レ ー ニ ン ・ ピ ー ク

  【中央アジア再訪】

   中央アジアのキルギスとタジキスタンの国境に聳えるレーニン・ピーク(7134m)は、一昨年登頂できなかったキルギスとカザフスタンの国境に聳えるハン・テングリ(7010m)と同様に、この山域で一般人が登れる山としてヨーロッパの登山愛好家を中心に人気のある山だ。 B.Cにはハン・テングリと同じように、現地のエージェントが7月と8月の2か月間、大型のダイニングテントと個人用の宿泊テントを設置し、都市部からの送迎や食事の提供、ガイドやポーターの雇用などクライアントの要望に応じたサービスを行っている。 一昔前は同峰へ日本人もそれなりに登っていたようだが、最近では8000m峰がより手軽に登れるようになってきたため、チャレンジする人は以前より少ないようだ。 また同峰は天を突くような尖ったハン・テングリのストイックな山容とは正反対の、正に“たおやかな白き峰”といった感じの山で、今回登るノーマルルートには難しい所はなく、登攀的な要素も殆どないとのことだった。 但し、この手の山によくありがちな稜線の風の強さは有名で、この強風といかに向き合っていくかが登頂の成否のポイントとなりそうだ。

   8月3日、正午発の便に乗るため9時半過ぎに成田空港の出発ロビーに着くと、すでに今回ご一緒する田路さんと工藤さん、そして初対面の山本さんとガイドの平岡さんの姿があった。 今回は12年ぶりにロシアのアエロフロートに乗り、モスクワ経由の便でキルギスの首都のビシュケクに行き、そこから国内線でキルギス第二の都市のオシュに飛ぶ。 ビシュケクまでのエア・チケットは早めにネットで予約したので、諸費用込みで116280円とこの時期にしては安く買えた。 アエロフロートの預託荷物は23キロまで、かつ1個までが無料で、2個目は23キロまで定額の100ドル(当日のレートで11100円)だったので、総量40キロほどの荷物を2個のダッフルバックと機内持込みのザックに適当に分散し、オーバーチャージをカウンターで日本円で支払った。 尚、機内持込みの手荷物は10キロまで無料だった。 

   モスクワまでは約10時間のフライトとなるが、数日前からの風邪による咳と喉の痛みが煩わしい。 機内には8月ということもあり、モスクワ経由でヨーロッパの国々へ向かう日本人の観光客の姿が多く見られた。 予想に反して機内の設備は他社と何ら変わらないほど良くなっており、機内食や乗務員の応接も平均レベルで、以前の悪いイメージは完全に払拭された。 日本とロシアの時差は6時間なので、現地時間で夕方の4時半前に乗継地のモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に着いた。 ビシュケクへの便の出発時間まで5時間ほどあったので、以前よりも見違えるほど立派になった空港内のレストランでゆっくり寛ぎ、メンバーの自己紹介などをして過ごした。


レーニン・ピークへの行程


キルギスの観光地図


モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港内のレストラン


   8月4日、夜の便でモスクワを発ち、日本に戻るようにキルギスの首都のビシュケクに向かう。 ビシュケクまでは4時間のフライトとなり、日本とキルギスの時差は3時間なので、現地時間で朝の5時頃にビシュケクに着いた。 キルギスの入国審査は全くシンプルかつスムースで、パスポートを提示するだけだった。 早朝の人気のないロビーで3時間ほど待ち、エージェントが手配した国内線でオシュに飛ぶ。 国内線の預託荷物は15キロまで、かつ1個までが無料で、超過荷物は1キロあたり50ソム(邦貨で75円程度)と国際線とは比べものにならないほど安かった。

   オシュへは横6列の古い小型機で1時間足らずで着いたが、風邪をひいていたせいか、成田からのフライトが予想以上に疲れた。 空港の到着ロビーにはエージェントの『AK−SAI・TRAVEL』(アキサイ社)のスタッフが出迎えてくれ、ホテルまでマイクロバスで送ってくれた。 アキサイ社と提携しているホテルには11時前に着いたが、問題なくチェックイン出来たばかりか、朝食のバイキングもまだ利用できるとのことで、図らずも早めの“昼食” をとることになった。 三ツ星クラスのホテルはこぢんまりとしていたが、部屋は予想以上に快適で、シャワーや洗面所のお湯も瞬時に出た。

   午後は上部キャンプ用の行動食をスーパーマーケットに買いに行くことになっていたが、私は風邪と長旅の疲れのためパスし、ベッドで昼寝をして過ごした。 夕食はトロリーバスで町のやや中心にあるレストランに行った。 バスの料金は6ソム(約10円)と非常に安かった。 地元の人で賑わうレストランで、キルギスでは一般的な羊や牛肉の料理を頬張る。 どの料理もシンプルで味付けが薄く、辛さも全くなかった。 緯度は日本の東北地方くらいだが、9時近くまで明るい。 帰路はホテルまでゆっくり歩いて帰ったが、暗い道でも小さな子供達の姿が見られ、オシュの治安は外務省の危険情報よりも良さそうだった。


キルギスの首都ビシュケクのマナス国際空港のロビー


エージェントのアキサイ社のマイクロバスでホテルに向かう


キルギスの第二の都市オシュで泊まったホテル『サンライズ』


快適なホテルの室内


朝食のバイキングで早めの昼食をとる


トロリーバスで町のやや中心にあるレストランに行く


地元の人で賑わうレストラン


羊や牛肉の料理はシンプルで味付けが薄く、辛さも全くなかった


   8月5日、まだうす暗い5時に起床。 予想よりも豪華だったバイキングの朝食を済ませ、6時過ぎに迎えにきたアキサイ社のマイクロバスに乗り、アチク・タシのB.C(3600m)に向かう。 あいにく風邪は治らず、喉は張り付くように痛くて微熱もありそうだった。 早朝の空いた市街地を抜けると、道端の露店でスタッフがスイカや白いウリ(メロン)を沢山買い込んでいた。 マイクロバスは南東の方向に広い幹線道路をフルスピードで疾走する。 走っている車は日本車が半分くらいだろうか。 間もなく馬やユルト(遊牧民の移動式の住居)の点在する標高2300m位の峠を緩やかに越える。 交通量は少ないが、峠を越えるトラックはどれも皆大きかった。 長閑な田園地帯を過ぎて山岳地帯に入ると、急勾配のカーブが連続するようになり、人と荷物と果物を満載したマイクロバスのスピードは全く上がらなくなった。 意外にもサイクリングをしている人が多く見られたが、私達と同じように地元の人ではないようだった。 峠の最高点は3500m近くあったが、ここはまだタジキスタンとの国境からは遠く、峠を越えてからはそれまでとは一変して緩やかな直線の下りとなり、2700mまで徐々に高度は下がった。 周囲は一面の草原となり、その向こうに待望のレーニン・ピークのある白い山塊が見えた。

   ホテルを出発してから正味4時間ほどでマイクロバスは幹線道路から左に外れ、凸凹の多い未舗装の山道に入った。 青い橋で濁った川を渡ると、そこには『レーニン・ピーク入口』と記されたアーチがあった。 マイクロバスはまるで馬のような感覚で道を横切る川を渡ったり、いつスタックしてもおかしくないような凸凹の悪路をスムースに乗り越えていく。 間もなく峠を越えた時にはなかった軽い頭痛が始まり、予想よりも早く正午前に待望のB.Cに着いた。

 

ホテルの朝食のバイキングは予想よりも豪華だった


道端の露店でスタッフがスイカや白いウリ(メロン)を沢山買い込んでいた


オシュからB.Cへの移動中の車窓から見た風景


オシュからB.Cへの移動中の車窓から見た風景


山岳地帯に入ると急勾配のカーブが連続するようになり、サイクリングをしている人が多く見られた


オシュからB.Cへの移動中の車窓から見たレーニン・ピーク(中央)


幹線道路から左に外れて未舗装の山道に入る


マイクロバスはまるで馬のような感覚で道を横切る川を渡る


   B.Cのある広い扇状地には幾つかのエージェントのテント村が点在していたが、アキサイ社のテント村が一番手前だった。 B.Cからはレーニン・ピークの頂がはっきり望まれ、周囲を囲む山々と共にロケーションは予想以上に良かった。 テント村には大きく立派なダイニングテントと50張ほどの黄色いカマボコ型の個人用テントがあった。 個人用テントは、暑さや寒さに強く結露を防ぐための内張りがあり、二人分の厚いマットレスが敷かれていた。 テントは麓のホテルと同じように工藤さんと一緒になったが、結局上部キャンプでも全て工藤さんとご一緒することになった。 

   個人用テントに荷物を搬入してダイニングテントに行くと、B.Cマネージャーのミハエルから今回のガイドを紹介されたが、意外にもガイドはビシュヌというネパール人で、日本語が片言であるが話せた。 平岡さんはアキサイ社から事前に打診されたガイドと違ったため困惑していたが、私は個人的にはネパール人で良かったと思った。 ビシュヌは6日前の7月31日にガイドとして登頂したが、その後は遭難者のレスキュー(イラン人が滑落して亡くなったらしい)をしていたとのことだった。 ビシュヌは48歳で、エベレストとマナスルにはそれぞれ3回登頂しているが、マナスルでは田部井さんを案内したとのことで、日本では1シーズンだけ徳本峠の山小屋で働いたことがあるとのことだった。 ミハエルから、B.CとC.1での食事は、朝は8時・昼は1時・夜は7時になるという説明があった。 トイレは男女別に6つあったが、電気を麓の町から引いているため室内に電灯があった。


B.Cのテントサイト


黄色いカマボコ型の個人用テント


B.Cからのロケーションは予想以上に良かった


B.Cのある広い扇状地に放牧された牛や羊


大きく立派なダイニングテント


室内に電灯があるトイレ


意外にもガイドはビシュヌというネパール人だった


   昼食は具の沢山入ったスープに鶏肉と麦飯、そしてナスとトマトのピリ辛煮だったが、いずれも美味しく、食後は桃とブドウのデザートが出た。 天井が高いダイニングテントはとても快適で、お菓子やパン・コーヒー・紅茶はいつでも自由に飲み食いすることが出来た。 1.5リッターのミネラルウォーターは、コーラなどの炭酸飲料と同じで2ドルだった。 昼食後は快適なダイニングテントで寛ぐ。 僅かに頭痛はあるが苦痛ではなく、むしろ風邪によるだるさと睡眠不足で眠かった。   

   夕食にはスープが出ず、ハン・テングリのB.Cと同じように昼食が一番ボリュームがあることが分かった。 夕食のハンバーグもとても美味しく、明日からの食事に期待が持てた。 夕食後も軽い頭痛が続いていたが、夕食後のSPO2と脈拍は85と79で、数値はまずまずだった。 夜は6時半でテントに陽が当たらなくなるが、9時頃まで明るかった。


昼食の鶏肉と麦飯


天井が高いダイニングテントはとても快適だった


夕食のハンバーグ


B.Cから見た残照のレーニン・ピーク(右)


   8月6日、周囲が明るくなった6時に起床する。 昨夜はすぐに眠れたが、夜中に軽い頭痛で起きてしまい、その後はいつものように寝たり起きたりの繰り返しとなった。 起床前のSPO2と脈拍は86と56で、少し緩いが快便だった。 意外にも8時からの朝食はバイキングだったが、町中のホテルのようだったので驚いた。

   朝食後は順応のため、半日行程のハイクングに行く。 ビシュヌも一緒に行くことになった。 B.Cの背後に聳えるペトロスキー・ピーク(4803m)の途中まで登る予定だ。 雲一つない快晴の天気で気持ち良い。 道標の類は一切ないが、フウロが咲乱れる道は良く踏まれていて歩き易かった。 順応していないので足は重いが、展望が良いので歩くことがとても楽しい。 ハイキングだけが目的でB.Cやこの先のC.1を訪れる人がいるというのも頷ける。 出発してから1時間ほどで顕著な尾根に上がり、雪を戴く山頂に向かって長大な尾根を緩やかに辿って行く。 踏み跡は相変わらず明瞭で、予想以上に快適なハイクングとなった。

 

B.Cから見たレーニン・ピーク(右端)


B.Cから見たペトロスキー・ピーク


朝食のバイキングは町中のホテルのようだった


順応のため、半日行程のハイクングに行く


道標の類は一切ないが、フウロが咲乱れる道は良く踏まれていて歩き易かった


雪を戴く山頂に向かって長大な尾根を緩やかに辿って行く


踏み跡は相変わらず明瞭で、予想以上に快適なハイクングとなった


ハイキングコースからの風景


ハイキングコースからの風景


   正午前にGPSで4250mの高さまで登ると、そこから先は岩の多いルートとなったため、今日のハイキングはここまでとし、しばらく休憩してから引き返す。 ケルンの立つ峠のような広い鞍部から砂地の急斜面をショートカットして下ったので、終了点から1時間ほどでB.Cに戻れた。

   昼食は羊肉のスープと白米にキノコと鶏肉を和えたもの。 B.Cマネージャーのミハエルから、すでに下山した北九州山岳同好会のパーティーが先日登頂したというメモを渡された。 昼食後は個人用テントでゆっくり休養する。 皆はシャワーを浴びに行ったが、私は風邪が完全に治ってないのでパスした。 SPO2と脈拍は89と85で、順応には効果があったが少し疲れた。 水分補給に努めたので、夕方にはSPO2と脈拍は94と59まで改善した。 夕食のスパゲテイは美味しく食べられたが、ボリュームが少なかったので、テントに戻ってからお菓子を食べた。 残照のレーニン・ピークがとても美しかった。


4250m地点でハイキングを終了する


4250m地点から見たペトロスキー・ピーク


4250m地点から往路を引き返す


ケルンの立つ峠のような広い鞍部から砂地の急斜面をショートカットして下る


B.Cのある広い扇状地


昼食の羊肉のスープ


昼食を食べながらダイニングテントで寛ぐ


B.Cから見たレーニン・ピーク(右端)


夕食のスパゲテイ


   8月7日、昨日ほどではないが今日も晴れている。 昨夜は頭痛は無かったが、今度は軽い動悸で日付が変わる頃まで眠れなかった。 起床前のSPO2と脈拍は83と58、起床後は88と63と、予想よりも悪かった。 

   朝食後は今日も順応のためのハイクングに行く。 歩くルートの選択肢は幾つかあるようだが、短時間で効率よく高度が稼げる昨日と同じルートを歩く。 展望が良いので同じルートでも全く苦にならない。 さすがに昨日よりも楽に登れることを実感する。 尾根に上がる途中の岩の上にマーモットがいることをビシュヌが教えてくれた。 昨日の終了点(4250m)で一息入れ、さらに30分ほど岩の多い道を辿ってGPSで4400mの高さまで登ると、そこから先はやや困難な岩場となり雪も出てきたので、今日のハイキングはここまでとなった。 偶然にも今日の終了点は明日から滞在する実質上のB.CとなるC.1と同じ標高だった。

 

ダイニングテントでの朝食


順応のためのハイクングは短時間で効率よく高度が稼げる昨日と同じルートを歩く


尾根に上がる途中の岩の上にマーモットが見られた


展望が良いので昨日と同じルートでも全く苦にならない


尾根から見たB.C


順応が進んだので昨日よりも楽に登れた


昨日の終了点とした4250m地点


4250m地点から4400m地点へ


C.1と同じ標高の4400m地点でハイキングを終了する


4400m地点から見た風景


   帰路は昨日と同じようにケルンの立つ峠のような鞍部から砂地の急斜面を下り、1時半にB.Cに戻ったが、到着した直後に雨が降り始め、その後は風も強まって雷も鳴るほどの破天荒になった。 意外にも昼食は鯖のフライだったが、懐かしさも加わってとても美味しく感じた。

   夕方からは急速に晴れてきたが、ダイニングテントの掲示板に貼り出されていた標高別の週間天気予報では、明日以降も不安定な天気が続くようだった。 風邪はいい加減治ったと思ったが、まだ喉の渇きが続いていてヤキモキする。 昼過ぎにハイキングの団体が着いたようで、夕食時のダイニングテントは30人ほどが一気に増えて盛況となった。


昼食の鯖のフライ


ダイニングテントの掲示板に貼り出されていた標高別の週間天気予報


夕食の麦飯とフライドチキン


デザートのケーキ


  【B.CからC.1へ】

   8月8日、まだ薄暗い6時前に起床。 起床前のSPO2と脈拍は88と58で、この高さにはほぼ順応出来たようだ。 キルギスの天気予報はあてにならないのか、天気は予報とは違って快晴だった。 今日はいよいよ実質的なB.CとなるC.1(4400m)に向かう。 C.1までの道は馬が通れるため、1キロ当たり3ドルで荷物を運んでもらう。 朝食前に馬方による計量があり、私の荷物は35キロで運賃は105ドルだった。

   朝食後の9時にB.Cを出発し、他のエージェントのテント村の脇を通って草原となっている平坦な扇状地を川に沿って進む。 道幅は広く車の轍の跡も見られた。 1時間ほど歩くと地図上に『オニオン・グレード』と記された扇状地の上端のような所に着いた。 その名のとおり周囲には野生のタマネギの茎が見られ、休憩中にビシュヌが摘んでいた。 

   幾つもの遭難碑が見られたオニオン・グレードからは山道となったが、急坂を少し登ると再び起伏の緩い草原となり、ヤクが草を食んでいた。 間もなく今日の行程の核心となるトラベラーズ・パス(4150m)という峠への登りに入る。 馬も峠を越えるため、緩急のいくつかの道があったが、ビシュヌは一番手前の一番勾配の急な道を先導した。 ジグザグの急坂道はゆっくり登れば見た目ほどきつくなく、予想よりも早くオニオン・グレードから1時間でトラベラーズ・パスに着いた。


天気は予報とは違って快晴だった


馬方による荷物の計量


レーニン・ピークを正面に見ながら草原となっている平坦な扇状地を進む


地図上に『オニオン・グレード』と記された扇状地の上端


オニオン・グレードからは山道となったが、急坂を少し登ると再び起伏の緩い草原となった


今日の行程の核心となるトラベラーズ・パスという峠への登りに入る


トラベラーズ・パス直下の勾配の急な道


展望の良いトラベラーズ・パス(4150m)


   展望の良い峠でしばらく休憩してからジグザグの急坂道を下る。 トラベラーズ・パスからは周囲の風景が一変し、レーニン・ピークを始めとする氷河の山々が間近に迫るようになった。 トラベラーズ・パスから標高差で100mほど下り、歩きにくいザレた斜面をトラバース気味に進む。 しばらくすると一昨日の好天にアタックしたと思われるパーティーと頻繁にすれ違うようになった。 予報どおり天気は次第に下り坂となり、いつの間にか周囲の高い山は見えなくなってしまった。 トラバースはなおも延々と続き、トラベラーズ・パスから1時間半近く歩いた所でようやく前方に濁った沢の渡渉点が見えてきた。 沢は膝下くらいの深さで靴を脱げば渡れそうだったが、川辺でお客さんを待っていた馬の“渡し”を利用して渡ることに迷いはなかった。 値段はビシュヌが交渉してくれ、一人5ドルになった。 

   沢を渡った所で一休みし、沢から這い上がるようにモレーンの背に向けて登っていくと、昨日のように黒い雲が急速に発達し、とうとう雨が降ってきた。 モレーンの背に上がると風も強くなってきたので急いでジャケットを着込む。 ここから先は悪夢になるだろうと覚悟を決め、各々のペースで足早に進んでいくと、30分足らずで風雨は止み、上空には青空が覗くようになった。 拍子抜けした足取りでしばらく緩やかな勾配の踏み跡を辿って行くと視界が開け、谷の向こうにC.1の黄色いテントが見えてきた。 バラバラになっていたメンバーも一緒になり、予想よりも早く2時にC.1(4400m)に着いた。


トラベラーズ・パスからは氷河の山々が間近に迫るようになった


トラベラーズ・パスから標高差で100mほど下る


歩きにくいザレた斜面をトラバース気味に延々と進む


歩きにくいザレた斜面をトラバース気味に延々と進む


天気は次第に下り坂となり、いつの間にか周囲の高い山は見えなくなってしまった


濁った沢を馬の“渡し”を利用して渡る


30分足らずで風雨は止み、上空には青空が覗くようになった


予想よりも早く実質的なB.CとなるC.1(4400m)に着いた


   レーニン・ピークを間近に仰ぎ見るC.1のロケーションは素晴らしく、個人用テントは間隔こそ詰まっているものの、B.Cのものと同じサイズで快適だった。 ランチがまだ食べられるとのことで、ダイニングテントで昼食を頬張る。 料理の質はB.Cと変わらない感じで嬉しかった。 B.Cで2ドルだった1.5リッターのミネラルウォーターやコーラなどの炭酸飲料は3ドルになった。 トイレは男性用が3つ、女性用が1つあったが、テントから少し離れていた。

   個人用テントで届いた荷物の整理をしていると、夕方から嵐のような猛烈な雨と風が吹き、早めに到着出来て本当に良かった。 夕食前のSPO2と脈拍は86と63で、数値は予想よりも良かった。 夕食はトマトの肉詰めとスパゲテイだったが、昼食を控えめにしたせいか美味しく食べられた。


個人用テントは間隔こそ詰まっているものの、B.Cのものと同じサイズで快適だった


トイレは男性用が3つ、女性用が1つあった


夕食のトマトの肉詰め


   8月9日、周囲が明るくなった6時半に起床。 夜中に雪が降ったようでテントの上が白くなっていた。 天気予報は今日も雨だったが、素晴らしい快晴の天気だった。 夜中に3回ほど目が覚めたが頭痛は無く、起床前のSPO2と脈拍は92と68だった。 ピンポン玉くらいの大きな淡が出たので、ようやく喉の風邪と決別出来そうに思えた。 朝食は揚げたパンにハムとチーズで、コーンスープのようにあっさりとしたオートミールも出た。


夜中に雪が降ったようでテントの上が白くなっていた


C.1から見たレーニン・ピーク(中央奥)


C.1から見たユヒナ・ピーク(5075m)


快適なダイニングテントの内部


朝食の揚げたパンとハムとチーズ


   朝食後は順応のため、C.1の背後に聳える5000m級の山に半日行程のハイクングに行く。 氷河の舌端が迫るC.1には花は殆どなく、牛や羊そしてマーモットの姿もない。 標高差で300mほどの丘のような前山を越え、少し下ってから岩屑の急斜面をジグザグに登る。 道は良く踏まれていて見た目よりも登り易かった。 隣国のウズベキスタン人の男女パーティーと相前後しながら登っていく。 レーニンの山頂やC.3があるラズレルヤナ・ピーク(6148m)が良く見える。 当初は5000m付近まで登って引き返す予定だったが、雪が予想よりも少なく山頂まで登れそうだったので、少し予定をオーバーして先に進む。 上空には雲が湧き始めたが、山頂直下に僅かに残雪があったのみで、雪のドームとなっていた顕著なピークに立つことが出来た。 先に着いたウズベキスタン人の女性に写真を撮ってもらい、ここがユヒナ・ピークで、標高は5119m(地図上の標記は5075m)だと教わった。 小広い山頂には雪ダルマやテントを設営した跡が見られた。


順応のためC.1の背後に聳える5000m級の山に半日行程のハイクングに行く


C.1から標高差で300mほどの丘のような前山に登る


丘のような前山の山頂から見たレーニン・ピーク


丘のような前山から少し下る


ウズベキスタン人の男女パーティーと相前後しながら岩屑の急斜面をジグザグに登る


山頂直下には僅かに残雪があった


ユヒナ・ピーク(5075m)の山頂


山頂からの風景


山頂からの風景    左奥がC.3があるラズレルヤナ・ピーク(6148m)


   風の無い穏やかな山頂に順応のためしばらく滞在してから往路を戻る。 下りのスピードは速く、登りは3時間半掛かった道を1時間少々で下ってC.1に着いた。 昼食後に平岡さんから、順応が順調に進んでいるため、明日は予定を変更して休養日にするという指示があった。 昼過ぎのSPO2と脈拍は82と72で、脈が少し高かった。 午後は迷わず昼寝を決め込んだが、予報どおり時々小雨がパラついていた。 夕食前のSPO2と脈拍は90と60になり、夕食のハンバーグはB.Cと全く変わらずとても美味しかった。


山頂からの下りから見たC.1


山頂から1時間少々でC.1に着いた


昼食の肉じゃがとスープ


夕食のハンバーグ


デザートの紅茶ケーキ


   8月10日、今晩こそは完璧な睡眠が叶うものと思っていたが、疲労のためか鼻詰まりで呼吸が浅くなり、夜中に軽い頭痛で何度か目が覚めた。 それでも起床前のSPO2と脈拍は86と56で、順応は着実に進んでいるようだった。 今日は入山以来初めて朝から小雨模様の天気になったが、休養日となったのでちょうど良かった。 朝食は気分転換に日本から持ってきたカップうどんと、オートミールに塩こんぶを入れて和食風に食べた。

   午前中は明日からの順応ステージで食べる食料や行動食のパッキングと登攀具などの点検と準備をして過ごすが、高度障害による倦怠感なのか、初めてのレスト日で気が抜けたのか、気分が少し悪くなってきた。 テントの中でじっとしているのが良くないのかも知れない。 明日からの順応ステージに行けるかどうか不安を感じるほどだった。 

   昼食は少し和風の感じがする鯖のスープとチキンナゲットで、食欲はそれほどなかったが、デザートのスイカ共々美味しく完食出来た。 午後に入ると雨の量が多くなり、テントの中でも寒さを感じるようになった。 夕方になってようやく気分の悪さがなくなって安堵する。 SPO2と脈拍は84と63で、この標高ではまずまずだ。 夕食前に明日C.2に荷上げしてもらう個人装備の荷物の計量があり、エージェントのスタッフの計量で6.4キロあった。 C.1からC.2の間の荷上料金は1キロ当たり6ドルなので、39ドルをエージェントに支払った。

   夕食は麦飯のピラフとキュウリのサラダで、少し物足りないくらいだった。 ダイニングテントの掲示板に貼り出されていた標高別の週間天気予報では明日も一日中雨で、明後日以降はしばらく晴天が続くようだった。


入山以来初めて朝から小雨模様の天気になった


朝食は気分転換に日本から持ってきたカップうどんを食べた


順応ステージで食べる食料


順応ステージで食べる行動食


昼食の鯖のスープ


昼食のチキンナゲット


C.2に荷上げしてもらう個人装備の荷物の計量


夕食の麦飯のピラフ


   8月11日、5時に出発するため3時半に起床する。 昨夜はようやく熟睡することが出来た。 C.1の朝食は7時からだが、それとは別に3時から4時の間もスタッフがお湯を沸かし、朝食を出してくれることが分かった。 朝食は昨日と同じで、日本から持ってきたカップうどんを食べた。 予報どおり昨日からの雨は降り止まず、ダイニングテントで天気の様子をうかがう。 最新の天気予報では6日後が一番良い天気となっているので、何としてでも今日は計画どおりC.2に行きたかったが、この天気では出発する気にはなれない。 出発予定の5時を過ぎてからも寒々しいダイニングテントで雨が降り止むのを待ち続けたが、雨は雪に変わり一向に止む気配がなかったので、個人用のテントに戻って待機することになった。

   出発時間のリミットを8時に決めてシュラフにくるまり、雨や雪が降り止むのを待ち続けたが、結局8時を過ぎても雨や雪は降り止まなかった。 9時過ぎにようやく雨は降り止んだものの、これからさらに良くなるという空模様ではなかったので、メンバー全員で協議した結果、C.2行きは明日に順延することになった。 その後も一時的に青空は覗くものの、雨は降ったり止んだりを繰り返し、激しく降ることもあったので、無理をしてC.2に行かなくて正解だった。 

   順応は進み、正午のSPO2と脈拍は93と57で、この高さにはほぼ順応出来たようだ。 食欲も旺盛になり、リンゴのデザートが付いた昼食を完食した後も行動食のお菓子を食べてしまった。 夕食はサーモンのフライが添えられたピラフとトマトサラダだった。 夕食後のSPO2と脈拍は82と64で、食後にしては良い数値だった。 明日からは好天の予報となっているが、夜は再び吹雪となった。


レーニン・ピークの登山地図


メンバー全員で協議した結果、C.2行きは明日に順延することになった


一時的に青空は覗くものの、雨は降ったり止んだりを繰り返していた


昼食の鶏肉の野菜炒め


夕食のサーモンのフライが添えられたピラフ


  【順応ステージ】

   8月12日、今日も5時に出発するため3時半に起床する。 ありがたいことに昨夜も熟睡することが出来た。 予報どおり空には月が見える快晴の天気だ。 昨日の“予行練習”のおかげでスムースに身支度を整え、ダイニングテントで昨日と同じ日本から持ってきたカップうどんを食べる。

   予定より少し早く5時前に出発。 今日から好天が3日続くとの予報なので、他のパーティーも次々に先行して行った。 大小の岩がゴロゴロしたモレーンの上を緩やかに登ったり下ったりしながらしばらく歩いていくと、5〜6社あるエージェントの中では新顔のセントラルアジアトラベル社の常設テントがあり、そこから一旦少し下ってから広い氷河の末端に取り付いた。 勾配が殆どなくクレヴァスもないのでロープは結ばずに歩く。 間もなく周囲が明るくなってくると、前方の広い斜面に先行しているパーティーの行列が見えた。 

   C.1から休まず1時間半ほど歩き、勾配が少し急になってきた所でアイゼンやハーネスを着け、ビシュヌと工藤さんと私が、そして平岡さんと山本さんと田路さんが、それぞれロープを結ぶ。 高度計でのC.1からの標高差は僅か80mで、まだ4480mしかなかった。 登山靴は新調して今回初めて履くボリエールの『G1ライト』だったが、予想どおり長靴タイプのザンバラン『EVEREST』よりも歩き易く快適だった。 斜面の傾斜は見た目どおり緩やかで、やや急な所も踏み固められたトレースがあるので登るのがとても楽だ。 順応もだいぶ進んでいるようで、順応ステージにありがちな辛さは微塵もない。 所々で風が強く吹くのが唯一玉にキズだ。 高度計がちょうど5000mを指した所で初めての休憩となった。 上から下ってくるパーティーとも時々すれ違う。

 

5時前にC.1を出発する


広い氷河の末端は勾配が殆どなくクレヴァスもないのでロープは結ばずに歩く


勾配が少し急になってきた所でアイゼンやハーネスを着けてロープを結ぶ


ビシュヌと工藤さんと私がロープを結ぶ


下部の方ほどクレヴァスが大きく口を開けていた


C.1方面に伸びる氷河の舌端


高度計がちょうど5000mを指した所で最初の休憩をする


   休憩後はさすがに5000mオーバーの世界となったので、少し頭痛がしてきたが、足はスムースに前に出たので助かった。 広大なスキー場のスロープのような単調な斜面を延々と登る。 下部の方ほどクレヴァスが大きく口を開けていた。 勾配がやや増して上方にセラック帯が見えてくると、トレースはそれを避けるように大きく右に曲り、2回目の休憩となった。 前方を歩いているパーティーの姿でこれから辿るルートの状況が良く分る。 

   休憩地点からは上方のセラック帯を避けるように緩やかに延々とトラバース気味に進む。 稜線には雪煙が舞っているのが見え、やはりこの山は風が強いということが分かった。 C.2のテントサイトが遠目に見えるようになった所で3回目の休憩となった。 そこからはほぼ水平にトラバースを続け、少し下ってからC.2に向けて登り返す。 最後はペースがかなり落ちたが、予想よりも早く正午ちょうどに目標のC.2に着いた。 高度計の数字は5350m、山本さんのGPSでは5400mを超えているとのことだった。

 

広大なスキー場のスロープのような単調な斜面を延々と登る


勾配がやや増すと上方にセラック帯が見えてきた


2回目の休憩


順応で登ったユヒナ・ピーク(中央)


上方のセラック帯を避けるように緩やかに延々とトラバース気味に進む


3回目の休憩


休憩地点から見たC.2のテントサイト(右の岩壁の先端)


休憩地点から見たC.1からのルート


C.2への最後の登りではペースがかなり落ちた


   C.2では比較的平らな雪の上とその上の岩場の末端にテントの花が咲いていたが、私達のテントサイトは岩場の末端の方だった。 以前C.2で雪崩事故があったため、アキサイ社は快適ではないが安全な岩場の末端を選んでいるのだろう。 シーズン中はアキサイ社を初めとする各エージェントがテントを設営しているが、早く到着したパーティーから良いテントを選んでいくため、最後に到着した私達の入るテントが無くなってしまい、エージェントのテントキーパーがテントを設営してくれるまで1時間ほど待たされることになってしまった。 足場の悪い岩場の末端に立てられたテントの居心地は当然のことながら悪かった。

   テントは工藤さんと私、山本さんと田路さん、そして平岡さんとビシュヌが3張に分かれて落ち着いたが、炊事用のコンロが2セットしかなかったので、同じテントの平岡さんとビシュヌが全員分の水を作ってくれたので楽だった。 粉末の抹茶を飲み続けて脱水からの回復に努める。 テントは新しく見栄えは良いが、天井が低いので陽が射すと暑くて気分が悪くなってくる。 体調が悪くなかったのが救いだ。 昼過ぎには曇ってきて夕方から小雪が舞ってきたが、むしろ天気が悪い方が快適だった。 夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来たが、夕食後のSPO2と脈拍は78と70で、当たり前だがまだこの高度には順応出来ていなかった。


C.2では比較的平らな雪の上とその上の岩場の末端にテントの花が咲いていた


足場の悪い岩場の末端に立てられたテントの居心地は悪かった


C.2でも工藤さんと一緒のテントになる


夕食のフリーズドライのカレー


   8月13日、予想どおり頭痛と鼻詰まりに悩まされる辛い夜を過ごして5時に起床。 起床後のSPO2と脈拍は77と68で昨夜とあまり変わらなかった。 睡眠不足だが体調は決して悪くない。 朝食のカップそばも美味しく食べられた。 テントサイトは足場が不安定な岩の上なのでトイレの場所に困る。 予報どおり天気は昨日にも増して快晴で、レーニン・ピークの山頂はもちろん、これから向かうC.3(6100m)へのルートも良く分る。

   ご来光を拝み、予定よりも少し遅れて6時半過ぎに最終キャンプ地のC.3に向かう。 C.2から先はルート上にクレヴァスはないとのことで、ロープは結ばなかった。 平岡さんを先頭に岩場と氷河の境目のやや急な斜面をトレースに従って登っていく。 山本さんはビシュヌと共に少し遅れて出発するようだ。 順応不足で寒さを感じるため、フリースの上に薄いダウンジャケットを着ていくが、5分もたたないうちに指先が冷たくなり、ダウンミトンを持ってこなかったことを後悔した。 ロープを結んでいないので、ペースを昨日にも増して抑え気味に登る。 1時間ほどで顕著な広い尾根に乗ったので一息入れる。 レーニン・ピークの山頂にも陽が当たり始めた。

 

C.2のテントサイトは足場が不安定な岩の上なのでトイレの場所に困る


C.2から見たC.3(ラズレルヤナ・ピーク)方面


岩場と氷河の境目のやや急な斜面をトレースに従って登る


顕著な広い尾根に乗る手前


顕著な広い尾根に乗る手前から見たC.3(ラズレルヤナ・ピーク)


   幅の広い緩やかな尾根歩きは正に稜線漫歩で、見える景色もスケールが大きくて素晴らしい。 陽射しも強くなり、ようやく指先の冷たさが無くなった。 やや風はあるものの絶好の登山日和となったが、他のパーティーとのスケジュールが違うためか、不思議と前後に人影は全く見られなかった。 歩きながら僅かな頭痛が始まったが昨日ほどではない。 二つ目の小さなマウンドの上はちょっとした平坦地になっていてテントが1つ張られていた。 その先にはC.3があるラズレルヤナ・ピーク(6148m)の頂稜部が大きく立ちはだかっていた。

   C.3(ラズレルヤナ・ピーク)への取り付きで一息入れ、やや急な斜面を直登気味に登る。 C.3までの標高差は200mほどだろう。 クラストした斜面の傾斜は少ずつ増し、フィックスロープが欲しくなるほどだ。 昨シーズンは階段状のトレースがあったとのことだが、今シーズンは降雪が少なかったようでアイゼンの爪跡と所々に残る靴跡を拾いながら登る。 登山靴が長靴タイプでないのがここにきて功を奏した。 左手に見えるレーニン・ピークの山頂が少しずつ近づき、その大迫力に息を呑む。 山頂へのルートが良く見えるようになると傾斜が緩み、一休みしながら後続の工藤さんを待つ。 間もなくC.3のテントが見えてくると、風が一段と強まってきたが、その冷たさは尋常ではなかった。


幅の広い緩やかな尾根歩きは正に稜線漫歩だ


幅の広い緩やかな尾根から見たレーニン・ピークの山頂


二つ目の小さなマウンドの上はちょっとした平坦地になっていてテントが1つ張られていた


C.3(ラズレルヤナ・ピーク)への取り付きで一息入れる


取り付きからはやや急な斜面を直登気味に登る


後続の工藤さん


左手に見えるレーニン・ピークの山頂が少しずつ近づき、その大迫力に息を呑む


   予想よりもだいぶ早く11時半に今日の目標の最終キャンプ地となるC.3(6100m)に着いた。 広い平坦地になっていたC.3には人影はなかったが、雪に囲まれた各エージェントの常設テントや個人隊のテントが合わせて20張ほどあった。 レーニン・ピークの山頂はもちろん、レーニン・ピークの反対方向には今まで見えなかったジェルジンスキー・ピーク(6717m)が見えた。 風が強いC.3には留まっていられなかったので、予定には無かったが指呼の間のたおやかな丘のようなラズレルヤナ・ピーク(6148m)の山頂まで足を延ばすことになった。 再び指先が冷たくなってしまい、オーバー手袋の中で指を丸めながら歩く。 

   C.3からは一旦少し下り、緩やかに登り返す。 正午ちょうどに平岡さんと田路さんと共にラズレルヤナ・ピークの山頂に立ち、少し遅れている工藤さんは待たずに写真だけ撮ってトンボ返りでC.3に引き返す。 C.3の手前で工藤さんと合流し、数日後の再訪を誓って一緒にC.2へと下った。 ようやくC.3に泊まると思われる後続のパーティーの姿が見られるようになり、間もなくビシュヌと共に登ってきた山本さんとすれ違ったが、平岡さんの判断でC.3まで登らずに一緒に下山することになった。 トレースが一層明瞭になった下りのスピードは速く3時前にはC.2に戻れたが、さすがに6000mオーバーの順応登山は疲れた。 

   夕方のSPO2と脈拍は74と74で脈がなかなか下がらなかった。 夕食は昨日と全く同じフリーズドライのカレーだったが、残念ながら完食は出来なかった。 C.3での寒さが堪えたのか鼻水が止まらなくなり、日本から持ち込んだ風邪がまだ治っていないことが分かった。


最終キャンプ地となるC.3とたおやかな丘のようなラズレルヤナ・ピークの山頂


ラズレルヤナ・ピーク(6148m)の山頂


ラズレルヤナ・ピークの山頂から見たジェルジンスキー・ピーク


ラズレルヤナ・ピークの山頂から見たレーニン・ピーク


写真だけ撮って山頂からトンボ返りでC.3に引き返す


C.3から見たレーニン・ピーク


C.3からC.2へ下る


トレースが一層明瞭になった下りのスピードは速かった


夕食は昨日と全く同じフリーズドライのカレーだったが、残念ながら完食は出来なかった


   8月14日、疲れていたのでぐっすり眠れるかと思ったが、意外にも夜中は吹雪となり、テントを叩く風の音で眠れなかった。 狭いテントの中は結露で凍った氷片がシュラフにパラパラと落ちてくる。 夜明け前から少し頭痛が始まったが、起床前のSPO2と脈拍は82と58で異常に良かった。 体調も決して悪くないが、食欲はあまりなかった。 それでもトイレを済ませた後は、朝食のカップそばを美味しく食べられた。 早朝には天気は回復し、予報どおり天気は快晴となったが、風が強いので山頂をアタックしている隊は大変だろう。

 

早朝から天気は快晴だったが風が強かった


C.2から見たC.3方面


C.2の雪の上の他隊のテントサイト


   予定よりも少し早く、数日後の再訪を誓って9時前にC.2を発つ。 今日は平岡さんと工藤さんと私が、そしてビシュヌと山本さんと田路さんがそれぞれロープを結び、相前後しながらC.1へ下る。 明日からも良い天気が続くのか、C.1から登ってくるパーティーが多い。 氷河上で延べ50人ほどとすれ違った。 風が強いこと以外は氷河の取り付きまで労せずして下ったが、そこから先のモレーン上は登り返しが4回もあり、里心がついたせいかとても長く感じた。 それでも正午過ぎにはC.1に着き、ダイニングテントで昼食を食べることが出来た。 やはり標高差1000mの違いは大きく、食欲は旺盛になりアルファー米1人前を完食出来なかった昨夜とは雲泥の差で、C.1の快適さをつくづく実感した。 疲れは予想よりも少なく体調も良いが、喉が少しだけ痛いのが気掛かりだ。


ロープを結んでC.2からC.1へ下る


C.2 ・ C.3方面を振り返る


C.1から登ってくるパーティーが多かった


氷河の取り付きでロープを解く


氷河の末端付近


モレーン上は登り返しが4回もあった


C.1のテントサイト


昼食のチキンナゲット


   昼食後に掲示板に貼られた天気予報を見ると、登頂予定日の19日は晴れ時々曇りで山頂付近の風速が毎時45m(秒速12.5m)と強く、その前日の当初の登頂予定日だった18日は晴れで山頂付近の風速が毎時30m(秒速9.7m)となっていた。 18日のアタックだとC.1でのレストは明日1日だけになってしまうが、場合によっては天気を優先させて前倒しでアタックする可能性があることを平岡さんから打診された。

   昼食後のSPO2と脈拍は84と72で、午後はもっぱら昼寝をして過ごした。 夕方にお腹が緩くなり軟便となってしまったので、食欲は旺盛だったが夕食は腹八分目に抑えて食べた。 夕食後のSPO2と脈拍は85と65だった。


掲示板に貼られた標高別の天気予報


夕食のピザ


C.1から見た日没前のレーニン・ピーク


   8月15日、お腹が空いていたのか眠りが浅く、疲れていたものの朝まで熟睡出来なかった。 起床前のSPO2と脈拍は82と52で、疲労よりも順応が勝っていた。 快晴の天気は今日も続き、純白のレーニン・ピークが澄みきった青空に良く映える。 稜線には雪煙が舞っていたので、風は相当強そうだった。 体調はまずまず良く、朝食は気分転換に持参したアルファー米と鮭のフレーク、そしてスープ代わりにチキンラーメンを食べた。 朝食後は気温が上がったことで睡魔に襲われ、早くも昼寝を決め込んだ。 寒くないのに鼻水が止まらないのは、疲労で風邪が治っていない証拠だ。 昼前のSPO2と脈拍は88と58で相変らず数値はベストだった。

 

快晴の天気は今日も続き、純白のレーニン・ピークが澄みきった青空に良く映える


C.1から見たユヒナ・ピーク


C.1から見たラズレルヤナ・ピーク(中央奥)


朝食は気分転換に持参したアルファー米と鮭のフレークを食べた


レスト日は今日1日だけとなった


昼食の骨付きの鶏肉と生野菜


   正午になっても雲一つない快晴の天気が続いていたが、いつの間にか稜線の雪煙は見えなくなっていた。 昼食は野菜が沢山入ったクリーミーなスープに骨付きの鶏肉と生野菜で、デザ−トはスイカだった。 昼食後に平岡さんから、比較的風の弱い18日に山頂アタックをするため、明日出発するつもりで準備をするようにとの指示があった。 結果的にレスト日は今日1日だけになってしまいそうだが、天気(風)には勝てない。 午後は上部キャンプで食べる食料の準備やアタック装備の最終点検などで大忙しとなった。 夕方5時に各社の天気予報をチェックした平岡さんから、明日出発する旨の最終決定があった。 C.2へボッカしてもらう荷物は7キロになったが、ビシュヌが1キロ6ドル(42ドル)でボッカを請負うことになった。

   夕食は鯖の水煮と生野菜。 鯖は冷凍のものを解凍しただけだが、山の中で食べられるのは嬉しい。 今日は一日中快晴の天気となり、夕食後もレーニンの写真を何枚も撮り続けた。 就寝前のSPO2と脈拍は87と60で、相変わらず疲労感はあるが順応は全く問題なかった。


正午になっても雲一つない快晴の天気が続いた


上部キャンプで食べる食料


今日は一日中快晴の天気となり、夕食後もレーニンの写真を何枚も撮り続けた


  【アタックステージ】

   8月16日、早いものでいよいよ今日から3泊4日で山頂アタックに向かう。 順応はほぼ出来ているので、あとは天気と風の強さ次第だ。 前回と全く同じスケジュールで3時半に起床し、上部キャンプでの朝食と同じカップそばと行動食の煎餅を試食を兼ねて食べ、5時前にC.1を出発する。 頭上には上弦の月がこうこうと輝き、金星も見える快晴の天気だ。 前回と同じように他のパーティーはすでに出発していったので周囲に人影はない。 先頭のビシュヌが私達の荷物をボッカしているため、また私達も一昨日までの疲労が残っているため、ペースは前回よりもむしろ遅いくらいだ。 モレーン上のルートの記憶は新しく、前回と同じ1時間半ほどで氷河の取り付きに着いた。 アイゼンとハーネスを着け、ビシュヌと工藤さんと私が、そして平岡さんと山本さんと田路さんが、それぞれロープを結んだ。

   快晴の天気で絶好の登山日和となりそうだったが、氷河を登り始めてから30分ほど経つと吹き下ろしの風が徐々に強まり、以後C.2まで吹き止むことはなかった。 休んだり止まったりすると寒いので、トイレ以外では休憩することなしに登り続けたが、順応よりも疲労の蓄積が勝ってしまったようでメンバーのペースは上がらず、奇しくも前回と同じ正午ちょうどにC.2に着いた。


未明のダイニングテント


3泊4日で山頂アタックに向かう


1時間半ほどで氷河の取り付きに着く


前回と同じようにビシュヌと工藤さんと私がロープを結んだ


氷河を登り始めてから30分ほど経つと吹き下ろしの風が徐々に強まった


休んだり止まったりすると寒いので、トイレ以外では休憩することなしに登り続けた


順応よりも疲労の蓄積が勝ってしまったようでメンバーのペースは上がらなかった


正午ちょうどにC.2に着いた


   今回も前回と同じテント割で工藤さんと一緒になった。 C.2に上がったパーティーが少なかったようで、私達の入ったテントは地面の凹凸が激しく底も濡れていたが、3人用の大きなテントだったので、少し手を加えるとまずまず快適に過ごせるようになった。 順応はそれなりに進んでいるので体調は良いが、脈が60台までなかなか下がらず、夕方4時のSPO2と脈拍は83と70だった。 夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来たが、夕食後のSPO2と脈拍は84と74で、まだ依然として疲労のバロメーターとなる脈が高かった。


順応はそれなりに進んでいるので体調は良い


3人用の大きなテントで快適に過ごす


夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来た


   8月17日、一晩中風が吹いていたが、頭痛は一切なく疲れていたので良く眠れた。 辛い夜を過ごした前回とは全く違うのが嬉しい。 起床前のSPO2と脈拍は77と58で体調は良く、朝食のカップそばを2個くらい食べられそうな感じだった。 ありがたいことに天気は今日も快晴で、風もようやく収まった。 エージェントのスタッフがC.3への荷上げのためC.1から上がってくることになっていたが、若い女性が荷物のパッキングをビシュヌとやっていたので驚いた。 C.2からC.3への荷上げは1キロ当たり8ドルとなっていて、私の荷物は7キロだったので56ドルをその場で支払った。


体調は良く、朝食のカップそばを2個くらい食べられそうな感じだった


C.3への荷上げをするのは若い女性スタッフ


先行する女性スタッフ


   ビシュヌを先頭に8時半前にC.2を出発する。 顕著な広い尾根に乗るまで風は殆どなかったが、尾根に上がってからは昨日と同じように風が徐々に強まり、以後C.3まで吹き止むことはなかった。 風は色々な方向から吹くばかりか、時々飛ばされそうになるほどの突風が吹くので、その都度足を止めて耐風姿勢をとらなければならなかった。 レーニン・ピークの山頂のみならずC.3付近にも雪煙が舞っていたので、主稜線には更に強い風が吹いているのだろう。 前回と同じように指先が時々冷たくなり、ダウンミトンをするかどうか迷ったが、オーバー手袋の中で指を丸めて暖め、ダウンミトンは使わずに登り続けた。 一方、前回よりも順応が進んでいるため、登ることに関しては全く問題なく、むしろ余裕すらあったので、明日の登頂への手応えをひしひしと感じて胸が高鳴った。 登れば登るほど風は強くなり、私達の荷物の荷上げを終えて下ってきたスタッフの女性から、上はもっと強いと言われて嫌になる。 休んだり止まったりすると寒いので、休憩もそこそこに登り続け、C.2を出発してからちょうど5時間が過ぎた1時半前に最終キャンプ地のC.3(6100m)に着いた。 C.3では予想どおりそれまで以上に強い風が吹いていたが、むしろその冷たさが前回と同じように尋常ではなかった。

 

C.2から顕著な広い尾根に乗るまで風は殆どなかった


C.3付近には雪煙が舞っていた


尾根に上がってからは風が徐々に強まり、以後C.3まで吹き止むことはなかった


C.2とC.3の間から見たレーニン・ピークの山頂


登れば登るほど風は強くなった


C.3直下から見たレーニン・ピークの山頂


C.2を出発してからちょうど5時間で最終キャンプ地のC.3に着いた


C.3ではそれまで以上に強い風が吹いていた


   他の隊よりも早く着いたので、エージェントのテントは空いていたが、テントキーパーから一番端の新しいテントを勧められたので、爆風から逃れるように中に転がり込んだが、一番風上だったためテントがバタついて落ち着かなかった。 間もなく到着した工藤さんと今日も一緒になった。 先程までの好調さが嘘のように、しばらくすると頭が熱くなり、軽い頭痛が始まった。 疲労で顔が少しむくみ目も腫れていた。 SPO2と脈拍は74と90で、気分も少し悪かった。 強い風はなかなか止まなかったが、夕方になってようやく収まった。 平岡さんから、明日は1時に起床し、1時半から朝食と行動用のお湯を配り始め、2時半に出発するという説明があった。 もし出発時に風が強ければ、風が弱まるまで待機するとのこと。

   夕食前のSPO2と脈拍はようやく86と68となり、食欲はあまりなかったが夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来た。 夕焼けに染まるレーニン・ピークの写真を撮りたかったが、今日は自重してシュラフにもぐり込んだ。 周囲が暗くなると一旦収まった風が再び強く吹き始め、テントの生地がシュラフに当たって全く眠れなくなってしまった。 日付が変わってもこの状況は変わらず、2時半の出発は無理かと思えた。


C.3のテントサイト


工藤さんと今日も一緒になった


夕食のフリーズドライのカレー


   8月18日、爆風は全く止む気配はなかったが、予定より少し早い1時前に起床して準備を始めると、テントの外から平岡さんが大声で、出発を4時に変更すると叫んでいるのが聞こえた。 この風では出発出来ないばかりか、炊事用のお湯を作るのも困難だろう。 再びシュラフにもぐり込み風が弱まるのを待ったが、風は一向に吹き止む気配はなく、4時の出発に向けて準備を始める2時半になってしまった。 先ほどと同じタイミングでテントの外から平岡さんが、出発を6時に変更すると叫んでいるのが聞こえ、これは半ば今日のアタックは無理だなと諦めつつ再びシュラフにもぐり込んだ。 それをダメ押しするかのように風は一層強く吹き続けた。 一昨日C.1で見た天気予報からすると、明日以降は風が強くアタックするのが難しそうなので、4時に起きて出発の準備を始めたが、しばらくすると再度平岡さんから、今日のアタックは中止するという指示があった。 すでに覚悟は出来ていたし、仮に6時に出発したとしても、途中で時間切れになる可能性も大きいので、それほど落胆はしなかった。 今朝は珍しく体調が良かったので、予報が外れて好天が明日にずれ込んでいるのであれば、明日の好天に賭けるのも悪くないと気持ちを切り替え、装備を解いて再度シュラフにもぐり込んだ。

   ところが、それから思いもよらぬ事が起き、登頂の夢は一瞬のうちに潰えてしまった。 周囲が明るくなり、平岡さんからアタックを明日に順延するという説明を聞いてから、昨日から少し白くなっていた右手の親指の先を平岡さんに見せたところ、これは凍傷だと即座に宣告されてしまったのだ。 急遽、応急処置ということで、コッフェルに張ったお湯で1時間ほど指を温めてもらうと、少しふやけた指は全く異常が無いように見えたので、取り越し苦労だったと安堵したが、意外にも平岡さんから、下山すれば治る可能性はあるかもしれないが、凍傷には間違いないので、今すぐ下山してC.1常駐しているエージェントのドクターの治療を受けるようにと強い口調で言われてしまったので、有無を言わさずこれに従うしかなかった。 その数秒後にはウールの手袋と羽毛のミトンまで右手にはめられてしまい万事休すだ。 たまたまアタックが中止になったことで、軽い気持ちで平岡さんに相談したことが裏目に出てしまい、地獄の底に突き落とされたような気持になった。 「好事魔多し」の諺は正にこのことだろう。

   右手が不自由になってしまったので、工藤さんに色々と面倒を見てもらいながら、急いで朝食を食べ、テントの中の荷物を整理して下山の準備をする。 C.1まで一人で下るつもりでいたが、平岡さんの指示でビシュヌと一緒にC.1に下ることになった。 明日の登頂を目指してC.3に残る田路さん、山本さん、そして工藤さんに別れを告げ断腸の思いでC.3を後にする。 気が付けば天気は嘘のように回復し、風の弱い絶好の登山日和となっていた。 一昨年登れなかった同じ山域のハン・テングリのリベンジを誓ってこの山にチャレンジしに来たが、逆に傷口に塩を塗るような結果となってしまい、自分に対する慰めの言葉も見当たらない。 ミトンをした右手では写真を撮りにくいが、それ以上に写真を撮りたいという気持ちが湧いてこなかった。

   昨日の強風、そして未明の爆風が嘘のようにC.2への下りは無風となり、一度も休憩することなく僅か1時間ほどでC.2に着いた。 C.2では私と同じように何らかの事情で隊から離脱しC.1に下る単独の外国人と一緒にビシュヌとロープを結ぶことになった。 C.2からC.1への下りでは気温が上昇し暑くなってきたが、気力が失せてしまったことで着替えるのが面倒臭く、汗をかきながら氷河の取り付きまで殆ど休まずに下り続けた。 氷河の取り付きまで下ると、ようやく少し現実を受け入れられるようになり、ロープを解いてからゆっくり寛いだ。

   1時前に今まで以上に閑散としたC.1に着き、すぐにエージェントのドクターのテントに向かう。 ビシュヌと一緒にドクターに事情を説明し、手袋を外して右手の親指を見せると、すでに指の白さは殆どなく、ドクターからは全く問題ないという診断があった。 ドクターの診断で安堵した反面、再び悔しさがこみ上げてきたが、もう後の祭りだ。 ビシュヌに個人装備の荷下げ料を支払い、相応のチップを手渡す。 ガランとしたダイニングテントで遅い昼食を食べ、掲示板に貼り出された明日以降の天気予報をチェックすると、明日と明後日の風は出発前よりも少し弱くなっていた。 ビシュヌは登頂後の私達の隊の下山をサポートするため、明日の未明から再びC.3に上がるとのことだった。


C.3から見たレーニン・ピーク


氷河の取り付き付近から見たレーニン・ピーク


今まで以上に閑散としたC.1


掲示板に貼り出された明日以降の天気予報


夕食のピザ


C.1から見たレーニン・ピーク


   8月19日、登頂を逃した悔しさで一晩中眠れないかと思ったが、色々と余計なことを考えているうちに朝まで一度も目覚めることなく熟睡した。 早朝から予報よりも良い快晴の天気で、純白のレーニン・ピークが澄みきった青空に良く映える。 稜線には雪煙は見られず、強い風は吹いていないようで、奇しくも一昨年のハン・テングリの時と全く同じように、アタック日が滞在中で一番良い天気となった。 再び悔しさや空しさがこみ上げてきたが、これは運命だと受け容れるしかない。 昨日とは逆にレーニン・ピークの写真を何枚も何枚も撮り続けた。 朝食後のSPO2と脈拍は87と58で、肉体的な疲労感は全くなかった。  時間はたっぷりあるので、シュラフを干したり靴を洗ったりしながら、いつもはB.Cでやるような登山用品の細かい片付けや整理をする。 そろそろシーズンが終了になるため、エージェントのスタッフ達も使われていないテントを解体したりして撤収の方向に動いていた。 昼を過ぎても雲一つない快晴の天気が続いていたので、私達の隊の登頂は間違いないと思われた。

   夕方の昼寝から目覚め、そろそろ7時の夕食の時間になろうとした時、隣の平岡さんの個人用テントから何やらゴソゴソと音が聞こえてきた。 テント荒らしかと思い、声を掛けながらテントを開けると、当の平岡さんの姿があったので驚いた。 登頂後にC.1に下ってくるには早過ぎるし、この天気で登頂していないことは考えられない。 不思議に思いつつ話を伺うと、昨日と同じように夜中の風が強く、今朝5時半にようやくアタックを開始したが、結局強い風は吹き止まず、2時間ほど登ったところで登頂を断念しC.3に引き返したとのことだった。 田路さん達はまだこれからビシュヌと一緒に下ってくるとのことで、氷河の取り付きに向かって迎えに行くことにした。 間もなく出会った田路さんと山本さんを労い、さらに歩いていくと、ビシュヌと一緒にこちらに向かってくる工藤さんの姿が見えた。 登頂こそしていないものの、6100mのC.3に2泊したことで消耗している感じが見て取れた。 思いもよらぬことで、皆と夕食の席を共にすることになった。 予備日はまだ3日残っているが、この状況で再度アタックすることは事実上無理なので、今回のレーニン・ピークへの登頂は隊としても不成功に終わった。


C.1から見た早朝のレーニン・ピーク


C.1から見たラズレルヤナ・ピーク


昼を過ぎても雲一つない快晴の天気が続いていた


昼食のデザートのスイカ


C.3から下山してきた田路さんと山本さん


C.3から下山してきた工藤さんとビシュヌ


皆と夕食の席を共にする


  【C.1からB.Cを経てオシュへ】

   8月20日、快晴だった昨日とは違い、予報どおり上空には雲が点々と見られた。 気温も今までで一番低く、テントが霜で真っ白になっていた。 稜線上にも次第に寒々しい白い雲が見られるようになり、ジェットストリームが吹き荒れているように思えた。 季節が夏から秋に変わっていくような感じで、C.1にも冷たい風が吹き始めた。 

   朝食時に他のメンバーからあらためて昨日のアタックの状況を伺うと、私がC.3にいた一昨日よりもさらに強い風が未明から吹き続け、スタートの段階で工藤さんと山本さんは登頂を断念され、唯一平岡さんと共に出発した屈強な田路さんも、強風のため途中で登頂を断念されたとのことだったので、仮に私がC.3に残っていたとしても、指の凍傷の不安を抱えながら山頂を目指すことは出来なかったのではないかと思え、登頂出来なかったことに対する気持ちの整理がついた。 

   一番ボリュームの多い昼食のメインディッシュは羊の肉料理だったが、すっかり気が緩んだのか食べ過ぎてしまい、二度もトイレに行く始末だ。 今後もしばらくこの状況が続けば、出発前よりも体重が増えるのではないかとさえ思えた。 午後になると小雪が舞ってきたので、テントの中で昼寝をして過ごした。


C.1のダイニングテント


ダイニングテントでの朝食


季節が夏から秋に変わっていくような感じで、C.1にも冷たい風が吹き始めた


昼食の羊の肉料理


午後になると小雪が舞ってきた


夕食の麦飯のピラフ


   8月21日、夜中に数センチの雪が積もり、今朝も冷え込みが厳しかったが天気はそれなりに良かった。 急に寒くなったことで風邪がぶり返したのか左の後頭部が痛い。 朝食後の9時にスタッフ達に見送られてC.1を出発し、雪の薄っすらと積もったモレーンの中の道を下る。 何度も何度も後ろを振り返りながら、雲の中に見え隠れしているレーニン・ピークの写真を撮る。 行きは馬に乗って渡った沢は、早い時間帯なので飛び石伝いに簡単に渡れた。 私達の荷物を運ぶためB.Cから上がってきた馬とすれ違い、2時間ほどで中間点のトラベラーズ・パス(峠)に着いた。 シーズン・オフが近くなり、2週間ほど前にB.Cから登ってきた時のように、周囲に登山者の姿は見られなかった。 峠からは行きに登った道ではなく、馬が通るための傾斜が緩い道を下る。 扇状地の上端のオニオン・グレードを過ぎるとマーモットの鳴き声が響き渡るようになり、ようやく近くでその姿を見ることが出来た。

 

夜中に数センチの雪が積もり、今朝も冷え込みが厳しかった


スタッフ達に見送られてC.1を出発する


C.1から見たレーニン・ピーク


C.1からB.Cへ下る


何度も後ろを振り返りながら、雲の中に見え隠れしているレーニン・ピークの写真を撮る


行きは馬に乗って渡った沢は、早い時間帯なので飛び石伝いに簡単に渡れた


トラベラーズ・パス手前の長いトラバース


トラベラーズ・パス


峠からは行きに登った道ではなく、馬が通るための傾斜が緩い道を下る


オニオン・グレードを過ぎるとマーモットを近くで見ることが出来た


   峠から休まずに歩き続けたので、昼食時間の1時より少し前にB.Cに着いた。 B.CもC.1と同じように閑散とした雰囲気で、ダイニングテントの脇にあった馬方のユルト(移動式の住居)も無くなっていた。 さすがに氷河から離れているB.Cは暖かく、日本の夏の高原のような感じだったが、まだ頭痛が完治せず煩わしい。 昼食後は馬方に荷物の運賃92ドルを支払い、お世話になったガイドのビシュヌとメールアドレスを交換し合った。

   B.Cの最後の夕食はカレー風味の羊の肉料理だったが、C.1よりも肉の割合が明らかに多かった。 C.1でこれだけ肉を食べたら消化出来ないだろう。 予定より3日早くB.Cに下りてきたが、夕食後に平岡さんから、帰りのビシュケクから先の航空券は変更出来なかったと知らされ、ビシュケクに3泊することになってしまった。


2週間ぶりにB.Cに戻った


氷河から離れているB.Cは暖かく、日本の夏の高原のような感じだった


お世話になったガイドのビシュヌ


夕食のカレー風味の羊の肉料理


   8月22日、久々に朝食のバイキングを食べ、ビシュヌと再会を誓って9時過ぎにスイス隊と一緒にアキサイ社が用意した古いベンツのマイクロバスに乗り、今日泊まるオシュへ向かう。 集落のある幹線道路との分岐まで1時間ほど凸凹の多い未舗装の悪路を走る。 行きには分からなかったレーニン・ピークの頂が車窓からでも良く分った。 トイレ休憩を兼ねてドライバーが幹線道路との分岐の手前にある『レーニン・ピーク入口』と記されたアーチの近くで車を停めてくれたので、もう二度と見ることは叶わないレーニン・ピークの雄姿を眼に焼き付ける。 昼食はアキサイ社が用意した簡素なランチボックスを車内で食べた。 朝食を食べ過ぎたのでちょうど良かった。

   マイクロバスは途中1回トイレ休憩をしただけで順調にオシュへ疾走し、アキサイ社と提携しているホテル『サンライズ』には昼過ぎに着いた。 行きに泊まった同じ名前のホテルが新館で、こちらが旧館のようだったが、エアコンが良く効く室内の居心地は快適で、久々に潤沢なお湯でシャワーを浴びることが出来た。

   夕食は町のやや中心にある前回と同じレストランに歩いて行き、ビールで乾杯してから羊や牛や鶏の肉料理を頬張ったが、登頂出来なかったので今一つ盛り上がらない打ち上げとなった。 やはり山は登れなければダメだとつくづく思った。 オシュの町中は乾燥しているものの気温は高く、夜でも半袖で歩けるほどだった。


B.Cから見たレーニン・ピーク(中央奥)


朝食のバイキング


アキサイ社が用意した古いベンツのマイクロバス


『レーニン・ピーク入口』と記されたアーチからレーニン・ピークの雄姿を眼に焼き付ける


車窓からの風景


オシュで泊まったホテル『サンライズ』


エアコンが良く効く室内の居心地は快適だった


夕暮れのオシュの町


夕食はビールで乾杯してから羊や牛や鶏の肉料理を頬張る


羊肉


牛肉


  【ビシュケク】

   8月23日、空気が濃くなったので熟睡出来たが、まだ軽い頭痛があり、疲れが完全に取れていないようだ。 8時にエージェントの車が迎えにくるので、朝食のバイキングを慌ただしく食べる。 予想に反してバイキングは4ツ星並みの量と質だった。 オシュの地方空港から9時半発の便でビシュケクの国際空港に向かう。 1時間足らずで着いたビシュケクのマナス空港のロビーにはエージェントのアキサイ社の立派なブースがあり、この会社が登山専門ではなく、大手の旅行会社であることがあらためて分かった。

   エージェントの送迎車で市内のホテルに向かうが、ビシュケクの市街は空港から数10キロ離れていた。 車窓からはパミール高原ではない氷河を戴いた山脈が見えた。 昼前にホテルに到着したが、エージェントと契約しているホテルなのでチェックイン出来た。 5階建ての立派なホテルだが、なぜかエレベーターがなかった。 ホテルの部屋は広くはないが、バスやトイレは清潔でまずまずだった。 ホテルでの両替は10ドルで680ソムだった。 

   ホテルは商業施設のある町の中心部から少し離れた住宅地にあるため、昼食はホテルの近くあるという日本料理店に行ったが、お目当ての店が見つからなかったので、仕方なく町の中心部に向けて2キロほど歩き、地元のチェーン店のようなレストランに入ったが、意外にもこの店では英語のメニューがあるばかりか英語も通じ、1000円程度で美味しい肉料理がお腹一杯食べられた。 ビシュケクには今日から3泊するが、料理の種類も豊富だったので、滞在中の食事はずっとこの店で良いかと思えるほどだった。 まだ鼻水が止まらないので、昼食後は市内観光をしないでホテルに戻って休養する。 ホテルが経営する小さなストアで買った1.5リットルのミネラルウォーターは20ソム(邦貨で約30円)だった。

   夕食は外国人の旅行者に人気があるという地元のキルギス料理の店に行き、牛肉のステーキを食べたが、料理がなかなか出てこなかったので帰りが遅くなってしまった。 ビシュケクはオシュよりも標高は低いが緯度が高いので、夜は秋のように涼しく、半袖では寒いくらいだった。


オシュのホテルでの朝食


朝食のバイキング4ツ星並みの量と質だった


オシュの地方空港


車窓からはパミール高原ではない氷河を戴いた山脈が見えた


ビシュケクのホテル『リッチ』


ホテルのロビーの時計に『TOKYO』の名があった


ホテルの部屋


地元のチェーン店のようなレストラン


ラムのスペアリブ


ピロシキのような料理


フィルハーモニー・コンサートホール


高級なマンション


ホテルが経営する小さなストア


外国人の旅行者に人気があるという地元のキルギス料理の店


牛肉のステーキ


   8月24日、昨夜も熟睡出来たが、時折思い出したように感じる頭痛があり、咳や鼻水も止まっていなかった。 日本を発つ時にひいていた風邪がまだ治っていなかったのだろうか。 昨夜は食べ過ぎたので、朝食は10時を過ぎてから一人で食べる。 朝食のバイキングは、昨日のオシュのホテルが良過ぎたので見劣りするが、必要にして充分な内容だった。

   体調は万全ではないが天気は良いので、朝食後はビシュケクの町の散策を行う。 町の中心部までは遠いので、ホテルの周囲の散策に留めようとホテルを出ると、すぐ前方を歩いていた男女の二人連れから日本語の会話が聞こえてきたので驚いた。 思わずお声掛けして話を伺うと、ご主人は海外で活躍されているプロのカメラマンで、奥様は外資系の会社にお勤めのご夫婦だった。 今回は奥様の休暇に合わせてキルギスでのバカンスを楽しまれているとのことだった。 これからオシュ・バザール(市場)に行かれるとのことでご一緒させていただき、海外での色々な経験談を伺いながら、図らずも楽しい時間を過ごすことが出来た。 

   市場の入口でメールアドレスの交換をしてご夫婦と別れ、予定外だった市場の中を見て回る。 市場は大勢の地元民や観光客で賑わっていたが、規模は予想よりも小さかったのでほぼ全体を見て回ることが出来た。 食料品は肉と野菜、果物、穀物そしてパンやお菓子がメインで、魚は全く売っていなかった。 途中で先に市場の見学にきていた田路さん達に出会った。 一旦ホテルに戻り、行動食で余ったせんべいやアイスクリームなどを食べ、午後は市場とは反対方向のショッピングセンターの中を見て回った。 

   シャワーを浴び、夕食はメンバー全員で町の中心部へタクシーに乗って向い、『NAVAT』という有名なレストランでキルギス料理食べた。 意外にも店には大学で日本語を勉強しているというウエイターがいて、思いがけず日本語で料理を注文することになった。 お勧めの馬肉のうどんを食べたが、きし麺風でとても美味しかった。 図らずも今日は日本語に恵まれた一日となった。


朝食のバイキング


ホテルの窓から見た近隣の住宅地


日本人のご夫妻と一緒にオシュ・バザールに向かう


オシュ・バザール(市場)の入口


市場内の肉屋


市場内の穀物店


市場内のパン屋


映画館


ショッピングセンター


町の中心部にある『NAVAT』という有名なレストラン


レストランの店内


馬肉のうどん


定番のシシカバブー


   8月25日、町に下ってきてからずっと晴れの天気が続いている。 さすがに降水量が日本の数分の一だけあって、この国の晴天率は高い。 鼻水に鼻血が混ざらなくなり、煩わしい頭痛もようやく治った。 朝食のバイキングで昨日の山本夫妻と再会した。 これからチェックアウトし、国内で一番大きいイシク・クル湖への観光に行かれるとのことだった。 隣の席には日本人の4人のグループがいたので話を伺うと、意外にも帝京大学の教授と研究員で、このホテルの地下室で世界遺産の調査を行っているとのことだった。 キルギスで日本人に出会うことはないだろうと思っていたが、昨日から立て続けに出会いがあって面白かった。

   朝食後に同大学の教授のご好意で地下室の作業場を見学させていただく。 教授からの説明によると、世界遺産に登録されている『アク・ベシム遺跡』から出土した8世紀くらいの屋根瓦や土器の修復作業を、すでに1か月くらいここで行っているとのことだった。 世界の隅々に各分野で活躍されている方がいることを知り、ビシュケクでの滞在も無駄ではなかった。 

   午前中は町中の散策を兼ね、工藤さんとホテルから3キロくらい離れた百貨店の『ツムデパート』に歩いて向かう。 メインストリートの両側には大統領府、アラトー広場、キルギス国立大学そして国立歴史博物館などが見られた。 ツムデパートは庶民的なデパートで、5階建ての最上階は催事場になっていて民芸品が売られていた。 1階のフードコートで食べたラーメンは少し辛い韓国製のインスタントラーメンで笑えた。 

   午後は路線バスに乗り、新しく出来たショッピングセンターの地下にある大きなスーパーマーケットを見て歩いた。 店内の品揃えはまずまずだったが、やはり生の魚は皆無で、冷凍のものしかなかった。 この国の人は殆ど魚を食べていないように思えた。 ホテルへの帰路、C.1で雑談を交した韓国人の若者と再会した。 彼も登れなかったとのことで傷を舐めあったが、本当に世の中は狭いものだ。 一昨日昼食を食べたレストランで音楽ショーを聞きながらビシュケクでの最後の晩餐とした。


ホテルのレストラン


帝京大学が地下室で行っている屋根瓦や土器の修復作業を見学する


地学博物館


町中で良く見られる両替商


大統領府


マナス王像と国立歴史博物館


アラトー広場とキルギス国立大学


ツムデパート


ツムデパートの最上階は催事場になっていて民芸品が売られていた


フードコートのラーメン店


自由の女神像


C.1で雑談を交した韓国人の若者と再会した


一昨日昼食を食べたレストランでビシュケクでの最後の晩餐とした


レストランの音楽ショー


ピロシキのような料理


ローストビーフ


   8月26日、今日も快晴の天気となり、体調はすっかり良くなった。 朝食のバイキングではまた新しい数人の日本人の顏が見られた。 どうやらホテルの検索サイトの最大手『トリバゴ』でこの宿が一番上位にくるようだ。 午前中は日記を書きながらゆっくりホテルで寛ぎ、昼過ぎにホテルをチェックアウトして、エージェントの車でマナス国際空港に向かう。 ホテルの追加料金は1泊25ドルと意外に安かった。 町を走る日本車はロシア経由の中古が多いためか、大半が右ハンドルだった。 自転車やバイクが殆ど走っていないのがこの国の特徴だ。 

   空港は夏休みの週末ということで非常に混雑していた。 預託荷物の支払いはドルでは駄目で、出発カウンターの近くの両替所で100ドルをソムに替えて支払った。 無事チェックインを済ませ、出発ロビーの喫茶店でコーヒーを飲みながらケーキを食べる。 夕方の4時半に出発するモスクワ行の便に乗る。 モスクワまでは4時間半のフライトだった。 乗継地のシェレメーチエヴォ国際空港は雨だったが、1時間弱しかない乗り継ぎ時間も全く問題なかった。 モスクワから成田へは9時間半のフライトで翌日の10時半に成田空港に着き、各方面に分かれるメンバーと再会を誓って解散した。

   今回はかねてから憧れていた『旧ソビエト連邦の7000m峰5座』であるポベータ(7439m)・レーニン・ピーク(7134m)・イスモイル・ソモニ(7495m)・コルジェネフスカヤ(7105m)・ハン・テングリ(7010m)のうち一番易しいと言われるレーニン・ピークへの登頂を目指し、山頂にあるレーニン像を拝みたいと思いを馳せていたが、不覚にも最終キャンプ地で右親指に凍傷の疑いがあるということでガイドの平岡さんから下山命令があり、珍しく順応と体調が共に万全ながら登頂のチャンスを目前で逃すという異例の事態となってしまった。 この失敗を次の登山への糧として深く心に刻み、その原因について良く検証してから前に進んでいこうと心に誓った。


昼食はキルギス製のカップラーメンを食べた


マナス国際空港


出発ロビーの喫茶店


乗継地のシェレメーチエヴォ国際空港


成田空港で解散する


山 日 記    ・    T O P