モン・ブラン(4810m)

  そうこうしているうちに日付は変わり、am1:45に起床して、とりあえず身支度を整えて食堂へ行った。 体調の悪さとは反対に、外は風もなく満天の星空であった。 出発する時間帯に合わせて朝食を出しているのであろうか、食堂では昨晩のような混雑は見られなかった。 パンを食べ始めようとすると、再びトイレに行きたくなってきた。 前回はam3:00頃に出発という予定だったので、今日もそのつもりでいたが、登山者が多いためか氏は少しでも早く出発したいという様子であった。 氏の思惑に反することは分かっていたが、背に腹は代えられないので、氏に今の自分の体調のことを説明して、しばらく様子を見させて欲しいと申し出た。 私は迷っていた。 果してこの体で山頂まで辿り着くことが出来るのだろうか?。 今の状況ではすぐに下痢は治りそうもないし、もし途中で私が潰れたらザイルで繋がれている妻も一緒に下りなければならない。 妻に氏とマンツーマンで登ることを提案してみたが、案の定妻は一人では登りたくないという。 しばらく悩んだ末、祈るような気持ちで征露丸を飲み、イチかバチかam2:50にアルプスの最高峰の頂を目指して出発することにした。

  山小屋の裏手を20mほど登ると、意外にもエギーユ・デュ・グーテの山頂は広く平らであった。 ここからモン・ブランの山頂まではずっと尾根上を登ることになるので、登頂の成否は風の有無に大きく左右されるが、有り難いことに風は今のところ全くない。 どうやらまだ運があるようだ。 しかしお腹に大きな爆弾を抱えているため油断は禁物である。 しばらくは稜線を緩やかに登り下りするだけの全く楽な登高であったが、体に思うように力が入らず、前を歩く妻と私を繋ぐザイルは弛むことがない。 登る前から予想されてはいたものの、憧れの山を目の前にして本当に情けない限りだ。 妻にも迷惑をかけるが、夢の実現に免じて許してもらおう。 そんな状況は全くお構いなしに、いつものようにダビット氏は私達をグイグイと引っ張って行く。 出発が少し遅れたため、すぐ前方にヘッドランプの灯はないが、だいぶ先から山頂方面に向かってかなりの数の灯火が一列につながっているのが良く見える。 しばらく“稜線漫歩”した後、まるでスキー場のような幅の広い尾根を支峰のドーム・デュ・グーテに向かって直登するトレイルとなった。 お腹のことだけを気にしながら、弱々しい足取りで登っていくと、すでに登頂を諦めたのであろうか、私達の傍らを単独行者がポツリポツリと下ってくる。 一瞬彼らの姿に自分をダブらせる。 半月が頭上でこうこうと輝き、満天の星空の下、正面には不気味なほど大きく威圧的な山塊のシルエットが私達の挑戦を拒むかのように立ちはだかっている。 それとは対照的に左手の遙か足下には、シャモニの町の明かりがキラキラと輝いていた。

  ちょうど1時間ほど登った時、右手の暗闇の中にぼんやりと山小屋のようなものが見えた。 中間地点にあるヴァロの避難小屋であろうか?。 いや、いくらなんでも早すぎる(後で妻に聞いてみたが、妻には全く見えなかったという)。 頭に酸素が回らず、幻覚でも見ていたのであろうか?。 トレイルは少し傾斜を増し、単調なジグザグの登高を繰り返すようになり、am4:20に最初の小広いピークで休憩となった。 ここがドーム・デュ・グーテ(4304m)の山頂であろうか?。 先行していた何組かのパーティーもここで休憩していた。 足を止めてもすぐに荒い呼吸は収まらず、しばらく顔を下に向けてストックにもたれかかるような姿勢で呼吸を整える。 朝食を殆ど食べていなかったので、行動食をテルモスの熱い紅茶で流し込んだ。

  5分ほどの短い休憩の後、しばらく緩やかにだらだらと下り、左斜め上に露岩を仰ぎ見ながら再び幅の広い尾根を20分ほど登り返して平らな広場のような所に着いた。 私のことを気遣ってくれたのか、先ほど休憩したばかりなのに、ダビット氏はまたここで「何か食べたり飲んだりしますか?」と私達に聞いてきた。 もちろん二つ返事で賛成し、再び束の間の休憩となった。 気が付くとすぐ左の脇に“本物の”ヴァロの避難小屋が建っていた。 am4:55、グーテ小屋を出発して約2時間が経過していた。 ガイドブックによれば、この辺りが中間地点であると記されている。 征露丸のゲップが続き不快感この上ないが、どうやら下痢は収まってきたみたいだった。 しかし体に力が入らない状態は相変わらず続いている。 気温はマイナスの10度だった。 一服し終わると氏は私達に「ピッケルを手に持ちなさい」と意外なことを指示した。 確か昨日登頂された方の話では、山頂までピッケルを使わなかったと聞いていたし、目の前の斜面を見る限りピッケルは必要ないんじゃないかと思われたからだ。

  ヴァロの避難小屋の前を出発すると、ダビット氏は正面に見える緩斜面を登らずに、すぐに左の方へ回り込んで行った。 そのとたんトレイルは急に細くなり、氏のつけた足跡がトレイルとなった。 間もなく急な斜面に取りつくと、氏は今までとは明らかに違う速さで駆け上がって行った。 すでにバテ気味だった私の体は悲鳴をあげた。 荒かった息はますます荒くなり、氏のペースに全く足がついていかない。 しかし氏は全くお構いなしに、もの凄い馬力でグイグイとザイルを弛ませることなく私達を引っ張り上げる。 左手でストック、右手でピッケルを交互に雪面に突きながら、お腹のことを心配する余裕もなく、無我夢中で脆い深雪の急斜面を直登気味に登った。 20分ほど喘ぎ喘ぎ登ると、また平らな広場のような所に出たが、右手の方にヘッドランプの灯がいくつか見えた。 暗いので正確なことはことは分からなかったが、氏は巻き道を使ってショートカットしたようにも思えた。

  am5:30、“本線?”と合流した所で再び休憩となった。 先程と同じ5分ほどの短い休憩ではあったが、疲労困憊している体に腹式呼吸で酸素を送り込む。 すでに標高は4500m位になっているはずだが、幸い高度障害は全くなく、妻は羨ましいほど元気であった。 再び僅かに下った後、登り返してなだらかなピークを一つ越えて更に少し下ったコルで、何とすぐにまた4回目の休憩となった。 やはりダビット氏は私の体調を気にしてくれているのであろうか?。

  長かった夜に終止符が打たれ、辺りがようやく白み始めてきた。 相変わらず風もなく、どうやらアルプスの山の神に歓迎されたようだ。 見上げると、雪が禿げて黒い肌をさらしている岩壁の左奥に、今度こそモン・ブランの頂と思われる輪郭がうっすらと見えた。 黒い岩壁がすぐ右手に見えるようになると尾根は痩せ、次第にナイフリッジとなってきた。 時計を見るとちょうどam6:00だった。 「あと1時間で着くよ!」。 今日私が相棒の妻に言った最初で最後の励ましの言葉(励ます必要はなかったが)であった。

  山頂の向こう側が茜色に染まり始め、すでに眼下になっている周囲の針峰群越しに遠くスイスの山々のシルエットが浮かんできた。 その左端に見えた特徴のある山影は、紛れもなくヴァイスホルンだった。 昨年のドム登山の時に見た感動的な朝焼けのシーンの記憶が鮮明に蘇ってきた。 しかしそんな気持ちの高揚とは反対に、体はますます言うことをきかなくなり、顔を下に向けてストックとピッケルに体を預けたままの惨めな格好でダビット氏と妻にザイルで引っ張られて行く。 am6:30前に山頂直下のコルに着いた。 ここからはさらに“一方通行”のナイフリッジとなり、先行している沢山のパーティーで渋滞していたためペースは遅くなり、また所々で休むことも出来て本当に助かった。 ここではさすがに氏も前のパーティーを追い越そうとはしなかった。

  傾斜が緩み、サミッター達の姿が次々に見え始めた。 待ちに待った山頂である。 am6:45、グーテ小屋から約4時間の“苦行”の末、ほうほうの体で憧れのアルプスの最高峰の頂の一角に辿り着いた。 達成感や満足感といった爽やかな気持ちに浸る余裕は全くなく、ただひたすら何とか潰れずに辿り着けたという安堵感だけが頭の中を支配していた。 「ありがとう!、ありがとう!」。 声をふり絞り、お世話になった相棒の妻に感謝の気持ちを込めてお礼を言い、立っているのもやっとであったが、造り笑顔でダビット氏ともお礼の握手を交わした。 歩き回れば数分で大勢のサミッター達で賑わう山頂を一周し、アルプスの最高峰からの大展望を堪能することも出来た。 しかしすでに登りで体力を使い果たしてしまった私は、麓まで自力で下れるかどうか自信が持てなかったので、本能的に急いでザックからカメラを取り出し、一歩も動き回ることなく眼下に見えている針峰群の写真を撮った。 シャッターは切れたが、なぜかフィルムが巻き上がらなかった。 電池はもちろん新品であったが、寒さで性能が低下してしまったようだった。 温度計を見るとマイナス11度であった。 妻がすぐに懐中で電池を暖めたため、数分後には撮影可能となった。 その直後、周囲から歓声があがった。 皆が向いている方向に目をやると、遙か遠くに見えるマッターホルンの真上から小さな太陽がふわりと上がったのであった。 ちょうど御来光の瞬間だったことにあらためて気が付いたが、そんな劇的な出来事も心から味わう余裕も今の私にはなかった。 氏に二人の記念写真を撮ってもらった後、敬意を表して真のサミッターである妻の写真を撮った。 しかし私一人だけの写真はあえて撮らなかった。 今日の私にはその資格がないと思ったからだ。 夢にまで見た憧れのアルプスの最高峰からの景色を愛でることも出来ず、その頂にほろ苦い思い出を残し、am7:00ちょうどに下山にかかった。

  ダビット氏は“後は自分に任せなさい”と言わんばかりに私からカメラを取り上げると、私に先頭を行くように指示した。 その直後に氏は、登り下りのパーティーで渋滞している頂上直下のナイフリッジで、トレイルから左に一歩下がった切り立った急斜面にピッケルを突き刺して、先行するパーティーを追い越すように指示した。 氏の性格も充分に分かっていたので、特に驚くこともなかったが、今日ばかりは他のパーティーに足並みを揃えて下りたいと願った。 ナイフリッジを過ぎてしばらく下ると、背中に暖かい陽射しを感じるようになった。 突然目の前にピラミッドのような均整のとれた山が見えた。また幻覚であろうか?。 いや今度は幻覚ではなかった。 何と雲海のスクリーンにモン・ブランが影になって映っているのであった。 氏は早速私のカメラで“影モン・ブラン”の写真を撮ってくれたようだった。

  水色だった空の色は刻々と青くなり、シャモニに来てから一番の快晴の天気になってきた。 山頂から40分ほどでヴァロの避難小屋まで下りてくると気温も上昇し、ジャケットを脱いだ。 お腹のこともやっと心配する必要がなくなった。 避難小屋の前にはまだこれから登るパーティーの姿が何組も見られたが、時計を見るとまだam8:00前だったので、逆に彼らからは私達が早すぎると思われたかもしれない。 振り返ると爽やかな青空の下、アルプスの女王は白く輝き、登りの時に感じた凄味は全く感じられず、逆に敗北感に打ちひしがれていた私を優しく見送ってくれた。

  避難小屋からはダビット氏が先頭を代わり、再びペースは上がった。 下りはなんとかついていけるが、所々にある登り返しでは、とたんに足取りが重たくなる。 エギーユ・デュ・グーテ手前の最後の稜線漫歩を終えると、往きには全く気が付かなかったが、平らな山頂付近には20張りほどはあると思われる“テント村”があり、モン・ブランの人気の高さを再認識した。 テント村のすぐ脇を通り、すでに支峰に遮られて見えなくなった山頂方面を振り返り、いつの日かまたチャンスがあれば再訪してみたいという思いを馳せながら、グーテ小屋への雪の階段を下り、am8:50に無事グーテ小屋に戻ってくることが出来た。 未明に出発してからちょうど6時間が経っていた。

  絶壁にへばりつくように建っている山小屋の周囲にはテラスがないので、アイゼンを外して靴も脱ぎ、食堂で熱い紅茶を注文して、殆ど食べれなかった行動食を食べながらの大休止となった。 周りのテーブルではサミッター達が賑やかに祝杯をあげていたが、疲労困憊していた私は静かに目を閉じて頬杖をつきながら、ため息をついているばかりだった。 妻もさすがに疲れたようで、ぐったりとしている。 ダビット氏は相変わらず山小屋のスタッフ達と仲良く歓談していた。

  「スィー・ユー・アゲイン!」。 ひょうきん氏に別れを告げ、ダビット氏に促されてam9:45にグーテ小屋を出発した。 再度アンザイレンして私が先頭になり、急な岩場のトレイルを下る。 昨日の事故のことを肝に命じ、一旦緩んだ気持ちを再び引き締めて一歩一歩確実に下る。 先行しているパーティーが多く、トレイルが渋滞していたため、何組かのペースの遅いパーティーを氏の指示で無理やり追い越したものの、所々で休むことが出来て良かった。 幸いにも今日のグラン・クーロワールは機嫌が良く、落石の音は全く聞こえなかった。

  am11:15にテート・ルース小屋に到着してザイルが解かれ、カメラも解禁されて手元に戻ってきた。 昼食はもちろん看板料理のオムレツだ。 次の下りの登山電車の発車時間がpm1:25ということだったので、前回同様にニ・デーグルの駅で氏と待ち合わせることにして、私達は一足早く正午ちょうどに山小屋を出発した。 体調不良のまま、すでに山頂から標高差で1600m以上も下ってきているため、体はすでにボロボロであったが、登頂の余韻に浸る余裕もなく、まだ標高差で800mほど下の駅まで下らなければならない。 “今日は天気にも助けられ何とか登れたものの、こんな体で再び明日から山に登ることが出来るのだろうか?・・・”。 すでに私の頭の中では、明日からのバール・デ・ゼクラン登山に対する不安な気持ちがチラつき始めていた。 30分ほど下った所で後ろからダビット氏が追いつき、あっという間に追い越していったが、私には4日前に雨の中を惨めな思いでトボトボ下ったトレイルを、今日もまた意気揚々と下ることは叶えられなかった。

  最後は小走りでpm1:25発の登山電車にぎりぎり飛び乗ると、今日も車内は氷河見物の観光客で混み合っていた。 意外にもダビット氏は車内の僅かなスペースを見つけると、何のためらいもなくどっかりと床に座り込んだ。 さすがに今日は私をずっと引っ張り上げていたので、屈強な氏も疲れたのであろう。 私達もそれを見て、扉の近くに崩れるように座り込んだ。 妻も相当疲れているようだ。 20分ほど頭を垂れたまま目を閉じてベルヴューの駅まで揺られた後、運良く下りのロープウェイにも待ち時間なく乗れ、レ・ズーシュから氏の車に乗り込みpm2:15にホテルに着いた。 シャモニの町にも久しぶりに盛夏の陽射しが降り注いでいた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!」。 氏に2日間のお礼をあらためて言い、20ユーロのチップを手渡した。 明日は予定どおりam7:30にホテルに迎えに来てくれるとのことであった。

  部屋に戻るや着替えもせず、そのままベッドに潜り込んだ。 妻はしばらく休養した後、『グスタビア』に能田さんを訪ね、彼女のヘルメットを届けに行ったようだった。 能田さん達も今朝テート・ルース小屋を発ち、今晩はシャモニで盛大な打ち上げをする予定であろう。 私もその輪の中に乱入しようと密かに企てていたが、明日までに何とか体調を整えて、バール・デ・ゼクランという最後の憧れの頂に立つことだけを願い、心を鬼にしてベッドの中で静養することにした。 その甲斐あってか、夜になると嬉しいことに体が少し軽くなってきた。 食欲も出てきたので、『さつき』で夕食を食べた後、天気予報を見ることもなく早々に就寝した。


モン・ブランの山頂


山頂での御来光


山頂から見たモン・モディ(左手前)・エギーユ・ヴェルト(中央左)グランド・ジョラス(右端)


山頂から遠望したグラン・パラディゾ(中央奥)


山頂でダビット氏と


雲海のスクリーンにモン・ブランが影になって映る


中間点のドーム・デュ・グーテを見下ろす


プティト・ボス付近から見た山頂方面


ヴァロの避難小屋


ヴァロの避難小屋から見たプティト・ボス(手前)と山頂(左奥)


コル・デュ・ドームから見た山頂


エギーユ・デュ・グーテから見たエギーユ・デュ・ミディ(中央手前)とエギーユ・ヴェルト(中央奥)


グーテ小屋から見たエギーユ・ド・ビオナセイ


テート・ルース小屋から雪渓を下った所から見たエギーユ・デュ・グーテ


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