モン・ブラン(4810m)

  8月25日、予定より少し遅れてam7:50にダビット氏の車でホテルを出発。 夜中に雨が降ったようで、道路が濡れている。 先日通ったモン・ブラン・トンネルへの道を左に分けると、氏はハイウェイのような2車線の道を100km近いスピードで飛ばし、15分ほどでロープウェイの発着駅のあるレ・ズーシュの町に着いた。 車から降りると、意外にも氏はトランクの奥に入れてあったゴルファーが使うような大きな傘をザックにねじ込んだ。 まさか山頂まで持っていくことはないだろうから、初めから氏は登頂を諦めているように思えてならない。

  am8:15発のロープウェイに乗り込み、終点のベルヴュー(1790m)へ。 ロープウェイを降り、3分ほど坂道を下ると、小豆色をした2両編成の登山電車がすでに停まっていたが、出発はam8:40であった。 車内には昨日スネルスポーツでお会いした方がツアーコンダクターと一緒に乗っているのが外から見えたので会釈を交わしたが、意外にも他に日本人の姿は見られなかった。 登山電車の車窓からの景色を楽しみにしていたが、モン・ブランは霧に包まれ、かろうじてエギーユ・デュ・ミディの頂だけが厚い雲の上から時々顔を覗かせてくれるだけで、あとは辺り一面寒々しいモノトーンの世界であった。 また右手に見えるビオナッセイ氷河は、先日ブレヴァンの展望台から見たボソン氷河と同様に後退が著しく、その末端はまるで砂場のようであり、地球の温暖化が進んでいることがあらためて良く分かった。

  am9:00、終点駅のニ・デーグル(2372m)に到着。 ここから今日の目的地であるグーテ小屋(3782m)までは標高差で約1400m、ガイドブックによるコースタイムは4〜5時間となっている。 駅前から始まるトレイルは、ガレ場をジグザグに登り標高を無駄なく稼ぐものの、周囲には鮮やかな色の高山植物等は殆ど見られず、モノトーンの世界に拍車をかけていた。 天気が良くないせいか、先頭をいくダビット氏のペースは前回の登山のアプローチの時よりも速く、登り始めてからすぐに体が温まり、上着を一枚脱いだ。 しばらく登っていくと、先に出発していた日本人パーティーに追いついた。 「ソノママウシロニツイテノボリマショウ。オネガイダカラヌカサナイデネ〜」と、妻に話しかけるような口調で後ろから囁く。 しかし案の定願いは叶えられず、すぐに氏は追い越しをかけた。 「私達のガイドは体育会系で参りますよ!」と愚痴をこぼしながら、追い越し際に挨拶を交わす。 氏が日本語を知らないことをいいことに、「アプローチデヌカスカネ〜」と再び語尾を上げずに囁く。

  駅から休まずに50分ほど登り、古い避難小屋への道を左に分けた先の岩のゴロゴロした平坦な場所で5分ほど“休憩”した後、先ほどの日本人のパーティーと入れ替わりに、遙か頭上に小さく見える途中の山小屋(テート・ルース小屋/3167m)に向かってすぐにまた登り始めた。 岩尾根につけられたつづら折りの単調なトレイルは先程よりさらに急勾配となったが、ダビット氏のペースは変わらず、喘ぐほどではないが決して楽じゃない。 途中何人かの日本人が下ってきたので、登頂の成否を訊ねたところ、皆一様に天気には恵まれなかったが登頂出来たとのことであった。 “この天気で登頂出来たなら、明日も登頂だけは出来そうだ”と思うとにわかに嬉しくなった。

  岩尾根を登りきると、眼前に黒々とした岩肌のエギーユ・デュ・グーテ(3817m)が大きく立ちはだかり、その山頂付近には今日の目的地であるグーテ小屋が光って見えた。 雪渓をトラバースし、駅からの約800mの標高差を2時間足らずで登らされ、am10:50にテート・ルース小屋に着いた。 確か昨シーズンは改築中で使用出来ないと聞いていたが、山小屋の改築は未だに終わっていないようであった。 山小屋の看板メニューであるオムレツを氏にお願いして注文してもらう。 ガラスのボウルに入った温かい紅茶に砂糖をたっぷり入れて飲んでいると、大きな皿に盛られた巨大なオムレツが運ばれてきた。 ジャガイモ入りのオムレツの味は驚くほどではなかったが、日本人好みの味付けで美味しかった。

  昼食を済ませると、何故かダビット氏はすぐに出発しようとはせず、山小屋のスタッフとしばらく歓談していた。 「ココデユックリスルナラ、モットユックリノボレバイイノニネ!」と妻が愚痴をこぼす。 山小屋の入口で待機していると、意外にも氏からここでハーネスを着け、ヘルメットを被るようにとの指示があり、アンザイレンした後、正午ちょうどに出発した。 氏のザックから大きな傘は消えていた。 しばらく緩やかな雪渓の斜面を登った後、トレイルは岩場のアルペンルートとなり、落石が多い場所として悪名高い“グラン・クーロワール”と呼ばれる危険地帯に近づいた。 50mほどのザレ場をトラバースするのであるが、雪もなかったせいか全く危険な感じはしなかった。 ガイドブックによれば、落石を避けるために一人ずつ走るように通過するとも記されていたが、ダビット氏はザイルを解かず、終始上を見上げながら2〜3分で無事通過した。 結局落石もなく、意識しなければ全く気付かずに通り過ぎてしまうような所だった。 しかしとんでもない出来事がその後に起ころうとは知る由もなかった。

  岩稜のトレイルは登るにつれて険しさを増し、随所にワイヤーロープが出現するようになったが、ダビット氏は相変わらず全く休憩する気配もなく、先行するペースの遅い(普通のペースの)パーティーを次々に追い越していく。 グーテ小屋は指呼の間に見えるので、高度はすでに3500mを超えていると思われ、ここで頑張り過ぎると後で高山病になる心配がある。 たまらず妻が「モア・スローリー!」と氏にリクエストしたが、氏は「すでにグラン・パラディゾで高度順応しているから大丈夫ですよ」とつれない。 しばらくしてやっと5分ほどの休憩をもらい、水を飲んでカラカラに乾いた喉を潤した。

  pm1:50、ダビット氏に引っ張られ、テート・ルース小屋から2時間弱でグーテ小屋に到着した。 ジュラルミン製の板で外壁を保護している山小屋は、まだ時間が早かったせいかそれほどの混雑はなかった。 氏は山小屋のスタッフとは旧知の仲らしく、受付けをしながら話に花が咲いている。 スタッフの一人は大変ひょうきんな人で、まるで芸人のように女装や物真似をしてドタバタと食堂を歩き回り、宿泊客の笑いを取っていた。 氏に2階の寝室に案内されたが、室内は意外と暖かく、指定された寝場所も一人一畳位のスペースがあった。 また屋外にあるトイレの横にも別棟があり、山小屋全体で100人位は泊まれそうであった(ガイドブックには定員は80人であるが、多いときは200人まで泊めると記されている)。

  間もなく、下から抜きつ抜かれつしてきた先程の日本人のパーティーが到着し、食堂であらためて自己紹介をして雑談を始めたが、意外にも今夜ここに泊まり明日アタックする日本人のパーティーは我々2組だけのようであった。 鈴木さんというベテラン氏は、60歳を超えているという年齢もさることながら、6年前に患ったという癌で胃や食道の大半を切除したにもかかわらず、果敢にもアルプスの最高峰を目指してやって来られたということであり、その意気込みには、ただただ脱帽するばかりであった。 鈴木さんはガイドと同行した旅行会社のツアーコンダクターでモン・ブランにも何回か登頂経験のある浅井さんと一緒にアタックされるとのことであった。 ダビット氏から「夕食はpm6:00からです」と言われたため、寝室のベッドで横になり明日に備えて体を休めようとしたが、今日の疲れというよりは昨日の腕の疲れが全くとれてなかった。 周りを見渡すと、明朝の出発が早いためか、高山病で具合が悪いのか、屈強な外国人も結構静かに寝ているのに気が付いた。

  夕食の時間となり食堂に行くと、別棟の方からも沢山の宿泊客が押し寄せ、食堂はすぐに満席となった。 “ひょうきん氏”が相変わらず多様なパフォーマンスを披露し、高所の山小屋らしからぬとても楽しい雰囲気であった。 食事が配膳されるまでの間、日本で覚えてきた仏語の日常会話や単語をダビット氏に披露したり、簡単な日本語の単語を英訳したりして親交を深めようとしたが、氏はいかにもフランス人らしく、日本語の独特の響きを楽しんではいたものの、それを積極的に覚えようとはしていなかった。 メインディシュのビーフシチューはとても柔らかくて美味しかったが、高所で満腹に食べると体に悪いので腹八分目にしておいた。 夕食後、氏から「明日の朝食はam2:00からで、am3:00に出発します」との指示があった。 朝食から出発までに時間があるのは、用足しのこともあり非常に助かる。 念のため、最初の打ち合わせの時に希望しておいた、エギーユ・デュ・ミディへの縦走の件について氏に再確認したところ、「最近悪天候が続いているため、トレイルが荒れているので駄目です」とあっさり却下されてしまった。

  pm7:30、明日の準備をした後、早々にベッドに潜り込む。 気持ちの昂りと高度のせいで脈拍が少し速いのが分かる。 夜中に外のトイレに行くために山小屋を出ると、山には霧がかかり星も全く見えなかったが、3000m近く下の麓の町の夜景が驚くほど美しかった。


登山電車の終点駅のニ・デーグル


ニ・デーグル付近から見たエギーユ・ド・ビオナセイ


山頂付近にグーテ小屋が建つエギーユ・デュ・グーテ


グーテ小屋直下の岩稜のトレイル


  8月26日、am1:50起床。 殆ど眠れないと思っていたが2〜3時間は熟睡出来たので、眠さはそれほど感じなかった。 頭痛も全くなく、高所順応はOKだ。 腕の筋肉痛を除けば体調はすこぶる良い。 食堂に行くと、朝食(出発)の時間帯がそれぞれ違うためであろうか、席は空いていた。 ダビット氏はスタッフの一人と話をしている最中で、私の顔を見るなり冴えない表情で「バッド・ウエザー」と低い口調で言った。 ガッカリする間もなく、氏はさらに「これから嵐が通過するので、am5:00の時点で再度出発するかどうかを決めます」と付け加えると、朝食も食べずにスタッフ用の寝室に消えていってしまった。 心の準備は多少出来てはいたものの、氏の言動を見るかぎり今日のアタックはダメかもしれず、何ともやりきれない気持ちで一杯だ。 しばらく鈴木さん達と雑談をした後、起きていても仕方がないので私達も寝室に戻り、再び眠ることにした。 氏の予言どおり、しばらくすると大砲のような音をたてて突風が山小屋を揺らし始めたが、悪天候にもかかわらず何人もの猛者達が出発して行ったようだった。

  am5:00前に起きて食堂に行くと、ダビット氏が朝食を食べ始めるところだった。 氏は「まだ天気が悪いので出発は出来ません。 すでに出発した他のパーティーも登頂を諦めて順次戻ってくるでしょう」と言った。 外のトイレに用足しに行くと、氏が言ったとおり、吹雪の中をいくつものヘッドランプの灯が山小屋からすぐ上の所を下ってくるのが分かった。 そして間もなく疲労困憊し濡れ鼠になった猛者達が次々と食堂に入ってきた。 朝食を食べながら、氏は「最終的にはam8:00に山小屋に入る天気予報により、出発するか停滞するか、あるいは下山するかを決めます」と言った。 氏は朝食を食べ終えると、すでにアタックを諦めたかのように再び寝室に消えていってしまった。 私達の他、4〜5組の地元のガイドのパーティーも全て同じ行動をとるようだった。 私達も朝食を食べた後に再び寝室にて待機したが、気持ちの切り替えが出来ず、アタックする前から疲れてしまった。

  am7:30に再び食堂に行ってみると、窓の外にはまだ小雪が舞っていた。 決行か、それともやはり中止になってしまうのであろうか?。 am8:00前に山小屋のスタッフが何処かと電話で連絡をとったが、その内容を聞いてダビット氏ら地元のガイド達が下した決断は“今日は天候の回復が見込まれないため登山は中止します”という冷酷なものであった。 さらに氏は「明日以降も天候の回復が見込まれないため、山小屋で停滞せずにこれから下山しましょう」と私達に提案した。 鈴木さん達は滞在日があと2日しかないため、明日の天候の回復を祈って山小屋で停滞されるという。 氏は再び下山することを私達に強く促し、私達も決断を迫られたため、神田さんの意見を聞こうとしたが、生憎神田さんの携帯は何度かけても通話中であった。 多分この時間帯は、モン・ブラン登山の手配にでも追われているのであろう。 妻と二人で悩んだ末、不安定な天候の中を無理して登るよりは、快晴の頂を夢見て再びチャレンジすることを心に決め、氏の意見に従って下山することにした。

  am8:00、小雪が舞うなか山小屋の前でアイゼンを着けてアンザイレンした後、新雪の積もった滑りやすい岩場を下る。 後ろ髪を引かれる思いで山小屋を後にしたが、感傷に浸っている暇もなくダビット氏は先を急ぎ、登り同様先行しているペースの遅いパーティーは追い越すように、後ろから先頭の私にハッパをかけてくる。 下りながら、つくづく下(ホテル)で悠然と気長に天候の回復を待つことが出来なかった自分に腹が立ってきた。 グラン・クーロワールの手前でアイゼンをはずし、氏が先頭になり昨日同様上を見上げながら小走りで駆け抜け、グーテ小屋から小1時間でテート・ルース小屋に着いた。 ザイルが解かれ、山小屋で紅茶を飲みながら20分ほどゆっくり休憩した後、am10:30に再出発となった。 次の下りの登山電車の発車時間がam11:50ということだったので、「ここから先はマイペースで下ってもいいですか?」とダビット氏に提案してみたところ、珍しく快諾された。 氏は糸が切れた凧のように、どんどん先に下っていく。 下るにつれ雪は雨に変わり、次第に本降りとなった。 昨日とは違いガイドレスの日本人登山者が次々と下から登ってくる。 挨拶を交わしたり、エールを送ったりしながら何人かの人達に明日の天気の情報を聞いてみたが、皆一様に天気はあまり良くないという。 最後は傘をさしながら重たい足取りでam11:45に氏の待つニ・デーグルの駅に着いた。 雨にもかかわらず、駅から歩いてビオナッセイ氷河を見物に行ってきた観光客で登山電車は満員であった。 途中駅のベルヴューで下車し、pm0:20発の下りのロープウェイに乗り込むと、濡れ鼠になっている私達を気遣って声をかけてくれた日本人の方がいた。 ドイツに在住されているというその方も、「例年ドイツやスイスでは、8月の下旬から9月の上旬にかけてが一年で一番天候が安定する時期なんですが、今年は本当に異常ですね〜」と首をひねっていた。

  pm1:00、ダビット氏の運転する車でホテルに到着。 身も心もボロボロであったが、造り笑顔で氏にお礼を言い、20ユーロのチップを手渡して車を降りた。 ホテルに戻り着替えをした後、『さつき』に昼食を食べに行く。 「破天荒のため残念ながら今日モン・ブランにアタック出来なかったんですよ」と女将さんに愚痴をこぼしたところ、彼女からも「今年の夏の天気はここに店を出してから最も悪く、自分の知り合いの人を含め、モン・ブランに登れなかった人が大勢いるみたいですよ」と慰められた。 日本人客の出入りが多い『さつき』はスネルスポーツ同様、情報収集にはもってこいの所のようだ。

  昼食を食べた後、ガイド組合の天気予報を見に行くと、今日と明日の天気予報は同じで、朝方は陽が射すが、その後は曇って午後は雨となっている。 それでは万が一に賭けてグーテ小屋で停滞していた方が良かったのではないだろうか?。 深い霧の中に包まれたモン・ブランの方角を見て悔しがったが、もうあとの祭りだ。 ホテルに戻り、ベッドに横になりながら残り6日となった今後の登山計画についていろいろと考えた末、今回計画していた山のうち最も難易度が高いグランド・ジョラスは潔く諦め、バール・デ・ゼクランとモン・ブランの再アタックに的を絞ることにした。 また登る順番としては、最初にバール・デ・ゼクラン、次にモン・ブランということも心に決めたが、あとは何といっても天気次第だ。

  夕方、スネルスポーツへ山行の打ち合わせに行くと、神田さんも「今年の天気には全くお手上げだよ」と私を慰めてくれた。 先ほど決めた今後の計画について神田さんに説明を始めたところ、偶然にもタイミング良くダビット氏も来店したので、3人で打ち合わせをすることが出来た。 神田さんを通じて氏に「滞在日があと6日しかないので、出来れば明日からバール・デ・ゼクランを登りに行きたいんです。 そしてもし明後日の天気が悪く、アタックすることが出来なかった場合には、山小屋に連泊して翌日に再度アタックするという方法でいきたいと思います。 またモン・ブランについても同じ方法でいきたいと思いますが」という希望を話したところ、氏は「明日のみならず、明後日も天気がはっきりしないので、明日から山に行かない方がいいと思いますよ」と少々熱くなりかけている私をなだめるように提案した。 今回の失敗のこともあったので、仕方なく氏の意見に従って明日の出発はとりあえず見合わせることにし、明日のam8:00に神田さんから私に最終確認の連絡をもらうということになった。

  ホテルに戻り、夕食前にひと風呂浴びた後、pm8:45のテレビの天気予報を見ると、何と明日のシャモニ周辺の予報は晴れとなっていた。 余りの悔しさに1時間ほど放心状態となってしまった。 妻はそれとは全く関係なしに珍しく風邪をひいてしまったようで元気がなかった。 しばらくしてやっと我に返ったが、二人とも自炊する気力も失せてしまい、インスタントラーメンを流し込んで寝入ってしまった。


グーテ小屋で同宿した鈴木さん


テート・ルース小屋


山 日 記    ・    T O P