【チキアンからワラスへ】
7月25日、昨夜は久々のベッドでぐっすり眠れたが、ラサックの登攀で酷使した腕の筋肉痛がまだ残っていた。 今日は伊丹さんとOさんがリマから深夜の便で一足先に帰国し、平岡さんと朋子さんはトレッキングと観光にリマから南部の古都クスコ(3400m)へ、私と妻と西廣さんと節子さんの4人はブランカ山群のチョピカルキ(6354m)の登山に向けてワラス(3090m)の町にそれぞれ向かう。
チキアンのホテルを9時過ぎに出発し、エージェントが用意した大型のバスに乗ってコノコーチャ峠(4050m)に向かう。 ここ数日良い天気が続いていたが、今日は雲が多く車窓からワイワッシュの山は見えなかった。 1時間足らずで峠に着くと、エージェントが用意したワゴン車が待っていた。 リマに向かう4人との別れを惜しみながら、再会を誓ってアグリらと一緒にワゴン車に乗り込む。 ペルーでは昨今景気が良いのか、何か所かで道路工事をやっていて、道路も前回の滞在時に比べて良くなっていた。 間もなくブランカ山群の山並が見え始めたが、こちらも雲が多くワスカランは見えなかった。 途中、ワゴン車のドライバーが何かを不法に所持していたらしく、検問所でしばらく足止めを食ったが、正午前にワラスでの滞在先となるホテル『コロンバ』に着いた
1時間後にアグリがホテルに来てくれ、昼食を食べながら登山の打ち合わせをすることになった。 町のメインストリートでは、ワラスが県庁となっているアンカシュ県の制定記念日ということで、交通規制をして盛大なパレードをやっていた。 ワラスには立派な銀行もあるが、アグリが利用している街の両替商で米ドルをペルーの通貨のソーレスに替える。 100ドルが約270ソーレスだったので、物価は日本の三分の一くらいだ。 アグリの勧めで前回の滞在時も行ったガイド組合の近くの『エル・オルノ』というピザの専門店に入る。 ピザはもちろん石窯で焼かれたもので、味もさることながら種類と量がとても多かった。 食事の前後にアグリとチョピカルキ登山の打ち合わせをする。 当初の計画では3泊4日の日程だったが、これはエージェントの社長のベロニカが決めたもので、アグリからは私達の昨日までの行動や順応の程度から4泊5日の方が良いという提案があったので、予備日は1日減るがアグリの提案に従うことにした。 アグリと明日の夜に夕食を食べながら最終の打ち合わせをすることを約し、スーパーで日用品の買い物をしてホテルに戻った。
荷物の整理をしながら、クリーニングに出すものなどを選別していると、寛ぐ時間もなく夜になった。 夕食は前回の滞在時も行ったレストランの『ビストロ・デ・ロス・アンデス』に行き、ワラスではポピュラーなトゥルーチャなどを食べた。 ホテルへの帰り道で、偶然にもワラス在住の谷川さんと横断歩道の上ですれ違い、後ろから声を掛けたが、気が付かずに行ってしまった。 ホテルに戻ると、先ほどフロントに預けたばかりのクリーニングがもう出来上がっていた。 4〜5キロの衣類を頼んで72ソーレス(邦貨で約2500円)だった。 あいにく浴室にはバスタブが無かったが、シャワーの湯量は豊富で、それなりに快適だった。
7月26日、快晴で清々しい朝だが、放射冷却で山の中と同じくらい寒く感じる。 部屋に暖房の設備がないので余計そう感じるのかもしれない。 朝食のバイキングは宿泊客が少ないせいか質素で、パンも冷たかった。 朝食後のSPO2と脈拍は91と61で、疲れが取れていないのか脈が少し高かった。
午前中は明日からの登山に備えて寝袋を干したり、荷物の仕分けなどをして過ごし、正午に西廣さん夫妻と一緒に市場通りの散策を兼ねて昼食を食べに出掛けた。 今年の山の天気はやはり不安定なようで、上空にはすでに雲が湧いてきていた。 雑踏とした市場の雰囲気はワラスが3回目の私達には見慣れた光景だが、南米が初めての西廣さん夫妻には印象的だっただろう。 昼食は昨日行ったピザ店の並びのイタリアンレストラン『トリビオ』でパスタやケーキなどを食べ、観光客向けの土産物店やスーパーに寄ってからホテルに戻った。 ホテルのロビーには無料で使えるパソコンがあって重宝した。 夕方はアタック用の装備の再点検などをして過ごす。
約束どおり7時にアグリがホテルに来てくれ、私達の希望でクレープ包み料理が得意のフレンチレストラン『クレープリー・パトリック』に行き、夕食を食べながら明日からのチョピカルキ登山の打ち合わせをする。 アグリから、今シーズンはワスカランの氷河の状態が悪く、6月に平岡さんの隊が登ったのが最初で最後になっているため、チョピカルキに登るパーティーがいつもより多いので、ルートは全く心配要らないという話しがあった。 また、当初はアグリの他にロドリゴがガイドに決まっていたらしいが、同じエージェントに属するガイドがアルパマヨで怪我をしたことで、急遽ロドリゴが他のクライアントのトクヤラフのガイドをすることになってしまったとのことだったが、コックは予定どおりラウルが来てくれるとのことで良かった。 また、明日からはペルーの独立記念日の祝日を絡めた連休となるため、アグリの長女とラウルの長女がB.Cまで一緒に来るというので楽しみだ。
【チョピカルキ】
7月27日、昨夜はご馳走を食べ過ぎたようで少し体調が悪いが、起床前のSPO2と脈拍は93と53で、順応に関しては全く問題ない。 9時にアグリがホテルに迎えに来てくれた。 不要な荷物をホテルに預け、9時過ぎにエージェントのワゴン車でホテルを出発。 一番後ろの座席にはアグリの長女のカティとラウルの長女のディアナが座っていた。 天気はまずまずで、初めてワスカランが車窓から見えた。 ワラスから先の幹線道路も前回の滞在時に比べて舗装の状態が格段に良くなり、穴ぼこなどは全く見られなくなった。
 ワラスから1時間足らずでカルアス(2650m)に着き、スタッフが市場で食材の調達をする間に私達も1時間ほど市場の見学をすることになった。 ワラスに比べるといつもは静かな町だが、今日はペルーの独立記念日を絡めた連休の初日ということで、大型の観光バスが広場の駐車場に何台も停まっていて違和感を覚えた。 アグリの案内で露店の市場の雑踏の中に足を踏み入れる。 ワラスの市場よりもローカル色が強く、買い物客は外国人より地元の人が圧倒的に多かった。 市場の見学を終え、観光客で賑わうアイスクリーム店でアイスクリームを買って食べた。
カルアスからユンガイ(2500m)までさらに幹線道路を30分ほど走り、ユンガイからリャンガヌーコ谷への山道に入る。 さすがに山道はまだ舗装されていないが、路面の状態はやはり前回より良くなっていた。 意外にもワスカラン国立公園の管理事務所のゲートの数百メートル手前から車が渋滞して数珠つなぎになっていた。 この先のリャンガヌーコ(チナンコーチャとオルコンコーチャという上下二つの湖)は登山者にとっては通過点に過ぎないが、リマ辺りの都会から来る一般の観光客からすれば、立派な観光地ということなのだろう。 リャンガヌーコの湖畔を歩く人や湖に浮かぶボートも沢山見られた。
湖畔から少し離れた場所でラウルが作ってくれた昼食を食べ、リャンガヌーコ峠(4767m)の手前のチョビカルキのB.Cへの登山口に向かう。 途中にあるピスコやラグーナ69(湖)への登山口付近の駐車スペースは沢山の車で埋まり、路肩にも溢れた車の列が出来ていた。 午後に入ると今日も雲が湧いてしまったが、登山口が近づくと東西南北に四つのピークを持つワンドイ(6935m)、ピスコ(5752m)、チャクララフ(6112m)などの山々が順次見えてきた。 一方、肝心のチョピカルキ(6354m)とワスカランは雲に遮られて見えなかった。
1時半過ぎに峠の手前のヘアピンカーブの所にあるB.Cへの登山口(4150m)に着くと、先に到着していたスタッフたちが荷物をB.Cへ運んでいた。 私達もアグリに先導されて2時前に登山口を出発。 カティとディアナは荷物の番をするため登山口に残った。 途中で雲行きが怪しくなり雨もパラついたが、登山口から1時間足らずで楽々B.C(4300m)に着いた。 B.Cには他隊のテントが数張あり、チョピカルキとワスカランの南峰がようやく見えた。 アグリは登山口に戻って荷上げを手伝うということで、キャンプサイトの傍の丘に登って体を慣らすようにとの指示があった。
ジグザグに刻まれた明瞭な踏み跡をゆっくり登って行くと、これからモレーン・キャンプ(C.1)に向かうという健脚のパーティーが追い越して行ったので、この道が明日登るC.1への道だということが分かった。 30分足らずで丘の上に登ると、C.1の位置とそこに至るルートが良く分かり、その上のC.2の位置も概ね分かったが、チョピカルキの山頂は相変わらずすっきりと望むことは出来なかった。 順応のためピスコやチャクララフをしばらく眺めてからB.Cに下る。 間もなくカティとディアナも荷物を背負ってB.Cに着き、休む間もなくスタッフと一緒にテントの設営や荷物の仕分けを手伝っていた。
4時過ぎから雨が降り出し、とうとう本降りになってしまった。 夕食前のSPO2と脈拍は85と73で、何故か脈が少し高かった。 夕食は定番の鶏肉のクリームソース煮で、おかわりをして食べた。 今回の登山のスタッフはラサックから引き続きコックはラウル、ポーターはマヌエルとメシアスで、エリセオとノルベルトが新しく加わった。 ガイドはアグリと他のエージェントに所属するダリオの二人で、ダリオとは明日の夕方にC.1で合流するとのことだった。
7月28日、昨日からの雨は朝まで降りやまず、夜中から雪となってテントにも少し積もった。 目の前のチョピカルキよりも次のチンチェイは大丈夫かと心配になった。 起床前のSPO2と脈拍は88と58で、数値は良好だ。 順応と疲労の蓄積が半々というところだろうか。
今日はモレーン・キャンプ(C.1)に向かう予定だが、朝食後もまだ雨がパラついていたのでしばらく待機していると、隣のオーストラリア隊ともう一つの隊が今日のうちにC.2まで行くとのことで先行していった。 カティとディアナは私達が出発した後はワラスに帰るとばかり思っていたが、4日後に私達がB.Cに戻るまでテントキーパーとして二人だけでここに残るということで驚いた。
ようやく青空が少し覗き、ワスカランの南峰が見えたので、カティとディアナに見送られてB.Cを9時過ぎに出発する。 昨日登った丘の上からワスカランに登るかのようにその方向に向かって進んでいく。 ガルガンタのコルから流れ出す氷河とワスカランの北峰も見え始めたが、肝心のチョピカルキは残念ながら見えなかった。 小さな氷河湖まで少し下ってから、大小の岩が堆積する顕著なモレーンの背に上がり、その縁に沿って明瞭な踏み跡を辿っていくと、大きなザックを背負った二人の若い男女のパーティーとすれ違った。 今朝C.2からアタックしたものの、降雪が激しくて登れなかったが、登っていったパーティーもいたという。 母国を聞くとオーストリアとのことで、頑張って登頂して下さいとエールを送られた。 予報に反して天気は回復せず、しばらくすると再び小雪が舞い始めた。
天気が悪く休憩にもあまり時間を割かなかったので、1時過ぎに今日の目的地のC.1(4800m)に着いた。 シーズン中でも空いているテントサイトは、ワスカランからの振り替えや天候待ちなどで、すでに数パーティーのテントの花が咲いていた。 私達の直後に到着したスタッフ達は、休む間もなく少し下った所のテントサイトを整地し、快適な個人用テントを設営してくれた。 夕方まで小雪や小雨が降りやまず、テントの中でじっとして過ごす。 順応は十分なはずだったが、SPO2と脈拍は82と77で、昨日と同様に脈が少し高かった。
ようやく小雪が降りやんだ6時に外で夕食を食べる。 アグリの話では、今朝C.2を出発したスイス隊の4人が、風雪が強い中をラッセルして登頂に成功し、同じC.1にいるということで嬉しくなった。 天気予報ではブランカ山群の降雪量は8センチということらしい。 夕食を食べ終わった時に、ガイドのダリオがようやくC.1に着いた。 今日はどこかの山から継続で来ているようで、登山口を4時に出発したという。 ダリオはとても陽気な性格で、チョピカルキは何度も登ったことがあるということで頼もしく思えた。
7月29日、6時半に起床。 昨夜は夕食の消化が悪かったのか、お腹が張って脈が70台から下がらず、熟睡出来なかった。 起床後のSPO2と脈拍は78と68とあまり良くなく、鼻も詰まっている。 少し軟便だったので、初めて胃薬を飲んだ。 ようやく雪は止んで早朝から快晴の天気となり、キャンプサイトから初めて純白のチョピカルキの西面が眼前に大きく見え、ワンドイ、ピスコ、チャクララフなどの山々がモルゲンロートに染まり始めていた。 夢中で写真を撮っていると、アグリがそれらのピークの間から僅かに顔を覗かせているアルテソンラフ(6025m)、カラツ(6025m)、タウリラフ(5830m)などの頂を一つ一つ丁寧に教えてくれた。
素晴らしい展望を愛でながら朝食をテントの外で食べ、8時半にC.1を出発する。 C.1には私達の隊以外に20張ほどのテントが見られたが、下山する隊が殆どでこれから登る隊はなさそうだった。 大きな岩が堆積するモレーンの中を、ワスカランとのコルを目指して登っていく。 登りながらダリオと雑談を交わすと、彼は元々ラフティングのガイドをしていたらしく、音楽の作詞や作曲も趣味でやっているというユニークな人だった。
C.1から1時間ほど登った所で氷河への取り付きがあり、テントを撤収してから登ってくるスタッフ達を待つ。 風もなく穏やかな登山日和だが、昨日までの雨や雪のせいで早くも雲が湧き始めた。 結局、取り付きで後続のスタッフ達を1時間近く待つことになってしまったが、間近に迫るチョピカルキやワスカランの雄姿を仰ぎ見ながらのんびり寛ぐ。 アグリから、昨日山頂まで登れたのはスイス隊のみで、明日もアタックするのは恐らく私達だけなので、ラウルとマヌエルをラッセル要員としてアタックのメンバーに投入するという思いがけない話があった。
明日のアタックと同じパーティー編成で私と妻がアグリと、西廣さん夫妻がダリオとそれぞれアンザイレンして氷河を登り始める。 チョピカルキの頂稜部と雪庇の発達した南西稜が頭上に良く見え、明日登るルートのイメージが大雑把に掴めた。 氷河に印されたトレースは意外と浅く、C.2まではそれほど新雪が積もらなかったことが分かって安堵した。 間もなく昨日B.Cを先に発った男女3人のオーストラリア隊が下ってきたが、降雪のため予定していたC.2からではなくC.1からの出発となり、時間切れで登頂出来なかったとのことだった。 昨日の若い男女のパーティーと同様に、登頂を祈ってますと笑顔でエールを送られ泣けてきた。 C.2への氷河は比較的緩やかで広いが、大きなセラックやクレヴァスが沢山あるので、トレースが無かったりホワイトアウトすると、正しいルートを見つけるのが非常に難しいように思えた。
途中一度休憩をしただけで、取り付きから先行したスタッフ達がテントを設営している所に着いた。 高度計は5350mを表示し、ガイドブックに記されたC.2(5600m)の位置より250mも低かった。 アグリから、以前はC.2を稜線のコル付近としていたが、風が強いため昨今ではこの辺りをC.2としているとの説明があった。 ここから山頂までの標高差は1000mほどとなるのでそれなりにキツイが、これから明日のアタックに向けて体を休めるには楽な高さだ。 スタッフ達が作ってくれた雪のテーブルとイスに座り、炒ったトウモロコシやチーズ、そして暖かいスープをいただく。
天気はまだ安定してないようで、昼過ぎからは灰色に濁った雲が湧き、個人用テントの中で日記などを書いて過ごす。 テントが傾いているためあまり快適ではないが、夜中にはもう山頂へのアタックに出発だ。 夕方にはSPO2が80、脈拍はなぜか62と非常に良くなった。 アグリの予想どおり私達の後からC.2に登ってくる隊はなく、日没前にアグリから明日の出発は1時と告げられた。 夕食は日本から持参したフリーズドライの山菜おこわとポタージュスープを自炊して食べた。
7月30日、日付が変わる前に起床して準備を始める。 朝食はワラスのスーパーで買ったカップラーメンだ。 昨夜の7時頃からほぼ熟睡出来たので体調は良い。 起床後のSPO2と脈拍は78と73で、この高度では十分な数値だった。 風が少しあるのが気掛かりだが、妻や西廣さん夫妻も体調は良さそうだ。 昨日の打ち合わせどおり、アグリを先頭にラウル、妻、私の順にロープを結び、ダリオは西廣さん、節子さん、マヌエルの順にロープを結んだ。 以前は高い所は苦手だと言っていたラウルも今日は気合が入っていて頼もしく思える。
予定より少し遅れて1時15分にC.2を出発。 心配していた風もほぼ収まった。 稜線のコルに向けて広い斜面を登っていく。 数値的にも十分順応しているように思えたが足取りが重く、前を登る妻に常にロープで引っ張られるような状態がしばらく続いた。 後続のダリオは私のすぐ後ろにピッタリとくっつき、まるで追い立てるかのような勢いで登ってくるが、自分のペースを保って登る。 アグリは一昨日のスイス隊のトレースに従い、クレヴァスも迂回せずに飛び越えながら進んだ。 2時半過ぎに標高5600mの稜線のコル付近に着き、最初の休憩となった。
コルから稜線(南西稜)に上がると傾斜が一段と増し、地形やルートも複雑になってきた。 寒さも少し増してきたが、ありがたいことに稜線上も風が無く、コルから1時間ほど登った所でまた休憩となった。 遥か眼下に麓の町の明かりが見えた。 このまま順調に行けるだろうと思ったのも束の間、その先に大きなクレヴァスがあり、アグリがルート工作をしている間しばらく待たされた。 ヘルメットを被り、行動食を食べていると、足のつま先が冷たくなってきた。 やっかいなクレヴァス帯を無事通過し、後続の西廣さん夫妻のパーティーを待ちながら、標高6000m付近で三回目の休憩となった。 夜明けが音もなく近づき、ワスカラン南峰のシルエットが暗闇から浮かび上がっていた。
西廣さん夫妻のパーティーのヘッドランプの灯りが見えると、彼らの到着を待たずに先行することになり、目の前に立ちはだかる急峻な雪壁を右から回り込むように迂回すると、しばらくの間はテラスのように広くて緩やかな斜面の登りとなった。 東の空が茜色に染まり始めると、不意におびただしい数の山々の頂が目の前に見えた。 振り返えれば、ガルガンタのコルを挟んでワスカラン南峰と対峙する北峰も指呼の間に望まれ、その迫力ある景観に思わず息を飲んだ。 ご来光が近づき、周囲が次第に明るくなってくると、ようやく目の前の山々がブランカ山群のほぼ中央にあるコパ(6188m)とワルカン(6125m)、そして南部のトクヤラフ(6032m)、チンチェイ(6222m)、ワンサン(6395m)、パルカラフ(6274m)などであることが分かり、そのユニークな展望に心が弾んだ。
再び稜線に沿って急斜面の登りになると、足元の新雪が急に深くなった。 アグリとラウルが懸命にステップを刻んでくれるが、雪は脆くピッケルがもう一本欲しいくらいだ。 後続の西廣さん夫妻のパーティーも見えてきた。 モルゲンロートに染まり始めたワスカラン南峰がいつの間にか目線の高さになり、このまま登り続けるとワスカランを超えてしまうのではないかと思えるほどだった。 30分ほど急斜面を頑張って登り続け、最後に短い雪壁を確保されながら這い上がると、山頂手前のなだらかですっきりとした雪稜の末端に着き、ようやく私達にも暖かい太陽の光が当たるようになった。 ここからは初めて巨大な雪庇が張り出したチョピカルキの山頂が見えたが、まだそこに辿り着けるかどうかは確信が持てなかった。 北東の方角のアマゾン側は一面雲海で埋まり、隣に聳えるコントライェルバス(6036m)がすでに目線の下に望まれた。
ありがたいことに天気は快晴無風の登山日和となり、高度とは反比例するかのように足取りは軽くなった。 暖かな陽射しを浴びながらしばらくの間は気持ちの良い稜線漫歩となり、山頂直下の芸術的な雪庇の基部を右から回り込み、クレヴァスを一つ越えると、山頂に向けてやや急な斜面の登りとなった。 頭上にはもう青空しか見えなかった。 傾斜が緩むと先頭のアグリが振り返り、両手を挙げて私達の到着を待っていた。
7時45分、C.2から6時間半で待望のチョピカルキ(6354m)の頂に辿り着いた。 初めてブランカ山群の6000m峰に登れた妻を祝福して抱擁し、アグリとラウルに感謝の気持ちを伝えながら固い握手を交わした。 広くもなく狭くもない理想的な山頂からの展望は予想以上に素晴らしく、それまで見えなかったブランカ山群北部の山々が目の前にずらりと勢揃いし、ここから見えない山は無いと言っても過言ではなかった。 もちろん眼前にはペルーの最高峰でブランカ山群の盟主でもあるワスカラン南峰(6768m)が圧倒的な大きさで鎮座し、チョピカルキがケチュア語で“中央の隣”という意味であることがあらためて良く分かった。 筆舌に尽くし難いこの大展望は、今まで登ったブランカ山群の山の中では間違いなく一番で、この山に登らずしてブランカ山群の山は語れないとさえ思った。 快晴無風の孤高の頂で、360度の大展望に興奮しながら夢中で写真を撮り続けた。
西廣さん夫妻のパーティーを待ちながら山頂で寛いでいたが、いつまで経っても登ってくる気配がなかったので、8時半に下山することになった。 山頂から下り始めると、ようやく山頂直下に西廣さん夫妻の姿が見えたので、しばらくそこで待機し、すれ違い際にお二人の登頂を労ってから下山した。 下りでは基本的に急斜面は全て懸垂したので、その区間では登りと同じくらいの時間が掛かった。 途中からラウルが先頭になり、山頂から3時間近く下った所で西廣さん夫妻のパーティーが追い付いてきたので、そこで一緒に休憩することになった。
その後も懸垂を繰り返しながら正午にコルまで下ると、後は一気に留守番のメシアス、エリセオ、ノルベルトの3人が首を長くして待つC.2に駆け足で下り、山頂を発ってから4時間後の12時半にC.2に着いた。 ちょうど明日アタックする他の隊もC.2に着いたところだった。 アグリから、食料が無いので今日中にB.Cまで下りたいという提案があったが、後続の西廣さん夫妻のパーティーの到着が1時間後になってしまったので、協議の結果とりあえずC.1まで下ることになった。
荷物を整理して2時半にC.2を発つ。 下山中に靴が壊れてしまった西廣さんをアグリがサポートしながら、全員が同じロープでアンザイレンして下ったが、途中でダリオのアイゼンも壊れてしまい、C.1への到着は4時半過ぎになってしまったので、無理をせず今日はここで泊ることにした。 C.1にも食料をデポしてなかったようで、夕食はスープと行動食の余りで済ませたが、登頂出来た満足感と安堵感に満たされた幸せな夜を過ごした。
7月31日、アグリの声でまだ薄暗い6時前にテントから出ると、一昨日と同じように周囲の山々がモルゲンロートに染まり始めていた。 美しい景色に心が弾むのも昨日登頂出来たからに他ならず、あらためて昨日の好天に感謝した。 朝食は食べずに7時半前にC.1を発ってB.Cへ下る。 空は澄みきったアンデスブルーとなり、風がなければ今日は昨日以上のアタック日和となりそうだ。 何度も足を止めては山々の写真を撮る。 ワスカラン南峰は麓のユンガイ方面から見た雪のドームとはまるで違う荒々しい面持ちで神々しい。 あいにく肝心のチョピカルキは近すぎて絵にならないのが残念だ。 ダリオと雑談しながらモレーンの背を下り、9時過ぎにカティとディアナが首を長くして待つB.Cに着いた。
B.Cには潤沢な食材があるので、久々に朝食をお腹一杯に食べた。 朝食後はすぐにB.Cを撤収し、ワラスに帰ることも出来たが、今日は町の散策や買い物をするつもりは毛頭なく、ホテルで休養する予定だったので、明日帰国する西廣さんや節子さんと相談し、山々のロケーションが素晴らしいB.Cで午前中はゆっくり寛ぐことにした。 スタッフ達もテントを干しながら、ゆっくりと撤収の準備を始めた。
昼食後にアグリ、ダリオ、ラウル、マヌエル、メシアス、エリセオ、ノルベルト、そしてカティとディアナのスタッフ全員に感謝の気持ちを込めてチップを手渡すセレモニーを行い、1時前にB.Cを発って登山口に向かった。 意外にも出発して間もなく日本人のパーティーとすれ違ったので挨拶を交わすと、そのうちの一人は高所登山の研究者として有名な鹿屋体育大学の山本正嘉さんだった。 チョピカルキに登られるのは、やはりワスカランのルートの状態が悪いための代替えということだった。
B.Cからは労せずして登山口に着き、迎えに来た大型のバスに乗ってワラスに向かう。 数日前の喧噪が嘘のようにリャンガヌーコ周辺は閑散としていた。 カルアスの手前でダリオが下車し、カルアスのアイスクリーム店に寄ると、ここもすっかり静かになっていてお客さんは誰もいなかった。 カルアスを過ぎると、車窓からコパ(6188m)が見えたので、車中から写真を何枚か撮ったが、数日後にこの山を登ることになるとは知る由もなかった。
5時半にワラスのホテル『コロンバ』に着き、夜は西廣さんや節子さんと一緒に入山前に行ったフレンチレストラン『クレープリー・パトリック』でチョピカルキ登山とペルーの山行の打ち上げをした。 三週間という期間でワイワッシュ山群一周のトレッキング(アルパイン・サーキット)を満喫し、ワイワッシュ山群とブランカ山群両方の6000m峰の登頂が叶い、周囲の山々も殆ど全て山頂から眺めることが出来たことは、ペルーが三度目の私達にとっても非常にラッキーだった。
8月1日、今日も快晴の天気となり、ホテルの中庭からランラパルカなどの山々が見えた。 起床後のSPO2と脈拍は92と55で、もうすっかり高所に順応した体になった。 ゆっくりと朝食を食べ、帰国する西廣さんと節子さんを見送るため、昨日アグリと打ち合わせた9時にホテルのフロントに行くと、アグリではなくエージェントの社長のベロニカが来ていた。 ベロニカとの再会に胸が弾んだが、アグリの義兄が昨日癌で亡くなったという話しを聞いて愕然とした。 次の山を登るためのアグリとの打ち合わせは必然的に延期となったが、ベロニカの話しでは葬儀は今日中に行われるので、明後日からの登山には影響がないとのことだった。
帰国のためリマに向かう西廣さんと節子さんを見送ってから、午前中はホテルでチョピカルキで使った登山用具の整理と次の登山に向けての準備を入念に行い、午後は昼食と行動食や土産物を買いに出掛けた。 “大型連休”も終わり、ワラスの町はだいぶ静かになったが、それでもメインストリートを歩く人や車は多かった。 午後に入っても雲は殆ど湧かず、バジュナラフ(5686m)、ランラパルカ(6162m)、リマ・リマ(5203m)、ワンツァン(6395m)、ワマシュラフ(5434m)、シャクシャ(5703m)などの山々がメインストリートから見えた。 スーパーマーケットのある交差点の対面に『金叶酒家』という中華料理店(チーファ)があったので、そこで昼食を食べることにした。 鶏肉の炒飯(10ソーレス/邦貨で約400円)と車海老の入った野菜炒め(17ソーレス/邦貨で約700円)を食べたが、野菜が多く味付けもまずまずで美味しかった。 特にボリュームは日本の1.5倍から2倍くらいで多過ぎるほどだった。 スーパーマーケットで最終キャンプで食べるカップラーメン、行動食、お土産用のお菓子などを買ってホテルに戻る。 ロビーに置かれている無料のパソコンで次に予定しているチンチェイやランラパルカなどの山々を検索して最新の情報の収集に精を出すが、どちらの山も参考になるような情報は殆ど得られなかった。
昨日から食べ過ぎていたこともあり、夕食はいつも盛況な路地裏のファーストフードのハンバーガーショップでチキンとビーフのハンバーガー(いずれも2ソーレス/邦貨で約80円)を買ってホテルの部屋で食べたが、中に挟んである大きなフライドポテトが美味しく、地元の人に好まれている理由が分かった。
8月2日、雲はあるが今日も良い天気となり、ホテルの庭のブーゲンビリアの花も色鮮やかだ。 起床後のSPO2と脈拍は96と56で体調はもう万全かと思ったら、突然鼻血が出たので驚いた。 朝食をゆっくり食べ、約束した9時にホテルのフロントに行くと、アグリのみならず何故かベロニカも来ていた。 黒い革靴を履いたアグリはまだ葬儀の途中のようで、顏には疲れの色が見えていた。 アグリにお悔みの言葉をかけ、早速ロビーで明日からの登山の打ち合わせをする。 第一希望のチンチェイ(6222m)は、今シーズン殆ど人が入っていないのでH.Cまでのアプローチに時間が掛かり、実質7日間を要するとのことだったので、今回は残念ながら見送りとなった。 第二希望のランラパルカ(6162m)は5日間で登れるので明日からの出発で大丈夫だが、技術的に難しいのでマンツーマンでしか登れないとのことだった。 山のコンディションが悪い時のために最後の切り札としていたコパ(6188m)は、予備日を含めるとやはり5日間を要するが、緩やかな雪のスロープを歩くだけの易しい山で登頂率が高く、もちろん二人で登れるとのことだった。 ランラパルカに一人で登るか、コパに妻と二人で登るかしばらく悩んだ。 念のためどちらの山が展望が良いかをアグリに聞くと、どちらも素晴らしいとのことだった。 ランラパルカの方が山としては魅力的だが、イシンカ谷を辿ってランラパルカのB.Cへ行く道は、5年前にイシンカ(5530m)を登った時に通ったことがあり、コパは初めて辿るオンダ谷からB.Cへ登るため、山のネームバリューよりもトータル的な興味を優先させ、妻と登頂の感動を共有出来るコパを登ることに決めた。
登る山がコパに決まったので、アグリから明日以降のスケジュールについて簡単な説明があった。 1日目はワラスから車で1時間ほどのマルカラという町からオンダ谷に入り、途中のビコスという集落からB.Cまで7時間ほど歩くとのことだった。 B.Cは眼前にコパを望むレヒアコーチャという湖の湖畔にあるようだ。 2日目はB.CからH.Cまで6時間ほど登り、3日目はH.Cから山頂を往復した後にB.Cまで下り、4日目にB.Cからビッコスへ下山するとのことだった。 ちょうど良い機会だったので、ベロニカとも帰国日の細かいスケジュールについて確認し合った。 明日の出発は7時半ということになり、アグリを労ってベロニカ共々フロントで見送った。
昼食はホテルの部屋で日本から持参したフリーズドライのおこわ飯などを食べ、午後は市場に土産物を買いに出掛けた。 街中ではまた何かのイベントがあったようで、小規模ながらパレードをやっていた。 市場で買い物をしていると、偶然マヌエルに出会った。 夕食は昨日と同じ中華料理店の『金叶酒家』で鶏肉の唐揚げなどを食べた。
【コパ】
8月3日、一昨日が好天のピークだったようで、今日は昨日よりもさらに雲が多い。 今日から予備日を入れて4泊5日の日程で滞在中最後の山となるコパ(6188m)を登りに行く。 初日の今日はマルカラからオンダ谷に入り、途中のビッコスの集落から4700m付近に位置するレヒアコーチャという湖まで登る。 7時半過ぎにスタッフ達がエージェントのワゴン車でホテルに迎えにきてくれた。 残念ながらラウルの姿はなく、コックは昨日市場で出会ったマヌエルで、ポーターはメシアスとノルベルトだった。
車窓から見えるワスカランに胸を躍らせながらカルアス方面に向かい、オンダ谷への入口にあるマルカラ(2750m)という小さな町で食料の調達をする。 マルカラの手前でコパが見え始めると、写真好きの私のためにアグリが車を停めてくれた。 オンダ谷への道とのT字路には小さな市場があり、スタッフが野菜や果物、そして雑貨などを買っていた。 マルカラから登山口のビッコスの集落へはオンダ谷への道をいく。 マルカラを出発してからすぐに、5年前に行った日帰り温泉施設の『チャンコス温泉』があったが、建物はリニューアルされ、さらにマルカラ川を挟んだ対面には新しいホテルもオープンしていて驚いた。 道路は未舗装ながらも路面の状態は良く、このまま好景気が続けば将来的には舗装されそうな感じだった。 ビッコスの集落からオンダ谷への道を外れて悪路の山道を登る。 運転手が村の人にどこまで車が入れるかを聞いていたが、そのすぐ先で車がスタックしたので、そこから歩き始めることになった。 ワラスで3090mに合わせた高度計の表示はまだ3250mだった。
出発の準備をしていると、下から数頭のロバを連れた馬方の親子がやってきた。 荷物の振り分けはスタッフ達に任せ、9時過ぎにアグリと三人で山道を歩き始めた。 天気は相変わらず高曇りで冴えなかったが、正面にはコパ、左手にはワスカラン、右手にはランラパルカの頂稜部が僅かに見えた。 30分ほど牧草地の中を通る幅の広い道を緩やかに登り、レヒアコーチャ(湖)に登るトレッキングルートに入る。 道標の類は一切なかった。 ユーカリの林を抜けると再び牧草地が広がり、ワスカランが正面に見え始めた。 天気は少し回復して青空が広がってきた。 牧草地の中の踏み跡は所々で薄くなるが、アグリは迷わず淡々と歩いていく。
トレッキングルートの入口から1時間ほどで牧草地を通過すると、石を均して整備された道となり、勾配も増してきた。 陽射しで暑くなってきたので、道端の日陰で一休みしていると、上から二人の登山者が下ってきた。 登山者の一人はアグリの知り合いのようで、アグリに何やら長々と話しかけていたが、アグリは何故かあまり耳を傾けていなかった。 アグリの話では、その人は資格のないもぐりのガイドで、クレヴァスの状態が悪くてコパに登れなかったらしいが、ガイドの情報ではないので、話は半分にしか聞かなかったとのこと。 休憩を終えると同時に後ろからスタッフ達が追いついてきたが、いつものようにあっという間に見えなくなった。 樹林帯の中の涼しくて快適な区間もあったが、そこを過ぎると木々の背丈は低くなり、いわゆる森林限界となった。 正午過ぎに明るく開けた広い尾根の末端に着くと、先行していたスタッフ達がランチを用意して待っていた。 標高はようやく4000mほどになった。 ランチを食べて寛いでいると、私達の荷物を運んでいるロバ達が傍らを通り過ぎて行った。
1時間ほどゆっくり休憩していると冷たい風が吹き始めたので、スタッフ達と一緒に出発する。 木々の無くなった顕著な尾根はやや勾配が急になり、ジグザグを切りながら登る。 スタッフ達の速いペースに妻は引きずられていったが、私は意識的にそれまで以上にゆっくりしたペースで登る。 30分ほど顕著な尾根登ると、ルートはコパの氷河の末端に向けてやや水平にトラバースするようになり、間もなく登攀ルートとなる長大なコパの西稜が見えてきた。 モレーンの末端が近づいてきたようで、周囲には磨かれた岩が多くなり、大岩の下にある先住民が描いたリャマの壁画をアグリが教えてくれた。 今日の天気は不安定で、コパの山頂方面には、白い雲が見えたり消えたりしていた。 岩の間に咲いていた高山植物も徐々に少なくなり、モレーンの末端にB.Cと思えるテントが見えた。 テントサイトに近づくと、傍らには川が流れ、上の方に人工的な水路が見られた。 水路の上にはレヒアコーチャ(湖)があることが分かったが、B.Cはその湖畔ではなく少し手前の平坦地にあり、ビッコスの集落を出発してからちょうど6時間の3時過ぎに着いた。
整地されたB.Cの小広いテントサイトは、私達だけで貸し切りだった。 アグリは明後日の登頂日も私達だけだろうと言った。 アグリの話では、コパは近くにワスカランがあるため、易しい山ではあるが人気が無く、シーズン中でも数えるほどしか登られていないとのことだった。 その点は静かな山が好きな私にとってちょうど良かった。 B.Cの標高は4600mほどで、ビッコスの集落からは標高差で1350m登ったことになり、順応してなければ辛かっただろう。 1時間ほど快適な個人用テントで休んでから、ダイニングテントで炒りたてのポップコーンを頬張りながらティータイムを楽しんだ。 順応した体での山登りは本当に気楽だ。 テントのサイズは今までと同じだが、テーブルは4人用の小さなものになっていた。
不安定だった天気は夕方以降は良くなり、明日の好天に期待が持てた。 夕食前のSPO2と脈拍は88と63で、この高度にしては申し分なかった。 今晩は初めてマヌエルが調理した夕食を食べたが、スープもメインディッシュもラウルとは違った個性が感じられ美味しかった。 夕食後はアグリと色々な話しをしたが、何故か山とは無縁のペルーの政治や経済の話をアグリが熱く語ったり、エージェントのエクスプロランデス社の経営方針を批判したりで、インテリらしいアグリの意外な素顔が分かって興味深かった。 夜には快晴の天気となり、南十字星が良く見えた。
8月4日、地形の関係かB.Cは無風で暖かく、テントの結露も無かった。 昨夜からの快晴の天気は続き、早朝から良い天気となった。 昨夜は熟睡し、夜中に目が覚めることもなかった。 起床前のSPO2と脈拍は86と56で、数値も体も絶好調だ。 温かいパンとソーセージ入りの玉子焼きを食べ、後発のマヌエル達のパーティーより一足先に8時半前にアグリと三人でH.Cへ向かう。 B.Cから先へはロバは上がらないので踏み跡は薄い。 出発してすぐにコパの山頂方面からのご来光となった。 小さな池の傍らを通りモレーンの背に上がると、眼下にヒスイ色をしたレヒアコーチャ(湖)が見えた。 登山口からも見えていた荒々しい特徴のある岩塔の基部にある氷河の末端に近づくと、後ろからマヌエル達のパーティーが追いついてきた。
B.Cからゆっくり時間をかけて登り、2時間半ほどで氷河の末端に着くと、沢状となっている雪の斜面には昨日出会ったパーティーのトレースが残っていた。 ハーネスとアイゼンを着け、ヘルメットを被って一息入れる。 アグリの話では、氷河の後退によりシーズン中ここには雪が少なく、いつもは氷化した雪とボロボロの岩とのミックスになっているとのことだった。 コパは易しい山だとガイドブックには記されているが、この取り付きの登りに関しては決して容易ではないことが分かった。
アグリ、妻そして私の順にロープを結び、岩塔の側壁に沿った急斜面の氷河を登り始める。 最初はコンテで登ったが、途中に溶けて薄くなった雪が凍っている箇所があり、所々でスタカットで登る。 しばらく登るとアグリがスノーバーを打ち込んで支点を作り、取り付きで待機しているマヌエル達のパーティーに向かってロープを投げた。 マヌエル達のパーティーが登り始めるのを見てから、アグリはさらに急になった斜面をジグザグに登っていった。 上部での傾斜は45度ほどになり、重荷を背負ったマヌエル達が登ってこられるか心配になった。 取付きから1時間近くを要して、山頂に向かって伸びる長大な西稜の末端に着いた。 陽射しに恵まれた展望の良い尾根の末端で後続のマヌエル達のパーティーを待つ。 しばらくすると、ようやく先頭を登ってくるマヌエルの姿が見えた。 再びアグリがロープをマヌエルに向かって投げ、最後の急斜面での安全対策に気を配っていた。
西稜の末端からは傾斜が緩くなり、右手に見えてきたランラパルカなどを眺めながらの快適な登りとなった。 天気も良く順応も充分なので、このまま山頂まで登ってしまいたいような感じさえした。 間もなく傾斜が無くなると、眼前に広大な雪のスロープが出現した。 スロープの末端には陽光に温められた岩が露出し、そこが今回のH.Cということだった。 この山頂直下の広大な雪のスロープは麓のマルカラやB.Cからは見えず、そのスケールの大きさに圧倒された。 山としては特徴のないコパの真髄は、正にこの氷河の大きさにあるのかもしれない。 予想よりもだいぶ早く、1時前に貸し切りの静かなH.Cに着いた。 私の高度計は5100mだったが、アグリのGPSでは5200m近くあるとのことだった。 早速風の当たらない大岩の下でランチタイムとなったが、アグリは双眼鏡でずっと明日の登攀ルートをつぶさに観察していた。 ランチが終わるとメシアスとノルベルトが雪の上に私達の個人用テントを設営してくれたが、スタッフ達は雪の上ではなく少し凹凸がある岩の上にテントを立てていた。
2時になると、アグリがメシアスとノルベルトを連れて明日のルートの偵察に出掛けていった。 やはり、昨日のもぐりのガイドからの情報が気になったのだろうか。 三人の後ろ姿を目で追いながら、明日のルートを目に焼き付ける。 ノーマルルートの西稜は緩やかで登り易そうに見えた。 間もなく三人の姿が見えなくなったので、個人用テントで休養することにした。 SPO2と脈拍は86と70だが、数値以上に体は楽だった。 H.Cに着いた時は殆どなかった風が次第に強くなり、テントがバタついてきたので、雪や石を積んでテントを補強する。 山頂方面から吹き下ろしてくる風は刺すように冷たかった。 日没前の5時半を過ぎてようやくアグリ達が偵察から帰ってきた。 アグリの話では、やはりクレヴァスの状態が悪いので、明日は予定よりも早く1時に出発するとのことだった。 夕食は日本から持参したフリーズドライの赤飯とスープを食べ、7時前には横になった。
8月5日、1時の出発に合わせて11時半過ぎに起床する。 風の音で殆ど眠れなかったが、緊張と興奮で全く眠くはない。 昨日のB.Cでの暖かさが嘘のように、テント内はマイナス3度と今までで一番寒かった。 打ち合わせどおり零時ちょうどにマヌエルがテントにお湯を持ってきてくれた。 朝食はワラスで買ったカップラーメンと日本から持参したチキンラーメンの両方で食欲は旺盛だ。 テントから出て岩場に行くと、今回もマヌエルがラッセル要員に起用され、出発の準備をしていた。 易しいはずの山は一変して総力戦の山となった。
アグリ、マヌエル、妻そして私の順でロープに繋がり、ほぼ予定どおり1時過ぎにH.Cを出発。 風が当たりにくいH.Cの岩場を離れると、収まったと思われた風が再び吹き始めた。 風は山頂方面から吹き下ろしてくる感じで、間もなく吹雪のように細かい雪が飛んでくるようになった。 5年前のトクヤラフでの強風が真っ先に頭に浮かび不安が募る。 あの時敗退した妻もきっと同じ思いだろう。 しばらくすれば止んでくれるだろうという期待に反して風は一向に吹き止まず、ずっと正面から吹き続けた。 それでもアグリからは天気が悪い(風が強い)ので、アタックを明日に順延するという提案もなかったので、これから風は収まるのか、明日は今日と変わらないのか、あるいは今日より悪くなるという情報を持っているのだろう。 体感気温はかなり低く、順応してなければかなり厳しい状況だ。 風が全く吹き止まないので、休憩することもままならず、黙々と登り続けるしか術がなかった。
H.Cから1時間半以上登り続け、風が少し弱まった所で初めての休憩となった。 妻を励まし、温かいコーヒーを飲んで英気を養う。 まだ夜明けも遠く、妻がどこまで耐えられるかが心配だが、唯一順応が充分出来ていることが心の支えだ。 再び風が収まることを期待して歩き始める。 風も長時間吹かれ続けると慣れてくるのか、それとも少し風の弱い所に出たのか、それまでよりは幾分楽になった気がした。 昨日アグリ達が偵察したルートを登っているはずだが、風によって運ばれた雪でトレースは所々で消えていた。 この風がさらに強まれば、一昨日のパーティーと同じように敗退の憂き目に遭うかもしれない。
1時間ほど単調な斜面を登ったところで2回目の休憩となり、アグリからヘルメットを被るように指示があった。 この先は状態の悪いクレヴァスを回避するために、ノーマルルートから外れるということだろう。 休憩後もしばらくは単調な斜面を黙々と登り続けたが、積雪が次第に多くなってきたのでペースは落ちた。 相変らず風雪が止まないので、上空の天気が良いのか悪いのか分からない。 尾根の形状が複雑になってきた所でアグリが足を止めた。 この先に状態の悪いクレヴァスがあるのだろう。 昨日はこの辺りまで偵察に来たのだろうか。 アグリはしばらく前方をヘッドランプの灯りでつぶさに観察していたが、雪煙で視界が遮られ、良いルートが見出せないようだった。 アグリは私達にしばらくここで待つようにと告げると、ロープを伸ばして進行方向の尾根とは違う左方向の斜面をラッセルしながら登り始めた。 私達は寒さをこらえながら、行動食などを食べて休憩することになったが、アグリが戻ってくるまで30分ほど待つことになってしまった。 アグリの偵察の結果次第では、ここで引き返すことになるかもしれないと腹をくくったが、どうやら活路を見出せたようで、左方向に尾根を迂回して登ることになった。
尾根を巻きながら登るようになったので傾斜は緩くなり、また尾根を外れたことで風が弱まったことが嬉しかった。 今まで悩まされ続けてきた雪煙も徐々になくなり、尾根の左斜面をトラバース気味に進んでいくと、ようやく夜が白み始め、ワルカン(6125m)とその奥にワスカラン南峰(6768m)が朧げに見えた。 稜線の風はまだ止んでないだろうが、天気は思ったより悪くなさそうで安堵する。 あとはトクヤラフの時と同じように、風が奇跡的に止んでくれることを祈るだけだ。
間もなくアグリが足を止め、クレヴァスの脇に右手の尾根へ登り返すポイントを決めた。 ワスカラン南峰とワルカンがはっきり見えるようになると、意外にもその上空には雲がなかった。 ここからはそれまでと一変して急斜面の登りとなり、スタカットで登ることになった。 ワスカラン南峰とワルカンがモルゲンロートに染まり始め、にわかに登頂の機運が高まってきたが、しばらくするとダブルアックスが似合いそうな50度の急斜面の下に出た。 風に耐え続け疲労の色が濃い妻を気遣って、アグリが「ポッシブル(この急斜面を登れますか)?」と聞いてきた。 技術的なことではなく、むしろ妻の体力面を考えてのことだろう。 登頂を諦めて引き返すなら、もうここしかないことが分かった。 アグリからの問いかけに気持ちが揺らいだ妻は、下山することを考え始めた。 もちろん、その時は私も一緒に下りなければならない。 確かにこの雪壁を登ることは、体力を消耗している妻には大変だと私も思ったが、雪壁の登攀中は風も弱く、稜線に上がればもう暖かい太陽が当たってくるので、まだ頑張れるなら後で後悔しないよう登ることを勧めた。 念のためアグリに、山頂まであとどのくらい掛かるかを聞くと、アグリから1時間ほどとの答えが返ってきた。 この雪壁の登りは60mのロープで2ピッチだという。 それなら大丈夫だと妻を強引に説得し、あと1時間で山頂に着かなければ、その時は下山しようということにした。
登り続けることが決まったので、マヌエルに確保を託してアグリが急斜面の雪壁に取り付いた。 アグリからのコールが掛かるまでの間、妻は腕を回して冷え切った体を温めていた。 雪壁の登攀はアグリが上から確保し、マヌエルがステップを刻んで登り易くしてくれた。 コックとしてしか見てなかったマヌエルが、今はとても頼もしく思えた。 周囲がすっかり明るくなってくると、ワルカンとの間の広いコルにアマゾン側からの湿った雲が次々と流れ込んできていたが、一方で上空には青空が広がり、コパの北峰(6173m)のピークも見えた。 結局2ピッチでは稜線に届かず、最後は傾斜が緩んだものの、もう半ピッチでようやく山頂直下の稜線に飛び出した。
ノーマルルートの稜線に出ると、ようやく待望の太陽の光を全身で浴びることが出来たが、期待に反して風は先ほど以上に強く、山頂方面にはまだ雪煙が舞っていた。 山頂はもうすぐそこに見えたが、風の強さがその距離を遠く感じさせた。 僅かに凹んだ所を見つけ、初めて座って休憩する。 すでに8時となり、雪壁の取り付きからアグリが予想した1時間はとうに過ぎていた。 妻はもう限界で、しばらくうずくまったまま動けなかった。 アグリも相当疲れている様子だったが、ポーターのキャリアが長いマヌエルは唯一元気そうだった。 西の方向にはワスカラン南峰が、東の方向には雲海の上から顔を出すランラパルカ(6162m)、ワンサン(6395m)、パルカラフ(6274m)そしてチンチェイ(6222m)の頂が見えたが、一番楽しみにしていたトクヤラフ(6032m)の頂はそれらの山々より少し低いため雲海に飲み込まれていた。 ノーマルルートの西稜のたおやかで幅の広い尾根やH.Cの岩場が眼下に小さく見えた。
ここから山頂までは傾斜も緩く、風は強いが陽射しの強さがそれに勝っていたので、登頂は何とか出来そうだった。 しばらくそこで休憩した後、アグリからも「風が強いので、山頂にはタッチするだけです」というゴーサインが出たが、妻は山頂に行っても雪煙が舞っているだけで展望は無いので、ここでもう充分だと言って動こうとしない。 もう少しだけ頑張れば登頂出来るし、トクヤラフの時のように奇跡的に風が止むこともあるので、ここまできたら何とか二人で山頂を踏みたいという気持ちが強まり、妻が可哀そうだという気持ちを押し殺し、山頂に向かうことをアグリに告げた。 山頂までの時間をアグリに聞くと、15分ほどとのことだったが、私にはその倍の30分は掛かると思った。
ここからは先はヒドゥン・クレヴァスがあるようで、アグリがロープを伸ばしながら先行する。 強風に煽られながらしばらく登ると、山頂だと思った丸いドームの上は山頂ではなく、そこから先は傾斜が一段と緩み、次第に細くなっていく尾根の先に巨大な雪庇(キノコ雪)となっている山頂が見えた。 もしかしたら山頂だけは風が弱いのではないかという淡い期待は裏切られ、山頂に近づくにつれて風はますます強まり、最後は台風並みの爆風になってしまった。 途中で妻が再度下山したいと泣きながら訴えたが、アグリの耳には届かなかった。 アグリは山頂の不安定な雪庇(キノコ雪)の上には登らず、その基部まで登ったところで足を止め、私達が順次そこに着くと、ここがコパの山頂ですと一言だけ説明し、ロープを整えながら下山する準備に余念がなかった。
登頂時間は予想よりもだいぶ遅く、すでに9時を過ぎていた。 妻は心身の疲労で放心状態となり、雪煙が舞う山頂からは唯一ワスカランだけが霞んで見えた。 写真を数枚撮っただけですぐにロープを結ぶ順番を入れ替え、マヌエルを先頭に妻、私そしてアグリの順に下った。 下りは追い風になったことで歩くのが楽になり、また太陽がだいぶ高くなったので、ずっと陽が当たって暖かかった。 相変らず上空は澄んだ青空だが、ワルカンとの間の広いコルにアマゾン側から流れ込んでくる湿った雲はさらに増え、不安定な気象状況は続いていた。
先ほどの休憩地点から登りとは少し違うルートを所々で懸垂しながら下る。 4人が一本のロープで繋がっているため、下りも予想以上に時間が掛かったが、登りでは暗さと風雪でルートが全く見えなかったので、巨大なセラックやクレヴァスなどが目に新鮮だ。 コパの特徴とも言える広大な氷河が眼下に見えるが、妻はただ黙々と下っていくだけだ。 アグリが心配して、「ハッピー(登頂出来て良かったですか)?」と私に問いかけてきたので、「私は山のことしか頭にないので、登頂に勝る喜びはないが、妻はそうではないので、とても辛かったと思います」と答えた。
体が冷え切ってしまった妻がH.Cの近くまで長い休憩をとらずに下り続けたので、H.Cには予想よりも早く1時半に着いた。 留守番役のメシアスとノルベルトが用意してくれた暖かいスープを飲んで一息つく。 妻は明日の行程が長くなっても、今日はもう歩きたくないので、H.Cにもう一泊したいと言った。 私も順応が出来ているので、H.Cに泊まることに異論はなかったが、アグリは夕食の食材がないので、できれば今日中にB.Cまで下りたいという。 少し考える時間をもらい、個人用テントでしばらく休んでいると、妻の疲労も少し回復してきたので、アグリにB.Cまで下ることを伝え、スタッフ達と一緒に3時半にH.Cを発った。
西稜の末端からは急斜面の氷河を懸垂で下り、取り付きでアイゼンとハーネスを外し、ヘルメットも脱いで身軽になる。 スタッフ達は夕食の準備のため先行し、私達は疲れた足を労りながらゆっくり時間を掛けて下る。 妻も少しずつ元気を取り戻してきた。 レヒアコーチャを見下ろすモレーンの背で陽が沈み、振り返ると雪煙が舞う残照のコパの頂稜部が見えた。 日没後の6時半にB.Cに着き、予想外の長い一日が終わった。 夕食はマヌエルが短時間で美味しい料理を作ってくれ、もう何も考えることなく、お腹一杯になるまで食べた。
8月6日、今日は登山口のビッコスの集落まで下山し、迎えの車でワラスのホテルに帰るだけなので、ゆっくりとテントサイトに陽が当り始めてから起床する。 風の当たらない穏やかなB.Cからは山頂の風の強さは分からないが、今日の方が風も弱く良い天気のように思えた。 朝食の温かいパンケーキがとても美味しく、昨日頑張ってB.Cまで下ってきて良かった。
スタッフ達に撤収作業を任せ、9時過ぎにアグリと三人でB.Cを発つ。 ワイワッシュ山群からスタートした今回の登山活動も実質的に今日で終わりだ。 コパの頂稜部が見えている間は何度も後ろを振り返って名残を惜しんだ。 下りは楽なはずだが、目標を失った身には麓までの道程が長く感じる。 森林限界手前の顕著な尾根を下り、標高が4000m以下になると、昨日の寒さが嘘のように陽射しで暑くなってきた。 暑さに苛まれながら牧草地まで下ってくると、荷物をロバに託したスタッフ達が涼しい顔で追いつき、追い越して行った。 麓の集落に着く手前で、スタッフ達がB.Cで下ごしらえしてきたランチを食べる。 閑散とした集落だが、今日はちょうど馬を使った脱穀作業の最中で、どこからともなく人々が集まっていた。 いつの間にかコパの頂稜部は黒い雲に覆われ、今日も山は良い天気にはならなかったようだ。
1時半過ぎにビッコスの最終集落の前まで車道を下ってくると、エージェントのワゴン車が待っていた。 後続のスタッフ達の到着を待っていると、意外にも皆どこかで着替えを済ませてきた。 若い彼らにとってはこれからが本番なのかもしれない。 ワゴン車の中でアグリがベロニカに下山の連絡を入れると、明日の予備日に町外れのベロニカの別荘でパチャマンカの宴を催してくれることになった。 道路が良くなったのでビッコスの集落から1時間ほどでワラスのホテル『コロンバ』に着いた。 部屋に荷物を搬入してもらい、ホテルの庭で私達のために今回も本当に良く働いてくれたアグリ、マヌエル、メシアスそしてノルベルトの4人に感謝の気持ちを伝えながらチップを手渡した。
スタッフ達をホテルの玄関で見送り、早速シャワーを浴びてさっぱりする。 明日の昼のパチャマンカに備え、夕食は先日と同じ路地裏のハンバーガーショップでハンバーガーを買ってホテルの部屋で食べた。
8月7日、晴れてはいるが山の方は雲が浮かび、今日も快晴の天気ではなかった。 アグリが言っていたとおり、今シーズンのペルーはラニーニャ現象の影響で乾期らしい快晴の天気の日があまりなかった。 その状況の中で計画した3つの山に登れたことは本当にラッキーだったと思った。 午前中は明日の帰国に向けての準備と片付けをする。 パルスオキシメーターをしまう前にSPO2と脈拍を測ってみると95と56で、もうすっかり地元の人と同じになった。
約束した正午にアグリがタクシーでホテルに迎えにきてくれ、パチャマンカの会場となる町外れのベロニカの別荘に行く。 4年前にも一度パチャマンカで招かれた別荘は、ワラスの中心部から少しだけ山の方に入った所にあるが、別荘の周辺の道路では大規模な水道管の敷設工事をやっていた。 やはり今のペルーは好景気で、地方都市も着実に近代化が進みつつあることをあらためて実感した。
別荘の広い庭ではマヌエル、メシアスそしてノルベルトがパチャマンカの準備をしながら、一方で今回の登山に使ったテントのメンテナンスや炊事道具の整理をしていた。 竈に入れる石が焼き上がると、マヌエル達は慣れた手つきでアルミホイルで包んだ肉とイモや豆をユーカリの葉や香草と共に竈の中に埋め始めたが、単に仕事ということではなく、彼らもその作業を楽しんでいるように思えた。 美味しい料理を食べるのはもちろんのこと、この一連の作業を見るのもパチャマンカの楽しみだ。 チーズや大粒のモロコシなどの前菜をつまみながら食材が蒸しあがるのを待つ。 今日は先日のワイワッシュでの打ち上げの宴とは違い、パチャマンカの料理を楽しみながら、次回来る時に是非登りたいチンチェイやアルテソンラフ、そしてワンドイといった山々の情報をアグリから詳しく聞いて有意義な時を過ごした。
マヌエル、メシアスそしてノルベルトの3人と再会を誓い、アグリとは明日の朝ホテルで会うことを約して別荘を後にし、タクシーに乗ってホテルに帰る。 夕方から最後の土産物の買い出しと夕食を食べに外出する。 以前一度だけ行ったことのあるツーリスト向けの中華料理店を探し当てたが、肝心の海老が品切れだったので、結局先日も行った中華料理店の『金叶酒家』で海老入りの野菜炒めを食べた。 この店で一番の人気メニューの炒飯を一人前頼むと、お皿にてんこ盛りの炒飯が出てきたので驚いた。
8月8日、早いものでペルーに来てから今日でもう28日目となった。 約束した8時半にベロニカとアグリがホテルに現れ、二人に見送られてハイヤーで帰国のためリマに向かう。 エージェントが用意してくれたハイヤーはワラスの街中で走っている古いタクシーとは全く違う綺麗な新車だった。 道路が良くなったこともあり、運転手は時には100キロ以上で車を飛ばすため、昼食のために立ち寄ったバランカの海岸のレストランには正午ちょうどに着いた。 店の前には同じエージェントのバスが停まっており、店中に入ると平岡さんと朋子さん、そしてこれからワラスに向かう平岡さんのお客さん達が昼食の最中だった。 皆さんからのお許しを得て、私達も昼食の席を共にさせていただき、チョキカルキとコパの登頂報告をしたり、平岡さんと朋子さんが登られたコロプーナ(6482m)やその麓の古都クスコでの滞在中の土産話を聞いたりした。
昼食後はピスコ(5752m)を登りに行く平岡さん達の一行にエールを送り、バランカの海岸レストランからそれぞれ反対の方向に向かった。 ハイヤーの中で昼寝をしているといつの間にかリマ市内に入ったが、市内は好景気の影響か車が多く、目的地のホテル『コポ・ア・ポコ』には予定より少し遅れて4時半に着いた。 オーナーの早内さんご夫妻も相変わらずお元気で、二人の日本人の留学生が住み込みで手伝いをしていた。 リマ市内の観光はせず、充実しているホテルの土産物のショップを見て過ごす。 楽しみにしていた日本食の夕食は天ぷらや讃岐うどんで、ご飯やみそ汁、漬物まで美味しかった。 深夜発の帰国便に乗るため、10時にタクシーを呼んでホテルを出る。 空港のロビーではアメリカ大陸を自転車で縦断しているという日本人の学生さんと出会い、使い果たしたパワーを再度充電させていただいた。
4年ぶり3回目となった今回のペルーの山行は、以前から次回の目標としていたワイワッシュ山群のトレッキングとラサックの登頂が叶い、なおかつ、その順応した体でブランカ山群の山にワンプシュで登るという効率の良い登山が出来た。 ヨーロッパアルプスと同じような感覚で、現地ガイド(今回はアグリ)や気の置けないスタッフ達と少人数で山を登るというスタイルは、ペルーの山(ブランカ山群)を訪れる前から描いていた構想だったが、今回はそれについても一部実践することが出来た。 その一方、ブランカ山群で未踏の6000m峰は難しい山ばかりとなってしまったので、今後この課題をいかにクリアして一つでも多くの山に登るかが次回の目標だ。