シュヴァルツホルン(2928m)

   8月18日、予報どおりのまずまずの天気に安堵し、朝食を食べにレストランに行くと、日本人の団体客が賑やかにバイキングを楽しんでいたが、何故か私達はすぐ隣にある別室に案内された。 席につくと、意外にも私達に用意された朝食は2種類のパンとひとかけらのチーズとジャムといった質素なもので、これから先のことを考えるとのっけからガッカリさせられた。

   気を取り直してam7:00過ぎにホテルを出発し、予定どおりシュヴァルツホルン(2928m)への登山に出掛けた。 今日は運が無いのか、登山口となるグローセ・シャイデック(1961m)行きのam7:30の始発のバスは8月10日で終わり、始発は50分後のam8:20だったので、仕方なく峠に向かって急勾配の車道をアイガーの写真を撮りながら歩いて登ることにした。 悔しさに拍車をかけるように、昨夜降った雨のせいで、アイガーは麓から湧き始めた霧に次第に呑み込まれようとしていた。 2kmほど歩いた3つ目のバス停から乗車したが、意外にもバスはハイカーや観光客で満員だった。 間もなくバス1台がやっと通れるほどの狭いつづら折りの道となり、運転手は要所要所で威勢よく「ド・ミ・ソ・ド〜♪」という音色の警笛を鳴らしながらバスを走らせていく。 明日のヴェッターホルンへの登山もこのバスを利用するが、降車するバス停では他に乗降客は無いだろうし、運転手の独語の発音ではバス停をアナウンスされても分からないため、車窓から目を凝らして宿泊する山小屋(グレッグシュタインヒュッテ)へのトレイルの標識を探したところ、車道脇に標識を見つけることが出来た。

   am9:00にグローセ・シャイデック(独語で“大きな峠”の意味)に着いたが、意外にもここで下車したのは私達を含めて5〜6人で、殆どの乗客はそのまま峠の反対側のマイリンゲン方面へとそのままバスで下っていった。 ヴェッターホルンの絶壁の足元に位置するグローセ・シャイデックは、順光となる朝のアイガーを見るのには一番良い“展望台”だが、残念なことに霧や雲がアイガーにまとわりついて良い写真は撮れなかった。 それでもグリンデルワルトの町から屏風のように屹立しているその北壁や、まさに“ナイフリッジ”という形容詞がふさわしいミッテルレギ(東山稜)の岩尾根を目の当たりにすると、いやがおうにもボルテージは上がってくる。

   今日の目的地のシュヴァルツホルンは、この峠を挟んでヴェッターホルンと対峙している独立峰で、山頂までトレイルがつけられている貴重な山だ。 また素晴らしい展望が約束されているのみならず、明日からのヴェッターホルン登山に備えての高所順応にはもってこいだ。 昨日ロープウェイで上がったフィルスト方面へトラバースしていく車道のような幅の広いトレイルを、時折聞こえてくるマーモットの鳴き声に耳を傾け50分ほど歩き標識に従って右に折れると、ここからは急登が続くアルペンルートとなった。 シュヴァルツホルンに登るハイカーの殆どが、標高が200mほど高いフィルストを起点とするためか、トレイルを歩いているハイカーは私達以外には誰もいない。 代わりに放牧された沢山の牛たちがトレイルの周りに群れ、私達の通行を妨げている。 昨夜の天気予報では雨のマークは無かったのに、鉛色をした空からとうとう雨が降り出した。 すでにアイガーやヴェッターホルンは雲の中にその姿を隠してしまい、傘をさして大きい牛たちの間を縫ってただ黙々と登ることになってしまった。 雨が少し小降りになった所で一休みしてパンを食べ始めると、匂いを嗅ぎつけた一頭の大きな牛が近寄ってきた。 慌ててパンを隠したが、牛は何を思ったのか脇に置いた傘を食べ(舐め)始めた。 仕方がないので早々に腰を上げ、再びトリカブトと大きな野アザミが多いトレイルを登り続けた。

   am10:50、グローセ・シャイデックから2時間ほどで、フィルストから登ってくるトレイルとの分岐に着いた。 分岐に標識はあったが、珍しく山頂までのコースタイムは書かれていなかった。 生憎の天気にもかかわらず、シュヴァルツホルンに登るハイカーが散見されたが、予想どおり日本人はいなかった。 分岐を過ぎると間もなく雨はあがったが、今度は周囲が濃い霧に包まれてしまった。 今日は時間に制約があるため、山頂で天気の回復を待つことは出来ない。 再び雨が降り出し、何度も引き返そうと立ち止まりながらも、ふんぎりがつかないまま1時間ほど登り続けていくと、シュヴァルツホルンの西尾根を登るヴァリエーションルートとの分岐に着いた。 相変わらず天気は悪く、回復の見込みは無さそうだった。 しばらく空を見上げながら進退について悩んだが、せっかくなので山頂まで登ることにした。 晴れていればヴァリエーションルートにチャレンジしようかとも考えていたが、天気が悪いので迷わず“一般ルート”を選んだ。

   分岐点を過ぎるとトレイルは次第に大小の岩屑からなるアルペンルートとなった。 霧の中に尾根伝いにあるファウルホルンやヴェッターホルンの黒い絶壁が時々垣間見られるだけだったが、“高所順応”と言い聞かせながら重たい足を上へと運んだ。 突然ヴェッターホルンの方角から大きな雷鳴が轟くと、大粒の霰が降ってきた。 霰が岩の上をパチンコ玉のように跳ねる様は面白かったが、前途はますます怪しくなってきた。 幸いにも雷はすぐに収まったので、広い尾根を所々に積まれたケルンに導かれて登り続けた。

   pm0:50、霧の中に大きなケルンと数人のハイカーの姿が見えたので、そこがシュヴァルツホルンの山頂だと分かった。 素晴らしい展望が得られる山頂で霧が晴れるのを待ち続けたかったが、pm5:00までにAGに行かなければならないので、ケルンを積んで30分ほどで山頂を後にした。 再び雨の降り出したトレイルを、傘をさして足下だけを見ながら黙々と下り、朝方登ってきたグローセ・シャイデックへのトレイルを左手にやり過ごしてフィルストへと急ぐ。 私達の後にはもう誰も登ってこなかった。 悔しいことにフィルストに近づくと霧が晴れて青空が急速に拡がり始め、“今日は運が悪かったね”と言わんばかりにシュヴァルツホルンが顔を出した。

   pm3:30にフィルストに着き、直ちにグリンデルワルトへとゴンドラで下る。 AGの受付でデボラさんをリクエストすると、意外にも現れたのは外国人としては小柄な若い女性だった。 早速猛暑となっている今シーズンの山の状況を訊ねると、やはり各方面で登山に影響が出ているとのことだったが、幸いにも私達の予定している山は今のところ一応大丈夫だということで安堵した。 明日からの登山に必要な装備品の確認をした後、ガイドの名前、年齢、ガイドとの集合場所と時間、山の難易度等についてデボラさんに訊ねると、ガイドはオッティー・ハウエルという名前で年齢は30歳位、アイガーも同じだという。 また明日はpm4:00頃までにB.Cの山小屋(グレッグシュタインヒュッテ)に私達だけで行き、そこでガイドと落ち合って下さいとのことだった。 登山口のバス停は『ウンタラー・ラウヒビュース』だと教えてもらった。 デボラさんも登山愛好家のようで、ヴェッターホルンには昨年の8月に登られたそうだが、同峰は結構難しいので、アイガーを登るための良いテストになるのではないかとのことだった。 デボラさんの日本語がとても流暢だったので理由を聞くと、意外にも学生の時に1年間日本(岐阜県)にホームステイをした経験があるという親日家だった。 デボラさんの存在は今回の滞在中非常に心強いものとなったことは言うまでもない。 デボラさんと雑談を続けていると、タイミング良く偶然にもオッティー氏が事務所に現れたので、早速握手を交わして自己紹介をした。 氏は大柄で少々ぶっきらぼうな感じのする青年だった。 デボラさんを介して、「ヴェッターホルンの登り方を見て、私にアイガーが登れるかどうかを判断して下さい」と氏に伝えてもらい、山小屋の受付で提示するバウチャーを受け取ってAGを後にした。

   グリンデルワルトの町には3軒のスーパーマーケットがあり、それぞれ売っている商品に違いがある。 pm6:30で閉店してしまうので、ある程度まとめ買いをしておきたいが、ホテルの部屋には冷蔵庫がなかったので、必要最小限の食材だけを買って帰った。


グローセ・シャイデックから見たアイガー


シュヴァルツホルンへの登りから見たファウルホルン方面


シュヴァルツホルンの山頂直下のアルペンルート


シュヴァルツホルンの山頂直下から見たアイガー


シュヴァルツホルンの山頂


フィルスト付近から見たシュヴァルツホルン


フィルストとグリンデルワルの間から見たヴェッターホルン


山 日 記    ・    T O P