憧れのヨーロッパアルプス 4

  【グリンデルワルト再訪】
   3年前の2000年の夏、私は妻と共に右も左も分からぬまま憧れのヨーロッパアルプスの高嶺を目指し、スイスの中央部に位置する『ベルナー・オーバーラント山群』のアルペンリゾート地のグリンデルワルトを訪れた。 標高1034mのグリンデルワルトからは目の前に3970mのアイガーがとてつもなく大きく聳え立ち、またその名を世界的に有名にした“北壁”が威圧的に町を見下ろしていた。 一方アイガーに圧倒された目を左にやると、アイガーの弟分のような岩峰であるメッテンベルク(3104m)とヴェッターホルン(3701m)が氷河の谷を挟み、それぞれ個性的な装いで兄貴分には負けない荒々しさで聳え立っていた。 始めてアルプスの高嶺を間近に仰ぎ見た私は、そのスケールと迫力に圧倒され、魅了され、また虜になった。 そしてこれらの山々の存在が貧乏人の私を3年も連続してアルプスに通わせる原動力となった。 その年の夏はグリンデルワルトの町をB.C(登山基地)として6日間滞在し、山群の最高峰の栄誉はフィンスターアールホルン(4274m)に譲るものの、通称『ベルナー・オーバーラント三山』と呼ばれるアイガー、メンヒ、ユングフラウのうち、良いガイドに導かれメンヒ(4099m)とユングフラウ(4158m)の頂に立つことが出来た私は、この町を去る時にもし再訪する機会があれば、三山の中では一番難しく、かつアルプスの山の中でも上級者向けといわれるアイガーを登り、三山の完登をしてみたいと心に誓った。

   その後2001年の夏にはイタリアとの国境に近いスイス南部の『ヴァリス山群』のアルペンリゾート地のツェルマットを訪れ、2002年の夏にはフランスの『モン・ブラン山群』のアルペンリゾート地のシャモニに足跡を残した私は、今夏再びグリンデルワルトを再訪することを心に決めた。 目標の山はもちろんアイガーだ。 そしてガイドブック等を参考に、他に登れそうな山を選んだところ、フィンスターアールホルン、グロース・フィーシャーホルン(4049m)、シュレックホルン(4078m)、ヴェッターホルンの4座が候補に上がった。 いずれも前回の滞在時に、山頂やハイキングトレイルから羨望の眼差しで見ていた山々だ。 さらにあれこれと計画をしているうちに、ふと、まだ足を踏み入れていないスイス東部の『ベルニナ山群』の盟主であるピッツ・ベルニーナ(4049m)にも登ってみたいという願望も芽生えてきた。 これらの山々について、前回の滞在時に地元のガイド組合に山岳ガイドの手配(取り次ぎ・有料)をしてもらったグリンデルワルトの日本語観光案内所に手紙を出して、登山日程やガイド料、ガイドの予約の時期等について照会したところ、数日後に観光案内所からの手紙とガイド組合(改称して『グリンデルワルト・スポーツAG』となった)の独語で書かれた最新のパンフレットが送られてきた。 手紙に記されていたアドバイスによれば、ガイドの予約は基本的に事前にしておいた方が良く、またずっと連続してというよりは、一山毎に一日程度空けて予約をしておけば、悪天候時に予約日の前後である程度の調整をしてくれるということだった。 またフィンスターアールホルンはグロース・フィーシャーホルンとのコンビネーションも可能だが、氷河の状態によっては最大5日間を要する場合もあること、そしてピッツ・ベルニーナについては、金曜日にグリンデルワルトを出発するプログラムしかないとのことだった。 またAGのパンフレットでは、アイガーとシュレックホルンは上級、ヴェッターホルン、フィンスターアールホルン、グロース・フィーシャーホルンは中級となっていて、ピッツ・ベルニーナについては、“管轄外”のため記載がなかった。

   GW明けに第4回目のアルプス山行の日程を8月17日〜9月2日(現地日付)に決め、航空券とホテルの手配をH.I.Sで行った。 一昨年以来ずっと利用しているシンガボール航空の航空券はサーズの影響か昨年よりかなり値下がりし、@127,000円だったが、ホテルの料金は円安と3年前から3割値上がりしたスイスフランのせいで、全般的に前回より高かった。 とりあえず、『アイガーブリック』という3ツ星ホテルが一番安かった(ツイン・朝食付きで一泊14,600円)ので予約した。 ガイドの予約については、観光案内所へ国際電話をかけて第一目標のアイガーと最初に登る予定のヴェッターホルンを日本から事前に行い、その他の山については現地で天気の様子や情報収集をしながら行なうことにした。 観光案内所にガイド料(アイガー1,080フラン・邦貨で約97,000円/1人・山小屋宿泊代含む・ヴェッターホルン1,120フラン・邦貨で約101,000円/2人・山小屋宿泊代含む)とAGへの取り次ぎ手数料50フラン(邦貨で約4,500円)をクレジットカードで支払うと、数日後にバウチャーが届き、登山日の前日のpm3:00からpm5:30の間にAGへ出向き、打ち合わせをして下さいとのことだった。

   2003年8月17日、私達と希望を乗せたシンガポール経由の飛行機は30分遅れでam7:00にチューリッヒ空港に到着した。 入国審査は相変わらず早く、機内から僅か30分ほどで駅のホームに着き、予定どおりam7:40発の列車でルツェルンへと向かった。 前回は夕方にチューリッヒに着く便だったので、距離は長いが時間的には早いベルン経由でグリンデルワルトに行ったが、今日は時間に余裕があるので、1時間ほど時間は余計にかかるが、風光明媚な地域を通るということで通称『ゴールデンパス』と名付けられている路線を利用して行くことにした。

   電車はチューリッヒ湖の岸辺に沿って南下して行くと、間もなく車窓から早くもベルナー・オーバーラントの山々が遠望された。 チューリッヒから50分ほどでルツェルンに到着。  乗換え時間が50分ほどあるので駅前の散策を行う。 スイス発祥の地といわれるルツェルンは、世界一古い木造の橋といわれる『カペル橋』や、歴史的に貴重な建物、美術館、博物館等も多く観光客で賑わっていた。 また、広いフィアヴァルトシュタッテー湖の畔にある駅前からは湖を遊覧する大型船も発着し、背後にはキリストを処刑したローマ総督の亡霊がさまようという言い伝えがある名勝ピラトゥス山(2129m)が聳えていた。

   ルツェルンからはゴールデンパスの区間となり、終点のインターラーケンオストまでは山を登り、谷を抜け、ザーネン湖・ルンゲルン湖・ブリエンツ湖といった大小3つの湖やベルナー・オーバーラントの山々を眺めながらの旅となった。 急勾配の坂道や曲がりくねったルートを辿るだけでなく、線路が単線のため途中何度か反対方面からの電車との待ち合わせをするために時間がかかる。 途中、マイリンゲンという谷間の小さな町でスイッチバックにより方向転換をした後、ルツェルンから2時間ほどでインターラーケンオストに到着した。 インターラーケンオストの町はとても暑く、出発直前に耳にした“暑さのためヨーロッパ全土で3000人以上が死亡した”という話や、スイスでも観測史上初めて最高気温が40℃を超える日があったという猛暑を実感した。

   インターラーケンオストから登山電車に乗り換えて、懐かしのグリンデルワルトへ。 日本と違って湿度はないが、窓を開けても涼しく感じられない。 間もなく車窓からはヴェッターホルン、メッテンベルク、最後にアイガーが順番に出迎えてくれたが、これらの山々はいずれも白い氷河の衣を脱いで真っ黒に日焼けし、特にアイガーは山頂直下に申し訳なさそうに雪をつけているだけで、直前に大雪の降った3年前の夏とは全く違う印象だった。 正午過ぎにグリンデルワルトに着いたが、日曜日のため商店は駅前のキオスク以外は殆どが休みで、観光案内所もpm2:00まで昼休みだったので、とりあえず宿泊先のホテルに向かう。 重たいスーツケースを引きずりながら、日陰を選んで坂道を10分ほど登ったが、ホテルはなかなか見えてこない。 道を間違えたかと思い始めた頃、ようやくホテル『アイガー・ブリック』に到着し、無事チェックインすることが出来た。 案内された3階の部屋は西向きで、残念ながらアイガーを正面に見ることは出来なかったが、新しい大きなバスタブのある良い部屋だった。 エアコンは無いので窓を開けたが、冷夏の日本の方が涼しい感じだった。

   昼過ぎに観光案内所に行き、滞在中お世話になるスタッフの方(市川さん)と会い、山や天気の様子を伺って情報の収集に努めるとともに、出発日が金曜日しかないというピッツ・ベルニーナ登山の件の再確認をお願いした。 市川さんから、AG(ガイド組合)に日本語が話せるデボラさんというスタッフがいることを教えてもらい、とても心強く思った。

   時差ボケの解消と高所順応?を兼ねて、その足でフィルストの展望台(2171m)へゴンドラに乗って上がった。 ゴンドラの車窓から眼前に大きく鎮座しているヴェッターホルンに挨拶し、地図に記されている山小屋(グレッグシュタインヒュッテ)までのアプローチのハイキングトレイルを双眼鏡で確認してみると、垂直に近い岩壁をへつるようにトラバースしながら登っていくユニークなアルペンルートであることが良く分かった。

   フィルストからの懐かしい展望を充分に堪能した後、標高差が約1100mあるグリンデルワルトまで牧草地の中にジグザグにつけられた幅の広いハイキングトレイルを歩いて下る。 ちょうど近くの山腹に放牧されていた牛たちが牛舎に帰る時間と重なったため、私達の周囲には沢山の牛たちがカウベルの音をけたたましく鳴らしながら、歩いたり走ったりしていた。 フィルストからグリンデルワルトまで2時間半ほどかけてゆっくり下り、pm6:00過ぎにホテルに戻ったとたん夕立のような激しい雷雨となった。

   別棟となっているホテルのレストランに夕食を食べに行き、食事の後で妻がたまたま隣のテーブルにいた英語の堪能な若い日本人の女性と雑談を交わしたところ、彼女はハイキングや観光でスイスの一人旅を楽しまれているとのことだったが、先週ツェルマットに滞在してヘルンリヒュッテに泊まった時に、“今シーズンのマッターホルンでは落石による事故が多発している”という話を耳にしたとのことだった。


スイス発祥の地といわれるルツェルンの駅


3年ぶりに再訪したグリンデルワルトの駅


グリンデルワルトで滞在したホテル『アイガー・ブリック』


フィルストとグリンデルワルの間から見たヴェッターホルン


  【シュヴァルツホルン】
   8月18日、予報どおりのまずまずの天気に安堵し、朝食を食べにレストランに行くと、日本人の団体客が賑やかにバイキングを楽しんでいたが、何故か私達はすぐ隣にある別室に案内された。 席につくと、意外にも私達に用意された朝食は2種類のパンとひとかけらのチーズとジャムといった質素なもので、これから先のことを考えるとのっけからガッカリさせられた。

   気を取り直してam7:00過ぎにホテルを出発し、予定どおりシュヴァルツホルン(2928m)への登山に出掛けた。 今日は運が無いのか、登山口となるグローセ・シャイデック(1961m)行きのam7:30の始発のバスは8月10日で終わり、始発は50分後のam8:20だったので、仕方なく峠に向かって急勾配の車道をアイガーの写真を撮りながら歩いて登ることにした。 悔しさに拍車をかけるように、昨夜降った雨のせいで、アイガーは麓から湧き始めた霧に次第に呑み込まれようとしていた。 2kmほど歩いた3つ目のバス停から乗車したが、意外にもバスはハイカーや観光客で満員だった。 間もなくバス1台がやっと通れるほどの狭いつづら折りの道となり、運転手は要所要所で威勢よく「ド・ミ・ソ・ド〜♪」という音色の警笛を鳴らしながらバスを走らせていく。 明日のヴェッターホルンへの登山もこのバスを利用するが、降車するバス停では他に乗降客は無いだろうし、運転手の独語の発音ではバス停をアナウンスされても分からないため、車窓から目を凝らして宿泊する山小屋(グレッグシュタインヒュッテ)へのトレイルの標識を探したところ、車道脇に標識を見つけることが出来た。

   am9:00にグローセ・シャイデック(独語で“大きな峠”の意味)に着いたが、意外にもここで下車したのは私達を含めて5〜6人で、殆どの乗客はそのまま峠の反対側のマイリンゲン方面へとそのままバスで下っていった。 ヴェッターホルンの絶壁の足元に位置するグローセ・シャイデックは、順光となる朝のアイガーを見るのには一番良い“展望台”だが、残念なことに霧や雲がアイガーにまとわりついて良い写真は撮れなかった。 それでもグリンデルワルトの町から屏風のように屹立しているその北壁や、まさに“ナイフリッジ”という形容詞がふさわしいミッテルレギ(東山稜)の岩尾根を目の当たりにすると、いやがおうにもボルテージは上がってくる。

   今日の目的地のシュヴァルツホルンは、この峠を挟んでヴェッターホルンと対峙している独立峰で、山頂までトレイルがつけられている貴重な山だ。 また素晴らしい展望が約束されているのみならず、明日からのヴェッターホルン登山に備えての高所順応にはもってこいだ。 昨日ロープウェイで上がったフィルスト方面へトラバースしていく車道のような幅の広いトレイルを、時折聞こえてくるマーモットの鳴き声に耳を傾け50分ほど歩き標識に従って右に折れると、ここからは急登が続くアルペンルートとなった。 シュヴァルツホルンに登るハイカーの殆どが、標高が200mほど高いフィルストを起点とするためか、トレイルを歩いているハイカーは私達以外には誰もいない。 代わりに放牧された沢山の牛たちがトレイルの周りに群れ、私達の通行を妨げている。 昨夜の天気予報では雨のマークは無かったのに、鉛色をした空からとうとう雨が降り出した。 すでにアイガーやヴェッターホルンは雲の中にその姿を隠してしまい、傘をさして大きい牛たちの間を縫ってただ黙々と登ることになってしまった。 雨が少し小降りになった所で一休みしてパンを食べ始めると、匂いを嗅ぎつけた一頭の大きな牛が近寄ってきた。 慌ててパンを隠したが、牛は何を思ったのか脇に置いた傘を食べ(舐め)始めた。 仕方がないので早々に腰を上げ、再びトリカブトと大きな野アザミが多いトレイルを登り続けた。

   am10:50、グローセ・シャイデックから2時間ほどで、フィルストから登ってくるトレイルとの分岐に着いた。 分岐に標識はあったが、珍しく山頂までのコースタイムは書かれていなかった。 生憎の天気にもかかわらず、シュヴァルツホルンに登るハイカーが散見されたが、予想どおり日本人はいなかった。 分岐を過ぎると間もなく雨はあがったが、今度は周囲が濃い霧に包まれてしまった。 今日は時間に制約があるため、山頂で天気の回復を待つことは出来ない。 再び雨が降り出し、何度も引き返そうと立ち止まりながらも、ふんぎりがつかないまま1時間ほど登り続けていくと、シュヴァルツホルンの西尾根を登るヴァリエーションルートとの分岐に着いた。 相変わらず天気は悪く、回復の見込みは無さそうだった。 しばらく空を見上げながら進退について悩んだが、せっかくなので山頂まで登ることにした。 晴れていればヴァリエーションルートにチャレンジしようかとも考えていたが、天気が悪いので迷わず“一般ルート”を選んだ。

   分岐点を過ぎるとトレイルは次第に大小の岩屑からなるアルペンルートとなった。 霧の中に尾根伝いにあるファウルホルンやヴェッターホルンの黒い絶壁が時々垣間見られるだけだったが、“高所順応”と言い聞かせながら重たい足を上へと運んだ。 突然ヴェッターホルンの方角から大きな雷鳴が轟くと、大粒の霰が降ってきた。 霰が岩の上をパチンコ玉のように跳ねる様は面白かったが、前途はますます怪しくなってきた。 幸いにも雷はすぐに収まったので、広い尾根を所々に積まれたケルンに導かれて登り続けた。

   pm0:50、霧の中に大きなケルンと数人のハイカーの姿が見えたので、そこがシュヴァルツホルンの山頂だと分かった。 素晴らしい展望が得られる山頂で霧が晴れるのを待ち続けたかったが、pm5:00までにAGに行かなければならないので、ケルンを積んで30分ほどで山頂を後にした。 再び雨の降り出したトレイルを、傘をさして足下だけを見ながら黙々と下り、朝方登ってきたグローセ・シャイデックへのトレイルを左手にやり過ごしてフィルストへと急ぐ。 私達の後にはもう誰も登ってこなかった。 悔しいことにフィルストに近づくと霧が晴れて青空が急速に拡がり始め、“今日は運が悪かったね”と言わんばかりにシュヴァルツホルンが顔を出した。

   pm3:30にフィルストに着き、直ちにグリンデルワルトへとゴンドラで下る。 AGの受付でデボラさんをリクエストすると、意外にも現れたのは外国人としては小柄な若い女性だった。 早速猛暑となっている今シーズンの山の状況を訊ねると、やはり各方面で登山に影響が出ているとのことだったが、幸いにも私達の予定している山は今のところ一応大丈夫だということで安堵した。 明日からの登山に必要な装備品の確認をした後、ガイドの名前、年齢、ガイドとの集合場所と時間、山の難易度等についてデボラさんに訊ねると、ガイドはオッティー・ハウエルという名前で年齢は30歳位、アイガーも同じだという。 また明日はpm4:00頃までにB.Cの山小屋(グレッグシュタインヒュッテ)に私達だけで行き、そこでガイドと落ち合って下さいとのことだった。 登山口のバス停は『ウンタラー・ラウヒビュース』だと教えてもらった。 デボラさんも登山愛好家のようで、ヴェッターホルンには昨年の8月に登られたそうだが、同峰は結構難しいので、アイガーを登るための良いテストになるのではないかとのことだった。 デボラさんの日本語がとても流暢だったので理由を聞くと、意外にも学生の時に1年間日本(岐阜県)にホームステイをした経験があるという親日家だった。 デボラさんの存在は今回の滞在中非常に心強いものとなったことは言うまでもない。 デボラさんと雑談を続けていると、タイミング良く偶然にもオッティー氏が事務所に現れたので、早速握手を交わして自己紹介をした。 氏は大柄で少々ぶっきらぼうな感じのする青年だった。 デボラさんを介して、「ヴェッターホルンの登り方を見て、私にアイガーが登れるかどうかを判断して下さい」と氏に伝えてもらい、山小屋の受付で提示するバウチャーを受け取ってAGを後にした。

   グリンデルワルトの町には3軒のスーパーマーケットがあり、それぞれ売っている商品に違いがある。 pm6:30で閉店してしまうので、ある程度まとめ買いをしておきたいが、ホテルの部屋には冷蔵庫がなかったので、必要最小限の食材だけを買って帰った。


グローセ・シャイデックから見たアイガー


シュヴァルツホルンへの登りから見たファウルホルン方面


シュヴァルツホルンの山頂直下のアルペンルート


シュヴァルツホルンの山頂直下から見たアイガー


シュヴァルツホルンの山頂


フィルスト付近から見たシュヴァルツホルン


フィルストとグリンデルワルの間から見たヴェッターホルン


  【ヴェッターホルン】
   8月19日、アルプスの山の神に歓迎されたのか、am7:00前の天気予報では今日・明日とも晴れとなっていた。 ホテルのレストランの窓から雲一つ無いアイガーが大きく望まれたが、視線はついついその左肩の登攀ルートであるミッテルレギにいってしまう。 双眼鏡を覗いて登攀ルートを辿っていくと、稜線に建つミッテルレギヒュッテが見えた(位置が分かっていれば肉眼でも見える)。 同ヒュッテは、1921年にミッテルレギを初登攀した槇有恒氏が1万フランを寄贈して建てられた(その後改築されて今日に至っている)というエピソードのある山小屋で、ミッテルレギはアルプスの山の中で唯一日本人が初登攀したルートとして、アルプスの登山史の1ページを飾っている。 私がガイドブックの写真や同氏らの紀行文で感じたミッテルレギの印象は“岩”というよりはむしろ“ナイフエッジの雪稜”だったが、双眼鏡で見る限り稜線上に雪は全く見られなかった。 もし本当にルート上に雪が無ければ、登攀にどういう影響が出るのか素人の私には知る由もない。 昨日デボラさんに聞いた話では、良い面も悪い面もあるのではないかとのことだった。

   山小屋にはpm4:00までに着けばいいので、グリンデルワルトの駅前をam11:20に出発するバスに乗って行くことにした。 バスに乗車する前に念のため運転手に降りるバス停の名称を告げておいたが、天気が良かったせいかバスは超満員となってしまい、運転手は途中のバス停での乗降客との対応に気をとられ、登山口のバス停を通過してしまった。 慌てて運転手に申し出ると、運転手も思い出したらしく、すぐにバスを止めてもらった。 しばらく車道を下り、標識に従ってグレッグシュタインヒュッテへのトレイルへと入る。 ヒュッテまでのコースタイムは書かれていなかったが、地図で見た標高差は900m位なので3〜4時間はかかりそうだ。

   踏み跡のような急登のトレイルをひと登りすると、絶壁をへつりながらトラバースしていくアルペンルートとなったが、逆に道はしっかりとしていて、高度感はあるが全く危なくはなかった。 眼下にはすでに米粒のように小さくなったグリンデルワルトのホテルや家並が見え、昨日登ったシュヴァルツホルンやファウルホルンの裾野には、氷河の谷を挟んですぐ隣に聳えている寒々しいメッテンベルクやアイガーの絶壁とは好対照の明るい緑の牧草地が拡がっていた。 トレイルは絶壁を回りこむようにトラバースを続け、進行方向が西から南に変わると、メッテンベルクとの間を流れるオーバラーグレッチャー(上グリンデルワルト氷河)の末端がすぐ足下に見えてきたが、1500m程度の標高でこれだけの氷河が残っていることは驚くべきことで、ヴェッターホルンとメッテンベルクとを分かつ谷が深いことを改めて感じさせられた。 氷河の末端はただでさえ圧力が加わっている上に猛暑の影響でクレバスだらけであった。 メッテンベルクの絶壁からは幾筋もの無名の滝が数百メートルの落差でその氷河に流れ落ちている。 トレイルは足下のオーバラーグレッチャーに沿って緩やかに高度を上げていくと、間もなく同氷河の源にあるシュレックホルンの頂稜部の岩峰が見え始めた。 シュレックホルンはベルナー・オーバーラント山群の山々の中の一般ルートの登攀では、一番難しいとも言われている憧れの山だ。 観光案内所の市川さんが、グレッグシュタインヒュッテへのトレイルはあまり知られていないがとても良いと教えてくれたが、まさにそのとおりの素晴らしいトレイルだった。

   登り始めの時間が遅かったので、後ろからは誰も登ってこなかったが、所々で上から下ってくる人達とすれ違う。 しかし今日は誰も山頂まで登ってないのか、登攀具を携えたガイドや登山者の姿は見られなかった。 果して明日登るルートは大丈夫なのだろうか?。 午後の陽射しは強烈で、また気温も高いため、まるで日本の夏山を登っているような感じだ。 陽の当たらない岩陰の僅かなスペースを見つけてランチタイムとする。 山小屋まではあと1時間ほどだろうか。

   休憩後にトレイルはジグザグの急登となり、30分ほど暑さに耐えながら登り続けると視界が拡がり、明るいカールの底のような地形の所に着いた。 意外にも周囲の緑は濃く、そのカールの遙か上方に幾つかの灰色の岩塔が見えたが、その中の一番高い所がヴェッターホルンの山頂だと分かるまでには少し時間がかかった。 トレイルは左に大きく反転すると傾斜を緩め、100mほど上方に小さな山小屋がようやく見えた。

   pm3:30、登山口のバス停から3時間40分でグレッグシュタインヒュッテ(2317m)に着いた。 ヒュッテの前には幾筋もの小沢が流れ、高山植物も多く見られたが、入口付近に放し飼いとなっていた数羽のニワトリが私達の目を驚かせた。 木の香りが漂う清潔な山小屋は、年配の女将さんと若い女性の二人だけで切り盛りされているようだった。 女将さんにAGで渡されたバウチャーを見せると、早速2階の寝室に案内してくれた。 意外にも寝室は一般客用、登山客用、そしてガイド用の三つに分けられていた。 女将さんは「ガイド用の室はゆったりとしたスペースで、割増料金を支払えば泊まることが出来ます」と説明した後、笑いながら「もっとも今晩の登山客用の部屋はお二人だけだと思いますが・・・」と付け加えた。 水の豊かな山小屋にはシャワー(一回の使用料5フラン)があったが、逆に1.5Lのペットボトルのミネラルウォーターは12フランだった。

   山小屋のテラスから眼前に天を突くように聳えているシュレックホルンの雄姿を背景に写真を撮り食堂で寛いでいると、大きな荷物を傍らに置いた3人組の外国人のパーティーから、今後の予定を聞かれた。 妙なことを聞くものだと思いながらも、「明日ガイドと共に山頂を目指します」と真面目に答えたところ、残念そうな顔をしながら、悪戯っぽく「山なんかに登らず私達と一緒に下りましょうよ」と言って小さなパンフレットを手渡された。 ますます妙なことを言うなと思いつつそのパンフレットを見ると、それはパラグライダーの料金表だった。 話を伺うとその人はパラグライダーのガイドで、先程フィルストの展望台からお客を乗せてパラグライダーでこの山小屋まで飛んできたとのことで、これからグリンデルワルトに(飛んで)下るので、下山するお客さんを探しているとのことだった。

   今日の仕事は予定よりも時間がかかったのか、オッティー氏はpm6:00になってようやく山小屋に現れた。 pm6:30に夕食となり食堂に行くと、指定されたテーブルには私達のパーティーの他にもう一組のガイドのパーティーが座っていた。 氏とそのパーティーのガイド氏は知り合いのようだったが、お客は小学生位の兄弟二人とその父親で、父親を含めて登山というよりは、“アウトドアの体験学習会”という感じだった。 昨日AGで初めて会った時もそうだったが、少々ぶっきらぼうで口数の少ないオッティー氏は、私達から話しかけない限り必要なこと以外は口にしない方だった。

   夕食はとても良い味の椎茸のスープの後に、“辛いカレーライス”が出た。 炒めた細い米にカレーで味付けされた鶏肉の汁をかけて食べるのだが、カレーの汁が辛いのみならず炒めた米にも相当塩が入っているので、これをカレーライスのように食べると、とても味が強くて食べられない。 パンを貰い、カレーライスを“おかず”にして食べるのが正解だった。 夕食後、オッティー氏に怪しげな英語でいろいろと話しかけてみると、氏はオーストリアの出身で現在30歳とのことだった。 以前マッターホルン登山のガイドをしてもらったヴォルフカンク氏もオーストリアの出身でちょうど同じような年齢だったので、「彼を知っていますか?」と訊ねてみると、若い頃にどこの山かは忘れたが、厳冬期に二人でビバークをした思い出があるとのことだった。 また氏は独身とのことで、「夏は山のガイド、冬はスキーのガイドとして働き、春と秋はバケーション(遊んでいる)なんです」と笑いながら話してくれた。 しばらく雑談をした後、氏から明日はam4:00に起床して朝食を食べ、am4:45に出発しますとの指示があった。 食堂にいた宿泊客は私達を含めて20人ほどだったが、夕食後に2階の寝室に行くと女将さんの言ったとおり私達以外の登山客はなく、20人ほど寝られるベッドスペースを私達だけで独占することとなった。


ホテルから見たアイガー


登山口のウンタラー・ラウヒビュースから見たアイガー


猛暑の影響でクレバスだらけの上グリンデルワルト氷河の末端


グレッグシュタインヒュッテへのトレイルから見た山麓の風景


グレッグシュタインヒュッテの直下から見たヴェッターホルンの山頂


グレッグシュタインヒュッテ


グレッグシュタインヒュッテから見たシュレックホルン


木の香りが漂うグレッグシュタインヒュッテの食堂


   8月20日、am4:00前に起床。 標高の低さと室内の静かさのためかとても良く眠れた。 身支度を整え階下の食堂に行くと、すでにオッティー氏の姿があった。 もちろん食堂で朝食をとるのも私達のパーティーだけだ。 時間には充分余裕があったが、出発時の服装の選択に時間がかかり、出発予定時刻のam4:45ぎりぎりになって山小屋を出発することになった。 気温は10℃もあり、風もなく動いていれば寒さは全く感じない。 白地に青い線が引かれたアルペンルート(登山道)を示すペンキマークが要所要所の岩に印されているため、アンザイレンはしないで登る。 満天の星空が今日の登頂の成功を約束してくれた。

   登り始めはかなりゆっくりとしたペースであったが、少しずつオッティー氏のペースは上がり、体も充分に温まってきたので、足を止めずに登りながら長袖のシャツを一枚脱いだ。 後ろを振り返るとすでに山小屋の灯は消え、どこにあるのか分からなくなっていたが、グリンデルワルトの町の夜景が遙か眼下に見えた。 間もなく夜が白み始め、シュレックホルンのシルエットがセピア色から茜色に変わりつつある空を背景に神々しく浮かび上がってきた。 今日はアイガー登山のテストも兼ねているため、写真撮影のために氏に声をかけることは控え、いつものように心のシャッターを切った。

   am6:00前、山小屋から1時間ほどの登高で氷河への取り付き着いた。 ヘッドランプをしまい、朝陽の当たり始めたシュレックホルンやグロース・フィーシャーホルン、そしてアイガーの写真を撮る。 アイガーはその南壁を初めて披露してくれたが、いつもグリンデルワルトから見上げている姿とは全く違う新鮮さが感じられた。 アイゼン、ハーネス、ヘルメットを装着してアンザイレンした後、am6:15に取り付きを出発した。

   のっけから急斜面の氷河を直登することとなったが、デボラさんが話していたように、表面の雪が昼間の暑さで溶けてしまっているため、剥き出しとなった氷河がアイゼンの爪が刺さりにくいほどガリガリに凍っていた。 一歩一歩慎重に登るのかと思ったのも束の間、逆にオッティー氏はグイグイと私達を引っ張り上げ、標高差が100mほどの凍った急斜面を15分ほどで一気に登りきった。 その上の険しい岩場には直接取り付くことは出来ず、15分ほど氷河の上部の縁をトラバースしていったが、トレイルは薄く入山者の少なさを物語っていた。

   am6:45、支尾根を回り込むようにして氷河から離れると、意外にもオッティー氏から、ここでアイゼンをはずし、ピッケルをデポするようにとの指示があった。 もうここから先に雪はないということなのか?。 すかさず「アイゼンはどうしますか?」と氏に訊ねたところ、氏は2〜3度頭を斜めに振って考えるそぶりをした後、ザックにしまって持っていくようにと指示した(結局雪は無く使わなかった)。 ここから本格的な岩登りが始まるのかと思ったが、ペンキマークこそ無くなったものの、再び微かではあるが踏み跡のあるアルペンルートとなった。 次第に傾斜はきつくなり、氏のペースは明らかに速くなったが、前を登る妻が氏のペースについていけるので感心する。 左手には標高差で500m以上もある黄色みがかった垂直の柱状岩壁がそそり立っている。 クライマーの登攀意欲をかき立てるような見事なこの絶壁には、きっと何かそれなりの名称が付けられているに違いない。 30分ほど喘ぎながらアルペンルートを登り続け、標高差でゆうに200m以上は稼いだ感じだった。

   am7:20、いよいよ岩稜帯の核心部に入り、所々に確保用の鉄の杭が見られるようになった。 周囲はかなり明るくなってきたが、西側の斜面を登っているため太陽を拝むことはしばらく叶えられそうもない。 寒々しい3級程度の岩場をオッティー氏が先に登り、上から確保されながら登るが、手袋をすると岩が掴みにくく、手袋を脱ぐと指先が岩で冷たくなるため、状況に応じて手袋の脱着を頻繁に繰り返す。 意外にも氏はそれまで日本語を全く口にすることはなかったのに、ここに来て“チョットマッテテクダサイ”とか“ドウゾ”という言葉をにわかに連発しはじめた。 ペースもここまではまずまずだったので、氏も上機嫌なのだろうか?。 氏が先行して登っている間は下からザイルを送り出すだけなので、必然的に休憩時間となる。 あとでバテないようにセカンドの妻に「氏から見えない所ではなるべくゆっくり登るように」と入れ知恵をする。 空間を隔ててまるで魔神のようにそそり立つ左手の絶壁は物凄い迫力で私達を圧倒し続け、高度感のある爽快な岩登りにさらに付加価値を付けてくれる。 この山とこの景色、そしてこの空間を私達のパーティーだけで独占しているのは何と贅沢なことだろうか!。

   確保用に打たれていた鉄の杭は全部で20本ほどだったが、これはルートの目印としても役に立っていた。 幾つもの小さなクーロワール(岩溝)を抜け、まさに“馬の背”という表現があてはまるほど痩せた岩尾根を攀じ登り、約1時間半の岩稜登攀を終えると、ようやく私達にも太陽が当たり始めた。 am8:40に氷河が堆積したさながら火口の縁のような所(ヴェッターホルンザッテル)に躍り出ると、ここで最後の休憩となった。 ヴェッターホルンの衛星峰のミッテルホルン(3704m)との間に発達している氷河のうねるような模様は、まさに大自然が創り出したユニークな景色だった。 素晴らしい青空の下、山頂と思われる所に通じているルートの概要が分かったが、ルートは一見して難しくなさそうに思え、早々と憧れの頂への登頂を確信することが出来た。

   ザッテルで5分ほど休憩した後、氷河のすぐ脇のうっすらと踏み跡のある岩屑のトレイルをジグザグに登る。 再びオッティー氏のペースは速くなったが、ラストスパートと思えば全く苦にならない。 憧れの頂に立てる喜びに胸を踊らせながら30分ほど喘ぎながら登り続けたが、残念なことに登るにつれて先程までの青空は徐々に灰色の雲に覆われ始め、急速な天気の崩れを予感させた。

   am9:15、未明に山小屋を出発してから4時間半で憧れのヴェッターホルンの頂に辿り着いた。 猛暑のせいか小広い山頂は雪で覆われることなく、大部分は岩肌をさらしていた。 今シーズンの第一登が計画どおりに運んだ喜びと、憧れの頂に辿り着けた達成感と安堵感とで胸は一杯だ。 ましてや今日の山頂は私達だけのものだ。 「お疲れ様でした〜!、やったねー!」。 妻を労い、登頂の喜びを分かち合った。 「サンキュー・ベリー・マッチ!」。 AGのパンフレットには登りのコースタイムは5時間と記されていたので、胸を張ってオッティー氏とも握手を交わす。 果してアイガー登山への合格点は与えられたのだろうか?。 高度感たっぷりの山頂に立った気分は実に痛快だったが、喜びも束の間、氏は「天気が悪くなりそうなので、5分後には下山を開始します」と私達に指示した。 大変残念だったが私も同感だったので、この提案も素直に受け入れることが出来た。


氷河への取り付き(帰路の撮影)


氷河への取り付きから見たシュレックホルン


   ヴェッターホルンザッテルから見たアイガー(右)とグロース・フィーシャーホルン(左)


ヴェッターホルンの山頂


ヴェッターホルンの山頂から見た衛星峰のミッテルホルン


ヴェッターホルンの山頂から見たシュレックホルン


   オッティー氏に記念写真を撮ってもらい、360度のパノラマ写真を急いで撮り終えると、テルモスの紅茶で行動食を流し込み、am9:20に下山にかかった。 下りは私が先頭になるが、アイガー登山のためにもミスは許されないので、いつも以上に丁寧かつ慎重に踏み跡のトレイルを外さないように下る。 間もなく先程休憩した岩稜帯への下降点(ザッテル)に着くと、山の神の悪戯か、天気は急速に回復して青空が拡がってきた。 とても悔しかったが、悪天候の中を下ることを考えれば、この気まぐれな天気も幸運だったと感謝しなければならない。

   ルートファインディングをしながら登りの時と同じ3級程度の岩場を下る。 易しい所では正面から、難しい所では後ろ向きになって下るが、登る時には易しく感じていた所でも足場がなかなか見つからず意外に苦労する。 ましてや身長が私よりも20cm低い妻はなおさらで、妻に足の置場を教えながら下るため時間がかかる。 順調に下っていったのも束の間、ちょっとした“事件”が起きた。 痩せた“馬の背”の岩尾根を下ろうとした時に、後ろで確保していたオッティー氏から「ノー、ノー」と違うルートをとるように指示が飛んだ。 どうやら「尾根上を行かずにその側面をトラバースしながら下るルートをとりなさい」と言っているようだったが、私の目で見るかぎり、そこには安全と思える足場はなく、何度か試行錯誤して氏の指示するルートを下ってみたもののどうしても足が向かず、尾根上を行った方が良いと判断せざるを得なかった。 やむなく再び尾根上を下ろうとすると、氏から「そっちはダメだ、登った時のことを覚えていないのか!」と強い口調で再び指示が飛んだ。 その後も私がルートを見い出せずに悩んでいると、氏は「何をやっているんだ!、私の言うとおりのルートを下りなさい!」とさらに声を荒らげて叫んだ。 仕方なく薄氷を踏む思いで氏の指示どおり痩せ尾根の側面をトラバースするルートを下ったが、私の選んだルートもすぐ先で合流しており、何故氏がこのルートにこだわったのか理解出来なかった。 その後は何事もなく無事岩稜帯の下降を終え、踏み跡のあるアルペンルートに入ったが、気持ちが緩んだせいもあり、何でもない斜面で足を滑らせ尻餅をついてしまった。 のたうち回るほどの激痛だったが、これ以上マイナス材料を増やしてはならないので、平静を装いそのまま下り続けた。

   山頂を発ってから3時間後のpm0:15にピッケルをデポした所に着き、アイゼンを着けるための休憩となった。 オッティー氏に気を遣って残り少ない水筒の水を氏に手渡したが、氏は水筒が手に付かず下に落としてしまった。 幸い水筒は2〜3m転がった所で止まったが、中の水は全て無くなってしまった。 すかさず「ノープロブレム」と笑顔で応え、氏のご機嫌をとった。 休憩後、氷河の上部の縁をしばらくトラバースしてから急斜面の氷河を下ったが、表面の雪が溶けて剥き出しとなった氷河はとても固く、アイゼンやピッケルが簡単に刺さらないため、緊張感も加わって足に力が入ってしまいとても疲れた。

   急峻な氷河の斜面を下り終え、pm1:00ちょうどに氷河の取り付きに着いた。 少し離れた所で昨夜夕食のテーブルを囲んだガイドと親子連れが、ピッケルを氷河に打ち込んで遊んで(学習して)いた。 ここからは“安全地帯”となるのでザイルが解かれた。 天気はますます良くなり、強烈な陽射しと気温の上昇でとても暑い。 アイゼン・ハーネスを外してアンダーシャツ一枚となった。 僅かに残っていた水筒の水に雪を入れて溶かし喉を潤す。 憧れのヴェッターホルンを背景に、山頂では撮れなかったオッティー氏との記念写真を妻と代わる代わるに撮り合って登頂の余韻に浸った。 氏もひと仕事終えたという感じで座り込み、私達に背を向けて一人噛み煙草をやっていた。

   取り付きで30分近く大休止し、山小屋に向けてアルペンルートを下る。 オッティー氏と一緒のペースでは足が疲れるので、「マイペースでゆっくり下りますから」と申し出て下ることにしたが、まだ氏から合格点をもらった訳ではないので、あまり間隔が空かないように心掛けながら氏の後をついていく。 山小屋に着く直前で氏の姿を見失い、道も少し間違えたが、トレイルの無い所を強引に下てpm2:00ちょうどに山小屋に着いた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!」。 あらためて氏にお礼を述べて固い握手を交わし、妻を労って早速食堂に入って3人で祝杯をあげた。

   下りは休憩が長かったことで、登りよりも時間がかかったが、AGのパンフレットに記されている山小屋からの往復のコースタイムは10時間なので、時間的には“合格”だった。 ヴェッターホルンを登り終えたばかりだが、私の頭の中はすでに次の目標のアイガーのことで一杯だった。 先ほどの“事件”のことで少し気後れしたが、思い切って氏に「私にアイガーが登れますか?」と訊ねたところ、氏から「天気が良ければ多分大丈夫だと思います。 でもミッテルレギはとても“シリアス(危険が多い)”ですよ」という嬉しい反面、少し心配な答えが返ってきた。 氏は明日の仕事のためか、ビールを一杯飲み干すと直ぐに山小屋から下山してしまったので、うっかり大事なチップ(袖の下?)を手渡すのを忘れてしまった。

   pm2:50、山小屋の女将さんに別れを告げ、私達もpm5:30の最終バスに間に合うように下山にかかった。 憧れの山に登れたことで身も心も軽いが、往復10時間近くの登高で疲れている体を労るとともに、明後日に控えたアイガー登山に備えて自重しながら下る。 下り始めは強烈な陽射しと照り返しで顔が火照るほどだったが、次第に空模様は再び怪しくなり、2〜3度雷鳴が轟くと、道路が足下に見え始めた所でとうとう夕立のような雨が降ってきた。 幸い傘を持っていたので濡れずに済み、少し遅れて到着したバスに乗ってグリンデルワルトに帰った。 山頂から2000m以上の標高差を下り、足は棒のようになっていたが、ホテルまでの上り坂の途中で何度も後ろを振り返り、雲の中から顔を覗かせているヴェッターホルンの雄姿を眺めると、何かとても誇らしげな気持ちになった。


氷河への取り付き点でガイドのオッティー氏と


   8月21日、今日は明日からのアイガー登山に備えての予備日なので、朝寝坊してのんびり朝食のバイキングを楽しんだ。 当初は天気に恵まれれば連続して登った方が良いと考えていたが、ヴェッターホルンは予想以上に大変な山だった(私の体力が無かった)ため筋肉痛で体がだるく、また天気予報も今日より明日、そしてアタック予定日の明後日の方が良くなっており、観光案内所の市川さんのアドバイスに従ったことが、結果的には正解となったようだ。

   午前中アイガー登山の打ち合わせをするためにAGへ行き、受付の人にデボラさんを呼んでもらう。 デボラさんに昨日の登頂報告をしてから、念のため「オッティー氏からお墨付きは出ましたか?」と訊ねてみると、氏から「多分大丈夫でしょう」と言われたが、ガイドはオッティー氏からユースト・ゴディー氏という方に変更になったとのことだった。 さらにデボラさんから「明日はpm3:30にガイドとアイスメーアの駅で落ち合って下さい」との指示があった。 同駅はアイガーの山中を全長約7kmのトンネルで走行している登山電車が、観光客向けに上りだけ停車する無人駅だ。 デボラさんにオッティー氏へのチップ(50フラン)を託してAGを後にした。

   その足で観光案内所に向かい、市川さんに先日お願いしたピッツ・ベルニーナ登山の件がどうなったかを訊ねると、意外にも同峰のガイド登山はAGの主催ではなく、同峰の麓にあるポントレジーナという町にあるガイド組合が行っていることが分かった(AGに依頼することも可能だが、ポントレジーナまでの移動が往復で丸2日かかるためガイド料がとても高額になる)。 尚、ポントレジーナではガイドの人数が少ないため、アタック当日から逆算して遅くとも5日前には予約を入れて欲しいとのことだった。 ポントレジーナまでの往復に2日、登山にも2日を要する3泊4日の山行となるので、とりあえず電車の時刻表をもらい、市川さんにお礼を言って観光案内所を後にした。 土産物屋のはしごをしてからホテルに戻り、午後は外出せずに今後のスケジュールを考えながら休養した。


ホテルから見たアイガー


  【アイガー】
   8月22日、いよいよ憧れのアイガーに挑む日が来た。 西側に向いた窓からはアイガーの全容は見えないので、レストランの脇のテラスから朝陽が山頂だけに当たっているアイガーを眺め、同じような写真を何枚も撮った。 今日は予報どおり良い天気になりそうだが、情けないことに肝心の足の疲労がまだ取れておらず、階段を登り下りする時の足が重たい。 私の身を案じた妻が、ユングフラウヨッホへの登山鉄道の乗換駅のクライネ・シャイデック(2061m)まで同行したいというので、一緒にホテルを出発することとなった。 ガイドとの待ち合わせ場所のアイスメーア駅までは乗換え時間を入れても2時間あれば足りるが、早めにクライネ・シャイデックまで行き、山々を眺めながら優雅にランチタイムを楽しむことにした。

   向こう5日間の天気予報がまずまずだったので、次のグロース・フィーシャーホルンのガイドの手配を依頼するためAGへ立ち寄る。 受付の人は常連の私の顔を見るなり、デボラさんを呼びに行ってくれた。 デボラさんにガイドの手配を申し出たところ、意外にも彼女から「シーズンが終わりに近づいているので、アイガーを終えてからでも大丈夫だと思いますよ」とのアドバイスがあった。 もちろん私も出来るだけ直前の方が良いので、明日のアイガー登山の帰りに最新の天気予報を確認して申し込むことにした。 AGを後にし、観光案内所に併設されている銀行でトラベラーズチェックをフランに替える。 今までは全て日本で外貨に両替してきたが、今年は1フランが90円と3年前より3割も高かったので、少しでも安くなるトラベラーズチェックを利用することにした。

   グリンデルワルトをam11:30に発つ登山電車に乗り、クライネ・シャイデックへと向かう。 天気が良いので、この時間でも電車は満員だった。 3年ぶりに見た車窓からの風景は、懐かしいというよりはつい最近のことのように良く覚えていた。 アイガーの北壁を見上げながら40分でクライネ・シャイディックに到着。 グリンデルワルトからのみならず、反対側のラウターブルンネンからも登山電車が登ってくるため、ユングフラウヨッホへの登山電車を待つ人達や周辺のハイキングに出掛ける人達で駅の周辺は大盛況だった。 駅から少し離れた高台にあるレストランの脇のベンチに腰を据え、眼前に大きく迫るアイガーの北壁を眺めながらお弁当をひろげ、贅沢なランチタイムと洒落込んだ。 3年前の寒々しい雨の日に、初めてのアルプスの山(メンヒとユングフラウ)の下見に来た時のことが思い出されたが、海外の山を登ったことがなかった当時の私にとって、アイガーは憧れを通り越した雲の上の存在だった。 “果してあの頂に辿り着くことが出来るのだろうか?”。 山を見上げていると、あらためて期待と不安が交互に心の中を駆け抜けていった。 ガイドのゴディー氏も私と同じpm3:00発のユングフラウヨッホ行きの登山電車でアイスメーアに上がると思われたため、電車の入線後にそれらしき風貌の人に声を掛けてみたが、皆人違いだった。 登山電車は下り電車の遅れで、定刻より15分ほど遅れて出発した。 妻は私を見送ってから、周辺を散策しながらグリンデルワルトに歩いて下るようだ。


クライネ・シャイディックから見たヴェッターホルン


クライネ・シャイディックから見たアイガー


クライネ・シャイディックから見たメンヒ


クライネ・シャイディックから見たユングフラウ


   pm3:45、ゴディー氏との待ち合わせ場所のアイスメーア駅に到着。 私以外にも10名ほどの登山者が下車した。 車掌に案内され、北壁見物の観光客とは反対方向のホームの一番後ろの暗い通路を右へ折れるとちょっとしたスペースがあり、登山客やガイドが出発の準備をしていた。 他のガイド達と談笑していたゴディー氏は、私を見つけるなり「サカイさんですか?」と呼び止めてくれた。 早速握手を交わして自己紹介をした。 青く澄んだ瞳の氏は、外国人としては小柄だったが、その手のひらはとても厚かった。 氏から「ここでヘルメットを被り、ハーネスを着けて下さい」との指示があり、アンザイレンしてからpm4:00ちょうどに駅を出発した。 業務用の鉄扉を開け、所々凍っている薄暗いトンネルを下って陽光が眩しい外に出ると、広大な氷河の向こうにシュレックホルンやグロース・フィーシャーホルンが間近に迫り、そのスケールの大きい景観に思わず息を呑んだ。 トンネルの出口から凍って滑りやすい岩屑の踏み跡をさらに下っていくと、氏は足を止めて正面の稜線(ミッテルレギ)の中程を指さし、「あそこに見えるのがこれから向かうミッテルレギヒュッテです」と説明してくれた。

   意外にも最初は平坦な氷河を歩くだけの極楽漫歩だったが、突然何を思ったのかゴディー氏は前方にピッケルをブーメランのように投げ飛ばし、ザイルを緩めてその落下点めがけて小走りに駆けだした。 “風変わりなガイドさんもいるものだ”とその時は驚いたが、氏は今までお目にかかったことのないタイプの素晴らしいガイドであることが後々分かった。 周囲の風景を堪能しながらしばらく歩いた所で、氏は「アイスフォールが上にあり落氷の危険があるので、ここは急いで通過しましょう!」と言っていきなり走り始めたが、アイゼンが欲しい位の急な斜面をキックステップで駆け上がったり、クレバスも2回ほど走って飛び越えたりしたため、足の疲労が取れていないことも手伝って、呼吸が追いつかないほど息があがってしまった。 アイスフォールの下部の通過が終わると、急斜面の岩場の手前で数組のパーティーが順番待ちをしていた。 「名前は?、何処から来たの?」と、氏は誰にでも気さくに声をかけ、ニコニコしながら旧知の仲のように会話を楽しみ、また仕事(ガイド)をしているというよりは自らも純粋に山登りを楽しんでいるような感じだった。

   10分ほど先行するパーティーの順番待ちをした後、リードするゴディー氏からヌンチャクの回収を指示され、要所要所にハーケンが打たれている4級程度の岩壁に取りついた。 核心部の登攀距離は1ピッチほどしかなかったが、トラバース気味になっているルートの手掛かりは次第に乏しくなり、途中で良い足場を見つけられずに踏ん張っている足が震え始めてしまった。 このピンチをどのように解決すれば良いのかと悩んでいると、運良く後ろから登ってきたガイド氏がそれに気づいてくれ、次の足場(とても足場には見えないような僅かな岩の突起)を教えてくれた。 もし落ちたらそれを口実にすれば良いと思い、度胸を決めてそこに足を乗せて強引に登りきった。 登り終えたところで氏は、「ここから先は“ウォーキング”ですよ」と言った。 とりあえず今日一番の難所はクリアーすることが出来たようだが、明日登るミッテルレギではこれよりも更に難しい登攀が連続すると思うと急に気が重たくなり、オッティー氏が言った“シリアス”という言葉が再び耳元に蘇ってきた。

   ゴディー氏の言ったとおり、トレイルは踏み跡のあるアルペンルートとなった。 山小屋も指呼の間に見えている。 しかし氏のペースは何故か再び速くなり、ウォーキングからランニングとなった。 途中一か所だけ急な崖を下る所があり、氏が「アブセーリング」と言って10mほど懸垂で下ることを指示されたが、そのザイルさばきはとても素早く全く無駄がなかった。 後で思うと懸垂で下らなくても他にルートはあったような感じで、これは訓練(私へのテスト)だったのかもしれない。 pm5:15に稜線上の猫の額ほどのスペースに建つミッテルレギヒュッテ(3354m)に着いた。 アイスメーア駅から僅か1時間15分だった。 ガイドブック等による日本人向けのコースタイムは2時間半となっていたので、やはり今年はルートの状況が全く違うのだろうか?。

   数年前に改築されたという同ヒュッテはこぢんまりとしていたが、とても清楚な感じがする素晴らしい山小屋だった。 「昔あった山小屋はユーコー・マキが建てたんですよ!」とゴディー氏がとても嬉しそうに言ったので、「もちろん知ってますよ!」と私も笑顔で頷いたが、もし槇有恒氏が山小屋の建設資金を寄贈したことを知らなかったら、勉強不足で笑われるところだった。 意外にもさらに氏は「この新しい山小屋は、私も建てるのを手伝ったんですよ!」と嬉しそうに付け加えた。 ゴディー氏はザイルを解かずに、山小屋のテラスで明日の登攀で私が行う固定ロープの下でのビレイの仕方等についての“実技指導”をしてくれ、それが終わると今度は明日登るルートの下見に連れていってくれた。 ナイフエッジの岩稜を緩やかに50mほど登った(歩いた)が、意外にもここにも踏み跡のようなトレイルが存在していた。 ガイドブック等によると、山小屋からは雪稜を登っていくことになっていたので、氏にその辺りのことを訊ねてみると、今年のように全く雪が無いシーズンもあるとのことだった。 氏は私をリラックスさせようとしたのか、再び「この辺りはクライミングではなく、ただのウォーキングですよ!」と笑顔で言い放った。 私も同感だったが、情けないことに足の疲労がまだ残っていたので、痩せ尾根を歩く足元がおぼつかなかった。

   山小屋に戻るとザイルが解かれ、ゴディー氏から「明朝は暖かいので、長袖の下着の上にジャケットを着るだけでいいですよ。 最初は寒く感じても、5分も登れば暖まってきますから」と細かいアドバイスがあった。 稜線上に建つ山小屋からの景色はまさに一級品で、次に登山を予定しているグロース・フィーシャーホルンの壮大な北壁の眺めが素晴らしかったが、残念なことにアイガーの山頂や明日の登攀ルートの核心部には霧が湧き、肝心のミッテルレギの全容は分からなかった。 その方向を恨めしそうに眺めていると、頼んでもいないのに氏がミッテルレギを背景に写真を撮ってくれた。 木の香りが漂う山小屋の内部は外観同様とても清楚で、すでにガイドと登山客合わせて30人ほどで賑わっていた。 山小屋の女将さんとゴデイ氏は旧知の仲のようで、氏が女将さんに代わって指定されている一畳ほどのベッドスペースに案内してくれた。

   荷物の整理をしてから宿泊客で賑わっている食堂に行くと、ゴディー氏が宿泊記念の宿帳を持ってきてくれ、私に名前や住所を書くように勧めてくれた。 日付等を嬉しそうに補完記入してくれた氏は、ガイドとしての技術も一流だが、人をもてなすことにかけても一流のようだった。 あらためて自己紹介をした後、いつものように年齢や出身地等を氏に訊ねたところ、氏は36歳で生まれも育ちも地元のグリンデルワルトとのことだった。 また、オフシーズンは地元で大工をしているとのことで、先ほど氏が言っていた意味が理解出来た。 明日の出発時間の確認をすると、「私が起こすまで充分寝ていて下さい。 朝食はam5:00頃から始まりますが、ゆっくり食べてから出発しましょう。 トイレは2つしかありませんから」という意外な答えが返ってきた。 マッターホルン登山の時のような“先陣争い”は、ここではないのだろうか?。 また、山頂までどの位時間が掛かるか訊ねようとしたところ、先に氏から「明日は時計は見ませんから」という何か意味ありげな発言があったが、その意味するところはこの時は知る由もなかった。 氏にビールをご馳走し、私はコーラを注文すると、氏は笑いながら「コーラにはカフェインが入っていて安眠を妨げるので、ジュースにした方が良いですよ」と冗談とも受け取れるようなユニークなアドバイスをしてくれた。

   pm6:30の夕食の時間になると狭い食堂はすぐに満員となった。 日本人は私だけだと思っていたところ、私より少し年上の日本人らしき女性が目に止まった。 離れた席についた彼女に向かって、人恋しさから思わず「日本の方ですか?」と声を掛けたところ、「はい、そうです。 何か困ったことがあったら、お声を掛けて下さい」との頼もしい日本語の返事が返ってきた。 にわかに嬉しくなり孤独感も吹っ飛んだ。 また隣のテーブルには、一昨日グレッグシュタインヒュッテで会ったガイド氏の姿も見られた。 ゴディー氏によるとそのガイド氏はフレディ・アベックレンという名前で、テレマークスキーではスイスの第一人者とのことだった。 氏も冬季はスキーのインストラクターをしているとのことで、長野オリンピックの時は選手団の一員として日本(志賀高原)を訪れたとのことだった。 気持ちが楽になったのか、ポテト味のスープやメインディッシュのビーフシチューがとても美味しく感じられ、お代わりをしてお腹一杯になるまで食べた。

   小さな山小屋の宿泊客はガイドと登山客合わせて50人ほどに膨れ上がり、夕食は2回に振り分けられた。 夕食を食べ終えると次のグループに席を譲り、すぐに彼女をつかまえて“情報交換”(専ら収集)を始めた。 彼女はシェラ・山崎(日本名は山崎裕美)さんと名乗り、16年ほど前に当時日本に駐在員として赴いていたドイツ人の現在のご主人と結婚された後に日本を離れ、現在はチューリッヒの近郊にお住まいとのことだった。 山崎さんは今回そのご主人や山仲間と一緒で、明日はアイガーの山頂からアイガーグレッチャーの駅に下る一般的な下山ルートをとらずに、そのまま稜線を縦走してメンヒスヨッホヒュッテに宿泊し、明後日はユングフラウを目指されるとのことだった。 意外にも本格的な登山はこちらにきてから始められたとのことで、最初に登られたアルプスの山は私と同じメンヒだった。 山崎さんはもちろんドイツ語は堪能で、彼女のガイド氏から聞いた話によれば、先ほど手こずった岩場の登攀が今回のルートでは一番難しく、明日登攀するルート上にはそれより難しい所はないとのことだった。 この意外な一言(情報)によってさらに気持ちが軽くなったことは言うまでもない。 山崎さんはご主人と共にいつも馴染みのガイド氏と登られているようで、ピークハントに固執することなく、ロッククライミングや既成のプログラムにはない山小屋から山小屋へのハイグレードな氷河トレッキング等、アルプスの自然や景色を満喫出来るユニークな山歩きを楽しまれているとのことで、とても参考になったと同時にとても羨ましかった。 しばらく山崎さんと山談義をした後、少し風が出てきて寒かったが、山小屋のテラスから夕焼けに染まる周囲の山々を眺めながら至福の時を過ごした。 標高差が2000m以上あるグリンデルワルトの町の明かりが遙か足下に見え、心配性の妻の顔が目に浮かんだ。


アイスメーア駅付近から見たシュレックホルン


ミッテルレギヒュッテから見たアイガーのミッテルレギ(東山稜)


   ヒュッテから見たグロース・フィーシャーホルン(中央右)とフィンスターアールホルン(左奥)


ヒュッテから見たメンヒ(右)とトルクベルク(左)


   8月23日、すでに起床して身支度を整えている人達もいたが、私はベッドの中でゴディー氏に声を掛けられるのを待っていた。 am4:30に氏が私を起こしにきた。 「良く眠れましたか?」との問い掛けに、「イエス」と答えると、それは良かったと笑顔で応じてくれた。 氏と一緒であれば、アイガーの頂に立てることは間違いなさそうだ。 食堂の混雑を避けるためか、出発時間により朝食の時間を割り当てられたようで、食堂は空いていた。 マッターホルン登山と違い、山頂を往復しない縦走形態となるため、登り下りの行きかいで渋滞することがないためだろうか?。 ゆっくりと朝食を食べていると、am5:00に山崎さん達のパーティーが先行して出発していった。

   身支度を整えて山小屋の外に出ると、いつの間にか私のピッケルはすでにゴディー氏のザックの背にくくり着けられていた。 今までに無い経験だったがご好意に甘えることにし、氏とアンザイレンしてam5:15に出発した。 風はほとんど無く満天の星空で、予報どおりの好天が期待出来そうだ。 一昨日から続いている足の筋肉のだるさと、縦走用の重たい登山靴のため足の運びは冴えないが、素晴らしいガイド氏とのマンツーマンの頂上アタックに心は弾む。 山小屋からの“ウォーキング”はすぐに終わり、雪の無い稜線のクライミングとなった。 まだ周囲は真っ暗なので、ヘッドランプの灯だけではこの先のルートの状況は全く分からない。 しばらく氏と快適にコンテニュアスで易しい所をぐんぐん登っていくと、先行するパーティーが順番待ちをしている所に着いた。

   明るければ確保なしに登れそうな3級程度の所だったが、足元が暗いため氏の登ったベストの足場や手掛かりが分からず、確保されていることをいいことに、少々荒っぽく強引に登る。 岩登りには似合わない重登山靴を履いていることも手伝って、しょっちゅう岩に頭や膝をぶつけてしまう。 ゴディー氏が言っていたとおり、順番待ちさえなければ薄着でちょうど良いくらいの運動量だ。 山崎さんから聞いた情報どおり、登攀が困難な箇所も全く無く、ベルグラやナイフエッジの雪稜が出現する気配も依然として感じられなかった。

   しばらくして先行するパーティーに道を譲ってもらい、ちょっとした岩溝を這い上がった時に、勢い余って右手の薬指の先を自分の靴で踏んでしまった。 手袋をしていなかったため指の皮がペロンと剥けて出血してしまったが、ゴディー氏は道を譲ってもらったことへの気遣いか、どんどん私を先に引っ張っていくので、私も痛みをこらえて仕方なくついていった。 登攀には常に指を使うため、いつまでたっても血が止まらないので氏に声を掛けようとしたところ、目の前にまた先行するパーティーの姿が見え、垂直に近い傾斜の岩壁に固定ロープが2本垂れ下がっていた。 先行のパーティーは山崎さん達だった。 山崎さんを介して“指を怪我してしまった”という情報を氏に伝えてもらおうと思ったが、“早く登って来なさい”と言わんばかりにザイルがピンと張られてしまったので、気持ちとは裏腹に「上でガイドが待っているので、お先に失礼します!」と山崎さんに一声掛け、痛さをこらえて固定ロープに飛びつき、力ずくで強引に登っていった。 細かな岩屑が下にいる山崎さん達に向けて落ちていくのが分かったが、どうすることも出来ず、申し訳ない気持ちで一杯だった。

   最初の固定ロープは“試し鎖”だったようで、登り終えると再び楽な登攀(ウォーキング)となった。 ゴディー氏に指の怪我のことを告げると、すぐに分厚い絆創膏を上手に巻いて手当てをしてくれた。 図らずもちょうど良い休憩となったが、後続のパーティーに抜かれることもなく登り続けた。 幸いにも血は止まったようで、痺れるような打撲の痛みは消えないものの、その後の登攀には殆ど影響が無かった。

   山小屋を出発してから1時間ほど経っただろうか、夜が白み始め左手のフィンスターアールホルンやグロース・フィーシャーホルンのシルエットが、茜色に染まり始めた地平線を従えながら徐々に浮かび上がってきた。 何度体験しても飽きることはないドラマチックなアルプスの山の夜明けのシーンが今まさに始まろうとしている。 一人感動的な気分に浸っていると、その気持ちが伝わったのか突然ゴディー氏が足を止めた。 「写真を撮っていきませんか?」。 思いがけない氏の言葉に一瞬耳を疑ったが、二つ返事で写真を撮り、心ゆくまで素晴らしい景色を堪能した。

   足元が少し明るくなり、ようやくこれから辿っていくルートの状況が分かるようになってきたが、次々に目の前に現れる岩壁が常に急峻なため、いつになっても山頂は見えてこない。 AGのパンフレットには山小屋から山頂まで5時間と記されていたが、山頂までの単純標高差は600mほどなので、もうその半分位は登り終えた感じだった。 やはりこれから先に待ち受けているグローサーツルム(大ジャンダルム)と呼ばれる核心部の登攀が相当困難なのだろうか?。 逆層の岩塔を登りきると、コルを挟んで眼前にはさらに巨大な岩塔がそそり立ち、先行していた年配のガイド氏がコルに向けて下降するクライアント(お客さん)の若者を上から確保しているところだった。 昨晩夕食のテーブルの隣にいた凸凹パーティーで、帰国後に山崎さんから届いた便りでは、ガイド氏は60歳で、若者は20歳とのことだった。 ゴディー氏と年配のガイド氏は何やら楽しそうに言葉を交わすと、何故か私が先に降りることになった。 氏に確保されてロアーダウンによりコルに向けて懸垂下降すると、ゴディー氏と年配のガイド氏は先に下りた私と若者のザイルをそれぞれ回収し、2本のザイルを繋いで交互に懸垂下降でコルに降りてきた。 この間にガイドを待っていた若者から写真を撮ってくれるように頼まれ、その直後にヴェッターホルンの山頂付近からの御来光となり、うす暗いコルにも太陽の光が射し込んできた。 思わず私もカメラを出して御来光の写真を撮った。

   再び凸凹パーティーが先行し、いよいよミッテルレギのハイライトのグローサーツルムの4級の岩壁の登攀にかかった。 朝陽に照らされた岩肌は黄金色に輝き、白い固定ロープが次々に垂れ下がっているのが見えたが、先行するパーティーの姿は見られなかった。 気合を入れて取りついたものの、1921年の槇有恒氏の初登攀以前何人もの登山家の挑戦を撥ねつけた岩壁は、その是非はともかくとして、地元のガイド達によって取り付けられた総延長が200mにも及ぶと言われる固定ロープのお陰で登攀は全く容易だった。 固定ロープは長いもので30mほどだった。 ゴディー氏に上から確保されているので、部分的には固定ロープに頼らなくても登れる所もあり、また順番待ちも無いので面白いように標高が稼げた。

   数ピッチ登った小広いテラスで休憩していた凸凹パーティーと入れ替わり、ここからは私達のパーティーが先行することとなった。 左前方にはアイガーよりも130mほど高い隣接峰のメンヒ(4099m)が、その純白の巨大な雪壁を誇示するかのように聳え立ち、山頂まであと僅かとなったことを教えてくれた。 最後にやってくるだろう困難な登攀に備えて意識的に大きく深呼吸をしながら登っていくと、その息づかいを感じとったのか、最後の固定ロープを登り終えた所でゴディー氏から「少し休んでいきますか?」と声が掛かった。 少し不思議な気もしたが二つ返事で応答し、行動食を食べたり水を飲んだりして鋭気を養う。 傍らを再び凸凹パーティーが先行して行く。 メンヒへとつながる稜線上のコル(アイガーヨッホ)の向こうにユングフラウが顔を覗かせているのが見えた。 時計を見ると、山小屋を出発してからまだ2時間ほどだった。

   周囲の写真を撮り5分足らずで出発したが、予想に反してその後の登攀は全く困難ではなく、逆にますます易しくなり、ゴディー氏とコンテニュアスで2級程度の快適な岩稜を登っていくと、再び凸凹パーティーに追いついた。 雪の無いミッテルレギは登攀の醍醐味には欠けるものの、それ以外のデメリットは全く無いことがあらためて分かった。 凸凹パーティーを追い越すことなくゆっくりとしたペースでその後に続いて登っていく。 眼前の岩塔の上には青空が大きく拡がり、“もしかしたらあの上が山頂か?”と一瞬思ったりもしたが、ピークまで登ってみるとそこはまだ山頂ではなく、またその先に小さな岩塔が出現した。 “やはりそんなに甘くはないな”と思ったのも束の間、急に傾斜が緩み始め、右下からせりあがっている北壁の最上部にへばりついている大きな雪の塊が見えると、突然前方の景色が大きく変わった。 何とそこはもう憧れのアイガーの山頂だった。

   「ピーク(本当にここが山頂ですか)?」とゴディー氏におどけながら確認し、「サンキュー・ベリー・マッチ!」と興奮しながら氏と固い握手を交わした後、凸凹パーティーの若者やガイド氏ともお互いの健闘を讃え合って握手を交わした。 山頂は予想よりも広く、10人ほどは乗れそうだった。 山小屋からの所要時間は僅か2時間半で、さしたる困難もなく辿り着いたが、3年前に右も左も分からぬままスイスを訪れ、グリンデルワルトから初めて自分の目で仰ぎ見た憧れのアルプスの山の頂に辿り着くことが出来た達成感はとてつもなく大きかった。 興奮がさめやらず、写真も撮らずにしばらくは仁王立ちして一人悦に入った。 快晴無風の頂からは真っ青なアルプスの空に雲一つ見ることは出来ない。 東にヴェッターホルン、シュレックホルン、南にフィンスターアールホルン、グロース・フィーシャーホルン、西の稜線の先にはメンヒとユングフラウ、そしてこれらの山々に囲まれた広大な氷河とそこに刻まれた無数のクレバス・・・。 その白黒のストイックな景色とは対照的に、北にはオーバーハングした北壁の真下にまだ朝の眠りから覚めていないのどかな緑の牧草地が拡がっている。 思わず大声で「オーイ!」と叫び、標高差が3000m近くある麓のグリンデルワルトに向かって手を振ってみた。 妻はもう予定どおりファウルホルンを縦走するハイキングに出発したのだろうか?。


ミッテルレギから見たグロース・フィーシャーホルンのシルエット


ご来光とヴェッターホルン


固定ロープが何本も垂れ下がるグローサーツルムの4級の岩壁


山頂直下で凸凹パーティーに道を譲る


アイガーの山頂


アイガーの山頂


山頂から見たヴェッターホルン(右)とシュヴァルツホルン(左)


   山頂から見たフィンスターアールホルン ・ グロース・フィーシャーホルン ・ グロース・グリュンホルン(左から)


山頂から見たメンヒ(中)とユングフラウ(右)


山頂から見た緑濃いファウルホルン


   凸凹パーティーとお互いに記念写真を撮り合うと、後続のパーティーが到着する気配は全くなかったが、彼らは10分もたたないうちに下山していった。 やはり下山ルートの方がより困難なのだろうか?。 am8:00、私が一通り周囲の風景の写真を撮り終えたところでゴディー氏は腰を上げた。 僅か15分余りの山頂だったが、不思議と心残りは全く無かった。 むしろこれからの下りに備えて気持ちを引き締めようと努めた。 山頂から僅かに下った所で氏は足を止め、クライネ・シャイデックの方を指さしながら「これがウエスト・リッジ(西稜)で、アイガーグレッチャー駅に下る一般ルートがありますが、今シーズンは落石が多いので今日はこのまま稜線を縦走して、メンヒスヨッホヒュッテまで行きます」と下山ルートの説明をしてくれた。 このルートは山崎さん達のパーティーと同じで、この絶好の天気であれば陽の当たらない薄暗い尾根を下るよりは、稜線を縦走する方が面白いので、この提案には大賛成だった。

   下りは後ろからゴディー氏に確保されて私が先頭になり、ルートファインディングをしていくことになったが、確保が必要な所以外では多少正しいルートを外して強引に下ってしまっても細かく指示されることはなく、結果オーライで黙って私の後をついてきてくれた。 斜度が急な所では懸垂(ロアーダウン)で降りるため、ルートファインディング以外で苦労することもなく、快適に稜線上のコル(アイガーヨッホ)を目指して下っていったが、山頂までの登りが余りにも短時間だったため、時間がとても長く感じられる。 途中ガイドレスと思われる二組のパーティーとすれ違ったが、氏がその都度声をかけたことは言うまでもない。 間もなく凸凹パーティーに追いつくと、その後はゴールのメンヒスヨッホヒュッテまで終始私達が先行することになった。

   アイガーヨッホに下る直前で初めて雪の斜面が現れ、アイゼンを着けて100mほど下る。 アイガーヨッホで再びアイゼンを外しながらの小休止となった。 山頂からここまで1時間足らずで下ってきたが、里心がついたのか時間がとても長く感じられた。 メンヒスヨッホヒュッテの建つオーバーメンヒスヨッホ(3629m)と目線の高さが同じになったので、ここから先は快適な稜線漫歩が期待できると思ったのは大間違いだった。 遠目にはすっきりしたラインを描いているなだらかな稜線は、実際そこを歩いてみると小さな登り下りが多くて時間が掛かる。 ミッテルレギの登攀よりむしろこちらの方が変化に富んでいるくらいだ。 天気が安定しているので、私が頼みさえすればゴディー氏は快く休憩や写真撮影を許可してくれそうな感じだった。

   am9:10、アイガーヨッホからしばらく登った見晴らしの良い所ですぐにまた休憩となった。 振り返り見たアイガーは、グリンデルワルトやグローセ・シャイデックから見た荒々しく何人をも寄せつけない威圧的な北壁の風貌とは全く異なり、溢れんばかりの陽光に照らされた南壁の岩肌は重厚な面持ちで親しみのあるものだった。 麓からは見ることが出来ない表情のアイガーの写真を撮っていると、突然ゴディー氏が笑みを浮かべながら「これからメンヒを登りませんか?」と言った。 余りにも唐突で意外な発言に、“いかにもゴディー氏らしいジョークだな”と思い、「そんな芸当はとても出来ませんよ!」とおどけながら切り返した。

   10分ほど休憩してから凸凹パーティーと入れ替わるように出発する。 相変わらず変化に富んだ縦走だったが、意外なことに途中からゴディー氏は私に先頭を歩くように指示した。 むろん合理性や安全性を考えてのことではない。 今までのアルプスのガイド登山では経験が無かったことを氏は次々に繰り出してくる。 単に山の頂に導くことのみならず、“山登りの楽しさ”をもっと味わせてあげたいというサービス精神の現れだった。 一人前として認められた様な錯覚に陥った単純な私は、その氏の気持ちに応えようと先ほどのアイガーの登攀の時よりも神経を集中して真面目に登ったため、逆にぺースは上がったようだったが、結果的にこれは大失敗だった。

   覆いかぶさるようなメンヒの巨大な台形の雪壁が眼前に迫り、同峰へと続く稜線を離れて左手の氷河に向けて下る分岐(コル)で再びアイゼンを着けるための休憩となった。 意外なことに再びゴディー氏は「メンヒを登っていきませんか?」と言った。 先ほどは単なるジョークだと思ったが、どうやら氏の誘いは本気らしかった。 ガイドの判断で下山を余儀なくされることは良くある話だが、ガイドの方から積極的に(しかも無償で)他の山に連れていくことなど前代未聞のことだった。 思わずあらためてメンヒの巨大な雪壁を仰ぎ見た。 ルートはこのまま直進した先の急峻な雪稜だが、もちろん一般ルートではない。 相当困難な登攀が予想されるが、こんなチャンスは滅多に無い。 このルートでメンヒを登る人は1%もいないであろう。 私は真剣に迷ったが、アイガーの登攀と先ほどからの頑張り過ぎにより、すでに足の疲労がピークに達していたことや、次の目標のグロース・フィーシャーホルンのガイドの予約を今日中にしたかったので、心を鬼にして再び氏の提案を丁重に断った。 しかしこの時の判断は後で大変後悔することとなった。

   am10:00過ぎ、稜線を離れて雪の斜面を100mほど下り、平らな氷河へと降り立った。 氷河上は照り返しがきつくとても暑かったので、ゴディー氏共々すぐにジャケットを脱いだ。 神々しいメンヒの雄姿を真下から仰ぎ見ていると、“先のことなど考えずに、登れる時に登っておいた方が良かったのでは?”という後悔の気持ちがすぐに芽生えてきた。 本来であれば憧れのアイガーに登れた嬉しさで意気揚々と凱旋するところだが、妙な気持ちに苛まれることになってしまった。 所々で写真を撮りながら、30分ほど平らで単調な氷河を歩き、最後に峠(オーバーメンヒスヨッホ)に建つ山小屋まで100mほど登り返した。 登り始めはきつかったが、しばらくすると体がだんだん順応してきた。 やはりメンヒを登れば良かった・・・。 後悔の気持ちは募るばかりだった。


アイガーヨッホから見たアイガーの南壁


アイガーヨッホから見たメンヒ


   アイガーヨッホから見たヴェッターホルン(左)とシュレックホルン(右)


アイガーヨッホから見たエーヴィヒ・シュネ−フェルト(万年雪原)


   am11:00、山頂からちょうど3時間でメンヒスヨッホヒュッテに着いた。 3年前に私がアルプスで初めて泊まった懐かしい山小屋だ。 ザイルが解かれると、あらためて前例のない素晴らしいガイドをしてくれたゴディー氏に全身で感謝の気持ちと憧れのアイガーを登れた喜びを伝え、近くにいた人に氏との記念撮影をお願いした。 氏にこれからの予定を伺うと、山小屋で昼寝をしてから明日のアイガー登山のガイドのため、またミッテルレギヒュッテにお客さんと向かわれるとのことだった。 私もまだ下山するには早かったので氏を食堂に誘って祝杯を上げ、感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。 間もなく到着する山崎さんも、私が山小屋にいたら驚くだろう。

   窓側の席に座ると次の目標のグロース・フィーシャーホルンが見えたので、開口一番ゴディー氏にその予定を話し、山崎さんが到着するまで氏と歓談することにした。 英語力が昨日より向上した訳ではないが、お互いに気心が知れてきたせいか、会話は意外とスムースだった。 氏にアルプスの山の中で一番好きな山を訊ねると、第一にシュレックホルン、次がアイガーとのことで、地元を愛する氏らしい答えが返ってきた。 シュレックホルンはベルナー・オーバーラント山群の一般ルートの中では一番難しい岩登りが主体の山だ。 念のため「私にも登れますか?」と訊ねたところ、「サカイさんは他の人に比べて岩を登る時のバランスが良いので大丈夫ですよ」という意外な答えが返ってきた。 氏の社交辞令を真に受け、調子に乗って憧れのヴァイスホルンやグランド・ジョラスについても訊ねたところ、ルートのコンディションさえ良ければ大丈夫でしょうとのことだった。 私も氏がガイドをしてくれれば、アルプスで(世界中に!)登れない山はないと思った。 氏の話では、今回のアイガーの一般ルートのミッテルレギの登攀について、まず初日のアイスメーア駅から山小屋まで1時間で登れる人は優秀で、1時間半ではまあまあ、2時間掛かる人は先が思いやられるとのことで、この所要時間で翌日のアタックに要する時間もだいたい見当がつくという。 ちなみに例年どおり稜線に雪があるミックスルートの場合は、山小屋から山頂までの登りが3〜4時間、山頂からアイガーグレッチャー駅までの下りも同じく3〜4時間とのことだったが、過去に一人16時間掛かった“猛者”がいたという。 「その時は本当に参りましたよ!」と、氏は苦笑いしながら話してくれたが、途中で“下山命令”を出さずにそのお客さんに付き合った氏のサービス精神には頭が下がった。 また、今年のアルプスは猛暑のため、昨年登ったモン・ブランではグーテ小屋を経由する一般ルート上の氷河のクレバスが大きく開いてしまったため、現在ルートが閉鎖されているとのことで、その余波でユングフラウのみならずドムにも登山者が殺到し、小さなドムヒュッテが大盛況(てんてこ舞い)になっているとのことだった。

   1時間近くアルプスの山々の話に花が咲き、あっと言う間に正午になった。 どこで道草を食っていたのか、ようやく凸凹パーティーが山小屋に到着した。 その後しばらく山崎さん達を待っていたが、到着する気配がなかったので、仕方なくゴディー氏に別れを告げてユングフラウヨッホに向かうことにした。 天気が良いせいか、ヨッホから山小屋までの雪上ハイキングをする人が多い。 正面にユングフラウの雄姿を望みながら5mほどの幅で圧雪された氷河の上を歩く極楽・極上のトレイルだ。 10分ほど緩やかに下ると、メンヒの山頂への一般ルートとの分岐になった。 3年前に初めて登ったアルプスの山のルートを見上げると、何かとても懐かしい気持ちになったと同時に、先ほどゴディー氏の誘いを断ってしまったことへの後悔の気持ちが再び脳裏をかすめたが、“好事魔多し”と繰り返し心の中で唱えるしか術がなかった。 今日の山行の思い出に浸りながら歩いていると、ふと先ほどアイガーの山頂直下で余計な休憩を取ったのは、凸凹パーティーの老ガイド氏に敬意を表して、さりげなく山頂への一番乗りを譲るためだったことに気がつき、あらためて今日のアイガー登山の一番の思い出は、達成感や山頂からの大展望ということではなく、ゴディー氏という素晴らしいガイドと巡り合えたことだったと感じた。

   pm2:00過ぎ、大勢の観光客で賑わっているユングフラウヨッホの駅に着いた。 明日以降に予定しているグロース・フィーシャーホルン登山で再びここに戻ってくるが、去りがたい気持ちが帰りの足を最上階の展望台へと向かわせた。 アイガーはメンヒに隠されて見えないことは分かっていても、憧れだったベルナー・オーバーラント三山を全て登れたことで胸は一杯だった。 予定していたpm2:30発の下りの登山電車は混雑のため乗れず、次のpm3:00発に乗車してクライネ・シャイデックへ向かった。


メンヒスヨッホヒュッテのテラスでゴディー氏と


メンヒスヨッホヒュッテ


ヒュッテとユングフラウヨッホの駅の間から見たユングフラウ


ヒュッテとユングフラウヨッホの駅の間から見たアレッチホルン


アレッチ氷河


   クライネ・シャイデックから見上げたアイガーの北壁は相変わらず威圧的で、素人の私が今朝あの尖った頂に立ったということはとても信じられない。 周りにいる観光客も誰一人そのことを想像出来ないだろうが、それが何故か妙に誇らしかった。 同駅で15分ほど下りの登山電車を待ち、グリンデルワルトへ下った。 車窓からはファウルホルンからシーニゲ・プラッテに至る緑の稜線が見えた。 絶好のハイキング日和に、縦走している妻も満足しているだろう。 早く晴れがましい顔を見せて安心させてあげたい。 まるで大聖堂のような面持ちのヴェッターホルンが車窓から望まれ、pm4:45にグリンデルワルトへ到着。 その足で直ちにAGへ向かう。 今日もデボラさんが笑顔で応対してくれた。 彼女がAGにいることによる安心感は本当に計り知れないが、意外にも話は悪い方向に展開していた。 猛暑のため登れなくなった他の山(一番はモン・ブランだろう)からの振替の影響で、ここしばらくの間ガイドが手配出来なくなってしまったようだ。 こんなことなら天気を気にせずアイガーを登る前にガイドを予約しておけば良かったと後悔したが、今シーズンすでに2回AGに依頼した実績があるので、ガイドが見つかり次第、優先的に予約を入れてくれるとのことで、あとはデボラさんの手腕に賭けるしかなかった。

   マーケットで簡単な買い物を済ませpm6:00にホテルに帰ると、予想どおり妻はまだ帰ってなかった。 間もなく妻がハイキングから帰ってくると、私の無事な姿を見て安堵したようだった。 ホテルのレストランで今日のお互いの健闘を讃えあって祝杯を上げた。 私はアイガーに登れた喜びよりも、素晴らしいガイド氏に巡り合えたことを興奮気味に妻に報告した。 妻は常に私の安否を心配しながらも、変化に富んだ縦走路から終始望まれるベルナー・オーバーラント三山の大展望を堪能したとのことだった。 日本では単独行など一度もしたことがない妻にとって、今日の山行は私以上に大冒険だったに違いない。 妻の土産話を聞き、私もいつか是非このトレイルを歩いてみたいと思った。


クライネ・シャイディックから見たアイガー(左)とメンヒ(右)


グルントから見たヴェッターホルン


  【ロープヘルナー】
   8月24日、am7:00前の天気予報によると今日と明日の天気はまずまずだが、夕立と雷が予想される少々不安定なものだった。 結局、この天気予報は見事に当たったので、ガイドが雇用出来なかったことは幸いだった。 階下のレストランに行き、今日もアイガーの見える窓際の席に座ったが、登れたことによる気持ちの余裕からか、アイガーが一回り小さく見えた。 朝食をのんびり食べながら、計画していたハイキングのリストの中から、ロープへルナー(2566m)という山に登ることにした。 ハイキングのガイドブックには、昨日妻が縦走したトレイルは“表銀座”で、今日のトレイルは“裏街道”だと表現されていた。 コースタイムは6〜7時間だ。

   am9:00にホテルを出発し、観光案内所にピッツ・ベルニーナ登山のガイドの予約をするために立ち寄る。 3年前に訪れた時に応対してくれた上西さんと再会した。 7年前からこちらに勤めているという上西さんも、今シーズンの暑さには驚いているようだった。 am9:50発の下りの登山鉄道に乗り、ツヴァイリッチーネンで乗り換えて、am10:25にラウターブルンネンに到着。 駅前の観光案内所で登山口のイーゼンフルー行きのバス乗り場を教えてもらう。 観光案内所で貰った時刻表には一般のものには載っていない臨時便も記されていた。 出発時間近くになるとバス乗り場にはどこからともなく人々が集まり、まるで図ったかのように20人乗りの村営の小型マイクロバスはぴったり満席となった。

   am11:05発のバスは5分ほど谷間の道を線路沿いに下った後、左に折れて谷から這い上がるように狭い急勾配の道を登り始めると、間もなくトンネルに入った。 トンネルの内部は左方向にカーブしているようで、バスはぐんぐん左へ左へと回り込むように登っていく。 いったいこのトンネルの構造はどうなっているのだろうと不思議に思い始めた時、突然目の前が明るくなり、バスは一気に高度を稼いで崖のような所に躍り出た。 どうやらこのトンネルは山中をループ状に貫いていたようだった。 バスは相変わらず急勾配の道で谷から這い上がり、駅から15分ほどで終点のイーゼンフルー(1081m)に着いた。 裏街道にもかかわらず、週末のせいか車が10台ほど駐車していた。 荷物用かと思うような縦型の小さなゴンドラに乗り、ハイキングの起点となるズルワルト(1530m)に向かう。 ゴンドラは急勾配の崖を舐めるように駆け登り、僅か7〜8分ほどで約450mの標高を稼ぎズルワルトに着いた。 逆光ではあるが、谷を挟んでヴェッターホルンやベルナー・オーバーラント三山が屏風のように望まれ、麓の緑の牧草地とのコントラストが絶妙なアルプスらしい風景が展開していた。

   『ロープホルンヒュッテ方面』と記された黄色のハイキング標識に導かれ、牧草地につけられた平らな幅の広い車道のようなトレイルを歩く。 気温が高いので遮るものが無い日向は、夏の陽射しでとても暑い。 牧草地には時期が遅いにもかかわらず、クロッカスを中心に様々な種類の高山植物が咲いていた。 トレイルが次第に細くなり勾配もきつくなってくるとようやく樹林帯に入った。 展望や花は無くなったが、涼しくてほっとする。 途中何人かのハイカー達とすれ違う。 裏街道だが愛好者は多いようだ。 1時間ほど樹林帯の中を黙々と登り続けたが、昨日の登山による足の疲労は余り感じなかった。 時々頭の中に昨日逃したメンヒのことが浮かんでくる。

   突然樹林が切れ、明るい草原のような所に飛び出した。 正面に熊の手の指のようなユニークな形をした奇峰ロープヘルナーが、そして右上の高台の上にはロープホルンヒュッテがそれぞれ小さく見えた。 しばらく登ると地図には載っていない牛小屋に着いた。 入口の脇には人の頭ほどある大きなカウベルがずらりと並んでいる。 小屋はトレイルの分岐に建っていて、左に登ればロープヘルナー、右に登ればロープホルンヒュッテ、その中間を登るとズルスゼーという湖に至る。 トレイルを右にとり、15分ほどで赤いスイスの国旗がたなびくロープホルンヒュッテ(1955m)に着いた。 ちょうどランチタイムだったので、ヒュッテのテラスは大勢のハイカー達で賑わっていた。 まだ目標のロープヘルナーまでの道のりは長かったが、今までに登ったり歩いたりした思い出の山々の絶好の展望台となっているヒュッテの傍らでゆっくり寛いだ。

   pm1:50、重い腰を上げてヒュッテを出発。 正面にロープヘルナーを望みながら、ズルスゼーの湖畔を通って先ほどの小屋に戻ってくると、にわかに上空を黒い雲が覆い始めた。 グリンデルワルト方面の空はまだ青かったので、そのまま予定どおりロープヘルナーに向かって急斜面のトレイルをジグザグに登っていった。 甘い期待も虚しく、15分ほど登った所でとうとう雨が降り出し、あっと言う間に本降りとなった。 仕方なくその場で立ち止まり、一本しかない傘の下で二人で雨宿りをする。 幸い10分ほどで小康状態となったため、再び急な斜面を登っていくと、ソオス谷へと下るトレイルとの分岐に牛小舎があり、その軒下で雨宿りをすることにした。 牛小舎の周囲は牛の糞だらけで、雨で緩んだ泥のような地面と区別がつかないので、スリップしないように慎重に歩く。 このま登り続けるか谷に下るかを思案していると、山頂からのトレイルを一人のハイカーが濡れ鼠になりながら下ってきて私達の傍らに逃げ込んできた。 ロープヘルナーの頂稜部の巨大な岩塔に登れるかどうかはガイドブックに記されてなかったので、「山頂まで登られたんですか?」とそのハイカー氏に訊ねてみたところ、「足場の悪い所もありましたが登れました。 ここから1時間位ですよ」と教えてくれた。 登れないと分かれば、天気も不安定なので潔く諦めようと思ったが、このハイカー氏の情報により登ることに決め、再び雨が小降りになったところを見計らって山頂を目指して出発した。 雨風はしのげないが、尾根上のトレイルからの展望が良いことだけが救いだ。 すぐにまた他のパーティーが下ってきたので情報収集すると、彼らは頂上には登らずにその脇を巻いてきたとのことだった。 次のパーティーはラテン系で全く英語が通じなかった。 しばらく登っていくと今度は14〜5人のいかにも岩登りの訓練の帰りのようなヘルメットを被った団体とすれ違った。 果してハイカー氏の言ったとおり本当に山頂まで辿り着けるのだろうか?。

   雨もようやくあがり、牛小舎から40分ほどでロープヘルナーの巨大な岩塔群の基部に着いた。 緑の稜線から突き上げている黒々とした熊の手の指のような奇妙な岩塔の高さは50mといったところか。 垂直に近い岩壁の左に明瞭なトレイルがつけられていたが、右にも微かな踏み跡があった。 ハイカー諸氏の情報から、直感的に右が登攀ルートではないかと思い、ルートファインディングしながら踏み跡を辿り、バンド状となっている所をしばらく登ってみたが、途中で全く手掛かりが無くなってしまった。 仕方なく先ほどの分岐に戻り、今度は左のトレイルを進むことにした。 取り付きを探しながら岩壁の真下の巻き道をトラバース気味に歩いていくと、上からパラパラと細かい石が落ちてきた。 この上が登攀ルートに違いないと上を見上げると、そこには登山者の姿はなく、石を落としたのはシュタインボックの親子だった。 先ほどの団体が山を下り、もう今日は誰も来ないと思ったのだろう(実際私達が最後だった)。 彼らとの遭遇に胸を踊らせたが、肝心の登攀ルートは最後まで分からないまま岩塔群の基部を通過してしまった。 しかし岩屑のコルを挟んで、その直ぐ前に独立した岩塔がもう一つあり、絶壁を巻いて裏側に回り込んでみると、そこを登る踏み跡があった。 岩屑の踏み跡を辿ってジグザグの急斜面を登っていくと、無事その頂(2566m)に辿り着くことが出来た。

   眼前にはコルを挟んで手が届きそうな所に、登れなかった巨大な岩塔群が鎮座していた。 標高はほぼ同じだったので、ようやくハイカー諸氏の一連の話の内容が理解出来た。 どちらが正式なロープヘルナーの頂上なのかは分からないが、こちらの頂も反対側がスッパリと切れ落ちた崖となっていて、遙か眼下にはインターラーケンオストの町とその左にトゥーン湖、右にブリエンツ湖が見えた。 ロープホルンヒュッテもすでに豆粒ほどの大きさになっている。 斬新な山頂からの景色に心を奪われ、いつのまにか20分ほど経過してしまったが、天気は相変わらず不安定で帰りの電車の時間も心配になってきたので、グリュッチュアルプのケーブル駅を目指してソオス谷方面へ下ることにした。

   来た道を引き返すと、先ほど岩壁の上にいたシュタインボックの親子がトレイルを横切り、下の牧草地に草を食みに出掛けるところだった。 何度も後ろを振り返りながら雨宿りした牛小舎の手前まで戻り、分岐をソオス谷に向かって折れ、再びロープヘルナーに戻るような感じでトラバース気味に牧草地の中の踏み跡を緩やかに下る。 再び頭上にはロープヘルナーの岩塔群が違った形で見えてきた。 目を凝らすとあちこちにシュタインボックの姿が見られた。 ソオス谷を流れる沢の源頭部を飛び石伝いに渡り、急な崖をジグザグにぐんぐん下り高度を下げる。 再び小雨がパラつき始めた。 谷底まで下り、沢と平行してつけられている平坦なトレイルを黙々と歩く。 一軒の山小屋風の廃屋を過ぎると五叉路の分岐があった。 地図を確かめながら少し登り返すと再び展望が開け、要所要所にベンチの置かれた明瞭なトレイルとなったが、肝心の天気は回復せず山々は雲を呼んでいた。

   しばらく行くとトレイルは薄暗い樹林帯の中をトラバースするようになり、樹林が切れた所がグリュッチュアルプのケーブル駅(1485m)だった。 同駅はミューレンに向かう登山電車とラウターブルンネンへの下りのケーブルとが接続しているが、時間が遅かったせいかハイカーの姿はおろか駅員もいなかった。 本当に電車やケーブルはまだ動いているのだろうか?。 ベンチもない寒々しい改札口で首を長くしてケーブルの到着を待っていると、ほんの一瞬だったが、厚い雲や霧が風に飛ばされ、夕陽に照らされてピンク色に染め上がった神々しいユングフラウの雄姿が突然目の前に大きく現れ、ハイキングのフィナーレを飾ってくれた。

   静寂の空気を切り裂いて突然電車の来る音が響きわたり、20人ほどの乗客を乗せた小さな登山電車が到着した。 予想どおり乗客の全員がその直後にラウターブルンネンから上がってきたケーブルに乗り換え、私達と同様にラウターブルンネンへ下った。 ラウターブルンネンからは往路を戻り、pm8:05発の登山電車に乗って次のツヴァイリッチーネンで乗り換え、薄暗くなったpm9:10にようやくグリンデルワルトに帰り着いた。


ベルナーオーバーラント三山の好展望地に建つロープホルンヒュッテ


ロープホルンヒュッテから見た奇峰ロープヘルナー


ロープヘルナー(右の岩塔を登った)


ロープヘルナーで見たシュタインボックの親子


ロープヘルナーの巨大な岩塔群


  【シュレックホルンヒュッテ】
   8月25日、am7:00前の天気予報によると今日も昨日の天気と同じで、午後から雷雨のある不安定な天気のようだった。 計画していたハイキングのリストには無かったが、先日知り合った山崎さんから聞いた土産話の中で『シュレックホルンヒュッテ』という響きが耳に残っていたことと、ゴディー氏が一番好きな山だと言う憧れのシュレックホルン(4078m)に、登ることは叶わなくても少しでも近づきたいという思いから、急遽同ヒュッテまで行ってみることにした。 このトレイルは3年前に途中にあるシュティーレックのレストランまで行ったことがあり、登山予定のグロース・フィーシャーホルンを眺めるにも好都合だ。

   am9:00過ぎ、不安な気持ちを抱きながらAGへ行くと、意外にもデボラさんの口から「明後日の27日にガイドが手配出来ました!」との朗報が告げられた。 さらに嬉しいことに、カウンターに貼り出されていたインターネットの天気予報では、明後日は快晴となっていた。 ガイドの名前はウルス・トブレル氏、明日の夕方にB.Cとなるメンヒスヨッホヒュッテで落ち合って下さいとのことだった。 状況は一変し、一番良い天気の日に予定どおりの登山が出来るようになったことを妻と二人で喜んだ。 直ちにガイド料及び3人分の山小屋の宿泊代の1,040フラン(邦貨で約93,600円)を支払い、デボラさんからバウチャーを受け取った。

   まだ山に登れた訳でもないのに、小躍りするような気持ちでam10:30発のロープウェイに乗ってフィングスティック(1392m)の展望台へ上がり、シュレックホルンヒュッテ(2520m)を往復するハイキングに出発した。 展望台からヒュッテまでの往復の所要時間は7〜8時間ほどだ。 ここから1時間ほどの所にあるシュティーレックのレストランまでは危険な箇所もないお手軽なハイキングコースなので、前回同様トレイルを歩いているハイカーの姿は多かった。 下グリンデルワルト氷河の末端の深い谷を挟んで、荒々しいアイガーのミッテルレギを右手に、正面にはアイガーをも凌駕するようなグロース・フィーシャーホルンの壮大な北壁を終始眺めながら歩く素晴らしいトレイルだ。 しかしながら猛暑の影響で氷河の雪は溶け、周囲の景観は大雪に見舞われた前回とは大分その印象が違っていた。 グロース・フィーシャーホルンも純白の衣装を脱ぎ、アイガーと同様に首から白いナプキンを垂らしただけの日焼けした肌をさらしていた。

   フィングスティックの展望台から1時間ほどでシュティーレックのレストラン(1650m)に着いた。 眼前に拡がる広大な氷河は表面の雪が溶け、堆積した土砂で輝きを失っていたが、圧倒的な大きさで聳え立つグロース・フィーシャーホルンの雄姿は相変わらず神々しく、とても素人があの頂に立つことが出来るとは思えなかった。 レストランからは白地に青い線が引かれたペンキマークが所々にあるアルペンルートとなったが、氷河を遡っていくトレイルは明瞭で全く迷う所は無い。 時折、氷河が崩落する音がこだまして聞こえてくる。 アイガーの南壁も徐々に見え始めたので、先日ミッテルレギヒュッテまで辿ったルートを妻に説明する。 ミッテルレギが長大であることがあらためて良く分かったが、肝心のヒュッテは何度も双眼鏡を覗いたが見つけることが出来なかった。

   小さな登り下りを繰り返しながら1時間ほどアルペンルートを辿ると、数人のハイカー達が寛いでいる所があり、その先でトレイルは下アイスメーア氷河に沿って左方向に大きく折れていた。 氷河の奥には憧れのシュレックホルンが大きく望まれたが、先日登ったヴェッターホルンから見た東面とは反対に頂稜部には雪がなく黒々としていた。 アイガーと同じように今年は例年に比べて登攀が容易なのだろうか?。 ピッツ・ベルニーナを登る計画を変更しようかという大胆な発想が一瞬頭をよぎった。 ガイドブックによればここからヒュッテまでは2時間以上かかり、トレイルも次第に険しくなるので、ここで引き返す人達が殆どだったが、憧れの山に少しでも近づきたいという思いから迷わず先に進んだ。

   トレイルはシュレックホルンを頭上に仰ぎながら、下アイスメーア氷河の脇を遡行するように登り一本調子に高度を稼いでいく。 何本かの沢を飛び石伝いに渡り、滝の下をくぐったりしながら1時間ほど登ると、シュレックホルンの頂稜部は見えなくなった。 時々ヒュッテまで行ってきたと思われるハイカー達とすれ違うが、シュレックホルンを登ったと思われる登山者の姿は皆無だった。 前方を行く4〜5名のパーティーを目標にしながらなおも登り続けていくと、鉄梯子、鉄杭、ワイヤーロープといったものが所々に出現する険しい(楽しい)トレイルとなった。

   高度を上げるにつれ、氷河を挟んで対峙するグロース・フィーシャーホルンの支峰のヒンター・フィーシャーホルン(4025m)が間近に迫り、氷河の源頭部には山群の最高峰である憧れのフィンスターアールホルンの尖った頂が顔を出した。 氷河上の土砂も無くなり、クレバスが青々と輝いている。 山崎さんがこのトレイルを推奨した理由が分かるような気がした。 pm2:00を過ぎると予報どおり空には灰色の雲が湧き始めた。 雷が怖いので、妻からそろそろ引き返そうという提案があったが、再びここを訪れるチャンスは無いかもしれないので、pm3:00までにヒュッテに着かなければ、その時点で引き返すという条件をつけて単身ヒュッテに向かった。

   手持ちの地図に記された位置が正しければそろそろヒュッテが見えても良さそうだったが、ヒュッテはなかなか見えてこない。 妻との約束があるので小走りにトレイルを駆け上がると、先ほどまで目標にしていたパーティーに追いついた。 パーティーは中学生位の子供二人を連れた親子だった。 今日はヒュッテに泊まるのだろう。 パーティーを追い越してさらに進むと、初めてシュレックホルンを登ってきたと思われる一組のパーティーが下ってきたが、まだアンザイレンしたままだった。 ガイド氏らしき人にヒュッテまでの時間を訊ねたところ、「あと10分くらいですよ」と教えてくれた。 時刻は既にpm3:00を過ぎてしまったが、どうしても行きたいという気持ちに負け、妻との約束を破ってヒュッテまで行くことにした。 最後の詰めを喘ぎ喘ぎ小走りに登りながら、この時間でまだ彼らがザイルも解かずにいるということは、シュレックホルンはやはり大変な山だとあらためて思った。

   pm3:15、スイスの赤い国旗がたなびくシュレックホルンヒュッテに着いたが、すでに天気は崩れ始め、背後に聳えるシュレックホルンは霧に呑み込まれて全く見えなかった。 ヒュッテの周囲にも人影はなく寒々としていた。 麓の町から隔絶された氷河の傍らに建つ地味なヒュッテは、静かな山旅を求める人達にとってはまさに絶好の場所だ。 いつの日か是非シュレックホルンに登るために再訪したいという願いを込めて写真を一枚だけ撮り、トンボ返りで往路を引き返した。 先ほどの登山パーティーに追いつくことを目標に、一目散に飛ぶように下る。 途中でとうとう小雨がパラつき始めた。 さらに下るスピードを増していったが、パーティーの姿は一向に見えてこない。 彼らも相当飛ばしているに違いない。

   1時間ほど下ると、下グリンデルワルト氷河との分岐で妻がポツンと一人佇んでいるのが見えた。 妻と合流して話を聞くと、登山パーティーは10分ほど前に休むことなく通過していったという。 彼らのスピードに脱帽するとともに、やはりシュレックホルンを登るには相当なスピードが要ることが分かった。 ヒュッテまでのトレイルの状況を妻に話しながら先を急ぐと、遠くで雷鳴が響いたが不思議と雨は落ちてこなかった。 すでに人影の無くなったシュティーレックのレストランで一息入れ、明日から臨む眼前のグロース・フィーシャーホルンを眺めながらその頂に思いを馳せた。

   pm6:00ちょうどに出発点のフィングスティックの展望台に着いた。 グリンデルワルトまで下るトレイルもあったが、往復のチケットを買ったのでロープウェイで下り、観光案内所の市川さんに教えてもらったホテル『アイガー』のレストランで、ジャガイモを使った当地の伝統的な家庭料理のレュシュティを食べた。 メニューには日本語の説明があり、味も良く値段も手頃だったため、店内には日本人観光客が多かった。


フィングスティックの展望台付近から見たグリンデルワルト


下アイスメーア氷河


下アイスメーア氷河から見たアイガー


下アイスメーア氷河から見たシュレックホルン


下アイスメーア氷河から見たヒンター・フィーシャーホルン


下アイスメーア氷河から見たフィンスターアールホルン(左)


シュレックホルンヒュッテ


  【グロース・フィーシャーホルン】
   8月26日、快晴の予報が出ている明日に向けて天気は昨日より安定し、雨の心配は全くなさそうだ。 am11:19発の登山電車に乗り、乗換駅のクライネ・シャイデックに向かう。 同駅からは世界一料金が高い登山電車に乗り換え、ユングフラウヨッホ(トップ・オブ・ザ・ヨーロッパ)へ。 途中の観光用のアイスメーア駅で5分間の停車時間を利用し、ゴディー氏と待ち合わせをしたホームの裏側に妻を案内すると、アイガー登山の準備をしていた一人の日本人男性が目に止まった。 時間がないので、アイゼンが要らなかったことや、これから山小屋にいく途中の短い4級の岩場が一番困難だったことを手短に伝え、「明日またメンヒスヨッホヒュッテでお会いましょう!」とエールを送った。 pm1:30、終点のユングフラウヨッホに到着。 観光客でごった返しているスフィンクスの展望台に上がり、思い出のメンヒやユングフラウと対峙する。 3日前に来たばかりの私と違い、3年ぶりの妻はより感慨深げだった。 それにしても三度も快晴の天気に恵まれ、この展望台に上がれた私は本当に果報者だとつくづく思った。

  展望台のベンチで昼食をとり、pm2:20にメンヒスヨッホヒュッテに向けて出発。 うす暗いトンネルを抜けて眩しい白銀の世界に出ると、展望台の周囲は雪遊びを楽しむ観光客で賑わっていた。 各地の山域は猛暑の影響を受けているようだが、アレッチ氷河の源頭部の目の前の大雪原(ユングフラウフィルン)には雪不足は見られず、ヒュッテまでの幅の広いトレイルには雪上ハイキングを楽しむ人が多く見られた。 15分ほど歩くと周囲は静かになり、左手の頭上にはメンヒが大きく望まれるようになったが、ゴディー氏の誘いを断った大失敗が再び脳裏をかすめた。

   pm3:00にヒュッテに到着。 ヒュッテから見たグロース・フィーシャーホルンは、昨日のハイキングトレイルから仰ぎ見た荒々しい北壁のイメージは無く、だだっ広い氷河に裾野を広げた端正な姿で聳えていた。 また3629mの峠の傍らに建つヒュッテからの単純標高差は400mほどしかないので、とても親しみ易く感じられる。 南側の陽当たりの良いテラスには、山を登り終えた4〜5人の登山者が昼寝(日光浴)をしていたが、そのうちの一人の方は片足が無く、義足がその傍らに無造作に置いてあった。 食堂のカウンターでバウチャーを提示すると、3日前に来たばかりなので山小屋のスタッフも私のことを覚えていてくれたようだった。 早速二階の寝室に案内されると、上下に20人ほど寝れるベッドのある部屋で、3年前に泊まった部屋と同じだった。 初めて高山病の体験をした昔の思い出に浸りながらベッドの上で横になっているうちに、ホッとしたのか2時間近くウトウトと寝入ってしまった。

   pm5:00近くに起きて、ガイドのウルス氏と会うために階下の食堂に行くと、意外なことに7〜8人の団体の年配の日本人の姿があった。 引率の方(Aトラベルの諸岡さん)に話を伺うと、モン・ブランの登頂ツアーだったが、先日ゴディー氏が言ったとおり同峰の一般ルートのが猛暑の影響で登れなくなり、その代替えでユングフラウになったとのことだった。 周囲で歓談している猛者達を見渡してウルス氏を探すと、いかにもガイドといった風貌の口髭をたくわえた眼光の鋭い大柄な人が目が止まった。 テーブルに近づき声をかけてみると、その人ではなく近くにいたおよそガイドには見えない年配の小柄な人が反応した。 早速自己紹介すると、にこやかに手を差し伸べてきたので、ウルス氏に間違い無さそうだった。 氏は外国人にしては珍しく控え目で、いかにも人が良さそうな感じだった。 その傍らにいた片言の日本語を話せるドイツ人のお客さんの話によると、当初目に止まった人は自分達のガイドで、彼らも明日は私達と同じくグロース・フィーシャーホルンを登るとのことだった。

   pm6:00過ぎに夕食の時間となり、運良くそのドイツ人パーティーと同じテーブルで食事をすることになった。 一人の方はエンジニアで、数年前に埼玉県にある会社の研究所に2年ほど勤務していたとのことで、彼を介してウルス氏とのコミュニケーションを図ることにした。 氏の出身はルツェルンの郊外で、今も家族と一緒にそこで暮らしているとのこと。 特定の町のガイド組合には所属していないフリーのガイドなので、今回AG(デボラさん)が“一本釣り”してくれたようだった。 50歳の半ばに見えた氏の年齢は、私達とさほど変わらない46歳だった。 グロース・フィーシャーホルンのルートの概要について訊ねると、意外にも夏のシーズンには登ったことはなく、専ら春のスキーツアーのガイドで5〜6回登ったことがあるとのことだった。 妻がいつものように「私は背が低く足も短いので、なるべくゆっくり登って欲しい」とリクエストすると、氏から「明日の山はそれほど難しくないので、楽しみながら登りましょう。 山は楽しく登らなければ駄目ですよ!」という意外な嬉しい答えが返ってきた。 氏も先日のゴディー氏と共通するところがあるようだった。 氏は私達のアイゼンや靴等の装備品を手に取ってチェックすることはしなかったが、ヘルメットは必ず持っていくようにとのことだった。 今回もまた良いガイドに恵まれたようで、妻も明日の登頂を確信したようだった。 明日の出発はam5:00ということで、am4:30に食堂で再会することを氏と約して、pm8:00には床に就いた。


スフィンクスの展望台から見たユングフラウ


メンヒスヨッホヒュッテから見たグロース・フィーシャーホルン


   8月27日、am4:15起床。 中二階にある屋外のトイレに行くと、嬉しいことに風もなく満天の星空だった。 氷河の真っ只中に悠々といられる幸せをあらためて噛みしめる。 アルプスの山の神にも歓迎されたようで、今日はウルス氏が言ったとおり楽しい登山が期待出来そうだ。 ユングフラウやメンヒといった他の山を登る人との出発時間にズレがあるせいか、食堂はあまり混雑していなかった。 逆にのんびりと朝食を食べてしまったため、出発時間は少し遅れてam5:20になってしまった。 まだまっ暗なヒュッテの入口からアンザイレンして凍った急斜面を下り、ヒュッテの直下にある峠を乗越して、広大なエーヴィヒ・シュネ−フェルト(万年雪原)と呼ばれる氷河を取り付きに向かって緩やかに下る。 ガイドブックによれば、取り付きまでは標高差で300m以上も下ることになっているため、ヒュッテから山頂までの単純標高差は400mほどだが、往復の累積標高差は1000mを超えてしまうのだ。 帰りの登り返しはきついが、憧れの頂を踏めれば全く苦にはならないだろう。

   だだっ広い氷河を横切るように緩やかに黙々と下る。 ヒドゥンクレバスの心配はそれほどないのか、ウルス氏がセットしたザイルの間隔は6〜7mといったところだ。 氷河上の雪は豊富だが、連日の猛暑で表面が大きくスプーンカット状になっていて、アイゼンの爪が引っ掛かって歩きにくい。 先行するパーティーのヘッドランプの灯が僅かに見える。 今日は何人位この山の頂を目指すのであろうか?。 前方のグロース・フィーシャーホルンのシルエットが月明かりで良く見えるが、歩いても歩いてもいっこうに近づいてこない。 後ろを振り返ると、遙か遠くに後続のパーティーのヘッドランプの灯が見えた。 昨夜夕食のテーブルを共にしたドイツ人のパーティーだろうか?。

   空の色がセピア色に変わり始め、日の出の時刻が近づいてきた。 妻が珍しく写真を撮りたいというので、歩きながらカメラを手渡す。 しばらくして「ジャスト・ア・モーメント、フォトグラフ!」と試しにウルス氏を後ろから呼び止めると、「どうぞ、どうぞ」とすぐに足を止めてくれた。 ヒュッテの背後に聳えるメンヒがうっすらと朝焼けに染まり、爽やかなアルプスの一日が始まろうとしている。 妻が写真を撮り終えると、再びただ黙々と氷河を下った。 ガイドブックのイメージでは、もう少し右寄りに(きつい勾配で)下り、右から回り込むようにして取り付きに向かうように思えたが、氏は相変わらず山を正面に見据えながら、だらだらと下っていった。

   ヒュッテを出発してから50分ほどで取り付きと思われる氷河の縁に着いた。 再び写真を撮らせてもらった後、休憩することもなく氷河からせり上がっているクレバスだらけの凍った急斜面に取り付いた。 ウルス氏は先行するパーティーの後には続かず、クレバスの間の歩きやすい所を選びながら、慎重かつ大胆に私達を上へと導いてくれた。 氏の巧みなルートファインディングにより30分ほどでクレバス帯を抜け、5分ほどの短い休憩をしてから、顕著な尾根に向かってやや急な広い斜面を直登する。 クラストした雪面にアイゼンが良く利き、短時間で標高の稼げる効率の良い快適な登高だ。 氏の登るペースも機械のように一定で申し分ない。

   今日は登山を楽しめそうだと思ったのも束の間、しばらくすると周囲が明るくなり、やはりガイドブックに記されている一般ルートを登っていないことが分かった。 猛暑の影響で一般ルートのコンディションが悪いのだろう。 この先は予想以上に困難で、また時間も余計にかかってしまうのだろうか?。 山のコンディションによっては、山頂直下まで順調に行けても山頂を踏めないケースもアルプスの登山ではありがちだ。 40分ほど様々な想像を巡らせながら黙々と登り続け、山小屋を出発してから2時間ほどで陽射しに溢れた峠のように広い主稜線のコルに着いた。

   展望が一気に開け、正面にシュレックホルンが大きく望まれ、右手の急峻な雪稜の先には目指すグロース・フィーシャーホルンの頂らしき所が間近に見えた。 風もなく日溜まりのようなコルで、先行していたパーティーが休憩していた。 私達も大休止となり、写真を撮ったり行動食を食べたりしながら周囲の景色を堪能した。 朝陽に照らされて黄金色に輝く眼前のアイガーの南壁を眺めながら、“3日前のちょうど今と同じ時刻にあの頂にいたんだなあ〜”と一人悦に入り、たとえ今日山頂を踏めなくても満足出来るとさえ思える心の余裕も生まれたが、アイガーの頂を踏んでいない妻には是非この山の頂に立ってもらいたいと願った。 しばらくすると、ドイツ人のパーティーがコルに登ってきたので声を掛ける。 良い天気とコルからの素晴らしい展望に彼らも上機嫌だった。

   20分ほどゆっくり休憩した後、ヘルメットを被ってドイツ人のパーティーに続き3番目で高度感のあるスリリングな雪稜に取り付いた。 いよいよここからが本番だ。 もちろん一般ルートではない。 下から見上げると先行しているパ−ティ−が苦戦している様子が良く分かる。 しばらく登ったところで雪稜から離れ、少し右に回り込んで寒々しい岩場を登っていると急に風が強まり、ウルス氏を呼び止めてジャケットを着込んだ。 先ほどヘルメットを被るように指示されたので、ここから先は岩場を登攀するのだろうと思ったが、再びさらに傾斜のきつくなった雪稜に戻った。 雪壁に近いような目も眩みそうな急斜面をどのように登るのだろうかと妻と顔を見合わせたが、氏は迷うことなくピッケルで足元にヘルメット位の大きさの穴を掘ると、腰にぶら下げていたスクリュー(アイスピトン)を取り出し、慣れた手つきで雪の下の固い氷にねじ込んだ。 氏はスクリューと私をスリングで繋いでビレイを取り、殿の私にヌンチャクの回収を指示すると、キックステップで足場を作り、要所要所にスクリューで確保支点を作りながらザイルを伸ばして20mほど登っていった。 上からは氏の落とす固い雪や氷のかけらがパラパラと頭上に降り注ぎ、ヘルメットを被る必要性があったことがあらためて良く分かった。 氏から声が掛かり、足跡の階段を利用して一歩一歩慎重に登る。 上から確保されているとはいえ、滑落は絶対に許されない。 久々に味わうスリリングな登攀だが、これだけのリスクを負って登るということは、頂上に立てる勝算があるからに違いない。

   2ピッチほど同じようなスリリングな登攀を続けると、次からは少し傾斜も緩んで安堵したが、何よりも嬉しいことに周囲の山の高さや、目の前の風景から推して意外にも山頂が近いことが分かった。 予感は的中し、先ほど休憩したコルから1時間10分ほどで再び雪稜を離れると、ウルス氏はピッケルを岩陰にデポするように指示した。 憧れの頂へのラストスパートに入ったのだ!。 休憩することもなく、そのまま岩場を回り込むようにして登り続けていくと、突然目の前に広大な氷河を挟んで屹立する大きな山が目に飛び込んできた。 ベルナー・オーバーラントの最高峰のフィンスターアールホルン(4273m)だ。 麓の町や展望台からはいつも豆粒ほどにしか見えない同峰が初めて間近に大きく望まれた。 周囲に人の声が聞こえたのでそちらを見やると、何とそこはもう山頂だった。

   「コングラチュレーション!」。 既に山頂を踏み、周囲で寛いでいたドイツ人のパーティーの祝福を受け、am9:00ちょうどに憧れのグロース・フィーシャーホルンの頂に辿り着いた。 「お疲れさまでした!、登頂おめでとう!」。 後ろから妻に労いの言葉を掛ける。 一般ルートを通らずに、距離的には短い尾根ルートで登ったせいか、ヒュッテを出発してから僅か3時間40分の登攀だった。 猛暑の影響なのか、予想に反して山頂は雪に覆われておらず、またヴェッターホルンやアイガーと同じように十字架は立っていなかった。 「サンキュー・ベリー・マッチ!」。 命を預けたウルス氏とガッチリ握手を交わし、妻と交互にお礼の言葉を掛けた。 シュティーレックのレストランから仰ぎ見た、あの神々しい山の頂にこんなに楽に立つことが出来たのも、全ては氏のお蔭だ。 雲一つ無いアルプスの蒼い空の下、眼前にはその全てに足跡を残すことが出来たベルナー・オーバーラント三山(アイガー・メンヒ・ユングフラウ)が、昨日まで見ていた並びとは正反対に望まれ、とても新鮮な感じがする。

   いつものように山頂での短い滞在時間を気にしながら、せわしく行動食を片手に写真を撮りまくっている私をよそに、なぜかウルス氏はのんびり寛いでいた。 先に到着したドイツ人のパーティーもいっこうに下山しようとする気配が無い。 遙か遠くにモン・ブランやモンテ・ローザといった大きな山や、マッターホルンがはっきりと遠望された。 その他の山々について妻と山座同定していると、氏は小さなザックからおもむろに大きな双眼鏡を取り出して私達の目を驚かせた。 氏はまず自ら双眼鏡を覗いて遠くの山々を確認すると、私達に双眼鏡を手渡して一つ一つ丁寧に山の名前を教えてくれた。 “山は楽しく登らなければ駄目ですよ!”という昨夜の氏の発言は決して社交辞令ではなかった。


モルゲンロートに染まるメンヒ


主稜線のコルから見たグロース・フィーシャーホルンの頂稜部


グロース・フィーシャーホルンの山頂


グロース・フィーシャーホルンの山頂


山頂から見たアイガー(右)とメンヒ(左)


山頂から見たメンヒ(右)とユングフラウ(左奥)


山頂から見たアレッチホルン


   山頂から見たグロース・グリュンホルン(中央)とヒンター・フィーシャーホルン(左)


山頂から見たフィンスターアールホルン


山頂から見たシュレックホルン


   20分ほど経っただろうか、ウルス氏が腰を上げたので、最後に氏との記念写真を撮り、氏の後に続いて下山しようとすると、意外にも氏は少し下った先の風の当たらない日溜まりとなっている南側の斜面に再び腰を下ろした。 正面にはフィンスターアールホルンが鎮座している。 氏は東の方向にかろうじて見える雪の山塊を指して「あれがピッツ・ベルニーナですよ」と教えてくれ、昨夜私達が氏に話した次の計画を覚えていてくれたようだった。 氏がガイドをしてくれれば、ピッツ・ベルニーナも楽しく登れるに違いない。 約40分という過去に例のない山頂での滞在時間の後、「ぼちぼち下山しましょうか」とウルス氏に促され、二度と訪れることは叶わない憧れの頂を後にしたが、これが今シーズンの最後の頂になろうとは知る由もなかった。

   すでに登ってくる登山者の姿はなく、登りと同じルートで急な雪壁をウルス氏に確保されながら後ろ向きになって下降する。 山頂で緩みきった気持ちを引き締め直し、足元に全神経を集中させる。 無事にコルに降り立ち、ヘルメットやジャケットを脱いで一服した後、尾根を外れて取り付きへの幅の広い斜面を下る。 早朝はクラストしていた斜面も表面の雪が溶け、アイゼンの爪がスーと入る。 クレバスの間を縫って正午前に取り付きに降り立った。 ここからはヒュッテの建つ峠に向かって標高差で300mほどの長い登り返しだ。 長袖のシャツ一枚になり、照り返しの強烈な氷河の上を黙々と歩く。 もう危ない所は全く無いので氏は非常にゆっくりしたペースで歩いてくれる。 後ろから何度も氏を呼び止めて周囲の写真を撮りながら登頂の余韻を楽しんだ。 ペースが遅いせいか、雪が腐って歩きにくいためか、予想どおりヒュッテまでの道のりがとても長く感じられた。 右手にアイガーから縦走してきたと思われる人影が見え始め、pm1:00過ぎに大勢の山男達で賑わっているメンヒスヨッホヒュッテに戻った。 昨日アイスメーア駅で出会った邦人の方も、ちょうどアイガーを登り終えて到着されたところで、お互いの健闘を讃え合った。 ザイルが解かれ、憧れの頂への会心の登山は終了した。 ウルス氏に再びお礼の言葉を掛け、祝杯を上げに食堂へ氏を誘った。 氏は明日の仕事のためか、アルコールはやらないというので、私達同様ソフトドリンクを注文した。

   「今日は素晴らしいガイドと素晴らしい天気に恵まれて最高でした!」と祝杯を上げ、先日のゴディー氏に続き今日の登山の思い出をより豊かなものにしてくれたウルス氏に感謝の気持ちを込めて50フランのチップを手渡した。 “山は楽しく登らなければ駄目だ”という私と同じ信念を持っている氏に、アルプスで一番お気に入りの山について訊ねてみると、すぐに「ビーチホルンですね、とてもいい山ですよ!」という意外な(嬉しい)答えが返ってきた。 僅かに4000mに満たない同峰は日本では全く知名度は低いが、ベルナー・オーバーラント山群の外れに聳える三角錐の尖峰で、玄人好みの名山だ。 私も同峰には興味を持っていたが、氏によれば見た目どおり登攀は相当困難とのことだった。 氏はガイドの仕事がないオフシーズンには、家具や建具の組み立ての仕事をされているようで、山岳ガイドには全く見えない少し猫背で小柄な氏の風貌は、正に職人のそれだった。

   ウルス氏と雑談を続けているとドイツ人のパーティーが到着し、私達の話しの輪の中に入ってきた。 彼らはこれからアレッチ氷河を下ってコンコルディアヒュッテに泊まり、明日はグロース・グリュンホルン(4044m)にアタックするとのことだった。 たまたまポケットに入っていた行動食の『柿の種』をテーブルに出し、日本のお菓子だと紹介したところ、意外にもこれが大好評であっという間に売り切れた。 隣のテーブルには九州から来たという山岳会(北九州市役所の山岳部)のメンバー5〜6人がアイガ−を登り終えて談笑していた。 明日はガイドレスでユングフラウを登るとのことだった。 一足先に下山するというウルス氏を見送り、彼らともしばし情報交換を行った後、pm3:00過ぎに思い出の多い山小屋を後にした。 近い将来ここを再訪する機会はないだろうから、“通い慣れたトレイル”からの雄大な景色を堪能し、今日も大勢の観光客で賑わっているであろうユングフラウヨッホの駅へと向かった。


メンヒスヨッホヒュッテの建つ峠への長い登り返し


万年雪原から見たグロース・フィーシャーホルン


  【ポントレジーナ】
   8月28日、残念ながら朝の天気予報では明日から向こう5日間は曇りがちな天気が続くようで、最高気温も一気に5℃以上下がり、日照時間が少ないことを示唆していた。 快晴の天気は望めなくても、とにかく憧れの頂に辿り着くことだけを考えようと気持ちを切り替え、午前中は荷物の整理と明日からの山行の準備を行う。 昼食をホテルで自炊してから、午後に観光案内所に市川さんを尋ね、ピッツ・ベルニーナ登山のスケジュール等について地元(ポントレジーナ)のガイド組合から入った連絡事項を説明していただいた。 ガイドと落ち合う場所については、登山口となるディアヴォレッツァの展望台に建つ山岳ホテルで、ポントレジーナから登山電車に乗ってベルニナ・ディアヴォレッツァという駅で下車し、そこからロープウェイに乗ってディアヴォレッツァの展望台に行くが、ベルニナ・ディアヴォレッツァまではとても時間がかかるうえ、ロープウェイの最終がpm5:30なので、時間には注意を要するとのことだった。 意外なことに登山ルートについては、初日に隣接峰のピッツ・パリュ(3905m)を登ってから稜線を縦走して山小屋(マルコ・エ・ローザ小屋)に泊まり、ピッツ・ベルニーナへのアタックを翌日に行って、山小屋からディアヴォレッツァに下るという周回ルートで、予定外の新たなピークを一つ踏むことが出来るという思いがけない話に心が弾んだ。 ガイドの名前はポール・デゴンダ氏、ガイド料は960フラン(邦貨で約86,400円・山小屋宿泊代は別)でガイドに直接支払って下さいとのことだった。 当初ポントレジーナに行くためには、ここから南下してシュピーツからブリークに行き、氷河急行でサンモリッツを経由して行くと考えていたが、市川さんからいただいたインターネットの時刻表によれば、地図上では一見遠回りに見えるチューリッヒの近郊のタルウィルまで北上し、そこから南下してクール経由で行く方が早く目的地に着くことが分かった。 ガイド組合への取り次ぎ手数料50フランを支払い、親身になって面倒をみていただいた市川さんに感謝して観光案内所を後にした。

   グリンデルワルトはツェルマットやシャモニに比べると商店等は少ないが、妻は相変わらず土産物屋のはしごに余念が無い。 私は昨日登ったグロース・フィーシャーホルンが恋しくて、同峰が良く見える町外れの教会まで坂道を登って行った。 アイガーとメッテンベルクの岩峰の隙間から垣間見られたグロース・フィーシャーホルンの北壁は何度見ても神々しく、登山電車や優秀な山岳ガイドがいなければ私達には全く手が届かない存在だった。 しかしそれ以上に私の目を釘付けにしたのは、教会の脇にあった共同墓地だった。 ほぼ均一の大きさで整然と並んでいる500基ほどの墓石は、周囲を色とりどりの生花でバランス良く飾られ、まるで観光用の大きな花園のようだった。 今までついつい山(上)にばかりに目がいってたため、全くその存在に気が付かなかったことを恥じるとともに、故人には申し訳ないと思いつつ、写真を撮らずにはいられなかった。 墓石には生前の故人にゆかりのある風景や植物の絵や文字が刻まれていた。 ガイドの墓も多いのだろう。 妻と合流し、前日に続いてホテル『アイガー』の1階のレストランで早めの夕食をとり、明日からの山行に期待と不安を抱きながらホテルに戻った。


教会の脇の共同墓地


日本語観光案内所(右下)付近から見たヴェッターホルン


   8月29日、昨日までの好天が嘘のように天気は予報どおり下り坂となった。 am7:50発の下りの登山電車に乗り、最初の乗換駅のインターラーケンオストに向かう。 昨日市川さんからいただいた時刻表によると、今日の最終目的地であるディアヴォレッツァの山岳ホテルまでは、電車を6回乗り換えた後にロープウェイで上がるという旅行者泣かせのものだ。

   最初の乗り換えはスムースにいったのも束の間、次の通称『ゴールデンパス』と呼ばれる狭軌の路線を走る準登山電車でルツェルンに向かう途中、マイリンゲンの駅でスイッチバックをして峠からの下りにさしかかった時、何やら車内放送が繰り返し流れると、車内の乗客がそわそわしはじめた。 “何かアクシデントがあったな”と思い近くの人に訊ねると、車両故障があったのでこの電車は次の駅で止まってしまうとのことだった。 電車・バス・ロープウェイを含め、スイスでは今まで一度も経験したことがないハプニングだったが、このハプニングも珍騒動の単なる予兆に過ぎなかった。 間もなく乗客全員がギィスウィルという小さな駅で降ろされた。 どうやら車両故障はこちらに向かってくる電車らしかったが、単線なのでこの電車も進むことが出来ないようだった。 観光客が多いためか、乗客には苛立ちや混乱は見られず、狼狽しているのは私達だけのようだった。 情報収集のため周囲に日本人がいないかと見渡したところ、大きなザックを背負った二人組の学生風の若い女性達が目に止まったので話かけると、バスで振替輸送をしてくれるという車内放送があったとのことでとりあえず安堵した。

   予想に反して救援用のバスは間もなく到着し、15分ほど満員のバスに揺られて2つ先のザーネンという駅で降ろされた。 果して今度は電車がすぐに来るかどうか全く見当がつかなかったが、さすがに鉄道先進国のスイスだけあって、間もなくルツェルン行きの臨時電車が到着した。 小さな駅に溢れていた乗客全員を乗せると電車はすぐに発車し、結果的に約1時間の遅れだけで済んだ。 このまま何もなければぎりぎり最終のロープウェイに間に合うが、何かまたハプニングが起これば明日からの登山は出来なくなってしまうので、全く生きた心地がしない。 ルツェルンで下車し、ポントレジーナとは正反対のチューリッヒ方面に行く電車に乗り換え、2つ目のタルウィルという駅でクール行きの電車に乗り換えるために下車した。

   タルウィルの駅で40分ほどの乗り換え時間があり、ホームのベンチにいた先ほどの学生達と再び情報交換をしながら時間をつぶす。 彼女達は東京理科大の学生で、夏休みを利用して卒論の研究テーマ(建築様式)の資料を集めるため、ヨーロッパの国々を主にユースホステルを利用して旅をしているとのことだった。 各国のユースの中でスイスは料金的には少し高め(それでも一泊二食付きで4,000円程度)だが、一番清潔で食事の内容も充実しているとのことだった。 私も以前B.Cとしてユースを検討したこともあったが、相部屋が基本のため荷物の安全性という面で敬遠していた。 常に大きなザックを背負いながら行動している彼女達の若さを羨ましく思ったが、今晩私達もユースに泊まることになろうとは夢にも思わなかった。 彼女達は今日向かうクールが旅の最終目的地であり、貧乏旅行の打ち上げに少し豪華な温泉施設のある宿に泊まるとのことだった。 ガイドブックによればクールはスイスの中で最も古い町だとされ、5000年以上も前から人が住んでいたという。 彼女達の目的は決して温泉だけではないようだ。

   pm1:00過ぎ、定刻どおりクール行きの急行列車が到着し、無事車上の人となった。 チューリッヒとベルンやジュネーヴを結んでいる路線と同じような快適な車両だ。 やっと一息つけるかと思ったのも束の間、雲行きはだんだんと怪しくなってきた。 途中『アルプスの少女ハイジ』の舞台と言われるマイエンフェルトの長閑な田園地帯を車窓から望み、タルウィルから1時間半ほどでクールに到着した。 駅舎は町の歴史とは対照的に近代的な造りだった。 逞しい学生さん達と旅の無事を祈り合ってホームで別れ、クールからは『氷河急行』と呼ばれる風光明媚な区間を走る路線へ入る。 氷河急行はツェルマットとサンモリッツを結ぶ総延長約270kmに及ぶ路線で、私達が乗り換えのため下車するサメダンという駅までの標高差は約1000mもあり、氷河急行の沿線中で最も景観の美しい区間とされている。

   図らずもスイス観光の目玉の一つの氷河急行に乗車することになったが、山岳区間に入ると天気はますます悪くなり、とうとう雨が降り出した。 山々は厚い雲に閉ざされて寒々としている。 気温も急速に下がり始め、このまま夏が終わってしまうのではないかとさえ感じた。 勾配を抑えるために大きく円弧を描きながら回転して登っていく“スパイラル”と呼ばれる氷河急行の名物になっている高い橋梁やトンネルを何度か通過したが、雨の降り方が激しく周囲には霧もたちこめていて車窓からの風景を楽しむことも出来ない。 雷鳴が轟き、天気は予報以上に大荒れとなった。 果してこの電車は大丈夫なのだろうか?。 それ以上に明日からの登山はどうなってしまうのか?。 不安は募るばかりだった。

   pm4:45、氷河急行はクールから約2時間を費やして、無事終点のサンモリッツの二つ手前のサメダンという駅に到着し、ホームの反対側に待ち合わせのため停車していたポントレジーナ行きの電車に乗り換える。 氷河急行の到着は予想どおり少し遅れたが、この電車は定刻どおりに発車して事なきを得た。 電車の乗り換えはあと1回だが、もう車窓からの風景など楽しんでいる余裕は無い。 何でこんなに焦らなければならないのか嫌になる。 ポントレジーナとイタリア領のティラノという町を結ぶ登山電車は、通称『ベルニナ急行』と呼ばれ、氷河の山々を望みながら最高標高2256mの所を通る観光客の垂涎の的だが、今日は天気が悪いためか乗客は殆どいない。 ポントレジーナの駅を5分ほど遅れて出発した登山電車はpm5:25にベルニナ・ディアヴォレッツァの駅に到着した。 下車した乗客は私達と先ほど電車の中でガイド氏と落ち合った登山客だけだった。 最終のロープウェイの発車時刻まであと5分しかなく、出札口までの急な坂道を息を切らして駆け上がる。

   駅舎にはロープウェイを待つ人影は無く、窓口のいかにもイタリア人といった風貌の大柄な女性に切符を頼もうとすると、何と破天荒(雷)のためにロープウェイは止まっているとのことだった。 彼女の口調から今日はもうロープウェイは動かないことが分かり、明日からの登山は事実上出来なくなったことを受け容れざるを得なかった。 余りの突然の出来事に一瞬途方に暮れてしまったが、彼女は私達宛に日本語観光案内所から連絡が入っているというので、藁をも掴む思いで事務所の電話を借りて観光案内所に電話をかけた。 対応してくれた安東夫人から「先ほどポントレジーナのガイド組合から、明日の登山は中止になりましたという連絡が入りました。 善後策については直接ガイド組合に出向いて、そこで改めて協議して下さい。 ガイド組合にはこれから酒井さんが行くことを連絡しておきます」という説明があり、トンボ返りでポントレジーナに引き返した。

   今朝から何のために急いでここまで来たのか分からず悔しい気持ちで一杯だったが、間もなく到着した電車の中で休む間もなくポントレジーナの地図を片手にガイド組合の場所と今夜の宿を探す。 あいにくガイド組合やホテルのある町の中心部とポントレジーナの駅はだいぶ離れていることが分かったが、逆にこれが幸いして駅前には運良くユースホステルがあり、迷わずそこに泊まることに決めた。 妻をポントレジーナの駅に残し、念のため一本だけ持ってきた傘をさして、駅から土砂降りの雨の中を高台にあるガイド組合へ向かった。 予想どおり道に迷ってウロウロしていると、pm7:00を告げる教会の鐘が無情にも鳴った。 もう駄目だと思ったその時、図らずも「酒井さんですか?」と若い女性が笑顔で声を掛けてきた。 ガイド組合のスタッフの方が遠方から来た珍客のために、わざわざ雨の中を迎えにきてくれたのだった。

   ガイド組合は立派なインフォメーションセンターの一角にあったが、すでにインフォメーションセンターの営業は終わっていたので、広い室内は静まりかえっていた。 私が理解した彼女(ミッシェルさん)からの説明によると、現在ガイドのポール氏と連絡が取れないので確約は出来ないが、明日から良い天気が二日続くようであれば、一日遅れの同じスケジュールでピッツ・ベルニーナの登山(ガイドの手配)は出来るとのことで、もし天気が一日しか良くなければ、日帰りでピッツ・パリュのみの往復登山も選択肢としてはあるとのことだった。 しかし、一日遅れの場合に下山してからグリンデルワルトに帰れるかどうか(グリンデルワルトに帰れないと日本にも帰国出来ない)は下山時間に左右されてしまうため、今すぐには決められない旨を申し出ると、明日の朝am9:00に再度来所して、その時に申し込めばOKですとのことで、かろうじて明日以降に希望をつなぐことが出来た。 私のために残業してくれたミッシェルさんにチップを手渡し、足取りも軽く妻が首を長くして待つ駅へと向かった。

   寒々しい駅で1時間以上も待っていた妻を労い、駅のすぐ脇に建つモダンな煉瓦色のユースホステルの中に入り、受付で宿泊の希望を申し出た。 シーズンオフに近いとはいえ、時間も遅く予約もしていないので心配していたが、すんなりOKということになり、妻と二人で胸をなでおろした。 宿帳に名前や住所を記入し、宿泊料(2食付き)一人49フラン(邦貨で約4,400円)を支払うと、ルームナンバーだけを告げられ自分達で階上の部屋に行くように指示された。 鍵の掛かっていない大きな扉を開けると、室内には夕食の時間帯なので誰もおらず、10畳ほどのスペースに2段ベットが3台置かれ、そのうちの一つが空いていたので、そこが私達の寝床だと分かった。

   鍵のないロッカーに荷物を置いて早速2階の食堂兼談話室に行くと、室内は100人ほど収容出来そうな広さがあり、若者達を中心とする20名ほどの宿泊客の食事はすでに終わりかけていた。 言葉や作法が分からず少し遠慮気味にテーブルについた私達を、皆が温かく親切に迎えてくれたのでホッとした。 夕食は2種類のスパゲティ(ボロネーズと茸のホワイトソース和え)と生野菜、デザートの果物、コーヒー等の飲み物のバイキングというシンプルなものだったが、お腹が空いていたことも手伝ってとても美味しく感じられた。

   夕食後は様々な国籍の宿泊客達が談話室で交流を深めるのがユースの“しきたり”であり、楽しみでもあるが、明日以降のスケジュールが決まっていない私達はその輪の中に入る余裕は無い。 時刻表とにらめっこして、予定より一日遅れで3日後に下山した後にグリンデルワルトに戻れるかどうかを調べたところ、登山口のディアヴォレッツァの展望台にpm3:00までに下山出来れば、真夜中だがグリンデルワルトに戻れることが分かった。 明日からのスケジュールが決まったのでやっと一息つけたが、今日は登山よりも疲れる長い一日だった。 今後の参考のためにユースの中を徘徊してみると、各階には男女別の共同のシャワー室があったが、お湯の吹き出し口が外国人用に高い位置に固定されているタイプで、背が低い私達にとっては使い勝手が悪かった。


ポントレジーナの駅前のユースホステル


  【ディアヴォレッツァ】
   8月30日、朝方激しく降った雨が上がり、朝もやの中に薄日が射し込んでいた。 朝食は1階のレストランでのバイキングだったが、三ツ星クラスのホテルと遜色のない内容で、昨日の学生さんからの情報どおりスイスのユースホステルは清潔で食事も良く、値段の割には充分満足のいくものだった。

   am9:00にガイド組合を尋ねると、頼みのミッシェルさんはいなかったが、引継ぎを受けていた女性スタッフの方が親切に対応してくれたので助かった。 昨夜決めた一日遅れのピッツ・ベルニーナ登山の申し込みをしようとしたところ、早朝ポール氏から「今は晴れていますが、明日の夜は大雪になりそうなので、明日山に登れても翌日に下山が出来ないかもしれません。 それでも構わなければ(日程に余裕があれば)申し込みをして下さい。 ピッツ・パリュの日帰り登山であれば大丈夫だと思います」という連絡があったことを彼女から告げられ、再び計画は暗礁に乗り上げてしまった。 さらに彼女から「もし天候不良により登山が中止になった場合は、ガイドの拘束料として190フラン(邦貨で約17,000円)をいただくことになります」との説明があり、すぐに決断を下すことは出来なかったが、30分ほど考え抜いた末に当初の予定どおりピッツ・ベルニーナ登山の申し込みをすることにした。 1時間後にようやく氏との連絡がとれると、意外にも今度は「明日・明後日とも天気はまずまずなので、ピッツ・ベルニーナ登山は大丈夫でしょう」という朗報が入り、ようやく山の神から登山許可がおりたような気分になった。

   ポントレジーナの駅を午後に出発する登山電車でディアヴォレッツァに向かうことに決め、午前中はポントレジーナの町の散策を行う。 グリンデルワルトより遙かに小さい町のメインストリートには人通りもまばらだった。 高級ホテルの庭にあった周囲の景観に不釣り合いなビーチバレーのコートが、いかにもイタリアの国境に近い町であることを物語っていた。 雲が多いせいか、町からはピッツ・ベルニーナを主峰とする氷河を纏った高い山々を望むことは出来なかったが、すでに秋の気配が漂い始めている3000m級の東部アルプスの山々が周囲にずらりと並んでいる。 町は1700mを越える標高に位置するためか、メインストリートのナナカマドの実も真っ赤に染まっていた。 ガイド組合の隣にあった立派な教会で登頂の成功を祈り、ポントレジーナの駅へ向かった。

   宿泊した駅前のユースホステルの1階のレストランで昼食をとり、pm1:03発の登山電車(ベルニナ急行)でベルニナ・ディアヴォレッツァに向かう。 出発すると間もなく、昨日は雨と霧で煙っていた車窓から氷河を纏った大きな山を望むことが出来たが、その山頂付近には厚い雲がかかり、ピッツ・ベルニーナかどうかは分からなかった。 ロープウェイの切符売り場のイタリア嬢に会釈し、50人ほどは乗れそうな大型のロープウェイで2973mのディアヴォレッツァの展望台まで僅か10分ほどで駆け上がった。 展望台の終点駅は山岳ホテルと一体の建物で、ホテルの外壁にはいかにもイタリアらしい斬新なデザインが施されていた。

   ホテルの前からは広大なペール氷河越しに待望のベルニナ・アルプスの山々が屏風のように連なって見え、そのスケールの大きさと素晴らしい景観に思わず息を呑んだ。 意外にも昨日の雨は雪にはならなかったようで、氷河上には猛暑の影響で露出した幾筋もの黒い土砂の帯が目立つ。 残念ながら主峰のピッツ・ベルニーナの山頂だけが雲の帽子を被っていたが、夢中で写真を撮りまくり、明日縦走する予定のピッツ・パリュからベラヴィスタ、クラスタギュッツァといった衛星峰を経てピッツ・ベルニーナへと続く稜線を眺めながら、憧れの頂に思いを馳せて仁王立ちした。

   ポール氏と落ち合うのはpm6:00なので、先にホテルにチェックインする。 受付にいた愛想の良いホテルの支配人に私達の名前とガイドのポール氏の名前を告げると、すぐに予約の確認が取れ、宿泊の手続きはスムースだったが、支配人から泊まる場所をドミトリー(大部屋)にするか、別棟になっているシャワー付きの個室にするかを訊ねられた。 前者は一人59フラン、後者は94フランとのことで、ポール氏には悪いが迷わずドミトリーを選んだ。 早速指定された部屋に行ってみると、時間が早かったこともあって他に誰もいなかったが、間もなくいかにも“山ヤ”といった風貌の5〜6人の男性パーティーが二組相次いで到着すると、静かだった室内は一気に賑やかになった。 結局、今宵のこの部屋の宿泊客(ピッツ・ベルニーナへの登山客)は私達とこの二組の団体のパーティーだけだった。

   夕方ホテルの中を徘徊していると、ガイドらしき人が最終のロープウェイで上がってきた。 私達の勘は当たりポール氏と無事落ち合うことが出来たが、氏はまだあどけなさの残る風貌の青年だった。 握手した手も今までのガイド氏の中では一番ソフトだった。 早速自己紹介をした後、明日のスケジュールについて氏に訊ねたところ、明日はam5:00から朝食が始まり、am5:30に出発するとのことだった。 夕食はpm6:30から始まるとのことで、詳細についてはその時に説明してもらうことにした。 氏にドミトリーのルームナンバーを教えると、違う階にガイド専用の部屋があるとのことだった。 夕食の直前に写真を撮るためホテルの外に出てみたが、雲の多さは先ほどと変わらず、ピッツ・ベルニーナの雄姿を最後まですっきりと望むことは叶わなかった。

   夕食はホテルの大きなレストランで、一般の観光客と一緒だった。 私達のテーブルにはポール氏、そして何故か見知らぬ女性客が一人ついた。 彼女はホテルでハイキング仲間と待ち合わせをしたが、その人が最終のロープウェイに乗り遅れてしまい、麓から足で登ってくるのを待っているとのことで、一人で食事をしてもつまらないので、私達の輪の中に入ってきたという。 ワインとお喋りが大好きで陽気な彼女は、日本にも二度ほど観光で訪れたことがあるとのことで、知っている日本語や大阪弁を盛んに披露して食卓を盛り上げてくれた。 また注文したワインを私やポール氏に振る舞い、ポール氏とも盛んにお喋りをしていた。 妻も金髪の若くて好男子のポール氏がお気に入りのようで、知ってる限りの英語を巧みに組み合わせながら一生懸命氏に話しかけていた。 スイス中部のアンデルマットの近くにあるディゼンティースという田舎町に生まれたという氏は、お父さんが大の山好きだったので、小さい頃から山に連れて行かれ、気が付くとガイドになっていたとのことだった。 若さ溢れる氏の年齢は見た目どおり27歳で、ガイド歴もまだ4年とのことだった。 予想どおりプライベートでは岩登りはあまりやらず、最近ではお父さんと一緒にキリマンジャロやアコンカグアを登ったとのことだった。 意外にもスイスの山の中ではピッツ・ベルニーナが一番好きで、明日からの登山への期待が大いに高まった。 夕食はさすがにホテルだけのことはあって、メインディッシュのビーフシチューはとても美味しかった。

   夕食後ポ−ル氏から「明日のルートについては当初ピッツ・パリュからの縦走(周回)を予定していましたが、予定を変更してここから直接マルコ・エ・ローザ小屋を目指して登り、その足で明日中に山頂を踏んで山小屋に戻って宿泊し、明後日は登ったルートを下ります」という説明があった。 ピッツ・パリュに行かれなくなったことで大変ガッカリしたが、ピッツ・ベルニーナに登れなくては元も子もないので、気持ちを切り換えるように努めた。 やはり猛暑の影響なのか、それとも明後日以降の天候のせいなのだろうか?。 氏と歓談を続けていると、ようやく彼女の待ち人が到着したので、再び皆で乾杯をして同胞の労をねぎらった。 氏と明日のam4:00にレストランで会うことを約し、明日への希望に胸を膨らませながら早々に床に就いた。

   寝ている間は地震があっても起きない体質の私が、珍しく真夜中に室内の明るさで目を覚ました。 初めは誰かが部屋の明かりを間違ってつけたと思ったが、再び何度も明るくなったのでしばらく様子を伺っていると、光は外からのものだった。 不思議に思って部屋を出て廊下の窓から外を見ると、ようやくそれが雷の閃光だと分かった。 以前日本の山中でも経験したことはあるが、雷は音を全くたてずにその閃光だけが闇を切り裂いていた。 雷はちょうどピッツ・ベルニーナの裏側の方で暴れているようで、その閃光は正に白黒の映像で見た原子爆弾の光のようだった。 ふと3年前にユングフラウを登る前日の真夜中が吹雪だったことを思い出し、“きっとこの雷も明日の天気を素晴らしいものにしてくれる兆候に違いない”と言い聞かせて再び床に就いたが、期待とは裏腹に間もなく雷はさらに勢いを増し、とてつもない雷鳴を轟かせ始めた。 もう心配しても仕方がないので、あとは山の神に任せるだけだった。 しばらくすると雷鳴は止み、周囲は元のような静けさを取り戻した。


ディアヴォレッツァの展望台/山岳ホテル


展望台からペール氷河越しに見たピッツ・パリュ


展望台からペール氷河越しに見たピッツ・ベルニーナ


   8月31日、am3:30に起床して恐る恐る再び外の様子を伺うと、何と今度は雪がしんしんと降っていた。 am4:00にレストランの一角に登山者用の明かりが灯り、ポール氏と顔を合わせたが、予想どおり氏から「今は天気が悪いので、周囲が明るくなるam6:00頃までは出発出来ません」という指示があった。 昨年のモン・ブラン登山と同じような状況に追い込まれてしまったが、一昨日グリンデルトワルトを出発してから現在に至るまでの数奇な出来事の連続が、“今回は諦めよう”という気持ちの切り換えをスムースにしてくれた。

   予想どおりam6:00になってもポール氏からの出発の指示はなかった。 他のパーティーの猛者達も全く出発する気配は無い。 周囲が次第に明るくなり、外に出てみると雪は小降りになっていたが、ホテルの周囲には既に新雪が10cmほど積もっていた。 am7:00を過ぎるとポ−ル氏は携帯電話であちらこちらに連絡を取り、am7:30に氏から登山中止の決定が下された。 どす黒い雲が山々を覆い隠し、100km以上も離れたグロース・フィーシャ−ホルンの頂から見えたピッツ・ベルニーナの山頂を見ることも出来ない。 既に諦めがついていたので氏の決定を快諾し、拘束料の190フラン(邦貨で約17,000円)を氏に支払った。 天気の回復が見込まれないのみならず、またロープウェイが止まってしまうと困るので、氏と一緒に始発のロープウェイでベルニナ・ディアヴォレッツァの駅に下った。 同室の他の登山パーティーも全て氏の決定に従うかのように同じロープウェイで下った。 駅前に車を停めていた氏から、「これから行きたい所があれば乗っていきませんか」という誘いがあり、氏の好意に甘えて急遽サンモリッツに立ち寄ることにした。

   みぞれ混じりの冷たい雨の中、九十九折りの山道を15分ほど下り、ポントレジーナを通過すると間もなくサンモリッツに着いた。 今回は残念ながら縁がなかったが、ポール氏と再会を誓って固い握手を交わして別れ、雨に煙るサンモリッツの町中を散策することにした。 サンモリッツは2度の冬季オリンピックの開催地にもなったスイス一の高級リゾートで、サンモリッツ湖の北西斜面の丘に拡がる町の中心部は高級ホテルや高級ブランドの店が軒を連ねていたが、雨の日曜日ということもあって大半の商店は休みで人通りもまばらだった。 またポントレジーナと同様に日本人の観光客は殆ど見られなかった。 しばらく散策しているうちに雨はあがったが、山々は依然として厚い雲に覆われ、絶望的な鉛色の空の下、湖までも輝きを失っていた。

   再訪を誓ってam11:02発の氷河急行に乗り、往路と全く同じルートでグリンデルワルトに向かった。 途中ルツェルンあたりから薄日が射すようになり、天気は回復の兆しを見せ始めたが、天気が良くなると登れなかった悔しさがこみ上げてくるので、このまま天気が悪い方が良いと願わずにはいられなかった。 pm7:09にグリンデルワルトに着くと、アイガーやヴェッターホルンも真っ白に雪化粧をして私達の帰りを待っていた。


ディアヴォレッツァの展望台のホテルでポール氏と


サンモリッツの町の中心部


  【ファウルホルン】
   9月1日、長かった猛暑にも終止符が打たれ、避暑地らしい涼しい朝を迎えた。 今シーズンのアルプス山行も今日で終わりだ。 昨夜の天気予報では曇り時々雨という悪い予報だったが、雪化粧したアイガーの頂上に朝陽が当たってキラキラと白く輝いていた。 山は美しいが、当分の間アイガーは登れないだろう。 ピッツ・ベルニーナには登れなかったが、第一志望のアイガーが1回のチャンスで登れたことは幸運だったとあらためて思った。 今日は天気が悪いので町の散策だけで過ごす予定でいたが、青空が拡がったため、以前から行ってみたかったファウルホルン(2681m)へのハイキングに出掛けることにした。

   ファウルホルンはグリンデルワルトの町(谷)を挟んで南側のベルナー・オーバーラントの高峰と対峙している山稜の一峰で、北側の眼下にはブリエンツ湖を見下ろす展望に恵まれた山だ。 私がアイガーを登った日に妻が縦走したルート(フィルストの展望台〜バッハアルプゼー〜ファウルホルン〜シーニゲプラッテ)は、グリンデルワルトを起点とするハイキングトレイルの中では折り紙付きで、ファウルホルンはこのルートのハイライトだ。 今日はこのコースを一部割愛し、尾根を縦走せずにグリンデルワルトからファウルホルンを周回する予定だ。

   先日感銘を受けた町外れの教会の墓地に妻を案内し、その前のバス停からポストバスに乗って2週間前に行ったグローセ・シャイデック(1962m)に再度向かった。 am10:00ちょうどにバスが峠に着き、新雪により前回とは全く趣を異にした白い肌のアイガーやヴェッターホルンの写真を撮ったが、手袋をしないと寒いほど気温は低かった。 写真を撮り終えると間もなく天気は急変し、青空はあっという間に消えて空の色は鉛色に変わってしまった。 アイガーもいつの間にかどす黒い雨雲に覆われ、周囲の景色も全く輝きを失ってしまったが、マーモットの甲高い鳴き声に耳を傾け、トレイルの脇の高山植物を愛でながら、予定どおりフィルストの展望台(2171m)を目指して歩き始めた。 エンツィアンというスイスではメジャーなリンドウ科の紫の花も、寒さのせいか花びらは固く蕾んだままだった。 絶望的な空模様が作りだす寒々しい山肌に、放牧された多くの牛たちが白・ベージュ・茶・黒といった色々な模様のアクセントをつけ、カウベルの音を賑やかに鳴らしていることが唯一の救いだった。 フィルストの手前でザイル等の登攀具を持った日本人のパーティーに出会った。 “この辺りで登攀具を使って登る山は無いはずだが”と思いつつ挨拶を交わすと、先日メンヒスヨッホヒュッテでお会いした北九州市役所の山岳会の方々だった。 早速話を伺うと、グリンデルワルト周辺もこの2〜3日天気が悪く、高い山には登れなかったとのことで、今日は先日私達が登ったシュヴァルツホルンに登ってきたという。 トレッキングピークの山も降雪により“ヴァリエーションルート”に変わったのだろう。

   pm0:30にフィルストの展望台に着いたが、気温は6℃しかなく、陽射しもないので風が少しでも吹くとかなり寒い。 このまま下山してしまおうかとも思ったが、天候の回復を祈りながら余った食料で作った昼食を食べ、山上のオアシスのバッハアルプゼー(2265m)まで行ってみることにした。 グリンデルワルト周辺でも一番人気のあるトレイルも今日はさすがにハイカーの姿は少ない。 湖の手前辺りからトレイルの脇に昨日降った新雪が見え始めた。 フィルストからはただ黙々と霧の中を歩き続け、1時間ほどでバッハアルプゼーの湖畔に着いた。 3年振りに訪れた絶景地だったが、深い霧が辺りを包み、山々はおろか湖すら満足に見ることが出来ず、写真を撮るのも悲しくなるくらいだった。 しばらく湖畔に腰を下ろし、名残惜しいスイスの滞在をしみじみと味わっていると、突然頭上から太陽光線が矢のように射したかと思うと周囲の霧が一瞬上がり、エメラルドグリーンに輝く湖が姿をあらわした。 僅か2〜3分の出来事だったが、山の神からの粋なプレゼントに思わず歓声を上げずにはいられなかった。 更に霧が上がることを期待して最終目的地のファウルホルンまで行ってみることにしたが、期待とは裏腹に登るにつれて霧はますます深まり、雨粒が落ちてこないのが不思議なくらいだった。 足早にファウルホルンから下ってくる人はいるが、私達の後から登ってくる人はもういなかった。 湖からゆっくり小1時間ほど登ると、古びた避難小屋(休憩舎)に着き、小屋のすぐ上で今日の下山コースに予定しているブスアルプへ下るトレイルが分岐していた。

   快晴の日に頂を踏んでいる妻を小屋に残し、空身でファウルホルンの山頂を目指す。 寒い所で長時間妻を待たせては悪いので駆け足で登る。 今回登れなかった憧れの山々への思いが一気に爆発したかのように走るスピードに拍車が掛かった。 トレイル上には10cmほどの新雪が積もっていたが、人気のコースなので既に踏み固められた立派なトレイルが出来ていた。 10分ほどで山頂を巻いてシーニゲプラッテ方面に向かう縦走路との分岐となり、これを左手に見送ってさらに勾配を強めたジグザグのトレイルを5分ほど息を切らして登っていくと、頂上直下に建つヒュッテがおぼろげに頭上に見えた。 二棟に分かれていた古びたヒュッテの間の階段を通り、pm3:20にファウルホルンの山頂に着いた。

   天気が良ければ360度の展望に恵まれる素晴らしい頂だが、ヒュッテのスタッフが黙々と物資の整理をしていただけで他には誰もいなかった。 濃霧のため視界は10m程しか利かなかったが、私にはこの頂からの景色が良く見えた。 二度の滞在で充分に楽しませてくれたベルナー・オーバーラントの山々に対してもはやカメラは不要だった。 素晴らしいガイド諸氏に連れていってもらった数々の高嶺のピーク、登山の合間に妻と歩いたハイキングトレイル、宿泊した山小屋や滞在中に知り合った方々の記憶がまるで昨日のことのように鮮明に思い出された。 その思い出を一つ一つ噛みしめるように小広い山頂を一周し、周囲に向かって心のシャッターを切った。 僅か5分ほど滞在しただけで霧に煙るファウルホルンの頂を辞して妻の待つ避難小屋へ駆け降りていったが、何故か私の心の中は晴々としていた。 アルプスの蒼い空のように・・・。


雪化粧したアイガー


   グロース・フィーシャーホルン(右)とヒンター・フィーシャーホルン(左)


グローセ・シャイデックから見たアイガー


バッハアルプゼー(湖) (8月23日の妻の撮影)


ファウルホルンの山頂直下に建つヒュッテ (8月23日の妻の撮影)


縦走路から見たファウルホルンの頂稜部 (8月23日の妻の撮影)


シーニゲプラッテ付近から見たアイガー (8月23日の妻の撮影)


山 日 記    ・    T O P