アラリンホルン(4027m)

  8月2日、am6:30起床。天気は良さそうだ。 ホテルの窓からアラリンホルン(4027m)の白い頂が見える。 朝食のバイキングはam7:00からなので、持参した食糧を自炊した後、ホテルから5分ほどの所にあるゴンドラ乗り場に行くと、クライン・マッターホルン同様、ゴンドラと地下ケーブルを乗り継いだ終点のミッテルアラリン(3456m)周辺にサマースキー場があるためか、あるいはもともとサース・フェーの町が冬場のスキーリゾート地であるためか、乗客はスキーヤーの方が多かった。 am7:30始発のゴンドラに乗り、中間駅でゴンドラを乗換え、さらにその先のフェルスキンで15年ほど前に開通したという地下ケーブルに乗り換えた。 以前はこの地下ケーブルがなかったため、アラリンホルンの一般ルートは現在より難易度が高かったが、ケーブルの開通でブライトホルンと同様に麓から日帰りで登れる山となった。 ガイドブックにはこれを風刺して“お婆さん向けの山”と記してあった。

  満員のケーブルカーを降りて地上に出ると、午後からは天気が崩れるという予報が嘘のように空は青く、今日も素晴らしい山行が期待出来そうだ。 ミッテルアラリンから仰ぎ見たアラリンホルンは、純白の雪と氷河の巨大な塊といった感じで重量感と威厳に満ちていた。 am8:20にミッテルアラリンを出発。 右手にアラリンホルン同様雪をタップリ戴いた台形のアルプフーベル(4206m)、それとは対象的に黒い岩肌をさらしているテッシュホルン(4490m)、ドム、レンツシュピッツェ(4294m)等のミシャベルの山々を眺めながら、サマースキー場の脇の雪のスロープを緩く登り下りした後、20分ほどで取り付きに着いた。 ブライトホルンではアプローチからアンザイレンしたが、今日はここで6mの登攀用のザイルを結び、アイゼンを着けた。 先日お世話になったガイドのヨハン氏であれば、そのままアイゼンを着けずに登って行ったであろう。

  取り付きからは計画どおり何食わぬ顔で、ガイド登山のパーティーの後ろについて登り始めた。 これは弥次喜多山行の知恵だ。 先行するパーティーの“客”はGパン姿の若者達であった。 多分アイゼンやピッケル等もレンタルしたものに違いない。 先頭のガイド氏は4人の客を連れていた。 先日のメンヒやユングフラウはガイド1人に対して2人までの制限があったことを考えれば、やはりルートは易しいに違いない。 私も妻も体調は万全であり、一昨日のブライトホルン登山同様、山頂はすでに掌中にあると思ったのは甘かった。 予想どおりトレイルには危ない所もなく、取り付きから1時間ほどでアラリンホルンとアルプフーベルとをつなぐ稜線の鞍部(フェーヨッホ/3826m)に着いたが、先ほどから急に怪しくなってきた天候と霧のため、ここから見えるはずであったマッターホルンやモンテ・ローザは残念ながら全く見えなかった。 左手のこれから向かう山頂付近も既に青空は消え、寒々としている。 やはり予報どおり天気は下り坂なのであろうか?。 

  フェーヨッホで一服した後、山頂に向けて幅の広い雪稜を登り始めたが、間もなく私達の周りにも霧がかかり始めた。 昨日、一昨日の好天で登山者が多かったとみえ、トレイルはかなり明瞭であるが、登るにつれ霧はどんどん濃くなる一方であった。 不安な気持ちが頭をよぎり始めた。 しかし前を行く“Gパン隊”は、何のためらいもなく広い雪稜に印されたジグザグのトレイルを登っていく。 もうこのままついて行くしかない。 Gパン隊の背中だけを追いながら、次第に濃さを増す霧の中を山頂に向けて登り続けた。

  フェーヨッホから休まず40分ほど登ったであろうか、突然稜線らしき所に出た。 すでに視界は5mもない。 トレイルはここで左右に別れていた。 特に左は両側がスッパリと切れ落ちたナイフリッジの雪稜となっていた。 確かフェーヨッホから山頂までのルートは一つしかないはずだが、左右のトレイルはどちらもはっきりしている。 Gパン隊に従って左に折れたが、右のトレイルは何だったのか、霧のため誰かが迷ってつけてしまったトレイルであろうか?。 左に折れるとすぐに目の前にぼんやりと黒い岩が見え、その先はいったん大きく下っているように見えた。 そしてとうとう雪が降り始めた。 帰りのトレイルは大丈夫だろうか?。 Gパン隊はここで立ち往生した。 あの岩の向こうが難所になっているに違いない。 ほとんどホワイトアウトしたこの状況で、果して山頂に辿り着けるのだろうか?。 不安は募るばかりだ。 体力にはまだ余裕があるが、何故か思わず温度計を見た。 登り始めは7度であった気温は、マイナスの7度になっていた。 もしGパン隊が引き返したら、無理をせず私達も引き返えそうと心に決めた。

  突然前方で大きな声がした。 誰かが落ちたのであろうか?。 前方から来るパーティーをやり過ごした後、Gパン隊が動き始めた。 しかしすぐにまた止まった。 何かが目の前で光った。 霧で眼鏡が曇っていたため気が付くのが遅れたが、良く見ると先ほどからぼんやりと見えていた2mほどの高さの尖った岩の上に、十字架があるではないか。 妻はとっくに気が付いていたという。 もしかするとここが山頂か?。 ガイドブックには十字架のことは記されていなかったので、半信半疑であった。 「ピーク?」。 念のためGパン隊のガイド氏に尋ねてみた。 ガイド氏は小さくうなずいた。 腰が抜けた。 意外な幕切れだった。 思わず十字架にはりつけられているキリスト様の像を拝んだ。 麓から見えた丸い頂とはまるで違う、十字架一本分の何と狭い山頂であろうか!。 Gパン隊の若者達が写真を撮り合っている。 私達も岩を攀じり、十字架を背景に写真を撮ってもらい、妻とガッチリ握手を交わした。 am10:40、ミッテルアラリンから2時間20分の登攀であった。 降りしきる雪と霧のため、楽しみにしていた憧れの山の頂からの展望は全くない。 本来であれば今日の山行は、最悪の結果に終わったであろう。 しかしながらたとえお婆さん向けの易しい山でも、悪天候の中ガイドレスで辿り着けた達成感と安堵感とで心は充分に満たされていた。

  雪は止む気配もなく降り続いている。 このまま山頂で天候の回復を待つことは危険だ。 Gパン隊は10分ほどで山頂を後にした。 私達も15分ほど山頂で粘ったが、am11:00前に下山にかかった。 すぐ先の“分岐”を右に折れた。 後で分かったが、もう一つのトレイルはゴンドラの終点のフェルスキン(2991m)からブリタニアヒュッテ(3030m)を経由して登ってくる、ミッテルアラリンへの地下ケーブルが開通する前の昔の一般ルートであり、このトレイルがたまたま山頂直下で回り込むように合流していたのであった。 分岐を過ぎると間もなく、ガイド登山の年配の日本人パーティーとすれ違った。 「もうすぐ山頂ですよ〜、頑張って!」とエールを送った。 悪天候ではあるが、シーズンのピーク時期であるため登山者は多く、お陰で雪のためトレイルが消えることはなかった。 1時間以上休まずにひたすら下り続けて取り付きに着いた頃、嘘のように雪や霧はあがり、再びアラリンホルンに青空が戻ってきた。 何と不運なことか!。 1時間遅れで山頂に着いていれば、360度の大展望が待っていたであろう。 未練がましくサマースキー場の脇から何度も後ろを振り返った。本気でもう一度登り返そうかとも思ったが、アラリンホルンは優しく「お婆さん(お爺さん)になっても登れるから、無理をせずまた登っておいで」と言っているようだった。 しかしこの時の一瞬の気まぐれな青空が、3日後にスイスを発つ日までの最後の青空になろうとは知る由もなかった。

  ザイルを解き、ミッテルアラリンの回転展望レストランで打ち上げをすることにした。 円形のレストランは、窓際に配置されたテーブル席の部分だけが1時間に1回転する仕組みになっていて、席を移動することなく1時間かけてゆっくりと360度の展望を楽しむことが出来るのだが、3500m近い高さの山の中には不似合いなほど大きく斬新な建物は、周囲の景観を損ねているように思えた。 後発のスキーリゾート地として、ツェルマットとは違った主張をしたかったのであろうか?。 展望はさることながら、動く外側の床と動かない内側の床との境目が見ていて面白かった。

  間もなく予報どおり天気は崩れ始め、アラリンホルンは再び霧の中に消えていった。 周囲の景色も全て霧で隠されてしまったため写真も撮れず、売店で大きなパノラマ写真を買った後、再訪を誓って再び地下ケーブルとゴンドラを乗り継いでサース・フェーへと下った。 ホテルに戻った後、直ちに駅前の観光案内所に明日以降の天気予報の確認をしに行ったが、残念ながら雨の予報は変わることはなかった。


ミッテルアラリンから見たアラリンホルン


ミッテルアラリン付近から見たドム(中央右)・テッシュホルン(中央左)


ミッテルアラリン付近から見たアルプフーベル


フェーヨッホから見たリムプフィッシュホルン


フェーヨッホから見たアラリンホルンの頂稜部


アラリンホルンの山頂


山 日 記    ・    T O P