7月27日、昨夜はご馳走を食べ過ぎたようで少し体調が悪いが、起床前のSPO2と脈拍は93と53で、順応に関しては全く問題ない。 9時にアグリがホテルに迎えに来てくれた。 不要な荷物をホテルに預け、9時過ぎにエージェントのワゴン車でホテルを出発。 一番後ろの座席にはアグリの長女のカティとラウルの長女のディアナが座っていた。 天気はまずまずで、初めてワスカランが車窓から見えた。 ワラスから先の幹線道路も前回の滞在時に比べて舗装の状態が格段に良くなり、穴ぼこなどは全く見られなくなった。
 ワラスから1時間足らずでカルアス(2650m)に着き、スタッフが市場で食材の調達をする間に私達も1時間ほど市場の見学をすることになった。 ワラスに比べるといつもは静かな町だが、今日はペルーの独立記念日を絡めた連休の初日ということで、大型の観光バスが広場の駐車場に何台も停まっていて違和感を覚えた。 アグリの案内で露店の市場の雑踏の中に足を踏み入れる。 ワラスの市場よりもローカル色が強く、買い物客は外国人より地元の人が圧倒的に多かった。 市場の見学を終え、観光客で賑わうアイスクリーム店でアイスクリームを買って食べた。
カルアスからユンガイ(2500m)までさらに幹線道路を30分ほど走り、ユンガイからリャンガヌーコ谷への山道に入る。 さすがに山道はまだ舗装されていないが、路面の状態はやはり前回より良くなっていた。 意外にもワスカラン国立公園の管理事務所のゲートの数百メートル手前から車が渋滞して数珠つなぎになっていた。 この先のリャンガヌーコ(チナンコーチャとオルコンコーチャという上下二つの湖)は登山者にとっては通過点に過ぎないが、リマ辺りの都会から来る一般の観光客からすれば、立派な観光地ということなのだろう。 リャンガヌーコの湖畔を歩く人や湖に浮かぶボートも沢山見られた。
湖畔から少し離れた場所でラウルが作ってくれた昼食を食べ、リャンガヌーコ峠(4767m)の手前のチョビカルキのB.Cへの登山口に向かう。 途中にあるピスコやラグーナ69(湖)への登山口付近の駐車スペースは沢山の車で埋まり、路肩にも溢れた車の列が出来ていた。 午後に入ると今日も雲が湧いてしまったが、登山口が近づくと東西南北に四つのピークを持つワンドイ(6935m)、ピスコ(5752m)、チャクララフ(6112m)などの山々が順次見えてきた。 一方、肝心のチョピカルキ(6354m)とワスカランは雲に遮られて見えなかった。
1時半過ぎに峠の手前のヘアピンカーブの所にあるB.Cへの登山口(4150m)に着くと、先に到着していたスタッフたちが荷物をB.Cへ運んでいた。 私達もアグリに先導されて2時前に登山口を出発。 カティとディアナは荷物の番をするため登山口に残った。 途中で雲行きが怪しくなり雨もパラついたが、登山口から1時間足らずで楽々B.C(4300m)に着いた。 B.Cには他隊のテントが数張あり、チョピカルキとワスカランの南峰がようやく見えた。 アグリは登山口に戻って荷上げを手伝うということで、キャンプサイトの傍の丘に登って体を慣らすようにとの指示があった。
ジグザグに刻まれた明瞭な踏み跡をゆっくり登って行くと、これからモレーン・キャンプ(C.1)に向かうという健脚のパーティーが追い越して行ったので、この道が明日登るC.1への道だということが分かった。 30分足らずで丘の上に登ると、C.1の位置とそこに至るルートが良く分かり、その上のC.2の位置も概ね分かったが、チョピカルキの山頂は相変わらずすっきりと望むことは出来なかった。 順応のためピスコやチャクララフをしばらく眺めてからB.Cに下る。 間もなくカティとディアナも荷物を背負ってB.Cに着き、休む間もなくスタッフと一緒にテントの設営や荷物の仕分けを手伝っていた。
4時過ぎから雨が降り出し、とうとう本降りになってしまった。 夕食前のSPO2と脈拍は85と73で、何故か脈が少し高かった。 夕食は定番の鶏肉のクリームソース煮で、おかわりをして食べた。 今回の登山のスタッフはラサックから引き続きコックはラウル、ポーターはマヌエルとメシアスで、エリセオとノルベルトが新しく加わった。 ガイドはアグリと他のエージェントに所属するダリオの二人で、ダリオとは明日の夕方にC.1で合流するとのことだった。
7月28日、昨日からの雨は朝まで降りやまず、夜中から雪となってテントにも少し積もった。 目の前のチョピカルキよりも次のチンチェイは大丈夫かと心配になった。 起床前のSPO2と脈拍は88と58で、数値は良好だ。 順応と疲労の蓄積が半々というところだろうか。
今日はモレーン・キャンプ(C.1)に向かう予定だが、朝食後もまだ雨がパラついていたのでしばらく待機していると、隣のオーストラリア隊ともう一つの隊が今日のうちにC.2まで行くとのことで先行していった。 カティとディアナは私達が出発した後はワラスに帰るとばかり思っていたが、4日後に私達がB.Cに戻るまでテントキーパーとして二人だけでここに残るということで驚いた。
ようやく青空が少し覗き、ワスカランの南峰が見えたので、カティとディアナに見送られてB.Cを9時過ぎに出発する。 昨日登った丘の上からワスカランに登るかのようにその方向に向かって進んでいく。 ガルガンタのコルから流れ出す氷河とワスカランの北峰も見え始めたが、肝心のチョピカルキは残念ながら見えなかった。 小さな氷河湖まで少し下ってから、大小の岩が堆積する顕著なモレーンの背に上がり、その縁に沿って明瞭な踏み跡を辿っていくと、大きなザックを背負った二人の若い男女のパーティーとすれ違った。 今朝C.2からアタックしたものの、降雪が激しくて登れなかったが、登っていったパーティーもいたという。 母国を聞くとオーストリアとのことで、頑張って登頂して下さいとエールを送られた。 予報に反して天気は回復せず、しばらくすると再び小雪が舞い始めた。
天気が悪く休憩にもあまり時間を割かなかったので、1時過ぎに今日の目的地のC.1(4800m)に着いた。 シーズン中でも空いているテントサイトは、ワスカランからの振り替えや天候待ちなどで、すでに数パーティーのテントの花が咲いていた。 私達の直後に到着したスタッフ達は、休む間もなく少し下った所のテントサイトを整地し、快適な個人用テントを設営してくれた。 夕方まで小雪や小雨が降りやまず、テントの中でじっとして過ごす。 順応は十分なはずだったが、SPO2と脈拍は82と77で、昨日と同様に脈が少し高かった。
ようやく小雪が降りやんだ6時に外で夕食を食べる。 アグリの話では、今朝C.2を出発したスイス隊の4人が、風雪が強い中をラッセルして登頂に成功し、同じC.1にいるということで嬉しくなった。 天気予報ではブランカ山群の降雪量は8センチということらしい。 夕食を食べ終わった時に、ガイドのダリオがようやくC.1に着いた。 今日はどこかの山から継続で来ているようで、登山口を4時に出発したという。 ダリオはとても陽気な性格で、チョピカルキは何度も登ったことがあるということで頼もしく思えた。
7月29日、6時半に起床。 昨夜は夕食の消化が悪かったのか、お腹が張って脈が70台から下がらず、熟睡出来なかった。 起床後のSPO2と脈拍は78と68とあまり良くなく、鼻も詰まっている。 少し軟便だったので、初めて胃薬を飲んだ。 ようやく雪は止んで早朝から快晴の天気となり、キャンプサイトから初めて純白のチョピカルキの西面が眼前に大きく見え、ワンドイ、ピスコ、チャクララフなどの山々がモルゲンロートに染まり始めていた。 夢中で写真を撮っていると、アグリがそれらのピークの間から僅かに顔を覗かせているアルテソンラフ(6025m)、カラツ(6025m)、タウリラフ(5830m)などの頂を一つ一つ丁寧に教えてくれた。
素晴らしい展望を愛でながら朝食をテントの外で食べ、8時半にC.1を出発する。 C.1には私達の隊以外に20張ほどのテントが見られたが、下山する隊が殆どでこれから登る隊はなさそうだった。 大きな岩が堆積するモレーンの中を、ワスカランとのコルを目指して登っていく。 登りながらダリオと雑談を交わすと、彼は元々ラフティングのガイドをしていたらしく、音楽の作詞や作曲も趣味でやっているというユニークな人だった。
C.1から1時間ほど登った所で氷河への取り付きがあり、テントを撤収してから登ってくるスタッフ達を待つ。 風もなく穏やかな登山日和だが、昨日までの雨や雪のせいで早くも雲が湧き始めた。 結局、取り付きで後続のスタッフ達を1時間近く待つことになってしまったが、間近に迫るチョピカルキやワスカランの雄姿を仰ぎ見ながらのんびり寛ぐ。 アグリから、昨日山頂まで登れたのはスイス隊のみで、明日もアタックするのは恐らく私達だけなので、ラウルとマヌエルをラッセル要員としてアタックのメンバーに投入するという思いがけない話があった。
明日のアタックと同じパーティー編成で私と妻がアグリと、西廣さん夫妻がダリオとそれぞれアンザイレンして氷河を登り始める。 チョピカルキの頂稜部と雪庇の発達した南西稜が頭上に良く見え、明日登るルートのイメージが大雑把に掴めた。 氷河に印されたトレースは意外と浅く、C.2まではそれほど新雪が積もらなかったことが分かって安堵した。 間もなく昨日B.Cを先に発った男女3人のオーストラリア隊が下ってきたが、降雪のため予定していたC.2からではなくC.1からの出発となり、時間切れで登頂出来なかったとのことだった。 昨日の若い男女のパーティーと同様に、登頂を祈ってますと笑顔でエールを送られ泣けてきた。 C.2への氷河は比較的緩やかで広いが、大きなセラックやクレヴァスが沢山あるので、トレースが無かったりホワイトアウトすると、正しいルートを見つけるのが非常に難しいように思えた。
途中一度休憩をしただけで、取り付きから先行したスタッフ達がテントを設営している所に着いた。 高度計は5350mを表示し、ガイドブックに記されたC.2(5600m)の位置より250mも低かった。 アグリから、以前はC.2を稜線のコル付近としていたが、風が強いため昨今ではこの辺りをC.2としているとの説明があった。 ここから山頂までの標高差は1000mほどとなるのでそれなりにキツイが、これから明日のアタックに向けて体を休めるには楽な高さだ。 スタッフ達が作ってくれた雪のテーブルとイスに座り、炒ったトウモロコシやチーズ、そして暖かいスープをいただく。
天気はまだ安定してないようで、昼過ぎからは灰色に濁った雲が湧き、個人用テントの中で日記などを書いて過ごす。 テントが傾いているためあまり快適ではないが、夜中にはもう山頂へのアタックに出発だ。 夕方にはSPO2が80、脈拍はなぜか62と非常に良くなった。 アグリの予想どおり私達の後からC.2に登ってくる隊はなく、日没前にアグリから明日の出発は1時と告げられた。 夕食は日本から持参したフリーズドライの山菜おこわとポタージュスープを自炊して食べた。
7月30日、日付が変わる前に起床して準備を始める。 朝食はワラスのスーパーで買ったカップラーメンだ。 昨夜の7時頃からほぼ熟睡出来たので体調は良い。 起床後のSPO2と脈拍は78と73で、この高度では十分な数値だった。 風が少しあるのが気掛かりだが、妻や西廣さん夫妻も体調は良さそうだ。 昨日の打ち合わせどおり、アグリを先頭にラウル、妻、私の順にロープを結び、ダリオは西廣さん、節子さん、マヌエルの順にロープを結んだ。 以前は高い所は苦手だと言っていたラウルも今日は気合が入っていて頼もしく思える。
予定より少し遅れて1時15分にC.2を出発。 心配していた風もほぼ収まった。 稜線のコルに向けて広い斜面を登っていく。 数値的にも十分順応しているように思えたが足取りが重く、前を登る妻に常にロープで引っ張られるような状態がしばらく続いた。 後続のダリオは私のすぐ後ろにピッタリとくっつき、まるで追い立てるかのような勢いで登ってくるが、自分のペースを保って登る。 アグリは一昨日のスイス隊のトレースに従い、クレヴァスも迂回せずに飛び越えながら進んだ。 2時半過ぎに標高5600mの稜線のコル付近に着き、最初の休憩となった。
コルから稜線(南西稜)に上がると傾斜が一段と増し、地形やルートも複雑になってきた。 寒さも少し増してきたが、ありがたいことに稜線上も風が無く、コルから1時間ほど登った所でまた休憩となった。 遥か眼下に麓の町の明かりが見えた。 このまま順調に行けるだろうと思ったのも束の間、その先に大きなクレヴァスがあり、アグリがルート工作をしている間しばらく待たされた。 ヘルメットを被り、行動食を食べていると、足のつま先が冷たくなってきた。 やっかいなクレヴァス帯を無事通過し、後続の西廣さん夫妻のパーティーを待ちながら、標高6000m付近で三回目の休憩となった。 夜明けが音もなく近づき、ワスカラン南峰のシルエットが暗闇から浮かび上がっていた。
西廣さん夫妻のパーティーのヘッドランプの灯りが見えると、彼らの到着を待たずに先行することになり、目の前に立ちはだかる急峻な雪壁を右から回り込むように迂回すると、しばらくの間はテラスのように広くて緩やかな斜面の登りとなった。 東の空が茜色に染まり始めると、不意におびただしい数の山々の頂が目の前に見えた。 振り返えれば、ガルガンタのコルを挟んでワスカラン南峰と対峙する北峰も指呼の間に望まれ、その迫力ある景観に思わず息を飲んだ。 ご来光が近づき、周囲が次第に明るくなってくると、ようやく目の前の山々がブランカ山群のほぼ中央にあるコパ(6188m)とワルカン(6125m)、そして南部のトクヤラフ(6032m)、チンチェイ(6222m)、ワンサン(6395m)、パルカラフ(6274m)などであることが分かり、そのユニークな展望に心が弾んだ。
再び稜線に沿って急斜面の登りになると、足元の新雪が急に深くなった。 アグリとラウルが懸命にステップを刻んでくれるが、雪は脆くピッケルがもう一本欲しいくらいだ。 後続の西廣さん夫妻のパーティーも見えてきた。 モルゲンロートに染まり始めたワスカラン南峰がいつの間にか目線の高さになり、このまま登り続けるとワスカランを超えてしまうのではないかと思えるほどだった。 30分ほど急斜面を頑張って登り続け、最後に短い雪壁を確保されながら這い上がると、山頂手前のなだらかですっきりとした雪稜の末端に着き、ようやく私達にも暖かい太陽の光が当たるようになった。 ここからは初めて巨大な雪庇が張り出したチョピカルキの山頂が見えたが、まだそこに辿り着けるかどうかは確信が持てなかった。 北東の方角のアマゾン側は一面雲海で埋まり、隣に聳えるコントライェルバス(6036m)がすでに目線の下に望まれた。
ありがたいことに天気は快晴無風の登山日和となり、高度とは反比例するかのように足取りは軽くなった。 暖かな陽射しを浴びながらしばらくの間は気持ちの良い稜線漫歩となり、山頂直下の芸術的な雪庇の基部を右から回り込み、クレヴァスを一つ越えると、山頂に向けてやや急な斜面の登りとなった。 頭上にはもう青空しか見えなかった。 傾斜が緩むと先頭のアグリが振り返り、両手を挙げて私達の到着を待っていた。
7時45分、C.2から6時間半で待望のチョピカルキ(6354m)の頂に辿り着いた。 初めてブランカ山群の6000m峰に登れた妻を祝福して抱擁し、アグリとラウルに感謝の気持ちを伝えながら固い握手を交わした。 広くもなく狭くもない理想的な山頂からの展望は予想以上に素晴らしく、それまで見えなかったブランカ山群北部の山々が目の前にずらりと勢揃いし、ここから見えない山は無いと言っても過言ではなかった。 もちろん眼前にはペルーの最高峰でブランカ山群の盟主でもあるワスカラン南峰(6768m)が圧倒的な大きさで鎮座し、チョピカルキがケチュア語で“中央の隣”という意味であることがあらためて良く分かった。 筆舌に尽くし難いこの大展望は、今まで登ったブランカ山群の山の中では間違いなく一番で、この山に登らずしてブランカ山群の山は語れないとさえ思った。 快晴無風の孤高の頂で、360度の大展望に興奮しながら夢中で写真を撮り続けた。
西廣さん夫妻のパーティーを待ちながら山頂で寛いでいたが、いつまで経っても登ってくる気配がなかったので、8時半に下山することになった。 山頂から下り始めると、ようやく山頂直下に西廣さん夫妻の姿が見えたので、しばらくそこで待機し、すれ違い際にお二人の登頂を労ってから下山した。 下りでは基本的に急斜面は全て懸垂したので、その区間では登りと同じくらいの時間が掛かった。 途中からラウルが先頭になり、山頂から3時間近く下った所で西廣さん夫妻のパーティーが追い付いてきたので、そこで一緒に休憩することになった。
その後も懸垂を繰り返しながら正午にコルまで下ると、後は一気に留守番のメシアス、エリセオ、ノルベルトの3人が首を長くして待つC.2に駆け足で下り、山頂を発ってから4時間後の12時半にC.2に着いた。 ちょうど明日アタックする他の隊もC.2に着いたところだった。 アグリから、食料が無いので今日中にB.Cまで下りたいという提案があったが、後続の西廣さん夫妻のパーティーの到着が1時間後になってしまったので、協議の結果とりあえずC.1まで下ることになった。
荷物を整理して2時半にC.2を発つ。 下山中に靴が壊れてしまった西廣さんをアグリがサポートしながら、全員が同じロープでアンザイレンして下ったが、途中でダリオのアイゼンも壊れてしまい、C.1への到着は4時半過ぎになってしまったので、無理をせず今日はここで泊ることにした。 C.1にも食料をデポしてなかったようで、夕食はスープと行動食の余りで済ませたが、登頂出来た満足感と安堵感に満たされた幸せな夜を過ごした。
7月31日、アグリの声でまだ薄暗い6時前にテントから出ると、一昨日と同じように周囲の山々がモルゲンロートに染まり始めていた。 美しい景色に心が弾むのも昨日登頂出来たからに他ならず、あらためて昨日の好天に感謝した。 朝食は食べずに7時半前にC.1を発ってB.Cへ下る。 空は澄みきったアンデスブルーとなり、風がなければ今日は昨日以上のアタック日和となりそうだ。 何度も足を止めては山々の写真を撮る。 ワスカラン南峰は麓のユンガイ方面から見た雪のドームとはまるで違う荒々しい面持ちで神々しい。 あいにく肝心のチョピカルキは近すぎて絵にならないのが残念だ。 ダリオと雑談しながらモレーンの背を下り、9時過ぎにカティとディアナが首を長くして待つB.Cに着いた。
B.Cには潤沢な食材があるので、久々に朝食をお腹一杯に食べた。 朝食後はすぐにB.Cを撤収し、ワラスに帰ることも出来たが、今日は町の散策や買い物をするつもりは毛頭なく、ホテルで休養する予定だったので、明日帰国する西廣さんや節子さんと相談し、山々のロケーションが素晴らしいB.Cで午前中はゆっくり寛ぐことにした。 スタッフ達もテントを干しながら、ゆっくりと撤収の準備を始めた。
昼食後にアグリ、ダリオ、ラウル、マヌエル、メシアス、エリセオ、ノルベルト、そしてカティとディアナのスタッフ全員に感謝の気持ちを込めてチップを手渡すセレモニーを行い、1時前にB.Cを発って登山口に向かった。 意外にも出発して間もなく日本人のパーティーとすれ違ったので挨拶を交わすと、そのうちの一人は高所登山の研究者として有名な鹿屋体育大学の山本正嘉さんだった。 チョピカルキに登られるのは、やはりワスカランのルートの状態が悪いための代替えということだった。
B.Cからは労せずして登山口に着き、迎えに来た大型のバスに乗ってワラスに向かう。 数日前の喧噪が嘘のようにリャンガヌーコ周辺は閑散としていた。 カルアスの手前でダリオが下車し、カルアスのアイスクリーム店に寄ると、ここもすっかり静かになっていてお客さんは誰もいなかった。 カルアスを過ぎると、車窓からコパ(6188m)が見えたので、車中から写真を何枚か撮ったが、数日後にこの山を登ることになるとは知る由もなかった。
5時半にワラスのホテル『コロンバ』に着き、夜は西廣さんや節子さんと一緒に入山前に行ったフレンチレストラン『クレープリー・パトリック』でチョピカルキ登山とペルーの山行の打ち上げをした。 三週間という期間でワイワッシュ山群一周のトレッキング(アルパイン・サーキット)を満喫し、ワイワッシュ山群とブランカ山群両方の6000m峰の登頂が叶い、周囲の山々も殆ど全て山頂から眺めることが出来たことは、ペルーが三度目の私達にとっても非常にラッキーだった。