ブライトホルン(4165m)

   8月19日、夜明け前から降り始めた小雨はあがり、初めてホテルの部屋からマッターホルンが見えた。 今日は天気が悪いので、今後のスケジュールを練りながら軽いハイキング程度に留めようと思っていたが、今朝の天気予報では今日の天気は昨日の予報からだいぶ好転したので、当初の計画どおり昨年初めてガイドレスで登ったブライトホルンに再び登ることにした。 また、向こう5日間の週間天気予報によると、明後日あたりから天気は安定しはじめ、4日後、5日後あたりが快晴となっていた。 しかしいくら天気が良くても雪が溶けなければマッターホルンには登れない。 いろいろと考えた結果、とりあえず明日(20日)はリッフェルホルンでの岩登りの講習会、21日から22日にかけては一泊二日でドムへの登山、そして24日と25日の2回をマッターホルンのアタック日とすることに決めた。

   朝食を急いで食べた後、ガイドの予約をするため、am8:30に開くアルパインセンター(ガイド組合)に向かう。 英語が殆ど話せない旨をカウンターの女性に謝り、知ってる限りの怪しげな英語と予め日本で山の名前や希望の日等を書いてきたメモを見せながら、ガイドの予約を申し出た。 思ったより苦労したが、それでもなんとか通じたようで、幸運にも一応希望日どおりでガイドは手配出来るようだった。 彼女から登山経験?を聞かれたので、「メンヒ、ユングフラウ、ブライトホルン、アラリンホルン、アーンド、キリマンジャロ」と目一杯の山々を正直に答えたところ“合格”したようで、彼女は“手配書”のようなものを書き終わると私に説明を始めた。 それによると、まず岩登りの講習会は明日のam7:45にツェルマットの駅でガイドと待ち合わせること、次にドムはB.Cのドムヒュッテで21日のpm4:00にガイドと待ち合わせること、そして岩登りの講習会のガイド料190フラン(邦貨で約15,000円)と、その5パーセントのガイド手配料10フラン及びドム登山のガイド手配料40フランはここで支払い、ドム登山のガイド料750フラン(邦貨で約58,000円)は登山終了後にガイドに直接支払うようにとのことだったが、肝心のマッターホルンについては手配書や説明はなく、“予約台帳”のようなものに私の名前を記入しているだけだった。 台帳に記入し終わると、彼女から「22日の午後か23日の午前中にもう一度ここに来て下さい」と言われた。 彼女の話ぶりから、どうやら雪のためマッターホルンのガイドがその日に山に入るかどうかが確定していないからのようだった。 問題はこの“予約”の意味するところは、はたしてマッターホルンが登れるようになった場合に、再度この予約の順番で登る日が決まるのかどうかということだった。 そのあたりの細かいやりとりは、拙い私の語学力ではとても通じず、もどかしい思いだったが、5日後の快晴の天気予報が当たるとも限らないので、良い方に理解するしかなかった。

   アルパインセンターでのガイドの予約に30分以上もかかったため、だいぶ出発が遅れてしまったが、ブライトホルン(4165m)に登る準備をした後、am10:30過ぎにホテルを出発した。 時間・天気とも中途半端だったせいか、日曜日にもかかわらずゴンドラやロープウェイは空いていた。 am11:25に終点のクライン・マッターホルン(3883m)に着き、トンネルの出口でアンザイレンしてam11:40に出発した。 名前は伺えなかったが、私達より少し年配の一人の邦人男性がすぐ後から続いた。 取り付きまでは約1時間の雪原(ブライトホルン・プラトー)歩きであり、このトレイルからの景色もよく記憶していて懐かしい。 しかし前回と全く違うのは、登山者の数だった。 この時間帯であれば、下山してくるパーティーが沢山見えるはずだが、早朝の天気が悪かったせいか、意外にもかなり前方を登っているパーティーが数組見えるのみだった。

   ロープウェイ等でツェルマットから一気に標高差2200m以上を上がるため、普通に歩くだけでも体に対するストレスは相当強いが、訓練のため早足で休まずに歩き続けた。 その横を先程の男性が「お先に〜!」と勢い良く追い抜いてゆく。 よほどのベテランらしい。 50分ほどで取り付きに着いてアイゼンを着けるが、困ったことにすでに午後に入ったせいもあり、後続隊が全く見えてこない。 前方には先程のベテラン氏の他に二組のパーティーが見えているが、はたして私達と同じピストンかどうかは分からない。 ブライトホルンを周回する上級者向けのルート(トラバースルート)があるからだ。 昨年一度ガイドレスで登っているとはいえ、今日はすでに少し霧も湧き出しているし、後続のパーティーもいない状況ではブライトホルンとはいえ侮れない。 もし先行しているパーティーが全員下山して、後続のパーティーが来なかった場合には、潔くその時点で私達も下山しようと心に決めた。

   明瞭なトレイルが一直線に続く登りやすい斜面を、高曇りではあるがマッターホルンをはじめとする周囲の山々の展望を楽しみながらひと登りすると、運が良いことに雪原の向こうから取り付きに向かってくる一組のパーティーの影が見えてきた。 これで一安心と色気を出し、昨年約1時間かかった登りを45分程で登ろうと少しペースを上げたが、血液がだいぶ酸欠になっていたようですぐに息が上がってしまった。 それでもペースを落とすことなく、まるで何かに取りつかれたように喘ぎ喘ぎ登り続けていくと、山頂直下の所でもう先程の単独氏が下ってきた。 風が急に強くなってきたので長話しは出来なかったが、単独氏はこれから仲間と一緒に名峰ヴァイスホルン(4505m)を目指すとのことだった。 念のため山頂の登山者の状況を聞いたところ、まだ二組のパーティーがいるとのことだった。

   山頂に近づくにつれさらに風は強まり辛かったが、pm1:20に予定より5分早く取り付きから40分で山頂に着いた。 昨年と違い高所順応が出来ていない上に、ハイペースで登ったのでバテバテだったが、とりあえず目標の一峰を無事登ることが出来た。 ちょうど私達と入れ違いに山頂にいた二組のパーティーが下山していったため、図らずもあの賑やかなブライトホルンの山頂で私達だけの世界となる幸運に恵まれた。 風の当たらない場所に腰を下ろし、懐かしい展望を堪能していると、間もなく最後のパーティーが到着した。 「ボンジュール!」。 挨拶の言葉でフランス人と分かった。 「コングラチュレーション!」と笑顔で“恩人”を歓迎した。 本日の“殿(しんがり)”は私達より少し年上の夫婦のパーティーだった。 高所順応のためもっと山頂に長居したかったが、“国際親善”にとお互いの写真を撮り合った後、再び殿にならないように先に山頂を辞した。

   天気はやはり不安定で風も強まり、マッターホルンも霧の中に見え隠れするようになってしまったので、クライン・マッターホルンの展望台は割愛し、早々にロープウェイに乗り込んだ。 偶然にもロープウェイの中で、昨日屋台で知り合った太田さん夫妻と再会した。 太田さん夫妻は予定どおりブライトホルンに登った後、難しいトラバースルートを周回されたとのことだった。 素人の私達とは雲泥の差だ。 お互いのマッターホルンの登頂の成功を祈念し合い、私達は途中駅のトロッケナー・シュテークの駅で下車した。 駅舎の上のレストランのテラスで、登ってきたブライトホルンを眺めながら祝杯をあげたが、風邪のため体は相変わらずだるく、先程から高度障害によるものと思われる頭痛も始まり、ふと“これが今回のアルプス山行の最初で最後の頂となってしまうのではないか?”という不安な気持ちが頭をよぎった。


ブライトホルンプラトーから見たブライトホルン


ブライトホルンの山頂


山頂から見たモンテ・ローザ(中央奥)とリスカム(右手前)


山頂から見たマッターホルン(左端)


トロッケナー・シュテークから見たブライトホルン


   トロッケナー・シュテークから見たドム(中央左)とツェルマットの町(左下)


山 日 記    ・    T O P