジュール」と小さな声ではにかみながら挨拶してきた少女に、「ようこそいらっしゃいました!」と握手をして暖かく迎え入れた。 サム氏もおどけながら「インターナショナル・パーティー!」と付け加えた。 少女の名前はマヌエラちゃん、後で聞いた話では、ツェルマットの住人でまだ17歳の高校生であった。

  マヌエラちゃんを2番手にして、インターナショナル・パーティーは再び山頂を目指した。 間もなく眼前の双子峰のポリュックスの山頂に人がいるのが見えた。 同峰とカストールの標高差は約130mなので、特にこれから困難な所がなければ、あと1時間はかからないであろう。 彼女の参加でパーティーは4人となったが、逆にペースは少し上がったような感じがした。 彼女が私達に迷惑をかけてはいけないと頑張っているためであろうか?。 たまらず妻が「モア・スローリー!」とサム氏に声を掛け、ペースは元に戻った。 日陰となっている急な西側斜面を登り終えると、陽当たりの良い緩やかな斜面となり、右手に山頂らしき所が見えた。 今日は絶好の天気に恵まれ何の苦労もなくここまで登ってきたので、いつもより山頂での感動は少ないであろうが、アルプスで20番目となる新たな憧れの頂を踏める喜びに次第に胸が高鳴る。

  しばらく山頂を見上げながら登っていると、ずっと先行していた日本人のパーティーが、非常にゆっくりとした足取りで稜線を下りてきた。 確保用の鉄のポールが立てられていた山頂直下の凍った急斜面を慎重に登って稜線上の鞍部に踊り出ると、意外にもそこから山頂までは50mほどの絵に描いたような美しいナイフエッジの雪稜となっていた。 稜線上の鞍部で日本人のパーティーと再会し、私が当初お客さんだと思っていた人に祝福の言葉を掛けると、『アクティブマウンテン/ガイド・峯岸』という名刺をいただき、「よろしければ後で事務所に遊びに来て下さい」と言われた。 山頂目前であったがサム氏に断りを入れ、狭い鞍部であらためて話を伺うと、お二人ともツェルマットに事務所がある『アクティブマウンテン』という旅行会社のスタッフで、今日は休暇を利用して登山を楽しまれていたとのことであった。 下山後の再会を約し、憧れの頂への最後の登りにかかる。 幅が70〜80cmほどしかない正に芸術的なナイフエッジの雪稜は、今までの単調な登りにアクセントをつけてくれたばかりでなく、山頂への素晴らしいフィナーレを演出してくれた。

  am11:05、クラインマッターホルン駅を出発してから僅か3時間足らずで憧れのカストールの山頂に辿り着いた。 サム氏、妻、そしてマヌエラちゃんと順番に握手を交わし、インターナショナル・パーティーの登頂をお互いに祝福し合った。 爽やかなアルプスの青空の下、眼前にはリスカムの東峰と西峰が大きく鎮座し、あの大きなモンテ・ローザの山塊をも隠していた。 振り返るとマッターホルンは遙か遠くになっていた。 頂上にいた一組のパーティーは私達と入れ替わりに下山していったので、図らずも4人だけの頂となった。 彼女は若者らしく携帯電話で写真を撮り、南側の僅かに雪の禿げた所で小さな石を記念に拾い、逆に妻は昨年・今年と相次いで亡くなられた山の先輩である坪山さんと大田さんの供養にと、下から持ってきた石を捧げていた。 私はいつものように仁王立ちして一人悦に入り、周囲の山々の写真を撮りまくった。 快晴無風の頂からの展望は申し分無く、ツェルマット周辺の山々のみならず、モン・ブラン、グランド・ジョラス、グラン・コンバン等のアルプス西部の山々やビーチホルン、ユングフラウ等も遠望され、今日辿ってきたクラインマッターホルンからの長いトレイルが、まるで楊枝でなぞったように大雪原に印されているのが面白かった。 ブライトホルンもいつも見慣れた山容とは全く違う姿で望まれとても新鮮である。 マヌエラちゃんと写真を撮り合って雑談を交わすと、彼女は昨年ブライトホルンにも登った経験があるとのことで、今日はお父さんや叔父さんと一緒だったが、お父さんが途中で高山病になってしまったとのことであった。

  しばらくするとイワン氏達のパーティーが相次いで到着し、狭い山頂は一気に賑やかになった。 イワン氏とも握手を交わし、「次回は駅前のマクドナルドで会いましょう!」と、一週間前と全く同じ言葉で再会を誓い、am11:30に今シーズン最後の頂を後にした。 私が先頭になり、痛快なナイフリッジを下り始める。 ツヴィリングスヨッホへの下りは雪が腐って歩きにくいと思われたが、運良く午前中はずっとトレイルが日陰だったので、雪は締まったままで下り易かった。 あっと言う間にヨッホまで下り、先ほどアイゼンを着けた辺りでサム氏と先頭を交代した。 後は今シーズンの山行の想い出に浸りながら、氷河トレッキングを楽しむだけだ。

  再びトレイルに陽が当たってきたので、一同ジャケットを脱ぎ、緩やかな登り斜面を黙々と進む。 往きは風も適当にあり、雪の締まった快適なトレイルをアイゼンを着けずに効率良く歩いてきたが、帰りは気温の上昇で日向の雪は腐り、すぐにダンゴがついてしまうアイゼンを着けた足が鉛のように重い。 傾斜はきつくないが、だらだらとした登り返しは、すでに目標を失った身にはこたえる。 正午を過ぎ、真昼の強烈な陽射しによる照り返しも想像以上であった。 果てしなく続くロングトレイルは先が見えるだけに嫌になる。 お気楽な氷河トレッキングは一変して“雪中行軍”と化した。 30分も歩くと喉はカラカラに渇き、サム氏を呼び止めて水分を補給するが、休むのも嫌になるほど照り返しがきつかった。 テルモスの熱い紅茶は用を足さず、雪を拾って口に含むようになった。 風も全く無くなった氷河はまるで砂漠のように思え、ゴールのクラインマッターホルンが見えてきた時は正直ホッとした。 この山の最大の難所は、天気の良い日の帰路にあることを思い知った。 前を歩くマヌエラちゃんが突然手を振った。 きっと家族が迎えに来ているのであろう。

  pm2:10、マヌエラちゃんのお父さんに迎えられ、クラインマッターホルンに到着。 お父さんとも握手を交わす。 お父さんがサム氏を食事に誘っていたので、氏にあらためてお礼を言い、感謝の気持ちを込めて30フランのチップを手渡し、トンネルの入口でインターナショナル・パーティーは解散した。 登攀具を外し、観光客に紛れトンネルの入口付近にあった『氷の洞窟』(無料)を見学した後、駅の真上にある展望台に上がって最後の展望を楽しんだ。


ブライトホルンへの分岐までは大勢の登山者によって踏まれた明瞭なトレイルを歩く


カストール・ポリュックス・リスカムの西峰と東峰(右から)


ポリュックス(左)との鞍部付近までは氷河上を緩やかに登下降する


ツヴィリングスヨッホ(カストールとポリュックスとの鞍部)付近から見たドム


カストールの西斜面のスロープを大きくジグザグを切って登る


カストールの西斜面から見たポリュックスの頂稜部


山頂直下の絵に描いたような美しいナイフエッジの雪稜


山頂直下の稜線上の鞍部でガイドのサム氏と高校生のマヌエラちゃんらと


稜線上の鞍部から見たリスカムの西峰と東峰


カストールの山頂


山頂から見たポリュックス(手前)とブライトホルンの3つのピーク


山頂から見たオーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン・ヴァイスホルン(左から)


イワン氏達のパーティーが到着すると狭い山頂は一気に賑やかになった


山頂から鞍部に向けてナイフエッジの雪稜を下る


カストールの西斜面を振り返る


帰路の氷河歩きは真昼の強烈な陽射しによる照り返しで雪中行軍となった


  pm4:30にホテルに戻り、ザックをベッドの上に放り投げ、今シーズンの全ての山行が終わった。 着替えをして一服した後、『WEGA』に西永さんを訪ね、山行の報告と帰国の挨拶をし、その足でアクティブマウンテン社の事務所を表敬訪問した。 ツェルマットに在住されているという主任の茂木さんから丁重なもてなしを受け、先ほど山でお会いした峯岸さんらと雑談を交わす。 会社のサービスの内容について訊ねると、意外にも同社はアルプスの山のみならず世界各国の山々への手配も行っているとのことであった。 尚、アルプスでのガイドの手配は、登頂をより確実にするためにガイドとの事前のミーティングを前提に行っているとのことで、手配料はガイド料の20%ということであった。 事務所の居心地はとても良く、山の話しに花が咲き、ついつい長居をしてしまった。 土産物も全て買い終わったので、弥次喜多山行の打ち上げにとレストランで高級な料理を注文したが、値段の割に味は大したことはなく、山小屋の夕食の料理の方が美味しく感じられた。 山や風景はともかく、食べ物だけは日本食に限ると痛感した。

  18日間にわたる長期の滞在を終え、明日はいつものように始発の電車に乗り、慌ただしく帰国するだけとなった。 今回のアルプス山行は、第一目標であったヴァイスホルンの頂には届かなかったものの、長期滞在のメリットを活かし、7つの新しい頂を踏むことが出来たことで大成功であった。 また今回も前回に続き、それぞれに個性的な素晴らしいガイド諸氏との出会いが、その思い出をより豊かなものにしてくれた。 “スピード=危険”を唱える異色の氷河学者のステファン氏(ピッツ・ベルニーナ、ピッツ・パリュ)、クライアントである私達のことを常に気遣い、“楽しい山登り”を有言実行するイワン氏(ヴァイスミース、ラッギンホルン)、困難な状況にも全く動じない頼りになる百戦錬磨の登山家のヘンドリー氏(ツィナールロートホルン、オーバーガーベルホルン)、そして友達のように気さくなサム氏(カストール)といった具合に、登った山との相性も正にぴったりであった。 これらのガイド諸氏との再会も、今後のアルプス山行の楽しみの一つになるに違いない。 憧れのヴァイスホルンを始め、まだ知らぬ羨望の山々の頂を目指して、私のアルプス詣ではまだしばらく続くことであろう。


アクティブマウンテン社の事務所で茂木さんと


山 日 記    ・    T O P