グラン・パラディゾ(4061m)

   8月21日、am6:30起床。 妻の話によると夜中に再び激しい雨が降ったようだ。 モン・ブランにも霧がかかっている。 am7:00前に2チャンネルで放送する天気予報では、午前中は不安定な天気だが午後には回復するとのことだった。 am8:00に神田さんからホテルに連絡が入り、正午にダビット氏がホテルに迎えに行くとのことだった。 また私が日本からA.P.J宛に送った山行計画書を紛失してしまったため、これからこちらに立ち寄るとのことだった。 やはり神田さんは忙しすぎるのだ。 今日(水曜日)は休日とのことで、ホテルのロビーでしばらく神田さんと歓談する。 神田さんは30年ほど前からこちらで暮らし始め、14年前に美智子さんと結婚し、現在は2人のお子さんがいるとのことだった。 スネルスポーツの月給は高くないが、A.P.Jからの収入もあるため、日本と比べて物価の安いこちらでは充分にやっていけるという。 また最近ではほとんど日本に帰られていないとのことだった。

   神田さんを見送り、出発までの間に町に何軒かある登山用品店を見て回った。 店で売られている登山用品は全般的に日本で売られているものよりシンプルで軽く、また必然的にアルプスの山や気候に合うものだった。 例えばオーバーパンツの類は少々高額だが、軽量で伸縮性のある丈夫な素材で作られており、日本でよく見かける薄い雨具の上下セットやカッターシャツ類は殆ど売ってなかった。 たまたま体にジャストフィットした薄手のフリースのジャケットを衝動買いしてしまった。

   正午にダビット氏がホテルに車で迎えに来てくれ、待ちに待ったグラン・パラディゾ登山に向けてシャモニを出発した。 間もなくイタリアとの国境にある全長11kmのモン・ブラン・トンネルの入口に到着したが、交通量は少ないのに何箇所かある料金所のゲートの前には車の列が出来ていた。 20分ほど待たされた後、トンネルに入るとその理由が分かった。 広くて立派なトンネルだが、数年前に大勢の犠牲者を出した事故のせいで制限最高速度は40kmで、車間距離も150mという電光掲示板の表示が繰り返し見られた。 後で神田さんに聞いた話では、トンネル内には監視カメラが設置されていて、1kmの速度オーバーにつき、1ユーロの罰金が課されるという。 渋滞の原因はこの徹底した安全措置のせいだった。 蒸し暑い(車にエアコンがないため)トンネルを抜けてイタリア側に出ると、天気はフランス側よりも良かった。

   意外にも鉄道と同じように国境の検問等は一切なく、車はモン・ブラン山群のイタリア側の麓にあるクールマイユールという小さなアルペンリゾートをかすめ、アオスタというイタリア北部の中堅都市の方向を目指し、殆ど信号機のない道を80〜90kmのペースで走る。 これから長期間お世話になるダビット氏とのコミュニケーションを少しでも図ろうと、片言にも満たない英語で、氏にアプローチをかけた。 まず氏の経歴等を訊ねたところ、山岳ガイドになったのは28歳の時で、それ以前はアルバイトをしながらアルプスの山々を中心とした岩登りに情熱を燃やしていたという。 そして今まで登った山の中での最高峰は、南米のアコンカグア(もちろん南壁)で、ヒマラヤの高峰群には余り興味がないという。 また冬から春にかけては、山スキーのガイドをしているとのことだった。 次に家族のことを訊ねたところ、奥さんと15歳の長男を筆頭に、12歳の次男と6歳の長女がいるとのことだった。 私からの質問が一通り済んだところで、今度はダビット氏から私の職業を聞かれたが、税務署に勤めているということを上手く伝えることが出来ず、氏は理解出来なかったようだが、“大変つまらない仕事”ということだけは分かってもらえたようだった。 ガイドの仕事から将来の夢、日常生活、趣味、食べ物のことに至るまで、氏に訊ねてみたいことは山ほどあるが、いつもどおり言葉の障害で上手く聞くことが出来ないので、話題を変えて明日アタックするグラン・パラディゾについて訊ねたところ、同峰には4回ほどガイド登山で行ったことがあるり、技術的に易しい山ということだった。 また最後にガイドをしたのは4年前で、その時はスキーツアーだったとのこと。 更にバール・デ・ゼクランについて訊ねたところ、意外にも氏は登った(ガイドをした)ことがないという。 逆に「何故バール・デ・ゼクランに登りたいのですか?」と氏に訊ねられたので、「日本の山で最も高い富士山の標高が3776mなので、それ以上に高いアルプスの4000m峰に憧れるんですよ」と答えたが、もちろんこれは100%正しい答ではなく、アルプスの山の写真集に載っていた同峰を見て、その雄姿に一目惚れしたことや、残念ながら4000m以下の山の情報がないことも付け加えたかった。

   しばらくするとダビット氏はガソリンスタンドに車を乗り入れた。 ガソリンを入れるのかと思ったが、そうではなく道を訊ねていた。 私の拙い英語を聞き取るのに気を取られていたのか、どうやら道に迷ってしまったようだ。 20分ほど来た道を引き返し、無事登山口へと向かう山道に入った。 山道を30分ほど辿り、pm2:30にポンという小さな集落の先にある登山口の駐車場(1960m)に着いた。 近くにキャンプ場があるせいか、山道の終点の駐車場には車が100台ほど停まっていて、傍らには立派なレストランもあった。 ダビット氏がレストランで軽く食事をするのをしばらく待ち、今日の宿泊地のヴィットリオ・エマヌエーレII世小屋(2732m)に向けて出発した。

   橋を渡り、15分ほど川に沿って平らな幅の広いハイキングトレイルを歩くと、樹林の中にジグザグにつけられたやや傾斜のきつい登りとなった。 トレイルはよく整備されていて、お年寄りや子供達もハイキングを楽しんでいる。 登攀具を背負って喘ぎながら登っている私達が場違いに感じられる。 30分ほど単調な登りを繰り返したところで樹林が切れ、強烈な午後の陽射しが降り注ぐ展望の良いトレイルとなったが、目的のグラン・パラディゾは懐深く聳えているためか、全くその頂は見えてこない。 駐車場からちょうど1時間登ったところでダビット氏は私達に「何か食べたり飲んだりしますか?」と問いかけてきたが、決して“休憩しましょう”という感じではなく、私達が遠慮すればそのまま休まずに登っていきたいという印象だった。 「イエース、サンキュー」としっかり自己主張し、傍らの小さな岩の上にいかにも“疲れた〜”という(実際もそうであるが)感じで腰を下ろした。 5分ほどの短い休憩の後、再び同様のペースで登り始めた。 相変わらずトレイルには危ない所は全くなく、山小屋までの往復を目的とした日帰りのハイカー達が大勢下ってくる。 前方に雪を戴いた丸い頂のティアフォロン(3640m)と、もう一峰の尖った頂の衛星峰が見え始めると、次第にトレイルの傾斜も緩み、pm4:45にモレーンの上に建つユニークな蒲鉾型をしたヴィットリオ・エマヌエーレII世小屋に着いた。 山小屋の前には雪解け水で出来た大きな池があり、青空を背景にした衛星峰のティアフォロンを映しだしていたが、肝心のグラン・パラディゾの頂は山小屋の背後に立ちはだかる巨大な岩壁に隠されていて、未だに見ることは叶えられなかった。

   宿泊の手続きはダビット氏がやってくれたが、支払いは明日下山する時で良いとのことだった。 寝室は二段ベットが左右にある4人部屋の個室となっていて、外から鍵が掛かるようになっていた。 アルプスの山小屋には乾燥室がないので、着替えをした後に山小屋の周りで汗で濡れた衣服を乾かす。 意外なことに氏は寝室で昼寝を決め込んでいた。 食堂で宿帳を見つけ、暇つぶしにいつものように日本人の名前を探してみたが、残念ながら予想どおり誰の名前もコメントも記されていなかった。 またいつものように自分達の足跡を宿帳に残した。

   pm7:00の夕食の時間になると、山小屋の中と外から100人ほどの宿泊客が集まり、食堂は一気に満員に膨れ上がった。 夕食は前菜として塩味の濃い野菜スープか、マカロニの盛り合わせを選択し、メインディッシュはシンプルな羊の肉の煮込み料理だった。 そしてデザートはプリンかチーズの選択だったが、意外にもチーズを選ぶ人が多かった。 夕食後にダビット氏と明日の出発時間等の打ち合わせをする。 氏から「明朝はam4:00に起きて(am4:00に食堂が開く)朝食後に出発します」という指示があっただけで、出発時間は明確に指示されなかった。 恐らく登攀時間も短い(ガイドブックでは4〜5時間)し、技術的に易しい山なのでそれほど厳密に出発時間を決めなくても良いのだろう。 氏は昨年のツェルマットのガイド氏のように、私達の登攀具や装備の点検をすることもなかった。 山小屋にデポする荷物をまとめ、pm8:30に就寝した。


グラン・パラディゾの登山口


硬派なガイドのダビット氏


   山小屋の背後に立ちはだかる巨大な岩壁でグラン・パラディゾの頂は見えなかった


ユニークな蒲鉾型をしたヴィットリオ・エマヌエーレII世小屋


山小屋の前から見た衛星峰のティアフォロン


   8月22日、am4:00起床。 窓から外を見ると満天の星空で、風もなさそうだった。 ダビット氏は既に起床して食堂に行ったようだ。 食堂に行くと氏はカウンターから私達の分のパンとジャムと紅茶をテーブルに運び、先に食べ始めていた。 朝食後に昨夜頼んでおいたテルモスの紅茶をカウンターで受け取り、飲み物からもカロリーが補給できるように砂糖を多めに入れた。

  am4:45、ハーネスだけを着けアンザイレンはせずに山小屋を出発。 いよいよ待望の今シーズンの初登攀が始まった。 風はないが、まだ低血圧の体が目覚めていないのか少し寒く感じる。 ダビット氏から易しい山だと言われていたので気持ちは楽だ。 山小屋の裏手の大きな岩壁を右手に仰ぎ見ながら、大小の岩が一面に堆積している所にさしかかる。 岩と岩の隙間に足を落とさないように注意しながら、所々に積まれた小さなケルンとヘッドランプの灯、そして真上にある大きな満月の明かりを頼りに進んで行くが、苦労の割に標高が殆ど稼げないので嫌になる。 20分程でそこを通過すると明瞭なトレイルが現れて登り易くなったが、途中に一か所だけ岩を巻いたり登ったりしながら氷河から流れ出す沢を渡渉する所があり、付近の岩や足場にする沢の中の石が全てツルツルに凍っていて冷や汗をかいた。 昨日とは違い、氏は傾斜の緩い所は普通に登るが、少し急な所にさしかかると突然ペースを速めたりするため、心拍数は全く安定しない。 また、氏の性格かどうかは分からないが、トレイルが不明瞭な所で後続の私達を待っていたガイドレスのパーティーが後ろにつこうとすると、わざと足早に登って引き離そうとしているのが良く分かった。 マッターホルンを除けば今までのガイド氏の中では一番ペースが速い。 今日の登山は楽勝だと思っていたのは甘かった。

   トレイルは氷河の舌端にさしかかり、傾斜の緩い雪面をしばらくはアイゼンを着けずに登った後、am6:00ちょうどに雪の上に露出した最後の平らな岩の上でアイゼンを着けるための休憩となった。 高度計はないが、標高は3200m位だろうか。 朝食をいつもよりしっかり食べたが、速いペースでシャリバテが予想されたので、行動食を口に入れる。 砂糖をタップリ入れたテルモスの熱いレモンティーが旨い。 燃料の補給で体が暖まってきたので、ジャケットを着込まずそのままam6:15にアンザイレンして再スタートする。 手前の急な斜面は直登せず、右へ大きく回り込んでからジグザグの明瞭なトレイルをストックを突きながら登っていく。 まだ周囲は薄暗いがクレバスもなく、トレイルもしっかりしているのでヘッドランプの灯を消す。 しばらく緩斜面を登っていくと夜が明けてきたので、ダビット氏を呼び止めて朝焼けの写真を1枚撮らせてもらった。 爽やかな薄い水色の空の下、遠方にモン・ブランやグランド・ジョラスなどのフレンチアルプスの山並みが、シャモニから見た時と反対の並びにくっきりと見える。 今日は快晴の一日となるに違いない!。

   先ほどと同様に、ダビット氏は緩斜面は普通に登るが、なぜか急斜面になると意識的にペースを速める。 急斜面につけられた直登気味のトレイルは立派だが、“下り専用”のようで傾斜が急すぎるため、氏はトレイル上を登らずにクラストした斜面をアイゼンの爪を立てながら斜めに登っていく。 昨年のマッターホルン登山で使用した軽量の少しタイトな登山靴を履いてきたせいか、両足の親指が痺れるように痛くなってきた。 凍傷になっては困るので、靴の中で指先を絶えず動かし続ける。 右手に見える衛星峰のティアフォロンの頂が次第に目線の高さになっていくことを励みに登り続けていくが、思うように足が上がらず、昨年はドムやモンテ・ローザといった今日より遙かに行動時間の長い登高によく耐えられたものだとつくづく思った。

   am7:00ちょうど、ダビット氏は昨日と同じように私達に「何か食べたり飲んだりしますか?」と問いかけてきた。 待ってましたと3分間ほどの休憩をもらい、慌ただしくレモンティーを飲み、写真を1枚撮った後、ジャケットを着込んですぐにまた登り始めた。 間もなく右前方の稜線上に、“鬼の角”のように突き出ているユニークな形をした尖った岩塔が幾つも見え始めた。 今度は次々に出現する岩塔を目標に黙々と高度を稼いでいくが、未だにグラン・パラディゾの頂を拝むことは叶えられない。 先行している何組かのパーティーが豆粒ほどの大きさに見え、ゴールはまだまだ遠いようだ。 氏は時間で区切ったのか、図らずもam8:00ちょうどに急な斜面の手前で3回目の“休憩”となった。

   休憩後、息を切らして急斜面をひと登りすると視界が拡がり、左前方に雪の禿げた大きな黒い岩肌が見えた。 ガイドブックの記述を思い出し、「あそこの岩場を登り詰めた所が山頂だと思うよ」と後ろから妻に声を掛ける。 しばらく登ると岩場を登っているパーティーの姿が見え、登攀ルートがはっきりと分かった。 右手の岩塔群を全てやり過ごし、山頂の岩場に向けて明瞭なトレイルが雪面を斜めにトラバースして一直線に続くようになると、ようやくダビット氏も少しペースを落とした。 いよいよ最後の岩場の登攀となったが、意外にも20mほど登っただけで360度の展望が拡がり、すでにそこは山頂の手前の小ピークだった。 先に登頂したパーティーが下りてくるのを待って、稜線上の狭い岩の上を氏が前で確保しながら慎重に渡り、マリア様の像が立っていた山頂直下の所に辿り着いた。 氏は上へは上がらず、「山頂は狭いので私達だけで山頂に立ちなさい」と指示した。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、メルスィー・ボクー!」。 妻と代わる代わる氏にお礼を言いながら握手を交わし、2mほどの岩塔を回り込むようにして登り、am8:40に憧れのグラン・パラディゾの頂に辿り着いた。 山小屋から3時間55分の道のりだった。

   ペースは速かったものの二人とも最後までバテずに、また快晴無風の天気にも恵まれ、実に爽やかな気分だった。 「やったね〜!、お疲れ様でした!」。 ダビット氏の速いペースによく耐えた妻を労い、マリア様の像に交互に抱きついて喜びを分かち合った。 憧れの頂に仁王立ちし、感激に浸りながら周囲の写真を撮りまくる。 アルプスの山の頂は一つ一つが変化に富んでいて本当に印象深い。 グラン・パラディゾ(イタリア語で“大きな楽園”)と名付けられた懐の深いこの独立峰の頂からは、麓の町や人工的な物は一切目に入らず、周囲を取り巻く山並の向こうには、フランスとの国境に聳えているモン・ブラン山群の山々のみならず、昨年登ったマッターホルンやモンテ・ローザといったスイスとの国境に聳えているヴァリス山群の山々が良く見渡せた。 一通り周囲の写真を撮り終えたので岩の下にいる氏に声を掛け、狭い山頂に招いて記念撮影をお願いした。 写真を撮り終えたところで、後続のパーティーが稜線のピークに現れたため山頂を譲らなければならず、氏に促されて僅か15分ほどでイタリアの最高峰の頂を後にすることとなった。


早朝のモン・ブラン山群


稜線には“鬼の角”のように突き出ている尖った岩塔が幾つも見えた


グラン・パラディゾの頂稜部(下山時の撮影)


   グラン・パラディゾの山頂    背後はモン・ブラン(中央)とグランド・ジョラス(右)


山頂のマリア様の像


山頂から見たマッターホルン(中央)とモンテ・ローザ(右)


山頂から見た稜線の岩塔群


山頂から見た東側の眺望


山頂から見た西側の眺望


   下りはいつものように私が先頭となったが、トレイルは安定し全く危ないところはなく、モン・ブランを正面に見据えながら、登りと同様にピッケルは使用せずに、ストックだけで快調に下る。 途中で登りの時には撮れなかった稜線上の岩塔群の写真を撮ろうとしたが、フィルムの交換直後に電池が切れたのか突然シャッターが切れなくなってしまい、ナイスショットを逃してしまった。 しばらく下った所で氏は“お前さんでは遅すぎる”と言わんばかりに先頭を代わりスピーディーに飛ばしたため、忘れていた両足の親指の痛みが蘇ってきた。 山頂から1時間半足らずで氷河の取り付きまで下りきり、アイゼンはそのままにザイルだけが解かれた。

   気温もあっという間に上昇し暑くなってきたので、長袖のシャツ一枚になり最後の雪の緩斜面を下る。 右手の岩の上にアイベックスがいるのをダビット氏が見つけ、ストックで指し私達に教えてくれた。 再び先程の凍てついた沢の渡渉となったが、結局今日一番の“難所”はこの沢だった。 沢を無事渡り終えると、氏は私達にアイゼンを外すように指示し、“もうあとは勝手にどうぞ”と言わんばかりに先に下っていった。 私達もその雰囲気を感じ取って、あえて氏の後を追おうとはせず、私達のペースで下っていくことにした。

   am10:55、出発してから僅か6時間10分で無事山小屋に戻った。 一足先に着いていたダビット氏に再びお礼を言い、とりあえず飲み物を注文して、山小屋の前のテラスで祝杯を上げた。 予定より一日遅れてヤキモキしていたが、快晴の天気の下、今年も新たな憧れのアルプスの頂を一つ踏むことが出来てとても幸せな気分だ。 まずまずの滑り出しに心も弾んだが、次の山の頂を踏むのに8日間も費やすことになるとは知る由もなかった。 痛めた足の親指が心配だったので、靴と靴下を脱いでみると、血行不良か凍傷か分からないが、すでに両足の爪は真っ黒になっていた。 しばらくマッサージすると少し痛みは和らいだみたいだが、明日以降の山行は大丈夫だろうか?。 昼食を山小屋で食べていきたかったが、氏が下山後に食べましょうと提案したため、仕方なく3人分の山小屋の宿泊代80ユーロ(邦貨で約9,600円)を支払い、am11:30に慌ただしく山小屋を出発し、約700m下の登山口へとハイキングトレイルを下った。

   最初のうちは傾斜も緩いのでダビット氏の後をついて行ったが、右足の親指の痛みが明日以降の山行に支障をきたしては困るので、一人でゆっくりと(普通のペースで)下っていった。 途中私が余りにも遅いので心配して待っていた妻と合流し、pm0:45に登山口に着いた。 多分氏は1時間ほどで下ってしまったのだろう。 登山口のレストランで昼食を食べると思っていたが、氏はモン・ブラン・トンネルが渋滞するからという理由で昼食は食べないというので、仕方なく再びジュースでだけで祝杯を上げ、pm1:00過ぎに氏の車に乗って登山口を後にした。

   乗車後すぐに山行のメモを書き始めたせいか、それともダビット氏のハードな運転のせいか、急カーブの多い山道の下りで気分が悪くなってきてしまった。 しばらく我慢していたが、手が痺れるほど悪化してしまったので、途中何度か車を路肩に停めてもらい、“特急ダビット号”は各駅停車になってしまった。 pm3:00過ぎにシャモニに着き、ホテルの前まで送ってくれた氏に再度今日のお礼を言い、20ユーロのチップを手渡した。 明日から予定しているグランド・ジョラス登山については、今夜の天気予報を見てから後で神田さんに連絡してくれるとのことだった。

   ホテルで昼食を自炊してひと風呂浴びた後、モン・ブラン登山に必要だといわれた妻のヘルメットをスネルスポーツに買いに行き、神田さんに今日の山行報告と足の指を痛めてしまった話をしたところ、意外にも登山靴のつま先の幅を拡げる修理が出来るとのことでお願いすることにした。 夕食はジャガイモ、人参、玉葱等をたっぷり使った野菜スープと生ハム、そして妻が腕をふるって作ってくれたチーズオムレツを食べた。 pm9:00過ぎに神田さんから連絡が入り、ダビット氏から「明日は天気が悪そうなので、明朝一番で山に行くかどうかを決めます」という指示があったとのことだった。 今日の山行で体は疲れていたが、明日以降の計画が気になって良く眠れなかった。


山頂直下を下る


山頂直下から見た衛星峰のティアフォロン


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P