ヴェッターホルン(3701m)

  8月20日、am4:00前に起床。 標高の低さと室内の静かさのためかとても良く眠れた。 身支度を整え階下の食堂に行くと、すでにオッティー氏の姿があった。 もちろん食堂で朝食をとるのも私達のパーティーだけである。 時間には充分余裕があるはずであったが、出発時の服装の選択に時間がかかり、出発予定時刻のam4:45ぎりぎりになって山小屋を出発することになった。 気温は10℃もあり、風もなく動いていれば寒さは全く感じない。 白地に青い線が引かれたアルペンルート(登山道)を示すペンキマークが要所要所の岩に印されているため、アンザイレンはしないで登る。 満天の星空が今日の登頂の成功を約束してくれた。

  登り始めはかなりゆっくりとしたペースであったが、少しずつオッティー氏のペースは上がり、体も充分に温まってきたので、足を止めずに登りながら長袖のシャツを一枚脱いだ。 後ろを振り返るとすでに山小屋の灯は消え、どこにあるのか分からなくなっていたが、グリンデルワルトの町の夜景が遙か眼下に見えた。 間もなく夜が白み始め、シュレックホルンのシルエットがセピア色から茜色にかわりつつある空を背景に神々しく浮かび上がってきた。 今日はアイガー登山のテストも兼ねているため、写真撮影のために氏に声をかけることは控え、いつものように心のシャッターを切った。

  am6:00前、山小屋から1時間ほどの登高で氷河への取り付き点に着いた。 ヘッドランプをしまい、朝陽の当たり始めたシュレックホルンやグロース・フィーシャーホルン、そしてアイガーの写真を撮る。 アイガーはその南壁?を初めて披露してくれたが、いつもグリンデルワルトの町から見上げている姿とは全く違う新鮮さが感じられた。 アイゼン、ハーネス、ヘルメットを装着してアンザイレンした後、am6:15に再出発となった。

  のっけから急斜面の氷河を直登することとなったが、デボラさんが話していたように、表面の雪が昼間の暑さで溶けてしまっているため、氷河が剥き出しとなりアイゼンの爪が刺さりにくいほどガリガリに凍っていた。 一歩一歩慎重に登っていくのかと思ったのも束の間、逆にオッティー氏はグイグイと私達を引っ張り上げ、標高差が100mほどの凍った急斜面を15分ほどで一気に登りきった。 その上の険しい岩場には直接取り付くことは出来ず、15分ほど氷河の上部の縁をトラバースしていったが、トレイルは薄く、入山者の少なさを物語っていた。

  am6:45、支尾根を回り込むようにして氷河から離れると、意外にもオッティー氏から、ここでアイゼンをはずし、ピッケルをデポするようにとの指示があった。 もうここから先のルート上に雪はないということであろうか?。 すかさず「アイゼンはどうしますか?」と氏に訊ねたところ、氏は2〜3度頭を横に振って考えるそぶりをした後、ザックにしまって持っていくようにと指示した(結局雪は無く使わなかった)。 ここから本格的な岩登りが始まるのかと思ったが、ペンキマークこそ無くなったものの、再び微かではあるが踏み跡のあるアルペンルートとなった。 しかし先程よりも傾斜はきつくなり、氏のペースは明らかに速くなった。 普段の山歩きではいつも私よりもペースが遅い妻が何故こんなに頑張れるのか不思議であったが、とりあえず氏のペースについていってるので感心する。 左手には標高差で500m以上もある黄色みがかった垂直の柱状岩壁がそそり立っている。 クライマーの登攀意欲をかき立てるような見事なこの絶壁には、きっと何かそれなりのルートの名称が付けられているに違いない。 約30分もの間喘ぎながら登り続け、標高差でゆうに200m以上は稼いだ感じであった。

  am7:20、いよいよ岩稜帯の核心部に入り、所々に確保用の鉄の杭が見られるようになった。 周囲はかなり明るくなってきたが、西側の斜面を登っているため太陽を拝むことはしばらく叶えられそうもない。 寒々しい3級程度の岩場をオッティー氏が先に登り、上から確保されながら登るが、手袋をすると岩が掴みにくく、手袋を脱ぐと指先が岩で冷たくなるため、状況に応じて手袋の脱着を頻繁に繰り返す。 意外にも氏はそれまで日本語を全く口にすることはなかったのに、ここに来て“チョットマッテテクダサイ”とか“ドウゾ”という言葉をにわかに連発しはじめた。 ペースもここまではまずまずだったので、氏も上機嫌なのであろうか?。 氏が先行して登っている間は下からザイルを送り出すだけなので、必然的に休憩時間となる。 あとでバテないようにセカンドの妻に「氏から見えない所ではなるべくゆっくり登るように」と入れ知恵をする。 空間を隔ててまるで魔神のようにそそり立つ左手の絶壁は物凄い迫力で私達を圧倒し続け、高度感のある爽快な岩登りにさらに付加価値を付けてくれる。 この山とこの景色、そしてこの空間を私達のパーティーだけで独占しているのは何と贅沢なことであろうか!。

  確保用に打たれていた鉄の杭は全部で20本ほどあったが、これはルートの目印としても役に立っていた。 幾つもの小さなクーロワール(岩溝)を抜け、まさに“馬の背”という表現があてはまるほど痩せた岩尾根を攀じ登り、約1時間半の岩稜登攀を終えると、ようやく私達にも太陽が当たり始めた。 am8:40に氷河が堆積したさながら火口の縁のような所(ヴェッターホルンザッテル)に躍り出て、ここで最後の休憩となった。 ヴェッターホルンの衛星峰のミッテルホルン(3704m)との間に発達している氷河のうねるような模様は、まさに大自然が創り出したユニークな景色であった。 素晴らしい青空の下、山頂と思われる所に通じているルートの概要が分かったが、ルートは一見して難しくなさそうに思え、早々と憧れの頂への登頂を確信することが出来た。

  ザッテルで5分ほど休憩した後、氷河のすぐ脇のうっすらと踏み跡のある岩屑のトレイルをジグザグに登る。 再びオッティー氏のペースは速くなったが、ラストスパートと思えば全く苦にならない。 憧れの頂に立てる喜びに胸を踊らせながら30分ほど喘ぎながら登り続けたが、残念なことに登るにつれて先程までの青空は徐々に灰色の雲に覆われ始め、急速な天気の崩れを予感させた。

  am9:15、未明に山小屋を出発してから4時間半で憧れのヴェッターホルンの頂に辿り着いた。 猛暑のせいか小広い山頂は雪で覆われることなく、大部分は岩肌をさらしていた。 今シーズンの第一登が計画どおりに運んだ喜びと、憧れの頂に辿り着けた達成感と安堵感とで胸は一杯だ。 ましてや今日の山頂は私達だけのものである。 「お疲れ様でした〜!、やったねー!」。 妻を労い、登頂の喜びを分かち合った。 「サンキュー・ベリー・マッチ!」。 AGのパンフレットには登りのコースタイムは5時間と書いてあったので、胸を張ってオッティー氏とも握手を交わす。 果してアイガー登山への合格点は与えられたのであろうか?。 高度感たっぷりの山頂に立った気分は実に痛快であったが、喜びも束の間、氏は「天気が悪くなりそうなので、5分後には下山を開始します」と私達に指示した。 大変残念であったが私も同感だったので、この提案も素直に受け入れることが出来た。

  オッティー氏に記念写真を撮ってもらい、360度のパノラマ写真を急いで撮り終えると、テルモスの紅茶で行動食を流し込み、am9:20に下山にかかった。 もちろん下りは私が先頭であるが、アイガー登山のためにもミスは許されないので、丁寧かつ慎重に踏み跡のトレイルを外さないように下る。 間もなく先程休憩した岩稜帯への下降点(ザッテル)に着くと、山の神の悪戯か、再び天気は急速に回復し青空が拡がってきた。 とても悔しかったが、悪天候の中を下降することを考えれば、この気まぐれな天気も幸運であったと感謝しなければならない。

  ルートファインディングをしながら登りの時と同じ3級程度の岩場を下る。 易しい所では正面から、難しい所では後ろ向きになって下るが、登る時には易しく感じていた所でも足場がなかなか見つからず意外に苦労する。 ましてや身長が私よりも20cm低い妻はなおさらで、妻に足の置場を教えながら下るため時間がかかる。 順調に下っていったのも束の間、ちょっとした“事件”が起きた。 痩せた“馬の背”の岩尾根を下ろうとした時に、後ろで確保していたオッティー氏から「ノー、ノー」と違うルートをとるように指示が飛んだ。 どうやら「尾根上を行かずにその側面をトラバースしながら下るルートをとりなさい」と言っているようであった。 しかし私の目で見るかぎり、そこには安全と思える足場はなく、何度か試行錯誤して氏の指示するルートを下ってみたもののどうしても足が向かず、尾根上を行った方が良いと判断せざるを得なかった。 やむなく再び尾根上を下ろうとすると、氏から「そっちはダメだ、登った時のことを覚えていないのか!」と強い口調で再び指示が飛んだ。 その後も私がルートを見い出せずに悩んでいると、氏は「何をやっているんだ!、私の言うとおりのルートを下りなさい!」とさらに声を荒らげて叫んだ。 仕方なく薄氷を踏む思いで氏の指示どおり痩せ尾根の側面をトラバースするルートを下ったが、結局当初私の考えていたルートもすぐ下でこれに合流しており、何故氏がこのルートにこだわったのか理解することは出来なかった。 その後は何事もなく無事岩稜帯の下降を終え、踏み跡のトレイルへと入ったが、気持ちが緩んだせいもあり、何でもない斜面で足が滑って思いっきり尻餅をついてしまった。 のたうち回るほどの激痛であったが、これ以上マイナス材料を増やしてはならないので、平静を装いそのまま下り続けた。

  山頂を発ってから3時間後のpm0:15に先程ピッケルをデポした氷河との境目の所に着き、アイゼンを着けるための休憩となった。 オッティー氏に気を遣って残り少ない水筒の水を氏に手渡したが、氏は水筒が手に付かず下に落としてしまった。 幸い水筒は2〜3m転がった所で止まったが、中の水は全て無くなってしまった。 すかさず「ノープロブレム」と笑顔で応え、氏のご機嫌をとった。 休憩後氷河の上部の縁をしばらくトラバースした後、急斜面の氷河を下ったが、表面の雪が溶けて剥き出しとなった氷河はとても固く、アイゼンやピッケルが簡単に刺さらないため、緊張感も加わって足に力が入ってしまいとても疲れた。

  急峻な氷河の斜面を下り終え、pm1:00ちょうどにアルペンルート(登山道)の終点に無事辿り着いた。 少し離れた所で昨夜夕食のテーブルを囲んだガイドと親子連れが、ピッケルを氷河に打ち込んで遊んで(体験学習?して)いた。 ここからは“安全地帯”となるのでザイルが解かれた。 天気はますます良くなり、強烈な陽射しと気温の上昇でとても暑い。 アイゼン・ハーネスを外してアンダーシャツ一枚となった。 僅かに残っていた水筒の水に雪を入れて溶かし喉を潤す。 憧れのヴェッターホルンを背景に、山頂では撮れなかったオッティー氏との記念写真を妻と代わる代わるに撮り合って登頂の余韻に浸った。 氏もひと仕事終えたという感じで座り込み、私達に背を向けて一人噛み煙草をやっていた。

  30分近く大休止をとった後、pm1:25に山小屋に向けてアルペンルートを下った。 オッティー氏と一緒のペースでは足が疲れるので、「マイペースでゆっくり下りますから」と申し出て下ることにしたが、まだ氏から合格点をもらった訳ではないので、あまり間隔が空かないように心掛けながら氏の後をついていくことにした。 山小屋に着く直前で氏を見失い、道も少し間違えたが、トレイルの無い所を強引に下り、pm2:00ちょうどに山小屋に着いた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!」。 あらためて氏にお礼を述べて固い握手を交わし、妻を労って早速食堂に入って3人で祝杯をあげた。 下りは先ほどの休憩が長かったこともあり、登りよりも時間がかかったが、AGのパンフレットに書かれている山小屋からの往復のコースタイムは10時間なので、時間的には“合格”であった。 ヴェッターホルンを登り終えたばかりであったが、私の頭の中はすでに次の目標であるアイガー登山のことで一杯だった。 先ほどの“事件”のことがあったので気後れしたが、思い切って氏に「私にアイガーが登れますか?」と訊ねたところ、氏から「天気が良ければ多分大丈夫だと思います。 でもミッテルレギはとても“シリアス(危険が多い)”ですよ」という嬉しい反面、少し心配な答えが返ってきた。 氏は明日の仕事のためか、ビールを一杯飲み干すと直ぐに山小屋から下山していってしまったので、うっかり大事なチップ(袖の下?)を手渡すのを忘れてしまった。

  pm2:50、山小屋の女将さんに別れを告げ、私達もpm5:30の最終バスに間に合うように下山にかかった。 憧れの山に登れたことで身も心も軽いが、往復10時間近くの登高で疲れている体を労るとともに、明後日に控えたアイガー登山に備えて自重しながら下る。 下り始めは強烈な陽射しと照り返しで顔が火照るほどであったが、次第に空模様は再び怪しくなり、2〜3度雷鳴が轟いた後、道路が足下に見え始めた所でとうとう夕立のような雨が降ってきた。 幸い傘を持っていたので濡れずに済み、少し遅れて到着したバスに乗ってグリンデルワルトの町に帰った。 山頂から2000m以上の標高差を下り、足は棒のようになっていたが、ホテルまでの上り坂の途中で何度も後ろを振り返り、雲の中から顔を覗かせているヴェッターホルンの雄姿を眺めると、何かとても誇らしげな気持ちになった。


氷河への取り付き点(帰路の撮影)


氷河への取り付き点から見たシュレックホルン


ヴェッターホルンザッテルから見たアイガー(右)とグロース・フィーシャーホルン(左)


ヴェッターホルンの山頂


ヴェッターホルンの山頂から見た衛星峰のミッテルホルン


ヴェッターホルンの山頂から見たシュレックホルン


氷河への取り付き点でガイドのオッティー氏と


山 日 記    ・    T O P