アイガー(3970m)

   8月22日、いよいよ憧れのアイガーに挑む日が来た。 西側に向いた窓からはアイガーの全容は見えないので、レストランの脇のテラスから朝陽が山頂だけに当たっているアイガーを眺め、同じような写真を何枚も撮った。 今日は予報どおり良い天気になりそうだが、情けないことに肝心の足の疲労がまだ取れておらず、階段を登り下りする時の足が重たい。 私の身を案じた妻が、ユングフラウヨッホへの登山鉄道の乗換駅のクライネ・シャイデック(2061m)まで同行したいというので、一緒にホテルを出発することとなった。 ガイドとの待ち合わせ場所のアイスメーア駅までは乗換え時間を入れても2時間あれば足りるが、早めにクライネ・シャイデックまで行き、山々を眺めながら優雅にランチタイムを楽しむことにした。

   向こう5日間の天気予報がまずまずだったので、次のグロース・フィーシャーホルンのガイドの手配を依頼するためAGへ立ち寄る。 受付の人は常連の私の顔を見るなり、デボラさんを呼びに行ってくれた。 デボラさんにガイドの手配を申し出たところ、意外にも彼女から「シーズンが終わりに近づいているので、アイガーを終えてからでも大丈夫だと思いますよ」とのアドバイスがあった。 もちろん私も出来るだけ直前の方が良いので、明日のアイガー登山の帰りに最新の天気予報を確認して申し込むことにした。 AGを後にし、観光案内所に併設されている銀行でトラベラーズチェックをフランに替える。 今までは全て日本で外貨に両替してきたが、今年は1フランが90円と3年前より3割も高かったので、少しでも安くなるトラベラーズチェックを利用することにした。

   グリンデルワルトをam11:30に発つ登山電車に乗り、クライネ・シャイデックへと向かう。 天気が良いので、この時間でも電車は満員だった。 3年ぶりに見た車窓からの風景は、懐かしいというよりはつい最近のことのように良く覚えていた。 アイガーの北壁を見上げながら40分でクライネ・シャイディックに到着。 グリンデルワルトからのみならず、反対側のラウターブルンネンからも登山電車が登ってくるため、ユングフラウヨッホへの登山電車を待つ人達や周辺のハイキングに出掛ける人達で駅の周辺は大盛況だった。 駅から少し離れた高台にあるレストランの脇のベンチに腰を据え、眼前に大きく迫るアイガーの北壁を眺めながらお弁当をひろげ、贅沢なランチタイムと洒落込んだ。 3年前の寒々しい雨の日に、初めてのアルプスの山(メンヒとユングフラウ)の下見に来た時のことが思い出されたが、海外の山を登ったことがなかった当時の私にとって、アイガーは憧れを通り越した雲の上の存在だった。 “果してあの頂に辿り着くことが出来るのだろうか?”。 山を見上げていると、あらためて期待と不安が交互に心の中を駆け抜けていった。 ガイドのゴディー氏も私と同じpm3:00発のユングフラウヨッホ行きの登山電車でアイスメーアに上がると思われたため、電車の入線後にそれらしき風貌の人に声を掛けてみたが、皆人違いだった。 登山電車は下り電車の遅れで、定刻より15分ほど遅れて出発した。 妻は私を見送ってから、周辺を散策しながらグリンデルワルトに歩いて下るようだ。


クライネ・シャイディックから見たヴェッターホルン


クライネ・シャイディックから見たアイガー


クライネ・シャイディックから見たメンヒ


クライネ・シャイディックから見たユングフラウ


   pm3:45、ゴディー氏との待ち合わせ場所のアイスメーア駅に到着。 私以外にも10名ほどの登山者が下車した。 車掌に案内され、北壁見物の観光客とは反対方向のホームの一番後ろの暗い通路を右へ折れるとちょっとしたスペースがあり、登山客やガイドが出発の準備をしていた。 他のガイド達と談笑していたゴディー氏は、私を見つけるなり「サカイさんですか?」と呼び止めてくれた。 早速握手を交わして自己紹介をした。 青く澄んだ瞳の氏は、外国人としては小柄だったが、その手のひらはとても厚かった。 氏から「ここでヘルメットを被り、ハーネスを着けて下さい」との指示があり、アンザイレンしてからpm4:00ちょうどに駅を出発した。 業務用の鉄扉を開け、所々凍っている薄暗いトンネルを下って陽光が眩しい外に出ると、広大な氷河の向こうにシュレックホルンやグロース・フィーシャーホルンが間近に迫り、そのスケールの大きい景観に思わず息を呑んだ。 トンネルの出口から凍って滑りやすい岩屑の踏み跡をさらに下っていくと、氏は足を止めて正面の稜線(ミッテルレギ)の中程を指さし、「あそこに見えるのがこれから向かうミッテルレギヒュッテです」と説明してくれた。

   意外にも最初は平坦な氷河を歩くだけの極楽漫歩だったが、突然何を思ったのかゴディー氏は前方にピッケルをブーメランのように投げ飛ばし、ザイルを緩めてその落下点めがけて小走りに駆けだした。 “風変わりなガイドさんもいるものだ”とその時は驚いたが、氏は今までお目にかかったことのないタイプの素晴らしいガイドであることが後々分かった。 周囲の風景を堪能しながらしばらく歩いた所で、氏は「アイスフォールが上にあり落氷の危険があるので、ここは急いで通過しましょう!」と言っていきなり走り始めたが、アイゼンが欲しい位の急な斜面をキックステップで駆け上がったり、クレバスも2回ほど走って飛び越えたりしたため、足の疲労が取れていないことも手伝って、呼吸が追いつかないほど息があがってしまった。 アイスフォールの下部の通過が終わると、急斜面の岩場の手前で数組のパーティーが順番待ちをしていた。 「名前は?、何処から来たの?」と、氏は誰にでも気さくに声をかけ、ニコニコしながら旧知の仲のように会話を楽しみ、また仕事(ガイド)をしているというよりは自らも純粋に山登りを楽しんでいるような感じだった。

   10分ほど先行するパーティーの順番待ちをした後、リードするゴディー氏からヌンチャクの回収を指示され、要所要所にハーケンが打たれている4級程度の岩壁に取りついた。 核心部の登攀距離は1ピッチほどしかなかったが、トラバース気味になっているルートの手掛かりは次第に乏しくなり、途中で良い足場を見つけられずに踏ん張っている足が震え始めてしまった。 このピンチをどのように解決すれば良いのかと悩んでいると、運良く後ろから登ってきたガイド氏がそれに気づいてくれ、次の足場(とても足場には見えないような僅かな岩の突起)を教えてくれた。 もし落ちたらそれを口実にすれば良いと思い、度胸を決めてそこに足を乗せて強引に登りきった。 登り終えたところで氏は、「ここから先は“ウォーキング”ですよ」と言った。 とりあえず今日一番の難所はクリアーすることが出来たようだが、明日登るミッテルレギではこれよりも更に難しい登攀が連続すると思うと急に気が重たくなり、オッティー氏が言った“シリアス”という言葉が再び耳元に蘇ってきた。

   ゴディー氏の言ったとおり、トレイルは踏み跡のあるアルペンルートとなった。 山小屋も指呼の間に見えている。 しかし氏のペースは何故か再び速くなり、ウォーキングからランニングとなった。 途中一か所だけ急な崖を下る所があり、氏が「アブセーリング」と言って10mほど懸垂で下ることを指示されたが、そのザイルさばきはとても素早く全く無駄がなかった。 後で思うと懸垂で下らなくても他にルートはあったような感じで、これは訓練(私へのテスト)だったのかもしれない。 pm5:15に稜線上の猫の額ほどのスペースに建つミッテルレギヒュッテ(3354m)に着いた。 アイスメーア駅から僅か1時間15分だった。 ガイドブック等による日本人向けのコースタイムは2時間半となっていたので、やはり今年はルートの状況が全く違うのだろうか?。

   数年前に改築されたという同ヒュッテはこぢんまりとしていたが、とても清楚な感じがする素晴らしい山小屋だった。 「昔あった山小屋はユーコー・マキが建てたんですよ!」とゴディー氏がとても嬉しそうに言ったので、「もちろん知ってますよ!」と私も笑顔で頷いたが、もし槇有恒氏が山小屋の建設資金を寄贈したことを知らなかったら、勉強不足で笑われるところだった。 意外にもさらに氏は「この新しい山小屋は、私も建てるのを手伝ったんですよ!」と嬉しそうに付け加えた。 ゴディー氏はザイルを解かずに、山小屋のテラスで明日の登攀で私が行う固定ロープの下でのビレイの仕方等についての“実技指導”をしてくれ、それが終わると今度は明日登るルートの下見に連れていってくれた。 ナイフエッジの岩稜を緩やかに50mほど登った(歩いた)が、意外にもここにも踏み跡のようなトレイルが存在していた。 ガイドブック等によると、山小屋からは雪稜を登っていくことになっていたので、氏にその辺りのことを訊ねてみると、今年のように全く雪が無いシーズンもあるとのことだった。 氏は私をリラックスさせようとしたのか、再び「この辺りはクライミングではなく、ただのウォーキングですよ!」と笑顔で言い放った。 私も同感だったが、情けないことに足の疲労がまだ残っていたので、痩せ尾根を歩く足元がおぼつかなかった。

   山小屋に戻るとザイルが解かれ、ゴディー氏から「明朝は暖かいので、長袖の下着の上にジャケットを着るだけでいいですよ。 最初は寒く感じても、5分も登れば暖まってきますから」と細かいアドバイスがあった。 稜線上に建つ山小屋からの景色はまさに一級品で、次に登山を予定しているグロース・フィーシャーホルンの壮大な北壁の眺めが素晴らしかったが、残念なことにアイガーの山頂や明日の登攀ルートの核心部には霧が湧き、肝心のミッテルレギの全容は分からなかった。 その方向を恨めしそうに眺めていると、頼んでもいないのに氏がミッテルレギを背景に写真を撮ってくれた。 木の香りが漂う山小屋の内部は外観同様とても清楚で、すでにガイドと登山客合わせて30人ほどで賑わっていた。 山小屋の女将さんとゴデイ氏は旧知の仲のようで、氏が女将さんに代わって指定されている一畳ほどのベッドスペースに案内してくれた。

   荷物の整理をしてから宿泊客で賑わっている食堂に行くと、ゴディー氏が宿泊記念の宿帳を持ってきてくれ、私に名前や住所を書くように勧めてくれた。 日付等を嬉しそうに補完記入してくれた氏は、ガイドとしての技術も一流だが、人をもてなすことにかけても一流のようだった。 あらためて自己紹介をした後、いつものように年齢や出身地等を氏に訊ねたところ、氏は36歳で生まれも育ちも地元のグリンデルワルトとのことだった。 また、オフシーズンは地元で大工をしているとのことで、先ほど氏が言っていた意味が理解出来た。 明日の出発時間の確認をすると、「私が起こすまで充分寝ていて下さい。 朝食はam5:00頃から始まりますが、ゆっくり食べてから出発しましょう。 トイレは2つしかありませんから」という意外な答えが返ってきた。 マッターホルン登山の時のような“先陣争い”は、ここではないのだろうか?。 また、山頂までどの位時間が掛かるか訊ねようとしたところ、先に氏から「明日は時計は見ませんから」という何か意味ありげな発言があったが、その意味するところはこの時は知る由もなかった。 氏にビールをご馳走し、私はコーラを注文すると、氏は笑いながら「コーラにはカフェインが入っていて安眠を妨げるので、ジュースにした方が良いですよ」と冗談とも受け取れるようなユニークなアドバイスをしてくれた。

   pm6:30の夕食の時間になると狭い食堂はすぐに満員となった。 日本人は私だけだと思っていたところ、私より少し年上の日本人らしき女性が目に止まった。 離れた席についた彼女に向かって、人恋しさから思わず「日本の方ですか?」と声を掛けたところ、「はい、そうです。 何か困ったことがあったら、お声を掛けて下さい」との頼もしい日本語の返事が返ってきた。 にわかに嬉しくなり孤独感も吹っ飛んだ。 また隣のテーブルには、一昨日グレッグシュタインヒュッテで会ったガイド氏の姿も見られた。 ゴディー氏によるとそのガイド氏はフレディ・アベックレンという名前で、テレマークスキーではスイスの第一人者とのことだった。 氏も冬季はスキーのインストラクターをしているとのことで、長野オリンピックの時は選手団の一員として日本(志賀高原)を訪れたとのことだった。 気持ちが楽になったのか、ポテト味のスープやメインディッシュのビーフシチューがとても美味しく感じられ、お代わりをしてお腹一杯になるまで食べた。

   小さな山小屋の宿泊客はガイドと登山客合わせて50人ほどに膨れ上がり、夕食は2回に振り分けられた。 夕食を食べ終えると次のグループに席を譲り、すぐに彼女をつかまえて“情報交換”(専ら収集)を始めた。 彼女はシェラ・山崎(日本名は山崎裕美)さんと名乗り、16年ほど前に当時日本に駐在員として赴いていたドイツ人の現在のご主人と結婚された後に日本を離れ、現在はチューリッヒの近郊にお住まいとのことだった。 山崎さんは今回そのご主人や山仲間と一緒で、明日はアイガーの山頂からアイガーグレッチャーの駅に下る一般的な下山ルートをとらずに、そのまま稜線を縦走してメンヒスヨッホヒュッテに宿泊し、明後日はユングフラウを目指されるとのことだった。 意外にも本格的な登山はこちらにきてから始められたとのことで、最初に登られたアルプスの山は私と同じメンヒだった。 山崎さんはもちろんドイツ語は堪能で、彼女のガイド氏から聞いた話によれば、先ほど手こずった岩場の登攀が今回のルートでは一番難しく、明日登攀するルート上にはそれより難しい所はないとのことだった。 この意外な一言(情報)によってさらに気持ちが軽くなったことは言うまでもない。 山崎さんはご主人と共にいつも馴染みのガイド氏と登られているようで、ピークハントに固執することなく、ロッククライミングや既成のプログラムにはない山小屋から山小屋へのハイグレードな氷河トレッキング等、アルプスの自然や景色を満喫出来るユニークな山歩きを楽しまれているとのことで、とても参考になったと同時にとても羨ましかった。 しばらく山崎さんと山談義をした後、少し風が出てきて寒かったが、山小屋のテラスから夕焼けに染まる周囲の山々を眺めながら至福の時を過ごした。 標高差が2000m以上あるグリンデルワルトの町の明かりが遙か足下に見え、心配性の妻の顔が目に浮かんだ。


アイスメーア駅付近から見たシュレックホルン


ミッテルレギヒュッテから見たアイガーのミッテルレギ(東山稜)


   ヒュッテから見たグロース・フィーシャーホルン(中央右)とフィンスターアールホルン(左奥)


ヒュッテから見たメンヒ(右)とトルクベルク(左)


   8月23日、すでに起床して身支度を整えている人達もいたが、私はベッドの中でゴディー氏に声を掛けられるのを待っていた。 am4:30に氏が私を起こしにきた。 「良く眠れましたか?」との問い掛けに、「イエス」と答えると、それは良かったと笑顔で応じてくれた。 氏と一緒であれば、アイガーの頂に立てることは間違いなさそうだ。 食堂の混雑を避けるためか、出発時間により朝食の時間を割り当てられたようで、食堂は空いていた。 マッターホルン登山と違い、山頂を往復しない縦走形態となるため、登り下りの行きかいで渋滞することがないためだろうか?。 ゆっくりと朝食を食べていると、am5:00に山崎さん達のパーティーが先行して出発していった。

   身支度を整えて山小屋の外に出ると、いつの間にか私のピッケルはすでにゴディー氏のザックの背にくくり着けられていた。 今までに無い経験だったがご好意に甘えることにし、氏とアンザイレンしてam5:15に出発した。 風はほとんど無く満天の星空で、予報どおりの好天が期待出来そうだ。 一昨日から続いている足の筋肉のだるさと、縦走用の重たい登山靴のため足の運びは冴えないが、素晴らしいガイド氏とのマンツーマンの頂上アタックに心は弾む。 山小屋からの“ウォーキング”はすぐに終わり、雪の無い稜線のクライミングとなった。 まだ周囲は真っ暗なので、ヘッドランプの灯だけではこの先のルートの状況は全く分からない。 しばらく氏と快適にコンテニュアスで易しい所をぐんぐん登っていくと、先行するパーティーが順番待ちをしている所に着いた。

   明るければ確保なしに登れそうな3級程度の所だったが、足元が暗いため氏の登ったベストの足場や手掛かりが分からず、確保されていることをいいことに、少々荒っぽく強引に登る。 岩登りには似合わない重登山靴を履いていることも手伝って、しょっちゅう岩に頭や膝をぶつけてしまう。 ゴディー氏が言っていたとおり、順番待ちさえなければ薄着でちょうど良いくらいの運動量だ。 山崎さんから聞いた情報どおり、登攀が困難な箇所も全く無く、ベルグラやナイフエッジの雪稜が出現する気配も依然として感じられなかった。

   しばらくして先行するパーティーに道を譲ってもらい、ちょっとした岩溝を這い上がった時に、勢い余って右手の薬指の先を自分の靴で踏んでしまった。 手袋をしていなかったため指の皮がペロンと剥けて出血してしまったが、ゴディー氏は道を譲ってもらったことへの気遣いか、どんどん私を先に引っ張っていくので、私も痛みをこらえて仕方なくついていった。 登攀には常に指を使うため、いつまでたっても血が止まらないので氏に声を掛けようとしたところ、目の前にまた先行するパーティーの姿が見え、垂直に近い傾斜の岩壁に固定ロープが2本垂れ下がっていた。 先行のパーティーは山崎さん達だった。 山崎さんを介して“指を怪我してしまった”という情報を氏に伝えてもらおうと思ったが、“早く登って来なさい”と言わんばかりにザイルがピンと張られてしまったので、気持ちとは裏腹に「上でガイドが待っているので、お先に失礼します!」と山崎さんに一声掛け、痛さをこらえて固定ロープに飛びつき、力ずくで強引に登っていった。 細かな岩屑が下にいる山崎さん達に向けて落ちていくのが分かったが、どうすることも出来ず、申し訳ない気持ちで一杯だった。

   最初の固定ロープは“試し鎖”だったようで、登り終えると再び楽な登攀(ウォーキング)となった。 ゴディー氏に指の怪我のことを告げると、すぐに分厚い絆創膏を上手に巻いて手当てをしてくれた。 図らずもちょうど良い休憩となったが、後続のパーティーに抜かれることもなく登り続けた。 幸いにも血は止まったようで、痺れるような打撲の痛みは消えないものの、その後の登攀には殆ど影響が無かった。

   山小屋を出発してから1時間ほど経っただろうか、夜が白み始め左手のフィンスターアールホルンやグロース・フィーシャーホルンのシルエットが、茜色に染まり始めた地平線を従えながら徐々に浮かび上がってきた。 何度体験しても飽きることはないドラマチックなアルプスの山の夜明けのシーンが今まさに始まろうとしている。 一人感動的な気分に浸っていると、その気持ちが伝わったのか突然ゴディー氏が足を止めた。 「写真を撮っていきませんか?」。 思いがけない氏の言葉に一瞬耳を疑ったが、二つ返事で写真を撮り、心ゆくまで素晴らしい景色を堪能した。

   足元が少し明るくなり、ようやくこれから辿っていくルートの状況が分かるようになってきたが、次々に目の前に現れる岩壁が常に急峻なため、いつになっても山頂は見えてこない。 AGのパンフレットには山小屋から山頂まで5時間と記されていたが、山頂までの単純標高差は600mほどなので、もうその半分位は登り終えた感じだった。 やはりこれから先に待ち受けているグローサーツルム(大ジャンダルム)と呼ばれる核心部の登攀が相当困難なのだろうか?。 逆層の岩塔を登りきると、コルを挟んで眼前にはさらに巨大な岩塔がそそり立ち、先行していた年配のガイド氏がコルに向けて下降するクライアント(お客さん)の若者を上から確保しているところだった。 昨晩夕食のテーブルの隣にいた凸凹パーティーで、帰国後に山崎さんから届いた便りでは、ガイド氏は60歳で、若者は20歳とのことだった。 ゴディー氏と年配のガイド氏は何やら楽しそうに言葉を交わすと、何故か私が先に降りることになった。 氏に確保されてロアーダウンによりコルに向けて懸垂下降すると、ゴディー氏と年配のガイド氏は先に下りた私と若者のザイルをそれぞれ回収し、2本のザイルを繋いで交互に懸垂下降でコルに降りてきた。 この間にガイドを待っていた若者から写真を撮ってくれるように頼まれ、その直後にヴェッターホルンの山頂付近からの御来光となり、うす暗いコルにも太陽の光が射し込んできた。 思わず私もカメラを出して御来光の写真を撮った。

   再び凸凹パーティーが先行し、いよいよミッテルレギのハイライトのグローサーツルムの4級の岩壁の登攀にかかった。 朝陽に照らされた岩肌は黄金色に輝き、白い固定ロープが次々に垂れ下がっているのが見えたが、先行するパーティーの姿は見られなかった。 気合を入れて取りついたものの、1921年の槇有恒氏の初登攀以前何人もの登山家の挑戦を撥ねつけた岩壁は、その是非はともかくとして、地元のガイド達によって取り付けられた総延長が200mにも及ぶと言われる固定ロープのお陰で登攀は全く容易だった。 固定ロープは長いもので30mほどだった。 ゴディー氏に上から確保されているので、部分的には固定ロープに頼らなくても登れる所もあり、また順番待ちも無いので面白いように標高が稼げた。

   数ピッチ登った小広いテラスで休憩していた凸凹パーティーと入れ替わり、ここからは私達のパーティーが先行することとなった。 左前方にはアイガーよりも130mほど高い隣接峰のメンヒ(4099m)が、その純白の巨大な雪壁を誇示するかのように聳え立ち、山頂まであと僅かとなったことを教えてくれた。 最後にやってくるだろう困難な登攀に備えて意識的に大きく深呼吸をしながら登っていくと、その息づかいを感じとったのか、最後の固定ロープを登り終えた所でゴディー氏から「少し休んでいきますか?」と声が掛かった。 少し不思議な気もしたが二つ返事で応答し、行動食を食べたり水を飲んだりして鋭気を養う。 傍らを再び凸凹パーティーが先行して行く。 メンヒへとつながる稜線上のコル(アイガーヨッホ)の向こうにユングフラウが顔を覗かせているのが見えた。 時計を見ると、山小屋を出発してからまだ2時間ほどだった。

   周囲の写真を撮り5分足らずで出発したが、予想に反してその後の登攀は全く困難ではなく、逆にますます易しくなり、ゴディー氏とコンテニュアスで2級程度の快適な岩稜を登っていくと、再び凸凹パーティーに追いついた。 雪の無いミッテルレギは登攀の醍醐味には欠けるものの、それ以外のデメリットは全く無いことがあらためて分かった。 凸凹パーティーを追い越すことなくゆっくりとしたペースでその後に続いて登っていく。 眼前の岩塔の上には青空が大きく拡がり、“もしかしたらあの上が山頂か?”と一瞬思ったりもしたが、ピークまで登ってみるとそこはまだ山頂ではなく、またその先に小さな岩塔が出現した。 “やはりそんなに甘くはないな”と思ったのも束の間、急に傾斜が緩み始め、右下からせりあがっている北壁の最上部にへばりついている大きな雪の塊が見えると、突然前方の景色が大きく変わった。 何とそこはもう憧れのアイガーの山頂だった。

   「ピーク(本当にここが山頂ですか)?」とゴディー氏におどけながら確認し、「サンキュー・ベリー・マッチ!」と興奮しながら氏と固い握手を交わした後、凸凹パーティーの若者やガイド氏ともお互いの健闘を讃え合って握手を交わした。 山頂は予想よりも広く、10人ほどは乗れそうだった。 山小屋からの所要時間は僅か2時間半で、さしたる困難もなく辿り着いたが、3年前に右も左も分からぬままスイスを訪れ、グリンデルワルトから初めて自分の目で仰ぎ見た憧れのアルプスの山の頂に辿り着くことが出来た達成感はとてつもなく大きかった。 興奮がさめやらず、写真も撮らずにしばらくは仁王立ちして一人悦に入った。 快晴無風の頂からは真っ青なアルプスの空に雲一つ見ることは出来ない。 東にヴェッターホルン、シュレックホルン、南にフィンスターアールホルン、グロース・フィーシャーホルン、西の稜線の先にはメンヒとユングフラウ、そしてこれらの山々に囲まれた広大な氷河とそこに刻まれた無数のクレバス・・・。 その白黒のストイックな景色とは対照的に、北にはオーバーハングした北壁の真下にまだ朝の眠りから覚めていないのどかな緑の牧草地が拡がっている。 思わず大声で「オーイ!」と叫び、標高差が3000m近くある麓のグリンデルワルトに向かって手を振ってみた。 妻はもう予定どおりファウルホルンを縦走するハイキングに出発したのだろうか?。


ミッテルレギから見たグロース・フィーシャーホルンのシルエット


ご来光とヴェッターホルン


固定ロープが何本も垂れ下がるグローサーツルムの4級の岩壁


山頂直下で凸凹パーティーに道を譲る


アイガーの山頂


アイガーの山頂


山頂から見たヴェッターホルン(右)とシュヴァルツホルン(左)


   山頂から見たフィンスターアールホルン ・ グロース・フィーシャーホルン ・ グロース・グリュンホルン(左から)


山頂から見たメンヒ(中)とユングフラウ(右)


山頂から見た緑濃いファウルホルン


   凸凹パーティーとお互いに記念写真を撮り合うと、後続のパーティーが到着する気配は全くなかったが、彼らは10分もたたないうちに下山していった。 やはり下山ルートの方がより困難なのだろうか?。 am8:00、私が一通り周囲の風景の写真を撮り終えたところでゴディー氏は腰を上げた。 僅か15分余りの山頂だったが、不思議と心残りは全く無かった。 むしろこれからの下りに備えて気持ちを引き締めようと努めた。 山頂から僅かに下った所で氏は足を止め、クライネ・シャイデックの方を指さしながら「これがウエスト・リッジ(西稜)で、アイガーグレッチャー駅に下る一般ルートがありますが、今シーズンは落石が多いので今日はこのまま稜線を縦走して、メンヒスヨッホヒュッテまで行きます」と下山ルートの説明をしてくれた。 このルートは山崎さん達のパーティーと同じで、この絶好の天気であれば陽の当たらない薄暗い尾根を下るよりは、稜線を縦走する方が面白いので、この提案には大賛成だった。

   下りは後ろからゴディー氏に確保されて私が先頭になり、ルートファインディングをしていくことになったが、確保が必要な所以外では多少正しいルートを外して強引に下ってしまっても細かく指示されることはなく、結果オーライで黙って私の後をついてきてくれた。 斜度が急な所では懸垂(ロアーダウン)で降りるため、ルートファインディング以外で苦労することもなく、快適に稜線上のコル(アイガーヨッホ)を目指して下っていったが、山頂までの登りが余りにも短時間だったため、時間がとても長く感じられる。 途中ガイドレスと思われる二組のパーティーとすれ違ったが、氏がその都度声をかけたことは言うまでもない。 間もなく凸凹パーティーに追いつくと、その後はゴールのメンヒスヨッホヒュッテまで終始私達が先行することになった。

   アイガーヨッホに下る直前で初めて雪の斜面が現れ、アイゼンを着けて100mほど下る。 アイガーヨッホで再びアイゼンを外しながらの小休止となった。 山頂からここまで1時間足らずで下ってきたが、里心がついたのか時間がとても長く感じられた。 メンヒスヨッホヒュッテの建つオーバーメンヒスヨッホ(3629m)と目線の高さが同じになったので、ここから先は快適な稜線漫歩が期待できると思ったのは大間違いだった。 遠目にはすっきりしたラインを描いているなだらかな稜線は、実際そこを歩いてみると小さな登り下りが多くて時間が掛かる。 ミッテルレギの登攀よりむしろこちらの方が変化に富んでいるくらいだ。 天気が安定しているので、私が頼みさえすればゴディー氏は快く休憩や写真撮影を許可してくれそうな感じだった。

   am9:10、アイガーヨッホからしばらく登った見晴らしの良い所ですぐにまた休憩となった。 振り返り見たアイガーは、グリンデルワルトやグローセ・シャイデックから見た荒々しく何人をも寄せつけない威圧的な北壁の風貌とは全く異なり、溢れんばかりの陽光に照らされた南壁の岩肌は重厚な面持ちで親しみのあるものだった。 麓からは見ることが出来ない表情のアイガーの写真を撮っていると、突然ゴディー氏が笑みを浮かべながら「これからメンヒを登りませんか?」と言った。 余りにも唐突で意外な発言に、“いかにもゴディー氏らしいジョークだな”と思い、「そんな芸当はとても出来ませんよ!」とおどけながら切り返した。

   10分ほど休憩してから凸凹パーティーと入れ替わるように出発する。 相変わらず変化に富んだ縦走だったが、意外なことに途中からゴディー氏は私に先頭を歩くように指示した。 むろん合理性や安全性を考えてのことではない。 今までのアルプスのガイド登山では経験が無かったことを氏は次々に繰り出してくる。 単に山の頂に導くことのみならず、“山登りの楽しさ”をもっと味わせてあげたいというサービス精神の現れだった。 一人前として認められた様な錯覚に陥った単純な私は、その氏の気持ちに応えようと先ほどのアイガーの登攀の時よりも神経を集中して真面目に登ったため、逆にぺースは上がったようだったが、結果的にこれは大失敗だった。

   覆いかぶさるようなメンヒの巨大な台形の雪壁が眼前に迫り、同峰へと続く稜線を離れて左手の氷河に向けて下る分岐(コル)で再びアイゼンを着けるための休憩となった。 意外なことに再びゴディー氏は「メンヒを登っていきませんか?」と言った。 先ほどは単なるジョークだと思ったが、どうやら氏の誘いは本気らしかった。 ガイドの判断で下山を余儀なくされることは良くある話だが、ガイドの方から積極的に(しかも無償で)他の山に連れていくことなど前代未聞のことだった。 思わずあらためてメンヒの巨大な雪壁を仰ぎ見た。 ルートはこのまま直進した先の急峻な雪稜だが、もちろん一般ルートではない。 相当困難な登攀が予想されるが、こんなチャンスは滅多に無い。 このルートでメンヒを登る人は1%もいないであろう。 私は真剣に迷ったが、アイガーの登攀と先ほどからの頑張り過ぎにより、すでに足の疲労がピークに達していたことや、次の目標のグロース・フィーシャーホルンのガイドの予約を今日中にしたかったので、心を鬼にして再び氏の提案を丁重に断った。 しかしこの時の判断は後で大変後悔することとなった。

   am10:00過ぎ、稜線を離れて雪の斜面を100mほど下り、平らな氷河へと降り立った。 氷河上は照り返しがきつくとても暑かったので、ゴディー氏共々すぐにジャケットを脱いだ。 神々しいメンヒの雄姿を真下から仰ぎ見ていると、“先のことなど考えずに、登れる時に登っておいた方が良かったのでは?”という後悔の気持ちがすぐに芽生えてきた。 本来であれば憧れのアイガーに登れた嬉しさで意気揚々と凱旋するところだが、妙な気持ちに苛まれることになってしまった。 所々で写真を撮りながら、30分ほど平らで単調な氷河を歩き、最後に峠(オーバーメンヒスヨッホ)に建つ山小屋まで100mほど登り返した。 登り始めはきつかったが、しばらくすると体がだんだん順応してきた。 やはりメンヒを登れば良かった・・・。 後悔の気持ちは募るばかりだった。


アイガーヨッホから見たアイガーの南壁


アイガーヨッホから見たメンヒ


   アイガーヨッホから見たヴェッターホルン(左)とシュレックホルン(右)


アイガーヨッホから見たエーヴィヒ・シュネ−フェルト(万年雪原)


   am11:00、山頂からちょうど3時間でメンヒスヨッホヒュッテに着いた。 3年前に私がアルプスで初めて泊まった懐かしい山小屋だ。 ザイルが解かれると、あらためて前例のない素晴らしいガイドをしてくれたゴディー氏に全身で感謝の気持ちと憧れのアイガーを登れた喜びを伝え、近くにいた人に氏との記念撮影をお願いした。 氏にこれからの予定を伺うと、山小屋で昼寝をしてから明日のアイガー登山のガイドのため、またミッテルレギヒュッテにお客さんと向かわれるとのことだった。 私もまだ下山するには早かったので氏を食堂に誘って祝杯を上げ、感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。 間もなく到着する山崎さんも、私が山小屋にいたら驚くだろう。

   窓側の席に座ると次の目標のグロース・フィーシャーホルンが見えたので、開口一番ゴディー氏にその予定を話し、山崎さんが到着するまで氏と歓談することにした。 英語力が昨日より向上した訳ではないが、お互いに気心が知れてきたせいか、会話は意外とスムースだった。 氏にアルプスの山の中で一番好きな山を訊ねると、第一にシュレックホルン、次がアイガーとのことで、地元を愛する氏らしい答えが返ってきた。 シュレックホルンはベルナー・オーバーラント山群の一般ルートの中では一番難しい岩登りが主体の山だ。 念のため「私にも登れますか?」と訊ねたところ、「サカイさんは他の人に比べて岩を登る時のバランスが良いので大丈夫ですよ」という意外な答えが返ってきた。 氏の社交辞令を真に受け、調子に乗って憧れのヴァイスホルンやグランド・ジョラスについても訊ねたところ、ルートのコンディションさえ良ければ大丈夫でしょうとのことだった。 私も氏がガイドをしてくれれば、アルプスで(世界中に!)登れない山はないと思った。 氏の話では、今回のアイガーの一般ルートのミッテルレギの登攀について、まず初日のアイスメーア駅から山小屋まで1時間で登れる人は優秀で、1時間半ではまあまあ、2時間掛かる人は先が思いやられるとのことで、この所要時間で翌日のアタックに要する時間もだいたい見当がつくという。 ちなみに例年どおり稜線に雪があるミックスルートの場合は、山小屋から山頂までの登りが3〜4時間、山頂からアイガーグレッチャー駅までの下りも同じく3〜4時間とのことだったが、過去に一人16時間掛かった“猛者”がいたという。 「その時は本当に参りましたよ!」と、氏は苦笑いしながら話してくれたが、途中で“下山命令”を出さずにそのお客さんに付き合った氏のサービス精神には頭が下がった。 また、今年のアルプスは猛暑のため、昨年登ったモン・ブランではグーテ小屋を経由する一般ルート上の氷河のクレバスが大きく開いてしまったため、現在ルートが閉鎖されているとのことで、その余波でユングフラウのみならずドムにも登山者が殺到し、小さなドムヒュッテが大盛況(てんてこ舞い)になっているとのことだった。

   1時間近くアルプスの山々の話に花が咲き、あっと言う間に正午になった。 どこで道草を食っていたのか、ようやく凸凹パーティーが山小屋に到着した。 その後しばらく山崎さん達を待っていたが、到着する気配がなかったので、仕方なくゴディー氏に別れを告げてユングフラウヨッホに向かうことにした。 天気が良いせいか、ヨッホから山小屋までの雪上ハイキングをする人が多い。 正面にユングフラウの雄姿を望みながら5mほどの幅で圧雪された氷河の上を歩く極楽・極上のトレイルだ。 10分ほど緩やかに下ると、メンヒの山頂への一般ルートとの分岐になった。 3年前に初めて登ったアルプスの山のルートを見上げると、何かとても懐かしい気持ちになったと同時に、先ほどゴディー氏の誘いを断ってしまったことへの後悔の気持ちが再び脳裏をかすめたが、“好事魔多し”と繰り返し心の中で唱えるしか術がなかった。 今日の山行の思い出に浸りながら歩いていると、ふと先ほどアイガーの山頂直下で余計な休憩を取ったのは、凸凹パーティーの老ガイド氏に敬意を表して、さりげなく山頂への一番乗りを譲るためだったことに気がつき、あらためて今日のアイガー登山の一番の思い出は、達成感や山頂からの大展望ということではなく、ゴディー氏という素晴らしいガイドと巡り合えたことだったと感じた。

   pm2:00過ぎ、大勢の観光客で賑わっているユングフラウヨッホの駅に着いた。 明日以降に予定しているグロース・フィーシャーホルン登山で再びここに戻ってくるが、去りがたい気持ちが帰りの足を最上階の展望台へと向かわせた。 アイガーはメンヒに隠されて見えないことは分かっていても、憧れだったベルナー・オーバーラント三山を全て登れたことで胸は一杯だった。 予定していたpm2:30発の下りの登山電車は混雑のため乗れず、次のpm3:00発に乗車してクライネ・シャイデックへ向かった。


メンヒスヨッホヒュッテのテラスでゴディー氏と


メンヒスヨッホヒュッテ


ヒュッテとユングフラウヨッホの駅の間から見たユングフラウ


ヒュッテとユングフラウヨッホの駅の間から見たアレッチホルン


アレッチ氷河


   クライネ・シャイデックから見上げたアイガーの北壁は相変わらず威圧的で、素人の私が今朝あの尖った頂に立ったということはとても信じられない。 周りにいる観光客も誰一人そのことを想像出来ないだろうが、それが何故か妙に誇らしかった。 同駅で15分ほど下りの登山電車を待ち、グリンデルワルトへ下った。 車窓からはファウルホルンからシーニゲ・プラッテに至る緑の稜線が見えた。 絶好のハイキング日和に、縦走している妻も満足しているだろう。 早く晴れがましい顔を見せて安心させてあげたい。 まるで大聖堂のような面持ちのヴェッターホルンが車窓から望まれ、pm4:45にグリンデルワルトへ到着。 その足で直ちにAGへ向かう。 今日もデボラさんが笑顔で応対してくれた。 彼女がAGにいることによる安心感は本当に計り知れないが、意外にも話は悪い方向に展開していた。 猛暑のため登れなくなった他の山(一番はモン・ブランだろう)からの振替の影響で、ここしばらくの間ガイドが手配出来なくなってしまったようだ。 こんなことなら天気を気にせずアイガーを登る前にガイドを予約しておけば良かったと後悔したが、今シーズンすでに2回AGに依頼した実績があるので、ガイドが見つかり次第、優先的に予約を入れてくれるとのことで、あとはデボラさんの手腕に賭けるしかなかった。

   マーケットで簡単な買い物を済ませpm6:00にホテルに帰ると、予想どおり妻はまだ帰ってなかった。 間もなく妻がハイキングから帰ってくると、私の無事な姿を見て安堵したようだった。 ホテルのレストランで今日のお互いの健闘を讃えあって祝杯を上げた。 私はアイガーに登れた喜びよりも、素晴らしいガイド氏に巡り合えたことを興奮気味に妻に報告した。 妻は常に私の安否を心配しながらも、変化に富んだ縦走路から終始望まれるベルナー・オーバーラント三山の大展望を堪能したとのことだった。 日本では単独行など一度もしたことがない妻にとって、今日の山行は私以上に大冒険だったに違いない。 妻の土産話を聞き、私もいつか是非このトレイルを歩いてみたいと思った。


クライネ・シャイディックから見たアイガー(左)とメンヒ(右)


グルントから見たヴェッターホルン


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