7月20日、今朝も昨日に続き山々には雲が取り付き、残念ながらあまり良い天気ではなかった。 出発に向けて早朝からスタッフが慌ただしく準備をしている。 その中に新しいスタッフの姿も見られたが、そのうちの一人は3年前のアルパマヨ登山でお世話になったアグリの甥のロナウで、意外な場所での嬉しい再会となった。 ロナウは私達のことを覚えていてくれたようだ。 朝食後に今日から新たに隊に加わるガイドのロドリゴとロナウ、そしてロドリゴの弟子でガイド見習いのサカリヤスの三人がアグリから紹介された。 ロドリゴは地元のチキアンの出身で、ワイワッシュの山にはペルーで一番精通しているガイドということで頼もしく思えた。 登山隊のスタッフと隊員の全員の顏が揃ったので、私達もあらためて簡単に自己紹介を行い、登山隊全員での記念写真を撮った。
9時半前にハウアコーチャ(湖)のキャンプ地を出発。 今日から3泊4日のラサック登山のアタックステージに入る。 初日の今日はラサックへのメインルートとなるイェルパハ西氷河への取り付きの手前にあるC.1(4800m)まで標高差750mを登る。 一昨日下ってきたルピナスが群生する急斜面をジグザグを切りながら登る。 ラサックコーチャ方面への踏み跡を右に見送り、モノトーンのロンドイ(5870m)を正面に見ながら登っていくと、30分ほどでコバルトブルーの水を湛えた美しいソルテラコーチャ(湖)が足下に見えてきた。 踏み跡は湖岸の崖の下の急斜面の草付をトラバースするようにつけられ、アグリから踏み跡が薄い所では右手で草を掴みながら登るようにとの指示があった。 踏み跡は次第に傾斜を増し、小1時間ほど草付を登っていくと、前方にイェルパハ西氷河の末端が見えるようになった。 氷河の末端と繋がるソルテラコーチャの湖尻を足下に見ながら、崖のカーブに沿って90度右に回り込み、イェルパハ西氷河の左岸のサイドモレーンの急坂を登る。 サイドモレーンには再びルピナスが見られた。 天気はやや回復し、雲は多めながらもヒリシャンカ(6094m)が青空の下に見えるようになった。
正午過ぎにランチタイムとなったが、昼食後は再び天気が悪くなり、とうとう小雪が舞い始めた。 天気の回復を祈りながらケルンに導かれてサイドモレーンのガラ場を登る。 再び青空が覗くようになり、前方にはイェルパハとイェルパハ・チコも見えるようになった。 2時半前に僅かな平坦地になっているC.1に着く。 意外にもC.1には石を積んだ風除けの囲いも見られた。 ラサックへ登る人は稀なので、他の登山隊の姿は皆無だ。 個人用テントが少し傾いていたので、アグリとホセにお願いして整地をやり直してもらった。 到着して1時間後のSPO2は81、脈拍は70とさすがに脈が少し高かった。
キッチンテントの脇でティ−タイムをしていると、C.2へのルートの下見に行ったスタッフ達が戻ってきた。 申し訳ないと頭が下がると同時に、登頂に万全を期するスタッフの意気込みが感じられて嬉しかった。 個人用テントに戻ってからも小雪が降ったりやんだりで、夕食は各々テントの中で食べることになった。 夕食後は2時間ほど雪が本降りとなってしまい、テントの中から時々叩いて雪を落とした。 アプローチのトレッキングはとても順調だったが、肝心のアタックステージで天候が不順になってしまうのではないかと心配せずにはいられなかった。
7月21日、6時に起床。 ハウアコーチャのB.Cでは順応はほぼ完璧だと思っていたが、夜中に一度軽い動悸で目が覚めた。 それでも起床前のSPO2は80、脈拍は60で、この高度にしてはまずまずだった。 昨夜の降雪が嘘のように天気は素晴らしく、朝焼けの空と逆光ながら眼前にロンドイ、ヒリシャンカ、イェルパハ・チコ、そしてイェルパハがすっきりとキャンプサイトから望まれ、早朝から久々のグラン・ビスタとなった。 遠くブランカ山群のワンサン(6395m)の頂も雲海の上に浮かんで見えた。 意外にも雪はテントの上だけに残っていて、地面には殆ど積もっていなかった。 次第に明るさを増す山々を眺めながらキッチンテントの脇で車座になって朝食を食べる。 8時過ぎにヒリシャンカの山頂からのご来光となった。
8時半にC.1を出発し、最終キャンプ地のC.2(5500m)へ向かう。 昨日に続き、イェルパハ西氷河の左岸のサイドモレーンを登る。 C.1からしばらくの間は傾斜が緩く、踏み跡も意外と明瞭だった。 風もなく暖かい絶好の登山日和で、C.2へは全く問題なく行けそうな気がするが、反面あまり天気が良すぎて、今日がアタック日なら良かったとついつい思ってしまう。 氷河の取り付き地点は予想以上にC.1から遠く、ガレ場や岩場を繰り返しながら延々と氷河の脇を登ることになった。 それだけ氷河の後退が近年著しいということだろう。 イェルパハが間近に迫り、まるでこれからイェルパハに登るかのような錯覚を覚える。 C.1から2時間半ほどでようやく氷河と出合ったが、ぎりぎりまで氷河に沿ってサイドモレーンを登り続けた。 地形的にこの辺りはもうラサックの稜線の側壁と言えるかもしれない。 結局C.1から3時間以上登ってようやく氷河の取り付きに着いた。
取り付きでアイゼンとハーネスを着け、正午過ぎに二組に分かれてアンザイレンしてイェルパハ西氷河を登り始める。 取り付き付近には荒々しいセラックやクレヴァスが見られたが、イェルパハ西氷河は予想以上に傾斜が緩やかで、昨日の新雪で美しく輝いていた。 所々で先頭のアグリに声を掛け、周囲の山々の写真を撮らせてもらう。 ヒリシャンカのアンデス襞が芸術的だ。 間もなく氷河の奥に狭いコルが見え、コルの右上にはラサックの山頂らしき所が見えたが、数日前に見た神々しい山容とはまるで違う形に違和感を覚えた。
氷河の取り付きから2時間足らずで待望のC.2(5500m)に着いた。 眼前には巨大なイェルパハの雪壁が衝立のように屹立し威容を誇っているが、肝心のラサックは赤茶けたその側壁を見せているだけだった。 スタッフが作ってくれた雪のテーブルでティータイムを楽しんでいると、ラウルが最終キャンプ地には似合わない大きな鍋にトゥルーチャの煮込みを入れて持ってきた。 思わぬラウルからの差し入れに仰天し、興奮しながら夢中で柔らかく煮込んだトゥルーチャを頬張った。
山頂へのルートの下見に行ったロドリゴから、フィックスロープを何本か取り付けてきたという報告を受け、急遽ユマール(登高器)の練習をすることになった。 元々フィックスロープを登ることは考えてなかったので、ユマールは隊の共同装備の中から借りることになったが、私の分まで無かったので、明日はロープマンで代用することになった。
明日のアタックの出発時間は1時ということになり、6時前に個人用テントでフリーズドライのご飯を食べて横になった。 妻共々体調は良く、夕食後のSPO2は83、脈拍は63と申し分ない。 あとは明日の好天を願うばかりだ。
7月22日、夜中の零時前に起床。 起床前のSPO2は73、脈拍は65とこの高度では申し分ない。 頭痛や鼻づまりもなく体調は珍しく万全だ。 カップ麺のきつねうどんを普通に食べることが出来た。 一方、朋子さんは喉の風邪が治らず、残念ながらアタックを断念されるとのことだった。 天気は良い方に安定しているようで風もなく暖かい。
予定よりも少し遅く1時半前にC.2を出発。 すでにロドリゴ達の先発隊は出発していた。 私と妻は昨日と同じようにアグリとロープを結び、緩やかなイェルパハ西氷河を源頭のコルに向かって登り始める。 意外にも30分も登らないうちにアグリが立ち止まり、右サイドの切り立った側壁を見上げていた。 側壁にはヘッドランプの灯りが見え、ロドリゴ達が取り付いていることが分かった。 ロドリゴ達がなぜ緩やかな氷河を詰めずに敢えて垂直に近い壁に取り付いているのか全く理解出来なかった。 アグリと後ろから追いついてきた平岡さんもその様子を唖然として見ていたが、どうやら氷河の状態が悪いので高巻いているのではなく、この崖のような側壁を稜線に向かって登っていくようだった。 昨日ロドリゴから報告があったフィックスロープを3〜4ピッチ登るというのはここのことだったのか。 平岡さんが「こんな所は登れない!」と叫び、アグリも仲介に入ってガイド同士でしばらく協議をしたが、百戦錬磨のアグリですらこの寂峰を登ったことはなく、結局この山域に一番詳しいロドリゴの判断に任せるしか術がなかった。 それでもこの3〜4ピッチの岩場を頑張って登れば、活路が見えると信じて壁に取り付くことになった。 もともと私がラサックの存在を知り、この山に憧れるようになったのは、2005年のロドリゴと丸山さんの登頂記録を見たことがきっかけだったが、その時のルートはC.2からセラック帯を通り、イェルパハ西氷河の源頭のコルの手前から側壁に取り付いていたはずだ。
側壁の取り付きで疑心暗鬼でアイゼンを外し、フィックスロープの垂れ下がった赤茶けた岩壁を順番に登る。 暗闇の中で手掛かりや足場を探しながらの登攀のため、先頭で登ることになった伊丹さんから泣きが入る。 もちろん5000mを超える高所ではなおさらだ。 当初から岩を登る計画であれば、それなりに心の準備も出来ているが、今日のアタックではイェルパハとのコルまで氷河を歩き、そこから急峻な雪稜を登ることをイメージしていたので余計に違和感があった。 最初の1ピッチはトップの伊丹さんからラストの西廣さんが登るまで1時間以上掛かった。 人も獣も通らない正に人跡稀なルートのため、注意して登らないと足元の500円玉ほどの岩がボロボロと下に落ちる。 ガバだと思って掴んだ人の頭ほどの岩が剥がれ落ちる寸前だったりすることも珍しくなかった。 下山後に知ったが、アグリも左目に岩が当たり、目が真っ赤に充血していた。 2ピッチ目も同じように順番待ちやらで遅々として捗らず、暗闇の中、大人数でこの不安定な岩場を登ることに違和感を覚えた。 借り物のロープマンは過去に使ったことがなく、オーバー手袋での操作がとてもやりにくかった。 風が全くなかったことが唯一の救いだ。
ロドリゴの報告どおり、崖のような岩場を3〜4ピッチ登ると、そうやく傾斜が少し緩み、頭上には雪壁があらわれた。 雪壁の基部でアイゼンを着け、同じようにフィックスロープをユマーリングで登る。 夜が白み始め、ヒリシャンカのシルエットが暗闇から浮かび上がってきた。 雪壁は僅か1ピッチしかなく、その先は再び岩場となっていたのでアイゼンを外す。 美しい朝焼けが始まり、今までで一番良い天気になりそうな期待が持てたが、果たして無事山頂に辿り着けるのかどうか、全く予想もつかなかった。
雪壁の先では傾斜がさらに緩み、岩のバンドを斜めに登ったり、トラバースするようになったが、先頭のロドリゴ達が登りながらフィックスロープを取り付けているため、今度はそれを待つのに時間が掛かる。 相変わらず天気は安定し、不思議なくらい風が無いことがラッキーだった。 周囲が明るくなり、岩も易しくなったので、登頂への期待がにわかに高まってきた。 眼前にはイェルパハの巨大な西壁が威圧的な面持ちで迫り、当初登ることを想定していたイェルパハ西氷河の源頭のコルの向こうにシウラ・グランデ(6344m)とサラポ(6127m)が並んで見えた。
8時になるとようやく暖かな太陽の光が当たるようになり、頭上に待望の雪の稜線が見え始めた。 そこから2ピッチほどで再び雪壁があらわれたが、どうやらこの上にはもう岩場は無さそうで、このまま頂上稜線へ雪の上を登れそうだった。 アイゼンを着けて隊の最後尾でフィックスロープを1ピッチ登ると、意外にもそこはもう山頂直下のコルで、先に山頂に着いていたメンバーの姿が見えた。 ありがたいことにコルに上がっても全くの無風で、走り出したくなるような気持ちを抑えながら皆の待つ山頂に向かう。 緩やかな雪稜を僅かに歩き、9時半過ぎに待望のラサック(6017m)の山頂に辿り着いた。 朋子さんがいないのが玉にキズだが、想定外の岩場を耐えて登った解放感と、快晴無風の山頂からの大展望にメンバー一同お祭り騒ぎだ。 誰彼となく祝福と労いの握手を交わし、皆で写真を撮り合った。 もちろん、ロドリゴ以外は全員初登頂だ。
気が付くと30分以上も山頂に居座っていたが、下りも時間が掛かることは火を見るよりも明らかなので、アグリに促されて重い腰を上げて山頂を辞する。 次は誰がこの寂峰の頂を訪れるのだろうか、少なくとも日本人は当分の間いないだろう。 下りはトラバース部分を除いて全て懸垂で降りるが、上部でのロープを回収しながら下部のロープを固定するため、登りと同じように行動時間よりも待ち時間の方が長くなる。 岩はボロボロだが、落石をおこさないように下らなければならないので、足だけでなくロープを制動する手にも力が入る。 懸垂に不慣れな妻から泣きが入る。 当初の計画では、登頂がスムースにいった場合はB.Cまで下ることになっていたが、C.1に下ることさえ無理だろう。 山頂から取り付きまでの標高差は500m足らずだが、予想以上に下りに時間が掛かり、最後尾の妻が疲れはてながら氷河に降り立ったのは夕方の4時半過ぎだった。
5時前に留守番のスタッフ達に迎えられて三々五々C.2に到着。 朋子さんは一足先にB.Cに下りたとのこと。 ラウルが作ってくれた暖かいスープや焼きそばが空きっ腹にしみる。 フィックスロープの回収で私達よりも遅くC.2に到着したロドリゴ達を労い、皆無事に登頂を果たしたことを祝って記念写真を撮った。 今日ラサックに登れたのは、頼もしいロドリゴや手厚いサポートをしてくれたスタッフ達のお蔭に他ならない。 アタックを終えた安堵感と疲れで、朝までぐっすり眠ることが出来た。
7月23日、今日はB.Cに下るだけなので、昨夜の打ち合わせどおりゆっくり7時半に起床する。 起床前のSPO2は78、脈拍は63とこの高度にも順応しつつあった。 今日も昨日に引き続き快晴の天気で、ブランカ山群の山並みがはっきり見えた。 朝食のカップラーメンを食べながら、あらためて昨日登った赤茶けた崖のような側壁を眺めると、平岡さんの言うとおり、初見では絶対に登れないルートだということが頷ける。
テントを撤収し、陽射しで暖かくなった9時半過ぎにC.2を発つ。 氷河の取り付きまでは僅か30分ほどで着いてしまった。 氷河の取り付きからC.1へは休憩を一度挟んで1時間半足らずで下り、C.1にデポしたトレッキングシューズに履き替えると、身も心も軽くなった。 後方にイェルパハが見えなくなると、ルート上も埃っぽくなってくる。 足下のソルテラコーチャ(湖)は何度見ても美しい。 もうすぐハウアコーチャのB.Cに着くのは嬉しいが、私のせいで風邪が治らずアタック出来なかった朋子さんの顔を見るのが辛い。 ルピナスの群落を抜けると、設営中のキャンプサイトで大きく手を広げて私達の到着を待っている朋子さんの姿が見えた。 C.2からはちょうど4時間でB.Cに着いた。 控えめな登頂報告をする私を満面の笑みで迎えてくれた朋子さんに、ただただ頭が下がる思いだった。
昼食後は荷物の整理などで、皆思い思いに個人用テントで寛ぐ。 トレッキングと登山の打ち上げに、『パチャマンカ』の宴が今晩行われることになり、スタッフ達は休む間もなく昼過ぎからその準備に入った。 パチャマンカとはケチュア語で“大地の鍋”を意味するこの地方の伝統的な料理方法で、地面に掘った大きな穴の中に肉や魚、そして色々な種類の芋と豆を埋めて香草を被せ、窯で熱く焼いた石で蒸し焼きにするというものだ。 メンバーの中にはパチャマンカが初めての人もいて、その作業工程を皆で見守った。
陽が落ちてからダイニングテントでアグリの口上の後にワインで乾杯し、パチャマンカの料理に舌鼓を打った。 肉や魚はもちろんのこと、日本では口に入らないアンデスのローカルな芋の甘さが絶品だった。 奇しくも今日は妻の誕生日だったので、このパチャマンカがとても良い想い出になった。 登頂の余韻を味わうかのように、夜遅くまでダイニングテントで山の話に花が咲いた。 やはり山は登らなければ(登頂しなければ)駄目だとつくづく思った。 深夜になっても快晴の天気は続き、天の川がとても綺麗だった。
7月24日、早いもので、ワイワッシュ山群に入山してから今日で12日目となった。 今日はハウアコーチャのキャンプ地からマンカン峠(4580m)を越えて今回のアルパイン・サーキットのゴールとしたポクパ村(3470m)へ下り、そこからエージェントのバスで最初に泊まったチキアン(3400m)のホテルに向かう。
少し朝寝坊し、朝食のパンケーキを美味しくいただく。 8時半前にロンドイ(5870m)の山頂からのご来光となり、その直後にキャンプ地を出発した。 すぐに上のソルテラコーチャ(湖)から流れ出す沢の渡渉ポイントがあったが、ホセとメシアスがキャンプ地の撤収の手を休め、石を集めて即席の橋を作ってくれた。 沢を渡ってハウアコーチャ(湖)の湖尻に向かって歩いていくと、先日辿ってきたラサック谷の向こうにラサックやラサック・チコが見えてきた。 ここから見たラサックはカミソリの刃のようにシャープで、カラマーカ湖の畔から仰ぎ見た姿とはまるで違うユニークな山容だった。 ハウアコーチャ(湖)の湖尻に着くと、ラサックの奥にイェルパハやイェルパハ・チコも望まれるようになり、あらためて今回のアルパイン・サーキットの景観の素晴らしさを感じた。 湖尻からはハウアコーチャの湖畔に沿って平坦な道を歩いていくが、湖は氷河と直接接していないためかどことなく牧歌的で、湖面の色合いも他の湖と比べて地味だった。 湖は下流にいくほど水温が高くなるのか、カモやシギ類の水鳥の姿があちこちに見られるようになった。 反対側の湖尻には整備されたキャンプ地があり、看板には麓のリャマック村が管理していると記されていた。 キャンプ地からはラサック・イェルパハ・イェルパハ・チコ・ヒリシャンカ・ロンドイが屏風のように一望され、逆光ながらここからの景色も正にグラン・ビスタだった。
ハウアコーチャ(湖)を過ぎると長閑な牧草地となり、草を食む牛たちの姿が見えた。 ハウアコーチャ(湖)から流れ出す川に沿ってしばらく平坦な道を歩いていくと、石を積んだカルカの先でリャマック(3250m)に通じる道と分かれ、マンカン峠(4580m)への広い谷の登りとなった。 目標を失った身に登りは辛いが、前山に隠れてしまったラサックが再び見えるようになっていくのが嬉しい。 順応しているのか、里心がついたのか、皆の登るペースが速くてついていけない。 下からは峠に見えた場所は平坦地となっていただけで、そこでゆっくり一休みする。 平坦地からはトラバース気味に緩やかな登りが続き、途中から馬のタクシーに伊丹さんとOさんが運ばれていった。 道は次第に埃っぽくなり、12時半にマンカン峠に着いた。 今回のアルパイン・サーキットの最後の峠となるマンカン峠は、そのフィナーレに相応しいグラン・ビスタで、盟主のイェルパハの眺めが特に素晴らしかったが、私にはその傍らに寄り添うラサックの姿が愛おしかった。
マンカン峠で最後のグラン・ビスタを目に焼き付け、もう二度と訪れることは叶わないワイワッシュ山群に別れを告げて峠を越える。 峠からは眼下にポクパの集落が小さく見えた。 峠から少し下った陽当たりの良い所で昼食を食べ、乾燥した埃っぽい道をポクパの集落に向かって一目散に下る。 強い陽射しでとても暑く、僅かな木々の日陰でも嬉しく思えた。 所々に珍しい植物やサボテンが見られ、植物にも詳しいアグリが何でも詳しく説明してくれた。 峠からの標高差1100mを休まず一気に下り、3時半に車道が通じるポクパの集落に降り立った。
すでにスタッフ達も全員到着していたので、事前の打ち合わせどおりスタッフ達にチップを手渡すセレモニーを平岡さんの音頭で行う。 アグリがトレッキングと登山の総評をコメントした後にロドリゴが続き、ガイドから馬方まで一人一人がそのすべき役割をきちんと果たしたことが今回の登頂の成功につながったというコメントを披露し、メンバー一同その話しに聞き入っていた。 マックスがいなくなったペルーにも、ガイディングのみならず人間的にも素晴らしいガイドがいたことが頼もしく思えた。 私達もアグリにスペイン語の通訳をお願いし、個々に拙い英語で感謝の気持ちを込めてスタッフ達にお礼を言った。
数日後にワラスで再会することを約し、スタッフ達と別れてエージェントの用意したワゴン車に乗り込む。 酸素の濃さと疲れですぐに睡魔に襲われ、気が付いた時にはもうチキアンの町に着いていた。 夕食時には地元のビールやワインで乾杯し、久々のホテルの夕食を美味しく食べた。 長いようで短かったワイワッシュ山群のツアーを終え、山も登れて皆良い笑顔だった。