キリマンジャロ(5895m)

   午前0時40分、貫田隊長及び隊員16名(男性9名・女性7名)は、地元のガイド6名と共に避難小屋を出発。 残念ながら吉村さんと高度障害で体調のすぐれない長男の光君(小学6年生)は遅れて出発することになった。 ガイドのジョセフを先頭に、ヘッドランプの灯火は山頂を目指して暗闇の中を泳ぎ始めた。 暗くてよく分からなかったが、登山道は予想よりも急で険しかった。 “ポレ・ポレ”(スワヒリ語でゆっくり)のペースで登るという当初の打ち合わせとは程遠い、普通のペースで登っているように感じているのは私だけか、皆淡々と無言で登って行く。

   30分ほどで最初の休憩となった。 時間は僅か5分ほどだった。 いつもであれば充分な時間だが、水筒をザックから取り出す時も腹式呼吸に努め、高山病の予防をしなければならないため、全く休んだ気にならない。 登山道は東に向かってトラバース気味に進み、出発して約2時間後に一般ルートとの合流点に到着した。 標高はすでに5000mを超えているだろう。 年末年始のため、夏の富士山のように大勢の登山者が列をなしているような光景を想像をしていたが、そのようなことは全くなかった。 すでにかなり上の方にヘッドランプの灯かりが見えるが、下の方には全く見えない。 我が隊のペースが遅いのか、それともここから下の勾配がきついせいなのだろうか?。

   キリマンジャロの初登頂者の功績を讃えて名付けられた『ハンス・メイヤーズ・ケーブ』と呼ばれる洞穴の前で大休止となった。 ようやくゆっくり行動食を食べ、一息つくことが出来た。 風が少し出てきたのでダウンジャケットを着込む。 すでに上から弱々しい足取りで下ってくる登山者がぽつりぽつりと現れたが、途中で高山病になってしまったのだろうか?(たまたま前日に同峰に登った知人から帰国後に聞いた話では、登っている途中で救助用の一輪車に乗せられて下山していった外国人が高山病で亡くなったという)。 貫田隊長は、「このまま行けば6時にはギルマンズ・ポイントに着きますよ」と私達を元気づけてくれた。 しかし、すでに2〜3人の隊員の姿は見えなくなっていた。 果して全員登頂の目標は達成出来るのだろうか?。

   再び黙々と登り始める。 時計を見るとすでに3時半を過ぎている。 お腹の調子は良くも悪くもならないが、このまま何事も無く過ぎてくれれば、山頂は掌中にありそうだ。 高山病の防止のためには、腹式呼吸で酸素を体に送り込む必要があるが、あまりやり過ぎると弱っているお腹に悪い。 また水分も多めに取らなければならない。 究極の選択とはまさにこのことか。 30分ほど登り、再び5分間の休憩となる。 ここで田中さんのヘッドランプが球切れとなった。 たまたま近くにいた私がヘッドランプの灯を中腰で提供していると、とうとう一羽目の雉が飛んできてしまった。 10余名の隊員を足止めにし、登山道から少し離れた足場の悪いザレた斜面に直行したのは、後にも先にも私だけで、暗くて顔が見えなかったのが救いだった。

   この不祥事の後、何となく先頭のガイドのペースが少し上がったような気がした(私のペースが落ちたのか?)。 目標がギルマンズ・ポイントであればこのペースでも何とか頑張れそうだが、私は妻を含めここまで苦労を共にしてきた隊員全員で100%確実にウフル・ピークまで登りたいと願っていた。 念のため近くにいた淑子さんらに意見を求めたところ、やはりペースは早くなったと言うので、意を決して貫田隊長に「本隊を二つに分けて“ゆっくり登り隊”を結成したい」と直訴した。 全てはウフル・ピークを見据えてのわがままだった。 これに対して仏の貫田隊長は、「すでに遅れている後続隊のサポートでガイドの人数が不足しているため、本隊を切り離すことは出来ないので、ペースをゆっくり登り隊に合わせましょう」と応じてくれた。 先頭の“エリート軍団”には申し訳ない気持ちだったが、この借りはいつかきっと返そうと心に誓った。

   ペースは元に戻り、エリート軍団とゆっくり登り隊は、何事も無かったように暗闇の中を黙々と登り続けた。 たまに後ろを振り返り、まだまだ余裕があるふりをして必死に登っている妻を励ますが、もしかすると私の方が弱っているのかもしれない。 “山は楽しく登るものだ”と日頃から吹聴している私にとって、本当に情けない限りだ。 しかし一方では、“こんな状態でもウフル・ピークまで行くことができたら感動はより大きいぞ。 山頂ではどんなポーズを決めようか”などと山頂で歓喜する姿を想像して一人悦に入っていた。 すでに胸のポケットには、マッチ箱ほどの小さな紙片に《2000年12月31日登頂 酒井善樹(40)酒井裕美(42)》と昨晩書いたメモを入れてある。 これを山頂の石と引換えに置いてくるのだ。 ギルマンズ・ポイントの直下で夜が白み始めた。 上に行くほど傾斜がきつくなり、ゆっくり登り隊の列が長くなってきた。 50mほど上に人影が見え隠れしている。 あそこがギルマンズ・ポイントに違いない。 しかし足は思うように上がらず、その距離はいっこうに縮まらない。 深呼吸をして肺に空気を吸い込むが、もう20%ぐらい吸い足りないような気がする。 必死で前を登る淑子さんの背中を追う。 すでに妻と西廣さんの姿は見えなくなっていた。

   午前6時過ぎ、120%の力を出しきり、エリート軍団の最後尾でギルマンズ・ポイント(5685m)に辿り着いた。 『ここはギルマンズ・ポイントです』と英語で記された立派な標識があった。 嬉しかった。 そしてホッとした。 とにかく“第一関門”をクリアーすることが出来たのだ。 一瞬気持ちが緩みかけたが、ここは単なる休憩場所だとすぐに自己暗示をかけ、標識から目をそむけた。 淑子さんが「おめでとう!」と暖かく握手を求めてきたが、私は「いゃ〜、まだここは山頂じゃないから」とそれを冷やかに撥ねつけ強がってみせた。 本当は素直に喜びを分かち合いたかったが、握手をしたら最後、もうここで朽ち果ててしまいそうだったからだ。 淑子さんの困惑した顔が今でも目に浮かぶ。 「高山病になると性格が悪くなる」と出発前に貫田隊長が話していたが、まさにその通りだった。


ギルマンズ・ポイントから見た20世紀最後の荘厳な日の出


ギルマンズ・ポイント


   火口原があまりにも広大なため、ギルマンズ・ポイントはお釜の縁という感じではなく、稜線上の一つのピークという感じだった。 その稜線は南に向かって高さを増し、ずっと先の方でその肩を落としている。 あそこが山頂(ウフル・ピーク)に違いない。 火口原には時代からとり残されたような階段状の氷河が幾つか見えた。 地球の温暖化により、数十年後には無くなってしまう運命だという。 セピア色の空がオレンジ色に染まり始め、間もなく遙か眼下の衛星峰マウエンジ(5149m)の右手の雲海の中から、太陽がゆっくりと姿を現した。 あの偉大な太陽が、まさに足下から昇ってくるのだ。 カメラのフラッシュの花が咲き乱れ、20世紀最後の荘厳な日の出を予定どおりギルマンズ・ポイントから見ることが出来たことで、わが隊を含め居合わせた人々は大いに盛り上がった。 私も再び気持ちが緩みかけたが、深呼吸を絶やすことなく続け、体力の回復に努めた。

   ギルマンズ・ポイントでの感動の日の出ショーが終わると、貫田隊長はおもむろに説明を始めた。 18名の隊員は残念ながら11名になっていた。 「皆さん、あそこがウフル・ピークです。 一応ここも山頂ですが、ウフル・ピークまで行きたいと思う人は、往復で3〜4時間かかりますのでそのつもりでいて下さい。 行ける自信のない人は決して無理をしないで下さい。 ガイドの人数が途中で引き返す人の分までないので、途中で引き返すことはできません。 ALL・OR・NOTHINGで考えて決断して下さい!」。 仏の貫田隊長が言った最初で最後の厳しい発言だった。 間髪を入れず、「さぁ〜て皆でウフルまで行きましょうか!」と一番危ない私が、一番元気なふりをして気勢をあげる。 弱い犬ほどよく吠えるのだ。 もちろんエリート軍団に迷いなど全くなかったが、ゆっくり登り隊の副隊長の妻は、最後に到着した西廣さんが「行かない」と言ってくれることを密かに期待していた。 しかしそんな企みは彼女の強い精神力の前に一蹴され、貫田隊長の判断で当初の予定だった7時を待たずに11名の隊員はウフル・ピークを目指して再び歩き始めた。

   ギルマンズ・ポイントで30分近くも休憩したにもかかわらず、私の足の運びは全く冴えず、雪の混じり始めた稜線の道を僅か5分ほど行く間に、先頭を行くガイドとの差は2〜30mにもなってしまった。 時々貫田隊長が後ろを振り返ると、いかにも写真を撮っているふりをしてごまかしていた。 何とかしなくては。 鉛のように重たい足を引きずりながら必死に食らいついていくと、図らずも雪渓や落石等の危険地帯を過ぎた日当たりの良い広場で休憩となった。 相変わらず造り笑顔だけは絶やさないようにして、へなへなとその場に座り込んだ。 その瞬間私の眼に飛び込んできたのは、朝陽を浴びて輝いているとてつもなく大きな氷河の壁だった。 何というファンタスティックな光景だろうか!。 これがあの“キリマンジャロの雪”なのか!。 数秒前とはまるで別人のようにすくっと立ち上がり、息をするのも忘れ夢中で写真を撮った。 青空が広がり風もない稜線の状況から見て、ここにいる隊員全員の登頂を確信したのだろうか、貫田隊長の顔にも余裕の笑顔が見える。


ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークへ


エリート軍団の淑子さん


危険地帯を過ぎた日当たりの良い広場で休憩する


   休憩後に再び辛い行軍が始まると、私の体に異変が起きていた。 理由は分からないが、足取りが急に軽くなったのだ。 お腹を気にしてシャリバテになっていたのか、全く不思議なものだ。 亀はにわかに兎に変身した。 それとは反対に、妻や西廣さん、そして足首を捻挫しながら果敢にアタックを続けている山岸さんが遅れ始めた。 エリート軍団との差はみるみる拡がっていく。 私も駆け出して行って、今度こそエリート軍団の仲間入りを果たしたかった。 しかし、はやる気持ちをぐっと抑え、これから先は何が起ころうともこの三人と心中しようと心に決めた。 そして今度こそ本当の“殿(しんがり)”を務めることとなった。

   左手に見える巨大な氷河の壁はますますその迫力を増し、まるで異次元の世界を作りだしている。 この素晴らしい景観は、ギルマンズ・ポイントを卒業した者のみに許された特権だ。 また、右に目を向けると、眼下の荒涼とした広大な砂礫の火口原には、つま楊枝の先でなぞったような一筋のトレイルが見え、所々に登山者が蟻のように歩いている。 ギルマンズ・ポイントも遙か遠くになってきた。 氷河と火口原があまりにも大き過ぎるため、下界の景色は全く見えない。 見えるのは果てしなく続く雲海のみで、まさにここは文明社会とは隔絶された原始の世界だった。

   稜線は相変わらず風もなく、気温は上昇し寒さはあまり感じない。 すでに登頂を果した日本人が数名下ってきた。 「こんにちは〜、お疲れ様でした〜!」と久々に日本語の挨拶を交わし合う。 しばらく雑談を交わしながら、最後尾の西廣さんを待つ。 彼女は吐き気もあり、一番辛そうだったが、ガイドがザックを持とうとする誘いを何度も断り続けている。 山の経験も一番浅いのに、本当に気丈な人だ。 妻も相当苦しそうだが、足取りはしっかりしている。 半年前のアルプスの経験が生きているようだ。

   間もなく大勢の登山者(サミッター)で賑わっているウフル・ピークが見えてきた。 エリート軍団はすでに登頂を果たしているだろう。 何度もストックを振り回し、叫び、存在をアピールして殿の役目を果たそうとしたが、山頂からの応答は全く無かった。 ちょっぴり寂しかったが、山頂での盛り上がりが想像できる。 あと僅かでその輪の中に入れるのだ。 嬉しくて、嬉しくて、まるで雲の上を歩いているような気分だった(まさにそのとおりだったが)。 「まだあと1000mぐらいは登れるのに〜!」と最後のハッタリをかましたら、今度こそ貫田隊長に怒られるだろう。

   午前8時過ぎ、夢にまで見た憧れのウフル・ピークに、次々とゆっくり登り隊の4人は辿り着いた。 もう目の上には真っ青な空しか見えない。 「やったあ〜!、着いたあ〜!!、登ったあ〜!!!」。 「おめでとう!」。 真っ先に淑子さんが握手を求めに来てくれた。 「ありがとうございました!、お蔭様で登れました!」。 今度は両手で拝むように力強く握り返した。 やっと胸のつかえがとれた。 そして次々に出迎えてくれたエリート軍団の隊員一人一人に、お礼を言いながら固い握手を交わし、貫田隊長と11名の隊員は再びお互いの登頂を喜び、そして讃え合った。 私が今ここに立っているのも、ここにいる皆のお蔭に他ならない。 これほど感動的な山頂が、今までにあっただろうか!。 何もかも忘れ、もう頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。 最後に、精根尽き果てながらもアフリカ大陸の最も高い所まで付き合ってくれた妻と人目をはばからずに熱い抱擁をして、私のウフル・ピーク探訪の旅は終わった。


巨大な氷河の壁は異次元の世界を作り出していた


眼下の荒涼とした広大な砂礫の火口原


稜線は相変わらず風もなく、気温は上昇し寒さはあまり感じない


ウフル・ピーク


火口原の氷河


キリマンジャロの雪


ウフル・ピークからギルマンズ・ポイントへ


ギルマンズ・ポイント付近から見たウフル・ピーク


ギルマンズ・ポイント


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P