8月31日、am6:30起床。 体調は最悪だった昨日よりはだいぶ良くなり、どうやら風邪の峠は越えたようだ。 しかし好天は最後まで続かず、夜中にまた雨が降ったようで、シャモニの空は灰色だった。 am7:40に迎えに来てくれたダビット氏の車でホテルを出発。 再び小雨がパラつき始めたが、早朝の空いたハイウェイを“特急ダビット号”は150km位の猛スピードで飛ばし、山と同じように前を走る車を次々に追い越してゆく。 しばらくすると周囲にはフレンチアルプスの秀麗な岩峰群が姿を見せ始めたが、2つ目の料金所を過ぎると周囲の山々は穏やかな山容となり、次第に田園地帯へと移っていった。 『グルノーブルまで200km』という標識が目に入った。 りんごやトウモロコシといった畑が点在しているが、農業国のわりには荒れ地が多い。 途中にあるアンシー、シャンベリーという地方都市を経由しながら、グルノーブルのガソリンスタンドで給油と休憩をする。 ブリアンソンという山間の町に向けハイウェイから一般道に入ると、天気は少し回復し雲の合間から陽射しがこぼれてきた。
一般道に入ってもダビット号は前を走行する車を全て追い越し、80km近いスピードを維持している。 道は川を逆上り、次第に九十九折りの山道になった。 再び秀麗な岩峰群が左右に見えるようになり、間もなく氷河を身に纏った大きな山が見えてきた。 念のため氏に「あれがバール・デ・ゼクランですか?」と訊ねてみたところ、「あれはラ・メイジュ(3983m)という山で、私も一度その北壁を登ったことがあります」と教えてくれた。 その堂々たる山容から見て、恐らくスイスのアイガー(3970m)と同様に4000mには僅かに届かないが、フランスの岳人の間では人気のある山に違いない。 峠越えをするこの道路は、周囲の高い山々の展望に加え、美しい湖などもある景勝地で、土曜日ということもあってか、サイクリングを楽しんでいる人達も多く見られた。
ブリアンソンを通過してしばらくすると車は幹線道路を外れ、バール・デ・ゼクランの登山口のあるエールフロワドの村への山道に入った。 すでにダビット号はシャモニから400km近くも走っていた。 エールフロワドのドライブインで昼食をとり、九十九折の急坂をしばらく登った後、pm1:00ちょうどに登山口に建つセザンヌ小屋(1874m)の駐車場に着いた。 晴れ時々小雨というはっきりしない天気の中、今日の宿泊地のエクラン小屋(3170m)に向けて出発した。
10分ほど灌木の中の平坦な小径を歩き、小さな沢を渡ると遮るものがなくなり、幅が1〜2mもある良く整備された登りやすいジグザグのハイキングトレイルとなった。 相変わらずダビット氏のペースは生かさず殺さずだが、エクラン小屋までガイドブックのコースタイムでは5時間となっており、また今日の天気とエクラン小屋までの標高差約1300mを考えると、あまりノンビリとはしていられない。 曇天にもかかわらず、軽装のハイカーや、頂を目指した登山者が何人も下ってくる。 意外にも駐車場から1時間ほど登ったブラン氷河の舌端が間近に迫る所で休憩となった。 残念ながら周囲の山々の頂を霧が隠しているが、晴れていれば素晴らしい景観であるに違いない。
氷河から流れ出す川に架かる木の橋を渡ると、トレイルは一変して荒々しい岩場のアルペンルートとなった。 ブラン氷河の左岸を高巻くようにつけられたトレイルをしばらく登ると、軍隊の訓練なのか、揃いの迷彩服を着て大きなザックを背負った若者達が20人ほど賑やかに下ってきた。 果して彼らも山頂を踏んできたのだろうか?。 壊れた山小屋の跡を右手に見送り、雪解けで出来た池の脇を通ると間もなく、右手の岩壁の上に中間地点となるグラシエ・ブラン小屋(2524m)が見えた。 石造りの立派な山小屋は、周囲を荒々しい針峰群に囲まれた絶好のロケーションに恵まれ、山小屋のテラスは盛況だった。 意外にも氏はここで20分ほどの長いティータイムをとった。
左の足下にブラン氷河を見下ろしながら、赤茶けた岩肌のアルペンルートを登っていくと、天気はまた崩れ始め、グラシエ・ブラン小屋から30分ほど登った所でとうとう雨が降りだし、その直後に雹に変わった。 幸い風がなかったので傘をさして登ることにした。 雹はすぐにまた冷たい雨に変わり、エクラン小屋まで降り続いた。 ダビット氏はよほど雨が嫌いとみえ、私達が遅れていることを承知でどんどん先へ行ってしまった。 しばらく登った先でアルペンルートは終わり、氷河上の踏み跡のトレイルとなった。 その取り付きで氏は私達を待っていたが、最後尾を歩いていた私の姿を確認すると、また一人でさっさと傾斜の殆どない氷河の右端の踏み固められたトレイルを登って行ってしまった。 氏も3回の山行で私達の技量が分かったのだろう。 氏が先に行ってしまったので、今回こそはマイペースで登ることにしたが、雨や霧で閉ざされた視界の中を進んで行くと、“今日もこんな天気では明日のアタックも駄目かな〜”とつい憂鬱な気持ちになり、足取りはさらに重たくなった。 取り付きから約30分、距離にして1.5kmほど氷河の上を歩いた所で右に折れる踏み跡があった。 標識はなかったが、すぐにそれがエクラン小屋への分岐であることが分かった。 氷河から再びアルペンルートへと戻り、標高差で100mほどの急坂を最後の力を振り絞って登る。
pm5:00、駐車場から約4時間で堅固な石造りのエクラン小屋に着いた。 悔しいことに山小屋に着いた途端、雨がやんで薄日が射してきた。 霧の中にガイドブックの写真で見たバール・デ・ゼクランらしき山の雄姿が微かに見えたが、すぐにまた霧の中に消えてしまった。 この山小屋の独特のルールなのだろうか、荷物は食堂の入口の棚に置き、部屋の中に持ち込んではいけないという。 乾燥室がないので一服する間もなく濡れた衣類を乾かす手だてを探したところ、先客たちが階段の壁に張りめぐらされていた暖房用の細いパイプに、濡れた衣類を工夫を凝らして干していたので、私達もその残った僅かなスペースを借りてズボンやヤッケ、スパッツ、手袋等の衣類を乾かすことにした。
1時間ほど濡れた物の後始末に追われた後、ようやく食堂で一息つくことが出来た。 私達同様に初めてこの山に登るダビット氏は食堂の片隅の壁に貼ってある山の地図と睨めっこをしていた。 テーブルの上に置かれていた雑記帳に、田村さんや他の日本人の名前を探してみたが、残念ながら日本語の文字を見つけることは出来なかった。 いつものように私達の足跡を雑記帳に残した。 先ほど一瞬だけ陽が射したものの、窓の外は再びモノトーンの世界になってしまった。 明日のアタックのことを考えると心まで曇りがちになってしまうが、“最高峰のモン・ブランを登り、イタリアまで足を延ばしてグラン・パラディゾにも登れたのだから、今回のアルプス山行は大成功だ。 また、バール・デ・ゼクランもB.Cの山小屋まで来れたじゃないか”と気持ちを切り替える。
pm7:00の夕食の時間となり、70人ほどの宿泊客で食堂は満席になったが、予想どおり日本人は私達以外にはいなかった。 野菜スープの次に配られたメインディシュは、汁の多いチキンカレーのようなものだったが、お腹の調子が良くなってきたようで、結構美味しく食べられた。 デザートはリンゴかオレンジのいずれかだったが、まず山小屋の若いスタッフが、その果物で“お手玉”の芸を披露して場を盛り上げ、果物が入った籠を片手にお客さんの注文を聞くと、籠の中からリンゴやオレンジを取り出して高く放り投げ、注文したお客さんが上手にキャッチすると、周囲から再び拍手や歓声があがり、外の天気とは反対に食堂は大変楽しい雰囲気に包まれていた。
夕食が終わると、ダビット氏が「駐車場からここまでどの位かかりましたか?」と意外なことを聞いてきたので、「4時間くらいで登りましたが・・・」と答えた後に、すかさず「ガイドブックでは5時間となっています」と付け加えておいた。 私も何かインスピレーションを感じてか、唐突に「宿泊客の中に誰か知っている人はいますか?」と氏に訊ねてみると、後ろを振り返って「あの背の高い人はスイス人のガイドで、私が知っている唯一の人です」と、指をさしながら教えてくれた。 また明日はam3:00から朝食が始まり、am4:00頃に出発するとのことだった。 pm9:00前に就寝したが、疲れが溜まっていたのか、明日の心配をする間もなくすぐに深い眠りに落ちた。
9月1日am3:00、すでに起床してベッドの上で身支度を整えていたが、軽やかな音色の音楽が寝室に流れると同時に山小屋のスタッフがわざわざ起こしに来てくれた。 窓から外を見ると星が瞬いていた。 “これなら今日は行けるぞ!”と思いながら足取りも軽く食堂に行くと、すでにダビット氏は朝食を食べ始めていた。 前回のモン・ブラン登山の汚名返上にと、まだ自信はなかったが、“今日は調子がいいですよ”と親指を立てて氏にアピールした。 山小屋の宿泊代等の支払いは氏がやってくれたが、フランス山岳会に所属している氏の分が割引になっているため、3人で92ユーロ(邦貨で約11,000円)だった。
am3:40にアンザイレンしてエクラン小屋を出発。 山小屋の入口での気温はなんと10度もあった。 憧れの山に登れる幸福感と緊張感で胸が一杯だ。 星空だが気温が高いせいか空気が重たく感じる。 このところの不順な天候を考えると、今日は御来光や快晴の天気といった贅沢な願いは叶えられそうもない。 昨日登った山小屋への岩場を100mほど下り、ブラン氷河への取り付きへと降り立つ。 帰路は山小屋には寄らないので、傘や着替え等の荷物を岩の隙間にデポし、am3:55に取り付きを出発した。 ブラン氷河の突き当たりに目指すバール・デ・ゼクランのシルエットがはっきり見えたが、その神々しい頂はまだ遙か遠くに感じた。 氷河上のトレイルは殆ど傾斜がなく、ダビット氏は普通に歩くようなペースでどんどん飛ばす。 前方にはヘッドランプの灯は殆ど見られず、先行しているパーティーは少ないようだ。 コースタイムは4時間なので、たぶん氏はそれよりも早く登ってしまおうと目論んでいるに違いない。 氷河上にはクレバスが多いものの、氏は何故かザイルを伸ばさなかった。 お腹が冷えないようにと、万全を期してアンダータイツを履き、さらに雨具のズボンまで履いてきたが、風が全くないためとても暑く感じる。 歩くペースが速いため、すぐに汗をかき始めてしまった。 途中、妻のヘッドランプの灯が電池の消耗で消えてしまったが、ペースを維持するために月明かりを頼りに電池を交換せずに進んだ。
am5:00、歩いても歩いても永久に近づかないと思えたバール・デ・ゼクランの純白の北壁もようやく眼前に迫るようになり、1時間ほどのブラン氷河の単調な登高も終わりを告げ、氷河からせり上がっている北壁の急斜面への取り付きでアイゼンを着けるための休憩となった。 ここから見上げたバール・デ・ゼクランの北壁はとても素人が登れるようには思えないほど急峻だった。 念のため征露丸を2錠飲んで10分ほどで出発した。 ストックをピッケルに持ち替え、北壁の左の端から取り付いて急な斜面をジグザグに登り始める。 いよいよバール・デ・ゼクランの懐に飛び込んでいく感じだ。 最悪だった一昨日に比べて体は全く軽く、一歩一歩の登りが楽しく感じられる。 下からはずっと急に見えていた斜面も所々で傾斜を緩め、いつものようにダビット氏のペースもその都度遅くなった。 昨日食堂で見た大柄なスイス人のガイドと男性客1人のマンツーマンのパーティーが、私達の脇を追い越して行った。 30分ほど登ると北壁全体が視界に入らないほど大きくなり、トレイルは右に反転して少しトラバースした後、再び小刻みにジグザグの登りを繰り返していった。 足下のブラン氷河には、後続のパーティーのヘッドランプの灯が点々と見える。
しばらく登った所にあった僅かな平らなスペースで5分ほどの短い休憩をした後、再び急斜面となったトレイルをひと登りすると、頭上にある不気味なほど長いベルクシュルント(大きなクレバス)を避けるため、北壁の右端にある支峰のドーム・ド・ネージュ(4015m)とのコルに向けての長いトラバースに入った。 先ほどまでの急峻な斜面からは想像出来ないような、平らなテラスのような所につけられたトレイルは、部分的には緩く下っていて、まるで天国への道のように思えた。 私達もゆっくり歩いていたが、先ほどのスイス隊はさらにゆっくり歩いていたので、再び私達が先行することになった。 足元の雪の色は純白からほんの少しだけピンク色に染まり始めた。 時計を見るとam6:30だった。 間もなく夜は明けるが、運が良いことに今のところ風はなく、天気の急変もなさそうだったので、今日も憧れの頂に立つことが出来るのではないかと思うと、にわかに心は軽くなった。
15分ほどで幸せな長いトラバースは終わり、左に大きく反転して少し登った所で支峰のドーム・ド・ネージュとの分岐に着いた。 前方にはナイフエッジの稜線が続いているが、意外にも明瞭なトレイルが右手のドーム・ド・ネージュの方に見られ、その頂にはすでに数名の登山者の姿が見えた。 ダビット氏はそちらには目もくれず、トレイルの無いナイフエッジの稜線の先へと進んだ。 いったんコルまで下って少し登り返すと、前方には垂直に近い雪と岩のミックスになっている岩塔がまるで仁王のように立ちはだかり、行く手を塞いでいた。 氏は私達に「ここから先のルートはとても困難で、山頂まで休憩することが出来ないので、ここで充分に準備しなさい」と指示すると、ザイルを長く伸ばして岩塔のルート工作に向かった。
am6:50、ダビット氏が岩塔への取り付き方を模索している間、思いがけずイタリアの方角からの素晴らしい御来光を拝むことが出来た。 周囲を見渡すと、標高3000m位の所には分厚い雲の絨毯が隙間なく敷かれ、私達のいるエクラン山群の峰々の頂稜部だけが雲の絨毯を突き破って顔を出していた。 遙か北東の方角に唯一悠然と雲海に浮かんでる山のシルエットがはっきりと見えたが、それは紛れもなくモン・ブランの雄姿だった。 全く期待していなかった御来光や、眼前の素晴らしい風景が今までの不運を全て忘れさせてくれた。 行動食を頬張りながら写真を撮り、図らずもとても贅沢な休憩時間となった。 一方、10分が過ぎても未だ氏はルートを見い出すことが出来ずに思案している。 相棒の妻は行く先を心配し、「ここまで来れただけで充分だから、山頂は諦めて下山しましょう」と私に訴えたが、私は頑としてそれを撥ねつけ、「クライマーとしての氏の腕前を見ようじゃないか、こうなったら高見の見物だ!」と言い放って妻の提案を受け流した。 本当は私も妻と同様に眼前の絶景を見て充分に満足していたので、ここから下山することになっても不満はなかった。 その時、どこで休憩していたのか、先ほど追い越したスイス隊が後ろから追いついてきた。
スイス隊のガイド氏は何回かこの山を経験しているのか、ダビット氏に声を掛け、自分の客を私達の傍らに残すと岩塔の方には行かず、躊躇なく確保もしないまま岩塔の基部を左から回り込み、新雪の脆い切り立った急斜面を絶妙なピッケルさばきとアイゼンワークで斜めに登って行った。 すぐ下には先ほど見たベルクシュルントが大きな口を開けているので滑落は絶対に許されないが、その足の運びはまさに芸術的であり、あらためてアルプスのガイドの技術の高さに感心させられた。 男性客と私達二人が固唾を飲んで見守るなか、ダビット氏もそれに続き急斜面を登り始め、二人のガイド氏により即席のトレイルが作られていった。 スイス隊のガイド氏は20mほど先の僅かに雪の中から露出していた岩の所まで登ると後ろを振り返り、自分の客に向かって登ってくるように指示した。 ダビット氏に続き男性客が二人のガイド氏がいる所まで登ると、今度は私達が登る番となった。 氏に確保されているとは言え、余りの危なさに妻も尻込みし、「もう止めて帰ろうよ」と再度私に迫ったが、私は再び軽く受け流し、登攀ルートも知らないくせに「ここだけクリアー出来ればあとは問題ないと思うよ」とそそのかして嫌がる妻を駆り立てた。 氏らが作ってくれたトレイルを辿るが、60度位ある急な斜度と新雪の脆さに思わず腰が引ける。 帰り(下り)はどうするのかと、先のことまで心配せずにはいられなかった。 冷や汗をかきながら氏のいる所まで登ると、雪で覆われていた岩の基部に確保用の小さな支点が一つ設けられていた。 通常ここには雪がつかないところなのだろうが、昨日降った雪がトレイルをすっかり消してしまったようだった。
山頂までは標高差であと100mほどだ。 ナイフエッジの雪稜の左側の新雪の急斜面に先行しているスイス隊がトレイルをつけ、私達もそれに追従して登る。 所々でミックスの岩場に取り付くが、こちらも手掛かりが少なく非常に登りにくい。 岩に付いている雪を手で払って手掛かりを作る。 先日のロッククライミングの経験が少しは役立ちそうな気がする。 1ピッチずつ氏が先行して確保するまでの間が、ささやかな休憩時間となった。 高度感溢れるナイフエッジの雪稜に爽やかな朝日が正面から当たり始め、また不思議と風は全く感じられなかった。 指呼の間に見える頂は雲海に“影ゼクラン”となってそのシルエットを投影し、いたる所で虹ともブロッケンとも言えない不思議な7色の模様が雲海に描かれている。 こんな自然と偶然が創り出したこの世のものとは思えない芸術的な風景は、二度と見ることは出来ないだろう。 妻と二人で眼前の絶景に心を奪われ、最後に素晴らしいプレゼントを私達に用意してくれたアルプスの山の神に感謝した。
アルプスの山らしい刺激的な登攀を何ピッチか繰り返し、ようやく憧れの頂が目線の高さになってきた。 足下を見ると次々とガイドレスのパーティーが登ってくるが、皆一様に支峰のドーム・ド・ネージュに登ってこちらを眺めているのが良く分かる。 意外にも山頂直前では稜線漫歩となり、すでに山頂に到達しているスイス隊の二人の姿と十字架が見えてくると、不意に目頭が熱くなってきた。 最後の一歩まで足元に集中し、am8:10に万感の思いを込めてアルプスでの10座目の頂となるバール・デ・ゼクランの頂を踏んだ。 「お疲れさま〜!、やったね〜!、おめでとう!」。 私のわがままに最後まで付き合ってくれた妻を後ろから抱擁し、労いの言葉をかけた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!、ありがとうございました!」。 ダビット氏と両手で力強く握手を交わし、猫の額ほどの狭い山頂に一番乗りした“恩人”のスイス隊のガイド氏と男性客の二人とも相次いで握手を交わした。 エクラン小屋からは4時間30分の登攀だったが、ここに辿り着くまでの道のりの長さを思うと、感激はひとしおだった。 爽やかな快晴の絶頂からの視界は360度に拡がったが、見渡す限りの雲海で下界は全く見えず、周囲を取り巻く尖峰群だけが自己の存在を誇示するかのように雲海を突き破り、天に向けてその矛先を突き立てている。 筆舌に尽くし難いほどの素晴らしい景観に、ただ圧倒されるばかりだった。 仏語で“宝石箱の閂(かんぬき)”を意味するユニークな山名の由来も分かるような気がした。 氏に二人の記念写真を撮ってもらい、急いで周囲の絶景をカメラに収めた。 氏に促されるまでもなく、下山のことを考えるとこの頂に長居は出来ないことは素人の私にも分かっていたので、心の準備はすでに出来ていた。 私達と入れ替わりに下山していったスイス隊のガイド氏もよほど慌てていたのだろう、ピッケルを山頂に忘れていったので、ダビット氏が稜線を走って恩人の元に届けた。 氏の合図と共に、私達も僅か5分ほどで思い出深い頂を後にして下山にかかった。
僅かの間だったが、さんさんと降り注ぐ陽光に暖められた新雪はさらに脆くなり、予想どおりナイフエッジの雪稜の下降は困難さを極めた。 3ピッチ目からは私が先頭になり、ダビット氏に後方で確保されながら下る。 微かに露出した岩を手で掴みながら、足場を一歩一歩確かめ、後ろに続く妻のために足場を踏み固めながら下るため時間がかかる。 万が一私が滑落しても氏は止められるだろうが、精神的ショックと下から這い上がってくる余力がないことは目に見えているので、この上なく慎重に下った。 意外にも途中で3組のパーティーが登ってきたが、いずれもガイド氏とのマンツーマンだった。 最後のパーティーとすれ違ってからは、もう支峰のドーム・ド・ネージュの山頂には誰もいなくなっていた。
登りと同様に山頂から1時間以上を要して、先ほどの確保支点の所に着いた。 予想どおりここからはコルに下らず(下れず)、懸垂下降で先の見えないオーバーハングとなっている急斜面を下ることになった。 ダビット氏は「ザイルを両手で掴んだまま、決して離さないように下りなさい」とだけ私に指示した。 懸垂下降は私の得意科目だったが、行く先の分からない恐怖と、すでに使い切っていた腕力に自信が持てなかったので、思わず口から「ノー」という言葉が出てしまった。 すかさず氏が「アーレー(早く行け)!」とハッパをかけてくる。 時間がないのだ。 私もここで悩めば悩むほど恐怖が倍増してくると思い、心の中で「バカ野郎!」と叫び、脇を締めて必死にロープにしがみつきながら垂直に近い急斜面を下っていった。 ATC(確保器)を使わない、いわゆるロアーダウンのため、自分で制動を調整することは出来ない。 10mほど下った先のオーバーハングしている雪庇の縁から、ヤケクソ気味に空中に飛んだ。 体重が一気にザイルにかかり、勢い良く崖の下に落ちて宙吊りとなった。 頭上に雪煙が舞い、氷の破片がパラパラと背中を通過して行く。 振られた勢いで目の前の岩に右肘をおもいっきりぶつけたが、氏に言われたとおり絶対にザイルだけは離さないようにした。 落下の衝撃でメガネが落ちなかったことが幸いだった。 気を取り直して下を見ると、何と5mほど下にはベルクシュルント(大きなクレバス)が大きな口を開いて私の体を飲み込もうとしていた。 先行したスイス隊のものと思れる踏み跡がクレバスの縁から雪面に印されているのが見えた。 すでに視界から消えた氏にはこの状況が分かっているのだろうか?。 宙吊りになっている体を上手く振りながら、何が何でも雪面の縁に着地しなければならないと思い、ザイルに少しだけ体重を預けた瞬間、ザイルはいきなりスーッと伸びてあっという間に雪面の縁を通過し、そのままクレバスの中に突入してしまった。 外の明るさや暖かさとは無縁に、クレバスの中は真っ暗で恐ろしいほど寒かった。 ダビット氏がこの状況を分からず、更にクレバスの奥に入り込んではたまらないので、大声で「UP!、UP!」と狂ったように何度も叫んだが、上からの応答は無かった。 氏がザイルを引き上げることは出来ないので、ザイルを掴んで無我夢中で上へ攀じ登り、崩れそうな雪面の縁にしがみついて必死に這い上がり、10mほど四つん這いになって進んだ所でようやく恐怖から解放され、そのまま座り込んでしまった。 一服する間もなく、上からダビット氏が「(早く)ザイルを解きなさい!」と叫ぶ。 火事場の馬鹿力を出し切ったばかりなので、手先がもつれてなかなか解くことが出来ない。 氏がザイルを回収すると今度は妻の番となったが、妻も私同様下りることをためらっている。 「大丈夫だから、頑張って!」と妻に向かってエールを送ったが、クレバスには近づけないので、固唾を飲んでただ見守るしかなかった。 妻もやはりオーバーハングの下降で相当な衝撃を受けたようで、「キャ〜!」という叫び声と共に、妻の身代わりに愛用の高所帽がクレバスに吸い込まれていった。 そして妻も私同様にクレバスの中に落とされたが、幸いにも雪面に手が届く所だったので、何とか自力で這い出すことが出来た。 短い時間だったが、素人の私達にとって決して忘れることの出来ない恐怖の体験だった。 その後氏がどのようにして下りて来たのかを見守る余裕もなく、自分達の無事を妻と喜び合った。
しばらくしてダビット氏が何事もなかったように私達の所に現れ、再びアンザイレンした後、氏を先頭に緩斜面をゆっくりと下り始めた。 氏は長いトラバースの途中でトレイルを外すと、再び私に先頭に行くように指示した。 氏の指示に従って足下のブラン氷河に向かって新雪の急斜面を膝までもぐりながらどんどん下り、40分ほどで平らなブラン氷河の源頭部に降り立った。 後ろを振り返り、バール・デ・ゼクランの純白の北壁とそこに描かれたベルクシュルントの姿を写真に収めたが、あの巨大なクレバスの中に落ちたことが未だに信じられず、素人がよくこんな凄い山の頂を踏めたものだと我ながら感心した。 強烈な陽射しにより氷河上の雪が腐って歩きにくいが、もうこれから先は何の心配も要らないので、今日の登頂の成功と今回の山行の余韻に浸りながら至福の時を過ごす。 トレイルの脇には所々に山頂を踏ま(め)なかった登山者達が日向ぼっこをして山を眺めていたが、その前を通る毎に何か誇らしい気持ちで一杯だった。
am11:00、エクラン小屋への分岐に着くと、すでにバール・デ・ゼクランの頂は白い雲のベールに隠されて見えなくなっていた。 ザイルが解かれ、アイゼンを外す。 デポした荷物を回収して15分後に出発した。 水筒の水も無くなり、足元の雪を摘んで口に入れる。 ブラン氷河をさらに下ると空模様は急に怪しくなり、その後太陽を拝むことはなかった。 1時間後に到着したグラシエ・ブラン小屋で注文したコーラを一気に飲み干した。
駐車場のあるセザンヌ小屋まではダビット氏と別行動とし、今回のアルプス山行の思い出に浸りながらハイキングトレイルをゆっくり下った。 昨日ここを登っていた時は登頂は半信半疑だったので、今日の結果は本当に出来過ぎだった。 そして度重なる登山の延期や中止で頂を踏めない日々が続く中、結果的には目標にしていた4座のうち3座に登れたことで、大名山行の興行主の私の心も救われた。 pm1:50に登山口のセザンヌ小屋に着き、今回のアルプス山行の全てが終わった。
九十九折りの山道を30分ほど特急ダビット号に揺られた後、麓の町のレストランでささやかな打ち上げを行い、地元産のワインで祝杯をあげた。 レストランに着いたとたんに雨が降り出したが、恐らく今日の特異な気象状況から推して、麓の町では一日中陽が射さなかったのではないだろうか。 pm3:00過ぎにダビット号はシャモニに向けて出発した。 氏には申し訳なかったが、後部座席の妻はもちろんのこと、助手席の私も疲れと満足感から何度となくウトウトと眠ってしまった。 一時は雨も本降りとなったが、ダビット号はひるむことなくノンストップで激走し、まだ明るさの残るシャモニにpm6:45に着いた。
その足で今回の山行の精算をするためスネルスポーツに行ったが、神田さんは不在だったのでダビット氏にホテルに送ってもらう。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!、スィー・ユー・アゲイン!」。 山のガイドのみならず、山に登れない日にもクライミングの手ほどきをしてくれたり、長距離の運転も快く引き受けてくれたダビット氏にあらためて感謝の気持ちを伝えて50ユーロのチップを手渡した。 ホテルの前で別れを惜しみながら再会を誓って力強く握手を交わし合ったが、過去に2週間も連続してガイドを依頼した変な客(特に東洋人)はいないだろうから、氏も私達のことを決して忘れることはないだろう。 妥協を許さない厳しいガイドだったが、あらためて私にアルプスの山の様々な楽しみ方を教えてくれたような気がした。 また、数少ない好天を見事に拾い当て、山頂に導いてくれた氏の眼力には敬意を表さずにはいられなかった。
ホテルから神田さんに電話を入れると、今日は家の用事で忙しくまだ請求書が出来ていないので、明朝私達が出発する前にホテルを訪ねてくれるとのことだった。 帰りの荷物を少しでも軽くするため、最後の晩餐は持参した食料の余りを自炊したが、憧れの山々に登れたことで心は充分に満たされていた。 明日は出発が早いのでフロントでチェックアウトを済ませ、土産物で膨らんだ荷物の整理をしていると、もう日付が変わりそうな時刻になっていた。