ブランカ山群 U

  【ペルー再訪】
   昨夏に続きペルーのブランカ山群に行く機会を得た。 これは昨夏のペルー滞在中に同行したガイドの平岡さんに具体的な山や日程について話し合っていたことが実現したもので、今後も機会あるごとにその山域に詳しいガイドさんとの連絡を密にすることが、自分の登りたい山に行ける秘訣だと実感した。 今回の山行は憧れのアルパマヨ(5947m)をメインとし、他にキタラフ(6036m)とピスコ(5752m)を7月の上旬から中旬の3週間で登るという計画だ。

   アルパマヨは一昔前にドイツの山岳雑誌社が世界中の著名な登山家に行ったアンケートで“世界一美しい山”に選ばれたブランカ山群のシンボル的な山であり、深田久弥氏もこの山を「鋭い三角錐のまことに胸のすくような美しい姿」と描写し、未完に終わった『世界百名山』の一峰に選んでいた山である。 残念ながら今回は世界一美しいと称された北西壁(アルパマヨ谷)からの雄姿を見ることなく、反対側のサンタクルス谷からアプロチーチしたが、ヒマラヤ襞の発達した南西壁やB.Cから眺めた山容は充分芸術的かつ魅力的だった。 キタラフは今回のメインであるアルパマヨと同じH.Cからも登れる山として、アルパマヨが順調に登れた場合の予備日を利用して登ることになった。 アルパマヨが登れなかった場合には必然的にキタラフも登れないということで不確定要素は高いが、3週間の日程で6000mクラスの山を3つ登るという目一杯の計画なので仕方がない。 ピスコは5000m峰であるが、周囲を6000m台の名峰に囲まれたブランカ山群随一の展望を誇る山で、登山者が一番多い山である。 ルート上に特に危険や困難な箇所はなく、ガイドレスや他の高峰への順応目的で登られていることもその理由の一つだ。

   アルパマヨは世界一美しい山であるばかりか、その登頂は素人にとっては非常に困難であり、とても私が挑戦出来るような山ではなかったが、2年前に平岡さんが現地の優れたガイドチームと共にガイド登山を成功させた実績を見て、思い切って挑戦することにした。 今回“登山者を選ぶ”この山の登山隊に参加することになったのは私と女性のセブンサミッターの島田さんの2人で、そのH.Cまで同行する妻、そして別途10日間の日程でピスコだけを登る中山さんとピスコをスキーで滑る鈴木さんと白馬でペンションを営まれている国際山岳ガイドの林さんということになった。 平岡さんの音頭で出発の1か月前に小淵沢のユースホステルで隊員の顔合わせを行い、小川山でマルピッチのクライミング講習などをして親睦を深めた。

   2010年7月3日の午後に成田空港で隊員一同集合し、夕方4時のアメリカン航空で乗継地のロスに向かう。 機内ではのっけから島田さんとヨーロッパアルプスなどの山談義で盛り上がる。 7大陸の最高峰を初め、数々の世界の名峰を登られている島田さんは、今回計画しているアルパマヨとキタラフも以前挑戦されたが、諸事情により登頂出来なかったとのことで、今回はリベンジに執念を燃やされていた。 成田からロスまでの搭乗時間は9時間半、ロスでのトランジットが3時間、ロスからリマまでが8時間で翌日の午前零時過ぎにリマのホルヘ・チャベス空港に着く。 今回もアメリカの入国審査はESTA申請のお蔭で非常にスムースだった。 日本とペルーの時差はマイナス14時間である。 リマで宿泊したホテルは昨年と同じ空港に併設されている4ツ星の『ラマダ・コスタ・デル・ソル』だった。

   7月4日、昨夏と全く同じスケジュールで8時にエージェントのエクスプロランデス社が手配した20人乗りのベンツのマイクロバスがホテルに迎えに来てくれた。 今日の宿泊先も昨夏と同じカルアス(2650m)のホテルだ。 この時期特有の“ガルーア”と呼ばれる濃霧のため海岸沿いの地域は曇天となる。 気温は18度だが、暑い日本から来ると肌寒く感じる。 季節は冬なので地元の人も厚着をしていた。 市街地を抜け、南米を縦断するパンアメリカンハイウエイを海岸線に沿って北上する。 寝不足と時差ボケで居眠りをしているうちにバランカの町に着き、昨夏と同じ海岸のレストランでセビッチェ(白身魚や貝と玉葱・トウモロコシをあえた料理)やイカのフライ、海鮮炒飯などの定番メニューを食べる。 食後は浜辺で高度計の数字を0mに合わせる。  

   バランカの町を出発して間もなく『ワラス200km/リマ207km』と記された道路標識のある三叉路を右折して標高4050mのコノコーチャ峠に向かう。 途中、唐辛子を大地に整然と並べて乾燥させている農家があり、珍しいので見学させてもらう。 天気は山に近づくほど良くなり、この時期らしい青空になってくる。 コノコーチャ(湖)のあるコノコーチャ峠付近からはブランカ山群の最南端のカウヤラフ(5686m)が望まれたのみならず、前回は見えなかったワイワッシュ山群の盟主であるイェルパハ(6634m)やヒリシャンカ(6094m)といった垂涎の山々の頂稜部が遠望され、気分が一気に盛り上がる。 天気が良かったので、峠から少し下った所で車を停め、高所順応を兼ねて傍らの小さな丘に登ることになった。 ゆっくり登り下りしたつもりだったが、その後バスの中で何となく気分が優れなくなる。 毎度のことだが今回も順応が遅いようだ。 

   6時過ぎにワラス(3090m)に到着し、エクスプロランデス社の事務所に立ち寄る。 マックスとベロニカも私の顔を覚えていてくれたようで、挨拶をすると少し驚いていた。 ワラスから30分ほど車に揺られ、7時前にカルアスのホテル『エル・アブエロ』に到着。 オーナーのディアスさんも珍客の再訪に驚いていた。 夕食はホテルでトゥルーチャ(鱒)の塩焼きをメインディッシュに食べた。 昨夏同様ディアスさんの奥さんや娘さんが作った料理は盛り合わせがとても丁寧で美味しかった。

    

世界一美しいと称されたアルパマヨの北西壁(資料写真)


ホルヘ・チャベス空港を出発する登山隊のメンバー


バランカの町の海岸のレストラン


唐辛子を大地に整然と並べて乾燥させている農家を見学する


コノコーチャ峠付近から見たコノコーチャ(湖)    イェルパハの頂稜部が遠望された


コノコーチャ峠付近から見たブランカ山群の最南端のカウヤラフ


コノコーチャ峠付近から見たイェルパハ(中)とヒリシャンカ(左)


高所順応を兼ねて傍らの小さな丘に登る


ワラスの手前の車窓から見たブランカ山群の山並


  【プンタ・オリンピカ峠】
   7月5日、夜中に軽い頭痛と動悸があった。 またお腹も便秘気味で体調はあまり良くない。 長旅の疲れか、それとも昨日僅かな時間であるが4000mほどの丘を歩いたせいだろうか。 いくら高所に弱い体質とは言え、2650mの高度でこの状況では先が思いやられる。  ブランカ山群には最高峰のワスカランの山裾を車で越えられる峠(いずれも悪路)が二つある。 一つはカルアスを起点としてウルタ谷を遡るプンタ・オリンピカ峠(4890m)、もう一つはユンガイを起点としてリャンガヌーコ谷を遡るポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠(4767m)である。 今日は高所順応として前者のプンタ・オリンピカ峠を、そして明日は後者のポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠まで車で上がり、峠から1〜2時間ほど登山道を歩いて下るハイキングをする。

   8時にエージェントのマイクロバスがホテルに迎えに来た。 今日と明日のハイキングのガイドとして来たのは意外にもアグリだった。 昨日のマックスと同様、アグリも私の顔を覚えていてくれたようで、挨拶をすると少し驚いていた。 カルアスの町外れからプンタ・オリンピカ峠へ通じる山道へ入ったが、この道が今までにない悪路でのっけから気が滅入る。 途中のシラという集落からはワスカランが良く望まれ、車から降りて展望の良い大岩に登って山を眺める。 シラの集落を過ぎると間もなくウルタ(5875m)を仰ぎ見るウルタ谷に入ったが、意外にもこの谷はとても広く平らで、良い牧草地になっていた。 傍らには山の氷河を水源とする川が流れ、所々に点在する小さな池にはカモがいた。 天気も良く、正面にコントライェルバス(6036m)が見えた。 ヤナマの町に通じているヤナヤク峠(4850m)へのトレイルの分岐には気が付かず、ウルタ谷からプンタ・オリンピカ峠に登る九十九折りの山道となる。 道は再び酷い悪路となったが、誰一人車酔いすることはなかった。 谷からは見えなかったワスカラン南峰やチョピカルキ(6354m)が良く見えるようになり、所々で車を停めてもらいながら撮影大会となる。

   11時前に目的地のプンタ・オリンピカ峠に到着。 日本なら間違いなくトンネルだろうが、最後はダイナマイトでアマゾン側に貫通させたと思われる峠は、昨年高所順応のハイキングで行った(明日も予定している)ポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠と全く同じような雰囲気だった。 峠からはウルタ谷の源頭にチャクララフ(6112m)の頂稜部も望まれ、期待以上の展望で嬉しい限りだ。 峠から谷へ下る踏み跡もあるらしいが、荒廃しているというアグリの判断で車道を歩いて下る。 車道といっても殆ど車が通らないので全く嫌にならない。 先ほど峠に着いた時は全く感じなかったが、歩くにつれて気分が悪くなるような感じがする。 ワスカラン南峰、チョピカルキ、コントライェルバス、そしてチャクララフなどの山々を終始眺めながら1時間ほど車道を下り、途中の路肩で昼食を食べる。 うかつにも食事中にアブに刺され、右のこめかみが大きく腫れてしまった。 島田さんも額を刺されていた。  食後も少しだけ歩いて下り、2時過ぎに迎えに来たマイクロバスに4500m付近で拾われてカルアスのホテルに戻る。 高度は下がっても車中では軽い頭痛が取れず、お腹も少し痛くなり、明らかに体調が悪いことが分かった。

   夕方の5時にホテルに戻り、シャワーを浴びてから昨夏も行った地元の人達で賑わう庶民的な鶏肉料理の店で蒸し焼きの鶏肉を食べた。 他のメンバー達は食欲旺盛だったが、私はいつもの半分位しか食べられなかった。 明日泊まるキャンプ地の標高は3900mあり、今の体調を考えると少し気が重い。 前回は気が付かなかったが、店の名前は『プンタ・オリンピカ』だった。


ホテルに迎えに来たガイドのアグリと再会する


シラの集落から見たワスカラン南峰


ウルタ谷の牧草地から見たコントライェルバス(左)とウルタ(右上)


ウルタ谷


プンタ・オリンピカ峠の手前から望むワスカラン南峰の切り立った東面


プンタ・オリンピカ峠の手前から望むチョピカルキ


プンタ・オリンピカ峠


プンタ・オリンピカ峠から見たウルタ


プンタ・オリンピカ峠から見たチャクララフ(中央奥)


プンタ・オリンピカ峠から見たアマゾン側の風景


プンタ・オリンピカ峠から車道を歩いて下る(正面はチョピカルキ・左はワスカラン南峰)


途中でのランチタイム(背景はコントライェルバス)


カルアスの町の鶏肉料理の専門店の名前も『プンタ・オリンピカ』だった


  【ポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠】
   7月6日、昨日に続き夜中に軽い頭痛と動悸があり、明け方は1時間おきに目が覚めた。 今日は高所順応のハイキングと明日からのピスコ登山に向けてその登山口のキャンプ場まで移動する。 昨日と同じ8時にアグリがホテルに迎えに来てくれ、エージェントのマイクロバスでユンガイの町を経由してリャンガヌーコ谷を遡り、昨夏も行ったポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠(4767m)へ向かう。

  ユンガイからリャンガヌーコ峠への山道は昨日のプンタ・オリンピカ峠への山道より少し良いが、それでもかなりの悪路だ。 途中のワスカラン国立公園の管理事務所で入山手続きを済ませ、チナンコーチャ湖(3850m)、オルコンコーチャ湖(3863m)の二つの湖を過ぎると、ピスコの登山口からリャンガヌーコ峠まで九十九折の急坂となる。 昨夏は曇天のため周囲の山が全く見えなかったが、今日はワスカラン南峰(6768m)、ワスカラン北峰(6664m)、チョピカルキ(6354m)、ワンドイ(6356m)、チャクララフ(6112m)などの秀麗な6000m峰、そして明日から登るピスコ(5752m)が車窓から望まれ、所々で車を停めてもらいながら撮影大会となる。 空には雲があり天気は昨日ほど良くないが、充分にその迫力ある展望を満喫出来た。

   11時半に目的地のポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠に到着。 この峠も昨日のプンタ・オリンピカ峠と同じように凹型に両側の岩壁を粗く削り取った形でアマゾン側のモロコチャ谷に通じている。 今日も今のところ頭痛などはないが、かといって体調はいつもどおりではない。 峠からルピナスが群生し高山植物が多いハイキングトレイルを標高差で400mほど歩いて下る。 酸素を出来るだけ体から失わないよう昨日以上にゆっくりとした行動を心掛ける。 ルピナスのことをケチュア語で“タウリ”と言い、山の名前に良く使われている“ラフ”は氷を意味するとアグリが説明してくれた。 すなわち『タウリラフ』という山は、ルピナスと氷を意味するとのことだった。

   途中で一度休憩し、峠から1時間半ほどで先ほどの九十九折の山道に合流し、迎えに来たマイクロバスに乗ってピスコの登山口まで下る。 車が常に路肩に停まっているピスコの登山口で車を降り、セボヤパンパ(3900m)という広いキャンプ場に向けてトレイルを僅かに下る。 今回も“大名登山”なので、すでに先行していたエージェントのスタッフ達によってテントは設営されており、キッチンテントで遅い昼食を食べた。 昼食後にパルスで計測した血中酸素飽和度は私が84、妻が88で、脈拍は私が70、妻が73だった。

   今回は残念ながらコックはラウルではなく、昨夏そのラウルを補佐していたロナウだった。 ラウルの料理の腕前は素晴らしいが、体質的に高所に弱く、昨夏もイシンカのH.Cで苦しんでいたので、H.Cでの滞在が長い今回の山行では同行することが出来なかったとのこと。 スタッフ達の大半は昨夏と同じ顔ぶれで、昨夏撮った集合写真を見せると、私のことを少し思い出してくれたようだった。 夕食はトゥルーチャ(鱒)のトマトソース煮だったが、ロナウの料理の腕前はまずまずで、これからの山中での食事に期待が持てた。


カルアスのホテル『エル・アブエロ』のオーナーのフイリッペ・ディアスさんと再会する


ケチュア語で女性を意味するというリャンガヌーコ谷のチナンコーチャ(湖)


チナンコーチャ湖付近から見たワスカラン北峰


リャンガヌーコ峠への山道から見たワンドイ南峰


リャンガヌーコ峠への山道から見たチャクララフ東峰(右)とチャクララフ西峰(左)


リャンガヌーコ峠への山道から見たワスカラン南峰(左)とワスカラン北峰(右)


リャンガヌーコ峠への山道から見たチョピカルキ


リャンガヌーコ谷のオルコンコーチャ(手前)とチナンコーチャ(奥)


所々で車を停めてもらいながら撮影大会となる


ポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠(背景は4つのピークを持つワンドイ)


ポルタチュエロ・リャンガヌーコ峠から見たピスコ西峰(左)とピスコ東峰(右)


リャンガヌーコ峠からハイキングトレイルを標高差で400mほど歩いて下る


ハイキングトレイルにはルピナスの群生が多く見られた


セボヤパンパの広いキャンプ場


快適なキッチンテントでのランチ


コックのみならずサブガイドとしても大活躍したロナウ


トゥルーチャ(鱒)のトマトソース煮


  【ピスコ】
   7月7日、意外にも夜中に頭痛はなく、軽い動悸で何度か目が覚めただけだった。 不気味なほど風がなかったが、寒気の影響かテント内の気温は5度しかなく、テントには霜が付いた。 朝食はロナウが気を遣ってお粥を作ってくれたが、私以外のメンバーの体調は万全のようで不評だった。 昨日よりもさらに雲が多く、天気はどうやら下り坂のようだ。

  いよいよ今日から3泊4日でピスコ(5752m)を登る。 初日の今日はB.C(4630m)まで登山道を標高差で700mほど登る。 明日はB.CからH.C(4850m)まで登山道を登り、明後日の未明にH.Cから山頂にアタックする予定だ。 B.Cまでは荷上げにロバが使えるので、身の回りのものだけを担いでいく正に大名登山だ。

   8時過ぎにセボヤパンパのキャンプ場を出発し、アグリを先頭に顕著な尾根筋の登山道を登る。 ロバが通るだけあってトレイルは明瞭だ。 セボヤパンパからは昨夏行ったラグーナ69という神秘的な湖にも行けるので、そちらに向かう人も多く見られた。 所々に大きな松の木があり、単調なトレイルの良い目標となる。 急ぐ必要は全くなく、又まだ順応途上なので1時間に200mほどの標高差を稼ぐペースでゆっくり登る。 雲は多めながらも登山道からは昨日と同様にワスカラン北峰(6664m)、ワスカラン南峰(6768m)、チョピカルキ(6354m)、ヤナパクチャ(5460m)、そしてピスコが順次望まれた。 荷上げのロバと共にワラスを早朝に出発したマックスが私達に追いついてきた。

   勾配が少し急になり、ジグザグを繰り返しながらしばらく登ると眼前が急に開け、だだっ広い牧草地の一角に飛び出した。 そのほぼ中央が各隊のテントが張られたB.Cで、セボヤパンパから4時間ほどで着いた。 青い色の可憐なペンカペンカの花が群生し、開放感のあるB.Cはロケーションも申し分なく、ピスコはもちろんのこと、4つのピークを持つ神々しいワンドイの東峰(6000m)、北峰(6395m)、西峰(6356m)が間近に仰ぎ見られ、傍らの丘の上にはペルーで一番古いという立派な石造りの山小屋(ペルー小屋)が建っていた。

   先行していたスタッフ達によりすでにテントは設営されており、食堂テントで昼食を食べる。 昼食後にパルスで計測した血中酸素飽和度は私が62、妻が64で、脈拍は私が80、妻が85だった。 最近日本人のお客さんが増えたのか、マックスは日本語の習得にやっきになっていて、その姿がとても滑稽だった。 午前中は曇りがちだった天気は午後になると次第に回復して良い天気になった。 食休みをした後、高所順応のためH.Cへの登山道をさらに1時間近く登ったが、B.Cまでで酸素を使い切ってしまったようで、足が重たい。 目標としたモレーンの背まで上がると、ピスコとワンドイが眼前に大きく迫り、チャクララフの頂稜部も間近に仰ぎ見られた。 順応が目的なのでモレーンの背に30分以上滞在してからB.Cに下る。


未明には氷点下の気温となったセボヤパンパのキャンプ地


雲は多めながらも登山道からはワスカラン北峰(右)やワスカラン南峰(左)などの山々が望まれた


途中からピスコが見えるようになる


チーフガイドのマックス(中)と途中で合流する


B.Cまでの登山道は明瞭で歩き易い


チョピカルキ(6354m)


B.Cの手前からはワンドイ東峰(右)とワンドイ北峰(左)が大きく望まれた


B.Cの手前から見たピスコ


広く開放感のあるB.Cはロケーションも申し分ない


可憐なペンカペンカの花


B.Cから見たピスコ


B.Cからモレーンの背へ登る途中から見たワンドイ西峰(6356m)


モレーンの背から見たピスコ


モレーンの背から見たチャクララフの頂稜部


ペルーで一番古いという石造りの山小屋(ペルー小屋)


モレーンの背からB.Cに戻る


B.Cから見たヤナパクチャ(5460m)


   7月8日、まだ順応が不十分なことに加え、昨日の最後の散歩が堪えたようで、夜中に動悸で何度か目が覚めた。 早朝、アマゾン側は厚い雲海に覆われていたが、上空は快晴でワンドイの素晴らしい朝焼けの景色を堪能する。 B.C(4630m)からピスコの山頂にアタックすることも可能だが、私達はもう1つ上のH.C(4850m)からアタックすることにしているため、午前中にH.Cに移動する。

   B.Cから昨日登ったモレーンの背まで1時間弱で登る。 展望の良いモレーンの背で山々の景色を充分堪能した後、浮石の多いザレた急斜面を100mほど下り、ケルンに導かれながら大小の岩の散在するモレーン帯を抜けてH.Cまで登り返す。 H.Cの直下にはエメラルドグリーンの美しい小さな氷河湖(ピスコ湖)があり、迫力あるワンドイの景観に圧倒されながら再び明瞭になった登山道を登っていくと、下からは想像できないほど広く平らなスペースのあるH.Cに着いた。 B.Cから氷河の舌端の直下にあるH.Cまでは累積標高差が300mほどだったので、充分休憩を取りながらでも3時間ほどの道程だった。

   H.Cの傍らに石のテーブルと椅子があり、車座になって昼食を食べる。 食欲はあるが相変わらず体調はあまり良くなく、いつものようにカラ元気に振る舞って過ごす。 スタッフ達は昨年とほぼ同じ顔ぶれだったが、3時のティータイムにあらためて自己紹介をしあって親睦を深める。 マックス・アグリ・ロナウ以外は、エルセリオ・ロベルト・フリオ・マルエル・ルカス・ミゲルの6人だ。

   昨日とは反対に午後に入ると寒気の影響か天気は下り坂となり、気温は5度位まで下がった。 テントは一つ減り、私達二人と島田さんが同じテントの住人となった。 H.Cなので夕食はアルファー米を自炊するのが一般的だが、ここは水も取れるため、ロナウがスパゲティー(カルボナーラ)を作ってくれた。 夕焼けもなく明日の天気が心配されたが、予備日はないため、天気に関係なく明日は頂上アタックとなる。


朝陽に染まるワンドイ東峰(右)・ ワンドイ北峰(中)・ ワンドイ西峰(左)


早朝、アマゾン側は厚い雲海に覆われていた


ペルー小屋とチャクララフ西峰の頂稜部


ワンドイ北峰(6395m)


朝食は定番のパンケーキ


午前中は快晴の天気になる


B.Cを出発する


モレーンの背から見たワンドイ東峰(右)とワンドイ北峰(左)


モレーンの背から見たワンドイ北峰(右)とワンドイ西峰(左)


モレーンの背から見たワスカラン南峰 ・ 北峰(右)とチョピカルキ(左)


モレーンの背から見たピスコ


モレーンの背から浮石の多いザレ場を下る


エメラルドグリーンのピスコ湖とピスコ


H.C手前から見たピスコ


H.Cはテントが相当数張れる広さがあった


石のテーブルと椅子で車座になってティータイムを楽しむ


ガイド以外のスタッフ達とあらためて自己紹介をし合う


H.Cから見たチョピカルキ


   7月9日、夜中の1時半前に起床。 B.Cとの標高差は200mほどしかないが、夜中は軽い頭痛が続いて全く眠れなかった。 また、鼻づまりも酷く、狭いテントで妻や島田さんにも迷惑を掛けてしまった。 一方、嬉しいことに空には満天の星で風もなく、予想以上に暖かい。 石のテーブルに用意されたスープとクッキーを食べ、2時半過ぎにH.Cを出発した。 軽い頭痛や動悸は、深呼吸を繰り返し体を動かすことで解消した。

   氷河の取り付きまで僅かに登山道を登り、氷河の取り付きからアイゼンを着けてアンザイレンして登る。 パーティー編成は、チーフガイドのマックスに島田さんと妻と私とエルセリオ(途中でロナウと交代)、ガイドのアグリに中山さんと鈴木さんと林ガイドとロナウ、そして殿(しんがり)が平岡さんとロベルトである。 エルセリオとロベルトは下山時にスキー滑降する鈴木さんと林ガイドのスキー板を担いで登る。 上方にはすでに先行パーティーのヘッドランプの灯りが揺れている。 氷河上はさすがに気温は低いが、風もなく登るにはちょうど良い。

   少し傾斜のある取り付き付近を過ぎると、その後は幅の広い雪稜を緩急を繰り返しながらひたすら登る。 さすがに人気のある山なので、多くの登山者によって踏み固められた明瞭なトレースがあり、順応不足の体にはとても助かる。 三日月が頭上でこうこうと輝き、ワンドイのシルエットが暗闇から浮かび上がってくる。 ペースは非常にゆっくりで、途中で何組かの若者を中心としたパーティーに道を譲る。 山の西側斜面を登るため山頂直下まで陽が当らなかったが、6時過ぎには周囲が明るくなり、昨日までに見えていた山々に加え、初めて拝む憧れのアルテソンラフ(6025m)、カラツ東峰(6020m)、カラツ西峰(6025m)、アルパマヨ(5947m)、キタラフ(6036m)などの山々のピークが淡く染まり始める。

   後続のアグリ達のパーティーとの差が開いてきたので、途中の休憩時にスキーを背負ったエルセリオに代わってロナウが私達のパーティーに入ったが、ロナウは何とGパンをはいていた。 島田さんのペースが非常にゆっくりでヤキモキする反面、歩きながら写真が沢山撮れて良かった。 ソフトクリームを重ねたような山頂方面に通じる雪稜の景観がユニークだ。 大きなクレバスのある山頂直下で、それまで雪稜に隠されていたチャクララフ(6112m)が見え始め、眼下にはブルーの水を湛えた神秘的なラグーナ69(湖)も見えた。


H.Cから氷河の取り付きまで僅かに登山道を登る


人気の山なので多くの登山者によって踏み固められた明瞭なトレースがある


ワンドイのシルエットが暗闇から浮かび上がってくる


黎明のカラツ東峰(中央右)とカラツ西峰(中央左)


アルテソンラフとアルパマヨ(左端)


朝焼けに染まり始めるワンドイ東峰(右)とワンドイ北峰(左)


休憩地点とそこから登り始めるアグリと平岡さん達のパーティー


山の西側斜面を登るため山頂直下まで陽が当らない


アマゾン側の雲海とコントライェルバス


ワンドイ東峰(右)・ ワンドイ北峰(中)・ ワンドイ西峰(左)


山頂手前の緩斜面


   山頂直下の急斜面を初めてスタカットで登り、8時半前に快晴無風の山頂に辿り着いた。 眼前にはピスコ東峰(5700m)と双耳峰のチャクララフが大きく迫り、プカフィルカ西峰(6039m)やコントライェルバス(6036m)なども遠望され、期待どおりのブランカ山群随一の大展望に興奮が覚めやらない。 私達のみならずロナウも初登頂となり、マックスから祝福されていた。 すでに他のパーティーは全て下山してしまったので、図らずも山頂は私達のパーティーだけで貸し切りとなった。 マックスと周囲の山々の山座同定を行い、写真を撮ったりビデオを回したりしながらアグリ達のパーティーを待つ。 初めて高所登山を経験する鈴木さんは相当疲れた様子だったが、中山さんや林ガイドと一緒に30分ほど後に山頂に着いた。 天気と展望が良かったのみならず、メンバー全員がこの素晴らしい頂に登頂出来て本当に良かった。


山頂直下の急斜面をスタカットで登る


ピスコの山頂


山頂から見たカラツ東峰(中央右)・ カラツ西峰(中央左)・ キタラフ(右)


山頂から見たワスカラン北峰(右)・ ワスカラン南峰(中)・ チョピカルキ(左)


山頂から見たアルテソンラフ(右)・ アルパマヨ(中)・ キタラフ(左)


山頂から見たピスコ東峰(右手前)・ アルテソンラフ(左)・ プカフィルカ西峰(中央奥)


山頂から見たチャクララフ


山頂から見たラグーナ69(湖)


ピスコの山頂での島田さん


ピスコの山頂での中山さん


ピスコの山頂での鈴木さん


全員が登頂したピスコの山頂


   結局、記念写真を撮り合ったりしながら1時間ほど山頂に滞在して下山する。 下りは私が先頭になる。 鈴木さんと林ガイドは山頂直下から氷河の取り付きまでスキーで滑ったが、雪質もちょうど良くて気持ち良さそうだった。 むろん私もスキーで滑りたかったが、本命のアルパマヨのために自重した(高所でのスキーは酸素を消費する)。 山頂から氷河の取り付きまで2時間足らずで下り、H.Cで装備を解いて荷物を整理してB.Cまで下る。 午前中の良い天気が嘘のように、午後に入ると天気が崩れ始め、いつの間にか上空は鉛色の空となった。 最後に浮石の多いザレた急斜面をモレーンの背まで100mほど登り返すことには閉口したが、雨に降られることなく3時前に快適なB.Cに着いた。 夕食もさることながら、おやつに出た炒りたてのポップコーンがとても美味しく、久々にお腹のことを気にせずに食べた。


スキーで滑降する林ガイドと鈴木さん


雪稜の中間部から山頂方面を振り返る


雪稜の下部から山頂方面を振り返る


氷河の取り付き


登山道を下ってH.Cに戻る


午後に入ると天気が崩れ始め、いつの間にか上空は鉛色の空となった


炒りたてのポップコーン


   7月10日、ようやく順応したのか、それとも疲れていたせいか、久々に朝まで熟睡出来た。 昨日の午後からの悪い天気は変わらず、小雪が舞い、早朝はピスコも霧に包まれていた。 今日がアタック日でなくて本当に良かった。 昨夜の打ち合わせどおり、朝食後にスタッフ達にチップを手渡すセレモニーを行う。 昨年同様、彼らの献身的なサポートには本当に頭が下がる思いだ。

   8時半過ぎにB.Cを出発。 天気は相変わらず曇ったままで、周囲の山々は見えない。 足を止めて写真を撮ることもなく普段のペースで下ったので、登山口のセボヤパンパのキャンプ場に僅か1時間半ほどで着いた。 相変わらず日本語の勉強に余念がないマックスに、林ガイドが持っていた電子辞書をプレゼントした。 迎えに来たエージェントの車に乗り、今日宿泊するワラスのホテルに向かう。 ユンガイの町まで悪路を揺られながら下り、その先の河原で下車してランチタイムとする。 2時にワラスに到着。 今日から2泊するワラスのホテル『コロンバ』は、高い塀に囲まれて入口の門も狭く、外見は冴えないが、中に入ってみると庭も広く開放的で、とてもリラックス出来る良いホテルだった。 各々の部屋に別れてシャワーを浴びて一息入れる。

   中山さん・鈴木さん・林ガイドが明日帰国するので、本来なら最終日にやる『パチャマンカ』の宴をスタッフ達と一緒に今晩行うことになり、夕方の5時に町外れのマックス家の別荘に行く。 パチャマンカとはケチュア語で“大地の鍋”を意味するこの地方の伝統的な料理方法で、地面に掘られた大きな竈の中にアルミホイルで包んだ肉や魚(トゥルーチャ)、そして色々な種類のイモと豆を熱く焼いた沢山の石やユーカリの葉と香草と共に埋め、蒸し焼きにするパーティー料理だ。 別荘の庭にある専用の調理場でホスト役のロナウ達がしている仕込みから制作過程を皆で興味深く見学する。 地面に埋めた食材が蒸し上がる頃にマックスの姉のベロニカや昨年お世話になったコックのラウルも会場に現れた。 ピスコサワーで乾杯し、美味しい料理に舌鼓を打ちながら皆で楽しい時を過ごす。 肉や魚はもちろんのこと、サツマイモの甘さが絶品だった。 流しのフォルクローレの演奏が途中から始まり、打ち上げの宴はさらに盛り上がった。 これも全員がピスコに登頂出来たお蔭だろう。


献身的なサポートをしてくれたスタッフ達にチップを手渡す


B.Cで全員の記念写真を撮る


普段のペースで登山口のセボヤパンパのキャンプ場に下る


ワラスのホテル『コロンバ』


地面に掘られた大きな竈で石を焼く


食材にする色々な種類のイモ


アルミホイルで包んだ肉や魚を竈の中に埋める


竈の中から蒸し上がった食材を取り出す


ラウルと再会する


蒸し上がった料理(魚の下がレタスで巻かれた鶏肉と牛肉)


ピスコサワー


ピスコサワーで乾杯し、皆で楽しい時を過ごす


流しのフォルクローレの演奏で打ち上げの宴はさらに盛り上がった


  【サンタクルス谷】
   7月11日、天気は下り坂だと思われたが、嬉しいことに晴れていた。 朝食のバイキングの内容も良く、三ツ星ホテルにしては上等だった。 8時半に帰国する中山さん・鈴木さん・林ガイドをホテルの玄関で見送ると、電子辞書のお礼か、ベロニカがお土産用にエクスプロランデス社のロゴが入ったトレーナーを持ってホテルにやってきた。 

  今日は丸一日休養日だ。 3人を見送った後、ホテルで休養されるという島田さんを残して、予定どおり平岡さんと妻と3人でモンテレー温泉に遊びに行く。 ワラスのダウンタウンのほぼ真ん中にあるホテルから、町外れにあるモンテレー温泉までタクシーで10分ほどだった。 車窓からはワスカランも良く見えた。 昨年行った山間のチャンコス温泉とは違い、とても垢抜けた感じで、客層もやや上品な人が多かった。 湯舟がある個室の風呂と、大きなプールがあり、入場料は2.5ソーレス(約100円)だった。 

   昼食は島田さんを誘い、4人で昨年も行ったお目当てのフランス料理の店など数軒を回ったが、日曜日のためかどの店もお休みで、カサ・デ・ギア(ガイド組合)近くの庶民的なイタリア料理の店に落ち着いた。 ダウンタウンのメインストリートの人通りも少なめだった。 午後はホテルのロビーに置かれていた無料のPCでネットを見たり、明日からの後半戦に備えて装備の点検と荷物の整理をして過ごす。 突然「ワーッ!」という歓声が上がり、花火の音がした。 どうやらワールドカップでスペインが優勝したようだった。 

   日本語の習得に余念がないマックスとアグリに、昨夏ワスカランで亡くなられた三井孝夫さん(マックスがご遺体を収容した)の遺作となった『西和用語集』のコピーをあげようと思いつき、ワラス大学の近くのコピーサービスの店に行く。 その足で夕食を食べに平岡さんと妻と3人で再びお目当ての店に行くと、そのうちの一軒がやっていたが、お昼が休みだったせいかワールドカップが終わったためか、店が非常に混んでいてなかなか注文した料理が出てこなかった。 平岡さんがクレームをつけに席を立つと、エイドリアンというエベレストなどで活躍している知り合いの若いガイドと店内でバッタリ出会った。 彼が率いる複数のパーティーも私達とほぼ同時期にアルパマヨに入山するとのことだった。


帰国する中山さん・鈴木さん・林ガイドをホテルの玄関で見送る


モンテレー温泉に向かうタクシーの車窓から見たワスカラン


モンテレー温泉


モンテレー温泉のプール


湯舟がある個室の風呂


人通りの少ないワラスのダウンタウンのメインストリート


カサ・デ・ギア(ガイド組合)


イタリア料理の店でランチを食べる


ホテルの中庭


   7月12日、天気は生憎の曇天だった。 今日は昼過ぎにホテルを出発し、エージェントのマイクロバスで明日からのアルパマヨとキタラフの登山に向けて登山口のカシャパンパ(3000m)という小さな集落に向かう予定だ。 正午にホテルでチェックアウトを済ませてから、昨日行き損なったフランス料理の店で、牛肉・鶏肉・魚介、そしてアイスクリームをクレープの生地で包んだ料理に舌鼓を打つ。 

   2時にガイドのマックスとアグリ、そしてロナウとホテルのフロントで落ち合い、いよいよ後半戦のスタートだ。 マックスとアグリに昨夜コピーした三井孝夫さんの『西和用語集』を手渡すと、意外なプレゼントにとても喜び、途中のカラツの町の商店に立ち寄って、いとも簡単に製本してしまった。 こんなことが出来る店がこの小さな町にあるのかと驚いたが、聞けば意外にもカラツの方がカルアスよりも大きな町とのことだった。 

   カラツの町外れから未舗装の山道に入る。 道の状態は今までの山道の中で一番良い。 途中にゲートはあったが、無人で開いていた。 ゆるやかな勾配で徐々に標高を稼ぎ、ワラスから正味2時間ほどで登山口のカシャパンパに着いた。 カシャパンパはブランカ山群で一番メジャーなトレッキングコースであるサンタクルス谷への入山口でもあるため、水洗トイレのある有料のキャンプ場があり、今日はそこで泊まる。 天気は回復せず、テントを設営していると小雨が降ってきた。 キャンプ場の周囲の集落には犬やニワトリ、ガチョウといった家畜が多く、夜中じゅう鳴き声がうるさかった。


色鮮やかなケーキ店のケーキ


牛肉をクレープの生地で包んだ料理


アイスクリームをクレープの生地で包んだデザート


登山口のカシャパンパ


サンタクルス谷の案内版


カシャパンパのキャンプ場


   7月13日、入山1日目はカシャパンパ(3000m)から今日の目的地のイチコーチャ(3850m)のキャンプ地までサンタクルス谷のトレッキングコースを辿った。 今日から私と妻と島田さんと平岡さんの4人のこぢんまりとした隊となる。 トレッキングコースの入口の国立公園の管理事務所(詰所)で入山手続きを行い、8時に出発する。 

  入山者の多くは今朝ワラスの町を発ってくるので、私達の前後に他のパーティーの姿はない。 先頭を歩くマックスは私達の歩みが遅いので、『西和用語集』を片手に見ながら歩いていた。 最初は暗く狭隘で勾配のあったトレイルも、谷を流れる沢と合流してからはほぼ平らとなった。 谷は上流にいくほど広くなり、明るく開放的になってきた。 

   カシャパンパから昼食を挟んで5時間ほどで、次のキャンプ指定地のヤマコラル(3760m)に着いた。 ヤマコラルには小さな臨時の売店もあった。 生憎の曇天で谷の両側に聳えているカラツ(6025m)やサンタクルス(6529m)の頂稜部は見えなかったが、ここからようやく待望のタウリラフ(5830m)の雄姿を谷の奥に望むことが出来た。 標識には『カシャパンパから9.2キロ/イチコーチャまで3.7キロ』と記されていた。 

   ヤマコラルから沢沿いにほぼ平らなトレイルを1時間ほど歩き、今日の目的地のイチコーチャの湖畔のキャンプ地に着く。 “コーチャ”とはケチュア語で湖のことであるが、水量は少なく一部が湿原化していた。 水辺にはカモやその他の水鳥の姿も見られ、癒される風景だった。 メジャーなトレッキングコースなので途中何組ものパーティーとすれ違ったが、先ほど通過したヤマコラルとこの先にタウリパンパという広いキャンプ指定地があるため、他にここで泊まるパーティーはなかった。


国立公園の管理事務所(詰所)で入山手続きを行う


サンタクルス谷のトレッキングコースの起点


最初は勾配のあったトレイルも谷を流れる沢と合流してからはほぼ平らとなる


小さな臨時の売店もあるキャンプ指定地のヤマコラル


ヤマコラルから見たタウリラフ(5830m)


イチコーチャは水量が少なく一部が湿原化していた


イチコーチャのキャンプ地


   7月14日、入山2日目はイチコーチャ(3850m)のキャンプ地からアルアイコーチャ谷にあるB.C(4300m)に向かう。 残念ながら今日は昨日よりもさらに天気が悪く、山は霧に煙っている。 島田さんはマックスと二人で先行し、私達は予定どおり8時に出発する。

  昨日に引き続き勾配の殆どないトレイルを歩く。 陽射しがなく涼しいので歩くにはとても快適だ。 30分足らずでハトゥンコーチャという湖が見えてきた。 イチコーチャとは違い水量は豊富だが、曇天なので湖面の色は全く冴えない。 思ったよりも大きかったハトゥンコーチャを過ぎると、ようやく青空も少しだけ覗くようになった。 サンタクルス谷はますます広くなり、谷の入口からは想像も出来ないほどの平らな牧草地となった。

   イチコーチャから2時間ほどで、B.Cのあるアルアイコーチャ谷へのトレイルとサンタクルス谷のハイライトであるウニオン峠(4750m)へのトレイルとの分岐に着く。 B.Cから下りてきたパーティーからの情報では、数日前から悪い天気が続き、一昨日はH.Cで停滞していた20名ほどの登山者が(アルパマヨに)一斉に登ったため、落氷で顔などに怪我をした人もいたようだった。 

   分岐でしばらく休憩してからサンタクルス谷を離れ、B.Cに向かってジグザグに切られた登山道をゆっくり登る。 分岐から標高差で250mほど一気に登るとアルアイコーチャ谷に入り、再び平らな草原となった。 晴れていればここからアルパマヨとキタラフが一望出来るとのことだったが、今日はどちらも終始雲の帽子を被っていた。 

   正午前にイチコーチャから3時間半ほどで広く平らな牧草地の片隅にあるB.Cに着いた。  もう少し先にも快適なテントサイトがあるらしいが、湿っぽくて蚊が多いとのことで、こちらにテントが設営されていた。 今日は歩行距離も9キロと、昨日の3分の2くらいの労力で済んだので楽だったが、B.Cに着いたとたん小雨が降り出し、不安定な天気が今日も続いた。

   B.Cのキッチンテントで昼食を食べる。 順応もだいぶ進んできたので、食欲が旺盛になっているが、今日からはまた腹八分目にしておく。 午後は雨(山は雪)が降ったり止んだりしていた。 新雪が積もった状態ではアタック当日の天気が良くてもアルパマヨは登れないので、明日以降は天気が続いてくれることを祈る。 夕食前にH.Cで食べるアルファー米とカレー等のレトルト食品の配給があった。


ハトゥンコーチャ


ハトゥンコーチャを過ぎても谷は広かった


B.Cへ荷物を運ぶロバ


サンタクルス谷を離れ、アルアイコーチャ谷をアルパマヨB.Cへ登る


眼前に見えるはずのアルパマヨの頂は終始雲の帽子を被っていた


B.Cに着いたとたん雨が降り出し、不安定な天気が今日も続いた


食べ始めると止まらない炒ったトウモロコシ


夕食のチキンのクリームソース和え


  【アルパマヨ】
   7月15日、入山3日目はB.C(4300m)から氷河の取り付きの手前にある通称『キャンプ・モレーナ』(4900m)に登る。 今日は久々の快晴で、早朝から山を眺めて興奮しながら写真を撮りまくる。 眼前には憧れのアルパマヨとキタラフが並んでその雄姿を惜しみなく披露し、サンタクルス谷を挟んでアルテソンラフ(6025m)やパロン(5600m)の尖峰も見えた。 

   今日こそは乾期らしい快晴の天気が一日中続くと思われたが、まだまだ天気は安定していないのか、8時半にB.Cを出発した時は早くも少し雲が広がり始めていた。 B.Cの外れに古い避難小屋があり、そこからジグザグの登山道となった。 良く踏まれた登り易い登山道1時間ほど登ると思いがけずプカフィルカ(6039m)やリンリフィルカ(5810m)、そしてその懐に抱かれたエメラルドグリーンの氷河湖(アルアイコーチャ)が見えるようになり、酸欠で重たい足取りが急に軽くなった。 

   登山道は終始とても登り易く、最後は大小の岩が積み重なったモレーン帯を少し登り、B.Cから2時間半ほどで今日の目的地のキャンプ・モレーナに着いた。 高所に順応していれば一日で楽にイチコーチャからB.Cを経てここまで登れるだろう。 キャンプ・モレーナには岩盤上の僅かな平らなスペースを巧みに利用したテントサイトが所々に見られた。 アルパマヨの頂稜部が頭上に大きく迫り、ロケーションは素晴らしい。 もちろん、キタラフやアルテソンラフも見える。 何組ものパーティーが次々と下山してきたが、果たして皆登頂出来たのだろうか?。

   早朝の青空が嘘のように今日も午後から次第に天気が崩れ始め、昼食を食べ終わると間もなく小粒の霰が降ってきた。 マックスとアグリ、そしてエルセリオがスノーバー等を使ってテントサイトを巧みに整地していたが、毎度のことながら彼らの土木技術には驚かされる。 キャンプ・モレーナは実質的にはH.Cだが、メンバーが4人なのでB.Cと同様にテントは2人で使え、風もなく快適に過ごせた。 夕方になると少し天気が回復し、夕食はペルーの伝統的な家庭料理のダルバートを外の石のテーブルで食べる。 夕食後は素晴らしい夕焼けの景色を堪能出来た。  夜中に動悸と軽い頭痛で4〜5回目が覚めた。 B.Cとは僅か600mの標高差しかないが体は正直だ。 まだ順応が出来ていないのかと嫌になる。


B.Cから見たアルパマヨ(右)とキタラフ(左)


B.Cから見たアルパマヨ


B.Cから見たキタラフ


B.Cから見たアルテソンラフ(右)とパロン(左)


B.Cの外れにあった古い避難小屋


アルアイコーチャ谷


プカフィルカ(左)とリンリフィルカ(右) 氷河湖(アルアイコーチャ)


キャンプ・モレーナから見たアルテソンラフ


キャンプ・モレーナから見たキタラフ


キャンプ・モレーナから見たアルパマヨ


キャンプ・モレーナのテントサイト


スノーバー等を使ってテントサイトを巧みに整地する


ペルーの伝統的な家庭料理のダルバート


素晴らしい夕焼けの景色を堪能する


   7月16日、入山4日目はキャンプ・モレーナ(4900m)から氷河上のH.C(5400m)に登る。 昨夜の夕焼け空はあてにならず、早朝から小雪が舞っていた。 テント内の気温も3度と冷え込んでいた。 この分では明日のアタックも天気に悩まされそうだ。

  天気は少し良くなり、キャンプ・モレーナを8時過ぎに出発する。 氷河の取り付きまで僅かに岩場を登り、取り付きからアイゼンを着け、アグリに島田さんと平岡さん、マックスに妻と私がそれぞれアンザイレンして明瞭に印されたトレースを辿る。 勾配の緩い斜面をトラバース気味に登るが、島田さんのペースが遅いので疲れる。 最初は暑いくらいの陽射しがあったが、次第に再び曇りがちの天気となった。 今日も不思議と風は全くない。 氷河の取り付きから2時間ほど登ったセラック帯直下の平坦地で休憩し、アルパマヨとキタラフを繋ぐ稜線上のコルに向けてセラックの間を縫うように登る。 最後にコルの直下の急斜面をスタカットで1ピッチ登ると、眼前に写真で見たアルパマヨの南西壁が神々しく望まれた。 明日はあの雪壁の真ん中を直登するということか。 そのあまりの迫力に、気後れするというよりも現実味が湧かなかった。 以前はこのコルがH.Cとして使われていたが、今は氷河の状態が不安定なので、コルを越えて少し下った平坦地がH.Cになっているとのことだった。

   コルから標高差で100m近く下り、キャンプ・モレーナから5時間ほどで今日から4泊するH.Cに着いた。 アルパマヨとキタラフを登らない妻はここが今回の最終到達地点となる。 ハイシーズンなのでテントの数もそれなりにあり、アルパマヨの南西壁を下降している登山者が肉眼でもはっきり見える。 H.Cは広く平らで住環境も良いばかりか絶好のロケーションを誇っており、曇天ながらキタラフもその全容を現し、サンタクルスの頂稜部も初めて見えた。 アルパマヨから登頂者が下山してくると、敬意を表してテントサイトから自然と拍手や歓声が上がる。 登れた人の表情もちょっと誇らしげだ。 

   スタッフが作ってくれたスープを飲み終えると、平岡さんから登山者が意外と多いので、明日は渋滞を避けるために2時に出発するとの指示があった。 当初予定していたフィックスロープは張らずに、終始ダブルアックスで登るとのことで、にわかに緊張が走った。 パーティーの編成はアグリがトップで私と平岡さん、後続にマックス、島田さん、ロナウとなった。 セカンドは2本のロープで並行しながら同時に登攀する方式だ。 以前は『フェラーリ・ルート』という南西壁の中央左の一般ルートを直登したが、数年前に稜線の雪庇が崩壊してからはルートの状態が悪くなり、現在ではその当時上級グレードとされた『フレンチダイレクト・ルート』という南西壁の中央を真っ直ぐ山頂に突き上げるルートが一般ルートになっているとのこと。 天気は相変わらず不安定で、夕方から雪が舞い始めたが、一方で燃えるような夕焼けとアーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨを見ることが出来た。 雪は小降りであるがなかなか降り止まず、たぶん明日のアタックは中止になるのではないかと(そうなれば次のキタラフのアタックも自動的になくなる)思った。


キャンプ・モレーナから見たアルパマヨ


氷河の取り付き付近の明瞭に印されたトレースを辿る


アルパマヨとキタラフの間のコルに向けて登る


キタラフを正面に見ながらトラバース気味に登る


アルテソンラフ(右奥はワスカラン)


アルパマヨとキタラフの間のコルの手前のセラック帯


コルの直前の急斜面をスタカットで1ピッチ登る


コルから見たアルパマヨの南西壁


H.Cから見たキタラフ


燃えるような夕焼け


アーベンロートに染まるアルパマヨの南西壁


   7月17日、予想どおり軽い頭痛と動悸で殆ど眠れないまま零時半に起床する。 当初からこの高度で4泊しなければならない妻のことが心配だったが、逆に私よりも体調は良さそうで安堵する。 アルファー米を少量ずつゆっくり食べ、無理やり用も足す。 雪は降り止んだが星は見えず、天気の予想は全くつかない。 今日は登攀に集中するためカメラをザックにしまった。

   留守番役の妻に見送られ、渋滞を避けるため予定どおり2時に出発したが、すでに先行パーティーのヘッドランプの灯りがいくつか上に見えた。 頂上に至る雪壁の基部にある巨大なシュルントまでは明瞭なトレースを辿る。 次第に勾配が急になり緊張感が高まってくるが、昨日の降雪の影響はなさそうで安堵する。 今日も不思議と風は全くない。 予想どおりシュルントの縁を越える所が非常に困難で、先行パーティーで渋滞していた。 核心部は僅か数メートルであるが、かぶり気味の雪壁に暗さが手伝って初見では正しいルートを見極めるのは大変だ。 30分以上も待たされ、寒さと高度の影響で足の指先が冷たくなってくる。 穏やかなアグリもしびれを切らして強引に割り込み、平岡さんがそれに続く。 私も上から確保されながら両手のバイルを頭上に深く打ち込み、垂壁を強引に乗り越える。 結局ここが今日一番の難所で、ここで敗退したパーティーもいた。 

   シュルントから先では常に傾斜が50度を超え、山頂まで終始ダブルアックスでの登攀となった。 トップのアグリが60mのダブルロープ一杯で登り、私と平岡さんが各々1本ずつのロープで確保されながら同時に登攀する。 アグリの待つビレイポイントに着くと、セルフを取り、休む間もなくアグリを確保するために2本のロープを繰り出す。 足場が不安定なこともあり、6000m近い高度ではこの作業だけでも大変だった。 酸素の供給が追いつかず、足の指先の冷たさが治らない。 先行パーティーとアグリが落とす雪や氷の塊が容赦なく頭や肩、そして腕や足に断続的に当たる。 ヘルメットを被っていても頭にたんこぶができ、ムチ打ち症になるほどの衝撃だ。 間もなく先行している2パーティーのうち、男女のペアのパーティーを追い抜く。 周囲が明るくなり朝焼けが始まったが、落雪(氷)はますますひどくなり、写真を撮るどころではない。 平岡さんも右手首を痛烈に打撲した。 天気はあまり良くないが、相変わらず風がないのが幸いだ。 気温も少し上昇したのか、ようやく足の指先の冷たさからも解放された。 頂上稜線が見え始めた頃に先行パーティーを追い抜いてトップに立つ。 最終ピッチでアグリがあと20分で山頂だと励ましてくれ、ようやく登頂を確信した。

   合計8ピッチの刺激的な登攀を終えると、『フレンチダイレクト・ルート』の名称どおり終了点がそのまま猫の額ほどの狭い山頂だった。 陽射しは感じるが霧が山頂付近を覆い、楽しみにしていた大展望は叶えられなかったが、世界一美しい山の頂に辿り着けただけで充分満足だった。 山頂には9時少し前に着いたので、H.Cからは7時間弱を要した。 アグリと平岡さんに喜びと感謝の気持ちを体全身で伝え、仁王立ちして登頂の余韻に浸る。 無線でH.Cいる妻に登頂の喜びを伝えると、妻も下から双眼鏡で登攀の様子を眺めていたとのこと。 間もなく山頂に着いたアメリカ人のパーティーと登頂を称え合い、お互いの写真を撮り合った。 風もなく穏やかだったので、霧が晴れることを願いながら山頂で後続の島田さんのパーティーを待つ。 10時半過ぎになってようやく島田さん達が到着し、皆で記念写真を撮って早々に下山する。 ようやく少し霧が晴れてキタラフや足元のH.Cが見えた。 下りはバイルをザックにしまい、全て懸垂下降で下る。 相変わらず下りも落雪(氷)に悩まされ、最後の最後で手の甲を痛烈に打撲し、もうこれでキタラフは駄目かなと思った。 島田さんもスネをやられたらしい。 

   午後の1時半過ぎに留守番役の妻に出迎えられ、テント村からの熱い視線を感じながら誇らしげにH.Cに下山する。 結局私達以外に今日山頂まで登ったのは2パーティーだけだった。 妻も相変わらず元気な様子で安堵した。 装備を解いてから早速妻に今日の出来事を詳しく報告する。 夕方になるとまた雪が舞い始め、日没後はかなりの降雪があった。 夜半にはスタッフ達がテントの周りの雪かきをしてくれた。


H.Cを2時に出発する


H.Cから見たアルパマヨの南西壁(中央上の黒い点々が登山者)    <妻の撮影>


H.Cから見たアルパマヨの南西壁    <妻の撮影>


アルパマヨの山頂


アルパマヨの山頂    アグリ(左)と平岡さん(右)


アルパマヨの山頂に辿り着いた島田さん


アルパマヨの山頂    右からマックス ・ 私 ・ 島田さん ・ アグリ ・ ロナウ


下りは全て懸垂下降で下る


アルパマヨの山頂から見たキタラフ


核心となった雪壁の基部にある巨大なシュルント


キタラフを眺めながら誇らしげにH.Cに下る


H.Cのテント村


妻に出迎えられH.Cに下山する


アグリと喜びを分かち合う


  【キタラフ】
   7月18日、H.Cで泊まるのは昨晩で2日目だったが、アルパマヨの登攀で酸素を使い過ぎたため、夜中は再び軽い頭痛で何度も目が覚めた。 体も火照っている感じだ。 幸いにも手の甲の打撲は内出血だけで済んだ。 昨日の夕方から夜にかけてまた雪が降ったが、意外にも今日は早朝から快晴の天気になった。 昨日アグリが「明日も続けて登りますか?」と冗談交じりに言ったことが本当になった。 レスト日が登山日和になってしまって悔しいが、アルパマヨとキタラフ、そしてキタラフの稜線越しに見えるサンタクルス(6241m)の頂稜部の写真を撮りまくる。 天気が良いのでアルパマヨを登っているパーティーの姿が良く見える。 良くあんな所を登ったものだと今更ながら感心する。 マックスは今朝キタラフに2人登って行くのを見たという。 他の外国人のパーティーも殆どがアルパマヨだけを登り、キタラフのみ、あるいはその両方を登るパーティーは殆どいないようだ。 

   スタッフ達がテントサイトの傍らに雪のテーブルと椅子を作ってくれたのでそこで三々五々寛ぐ。 今日の好天と関係があるのか、山深いH.Cに次々と登山者がやってくる。 私達のパーティーを含めるとその数はおよそ30人くらいとなり、あらためてアルパマヨの人気の高さを実感した。 先日ワラスで出会ったガイドのエイドリアンもお茶を飲みにやってきた。 明日のキタラフへの登攀ルートがここから良く見えるためか、マックス達は偵察には行かなかった。 アルパマヨでの登りの所要時間を考慮して明日の出発時間は1時間早い1時となった。 不安定な天気の周期もようやく終わり、今日こそは一日中晴天が続くと思われたが、予想に反して午後から天気は下り坂となり、3時前から再びまるで夕立のように雪が舞い始めた。

   テントの中で20分毎に深呼吸を行い、少しでも酸素を蓄えるように努める。 足の指先の痛みはすでに解消していたが、血行が良くなるように指先を揉んでおく。 これまでの疲れと睡眠不足で、左目の奥に僅かな痛みがある。 雪は夕方になっても降り止まず、明日のアタックが懸念された。 当初から危惧していたとおり、5400mの高度のレストでは順応よりも消耗する方が大きい。 5時にレトルトのカレーとアルファー米を食べ、6時には横になったが、3日目の今晩も軽い頭痛と動悸で何度も目が覚め殆ど眠れなかった。


H.Cから見たアルパマヨ


H.Cから見たキタラフ


H.Cから見たサンタクルス(左から南峰 ・ チコ ・ 北峰)


スタッフ達が作ってくれた雪のテーブルと椅子


山深いH.Cに次々と登山者がやってくる


   7月19日、零時前に起きると、奇跡的と思えるほど満天の星空になっていた。 しかも今のところ風は全くない。 半月がこうこうと頭上で輝いている。 朝食のアルファー米を食べる。 ありがたいことに今日も快便だ。 妻やスタッフ達に見送られて1時過ぎにH.Cを出発する。 パーティー編成は昨日と同じだ。 雪壁の取り付きまでは雪原を緩やかにしばらく下った後、緩やかにだらだらと登っていく。 今日は先行パーティーはいない。 マックスが言っていたとおり昨日は1パーティーだけキタラフに登ったようで、10センチほどの新雪があったにもかかわらず、所々に微かな踏み跡が残っていた。 アグリが先頭でラッセルしながら進むのでペースはゆっくりだ。 緩やかな雪原をしばらく登っていくと幅の広い雪稜の末端となり、ジグザグを切りながら標高を稼いでいく。 

   H.Cから1時間半ほどで雪壁の取り付きに着いた。 一昨日のアルパマヨと同様に取り付きには複雑な地形をしたクレバスがあり、暗闇の中をアグリが安全なルートを模索している間、しばらく待たされる。 気温はマイナス10度くらいだろうが、高度の影響で足の指先が冷たくなってくる。 セカンドの私とラストの平岡さんが入れ替わり、際どいクレバスの縁を上からアグリに確保されながら平岡さんとコンテで足早に駆け登る。 意外にもいつの間にか他のパーティーが追いついてきたが、何故かクレバスの手前で引き返していった。 クレバスを越えると傾斜が急になり、そこから頂上稜線まで終始ダブルアックスでの登攀となった。 登攀のシステムはアルパマヨと全く一緒だが、アルパマヨはシーズン初めにガイドたちが要所要所にビレイポイントを設けてそれを利用するが、キタラフにはそれがないため、1ピッチごとにスノーバーを打ち込んでビレイポイントを設けなければならず、必然的に登攀時間が長くなる。 雪壁の傾斜は45度から50度くらいでアルパマヨに比べると楽で、また登山者が少なくルートが荒れていないので、雪は落ちてきても氷の塊が落ちてくることはなかった。 昨夜の新雪の影響も全くなく、雪壁のコンディションは良い。 一方、待ち時間が長くなるので足の指先が痛くなり、今日も凍傷の心配ばかりしていて嫌になる。  

   雪原を隔てて、アルパマヨを登っている登山者のヘッドランプの灯りがまるで星座のように見えて面白い。 次第に夜が白み始め、アルパマヨやサンタクルスの黒いシルエットが闇から浮かび上がってくる。 取り付きから4ピッチ目に入ると東の空が茜色に染まり始め、今回の山行中で一番美しい朝焼けの景色が見られた。 ビレイ中なので写真を撮ることは出来なかったが、その荘厳な美しさにセブンサミッターの島田さんも下山後に“未だかつてない美しい朝焼け”と評していた。 サンタクルス(6241m)の頂稜部が朝陽に染まり、間もなくプカフィルカ(6039m)の山頂からのご来光となった。 遠くタウリラフ(5830m)もすでに目線の高さになった。 足場の悪いビレイポイントで細心の注意を払って写真を撮り、サングラスをかけて一息入れる。 頂上稜線も視野に入り、あと2〜3ピッチで稜線に届くことが予見された。 強烈な陽射しで体も暖まり、足の指先の心配からもようやく解放された。

   6ピッチ目に入った時、突然“ドスン”と体に強いショックを感じてハッと目が覚めた。 ビレイポイントでセルフビレイを取っていたスリングが伸び切り、それに体を完全に預ける形で後ろにのけぞっていた。 一瞬自分でも何が起こったのか分からなかった。 すぐ近くにいたマックスは、私に大きな落氷が当たったのではないかと心配してくれたが、数秒後にロープを繰り出しながら居眠りをしていた事が分かり愕然とした。 酸欠により疲労が蓄積していたことに加え、体が暖まって気持ちが緩んだことが原因だった。 トップのアグリを巻き込まなくて良かったと思ったのも束の間、手の指先と甲が熱くビリビリと痺れ始めた。 痺れはみるみる増幅し、体全体に回りそうな勢いで、まるで感電しているような感じだった。 明らかに過呼吸による高山病の症状だ。 呼吸をあまりせず、無意識にロープを繰り出していたせいだろうか。 平岡さんに症状を説明し、アグリの確保を代わってもらう。 テルモスの紅茶を何杯も飲んでから、雪壁に体を預けてゆっくり深呼吸を繰り返す。 平岡さんから他に高山病の症状が出ていないか訊かれ、両目がそれぞれ見えているかとか、頭が働いているかとかといった基本的な確認をあらためて行う。 平岡さんから上に行くほど症状は悪くなるので、症状が良くならなければH.Cへ下山することを勧められた。 症状の変化をつぶさに観察しながら進退について真剣に思い悩む。 この程度のことで下山してはこの先8000m峰の登頂はおぼつかないし、だからと言って高山病を甘く見てはならない。 今回はマンツーマンだったことが救いだ。 休んでいる間に島田さんが下から追いついてきた。

   20分ほどでようやく痺れが弱まってきたので、様子をみながら登り続けることにした。 ありがたいことに手や足は正常に動き、呼吸も苦しくなかった。 手の痺れ以外は体が正常に機能することが分かり自信が持てた。 それまでの半分以下のペースで這うように1ピッチ登ると、逆に呼吸が促進されて痺れはほぼなくなった。 図らずも次の8ピッチ目で稜線上の小さなピークに辿り着いた。 アルパマヨの眺めが素晴らしいが、いつの間にか霧が周囲を覆い始めていた。


 

1時過ぎにH.Cを出発する


H.Cから見た未明のキタラフ <妻の撮影>


黎明のアルパマヨ


H.Cから見た朝焼けのサンタクルス <妻の撮影>


朝陽に染まるサンタクルスの頂稜部


H.Cから見た朝陽に染まるキタラフの頂稜部 <妻の撮影>


プカフィルカの山頂からのご来光(右端がタウリラフ)


アルパマヨ


5ピッチ目をリードするマックス


6ピッチ目をリードするアグリ


サンタクルス南峰


   雪庇の発達した頂上稜線には新雪が数10センチ積り、100mほど先に見える山頂までまだ相当時間が掛かりそうに思えた。 すでに10時半になり、H.Cを出発してから9時間以上が経過していたので、もしかしたら今日はここで終了かと思ってアグリに訊くと、意外にも山頂まで10分で着くとのことでにわかに嬉しくなった。 小さなピークから僅かに山頂側に下るとちょっとした平らなスペースがあり、しばらくそこでゆっくり休憩して英気を養う。ザックをデポし、ここからはマックスを先頭に1本のザイルで6人が繋がり、要所要所に青い小旗(ワンド)を立てながら指呼の間の山頂に向かう。 新雪のラッセルは見た目ほどではなく、アグリが言ったとおり山頂の雪庇の基部まですぐに着いた。 雪庇の基部でロナウがマックスを確保し、マックスが10mほど先の山頂に慎重にトレースをつける。 11時半に猫の額ほどの狭い山頂に全員が寄り添うように乗っかり、肩を叩き合って登頂の感激を分かち合う。 生憎の霧で山頂の向こう側に見えるはずだったアルテソンラフやチャクララフ、ワンドイなどの山々の展望は叶わなかったが、一度は諦めかけた山に登れたことでアルパマヨ以上に感動した。  

   記念写真を撮り終えると雪庇で不安定な山頂を辞してザックをデポした場所で再びゆっくり休憩する。 雲が多いのが玉にキズだが、アルパマヨやプカフィルカ、そしてサンタクルスの眺めが圧巻だ。 12時半に重い腰を上げて下山を開始する。 バイルをザックの中にしまい、小ピークから雪壁の取り付きまで全て懸垂下降で下る。 間もなく下から登ってくるパーティーと行き違ったが、彼らは時間切れで稜線上の小ピークまでしか登らなかったようだ。 夕方の4時前にようやくクレバスを越えて雪壁の取り付きに着いた。 予定よりも下山が大幅に遅れたため、テントキーパーのスタッフ達が気を利かせて食べ物と飲み物をH.Cから運んできてくれた。 すでに水もなくなり、雪を拾いながら口に含んでいたのでありがたかった。 しばらく寛いでから島田さんのリクエストでH.Cまでの勾配の緩やかな雪原を足早に歩き、5時に留守番役の妻が首を長くして待つH.Cに着いた。 

   一日中無事を祈り続けていた妻と抱擁し、アグリ、マックス、ロナウ、そして平岡さんと島田さんと再び力強く握手を交わし合って登頂の喜びを新たにする。 間もなくまた小雪が舞い始めたが、アーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨの姿を堪能することが出来た。 14時間にも及ぶ行動で疲れ果てていたが、テントの中で夕食を食べながら今日の出来事をつぶさに妻に報告する。 昨年に続き、計画していた3つのピークの全てに立つことが出来て本当に幸運だったとしみじみ思うと同時に、私に付き合って4日間も低圧の過酷な環境に耐えてくれた妻には本当に頭が下がる思いだった。


雪庇の発達したキタラフの頂上稜線


キタラフの山頂へマックスが慎重にトレースをつける


キタラフの山頂から見たアルパマヨ


猫の額ほどの狭いキタラフの山頂


キタラフの山頂から見た頂上稜線


小ピークから見たサンタクルス


小ピークから振り返り見たキタラフの山頂


小ピークから雪壁の取り付きまで全て懸垂下降で下る


クレバスを越えて雪壁の取り付きに着く


雪原から見たアルパマヨ


H.Cから見たキタラフ <妻の撮影>


H.Cに下山する


アーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨ


   7月20日、疲れていたせいか、それとも順応したのか、夜中に頭痛や動悸で起きることもなく朝を迎えたが、両目の瞼が見事に腫れ上がっていた。 今日も朝から快晴の天気となり、すでにアルパマヨには何組ものパーティーが取り付いていた。 今日はB.Cまでの半日行程なので、ゆっくりと帰り支度をして10時過ぎにH.Cを発つ。 アルパマヨとキタラフの間のコルまで標高差で100mほど登り返し、記念写真を撮り合いながら最後の展望を楽しむ。 コルからは急斜面のセラック帯を2ピッチ懸垂下降し、氷河の取り付きに向けて明瞭なトレースを下る。 今日も何組かのパーティーがH.Cに向けて登っていく。 氷河の取り付きでザイルを解き、岩場を僅かに下ったキャンプ・モレーナでスタッフ達が用意してくれたランチを車座になって食べる。 モレーン・キャンプからジグザグの登山道を一気に下り、僅か1時間ほどでB.Cに着いた。 

   スタッフ達が用意してくれた洗面器のお湯で体や足を洗い、着替えをしてからのんびりと暖かいテントの中で寛ぐ。 次はここに登っておいでと言わんばかりにアルテソンラフが良く見える。 おやつに用意された炒りたてのポップコーンが今日は一段と旨い。 夕食は期待どおりロナウが手の込んだ料理とデザートのケーキを作ってくれた。 もうお腹のことを気にせず、食べたいだけ食べられるのが嬉しい。 今回も私達のために献身的に尽くしてくれたスタッフ達にお礼をしたいという島田さんの提案で、明日の晩にワラスのレストラン『モンテローザ』でスタッフ達と合同の打ち上げをすることになった。


今日も朝から快晴の天気となった


アルパマヨとキタラフの間のコルまで標高差で100mほど登り返す


アルパマヨとキタラフの間のコルから見たアルパマヨ


アルパマヨとキタラフの間のコルから見たリンリフィルカ(中央左)とタウリラフ(中央右)


コルからは急斜面のセラック帯を懸垂下降する


ザイルを解き、キャンプ・モレーナに着く


B.Cに下り、テントでのんびりと寛ぐ


デザートのケーキ


   7月21日、今日も未明から快晴の天気となり、早起きしてモルゲンロートに染まるアルパマヨとキタラフの雄姿を目に焼き付ける。 当初の計画では、今日は登山口のカシャパンパ(3000m)まで往路を戻ることになっていたが、タウリラフ(5830m)を間近に望むタウリパンパ(4200m)に是非行きたいという私の強い希望で島田さんに了解をいただき、1時間ほど時間を割いてタウリパンパを経由して行くことになった。 まだ薄暗いB.Cを6時半過ぎに発ち、往路を少し戻ってからサンタクルス谷へ下るジグザグの登山道の直前から左に入る踏み跡を辿ってトラバース気味にタウリパンパに向かう。 1週間前にB.Cに入った時は天気が悪く、展望もなかったが、今日は今のところ雲一つなく、背後のアルパマヨとキタラフは言うに及ばず、眼前のアルテソンラフ(6025m)やパロン(5600m)の眺めが素晴らしい。 B.Cから1時間少々で広々としたキャンプ指定地のタウリパンパに着く。 生憎の逆光で、しかも陽がまだ低いため、タウリラフの写真が上手く撮れないのが残念だったが、そのストイックな山容は正にブランカ山群の山を象徴しているかのようだった。 タウリラフを登ることは非常に困難で、日本の先鋭的なクライマーも数人しか登っていない。 アグリは以前、山頂目前で登攀不能になったことから、同峰を“心の山”と呼んでいた。 タウリパンパから仰ぎ見たタウリラフは一幅の絵のようで、この先の名勝ウニオン峠(4750m)まで行くことは叶わなかったが、今回の山行のフィナーレに相応しい風景だった。 あとは登山口のカシャパンパに向けてサンタクルス谷を20キロほどひたすら歩くだけだ。

   ハトゥンコーチャ(湖)を眼下に望みながら歩いていると、少し離れて最後尾を歩いていたアグリが無線機を片手に血相を変えてマックスと一緒に歩いていた私達のところに走ってきた。 単独の登山者(後でアルゼンチンのガイドと判明)が今朝アルパマヨで滑落してすでに死亡し、これに巻き込まれた後続のパーティーの3人が大けがをしたので、その事後処理のため急遽これからH.Cに戻らなければならないとのことだった。  マックスとアグリには明日再会することを誓って別れ、私達だけでカシャパンパへ下ることになった。 ハトゥンコーチャ、イチコーチャ、そしてキャンプ指定地のヤマコラルから何度も後ろを振り返り、タウリラフに別れを告げる。 今日は午後になっても天気は崩れず、終始陽射しが強かったが、好天をもたらすという西からの風が初めて吹き、暑さから救ってくれた。 ヤマコラルを過ぎると、今朝ワラスを発ったと思われる登山者やハイカー達が続々と登ってきた。 後発のロナウやその他のスタッフ達は滑落事故の影響で私達になかなか追いつかず、登山口のカシャパンパの直前でようやく合流して遅い昼食となった。 カシャパンパでは他の隊のコックとして働いていたラウルと再会した。 カシャパンパを出発したのは4時だったが、運転手が車を飛ばしてくれたので6時にワラスに着いた。 計画していたスタッフ達との打ち上げはもちろん中止となり、私達と平岡さんだけでレストラン『モンテローザ』でフォルクローレの生演奏を聞きながら、ささやかに山行の打ち上げをした。


アルパマヨ(右)とキタラフ(左)の頂に朝陽が当たる


B.C付近から見たアルパマヨ


B.C付近から見たアルテソンラフ


タウリパンパに向かうトラバース道から見たパロン


タウリパンパから見たタウリラフ


タウリパンパ付近から見たキタラフ


タウリパンパ付近から見たアルテソンラフ


サンタクルス谷


サンタクルス谷から見たアルパマヨ


ハトゥンコーチャ付近から見たキタラフ


ハトゥンコーチャ


ハトゥンコーチャから見たタウリラフ


イチコーチャ


イチコーチャから見たタウリラフ


キャンプ指定地のヤマコラル


カシャパンパでラウルと再会する


カラツに下る車道から見たサンタクルスの頂(サンタクルス谷からは見えない)


『モンテローザ』でささやかに山行の打ち上げをする


   7月22日、今日も早朝から雲一つない快晴の天気となる。 昨日の西風で今度こそいつもの乾期の気候に戻るのだろうか、今シーズンは登頂は叶ったものの本当に天候が不順だった。 今日は昨年と全く同じスケジュールで午前中にワラスを発ち、エージェントのバスに乗ってコノコーチャ峠を経て太平洋に下り、バランカの町の海岸のレストランで昼食を食べてリマの邦人が経営する民宿『ポコアポコ』でお土産を買い、深夜の便でリマを発つ予定だ。 8時に眠い目をこすりながらマックスとアグリ、そしてロナウとスタッフ達がホテルに私達を見送りにやってきてくれた。 マックスとアグリは一晩中かけて怪我人をカシャパンパまで搬送し、朝の3時にワラスに戻ったとのことだった。 亡くなった登山者は警察の実況見分があるためH.Cに安置してきたという。 ペルーでは山岳救助にヘリは使わず、全て人力で行うとのことだった。 事故の発生により、H.Cにいた全てのパーティーは登山活動を止めて下山したとのことで、結果的に今回は紙一重の登頂となった。 ホテルの庭先でお世 話になったスタッフ達一人一人にチップを手渡し、再会を誓い合いながら別れを惜しんでリマに向かうバスに乗り込んだ。

   イエルパハ(6634m)が見えるコノコーチャ峠の手前でバスを降り、最後のブランカ山群の山並みを目に焼き付ける。 昨年と今年の2回しか訪れていないが、ブランカ山群の体系や山の名前も良く分かるようになった。 次回またブランカ山群を訪れる機会があれば、チョピカルキやアルテソンラフを、そしてワイワッシュ山群を訪れる機会があれば、イエルパハ・ヒリシャンカ・シウラの垂涎の三山を眺めながらラサック(6017m)を登ってみたいと思った。


ホテルの庭先でお世話になったスタッフ達と再会を誓う


ワラスの町から見たワスカラン


コノコーチャ峠から遠望したブランカ山群の山並


山 日 記    ・    T O P