デュフールシュピッツェ(4634m)

  8月27日、am1:45起床。 私は3時間以上熟睡できたが、神経質な妻はいつものように殆ど眠れなかったという。 眠たい体に鞭を打ち、身支度を整えてから食堂に行くと、既にパンと飲み物が中央のテーブルに置かれ、皆めいめいにそれを取って自分の席で食べ始めていた。 テーブルのパンを少し食べただけで、専ら用意してきたアルファー米の赤飯や菓子パン等の自前の食料を食べ、紅茶用に用意されていたお湯をテルモスに入れた。 打ち合わせたとおりam2:30前にヒュッテの裏口でホギー氏を待っていると、同室のイタリア人のパーティーが先に出発した。 相変わらず賑やかで、後ろを振り返り私達に手を振っている。 本当にタフで陽気なイタリアーノだ。 間もなく氏が現れ、早速アンザイレンした後、am2:35にイタリア隊に続き二番手で憧れのモンテ・ローザの頂を夢見て出発した。 10分程しか違わなかったのに、上方にはイタリア隊のヘッドランプの灯は見えなかった。 今日も私が殿である。 足元と妻の背中だけを見ながら、一応踏み跡のついている急な岩場のアルペンルートを登る。 標高もまだ3000m以下であるし、体も充分に高所順応しているので、呼吸は全く苦しくない。 これはひょっとすると今日もいけるかもしれない。 いや、今回マッターホルン登山という私のわがままを聞いてくれた妻のためにも、この最高峰には何としても登らなければならないのだ。 私がマッターホルンで受けた感動を妻にも味わってもらいたかったからだ。 体はまだ完全に起きていなかったが、今日は違った意味で気合が入っていた。

  岩場の登りは軽快で、どんどん標高を稼いでいく。 これで30分に1回休憩があれば申し分ないのであるが、そんな呑気なことは言ってられない。 なにせ今日のゴールはあのドムの頂より遠く、そして高いのだ。 ホギー氏のペースは速くもなく遅くもなく、上手に私達を上へ上へと導いていく。 出発してから1時間が過ぎ、ルート上にも雪が多く見られるようになってきたが、まだ氷河の取り付きには着かない。 休憩が約束されている取り付きには早く着きたいが、氷河の上は寒く、また重い足かせ(アイゼン)を着けなければならないので、なるべくこのまま登り続けたいと願う。

  am4:05、出発してから1時間半でモンテ・ローザ氷河の末端に着いた。 私達と入れ違いにイタリア隊は出発していったが、その後は登りで彼女らの姿を見ることはなかった。 ガイドブックによれば取り付きの標高は3277mとなっており、ヒュッテからの標高差が約500mであることを考えると、この取り付きの位置はガイドブックどおりであると思われ、ルートの状態も例年どおりと推測される。 ホギー氏からアイゼンを着けるように指示があり、10分程の休憩となった。 氏は氷河歩き用にザイルを長く伸ばした。 相変わらず満天の星空で、今日も好天が期待される。 先程食堂にいた山男達はその後どうしたのであろうか、次のパーティーの到着を待たずにam4:15、取り付きを出発した。

  ドム登山の時と同じように単調な雪の斜面を登ることを想像していたが、のっけからデブリやクレバスが多く、絶えず足元に集中して登らなければならなかった。 セカンドの妻はホギー氏の歩くルートを一応参考に出来るが、殿の私はどうしても自己流のルートになってしまう。 暗闇の中、二度三度と雪を踏み抜き、雪の詰まった浅いクレバスに落ちた。 その度に慌てて体を引き上げたため、まだスパッツをしていなかった靴の中に雪が入った。 凍傷になると困るので氏を呼び止めスパッツを付けたが、しばらくするとデブリやクレバスはルート上から殆どなくなり事なきを得た。 ノルトエント(4609m)の他、9つの衛星峰を擁する巨大なモンテ・ローザ(最高峰はデュフールシュピッツェ)の山腹を左から回り込むようにひたすら歩きに歩く。 気が遠くなりそうな単調な登高も、ドム登山で充分経験したお蔭でなんとか耐えられる。 幸いにも時折冷たい風が吹くのを感じる程度で今のところは快調であるが、気温は今までの山の中で一番低く感じるので、天候が悪くなったらこの漫然とした登高も相当厳しいものとなるに違いない。

  am5:30を過ぎ、夜が少し白み始めてきた。 既に取り付きからは1時間以上も歩き続けているが、ホギー氏には全く休もうとする気配は感じられなかった。 ここまでは順調に登ってきていると思われたので、今日こそは素晴らしい朝焼けの写真を撮ろうと心に決めていた。 何度も後ろを振り返りながらシャッターチャンスをうかがっていたが、ここから見えない東の空に雲が出ているのであろうか、一向に山が染まってこない。 そうこうしているうち、am6:00ちょうどに突然ホギー氏が歩みを止めて休憩となった。 特に何の変化も目印もなさそうな所だったので、氏は時間で区切ったのであろう。 図らずも撮影タイムとなったが、肝心のマッターホルンは相変わらず黒く、またもや願いは叶えられなかった。 “主役”の妻を気遣い、「長かったね〜、でもここまでくればもう大丈夫だよ。 7時間の内もう半分来たからね!」と元気づけると、妻も今日は結構良いペースで登っているとのことであり、とりあえず安堵した。 10分程休憩した後、再び単調な登りは始まった。 引き続きトレイルは右へ反転することなく左へ左へと斜めに登っていく。 北斜面を登っているのでまだ太陽を拝むことは出来ないが、周囲はだんだんと明るくなってきた。 取り付きから2時間半程でやっとトレイルは右へ反転し斜度を増した。 この辺りがガイドブックに記されているノルトエントとの分岐点であろうか。 しかしノルトエントに向かうトレイルらしきものは全く分からなかった。

  am7:00を過ぎると、灰色だった空の色も少しずつ水色に変わってきた。 変わらないのはホギー氏のペースである。 妻の言うとおり氏のペースは常に一定であり、楽ではないが決して苦しくはない。 これが“職人技”というものか。 再びトレイルが左に反転した時、雪の斜面の上に黒い小さな岩の塊が見えた。 ガイドブックの記述も忘れ、とっさにあれが山頂だ(実は稜線上のピークの一つにすぎなかった)と、自分に都合がいいように思い込んでしまった。 “山頂”が近づくにつれ、トレイルは直登気味に小刻みにジグサグを切るようになり、高さの目安にしていたリスカムも、だいぶ低く見えるようになってきた。 コーナーにさしかかると、斜め後ろから妻に「もうすぐだ、もうすぐだ」と声を掛ける。 妻に何としても登頂してもらいたいと願うあまり、その願いが叶いそうになってきたことが嬉しくて、不意にまた涙が出てきてしまった。 どうやらマッターホルンの後遺症がまだ続いているようだ。

  am8:00ちょうど、先程の休憩から休まずに2時間近く登り続け、標高4359mの主稜線上のコルに着いた。 意外にもまず目に飛び込んできたのは、衛星峰のジグナールクッペ(4556m)とその山頂に建っている、深山には不釣り合いなマルゲリータ小屋(アルプスで最も高い所にある山小屋)の四角く黒いシルエットであった。 そしてこれから向かう左手の稜線の先には待望の“山頂”が手の届きそうな所に見えている。 コルで休憩となり、山頂を誤認していた私は妻に、「よほどのことがないかぎり、あそこ(山頂)まであと1時間はかからないよ。 良かったね〜、もう間違いなく登れるよ!」と太鼓判を押して励ました。 しかし油断は禁物である。 既に5時間以上も歩き、相当なボディーブローを受けているからだ。 これが最後の休憩になると思われたので、行動食を無理やりお湯で流し込み、妻にもシャリバテにならないよう沢山食べることを勧め、更に残った行動食を出来る限りジャケットのポケットにねじ込んだ。 ホギー氏がザイルを短く結び直した。 いよいよこれからが本番である。

  10分程休憩した後、気合を入れて夢の実現に向け最後のアタックに入った。 ところが稜線の急な雪の斜面に取り付くと同時に状況は一変した。 コルでは全く無風だったのに、突然冷たい風が強く吹き始め、足元の雪はカチカチに凍結していた。 たまらずジャケットのフードを被ったが、休憩の時に下にフリースを着込まなかったことを後悔した。 ピッケルもアイゼンも雪面に力強く打ち込まないと登ることが出来ない。 強い風は収まらず、足元も非常に不安定だったが、ホギー氏は“スピード=安全”の原則に従ってか、先程までとは全く正反対の速いペースでグイグイと私達を引っ張り上げた。 私はギアチェンジが上手くいかず、すぐに息が上がってしまったが、ここを乗り切らなければ妻共々憧れの頂に辿り着くことが出来ないという思いだけで、必死になって駆け登った。 もし氏がいなかったら、迷わず一旦コルまで引き返しただろう。 細かなジグザグの登りを20分程続けて雪稜を登りきり、なんとか一つ目の小さなピークに辿り着いた。 ピークを越えたとたん強風は収まり、幸いにも以後山頂まで風で悩まされることはなかったが、ここは最高峰に辿り着くための“関所”だったのであろうか?。 短い時間ではあったが、アルプスの気まぐれな天候の怖さをあらためて思い知らされた。 ピークからは左右に見える衛星峰の位置からみて、今まで山頂と思い込んでいた眼前の岩峰は稜線上のピークの一つに過ぎず、真の山頂はまだだいぶ先であることが分かり、がっかりさせられた。 

 既にam8:30を過ぎ、出発から6時間が経過した。 まだ見えぬ山頂に少し焦りを感じ始めたが、再度“セブン・アワー”を信じて妻を元気づけた。 いや、むしろ自分自身を元気づけていたのかもしれない。 ピークから少し下った後、稜線は雪から岩へと変わった。 稜線の岩場は痩せていて非常に高度感がある。 アイゼンを着けているので登りにくかったが、風も弱まりマッターホルン登山の時と比べてゆっくり登れたので楽しかった。 しかし体の小さい妻は何箇所か手掛かりのない所で、ホギー氏に確保されながらの登攀に苦戦していた。 二つ目の小さなピークを越え、再びナイフリッジの雪稜を登りきった後、氏は「岩陰にピッケルをデポしなさい」と私達に指示した。 前方には今度こそ山頂と思われる黒い岩峰が見えた。 いよいよ大詰めだ。 シャリバテもなく、妻も登頂を確信したに違いない。 ノルトエントの頂も目線の高さになってきた。 再び稜線の岩場を小さく登り下りしていると、前方にやっとイタリア隊の三人の姿が見えてきた。 良く見ると彼女らは既に下ってきている。 未明以来の再会に、「コングラチュレーション!」と登頂を祝してエールを送ると、直ぐに「コングラチュレーション!」と弾んだ声が返ってきた。 彼女らの表情とジェスチャーで山頂はすぐそこであることが分かった。

  高さ5m程の幅の狭いチムニーを、上からホギー氏に確保されて登りきると、傍らに十字のフレームに納められた気象観測器が設置されていた一坪程の広さの岩のテラスに躍り出た。 周囲を遮るものがなくなり、空の青さが倍になった。 仏頂面の氏が初めてニヤリと微笑んだ。 先に登った妻は茫然と立ったままであった。 「やったね〜!、おめでとう!、お疲れ様!、良かったね〜!」。 機関銃のように労いの言葉を並べ、最高峰のサミッターとなった妻を抱擁して讃えたが、私自身も達成感と安堵感の両方で胸は一杯であった。 とうとう高嶺の花を手に入れることが出来たのだ!。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 しばらくして我に返り、妻と交互に敬意を表して氏にお礼を言いながら、拝むように両手で固い握手を交わした。 時計はam9:25を指していた。 未明にヒュッテを出発してから6時間50分、奇しくも私がマッターホルンを往復した時間と同じであった。 素人の私達を約束どおり見事に最高峰の頂に立たせてくれた氏は、やはり一流の職人であった。 振り返れば2年前にモン・ブランに思いを馳せ、昨年憧れのアルプスの山々の扉を開いた素人の私達にとって、まさかスイスとイタリアの両国の最高峰の頂に立てるなどということは夢にも思わなかった。 しかしアルプスの山の神は私達に絶好の天気を与え、歓迎してくれたのであった。 気が付くと山頂の岩には赤子のキリスト様を抱いた優しい顔のマリア様のブロンズのプレートが打ちつけられており、思わず感謝の気持ちを込めて手を合わせた。

  結局山頂は今日も殆ど風もなく快晴であった。 気温はマイナス5度であったが、陽射しがあるので寒さはさほど感じない。 予想していた以上に最高峰の頂からは、ちょうど富士山からの眺めと同じように、周囲にある山々が全て低くそして遠くに見えた。 ゴルナーグラートの展望台もはるか足下に見える。 なるほど、あそこからここを見上げたら、とても素人が登れるとは思わないだろう。 写真を撮りながら山座同定をしていた私達にホギー氏も加わってきたが、ここから見える20座程のフィアタウゼンダー(4000m峰)の山名が、全て分かるようにまで精通していた私達の意外な実力?には感心していた様子だった。 

  いつものように感激と興奮が覚めないまま、山頂での時間はあっと言う間に過ぎ、ホギー氏は腰を上げた。 しかし私は最高峰の頂を踏めたという達成感が大きかったせいか、不思議といつまでもここに佇んでいたいという強い願望は湧いてこなかった。 am9:45、氏に促されて、もう二度と来ることは叶わないであろう憧れの頂を後にした。 下りの岩場でのルートファインディングは、トップの私がしなければならなかったので大変だったが、余計なことを考えずに足元に集中していたので、安全面ではかえって良かったのかもしれない。 マッターホルンの時は懸垂下降で下りたため感じなかったが、アイゼンを着けての下りはけっこう重労働であった。 ピッケルを回収し、20分程下った所で次に登ってくるパーティーがやっと見えてきた。 先程強風で苦労した急な雪稜の下りも、すでに風はなくなり、山頂から1時間弱で無事コルに戻ることが出来た。 コルは相変わらず風もなく、日溜まりとなっていてとても暖かかった。 氏もザックを下ろして休憩モードに入った。 氏は厚手のジャケットを脱ぎザックにしまったが、下は何と半袖のTシャツ1枚であった。 もうここからは安全地帯と見たのか、氏ものんびりと寛いでいる。せっかくなので妻と私が交互に氏と写真に納まった。 山頂では少し疲れ気味だった妻も今は活き活きとしている。

  am10:45にコルを出発。 あとはひたすら取り付きまでだだっ広い雪の斜面に登山靴のシュプールを描くだけだ。 スキーシーズンにはこのコルまで登り、ゴルナー氷河に向かって滑降していくというのが、こちらでは定番のスキーツアーであるということを聞いたことがあり、妻と顔を見合せて「スキーがあったらいいのにね〜!」と言い合った。 ホギー氏もそう思っているに違いない。 登りには4時間近くかかった取り付きまでの雪の斜面を、休むことなく一気に下る。 途中傾斜が一段と緩んだ所で氏が先頭に変わり、ドム登山の時と同じように走るように下っていった。 豆粒程であったマッターホルンの黒いシルエットもみるみる大きくなっていく。

  ホギー氏のペースが遅くなった。 クレバス帯に入ったのだ。 未明には何度か浅いクレバスに落ちたので、慎重に行動しなければならなかった。 午後の方が雪が腐り危ないからだ。 しかし先程トップを交代したことで一旦緊張感が抜けてしまった私は、不注意にも雪の詰まった浅いクレバスを通過した時に、凍った地面に足を滑らせて転び、眼鏡が飛ぶほど右の側頭部を雪面にぶつけてしまった。 幸いにも外傷はなかったが、頭を強打したため少し不安な気持ちになった。 頭の痛みは消えなかったが、妻に心配をかけないようにと平静を装っていた。 しかし“気分が悪くなってきたら危ない”と心配していると、自己暗示にかかってしまったのか、本当に気分が悪くなってきてしまった。

  正午過ぎに無事?氷河への取り付きに戻った。 アイゼンを外し、ザイルも解かれ最後の休憩となった。 下ってきた山の斜面を振り返り見ながらのんびりしていると、後は私達だけで大丈夫とふんだのか、ホギー氏は一人で先に下っていってしまった。 取り付きから下はガイドの責任区間にはなっていないのであろう。 その後ろ姿はまるで糸の切れた凧のようであった。 仕方なく私達も腰を上げ、氏の後に続いた。 途中2〜3箇所あった短い雪の急斜面を、氏は登山靴をショートスキーのように巧みに操り、遊びながら上手に下っていく。 私達も氏の真似をしてみたが、私はまだしもスキー1級の腕前の妻ですら氏のようには決まらなかった。 

  午後の陽射しが最高潮に達したpm1:05にヒュッテに到着。 未明に出発してから10時間半の長丁場であった。 ホギー氏の顔はガイドから小屋番へと変わり、早速私達に飲み物の注文を聞いてきた。 本当はワインでも注文し、美酒に浸りたい気分であったが、頭の痛みが心配だったのでいつものようにソフトドリンクを注文した。 テラスで待っているようにと言われたが、ホギー氏は一向に現れなかった。 氏のことではなく飲み物のことだったのか?。 「お疲れ様でした〜!、登頂おめでと〜う!」。 テラスで先に妻と二人で祝杯をあげたが、陽射しが強すぎてかなわず食堂の中に入った。 お腹もすいてきたので、スパゲティーを注文した。 間もなくビールを片手に氏が現れた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、本当にありがとうざいました!」。 あらためて感謝の気持ちを込めて氏と乾杯した。 食堂の壁に“登頂証明書15フラン”とあったので、氏にお願いして書いてもらった。 証明書を受け取り、ガイド料の880フラン(邦貨で約67800円)を支払い、100フランのチップを手渡した。 雑談の最中に注文したスパゲティーがくると、氏は遠慮したのか、それとも山小屋の仕事が忙しかったのか分からないが、静かに席を立っていった。 氏は最後までシャイな山案内人であった。 食事が終わると、スパゲティーが大盛りだったせいか、体が急に重たくなってきた。 ドム登山同様に疲れきっていた妻から、“もう一晩ヒュッテに泊まってゆっくりしていきたい”という提案があった。 私も大きな目標を達成出来たので、ふとそれも良いかなと思った。 しかし頭の痛みが心配だったことと、もし逆に痛みがなくなり運良く好天が続けば、さらにもう一峰登れるかもしれないと妻を強引に説得し、疲れた体に鞭打ってツェルマットに戻ることにした。


モンテ・ローザ氷河から見た山頂方面


モンテ・ローザ氷河から見たゴルナー氷河とマッターホルン(左)


4359mのコルから見た衛星峰のツムシュタインシュピッツェ(左)


モンテ・ローザの山頂


モンテ・ローザの山頂から見たリスカム


モンテ・ローザの山頂から見たマッターホルン(左端)とヴァイスホルン(右端)


モンテ・ローザの山頂から見た衛星峰のツムシュタインシュピッツェ(手前)とジグナールクッペ(奥)


モンテ・ローザの山頂から見た衛星峰のノルトエント(右手前)とドム(左端)


4359mのコルでホギー氏と


モンテ・ローザ氷河の取り付きまでだだっ広い雪の斜面をひたすら下る


  「サンキュー・ベリー・マッチ!、スィー・ユー・アゲイン!」。 pm3:00前、厨房にいたホギー氏に声を掛けて別れを告げ、ゴルナー氷河へのアルペンルートを下った。 コルからの下りで相当飛ばしたため、足は既にガタガタであったが、先程自分の不注意で転んでいるので、足元には充分に注意して慎重に下った。 ゴルナー氷河からは何度も後ろを振り返り、写真を撮ったり双眼鏡を覗いて登ったルートを確認したりして登頂の余韻に浸った。 ここから山頂までは標高差が2000m以上もあるためか、未だに自分達がその一番遠くの高い所にいたということが信じられない。 幸いにも頭の痛みは次第になくなり、氷河を渡り切る頃には気分も良くなってきた。 “よし、これでもう一峰いけるぞ!”。 心も軽やかになり、重たかった足取りも急に軽くなってきた。

  氷河を無事渡り切り、ジグザグの急なトレイルをひと登りすると、ローテンボーデンの駅まで標高差で100mほどのだらだらとした最後の登りになった。 ここからは危険な所が全くないハイキングトレイルなので、少し気持ちを緩め鼻歌交じりに約3km先のゴールを目指した。 今日の山行の思い出に浸りながら、次の目標に向けての思いを馳せる、弥次喜多山行の“興行主”の私にとっては最高のひとときであった。 片やその“被害者”である妻は、下りにセットされた足のギアを、もう登りに変換することが出来ないらしく、途中から傾斜が一段と緩んだトレイルを、老婆のようにゆっくりゆっくり登ってくる。 ローテンボーデンをpm6:03に出発する登山電車でツェルマットに下る予定だったが、妻にラストスパートをかける余力がなかったので、僅かの差で間に合わなかった。 次の下り電車の出発は約1時間後のpm7:15だったので、pm6:37に到着した上り電車に乗って、一つ先の終点のゴルナーグラートへ向かった。 足が棒になって動けない妻を駅に残し、下り電車が出発するまでの僅かな時間を惜しみ、5分程坂道を登った先にある展望台へと急ぎ、誰もいない展望台であらためてモンテ・ローザを仰ぎ見て一人悦に入った。 夕陽に照らされたモンテ・ローザの頂は何度見ても遙かに遠く、高嶺の花に変わりはなかった。 やはり私達は良い夢を見ていたのかもしれない・・・。

  モンテ・ローザに別れを告げ、妻の待つ駅に戻りpm7:09発の登山電車に乗って、ツェルマットへと下った。 車中では私も睡魔には勝てず、妻と同様に夢の続きを見ながらの凱旋となってしまった。 pm8:00過ぎにホテルに戻ったが、レストランで打ち上げをする余力もなくなり、シャワーを浴びた後にインスタントラーメンを流し込んでベッドに潜り込んだ。


ゴルナー氷河から見たマッターホルン


ローテンボーデンの駅へのトレイルから見たモンテ・ローザ


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