デュフールシュピッツェ(4634m)

   8月26日、今日も予報どおりの快晴の天気となった。 まるで条件反射のような感覚で、ホテルの部屋から朝陽を浴びて輝くマッターホルンの写真を撮った。 朝食のバイキングをゆっくりと堪能し、装備を入念に点検してam10:00過ぎにモンテ・ローザのB.Cとなるモンテ・ローザヒュッテ(2795m)に向けてホテルを出発した。 ガイドとの待ち合わせはヒュッテで行うことになっているが、観光案内所でヒュッテまでのトレイル上にある氷河の状態が悪く危険だと言われたので、念のためザイルを持っていくことにた。

   am10:48発の登山電車に乗り、ローテンボーデン駅へ向かう。 6日前に岩登り講習会で登ったリッフェルホルンと出発点は同じ駅だが、今日は前回と比べて体調が良く、車中では観光客の一人となり、懐かしい車窓からの展望を楽しんでいた。 そういえば風邪はいつの間にか治っていた。 “無理が通れば道理は引っ込む”という諺は当たっているかもしれない(実は当たってはいなかった)。 am11:25、ローテンボーデン駅に到着。 今日もここで下車したのは私達と数名だけだった。 マッターホルンには久々に雲が寄り添っている。 眼前にリッフェルホルン、眼下にリッフェルゼーを見下ろす高台から標識に従って左に折れヒュッテへと向かった。

   足下のゴルナー氷河越しに、ブライトホルン、ポリュックス、カストール、リスカム(4527m)、そしてモンテ・ローザと続く山並みを眺める第一級の展望のハイキングトレイルを、ほぼ水平に歩いていく。 ここから見たモンテ・ローザの頂は遙に遠く、私達の挑戦を拒んでいるかのようだったが、そんな不安な気持ちを打ち消してくれたのは、先日のドム登山の経験だった。 30分程でトレイルは氷河に向けて緩やかに下り始めた。 時々向こうからやって来る登山者やハイカーとすれ違うが、時間も遅いせいかこちらからヒュッテに行く人影は見当たらなかった。 しばらく下ってから、陽射しを避けて大きな岩の陰で昼食としたが、氷河から吹き上げてくる風はけっこう冷たく、日陰にいるとすぐに体が冷えてくる。

   pm1:00過ぎにゴルナー氷河に下り立つと、風は一段と冷たくなった。 氷河の“トレイル”には、数10m毎に旗の付いた鉄棒が目印に立ってはいるがクレバスだらけで、迂回するか、またぐか、飛び越えないと進めない。 なるほどこれで上に新雪が積もったら、即ヒドゥンクレバス(落とし穴)の出来上がりだ。 怖いもの見たさに青白く妖しげに光るクレバスの中を覗き込むと、何故か中に引き込まれそうな妙な気持ちになってくる。 クレバスには底の見えない深さのもの、水が溜まっていたり流れていたりしているもの、雪が詰まったもの等、様々な種類があった。 氷河の幅は2km位と思われたが、クレバスに阻まれ10mですら真っ直ぐに歩けないので、1時間以上掛かってようやく渡り終えた。

   ゴルナー氷河を過ぎると、ハイキングトレイルは所々に梯子やロープの付いたアルペンルートに変わり、15分程急な岩場を登ると、ようやくモンテ・ローザヒュッテが見えてきた。 ヒュッテの直前で、小さな子供を肩車して下ってくる父親とその家族に出会った。 “チャレンジ精神は旺盛でも本当に危ないなあ”と心の中で思いつつ、「ハロー」と挨拶だけ交わしてすれ違ったが、この人が明日の私達のガイドとなるとは知る由もなかった。 思ったより時間が掛かったが、pm3:00過ぎにヒュッテに着いた。 ヒュッテは風雪に耐えられるような堅固な造りの三階建ての立派な建物だった。 テラスでは今日アタックしたパーティーだろうか、数人の山男たちが日光浴を楽しみながら、ビールを飲んで歓談していた。 振り返るとゴルナー氷河の流れて行く先には、既に雪がなくなり真っ黒に日焼けしたマッターホルンの正三角形の東面が、砂漠の中のピラミッドのように聳え立っている。 そして眼前にはそれとは反対に、たっぷりと雪を身に纏った秀峰リスカムが、圧倒的なボリューム感で迫っているが、モンテ・ローザの頂は岩の基部に建っているヒュッテからは見えなかった。

   ヒュッテに入り、食堂で宿泊の手続きをする。 対応してくれたのは私達と同年代位の愛想の良い女性だった。 手配書を見せ、いつものようにガイドの分も含めて宿代を払おうとすると、「ヒュッテの小屋番が明日の私達のガイドなので、ガイドの宿代は要りませんよ」と言われた。 なるほど、そいうことだったのか!。 昨日アルパインセンターの受付の人が電話をした先はこのヒュッテだったのだ。 結局宿代は二人で100フラン(邦貨で約7,700円)だった。 念のため朝食のことを聞くと、am2:00に食堂で朝食を出しますということだったので安堵した。 またガイドはホギーという名前で、夕食の後で紹介しますと言われた。 朝食がam2:00ということは、出発はam2:30頃だろう。 指定された三階の部屋に荷物を置きに行く。 二段ベッドに敷いてあるマットレスは柔らかく、上掛けも上質なものだった。 明日に備えて1時間程昼寝をしてから食堂に下りていくと、カウンターに宿帳が置いてあったので、記念に名前や住所等を書き込んだ。 増井氏や藤山さんの名前を探してみたが、残念ながら見つけられなかった。 他にも日本人の名前がないかと興味深く探してみたが、ドムヒュッテの雑記帳より少しは多かったものの、やはり殆ど見つけることが出来なかった。 夕食まで少し時間があったので、明日の下見にとヒュッテの裏手に行き、岩場のトレイルを少し登ってみたり、ガイドブックのコピーを何度も読み返したりして時間をつぶした。

   pm6:00の夕食の時間となり食堂に行くと、どこにこれだけの人がいたのかと思う程の山男や山女達がやって来たが、予想どおり私達以外の日本人は誰もいなかった。 私達の隣に座ったガイド氏とイタリア人と思われる二人の若い女性客は、今日の山行の思い出話しに花が咲いているようだった。 社交辞令に話を伺うと、彼女らは今朝イタリアのチェルヴィニアという町からロープウェイでテスタ・グリジャ(クライン・マッターホルンと並ぶブライトホルン等のイタリア側の登山口)に上がり、ブライトホルン、ポリュックス、カストールの山腹を踏破し、リスカムを登ってきたという。 また明日は私達と同じくモンテ・ローザを登るということだった。 このルートを縦走して更に明日モンテ・ローザを登るというのは凄い体力だ。 ガイド氏はひと仕事やり遂げた安堵感からか、ビールのジョッキを次々におかわりし、顔を紅潮させながら機関銃のように喋りまくっている。 彼女らもこれに負けじと高笑いしながら、話のキャッチボールが延々と続いた。 配膳を手伝っている中年の男性を指して、「多分あの人がガイドのホギーさんよ」と妻が言った。 見ると先ほど子供を肩車して氷河に下りて行ったお父さんだった。 今日は日曜日なので、町から家族が遊びに来ていたのだろう。 楽しみにしていた夕食のメインディッシュは、鶏肉の入ったカレーの汁をパサパサした米と和えたようなものだったが、食べてみると塩と香辛料が強すぎて閉口した。

   夕食後、私達のテーブルにホギー氏がやってきた。 挨拶と自己紹介をしてから、口髭を少したくわえたいかにもイタリア人らしい風体の氏に年齢を聞くと、42歳ということだった。 「私が41歳で妻が43歳なので、ワン・ツー・スリーですね」と社交辞令を言ったが、その真意は私達がいつも若く見られがちなので、誤って若い人向けのペースで登らないで欲しいというアピールだった。 あらためてホギー氏に「登りにどの位時間が掛かりますか?」と尋ねてみると、直ぐに「セブン・アワー」という答えが返ってきた。 妻が片言の英語で、「先日ドムを登った時、登りに6時間半掛かったので7時間じゃ無理だわ」と氏に訴えかけたが、この山のことを知り尽くしていると思われる氏は“任せなさい”という感じで全く耳を貸さなかった。 先程隣に座っていた陽気なガイド氏とは正反対に、ホギー氏はどちらかといえば寡黙な職人気質のように思えた。 氏は簡単に私達の装備の点検を終えると、「明日の朝食はam2:00からで、am2:30に出発します」と一言だけ私達に指示し、特に明朝は暖かいなどというアドバイスはなかった。 さすがに最高峰は寒いのだろうか?。 pm8:00前に寝室に行きベッドに入ろうとすると、先程隣に座っていた元気印の女性が私達のすぐ横にある窓を開けにきた。 私達が「寒いから困る」と言ったところ、「外気を取り入れないと高山病になっちゃうわよ!」とジェスチャーを交えて笑いながら反論し、「それでは寝る場所を換えましょう」と提案してきたので、私達は風の直接当たらない奥の方で寝ることとなった。 それにしても欧州人の日光浴と、この山小屋の窓を開ける習性は全く理解しがたいものだ。


ゴルナー氷河    モンテ・ローザ(左)とリスカム(右)


ゴルナー氷河から見たモンテ・ローザ


モンテ・ローザヒュッテ付近から見たリスカム


   マッターホルン(左)・ダン・ブランシュ(中央)・オーバーガーベルホルン(右)


モンテ・ローザヒュッテ


   8月27日、am1:45起床。 私は3時間以上熟睡できたが、神経質な妻はいつものように殆ど眠れなかったという。 眠たい体に鞭を打ち、身支度を整えてから食堂に行くと、既にパンと飲み物が中央のテーブルに置かれ、皆めいめいにそれを取って自分の席で食べ始めていた。 テーブルのパンを少し食べただけで、専ら用意してきたアルファー米の赤飯や菓子パン等を食べ、紅茶用に用意されていたお湯をテルモスに入れた。 打ち合わせどおりam2:30前にヒュッテの裏口でホギー氏を待っていると、同室のイタリア人のパーティーが出発していった。 相変わらず賑やかで、後ろを振り返り私達に手を振っている。 本当にタフで陽気なイタリアーノだ。 間もなく氏が現れ、アンザイレンした後、am2:35にイタリア隊に続いて二番手で憧れのモンテ・ローザの頂に向けて出発した。 10分程しか違わなかったが、上方にはイタリア隊のヘッドランプの灯は見えなかった。 今日も私が殿(しんがり)だ。 足元と妻の背中だけを見ながら、踏み跡のついている急な岩場のアルペンルートを登る。 標高はまだ3000m以下だし、体も充分に高所順応しているので、呼吸は全く苦しくない。 これはひょっとすると今日もいけるかもしれない。 いや、今回マッターホルン登山という私のわがままを聞いてくれた妻のためにも、この最高峰には何としても登らなければならない。 私がマッターホルンで受けた感動を妻にも味わってもらいたかったからだ。 体はまだ完全に起きていなかったが、今日は違った意味で気合が入っていた。

   岩場の登りは軽快で、どんどん標高を稼いでいく。 これで30分に1回休憩があれば申し分ないのだが、そんな呑気なことは言ってられない。 なにせ今日のゴールはあのドムの頂よりも遠く、そして高いのだ。 ホギー氏のペースは速くもなく遅くもなく、上手に私達を上へ上へと導いていく。 出発してから1時間が過ぎ、ルート上にも雪が多く見られるようになってきたが、まだ氷河の取り付きには着かない。 休憩が約束されている取り付きには早く着きたいが、氷河の上は寒く、また重い足かせ(アイゼン)を着けなければならないので、なるべくこのまま登り続けたいと願った。

   am4:05、出発してから1時間半でモンテ・ローザ氷河の末端に着いた。 私達と入れ違いにイタリア隊が出発していったが、その後は登りで彼女らの姿を見ることはなかった。 ガイドブックによれば取り付きの標高は3277mとなっており、ヒュッテからの標高差が約500mであることを考えると、この取り付きの位置はガイドブックどおりであると思われ、ルートの状態も例年どおりだと推測される。 ホギー氏からアイゼンを着けるように指示があり、10分程の休憩となった。 氏は氷河歩き用にザイルを長く伸ばした。 相変わらず満天の星空で、今日も好天が期待される。 先程食堂にいた山男達はその後どうしたのだろうか、次のパーティーの到着を待たずにam4:15に取り付きを出発した。

   ドム登山の時と同じように単調な雪の斜面を登ることを想像していたが、のっけからデブリやクレバスが多く、絶えず足元に集中して登らなければならなかった。 セカンドの妻はホギー氏の歩くルートを参考に出来るが、殿の私はどうしても自己流のルートになってしまう。 暗闇の中、二度三度と雪を踏み抜き、雪の詰まった浅いクレバスに落ちた。 その度に慌てて体を引き上げたため、まだスパッツをしていなかった靴の中に雪が入った。 凍傷になると困るので氏を呼び止めてスパッツを付けたが、しばらくするとデブリやクレバスはルート上から殆どなくなり事なきを得た。 ノルトエント(4609m)の他、9つの衛星峰を擁する巨大なモンテ・ローザ(最高峰はデュフールシュピッツェ)の山腹を左から回り込むようにひたすら歩きに歩く。 気が遠くなりそうな単調な登高も、ドム登山で充分経験したお蔭でなんとか耐えられる。 幸いにも時折冷たい風が吹くのを感じる程度で今のところ快調だが、気温は今までの山の中で一番低く感じるので、天候が悪くなったらこの漫然とした登高も相当厳しいものとなるに違いない。

   am5:30を過ぎ、夜が少し白み始めてきた。 既に取り付きからは1時間以上も歩き続けているが、ホギー氏には全く休もうとする気配は感じられなかった。 ここまでは順調に登ってきていると思われたので、今日こそは素晴らしい朝焼けの写真を撮ろうと心に決めていた。 何度も後ろを振り返りながらシャッターチャンスをうかがっていたが、ここから見えない東の空に雲が出ているのか、一向に山が染まってこない。 そうこうしているうち、am6:00ちょうどに突然ホギー氏が歩みを止めて休憩となった。 特に何の変化も目印もなさそうな所だったので、氏は時間で区切ったのだろう。 図らずも撮影タイムとなったが、肝心のマッターホルンは相変わらず黒く、またもや願いは叶えられなかった。 今日の“主役”の妻を気遣い、「長かったね〜、でもここまでくればもう大丈夫だよ。 7時間の内もう半分来たからね!」と元気づけると、妻も今日は結構良いペースで登っているとのことで安堵した。 10分程休憩した後、再び単調な登りが始まった。 引き続きトレイルは右へ反転することなく左へ左へと斜めに登っていく。 北斜面を登っているのでまだ太陽を拝むことは出来ないが、周囲はだんだんと明るくなってきた。 取り付きから2時間半程でようやくトレイルは右へ反転し斜度を増した。 この辺りがガイドブックに記されているノルトエントとの分岐点だろうか?、ノルトエントに向かうトレイルらしきものは全く見当たらなかった。

   am7:00を過ぎると、灰色だった空の色も少しずつ水色に変わってきた。 変わらないのはホギー氏のペースだ。 妻の言うとおり氏のペースは常に一定で、楽ではないが決して苦しくはない。 これが“職人技”というものか。 再びトレイルが左に反転した時、雪の斜面の上に黒い小さな岩の塊が見えた。 ガイドブックの記述も忘れ、とっさにあれが山頂(実は稜線上のピークの一つにすぎなかった)だと、自分に都合がいいように思い込んでしまった。 “山頂”が近づくにつれ、トレイルは直登気味に小刻みにジグサグを切るようになり、高さの目安にしていたリスカムも、だいぶ低く見えるようになってきた。 コーナーにさしかかると、斜め後ろから妻に「もうすぐだ、もうすぐだ」と声を掛ける。 妻に何としても登頂してもらいたいと願うあまり、その願いが叶いそうになってきたことが嬉しくて、不意にまた涙が出てきてしまった。 どうやらマッターホルンの後遺症がまだ続いているようだ。


モンテ・ローザ氷河から見た山頂方面


モンテ・ローザ氷河から見たゴルナー氷河とマッターホルン(左)


   am8:00ちょうど、先程の休憩から休まずに2時間近く登り続け、標高4359mの主稜線上のコルに着いた。 意外にもまず目に飛び込んできたのは、衛星峰のジグナールクッペ(4556m)とその山頂に建っている、深山には不釣り合いなマルゲリータ小屋(アルプスで最も高い所にある山小屋)の四角く黒いシルエットだった。 そしてこれから向かう左手の稜線の先には待望の“山頂”が手の届きそうな所に見えている。 コルで待望の休憩となり、山頂を誤認していた私は妻に、「よほどのことがないかぎり、あそこ(山頂)まであと1時間は掛からないよ。 良かったね〜、もう間違いなく登れるよ!」と太鼓判を押して励ました。 しかし油断は禁物だ。 既に5時間以上も歩き、相当なボディーブローを受けているからだ。 これが最後の休憩になると思われたので、行動食を無理やりお湯で流し込み、妻にもシャリバテにならないよう沢山食べることを勧め、残った行動食を出来る限りジャケットのポケットにねじ込んだ。 ホギー氏がザイルを短く結び直した。 いよいよこれからが本番だ。

   10分程休憩した後、気合を入れて夢の実現に向けて最後のステージに入った。 ところが稜線の急な雪の斜面に取り付くと同時に状況は一変した。 コルでは全くの無風だったのに、突然冷たい風が強く吹き始め、足元の雪はカチカチに凍結していた。 たまらずジャケットのフードを被ったが、休憩の時に下にフリースを着込まなかったことを後悔した。 ピッケルもアイゼンも雪面に力強く打ち込まないと登ることが出来ない。 強い風は収まらず、足元も非常に不安定だったが、ホギー氏は“スピード=安全”の原則に従ってか、先程までとは全く正反対の速いペースでグイグイと私達を引っ張り上げた。 私はギアチェンジが上手くいかず、すぐに息が上がってしまったが、ここを乗り切らなければ妻共々憧れの頂に辿り着くことが出来ないという思いだけで、必死になって駆け登った。 もし氏がいなかったら、迷わず一旦コルまで引き返しただろう。 細かなジグザグの登りを20分程続けて雪稜を登りきり、なんとか一つ目の小さなピークに辿り着いた。 ピークを越えたとたん強風は収まり、幸いにも以後山頂まで風で悩まされることはなかったが、ここは最高峰に辿り着くための“関所”だったのだろうか?。 短い時間だったが、アルプスの気まぐれな天候の怖さをあらためて思い知らされた。 ピークからは左右に見える衛星峰の位置から見て、今まで山頂と思い込んでいた眼前の岩峰は稜線上のピークの一つに過ぎず、真の山頂はまだだいぶ先であることが分かり、がっかりさせられた

   既にam8:30を過ぎ、出発から6時間が経過した。 まだ見えぬ山頂に少し焦りを感じ始めたが、再度“セブン・アワー”を信じて妻を元気づけた。 いや、むしろ自分自身を元気づけていたのかもしれない。 ピークから少し下った後、稜線は雪から岩へと変わった。 稜線の岩場は痩せていてとても高度感があった。 アイゼンを着けているので登りにくかったが、風も弱まりマッターホルンの時と比べてゆっくり登れたので楽しかった。 一方、体の小さい妻は何箇所か手掛かりのない所で、ホギー氏に確保されながらの登攀に苦戦していた。 二つ目の小さなピークを越え、再びナイフリッジの雪稜を登りきった後、氏は「岩陰にピッケルをデポしなさい」と私達に指示した。 前方には今度こそ山頂と思われる黒い岩峰が見えた。 いよいよ大詰めだ。 シャリバテもなく、妻も登頂を確信したに違いない。 ノルトエントの頂も目線の高さになってきた。 再び稜線の岩場を小さく登り下りしていると、前方にようやくイタリア隊の三人の姿が見えてきた。 良く見ると彼女らは既に下ってきている。 未明以来の再会に、「コングラチュレーション!」と登頂を祝してエールを送ると、直ぐに「コングラチュレーション!」と弾んだ声が返ってきた。 彼女らの表情とジェスチャーで山頂はすぐそこであることが分かった。

   高さ5m程の幅の狭いチムニーを、上からホギー氏に確保されて登りきると、傍らに十字のフレームに納められた気象観測器が設置された一坪程の広さの岩のテラスに躍り出た。 周囲を遮るものがなくなり、空の青さが倍になった。 仏頂面の氏が初めてニヤリと微笑んだ。 先に登った妻は茫然と立ったままだった。 「やったね〜!、おめでとう!、お疲れ様!、良かったね〜!」。 機関銃のように労いの言葉を並べ、最高峰のサミッターとなった妻を抱擁して讃えたが、私自身も達成感と安堵感の両方で胸は一杯だった。 とうとう高嶺の花を手に入れることが出来たのだ!。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 しばらくして我に返り、妻と交互に敬意を表して氏にお礼を言いながら、拝むように両手で固い握手を交わした。 時計はam9:25を指していた。 未明にヒュッテを出発してから6時間50分、奇しくも私がマッターホルンを往復した時間と同じだった。 素人の私達を約束どおり見事に最高峰の頂に立たせてくれた氏は、やはり一流の職人だった。 振り返れば2年前にモン・ブランに思いを馳せ、昨年憧れのアルプスの山々の扉を開いた素人の私達にとって、まさかスイスとイタリアの両国の最高峰の頂に立てるなどということは夢にも思わなかった。 アルプスの山の神は私達に絶好の天気を与え、歓迎してくれたのだった。 気が付くと山頂の岩には赤子のキリスト様を抱いた優しい顔のマリア様のブロンズのプレートが打ちつけられており、思わず感謝の気持ちを込めて手を合わせた。

   山頂は今日も殆ど風がなく快晴だった。 気温はマイナス5度だったが、陽射しがあるので寒さはさほど感じない。 予想していた以上に最高峰の頂からは、ちょうど富士山からの眺めと同じように、周囲にある山々が全て低くそして遠くに見えた。 ゴルナーグラートの展望台もはるか足下に見える。 なるほど、あそこからここを見上げたら、とても素人が登れるとは思えないだろう。 写真を撮りながら山座同定をしていた私達にホギー氏も加わってきたが、ここから見える20座程のフィアタウゼンダー(4000m峰)の山名が、全て分かるようにまで精通していた私達の意外な実力?には感心していた様子だった。


4359mのコルから見た衛星峰のツムシュタインシュピッツェ(左)


モンテ・ローザの山頂


山頂から見たリスカム


山頂から見たマッターホルン(左端)とヴァイスホルン(右端)


   山頂から見た衛星峰のツムシュタインシュピッツェ(手前)とジグナールクッペ(奥)


山頂から見た衛星峰のノルトエント(右手前)とドム(左端)


赤子のキリスト様を抱いた優しい顔のマリア様のブロンズのプレート


   いつものように感激と興奮が覚めないまま、山頂での時間はあっと言う間に過ぎ、ホギー氏は腰を上げた。 しかし私は最高峰の頂を踏めたという達成感が大きかったせいか、不思議といつまでもここに佇んでいたいという強い願望は湧いてこなかった。 am9:45、氏に促されもう二度と来ることは叶わないだろう憧れの頂を後にした。 下りの岩場でのルートファインディングは、トップの私がしなければならないので大変だったが、余計なことを考えずに足元に集中していたので、安全面ではかえって良かったのかもしれない。 マッターホルンの時は懸垂下降で下りたため感じなかったが、アイゼンを着けての岩場の下りはけっこう重労働だった。 デポしたピッケルを回収し、20分程下った所で次に登ってくるパーティーがようやく見えてきた。 先程強風で苦労した急な雪稜の下りも、すでに風はなくなり、山頂から1時間弱で無事コルに戻ることが出来た。 コルは相変わらず風もなく、日溜まりとなっていてとても暖かかった。 氏もザックを下ろして休憩モードに入った。 氏は厚手のジャケットを脱いでザックにしまったが、下は何と半袖のTシャツ1枚だった。 もうここからは安全地帯と見たのか、氏ものんびりと寛いでいる。 せっかくなので妻と私が交互に氏と写真に納まった。 山頂では少し疲れ気味だった妻も今は活き活きとしている。

   am10:45にコルを出発。 あとはひたすら取り付きまでだだっ広い雪の斜面に登山靴のシュプールを描くだけだ。 スキーシーズンにはこのコルまで登り、ゴルナー氷河に向かって滑降するのが、こちらでは定番のスキーツアーということで、妻と顔を見合せて「スキーがあったらいいのにね〜!」と言い合った。 ホギー氏もそう思っているに違いない。 登りでは4時間近く掛かった取り付きまでの雪の斜面を、休むことなく一気に下る。 途中の傾斜が一段と緩んだ所で氏が先頭に変わり、ドム登山の時と同じように走るように下っていった。 豆粒程だったマッターホルンの黒いシルエットがみるみる大きくなっていく。

   ホギー氏のペースが遅くなった。 クレバス帯に入ったのだ。 未明には何度か浅いクレバスに落ちたので、慎重に行動しなければならなかった。 午後の方が雪が腐って危ないからだ。 しかし先程トップを交代したことで一旦緊張感が抜けてしまった私は、不注意にも雪の詰まった浅いクレバスを通過した時に、凍った地面に足を滑らせて転び、眼鏡が飛ぶほど右の側頭部を雪面にぶつけてしまった。 幸いにも外傷はなかったが、頭を強打したため少し不安な気持ちになった。 頭の痛みは消えなかったが、妻に心配をかけないようにと平静を装っていた。 しかし“気分が悪くなってきたら危ない”と心配していると、自己暗示にかかってしまったのか、本当に気分が悪くなってしまった。


4359mのコルでホギー氏と


モンテ・ローザ氷河のだだっ広い雪の斜面


   正午過ぎに無事氷河への取り付きに戻った。 アイゼンを外し、ザイルも解かれ最後の休憩となった。 下ってきた山の斜面を振り返り見ながらのんびりしていると、後は私達だけで大丈夫とふんだのか、ホギー氏は一人で先に下っていってしまった。 取り付きから下はガイドの責任区間にはなっていないのだろう。 その後ろ姿はまるで糸の切れた凧のようだった。 仕方なく私達も腰を上げ、氏の後に続いた。 途中2〜3箇所あった短い雪の急斜面を、氏は登山靴をショートスキーのように巧みに操り、遊びながら上手に下っていく。 私達も氏の真似をしてみたが、私はまだしもスキー1級の腕前の妻ですら氏のようには決まらなかった。

   午後の陽射しが最高潮に達したpm1:05にヒュッテに到着。 未明に出発してから10時間半の長丁場だった。 ホギー氏の顔はガイドから小屋番へと変わり、早速私達に飲み物の注文を聞いてきた。 本当はワインでも注文し、美酒に浸りたい気分だったが、頭の痛みが心配だったのでいつものようにソフトドリンクを注文した。 テラスで待っているようにと言われたが、ホギー氏は一向に現れなかった。 氏のことではなく飲み物のことだったのか?。 「お疲れ様でした〜!、登頂おめでと〜う!」。 テラスで先に妻と二人で祝杯をあげたが、陽射しが強すぎてかなわず食堂の中に入った。 お腹もすいてきたので、スパゲティーを注文した。 間もなくビールを片手に氏が現れた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、本当にありがとうざいました!」。 あらためて感謝の気持ちを込めて氏と乾杯した。 食堂の壁に“登頂証明書15フラン”とあったので、氏にお願いして書いてもらった。 証明書を受け取り、ガイド料の880フラン(邦貨で約67,800円)を支払い、100フランのチップを手渡した。 雑談の最中に注文したスパゲティーがくると、氏は遠慮したのか、それとも山小屋の仕事が忙しいのか分からないが、静かに席を立っていった。 氏は最後までシャイな山案内人だった。 食事が終わると、スパゲティーが大盛りだったせいか、体が急に重たくなってきた。 ドム登山同様に疲れきっていた妻から、“もう一晩ヒュッテに泊まってゆっくりしていきたい”という提案があった。 私も大きな目標を達成出来たので、ふとそれも良いかなと思った。 しかし頭の痛みが心配だったことと、もし逆に痛みがなくなって運良く好天が続けば、さらにもう一峰登れるかもしれないと妻を強引に説得し、疲れた体に鞭打ってツェルマットに戻ることにした。

   「サンキュー・ベリー・マッチ!、スィー・ユー・アゲイン!」。 pm3:00前、厨房にいたホギー氏に声を掛けて別れを告げ、ゴルナー氷河へのアルペンルートを下った。 コルからの下りで相当飛ばしたため、足は既にガタガタだったが、先程自分の不注意で転んでいるので、足元に充分注意して慎重に下った。 ゴルナー氷河からは何度も後ろを振り返り、写真を撮ったり双眼鏡を覗いて登ったルートを確認したりして登頂の余韻に浸った。 ここから山頂まで標高差が2000m以上もあるためか、未だに自分達がその一番遠くの高い所にいたということが信じられない。 幸いにも頭の痛みは次第になくなり、氷河を渡り切る頃には気分も良くなってきた。 “よし、これでもう一峰いけるぞ!”。 心も軽やかになり、重たかった足取りは急に軽くなった。

   氷河を無事渡り終え、ジグザグの急なトレイルをひと登りすると、ローテンボーデンの駅まで標高差で100mほどのだらだらとした最後の登りになった。 ここからは危険な所が全くないハイキングトレイルなので、少し気持ちを緩め鼻歌交じりに3kmほど先のゴールを目指す。 今日の山行の思い出に浸りながら、次の目標に向けての思いを馳せる、弥次喜多山行の“興行主”の私にとっては最高のひとときだった。 一方、その“被害者”である妻は、下りにセットした足のギアを、もう登りに変換することが出来ないらしく、途中から傾斜が一段と緩んだトレイルを、老婆のようにゆっくりゆっくり登ってくる。 ローテンボーデンをpm6:03に出発する登山電車でツェルマットに下る予定だったが、妻にラストスパートをかける余力がなかったので、僅かの差で間に合わなかった。 次の下り電車の出発は約1時間後のpm7:15だったので、pm6:37に到着した上り電車に乗って、一つ先の終点のゴルナーグラートへ向かった。 足が棒になって動けない妻を駅に残し、下り電車が出発するまでの僅かな時間を惜しみ、5分程坂道を登った先にある展望台へと急ぎ、誰もいない展望台であらためてモンテ・ローザを仰ぎ見て一人悦に入った。 夕陽に照らされたモンテ・ローザの頂は何度見ても遙かに遠く、高嶺の花に変わりはなかった。 やはり私達は良い夢を見ていたのかもしれない・・・。

   モンテ・ローザに別れを告げ、妻の待つ駅に戻りpm7:09発の登山電車に乗って、ツェルマットへと下った。 車中では私も睡魔には勝てず、妻と同様に夢の続きを見ながらの凱旋となってしまった。 pm8:00過ぎにホテルに戻ったが、レストランで打ち上げをする余力もなくなり、シャワーを浴びた後にインスタントラーメンを流し込んでベッドに潜り込んだ。


ゴルナー氷河から見たマッターホルン


ローテンボーデンの駅へのトレイルから見たモンテ・ローザ


山 日 記    ・    T O P