4月28日、起床時のSPO2は80、脈拍は63で数値は昨日よりも悪かったが、夜中は昨日と同じように頭痛はなく動悸だけだった。 昨日よりも明らかに空の色が青いが、今日もまた午後は天気が崩れるのだろうか。
今日から4泊5日の日程でラムドゥンの登頂に向けてロッジを発つ。 最初のうちは昨日降った雪の影響は殆どなかった。 昨日よりもさらにゆっくり登ることを心掛けたが、順応は着実に進んだようで、昨日のハイキング終了点まで早い時間で着いた。 そこからさらに積雪が増した道を1時間以上登ってヤルンB.Cに着いた。 B.Cにはトタン屋根が一部壊れた石造りの簡素な小屋が建ち、先に到着したシェルパ達が私達のテントを設営してくれた。 GPSでの標高は4994mだった。 テントメイトはロッジと同じ石塚さん。 天気の傾向は相変わらずで、到着して間もなく雪が降り始めたが、麓のナーとは全然雪の量が違う。 テントの中で石塚さんが持参したフォルクローレの動画を聴いてリラックスする。
夕方のSPO2は74、脈拍は72だったが、頭痛がじわじわと忍び寄ってくる。 石塚さんは頭痛が全くないということで羨ましい。 深呼吸に努めたので頭痛は次第に解消し、夕食前には何とか治まった。 寒々しい小屋はあるものの、専用のダイニングテントはなく、B.Cならではの心地良さが全く無い。 そう思うのはモチベーションが下がっている証拠だろうか。 夕食は昨日ようやく手に入れた新鮮な鶏肉にダルスープをかけて食べたが、久々に食べた肉はとても美味しく感じた。
4月29日、起床時のSPO2は80、脈拍は62で、5000m近くの数値としては良かった。 昨夜は最初に熟睡した後は軽い頭痛で何度か目が覚めたが、未明から不思議と頭痛がなくなった。 夜中は降雪があったが、朝はまずまずの天気で、いつもと変わらないパターンだ。
午前中は順応と偵察を兼ねてH.C方面へのハイキングに出掛ける。 ルートは一旦ナー側に戻るように谷を下ってから顕著な尾根に取り付く。 雪の中にケルンが見える所もあるが、雪が深い所では所々で雪を踏み抜く。 歩き易い尾根に乗ったのも束の間、尾根から外れてガラ場を下り基調でトラバースする。 順応目的なので体力を温存したいが、標高はどんどん下がっていく。 雪に覆われた氷河湖が見えた所でハイキングを終了したが、GPSでの標高は5083mで、B.Cから2時間半ほどで標高を100mも稼いでいなかった。 ダワとラクパはH.C方面への偵察に向かったが、すでに降り積もった軟雪と日々降り積もる雪で、明日のH.C予定地(5400m)まで一日で辿り着けるのか、さらにその先の山頂まで登れるのか、あらためて疑問に思えた。
予定よりも少し遅れて正午過ぎにB.Cに戻ったが、ダワとラクパも相次いで戻ってきたので、それほど遠くまで偵察に行っていないことが見て取れた。 昼食後に平岡さんから、ラムドゥンはプレ登山として消耗が激しく、本命のパルチャモに影響するのみならず登頂の可能性も低いので、登頂の可能性があるヤルン・リ(5630m)に変更したいという提案があり、メンバー一同迷わず賛同した。
若い頃にシェルパとしてラムドゥンに2回、ヤルン・リに3回登頂したというコックのシャム・ダイによると、ラムドゥンは長いと言われるメラ・ピーク以上に長くて時間も掛るが、B.Cから指呼の間に見えるヤルン・リであれば登頂は容易とのことだった。 午後はまた降雪となり、衛星携帯の不調とネットの不通で明日以降の天気予報が分らず、ヤルン・リでさえも雲行きが怪しくなってきた。 昼過ぎのSPO2は76、脈拍は70だった。 H.Cに上げる荷物の仕分けと登頂の準備をしていると、顔がむくんで気分が悪くなってきたので体温を測ると37.4度だった。
4月30日、久々に朝から曇り空だったが、雪は降っていないので予定どおりH.Cに向かう。 目標のヤルン・リはB.Cからでも登れそうなくらい近いので気は楽だ。 歩き始めると間もなく青空が覗くようになったが、チュキマゴ(6258m)が何とか見えただけで、そのさらに奥のラムドゥンは終始見えなかった。 所々にケルンが積まれた踏み跡もありそうな勾配の緩やかなルートを登る。 途中で2回ほど休憩し、B.Cから4時間ほどで先行したシェルパによってテントが設営されたH.Cに着いた。 GPSでの高度は5289mで、ヤルン・リの山頂はもう目と鼻の先だった。
午後になるとまた雪が降ってきたが、陽射しも多少あるので、テント内はちょうど良い暖かさだった。 SPO2は74、脈拍も74で、5300m近くの高度としてはまずまずだ。 嬉しいことに食欲は衰えず、夕食はフリーズドライの白米と赤飯、レトルトの鯖の味噌煮を自炊して食べた。
5月1日、4時前に起床して朝食のカップ麺を食べる。 SPO2は72、脈拍は73で熱もあるが体調は不思議と良かった。 周囲が明るくなると、ダワが雇用した地元のベディン在住の案内人がやってきたが、この案内人がとんでもない人物だったことは、この時は知る由もなかった。 昨夜からの雪が降り止まないため、予定していた5時に出発出来ず、テントの中で待機する。 6時に平岡さんから、天候の回復が見込まれないため登山を中止する決定があった。 この日のために体調を調整してきたが、この天気では仕方が無い。 B.Cにいるポーター達もすぐにH.Cに上がってこれないので、個人装備は全て背負って下ろすように指示があった。 気持ちを切り替えてパッキングに精を出していると嘘のように天気が変わり、抜けるような青空の下にヤルン・リが見えたので、急遽予定を変更して登ることになった。
予定よりも2時間半遅れて7時半にH.Cを出発。 ハーネスのみを着けてロープは結ばず、アイゼンもまだ着けない。 飛び入りの案内人と田口さんが先行し、降り積もった新雪をラッセルしていく。 疑似晴天だったのか青空はすぐに消え、いつもの曇天に戻ってしまったが、天気の回復を祈りながら登り続ける。 雪がなければ踏み跡がありそうな岩棚をしばらく登ると、カールの底のような広い雪原に出た。 後続の木賊さんは体調を考慮してラクパと共にH.Cに戻ったようだ。 正面に見える雪壁に向かって雪原を横断し、雪壁の基部でアイゼンを着ける。
雪壁は見た目ほど急ではなく、先行する田口さん達が付けてくれたステップで登り易かった。 ありがたいことに風は全く無かったが天気は悪くなる一方で、先行する二人の姿もいつの間にか見えなくなった。 雪壁から顕著な尾根に取り付くと間もなく案内人がデポしたザックとロープがあった。 高度計を見ると山頂までの標高差が120mほどだったので、二人がラストスパートに入ったのだろうと思えた。 ダワから休憩の提案があったが、天気が更に悪化する可能性があったので、石塚さんの意見も聞かずにこれを断り、ゆっくりだが足を止めずに登り続けた。 間もなく田口さんと案内人が足早に下ってきたので登頂を確信した。 ラッセルしてくれた二人を労って山頂の様子などを教えてもらう。 平岡さんから休憩を促され、行動食を頬張りながら一息つく。 休憩後しばらく登ると、ダワが後ろを振り向いて写真を撮ったので、そこが山頂だと分った。
ホアイトアウトした猫の額ほどの狭い山頂からは周囲の景色は何も見えなかったが、一旦は中止となった切羽詰まった状況で、新たな山頂を踏めたことは感動的だった。 天気がますます悪くなることが予見されたため、記念写真を撮り合っただけで僅か数分で山頂を後にする。 下りもロープは結ばず、スピーディーにアイゼンを着けた雪壁の基部まで一気に下った。 気持ちが昂揚していたのか、テントが撤収されたH.Cの跡地を気付かずに通り過ぎ、正午過ぎにポーター達が待つB.Cに着いた。 シャム・ダイが作ってくれたカレー風味のジャガイモ料理をお腹一杯に食べた。
登攀具などをポーターに預け、靴もトレッキングシューズに履き替えてナーのロッジに下る。 往路よりも雪の量は格段に増え、ポーター達はチェーンスパイクを履いていた。 雪は下るにつれて小降りとなったが、麓のナーでも積雪が見られた。
ロッジには明日からパルチャモを目指すというパーティーなどの姿が見られた。 夕方のSPO2は85、脈拍は56で体温は37.1度だった。 ナーとH.Cの標高差は1100mほどだが、夕食は以前にも増して美味しく食べられ、三泊四日の順応登山もそれなりに効果があったように思えた。