ボリビアの山旅

  【ボリビアアンデス】
   南米ペルーの『ブランカ山群』 ・ ・ ・ スペイン語で“ブランカ”は白を意味する。 何がきっかけでこの山域の山々に特別の興味を抱くようになったのか、正確な記憶は不思議と無い。 ただ、天候に恵まれたとは言え、2007年の夏にマッキンリーという色々な意味で大きな山に登れたことがその背景にあったことは間違いないような気がする。 日本ではあまり知られていないこの山群の魅力や登山事情を知り得たのは、昨今では当たり前となっているインターネットからの情報に他ならなかった。 2000年の夏から8シーズン連続して通ったヨーロッパアルプスにはまだ登りたい山はいくつかあるが、未知への興味が優先し、ブランカ山群への憧れはそれを凌駕したようだった。

   ところで『ブランカ山群』とは、南米大陸の西部を南北に約4000kmにわたって縦断するアンデス山脈の一部で、ペルーの北西部を南北に約185kmの長さで連なり、最高峰のワスカラン(6768m)を筆頭に6000m峰を27座、5000m峰を80座ほど擁する大きな山群である。 尚、ペルーには他にイェルパハ(6515m)・ヒリシャンカ(6094m)・シウラ(6344m)等の名峰(難峰)を擁する『ワイワッシュ山群』というアルピニスト垂涎の山群や、サルカンタイ(6271m)の聳える『ビルカバンバ山群』、霊峰アウサンガテ(6384m)・ピコ・トレス(6093m)等の聳える『ビルカノータ山群』がある。 以前はペルーの山といって思いつくのは、最高峰のワスカランと“世界で最も美しい山”と称えられているアルパマヨ(5947m)、そしてウニオン峠から見上げる怪峰タウリラフ(5830m)くらいしかなかったが、インターネットからの情報により他の多くの山の存在やペルーの登山事情などを知ることが出来た。 中でも一番客観的かつ有益だったのは、15年もの長期に亘って南米の各国ヘ仕事で滞在された傍らその国の山々を足繁く登られ、最後は馴染みのペルーの山岳ガイドとブランカ山群の麓で山荘を共同経営するに至った三井孝夫さんのHP『コフップ山荘』であった。 このHPにはブランカ山群における三井さんご自身の登攀記録が多数掲載されており、登る山を選ぶのにとても役に立った。 三井さんは『ブランカ山脈・ワイワッシュ山脈』というタイトルのスペイン語のガイドブックの翻訳もされていたので、早速同書とブランカ山群の山の地図を三井さんから譲り受け、ペルーの山の研究に取り掛かった。 その後は三井さんと直にお会いして、ペルーの山の魅力や気象条件、主としてガイドの雇用方法などの登山事情について詳しくお話しを伺うことが出来た。

   三井さんの話によると、ブランカ山群の登山のベストシーズンはペルーの乾期にあたる6月中旬から7月中旬であり、8月に入ると一部の山を除きクレバスが開いてしまうので、あまりお勧め出来ないとのことであった。 6000m峰といっても登山口の標高が高いため、ワスカランなど一部の高い山を除いては山中に1〜2泊するくらいで頂上アタックが出来るとのことであったが、これは入山前に麓の町(ワラス/3090m)等で充分高所に順応していくことが前提条件であり、またこのスタイルが一番良いと教えてくれた。 また、スペイン語が公用語のため英語を充分話せるガイド(スペイン語で“ギア”)は少なく、またスイスのガイド組合のように組織化されたものが無いので、スペイン語が不自由だと現地でのガイドの手配や予約は難しそうであった。 三井さんは今後も夏の間、ご自身の登山と山荘の管理のため毎年ペルーに滞在されるとのことであり、時期が合えばガイドの手配のお手伝いをしてくださるとのことであった。 また、ペルーやその他の南米の国のガイドは欧米のガイドのように趣味の延長ではなく、あくまで生活するための手段としてやっているため、多くのガイドは決して無理はしないということだった。

   ガイドブックやインターネットの情報を総合すると、ブランカ山群の中で素人の私がガイドを雇って何とか登れそうな山(6000m峰)は、最高峰のワスカラン(6768m)を始め、キタラフ(6036m)・トクヤラフ(6034m)・コパ(6188m)・チョピカルキ(6354m)といった山であり、その他是非登ってみたい山(5000m峰)はアルパマヨ(5947m)・ピスコ(5752m)・ピラミデ(5885m)といった山である。 ブランカ山群には他にチャクララフ(6112m)・ワンドイ(6395m)・サンタクルス(6259m)等の秀峰が沢山あるが、これらの山は一般ルートでも素人の私にはとても無理だろう。 三井さんは当然のことながら前者の山には全て登られており、高所順応が充分に出来ていてルートのコンディションが悪くなければ、登頂は可能であるとのことであり、未知の山々に対する扉が少し開かれたような嬉しい気持ちになった。

   以前ヨーロッパアルプス(海外)の登山を志した時は“ガイドレスで易しい山に登ろう”という発想から始めたが、その後はガイド登山の安全性・確実性というメリットがガイドレスでの達成感を上回ることもあることを体験したため、南米の山も現地のガイドを雇用して登ることに全く迷いは無かった。 但し、三井さんの話を聞く限りでは、私の希望する英語を充分話せるガイドの手配は難しそうな感じであった。 6000m峰という高さゆえ、現在の限られた休暇の範囲で確実にこれらの山に登頂するためには、個人手配ではなく日本の旅行会社を介した現地手配か、日本からの登山ツアーを利用するのが経済的な理由を除けば最も効率的である。 しかしインターネットで調べた限りでは、ブランカ山群の山のうち日本からの登山ツアーで通常催行されているのは最高峰のワスカラン以外にはなかった。 近年、海外登山をする人もかなり多くなったが、南米の山は日本人にとってはまだまだマイナーなようだ。

   ネットでの情報収集を続けていると、2003年の年末年始にアコンカグアの山中でお会いした南米の山のガイドの第一人者である平岡竜石さんのブログが目に止まった。 早速平岡さんに白羽の矢を立て、メールでのやりとりをすると、平岡さんから今後はご自身のライフワークとして南米の山(特にペルー)のガイドに力を注いでいきたいという願ってもない意思表示があったのみならず、今年の夏に所属先のAG(アドベンチャーガイズ)社を介してブランカ山群の山(ピスコ・アルパマヨ・キタラフの三山)を3週間で登るという登山ツアーを現在計画されているとのことだった。 ダブルアックスでの氷壁の登攀となるアルパマヨに登山ツアーが催行されるという画期的な企画に胸が躍ったが、その後この登山ツアーの出発は最も休暇の取りにくい7月上旬に決まり、この垂涎の登山ツアーへの参加は諦めざるを得なかった。 ただ、それに続いて隣国のボリビアの6000m峰(ワイナポトシ・イリマニ・サハマの三山)を3週間で登るというこれまた画期的な登山ツアーも同時に計画されているとのことであり、いつかは是非ボリビアの山にも登りたいという思いがあったので、ブランカ山群の山を登るという当初の目論見どおりにはならなかったが、今回は潔くこのボリビアの登山ツアーに参加してみようと思った。 尚、この登山ツアーは、9日間でワイナポトシだけを登るもの、15日間でワイナポトシとイリマニを登るものが同時に企画され、参加する人の都合に合わせて選択できるシステムになっていた。

   以前エクアドルに行った時に現地で買った南米の山のガイドブック(洋書)『THE ANDES』や最近ワイナポトシとイリマニを登られた知人の三宅さんからお借りしたボリビアの山のガイドブック(洋書)『THE ANDES OF BOLIVIA』、そして『地球の歩き方』などによると、ボリビアは南米大陸のほぼ中央に位置し、周囲をペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの5つの国に囲まれた山国で、隣国のパラグアイと共に南米の国の中では珍しく海を持たない国であることが分かった。 また国土の3分の1近くをアンデス山脈の高地が占め、その中で最大の山脈は北西部の『レアル(スペイン語で“帝王”)山脈』と呼ばれ、国内に14座ある6000m峰の半分以上が、また今回計画されているワイナポトシ(6088m)やイリマニ(6438m)を始め、アンコーマ(6427m)、イリャンプー(6382m)、コンドリリ(5648m)といったボリビア国内では有名な山の大半がこの山脈に属している。

   平岡さんが計画した今回のボリビアの登山ツアーの対象となっているワイナポトシ(6088m)・イリマニ(6438m)・サハマ(6542m)の三山はいずれもその頂から麓まで見事な標高差を落とす雪(氷河)を戴いた独立峰であり、それぞれボリビアを代表する名山である。 一つ目のワイナポトシは、レアル山脈の山塊の中心から少し東に外れた所に聳えている双耳峰で、首都のラ・パスから近くアプローチも容易なため、ボリビアでは一番登山者の多い6000m峰である。 山容はこれらの三山の中で最もストイックで登攀も難しそうであるが、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでF+(簡単の上)となっている。 二つ目のイリマニは、ボリビアでは2番目に高い山であり、またレアル山脈の最高峰として同山脈の一番東端に少し離れて孤高を誇り、南峰・中央峰・北峰の三つのピークを連ねたユニークな山容の山である。 ワイナポトシ同様ラ・パスから近く、ラ・パスの町を見下ろすように聳えている山であり、“ボリビアのシンボル”ともいわれている。 最高点は南峰にあり、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでPD(やや困難)となっている。 三つ目のサハマはボリビアの最高峰であり、チリとの国境付近の砂漠地帯に聳えている。 近くにはパリナコタ(6330m)という富士山のような秀麗な山容の山があり、日本ではむしろこちらの方が知られている。 意外にも最高峰のサハマはこれらの山の中で最も登山者の少ない山であり、平岡さんも登られたことはないとのことだった。 見た目の山容は穏やかそうであるが、一般ルートの難易度はヨーロピアングレードでAD+(ある程度困難の上)となっており、三山の中では一番難しい山である。

   3週間で以上の三つの6000m峰を登るため、高所順応を短期間で効率的に行う必要があり、平岡さんから冒険家の三浦雄一郎さんが経営している『ミウラドルフィンズ』の低酸素室での夜間の睡眠訓練を出発前に行うことを勧められた。 夜間の睡眠訓練は1日(1泊)で15000円であったが、3泊すれば1日(1泊)あたり10000円となる特別な割引料金があるとのことで、今回はこれを利用してみることにした。

   出発の2週間前と1週間前に多くの登山者で賑わう盛夏の富士山に妻と共に登り、直前の平日の夜に代々木にある同社の低酸素室で夜間の睡眠訓練を行った。 インストラクターからの簡単な問診の後、指先に血中酸素飽和度を測るパルスオキシメーターをつけ、心電図を測定する簡単な器具を身につけて、夜の9時から朝の6時まで低圧ならぬ低酸素の室で寝るだけの至ってシンプルなトレーニングである。 初日は3700m、2日目は4000m、3日目は4300m位の高度設定であった。 今回のツアーに参加される白井さん、宗宮さん、鈴木さんともここで初めてお会いした。 前日には友人の伊丹さんも来られ、すでにボリビアへの旅は始まったようだった。

  【ラ・パス】
   8月3日、ミウラドルフィンズの低酸素室での最後の夜間睡眠訓練を終え、代々木駅前の喫茶店で朝食を食べながら山の話に花が咲く。 白井さんと宗宮さんは海外登山の経験が豊富で、チョ・オユーやマッキンリーを始め多くの名峰に登られていることが分かったが、話しを伺っていくうちに、2003年の年末年始に行ったアコンカグアで、お二人とも違う登山隊で私と同じ日にB.Cに滞在されていたことが分かり、その偶然さに驚かされた。

   日本もこれからが夏本番で朝からとても蒸し暑い。 成田空港での再会を約して一同解散し、私達は一旦自宅に戻り車で成田空港へと向かう。 空港の集合場所には参加メンバー全員が時間よりも早めに到着し、平岡さんより正式にメンバー各人の紹介があったが、すでに私達は説明会やミウラドルフィンズの低酸素室で全ての方々と事前に顔見知りになっていた。 男性は最高齢の鈴木さんを筆頭に、内田さん、宗宮さん、中村さん、私の5人、女性は白井さん、伊丹さん、そして妻の3人である。

   成田からはアメリカン航空で米国のダラスに飛び、国内線でマイアミに乗り継いだ後、ボリビアの地方都市であるサンタクルス行きに乗り、合計20時間以上のフライトで首都のラ・パス郊外にあるエル・アルト空港に8月4日の未明に到着した。 国際空港としては世界最高所にある標高4082mの空港は何か独特の雰囲気と緊張感が感じられる。 長旅の末にようやく辿り着いたのも束の間、私の登山用品を入れたダッフルバックの一つが機内預かりの荷物の受け取り台に見当たらなかった。 平岡さんを介してアメリカン航空の係員に宿泊先のホテルを教え、遅(誤)配となっているダッフルバックの捜索とホテルまでの配送を依頼したが、のっけからのトラブルにすっかり気分が滅入ってしまった。

   平岡さんが今回の登山ツアーで現地のエージェントとして選んだ『ボリビアン・ジャーニー』社の代表のマルコがロビーに出迎えてくれた。 空港の外に出ると、まだ日の出前であったが、憧れのワイナポトシとイリマニの山のシルエットがはっきりと見えた。 南半球にあるボリビアはこの時期は冬(乾期)なので、この時間帯の気温は恐らく零下であるが、憧れの山を見て気持ちが昂揚したせいか寒さはそれほど感じなかった。 エージェントが用意したワゴン車(中古のハイエース)の屋根に登山用品が詰まった沢山の荷物を巧みにくくりつけ、運転手以下総勢11名が乗り込んでラパス市内のホテルへと向かう。 間もなくワイナポトシの山肌に朝陽が当り始めたので、車を停めてもらい早速“撮影大会”となる。 生憎イリマニは逆光だったが、のっけから今回の目標の山が見えたことで気分は一気に盛り上がる。

   車は巨大なすり鉢状となっているラ・パスの町の中心部に向けて坂道を下っていく。 ガイドブックの写真では見たが、実際に自分の目で間近に見ると、何かとても異様な感じがする。 ボリビアの国土は日本の約3倍で人口は約900万人、そのうち4分の1がこのラ・パスに居住しているというから驚きだ。 また、この大都市は標高の低い(気圧が高い)所ほど住人の生活レベルが高いらしい。 すり鉢の最上部では廃墟のような住居も散見されたが、下るにつれて面白いように建物も低層から高層に変わっていく。 滞在先のホテル『マドーレ・ティエラ』の標高は約3600mであり、ほぼ町の底辺の所に位置していた。

   ホテルにチェックインし、平岡さんから割り振られた部屋に荷物を搬入する。 今回は妻と部屋が一緒なので気が楽だ。 陽射しはあるものの季節は冬なので部屋の中は寒々としていた。 暖房の設備は誠に貧祖で、窓の下に小さなパイプ式の暖房器があるだけであり、それもスイッチがなく夜間のみしか入らない構造になっていた。 また風呂場はとても狭く、上部に吹き出し口が固定されたタイプのシャワーのみであり、とても使い勝手が悪かった。 日本のホテルであれば全く問題ないが、低圧で体に負荷がかかっているので、ホテルとはいえ快適な住環境ではなかった。 朝食はバイキング形式であったが、アメリカンスタイルの至ってシンプルなものであり、これもまたガッカリさせられた。 朝食後はレストランの隅で平岡さんから腹式呼吸のレクチャーがあり、皆で真剣に練習に取り組んだ。 パルスオキシメーターによる血中酸素飽和度の測定を行うと93%であり、今のところ低酸素室での効果が現われているようだ。

   部屋に戻り荷物の整理をした後、早速平岡さんの案内によりメンバー全員で町の散策と両替に出掛ける。 ラ・パスの昼間の気温は東京の冬と同じくらいであったが、とにかく陽射しが強い。 すり鉢状という特異な町の地形ゆえ、周りはどこを見ても全て坂道である。 また裏通りにはツルツルに磨かれた石畳の急坂が多く、車の交通量がとても多いため、排気ガスの臭いが鼻につく。 車は日本車(現地生産の左ハンドル)の中古が大半であり、一昔前の日本の風景を見ているようで面白い。 人通りも多いが、何故か信号機は殆どなく、怒涛のように押し寄せる車と車、そして車と人とが巧みに行き交い、まるで芝居を見ているようだったが、走っている車と車の間をすり抜けるように人々が横断していく“技”は一朝一夕で出来るものではなかった。 坂道を登ると面白いように息が切れる。 現地の人と同じペースではとても歩けないので、意識的にゆっくり歩くように心掛ける。 メインストリートは住民や観光客で賑わい、明後日の独立記念日のパレードの練習をしている様々な団体の姿が見られた。 両替商で米ドルをこちらの通貨であるボリビアーノに交換する。 レートは7分の1位であった。

   坂道の多いラ・パスの町は必然的にタクシーが多く、普通の乗用車タイプの他に、ワゴン車の“乗り合いタクシー”が走行中も横のスライドドアを開けっ放しにして盛んに呼び込みをしている。 とりあえず無難そうなレストランを見つけて昼食を食べる。 予想どおりメニューは全てスペイン語であり、店員も英語は全く分からないようであった。 ここで牛肉=カルネ、鶏肉=ポジョ、鱒=トゥルーチャを覚える。 『サルティーニャ』と呼ばれるこちらではポピュラーな肉のパイ包みのようなものを皆で味見したが、独特の甘い味付けが口に合わなかった。

   昼食後にホテルに戻ると、エージェントが手配した日本人の添乗員(宮原さん)がワゴン車で市内の観光案内をしてくれた。 山が良く見える場所をリクエストすると、中心部から少し外れた高台の公園に連れて行ってくれた。 生憎ワイナポトシは見えなかったが、すり鉢状の特異なラ・パスの市街と、その背後にラ・パスの町を見下ろすかのように聳え立つ雪を冠したイリマニの3つのピークが良く見えた。 憧れの山の頂に思いを馳せて、何枚も同じような構図の写真を撮ったが、同峰が“ボリビアのシンボル”と言われる理由が良く分かるような気がした。 ストイックな高峰が隣り合わせに林立するブランカ山群とは趣が異なるが、あらためて今回ボリビアの山を訪れて良かったと思った。 高台の公園からはラ・パスの市街も良く見渡せたが、すり鉢の底となる町の中心部には20〜30階建てのビルも乱立し、近代的なサッカースタジアムなども見られたが、その上にマッチ箱のように所狭しと建ち並んでいるレンガ造りの民家とその背後にある鉱山の採掘場の風景とのミスマッチがとても印象的だった。 宮原さんの話ではラ・パスに立派な家を持つ住民の殆どが、スペインに出稼ぎに行っているとのことだった。 また、ラ・パスとはスペイン語で“平和”を意味するとのことだった。 最後に外国人向けの土産物屋が狭い路地に立ち並ぶ『サガルナガ通り』を散策してからホテルに戻る。 冬なので6時過ぎには暗くなった。 陽が落ちると、とたんに真冬の寒さとなる。

   夕食はメンバー全員でラ・パスの夜景が良く見えることで有名らしい『ラジソン』という高級ホテルの最上階の展望レストランへと勇んで向かったが、正装が礼儀のお店の雰囲気に一蹴され、入口で夜景だけを楽しんでから早々に退散した。 結局、滞在先のホテルに近い中華料理店に入り、大皿の料理を皆で取り合って食べたが、味付けは日本で食べるものとは大分違う独特なものであり、時差ボケの疲れや高度の影響もあってか、あまり箸が進まなかった。


成田空港に集合したボリビアの山旅のメンバー


早朝のエル・アルト空港付近から見たワイナポトシ


早朝のエル・アルト空港付近から見たイリマニ


巨大なすり鉢状となっているラ・パスの町の中心部に向けて坂道を下る


ワゴン車の“乗り合いタクシー”


高台の公園から見たラ・パスの市街と背後に聳えるイリマニ


すり鉢の底に建つ高層ビルと、上部に所狭しと建ち並んでいるレンガ造りの民家


外国人向けの土産物屋が狭い路地に立ち並ぶ『サガルナガ通り』


  【チャカルタヤ】
   8月5日、ボリビアン・ジャーニーのワゴン車で高所順応のハイキングとして予定しているチャカルタヤ(5390m)へと向かう。 今日はハイキングなので現地のガイドはいない。 飛行機に預けた荷物がまだ手元に届かないので、妻からジャケットや手袋、そして中村さんから雨具のズボンを借りる。 途中の市場で行動食にするリンゴやオレンジといった果物を買い、その近くの自然食品の店で手作りのサンドイッチを買う。

   車はラ・パスの中心部のすり鉢の底から這い上がり、専ら低所得者層が住んでいるといわれるエル・アルトという町を通り抜け、そこから未舗装の山道へと入っていく。 廃屋のようなレンガ造りの家も良く見るとちゃんと人が住んでいるようだ。 昼間は皆ラ・パスに出稼ぎに行っているのか人通りは少なく、代わって野良犬が多く見られる。 ラ・パスの中心部から車で1時間足らずで人家が無くなると、小規模ながらも浄水場のような施設があり、その先は黄金色をした冬枯れの牧草地となっていた。 今は冬で乾期だが、夏の雨期になればこの辺りも緑濃い牧草地となるのだろうか?。 所々に放牧された牛などの家畜が散見された。

   間もなく車窓からワイナポトシの尖った頂稜部が突然顔を覗かせ、一同身を乗り出して歓声を上げる。 更に山道を登り続けていくと標高4500m位の所でコバルトブルーの水を湛えた湖越しにワイナポトシの雄姿が大きく望まれるようになり、しばらくすると道が左右に分岐していた。 ワイナポトシの登山口のあるゾンゴ峠への道を左に見送り、右の道をチャカルタヤへと向かう。 眼下には緑色の水を湛えた小さな池が点在し、今度はイリマニが車窓から望まれ再び一同歓声を上げる。

   チャカルタヤへの山道は勾配を増したのみならず路肩が弱くなり、10人が乗ったワゴン車の走行には少々危うかったが、そんなことはこちらでは当たり前のことのようであった。 ラ・パスから正味2時間ほどで車道の終点となり、標高5190mにある駐車場に着いた。 上空は青空であるが、残念ながら雲も多く快晴の天気ではない。 チャカルタヤには山頂付近にスキー場があるらしいが、現在は温暖化の影響で雪が少なくなり、クローズしているようだった。 駐車場の傍らには立派な石造りのボリビア山岳協会の山小屋があった。

   運転手に留守番をお願いし、早速標高差で200mほどの山頂に向けてのハイキングとなった。 山肌には残雪があるが、尾根につけられた明瞭なトレイルには雪は無い。 指呼の間に秀麗なワイナポトシを終始望みながらの展望のトレイルだ。 低酸素室での効果か、普段の登高ペースの半分ほどのスピードではあるものの、息苦しさは微塵も感じず全く快調に登れる。 途中1回の休憩をはさんで1時間ほどで山頂に着いた。 高曇りの天気であったが、山頂からの360度の展望は素晴らしく、遠くチチカカ湖まで見えた。 この山に登ることを最終目標としている日本からのハイキングのツアーがあることも頷ける。 しかし何よりも嬉しかったのは体調が良いということだ。 昨日到着し、滞在2日目でこれだけ順応していれば何もいうことはない。 高所順応が目的なので、写真を撮り合ったり、サンドイッチや果物を食べながらおしゃべりをして1時間以上山頂に滞在し、さらに少し先の無名のピークまで往復してから下山する。 駐車場まで下山した後も、居心地の良いボリビア山岳協会の山小屋に30分ほど滞在してからラ・パスへ戻った。 夕食は皆でステーキを食べに行ったが、庶民的な店だったせいもあり、期待していたほどの内容ではなかった。


ラ・パスの町を見下ろすように聳えるイリマニ


チャカルタヤ全景


ゾンゴ峠とチャカルタヤスキー場の分岐付近から見たワイナポトシ


チャカルタヤスキー場から見たワイナポトシ


チャカルタヤスキー場の駐車場と立派な石造りのボリビア山岳協会の山小屋


中間地点で一休みする


チャカルタヤの山頂直下


チャカルタヤの山頂(背景はワイナポトシ)


山頂から遠望したイリマニ


山頂からはチチカカ湖も見えた


高所順応のため山頂に1時間以上滞在する


駐車場に下山する


   8月6日はラ・パスでの休養日となったが、図らずも今日はボリビアの独立記念日ということであった。 今日も晴れてはいるが、昨日同様雲が多く快晴の天気ではない。 今は乾期であるが、ラ・パス周辺は雲の出やすい地形なのだろうか?。 陽の当たらない寒々しいホテルの狭い部屋の中では寛ぐこともままならないので、皆で独立記念日のパレードを見に行くこととなった。 特異なすり鉢状となっているラ・パスの町では見渡す限り平坦な所はなく、道路を歩けば必ず上り下りの坂道となる。 昨日は意気揚々チャカルタヤに登り、すでに体は高所に順応したかに思えたが、上り坂では相変わらず足が重い。 さすがに今日は独立記念日なので車の交通量は少なく、排気ガスの臭いを気にすることなく歩ける。 所々に自動小銃を携えた警官(軍人?)の姿が見られたが、ボリビア人の背丈が日本人とほぼ同じ位であるせいか、威圧感や緊張感というものは不思議と感じない。 露店でサルティーニャを食べたりしながら、少し遠回りをして裏通りからパレードが行われている大統領官邸前のムリリョ広場に向かう。 ムリリョ広場に近付くにつれて、付近の路地はパレードの順番を待つ各種の団体の人々で埋め尽くされ、歩くのもままならぬ状況となった。 人ごみを縫うようにしてムリリョ広場に辿り着くと、賑やかな吹奏楽団の演奏に合わせて盛大にパレードが行われていた。 広場は黒山の人だかりで、ラ・パスの住民もさることながら、観光客の姿が多く見られた。 大統領官邸前には大統領以下の政府の要人の姿も見られたが、意外にも警備はそれほどものものしくなく、テレビ局の撮影車両の近くで小1時間ほど高みの見物をする。 50〜100人ほどの正装した各種の団体が次々に同じようなスタイルで大統領官邸前をパレードし、まるで終わりがないかのように思えた。

   パレードも見飽きたので、サガルナガ通りに土産物を見にいこうとしたところ、いつの間にか鈴木さんが行方不明となっていた。 しばらく皆で手分けして探したが、人ごみに埋もれて捜索不能になってしまったので、諦めて残りのメンバーでサガルナガ通りに行き、ランチと土産物を見て回った。 鈴木さんはホテルに先に帰られていたことが後で分かった。 夕食はボリビアン・ジャーニーの社長がお勧めする外国人向けのレストランに行き、好物のカルボナーラをお腹一杯食べたが、この後に予想もしていない事態になるとは知る由もなかった。

  夕食後に平岡さんから明日からのワイナポトシ登山のスケジュールについての説明があり、明日のキャンプ地(H.C)については、標高5130m地点の氷河の舌端か、その先の標高5400m地点の『カンパメント・アルゼンチノ(アルゼンチン・キャンプ)』と呼ばれる平らな雪原のいずれかを選べるが、昨日チャカルタヤに登ったとはいえ、今回の日程では高所順応日が少なく、また標高3600mのラ・パス以外での宿泊をしていないので、前者のキャンプ地に泊まることになった。


滞在したホテル


ムリリョ広場付近の路地裏でパレードの順番を待つ団体


大統領官邸前を通るパレード


賑やかな吹奏楽団の演奏


大統領官邸とムリリョ広場


  【ワイナポトシ】
   8月7日、夜中の3時頃であろうか、突然激しい腹痛に襲われて目が覚めた。 昨夜は少し食べ過ぎたかなと思ってトイレに行くとすでに下痢の症状であった。 そのせいか少し悪寒もしたためフリースを着込んで再び寝たが、腹痛はなかなか治まらず、結局朝まで何度もトイレを往復することになってしまった。 昨日までであればどうということはないが、今日はこれから明日のワイナポトシの頂上アタックに向けてそのH.C(5130m)まで行くので、何とか出発時間までに下痢を治さなければならない。 昨日までの体調の良さが嘘のようだが、この現実は受け容れなければならない。 とりあえず朝食はキャンセルし、レストランから妻が運んできてくれたホットケーキを一口だけ無理矢理お湯で流し込んで征露丸をいつもより多目の4錠飲んだ。

   歩くのがやっとぐらいのほうほうの体で出発時間間際にロビーに下りていくと、平岡さんや隊員の皆が心配してくれたが、造り笑顔で挨拶するのが精一杯だった。 ボリビアン・ジャーニーの代表のマルコの他、4〜5名の現地ガイド達の顔も見えたが、自己紹介する余裕すらなかった。 私の体調以外は全て順調に事が運んでいるようで、予定どおり9時過ぎにホテルを出発した。 本来であれば憧れのワイナポトシに向かうことで気持ちが昂揚するところであるが、山に向かうというよりは、このまま病院にでも直行したい心境であった。 お腹のために高度は1mでも下げてもらいたいが、無情にも車はすり鉢状のラ・パスの町の底から坂道をぐんぐん登っていく。 昨日まで全く感じなかったワゴン車の乗り心地の悪さも過剰に感じ、今度は車酔いが始まった。 もうこうなると悪循環である。 不安と緊張から自然と過呼吸となり、手先から顔にかけてビリビリと痺れが走る。 このままでは登山口までも行けないだろう。 どうしようも無くなった時、図らずも食料の調達のためにラ・パスの市内を過ぎたエル・アルトの市場で車が停まった。 下痢は嫌だが、脱水症状は高山病の引き金になるので、開き直って水をがぶ飲みし、何度も深呼吸を繰り返す。 どうやら下痢を止めたい一心で征露丸を多目に飲んだことが悪かったようだ。 高所では薬にも要注意である。 しばらくすると色々な悪い症状は少し治まり安堵したが、下痢による体力の消耗で体に力が入らず、これからの登山活動に対する不安はますます募るばかりだった。

   ラ・パスの郊外からは昨日と同じ未舗装の道をチャカルタヤ方面に車は登っていく。 気が付くと今日は昨日以上に天気が悪く、ワイナポトシは雲や霧で見えていなかった。 乾期でもこういう日があるのかと思った。 先日見た標識のある分岐で登山口のゾンゴ峠方面へと左折する。 間もなく眼下に輝きを失ったミルーニ湖が見えたが、天気は悪くなる一方でワイナポトシはおろか対岸の景色すらも見えない。 国立公園の管理事務所で簡単な入山手続きを行い、ラ・パスから2時間半ほどで標高約4800mのゾンゴ峠の登山口(T.B.C)に着いた。

   今にも雨(雪)が降り出しそうな曇天であり、体も衰弱しているためとても寒く感じる。 ガイド達が昼食を充分に用意してくれたが、もちろん食欲は全くないので、バナナを半分だけ食べる。 先に現地に集合していたポルタドール(ポーター)達が私達の荷物の仕分けをして次々とH.Cへと荷上げしていく。 まさに“大名登山”である。 先ほどまで進退について真剣に悩んでいたが、とりあえず歩くことは出来るので、過去の経験を活かしてH.Cまでは行くことにした。

   H.Cへのトレイルは最初のうちは起伏も緩く明瞭で歩き易かったが、体に力が入らず全くのスローペースでもどかしい。 H.Cまでの標高差は登山口のゾンゴ峠から300mほどしかないはずなので、それほど大変ではないと思われたが、実際には登り下りの連続で標高が全く稼げず嫌になる。 そればかりか1時間ほど過ぎると、とうとう小雪が舞い出し、体調の悪さにさらに拍車を掛けた。 当初H.Cにはゾンゴ峠から2時間ほどで着くと思われたが、新雪が岩やガレ場に積って登りにくく、途中2回の短い休憩をして3時間ほどでようやくH.Cに着いた。 頭上には避難小屋が朧げに見えた。 すでに立っているのがやっとの状態だったので、先行していたガイドやポーター達がテントを設営していてくれたので助かった。 人気のある山なので、天気に関係なく私達の隊の他にも数パーティーのテントが見られた。 当初の予定では2人で一つのテントを使用することになっていたが、何らかの事情により3人で一つのテントを使用することになった。 白井さん、伊丹さん、妻と女性陣が3人いたので、妻とは別に鈴木さん、宗宮さんと一緒のテントに収まる。 ポーター達に担いでもらった荷物を搬入し、早速用便の場所を見つけに行く。 雪が降り止まないので、装備と寝具で足の踏み場もない狭いテントの中に縮こまっているしかなくとても不自由だ。 初めて5000m以上の所に泊まる妻は今のところ元気なようなので安堵する。 情けないが今は私が妻の“扶養家族”である。 テントの外では一旦降り止んだ雪が再びしんしんと降り始めた。 この状況が明日まで続けば、登山は中止となってしまうだろう。 日程の都合上ワイナポトシのアタックには予備日がないので、チャンスは明日一度しかない。 しかし今の自分の体調を考えると、もし中止となってもそれほど悔しくないとさえ思えた。

   夕方、マリオが作ってくれたスープや鶏肉を添えたパスタをガイド達がテントまで届けてくれたが、相変わらず食欲はないので鶏肉は潔くパスし、スープとパスタを義務的に半分ずつ食べた。 夕食後は平岡さんが各テントを回り、明日のアタックのスケジュールを伝えにきた。 明朝は午前零時に起床し、出発の準備を整えてから外で立ちながら朝食を食べて2時頃に出発するとのことであり、なるべく熟睡しないで意識的な呼吸を励行するようにとのアドバイスがあった。 鈴木さんと宗宮さんは横になって寝ていたが、私は平岡さんに言われるまでもなく殆ど寝ずに半身起き上がり、こまめな水分補給と腹式呼吸に努めた。 妻のことが心配だが、ベテランの白井さんが一緒なので大丈夫だろう。 3回の低酸素室での夜間睡眠トレーニングと一昨日のチャカルタヤ登山で高所にはそれなりに順応しているはずなので、この下痢の症状さえ治れば一晩くらい寝なくても大丈夫と今までの高所の経験を頼りに自らに檄を飛ばす。 その甲斐あってか、起床時間の午前零時近くにはようやく下痢も峠を越えたようだった。


 

霧に煙るワイナポトシ


登山口のゾンゴ峠


ゾンゴ峠からH.Cへのトレイルは明瞭で歩き易い


降り始めた雪が岩やガレ場に積って登りにくくなる


  【山頂アタック】
   8月8日、狭いテントの中で順番に身支度を整えて外に出ると、パラパラではあるが夜中じゅうずっと降り続いていた雪も降り止んで空には星も見えていた。 風も無く、予想以上に暖かい。 テントの傍らに暖かい飲み物とビスケット等の朝食が用意されていたので立ち食いする。 高所への順応には個人差があるが、妻を始めメンバー全員の体調は良さそうだ。 平岡さんからあらためてガイド達の紹介があり、こちらも呼んでもらいたい愛称を申し出る。 チーフガイドは唯一英語が話せるエロイで、他にロッキー、ラミーロ、ロベルト、ガイド見習いのアントニオ、そしてコシロネ(コック)のマリオということであり、皆20台後半から30台後半の若さであった。 意外にもロッキーとアントニオ以外は背が低く、私と殆ど同じくらいであった。

   出発予定の午前2時前にH.Cを出発し、テント場を見下ろすモレーンの上に建つ避難小屋の傍らを通り、一旦下った氷河の取り付きでアイゼンを着ける。 ここからガイド達とアンザイレンすることになり、平岡さんからガイドとの組み合わせを指示される。 ガイドレシオは1対2なので、8人のメンバーはここで4組のパーティーとなる。 私と妻はエロイと組むことになった。 今回のボリビアの山旅について色々とアドバイスをしていただいた知人の三宅さんが、以前ワイナポトシを登られた時のガイドも確かエロイという名前だった。 エロイは小柄で、体格はまるで日本人のようだ。 エロイからクライミングの経験はあるかと訊かれたので、「イエス」と答えると、意外にもザイルの末端を自分でハーネスに結べとの指示があった。

   チーフガイドのエロイを先頭に私達のパーティーから順次取り付きを出発する。 1年ぶりの6000m峰のアタックに期待と不安で胸が一杯だ。 昨夜はそれなりの降雪があったが、すでに出発したパーティーが沢山いるようで、雪の上には明瞭なトレイルが刻まれていた。 空港あるいはチャカルタヤの山頂から見た急峻な山容のイメージとは違い、トレイルの勾配は緩やかであり、またエロイのペースも今のところ遅くて安堵する。 下痢は治まり、昨日のように体に全く力が入らないという状態ではなくなったが、まだまだ体調には不安が残る。 ただそれ以上に、再び降雪があることや、昨日の雪で頂稜部のコンディションが悪く、せっかく登っても山頂には辿り着けないのではないかということが心配になる。 もともと今回の平岡さんの計画では、ワイナポトシは本命のイリマニやサハマのための高所順応という位置付けだったので、そのような状況になった場合には無理に登頂にこだわることはしないだろう。

   氷河の取り付きから1時間ほど緩やかに登ると平らな雪原となり、最初の休憩となった。 ここが標高5400m地点のアルゼンチン・キャンプであろうか?。 暗いので定かではないが、周囲にテント村は見られなかった。 風も無く、今のところ山は穏やかである。 先行パーティーのヘッドランプの灯りが前方の暗闇のなかに点々と灯り、ここから先のルートの状況が良く分かる。 雪原から先もしばらく単調な緩い勾配が続き、下痢による体力の消耗と睡眠不足で睡魔が襲ってくる。 呼吸が自然と浅くなり、足元の雪が黄色く見えてきた。 高山病(視野狭窄)の前兆であろうか?。 慌てて深呼吸を意識的に繰り返す。 前を登る妻は意外にも今のところ順調のようだ。 逆に高所にしてはペースが速すぎるので、何度か後から声を掛けてペースダウンを促す。 エロイのペースは速くないが、今度は1時間を過ぎても休憩をする気配が全く感じられなかったので、こちらから休憩をリクエストする。 ここでラミーロに率いられた白井さんと伊丹さんのパーティーが先行するが、平岡さんを始め他のパーティーはまだ追いついてこない。

   休憩後、ガイドブックに記されていた唯一の難所である高さ数10mの急な雪壁を登る。 基部には大きなクレバスが口を開けていた。 クーロワール状の急斜面の雪壁には先行パーティーによりバケツのような足場が出来上がっており、登りでは上から確保されることはなかった。 雪壁を登りきるとまたしばらく緩やかな広い尾根の登りとなったが、少し風が出てきた。 振り返るとラ・パスの町の明かりがオレンジ色に輝いていた。

   間もなく周囲が白み始めると、風がさらに強まってきた。 いよいよ6000m峰が本性をあらわすのだろうか?。 先行しているパーティーの姿はいつの間にか見えなくなっていたが、白井さんと伊丹さんのパーティーだけが唯一前方に見えていた。 後ろには少し間をおいて平岡さんの姿が見えた。 傾斜が一段と弱まった所で最後の厳しい登高に備えて再びエロイにこちらから休憩をリクエストする。 休憩している最中に突然エロイが、山頂まであと1時間半ほどかかるので、ペースの遅い妻はここでリタイアした方が良いのではないかと言い出した。 突然の意外なエロイの発言に驚きを禁じえなかったが、間もなく後ろから追いついてきた平岡さんに事のいきさつを話し、平岡さんがエロイを説得してOKとなったが、ボリビアのガイドの体質をあらためて痛感した。

   休憩後は予想どおり風が一段と強まり、再び小雪が舞い始めた。 手や足の指先も冷たく感じられ、やはりこれから先は厳しい登高を強いられそうだ。 ただ、ありがたいことに私の体調は悪化することなく、また初めての6000m峰を経験する妻も普段と変わりなく着実に登れている。 間もなく先行していた白井さんと伊丹さんのパーティーにも追いついた。 天候の悪さで相変わらず山頂方面は全く見えず、頼みの高度計も電池の容量不足で高度が計測出来なくなっていた。 ガイドブックによれば、この辺りから山頂までこのまま広い尾根を直登するルートと、北面に右からトラバース気味に回り込んで登るルートがあるが、その後も傾斜は緩やかだったので、おそらく後者のルートを辿っているのだろう。 しばらくすると下山してくるパーティーとすれ違ったので、登頂の有無について訊ねると、無事登頂されたようだったので嬉しくなった。

   前方に先行パーティーの人影が沢山見えてきた。 どうやらそこから上が頂上直下の核心部の登りとなっているようであり、これから上に向かうパーティーとすでに下ってきたパーティーとで賑わっていた。 風雪は相変わらず続いていたが、先ほどよりは少し収まってきたので、どうやら登頂は叶いそうになってきたが、こればかりはまだ確信出来ない。 ザイルの長さを短くし、ピッケルを深く打ち込みながら、凍てついた急斜面を斜上する。 急に体に負荷がかかり、息が上がると同時に足が思うように上がらなくなる。 久々に味わう高所特有の感覚だ。 ラストスパートなので、目一杯の呼吸で対処する。 山頂まではあと標高差で100mもないはずだが、視界は悪くなる一方で僅か数10メートル先しか見えない。 ただ先行パーティーのお陰でトレイルはしっかりしているので、ひたむきに登ることだけに集中する。 果たして登頂は叶うのであろうか?。

   突然、目の前に白井さんと伊丹さんが並んで座っている姿が見えた。 頂稜部への順番待ちをしているのかと思ったが、どうやらそこが山頂とのことであった。 おそらく雪の状態が悪いので今日は指呼の間にあるはずの猫の額ほどの最高点には近づけないのであろう。 あっけない幕切れだった。 周囲の景色が全く見えないことがとても残念であったが、すでにそれは登りながら分かっていたことなので、悔しさはそれほど感じなかった。 むしろ昨日の体調不良のことを考えると6000m峰の頂に辿り着けただけでも充分過ぎるほどであり、嬉しさよりも安堵感が先行していた。 初の6000m峰のサミッターとなった妻と抱擁し、登頂の喜びを分かち合う。 エロイとも力強く握手を交わし、白井さんや伊丹さんとお互いの登頂を称えあった。 時刻はすでに9時半であり、氷河の取り付きから7時間以上を要していた。 間もなく中村さんと宗宮さんもロベルトと共に登ってきた。 中村さんは妻と同様初の6000m峰の登頂で感激はひとしおであろうが、初めての高所の経験で相当消耗している様子だった。 皆で再度喜びと労いの握手を交わし、移動もままならぬ狭い山頂でお互いの記念写真を撮り合った。 晴れていれば隣に聳えるコンドリリを始めとするレアル山脈の山々やチチカカ湖も見えるはずであろうが、雪の降り続く山頂からはそれらを望むべくもなかった。 しかし、日本を発ってから僅か5日後に、高所順応も不充分であるのに加え、悪天候という状況の中で予定どおり最初の6000m峰を登れた喜びと感激でメンバー一同の心は充分満たされていた。 最後に平岡さんと内田さんを山頂に迎え、入れ替わりに山頂を辞した。 残念ながら最高齢の鈴木さんだけは山頂に届かなかった。

   頂上直下の核心部の下りを無事終え、傾斜の緩い尾根に入ったところで、登山者というよりはポーターのような身なりの女性がトレイルの傍らに重苦しい表情で座り込み、先行していたラミーロと話をしていた。 どうやら高山病で動けなくなってしまったようだった。 体力を消耗した妻が寒気を訴えていたので一刻も早く下山したかったが、エロイは私に貴重なテルモスのお湯を彼女に分け与えることを懇願し、彼女をサポートして下山することにしたのか、後続の平岡さんが下ってくるのを待ってパーティーを組み直すことになった。 結局エロイとラミーロがその女性のサポートに回り、私と妻は見習いのアントニオとアンザイレンすることとなった。

   アントニオの指示で私を先頭に下り始めたが、降り続く雪のためトレイルはかき消され、微かに残るアイゼンの爪跡を目で追いながら下る。 そのうちアイゼンの爪跡も見失いがちになり、眼下に朧げに見えている見覚えのある場所に向かって急斜面を下ろうとすると、アントニオはルートが違うと後から引き止めたが、だからといって先頭に立ってルートを探すような素振りも見せなかった。 私が下にトレイルらしきものが見えているから大丈夫だと主張すると、今度は何を思ったのか大きなスノーバーを雪面に打ち込み始めた。 斜面は確かに少し急だが確保をするほどではないし、そんな悠長なことはやってられないので、早く下ろうと大声で叫んだが英語が通じないためか全く要領を得なかった。 しばらく押し問答をしているうちに、ようやく白井さん、伊丹さん、中村さんの3人を連れた平岡さんが下ってきたので、先頭を平岡さんに譲ることにした。 視界は相変わらず悪く、地元のガイドですら手を焼くような状況であったが、平岡さんの巧みなルートファインディングで唯一の難所である高さ数10mの急な雪壁の取り付きを探し当てることが出来た。

   クーロワール状の急斜面の雪壁の下りではアントニオが確保してくれたが、支点の位置が悪く理に適っていなかったので、妻と二人で声を掛け合いながらスタカットで下る。 中程まで下りた時、突然雪の塊が頭に落ちてきたので驚いて上を見上げると、何とロベルトがアントニオよりも先行して宗宮さんと内田さんを上から確保して下ろしていた。 下りでは雪壁に足を蹴り込むため必然的に雪が下に落ちるので、大声でガイドの指示に従わないようにと宗宮さんと内田さんに向かって叫ぶ。 急ぐ必要のない場面で何故割り込みまでする必要があるのか、先ほどまでの一連の行為といい全くボリビアのガイドの行動は理解し難い。 平岡さんにこの件について後で報告したところ、平岡さんもボリビアのガイドを初めて雇用したが、ペルーのガイドと比べてレベルは低いという認識であった。 アルゼンチン・キャンプの平らな雪原まで下ってくるとようやく視界が良くなり、登りでは暗くて全く見えなかった巨大なセラックなどが見えた。

   午後1時半に氷河の取り付きに到着。 ザイルが解かれ、雪があるがアイゼンも外す。 アントニオと握手を交わし、「グラシアス!」と笑顔で御礼を言う。 避難小屋まで僅かに登り返し、テント場に下る。 テントは降り積もった雪で真っ白だった。 テントの中では鈴木さんが静かに横になっていたが、声を掛けると体調は悪くないとのことで安堵した。 このまま昼寝でもしていきたい心境であったが、明るいうちにT.B.Cのゾンゴ峠まで下山しなければならないので、疲れた体にムチ打って荷物の整理とパッキングをする。 もちろん下りもポーター達に荷物を担いでもらう“大名登山”だ。 留守番役のマリオが暖かいスープをテントの中に差し入れてくれた。 帰路では行動食を殆ど口にしていなかったので、ありがたくいただく。

   午後3時過ぎにメンバー全員で下山を始める。 相変わらず上の方の景色は全く見えないが、ヒスイ色をしたゾンゴ湖など足下の景色はモノトーンの世界ながらも少し見えるようになった。 降雪によりトレイルは昨日以上に状態が悪くなり、疲れた足には堪える。 小さな登り返しが記憶していた以上に多く、登山口までの距離と時間がとても長く感じる。 途中で休憩することもなく歩き続け、2時間以上かかってようやく登山口のゾンゴ峠に着いたが、先行していたガイドから道路に雪が積っているため車が峠まで上がって来れないとの話しがあり、さらに車道を20分ほど歩いて下ることになってしまった。

   お世話になったガイドやポーター達と記念写真を撮り、チップを手渡してワゴン車に乗り込む。 あとはラ・パスに下るだけだと安堵したのも束の間、何故か車が出発する気配がない。 何事かと思ったところ、どうやら先ほど下から上ってきたバスが道路を塞いでいるため車が通れず、さらに悪いことにその運転手が見当たらないらしかった。 私達の車以外にも下る車はいたが、何故か皆のんびりとその運転手が戻ってくるのを待っているようで、全くその運転手を探そうという動きが感じられなかった。 辺りは暗くなり始め車内も冷え切っていたが、車に暖房装置が付いていないとのことでエンジンもかけずにただ時間が経過していくのを待っているだけだった。 ただでさえ高所にいたくないばかりか、疲れてお腹も空いているので、一刻も早くラ・パスに着きたいという気持ちで私を始めメンバー全員が苛立っていた。 今日で登山の日程を終えた鈴木さんは、明日の未明にはラ・パスを発たなければならないのだ。 1時間半以上も待ってようやく誰かがそのバスの運転手を見つけてきたので、ラ・パスに下ることが出来るようになったが、一歩間違ったらここで夜を明かすことにもなりかねず、体調も含め明日以降の登山活動にも影響が出るところだった。 午後9時半にようやくホテルに着いたが、先ほどのバスの一件もあり皆で外食に行こうという気力もなくなり、フロントでお湯を貰ってアルファー米を食べ、シャワーを浴びてからベッドに倒れ込んだ。


出発前にH.Cで朝食を立ち食いする


風雪は少し収まったが、視界の悪いワイナポトシの山頂直下


ワイナポトシの山頂


ワイナポトシの山頂


ワイナポトシの山頂


雪の舞うH.Cのテント場に下山する


H.Cからの風景


H.Cからゾンゴ峠へ下山する


  【イリマニ】
   8月9日、当初の予定では今日は丸一日ラ・パスでの休養日だったが、現行のモラレス大統領の信任を問う国民投票が明日行われるため、ラ・パスの市内を車で通行できない恐れがあるとのことで、今日のお昼過ぎにラ・パスを出発しなければならず、5泊6日の日程となるイリマニ登山の準備を朝食後に慌しく行う。 正午にガイド達がホテルに迎えに来た。 ロベルトとアントニオに代わって若いイリネロというガイドが新たに参加することとなった。 一方、内田さんは次のサハマ登山までの間ラ・パスでゆっくり休養したいとのことで、急遽今回のイリマニ登山には参加しないということになり、メンバーは私を含めて6人となった。

   すり鉢の底のラ・パスの町の中心からイリマニの聳える東の方向に坂道を登っていくが、何故かこちらの方が中心部よりもあか抜けていて、大型のスーパーマーケットや洒落たレストランなどが随所に見られる。 町並みが新しく綺麗だと、付近を走行している車も高級車や新車が多く見られるのが何とも不思議で面白い。 昼食はファーストフード店でハンバーガーを買って車内で食べたが、ガイド達はハンバーガーが高いのか、それとも口に合わないのか、私達だけではまず入らないような町外れの街道脇にある露店で地元の料理を食べていた。

   ラ・パスの町から外れ道路が未舗装となると、国立公園の入口のゲートがあった。 『イリマニまで42km』という標識があり、一つ目の集落までは何故か石畳の道となった。 間もなく奇妙な柱状節理の巨大な屏風状の岩壁が道の脇に見えたので、車を停めてもらい皆で見物する。 日本なら間違いなく観光名所になるだろうが、周囲を見渡すと他にも似たような岩壁が沢山見られ、この辺りでは珍しくないものであることが分かった。 私達とガイド達の総勢12人と登山用具を屋根に満載したワゴン車は、路肩の弱い九十九折の山道を苦しそうに登っていく。 運転手は慣れたものだが、ぬかるみの手前では皆で車を降りる。 途中何箇所かイリマニが良い角度で見えるビューポイントがあると、その都度運転手に声をかけて車を停めてもらい皆で写真を撮る。 登る前から目標の山を充分観賞することが出来てとても嬉しい。 ラ・パスの町からはイリマニが近くに見えたが、九十九折の悪路に加え、やっとのことで峠を越えたかと思うと遥か眼下に見える小さな集落までまた一旦下り、また次の峠に登り返すということを何度も繰り返すため、一向に今日の目的地であるピナヤの村へは着かない。 意外にも途中のキリワヤという小さな集落には立派な病院があり、皆でトイレを借りて膝を伸ばす。

   夕方の6時過ぎにようやく山麓のピナヤ村(標高約3900m)に到着。 僅かばかりの家々が点在するだけの寒村で、道もここで終わっていた。 キャンプ地は村のサッカー場で、ガイド達がテントを設営している傍らで村の少年達が日没まで練習していた。 ここから見たイリマニは、北峰や南峰がそれぞれ独立した山のように見え、ラ・パスの町から見た山容とはまるで違う。 間もなくイリマニの白い峰々がピンク色に染まり、今日一番の景色を披露してくれた。 宿泊用のテントとは別に設営された食堂テントは、狭いながらも折りたたみ式の椅子に座って食事をすることが出来て快適だった。 夕食は蒸したパンと鶏肉、フライドポテト、炒めたライスと至ってシンプルであったが、食べ過ぎは禁物なのでちょうど良かった。 アルコールはないが、ヘッドランプの灯りの下でお茶やコーヒーを飲みながら話の花が咲き、野外ならではの楽しい雰囲気に包まれる。 今日から加わったガイドのイリネロが食堂テントに遊びに来た。 先輩格のエロイあたりに挨拶をしてくるように言われたのであろう。 拙い英語と知っている限りのスペイン語で会話のやりとりをする。 イリネロはラミーロと同じく、この村で生まれ育ったということであった。 外は満天の星空であり、南十字星も良く見えた。 ワイナポトシは何かと慌しい登山であったが、今回は山にどっぷり浸かれそうだ。


ラ・パスの町から外れ道路が未舗装となると、国立公園の入口のゲートがある


奇妙な柱状節理の巨大な屏風状の岩壁


路肩の弱い九十九折の山道が続き、ぬかるみの手前では皆で車を降りる


所々にイリマニが良い角度で見えるビューポイントがある


イリマニ


イリマニの隣に聳えるムルラタ(5869m)


いくつもの峠を越えてようやくイリマニが近づく


山麓のピナヤ村ではサッカー場がキャンプ地となった


  【ピナヤ村からB.Cへ】
   8月10日、日向と日陰では体感温度が全く違うので、キャンプ地に陽が当り始めるのを待ってから起床する。 今日も昨日に続き快晴の天気となった。 正に絶好の登山(アタック)日和である。 先日のワイナポトシでの二日続きの悪天候が嘘のようだ。 今日のような天気だったらワイナポトシも楽しめたはずだ。 イリマニの銀嶺が朝陽に照らされて眩しいほど光り輝いている。 風もなく陽射しが暖かいので、朝食は食堂テントを使わず、テーブルと椅子を外に出してイリマニを眺めながら優雅に食べる。 昨夜は良く眠れたので体調は良かったが、意外にも昨夜はとても元気だった伊丹さんがお腹の不調を訴えた。 ベテランの白井さんも珍しく本調子ではなさそうだ。 今日はここから標高差で500mほど上にあるB.Cの『プエンテ・ロト』まで登る予定になっていたが、食後のミーティングで平岡さんから、予備日はなくなるがここでもう一泊し、体調を整えてからB.Cに上がるという選択肢もあるという提案があり、皆にも意見を求めた。 今日の行程はそれほどハードではなさそうだし、B.Cの環境もここと同じくらい良いということだったので、ここに滞在しているよりは天気の良い時に少しでも前進した方が良いのではないかという意見をした。 メンバーの意見を総合して最終的には平岡さんが決断し、予定どおりB.Cに行くことになった。

   10時半にキャンプ地を出発。 今日もポーター(ピナヤ村の住人)達に荷上げをしてもらう大名登山だ。 B.Cまでのトレイルは終始イリマニを正面に仰ぎ見ながら緩やかに登っていく。 急ぐ必要は全くないし天気も安定しているので、おしゃべりをしながらのんびりと歩く。 傍らの潅木の茂みにはリャマの姿が時折見える。 すでにワイナポトシで高所に順応しているはずであったが、疲れが取れていないのか足取りは意外と重い。 1時間ほど歩くと潅木もなくなり、一面が黄金色をした冬枯れの牧草地となった。 間もなくポーター達が後ろから追いついてきたが、驚いたことにその中心は若い女性と子供達で、小学生くらいの男の子が荷物を背に乗せたロバを引いていた。 足元を見ると何と皆素足にサンダル履きであり、村人達にとってこの荷上げ作業はまさに普段の野良仕事の延長のように思えた。

   キャンプ地から3時間ほどでB.Cのプエンテ・ロト(“壊れた橋”の意味)に到着。 すでに先行していたポーターとガイド達によってテントは設営されていたが、そこはまるで整備されたキャンプ場のようであった。 H.Cへ上がっている他の隊のデポ用も含めてテントが数張り見られたが、ワイナポトシのような賑わいは全くない。 昨日の車でのアプローチもそうであったが、この山の懐の深さを表すかのようにB.Cの背後には数haも平らな黄金色の牧草地が広がり、イリマニの氷河から溶け出した水が小川となって幾筋も流れ、B.Cはまるでオアシスのような場所であった。 イリマニの三つの白いピークが間近に迫り、登山ルートとなる南峰の尾根もはっきりと見える。 遠くワイナポトシも遠望され、ロケーションもB.Cとしては申し分なかった。

   早速皆で山を眺めながらランチタイムとする。 伊丹さんのお腹の調子も良くなったようで安堵した。 B.Cの標高は約4400mで、ここから目標の南峰の最高点までの標高差はまだ2000mあるが、南峰が一番丸みを帯びているので威圧感は感じない。 皆でイリマニをバックに写真を撮り合う。 ガイドのエロイ、ラミーロ、ロッキー、イリネロそしてコックのマリオとも肩を組んで写真を撮り合い親交を深める。 テントは昨日同様に妻と二人だけで使えるので広々として快適であった。 強烈な陽射しでテントの中は暑いが、風も適当にあるので苦痛なほどではない。 高所でなければ昼寝でも決め込みたいところだが、呼吸が浅くなるためなるべく寝ないように努める。 明日H.Cへ持っていく荷物とB.Cへデポする荷物の整理を終えてから周囲を散策する。 テント場から少し離れた所には牛や羊ではなくリャマや馬が沢山放牧されていた。

   夕方、昨日以上にイリマニの白い峰々がピンク色に染まり、感動を新たにする。 明日も良い天気になるに違いない。 食堂テントでは今日もヘッドランプの灯りの下で夕食を食べ、お茶やコーヒーを飲みながら楽しく歓談する。 明日のH.Cではこの食堂テントもなくなり、夕食は各人のテントで自炊となるので今日が最後の晩餐である。


朝食後のミーティング


ピナヤ村を全員で出発


麓から見たイリマニは、各ピークがそれぞれ独立した山のように見える


あっという間にポーター達に追い抜かれる


ポーター達の中心は村の若い女性だった


B.Cまでは黄金色をした冬枯れの牧草地が続く


のんびりムードの大名登山


B.Cには先行していたポーターとガイド達によってテントが設営されていた


B.Cでのランチタイム


B.Cはまるでオアシスのような場所で、ロケーションも申し分ない


ガイド達と写真を撮り合い親交を深める


夕焼けに染まるイリマニ南峰


  【B.CからH.Cへ】
   8月11日、今日も快晴の天気となった。 これが本来の乾期の天気なのだろう。 9時過ぎにB.Cを出発。 今日は明日の頂上アタックに向けてここから標高差で約1000mほど上にあるH.Cの『ニード・デ・コンドル(“コンドルの巣”の意味)』(5400m)まで登る。 ありがたいことに今日も荷上げなしの大名登山だ。 昨日は一日中体調が良く、これで完全に高所に順応したかと思ったが、今日は朝から左の額の一部が“痛い”というよりも“熱い”という感じがしてとても気になる。 高所で体調を万全に維持し続けることは難しいとあらためて痛感した。

   B.Cの背後の平らな牧草地のほぼ中央を横断し勾配のある山道に入ると、山肌は次第に土から岩へと変わる。 幾重にも重なる茶色の低い山並みの向こうにワイナポトシの白い峰が孤高を誇っている。 今日も後から出発してきたポーター達にあっという間に追い越される。 さすがに今日は子供達はおらず、重たい荷物はロバに代わって村から登ってきた男衆が担いでいた。

   間もなくB.Cを潤している氷河から溶け出した水量の多い沢を飛び石伝いに渡ると、左手には荒々しいイリマニ北峰の雪壁が圧倒的な迫力で仰ぎ見られ、その氷河の舌端を回り込むようにして南峰へと突き上げている尾根に取り付く。 トレイルは砂礫のジグザグの道となり、ゆっくりでも短時間で標高が稼げるのがありがたい。 次第に赤茶けた岩屑が多くなっていくトレイルを大きなケルンが積まれた岩塔の基部まで登った所でマリオがランチの用意をして待っていた。 食欲はあるが今日も腹八分目“ポキート”(少量)で我慢する。 すでにB.Cは遥か眼下となり、辿ってきたトレイルがつま楊枝の先でなぞったように見える。 空気が澄んでいるので、豆粒ほどの大きさではあったが、最終目標のサハマやその隣にパリナコタが見えた。

   頭上の巨大な岩塔は顕著な岩尾根の末端であり、その先がH.Cとなっているようだ。 トレイルは大きな岩屑の堆積したジグザグの急登から痩せた岩稜帯となりさらに息が上がる。 間もなく荷上を終えたポーター達が次々と下ってきたが、およそ5000mを超える高所にいるとは思えないような普段着姿と背後に迫る雪山の景色とのコントラストが何かとても絵になる。 途中から岩尾根に隠されていたイリマニ南峰も大きくその雄姿を見せるようになり、3時過ぎに氷河の舌端にあるH.Cに着いた。 H.Cからはイリマニ南峰の丸い頂がボリューム感たっぷりに眼前に迫り、荒々しい懸垂氷河を身にまとったイリマニ北峰がクレバスの多い谷を挟んで屹立している。 家畜が草を食む長閑なB.Cとはまるで違う雪山の迫力ある景色に胸が高鳴った。

   H.Cはそれなりの広い平坦地であったが、半分以上が硬いペニテンテス(尖った氷塔)に覆われ、また少数ではあるが他の登山隊もいたので、一部のテントの設営場所が悪かった。 宗宮さんと中村さんが女性陣に配慮して率先的に立て付けの悪いテントを選んでくれたことには頭が下がった。 今回はH.Cでもテントを二人で使えるので快適だ。 一通り周囲の写真を撮り終えたあとは、猫の額ほどの狭いスペースにテントが目一杯張られたH.Cを歩き回る気にはなれず、代わりにテントの中で深呼吸を繰り返し行う。 左の額の熱は下がらないが、あまり神経質になっても仕方がないので気にしないように努める。 慣れない高所での山旅が続いているが、意外にも初心者の妻はワイナポトシ同様そのような高山病特有の症状もないようで感心する。

   夕方、平岡さんから夕食用のアルファー米とインスタントの味噌汁とふりかけ、そして明日の朝食用の水もどし餅が配られた。 明日のスケジュールは基本的にワイナポトシと同じで、午前零時に起床し、各自がテント内で朝食を自炊して食べた後、1時半から2時の間に出発するとのことだった。 ワイナポトシのH.Cでは下痢を患っていたことに加え、1日で就寝高度を1500mも上げたため、熟睡しようとは思わなかったが、今日は適度な疲れもあり高所にも少し慣れたので、夕食後は成り行きに任せてシュラフにもぐり込んで眠ることにした。


早朝のB.C


B.Cを出発しH.Cへ向かう(正面が登頂予定のイリマニ南峰)


B.Cから見たワイナポトシ


B.Cの背後の平らな牧草地のほぼ中央を横断する


ゆるやかな勾配の山道に入る


水量の多い沢を渡り、南峰へと突き上げている尾根に取り付く


トレイルは次第に砂礫のジグザグの道となり、ゆっくりでも短時間で標高が稼げる


遥か眼下となったB.C方面


迫力あるイリマニ北峰の雪壁を左手に仰ぎ見ながら赤茶けた岩屑のトレイルを登る


H.Cに近づくと痩せた岩稜帯となる


H.Cの直下から再びイリマニ南峰の雄姿が大きく望まれた


5000mを超える高所にいるとは思えない普段着姿の女性ポーター


氷河の舌端にあるH.Cに到着


荒々しい懸垂氷河を身にまとったイリマニ北峰がクレバスの多い谷を挟んで屹立している


夕焼けに染まり始めるイリマニ南峰


硬いペニテンテスに覆われたH.Cから最終目標のサハマが豆粒ほどに見えた


日没の風景


  【山頂アタック】
   8月12日、さすがに高所に慣れたのか、息苦しさを感じることもなく午前零時の起床時間となった。 妻も相変わらず体の不調はないようで安堵した。 ありがたいことに多少雲はあるものの風はなく、穏やかなアタック日和となりそうだ。 ワイナポトシもそうであったが、イリマニも独立峰であるため風の有無は登頂の有無を左右する。 昨夜の夕食の余りのアルファー米にお湯を注ぎ、お粥にして食べる。

   今日は宗宮さんと中村さんがロッキーとアンザイレンして先発し、次に私達夫婦がエロイとアンザイレンして続き、最後に白井さんと伊丹さんがラミーロとイリネロと共にアンザイレンし、平岡さんが最後尾となって暗闇の中を順次登り始めた。 幅の広い雪稜は単調ではあるものの、見かけ以上に緩急の差があった。 エロイはアルプスのガイドのように急斜面では早足で登り、逆に緩斜面では意識的にゆっくりと登っているような感じであった。 高所で生まれ育ったエロイからすれば1時間あたり200m以上の標高は稼ぎたいところだろうが、私達はそうはいかない。 前を行く妻がエロイのペースに引き込まれようとするのを、後からザイルを張り気味にしてペースダウンを促す。 経験上、オーバーペースとなった体で6000mを越えるとペースが極端に落ち、足がどうにも言うことを聞かなくなるからだ。

   2回目の休憩で妻がハーネスを外して用を足していると、後から白井さんと伊丹さんのパーティーが追い着いてきた。 最後尾で全体の指揮を取っていた平岡さんから、妻のペースはそのままで良いが、休憩時間を短くするようにとの強い口調での指示があった。 平岡さんは白井さんと伊丹さんをラミーロとイリネロに託して先行させ、代わって最後尾となった私達のザイルに加わった。 平岡さんは妻に登頂の意思を確認すると、妻のザックから中身のテルモスなどを取り出して私に持たせ、空になったザックを自らのザックに括りつけた。 後で聞いた話では、経験上こうすることによって弱者に心理的なインパクトを与え、登頂に導いたケースが多々あるとのことだった。 少し身軽になった妻は先ほどよりも早いペースで登っていき、間もなく斜度が一段と急になる所の手前で休憩していた白井さんと伊丹さんのパーティーに追い着いた。

   夜が白み始め、先行しているパーティー(ロッキーに率いられた宗宮さんと中村さんであろうか?)の姿が朧げに見え、この上のルートのイメージが少し掴めた。 高度計は機能していないが、ここまでの所要時間などを考えると、ここを登りきれば山頂へと続く稜線に出られそうだった。 相変わらず風もなく天気は安定しており、間もなくここも暖かな陽光に恵まれるだろうと思ったのは甘かった。 この先のルートの状況(足場)が悪いのか、先行しているパーティーの歩みは遅くなり、僅か200m〜300mほどの標高差の登りは遅々として捗らなかった。 登る時間よりも待つ時間のほうが長くなり、まるで岩場での順番待ちをしているようだった。 傾斜は確かに今までよりきついが、踏み固められたつぼ足のトレイルは登りやすく全く問題ない。 なぜこの先が渋滞しているのか理解に苦しむ。 しかしながらボリビアの山での暗黙のルールなのであろうか、ラミーロやエロイは先行パーティーを追い抜く気配は全くなく、ただじっと前のパーティーが登るのを待っているだけだった。 後ろを振り返ると、最後尾の平岡さんも遅い歩みに少しイライラしている様子が伺えた。 動きが緩慢なのでだんだんと足先が冷たくなってくる。 体は楽だが、先が見えているだけに精神的に疲れてくる。

   しばらくこのような状況が続いたが、ようやく傾斜も緩み、渋滞もなく登れるようになった。 太陽の恵みだけではなく、もうじき頂稜部の新鮮な景色が見られると思うと心が弾む。 間もなく私達の体にも待望の朝陽が当たり始めた。 軽やかな足取りで山頂へと続く稜線まで登り詰めると、今までの暗く寒々しい風景は一変し、眩いばかりのイリマニの中央峰が圧倒的なスケールで眼前に鎮座し、ヒマラヤ襞も見られるストイックな北峰がもう目線の高さに迫っていた。 そして幅の広い雪稜がまるで紺碧の空に吸い込まれていくように痩せ細っていく先に、目指す南峰の頂稜部が見えた。 ありがたいことに風も殆どなく、登頂の手応えを感じた。

   ところが、その直後に前を登っている妻が突然うずくまった。 すかさず妻の所に歩み寄って事情を聞くと、寒気がして体の震えが止まらないという。 高度障害かと一瞬思ったが、先ほどまでの状況を考えると体力の消耗で低体温症になってしまったのかもしれない。 そこへ後から何も知らない平岡さんが追い着き、妻に向かって「もう少しだから頑張りましょう!」とハッパをかけた。 事情が分かっていない平岡さんに妻の突然の体の異変を説明したが、意外にも平岡さんはそれほど心配していない様子だった。 それどころか、しばらく休めば大丈夫という認識で「頑張りましょう!」と繰り返し妻にハッパをかけたので、たまらず私が「妻を殺す気ですか!」と声を荒げて叫ぶと、ようやく真剣に妻の介護をする気になってくれた。 ザックを妻のお尻の下に敷き、テルモスの暖かい紅茶を飲ませ、しばらくしてから行動食も少し食べさせた。 平岡さんが予備に持ってきたダウンのベストとエロイのジャケットを上から着せ、妻の背中に体を密着させて冷え切った体を少しでも温めるように努力する。 風もなく陽射しにも恵まれているから出来ることで、条件が少しでも悪ければこんな悠長なことはやってられない。 登頂を目の前にしてこれからどうするか悩んだが、もともと今回の山行は私が是非にと妻を誘った経緯もあり、今の状況では妻を一人で(もちろんガイドのエロイは一緒だが)下山させる訳にはいかないので、妻の症状が少し良くなってきたら、登頂は諦めて私も一緒に下山することを心に決めた。

   30分以上が過ぎ、陽射しも先ほどに比べてだいぶ強くなり、目に見えて暖かくなってきた。 消耗しきっていた妻の体にもようやく生気が蘇ってきたようで安堵する。 この様子ならエロイと2人だけで下山することが出来るかもしれないと思ったが、高所では何が起こるか分からないので、妻と一緒に下山することに迷いはなかった。 そんな私の気持ちを察してか、少し元気を取り戻してきた妻は、意外にももう少し頑張って登ってみると言い出した。 いつもに増して妻の意志は固く、とりあえず天気も安定していたので、妻の様子を見ながら再び登り始めることになった。

   真の山頂はまだここからでは見えないが、山頂へと続く幅の広い雪稜の傾斜は緩く、今の状況では本当にありがたい。 平岡さんと私で妻の両脇を固め、タイトロープでエロイが妻を引っ張る。 まるで荷物のような扱いで可愛そうだが仕方がない。 妻はけなげにも私達に迷惑を掛けたくないという一心でひたむきに頂を目指して登っている。 その姿を見て思わず目頭が熱くなり、不意に涙が溢れ出てきた。 登頂はとうに諦めていたので、「無理しないで、いつでも下山して良いよ!」と声を掛けるが、涙で声が詰まる。 ちょうどその時、上から宗宮さんと中村さんのパーティーが登頂を果たし、晴れがましい笑顔で下ってきた。 すれ違い際に祝福の言葉を掛けようとしたが、全く声にならなかった。 お二人は私達の状況を察して、そのまま静かに下山していった。 間もなく白井さんと伊丹さんのパーティーも相次いで下山してきた。 伊丹さんに一言だけ祝福の言葉を掛けたが、お二人も妻の異常を察知したようで、私達を静かに見送ってくれた。

   幅の広い雪稜は次第にやせ細り、ようやく中央峰や北峰が目線の高さになってきた。 相変わらず風もなく穏やかな天気でありがたい。 妻の足取りも先ほどよりしっかりしてきたようだ。 間もなく傾斜のなくなった稜線の僅かばかり先に山頂と思われる所が見えた。 大きな山に相応しい平らな広い頂だった。 先日のワイナポトシ同様、達成感よりも安堵感が先行し、違った意味での緊張感からも解放された。 枯れ果てたと思った涙が再び溢れ出てきた。

   11時過ぎ、H.Cを出発してから9時間以上を要して憧れのイリマニの山頂(南峰)に辿り着いた。 真っ先に妻を抱擁し、そのまま二人とも地面に崩れ落ちた。 一旦は諦めた頂であったが、本当に登れて良かったとあらためて妻に感謝する。 そして平岡さんやエロイとも肩を叩き合いながら、感謝と喜びの気持ちを体全身で伝えた。 ボリビアのシンボルとも言われる名峰の頂に、今こうして立つことが出来たのだ。 何とドラマチックなサミットであろうか!。 皆で記念写真を撮り合い、登頂の喜びに浸りながら周囲の写真を撮りまくる。 山頂からの展望は、北峰と中央峰が隣接しているため、独立峰とは思えないユニークな景観である。 一番近くのムルラタ(5869m)がラ・パス付近から見た台形の穏やかな山容とはまるで違う南面の荒々しい岩肌を惜しみなく披露し、その左奥には僅か4日前に登ったばかりのワイナポトシとその背後にレアル山脈の山々が遠望された。 そして反対側に目を遣れば、果てしなく広がる赤茶けたアルティプラーノの先に次の目標であるサハマが米粒ほどの大きさに見えた。

   もう誰も登ってくることのない山頂に20分ほど滞在し、二度と来ることは叶わない想い出の頂に別れを告げて下山にかかる。 妻の下山をサポートするため、途中の写真撮影は平岡さんに任せてカメラをザックにしまった。 妻は相当疲れていたようだったが体調は悪化することもなく、僅か3時間足らずでH.Cまで下ることが出来た。 私達の無事の下山を心配していた皆に遅ればせながら登頂報告をし、あらためて皆で登頂の成功を称えあう。 マリオが差し出してくれた暖かいスープがありがたい。 結局、イリマニにはメンバー全員が登頂することが出来たわけで、まだサハマは残っているものの当初の目標は充分に達成出来た。 これだけの短期間で6000m峰を2つ登れたなんて夢のようだ。 着替えもそこそこにテントの傍らで仁王立ちし、登ったルートを目で追いながら一人悦に入った。

   明日のアタックに向けて下から外国人のパーティーが2隊ほどH.Cに登ってきた。 狭いテントスペースは更に狭くなり、ペニテンテスの上にもテントが張られた。 遠くのサハマが夕陽に照らされてはっきり見えるようになり、まるで私達を手招いているようだった。 今日はB.Cまで下りず、予定どおりここでもう1泊することとなった。 未明から12時間ほどの行動で疲れてはいたものの、5400mの高度とテントを叩く強い風は安眠を許してくれなかった。


ロッキーに率いられ先行する宗宮さんと中村さんのパーティー


ようやく傾斜も緩み、渋滞もなく登れるようになる


私達の体にも待望の朝陽が当たり始め、軽やかな足取りで山頂へと続く稜線に躍り出る


圧倒的なスケールで眼前に鎮座しているイリマニ中央峰


ヒマラヤ襞も見られるストイックな北峰が目線の高さに迫る


幅の広い雪稜がまるで紺碧の空に吸い込まれていくように痩せ細っていく


傾斜のなくなった稜線の僅かばかり先がイリマニ南峰の広く平らな頂だった


イリマニの山頂


イリマニの山頂


山頂から見たワイナポトシとその背後のレアル山脈の山々


山頂から見た荒々しいムルラタの山塊


山頂から見たサハマ


二度と来ることは叶わない想い出の頂を辞する


イリマニ北峰


荒々しい山肌を見せるイリマニ北峰


イリマニ南峰の登攀ルート


山頂から僅か3時間足らずでH.Cまで下る


夕焼けに染まるイリマニ南峰


H.Cから見たワイナポトシ


H.Cから見たサハマ


  【H.Cからピナヤ村へ】
   8月13日、今日も快晴の天気だが、昨夜は夜中じゅうずっと強い風が吹き荒れていた。 今日がアタック日でなくて本当に良かった。 テントに陽が当り始めてからゆっくり起床して朝食を済ませ、下山の準備をする。 登頂の余韻に浸りながら昨日登った南峰の登攀ルートを双眼鏡で眺めていると、上の方はまだ風が強いのか、未明に出発した2組のパーティーが相次いで下山してくる姿が見えた。 間もなくポーター達がB.Cから登ってきてくれた。 彼(彼女)らは今日も全くの軽装だ。 南峰を背景に皆で記念写真を撮り、10時に想い出のH.Cを後にする。

   H.Cから少し下った急な岩稜帯では、ガイド達がわざわざ先行してフィックスロープを張ってくれたが、足の疲労感は少なく目印の大きなケルンまで楽々と下る。 所々で写真を撮るために足を止めながら、B.Cのある広大な牧草地の手前まで下ってくると、突然カメラのレンズがボディに収納できなくなり、シャッターが切れなくなってしまった。 旅慣れている白井さんが、レンズが砂を噛んでしまったのではないかとアドバイスしてくれた。 砂の粒が日本のものより細かいのだろうか?。 すでにもう1台の新品のカメラも先日レンズフードの開閉に支障をきたしてしまったが、それも同じ原因だったのかもしれない。 まだこれから始まるサハマの旅を始め、撮りたい風景は一杯あるのに本当に残念だ。

   H.Cから2時間半ほどでB.Cに下り、イリマニの白いピークを愛でながら優雅にランチタイムとする。 こんな幸せな気分に浸れるのも全員が登頂出来たからに他ならない。 潤いのある広大な牧草地の片隅に位置するオアシスのようなB.Cは、ロケーションが本当に素晴らしい所だ。 今日は下のピナヤ村ではなくここに泊まって行きたいと願わずにはいられなかったが、時間もまだ早いのでピナヤ村へと更に足を延ばす。

   午後3時にピナヤ村に到着。 先日幕営したサッカー場ではなく、そこから一段下がった空き地にポーター達がテントを設営して迎えてくれた。 B.Cとの標高差は僅かであるが、風もなく強烈な陽射しと下草の照り返しでとても暑く感じる。 テントの中で寛いだり、外で日向ぼっこしたり、木陰で涼んだり、昼寝を決め込んだりと、皆思い思いに夕食までの時間を過ごす。 予定していた時間よりも少し前に、食堂テントではなく外のテーブルに料理が並べられた。 少し豪華なものを期待していたがこの寒村では望むべくもなく、蒸かしたジャガイモと味付けのされていない骨付きの肉だけという至ってシンプルなものだった。 ジャガイモの中には日本では見たことがない紫色の原種のようなものがあり、皮を剥くと中は栗のような色と甘さがしてとても美味しかった。 また、鶏肉のように見えた肉は羊の肉で、少々硬かったがとても素朴で味わいがあった。 誰ともなく「ビールがあったら良いのにね〜!」と言うと、急遽ガイドやポーター達が村の家々を回り、どこからともなく1ダースものビールを調達してきてくれ、めでたく打ち上げの祝杯を上げることが出来た。 残照のイリマニが美しい。 間もなく日が暮れて寒くなってきたが、食堂テントには入らずダウンジャケットを着込み、星とイリマニのシルエットを肴に夜遅くまで話しの花を咲かせた。 隣では今日が運転手さんの誕生日とのことで、ガイドやポーター達も立ちながら私達が差し入れたビールを飲んで大いに盛り上がっていた。


昨夜はずっと強い風が吹き荒れていたが、今日も快晴の天気となる


イリマニにはメンバー全員が登頂出来た


H.CからB.Cへ下る


傾斜が緩んだ所で一服する


B.Cを潤している氷河から溶け出した水量の多い沢を飛び石伝いに渡る


イリマニの裾野に聳える標高5000mほどの無名峰


B.Cの背後の潤いのあるオアシスのような広い牧草地


ロケーションが素晴らしいB.Cで優雅にランチタイムとする


後ろ髪を引かれる思いでB.Cを後にする


ピナヤ村の空き地のテントサイトでは、皆思い思いに夕食までの時間を過ごす


蒸かした原種のようなジャガイモと、味付けのされていない骨付きの羊の肉


日が暮れて寒くなってきたが、食堂テントに入らずに談笑する


残照のイリマニ


ガイドやポーター達も私達が差し入れたビールを飲んで夜遅くまで大いに盛り上がっていた


  【ピナヤ村からラ・パスへ】
   8月14日、今日も乾期らしい快晴の天気が続き、早朝からイリマニが良く見える。 カメラが故障しているので、モルゲンロートに染まる山肌をしっかりと目に焼き付ける。 朝の食卓は相変わらず質素だが、イリマニに登れた達成感に満たされているので、和気あいあいと会話も弾む。 ラ・パスからの迎えの車はいつ来るか分からないが、長閑な村の風景とその背後に聳え立つ別世界の雪山の風景に心を癒されながら気長に帰りの支度を行う。

   10時過ぎにワゴン車が遠目に見えてくると、皆から自然と歓声があがる。 この国の時間に対する感覚からすれば、この時間でも早かったと思えるから不思議だ。 屋根に沢山の荷物を括り付け、定員一杯の12人が乗車した中古のハイエースは今日も悲鳴をあげながら往路と同じ悪路の峠をいくつも越えていく。 今日も急ぐ必要は全くないので、山の写真を撮るために所々で車を停めてもらう。 途中、道路脇に大勢の人影が見えたので不思議に思ったところ、その先で土砂崩れがあり、前を走っていた路線バス(この道を大型のバスが通行していること自体が日本では考えられない)が立ち往生していた。 先日のワイナポトシの下山中の悪い記憶が真っ先に脳裏をよぎったが、私達が“専務”という愛称で呼んでいたとても気の利く助手が、車に常備してあったつるはしとスコップを持って現場に駆けつけ、バスの運転手と共に道路に積った土砂を均し始めた。 作業中も常に上からの落石があったが、二人とも全く気に留めることなく手際よく作業を進めていく。 こちらでは土砂崩れは日常茶飯事なのであろう。 もしこれが日本だったら、私達にはなす術もなくレスキューを待つのが関の山だが、彼らは全く手馴れたもので、30分ほどで何とか通行出来るように修復してしまった。 もちろん全員で彼を拍手で車に迎え入れたことは言うまでもない。

   悪路の山道は石畳へと変わり、国立公園の入口のゲートを過ぎると喧騒のラ・パスの町に入った。 今までの静けさが嘘のように車の往来が激しくなる。 山村地帯から初めてラ・パスの町に出て来る人はその光景に驚くことだろう。 文明の匂いを嗅いだとたんお腹の虫が鳴き出し、ファーストフードの店でフライドチキンとアイスクリームを頬張る。 結局ホテルに戻ったのは夕方近くになってしまった。 明日の未明にはサハマに行かない伊丹さんと中村さんが帰国してしまうので、平岡さんの提案でワイナポトシとイリマニの登山の打ち上げをフォルクローレの生演奏を聴かせるラ・パスでは有名な店ですることになった。

   シャワーを浴びてから、タクシーでサガルナガ通りへ向かう。 まだ時間が早いのか、店内には私達以外の客はいなかったが、間もなく予約の団体客が次々に来店し、あっという間に満席となった。 食事は前菜がバイキング形式となっていたが、品揃えが豊富なばかりか、質・量共に充分満足のいくものだったので、メインディッシュは要らないくらいであった。 昨日までの質素な食事から一変し、ボリビアの山を登りにきていることを忘れてしまいそうだ。 しかしながら、サハマを終えるまではアルコールは飲まないと心に誓っていたので、今日もソフトドリンクで乾杯する。 間もなく前座に続き、ギターやケーナを携えた5人の演奏者が私達のテーブルのすぐ脇のサブステージで、賑やかにフォルクローレを奏で始めた。 最近では演奏会などに全く足を運ばなくなった私にとって、このかぶりつきの生演奏は強烈な印象であった。 一通りの定番曲の演奏が終わると、仮装した大勢の男女のダンサー達がメインステージに勢い良くなだれ込み、テンポの良い演奏に合わせて踊り始め、店内は大いに盛り上がった。 まさに打ち上げには相応しい宴であったが、最後の方は食べ過ぎと疲れで居眠りをしてしまった。 身も心も満足感に満たされた気分でホテルに戻り、あと数時間後には帰国される伊丹さんと中村さんと再会を誓い合い、久々のベッドに倒れ込んだ。

   8月15日、昨夜は遅くまで打ち上げをやっていたので、疲れを今日に持ち越してしまった。 今日は丸一日ラ・パスでの休養日となっているが、慣れたとはいえ3600mの高度は決して楽ではない。 目に見えない疲れは溜まっていたが、ワイナポトシ・イリマニと順調に2座登れた安堵感で気が緩んだのか、伊丹さんと中村さんを未明に空港へ見送り睡眠不足の平岡さんを案内役に頼み、白井さんと一緒に土産物を買いに出掛けることにした。 露天商の両替屋で米ドルをボリビアーノに換金し、外国人向けの土産物店が軒を並べるサガルナガ通りへ歩いて向かう。 私はいつもどおり民芸品などには目もくれず、もっぱら山の写真集やガイドブック・ポスター・絵葉書などを買い漁った。 意外にもこれらの物は、外国資本で品質も良い反面、ボリビアでは大変高価なものだった。

   昼食は初めて待望の日本食を食べに、平岡さんが知っている『けんちゃん』という店に行った。 入口には『ラ・パス日本人会事務所』という貼紙があり、広い店内は庶民的な雰囲気で、外国人の観光客向けというよりは正に現地の邦人向けという感じだった。 ギョーザやチャーハン、チチカカ湖で獲れるという鱒のにぎり寿司などを食べたが、日本の味と全く同じでとても美味しかった。 満腹に食べたかったが、前回の失敗を教訓に腹八分目にしておいた。 意外にも大食漢の平岡さんも注文した料理をかなり残していた。 やはり、皆疲れが溜まっているようだ。

  ホテルに戻り、明日からのサハマ登山に向けての準備をする。 夕食は全員で初日に行ったホテルの近くの中華料理店に行き、ささやかに最後の登山の前祝をやった。 寝る前に一昨日故障したカメラを未練がましくいじっていると、運が良いことに何かの弾みで突然作動するようになった。


背後に聳え立つ別世界の雪山の風景が絵になるピナヤの村を後にする


所々で記念写真を撮り、登頂の喜びを新たにする


土砂崩れの現場で立往生する路線バス


イリマニの雄姿を目に焼き付ける


フォルクローレの生演奏を聴かせるラ・パスでは有名な店で登山の打ち上げをする


ギターやケーナを携えた5人の演奏者が賑やかにフォルクローレを奏でる


  【サハマ】
   8月16日、各々の時間で朝食を食べた後、サハマ村に向けて9時前にロビーに集合したが、メンバーが2人減っただけでとてもこぢんまりとした隊になったような気がする。 実際にはイリマニには内田さんは行かれなかったので1人しか違わないのだが、全く不思議なものである。 コックのマリオの姿が見られなかったので、異常を察知した平岡さんがエロイに訊ねたところ、やはり今回のメンバーからマリオを外し(ガイドが料理を作る)、さらにテントの数も1つ減らしたことが判明した。 話し合いの結果、平岡さんの強い要請でラ・パスの郊外に住んでいるマリオを呼び出し、途中彼らの事務所に寄ってテントを調達し、その後マリオも合流してようやく一件落着した。

   ボリビアとの関わりが深い革命家のチェ・ゲバラの大きな像のある広場を過ぎると、意外にも料金の徴収ゲートがあった。 ゲートを過ぎても道路の状況は特別変わることはなかったが、ラ・パス市内に比べて車の数は激減し、大きなコンテナトラックや長距離の大型バスが多く見られるようになった。 サハマ村までの距離はラ・パスから400キロほどらしいが、ワイナポトシやイリマニの登山口までのアプローチとは違い舗装道路を走行するため、その点は快適であった。 しばらくすると交差点や信号機は全く無くなり、11人の人間と荷物を満載したワゴン車は時速80〜100キロ位のスピードで疾走していく。 イリマニを左手に見送ると風景には変化が無くなり、荒涼とした枯れ草の大地が延々と続く。 所々にオアシスのような川が流れ、その周囲には必ず牛やリャマなどの家畜が放牧されていた。 窓側に座っていると強烈な陽射しが襲いかかり、帽子だけでは足りずにテントマットで遮断する。

   ラ・パスから2時間ほどでパタカマヤという集落に着いた。 ここはこれから向かうサハマ村方面(その先は国境を越えてチリへ)との分岐点になっており、道路の両脇には飲食店などが所狭しと並んでいる。 ガイド達は迷うことなく、串刺しにされた鳥の丸焼きが大きな保温器付きのショーケースに陳列してある店に入った。 この辺りではポピュラーなファーストフードの店なのであろう。 鳥の照焼きとフライドポテトに味の無いパスタが一つの皿に盛られたスナックメニューのようなものを食べたが、予想どおり味は今一つであった。 それ以上に店内のトイレが想像を絶する汚さで、女性陣は町外れにあった有料のトイレに行かざるを得なかった。

   昼食後は一旦僅かにラ・パス側に戻り、標識に従ってT字路をチリとの国境に向けて左折する。 正面には小さいながらもサハマがはっきりと望まれ、気分が一気に高揚する。 意外にも分岐からすぐの所に検問所があった。 チリとの国境に通じているためか、あるいは近くに軍隊の駐屯地があるためだろうか?。 検問所にありがちな渋滞もなくスムースに通過出来ると思われたが、何故かしばらく検問所の係官と運転手のやり取りが続いた後、通行が不許可となった。 今回の旅ではこれまで色々なアクシデントがあったが、これには本当に焦った。 路肩に車を停めて指示を待てという。 お金でも要求されるのかと思ったら、何故か医療品の提出を求められた。 仕方なく平岡さんが没収されることを覚悟に遠征用の大きな救急箱を差し出すと、しばらくしてから何も取られずに返却された。 彼らの目的は不明であったが、通行が許されて一同安堵した。

   交通量がさらに少なくなった舗装路をしばらく走行すると丘陵地帯に入り、起伏やカーブが多くなってきたが、周囲には相変わらず目立った山などは一切見えなかった。 イリマニのH.Cから遠くサハマを見た時も傍らのパリナコタ以外の山は見えなかったことが思い出された。 丘陵地帯を越えると、車窓から白い帽子を被ったサハマやパリナコタが右手に大きく望まれるようになり、一同の目が釘付けとなる。 車を路肩に停めてもらい、皆で写真タイムとなった。

   間もなく標識に従って右折し、サハマ村へ通じる未舗装路に入る。 荒涼とした砂漠のような風景が展開し、車の巻き上げる砂埃が酷かったが、起伏がないので路面の状態は良好であった。 時計周りにサハマの山麓を回り込むようにして進むと、サハマの南西面は先ほどまでの容姿とはまた一味違う凄みのある面持ちとなり、再び車を停めてもらい写真を撮る。 空気が大変乾燥しているため、午後になっても雲一つ湧かず、空は真っ青である。 登る前に麓から充分に山を観賞することが出来てとても嬉しい。 これでもし登頂が叶ったらボリビアの山旅としては本当に完璧だ。

   予定より大分遅れて夕方の5時前にようやくサハマ村に着いた。 村といっても見渡す限り十数軒しかなさそうなこぢんまりとした集落だ。 入口には国立公園の管理事務所があり、ガイド達と平岡さんが入園手続きをしてくれた。 入園者の名簿には5月に僅か一組の日本人の名前が記されていた他は予想どおり皆無であった。 昨夜の打合わせでは今晩はテントに泊まることになっていたが、到着が遅くなったためか、管理事務所から指定されたのか理由は不明であったが、管理事務所の傍らのロッジに泊まることになった。 ロッジといっても扉の鍵もなく、まるで避難小屋のような簡素な作りの建物であり、狭い室内にはちょうど私達の人数分の6つのベッドが置かれているだけだった。 布団も薄くて粗末なものだったので寝袋で寝ることにしたが、それでもテントに泊まるよりは遥かに快適でありがたかった。

   夕焼けでサハマが黄金色に染まり、その一瞬の素晴らしい光景に一同の目が釘付けとなる。 夕食は村で一軒のよろず屋の店内にある簡素なテーブルを囲み、ヘッドランプの灯火でガイド達が作ってくれた簡素な料理を食べる。 砂漠のような環境のため日が沈むと室内も急速に冷え込んでくる。 食後のティータイムもそこそこに切り上げ、寝場所のロッジに戻る。 今日も南十字星がはっきりと見える星空がとても綺麗だ。 明日もこのまま晴天が続くのだろう。


ボリビアとの関わりが深い革命家のチェ・ゲバラの大きな像


道路の両脇に飲食店などが所狭しと並んでいるパタカマヤの集落


串刺しにされた鳥の丸焼きが大きな保温器付きのショーケースに陳列してある店で昼食を食べる


検問所では何故か通行が許可されず、路肩に車を停めて指示を待つ


車窓から白い帽子を被ったサハマが大きく望まれるようになる


車を路肩に停めてもらい、皆で写真タイムとなる


富士山のような秀麗な山容のパリナコタ(6330m/左)と姉妹峰のポメラタ(6240m/右)


見る方角によって全く違う姿を披露するサハマ


国立公園になっているサハマ村の入口


サハマ村から見たサハマ


扉の鍵もない避難小屋のような簡素な作りのロッジ


狭い室内にはベッドが置かれているだけだったが、テントに泊まるよりは遥かに快適だった


見事な黄金色に染まるサハマ


  【サハマ村からB.Cへ】
   8月17日、陽が当り始める時刻に合わせて7時過ぎに起きると、今日も上空には雲一つない快晴の天気だったが、周囲の砂漠のような荒涼とした風景がそれを当然のように受け容れている。 サハマの背後から強烈な朝陽が射し込んで来ると、体感気温は劇的に上昇する。 生憎サハマは逆光であるが、順光となるパリナコタ(6330m)とすぐ隣に聳える姉妹峰のポメラタ(6240m)のコンビが絶好の被写体となる。 パリナコタは今回のこのツアーがなければ、いつか是非登りたいと思っていた山だ。 富士山のような秀麗な山容で一見登り易そうだが、以前平岡さんが登った時はやっかいなペニテンテス(氷の尖塔)に苦しめられたという。

   朝食後、平らではあるが埃っぽい未舗装の車道を北の方角に向かって歩き始める。 今日はここから標高差で約600mを登り、標高4800mにあるB.Cを目指す。 時折、白・黒・茶色・雑色と様々な色をしたリャマの群れが車道を横切る。 間もなく私達の荷物を満載したロバ達が、ポーターに引かれて傍らを追い抜いていった。 1時間ほど車道を水平に歩き、踏み跡に従って車道の一部をショートカットして少し勾配のある砂礫の斜面を登り、石の車止めのある実質的な登山口に着いた。 傍らには古い小屋があったが、以前は休憩舎として使われていたのだろうか?。 潅木の茂みの中に日陰を求めてしばらく休憩する。

   トレイルは次第に幅の広い沢のような地形の縁を行くようになり、一旦手前の丘に隠れていたサハマが再び正面に仰ぎ見られた。 サハマの北西面は火山活動の影響か中央部の斜面が大きく崩れ落ち、穏やかな山容のパリナコタやポメラタとは全く違う迫力がある。 標高4500m位を過ぎると意外にも沢幅はさらに広くなり、辺りは黄金色の枯れた草地となった。 周囲を良く見渡すと、枯れていると思われた沢も、所々の窪みに僅かであるが水が流れている。 再び耳に鑑札を付けた家畜のリャマがいたる所に見られるようになった。 首や足の細いグアナコも僅かに見られたが、こちらは野生のようだ。 ガイド達の話ではアルパカはこの辺りには殆どいないとのことだった。 昼食は一足先行していたマリオが、村で調理したパスタを温めてくれた。 デザートにバナナやオレンジもあったが、今日も“ポキート”を心掛ける。 のんびりランチタイムを過ごし大地に寝転ぶと、草の感触は心地良かったが、たまに吹く風は冷たかった。

   昼食後しばらくは勾配の緩い気持ちの良い草地の中のトレイルを歩く。 所々の岩にその表面を隙間なく覆っている鮮やかな緑色の苔が見られた。 雨季にはこの辺りの涸れ沢も増水するのだろうか?。 午後に入ると空の色は益々青みを増し、覆いかぶさるような威圧感のあるサハマの雄姿に圧倒され続ける。 ガイドブックどおりであれば左の稜線が登攀ルートだろう。 H.Cの位置や明日登るH.Cへのトレイルも大体見当がつく。 遠目にはB.Cと思われた草原を左手に見送り、その先を少し行くと広大な砂漠化した平原が眼前に広がり、その一番手前の片隅に背の低い石垣に一部を囲まれたB.Cのテント場が見えた。 午後3時前にB.Cに到着すると、先行したポーター達が設営してくれた私達のテントの他に、H.Cへ上がっているパーティーのデポ用のテントなどが僅かばかり見られた。

   強烈な陽射しから逃れるため早速テントの中に入るが、風通しを良くするためテントのファスナーを開けると、少しの風でも容赦なく砂埃がテント内に入ってくるため、非常に不快である。 快適だったイリマニのB.Cが恋しい。 まだアタックは明後日だが、風の心配が頭をかすめる。 アコンカグア同様に、この山の登頂の成否は風の有無にかかっている。 B.Cがこんな感じであるからH.Cの環境はもっと悪いだろう。 平岡さんからも、明後日のアタック日はH.Cから山頂を往復した後に、出来ればB.Cまで下山したいという打診があった。

   昨夜は良く眠れたが、先日のイリマニの時と同じように左の額に熱がこもり、時々ズキンと痛みが走る。 もういい加減高山病という感じでもないので、長旅の疲れが溜まっているのだろう。 いずれにしても早く治さないと明日・明後日が厳しいので、テント場の周囲を散歩したり、深呼吸をまめにすることを心掛ける。 6000mの山を二つ登り、体も充分順応しているはずなのに情けない。 B.Cの夜は驚くほど寒くはなく、下のサハマ村と同じくらいだった。 ここから900m上のH.Cでも最低気温はマイナス10〜15度位ではないだろうか?。


埃っぽい未舗装の車道を北の方角に向かって歩き始める


順光となるパリナコタ(左)とすぐ隣に聳える姉妹峰のポメラタ(右)のコンビが絶好の被写体となる


私達の荷物をB.Cへ運ぶロバ


車道の終点には石の車止めがあり、ここが実質的な登山口となる


サハマを正面に仰ぎ見ながら幅の広い沢のような地形の縁を辿る


黄金色の枯れた草地には、白・黒・茶色・雑色と様々な色をした家畜のリャマがいたる所に見られる


気持ちの良い草地でランチを食べてからのんびりと寛ぐ


荒々しいサハマの北西面を仰ぎ見ながら相変わらず勾配の緩いトレイルを歩く


岩の表面を隙間なく覆っている鮮やかな緑色の苔が所々に見られる


広大な砂漠化した平原の片隅にあったB.Cのテント場


残照のサハマ(左の尾根を登る)


  【B.CからH.Cへ】
   8月18日、今日も素晴らしい快晴の天気だ。 風も無く絶好の登山日和である。 この分なら明日のアタック日も多分同じような快晴の天気になってくれるだろう。 打合わせどおり7時起床・8時朝食・9時の出発で、目的地のH.C(5700m)へと向かう。 もちろん今日もサハマ村の人達に荷上げをしてもらう大名登山だ。

   背の低い雑草が僅かばかりに生えている平らな砂地のトレイルを、威圧的な面持ちのサハマを正面に仰ぎ見ながら歩いていく。 しばらくすると草もなくなり、岩屑が混じった緩やかなトレイルをだらだらと1時間ほど登った小広い平坦地で休憩となる。 ここからはパリナコタとポメラタが肩を並べて良く俯瞰される。 その先も緩やかな登りがしばらく続いたが、山頂に向かって伸びる顕著な尾根に取り付く手前から勾配が増し、足取りが急に重たくなる。

   尾根の取り付き点にはケルンのように大小の岩が堆積し、良い目印となっていた。 尾根を見上げると、かなり上の大きな岩塔までずっとガレ場が続いているのが良く分かった。 その大きな岩塔の上がH.Cとなっているようだ。 この先はしばらくガレ場が続くので、ここで長い休憩となる。 思い出したかのように突然左の額にズキンと痛みが走り、少しナーバスになる。 ガレ場にはジグザグの小刻みなトレイルがつけられていたので意外と歩き易く、ゆっくり登っても効率良く標高を稼ぐことが出来た。 1時間も登らないうちに休むのにちょうど良い場所があり、ここでランチタイムとなる。 今日も“ポキート”だが、食欲は普通にあり、食べ物が美味しく感じられる。 果てしなく広がる麓の荒涼とした大地を眺めていると、意外にもコバルトブルーの水を湛えた小さな湖が二つ見えた。

   長いランチタイムの後、再びガレ場を小刻みにジグザグを切って登っていくが、頭上の大きな岩塔の基部までくるとトレイルには砂が混じり、また勾配も一段と増したため、非常に登りにくくなった。 岩塔を左から巻いて登る所では上から時々落石があり、ガイドに注意を喚起されながら登った。 間もなく頭上にテントが見えた。 少し着くのが早い気もするが、他にキャンプ地はないので、あそこがH.Cなのだろう。

   午後2時半に5700mのH.Cに到着。 痩せ尾根の末端の猫の額ほどの狭いスペースには私達のテント2張と、ガイドのテント、そして他の隊のテントが数張あるだけで一杯だった。 昨日のガイド達との取り決めでは私達のテントは3張(一つのテントに二人ずつ)ということであったが、テント場が狭いという理由で1張減らされてしまったようだ。 仕方なく私の妻と白井さんの女性陣のテントに私がお邪魔する形で3人となり、体の大きな平岡さん、宗宮さん、内田さんの3人がもう1張のテントに入ることになってしまった。 意外にもテント場は氷河の舌端ではなく、頭上に見える氷河の取り付きまで先ほどと同じような砂混じりの登りにくいガレ場が続いていた。 B.Cと同様にテントのファスナーを開けると容赦なく砂埃が中に入ってくる。 展望はすこぶる良いが、テントは傾いていて住環境はあまり良くない。 トイレをする適当な場所もなく、妻と白井さんは本当に可愛そうだ。

   夕方、平岡さんが久しぶりにパルスオキシメーターで血中酸素飽和度を計測してくれた。 高所に強い白井さんは80%台であったが、私は70%台しかなかった。 未だに順応していなかったのかとがっかりしたが、昨日からの偏頭痛がようやく治ったことが嬉しかった。 明日で登山も終わりなので、最後まで気を抜かず深呼吸を励行する。 明日のアタックのスケジュールは前回のイリマニとほぼ同じで、午前零時に起床し、朝食を自炊して食べて1時半頃に出発ということであり、今日の夕食と明日の朝食も、各自のテントでアルファー米とふりかけ、味噌汁を自炊して食べることとなった。 先ほどまでの決意とは裏腹に、夕食を食べると眠くなってきたので7時過ぎにシュラフに潜り込むと、11時頃まで熟睡してしまった。


朝陽が当たり始めたB.Cのテント場


B.Cを出発し、H.Cへ向かう


背の低い雑草が僅かばかりに生えている平らな砂地のトレイルを歩く


B.Cから1時間ほど登ると、パリナコタとポメラタが肩を並べて良く俯瞰されるようになる


山頂に向かって伸びる顕著な尾根に取り付く手前までは勾配の緩やかなトレイルが続く


尾根の取り付き点にはケルンのように大小の岩が堆積し、良い目印となっていた


果てしなく広がる麓の荒涼とした大地を眺めながらのランチタイム


大きな岩塔の基部からはトレイルに砂が混じり、勾配も一段と増したため、非常に登りにくくなった


時々落石のある大きな岩塔を左から巻いて登ると、間もなく頭上にテントが見えた


猫の額ほどの狭いH.Cは、あまり良い住環境ではなかった


H.Cからの風景


H.Cは氷河の舌端ではなく、頭上に見える氷河の取り付きまで登りにくそうなガレ場が続いていた


  【山頂アタック】
   日付が変わって19日となった。 すでに零時前から半身起き上がり、昨夜のうちにお湯を入れて作っておいたアルファー米をお茶漬けにして食べる。 妻も体調は悪くなさそうで安堵する。 白井さんは全く問題なさそうで、テキパキと準備を進めている。 ワイナポトシへ入山する日に突然襲ってきた下痢の悪い記憶が今日までずっとつきまとっていたが、ようやく最後の最後で体が本調子になってきた。 今のところ心配していた風もなく、このまま天気が安定すれば本当に3週間で三つの6000m峰、そしてボリビアの最高峰の頂に辿り着くことも夢ではなさそうだ。

   予定どおり1時半過ぎにH.Cを出発。 ロッキーを先頭に、氷河の取り付きまでは各々のペースで昨日の続きの砂混じりの登りにくいガレ場を登る。 ただでさえ登りにくいガレ場のトレイルは暗いと余計に負荷がかかる。 後ろを振り返ると妻も遅れ気味で、隊列もバラバラになっている。 30分ほど喘ぎ喘ぎ登り、100mほどの標高を稼いでようやく氷河の取り付きに着いた。 休憩する間もなく早速アイゼンを着ける。 ガレ場でのボディーブローが堪えたのか、意外にも突然妻が体の不調を訴え、登頂を諦めて下山したいと平岡さんに申し出た。 昨夜からつい先ほどの出発時点まではそれなりに元気に見えたので安心していたが、何せ高所なので色々な要因があったのだろう。 前回のイリマニのこともあり、少しここで休めば体調が回復するのではないかと諭したが、本人の意思は固く、平岡さんも前回のことがあるので逆に下山を勧める結果になってしまった。 妻のことは心配だったが、エロイが付き添ってH.Cに戻ることになったので、一緒に下山することなく私だけ頂を目指すことにした。 平岡さんの指示で私は宗宮さんと2人でロッキーとアンザイレンし、内田さんがラミーロと、そして白井さんが平岡さんとそれぞれマンツーマンで行くことになった。

   妻の見送りを受けてロッキーを先頭に私、宗宮さんと続いて氷河の舌端である雪の斜面に取り付く。 右方向に斜上していくものの勾配は急で決して楽な登りではない。 ワイナポトシやイリマニとは明らかに違う雰囲気がする。 この山のヨーロピアングレード(難易度)は一般ルートでもAD+(ワイナポトシはF+、イリマニはPD)であるのも頷ける。 意外にも雪の斜面はすぐに終わり、岩場となった。 大したことはなさそうであるが、暗くて先が見通せないので少し緊張する。 ロッキーが「ロッククライミング!」と珍しく英語で叫び、所々で先行しては私達を上から確保してくれた。 こういう場面では相応しくないアルミのアイゼンが悲鳴を上げる。 幸いにも岩場は3級程度で難しくなく、間もなく休憩するにはちょうど良い平らな広場に着いた。

   宗宮さんが用便をロッキーに申し出ると、全く問題ないということで、図らずも15分もの間そこで休憩することとなった。 その間に後続の内田さんもラミーロと共に登ってきたが、白井さんは岩場で苦戦されているのか、まだ現われなかった。 外国人のパーティー(スペイン隊)も1組登ってきた。 ガイド同志がなにやら込み入った話をしている。 ここから先のルートのことであろうか?。 スペイン隊もそこで休憩することになり、再び私達のパーティーが先行することとなった。

   右手には月明かりで雪の斜面が見えているのに何故かロッキーはそこに取り付こうとせず、岩場から今度は先ほどと同じようなガレ場をアイゼンを着けたまま登っていった。 昨日下山してきた外国隊から、クレバスの状態が悪く登頂出来なかったという情報があったので、それを迂回しているのであろうか?。 いずれにしてもこの高さで再びガレ場を登ることになるとは思わなかった。 時々ロッキーは立ち止まって雪の斜面に取り付く機会(場所)を模索していたが、先ほどの広場から30分ほど登ったところでようやく再び雪の斜面に取り付いた。 しかしながらそれは普通の雪ではなく、アンデス特有の乾燥した空気と強い陽射しによって作り出されるペニテンテス(氷の尖塔)だった。 ペニテンテスはアコンカグアでは良く見られたが、目の前のものは背丈こそ低いものの密集度が高く、それが段々畑のように一面に広がっていた。 昨日までの先行者が通った跡が微かに見られるが、気温が低く氷がコチコチに凍っているのでとても登りにくい。 ロッキーはこの山(ルート)は何度も経験があるのか、時々右往左往するもの、バイルで邪魔な氷塔を叩き落とし、登り易そうな所を巧みに見つけて私達を導いてくれる。 しかしながら単純な雪面の登高に比べて負荷がかかるばかりか、標高がなかなか稼げない。 後ろの宗宮さんもさすがに少し疲れてきた様子だったが、不思議にも私の体調は登るにつれてますます快調となり、日本の山と同じくらいのペースで登れるようになった。 宗宮さんとのザイルは緩むことはなく、セカンドの私が引っ張るようにさえなった。 体のコンディションは良くてもルートのコンディションが悪くて山頂に辿り着けないのではないかという不安な気持ちが頭をよぎる。 下を見ると後続の隊のヘッドランプの灯りはどんどん離れていく。

   夜が明けてきた。 短時間で通過出来ると思われたペニテンテス帯はまだ終わる気配はない。 このまま山頂まで続いているのだろうか?。 ペニテンテスの背丈が大分低くなってきた所で意外にもロッキーが用便をしたいということで、我慢していた私もお付き合いすることになり、15分ほどの長い休憩となった。 空の色は水色から次第に青へと変わりつつあり、今日も快晴の天気が約束されたが、少しでも早く山頂に辿り着きたいという思いが募り、休憩後も宗宮さんをどんどん引っ張る。

   傾斜が一段と緩くなった所でようやくペニテンテス帯は終わり、普通の雪の斜面となった。 勾配の緩急もペニテンテスの生成に関係があるのだろうか?。 ありがたいことに風は全く無く、暖かな太陽の光が体全身に当たり始め、アンデスの山の神に歓迎されたようだ。 視界には青空の占める割合が多くなり、山頂が近いことを教えてくれた。 ロッキーを呼び止め、今見えている所が山頂かと訊ねてみると、頷きながらあと僅かで着くという答えが返ってきたので、ようやく登頂を確信した。 指呼の間となった山頂まであと30分もかからないだろう。 はやる気持ちをぐっと抑えるのに苦労するが、高所では何が起こっても不思議ではないので、ギアを一段落としてゆっくり登る。 ロッキーもそれを察して全く急ぐ素振りもなく私達のペースに合わせてくれる。 じわじわと目頭が熱くなってくるのを感じたが、先日のイリマニの時とは全く違う爽やかな気分である。 次第に勾配が緩くなる丘のような雪の斜面を10分、20分と登るが、何故か山頂にはなかなか着かず、やきもきする。 ペースを落としたにもかかわらず、足が鉛のように重たくなってきた。 先ほどまでのオーバーペースがここにきて響いてきたようだ。

   緩い傾斜が更に緩み、ついにモラレス大統領がサッカーをしたという逸話のある広い山頂の一角に辿り着いた。 眼前にはおよそ山頂とは思えないほどの広大な雪原が広がっていた。 はたして山頂の標識や目印といったものはあるのだろうか?。 ロッキーはまだ歩みを止めず、“雪原”をさらに奥に進んでいく。 右手にはいつの間にか眼下となっていたパリナコタとポメラタの頂稜部が見えた。

   突然ロッキーが地面にピッケルを突き刺し、後ろを振り返った。 何も標識はないが、ここが山頂ということだろう。 すでに涙はイリマニで枯れ果てていたので今日はその出番はない。 爽やかな、そして嬉しさだけの頂だ。 イリマニよりもさらに深みを増した群青色の空がそこにあった。 高地のボリビアで一番高い所にいるのだから当然だろう。 ロッキーと固い握手を交わし、宗宮さんと肩を叩き合ってお互いの登頂を称え合う。 単にサハマの頂に辿り着いたということだけではなく、チャカルタヤから始まったボリビアの山旅の集大成がここで完結したという感じであった。 出発前は3週間で6000m峰を三つも登れるとは正直思っていなかったので、これ以上何も望むことはないが、唯一相棒の妻が傍らにいないことが残念だった。 ザックを下ろすことも忘れ夢中で周囲の写真を撮るが、パリナコタとポメラタの他は近くに山がないので、殆ど山頂の広い雪原が絵になってしまうのが玉にキズだ。 ロッキーはイリマニが見えると言ったが、目の悪い私には見えなかった。 少し興奮が冷めてきたところで、皆で記念写真を撮り合う。 時刻は8時半だった。 間もなく後続のパーティーの姿が見えてきたが、内田さんや白井さんではなく、スペイン隊だった。

   快晴無風の山頂で30分ほど登頂の余韻に浸り、二度と訪れることは叶わない孤高の頂に別れを告げて下山にかかる。 間もなく平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違った。 白井さんの余裕の表情と堅実な足の運びは健在で、登頂は間違いないと思われ安堵したが、内田さんは残念ながら途中で引き返されたとのことだった。 白井さんを激励して見送り、途中からは登りとは違うルートで下る。 こちらの方が断然ペニテンテスが少なくて快適だ。 このままずっとH.Cの方向に下っていけるのかと思ったが、しばらくすると後ろから追い着いてきたスペイン隊に従って再びペニテンテス帯に突入した。 登りほどではないが、下りもやっかいで時間がかかる。 間もなく登った時のルートと合流したようで、新しいアイゼンの爪跡が見られた。 眼下に岩場が見えてくると、下から単独で登ってくる人影が見え、間もなくそれがラミーロであることが分かった。 恐らくロッキーが白井さん達の下山をアシストするように無線でラミーロを呼んだのであろう。 間もなく頭上に白井さん達の姿も小さく見えてきた。 登りに通ったガレ場は通らず、ペニテンテス帯をそのまま岩場まで下る。 岩場の手前でラミーロとすれ違う。 アイゼンは邪魔だが、明るければ何でもない岩場を通過し、最後の急な雪面を取り付きに向かって下る。 取り付きで休憩していたスペイン隊に追い着き、サミッター全員でお互いの労をねぎらう。

   取り付きでザイルが解かれると、休むことなくロッキーと宗宮さんを残して一足先に妻の待つH.Cへと下る。 途中で何度もストックを振り回して無事を伝えるが、果たして妻は元気なのだろうか?。 足元のガレ場の急斜面は本当に状態が悪く、気を抜くとすぐに尻もちをつく羽目になる。 テントの傍らに妻の姿が見えたので、こちらもようやく安堵した。 未明から首を長くして待っていてくれた妻に出迎えられ、12時半にH.Cに到着した。 開口一番控えめに妻に登頂の成功を報告すると、内田さんのみならずスペイン隊のメンバーも何人か途中で引き返してきたようで、私達の登頂の成否は全く予想がつかなかったようだ。

   毎度のことであるが、登頂後は気持ちが昂ぶり、ろくに食べていなかったので、行動食の残りを頬張りながら下山の準備をする。 1時間後に白井さんと平岡さんも笑顔で凱旋され、あらためて登頂を称え合った。 間もなく助っ人のポーター達が麓から登ってきてくれ、私達と一緒にB.Cへと下る。 大きな岩塔の基部の砂混じりのガレ場を落石に注意しながら走るように下り、大小の岩が堆積した尾根の取り付き点まで休まずに下る。 ここからはトレイルも良く踏まれておりB.Cも見えるので、皆それぞれのペースでバラバラに下る。 体は相当疲れているはずだが、登頂で気持ちが昂ぶっているせいか、それとも気圧がどんどん上がっていくためか、B.Cへの足取りは軽い。 夕方の4時半に今日の宿泊地となるB.Cに着いた。

   今日も先行してくれたポーター達によりテントが設営されていたが、B.Cのテントの数は私達のものを含めて7〜8張りであり、一昨日と変わることはなかった。 一国の最高峰であるが、やはり登山者の数は今回の三山の中で一番少なそうだ。 たまたま今回は風も無く好天に恵まれたが、この山の登りにくさを考えると登頂者もそれほど多くないことを実感した。 B.Cからはそのサハマが圧倒的な迫力で望まれたが、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ。 テントの中で寝転びながら、妻に今日の登頂の過程を一つ一つ思い出しながら熱く語る。

  夕食は麓からの食材の調達が出来なかったのか、行動中のランチと同じようなシンプルな料理をガイド達が各人のテントに差し入れてくれただけで、皆との一緒の打ち上げの宴は明日以降に持ち越しとなった。


快晴無風の天気に恵まれたサハマの山頂


宗宮さんとお互いの登頂を喜ぶ


ガイドのロッキー


山頂は広大な雪原となっていた


後続のスペイン隊が山頂に着く


山頂直下から見たパリナコタ(左)とポメラタ(右)


山頂直下で平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違う


白井さんを激励して見送る


上部のペニテンテス帯


中間部のペニテンテス帯


ペニテンテス帯から見たH.C(左)とB.C(右下)


岩場を経て氷河の取り付きに下る


氷河の取り付きから登攀ルートを振り返る


氷河の取り付きで休むことなくガレ場をH.Cに下る


H.Cに凱旋する白井さんと平岡さん


H.Cから砂混じりのガレ場を尾根の取り付き点まで休まずに下る


尾根の取り付き点からは皆それぞれのペースでB.Cへ下る


登頂で気持ちが昂ぶっていたせいか、B.Cへの足取りは軽かった


B.Cからはサハマが圧倒的な迫力で望まれ、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ


  【サハマの湯】
   8月20日、入山以来の快晴の天気は今日も続いた。 天気もさることながら、目標としていた三山の全てに登れ、何とも言えない清々しい気分である。 眼前に鎮座している朝焼けのサハマは、登頂してもなおその迫力は変わることなく、ボリビアの最高峰としての威厳に満ちていた。 天気に恵まれ予備日を使わなかったことと、昨日順調にB.Cまで下ってこれたことで、今日一日の行動は麓のサハマ村までとなった。 僅か数時間で着いてしまうサハマ村には観光する所が何もないので、平岡さんがサハマから下山したら是非行きたいと出発前から提案していた源泉掛け流しの露天風呂に行くことになったが、果たして砂漠の中の露天風呂とはどんな感じの所なのだろうか?。

   砂漠化しつつある冬枯れの牧草地を何度も後ろを振り返りながらサハマの雄姿を写真に収め、サハマ村へと下る。 登山活動の全てが終わったという独特の解放感、もう完全に高所に順応した体、そして目標を全て達成したことへの満足感で足取りは軽い。 3年前のエクアドルでは、目標にしていたコトパクシとチンボラソの両山とも大雪のため登れなかったが、今回はそれを差し引いてもお釣りがくるくらいだ。 所々でビクーニャが飛び跳ねている姿が見える。 沢状となっている地形が終わるとパリナコタとポメラタが並んで見え始め、間もなくトレイルの唯一の目印である石の車止めのある登山口に着いた。 しばらくここで休憩した後、サハマ村への車道を左に見送り、殆ど起伏がなくなった潅木の茂みの中を通って目的の露天風呂を目指す。 潅木帯を抜けると再び砂漠化しつつある冬枯れの牧草地となり、周囲には家畜の羊やリャマが草を食んでいる姿が見られた。 突然、オアシスのような清々しい小川が目の前に現れ、その傍らには平らな絶好のキャンプサイトがあった。 ここを今日のキャンプ地としてテントを設営し始めたところ、先行していたガイドからの情報で、露天風呂のすぐ脇に宿泊施設があることが分かり、急遽テントを撤収して少し離れた所にある露天風呂へと向かう。 地表の所々に白い塩の塊が見られるようになったが、温泉とは何か関係があるのだろうか?。

   遠目にはただの牛小屋のように見えた平屋のこぢんまりとした建物は真新しいロッジであり、目の前には人の手が加えられていない、まるで池のような露天風呂があった。 ガイドが値段の交渉をすると、とても安く泊まれることがわかり、また予約も全く入っていなかったので、図らずも私達だけで貸切りとなった。 サハマやパリナコタが遮るものなく見えるロッジは素晴らしいロケーションを誇り、露天風呂の脇にはまだロッジが無かった頃の古い石造りの簡素な脱衣所もあった。 早速ガイド達が厨房で腕を奮い、ランチにはこの村で一番の御馳走であるリャマのステーキが出たが、意外にも肉は柔らかく、とても美味しかった。

   昼食後はパンツ一枚になり、次々と野趣溢れる露天風呂に突入する。 温泉も私達だけで貸切りだったが、あいにく混浴だったので、水着がない白井さんと妻は可愛そうに足湯だけになってしまった。 鉄条網で周りを囲まれた源泉からは熱い温泉がこんこんと湧き出し、源泉に近い“上流” の方は川のような細長い形で温度が高く、まるで池のような“下流”の方は当然のことながら温度が低かった。 外気温は5度くらいしかないが、露天風呂の中は天国のような居心地だ。 今までに経験したことのない開放感溢れる露天風呂の雰囲気に、泳いだり写真を撮り合ったりして、私達もガイド達も皆で大はしゃぎだ。 湯加減がちょうど良いので何時間でも入っていられる。 こんなユニークな温泉が標高4200mの砂漠地帯の中にあるのが本当に不思議だ。 意外にも1時間ほどすると、近くでトレッキングをしていたというフランス人のグループが露天風呂に入りにやってきたのを皮切りに、他の外国人のグループもやってきて、ロッジで許可を貰ったのか、脱衣所の脇にテントを設営していた。 雑誌の取材のような人達も訪れ、一時は温泉も賑やかになったが、夕方近くになると再び静寂を取り戻したので、ガイド達が広い湯舟でテントを洗い始めた。

   夕食は再びリャマの肉が中心であったが、登山が終わったのでようやく自主解禁となったワインとビールで祝杯を重ね、貸切となった居心地の良い食堂で図らずも最高の打ち上げとなった。 夕食後は再び星空を肴に皆で露天風呂に浸かる。 空気が澄んでいるので素晴らしい星空だ。 目を凝らせばうっすらとサハマのシルエットが浮かんでいる。 日本人の温泉好きにはさすがのガイド達も呆れていたが、彼らも長期間の仕事が終わった解放感からか、間もなく私達のあとから入ってきて大いに盛り上がっていた。 当初温泉には全く期待していなかったが、もしこの露天風呂が無かったら、ボリビアの山旅の想い出も半減してしまうところだった。

   ブランカ山群の山々に憧れペルーの山に思いを馳せた私が、今回のボリビアの山旅で最後に辿り着いたのが、この別天地の『サハマの湯』だった。 波乱万丈の3週間だったが、この素晴らしいボリビアの山旅の企画をし、その頂に導いてくれたガイドの平岡さんには感謝の気持ちで一杯である。 また、自分の好みには合わない辺境の地に付き合ってくれた妻と、このツアーに参加された白井さん、鈴木さん、宗宮さん、内田さん、中村さんそして友人の伊丹さんにもあらためて御礼を申し上げたい。 ブランカ山群のみならず、南米各国の名峰を訪ね歩きたいという思いはますます募るばかりだ。


早朝のB.C


B.Cを出発し、麓のサハマ村へ下山する


登山活動の全てが終わったという独特の解放感と満足感に満たされる


何度も後ろを振り返りながらサハマの雄姿を写真に収める


サハマ村への車道を左に見送りしばらく進むと、露天風呂の看板があった


冬枯れの牧草地には家畜の羊やリャマが草を食んでいる姿がそこら中に見られた


突然、オアシスのような清々しい小川が目の前に出現した


遠目には牛小屋のように見えた平屋の建物は真新しいロッジだった


人の手が加えられていない、まるで池のような露天風呂


ロッジが無かった頃の古い石造りの脱衣所


山中での粗食から一変し、村で一番の御馳走であるリャマのステーキを堪能する


野趣溢れる貸切りの露天風呂の中は天国のような居心地だ


今までに経験したことのない開放感溢れる露天風呂『サハマの湯』


湯加減がちょうど良いので何時間でも入っていられる


ガイド達と写真を撮り合い皆で大はしゃぎする


露天風呂は混浴だったので、水着がない白井さんと妻は足湯だけになってしまった


毎日同じように見られる夕焼けのサハマ


想い出のサハマ村を後にする


ラ・パスでの最後の打ち上げ


山 日 記    ・    T O P