8月3日、一昨日が好天のピークだったようで、今日は昨日よりもさらに雲が多い。 今日から予備日を入れて4泊5日の日程で滞在中最後の山となるコパ(6188m)を登りに行く。 初日の今日はマルカラからオンダ谷に入り、途中のビッコスの集落から4700m付近に位置するレヒアコーチャという湖まで登る。 7時半過ぎにスタッフ達がエージェントのワゴン車でホテルに迎えにきてくれた。 残念ながらラウルの姿はなく、コックは昨日市場で出会ったマヌエルで、ポーターはメシアスとノルベルトだった。
車窓から見えるワスカランに胸を躍らせながらカルアス方面に向かい、オンダ谷への入口にあるマルカラ(2750m)という小さな町で食料の調達をする。 マルカラの手前でコパが見え始めると、写真好きの私のためにアグリが車を停めてくれた。 オンダ谷への道とのT字路には小さな市場があり、スタッフが野菜や果物、そして雑貨などを買っていた。 マルカラから登山口のビッコスの集落へはオンダ谷への道をいく。 マルカラを出発してからすぐに、5年前に行った日帰り温泉施設の『チャンコス温泉』があったが、建物はリニューアルされ、さらにマルカラ川を挟んだ対面には新しいホテルもオープンしていて驚いた。 道路は未舗装ながらも路面の状態は良く、このまま好景気が続けば将来的には舗装されそうな感じだった。 ビッコスの集落からオンダ谷への道を外れて悪路の山道を登る。 運転手が村の人にどこまで車が入れるかを聞いていたが、そのすぐ先で車がスタックしたので、そこから歩き始めることになった。 ワラスで3090mに合わせた高度計の表示はまだ3250mだった。
出発の準備をしていると、下から数頭のロバを連れた馬方の親子がやってきた。 荷物の振り分けはスタッフ達に任せ、9時過ぎにアグリと三人で山道を歩き始めた。 天気は相変わらず高曇りで冴えなかったが、正面にはコパ、左手にはワスカラン、右手にはランラパルカの頂稜部が僅かに見えた。 30分ほど牧草地の中を通る幅の広い道を緩やかに登り、レヒアコーチャ(湖)に登るトレッキングルートに入る。 道標の類は一切なかった。 ユーカリの林を抜けると再び牧草地が広がり、ワスカランが正面に見え始めた。 天気は少し回復して青空が広がってきた。 牧草地の中の踏み跡は所々で薄くなるが、アグリは迷わず淡々と歩いていく。
トレッキングルートの入口から1時間ほどで牧草地を通過すると、石を均して整備された道となり、勾配も増してきた。 陽射しで暑くなってきたので、道端の日陰で一休みしていると、上から二人の登山者が下ってきた。 登山者の一人はアグリの知り合いのようで、アグリに何やら長々と話しかけていたが、アグリは何故かあまり耳を傾けていなかった。 アグリの話では、その人は資格のないもぐりのガイドで、クレヴァスの状態が悪くてコパに登れなかったらしいが、ガイドの情報ではないので、話は半分にしか聞かなかったとのこと。 休憩を終えると同時に後ろからスタッフ達が追いついてきたが、いつものようにあっという間に見えなくなった。 樹林帯の中の涼しくて快適な区間もあったが、そこを過ぎると木々の背丈は低くなり、いわゆる森林限界となった。 正午過ぎに明るく開けた広い尾根の末端に着くと、先行していたスタッフ達がランチを用意して待っていた。 標高はようやく4000mほどになった。 ランチを食べて寛いでいると、私達の荷物を運んでいるロバ達が傍らを通り過ぎて行った。
1時間ほどゆっくり休憩していると冷たい風が吹き始めたので、スタッフ達と一緒に出発する。 木々の無くなった顕著な尾根はやや勾配が急になり、ジグザグを切りながら登る。 スタッフ達の速いペースに妻は引きずられていったが、私は意識的にそれまで以上にゆっくりしたペースで登る。 30分ほど顕著な尾根登ると、ルートはコパの氷河の末端に向けてやや水平にトラバースするようになり、間もなく登攀ルートとなる長大なコパの西稜が見えてきた。 モレーンの末端が近づいてきたようで、周囲には磨かれた岩が多くなり、大岩の下にある先住民が描いたリャマの壁画をアグリが教えてくれた。 今日の天気は不安定で、コパの山頂方面には、白い雲が見えたり消えたりしていた。 岩の間に咲いていた高山植物も徐々に少なくなり、モレーンの末端にB.Cと思えるテントが見えた。 テントサイトに近づくと、傍らには川が流れ、上の方に人工的な水路が見られた。 水路の上にはレヒアコーチャ(湖)があることが分かったが、B.Cはその湖畔ではなく少し手前の平坦地にあり、ビッコスの集落を出発してからちょうど6時間の3時過ぎに着いた。
整地されたB.Cの小広いテントサイトは、私達だけで貸し切りだった。 アグリは明後日の登頂日も私達だけだろうと言った。 アグリの話では、コパは近くにワスカランがあるため、易しい山ではあるが人気が無く、シーズン中でも数えるほどしか登られていないとのことだった。 その点は静かな山が好きな私にとってちょうど良かった。 B.Cの標高は4600mほどで、ビッコスの集落からは標高差で1350m登ったことになり、順応してなければ辛かっただろう。 1時間ほど快適な個人用テントで休んでから、ダイニングテントで炒りたてのポップコーンを頬張りながらティータイムを楽しんだ。 順応した体での山登りは本当に気楽だ。 テントのサイズは今までと同じだが、テーブルは4人用の小さなものになっていた。
不安定だった天気は夕方以降は良くなり、明日の好天に期待が持てた。 夕食前のSPO2と脈拍は88と63で、この高度にしては申し分なかった。 今晩は初めてマヌエルが調理した夕食を食べたが、スープもメインディッシュもラウルとは違った個性が感じられ美味しかった。 夕食後はアグリと色々な話しをしたが、何故か山とは無縁のペルーの政治や経済の話をアグリが熱く語ったり、エージェントのエクスプロランデス社の経営方針を批判したりで、インテリらしいアグリの意外な素顔が分かって興味深かった。 夜には快晴の天気となり、南十字星が良く見えた。
8月4日、地形の関係かB.Cは無風で暖かく、テントの結露も無かった。 昨夜からの快晴の天気は続き、早朝から良い天気となった。 昨夜は熟睡し、夜中に目が覚めることもなかった。 起床前のSPO2と脈拍は86と56で、数値も体も絶好調だ。 温かいパンとソーセージ入りの玉子焼きを食べ、後発のマヌエル達のパーティーより一足先に8時半前にアグリと三人でH.Cへ向かう。 B.Cから先へはロバは上がらないので踏み跡は薄い。 出発してすぐにコパの山頂方面からのご来光となった。 小さな池の傍らを通りモレーンの背に上がると、眼下にヒスイ色をしたレヒアコーチャ(湖)が見えた。 登山口からも見えていた荒々しい特徴のある岩塔の基部にある氷河の末端に近づくと、後ろからマヌエル達のパーティーが追いついてきた。
B.Cからゆっくり時間をかけて登り、2時間半ほどで氷河の末端に着くと、沢状となっている雪の斜面には昨日出会ったパーティーのトレースが残っていた。 ハーネスとアイゼンを着け、ヘルメットを被って一息入れる。 アグリの話では、氷河の後退によりシーズン中ここには雪が少なく、いつもは氷化した雪とボロボロの岩とのミックスになっているとのことだった。 コパは易しい山だとガイドブックには記されているが、この取り付きの登りに関しては決して容易ではないことが分かった。
アグリ、妻そして私の順にロープを結び、岩塔の側壁に沿った急斜面の氷河を登り始める。 最初はコンテで登ったが、途中に溶けて薄くなった雪が凍っている箇所があり、所々でスタカットで登る。 しばらく登るとアグリがスノーバーを打ち込んで支点を作り、取り付きで待機しているマヌエル達のパーティーに向かってロープを投げた。 マヌエル達のパーティーが登り始めるのを見てから、アグリはさらに急になった斜面をジグザグに登っていった。 上部での傾斜は45度ほどになり、重荷を背負ったマヌエル達が登ってこられるか心配になった。 取付きから1時間近くを要して、山頂に向かって伸びる長大な西稜の末端に着いた。 陽射しに恵まれた展望の良い尾根の末端で後続のマヌエル達のパーティーを待つ。 しばらくすると、ようやく先頭を登ってくるマヌエルの姿が見えた。 再びアグリがロープをマヌエルに向かって投げ、最後の急斜面での安全対策に気を配っていた。
西稜の末端からは傾斜が緩くなり、右手に見えてきたランラパルカなどを眺めながらの快適な登りとなった。 天気も良く順応も充分なので、このまま山頂まで登ってしまいたいような感じさえした。 間もなく傾斜が無くなると、眼前に広大な雪のスロープが出現した。 スロープの末端には陽光に温められた岩が露出し、そこが今回のH.Cということだった。 この山頂直下の広大な雪のスロープは麓のマルカラやB.Cからは見えず、そのスケールの大きさに圧倒された。 山としては特徴のないコパの真髄は、正にこの氷河の大きさにあるのかもしれない。 予想よりもだいぶ早く、1時前に貸し切りの静かなH.Cに着いた。 私の高度計は5100mだったが、アグリのGPSでは5200m近くあるとのことだった。 早速風の当たらない大岩の下でランチタイムとなったが、アグリは双眼鏡でずっと明日の登攀ルートをつぶさに観察していた。 ランチが終わるとメシアスとノルベルトが雪の上に私達の個人用テントを設営してくれたが、スタッフ達は雪の上ではなく少し凹凸がある岩の上にテントを立てていた。
2時になると、アグリがメシアスとノルベルトを連れて明日のルートの偵察に出掛けていった。 やはり、昨日のもぐりのガイドからの情報が気になったのだろうか。 三人の後ろ姿を目で追いながら、明日のルートを目に焼き付ける。 ノーマルルートの西稜は緩やかで登り易そうに見えた。 間もなく三人の姿が見えなくなったので、個人用テントで休養することにした。 SPO2と脈拍は86と70だが、数値以上に体は楽だった。 H.Cに着いた時は殆どなかった風が次第に強くなり、テントがバタついてきたので、雪や石を積んでテントを補強する。 山頂方面から吹き下ろしてくる風は刺すように冷たかった。 日没前の5時半を過ぎてようやくアグリ達が偵察から帰ってきた。 アグリの話では、やはりクレヴァスの状態が悪いので、明日は予定よりも早く1時に出発するとのことだった。 夕食は日本から持参したフリーズドライの赤飯とスープを食べ、7時前には横になった。
8月5日、1時の出発に合わせて11時半過ぎに起床する。 風の音で殆ど眠れなかったが、緊張と興奮で全く眠くはない。 昨日のB.Cでの暖かさが嘘のように、テント内はマイナス3度と今までで一番寒かった。 打ち合わせどおり零時ちょうどにマヌエルがテントにお湯を持ってきてくれた。 朝食はワラスで買ったカップラーメンと日本から持参したチキンラーメンの両方で食欲は旺盛だ。 テントから出て岩場に行くと、今回もマヌエルがラッセル要員に起用され、出発の準備をしていた。 易しいはずの山は一変して総力戦の山となった。
アグリ、マヌエル、妻そして私の順でロープに繋がり、ほぼ予定どおり1時過ぎにH.Cを出発。 風が当たりにくいH.Cの岩場を離れると、収まったと思われた風が再び吹き始めた。 風は山頂方面から吹き下ろしてくる感じで、間もなく吹雪のように細かい雪が飛んでくるようになった。 5年前のトクヤラフでの強風が真っ先に頭に浮かび不安が募る。 あの時敗退した妻もきっと同じ思いだろう。 しばらくすれば止んでくれるだろうという期待に反して風は一向に吹き止まず、ずっと正面から吹き続けた。 それでもアグリからは天気が悪い(風が強い)ので、アタックを明日に順延するという提案もなかったので、これから風は収まるのか、明日は今日と変わらないのか、あるいは今日より悪くなるという情報を持っているのだろう。 体感気温はかなり低く、順応してなければかなり厳しい状況だ。 風が全く吹き止まないので、休憩することもままならず、黙々と登り続けるしか術がなかった。
H.Cから1時間半以上登り続け、風が少し弱まった所で初めての休憩となった。 妻を励まし、温かいコーヒーを飲んで英気を養う。 まだ夜明けも遠く、妻がどこまで耐えられるかが心配だが、唯一順応が充分出来ていることが心の支えだ。 再び風が収まることを期待して歩き始める。 風も長時間吹かれ続けると慣れてくるのか、それとも少し風の弱い所に出たのか、それまでよりは幾分楽になった気がした。 昨日アグリ達が偵察したルートを登っているはずだが、風によって運ばれた雪でトレースは所々で消えていた。 この風がさらに強まれば、一昨日のパーティーと同じように敗退の憂き目に遭うかもしれない。
1時間ほど単調な斜面を登ったところで2回目の休憩となり、アグリからヘルメットを被るように指示があった。 この先は状態の悪いクレヴァスを回避するために、ノーマルルートから外れるということだろう。 休憩後もしばらくは単調な斜面を黙々と登り続けたが、積雪が次第に多くなってきたのでペースは落ちた。 相変らず風雪が止まないので、上空の天気が良いのか悪いのか分からない。 尾根の形状が複雑になってきた所でアグリが足を止めた。 この先に状態の悪いクレヴァスがあるのだろう。 昨日はこの辺りまで偵察に来たのだろうか。 アグリはしばらく前方をヘッドランプの灯りでつぶさに観察していたが、雪煙で視界が遮られ、良いルートが見出せないようだった。 アグリは私達にしばらくここで待つようにと告げると、ロープを伸ばして進行方向の尾根とは違う左方向の斜面をラッセルしながら登り始めた。 私達は寒さをこらえながら、行動食などを食べて休憩することになったが、アグリが戻ってくるまで30分ほど待つことになってしまった。 アグリの偵察の結果次第では、ここで引き返すことになるかもしれないと腹をくくったが、どうやら活路を見出せたようで、左方向に尾根を迂回して登ることになった。
尾根を巻きながら登るようになったので傾斜は緩くなり、また尾根を外れたことで風が弱まったことが嬉しかった。 今まで悩まされ続けてきた雪煙も徐々になくなり、尾根の左斜面をトラバース気味に進んでいくと、ようやく夜が白み始め、ワルカン(6125m)とその奥にワスカラン南峰(6768m)が朧げに見えた。 稜線の風はまだ止んでないだろうが、天気は思ったより悪くなさそうで安堵する。 あとはトクヤラフの時と同じように、風が奇跡的に止んでくれることを祈るだけだ。
間もなくアグリが足を止め、クレヴァスの脇に右手の尾根へ登り返すポイントを決めた。 ワスカラン南峰とワルカンがはっきり見えるようになると、意外にもその上空には雲がなかった。 ここからはそれまでと一変して急斜面の登りとなり、スタカットで登ることになった。 ワスカラン南峰とワルカンがモルゲンロートに染まり始め、にわかに登頂の機運が高まってきたが、しばらくするとダブルアックスが似合いそうな50度の急斜面の下に出た。 風に耐え続け疲労の色が濃い妻を気遣って、アグリが「ポッシブル(この急斜面を登れますか)?」と聞いてきた。 技術的なことではなく、むしろ妻の体力面を考えてのことだろう。 登頂を諦めて引き返すなら、もうここしかないことが分かった。 アグリからの問いかけに気持ちが揺らいだ妻は、下山することを考え始めた。 もちろん、その時は私も一緒に下りなければならない。 確かにこの雪壁を登ることは、体力を消耗している妻には大変だと私も思ったが、雪壁の登攀中は風も弱く、稜線に上がればもう暖かい太陽が当たってくるので、まだ頑張れるなら後で後悔しないよう登ることを勧めた。 念のためアグリに、山頂まであとどのくらい掛かるかを聞くと、アグリから1時間ほどとの答えが返ってきた。 この雪壁の登りは60mのロープで2ピッチだという。 それなら大丈夫だと妻を強引に説得し、あと1時間で山頂に着かなければ、その時は下山しようということにした。
登り続けることが決まったので、マヌエルに確保を託してアグリが急斜面の雪壁に取り付いた。 アグリからのコールが掛かるまでの間、妻は腕を回して冷え切った体を温めていた。 雪壁の登攀はアグリが上から確保し、マヌエルがステップを刻んで登り易くしてくれた。 コックとしてしか見てなかったマヌエルが、今はとても頼もしく思えた。 周囲がすっかり明るくなってくると、ワルカンとの間の広いコルにアマゾン側からの湿った雲が次々と流れ込んできていたが、一方で上空には青空が広がり、コパの北峰(6173m)のピークも見えた。 結局2ピッチでは稜線に届かず、最後は傾斜が緩んだものの、もう半ピッチでようやく山頂直下の稜線に飛び出した。
ノーマルルートの稜線に出ると、ようやく待望の太陽の光を全身で浴びることが出来たが、期待に反して風は先ほど以上に強く、山頂方面にはまだ雪煙が舞っていた。 山頂はもうすぐそこに見えたが、風の強さがその距離を遠く感じさせた。 僅かに凹んだ所を見つけ、初めて座って休憩する。 すでに8時となり、雪壁の取り付きからアグリが予想した1時間はとうに過ぎていた。 妻はもう限界で、しばらくうずくまったまま動けなかった。 アグリも相当疲れている様子だったが、ポーターのキャリアが長いマヌエルは唯一元気そうだった。 西の方向にはワスカラン南峰が、東の方向には雲海の上から顔を出すランラパルカ(6162m)、ワンサン(6395m)、パルカラフ(6274m)そしてチンチェイ(6222m)の頂が見えたが、一番楽しみにしていたトクヤラフ(6032m)の頂はそれらの山々より少し低いため雲海に飲み込まれていた。 ノーマルルートの西稜のたおやかで幅の広い尾根やH.Cの岩場が眼下に小さく見えた。
ここから山頂までは傾斜も緩く、風は強いが陽射しの強さがそれに勝っていたので、登頂は何とか出来そうだった。 しばらくそこで休憩した後、アグリからも「風が強いので、山頂にはタッチするだけです」というゴーサインが出たが、妻は山頂に行っても雪煙が舞っているだけで展望は無いので、ここでもう充分だと言って動こうとしない。 もう少しだけ頑張れば登頂出来るし、トクヤラフの時のように奇跡的に風が止むこともあるので、ここまできたら何とか二人で山頂を踏みたいという気持ちが強まり、妻が可哀そうだという気持ちを押し殺し、山頂に向かうことをアグリに告げた。 山頂までの時間をアグリに聞くと、15分ほどとのことだったが、私にはその倍の30分は掛かると思った。
ここからは先はヒドゥン・クレヴァスがあるようで、アグリがロープを伸ばしながら先行する。 強風に煽られながらしばらく登ると、山頂だと思った丸いドームの上は山頂ではなく、そこから先は傾斜が一段と緩み、次第に細くなっていく尾根の先に巨大な雪庇(キノコ雪)となっている山頂が見えた。 もしかしたら山頂だけは風が弱いのではないかという淡い期待は裏切られ、山頂に近づくにつれて風はますます強まり、最後は台風並みの爆風になってしまった。 途中で妻が再度下山したいと泣きながら訴えたが、アグリの耳には届かなかった。 アグリは山頂の不安定な雪庇(キノコ雪)の上には登らず、その基部まで登ったところで足を止め、私達が順次そこに着くと、ここがコパの山頂ですと一言だけ説明し、ロープを整えながら下山する準備に余念がなかった。
登頂時間は予想よりもだいぶ遅く、すでに9時を過ぎていた。 妻は心身の疲労で放心状態となり、雪煙が舞う山頂からは唯一ワスカランだけが霞んで見えた。 写真を数枚撮っただけですぐにロープを結ぶ順番を入れ替え、マヌエルを先頭に妻、私そしてアグリの順に下った。 下りは追い風になったことで歩くのが楽になり、また太陽がだいぶ高くなったので、ずっと陽が当たって暖かかった。 相変らず上空は澄んだ青空だが、ワルカンとの間の広いコルにアマゾン側から流れ込んでくる湿った雲はさらに増え、不安定な気象状況は続いていた。
先ほどの休憩地点から登りとは少し違うルートを所々で懸垂しながら下る。 4人が一本のロープで繋がっているため、下りも予想以上に時間が掛かったが、登りでは暗さと風雪でルートが全く見えなかったので、巨大なセラックやクレヴァスなどが目に新鮮だ。 コパの特徴とも言える広大な氷河が眼下に見えるが、妻はただ黙々と下っていくだけだ。 アグリが心配して、「ハッピー(登頂出来て良かったですか)?」と私に問いかけてきたので、「私は山のことしか頭にないので、登頂に勝る喜びはないが、妻はそうではないので、とても辛かったと思います」と答えた。
体が冷え切ってしまった妻がH.Cの近くまで長い休憩をとらずに下り続けたので、H.Cには予想よりも早く1時半に着いた。 留守番役のメシアスとノルベルトが用意してくれた暖かいスープを飲んで一息つく。 妻は明日の行程が長くなっても、今日はもう歩きたくないので、H.Cにもう一泊したいと言った。 私も順応が出来ているので、H.Cに泊まることに異論はなかったが、アグリは夕食の食材がないので、できれば今日中にB.Cまで下りたいという。 少し考える時間をもらい、個人用テントでしばらく休んでいると、妻の疲労も少し回復してきたので、アグリにB.Cまで下ることを伝え、スタッフ達と一緒に3時半にH.Cを発った。
西稜の末端からは急斜面の氷河を懸垂で下り、取り付きでアイゼンとハーネスを外し、ヘルメットも脱いで身軽になる。 スタッフ達は夕食の準備のため先行し、私達は疲れた足を労りながらゆっくり時間を掛けて下る。 妻も少しずつ元気を取り戻してきた。 レヒアコーチャを見下ろすモレーンの背で陽が沈み、振り返ると雪煙が舞う残照のコパの頂稜部が見えた。 日没後の6時半にB.Cに着き、予想外の長い一日が終わった。 夕食はマヌエルが短時間で美味しい料理を作ってくれ、もう何も考えることなく、お腹一杯になるまで食べた。
8月6日、今日は登山口のビッコスの集落まで下山し、迎えの車でワラスのホテルに帰るだけなので、ゆっくりとテントサイトに陽が当り始めてから起床する。 風の当たらない穏やかなB.Cからは山頂の風の強さは分からないが、今日の方が風も弱く良い天気のように思えた。 朝食の温かいパンケーキがとても美味しく、昨日頑張ってB.Cまで下ってきて良かった。
スタッフ達に撤収作業を任せ、9時過ぎにアグリと三人でB.Cを発つ。 ワイワッシュ山群からスタートした今回の登山活動も実質的に今日で終わりだ。 コパの頂稜部が見えている間は何度も後ろを振り返って名残を惜しんだ。 下りは楽なはずだが、目標を失った身には麓までの道程が長く感じる。 森林限界手前の顕著な尾根を下り、標高が4000m以下になると、昨日の寒さが嘘のように陽射しで暑くなってきた。 暑さに苛まれながら牧草地まで下ってくると、荷物をロバに託したスタッフ達が涼しい顔で追いつき、追い越して行った。 麓の集落に着く手前で、スタッフ達がB.Cで下ごしらえしてきたランチを食べる。 閑散とした集落だが、今日はちょうど馬を使った脱穀作業の最中で、どこからともなく人々が集まっていた。 いつの間にかコパの頂稜部は黒い雲に覆われ、今日も山は良い天気にはならなかったようだ。
1時半過ぎにビッコスの最終集落の前まで車道を下ってくると、エージェントのワゴン車が待っていた。 後続のスタッフ達の到着を待っていると、意外にも皆どこかで着替えを済ませてきた。 若い彼らにとってはこれからが本番なのかもしれない。 ワゴン車の中でアグリがベロニカに下山の連絡を入れると、明日の予備日に町外れのベロニカの別荘でパチャマンカの宴を催してくれることになった。 道路が良くなったのでビッコスの集落から1時間ほどでワラスのホテル『コロンバ』に着いた。 部屋に荷物を搬入してもらい、ホテルの庭で私達のために今回も本当に良く働いてくれたアグリ、マヌエル、メシアスそしてノルベルトの4人に感謝の気持ちを伝えながらチップを手渡した。
スタッフ達をホテルの玄関で見送り、早速シャワーを浴びてさっぱりする。 明日の昼のパチャマンカに備え、夕食は先日と同じ路地裏のハンバーガーショップでハンバーガーを買ってホテルの部屋で食べた。