カナディアンロッキー・スノートレッキング

  【初めての海外旅行】
   “40歳になるまでに海外の山を一度経験してみたい”。 海外旅行の経験すらない私は、そんな漠然とした思いでここ数年間過ごしてきた。 山中での出会いが縁で2年前に入会した山岳会の例会で、海外登山やトレッキングの土産話を聞いているうちに、“もしかしたら私にも海外の山に登れるのではないか”という自信が湧いてきた。 私の拙い知識でも思いつく海外の山とは、世界の屋根と言われるネパール・ヒマラヤ、山岳リゾート地であるヨーロッパアルプス、カナディアンロッキー、ニュージーランド、パタゴニア、キリマンジャロ、モン・ブラン、etc・・・さてさてどこに行こうか、どれもみな雲をつかむような話だ。 ガイドブック等を読みあさり出た結論は、雄大な自然の宝庫であるカナディアンロッキーだった。 理由は二つで、一つは高山病の心配がなく、私(私達)のレベルでも単独で山頂まで登れそうな山が僅かであるが存在すること。 もう一つは英語圏であること(もっとも会話は全くダメだが)だった。

   ところでカナディアンロッキーとは、一般的に北米大陸西部をメキシコ、アメリカ、カナダを縦断してアラスカまで連なるロッキー山脈のうち、カナダ国内部分を指している。 これは本州とほぼ同じ長さであり、その中にバンフ・ナショナルパークを始め5つの国立公園と3つの州立公園が隣り合わせに制定されている、まさに大自然の楽園だ。 今回の海外山行を計画するにあたって相棒の妻からは、初めてなのでパッケージツアーが安心で良いのではないかという提案がされていた。 しかしパッケージツアーは、第一に料金が高い(2倍近くなる)こと、第二にガイドの引率と団体行動等により、山行本来の“自由さ”がなくなること、第三に希望するコースをきめ細かく選べないこと、などのデメリットがあったので、半年前から地図とガイドブックを参考に綿密なスケジュールを立てて妻を説得し、旅行代理店のH.I.Sに個人旅行として、航空券・ホテル・レンタカーの手配のみを申し込んだ。 “カナディアンロッキー・フラワーハイキング”と自ら命名した今回の山行は、6月30日〜7月9日の現地10泊で、登山(ピークハント)3日、ハイキング6日の全て日帰り形態で、またベースキャンプは、バンフの町のホテルに4泊とレイク・ルイーズの町のホテルに6泊とし、アプローチは全て車(レンタカー)を利用するという計画だ。

   6月30日、いよいよ出発の日が来た。 期待と不安の高まりに包まれながら、万全の準備をして成田空港へと向かう。 ところがここで早くもハプニングが発生した。 空港の荷物検査でガスボンベは機内持ち込みが出来ないということで、没収されてしまったのだ。 気を取り直して、両親と山岳会に出発の電話を入れる。 午後6時、私達を乗せた旅客機は定刻どおり成田を出発した。 乗り継ぎ地であるバンクーバーまでは約8時間のフライトだ。 初めて乗った国際線(カナディアン航空)のエコノミークラスは、思っていたより快適で夕食後は少し寝ることもでき、自称“閉所恐怖症”の私も最初のハードルを無事クリアーすることが出来た。 乗り継ぎで降り立ったバンクーバーは、今にも泣きだしそうな空模様だった。 約1時間の国内線のフライトでカルガリーへ到着。 レンタカー乗り場で日本山岳会東海支部を中心とする山岳会の団体と出会う(その後彼らとは二度会うこととなった)。

   さあ、いよいよ旅の始まりだ。 意外にも左ハンドルの車の運転にはすぐ慣れたが、右側通行にはなかなか慣れない。 特に交差点での右左折は、日本での習慣が災いして反対側の車線に入ってしまい、何度も危ない目にあった。 今日の目的地であるバンフの町への道は、一般道路(1A)とトランスカナダハイウェイ(無料)の2つがあるが、右側通行に慣れるために1Aを行く。 一般道路と言っても町が途中に数えるほどしかないため、ほとんどノンストップだ。 空港からバンフの町までは約130km、2時間半の道のりだ。 1時間半ほど走ると雨が降り始め、同時に前方に山が見え始めた。 憧れのカナディアンロッキーだ!。 途中のキャンモアという町のシンボルである、ザ・スリー・シスターズ(2936m)が見えてからは、山々が連続して見えるようになってきた。 初めて見るカナディアンロッキーの山々は、想像以上に複雑で重厚だった。

   午後6時にバンフの町に到着。 スーパーマーケットで明日の食料等の買い出しをした後、今日から4泊するB.Cのホテル『カリブーロッジ』へ向かう。 ホテルのカウンターで日本から持参した宿泊クーポン券を出し、片言の英語で無事チェックインすることが出来た。 部屋の鍵を開け、荷物を搬入し終わった時、まるで山の頂に着いたような達成感と安堵感が湧いてきた。 明日の山行の準備をしてる間に雨はあがり、青空が戻ってきた。 ホテルのレストランの窓から明日登山予定のカスケードMt.(2998m)が良く見える。 ガイドブックに書いてあったとおり、午後9時でも外は充分に明るい。 明日はいよいよロッキーの山に挑戦だ。


カナディアンロッキー


エルク


  【カスケードMt.】
   7月1日、午前7時起床。 慣れないホテルのベットと長旅の疲れか、時差ボケか、体がものすごく重い。 しかし今日は待望のカナディアンロッキーへの第一歩だ。 “さあ行くぞ!”と言い聞かせてカーテンを開けたが、空模様も生憎の曇天だった。 今日の予定は、バンフの町のシンボルであるカスケードMt.への登山だ。

   ガイドブックによれば、カナディアンロッキーを始め海外の山では登山とハイキングは明確に区分されていて、日本の山のように山頂まで登山道(トレイル)はつけられていないという。 登山はハイキングコースのトレイルエンド(終点)又は途中からルートファインディングにより行うことになっているようだ。 今回はこの山を含め3つの山の登山を計画したが、いずれもこのスタイルであり、登ってみなければ分からない。 “登山道愛好家”の私にとっては正に大冒険だ。

   ホテルから車で15分で、冬はスキーのメッカとなっている『Mt.ノーケイスキー場』のリフト乗り場に到着し、アタック開始。 曇天のせいか、車は4〜5台と思ったより少なかった。 気持ちが先行して取り付きの標識を確認しなかったため、のっけから道を間違え、正反対のスキー場のスロープをしばらく登ってしまった。 ガイドブックに記されているようにカナダのハイキングトレイルの標識は非常に小さく地味で、25cm四方の金属製の黄色い道路標識のようなものだった。 地図と標識を良く確認して再出発する。 間もなく背後から大きなザックを背負った二人の外国人がどんどん迫ってきた。 「ハロー!」と声をかけられたが、慣れない言葉の響きに驚き、「We・are・カスケードMt.」と、私達の行き先を変な英語で答えてしまった。 しかしなぜか通じたようで、「我々もそうです」と言っているようだった。 たとえ外国人であっても、先行者がいることは心強い。 道を譲り、重たい足を引きずりハイキングトレイルを進むと、馬の蹄の跡と糞がそこら中にあることに気付いた。 後で分かったが、カナダでは馬に乗ってハイキングをすること(ホースバック・ライディング)は、開拓時代からの伝統的なスタイルらしい。

   1時間ほど樹林の間から霧で霞んで見える山々を見ながら歩いていると、エルク・レイクへのトレイルの分岐点で先ほどの二人が休んでいた。 分岐点にある標識を見ながら、片言の英語で立ち話をしたところ、彼らは天気が良くない(クラウディー)ので山頂へは行かず違うトレイルを行くと言っている。 我々は天気予報を知らないので、とりあえず山頂へと向かったが、以後誰とも出会うことなく、また標識も一切無かった。 これも後で分かったが、標識は全て同じ規格でトレイルの出発点と分岐点にしかなく、どんなに距離が長くてもトレイルの途中には一切無い。 反面、トレイルは良く整備されていて歩き易い。 時折リス達が木々の間を飛び回っているのが見えたが、高く密集した針葉樹に覆われているためか、鹿などの大型獣の足跡は見つけられなかった。 2時間ほど歩いた頃から、とうとう雨が落ちてきた。 日本の山ならここで引き返すところだが、ここでは傘をさして歩くことが出来る。

   間もなく樹林帯を抜けると眼前に岩混じりの草原が広がり、霧の中にカスケードMt.の長大な稜線の基部が見えてきた。 僅かに進むとトレイルの脇から山頂へ向かう踏み跡を見つけることが出来た。 その“分岐”に標識がないか探したところ、標識の代わりに先行者がデポしたペットボトルの水が置かれていた。 意外にも先行者はいるようだったが、天気はますます悪くなってきている。 ここから山頂までは約3時間とガイドブックには書かれていたが、決断を下すまでにさほど時間は掛からなかった。 登山中止!。 一見情けないような選択だったが、これは結果的に正解だった。 分岐からそのままトレイルを進み、間もなくトレイルエンドと思われる『カスケード・アンフィシアター』と地図に記された所に着いた。 トレイルエンドにはケルンが積んであり、それとなく分かるが、標識は無かった。 『アンフィシアター』とは円形劇場という意味で、日本でいえば穂高連峰の懐の涸沢のような所であるが、すり鉢状ではなく絶壁に囲まれている感じだった。

   生憎の雨と霧で山頂付近は全く見えない。 天候の回復を待ってしばらく休んでいると、先ほどから時々“ピー”と鳴いている声の主が目の前に現れた。 それは初めて見るナキウサギ(ピカ)だった。 その愛らしい顔と動きに釘づけとなった。 一匹目はすぐに岩陰に隠れてしまったが、他にも数匹近くにいて時折姿を見せてくれる。 山の代わりにカメラやビデオを向け、1時間ほど彼らと戯れた。 天候の回復が見込まれないため、“次回への下見だ!”と言い聞かせ登山口へ引き返した。 間もなく雨は雹に変わった。

   下山してバンフの町に戻ると、ちょうど建国記念日の『カナダ・デイ』のパレードがメインストリートを通り、生憎の雨の中、大勢の観光客や地元の人々で沿道は埋めつくされていた。 私達はそれを尻目にガスボンベを探しにスポーツ用品店のはしごをしたり、インフォメーションセンターで日本で入手出来なかった地図を買ったり、ハイキングに関する情報収集に精を出した。


トレイルヘッドのMt.ノーケイスキー場から見たMt.ランドル


トレイルエンドのカスケード・アンフィシアター


ナキウサギ(ピカ)


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  Mt.ノーケイスキー場(1700m)
経由地(標高)  エルク・レイクへの分岐(1700m)
到達地(標高)  カスケード・アンフィシアター(2200m)
累積標高差  600m
総歩行距離  15.6km
形態  往復
☆ 登山口までバンフから8km(車で15分)
☆ カスケードMt.までは累積標高差1400m ・ 総歩行距離21.0km


  【ジョンソン・レイク】  
   7月2日、午前7時起床。 昨日からの雨は降りやむことなく2日目の朝を迎えた。 昨日の経験から、ハイキングトレイルは良く整備されており、傘をさしても歩けそうなことは分かっている。 しかし雨の勢いは、その考えを打ち砕くほど強い。 おまけに霧が濃く、山は麓から一切見えない。 一応すぐ出発できる準備を整え、テレビのスイッチを入れた。 ニュース番組の中で天気予報をやっていたが、北米大陸全体が悪天候のようだ。

   午前9時になり、バンフの町の店も開き始めるので、ガソリンの給油の練習?も兼ね、車で町の中心部へと向かった。 ガソリンスタンドは、意外にも日本と同じスタイルのいわゆる“フル・サービス”で、無事給油することが出来た。 バンフの町のメインストリートは土産物屋と飲食店で占められており、各店とも個性的で非常にあかぬけている。 たまたま入った土産物屋の店員さんは全て日本人で、そのうちの1人の女性はカナダの自然に魅せられ、旅行中に知り合った町の人と結婚して、現在に至っているという。 天候のことを訊ねると、いわゆる山岳気候のため、雨が降っていても突然晴れることも(また逆も)よくあることだと教わった。 土産物屋を出て、裏通りの雑貨店へ昨日探し出せなかったガスボンベを買いに行ったところ、日本製と比べて肉厚が薄く形は違うが『プリムス』の文字が入ったガスボンベが置いてあり、半信半疑で買ったところ、無事カートリッジと合った。 これでやっと日本から持ち込んだパックライスやうどん、インスタントラーメンその他の日本食が食べられる。

   土産物屋のはしごをして時間をつぶしていると、午後5時近くになってようやく雨がやんだ。 直ちに車で20分程の所にある、レイク・ミネワンカ(湖)へと向かった。 ここはバンフの町からも近く遊覧船も出ているため、そこそこに人出があった。 駐車場には観光客に餌付けされた2種類の地リス(ゴールデン・マウントルド・グラウンド・スクエリルとコロンビア・グラウンド・スクエリル)が私達を出迎えてくれた。 餌をあげるふりをして手を差し出すと寄ってくる。 青空こそ望めないが雨はあがり、霧の切れ目からカスケードMt.をはじめ周囲の山々が少し見え始めた。

   レイク・ミネワンカの湖畔を1時間ほど散策した後、7〜8km離れたところにあるジョンソン・レイクという小さな湖へと向かった。 この湖は全くマイナーで、当初からサブコースとしても計画しておらず、普通であればまず行かない所だ。 地図を見ると、湖の周りを1周する2.8kmの起伏のないトレイルがある。 湖に着いたが、午後7時を過ぎているためか誰もいない。 しかし、夕食前の腹ごなし程度に考えていた寂湖の“散策”は、意外にも私達の考えを一変させた。 湖畔の縁を歩くように作られたトレイルからは、美しい湖越しに新雪を戴いた山々が霧の間から幻想的に望まれ、5分歩くごとに目新しい展望を私達に提供してくれる。 日本で言えば、大正池から望む穂高連峰のような景色が面白いように次々に展開していく感じで、足が全然前に進まない。 これでもし晴れていたら、1周するのに半日かかってしまうだろう。 ジョンソン・レイクでの思いがけない“ハイキング”は、日没のため2時間で終了したが、カナディアンロッキーの魅力にとりつかれる契機となる強烈な印象を与えてくれた。


レイク・ミネワンカ


リス(ゴールデン・マウントルド・グラウンド・スクエリル)


ジョンソン・レイク


ジョンソン・レイク


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  ジョンソン・レイク(1400m)
目的地(標高)  ジョンソン・レイク(1400m)
累積標高差  20m
総歩行距離  2.8km
形態  周回
☆ 登山口までバンフから10km(車で15分)
☆ 細長いジョンソン・レイクの周りを一周する
☆ 起伏はほとんどなく、1時間ほどで回れる


  【停滞】  
   7月3日、午前7時起床。 昨日いったん降り止んだ雨が夜中からまた降り出した。 昨日のように急に雨が降り止むことも経験したため、当初から予定していたハイキングコースの登山口へと車を走らせた。 バンフの町から1号線で北へ約10km走り、『サンシャイン・ビレッジスキー場入口』の標識から山道をさらに約10km走った終点にあるスキー場の駐車場に車を停め、雨が降り止むのを待つ。 1時間ほど車の中で粘ってみたが、雨は全く止む様子はなく、逆に激しくなってきてしまった。 雨具を着た数人のハイカーも戻ってきた。 エンジンを止めていた車内もすっかり冷えきってしまったため、いったんバンフの町に戻ることにした。

   昨日に続きバンフの町の散策を行う。 妻はウインドーショッピングや土産物屋のはしごに力が入り、それなりに楽しんでいたが、山のことしか頭にない私は3日連続の雨で行く先を悲観し、山に登る前からカナディアンロッキーの豪華な写真集やビデオを買ってしまった。 午後になると雨はみぞれ混じりになり、土産物屋の店員さんの話では、明日移動予定のレイク・ルイーズからその先の観光の拠点であるジャスパーへ通じている幹線道路(93号線)が雪で通行止めとなり、観光客等が足止めされて大混乱となっているとのことだった。 私達はまだ幸せな部類のようだ。 ホテルに戻り明日の移動の準備をしていると、隣の部屋がなにやら騒がしい。 開けっ放しの入口付近に置いてある大量の山道具を見てまさかとは思ったが、3日前にカルガリー空港で会った山岳会の人達だった。 メンバーの一人に話を伺うと、悪天候のため予定していた山々の登頂を断念して急遽このホテルに泊まることになり、次の目標である名峰Mt.アシニボイン(3618m)の登頂に向け準備をしているとのことだった。 全く奇遇なものだとその時は思ったが、その後もう一度彼らと再会することになるとは思わなかった。

   バンフでの最後の夕食は、常連となってしまった『四季』という日本食の店だった。 この店もスタッフは全員日本人で、情報収集にはもってこいだ。 メニューは、そば・うどん・カツ丼・カレーなど庶民的で、安くてそのうえ旨い。 またテイクアウトのおにぎりが買えるのも嬉しかった。


  【レイク・ルイーズ】  
7月4日、午前6時起床。 バンフでの滞在期間(4泊)をあっという間に過ぎ、今日から6泊滞在するレイク・ルイーズの町へと向かう。 レイク・ルイーズとは、カナディアンロッキーの観光地の中でも屈指の景勝地で、湖の名称がそのまま町の名称になったものであり、バンフから北へ約55km、車で約1時間のところにある。 今日はこのレイク・ルイーズの湖畔に聳えるフェアビューMt.(2744m)への登山を予定しているが、この天気では予定を変更せざるを得ないだろう。

   相変わらずの雨と霧に煙る中、1号線を走行していると右手に大きな山が見えてきた。 キャッスルMt.(2728m)だ。 名前のとおり無数のジャンダルム(護衛兵)を従えた“城”は、難攻不落(登れそうにない)の岩峰だ。 幸いにもレイク・ルイーズに近づくにつれ雨は小降りとなり、到着と同時に降り止んだ。 ホテルへのチェックインは後回しにして、はやる気持ちを抑えながら湖へと向かった。 湖畔の大駐車場は観光バスや車が多く、人気の高さがうかがえた。 また湖畔には巨大な五ツ星のホテル『シャトー・レイク・ルイーズ』が聳え立っていたが、ロッキーの自然の大きさはそれを感じさせないぐらい雄大だった。 観光客に餌づけされたリスが、あちらこちらで走り回っている。 残念ながら濃い霧のため、湖畔からはレイク・ルイーズのシンボルとも言えるMt.ビクトリア(3459m)の雄姿を望むことは出来なかった。


バンフからレイク・ルイーズに向かう途中で見たキャッスルMt.


レイク・ルイーズの湖畔から見たMt.ビクトリア


レイク・ルイーズの湖畔に聳えるフェアビューMt.


   フェアビューMt.の登山は諦め、湖畔の大駐車場に車を停めてサブ・コースとして計画しておいた、湖の脇にあるビッグ・ビーハイブ(2270m)という小高い岩峰に登った後、Mt.ビクトリアから派生するビクトリア氷河を見に行くハイキングに出発した。 久々に山道を歩けることが嬉しくてたまらない。 時差ボケも無くなったせいか足取りも軽い。 30分ほど樹林帯を登ったところで雪道となったが、人や馬の足跡が多く迷う心配は全くなかった。 更に進むと目の前が明るくなり、小さな池(ミラー・レイク)越しに雪化粧したビッグ・ビーハイブの垂直に切り立った岩峰が目に飛び込んできた。 “どうやってあの岩峰の上に登るのかな?”と想像しながら、更に雪が深くなったトレイルをひと登りすると、今度は群青色の水をたたえた大きな池(レイク・アグネス)越しにMt.ニブロック(2976m)とデビルズサムという岩塔が立ちはだかり、その迫力にすっかり圧倒されてしまった。 池のすぐ脇には山小屋風のティーハウスがあり、2〜30人ほどのハイカー達が寛いでいた。 私達も一服した後、再び足跡を辿って池の周りのトレイルを進んだ。

   10分ほど歩き池の反対側までくると、ハイカーの姿は急に無くなり、ビッグ・ビーハイブへのトレイルが雪の急斜面をトラバースして続いていた。 しかし、このトレイルは“冬道”だった。 数人の猛者達の足跡のトレイルは、気温の上昇で歩くと股の付け根までもぐってしまい、全くお手上げだ。 30mほど試みたものの、この先のトレイルの状況も不明なので、泣く泣く諦めて引き返すことにした。 池の畔まで下ってくると、賑やかな学生風の男女10名ほどのグループが、ティーハウスからこちらに向かって歩いてきた。 「ハロー!」、「ハ〜イ!」。 挨拶もだんだん板についてきた。 彼らは私達が山頂から下ってきたと思ったのか、足跡のトレイルを何のためらいもなく、更に賑やかさを増しながらばく進していく。 若さと体力にものを言わせ、時には転がりながらラッセルを楽しんでる様子は本当に羨ましい。 一方私達はそれを見た瞬間から極悪非道の“ラッセル泥棒”となった。 しばらくティーハウスで待機した後、何くわぬ顔で立派なハイキングトレイルとなった冬道を登り始め、労せずして30分ほどでビッグ・ビーハイブの頂上に着いた。 すでに“恩人”の学生達は去り、無人の頂上には小さなあずま屋があった。 雪が無ければ高尾山程度のハイキングコースの展望台である頂上からは、足下に今辿ってきたばかりのミラー・レイクとレイク・アグネス、そして眼下にはロッキーの宝石と言われるレイク・ルイーズ、さらに湖の対岸には今日登る予定だったフェアビューMt.を始めとする山々が圧倒的なスケールで望まれた。 しばらくすると、先ほどのティーハウスで入れ違いとなった日本人の若夫婦が登ってきた。 眼前の雄大な景色を肴に久々に日本語で話をすると、御主人は落ちこぼれの私とは違い、大手企業のニューヨーク支店に勤務しているエリート社員だった。 北米では7月1日から7月4日までが、独立記念日等をからめたいわゆるゴールデンウィークにあたり、束の間の休暇を利用してロッキーを訪れたが、やはり先日来の雪で道路が通行止めとなり、予定の変更を余儀なくされているとのことだった。


ミラー・レイクから見た垂直に切り立った岩峰のビッグ・ビーハイブ


レイク・アグネス付近から見たデビルズサム(左)とニブロック(右端)


ビッグ・ビーハイブの山頂から見たレイク・ルイーズ


ビッグ・ビーハイブの山頂から見たフェアビューMt.


ビッグ・ビーハイブの山頂から見たレイク・アグネス


   久々の日本語での会話に花が咲いたが、天気も少しずつ良くなってきたので、今日のハイキングのメインであるビクトリア氷河へと向かった。 道は一旦岩峰を下り、1時間ほどでレイク・ルイーズから直接ビクトリア氷河へ登ってくるトレイルに合流した。 このトレイルはロッキーの中でもメジャー(一般観光客向き)なため、ハイカーや観光客の姿が多い。 眼前には馬の蹄のような形をした巨大な岩峰の上に、更にピラミッドを乗っけたような鋭峰Mt.リフロイ(3423m)と、それとは対照的にピークらしいピークを持たないが、とてつもなく幅の広い岩の屏風のようなこの山塊の主峰であるMt.ビクトリア(3459m)が間近に迫ってくる。 ガイドブックによれば、広大なモレーンの上に氷河の舌端が見えるはずだったが、連日の雪のためモレーン自体が大雪原と化していた。 10歩進んでは写真を撮り、しばらくは雪の消えた緩やかな登りのトレイルを進むと、先ほどと同じようなティーハウスがあったが、午後5時近くになったので店じまいの準備をしていた。 この辺りからトレイルは少し岩で荒々しくなり、ピカ(ナキウサギ)がまた出現した。 眼前の景色も素晴らしいが、このナキウサギにはどうも心が惹かれ、ついつい戯れてしまう。 妻に促され、少し先のトレイルエンドへと向かう。 最後はアイゼンが必要なぐらいの雪道の急な登りとなり、トレイルエンド(トレースエンド)となった。 Mt.ビクトリアの岩肌の氷河が所々で青く光っている。 初めて見た本物の氷河とそのスケールの大きさには、ただため息をつくばかりだった。

   帰路はレイク・ルイーズの湖畔まで緩やかに下り、湖畔を周遊するトレイルを進んだ。 餌づけをする観光客が多いせいか、リスがあちらこちらで走り回っている。 またネズミを口にくわえたオコジョもひょっこりと現れた。 さすがに警戒心が強く、すぐに隠れてしまったが、ロッキーにも日本と全く同じオコジョがいるとは思わなかった。 湖畔の道から何度も後ろの山々を振り返りながら、スタート地点のホテル『シャトー・レイク・ルイーズ』の前に戻ってきた時は、午後8時を過ぎていた。

   レイク・ルイーズでのB.Cとなるホテル『レイク・ルイーズ・イン』(2ツ星)へチェックインする。 部屋は本館のホテルとは別棟のアパートのような建物の中で、ドアから直接外と出入りするようなタイプのものだった。 賑やかなバンフの町とは違い庶民的な日本食の店などは無いため、日本から持参したパックライスやインスタントのみそ汁が大活躍しそうだ。 本館のロビーに貼りだされていた明日の天気予報は、晴れと曇りが半々ずつだった。


ビクトリア氷河へのトレイルから見たMt.リフロイ


ビクトリア氷河へのトレイルから見たMt.ビクトリア


ビクトリア氷河へのトレイルから見たフェアビューMt.


トレイルエンド付近で見たピカ(ナキウサギ)


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  シャトー・レイク・ルイーズ(1735m)
経由地(標高)  ビッグ・ビーハイブ(2270m)
到達地(標高)  プレーン・オブ・ザ・シックス・グレーシャーズ(2150m)
累積標高差  735m
総歩行距離  14.4km
形態  周回
☆ 景勝地のレイク・ルイーズが起点のためハイカーや観光客が多い
☆ トレイルがきめ細かくあるので時間・体力・天候に応じて様々なコースが設定出来る


  【モレーン・レイク】  
   7月5日、午前7時半起床。 日没が午後9時過ぎと遅いため、床に就く時間がだんだん遅くなり、起床時間もそれにつれて遅くなってきた。 残念ながら天気は予報より少し悪そうだ。 朝食と昼食を買いに、町で唯一のショッピングセンター(サムソンモール)の一角にあるパン屋へ行き、身振り手振りで買い求める。 値段は日本と変わらないが、パンの種類が非常に多い。 以後、滞在中の昼食の調達は全てこの店からのものとなった。

   今日はレイク・ルイーズから車で30分ほどのモレーン・レイクから、この辺りでは一番高いMt.テンプル(3543m)の山裾のラーチ・バリーを通り、センチネル・パス(峠)への往復のハイキングをする予定である。 ところで、ロッキーでのハイキングの基本は“湖”と“峠”であり、このコースもその典型的なものである。

   午前9時、モレーン・レイクへ到着。 ここはカナダの20ドル紙幣の絵柄にもなっているほどの景勝地であるため、湖畔の駐車場はすでに車と人で一杯だった。 湖に出てみると、残念ながらここの“看板”であるMt.ボウレン(3072m)を始めとする10座の3000m峰の山々の連なり(通称“テン・ピークス”)は、雲の帽子を被っていたが、湖の色は昨日のレイク・ルイーズのヒスイのような水色とは全く違う深みのある神秘的な青緑色で、自然の作り出す芸術的な色あいにのっけから言葉を失った。

   湖畔にある一軒宿の『モレーン・レイク・ロッジ』の脇から、湖畔を周遊するトレイルと分かれてセンチネル・パス(峠)へと向かう。 トレイルの分岐点には、標識と真新しい『熊出没注意』の看板があった。 トレイルは大きなジグザグを繰り返し、ぐんぐん高度を稼いでいく。 樹間から見える美しい湖の色に励まされながら、のんびりと1時間ほど登るとトレイルは雪道となり、間もなくエッフェル・レイクへのトレイルとの分岐点に着いた。 分岐点で休憩していると、3人組のハイカー達がやってきて、いきなり「スィーング・ベア?」と話しかけてきた。 私は意味が分からず聞き返そうとしたが、妻がすかさず「ノー」と答えたところ、「サンキュー」とにっこり笑って追い越して行った。 「Seeing・Bear?」を聞き取った妻の語学力に最敬礼して再び歩きはじめると、突然熊ではなくまだ半分以上冬毛の雷鳥がトレイルを横切った。 下ってきた1人のハイカーは、「ホワイト・チキン!」と言ったが、確か雷鳥は“ターミガン”だったような気もするが・・・。 やはり英語は難しい。

   樹林帯を抜け、ラーチ・バリーと地図に記された平原(雪原!)に出た。 溢れんばかりの高山植物のお花畑とその向こうに見える残雪を戴いた山々・・・。 当初私がイメージしていたロッキーの“フラワーハイキング”の路線はもはや実現不能となり、思いもよらず“スノートレッキング”の世界に変更となった。 天気は相変わらずはっきりせず、時おり小雪が舞ってくる。 山々には霧がまとわりついているが、一瞬霧の合間からチラリと見える鋭峰群がとても神秘的に感じられる。

   しばらく歩くと、何やら騒がしい声が聞こえてきた。 よく聞くと日本語の歌だった。 驚いたことに日本人の中高年の男女10数名が、立ち止まって寮歌のような歌を大声で歌っている。 挨拶をして丁重に理由を聞いたところ、近くで本当に熊が出たらしく、威嚇のため歌っているのだと言う。 トレイルには人も多く入っているので、それほど心配しなくても良いのにと思っていた私達も、その直後に見た新しい大きな“足跡”には肝を冷やした。 おそらく大雪が降ったことにより食べ物が無くなり、徘徊しているのだろう。 恐る恐る前進を続けていくと、本来ならばこの辺りにあるはずであるミネスティマ・レイク(池)も雪に埋まっていた。 このコースの見どころの一つである“山上の池に逆さに映し出されるテン・ピークスの山々”は見ることが出来なかったが、お手軽なハイキングでこの季節に新雪の上を歩くことが出来たことは思いがけない体験であり、スノートレッキングもまんざら悪くないと思えるようになってきた。

   緩やかな登りのトレイルをエッフェル・ピーク(3084m)を正面に見据えながらさらに進むと、右手のピナクルMt.(3067m)のカールの底で数人のハイカー達が休んでいるのが見えてきた。 休んでいた理由は間もなく分かった。 そこから最終目的地であるセンチネル・パス(峠)までは雪の急斜面となっており(おそらく雪の下のハイキングトレイルは、ジグザグに大きく切ってあると思われる)、雪がまだ新しく雪崩の恐れがありそうなので、皆一同に足踏みをして、そこで引き返していたのだった。 昨日のことがすぐに頭に浮かび私達もしばらく悩んだが、トレースは一応ついていたので、行けるところまで行こうと、4本爪のアイゼンを着けて峠へと向かった。 途中まで登ると雪はさらに深くなり、上から下ってくる人がいた。 上の状況を訊ねると、「とても行けないよ!」と言っているようだった。 私達はさらに登り続けたが、上に行くほどいかにも雪崩がおきそうな状況となってきたので、やはり諦めて下ることにした。 その直後雪崩ではなく吹雪となり、決断が正しかったと負け惜しみ気味に納得した。


樹間から見たモレーン・レイク


地リス


センチネル・パス(峠)への急斜面を登る


エッフェル・ピーク


   カールの底まで下りてくると嘘のように吹雪は止み、さらに湖に向かって引き返すと急速に青空が広がってきた。 登りでは全くお手上げだった景色も一変し、周囲の山々がはっきりと見え始めた。 やったね〜!。 雪原にどっかりと腰を下ろし、熊のこともすっかり忘れ、“これがカナディアンロッキーさ!”と言わんばかりのテン・ピークスの山々の豪快な景色を楽しむ。 1時間前の雪崩の恐怖や吹雪が全く嘘のようだ。

   久々に写真を何枚も撮り続けた後、重い腰を上げ登山口のモレーン・レイクへと引き返した。 途中で分岐していたエッフェル・レイクを往復するトレイルにも行ってみたかったが、次回の楽しみにとっておこうと見送り、モレーン・レイクを周遊するトレイルに入った。 湖畔には朝方は雲の帽子を被っていたテン・ピークスの鋭峰群が、眼前に顔を揃えて待っていてくれた。 神秘的な色の湖越しに下から眺めたテン・ピークスは、先ほどのラーチ・バリーから眺めた山々とは全く“別物”であり、氷河で削られたロッキーの山の複雑さを実感した。 湖畔の道をのんびりと散策しながら、湖と峠を基本とするロッキーのハイキングの素晴らしさをあらためて実感し、至福の時を過ごした。

   去り難い絶景に再訪を誓い、午後7時半にホテル(アパート?)に帰着。 直ちに本館のロビーに天気予報を見にいく。 明日も曇り時々晴れとなっていた。 ロッキーに快晴の天気はないのか?。


ピナクルMt.


ラーチ・バリーから見たテン・ピークスの山々


モレーン・レイクとテン・ピークスの山々


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  モレーン・レイク(1884m)
経由地(標高)  ラーチ・バリー(2300m)
到達地(標高)  センチネル・パス直下(2500m)
累積標高差  616m
総歩行距離  13.6km
形態  往復
☆ 登山口までレイク・ルイーズから13.6km(車で30分)
☆ モレーン・レイクからセンチネル・パスへの往復は、累積標高差727m・総歩行距離11.4km


  【タカカ・フォール】  
  7月6日、午前8時起床。 窓のカーテンの向こうが明るい。 晴天だ!。 今日はロッキーの“聖地”であるレイク・オハラへのハイキングの予定日だ。 レイク・オハラとは、山中にある湖の名称だが、この湖を中心に広がっている特別保護区域は、大自然の宝庫であるロッキーの中でも特に自然が残されている場所で、生態系の保護のために厳しい入山規制を行っている。 そしてこのレイク・オハラへ行くためには、周囲の山々を越えてくる場合(そんな人は滅多にいない)を除けば、ハイウェイの脇からの林道を約12km歩くか、その林道を走る1日に2便(往き午前8:30・10:30及び帰り午後4:30・6:30)しかないシャトルバスの送迎を利用するしかないが、このバスが3か月前からの電話による予約制なのだ。 もちろんボディーランゲージしか出来ない私に電話で予約など出来る訳がない。 だが唯一道は残されていた。 日本で買ったロッキーのハイキング地図の裏面には、次のような説明文があった。 『予約をしていない場合でも、当日のバスが定員に満たなかった場合にはその人数だけ乗れること、及び入山前日にフィールドという町にあるインフォメーションセンターで、6名分だけ先着順で翌日の予約をすることが出来る』。

   午前9時、ホテルを出発。 レイク・オハラへのシャトルバスの発着場までは約15km、20分の道のりだ。 予報とは違い天気はロッキーに来てから一番の好天となり、レイク・オハラへもきっと行けるはずだと確信した。 バスの発着場へ着くと、間もなくタイヤの大きな山岳仕様のバスと国立公園のレンジャー達が数人やって来た。 楽しそうに歓談しながら待っていた予約組のハイカー達が、女性のレンジャーのチェックを受けた後、大きな荷物(ほとんどがレイク・オハラの湖畔にあるロッジへの泊まり客だった)を持って乗り込んでいった。 幸いにもキャンセル待ちの人はおらず、女性のレンジャーに片言の英語でキャンセル待ちである旨を告げた。 意外にも話はすぐに通じ、バスの発車時間まで待つように指示される。 その直後中年の夫婦もキャンセル待ちにやって来て、一緒に待つことになった。 発車20分前、3人の家族が到着し、先ほどの中年の夫婦がレンジャーに呼ばれダメな旨を告げられた。 私達は首の皮一枚で残ったが、それも束の間、発車5分前にとうとう最後の1組が到着し、あえなく“ジ・エンド”となってしまった。 恨めしそうにバスの中を覗くと、何と空いている席がある。 単純なバスの座席数ではなく、厳密に人数で入山規制をしている真面目さには敬意を表したいが、せっかくのチャンスが目の前で失われたことが何とも悔やまれる。


ホテルから見たMt.テンプル(左)とフェアビューMt.(右)


ハイウェイから見たフェアビューMt.


ハイウェイから見たMt.ニブロックとMt.ビクトリア(左端)


ハイウェイから見たワプティク・ピーク


レイク・オハラへのシャトルバスの発着場


   悔しさを引きずったまま、明日以降に予定していたタカカ・フォールという大瀑布を見るハイキングコースの登山口に向け車を走らせる。 ハイウェイの周囲には人工物がほとんど無いため、車窓からでも充分に美しい山々の景色を堪能出来る。 車の運転もだいぶ慣れたようだ。

   午前11時、登山口の『ウィスキージャック・ホステル』前の駐車場に到着。 車は1台しか停まっていなかった。 駐車場からは数百メートルの高さを豪快に流れ落ちるタカカ・フォールの一部が見えた。 タカカ・フォール周辺でのハイキングは、アイスライン・トレイル(山コース)とヨーホー・バリー・トレイル(谷コース)の2つを組み合わせた周回コースを予定していたが、今回は積雪と時間の関係で周回することは無理なので、とりあえずプレジデント山塊の懐を歩くアイスライン・トレイルを行くことにした。

   30分ほど日本の登山道のようなトレイルを登ると、ヨーホー・パスとの分岐になり、標識に従って右折する。 この辺りからトレイルが雪で覆われるようになり、早くも先行者の踏み跡がトレイルとなった。 分岐を過ぎると間もなく森林限界を越え、先ほどから少しずつ見えていた周囲の山々と、今登っているザ・バイス・プレジデント(3066m)の頂上付近の黒い岩肌が良く見えるようになってきた。 天気はますます良くなり、風もなく絶好のハイキング日和だ。 トレイルの周りは2〜30cmの雪で覆われていたが、所々雪の溶けたところに初めて見る高山植物の群落があった。 花の形はカタクリと同じだが、色は鮮やかな黄色をしている。 後で調べたところ、『グレイシャー・リリー(氷河ユリ)』という名だった。 この程度の雪は全く平気なようだ。

   アイスライン・トレイルは、長大なザ・バイス・プレジデントの山腹を数キロにわたってトラバースするように続いていた。 快晴無風の中、タカカ・フォールと新雪を戴いたMt.デリー(3152m)の前衛峰やMt.バルフォー(3272m)等の山々を右手に見ながらの極楽のようなスノートレッキングに、いつの間にか先ほどの悔しさもすっかり忘れていた。 登るにつれて滝の見え方は面白いように変わり、最後に滝の水源となっている広大なデリー・グレイシャー(氷河)が見えた時は、もう嬉しくて仕方がなかった。 ゴールデンウィークが終わったためか、コースがマイナーなためか、ハイカーの影は全くない。 先ほどの分岐から1時間半ほどで、レイク・セレステへの分岐と思われる地点に着いたが、地図に載っている大小の二つの池と分岐にあるはずの標識は、雪に埋まって見つけることが出来なかった。

   休憩するのにちょうどよい大岩があったので、その上に登り景色を楽しんでいると、若いカップルが犬(シェパード)を連れて登ってきた。 男性の短パン姿には驚かなかったが、女性は何とタンクトップ姿だった。 若いカップルはレイク・セレステ方面へと下っていったが、私達はか細い踏み跡を辿って更に上を目指し、アイスライン・トレイル?を進んだ。 トレイルは地図以上に急な登りとなり、4本爪のアイゼンを着ける。 30分ほど忠実に踏み跡を辿っていくと、何とエメラルド・グレイシャーの舌端に着き、本来であれば断崖の上に見上げるだけの青く光る氷の塊に、先行者の踏み跡のお蔭で初めて手を触れることが出来た。

   踏み跡は更に続き、標高を上げていく。 前に進めば進むほど、前方に新しい山が見えてくるのが楽しかったが、そろそろ雪崩が心配になってきた。 この辺りが潮時かと思った時、図らずも踏み跡は消え、“トレイルエンド”となった。 見知らぬ先行者との考えが一致したことが妙に嬉しかった。 予想どおりヨーホー・バリー・トレイル(谷コース)への周回は出来なかったが、この踏み跡がなかったらここまで辿り着けなかったことを思うと、先行者には大いに感謝しなければならない。


ザ・バイス・プレジデントの山腹トラバースするアイスライン・トレイル


アイスライン・トレイルから見た山々


アイスライン・トレイルから見た山々


アイスライン・トレイルから見た山々


アイスライン・トレイルから見たタカカ・フォール(中央)


   眼前に広がる大雪原と、ヨーホー・バリー(谷)を挟んでずらりと並んでいる新雪の鋭峰群を一人(二人)占めにした、何とも贅沢で豪快な景色を大いに堪能した後、重い腰を上げ快晴無風の天気にも感謝しながら、再び登ってきたトレイルを誰とも出会うことなく駐車場まで戻った。

   麓は夏の陽射しが照りつけていてとても暑かった。 目と鼻の先にあるタカカ・フォールの専用駐車場まで車で移動し、滝へと向かう。 駐車場から10分ほどで『観瀑台』に着き、落差が380mあるといわれる豪快な滝を下から眺める。 途中2回岩にバウンドして、その度に上に向かって猛然と水しぶきを吹き上げている暴れん坊だ。 上からずっと遠望してきたことも手伝って感慨無量だった。

   午後6時を過ぎたが、まだまだ陽は高く空も青い。 帰り道では何度も路肩に車を停め、周囲の山々の写真を撮った。 ロッキーでは道路も素晴らしい展望のハイキングトレイルだ。 明日はレイク・オハラへのバスの予約をするため、早起きをしなければならないので午後8時にホテルに戻ったが、期待して見に行った明日の天気予報はまた曇りだった。


数百メートルの高さを豪快に流れ落ちるタカカ・フォール


帰り道では何度も路肩に車を停め、周囲の山々の写真を撮った


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  ウィスキージャック・ホステル(1500m)
経由地(標高)  レイク・セレステへの分岐(2150m)
到達地(標高)  アイスライン・トレイル最高点(2300m)
累積標高差  800m
総歩行距離  12.0km
形態  往復
☆ 登山口までレイク・ルイーズから40km(車で1時間)
☆ タカカ・フォールを起点とするアイスライン・トレイルとヨーホー・バリー・トレイルを柱とするいくつかのトレイルの組み合わせにより、様々な周回コースの設定が出来る


  【エメラルド・レイク】  
  7月7日、午前6時半起床。 今日は昨日徒労に終わったレイク・オハラへのバスの予約をした後、エメラルド・レイクへのハイキングへ向かう予定だ。 午前9時からの予約受付の1時間半前に着くように午前7時にホテルを出発。 残念ながら天気は予報どおりの曇天で、また風も強くとても寒い。 レイク・ルイーズから30kmほどのフィールドの町のインフォメーションセンターに予定どおり午前7時半に着いた。 入口脇のベンチにはすでに“先客”が2人座っていた。 その後しばらく間をおいて3人組が来た後、何と日本人の若いカップルがやってきた。 お互いに情報交換をしたところ、彼らは新婚旅行中とのことであり、日本の旅行会社にこのバスの手配を頼んだが、上手くいかずここに来てみたという。 だが既に定員の6名を過ぎている。 昨日のバス乗り場での状況を話し、多分駄目であることと、今日の午前10時半のバスにキャンセルが出たら乗れることを助言した。

   午前9時少し前にインフォメーションセンターの入口が開き、順番に女性のレンジャーに名前と人数を聞かれ、私達は明日の乗車はOKであると言われた。 クレジットカードを提出して身分確認と入山登録が行われた後、意外にも手作りの地図を渡され、その場で明日のコースの説明が始まった。 残念なことに、大雪の影響かどうかは分からないが、予定していたレイク・マッカーサーやオペービン・レイクへのトレイル等このエリアではハイライトの部分が通行禁止ということであり、通行してよいのはレイク・オハラ、レイク・オエサ、リンダ・レイクの3つの湖を結んだトレイルに限定されているようだ。 しかし、説明が終わると彼女は目を輝かせながらこう言った。 「リンダ・レイク・イズ・グゥー、レイク・オエサ・イズ・ベリー・グゥー!」。 残念ながら、やはり新婚旅行のカップルは駄目だった。 再度入山口でのキャンセル待ちを勧め、エメラルド・レイクへと向かったが、何ともやりきれない複雑な気持ちだった。

   午前10時、インフォメーションセンターから約10km離れたエメラルド・レイクの湖畔の大駐車場に到着。 昨日と違い、車も人もそこそこに多い。 はやる気持ちを抑えながら、『エメラルド』と命名された美しい湖を見に行く。 曇天のため『エメラルド』は少し輝きを失っていたが、それでも名前どおりの美しい湖に変わりはなかった。 湖の周囲には鉛色の空を背景にそれぞれ個性的な山々が鎮座していたが、中でも山頂部がスッパリと切り立った巨大な岩塊となっているMt.バージェス(2599m)が印象的だった。 晴れていれば湖は宝石のように輝き、周囲の鋭峰と組み合わされた風景は本当に素晴らしいものとなるに違いない。 エメラルド・レイクを起点とするハイキングコースの中で最も充実しているのは、湖畔からヨーホー・パス(峠)まで登り、湖畔に聳え立つワプタMt.(2778m)とMt.フィールド(2635m)の山腹をトラバースしてバージェス・パス(峠)に至り、そこからまた湖畔に下る周回のロングコースであり、今回はそのコースを選んだ。

   30分ほど時計回りに湖畔を周遊する起伏のないトレイルを歩いた後、標識に従ってヨーホー・パスへのトレイルへと左折する。 観光客やハイカーのほとんどは湖を一周するトレイルを行くようで、急に人影が無くなり、この先のトレイルの状況が少し心配になってきた。 右手に双耳峰のワプタMt.、正面にミッシェル・ピーク(2696m)の絶壁を仰ぎ見ながら、以前ここまで湖があったのではないかと思われる河原のような所を30分程歩き、やっとトレイルは登りになった。 ミッシェル・ピークからは、山頂部のエメラルド氷河を水源とする幾筋かの“白糸の滝”が流れ落ち、荒涼とした絶壁の山肌にアクセントをつけている。

   ジグザグの急坂をひと登りすると木々が切れ、湖を眺めながらのんびり登っていると、3人組の軽装の若者達が足取りも軽く追い越していった。 間もなくいつものようにトレイルが雪で覆われるようになってきたが、峠に近づくにつれ、なぜか再び木々の背は高くなり、辿り着いたヨーホー・パスはカラ松が密集し、期待していた展望は全くなかった。 周回コースであるバージェス・パスへのトレイルを右に見送り、500mほど先にあるヨーホー・レイクに寄り道する。

   トレイルは緩やかな下りとなり、10分程歩くと木々が切れて眼前が明るくなり、小さな草原(雪原!)に出た。 今まで気がつかなかったが、小雨が降り始めていた。 昨日同様、雪の溶けたところにグレイシャー・リリーが群生している。 ここはキャンプ指定地となっているらしく、小さなトイレもあった。 すぐ向こうに小さな池が見えてきた。 グレイシャー・リリーが咲き乱れる神秘的な池のほとりまで来ると、眼前に突然ワプタMt.の西峰が見え、小さな池いっぱいにその姿を映し出していた。 淡い緑色の水をたたえたヨーホー(インディアンが驚いた時に叫ぶ言い方)・レイクは、想像以上に絵になる山上の秘湖だった。


エメラルド・レイクの湖畔から見たMt.バージェス


エメラルド・レイクの湖畔から見たワプタMt.


エメラルド・レイクからヨーホー・レイクへ


ヨーホー・レイク


ヨーホー・レイクから見たワプタMt.西峰


グレイシャー・リリー


   再びヨーホー・パスまで戻り、遅い昼食の休憩をしていると、雨具を着た中年の夫婦が脇を通り、私達がこれから行こうとしているバージェス・パスへと向かっていった。 最初に私達を追い越していった若者3人が同じトレイルを行っていれば、既に5人がこのトレイルを先行していることになる。 午後2時半、ヨーホー・パスを出発。 バージェス・パスまでは2時間半の道のりだ。 しばらくは展望のないカラ松林の中をトラバースしていく。 展望がない反面、雨に濡れずにすむのが救いだ。 30分ほど歩き樹林帯を抜けると、一瞬薄日が射し、『エメラルド』が眼下で輝いた。 しかし鉛色の空からは再び雨が降りだし、とうとう傘をさして歩くことになった。 後ろに見える重厚なミッシェル・ピークとエメラルド氷河の迫力ある風景に励まされながら、“雨中歩行訓練”を続けていくと、前から5人組のパーティーが下ってきた。 よく見ると、先ほどの3人の若者と後から行った中年の夫婦だった。 情報収集する目的で引き止めようと思ったところ、逆に先頭の濡れ鼠となている若者から声を掛けられた。 先ほどの元気な姿とはまるで別人のように冴えない表情で、言葉の分からない私達のために身振り手振りで、「この先は雪が深くて行けないよ!」と吐き捨てるように訴えている。 心情を察し、「サンキュー、私達も引き返します」と丁重にお礼を言って彼らを見送った。 雨も次第に強くなってきたため、“情報”を信じて引き返そうとも思ったが、せっかくここまで来たのだから、もうひと登りしてから引き返そうと色気を出したのが失敗だった。

   しばらく行くと雨はまた小降りとなり、トレイルにも雪が無くなってきた。 先ほどの話は本当だろうか?。 既に周回コースの半分を過ぎ、トレイルも下り気味になってきている。 樹林が切れ、前方のMt.バージェスがエメラルド・レイクに頭を傾け、湖畔からの荒々しい姿とは全く別のスマートな面持ちで歓迎している。 “この調子なら多分行けるな”と確信したのも束の間、トレイルは再び雪に覆われ始め、前方のトレイルから少し下った所にテントが3〜4張見えてきた。 何だろうと思いながら歩いていくと、トレイルを横切る足跡があり、見上げると雪を利用して急峻なワプタMt.の東峰を登っているクライマーの姿が見えた。 これが地元流の合理的な登山方法なのだろうか?。 その直後トレイルは急に乱れ、先ほどの若者達のものと思われる深い足跡が50mほど続き、あっけなく“トレイルエンド”となってしまった。 どうやらヨーホー・パスからここまでのトレイルは、ハイカー達がつけたのではなく、ワプタMt.を登っているクライマー達がつけたようだった。 地図を見るとバージェス・パスまではあと1.5km位だが、雪が柔らかく膝までもぐってしまう。 おまけに天気も悪く、時間も午後4時半を過ぎてしまったため冒険は出来ない。 地図と睨めっこして悩んだ結果、やはり私達も泣く泣く引き返すことにした。

   間もなく雨は止み、傘をたたんだ。 往路では雨のためほとんど見上げなかったが、ワプタMt.の屏風のような絶壁の岩峰が天を突くように聳え立っていた。 鉛色の空から時々薄日が射し込むと、湖の彼方に新雪を戴いた鋭峰群がずらりと並んでいるのが見えた。 “あれは何という山群だろう、行ってみたいなあ”とエメラルドに浮気をしていると、前方を歩いていた妻が振り返り、「静かにこっちに来て」と目で合図した。 妻の指さす所を見ると、100mぐらい前方のトレイル上で白いものが動いた。 何だろうか?。 ビデオカメラを望遠側にして覗くと、初めて見るマウンテン・ゴート(白いカモシカ)の親子だった。 いつもならハイカーもいなくなる時間帯なので、食べ物を摂りに出てきたのだろう。 息を殺し、足音をたてずに近づこうとしたが、向こうは一枚上手だった。 私達の動きはすぐに察知され、悠然と距離をおくように上の岩場へと逃げて行く。 まるでNHKの動物のドキュメンタリー番組のワンシーンを見ているような感じだった。 私達がその場所に着いた時には、すでに母親と3頭の子供たちは20mほど上の絶壁の上から不安げに私達を見下ろしていたが、少し離れた岩の上に仁王立ちしていた父親の姿は、山の主の風格すら感じさせる威厳に満ちたものだった。 しばらく彼らとお見合いをした後、「驚かせてごめんね。 楽しませてくれてありがとう」と丁重に一礼して先へと進んだ。 もし予定どおりの周回をしていたなら、彼らと出会うことはなかった訳であり、思いがけない出来事に感激し、重たかった帰りの足取りは急に軽くなった。 結局その後も誰とも出会わず、湖畔の駐車場に着いたのは日没寸前の午後9時半で、足はもうガタガタだった。 今日はいったい何km歩いたのだろうか?。


ヨーホー・パスとバージェス・パスの間から見たミッシェル・ピーク


ヨーホー・パスとバージェス・パスの間から見たエメラルド・レイク


ヨーホー・パスとバージェス・パスの間から見たMt.バージェス


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  エメラルド・レイク(1300m)
経由地(標高)  ヨーホー・パス(1850m)
到達地(標高)  バージェス・ハイライン・トレイル(2200m)
累積標高差  900m
総歩行距離  27.0km
形態  往復
☆ 登山口までレイク・ルイーズから40km(車で1時間)
☆ 登山口からヨーホー・パス〜バージェス・パスを結んで周回した場合の総歩行距離は21.0km


  【レイク・オハラ】  
   7月8日、午前8時半起床。 カナダに上陸して以来9日目の朝を迎え、日本から持参したパックライス・レトルトのお粥・いわしの缶詰・インスタントのみそ汁の朝食がおいしく感じてきた。 レイク・ルイーズに来てから常連となったサムソン・モールのパン屋に昼食を買いに行く。 今日も昨日に引き続き生憎の曇天だが、天候の回復を祈りながら通い慣れたトランス・カナダ・ハイウェイに乗り、“聖地”であるレイク・オハラへのハイキングに出発した。

   午前10時過ぎ、レイク・オハラへのシャトルバス乗り場に到着。 バスは既に到着していて、昨日のインフォメーションセンターで受付けをしていた女性のレンジャーが乗客のチェックをしている。 挨拶を交わすと、珍客である私達を覚えていてくれたようで、笑顔で迎えてくれた。 出発直前に彼女も“バスガイド”として乗り込み、ジョークを交えたスピーチをして車内の雰囲気を盛り上げていたが、残念ながら私達にはさっぱり理解出来なかった。 それでも山岳仕様のバスの独特の乗り心地は、いやがおうにも山行気分を盛り上げてくれた。 バスは30分ほど森を切り開いた未舗装の林道を標高差にして約400m登り、レイク・オハラの湖畔にあるデイ・ロッジ(管理事務所)に到着した。 途中の車窓からは果敢にも林道を歩いて入山する若者を数名見た。

   バスを降りると、標高が高いためか既に雪が辺りに散見された。 トレイルの通行止めは、雪のせいかもしれない(雪が多いと本来のトレイルの上を歩かなくなるため)。 期待と不安?に胸を膨らませながら、レイク・オハラの湖畔へと向かった。 残念ながら天気は昨日以上に悪く、おまけに周囲の山々には霧がかかっていた。 しかし、美しい湖と霧の中におぼろげに見え隠れしている個性派揃いの山々が共演して創り出すユニークな景観は、天気の悪さを差し引いても余りあるものだった。 だが何とも残念な天気だ。

   小雨が降り始めた中、気を取り直して湖畔を周遊するトレイルへと歩き始めた。 唯一霧がついていなかった眼前のウィワクシイ・ピーク(2703m)は、その中腹から無数の小さな岩峰が天に向かって飛び出している奇峰だった。 当初はこの山の懐の岩場を登っていく『アルパイン・ルート』によりレイク・オエサまで行くことを予定していたが、やはりここも通行止めとなっていた。

   デイ・ロッジから30分ほどで湖畔を離れ、レイク・オエサへのトレイルへ入る。 昨日までとは違い、トレイルには常に数人のハイカーが前後している。 トレイルはすぐに急登となり、20分程登るとレイク・オハラを見渡せるビューポイントに着いた。 かすかな光を吸収して、レイク・オハラはエメラルドグリーンに輝いていたが、オダレイMt.(3159m)、Mt.シェーファー(2692m)、ヤクネスMt.(2847m)等の周囲の山々は霧のベールに包まれたままだった。 固い岩盤上につけられたトレイルをしばらく進むと、前方で数人のハイカーがトレイルの脇の岩屑に向け、写真を撮ったり指をさしたりしている姿が見えてきた。 動物かそれとも花か?。 それは初めて見るマーモットだった。 周囲の景色が霧で閉ざされているので、足元に目がいったのだろう。 晴れていれば岩屑が保護色となっているため、おとなしい彼には誰も気づかなかったかもしれない。 ここぞとばかりに、写真とビデオの撮影に力が入る。 しばらく戯れた後、相変わらずの霧の中を緩やかに登っていくと、小さな池が現れた。 半分ほど凍っていた池は天気の悪さも加えて寒々とし、周囲の雪景色以上に季節を錯覚させた。

   レンジャーの尽力か、ハイカーの数によるためか、トレイル上の雪はまばらで歩き易い。 加えて霧のため立ち止まって見る景色も少ないため、コースタイムどおりデイ・ロッジから1時間30分でレイク・オエサの入口を示す標識まで来てしまった。 だが今日は“制限時間”があるため、霧が晴れるのを待つことは出来ない。 祈るような気持ちで歩くこと数分、眼前が少しだけ明るくなり、レイク・オエサを見下ろすトレイルエンドに着いた。 Mt.ヒューバー(3368m)、Mt.リフロイ・リングローズピーク(3283m)、ヤクネスMt.に周りを囲まれた湖は全面結氷し、新雪が積もっていた。 そして霧の合間から見える対岸の山の黒い岩肌と白い雪と霧はまさにモノトーンの世界を創り出していた。 インディアンの言葉で『オエサ』とは“氷”という意味らしいが、眼前の景色はまさにそのとおりだった。 レンジャーから「ベリー・グゥー!」と言われたレイク・オエサへの期待が大きすぎたため、私達の心は一瞬絶望の淵に追いやられた。 しかしながら、この湖を囲んで聳え立っている山々の圧倒的な迫力が生み出す目に見えない自然の力は、私達をそこから救い出してくれた。 そして湖を後にする頃には“もし想像どおりの景色が見えたら、昨日までの数々の感動が色あせてしまうのではないか”とさえも思えるようになってきた。 どうやらレイク・オエサに一目惚れしてしまったようだ。 午後2時、いつの日か必ず再訪することを心に誓い、レイク・オハラへの帰途についた。


レイク・オハラへのシャトルバス


レイク・オハラの湖畔から見たウィワクシイ・ピーク


レイク・オハラの湖畔から見たMt.シェーファー


レイク・オハラとレイク・オエサの間から見たレイク・オハラ


マーモット


レイク・オハラとレイク・オエサの間から見たオダレイMt.


凍てついたレイク・オエサ


   レイク・オハラの湖畔に戻り、湖を一周するトレイルに入る。 のんびりと散策している泊まり組のハイカーを横目に、“ビギナー”は先を急がなければならない。 帰りのバスの発車は午後6時半だ。 湖畔を1時間ほどで一周し、デイ・ロッジの前からリンダ・レイクへのトレイルに入った。 こちらはマイナーなためか、いつもの足跡のトレイルだ。

   デイ・ロッジから10分ほど樹林の中を登ると、突然明るい草原に出た。 陽当たりの良い草原の雪は溶け、ウエスタンアネモネの白い花が一面に咲き、その真ん中にとても良い雰囲気の山小屋(エリザベス・パーカー・ハット)が建っていた。 。 泊まっていきたいが、もちろん山小屋も予約制であり、ビギナーには少しハードルが高かった。 山小屋の周りで楽しそうに歓談している人々を横目に歩き続け草原を過ぎると、今度は鬱蒼とした暗い樹林の中の起伏のあまりないトレイルを進むこととなった。 急に人気がなくなり、熊鈴を鳴らしながら30分ほど黙々と歩くとようやく木々が切れ、左手のモレーンの上にオダレイMt.の黒い岩肌が一瞬見えたが、肝心の青空はなくモノトーンの世界は続いていた。

   気を取り直してウエスタンアネモネが咲き乱れている小さな池の縁に向かって一旦下った後、再び樹林の中の急なジグザグの登りを休まずに歩き続け、デイ・ロッジから1時間半程でリンダ・レイクに辿り着いた。 リンダ・レイクは、今まで見てきた湖のようにメリハリのあるシャープな色を誇示することもなく、おおらかにそしてどこか長閑な雰囲気をもった山上の湖だった。 私達以外は誰もいない、し〜んと静まり返った湖の真ん中にはカモが一羽悠然と泳いでいた。 対岸に見えるはずのキャセドラルMt.(3189m)は、霧のためその裾野しか見ることが出来ない。 宿題は増える一方だ。

   バスの発車時刻まであと1時間半しかなくなり、リンダ・レイクに別れを告げてレイク・オハラへの帰途についた。 重い足取りで先ほどの山小屋の前まで戻ってきた時、突然山々を隠していた霧が晴れ、青空と周囲の鋭峰の山頂部がチラリと見えた。 思わず足を止め、まばたきも惜しむほど周囲の景色を凝視し、慌ててカメラをザックから取り出す。 しかしそれも束の間だった。 不思議なことに、霧が晴れてくると雨粒が落ちてくるため、傘をさしながらの撮影となった。 草原は絶好の撮影ポイントだったので、シャッターチャンスを待つのに時間がかかり、思わぬ道草を食ってしまった。 最後は樹林帯の下りのトレイルを走りに走り、デイ・ロッジでお土産用にちょうど良い手作りの地図をレンジャーを拝み倒して20枚もらい、出発時間ぎりぎりにシャトルバスに滑り込んだ。 意外にも帰りはレンジャーが乗客のチェックをしていないようだった。 帰りは予約不要ということなのだろうか?。 謎と沢山の宿題を残したまま、聖地への“下見のハイキング”は終了した。

   午後7時半にホテルに到着。 最終日となる明日の天気予報を見にいったところ、久々に晴れのマークがでていた。


レイク・オハラを一周するトレイル


ウエスタンアネモネ


エリザベス・パーカー・ハット付近から見たMt.シェーファー


長閑な雰囲気のリンダ・レイク


★ ハイキング・データ ★
登山口(標高)  レイク・オハラ(2035m)
経由地(標高)  レイク・オエサ(2275m)
到達地(標高)  リンダ・レイク(2075m)
累積標高差  540m
総歩行距離  14.6km
形態  往復
☆ 入山口までレイク・ルイーズから15km(車で20分)
☆ ロッキーの中でも屈指の景勝地であるが、入山・トレイル・宿泊には様々な許可や制限がある


  【デセプション・パス】  
  7月9日、午前7時起床。 あっという間の9日間が過ぎ、滞在日はとうとう残り1日となってしまった。 カーテンのすき間から陽光が洩れている。 予報どおりの晴天だ!。 計画ではレイク・オハラへのハイキングを日帰りで2回予定していたが、シャトルバスのキャンセル待ちで確実性がないため、サブコースとして計画していたレイク・ルイーズの裏山へのハイキングに出掛けることにした。 それにしても今日はロッキーに来てから一番の晴天である。 “こんな日にレイク・オハラに行けたら良いのにな〜”とボヤいていた私達のつまらぬ考えは、ロッキーの自然の懐の深さによって見事に覆される結果となった。

   午前8時半、町から車でわずか10分ほどの所にある登山口の『フィッシュ・クリークの駐車場』に行くと、人影は無かったが意外にも車は20台ほど停まっていた。 実際の登山口(トレイルヘッド)はこの先約4kmのところにあり、そこまでは幅の広い急斜面の林道を約1時間歩かなければならない。 林道の入口には通行止めの標識しかないため、通行しようと思えば出来るのだが、法律を遵守する国民性ゆえか、そのような車は見当たらなかった。 照りつける陽射しは強く、日陰を選んで歩かないと暑い。 遅ればせながら、やっとロッキーの夏を体験した。 1時間後にトレイルヘッドのテンプル・ロッジ(スキーシーズンのみ営業)に着き一服する。 冬はスキーのメッカであるレイク・ルイーズのスキー場のリフトが見える。 何せ今日は“裏山”へのお手軽なハイキングだ。

   1週間前の雪もだいぶ溶けて歩きやすくなった起伏の少ないトレイルを奥へ奥へと進んでいく。 スキー場も遠くになってきた頃、左手にいかにもロッキーらしいユニークな姿の山が見えてきた。 Mt.ターミガン(3059m)だ。 トレイルは少しずつ傾斜を増し、間もなく森林限界を超えると、今度は右手にこれもまたロッキーらしい横縞の幅の広い台形の山が見えてきた。 リダウトMt.(2902m)だ。 今日はこの2つの山を左右に見上げながら、ターミガン・レイクの脇を通りデセプション・パス(峠)まで往復する予定だ。 それにしてもこのリダウトMt.は、ガイドブックの写真とはまるで違う。 “何故だろう、何かの間違えだろうか?”などと考えつつしばらく進むと、今度は正面にロッキーの山らしくない穏やかな丸い頂のフォシルMt.(2946m)が見えるようになり、間もなく小さな避難小屋に着いた。 ここまで来ると“裏山”と言うよりは“奥座敷”という感じで、この避難小屋以外の人工物は何も見えなくなった。 この避難小屋は“デイ・ユース”といって、泊まれるようにはなっていないが、内部にはゴミ一つなく非常に清潔だった。

   小屋の少し先で標識と分岐があり、ヒドゥン・レイクへのトレイルを左に見送って右へと進む。 間もなく後ろから7〜8人のハイカーのグループが追いついてきたので道を譲った。 トレイルが左手のMt.ターミガンに向かって緩やかに登り始めた頃、前方に先ほどのグループが休憩している姿が見えてきた。 彼らのいる所まで来た私達の目と足は、一瞬にして動かなくなった。 何という素晴らしい景色だろうか!。 雪化粧した山々に周りを囲まれ、コバルトブルーの水を湛えたターミガン・レイクの湖面は、先日降った雪とその寒気による氷がほどよく溶け、青、水色、白の水玉模様となっていたのだ。 その絶妙な色合いと、周囲の山々とが創り出す芸術的な景色に見とれているうちに、ふと山岳写真家の白川義員さんが、モルゲンロートに染まるマッターホルンの写真を撮りに行ったが、そのあまりの美しさに魂を奪われ、シャッターを切るのを忘れて見入ってしまったという逸話を思い出した。 こんなに素晴らしい景色が見られるとはガイドブックには書かれていなかった。 写真を撮らなければ、ビデオに収めなければ・・・。 バンフでの雨による停滞も、昨日までの曇天も今この瞬間に全て清算されたような気持ちになった。 もし雪が降らなければこのような芸術的な景色とは出会えなかった訳だから、自然の恵みに感謝しなければならない。


テンプル・ファイヤー・ロードから見たMt.ビクトリア


Mt.ターミガン(右)


リダウトMt.


Mt.ターミガン


コバルトブルーの水を湛えたターミガン・レイクとフォシルMt.


   しばらくこの“芸術作品”と対峙した後、湖畔から更にMt.ターミガンの山腹をトラバース気味に登り、今度は上から湖を見下ろすことになった。 湖畔から見えた水玉模様はジグソーパズルのような花模様に変わり、ますますその芸術性に磨きがかかっていった。 またずっと右手に従えてきたリダウトMt.は、当初の幅の広い台形の山とは全く違う、ガイドブックの写真どおりのアクの強い菱形の山へと変身した。 これほど個性的な山は、星の数ほどあるロッキーの山でもそうはないだろう。 個性的な山と芸術的な湖の創り出す何ともユニークな景色は写真を撮るまでもなく私達の心に深く焼きついた。 風景だけではない。 所々雪の溶けた大地には、ウエスタンアネモネを始めとする各種の高山植物が咲き乱れ、リスたちがそこら中を走り回っている。 まさにここは大自然の宝庫だった。

   湖畔のゆるやかなトレイルは間もなく傾斜を増し、正午過ぎにMt.ターミガンとフォシルMt.の鞍部となるデセプション・パス(2485m)に着いた。 私達がロッキーに来てから初めて辿り着いた展望の峠だ。 今まで全く見えなかった峠の向こうの新鮮な景色は、私達の期待を裏切ることはなかった。 真っ先に目に飛び込んできたのは、その頂に鋸の歯のような無数の岩塔を乗せた急峻な山容の『ウォール・オブ・ジェリコ』と名付けられたユニークな岩峰だった。 そして広い雪原の向こうの緑の谷からせり上がっている新雪を戴いた無数の山々・・・。 “360度の展望”という表現があるが、峠を挟んだ両脇の山の展望を加えたこの峠からの展望は、それを通り越した正に“365度の大展望”だった。 峠に辿り着いたハイカー達は一様に感嘆の声をあげ、しばらく展望を楽しんだ後、峠を通過してのんびりと反対側の広い雪原に向かって下っていく。 この峠を下った先に山小屋(スコーキー・ロッジ)があるためだ。 今度来るときは是非山小屋に泊まってみたいと、心の中では既に再訪を誓っていた。 峠にザックを置き、Mt.ターミガンとフォシルMt.の稜線を少しずつ登ってみた。 今まで気づかなかったが、動物の糞が所々に散見された。 おそらくマウンテン・ゴートのものだろう。 今頃は山頂付近の岩陰で昼寝でもしているに違いない。


ターミガン・レイクの湖畔から見たリダウトMt.


地リス


デセプション・パスへの登りから見た山々


デセプション・パスから見た新雪を戴いた無数の山々


デセプション・パスから見たウォール・オブ・ジェリコ


デセプション・パスから見たMt.ターミガン


   いつまでも去りがたい峠だったが、再訪を誓って登ってきたトレイルを戻ることにした。 日本では考えられないが、午後になると一段と空の色は青くなり、山々は輝きを増してくる。 先ほどまで一つ二つ浮いていた雲もどこかに消え、快晴となってきた。 ターミガン・レイクに浮かぶ雪の花は、気温の上昇で往きに見た時よりも幾分小さくなったようにも見える。 すでに小屋泊まりのハイカー達は峠を越えていったため、トレイルに人影は全くない。 リダウトMt.は、相変わらずその個性的な容姿を誇示している。 山、湖、草原、そして青空のカルテットが創り出す伸びやかな世界は、感動を通り越し、狭い日本で生まれ育った私達の感覚を麻痺させるものだった。

   先ほど今日一番、いやロッキーに来てから一番の感動を与えてくれたターミガン・レイクに別れを告げ、満足感一杯で足取りも軽くトレイルヘッド(登山口)に向かった。 途中、まだ日が落ちるまで時間があったため、先ほどの避難小屋の手前の分岐の先にあるヒドゥン・レイクに立ち寄ってみることにした。 標識に従って右折し、10分ほど緩やかに登ると猫の額ほどのキャンプ指定地があり、先ほど犬を連れて峠に来たハイカーがテントを設営していた。 犬は熊除けの番犬なのだろうか?。

   キャンプ指定地を過ぎると、気温の上昇で溶けた雪がトレイルを小川に変え、キラキラと輝きながら私達の靴底を洗ってくれた。 トレイルの脇の斜面には、足の踏み場もないほどのウエスタンアネモネが群生している。 Mt.ターミガンを正面に見据え、リダウトMt.を背中に背負いながら、文字通りの“花道”をロッキー山行の最後の締めくくりに、一歩一歩噛みしめるように登った。 図らずも最後の最後で、ようやく当初私がイメージしていた“フラワーハイキング”の世界となった。

   キャンプ指定地から30分で着いたヒドゥン・レイクには、意外にもロッキーの山の神から最後のプレゼントが用意されていた。 Mt.ターミガンとMt.リチャードソン(3086m)のカールの底に抱かれた秘蔵っ子の小さな丸い湖は、衰えを知らない強烈な陽射しを受けてエメラルドグリーンに輝き、先ほどのターミガン・レイクと同様の雪の花を浮かべて私達を歓迎してくれた。 何という幸運だろう!。 ロッキーに憧れ、初めての海外山行を計画・実行してきたが、最後にただの思いつきで行った場所で、あまりにも絵になる風景と出会えたことに凄い達成感が湧いてきて、思わず相棒の妻と手を取り合って喜び、叫び、そして踊った。 “ロッキーを訪れて本当に良かった!”と、この時ばかりは自分を褒めずにはいられなかった。


ヒドゥン・レイクへのトレイル


ヒドゥン・レイクへのトレイルから見たリダウトMt.


ヒドゥン・レイクと背後に聳えるMt.ターミガン(右)


   私達以外には誰もいない湖畔で思う存分絶景と戯れた後、再び分岐に戻り帰途についた。 トレイルヘッドに近づくにつれ、夕日を浴びたMt.テンプルやMt.ビクトリアを始めとするレイク・ルイーズ周辺の高峰群が、さらに大きく輝いて見える。 この何とも豪華で雄大な眺望に、帰国後に日本の山を登る気力が湧いてくるか、ちょっとだけ心配になった。

   午後8時半にホテルに着く。 もう明日の天気予報を気にすることなくレストランへ直行する。 明朝の出発が早いため、祝杯は帰国後にゆっくり上げることにして、早々に部屋に戻って荷物の整理をする。 思い起こせば、最初の3日間は悪天候続きで行く先を悲観していたが、終わってみれば当初想像していた以上にロッキーの自然の大きさ、美しさを充分に堪能した満足のいく山行となった。


★ ハイキング・データ  ★
登山口(標高)  フィッシュ・クリーク(1705m)
経由地(標高)  ターミガン・レイク(2345m)
到達地(標高)  デセプション・パス(2485m)
累積標高差  880m
総歩行距離  24.8km
形態  往復
☆ 登山口までレイク・ルイーズから5km(車で10分)
☆ スコーキー・ロッジに泊まれば、大小10余りの湖を巡るトレイル等、様々なコースの設定が出来る


  【一粒の砂利】  
  7月10日、午前5時半起床。 カルガリー空港を正午に発つ便に乗るため、午前6時過ぎにホテルのチェックアウトを済ませて出発。 毎度のことだが、帰る日に限って天気が良い。 今日は昨日以上に空は青く雲一つ無い。 年に何回しかない快晴の一日となるだろう。 車の運転にも充分慣れ、渋滞のないハイウェイを行くので時間の見当もつき、空港までは気楽な道中だ。 時々路肩に車を停め、周囲の山々の写真を撮りながら空港へと向かった。


Mt.テンプル(3543m)


ザ・スリー・シスターズ(2936m)


キャッスルMt.(2728m)


   ところが、出発して1時間ほど過ぎたバンフの町の直前で突然ハイウェイが渋滞し、前方に車が数十台停まっていた。 車の少ないハイウェイで渋滞なんてある訳がない。 妻を車から降ろし、前方の様子を見に行かせた。 事故だった。 幸い通行止めになるほどの大きな事故ではなかったが、現場検証のため30分以上待たされてしまった。 予定外のハプニングに時間の余裕が無くなってしまい、制限速度100kmのハイウェイを130〜140kmで飛ばし、かろうじて飛行機の出発時間の2時間前にレンタカーの返却場所に着いた。 係員に車体の各所をチェックされた後、請求書を渡され無事返却完了。 この支払いだけはクレジットカードで行うことになっており、“生涯現金主義”の私にとってこれも最初の経験だった。 旅客機の搭乗カウンターに滑り込み、手続きを済ませて待合室に向かう途中、三たび日本山岳会の東海支部の人達と出会った。 代表の瀧根さんにヴァリエーションルートからのMt.アシニボイン(3618m)の登頂の成否を訊ねたところ、見事登頂されたとのことだった(登頂記録については、後日『山と渓谷』及び『岳人』に掲載された)。 私達を含め、皆それぞれの目標を達成したことが、日焼けした顔からうかがえた。

   正午に私達を乗せた旅客機は定刻どおりカルガリー空港を離陸した。 帰りは成田まで所要10時間半の直行便だ。 乗客のほとんどは日本人の観光客だった。 何と豊かな国だろうか。 座席がたまたま窓際だったので、図らずも上空からのパノラマの風景を楽しむことが出来た。 旅客機は今回私達が辿ってきた方向に向けて飛んでいるようで、風景はカルガリーの町から田園地帯、そして山岳地帯へと変わっていった。 天気は快晴であり、眼下には雲一つない。 ハイウェイからは全く見えなかったMt.アシニボインがはっきりと見えたのを皮切りに、ロッキーの山々が次々に見え始めた。 そしてレイク・ルイーズと傍らに聳えるMt.ビクトリアが見えたことにより、頭の中にある地図との照合が上手くでき、遙か上空からでも今回辿ってきた場所の見当がついたことがとても嬉しかった。 先ほどレンタカーを降りた時、今回の旅は終了したとばかり思っていたが、最後にこんな思いがけない遊覧飛行が待っているとは夢にも思わなかった。

   旅客機は更に北上を続け、まだ私達の知らないロッキー山脈の続きを上空から見せてくれた。 興奮が冷めないまま5分が経過し、さらに10分が経過した。 北上するほど山々は白さを増し、氷河や雪原の占める割合が多くなっていったが、それにしてもこのおびただしい山々の数はどうしたものか。 今私達が眼下に見ているのはロッキー山脈なのか、それとも既に違う山域なのかは分からないが、いずれにしても凄い数だ。 旅客機の高度は既に1万メートルを越えているため、眼下に見えている山々はまるで京都の『竜安寺』の庭園に敷かれた白い小さな砂利のように見えた。 私達が昨日まで仰ぎ見ていた雄大な山々も、地球全体から見ればこの白い小さな砂利の粒に過ぎなかったのか!。 そしてこの地球だって宇宙全体から見れば小さな砂利の一粒ほどだろう。 私達はロッキーに砂利を見に行っていたのかもしれない。 何と私達の考えていること、行っていることは小さなことだろうか!。 かくして私にとっての初めての海外旅行は、ロッキーのそして自然の大きさとはかなさを同時に知った貴重な体験となった。 ロッキーの虜となったことは言うまでもない。


山 日 記    ・    T O P