ドム(4545m)

  身支度を整え半信半疑で外に出てみると、実際の気温は分からないが、スーザン氏の言ったとおり本当に寒さは感じなかった。 ヘッドランプの灯の下、ヒュッテのテラスでアルファー米の赤飯と行動食を食べた。 氏ともう一人の若い男性のガイドのダニエル氏は仲が良いのか、どうやら一緒に行動するような雰囲気であった。 お湯を貰うことが出来なかったため、ヒュッテの脇に引水してある水を水筒につめたが、これが大失敗であった。

  am2:30、予想どおりダニエル氏を先頭に2組のガイド登山隊総勢6人は暗闇の中を出発した。 先行しているパーティーは勿論いない。 得体の知れぬ緊張感が体を支配している。 岩を登る6人の靴音だけが静かな闇を切り裂いていく。 昨日のミーティングでは約1時間程岩場を登ってから氷河に下り立ち、そこからアンザイレンするということであった。 空は満天の星で、風もなく暖かい。まだ3000mの高さであるため呼吸も楽である。 このままずっと行けたらいいのにと願う。 一応トレイルはあるが、浮き石の多い岩場を30分程登ると、体もかなり温まってきた。 今日はろくに朝食も食べていないのに、背中やお尻がやけに汗ばんでくるなと不思議に思った直後、ザックの異変に気が付いた。 「ジャスト・ア・モーメント!」。 大きな声で皆を足止めし、恐る恐るザックを下ろしヘッドランプの灯で中を調べると、何と水筒から水が漏れ、中の荷物が濡れているではないか!。 水筒を見ると、不運なことに保温のために被せておいたカバーの止め口の紐がキャップの溝にかんでいて、そこから水が漏れていたのだった。 500CC程の水が衣類を濡らし、一番底に入れてあったオーバーズボン(雨具)は腰のゴム辺りが濡れてしまい、使い物にならなくなっていた。 ザックは外側からの濡れには強い反面、内側からの濡れには弱いということを初めて知った。 思わぬアクシデントと皆を足止めしてしまった気まずさで、のっけから気持ちが沈んでしまった。

  悔しい気持ちを引きずりながら足取りも重くさらに15分程登り、取り付きであるフェスティ氷河の上に下り立った。 スーザン氏は私達に「ここからは少し寒くなるので、フリースやオーバーズボン等を身に着け、アイゼンもここで着けなさい」と指示した。 濡れたオーバーズボンをはくわけにもいかないので、逆にズボンや靴を脱ぎ、予備に持っていた薄手のアンダータイツをはくことにした。 私が準備や水漏れの後始末に手間どっていたので、ダニエル隊は先行した。 アンザイレンした後、10分程遅れて私達も取り付きを出発した。 今回も私が殿(しんがり)だ。 各々を繋いでいるザイルの間隔は12〜3mといったところか。 暗闇の中、数百メートル先のダニエル隊のヘッドランプの灯が、星のようにまたたいて見えるのが面白い。 緩斜面の氷河をほぼ真っ直ぐに登っていく。 クレバスが思ったより多いが、雪が締まっているので踏み抜きはなさそうだ。 相変わらず風もなく助かるが、無駄な労力を使ったせいか、それとも暗闇の中の単調な登高が延々と続くためか、睡魔が襲ってきた。 そしてとうとうアンザイレンしていることをいいことに、目をつむりながら登るようになってしまった。

  1時間15分休まずに登り続け、ようやく行く手を塞いでいる岩場の前で休憩しているダニエル隊に追いついた。 スーザン氏とダニエル氏がなにやら打ち合せをしている。 打ち合わせが終わるとダニエル隊は急な岩場を登り始めた。 ダニエル隊が登っているわずかな時間が、私達の休憩時間となった。 今まで私達が登ってきたのがフェスティ氷河で、岩場を50m程登って支尾根を乗越した後、反対側のホーベルク氷河へは懸垂下降で下り立った。 妻は初めての経験に少しまごついている。 さらに登り易い斜面の所まで30m程下ったが、こちらの氷河も相変わらずの緩斜面である。 もうここからは別行動としたのであろう、ダニエル隊は先行しヘッドランプの灯はどんどん遠ざかっていく。 ひたすら緩やかな雪面を登る。 クレバスもなくなり、雪面を“シュルッ、シュルッ”と擦れるザイルの単調な響きが再び眠気を誘う。 前を行く妻は相変わらず真面目に歩いているようだ。 ふと昨夜氏が言った言葉が頭をよぎった。 “イーズィー・バッド・ローング”、ローング・・・ローング・・・。

  am6:00前になってやっと長い夜が明けてきた。 後ろを振り返ると、ヴァイスホルンを背景にセピア色をした空が茜色に染まり始めていた。 絶景だった。もし今日ドムに登れなかったとしても、この素晴らしい夜明けの景色を見れただけでも充分であった。 休憩して写真を撮りたかったが、スーザン氏に言い出す勇気はなかった。 先程の水漏れ事件で遅れをとっているからだ。 昨年のユングフラウ登山同様に、再び心のシャッターを切った。 夜が明けてくると、やっと眠気が覚めてきた。 どうやら睡眠不足というよりは、体内時計により眠さを感じていたようだった。

  am6:25、ホーベルク氷河を1時間以上登り続け、トレイルが右に大きく曲がっている所でやっと休憩となった。 高度計はないが、標高は既に4000m前後であろう。 左手にはナーデルホルン(4327m)、レンツシュピッツェ(4294m)を始めとするミシャベルの山々の頂と稜線がはっきり見えるが、肝心のドムの山頂は奥まっていて未だに拝むことが出来ない。 ヴァイスホルンの雄姿を写真に撮っていると、スーザン氏はザイルをコンティニュアス用に短く結び直した。 やはり休憩には理由があったのだ。 10分程休憩した後、山腹を大きく巻いている明瞭なトレイルを登り始めた。 陽は昇ったがまだ私達のいる所は日陰である。 風も少し出てきたので早く日向に出たい。

  30分程登ったであろうか、前を登る妻のペースが明らかに落ちてきた。 妻はスーザン氏に「モア・スローリー!」と何度かリクエストしていたが、しばらくしてとうとう妻の足は止まった。 疲れたので少し休みたいと言う。 長時間の登高で、知らず知らずのうちにボディブローを受けていたのだった。 氏は「ノー・プロブレム」と優しく了解してくれた。 私も妻に「もうここまで来れれば充分だから、登れそうになかったら無理をしないでいつでも引き返していいよ!」と励ますと同時に、“シャリバテ”かもしれないと思い、ポケットに入れておいた煎餅等の行動食を食べさせた。 妻は食べ終わると少し元気が出たようで、再びゆっくりではあるが歩き始めた。 時々後ろから妻に「無理をしないでいつでも引き返していいよ」と繰り返し声を掛けたが、実は私もシャリバテで相当へばっていたのであった。

  最後の登りに向けてトレイルは左に大きく反転し、やや直登気味に傾斜を強めた。 高さの目安にしていたナーデルホルンの頂が目線より下になってきた。 そして妻の足取りにも“頂に立ちたい”という強い意思が感じられるようになってきた。 山頂はまだ見えてこないがそう遠くはないはずだ。 前方から先行していたダニエル隊が下ってくるのが見えた。下りのスピードは早く、あっという間にダニエル隊と再会した。 「コングラチュレーション!」。 無事登頂を果たされた二人の隊員に労いの言葉をかけた。 スーザン氏とダニエル氏は一言二言話をしただけですれ違い、休憩にはならなかった。 さあ私達も彼らに続くのだ、山頂は近い!。 

  ダニエル隊と別れると傾斜はさらにきつくなり、また風も一段と強まってきた。 妻に続き私も足が上がらなくなってきた。 しかし水漏れ事件の前科者の私が休憩をリクエストすることは許されない。 “この状況を乗り切れないようでは、マッターホルンなど夢の夢だ”と自分に言い聞かせた。 しかし山頂直下の急斜面でとうとう私の足も止まった。 シャリバテだった。 「ジャスト・ア・モーメント!」。 声をふり絞って先頭のスーザン氏に呼びかけた。 手袋をはずしてポケットにある行動食を探したが、先程の休憩の時に妻に全部あげてしまったので、飴玉が一つしか残っていなかった。 仕方なく飴玉を口にしたが、意外にも僅か30秒程の休憩とたった一粒の飴玉で私の体は蘇った。 再び喘ぎ喘ぎ登り始めると、間もなく傾斜が緩み稜線の先に十字架らしき物が目に飛び込んできた。 時計を見るとam9:00ちょうど、ヒュッテを出発してから6時間30分の長旅であった。 岩の露出した猫の額程の狭い山頂には、十字架にはりつけにされたキリスト様の像が、誰が着せたのであろうか虹色の布をまとって立っていた。

  「お疲れ様〜!、やったね〜!、よく頑張った!、おめでとう!」。 妻と抱擁し、お互いの登頂を讃え合った。 ラストスパートがきつかっただけに、辿り着いた感激は一層大きかった。 「コングラチュレーション!」。 スーザン氏も私達の登頂を喜んでくれた。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 素人の私達をここまで連れてきてくれた氏と固い握手を交わした。 神様が用意してくれた素晴らしい快晴の天気の下、スイス第二の高峰の頂からはツェルマット周辺の山々のみならず、モン・ブランやベルナー・オーバーラントの山々等、アルプスの山々が全て見渡せた。 昨日からずっと見上げてきた眼前のヴァイスホルンも心なしか低く見える。 よくここまで登って来れたものだと、我ながらあらためて感心した。 先程までの疲れも全て吹っ飛び、夢中で写真を撮りまくった。 そして未明に出発してから初めて腰を下ろして休憩し、行動食を食べながら妻とダイナミックなアルプスの展望を楽しんだ。 日本では馴染みの薄い山であるが、計画どおりここまで登ってこれたという達成感と、快晴の天気の中私達だけで山頂を独占した気分は実に爽快であった。

  登っている時とは違い、山頂での休憩時間はあっという間に経過し、am9:20、スーザン氏に促されて思い出深い頂を後にした。 僅か20分間の頂であったが、私達にとってドムは“イーズィー・バッド・ローング”のみならず、“インプレッシィブ(心に深く残る山)”であった。 そして何よりもこの長い登りの経験と高所順応は、次の山々へのチャレンジに際して本当に大きな自信となり、また財産となった。 それにしてもここから麓のランダの町までの累積標高差は3160mである。 これほどまでに長い下りが他にあるだろうか。 下りは例によって私が先頭を任された。 終始眼前のヴァイスホルンを眺めながら、たった今私達がつけてきたトレイルを下る。 先程の辛い登りが懐かしい。 30分程下った所で、やっと後続のガイドレスと思われるパーティーと出会った。 多分am4:30頃にヒュッテを出発したのではないだろうか。 結局その後も4〜5組のパーティーとしか出会わなかった。 どうやら地元でのドム登山は、ガイドレスで二泊三日で登るのが主流のようだ。

  傾斜も緩み、あとは鼻歌交じりで下るだけだと思ったところに、思わぬ落とし穴が待っていた。 先程懸垂下降で下りた岩場を少し迂回しながら登り、ピッケルを背中とザックの間に挟んで上からスーザン氏に確保されながらトラバース気味に切り立った岩場を攀じっていた時、突然氏が私に向かって「ヨシ(善樹)、背中のピッケルが落ちそうよ!」と叫んだ。 驚いた私は足元がおろそかになり、足を踏み外して痛めていた左膝を思いっきり岩にぶつけ、さらに“グニャリ”とひねってしまった。 “やってしまった!、これで今回の山行も全て終わったな”と一瞬思った。 左膝をかばいながら何とか岩場を登りきり、支尾根の上で座り込んでしまった。 あまりのふがいなさに、心配する妻に向かって「あそこでスーザンが余計なことを言うからだよ!」と大声で八つ当たりしたところ、氏もバツが悪そうだったので、「アウチ、アウチ、バッド・スモール・アクシデント!」と左膝をさすりながら苦笑いし、おどけて見せた。 15分程の長い休憩をもらい足を休ませた。 マッターホルンどころか、これからまだまだ下りは長い。 恐る恐る歩いてみたが、不思議と痛みは感じなかった。 以前ひねった方向と逆にひねって元に戻り、治ってしまったのだろうか?。

  岩場を下り再びフェスティ氷河に下り立った。 ここからはスーザン氏が先頭になり、表面の雪が少し腐り始めた緩やかな斜面を下っていった。 上りと同じルートを下っているのであるが、上りは暗闇の中だったので見える景色は新鮮だった。 しかし上りでの時間が掛かりすぎたためか、次の(明日の)仕事に備えてか、氏は走るようにどんどん下っていく。 こんなに疲れる下りも初めてだ。左膝は本当に大丈夫だろうか?。 さらに下って行くとクレバス帯となったが、大きく口を開いてまたぐことが出来ないクレバスを、迂回せずに走って飛び越えるという荒技も何度かやってのけた。 取り付きまで下るとザイルが解かれ、岩場の踏み跡のトレイルを所々で立ち止まって写真を撮りながら、やっとマイペースで下ることが出来たが、下りの道のりも本当に長かった。

  未明に出発してから約10時間後のpm0:40に無事ヒュッテに戻ってきた。 「お疲れ様でした〜!」と妻に労いの言葉をかける。 もうとっくに居ないと思っていたダニエル氏もテラスで待っていた。 やはりスーザン氏とはただならぬ仲なのかもしれない。 「サンキュー・ベリー・マッチ!、ありがとうございました!」。 両手で拝むように氏と握手を交わし、ガイド料の750フラン(邦貨で約58000円)を支払い、100フランのチップを手渡した。 テラスで氏との最後の記念写真をダニエル氏に撮ってもらった後、休憩もせず氏はダニエル氏と一緒に下山していった。 驚いたことに氏は明日マッターホルンのガイドをするため、下山後にまたヘルンリヒュッテまで登るという。 別れ際に「私も明後日マッターホルンに登る予定で〜す!」と大見栄をきった。 下りが予想以上にハイペースだったので妻は相当疲れたらしく、ヒュッテの中で少し休みたいという。 私も同じ気持ちだったが、たった今氏から間接的に“マッターホルンにガイドが入る”という情報を入手したため、明日以降の予定が気になり、なるべく早くアルパインセンターに行きたくなったので、ヒュッテで昼食を食べた後に妻にハッパをかけ、女将さんにガイドと私達二人分の宿代150フラン(邦貨で約12000円)を支払って別れを告げ、pm2:00過ぎに下山にかかった。 

  ランダからツェルマットへ向かう登山電車は1時間に1本なので、ぎりぎりに上手く乗れるように調整しながら、ヒュッテから1510mの標高差をゆっくりとではあるが休まずに3時間半程で下った。 結局pm5:27発の登山電車は何かのトラブルで30分程遅れて到着したため、ツェルマットにはpm6:30近くになってようやく着いた。 直ちにアルパインセンターに向かい、受付でマッターホルンのガイドの予約の確認をしたところ、ルートの状態が良くなったので、明後日(24日)の予約は取れているが、その翌日(25日)は駄目だと言う。 片言の英語で「24日にもし登れなかった時に、その翌日の25日に再度アタックが出来るように申し込んだはずですが」と訴えたが、なかなか要領を得ない。 受付の人がツェルマットに滞在している知り合いの日本人のツアーコンダクターに電話をかけ、通訳をしてもらったところ、ガイドの予約が一杯で2日続けては予約が取れない状況であること、また今までそのような申し込み方をした人もいないということであった。 また次に予約が取れるのは28日以降であるとのことであり、結局マッターホルンへのアタックは、とりあえず明後日の1回のみとなってしまった。

  ホテルに戻る途中、情報収集にと増井氏の滞在しているホテルを尋ねてみた。 生憎氏は不在であったが、サポート役の奥様が留守番をされていて、氏は太田さん夫妻と明日マッターホルンにアタックする予定で、ヘルンリヒュッテに向けて出発したということであった。 増井氏らがアタックするということは、ルートの状態も良くなり、また明日が好天であると見極めたからに違いない。 ドムの“登頂報告”を奥様にしたところ、奥様も以前氏と登られたそうであったが、直前に泊まったモンテ・ローザヒュッテの食事がもとで食中毒にかかり、大変な思いをされた苦い経験があるとのことであった。 明後日私もマッターホルンにアタックする旨を伝え、スーパーマーケットで夕食の買い物をしてからホテルに戻り天気予報を見ると、明日どころかまだ向こう5日間ぐらい晴天が続き、また平年より気温が高い状態が続くとの信じられないような嬉しい予報であった。 雨で迎えられた今回の山行であったが、神頼みが効いたのか、運が向いてきたようだ。


ホーベルク氷河から見たドムの頂稜部


ドムの山頂


ドムの山頂から見たヴァイスホルン


ドムの山頂からテッシュホルン(右手前)越しに見たモンテ・ローザ(中央奥)


ドムの山頂から見たマッターホルン(左端)・モン・ブラン(中央奥)・ヴァイスホルン(右端)


ドムの山頂から見たベルナー・オーバーラントの山々


ドムヒュッテへの下りから見た山頂方面


ドムヒュッテへの下りから見たナーデルホルン


ドムヒュッテへの下りから見た山頂方面


ガイドのスーザン氏


フェスティ氷河から見たドムの頂稜部


ドムヒュッテのテラスでスーザン氏と


ドムヒュッテから見たヴァイスホルン(右)とツィナールロートホルン(左)


ドムヒュッテからランダへ下る


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