8月20日、am6:30起床。 小雨が降っているようで、マッターホルンも霧の中に眠っている。 今日はリッフェルホルン(2996m)で岩登りの講習を受ける予定だが、この天気ではどうなることやら。 それ以上に風邪が治らずに体調が悪く、元気であれば初めての体験にワクワクするはずなのに、まったくやる気がおこらない。 しかしそんなそぶりは妻の前で見せる訳にはいかない。 ツェルマットの駅にam7:45に集合なので早めに朝食をとり、妻に見送られて造り笑顔でホテルを出発した。 妻はトレーニングのため、生まれて初めての単独行でツェルマットの裏山へのハイキングに出掛けるという。
人出の多い駅前でガイドと落ち合うことは難しいと思ったが、その心配は要らなかった。 いかにも受講生らしい長身のイギリス人の青年がすぐに声を掛けてきた。 片言の英語と片言の日本語で社交辞令を交わしているうちに、観光客やハイカーとは一線を画した格好の猛者達が10名程集合した。 しかしザイル等の登攀道具を持った人も何人かいて、はたして誰がガイドなのか分からない。 集合時間ちょうどに、誰よりも目つきの鋭いレゲエ風のミュージシャンのようなヘアースタイルの長身の男性が輪の中に入ってきた。 “レゲエ氏”は青く吸い込まれそうなその輝く瞳で全体を見渡し、ザイルを持ったうちの一人と何やら言葉を交わすと、出発時間の迫ったゴルナーグラート行きの登山電車に乗り込んでいったので、皆一同彼の後に続いた。 この人がチーフのガイドなのだろうか?。 車中では猛者達は談笑し、観光客は霧の合間から見える風景に一喜一憂していたが、私は言葉の壁に加え体調の悪さで眠くて仕方がなかったので、一人片隅で居眠りを決め込んでいた。 そして心の中では密かに今日の講習会が雨で中止にならないものかと願っていた。 風邪が完治しない中、冷たい雨に打たれたらますます体調は悪化し、4日後のマッターホルンへのアタックの日を迎えてしまうからだ。 まして明日からはドムに登ることになっている。 自分で決めた計画だったが、はたしてこの先どうなることやら。 そうこう思案しているうちに、出発点であるローテンボーデンの駅に着き、他の乗客が終点のゴルナーグラートの展望台に向かう中、猛者達だけが下車した。
昨年写真に収めた“逆さマッターホルン”で有名なリッフェルゼー(湖)を見下ろしながら、リッフェルホルンに向かって歩いて行くが、なぜか隊列は定まらず皆バラバラになって歩いている。 私は訳が分からず仕方がないので、何気なく先程のレゲエ氏のすぐ後について歩いていった。 5分ほど歩いたところで、氏は突然私の名前を聞いてきた。 「酒井です」。 社交辞令の言葉も思い浮かばなかったので、とりあえず名前だけを答えた。 「オー、サケーイね!」。 氏の名前も聞き返すこともなく、最初の自己紹介は終了した。 氏は私のことをひどく無口な人だと思ったに違いない。
リッフェルゼーからせり上がっているリッフェルホルンの基部にさしかかった所で、皆一同に荷物を下ろした。 いよいよ講習の始まりか、どうやら中止はなさそうだ。 早速レゲエ氏は私とすぐ近くにいた私より年配のもう一人の外国人に向かって話を始めた。 「これから訓練に入ります。 岩登りの基本は二つです。 一つは小股で登ること、もう一つは手の力を使わず足で登ることです」。 やはりレゲエ氏はガイドだった。 氏は直ぐに目の前のちょっとした岩の塊に取り付いて手本を見せた後、私達にも同じことを二度三度とやらせた。 周囲を見渡すと、他のメンバー達もそれぞれ2〜3人のグループに別れて同じことをしているようだった。 どうやら私が想像していた団体の講習会ではなく、少人数の講習会のようだった。 簡単な“準備運動”の後、ハーネスを着け、新品のヘルメットを被り、雨具を着てガイド氏の後に続いて湖の反対側の方向に歩き始めた。 10分程歩いたところで滑りやすい岩の斜面をトラバースする所があり、ここからアンザイレンした。 私は図らずもいつもと同じ殿となった。 セカンドにならなかったのは、言葉が不自由だとガイド氏が困るからだろう。
小雨が降ったりやんだりする中、am9:00過ぎに訓練用の岩壁の下に着いたが、さすがに確保なしでは登れそうにない角度だ。 後にアルパインセンターで岩のグレードは4級であることが分かった。 ガイド氏はセカンドの外国人に、ヌンチャクを回収するように指示を与えると、「私の登るルートをよく見ておきなさい」とだけ言い残して、すぐに岩壁に取り付いた。 上を見上げると5mおき位にハーケンが打ってあり、ガイド氏は一つ一つヌンチャクをそこに引っ掛けながら、リズミカルにどんどん登っていく。 登攀中のコミュニケーションがとれないと困るので、パートナーとお互いの自己紹介を行った。 パートナーはアヘイムさんというドイツ人だった。 ガイド氏は20m程登ったところで、上から私達に登ってくるように指示した。 セカンドのアヘイムさんが先に登り、私が続く。 下からは分からなかったが、要所要所に手掛かりはあった。 しかし教えられたとおりになるべく腕力を使わないようにするため、顔や体を岩に密着させる格好で登らなければならない。 アヘイムさんが少し神経質になってきた。 雨で岩が濡れているからだ。 ガイド氏に確保されているとはいえ、アヘイムさんが落ちれば私も一緒に落ちるかもしれない。 だが不思議と恐怖感はなかった。 私も五体を駆使して岩にしがみつかなければならず、必死だったからだ。 先程までのやる気のなさは一気に吹き飛んだ。 一番困ったのは、アヘイムさんと私を結ぶザイルの長さが3m程しかないことだった。 アヘイムさんは腕力も強く足も長いため、彼のペースに合わせて無理に登ろうとすると腕力を使ってはいけないことは分かっていても、使わざるを得ないのだ。
最初の1ピッチを何とか登りきった。 私の両腕はすでにパンパンに張り、握力は全く残っていなかった。 ガイド氏は笑顔で「オッキー(OK)!、ベリー・グゥー!」と一言私達を労った。 私も初めて笑顔で応え、おどけながら胸に手を当てて「心臓がドキドキしましたよ!」というジェスチャーをして見せた。 アヘイムさんも「のっけからきつかったですね〜」という意味あい?の言葉を発し、やっとお互いに打ち解けることが出来た。 ガイド氏は私達が回収したヌンチャクを受け取ると、何の指導もすることなくまた上へと登っていった。 ようやく雨はあがり、陽が射してきた。 振り返ると新雪をうっすらと被った大河のようなゴルナー氷河が足下で白く輝き、対岸のブライトホルンが圧倒的なボリューム感で迫っている。 こんなデラックスな岩登り講習会も、そうざらにはないだろう。 体は重いがやっとやる気になってきた。 やはり私には太陽エネルギーが必要なのだ。
2ピッチ目、3ピッチ目は1ピッチ目より傾斜も緩く、腕を酷使せずにすんだ。 ガイド氏は「オッキー!、ベリー・グゥー!」を繰り返すだけだった。 ガイド氏が先行している間が私達の休憩時間で、狭いテラスで持参した行動食をアヘイムさんと交換しながら食べたり、片言の英語で雑談したりして連帯感を強めていった。 気が緩んだのも束の間、4ピッチ目は再び大変だった。 手掛かりがどうしても見つけられず、ハーケンの上に手や足を掛けて登る場面もあって本当に緊張した。 5ピッチ目、6ピッチ目は強烈な陽射しで岩も乾き、また慣れてきたこともあって、少し楽しむ余裕が出てきた。 ガイド氏の「オッキー!」の声のトーンは最後まで変わることなく、7ピッチ目で一気に山頂直下に躍り出て、とりあえず“登頂”の握手を皆で交わしあった。
下りはてっきり登ったルートをそのまま下りるのかと思ったら、山頂を越えて反対側のかすかな踏み跡のあるなだらかな斜面を、リッフェルゼーを足下に見ながら出発点に向かって下っていった。 そのまま下りて行けそうだったが、2か所ほどわざと崖になっている所を選び、下降の訓練があった。 今度は殿の私が先に下りることになった。 登りと逆の方法で下りるのかと思ったら、ガイド氏が上から「岩から手と足を離しなさい!」とジェスチャーを交えて言った。 いわゆる“懸垂下降”のことだろうか?。 半信半疑だったが、覚悟を決めて恐る恐るまずは手を、続いて足を離すと体は無事“宙吊り”となった。 さらにガイド氏は「手と足で岩を突いて後ろ下に飛びなさい!」と言う。 言われるままにやってみると、体重のかけ方に比例して面白いように体が下に下がっていく。 日本では下降器(エイト環)を用いてやるのが一般的だが、こちらではガイドが上で確保するだけのシンプルなものだった。 念のためガイド氏に、「この方法は何と言うのですか?」と尋ねたところ、“アブセーリング”とのことだった。 う〜ん、どこかで聞いたことがある。 やはり懸垂下降のことだ。 たった2回の下降の訓練だったが、痛めていた左膝への影響もなくホッとした。 ガイド氏は私達が下った崖のすぐ脇の切り立った岩壁をなんなく一人で下りてくる。 それを見てアヘイムさんは「ライク・ア・モンキー(まるで彼は猿だね)!」と、ガイド氏を驚きの気持ちを込めてからかっていた。
山頂から30分程で下りきり、am11:00過ぎに出発点に戻った。 ザイルを解いて即解散かと思っていたところ、堰をきったようにアヘイムさんがガイド氏に話を始めた。 ドイツ語での会話が弾んでいる。 全く分からないかと思ったが、話の流れからどうやらアヘイムさんは若い頃マッターホルンに一度登ったことがあるようで、年を重ねた今日、再びチャレンジしに来たようだった。 二人の話が一段落したところで、社交辞令にアヘイムさんとガイド氏の年齢を尋ねてみた。 アヘイムさんは53歳、ガイド氏は30歳とのことだった。 更に遅ればせながら、ガイド氏の名前を尋ねたところ、ヴォルフカンク・カインプレという難しい名前で、オーストリアの出身だと笑顔で答えてくれた。 調子に乗って、「私は岩登りは今日が初めての素人ですが、私でもマッターホルンに登れますか?」と片言の英語でヴォルフカンク氏に尋ねたところ、直ぐに氏から「ノー・プロブレム、エイト・アワー」という思いがけない答えが返ってきた。 8時間とは外国人向けのマッターホルンの標準的な登攀(往復)時間で、単なる社交辞令にしては具体的すぎる。 もしかしたら本当に登れるかもしれない・・・。 ヴォルフカンク氏から思わぬ太鼓判を押してもらい喜んでいると、アヘイムさんが話に加わってきて、「サケーイ、本当に岩登りは今日が初めてかい?。 今日の岩登りはマッターホルンより短いが難しいよ。 マッターホルンの特徴は易しい岩登りが連続するだけだから、ここが登れた貴兄ならきっと登れるよ」と加勢してくれた。 そして豚だけがマッターホルンに登った・・・。 思いがけず最後はそんな方向に話が飛び、正午前にヴォルフカンク氏は腰を上げた。 私と氏はローテンボーデンの駅から登山電車でツェルマットに向かったが、アヘイムさんは再び湧き始めた霧の中を歩いて下っていった。 車内では相変わらず日本人の団体客が楽しそうに歓談していたが、私は体力の温存のため再び一人片隅で居眠りを決め込んだ。 ツェルマットの駅でヴォルフカンク氏に丁重にお礼を言って別れたが、まさか4日後に再び氏とザイルを結んでマッターホルンに登ることになるとは、夢にも思わなかった。