オホス・デル・サラド(6893m)は南米大陸第二の高峰、そしてアンデス山脈が南北に縦断するチリの最高峰でありながら、日本ではその名は殆ど知られていない。 日本のみならず、登山があまり盛んではないチリの国民も同峰の存在を知らないということが、現地に行ってみて分かった。 私が最初に同峰の存在を知ったのは、南米大陸最高峰のアコンカグア(6959m)に行った時で、当時アメリカの政府機関が発行した防衛マップに、衛星からGPSで計測した同峰の標高が7084mと記してあり、近い将来南米大陸の最高峰が入れ替わるのではないかという話題で盛り上がっていた。 その後『岳人』の2005年4月号に田部井淳子さんの同峰の登頂記が掲載され、日本でも愛好家の間で名前が知られるようになったが、依然として日本では南米の山に対する関心が低く(当時の私もそうだった)、同峰への登山ツアーは催行されたことがなかった。 同峰は世界最高峰の活火山として荒涼としたアタカマ砂漠に聳え、残雪はあるものの氷河ではなく、7000m近い標高がありながらアルペン的要素の少ないユニークな山だ。 日中は陽射しが強烈で暑いが、夜中の気温は低く非常に寒く、昼頃から強い風が夕方まで断続的に吹いて私達を悩ませた。
同峰には2008年の年末にAG社のツアーで登ったが、初めて一般的な登山ツアーが催行されたのは、その年の夏に同社の登山ツアーでボリビアの山に登った時のメンバーの白井さんのリクエストによるものだった。 参加者は白井さんの他、滝口さん、新井さん、藤田さん、八島さん、私、そして妻の7人、ツアーリーダーは同社の代表の近藤さん(企画は平岡さん)だった。 尚、現地のエージェントは『AZIMUT360』だ。 残念ながら文章として書き留めたものはないので、写真にてこの山行の記録を残すことにした。 現地での滞在期間は2008年12月16日から31日の約二週間だった。
【12月16日】 成田 ⇒ 飛行機 ⇒ アトランタ ⇒ 飛行機 ⇒ サンチァゴ <ホテル泊>
【12月17日】 サンチァゴ(700m) ⇒ 飛行機 ⇒ コピアポ(400m) ⇒ 車 ⇒ キャンプ地(3000m) ⇒ 車 ⇒ マリクンガ峠(4000m) 〜 周辺の散歩 ⇒ 車 ⇒ コピアポ(400m) <ホテル泊>
【12月18日】 コピアポ(400m) ⇒ 車 ⇒ キャンプ地(3000m) 〜 裏山の登山 <テント泊>
【12月19日】 キャンプ地(3000m) ⇒ 車 ⇒ マリクンガ峠 (4000m) ⇒ 車 ⇒ サンタ・ロサ湖(3800m) 〜 周辺の散歩 <避難小屋泊>
【12月20日】 サンタ・ロサ湖(3800m)に滞在 〜 湖畔の山を4300m地点まで登山 <避難小屋泊>
【12月21日】 サンタ・ロサ湖(3800m) ⇒ 車 ⇒ ラグーナ・ベルデ(4345m) ⇒ 車 ⇒ アタカマB.C(5300m) 〜 周辺の散歩 ⇒ 車 ⇒ ラグーナ・ベルデ(4345m) <テント泊>
【12月22日】 ラグーナ・ベルデ(4345m) ⇒ 車 ⇒ ムーラス・ムエルタス峰(5897m)を4900m地点から5650m地点まで登山 ⇒ 車 ⇒ ラグーナ・ベルデ <テント泊>
【12月23日】 ラグーナ・ベルデ(4345m) ⇒ 車 ⇒ アルゼンチンとの国境のサンフランシスコ峠(4726m) ⇒ 車 ⇒ ラグーナ・ベルデ <テント泊>
【12月24日】 ラグーナ・ベルデ(4345m) ⇒ 車 ⇒ アタカマB.C(5300m) <テント泊>
【12月25日】 アタカマB.C(5300m) 〜 テホス小屋(5800m) 〜 アタカマB.C(5300m) <テント泊>
【12月26日】 アタカマB.C(5300m) 〜 テホス小屋(5800m) <避難小屋泊>
【12月27日】 テホス小屋(5800m) 〜 オホス・デル・サラド(6893m) 〜 テホス小屋(5800m) 〜 アタカマB.C(5300m) ⇒ 車 ⇒ ラグーナ・ベルデ(4345m) <テント泊>
【12月28日】 ラグーナ・ベルデ ⇒ 車 ⇒ バイヨ・イングレッサ(海岸) <ホテル泊>
【12月29日】 バイヨ・イングレッサ(海岸) ⇒ 車 ⇒ カルデラ(海岸) <ホテル泊>
【12月30日】 カルデラ(海岸) ⇒ 車 ⇒ コピアポ ⇒ 飛行機 ⇒ サンチァゴ <ホテル泊>
【12月31日】 サンチァゴ ⇒ 飛行機 ⇒ アトランタ ⇒ 飛行機 ⇒ 成田