ドム(4545m)

   8月21日、天気は予想どおりの晴天だ。 昨日の午後は天気が悪いことを口実にホテルで充分に休養したため、風邪はだいぶ良くなったようだ。 今日は予定どおり明日ドム(4545m)にアタックするためのB.Cとなるドムヒュッテ(2940m)に向かう。 ツェルマットをam9:10に出発する登山電車に乗り、二つ目のランダで下車した。 この駅の標高はツェルマットより約200m低い1430mで、ここからドムヒュッテまでの標高差は約1500mもある。 病み上がりのような体には少々きついが、スイスで二番目に高い(国境線上にない山の中では最高峰)憧れのドムの頂に立つことを夢見て歩き始めた。

   ランダの集落はとても小さく、別荘や貸しアパートのような建物が多い。 歩き始めてすぐに立派な教会があり、中に入って登頂の成功を神に祈った。 アフリカでもそうだったが、田舎の町で一番立派な建物は教会だ。 所々に『ドムヒュッテ』と記された標識のある舗装された狭い急な坂道を15分程歩くと、小さな牧場の脇からハイキングトレイルは始まった。 今日はもう訓練をする必要はないので、体をいたわりながらゆっくりと時間をかけて登ることにした。 大きなザックを背負ったガイドレスと思われる何組かの外国人のパーティーと抜きつ抜かれつしながら、樹林の中の急なトレイルを登る。 ランダの谷を挟んで樹間に見えるヴァイスホルンが、ツェルマット周辺の展望台から見た端正な正三角形の岩峰とは違い、たっぷりと雪を戴いた優美な山肌を披露している。 その姿はどこから見ても本当に素晴らしく、“アルプスで最も美しい山”と讃えられているのはうなずける。

   トレイルは2時間程で森林限界となり、久々に浴びる夏の陽射しが肌に痛いが、氷河を越えて吹いてくる風はとても冷たく、暑さはさほど感じなかった。 私の持っている5万分の1の地図には載っていないが、『ヨーロピアンヒュッテ』という名の小さな山小屋が、トレイルから少し離れた所に建っていた。 標高は2200m位だろうか。 ヨーロピアンヒュッテを過ぎるとトレイルは急に険しくなり、鉄梯子やロープを使って登るような“アルペンルート”になってきた。 そしてそれはトレイルエンドのドムヒュッテまでずっと続き、図らずもアプローチから充実した“登山”となった。

   pm2:30、体はだるいが足の筋力はまだ衰えていなかったようで、予定より1時間も早く、ランダの駅から約5時間でドムヒュッテに着いた。 氷河のすぐ脇のモレーンの上に建つ堅固な石造りの六角形の建物は、いかにもアルプスの山小屋という雰囲気が感じられ、周囲の景観に溶け込んでいる。 予想どおり日本人は他に見受けられなかったが、ヒュッテの回りには大勢の外国人達が思い思いのスタイルで日光浴を楽しんでいた。 午後の陽射しはまだまだ強烈で、私達にとっては日向にいることが苦痛であるのに、本当に彼らの体質は理解しがたいものがある。 どうやら明日ドムに登る人達だけではなく、今日登った人達も沢山いるようだ。 私達のように一泊二日の行程にすると、ここから山頂まで累積標高差で1650m登った後、ランダの駅まで3000m以上下らなければならないからだろう。

   アルパインセンターで受領した“手配書”を見せながら、片言の英語で宿泊の手続きをする。 このヒュッテを切り盛りしている女将さんは今まで町中で会った人達とは違う大変牧歌的な地元民で、何と二桁の足し算が暗算で出来ず、大きな電卓を何度もたたきながら宿代の計算をしていた。 宿代を支払おうとすると、何故か明日帰る時で良いという。 それでは何のための計算だったのか?。 寝室に案内されると、室内は日本の山小屋と同じようなスタイルの二段ベットで、1mおきに枕と毛布が畳んで置いてあった。 唯一違うのは、厚さが10cm位あるマットレスが敷いてあることだった。 食堂に戻ると女将さんから、明日の私達のガイドは24歳の女性だと言われ、妻と顔を見合わせて驚いた。 傍らのテーブルに雑記帳が置いてあったので、暇つぶしに日本人の名前を探してみたところ、ほんの僅かだが名前やコメントが記されていた。 また意外にもドムヒュッテまでを目的としたハイキングの団体の名前もあった。

   約束のpm4:00になってもガイドは現れず、やきもきしながら明日の準備等をしているうちに、pm6:00の夕食の時間となってしまった。 後で分かったが、天気が続くとガイドは毎日何処かの山に入っているため、その日の仕事(ガイド)が終わる時間が定まらないのだ。 今日は久々に天気が良かったせいか宿泊客が多く、ヒュッテの食堂は満杯だった。 しかし夫婦二人だけで切り盛りしているために配膳は遅れ、最初のスープが配られてから、サラダ、マッシュポテトとビーフシチューの盛り合わせの三品が配られるまで1時間半もかかった。 ちょうど隣の席に私達と同様にガイドを待っているという外国人の男性二人が座ったので、片言の英語で雑談などをして時間をつぶした。 食事の途中のpm7:00頃、やっと男女一名ずつのガイドが一緒に到着して声を掛けられた。 食後にミーティングをしますということで、二人は別のテーブルに向かった。 女性のガイドは外国人としては小柄で、また24歳よりは年上に見えた。 どうやら明日のガイド付き登山は、ここにいる二組だけのようだった。

   食事が終わり食堂が空いたところで、あらためてガイドと自己紹介をし合った。 ガイドの名前はスーザン氏、34歳とのことだった。 さては女将さんに一杯食わされたか!。 スーザン氏は開口一番ドムについて、「イーズィー・バッド・ローング(易しが、とにかく距離が長い山です)」と言った。 そして間を置かずに「出発はam2:30を予定してますが大丈夫ですか?」と聞いてきた。 驚いて思わず時計を見た。 夕食の時間が遅くなったので既にpm8:00を過ぎている。 「朝食は何時からですか?」と一応尋ねたところ、これからヒュッテの女将さんに交渉するとのことだった。 次に私達の装備を点検したいというので、先程せっかくパッキングした荷物を全てまたザックから取り出し、一つ一つ丁寧に点検を受けた。 昨年お世話になったガイドのヨハン氏は全くそんな事はしなかったのに、女性であるが故の慎重さだろうか?。 アイゼンが靴に合うかどうかも入念に点検している。 どうやら装備は合格したようだ。 点検が終わると氏から、「明日の朝は大変暖かいので、出発時にはジャケットやオーバーズボンは身につけないように」とのアドバイスがあった。 ツェルマットの町でも早朝はかなり冷え込むのに、この氷河の傍らの3000m付近の場所が暖かいということは信じられなかった。 しかし寒さが苦手な私は、“暖かい”という言葉を聞いて心が軽くなった。 ミーティングが終わると、氏はヒュッテの女将さんと明日の朝食の時間について交渉を始めたが、結局am3:30前には出来ないとのことだった。 あっけなく朝食は無しで出発するということに決まったが、氏は全く悪びれていない。 ガイドブックにも記されているように、この山は“登山者を選ぶ山”なのだ。 たまたま夕食が口に合わなかった時にと持ってきたアルファー米の赤飯があったので、これを朝食に充てることにした。 pm9:00にベッドに横になったが、期待と不安が大きくてなかなか寝つけない。 ほんの一眠りしただけでam2:00の起床時間になった。


ドムヒュッテへのトレイルから見たヴァイスホルン


ドムヒュッテとドムの山頂(左)


ドムヒュッテとヴァイスホルン


ヒュッテから見たツィナールロートホルン(右)とマッターホルン(左)


   身支度を整え半信半疑で外に出てみると、実際の気温は分からないが、スーザン氏の言ったとおり本当に寒さは感じなかった。 ヘッドランプの灯の下、ヒュッテのテラスでアルファー米の赤飯と行動食を食べた。 氏ともう一人の若い男性のガイドのダニエル氏は仲が良いのか、どうやら一緒に行動するような雰囲気だった。 お湯を貰うことが出来なかったため、ヒュッテの脇に引水してある水を水筒につめたが、これが大失敗だった。

   am2:30、予定どおりダニエル氏を先頭に2組のガイド登山隊総勢6人は暗闇の中を出発した。 先行しているパーティーは勿論いない。 得体の知れぬ緊張感が体を支配している。 岩を登る6人の靴音だけが静かな闇を切り裂いていく。 昨日のミーティングでは約1時間程岩場を登ってから氷河に下り立ち、そこからアンザイレンするとのことだった。 空は満天の星で、風もなく暖かい。 まだ3000mの高さであるため呼吸も楽だ。 このままずっと行けたらいいのにと願う。 一応トレイルはあるが、浮き石の多い岩場を30分程登ると、体もかなり温まってきた。 今日はろくに朝食も食べていないのに、背中やお尻がやけに汗ばんでくるなと不思議に思った直後、ザックの異変に気が付いた。 「ジャスト・ア・モーメント!」。 大きな声で皆を足止めし、恐る恐るザックを下ろしヘッドランプの灯で中を調べると、何と水筒から水が漏れ、中の荷物が濡れているではないか!。 水筒を見ると、不運なことに保温のために被せておいたカバーの止め口の紐がキャップの溝にかんでいて、そこから水が漏れていた。 500CC程の水が衣類を濡らし、一番底に入れてあったオーバーズボン(雨具)は腰のゴム辺りが濡れてしまい、使い物にならなくなっていた。 ザックは外側からの濡れには強い反面、内側からの濡れには弱いということを初めて知った。 思わぬアクシデントと皆を足止めしてしまった気まずさで、のっけから気持ちが沈んでしまった。

   悔しい気持ちを引きずりながら足取りも重くさらに15分程登り、取り付きのフェスティ氷河の上に下り立った。 スーザン氏は私達に「ここからは少し寒くなるので、フリースやオーバーズボン等を身に着け、アイゼンもここで着けなさい」と指示した。 濡れたオーバーズボンをはくわけにもいかないので、逆にズボンや靴を脱ぎ、予備に持っていた薄手のアンダータイツをはくことにした。 私が準備や水漏れの後始末に手間どっていたのでダニエル隊は先行した。 氏とアンザイレンした後、10分程遅れて私達も取り付きを出発した。 今回も私が殿(しんがり)だ。 各々を繋いでいるザイルの間隔は12〜3mといったところか。 暗闇の中、数百メートル先のダニエル隊のヘッドランプの灯が、星のようにまたたいて見えるのが面白い。 緩斜面の氷河をほぼ真っ直ぐに登っていく。 クレバスが思ったより多いが、雪が締まっているので踏み抜きはなさそうだ。 相変わらず風もなく助かるが、無駄な労力を使ったせいか、それとも暗闇の中の単調な登高が延々と続くためか、睡魔が襲ってきた。 そしてとうとうアンザイレンしていることをいいことに、目をつむりながら登るようになってしまった。

   1時間15分休まずに登り続け、ようやく行く手を塞いでいる岩場の前で休憩しているダニエル隊に追いついた。 スーザン氏とダニエル氏がなにやら打ち合せをしている。 打ち合わせが終わるとダニエル隊は急な岩場を登り始めた。 ダニエル隊が登っているわずかな時間が、私達の休憩時間となった。 今まで私達が登ってきたのがフェスティ氷河で、岩場を50m程登って支尾根を乗越した後、反対側のホーベルク氷河へは懸垂下降で下り立った。 妻は初めての経験に少しまごついている。 さらに登り易い斜面の所まで30m程下ったが、こちらの氷河も相変わらずの緩斜面だ。 もうここからは別行動としたのだろう、ダニエル隊のヘッドランプの灯はどんどん遠ざかっていく。 ひたすら緩やかな雪面を登る。 クレバスもなくなり、雪面を“シュルッ、シュルッ”と擦れるザイルの単調な響きが再び眠気を誘う。 前を行く妻は相変わらず真面目に歩いているようだ。 ふと昨夜氏が言った言葉が頭をよぎった。 “イーズィー・バッド・ローング”、ローング・・・ローング・・・。

   am6:00前になってようやく長い夜が明けてきた。 後ろを振り返ると、ヴァイスホルンを背景にセピア色をした空が茜色に染まり始めていた。 絶景だった。 もし今日ドムに登れなかったとしても、この素晴らしい夜明けの景色を見れただけでも充分だった。 休憩して写真を撮りたかったが、スーザン氏に言い出す勇気はなかった。 先程の水漏れ事件で遅れをとっているからだ。 昨年のユングフラウ登山同様に、再び心のシャッターを切った。 夜が明けてくると、ようやく眠気が覚めてきた。 どうやら睡眠不足というよりは、体内時計により眠さを感じていたようだった。

   am6:25、ホーベルク氷河を1時間以上登り続け、トレイルが右に大きく曲がっている所でようやく休憩となった。 高度計はないが、標高は既に4000m前後だろう。 左手にはナーデルホルン(4327m)、レンツシュピッツェ(4294m)を始めとするミシャベルの山々の頂と稜線がはっきり見えるが、肝心のドムの山頂は奥まっていて未だに拝むことが出来ない。 ヴァイスホルンの雄姿を写真に撮っていると、スーザン氏はザイルをコンティニュアス用に短く結び直した。 やはり休憩には理由があったのだ。 10分程休憩した後、山腹を大きく巻いている明瞭なトレイルを登り始めた。 陽は昇ったがまだ私達のいる所は日陰だ。 風も少し出てきたので早く日向に出たい。

   30分程登っただろうか、前を登る妻のペースが明らかに落ちてきた。 妻はスーザン氏に「モア・スローリー!」と何度かリクエストしていたが、しばらくしてとうとう妻の足は止まった。 疲れたので少し休みたいと言う。 長時間の登高で、知らず知らずのうちにボディブローを受けていたのだった。 氏は「ノー・プロブレム」と優しく了解してくれた。 私も妻に「もうここまで来れれば充分だから、登れそうになかったら無理をしないでいつでも引き返していいよ!」と励ますと同時に、“シャリバテ”かもしれないと思い、ポケットに入れておいた煎餅等の行動食を食べさせた。 妻は食べ終わると少し元気が出たようで、再びゆっくりではあるが歩き始めた。 時々後ろから妻に「無理をしないでいつでも引き返していいよ!」と繰り返し声を掛けたが、実は私もシャリバテで相当へばっていたのだった。

   最後の登りに向けてトレイルは左に大きく反転し、やや直登気味に傾斜を強めた。 高さの目安にしていたナーデルホルンの頂が目線より下になってきた。 そして妻の足取りにも“頂に立ちたい”という強い意思が感じられるようになってきた。 山頂はまだ見えてこないがそう遠くはないはずだ。 前方から先行していたダニエル隊が下ってくるのが見えた。 下りのスピードは早く、あっという間にダニエル隊と再会した。 「コングラチュレーション!」。 無事登頂を果たされた二人の隊員に労いの言葉をかけた。 スーザン氏とダニエル氏は一言二言話をしただけですれ違い、休憩にはならなかった。 さあ私達も彼らに続くのだ、山頂は近い!。 

   ダニエル隊と別れると傾斜はさらにきつくなり、また風も一段と強まってきた。 妻に続き私も足が上がらなくなってきた。 しかし水漏れ事件の前科者の私が休憩をリクエストすることは許されない。 “この状況を乗り切れないようでは、マッターホルンなど夢の夢だ”と自分に言い聞かせた。 しかし山頂直下の急斜面でとうとう私の足も止まった。 シャリバテだった。 「ジャスト・ア・モーメント!」。 声をふり絞って先頭のスーザン氏に呼びかけた。 手袋をはずしてポケットにある行動食を探したが、先程の休憩の時に妻に全部あげてしまったので、飴玉が一つしか残っていなかった。 仕方なく飴玉を口にしたが、意外にも僅か30秒程の休憩とたった一粒の飴玉で私の体は蘇った。 再び喘ぎ喘ぎ登り始めると、間もなく傾斜が緩み稜線の先に十字架らしき物が目に飛び込んできた。 時計を見るとam9:00ちょうど、ヒュッテを出発してから6時間30分の長旅だった。 岩の露出した猫の額程の狭い山頂には、十字架にはりつけにされたキリスト様の像が、誰が着せたのだろうか虹色の布をまとって立っていた。

   「お疲れ様〜!、やったね〜!、よく頑張った!、おめでとう!」。 妻と抱擁し、お互いの登頂を讃え合った。 ラストスパートがきつかっただけに、辿り着いた感激は一層大きかった。 「コングラチュレーション!」。 スーザン氏も私達の登頂を喜んでくれた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 素人の私達をここまで連れてきてくれた氏と固い握手を交わした。 神様が用意してくれた素晴らしい快晴の天気の下、スイス第二の高峰の頂からはツェルマット周辺の山々のみならず、モン・ブランやベルナー・オーバーラントの山々等、アルプスの山々が全て見渡せた。 昨日からずっと見上げてきた眼前のヴァイスホルンも心なしか低く見える。 よくここまで登って来れたものだと、我ながらあらためて感心した。 先程までの疲れも全て吹っ飛び、夢中で写真を撮りまくった。 そして未明に出発してから初めて腰を下ろして休憩し、行動食を食べながら妻とダイナミックなアルプスの山々の展望を楽しんだ。 日本では馴染みの薄い山であるが、計画どおりここまで登ってこれたという達成感と、快晴の天気の中私達だけで山頂を独占した気分は実に爽快だった。


ホーベルク氷河から見たドムの頂稜部


ドムの山頂


山頂から見たヴァイスホルン


山頂からテッシュホルン(右手前)越しに見たモンテ・ローザ(中央奥)


   山頂から見たマッターホルン(左端)・モン・ブラン(中央奥)・ヴァイスホルン(右端)


山頂から見たベルナー・オーバーラントの山々


   登っている時とは違い、山頂での休憩時間はあっという間に経過し、am9:20にスーザン氏に促されて思い出深い頂を後にした。 僅か20分間の頂だったが、私達にとってドムは“イーズィー・バッド・ローング”のみならず、“インプレッシィブ(心に深く残る山)”だった。 そして何よりもこの長い登りの経験と高所順応は、次の山々へのチャレンジに際して本当に大きな自信となり、また財産となった。 それにしてもここから麓のランダの町までの累積標高差は3160mだ。 これほどまでに長い下りが他にあるだろうか。 下りは例によって私が先頭を任された。 終始眼前のヴァイスホルンを眺めながら、たった今私達がつけてきたトレイルを下る。 先程の辛い登りが懐かしい。 30分程下った所で、ようやく後続のガイドレスと思われるパーティーとすれ違った。 多分am4:30頃にヒュッテを出発したのではないだろうか。 結局その後も4〜5組のパーティーとしかすれ違わなかった。 どうやら地元でのドム登山は、ガイドレスで二泊三日で登るのが主流のようだ。

   傾斜も緩み、あとは鼻歌交じりで下るだけだと思ったところに、思わぬ落とし穴が待っていた。 先程懸垂下降で下りた岩場を少し迂回しながら登り、ピッケルを背中とザックの間に挟んで上からスーザン氏に確保されながらトラバース気味に切り立った岩場を攀じっていた時、突然氏が私に向かって「ヨシ(善樹)、背中のピッケルが落ちそうよ!」と叫んだ。 驚いた私は足元がおろそかになり、足を踏み外して痛めていた左膝を思いっきり岩にぶつけ、さらに“グニャリ”とひねってしまった。 “やってしまった!、これで今回の山行も全て終わったな”と一瞬思った。 左膝をかばいながら何とか岩場を登りきり、支尾根の上で座り込んでしまった。 あまりのふがいなさに、心配する妻に向かって「あそこでスーザンが余計なことを言うからだよ!」と大声で八つ当たりしたところ、氏もバツが悪そうだったので、「アウチ、アウチ、バッド・スモール・アクシデント!」と左膝をさすりながら苦笑いし、おどけて見せた。 15分程の長い休憩をもらい足を休ませた。 マッターホルンどころか、これからまだまだ下りは長い。 恐る恐る歩いてみたが、不思議と痛みは感じなかった。 以前ひねった方向と逆にひねって元に戻り、治ってしまったのだろうか?。

   岩場を下り再びフェスティ氷河に下り立った。 ここからはスーザン氏が先頭になり、表面の雪が少し腐り始めた緩やかな斜面を下っていった。 上りと同じルートを下っているのだが、上りは暗闇の中だったので見える景色は新鮮だった。 しかし上りでの時間が掛かりすぎたためか、次の(明日の)仕事に備えてか、氏は走るようにどんどん下っていく。 こんなに疲れる下りも初めてだ。左膝は本当に大丈夫だろうか?。 さらに下って行くとクレバス帯となったが、大きく口を開いてまたぐことが出来ないクレバスを、迂回せずに走って飛び越えるという荒技も何度かやってのけた。 取り付きまで下るとザイルが解かれ、岩場の踏み跡のトレイルを所々で立ち止まって写真を撮りながら、ようやくマイペースで下ることが出来たが、下りの道のりも本当に長かった。

   未明に出発してから約10時間後のpm0:40に無事ヒュッテに戻った。 「お疲れ様でした〜!」と妻に労いの言葉をかける。 もうとっくに居ないと思っていたダニエルがテラスで待っていた。 やはりスーザン氏とはただならぬ仲なのかもしれない。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 両手で拝むように氏と握手を交わし、ガイド料の750フラン(邦貨で約58,000円)を支払い、100フランのチップを手渡した。 テラスで氏との最後の記念写真をダニエル氏に撮ってもらった後、休憩もせず氏はダニエル氏と一緒に下山していった。 驚いたことに氏は明日マッターホルンのガイドをするため、下山後にまたヘルンリヒュッテまで登るという。 別れ際に「私も明後日マッターホルンに登る予定で〜す!」と大見栄をきった。

   下りが予想以上にハイペースだったので妻は相当疲れたらしく、ヒュッテの中で少し休みたいという。 私も同じ気持ちだったが、たった今氏から間接的に“マッターホルンにガイドが入る”という情報を入手したため、明日以降の予定が気になり、なるべく早くアルパインセンターに行きたくなったので、ヒュッテで昼食を食べた後に妻にハッパをかけ、女将さんにガイドと私達二人分の宿代150フラン(邦貨で約12,000円)を支払って別れを告げ、pm2:00過ぎに下山にかかった。

   ランダからツェルマットへ向かう登山電車は1時間に1本なので、ぎりぎりに上手く乗れるように調整しながら、ヒュッテから1510mの標高差を、ゆっくり休まずに3時間半程で下った。 結局pm5:27発の登山電車は何かのトラブルで30分程遅れて到着したため、ツェルマットにはpm6:30近くになってようやく着いた。 直ちにアルパインセンターに向かい、受付でマッターホルンのガイドの予約の確認をしたところ、ルートの状態が良くなったので、明後日(24日)の予約は取れているが、その翌日(25日)は駄目だと言う。 片言の英語で「24日にもし登れなかった時に、その翌日の25日に再度アタックが出来るように申し込んだはずですが」と訴えたが、なかなか要領を得ない。 受付の人がツェルマットに滞在している知り合いの日本人のツアーコンダクターに電話をかけ、通訳をしてもらったところ、ガイドの予約が一杯で2日続けては予約が取れない状況であること、また今までそのような申し込み方をした人もいないということだった。 また次に予約が取れるのは28日以降ということで、結局マッターホルンへのアタックは、とりあえず明後日の1回のみとなってしまった。

   ホテルに戻る途中、情報収集にと増井氏の滞在しているホテルを尋ねてみた。 生憎氏は不在だったが、留守番をされていたサポート役の奥様から、氏は太田さん夫妻と明日マッターホルンにアタックする予定で、ヘルンリヒュッテに向けて出発したという話があった。 増井氏らがアタックするということは、ルートの状態が良くなり、また明日が好天であると見極めたからに違いない。 ドムの“登頂報告”を奥様にしたところ、奥様も以前氏と登られたそうだが、直前に泊まったモンテ・ローザヒュッテの食事がもとで食中毒にかかり、大変な思いをされた苦い経験があるとのことだった。 明後日私もマッターホルンにアタックする旨を伝え、スーパーで夕食の買い物をしてからホテルに戻った。 夜の天気予報では、明日どころか向こう5日間ぐらい晴天が続き、また平年より気温が高い状態が続くという嬉しい予報だった。 雨で迎えられた今回の山行だったが、神頼みが効いたのか、運が向いてきたようだ。


ドムヒュッテへの下りから見た山頂方面


ドムヒュッテへの下りから見たナーデルホルン


ドムヒュッテへの下りから見た山頂方面


ガイドのスーザン氏


フェスティ氷河から見たドムの頂稜部


ドムヒュッテのテラスでスーザン氏と


ドムヒュッテから見たヴァイスホルン


ドムヒュッテからランダへ下る


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P