【ワイワッシュ山群】
2014年の夏はカザフスタンにある天山山脈の名峰ハン・テングリ(7010m)に登る予定でいたが、同行するガイドの平岡さんの日程が調整出来ず、ボリビアのアンコーマ(6427m)とイリャンプー(6368m)の可能性を模索していた山仲間の伊丹さんと共に、以前から行ってみたかったペルーのワイワッシュ山群を一周するトレッキング(アルパイン・サーキット)と、この山群の6000m峰で唯一登頂の可能性があるラサック(6017m)の登山を組み合わせたツアーの企画をガイドの平岡さんにお願いし、4年ぶりにペルーの山を登ることになった。 最終的な計画は5月にまとまったが、計画の段階で来年同じペルーのブランカ山群に行くことを検討していた山仲間の西廣さん夫妻を誘い、またツアーの募集直後に2年前のエクアドルの山にご一緒したOさんが参加されることになり、図らずも私から見ると“プライベートツアー”のような感じになった。 伊丹さんの休暇の関係でこのツアーの期間は2週間ほどで計画されたため、私達と西廣さん夫妻はツアー終了後にブランカ山群に移動し、引き続きこのツアーのチーフガイドを務めるアグリピーノ(通称アグリ)とチョピカルキ(6345m)を登り、さらにその後もアグリと私達だけでチンチェイ(6222m)に登ることにした。
ワイワッシュ山群はブランカ山群に次いでペルーでは2番目に大きな山群で、実話に基づく映画『運命を分けたザイル』の舞台となったシウラ・グランデ(6344m)や、世界百名山のイェルパハ(6634m)、そして“ハチドリの嘴(くちばし)”を意味するヒリシャンカ(6094m)などの名峰を擁するアルピニスト垂涎の山群であるが、どの山も急峻で登頂が困難なため、ブランカ山群に比べて訪れる登山者やトレッカーは桁違いに少ない。 この山群を一周するトレッキングルート(アルパイン・サーキット)として今回平岡さんがガイドのアグリと煮詰めた計画は、いくつかあるルートの選択肢の中から最も山の際を歩く“オート・ルート”で、入山してからは一度も標高が4000mを下回ることは無く、5000mを超える峠を3回越えるというハードなものだった。 おそらくこのルートを辿ったことのある邦人はいないだろう。 日程の都合上、入山前に山麓の町をベースにした順応が出来ないため、6月に参加するメンバー全員で高所順応と親睦を兼ねて富士山の山頂に泊まったり、個々に日帰りで登ったりして体を慣らした。
7月11日、直前に上陸した台風の影響で成田空港への集合が危ぶまれたが、私と妻、西廣さん夫妻、伊丹さん、Oさんの6名のメンバーは全員無事午後4時前に成田空港を出発し、約12時間のフライトで乗継地のアトランタ空港に到着した。 アトランタ空港の施設はリニューアルされ、とても綺麗になっていた。 トランジットの時間は2時間ほどだったが、入国審査は拍子抜けするほどスムースだった。 今回利用したデルタ航空では、日本から米国間の便について、預託荷物の1個(重量は23キロまで)までが無料で、それ以外は1個につき100ドルが課金されることに変更されていた。 アトランタ空港からリマのホルヘ・チャベス空港へは約7時間のフライトで深夜に到着し、一月以上前からペルーに滞在している平岡さんに出迎えられて、前回と同じ空港に併設されたホテル『ラマダ・コスタ・デル・ソル』に泊まった。
7月12日、8時過ぎにホテルを出発し、エージェントのエクスプロランデス社のバスで空港から250kmほど離れたチキアン(3400m)という人口2000人ほどの小さな町へ向かう。 途中のコノコーチャ峠(4050m)までは過去2回と同じ道を辿り、昼食もバランカという町の海岸の同じレストランで食べることになっていたので、車窓からの風景は目新しさよりも懐かしさを覚えたが、唯一走っている車の質が4年前と比べて全体的に良くなったという感じがした。 トイレ休憩で立ち寄ったガソリンスタンドに併設されたカフェには、まだサッカーのワールドカップの余韻が残っていた。
バランカのレストランでセビッチェなどの料理に舌鼓を打ち、いつものように高度計の数字を0mに合わせる。 バランカの町を過ぎると間もなく三叉路を右折して山岳地帯に入り、大きな谷を遡るように緩やかな勾配の道がコノコーチャ峠まで延々と続く。 『ガルーア』と呼ばれるこの時期特有の濃霧から抜け出し、陽射しがどんどん強くなっていく。 夕方の4時半前にコノコーチャ峠に着く。 峠からはブランカ山群の登山基地となるワラス(3090m)などの町へ通じる道と分かれ、4268mの峠までさらに高度を上げる。 間もなく車窓からワイワッシュ山群の山並みが一望されるようになり、バスから降りて皆で撮影タイムとなる。 目標のラサックはイェルパハと重なっているため、山頂が分かりづらいのが玉にキズだ。 峠から南に分岐する支線に入り、5時過ぎにガイドのアグリに出迎えられてチキアンのホテル『ロス・ナガレス』に着いた。
ホテルは予想していたよりも良く、質素ながら三ツ星の条件は満たしていた。 おそらくこの町では一番良いホテルではないだろうか。 夕食前の寸暇を惜しんで街中を散策し、教会で明日からの長丁場の山旅の無事と登頂の成功を神に祈った。 町にはツーリスト向けの洒落たレストランは殆ど無いようで、必然的に夕食はホテルで食べることになるようだ。 軽い頭痛がしたので、夕食前にSPO2と脈拍を測ってみると86と60だった。 夕食は野菜が中心のメニューだったが、料理は丁寧に盛り付けられ、味付けも良かった。 夕食後にトレッキングと登山の荷物を効率的に運ぶため、荷物を4つのカテゴリーに分けるようにとの指示があり、12時近くまで荷物整理に追われた。 寝る前には頭痛は無くなり、SPO2と脈拍は91と63になった。
【アルパイン・サーキット】
7月13日、この時期らしい乾燥した晴天の朝で、庭の花々にはハチドリが蜜を吸いに飛んできていた。 ホテルの朝食はシンプルだったが、焼きたてのパンとこの地方の名産のチーズが美味しかった。 朝食後にホテルにやって来たコックのラウルと再会し、8時にエージェントのワゴン車でホテルを出発した。
意外にもチキアンの町を過ぎた所で道路の舗装は終わり、その先は他の山岳地帯へのアプローチと同じような悪路となった。 これから向かう入山口のマタカンチャは4180mだが、道路は広い谷を逆にどんどん下り続け、最終的には2300mのリャマック川の河原付近まで高度を落としてから、ようやく上りに転じるようになった。 チキアンから1時間半ほどでリャマック(3250m)の村の入口に着くと、村が管理している通行止めのゲートがあり、村人からいくばくかの通行料を課せられた。 リャマックを過ぎるとすぐに今回のトレッキングの終着地としたポクパ(3470m)の集落があり、リャマック川を渡る橋の所に再びゲートがあった。 バスを降りて山の斜面を目でなぞっていくと、ラサック登山のB.Cとなるハウアコーチャ(湖)に通じるマンカン峠(4580m)のある位置が分かった。 ポクパの集落の先にはダムの建設現場があり、ゲートのある管理事務所から先は未舗装ながら道路の状態が良くなり、車の走行スピードが格段に速くなった。
マタカンチャに近づくと、広大で緑豊かな牧草地に放牧された羊や牛が多く見られるようになり、10半にワイワッシュ山群への入山口となるキャンプ場(4180m)に着いた。 キャンプ場からはワイワッシュ山群北端のニナシャンカ(5607m)とロンドイ(5879m)の頂が並んで望まれ、いやがおうにも気持ちが昂ってくる。 車から降りてしばらく体を慣らしていると、私達の荷物を運んでくれる頼もしいロバたちが、馬に乗ったロバ使い(アリエロ)に率いられてやって来た。 ロバはまるで馬のようにきびきびとした動作で私達の目を驚かせた。
アグリからアリエロを紹介してもらい、11時にキャンプ場を出発した。 今日はこれからカカナン峠(4690m)まで一気に登り、峠を越えた後は緩やかにミトゥコーチャ(湖)の下部に広がるトゥクトゥクパンパという草原(4250m)まで下る予定だ。 マタカンチャからワジャンカ(3450m)へと抜ける道路を眼下に見ながら、アグリに先導されて牧草地の緩やかな斜面を登っていく。 まだ体の中に下界の酸素が残っているが、今夜の宿泊標高を考えてマイペースで意識的にゆっくり登る。 所々でアグリから花の名前などを教えてもらいながら途中で1回休憩し、2時間ほど登った所でランチタイムとなる。 アグリにワイワッシュ山群でのトレッキングの経験を尋ねると、何とガイドの資格を取る前のポーター時代から数えて50回もあるとのことで驚いた。 但し、山はどれも難しいので、ラサックも登ったことはないとのことだった。 ここから先の峠付近は荒々しい岩場になっているためか、コンドルが何羽も飛んでいた。 アグリの話では大きいものは全長が4mもあるとのこと。
峠に近づくにつれて勾配は急になり、3時前にようやく今日の最高点のカカナン峠に着いた。 峠の手前では風は殆ど無かったが、峠は風の通り道となっていたので、写真だけ撮って休まず反対側に下った。 峠を越えると、眼下には広大なカリエンテ谷が広がり、その上流方面にはコカコーチャと呼ばれる赤茶けた池沼が見られた。 峠からジグザグに切られた道を一気に下ると、一転して勾配は緩やかになり、前方にヒリシャンカ(6094m)の頂が見えるようになった。 地図に破線で記されたヒリシャンカ方面への道はミトゥコーチャ(湖)へと通じているが、近年道の状態が良くないとのことで、その下部に広がるトゥクトゥクパンパに向かってカリエンテ谷を下った。 歩けなくなった人のために用意された馬が一頭いたので、節子さんが試しに乗ってみたが、下りではかえって疲れるようだった。 トゥクトゥクパンパの手前からヒリシャンカが眼前に大きく望まれるようになったが、写真で見たストイックなアンデス襞が印象的な西側からの山容とは趣を異にした重厚な面持ちで、全く違う山にさえ見えた。 石垣で周りを囲ったカルカを過ぎるとトゥクトゥクパンパの広い草原となり、夕方の5時にテントが整然と設営されたキャンプ地に着いた。 キャンプ地には私達の隊以外にもう一隊のテントが見られた。
個人用テントは妻と二人で使うことになり、しばらくするとラウルの助手役のサントスがお湯の入った洗面器をテントに届けてくれた。 到着後1時間過ぎたところでSPO2と脈拍を測ってみると、77と80だったが、頭痛はなかった。 それから1時間後に再び測ってみると87と68という良い数値だったが、逆に頭が少し痛くなり、時差ボケのためかとても眠かった。 横になると呼吸が落ちるので、座ったまま目を閉じていると、頭痛は徐々に無くなった。
夕食は牛肉入りのスープと牛肉と野菜の旨煮をご飯でいただく。 但し、順応してない胃腸を労るため、量は少な目(ポキート)とした。 デザートは鮮やかな色のサボテンの実とキウイ・バナナの盛り合わせだった。 満天の星空で南十字星や天の川が美しい。 月明りでヒリシャンカも良く見えた。 テントに戻ると強い睡魔に襲われすぐに眠りに落ちたが、何故か1時間足らずで目が覚めてしまい、その後も同じようなことを3回繰り返し、夜中からは軽い頭痛で全く眠れなくなってしまった。 深呼吸する気力も湧かず、予想どおりの体調の悪さとなった。
7月14日、朝焼けの景色を見ようと思ったが、体調が良くならないのでシュラフから出られないでいると、6時過ぎにスタッフがモーニングティーをテントに届けてくれた。 起床前のSPO2と脈拍は81と61で数値的には悪くないが、軽い頭痛は解消されず、睡眠不足か高度障害か分からないが目も痛かった。 高所に強い妻は頭痛もないようで羨ましい。 周囲が明るくなってからテントから這い出し、モルゲンロートに染まる神々しいヒリシャンカの写真を撮った。 朝の冷え込みは予想していたよりも厳しく、テントに霜が付いていた。 朝食は7時からダイニングテントで食べる。 まだメンバーの誰もが本調子ではない。 食欲は辛うじてあり、温めてもらったパンと絞りたてのマンゴージュースがありがたい。
8時にトゥクトゥクパンパのキャンプ地を出発。 雲一つない爽やかな快晴の天気だ。 今日はカルアック峠(4630m)という峠を越えてカルアコーチャ(湖)の湖畔のキャンプ地(4150m)まで行く。 地図を見る限りルート上に昨日のカカナン峠への登りのような急斜面はなさそうだ。 また、カルアコーチャ(湖)の標高は4138mなので、ここよりも100mほど低いことが嬉しい。 草原を歩き始めると呼吸が促進されて気分も良くなってきたが、まだまだ順応途上なので、昨日以上にゆっくり歩くことを心掛ける。 良く踏まれた幅の広い坂道を登っていくと、1時間足らずで傾斜は緩くなり、振り返ると昨日越えた岩の凹みのカカナン峠が見えた。 こまめに休憩を取り、緩やかな草のスロープをのんびり歩く。 テントを撤収してから出発したロバ達に早くも抜かれた。 空気は乾いているが埃っぽくないのが嬉しい。 前山に隠されていたヒリシャンカの頂がイェルパハを従えて再び見えるようになり、大らかなカルアック峠が前方に見えてきた。 今日は日本でひいた風邪が治らない朋子さんが途中から馬に乗ることになった。
11時半に今日の最高点のカルアック峠に着く。 開放感のある幅の広い峠は地肌が露出し、峠の向こう側も同じようになっていた。 峠からはヒリシャンカの左にイェルパハ(6634m)とシウラ・グランデ(6344m)が顔を揃え、思わず皆で歓声を上げた。 今日はまだ見えないと思っていたカルニセーロ(5960m)も遠望された。 峠の手前では風は殆ど無かったが、峠は風の通り道になっていたので、写真だけ撮ってカルアコーチャ(湖)方面へ下った。
峠の向こう側も登りと同じような緩やかな下りが続き、シウラ・グランデを正面に見ながらヤナヤナ谷を延々と下る。 峠からの素晴らしい展望もさることながら、午前中に今日の核心部(最高点)を通過し、これからカルアコーチャに向けてどんどん高度が下がっていくのが嬉しい。 適当な場所で休憩するつもりだったが、今日はあらかじめランチを食べる場所が決まっていたのか、峠からさらに休まず1時間以上歩き続けることになってしまった。
涸れた谷に小川が流れ始めると、羊や牛たちが草をはむ扇状地が眼下に広がり、間もなく足元に今日の目的地のカルアコーチャが見える場所(ビューポイント)に着いた。 眼前にはイェルパハとイェルパハ・チコ(6089m)が屹立し、湖の向こう側にはシウラ・グランデが重厚な面持ちで鎮座していた。 先ほどのカルアック峠からの展望を凌ぐ、正に“グラン・ビスタ”(スペイン語で大展望の意味)だ。 スタッフ達がここを昼食の場所に決めていた理由が納得出来た。 しばらくは足の疲れも忘れ、このグラン・ビスタに目が釘付けとなった。 昼食の後は連日の睡眠不足で睡魔に襲われ、うたた寝(シエスタ)をしてしまった。
天気が少し下り坂になってきたので、重い腰を上げて湖畔のキャンプ地に向かう。 途中のシウラ・グランデを正面に臨む高台にもう一つキャンプ地があり、3〜4パーティーのテントの花が咲いていた。 カルアコーチャへはカカナン峠やカルアック峠を越えることなく、車道が通じているクエロパルカ(3830m)から一日でアプローチ出来るからだろう。 そこから数百メートル先に湖畔のキャンプ地があり、まだ陽の高い2時半という理想的な時間にキャンプ地に着いた。 到着直後のSPO2と脈拍は共に81だったが、しばらくテントの中で昼寝をすると、脈拍は73まで下がった。
今晩あたりが初期順応のヤマ場なので、ティ−タイムの美味しいチーズ揚げは味見程度で我慢し、夕食も腹八分目に抑えて食べた。 夕食後にアグリから、明日の朝は早起きしてキャンプ地の裏の丘に登り、朝焼けの山を見に行きましょうという提案があった。 テントに戻ると昨夜と同じように強い睡魔に襲われすぐに眠りに落ちたが、昨夜と同じように日付が変わった頃に目が覚めてしまい、それから朝まで殆ど熟睡出来なかった。
7月15日、5時半に起床。 夜半過ぎから熟睡してないので頭痛はないが、今朝は持病の鼻づまりの症状が少し出てきた。 起床前のSPO2と脈拍は83と63で数値だけは悪くないが、予想どおり体調はまだまだ正常にはなっていない。 朝焼けの山を見るため、まだ暗い6時過ぎにメンバー全員でキャンプ地の裏の丘を登り始める。 少し雲があるがまずまずの天気で、月明りで山々のシルエットが見える。 湖畔からでも充分山は見えるのに、なぜアグリが丘の上に誘ったのか、登りながらその理由が分かった。 カルアコーチャの湖面が鏡のように山々を映し始めたのだ。 丘の上に着くと素晴らしい“朝焼けショー”が始まり、山々の頂が金色に輝き始めた。 メンバー一同歓喜の声を上げ、夢中で写真を撮った。 山々は命を吹き込まれたかのように赤く染め上がった。 僅か数分の上演時間だったが、予想外の“グラン・ビスタ” に朝食前からお腹が一杯になった。
テントに戻って朝食を食べ、8時にカルアコーチャのキャンプ地を出発。 まだ風邪が治らない朋子さんを始めメンバーの誰もが本調子とはいかないが、眼前に顔を揃える神々しい山々の眺めが足を前へと運んでくれる。 今日はシウラ峠(4830m)という峠を越えてワイワッシュのキャンプ地(4350m)まで行く。 地図を見ると、カルニセーロ峠(4615m)を越えてワイワッシュに行くルートを歩いた方が楽なように思えたが、今回のアルパイン・サーキットでは最大限山の際を歩くというコンセプトなので仕方が無い。 シウラ峠への登りは昨日のカルアック峠のように緩やかではなさそうで、また、ワイワッシュの標高は4350mと、ここよりも200mほど高いことが憂鬱だ。 湖畔沿いの良く踏まれた道を緩やかに登っていくと、もう一つのキャンプ地から出発したパーティーの姿が前方に見えた。 彼らはクエロパルカから入山しているので、明日はワイワッシュから南のビコンガ湖に向かうのだろう。 カルアコーチャはそれなりに大きいが、水鳥の数は意外と少なかった。 やはり鳥たちにとっても4000mを超える高度は厳しいのだろうか。 湖尻を過ぎるとシウラ・グランデを正面に望む緩やかな登り下りの道となり、少しずつその姿を変えていく山々を愛でながら進む。 間もなくルートの脇に放牧農家の家が数軒見られた。
10時半前にシウラ湖(4290m)が見える場所に着いて休憩していると、平岡さんから、ルートから少し外れている湖を見に行きましょうと誘われ、急坂を10分ほど登ってモレーンの背に上がる。 あいにく頭上のイェルパハの頂は雲に隠されてしまったが、足下のガングラシャンカ湖(4245m)はヒスイ色をした美しい湖だった。 湖をしばらく眺めていると、対岸の氷河で雪崩が起き、滝のように湖に流れ込む光景が見られた。
小1時間ほど道草を食ってシウラ湖方面へと進む。 妻はサントスが引く馬にザックを預けた。 シウラ湖を過ぎるとシウラ峠への登りが始まり、今度はケシロコーチャ(湖)(4332m)が足下に見えるようになった。 ケシロコーチャに流れ込む氷河の源にはカルニセーロ(5960m)の頂が見えた。それまでと一変して道は細くそして急になり、ボディーブローのように酸欠の体にじわじわと効いてくる。 予想どおり、順応の過程から見て、この峠への登りが一番堪えた。
1時に峠までの途中で唯一の平らな場所に着き、ランチタイムとなる。 食欲はそれほどなかったので、控えめにしておいた。 小1時間ほど休憩を兼ねて休み、シウラ峠への道を登り続ける。 午後に入ると昨日と同じように天気は少し下り坂になった。 峠が近づくにつれて足元の雑草は疎らになり、傾斜が一段と増してきた。 3時過ぎにようやく待望のシウラ峠に着いた。 あいにく山々の頂を雲が覆ってしまったが、天気が良ければ峠からの眺めは“グラン・ビスタ”だったに違いない。 峠の向こうにはカルニセーロ湖(4435m)とその背後にラウラ山群の山々が遠望された。
今日の最高点となる峠で思い思いに寛ぎ、カルニセーロ湖のさらに先のワイワッシュを目指して下る。 シウラ峠への登りで体がすっかり酸欠になってしまったので、下りといえどもなかなか足が前に進まない。 6000m級の主峰群は視界から消え、代わりにカルニセーロからワイワッシュ山群南端のトラペシオ(5653m)へと続く5000m後半の山々の連なりが見えるようになった。 カルニセーロ湖の手前は池塘が点在する湿地帯となっていて、苔むした道がしばらく続いた。 静かなカルニセーロ湖(4435m)の湖畔には5時過ぎに着いたが、そこからワイワッシュまではさらに1時間近くを要し、6時にようやくキャンプ地に着いた。
テントに入ると間もなく雨が降り出し、ぎりぎり濡れずに済んだ。 夕食はトゥルーチャ(マス)のステーキだったが、カルアコーチャで釣れたものを運んできたということで驚いた。 ありがたいことに食欲がようやく湧いてきたので、初めて夕食をセーブしないで食べた。 到着直後のSPO2と脈拍は74と84だったが、夕食後は共に72になった。
7月16日、まだ薄暗い6時のモーニングティーに合わせて起きる。 昨夜もまだ眠りは浅かったが、ようやく順応してきたのか、これといって体に不具合はなかった。 6時半過ぎにようやくテントに朝陽が当たり始めた。 空には少し雲があるが、ありがたいことに今日も晴れている。 昨日は暗くて分からなかったが、キャンプ地からカルニセーロ(5960m)と南に連なるフラウD(5674m)・フラウE・(5537m)・フラウF(5600m)と名付けられた山々が見えた。
今日はトラペシオ峠(5010m)という峠を越えてクタタンボのキャンプ地(4265m)まで行く。 当初はトラペシオ峠からクヨック谷のパンパクヨック(4492m)へ下る計画だったが、アグリからの最新の情報により、トラペシオ峠からその一つ先の谷にあるクタタンボに直接下ることになった。 三日前にワイワッシュ山群の北端のマタカンチャから入山し、山群の東側を北から南へ縦走してきたが、今日は主脈としては最南端となるトラペシオ(5653m)の中腹にあるトラペシオ峠を越えることにより、山群の東側から反対の西側に回り込むことになる。
クタタンボへ着くのは夕方になるとのことで、いつもよりも少し早く7時半過ぎにワイワッシュのキャンプ地を出発。 南下してビコンガ湖へ行くメインルートではなく、牛や羊が草を食む長閑な牧草地を緩やかに登っていく。 正面にはそれとは対照的な荒々しいプスカントゥルパという岩峰群が見えたが、登山家の山野井泰史さんが昨年その中の一峰を初登頂したことを平岡さんから教えてもらった。
ワイワッシュから1時間半ほど歩いた所で、それまで見えなかったトラペシオの頂(南壁)が見え始めた。 昨日シウラ峠から下る時に見た山容とは違うストイックな姿は、山群の北端のニナシャンカと同様に、南端の要として相応しい印象を受けた。 初登ではないが、昨年山野井さんがパートナーの野田賢さんとこの南壁を登ったことも帰国後に調べて分かった。 ワイワッシュから2時間ほど歩いた所で一息入れ、そこから右方向へ進路を変えてトラペシオとプスカントゥルパの間の大らかなトラペシオ峠を目指す。 池塘や池が見られるようになり、水鳥が飛ぶ姿も見られた。 予想どおり周囲には他のトレッカーの姿は無く、この広い空間は私達のパーティーで貸し切りだった。 牧草地に大小の岩が散在するようになり、モレーンに向かってジグザグを切って登る。
正午前にトラペシオの西壁を仰ぎ見る場所に着き、そこでランチタイムとなった。 少し前まで見ていたストイックな南壁とはまるで違い、氷河のある西壁は重厚な面持ちで、これが本当に5600m台の山かと目を疑うほど迫力があった。 体調は昨日までのように悪くなく、昼食のスープとお好み焼きは何も気にせずに食べることが出来た。 午後になると昨日よりも早く上空に雲が広がり始めた。
小1時間ほど休憩を兼ねて休み、トラペシオ峠への道を登り続ける。 意外にも道は良く踏まれていて明瞭だった。 1時半に強い風が吹き抜けるトラペシオ峠(5010m)に着いた。 峠の向こう側にはエメラルドグーリンの無名湖と衝立のように屹立するプスカントゥルパの南峰(5652m)が見え、皆で歓声を上げた。 パンパクヨック方面へはここから無名湖に向かって下るが、私達はさらにトラペシオの氷河に向かって岩稜沿いの広いガリーを登る。 背後にはラウラ山群の山々も見えた。 間もなく前方が明るく開け、不意にワイワッシュの白い峰々が目に飛び込んできた。 入山後初めて見るサラポ(6127m)とカルニセーロ(5960m)の間に見える山がシウラ・グランデだとアグリが教えてくれた。 ザックを置いて興奮しながら傍らの岩稜の末端に皆で登る。 あいにくシウラ・グランデの頂は厚い雲で覆われていたが、ここから眺める雄大な景色は正に“グラン・ビスタ”で、高所にいることも忘れて皆で大いに盛り上がった。 トラペシオの頂が眼前に迫る岩稜の末端の標高は、平岡さんのGPSで5100mほどあった。
展望の良い岩稜の末端から降りて先に進むと、すぐに狭いガリーとなり、足下にはトラペシオの氷河が見えた。 本当にここを下るのかと思うような岩屑のグズグズの急斜面を、落石に注意しながら間隔を開けずに一団となって下る。 降り立った氷河は傾斜が緩かだったので、ノーロープ・ノーアイゼンで下る。 残念ながら天気は下り坂となり、間もなく小雪が舞ってきた。 30分ほど氷河を歩いた所で、凍った急斜面を補助ロープに掴まってサイドモレーンに下りる。 サイドモレーンを僅かに登ると、眼下にフラウコーチャ(湖)(4343m)の末端が見えた。 時刻はいつの間にか4時近くになっていた。
滑り易いスラブ状の岩の上をフラウコーチャを目指して下っていく。 フラウコーチャの湖面が完全に見えるようになると、ようやくクタタンボの広い扇状地がその先に見えた。 蒼い水を湛えた美しいフラウコーチャを足元に見ながらやり過ごすと、予想よりも少し遅い6時前にクタタンボのキャンプ地(4265m)に着いた。 足はすでに棒になり、皆でここは“クタクタタンボ”だねと言って笑った。
クタタンボからは、今朝スタートしたワイワッシュから見たフラウD・フラウE・フラウFの3峰が全く逆の並びで見え、山群の反対側にきたことを実感した。 テントの傍らで夕焼けに染まる山々を眺めていると、一番左の奥に見える山が目標のラサックだとアグリが教えてくれ、その途端その山だけに目が釘付けとなった。 到着が遅くなったので夕食は8時からということになり、1時間ほどテントの中で横になった。 夕食前のSPO2と脈拍は83と63で予想以上に良かった。 夕食は鶏肉のソテーで、入山以来初めておかわりをして食べた。 長時間の行動で疲れてはいたが、ようやく4000m前半の高さに順応したようで嬉しかった。
7月17日、昨夜は寝るのが10時となり、3時くらいまで熟睡したが、その後は鼻が詰まって良く眠れなかった。 起床後のSPO2と脈拍は84と65で、体調は正に数値どおりで可も不可もない。 もう頭痛は完全に無くなったが、昨日の疲れが残っているようで体が重い。 今日も早朝から快晴の良い天気となり、逆光ながら目標のラサックが良く見える。 朝食の暖かいパンが食欲をそそる。
今日はセリア峠(5097m)という峠を越えてサグヤ谷のキャンプ地(4500m)まで行く。 ラサックはもちろんのこと、シウラ・グランデやイェルパハに再び近づくので、今日もグラン・ビスタ(大展望)が期待出来る。 昨日の到着が遅かったので、いつもよりも少し遅く8時過ぎにクタタンボのキャンプ地を出発。 大小の岩が堆積した河原をケルンに導かれて進み、サラポコーチャ(湖)を源とするサラポコーチャ谷を流れる沢を渡渉して谷の右岸を高巻く踏み跡を辿る。 谷筋の斜面には雌のルピナスの紫の花が一面に咲き誇っていた。 谷から這い上がるようにやや急な斜面をひと登りすると、谷は広く開放的になり、正面にはラサックが良く見えるようになった。 ここから見たラサックは、チキアン方面から見た山容とはまるで違う尖峰で、とても登れそうな山には見えない。 振り返ると、昨日の主役のトラペシオ(5653m)はすでに遠くなっていた。
時にはルピナスの藪を漕ぎながら、サラポコーチャ谷の側壁をトラバース気味に登っていくと、イェルパハと見間違えるほど迫力のあるサラポ(6127m)がその全容を現し始めた。 サラポの氷河を集めたサンタロサ湖とイェルパハとシウラ・グランデの氷河が流れ落ちるサラポコーチャ(4482m)がモレーンを隔てて相次いで足下に見えた。 サラポコーチャの上に見える大きなクレヴァスが、映画『運命を分けたザイル』の舞台となったクレヴァスだとアグリが教えてくれた。 間もなくサラポの背後からシウラ・グランデの頂が徐々に見えるようになり、その迫力ある景観を眺めながら昼食となった。
昼食後は赤茶けた地肌が露出したセリア峠(5097m)を目指して登る。 岩塩でも舐めに来ているのか、かなり高い所まで放牧された牛たちの姿が見られた。 下から見えたモアイ像のような奇岩が立つ所が峠かと思ったが、峠はそこからまだ一段上に登った所だった。 3時前にようやくセリア峠に着いた。 峠からはラサックが手の届きそうな所に見え、イェルパハとシウラ・グランデ、そしてサラポの眺めが圧巻だった。 峠の向こう側には主脈からは外れているが、氷河のあるサクラ・グランデ(5610m)などの山々が見えた。
峠からのグラン・ビスタ(大展望)を充分堪能し、目的地のサグヤ谷へと下る。 砂礫のグズグズの急斜面に僅かに残る踏み跡を辿って谷を目がけて一気に下る。 砂礫の斜面は次第に岩場に変わり、1時間ほどで草も混じるようになった。 足下には広くて平らなサグヤ谷が良く見えるようになった。 谷に降り立った所がキャンプ地かと思ったが、谷へは下らず途中から谷の源頭へ側壁をトラバース気味に延々と歩き続けることになった。 正面の谷の源頭にはラサックが再び見えるようになったが、待望のキャンプサイトは全く視界に無く、昨日に続き今日も長い行動時間となりそうだった。 5時半を過ぎて日没が迫ってきた時、前方から馬方に連れられた馬が二頭現れ、疲れの見えていた妻と朋子さんをキャンプ地へ運んで行った。
日没寸前の6時にようやくサグヤ谷の源頭にあるカラマーカ湖(4575m)という湖の畔に設営されたキャンプ地に着いた。 足はもう棒のようになっていたが、昨日までの指定されたキャンプ地とは違い、ラサックを投影するカラマーカ湖はとても神秘的で、今までここを訪れた日本人はいないのではないかとさえ思えた。 到着直後に小雪が舞ったが、すぐに止んでくれて助かった。 SPO2と脈拍は82と72で、疲れている割にはそれほど悪くなかった。 今晩はダイニングテントは無く、夕食はキッチンテントの中で和気あいあいと食べた。 夕食後にアグリから、今回のアルパイン・サーキットの核心となる明日のラサック峠(5129m)越えを楽にするため、予定したサグヤ谷のキャンプ地から1時間半ほど先に進んだという説明があった。
7月18日、昨夜は寝るのが遅かったので、今朝の起床時間は6時半になった。 風もなく暖かい夜で、6時間くらいは熟睡出来た。 起床前のSPO2と脈拍は81と58とまずまずだ。 眼前にはラサックしか見えず、まるでそのB.Cにいるかのような錯覚を覚える。 朝食は外で車座になって食べる。 食欲は普通にあり、何でも美味しく食べられるのが嬉しい。
今日はいよいよラサック峠(5129m)を越えてラサック登山のB.Cとなるハウアコーチャ(湖)のキャンプ地(4050m)まで一気に下る。 ラサック峠ではグラン・ビスタ(大展望)が待っているだろう。 まだ陽の当たらないカラマーカ湖畔のキャンプ地を8時に出発。 湖畔から顕著なモレーンの背に上がる。 間もなくご来光となり、身も心も一気に暖かくなった。 逆光だが神々しいラサックが指呼の間に見え、ボルテージも一気に上がる。 振り返ると、カラマーカ湖や広大なサグヤ谷が眼下に見えた。
カラマーカ湖畔のキャンプ地から1時間半ほどで正面にラサック峠が見えるようになった。 当初はラサック峠の標高がルート上で一番高く、また氷河もあるので、今回のアルパイン・サーキットの一番の核心と思われたが、すでに5000mを超える峠を二つ越え、今は順応もかなり進んできているので、峠への登りはさほど苦にはならなかった。 10時半前に小さな池がある氷河の取り付きに着き、アイゼンとハーネスを着けて、二組に分かれてアンザイレンして氷河を登る。 ラサックの頂が次第に手前の尖ったラサック・チコに隠されていく。 氷河は見た目どおり傾斜も緩く、全く問題なく登れた。
標高差200mほどの氷河を1時間ほどで登り、正午前に待望のラサック峠に着いた。 アグリから、峠の向こうに遠望される山並みはブランカ山群だという説明があった。 下からは広く見えた峠は思ったよりも狭かった。 気温の上昇で雲が湧き始めてしまったので、峠からは期待していたラサックの頂を見ることが出来ず、連日のようなグラン・ビスタは叶わなかった。 それでも一番標高の高い三つ目の5000m台の峠を無事越えられたことで、メンバー一同達成感と安堵感に満たされていた。
峠の反対側にも氷河は続いていたが、アイゼンとハーネスを外して左側の岩場を下ることになり、峠から少し下った所でランチタイムとなった。 食事中にアグリがこの先の下山ルートの確認に行ってくれた。 峠からは今日の目的地のハウアコーチャ(湖)は見えず、バロッサコーチャとラサックコーチャの二つの湖がこれから下る眼下のラサック谷の途中に見えた。 踏み跡の薄い岩場をアグリの巧みなルートファインディングで下り、途中から顕著なモレーンの背を下る。 一つ目のバロッサコーチャ(湖)とは反対側の凹地にモレーンの背から下り、ルピナスの群落の中を通って二つ目のラサックコーチャ(湖)の手前の草原に降り立つ。 周囲には放牧された牛が見られ、ここからの下りはもう問題ないことが分かった。 目を見張るような素晴らしい景観はないが、ラサックコーチャの湖畔の雰囲気は良く、時間が許せばここで一泊していきたいような感じがした。 湖の畔で一息入れ、ラサックコーチャから流れ出す沢の左岸を下る。
ハウアコーチャ(湖)が足下に見えるようになると、頭上にはワイワッシュ山群の北端のニナシャンカ(5607m)とロンドイ(5870m)が久々に望まれ、アルパイン・サーキットを一周してきたことを実感した。 ルピナスが群生する埃っぽい急斜面をジグザグを切りながら湖に向けて急降下し、4時半にラサック登山のB.Cとなるハウアコーチャ(湖)のキャンプ地に着いた。
テントや物資を運んでくるロバ達はラサック峠を越えられないので、その数倍の距離を延々と遠回りしてくるため、まだキャンプ地には着いてなかった。 意外にもキャンプ地からはラサックの頂は見えなくなり、ヒリシャンカ(6094m)が再び望まれるようになった。 間もなくロバ達が到着し、日没前にはテントに入ることが出来た。 夕焼けに染まる山や空が美しい。 夕食前のSPO2と脈拍は88と60で、笑ってしまうほど良かった。 入山してから一番標高が低いキャンプ地だから当然だろう。 気温も高くて暖かかった。 夕食は鶏肉のクリームソース煮で、おかわりをして食べた。
7月19日、青空はあるが早朝から山々には雲が取り付き、入山以来一番悪い天気だ。 昨日まで全て順調に高所順応を兼ねたアルパイン・サーキットのトレッキングをこなしてきたので、今日は計画どおり明日からのラサック登山に向けての休養日となった。 疲れは溜まっているが、妻共々体調は良く、SPO2は80台の後半で脈拍も60台の前半と理想的な値だ。 風邪が治らず声が出なくなってしまった朋子さんの体調だけが唯一心配だ。 久々に時間を気にすることなくのんびりと朝食を食べ、B.Cらしいゆったりとした時間を過ごす。 朝食後にラサック登山のために昨日から新たに隊に加わったスタッフのホセ・ホルヘ・メシアスの三人の紹介があった。
陽が当たって暖かくなったダイニングテントでまったりし、アグリからワイワッシュ山群の鳥や花のレクチャーを受ける。 山だけでなく、動植物にも造詣が深いアグリにあらためて感服した。 鳥の図鑑は公認のトレッキングガイドにしか頒布されない貴重なものらしく、解説のみならず挿絵がとても精緻だった。 花の図鑑も一般の書店にはないものらしく、さっそく皆でアグリに手配をお願いした。 陽射しが強まってきたお昼前にスタッフにお湯を沸かしてもらい、皆で順番に髪を洗ってリフレッシュした。
昼食後は喉に良く効くという薬草を煮出したお茶をスタッフからいただき、午後は個人用テントで明日からのアタックに向けての準備を入念にした。 キャンプ地はまずまずの天気だったが、山の稜線は終日雲が多く、今日が休養日で良かった。
【ラサック】
7月20日、今朝も昨日に続き山々には雲が取り付き、残念ながらあまり良い天気ではなかった。 出発に向けて早朝からスタッフが慌ただしく準備をしている。 その中に新しいスタッフの姿も見られたが、そのうちの一人は3年前のアルパマヨ登山でお世話になったアグリの甥のロナウで、意外な場所での嬉しい再会となった。 ロナウは私達のことを覚えていてくれたようだ。 朝食後に今日から新たに隊に加わるガイドのロドリゴとロナウ、そしてロドリゴの弟子でガイド見習いのサカリヤスの三人がアグリから紹介された。 ロドリゴは地元のチキアンの出身で、ワイワッシュの山にはペルーで一番精通しているガイドということで頼もしく思えた。 登山隊のスタッフと隊員の全員の顏が揃ったので、私達もあらためて簡単に自己紹介を行い、登山隊全員での記念写真を撮った。
9時半前にハウアコーチャ(湖)のキャンプ地を出発。 今日から3泊4日のラサック登山のアタックステージに入る。 初日の今日はラサックへのメインルートとなるイェルパハ西氷河への取り付きの手前にあるC.1(4800m)まで標高差750mを登る。 一昨日下ってきたルピナスが群生する急斜面をジグザグを切りながら登る。 ラサックコーチャ方面への踏み跡を右に見送り、モノトーンのロンドイ(5870m)を正面に見ながら登っていくと、30分ほどでコバルトブルーの水を湛えた美しいソルテラコーチャ(湖)が足下に見えてきた。 踏み跡は湖岸の崖の下の急斜面の草付をトラバースするようにつけられ、アグリから踏み跡が薄い所では右手で草を掴みながら登るようにとの指示があった。 踏み跡は次第に傾斜を増し、小1時間ほど草付を登っていくと、前方にイェルパハ西氷河の末端が見えるようになった。 氷河の末端と繋がるソルテラコーチャの湖尻を足下に見ながら、崖のカーブに沿って90度右に回り込み、イェルパハ西氷河の左岸のサイドモレーンの急坂を登る。 サイドモレーンには再びルピナスが見られた。 天気はやや回復し、雲は多めながらもヒリシャンカ(6094m)が青空の下に見えるようになった。
正午過ぎにランチタイムとなったが、昼食後は再び天気が悪くなり、とうとう小雪が舞い始めた。 天気の回復を祈りながらケルンに導かれてサイドモレーンのガラ場を登る。 再び青空が覗くようになり、前方にはイェルパハとイェルパハ・チコも見えるようになった。 2時半前に僅かな平坦地になっているC.1に着く。 意外にもC.1には石を積んだ風除けの囲いも見られた。 ラサックへ登る人は稀なので、他の登山隊の姿は皆無だ。 個人用テントが少し傾いていたので、アグリとホセにお願いして整地をやり直してもらった。 到着して1時間後のSPO2は81、脈拍は70とさすがに脈が少し高かった。
キッチンテントの脇でティ−タイムをしていると、C.2へのルートの下見に行ったスタッフ達が戻ってきた。 申し訳ないと頭が下がると同時に、登頂に万全を期するスタッフの意気込みが感じられて嬉しかった。 個人用テントに戻ってからも小雪が降ったりやんだりで、夕食は各々テントの中で食べることになった。 夕食後は2時間ほど雪が本降りとなってしまい、テントの中から時々叩いて雪を落とした。 アプローチのトレッキングはとても順調だったが、肝心のアタックステージで天候が不順になってしまうのではないかと心配せずにはいられなかった。
7月21日、6時に起床。 ハウアコーチャのB.Cでは順応はほぼ完璧だと思っていたが、夜中に一度軽い動悸で目が覚めた。 それでも起床前のSPO2は80、脈拍は60で、この高度にしてはまずまずだった。 昨夜の降雪が嘘のように天気は素晴らしく、朝焼けの空と逆光ながら眼前にロンドイ、ヒリシャンカ、イェルパハ・チコ、そしてイェルパハがすっきりとキャンプサイトから望まれ、早朝から久々のグラン・ビスタとなった。 遠くブランカ山群のワンサン(6395m)の頂も雲海の上に浮かんで見えた。 意外にも雪はテントの上だけに残っていて、地面には殆ど積もっていなかった。 次第に明るさを増す山々を眺めながらキッチンテントの脇で車座になって朝食を食べる。 8時過ぎにヒリシャンカの山頂からのご来光となった。
8時半にC.1を出発し、最終キャンプ地のC.2(5500m)へ向かう。 昨日に続き、イェルパハ西氷河の左岸のサイドモレーンを登る。 C.1からしばらくの間は傾斜が緩く、踏み跡も意外と明瞭だった。 風もなく暖かい絶好の登山日和で、C.2へは全く問題なく行けそうな気がするが、反面あまり天気が良すぎて、今日がアタック日なら良かったとついつい思ってしまう。 氷河の取り付き地点は予想以上にC.1から遠く、ガレ場や岩場を繰り返しながら延々と氷河の脇を登ることになった。 それだけ氷河の後退が近年著しいということだろう。 イェルパハが間近に迫り、まるでこれからイェルパハに登るかのような錯覚を覚える。 C.1から2時間半ほどでようやく氷河と出合ったが、ぎりぎりまで氷河に沿ってサイドモレーンを登り続けた。 地形的にこの辺りはもうラサックの稜線の側壁と言えるかもしれない。 結局C.1から3時間以上登ってようやく氷河の取り付きに着いた。
取り付きでアイゼンとハーネスを着け、正午過ぎに二組に分かれてアンザイレンしてイェルパハ西氷河を登り始める。 取り付き付近には荒々しいセラックやクレヴァスが見られたが、イェルパハ西氷河は予想以上に傾斜が緩やかで、昨日の新雪で美しく輝いていた。 所々で先頭のアグリに声を掛け、周囲の山々の写真を撮らせてもらう。 ヒリシャンカのアンデス襞が芸術的だ。 間もなく氷河の奥に狭いコルが見え、コルの右上にはラサックの山頂らしき所が見えたが、数日前に見た神々しい山容とはまるで違う形に違和感を覚えた。
氷河の取り付きから2時間足らずで待望のC.2(5500m)に着いた。 眼前には巨大なイェルパハの雪壁が衝立のように屹立し威容を誇っているが、肝心のラサックは赤茶けたその側壁を見せているだけだった。 スタッフが作ってくれた雪のテーブルでティータイムを楽しんでいると、ラウルが最終キャンプ地には似合わない大きな鍋にトゥルーチャの煮込みを入れて持ってきた。 思わぬラウルからの差し入れに仰天し、興奮しながら夢中で柔らかく煮込んだトゥルーチャを頬張った。
山頂へのルートの下見に行ったロドリゴから、フィックスロープを何本か取り付けてきたという報告を受け、急遽ユマール(登高器)の練習をすることになった。 元々フィックスロープを登ることは考えてなかったので、ユマールは隊の共同装備の中から借りることになったが、私の分まで無かったので、明日はロープマンで代用することになった。
明日のアタックの出発時間は1時ということになり、6時前に個人用テントでフリーズドライのご飯を食べて横になった。 妻共々体調は良く、夕食後のSPO2は83、脈拍は63と申し分ない。 あとは明日の好天を願うばかりだ。
7月22日、夜中の零時前に起床。 起床前のSPO2は73、脈拍は65とこの高度では申し分ない。 頭痛や鼻づまりもなく体調は珍しく万全だ。 カップ麺のきつねうどんを普通に食べることが出来た。 一方、朋子さんは喉の風邪が治らず、残念ながらアタックを断念されるとのことだった。 天気は良い方に安定しているようで風もなく暖かい。
予定よりも少し遅く1時半前にC.2を出発。 すでにロドリゴ達の先発隊は出発していた。 私と妻は昨日と同じようにアグリとロープを結び、緩やかなイェルパハ西氷河を源頭のコルに向かって登り始める。 意外にも30分も登らないうちにアグリが立ち止まり、右サイドの切り立った側壁を見上げていた。 側壁にはヘッドランプの灯りが見え、ロドリゴ達が取り付いていることが分かった。 ロドリゴ達がなぜ緩やかな氷河を詰めずに敢えて垂直に近い壁に取り付いているのか全く理解出来なかった。 アグリと後ろから追いついてきた平岡さんもその様子を唖然として見ていたが、どうやら氷河の状態が悪いので高巻いているのではなく、この崖のような側壁を稜線に向かって登っていくようだった。 昨日ロドリゴから報告があったフィックスロープを3〜4ピッチ登るというのはここのことだったのか。 平岡さんが「こんな所は登れない!」と叫び、アグリも仲介に入ってガイド同士でしばらく協議をしたが、百戦錬磨のアグリですらこの寂峰を登ったことはなく、結局この山域に一番詳しいロドリゴの判断に任せるしか術がなかった。 それでもこの3〜4ピッチの岩場を頑張って登れば、活路が見えると信じて壁に取り付くことになった。 もともと私がラサックの存在を知り、この山に憧れるようになったのは、2005年のロドリゴと丸山さんの登頂記録を見たことがきっかけだったが、その時のルートはC.2からセラック帯を通り、イェルパハ西氷河の源頭のコルの手前から側壁に取り付いていたはずだ。
側壁の取り付きで疑心暗鬼でアイゼンを外し、フィックスロープの垂れ下がった赤茶けた岩壁を順番に登る。 暗闇の中で手掛かりや足場を探しながらの登攀のため、先頭で登ることになった伊丹さんから泣きが入る。 もちろん5000mを超える高所ではなおさらだ。 当初から岩を登る計画であれば、それなりに心の準備も出来ているが、今日のアタックではイェルパハとのコルまで氷河を歩き、そこから急峻な雪稜を登ることをイメージしていたので余計に違和感があった。 最初の1ピッチはトップの伊丹さんからラストの西廣さんが登るまで1時間以上掛かった。 人も獣も通らない正に人跡稀なルートのため、注意して登らないと足元の500円玉ほどの岩がボロボロと下に落ちる。 ガバだと思って掴んだ人の頭ほどの岩が剥がれ落ちる寸前だったりすることも珍しくなかった。 下山後に知ったが、アグリも左目に岩が当たり、目が真っ赤に充血していた。 2ピッチ目も同じように順番待ちやらで遅々として捗らず、暗闇の中、大人数でこの不安定な岩場を登ることに違和感を覚えた。 借り物のロープマンは過去に使ったことがなく、オーバー手袋での操作がとてもやりにくかった。 風が全くなかったことが唯一の救いだ。
ロドリゴの報告どおり、崖のような岩場を3〜4ピッチ登ると、そうやく傾斜が少し緩み、頭上には雪壁があらわれた。 雪壁の基部でアイゼンを着け、同じようにフィックスロープをユマーリングで登る。 夜が白み始め、ヒリシャンカのシルエットが暗闇から浮かび上がってきた。 雪壁は僅か1ピッチしかなく、その先は再び岩場となっていたのでアイゼンを外す。 美しい朝焼けが始まり、今までで一番良い天気になりそうな期待が持てたが、果たして無事山頂に辿り着けるのかどうか、全く予想もつかなかった。
雪壁の先では傾斜がさらに緩み、岩のバンドを斜めに登ったり、トラバースするようになったが、先頭のロドリゴ達が登りながらフィックスロープを取り付けているため、今度はそれを待つのに時間が掛かる。 相変わらず天気は安定し、不思議なくらい風が無いことがラッキーだった。 周囲が明るくなり、岩も易しくなったので、登頂への期待がにわかに高まってきた。 眼前にはイェルパハの巨大な西壁が威圧的な面持ちで迫り、当初登ることを想定していたイェルパハ西氷河の源頭のコルの向こうにシウラ・グランデ(6344m)とサラポ(6127m)が並んで見えた。
8時になるとようやく暖かな太陽の光が当たるようになり、頭上に待望の雪の稜線が見え始めた。 そこから2ピッチほどで再び雪壁があらわれたが、どうやらこの上にはもう岩場は無さそうで、このまま頂上稜線へ雪の上を登れそうだった。 アイゼンを着けて隊の最後尾でフィックスロープを1ピッチ登ると、意外にもそこはもう山頂直下のコルで、先に山頂に着いていたメンバーの姿が見えた。 ありがたいことにコルに上がっても全くの無風で、走り出したくなるような気持ちを抑えながら皆の待つ山頂に向かう。 緩やかな雪稜を僅かに歩き、9時半過ぎに待望のラサック(6017m)の山頂に辿り着いた。 朋子さんがいないのが玉にキズだが、想定外の岩場を耐えて登った解放感と、快晴無風の山頂からの大展望にメンバー一同お祭り騒ぎだ。 誰彼となく祝福と労いの握手を交わし、皆で写真を撮り合った。 もちろん、ロドリゴ以外は全員初登頂だ。
気が付くと30分以上も山頂に居座っていたが、下りも時間が掛かることは火を見るよりも明らかなので、アグリに促されて重い腰を上げて山頂を辞する。 次は誰がこの寂峰の頂を訪れるのだろうか、少なくとも日本人は当分の間いないだろう。 下りはトラバース部分を除いて全て懸垂で降りるが、上部でのロープを回収しながら下部のロープを固定するため、登りと同じように行動時間よりも待ち時間の方が長くなる。 岩はボロボロだが、落石をおこさないように下らなければならないので、足だけでなくロープを制動する手にも力が入る。 懸垂に不慣れな妻から泣きが入る。 当初の計画では、登頂がスムースにいった場合はB.Cまで下ることになっていたが、C.1に下ることさえ無理だろう。 山頂から取り付きまでの標高差は500m足らずだが、予想以上に下りに時間が掛かり、最後尾の妻が疲れはてながら氷河に降り立ったのは夕方の4時半過ぎだった。
5時前に留守番のスタッフ達に迎えられて三々五々C.2に到着。 朋子さんは一足先にB.Cに下りたとのこと。 ラウルが作ってくれた暖かいスープや焼きそばが空きっ腹にしみる。 フィックスロープの回収で私達よりも遅くC.2に到着したロドリゴ達を労い、皆無事に登頂を果たしたことを祝って記念写真を撮った。 今日ラサックに登れたのは、頼もしいロドリゴや手厚いサポートをしてくれたスタッフ達のお蔭に他ならない。 アタックを終えた安堵感と疲れで、朝までぐっすり眠ることが出来た。
7月23日、今日はB.Cに下るだけなので、昨夜の打ち合わせどおりゆっくり7時半に起床する。 起床前のSPO2は78、脈拍は63とこの高度にも順応しつつあった。 今日も昨日に引き続き快晴の天気で、ブランカ山群の山並みがはっきり見えた。 朝食のカップラーメンを食べながら、あらためて昨日登った赤茶けた崖のような側壁を眺めると、平岡さんの言うとおり、初見では絶対に登れないルートだということが頷ける。
テントを撤収し、陽射しで暖かくなった9時半過ぎにC.2を発つ。 氷河の取り付きまでは僅か30分ほどで着いてしまった。 氷河の取り付きからC.1へは休憩を一度挟んで1時間半足らずで下り、C.1にデポしたトレッキングシューズに履き替えると、身も心も軽くなった。 後方にイェルパハが見えなくなると、ルート上も埃っぽくなってくる。 足下のソルテラコーチャ(湖)は何度見ても美しい。 もうすぐハウアコーチャのB.Cに着くのは嬉しいが、私のせいで風邪が治らずアタック出来なかった朋子さんの顔を見るのが辛い。 ルピナスの群落を抜けると、設営中のキャンプサイトで大きく手を広げて私達の到着を待っている朋子さんの姿が見えた。 C.2からはちょうど4時間でB.Cに着いた。 控えめな登頂報告をする私を満面の笑みで迎えてくれた朋子さんに、ただただ頭が下がる思いだった。
昼食後は荷物の整理などで、皆思い思いに個人用テントで寛ぐ。 トレッキングと登山の打ち上げに、『パチャマンカ』の宴が今晩行われることになり、スタッフ達は休む間もなく昼過ぎからその準備に入った。 パチャマンカとはケチュア語で“大地の鍋”を意味するこの地方の伝統的な料理方法で、地面に掘った大きな穴の中に肉や魚、そして色々な種類の芋と豆を埋めて香草を被せ、窯で熱く焼いた石で蒸し焼きにするというものだ。 メンバーの中にはパチャマンカが初めての人もいて、その作業工程を皆で見守った。
陽が落ちてからダイニングテントでアグリの口上の後にワインで乾杯し、パチャマンカの料理に舌鼓を打った。 肉や魚はもちろんのこと、日本では口に入らないアンデスのローカルな芋の甘さが絶品だった。 奇しくも今日は妻の誕生日だったので、このパチャマンカがとても良い想い出になった。 登頂の余韻を味わうかのように、夜遅くまでダイニングテントで山の話に花が咲いた。 やはり山は登らなければ(登頂しなければ)駄目だとつくづく思った。 深夜になっても快晴の天気は続き、天の川がとても綺麗だった。
7月24日、早いもので、ワイワッシュ山群に入山してから今日で12日目となった。 今日はハウアコーチャのキャンプ地からマンカン峠(4580m)を越えて今回のアルパイン・サーキットのゴールとしたポクパ村(3470m)へ下り、そこからエージェントのバスで最初に泊まったチキアン(3400m)のホテルに向かう。
少し朝寝坊し、朝食のパンケーキを美味しくいただく。 8時半前にロンドイ(5870m)の山頂からのご来光となり、その直後にキャンプ地を出発した。 すぐに上のソルテラコーチャ(湖)から流れ出す沢の渡渉ポイントがあったが、ホセとメシアスがキャンプ地の撤収の手を休め、石を集めて即席の橋を作ってくれた。 沢を渡ってハウアコーチャ(湖)の湖尻に向かって歩いていくと、先日辿ってきたラサック谷の向こうにラサックやラサック・チコが見えてきた。 ここから見たラサックはカミソリの刃のようにシャープで、カラマーカ湖の畔から仰ぎ見た姿とはまるで違うユニークな山容だった。 ハウアコーチャ(湖)の湖尻に着くと、ラサックの奥にイェルパハやイェルパハ・チコも望まれるようになり、あらためて今回のアルパイン・サーキットの景観の素晴らしさを感じた。 湖尻からはハウアコーチャの湖畔に沿って平坦な道を歩いていくが、湖は氷河と直接接していないためかどことなく牧歌的で、湖面の色合いも他の湖と比べて地味だった。 湖は下流にいくほど水温が高くなるのか、カモやシギ類の水鳥の姿があちこちに見られるようになった。 反対側の湖尻には整備されたキャンプ地があり、看板には麓のリャマック村が管理していると記されていた。 キャンプ地からはラサック・イェルパハ・イェルパハ・チコ・ヒリシャンカ・ロンドイが屏風のように一望され、逆光ながらここからの景色も正にグラン・ビスタだった。
ハウアコーチャ(湖)を過ぎると長閑な牧草地となり、草を食む牛たちの姿が見えた。 ハウアコーチャ(湖)から流れ出す川に沿ってしばらく平坦な道を歩いていくと、石を積んだカルカの先でリャマック(3250m)に通じる道と分かれ、マンカン峠(4580m)への広い谷の登りとなった。 目標を失った身に登りは辛いが、前山に隠れてしまったラサックが再び見えるようになっていくのが嬉しい。 順応しているのか、里心がついたのか、皆の登るペースが速くてついていけない。 下からは峠に見えた場所は平坦地となっていただけで、そこでゆっくり一休みする。 平坦地からはトラバース気味に緩やかな登りが続き、途中から馬のタクシーに伊丹さんとOさんが運ばれていった。 道は次第に埃っぽくなり、12時半にマンカン峠に着いた。 今回のアルパイン・サーキットの最後の峠となるマンカン峠は、そのフィナーレに相応しいグラン・ビスタで、盟主のイェルパハの眺めが特に素晴らしかったが、私にはその傍らに寄り添うラサックの姿が愛おしかった。
マンカン峠で最後のグラン・ビスタを目に焼き付け、もう二度と訪れることは叶わないワイワッシュ山群に別れを告げて峠を越える。 峠からは眼下にポクパの集落が小さく見えた。 峠から少し下った陽当たりの良い所で昼食を食べ、乾燥した埃っぽい道をポクパの集落に向かって一目散に下る。 強い陽射しでとても暑く、僅かな木々の日陰でも嬉しく思えた。 所々に珍しい植物やサボテンが見られ、植物にも詳しいアグリが何でも詳しく説明してくれた。 峠からの標高差1100mを休まず一気に下り、3時半に車道が通じるポクパの集落に降り立った。
すでにスタッフ達も全員到着していたので、事前の打ち合わせどおりスタッフ達にチップを手渡すセレモニーを平岡さんの音頭で行う。 アグリがトレッキングと登山の総評をコメントした後にロドリゴが続き、ガイドから馬方まで一人一人がそのすべき役割をきちんと果たしたことが今回の登頂の成功につながったというコメントを披露し、メンバー一同その話しに聞き入っていた。 マックスがいなくなったペルーにも、ガイディングのみならず人間的にも素晴らしいガイドがいたことが頼もしく思えた。 私達もアグリにスペイン語の通訳をお願いし、個々に拙い英語で感謝の気持ちを込めてスタッフ達にお礼を言った。
数日後にワラスで再会することを約し、スタッフ達と別れてエージェントの用意したワゴン車に乗り込む。 酸素の濃さと疲れですぐに睡魔に襲われ、気が付いた時にはもうチキアンの町に着いていた。 夕食時には地元のビールやワインで乾杯し、久々のホテルの夕食を美味しく食べた。 長いようで短かったワイワッシュ山群のツアーを終え、山も登れて皆良い笑顔だった。