マウント・レーニア

   マウント・レーニア(4392m)は山の師匠の故坪山淑子さんが、広島山の会の吉村さんらと共に20年前に登ったアメリカの山で、彼女からその土産話を聞いた時に初めてこの山の名前や存在を知ったことは記憶に新しい。 同峰はアメリカ西海岸地帯を南北1千キロに亘って連なるカスケード山脈の最高峰でもあり、同峰が聳えるワシントン州のシアトルに近いタコマの町の日系人からは“タコマ富士”と呼ばれ親しまれているが、残念ながら日本ではその知名度は低い。 同峰へはいつか妻らと共に登りたいと計画を温めていたところ、図らずも岳友でセブン・サミッターの柴田さんからお誘いがあり、二つ返事でご一緒することになった。

   今回のレーニア登山については柴田さんが事前に色々と調べてくれたが、同峰が国立公園内にあるため1日の入山者数が規制されていることや、事前に様々な手続きが必要なことが分った。 最初の手続きは、登山料として50ドル(24歳以下は35ドル)を事前にクレジットカードで支払うことで、次は宿泊するキャンプ地(今回はキャンプ・ミュア)の予約で、3月15日から31日までの間に宿泊を希望する4日以内の連続した日をネットで申し込んだ。 このキャンプ地の予約は1回につき20ドルをクレジトカードで支払うが、さらに4月以降に抽選があり、抽選に外れた場合でも20ドルは返金されない。 抽選に当たって予約が確定した場合は、入山前にレンジャーステーションに行きパーミット(登山許可証)を受け取る。 抽選に外れた場合は、入山日の前日の朝7時からレンジャーステーションで登山許可証の申請が出来るが、その数は入山者全体の30%となっている。 またそれ以外にも、当日の10時からキャンセル待ちで登山許可証の申請が出来るようだった。 今回は柴田さんと私で3通りの日程のパターン(総額60ドル)で予約をしたが、抽選に当たったのは週末に掛からない月曜日から木曜日までの4日間のもの1つだけだった。

   登山期間については7月と8月の2か月が晴天率が一番高いベストシーズンということで、7月の中旬から下旬にかけて実施することにした。 レーニア登山は登山口のパラダイス(1650m)という観光地から通常1泊2日か2泊3日、最長でも3泊4日で行われるが、途中のキャンプ・ミュア(3100m)での宿泊の予約が確定している期間が全て悪天候で山に登れなかった場合に、現地で登山許可の申請をしながら登るチャンスを得ることを考えて予備日を多めにとり、最終的に7月11日から23日の約2週間の滞在日程で臨むことになった。 なお、キャンプ・ミュアには公共の避難小屋があるが、小屋は小さく7月と8月は混雑することが必至なので、テントで泊まることに迷いはなかった。

   現地での宿泊はいずれもツインルームのホテルまたはモーテルで、時差ボケの解消のためゲートウェイのシアトルに3泊(1泊264ドル)、キャンプ地の予約の期間にいつでも対応出来るように登山口のパラダイスに3泊(1泊154ドル/シャワーなしと1泊244ドル/シャワーあり)、帰国日の前日のシアトルに1泊(1泊113ドル)という予約を柴田さんがネットで行い、レンタカーについてはシアトルからパラダイスへ向かう日からシアトルに戻るまでの10日間を、以前柴田さんが利用したことがあるというスリフティ(Thrifty)という会社から一日当たり4,900円で借りることにした。 エアーチケットについては、JALが成田からシアトルへの路線に4月から就航することになったキャンペーンで、夏休み期間中の繁忙期にもかかわらず諸費用込みで130,000円で買うことが出来た。

   出発の1か月前に柴田さんと富士山に登って泊まり、装備品の点検とレーニア山行の全般的な打ち合わせを行った。


ワシントン州の地図


リフレクションレイクから見たマウント・レーニア


   7月11日、夕方の4時過ぎに福岡から国内線で来た柴田さんと出発ロビーで落ち合い、搭乗時間まで現地での通信に使うタイのAIS社のSIMの購入手続きなどをして過ごす。 定刻どおり夜の6時に成田を発ち、シアトルのシータック空港へは約9時間のフライトで現地時間の11時過ぎに着いた。 入国審査の厳しいアメリカのイミグレーションは予想どおり長蛇の列が出来ていたが、数人の日本人スタッフがアシストしていたおかげで1時間以内に終えることが出来た。 入国審査官のネイティブな発音の英語はとても聞き取りにくかったが、逆にこちらから話した怪しい英語は概ね理解されたようだった。

   空港から宿泊するホテル『ヒルトン・エアポート・シアトル』までは無料のシャトルバスで移動する。 チェックインは3時からしか出来ないので、1時間ほどホテルのレストランで遅い昼食を食べながら時間を潰す。 注文したローストビーフのサンドウィッチは量が多く、半分をドギーボックスでテイクアウトしたが、結局それが今日の夕食になってしまった。 ホテルの部屋は障害者に対応した仕様だったようで、室内や風呂場が通常よりも広かった。 シャワーを浴びると長旅の疲れと時差ボケで激しい睡魔に襲われ、外に夕食を食べに行く気力が無くなり、昼食で残したサンドウィッチと日本から持ってきた菓子パンを食べて早々に床に就いた。


シアトルのシータック空港


ホテルへの無料のシャトルバス


シアトルで宿泊したホテル『ヒルトン・シアトル・エアポート』


ホテルのレストランで遅い昼食を食べる


ホテルの室内


   7月12日、時差ボケが予想よりも酷く、昨夜から12時間以上寝た9時頃になってようやくベッドから起き上がることが出来た。 朝食はホテルの近くのレストラン『13コインズ』に行く。 人気のある店のようで、専用の待合室でしばらく待たされた。 朝食と昼食の二つのメニューがあり、私達は朝食メニューの中から選んだが、それでも量が多くて完食には至らなかった。

   ホテルに戻り、予定どおりシアトルの郊外にある登山用品のチェーン店『REI』にガスボンベと地図を買いにいく。 REIに行くのはデナリ以来実に12年ぶりだ。 電車でもバスでも行けるが、ホテルのすぐ近くにあるシータック空港駅で日本のスイカのような電子プリペードカード『ORCA』を自動販売機で5ドルで買い、20ドルをチャージして駅前付近からのバスに乗る。 運賃は片道3ドル弱だった。 坂の多い住宅地の中を30分ほど乗って終点の大型ショッピングモールで降りると、バス停のすぐ近くにREIがあった。 今回の登山に必要なレギュラーサイズのガスボンベは@6ドルで、日本で買うよりも高かった。 広い店内をつぶさに見て回り、ネットでは買えない山の地図や、日本にはない柄や仕様のザックなどを買った。 レーニアが予定の日程で登れた場合、予備日を使って近隣のマウント・アダムス(3745m)に登ることを思いつき、店のスタッフに登山ルートや入山許可の申請方法などについて教えてもらった。

   遅い昼食を近くのショッピングモールのフードコートで食べ、帰路は一つ手前のバス停で下車してセブンイレブンに寄り、夕食用と明日の朝食用のパンやサラダなどを買ってホテルに戻った。 天気予報(マウンテン・フォーキャスト)を見ると、キャンプ・ミュアでの宿泊許可がある15日から18日までの間では16日のみが天気が良くて風の無い予報となっていたが、17日以降の天気は悪く、この期間でのアタック日の選択肢は現時点では16日しかないことが分った。 昨日とは逆に今日は10時を過ぎても眠くならず、時差ボケが全く治っていないことが分った。


レストラン『13コインズ』で朝食を食べる


シータック空港駅でプリペードカード『ORCA』を自動販売機で買う


シータック空港駅から見たシータック空港


バスで登山用品店の『REI』へ


登山用品店の『REI』


登山地図


ショッピングモールのフードコートで昼食を食べる


セブンイレブン


ホテルの部屋で夕食を食べる


   7月13日、予想どおり眠りが浅く、夜中は殆ど熟睡出来なかったが、お腹が空いていたので7時に起きることが出来た。 朝食後は共同装備の確認とザックに入れる荷物のパッキングを行う。 図らずも室内が広かったのでパッキングがしやすかった。 水作りを効率良くするため、各々がコンロとボンベ、コッヘル、フィルターを持って行くことにした。

   荷物のパッキングを終えたので、軽めの市内観光でシアトルの中心部の観光名所の『スペースニードル』というタワーと、『パイク・プレイス・マ−ケット』という市場に行く。 ホテルから歩いて5分のシータック空港駅から電車(片道3.5ドル)に乗り、30分ほど乗車してからモノレール(片道2.5ドル)を乗り継いでスペースニードルへ。 初めのうちは高架だった電車は市街地に入ると路面電車のように道路の真ん中を走るようになり、坂の多い町の中心部では地下を走るようになって変化に富んでいた。 今日は土曜日ということもあって、スペースニードルは家族連れを中心に人出が多く、展望台へのエレベーターには順番待ちの列ができていたため、タワーの回りを半周して写真を撮るだけに留め、次の目的地の市場までオフィス街を歩いて行くことにした。


シータック空港駅から電車に乗る


電車の車窓から見たレンタカーセンター


電車は市街地に入ると路面電車のように道路の真ん中を走るようになった


ダウンタウンの中心部のモノレールの始発駅


スペースニードルは家族連れを中心に人出が多かった


スペースニードルの展望台


   休日のオフィス街の人通りはまばらだったが、市場が近づくにつれてどこから集まってきたのかと思われるほど多くの観光客の姿が見えた。 市場の場外にはスタバの1号店があり、入店を待つ人の列が出来ていた。 昼食を付近で食べることも危ぶまれたが、運良く比較的空いている寿司バーに入ることが出来た。 店内はそれなりの雰囲気があり、私達の隣のテーブルの人達が食べていた“弁当”という料理を注文すると、15ドルという値段の割には美味しく丁寧なお重の弁当が出てきた。


多くの観光客で賑わうパイク・プレイス・マーケット(市場)の場外


市場に向かう観光用のバス


寿司バーで昼食を食べる


美味しく丁寧なお重の弁当


   昼食後は海側の裏口から市場の中に入る。 階下のフロアはアウトレットショップやマニア向けのホビーの店が軒を連ね、最上階(1階)のみが生鮮の肉や魚、果物、野菜、そして生花を売るこぢんまりとした観光用の市場になっていた。 喧噪の市場を隅々まで訪ね歩くのも一興だが、明日からの計画に支障をきたさないよう早めに切り上げ、ダウンタウンのスーパーで夕食用の食料や山での行動食などを買い、ユニバーシティストリートという地下駅から電車に乗ってホテルに戻った。

   夜の天気予報は昨日のものと大差なく、明後日の15日にパラダイスからキャンプ・ミュアに上がり、16日に登頂して17日にパラダイスに下るという計画が固まってきた。


パイク・プレイス・マーケットの入口


鮮魚市場


生花市場


市場から見たエリオット湾


ダウンタウンの高層ビル


ユニバーシティストリート地下駅


電車の車窓から見たフリーウェイ


ホテルの部屋で夕食を食べる


天気予報(マウンテン・フォーキャスト)


   7月14日、5時に起床したが、昨夜もまだ時差ボケで眠りが浅かった。 シータック空港駅を経て空港の入口まで10分ほど歩き、レンタカー各社が軒を連ねるレンタカーセンターへ無料のシャトルバスで向かう。 Thriftyの窓口で予約クーポン・国際免許証・パスポートを提示し、淡いシルバーのカローラを借り受ける。 カナダで乗って以来20年ぶりの左ハンドル・右側通行のため、また慣れないセダンのため、初心者マークの車のような運転でホテルに戻る。 日曜日の朝で交通量が少ないことがありがたい。


シータック空港からレンタカーセンターへ無料のシャトルバスで向かう


Thriftyの窓口


淡いシルバーのカローラを借り受ける


   朝食を食べてホテルをチェックアウトし、レーニアの登山口で今日の宿泊地のパラダイスに向かう。 今回の旅でカーナビとして利用するグーグルマップでの距離は95マイル(152キロ)、所要時間は2時間15分ほどだった。 ホテルを出るとすぐに無料の自動車専用道路(フリーウェイ)の5号線に乗る。 アメリカらしく片側5車線もあったが、しばらくの間制限速度は60マイル(96キロ)だった。 日曜日ということもあり道路は空いていたが、日本のように猛スピードで走っている車はなかった。 フリーウェイは都市部では高架になっているので、シアトルの隣のタコマの町はタコマドームを見ただけで通過してしまった。 30分ほどでフリーウェイを降りて一般道の7号線に入ると間もなく田園地帯となり、信号機が殆どなくなった。 制限速度は50マイルから55マイル(80キロから88キロ)で、フリーウェイとさほど変わらなかった。 レストランやガソリンスタンド、そしてセブンイレブンなどがある小さな町を過ぎると沿線には全く何もなくなってしまったので、幹線道路を外れて下山後に滞在する候補地のイートンビルの町に立ち寄る。 イートンビルは何もない田舎町のように思っていたが、宿泊を検討しているモーテルの斜向いにはスーパーがあり、ガソリンスタンドやレストランも幾つかあった。 イートンビルからは笠雲がついたレーニアを入国してから初めて望むことが出来たが、タコマ富士という名称とは違い、その山容は荒々しかった。


朝食をホテルの部屋で食べる


イートンビルのスーパー


イートンビルから見たレーニア


   幹線道路に戻ってしばらく走ると、ホテルの予約が取れなかったアシュフォードという小さな町に着いた。 道路沿いにはレーニア向けの登山用品店があり、ハイエイドのダブルブーツを初めそれなりの品揃えがあった。 ガイド会社が運営している店のようで、ガイドの予約や登山用品のレンタルもやっていた。 アシュフォードから間もなくで国立公園の入口のゲート(ニスカリーエントランス)に着くと、ハイシーズンの日曜日ということで車の行列が出来ていた。 国立公園の入園料は有効期間によって2種類あり、私達は7日間有効の30ドルを支払ってゲートから園内に入った。 ゲートを過ぎると徐々に勾配が増し、カーブの回数も増えていく。 晴れてはいるものの山には雲や霧が纏わり付き、車窓からは肝心のレーニアは全く見えず、途中のロングマイヤーという国立公園の旧本部があった所から山頂が一瞬見えただけだった。


アシュフォードの町のレーニア向けの登山用品店


国立公園の入口のゲート(ニスカリーエントランス)


ロングマイヤーという国立公園の旧本部があった所から山頂が一瞬見えた


   途中色々と寄り道をしたため、パラダイスへの到着は正午近くになってしまった。 パラダイスには一番奥に今日から3泊予約したホテル『パラダイス・イン』があり、その手前にはビジターセンターの大きな建物があった。 これらの施設の駐車場は相当数が停められるだけのキャパはあるが、車をホテルになるべく近い所に停めたかったので、駐車場所を確保するのに時間が掛かった。 ホテルのチェックインにはまだ早いので、ホテルのレストランで昼食のバイキングを食べたが、30ドルの割にはそれほどの内容ではなかった。 後で分ったが、ホテルにはサンドウィッチやサラダなどが買える売店があり、ビジターセンターには簡易なファーストフードの店があった。


登山口のパラダイスの駐車場


パラダイスで宿泊したホテル『パラダイス・イン』


ホテルのレストランで昼食のバイキングを食る


   昼食後はホテルとビジターセンターの中ほどにあるレンジャーステーションに行く。 受付でレンジャーに予約確認証を提示し、申請書に必要事項を記入してその半券をパーミットとして受け取る。 レンジャーからは“お決まりの”携帯トイレ(ブルーバック)の使用方法や捨て場所の説明があったが、持参するロープの長さのみを聞かれただけで、登攀具の点検はされなかった。 明日から入山することを決めたため、ホテルのフロントでチェックインと明日以降2日分の宿泊のキャンセルを同時に行う。 キャンセル手数料は生じたが、宿泊代は戻ってくるようで安堵した。 ラウンジなどホテルの共用スペースは広いが室内は予想以上に狭く、日本の安いビジネスホテルのようだった。


ホテルのラウンジ


ホテルの室内


レンジャーステーション


レンジャーステーションの受付


申請書に必要事項を記入してその半券(右)をパーミットとして受け取る


携帯トイレ(ブルーバック)


   事前の情報どおりホテルではネットが繋がらず、唯一Wi-Fiが使えるビジターセンターに行って最新の天気予報を確認する。 意外にも盤石と思われたアタック予定日の16日の天気予報は悪くなり、昼前から降雪マークがついてしまった。 当てにならない天気予報にガッカリさせられたが、逆にまた良い方向に変わることを念じてハイキングコースの下見を行い、共用のシャワールームでシャワーを浴びた。 黄昏時になってようやくレーニアが見えるようになったので少し心が和らいだ。 夕食は売店で買ったサンドウィッチを部屋で食べ、早めに床に就いた。


天気予報を確認するため唯一Wi-Fiが使えるビジターセンターに行く


アタック予定日の天気予報は昼前から降雪に変わってしまった


ビジターセンターに置かれたレーニアのジオラマ


共用のシャワールーム


黄昏時になってようやくレーニアが見えるようになった


   7月15日、予定どおり4時に起床する。 夜中に聞こえたのはやはり雨音で、窓を開けると雨が降っていた。 朝食を食べながら外の様子をうかがっていたが、降り止む気配は全くないので、出発の準備をしてからWi-Fiの繋がるビジターセンターの入口で最新の天気予報を確認する。 予報は昨夜のものと変わらず、今日の午前中は曇りだが降雨の予報はなかった。 しばらく柴田さんと進退について逡巡していたが、5時を過ぎると雨は止み、それまで全く見えなかった中腹の山肌も見えてきたので予報を信じて出発することにしたが、いざ出発しようと外に出ると再び雨が降り出し、さらに雨脚が先ほどよりも強くなってしまった。 仕方がないので出発時間を遅らせ、6時過ぎに再度ビジターセンターの入口で最新の天気予報を確認すると、今日の予報は変わっていなかったが、明日のアタック予定日の予報はさらに悪くなり、昼間の時間帯は全て降雪マークがついてしまった。 数日前の快晴微風の絶好の予報とはまるで違う予報となってしまったことに呆然とし、また当てにならない予報に苛立ちを感じたが、これはもう現実を受け容れるしかなかった。 仮に明日の天気が再び少し良くなったとしても、この雨の中を出発することはあり得ないということで柴田さんと一致し、今日からの入山を中止することにした。 未明からの二転三転あるいはそれ以上のドタバタ劇に心身共に疲れ果て、しばらくベッドに横になったまま動けなかった。


未明からの雨は降り止む気配が全くなかった


アタック予定日の明日の天気予報はさらに悪くなった


未明からの二転三転あるいはそれ以上のドタバタ劇に心身共に疲れ果てた


   雨は依然として降り止まず、予約をしていない場合の登山許可証の申請方法をレンジャーステーションで再度確認してから昼前にホテルをチェックアウトする。 天気予報を見る限り、明後日以降は風が強い悪天候の日が続くため、下山後の予備日で登ることを検討していたマウント・アダムスに登ることを提案し、その入山許可を取るためにトラウトレイクという町のレンジャーステーションに向かう。 パラダイスからの距離は107マイル(171キロ)、所要時間は3時間少々だったが、ナビでの最短ルートを選択したところ、途中から未舗装の林道のような道を走行することになった。


登山許可証の申請方法をレンジャーステーションで再度確認する


雨のリフレクションレイク


トラウトレイクへ未舗装の林道のような道を走行する


   パラダイスから3時間半ほどでトラウトレイクのレンジャーステーションに着いたが、トラウトレイクは予想よりもだいぶ小さな町だった。 レンジャーステーションからは山頂部に雲が纏わり付いたアダムスが見えた。 レーニアとは違って地元以外ではマイナーな山ゆえ、入山許可の手続きは至って簡単で、登山料の10ドルを支払ってザックに付けるタグと車に置いていくタグ、そして携帯トイレを受け取るだけだった。 レンジャーから登山口のコールド・スプリングスまでの行き方や登山ルートの説明を受け、霧が出るとルートを見失い易いのでGPSを持って行くように勧められた。


トラウトレイクのレンジャーステーション


レンジャーステーションの受付


ザックに付けるタグ(上)と車に置いていくタグ(下)


アダムスの登山ルート解説図


   アダムスへのパーミットが取れたので、次は近くのホテルを飛び込みで探す。 道路沿いにツーリスト向けのモーテルは幾つかあったが、いずれもオーナーや管理人が不在で、泊まる宿が決まらなかった。 仕方がないので26マイル(42キロ)ほど離れた一番近くのフッドリバーという町に向かう。 車中からネットで宿を予約し、到着の30分前に今日と明日の二日間の予約をすることが出来た。 幅の広い川(コロンビア川)を路面が鉄板で覆われた橋で渡る。 意外にもこの橋は有料(2ドル)で、橋を渡るとそこは隣のオレゴン州だった。 フッドリバーは予想以上に大きな町で、予約したモーテル『リバービュー・ロッジ』へはナビのおかげで迷うことなくスムースに行くことが出来た。 モーテルは一泊165ドルのツインルームだが、寝室が中で2つに仕切られているタイプで、値段の割には良かった。 オーナーからはネットで予約するよりも飛び込みで来た方が安かったと言われたが後の祭りだ。


フッドリバーで宿泊したモーテル『リバービューロッジ』


モーテルの室内


   時間が押してきたので今日の夕食と明日の朝食の買い出しに出掛ける。 町中にはレストランが沢山あったが、夕食はマクドナルドのハンバーガーをテイクアウトしてホテルで食べた。 明日のアダムスは日帰りで登るため、レーニア向けのパッキングを解いて準備をする。 明日の出発は早いので早めに床に就いたが、レーニアの今後のパーミットの取得について頭の中で整理していると、最速で明後日の朝7時から始まる申請をするためには、往復12時間以上を要するアダムスを登っている場合ではないことに今更ながら気がついた。


フッドリバーの大型のスーパー


マクドナルド


モーテルから見たアダムス


   7月16日、予定どおり4時に起床すると隣室の柴田さんはすでに起きていたので、昨日の夜から考えていたことを伝え、予定していたアダムスの登山は中止し、明日からのパーミットの取得に全力をあげるべく、それに相応しい宿の予約などを行うことになった。 天候待ちのための滞在地として一番都合の良いイートンビルのモーテルは、ネット上では希望するツインルームは満室だったが、飛び込みでの枠があることが期待出来た。 今日は予報よりも天気が少し良さそうで、バルコニーから朝焼けのアダムスが見えた。 昨日解いたレーニア向けのパッキングを再度行い、朝食後にフロントで今日の宿泊のキャンセルを申し出たが、ネットで連泊として予約したため、キャンセルしても返金は出来ないということだった。


モーテルのバルコニーから見た朝焼けのアダムス


   気を取り直して9時過ぎにモーテルを出発し、ポートランドを経由して宿泊予定地のイートンビルに向かう。 ナビでの距離は189マイル(302キロ)、所要時間は3時間少々だった。 モーテルの近くのガソリンスタンドで初めて給油を行うと、そこはいわゆるフルサービスで、3種類あるあるガソリンのグレードのうち一番安いレギュラーを満タンに入れてもらう。 町からはすぐにフリーウェイ(84号線)に乗る。 州境のコロンビア川沿いの片側2車線の区間が長かったが、制限速度は65マイル(104キロ)だった。 オレゴン州で一番人口が多いポートランドの郊外のジャンクションからシアトルへ通じる5号線に入る。 途中でトイレ休憩に立ち寄った数少ないレスト・エリア(日本の高速道路のパーキング・エリア)では、ボランティアによる無料のコーヒーサービス(クッキー付き)があった。 間もなくフリーウェイを降り、途中のモートンという町のレストランで昼食を食べる。 モートンはこれから向かうイートンビルと似たような雰囲気があった。 モートンからはシアトルに向かう7号線をしばらく走るとパラダイスへ向かう道と合わさり、2時にイートンビルのモーテル『ミルビレッジ』に着いた。


フッドリバーからポートランドを経てシアトルへ通じる5号線に入る


レスト・エリアの無料のコーヒーサービス(クッキー付き)


モートンはこれから向かうイートンビルと似たような雰囲気があった


モートンのレストランで昼食を食べる


   早速フロントで宿泊の申し込みをすると、思惑どおりツインルームはまだ空き部屋が幾つかあった。 登山開始日が未定なので、最低でも今日から2泊は必要だったが、3泊目以降はその都度で良いとのことだった。 料金は1泊169ドルで朝食付きだった。 部屋は4人家族でも泊まれるほどの広さがあり、長期間滞在する拠点としてはちょうど良かった。 荷物を部屋に搬入し天気予報をチェックすると、20日の土曜日と21日の日曜日の二日間は共に快晴で、土曜日の方が風が弱いという嬉しい予報が出ていた。 前回のように予報は刻々と変わるので全く油断は出来ないが、この予報を基に明日は7時に開くパラダイスのレンジャーステーションに未明から並び、18日から21日までの4日間のキャンプ地の宿泊の申請をすることにした。 夕食は同じ敷地内にあるサブウェイでサンドウィッチを買って部屋で食べた。


イートンビルのモーテル『ミルビレッジ』


モーテルのフロントで宿泊の申し込みをする


モーテルの室内


アタック予定日の天気予報は快晴で風も弱かった


夕食は同じ敷地内にあるサブウェイのサンドウィッチを食べる


   7月17日、予定どおり2時に起床して登山口のパラダイスに向けて出発する。 ナビでの距離は43マイル(69キロ)、所要時間は1時間10分だった。 夜中なので行き交う車は全くない。 国立公園のゲートは無人で、夜間は入園料を支払うことなく通行出来ることが分った。 パラダイスの手前から濃い霧が出始めたが、予定どおり3時半前に駐車場に着いた。 駐車場には相変わらずホテルの宿泊者の車などが沢山停まっていた。 恐る恐るレンジャーステーションの扉を開けると、良い方の予想が当たり、事務所までの通路はガランとしていた。 これで第一関門はクリアーしたが、果たして一番のハイシーズンの週末に、本当にキャンプ地の宿泊の枠が30%もあるのか甚だ疑問だった。 外気温は一桁しかないが、意外にも3階建てのレンジャーステーションの中はまるで暖房が入っているかのように暖かくて助かった。 1時間を過ぎても誰も申請に訪れず、その気配すら感じなかった。 5時を過ぎると従業員用と記された扉から次々に人が出てきたので、レンジャーステーションの2階と3階はホテルやビジターセンターの従業員、そしてレンジャーが泊まっていることが分った。

   結局その後も誰も申請に訪れず、7時過ぎにようやくレンジャーが事務所にあらわれた。 レンジャーに事の経緯を説明し、前回のパーミットを返却してから新しい登山許可を申し出たところ、私達が希望する日のキャンプ場の空き具合などを調べる素振りもなく無条件でトントンと話が進み、いとも簡単にパーミットを得ることが出来た。 この状況からみて、パーミットの予約が必要なのは日程を変更しない団体のみで、一般的には有料かつ不確実な予約とかキャンセル待ちとかではなく、今回と同じように前日にレンジャーステーションで申請するのがベストではないかと思えた。


パラダイスのレンジャーステーションの事務所の前に未明から並ぶ


レンジャーステーションの受付で登山許可を申し出る


新たに取得したパーミット


   嬉しいような拍子抜けしたような気分で車に戻り、イートンビルのモーテルに帰った。 今日は天気が悪く、麓からもレーニアは全く見えない。 朝食はモーテルのフロントにあるダイニングルームでシンプルなバイキングを食べたが、バナナやヨーグルトなどをテイクアウトしているお客さんも多かった。 午前中は昼寝をして過ごし、昼食はシアトル方面に少し下った道路沿いの庶民的なレストランで山盛りのサラダを食べる。 その先のセブンイレブンで明日の昼食用のパンを買い、セルフサービスのガソリンスタンドで給油する。 給油機本体に付属している装置では日本のクレジットカードは使えず、画面の案内に従い店内で現金を支払って給油機の番号を伝えると、その金額分だけ給油が出来るシステムだ。 今回は10ドルで約3.3ガロン(約12リッター)給油出来たので、リッター当たり約90円という計算になる。 これまでのカローラの燃費はリッター20キロ弱くらいだった。  モーテルに戻り、同じ敷地内にあるコインランドリーに行く。 洗濯機は1回30分で2ドル25セント(約250円)、乾燥機は4分間で25セントだった。 夕食は昨日までと今日の昼食で食べきれなかったパンやサラダなどの残飯整理で済ませた。


朝食はモーテルのダイニングルームでシンプルなバイキングを食べる


昼食はシアトル方面に少し下った道路沿いの庶民的なレストランで食べる


昼食の山盛りのサラダ


セルフサービスのガソリンスタンドで給油する


モーテルと同じ敷地内にあるコインランドリーで洗濯をする


夕食はパンやサラダなどの残飯整理で済ませた


   7月18日、今日は久々にまともな時間(6時)に起きる。 高原の朝のように少し肌寒く、曇っていたのでレーニアは全く見えない。 今朝の天気予報では日曜日の方が風が弱いという予報に変わっていたので、明日から入山するかどうかはまだ決められなかった。 朝食のバイキングのメニューは昨日と全く同じだったが、今日は専用の器具でベルギーワッフルを焼いて食べた。 

   朝食後に天気が少し回復してきたので、レーニアが見えることを期待してパラダイス方面へドライブに出掛ける。 途中のアシュフォードの登山用品店やロングマイヤーの博物館、そしてレンジャーステーションなどに立ち寄りながら天気の回復を待つが、どうやら今日も山の天気は良くならないようだ。 パラダイスのビジターセンターで昼食を食べ、周回道路をドライブしながら所々で車を停め、写真を撮りながらモーテルに帰った。


朝食のバイキングは専用の器具でベルギーワッフルを焼いて食べた


アシュフォードの登山用品店の店内


国立公園の入口(ニスカリーエントランス)


ロングマイヤーの博物館


博物館の展示物


ロングマイヤーのレンジャーステーション


レンジャーステーションのジオラマ


パラダイスのビジターセンターで昼食を食べる


パラダイス付近の周回道路をドライブする


アシュフォードとイートンビルの中ほどにあるアルダーレイク


   天気予報をチェックすると、再び土日曜の方が風が弱いという予報に変わっていたので、明日から入山することに決め、明日の宿泊はせずに未明にチェックアウトする旨をフロントに伝えた。 夕食はホテルに隣接するレストランに行き、オーソドックスな赤身のステーキを食べた。 サラダやスープが付くステーキは大・中・小のスリーサイズがあったので小を注文したが、小でも200グラムほどあったので少食の私には充分だった。


夕食はホテルに隣接するレストランで食べる


小サイズのステーキ


パッキングした荷物


   7月19日、予定どおり3時に起床し3時半にモーテルを出発する。 天気予報は基本的に前夜のものと変わらず曇りで、空の星は一つしか見えなかった。 途中のアシュフォードでは雨が降っていたが、国立公園のゲートを過ぎると雨は止んだ。 このまま予報どおり天気は回復していくと思われたが、途中から再び雨となってしまった。 まだ暗い5時前に登山口のパラダイスに着いたが、小雨が降り止まず前回の悪い記憶が蘇ってくる。 車の中で準備をしながら待機していると、5時半過ぎにようやく雨が止んだので出発を決意する。 柴田さんに先行してもらい、車をビジターセンターから200mほど離れた登山者用の駐車場に停めに行く。


パラダイス@から氷河の取り付きCへ


5時半過ぎにようやく雨が止んだので出発を決意する


   高度計の標高を1650mに設定し、6時ちょうどにパラダイスを出発する。 この時間帯では登山者はもちろんハイカーの姿は皆無だ。 道標に従い『スカイライン・トレイル』という舗装されたハイキングコースを歩き始める。 トレイルの両側にはアバランチ・リリーなどの花々が途切れなく咲いているが、天気が冴えないので花の色も気分も冴えない。 久々の20キロ近い荷物だが、予想よりも足が前に出たので助かった。 30分ほどで舗装されたトレイルは階段状の山道となり、1時間ほどで先行していた柴田さんと合流する。 再び霧雨となってしまったのでジャケットを着込み、所々に残雪が見られるトレイルを黙々と登る。 高度計の標高で2000mを超えた所でスカイライン・トレイルと別れ、キャンプ・ミュアへのトレイルに入る。 すぐに氷河に出合うのかと思ったが、整備されたトレイルはなおも続き、ペベルクリークという沢を渡った先の2250m地点でようやく後退した氷河の取り付きに着いた。 8時になってもまだ天気は回復せず、周囲の景色は霧に煙ったままで何も見えなかった。


6時ちょうどにパラダイスを出発する


『スカイライン・トレイル』という舗装されたハイキングコース


アバランチ・リリーの群落


パラダイスから1時間ほどで先行していた柴田さんと合流する


ジャケットを着込み、所々に残雪が見られるトレイルを黙々と登る


キャンプ・ミュアへのトレイルに入る


氷河の取り付きで休憩する


   氷河の取り付きで休憩した後、先行した柴田さんを追いかけながらトレースのある傾斜の緩い氷河を登っていくと、ようやく背後から日射しを感じるようになり、頭上に青空とレーニアの白い頂が朧げに見えた。 霧に見え隠れする周囲の風景に一喜一憂しながら登っていくと間もなく雲海から抜け出し、入国してから初めてレーニアの雄姿がまともに見えた。 背後の雲海の上にはアダムスやセントヘレンズの頂稜部も見え、憂鬱だった気分が一気に吹き飛んだ。 天候の回復を待っていたのか、幾つかのパーティーがキャンプ・ミュアから下ってきた。 氷河の傾斜が緩んでくると前方にキャンプ・ミュアの避難小屋が見えた。


氷河の取り付きCからキャンプ・ミュアEへ


先行した柴田さんを追いかけながらトレースのある傾斜の緩い氷河を登る


雲海から抜け出し、入国してから初めてレーニアの雄姿がまともに見えた


背後の雲海の上にアダムスの頂稜部が見えた


キャンプ・ミュアからパラダイスへ下るパーティー


氷河の傾斜が緩んでくると前方にキャンプ・ミュアの避難小屋が見えた


   ルートの状態が良かったので予想よりもだいぶ早く、パラダイスからちょうど5時間でベースキャンプとなるキャンプ・ミュア(3100m)に着いた。 高度計の標高では3030mだった。 雪の禿げた峠のような所を乗越すと、下からは見えなかった山頂方面への明瞭なトレースと広いテントサイトが見られた。 凸凹のテントサイトには10張り以上のテントの花が咲いていて、その中程にちょうど良い跡地があったので、整地をせずにテントを設営出来た。 テントサイトに着いた時は風が少しあったが、設営後には風がなくなり、意外にもその後も無風の状態が撤収の時まで続いた。 テントサイトは暑くもなく寒くもなく、予想以上に快適だった。


パラダイスからちょうど5時間でキャンプ・ミュアに着いた


キャンプ・ミュアのテントサイト


良い跡地があったので、整地をせずにテントを設営出来た


テントサイトは暑くもなく寒くもなく、予想以上に快適だった


   6リッター前後の水を各自で作り、避難小屋やレンジャーステーション、トイレなどのキャンプ場の施設を見て回る。 昼過ぎにはガイドパーティーなどが三々五々戻ってきたので、テントサイトは賑やかになった。 夕食の準備をしているとレンジャーがテントを巡回しにきたので、パーミットを見せて明日の行動予定を説明した。 レンジャーから、ルート上にブルーアイスとなっている箇所があり、今日登れたのは1パーティーのみで、ガイドパーティーは全て引き返したという話があったため、夕食後に柴田さんと協議し、当初はペースの遅いガイドパーティーや団体のパーティーよりも早く出発する予定だったが、逆にそれらの集団の後についてトレースを利用しようということになった。


キャンプ場のトイレ


公共の避難小屋の内部


ガイド会社専用の避難小屋(左下)とレンジャーステーション(右上)


山頂方面へのトレース


レンジャーにパーミットを見せて明日の行動予定を説明する


夕食はレトルトのカレーを食べる


   7月20日、当初の予定よりも1時間以上遅い2時に起床。 テントサイトには次々に出発していく人達の声が響いている。 ありがたいことに昨夜は全くの無風で暖かく、図らずも滞在中一番良く熟睡したように思えた。 朝食のラーメンを食べてテントの外に出ると、空には満月に近い月が煌々と輝き、予報どおりの快晴の天気となっていた。 ルート上にはすでに20人以上のヘッドランプの灯が見えた。 身支度を整えて柴田さんとロープを結び、予定よりも少し遅く3時半に出発する。 柴田さんのヘッドランプの調子が悪かったので私が先頭で登り始める。 周囲にはすでに他のパーティーの姿は無いが、先行パーティーのヘッドランプの灯はすでに最初のポイントとなるカテドラル・ロックの岩稜のギャップに達していた。


キャンプ・ミュアEから山頂Gへ


柴田さんとロープを結び、予定よりも少し遅く3時半に出発する


先行パーティーのヘッドランプの灯


   所々に小さな赤旗のある踏み固められた明瞭なトレースを30分ほど緩やかに登ると、カテドラル・ロックの岩稜を乗越すためのガレ場の登りとなったが、ガレ場にも明瞭な踏み跡があり予想よりも登り易かった。 岩稜を乗越すと再び緩やかな踏み固められた明瞭なトレースの登りとなった。 間もなく夜が白み始めると、山頂方面の展望やイングラハム・フラットと呼ばれる平坦地にあるテントサイト、そしてこれから辿るディスアポイントメント・クリーバーと呼ばれる核心部の顕著な岩稜が見えてきた。 イングラハム・フラットから出発したと思われるパーティーのヘッドランプの先頭はすでにディスアポイントメント・クリーバーを通過していたので、この岩稜の登攀もそれほど難しくないのではないかと思えた。 綺麗な朝焼けを背後に見ながら20張りほどあるテントサイトを通過した先で一息入れる。 相変わらず予報以上の快晴無風の天気がありがたい。


所々に小さな赤旗のある踏み固められた明瞭なトレースを登る


イングラハム・フラットとディスアポイントメント・クリーバー(右)


綺麗な朝焼けを背後に見ながらイングラハム・フラットを通過する


   休憩地点からは崩壊したセラックの下を足早にトラバースして通過し、ディスアポイントメント・クリーバーの岩稜に取り付く。 意外にも岩稜にはカテドラル・ロックと同じように明瞭な踏み跡が見られ、登攀的な要素は微塵もなかったが、まだ取り付いたばかりなのでアイゼンは外さずに登ることにした。 5時半前にご来光となり、私達よりも30分ほど前に出発した隣のテントの6人パーティーに追いついた。 6人パーティーはここで3人ずつに別れ、先行する3人パーティーの後を追うように私達が続く。 岩稜の踏み跡はなおも続き、要所要所に赤旗もあるため全く問題ない。 途中にあった残雪の通過も明瞭なトレースのお陰で拍子抜けするほど楽だったので、標高差250mほどのディスアポイントメント・クリーバーの岩稜を1時間少々で登り終え、中間地点となる山頂直下の氷河の取り付きに着いた。 キャンプ・ミュアからここまでちょうど3時間で、予想よりも1時間早かった。 前方の氷河には20人以上の先行者の姿が見られ、途中にブルーアイスがあってもトレースに助けられて登れそうな期待がにわかに高まった。


崩壊したセラックの下を足早にトラバースして通過する


5時半前にご来光となる


ディスアポイントメント・クリーバーには明瞭な踏み跡が見られた


ディスアポイントメント・クリーバーから見たイングラハム氷河


ディスアポイントメント・クリーバーの中間部の残雪の通過


ディスアポイントメント・クリーバーの上部


中間地点となる山頂直下の氷河の取り付き


   取り付きでしばらく休憩し、3人パーティーの少し後から傾斜の緩やかな氷河を登り始める。 明瞭なトレースがクレヴァスやセラックを避けながら規則的に印されていて登り易い。 30分ほど快調に登っていくと、眼前のセラックの向こうから先行していた3人パーティーが下ってきたので話を伺うと、この先は滑りやすく私達の技術では難しいということだったので、セラックを越えた先にレンジャーが言ったブルーアイスがあると思われた。 セラックの中に付けられたトレースを進んでいくと傾斜は徐々に急になり、間もなくスノーバーで確保しながら下りてきた6人のガイドパーティーとすれ違った。 時間的にみて彼らもこの先で敗退したものと思われた。 そこから先はトレースが靴の幅一つになり、傾斜もさらに増してきたので、ピッケルのブレードを時々雪面に刺しながら雪の堅さを確認して登る。 確かにここが凍っていたら危険だが、アイゼンはしっかり刺さるので慎重に登り続けた。 しばらく同じような状態の斜面を登っていくと、セラックに架けられたアルミの梯子があり、2人パーティーが下ってきた。

 

氷河に印された明瞭なトレース


予報以上の快晴無風の天気がありがたい


眼前のセラックの向こうから先行していた3人パーティーが下ってきた


スノーバーで確保しながら下りてきた6人のガイドパーティーとすれ違う


セラックに架けられたアルミの梯子を2人パーティーが下ってきた


   梯子を越えた先が本当のブルーアイスの所かと緊張したが、梯子を越えた先はやや急斜面だったもののトレースの幅が少し広くなり、10mほどの間隔で支点のあるスノーバーが3〜4本打ってあったので、技術に優る柴田さんが先行して一部をスタカットで登る。 どうやらここが核心部だったようで、そこを通過すると再び傾斜は緩くなり、トレースの幅も広くなった。 間もなく一番手でイングラハム・フラットから出発したと思われるガイドパーティーとすれ違ったので声を掛けてみると、無事登頂されたようだったので、彼らを祝福すると共に私達も登頂を確信した。 単調な緩斜面をジグザグにしばらく登ると、トレースは右の山頂方向とは逆に左へトラバース気味に延びていた。 もう急ぐ必要は全くないので山頂直下で最後の休憩をしていると、ようやく後続のパーティーの姿が見えてきた。


梯子を越えた先はやや急斜面だったもののトレースの幅が少し広くなった


核心部からは技術に優る柴田さんが先頭になって登る


単調な緩斜面をジグザグにしばらく登る


トレースは右の山頂方向とは逆に左へトラバース気味に延びていた


最後の休憩地点から見上げた山頂方面


   休憩地点から山頂まであと1時間ほど掛かるとみて私を先頭に登り始めたが、10分ほど登った所で突然目の前の視界が大きく開け、下からは全く見えなかった山頂部の広大な火口原の縁に飛び出した。 火口原の縁付近にはすでに登頂したと思われる幾つかのパーティーが思い思いに寛いでおり、火口原を横断した先にある最高点の山頂(コロンビア・クレスト)から下ってくる人達の姿が見えた。 後ろを振り返り、叫ぶようにその情景を柴田さんに伝える。 緊張感からも解放され、皆と同じようにここでロープを解き、足取りも軽く意気揚々と山頂方面へ向かう。 キャンプ・ミュアからここまでちょうど6時間で、当初の予想よりも1時間以上も早かった。 緩やかな傾斜の広大な火口原を横断してから最高点の火口丘への登りでは火山の熱で雪が禿げ、地面から蒸気が出ている所もあった。


突然目の前の視界が大きく開け、山頂部の広大な火口原の縁に飛び出した


火口原の縁に立つ柴田さん


ロープを外し、足取りも軽く意気揚々と山頂方面へ向かう


最高点の火口丘への登りでは火山の熱で雪が禿げていた


   辿り着いた最高点と思われる雪のドームの上には標識らしきものは何もなく、目と鼻の先にある雪の禿げたもう一つのピークの方が高そうに見えたので、居合わせた4人パーティーと共にそのピークに向かう。 雪の禿げたピークにも標識らしきものは何もなかったが、それは大した問題ではなく、柴田さんと会心の登頂を喜び合った。 感動的というよりは、高揚感が勝るサミットだった。 4人パーティーと写真を撮り合い、高度計の標高(4299m)を記憶して再び雪のドームに戻ると、僅か1mだけ雪のドームの方が低かった。 これ以上何も望むべくものがない快晴無風の山頂は360度の大展望で、広大な火口原の向こうに最高峰ならではの開放感に溢れた雄大な景色が広がっていた。


最高点と思われる雪のドームの上には標識らしきものは何もなかった


雪のドームから目と鼻の先の雪の禿げたピークに向かう


雪の禿げたピークから見た雪のドーム


雪の禿げたピークから見たアダムス


雪の禿げたピークから見た北側の火口原


マウント・レーニアの山頂


山頂から見たセントヘレンズ


山頂から見た南側の火口原


雪のドーム(右)と雪の禿げたピーク(左)


   写真を撮ったりビデオを回したりしながら山頂からの展望を充分満喫し、11時に重い腰を上げて山頂を後にする。 山頂直下で柴田さんが見つけた頑丈な箱に入った登頂者ノートに名前を記した。 すでに誰もいなくなった火口原の縁でロープを結んでいると、先ほど山頂を通過して先に進んでいった2人パーティーが火口原の縁を周回(お鉢回り)して戻ってきたので、彼らに道を譲って下山を始める。 間もなくその2人がピッケルでトレースを均していたので話を伺うと、彼らはガイド会社のスタッフ(ガイド)で、ルートのメンテナンスをしているとのことだった。 明日は日曜日なので、今日よりもさらに多くのガイドパーティーが登るからだろう。 気温の上昇や風によるトレースの消失などで下りの危険度が増すことを危惧していたが、直前にガイドパーティーなど多くの人達が下ったことで予想よりもトレースが安定し、当初はスタカットで下ろうと思った区間も全く問題なくスムースに下れた。


山頂直下に置かれた頑丈な箱に入った登頂者ノートに名前を記す


山頂から火口原の縁へ


火口原の縁から下山を始める


下山する先行パーティー


ガイド会社のスタッフ(ガイド)がルートのメンテナンスをしていた


スタカットで下ろうと思った区間も全く問題なくスムースに下れた


   途中1回の休憩で中間地点の氷河の取り付きまで下り、ロープを解いてディスアポイントメント・クリーバーの岩稜を下る。 アイゼンを外すタイミングを逸してしまい、殆ど雪に触れることなく30分ほどで基部まで下った。 基部で再びロープを結び、イングラハム・フラットのテントサイトまでの雪崩の危険地帯を足早に通過する。 テントサイトの傍らで最後の休憩をして、登頂の余韻に浸りながらカテドラル・ロックのギャップを乗越し、キャンプ・ミュアへの踏み固められたトレースを鼻歌交じりに下る。 

   3時にキャンプ・ミュアへ到着すると、周囲のテントサイトの住人はだいぶ入れ替わっていた。  夜は9時過ぎまで明るいため、これからテントを撤収して登山口のパラダイスまで下ることも充分可能だったが、下山後に宿の手配などをするのも煩わしいので、当初の計画どおりここでもう一泊することにした。 少しだけ足りない水を作り、レンジャーステーションの建つ峠に行くと、パラダイスに下っていく人やパラダイスから登ってくる人が多く見られた。


イングラハム氷河から見たディスアポイントメント・クリーバー


カテドラル・ロックのギャップの手前から見た山頂方面


カテドラル・ロックのギャップからキャンプ・ミュアへ


キャンプ・ミュアへの踏み固められたトレースを鼻歌交じりに下る


キャンプ・ミュアのテントサイトの住人はだいぶ入れ替わっていた


レンジャーステーションの建つ峠から見た山頂方面


レンジャーステーションの建つ峠から見たパラダイス方面


   7月21日、夜中は次々に出発していく人達の声で騒がしかったが、それも心地よい響きに感じるほど達成感と安堵感に満たされていた。 記憶が曖昧になってしまい、当初の予定よりも1時間早く5時に起きてしまったが、間もなくテントから居ながらにしてご来光が拝めた。 今日も昨日と同じような快晴の天気となりそうだ。 テントを乾かしながら撤収し、7時半にテントサイトを発つ。 レンジャーステーションの建つ峠からは、すでに山頂直下の氷河を登っている人達が肉眼でもはっきり見えた。 一昨日は雲海で何も見えなかったため、パラダイス方面への下りで見える景色は新鮮だった。 昨日下山した人達や、日帰りでミュアまで往復した人達の尻セードの跡が延々と続いている。 何度も後ろを振り返りながらレーニアの写真を撮った。
 

テントから居ながらにしてご来光が拝めた


テントを撤収してキャンプ・ミュアを発つ


キャンプ・ミュアからパラダイスへ


キャンプ・ミュアからパラダイスへ


キャンプ・ミュアからパラダイスへ


氷河の取り付き付近から見たレーニア


   ペベルクリーク(沢)を渡ってスカイライントレイルに合流すると、予想どおりハイシーズンの日曜日ということもあって、大勢のハイカー達の姿が見られた。 一昨日はモノトーンの世界で冴えなかったトレイル周辺のお花畑はカラフルに光り輝き、重荷を背負ったままの写真撮影で足が一向に前に進まない。 その中でもやはりアバランチ・リリーの白い花の群落が一番素晴らしかった。 リスやマーモットが戯れる姿も見られ、天気さえ良ければ幾つかあるハイキングトレイルのどこからでも秀麗なレーニアの雄姿を仰ぎ見られるので、パラダイスを訪れる人が多いのは頷ける。


ペベルクリーク(沢)


マーモット


スカイライントレイルから見たレーニア


スカイライントレイルから見たパラダイス


スカイライントレイルから見たレーニア


フロックス


ツガザクラ


スカイライントレイルから見たレーニア


インディアンペイントブラシ


アバランチ・リリー


   11時半前に登山口のパラダイスに到着。 ハイカーや観光客の車で溢れ返っていた駐車場の車にザックを置き、ビジターセンターで昼食のホットドックを食べてから、レンジャーステーションでパーミットを返却して下山の報告をした。 ビジターセンターで土産物を買い、レーニアが最も美しく望まれるというリフレクションレイク(湖)や今まで行かなかったリックセッカーポイントなどの幾つかの展望所に寄りながら、常宿となったイートンビルのモーテルに向かう。 予想どおり今日も予約なしでチェックインすることが出来た。


登山口のパラダイス


ビジターセンターで昼食のホットドックを食べる


レンジャーステーションでパーミットを返却して下山の報告をする


ビジターセンターで土産物を買う


パラダイス付近の周遊道路から見たレーニア


リフレクションレイク(湖)から見たレーニア


周遊道路の途中の展望所から見たレーニア


リックセッカーポイントから見たレーニア


イートンビルのモーテルから見たレーニア


   モーテルでシャワーを浴びてからコインランドリーで登山に使った衣類の洗濯をする。 疲れてはいたが何故か急にスイッチが入ってしまい、休む間もなく山で使った食器を洗ったりして出来る限りの荷物の整理をした。 夕食は先日行ったモーテルの隣のレストランで脂の乗ったリブロースのステーキを食べる。 食後に明日の観光の計画について柴田さんと協議し、午前中はモートン経由でセントヘレンズ(2549m)を間近に望むジョンストンリッジ展望台に行き、午後は一旦モートンに戻ってからレーニアの裾野を反時計回りに走り、サンライズというパラダイスと同じような観光スポットに立ち寄ってからシアトルに帰ることにした。 今日も一日中快晴の天気が続き、日没後もモーテルからレーニアが良く見えた。


休む間もなく荷物の整理をする


夕食はモーテルの隣のレストランでリブロースのステーキを食べる


イートンビルのモーテルから見た日没後のレーニア


   7月22日、雲は多めながらも今朝もモーテルからレーニアが見えた。 朝食のバイキングのメニューは前回と全く同じだったが、今日は時間を掛けてお腹一杯に食べた。 荷物を車に搬入して9時にモーテルをチェックアウトする。 天気は予報どおり良さそうなので、予定どおりジョンストンリッジ展望台に向かう。 セントヘレンズは1980年に起こった大噴火で山頂部分が吹き飛び、山の形が大きく変わってしまったことで噴火前よりも有名になった山だ。 所々で道草を食いながらのんびりモードでフリーウェイ(5号線)を僅かな区間だけ乗り、セントヘレンズのゲートウェイとなるシルバーレイク・ビジターセンターへ。 ここから見たセントヘレンズはまだ遙かに遠かった。


雲は多めながらもモーテルからレーニアが見えた


朝食のバイキングを時間を掛けてお腹一杯に食べる


所々で道草を食いながらシルバーレイク・ビジターセンターへ向かう


シルバーレイク・ビジターセンター


ビジターセンターの館内


   センター内の展示をざっくり見学してから504号線で終点の展望台へと向かう。 意外にも道路はとても走りやすく、制限速度も50マイルから55マイル(80キロから88キロ)だった。 展望台が近づくにつれて道の両脇には花々が多く見られるようになり、それだけでも充分目の保養になった。 ビジターセンターから1時間ほどで展望台の駐車場に着く。 平日にもかかわらず観光客や車が多い。 展望台の入口には国定公園の入園料として8ドルを支払うことを記した看板があった。 駐車場から遊歩道を200mほど歩いて一番上の展望台に向かう。 展望台の周辺からは、やや雲があるもののセントヘレンズの大きな爆裂火口が良く見えた。 付近には色とりどりの高山植物が咲き乱れ、荒々しい爆裂火口との対比が面白かった。 火山らしくもっと荒涼としているのかと思っていたが、意外にも山肌には緑の部分が多く予想以上の残雪が見られた。 展望台から先はハイキングコースになっていた。 下の展望台には各種の展示物が置かれた資料館があり、入口で8ドルを支払って館内を見学する。 噴火前のセントヘレンズは正に富士山のように秀麗な山容だったことがあらためて分った。 山頂への登山は入山規制はあるものの、現在でも禁止されていないことは驚きだ。


504号線の途中から見たセントヘレンズ


ジョンストンリッジ展望台の駐車場


駐車場付近の案内板


駐車場から遊歩道を200mほど歩いて一番上の展望台へ


展望台から見たセントヘレンズ


展望台から先のハイキングコース


展望台の資料館


資料館の館内の展示


噴火前のセントヘレンズの写真


   展望台からの帰路に504号線の観光区間で唯一の観光客向けのレストランで昼食を食べる。 予定よりも少し遅く3時近くになっていたので、当初予定していた観光スポットのサンライズに行くことを止め、フリーウェイ(5号線)でタコマを経由して最短距離でシアトルに帰ることにした。 タコマの町でフリーウェイの車窓から最後のレーニアの雄姿が望まれた。 タコマの郊外でフリーウェイを降りて『ソルトウォーター・ステート・パーク』という海浜公園に立ち寄り、6時半にシータック空港に近いモーテル『ロードウェイ・イン』に着いた。 近隣の高級ホテルに比べると値段がかなり安い(朝食付きで1泊113ドル)ため清潔感などはかなり低いが、チェックイン・チェックアウトの時間が共に12時に可能で、空港までの無料シャトルバスもあるため、空港を利用するツーリストにはメリットが多い。


504号線の観光区間で唯一の観光客向けのレストランで昼食を食べる


昼食のチキンサラダ


フリーウェイの車窓から見たタコマドーム


フリーウェイの車窓から見たレーニア


『ソルトウォーター・ステート・パーク』という海浜公園から眺めた内海


シータック空港に近いモーテル『ロードウェイ・イン』


モーテルの室内


   夕食は先日行ったレストラン『13コインズ』に再度行ったが、専用の待合室には人が溢れていたので、それとは対照的にガラガラに空いていたデニーズでステーキを食べた。 デニーズはアメリカでは廉価な感じのするレストランだった。 夕食後は車で5分ほどのレンタカーセンターへ車の返却に行く。 無料の満タン返し不要のオプションを付けていたので、事務的な手続きは一切なかった。 レンタカーセンターからシータック空港まで無料のシャトルバスに乗り、空港から鉄道駅を経由して15分ほど歩いてモーテルに戻った。


夕食はアメリカでは廉価な感じのするデニーズでステーキを食べる


レンタカーセンターからシータック空港まで無料のシャトルバスに乗る


   7月23日、朝食はコンチネンタルスタイルの簡素なものだったが、専用マシンでDIYするホットケーキは美味しかった。 帰国する便の出発は2時過ぎなので、正午に予約した無料のシャトルバスでシータック空港へ向かった。


専用マシンでDIYするホットケーキ


無料のシャトルバスでシータック空港へ向う


   今回は12年前のデナリに続いて運良く2座目の北米(USA)の山への登頂が叶った。 天国の淑子さんもきっと喜んでくれただろう。 一方、出国時には考えていなかったアダムスやフッド、そしてセントヘレンズなどの山々にも登れる可能性があることが分かり、これらの山が属するカスケード山脈への再訪の可能性が出てきたこと、更にはヨセミテやグランド・ティートンなどアメリカの他の国立公園の山への登山やハイキングにも以前より興味が湧いてきたことは大きな収穫だった。 また、僅かな期間の限られたエリアのみだが、アメリカでのバス・電車・レンタカーでの移動、ホテルやモーテルの内容や料金、更にはネイティブの英語の発音に触れたことはとても良い経験になった。 今回の山旅に誘っていただいた柴田さんには本当に感謝の念に堪えない。


シータック空港


シータック空港のポスター


山 日 記    ・    T O P