ブライトホルン(4165m)

  7月31日、am5:30起床。 ホテルの窓から初めてモルゲンロートに染まったブライトホルンの山頂が見えた。 予報どおりの快晴か?。 いよいよ素人が憧れのアルプスの山にガイドレスで臨む時が来た。 朝食を自炊して食べた後、am6:00過ぎにホテルを出発。嬉しいことに足の指の痛みは昨日ほどではなくなっていた。 早朝のメインストリートは、山男とスキーヤー達だけの世界であり、皆一様に町外れのゴンドラ乗り場に向かって歩いて行く。 ブライトホルンは山陰で見えないが、マッターホルンの矛先が時々顔を見せる。 ゴンドラ乗り場に着くと、間もなく昨日オーバーロートホルンの山頂で知り合った藤本さんがやって来た。 藤本さんは雪山の経験は私達と同程度だと謙遜して言われたが、近所の裏山を短時間で休まずに登る訓練を続けているという努力家であった。

  am7:00、始発のゴンドラが出発した。 終点のクライン・マッターホルンの周辺にサマースキーのゲレンデがあるためか、乗客はスキーヤーの方が多かった。 間もなく車窓からは朝陽を浴びて輝くマッターホルンが大きく見え始めた。 フーリーでロープウェイに乗り換えた後、トロッケナー・シュテークでもう一度ロープウェイを乗り換え、1時間近くかかってようやく終点のクライン・マッターホルンに着いた。 駅から外に向かう薄暗いトンネルを出ると、目の前がサマースキーのゲレンデになっていた。 そして左手にはこれからアタックするブライトホルン(4165m)の頂稜部が、一昨日ヘルンリヒュッテから遠目に眺めた優美な姿とはまるで違う、急峻なとてつもなく大きな図体で素人の私達の前に立ちはだかっていた。

  am8:10、藤本さんには申し訳ないが、妻と二人だけでザイルを結び合って出発した。 Tバーリフトの下をくぐり、ブライトホルンプラトーという広大な雪原に出た。 雪原には予想(情報)どおり幅の広い明瞭なトレイルが印され、また天気の良いことも手伝って大勢の登山者が前後しているため、全く迷うことはない。 まずはひと安心である。 本当にこの雪原の下にクレバスが口を開けているのかと思うほどトレイルは踏み固められていたが、基本どおり14mのザイルを目一杯伸ばして雪原を歩いた。 長いザイルは私の未熟な技術では充分に扱いきれないため、試行錯誤の末に8mm/20mの“補助ロープ”を登攀用に6m、氷河歩行用に14mに切断して、用途別に使用することにしたのであった。

  天気は雲一つない快晴であり、雪原は最高の稜線漫歩である。 変わりやすいアルプスの天気も、今日は変わりようがないであろう。 雪原から見えるマッターホルンは、昨日まで見ていたスリムな東北面から重厚な南東面に変わり、稜線の斜度も75度から60度位に下がり、全くの“別山”になっている。 その右手には、ダン・ブランシュ、オーバーガーベルホルン、ツィナールロートホルン、ヴァイスホルンのカルテットが抜けるような青空を背景に並んでいる。 藤本さんが中判カメラで写真を撮る。 私も思わず立ち止まり、何度もシャッターを切った。 なにせ今日はガイドレス、自由の身だ。 1時間ほど雪原を歩き、何事もなく取り付きに着いた。

  アイゼンを着け、ザイルを登攀用の6mのものに換えて、計画どおり?4〜5人のパーティーの列の後に続き、踏み固めれたトレイルを登り始めた。 藤本さんも後から続いた。 取り付きから山頂までの標高差は350m余り、約1時間の登攀である。 ロープウェイで麓から一気に2200m以上上がった割には、息苦しさは全く感じられなかった。 ここ数日3000m以上の高さで遊んでいたせいであろうか?。 登るにつれ、隣のマッターホルンが低くなっていく。 取り付きから40分ほどアイゼンが良く利く斜面を左に回り込みながら登った後、トレイルは“く”の字を描くように大きく右へ反転し、斜度を増しながら山頂へと向かった。 私達が登っている後ろ姿を、藤本さんが写真に収めてくれた。 特に危ない所もない単調な登攀であるが、高度感があるため一歩一歩の登りが非常に爽快だ。 まして山頂はもう掌中にある。 日本の山のように走り出したい気持ちをぐっと抑え、これまでの道のりを思い起こしながら一人悦に入っていた。

  am10:00過ぎ、予想どおり大勢の登山者で賑わっているブライトホルンの山頂に辿り着いた。 「やったね〜!、最高、最高!」。 「どおだー!」。 いつもと同じフレーズの言葉しか口から出てこないが、妻とガッチリ握手を交わす。 そして先に山頂に到着していた藤本さんともお互いの登頂を喜び合った。 ロープウェイを使えば、アルプスのフィアタウゼンダーの中で最も易しい山であると言われるブライトホルンは、“他の山を目指す登山者が高所順応に行く所”とか、“ロープウェイで登る丘”であるとか、その評価は低い。 旅行会社のパッケージツアーでも、ハイキングの延長線上に位置づけられている。 しかしそんな酷評は素人の私にとっては全く無縁であった。 なぜならこの山の頂には、クライン・マッターホルンの駅から2時間余りで辿り着いたのではないからだ。 アルプスの山に憧れ、情報収集を行い、登山愛好家としてのこだわりにより、敢えてガイドレスで臨んだ、素人の私にとっては一大冒険の山であった。 この山こそ私がアルプスで最初に登った真のフィアタウゼンダーに他ならない。 その憧れの山の頂に、計画どおり?快晴無風の天気のもと立つことができ、これほど嬉しいことはない。 またスイス中の山が全部見えるのではないかと思えるほどの大展望が喜びに拍車をかける。 あのマッターホルンが低く見えるのが痛快だ。

  山頂では私達の他2人の日本人を含め、2〜30人の登山者が皆思い思いに寛いでいた。 今日は急いで下山する必要はない。 ガイドは私だ。 時間の許す限りこの素晴らしい絶景を堪能しよう。 日本の山と同様、仁王立ちしてため息をつきながら何枚も写真を撮りまくり、地図を拡げ妻と山座同定をして1時間以上も楽しんだ。 先日登ったベルナー・オーバーラントの山々も遠くに見えて懐かしい。 藤本さんは写真の腕前も相当らしく、中判カメラで私以上に熱写に励んでいる。 ブライトホルンは“名山”であるのみならず、素晴らしいアルプスの展望の山であった。

  正午前、いつまでも去りがたい頂であったが、次々に到着する人達に席を譲ることにして、藤本さんと共に下山にかかった。 今日は止めてくれる人がいないので、緩みきった気持ちを切り替え、一歩一歩慎重に下る。 すっかり忘れていた足の指の痛みがここに来て再び登場したが、もうそんな事はどうでも良かった。 憧れの山のサミッターになれたのだから!。 正午を過ぎても登ってくる人は絶えず、中には驚いたことに運動靴を履いて空身で登ってくる二人の若者がいた。 しばらく様子をうかがっていたところ、一人は斜度が少しきつくなった所で諦めて引き返してきたが、もう一人はそのまま上に登っていってしまった。 日本でもたまに見かける光景であるが、外国人のチャレンジ精神?は並ではない。

  取り付きで藤本さんと別れた後、pm2:00頃クライン・マッターホルンの駅に戻り、トンネルの入口の日溜まりでマッターホルンを間近に眺めながら、再びのんびりと時を過ごした。 最後の仕上げに駅の真上にある展望台に上がり、北に向けて巨大な雪庇を張り出しているブライトホルンを眺めたが、ここから見るブライトホルンが一番絵になるように思えた。 ツェルマットまでロープウェイ等で下り、いつものように廉価なレストランで祝杯をあげたが、計画どおりの山行が出来たことで心は充分に満たされていた。



ブライトホルンプラトーから見たブライトホルン


ブライトホルンプラトーから見たオーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン・ヴァイスホルン(左から)


ブライトホルンへ登る大勢の登山者


ブライトホルンの山頂


ブライトホルンの山頂から見たダン・ディラン(左)・マッターホルン(中)・ダン・ブランシュ(右)


ブライトホルンの山頂から見たドム&テッシュホルン(中)・アルプフーベル(中央右)


ブライトホルンの山頂から見たリムプフィッシュホルン(中)・シュトラールホルン(中央右)


ブライトホルンの山頂から見たモンテ・ローザ(左奥)・リスカム(右手前)


ダン・ブランシュ・オーバーガーベルホルン・ツィナールロートホルン・ヴァイスホルン(左から)


ブライトホルンの山頂から見たマッタータール(谷)


ブライトホルンの山頂から見たクライン・マッターホルン(中央の岩塔)とモン・ブラン(中央遠景)


クライン・マッターホルンの展望台から見たブライトホルン


クライン・マッターホルンの展望台から見たツィナールロートホルン(左)・ヴァイスホルン(右)


トロッケナー・シュテーク(ロープウェイの乗換駅)から見たブライトホルン


トロッケナー・シュテークから見たアラリンホルン・リムプフィッシュホルン・シュトラールホルン(左から)


山 日 記    ・    T O P