1月7日、興奮していて殆ど眠れなかったが、起床時間の9時直前に熟睡してしまい、哉恵さんに起こされる。 外に出てみると、星空に満月に近い月がこうこうと輝き、チンボラソのシルエットが見えていた。 嬉しいことに風もなく穏やかで、ここ数日では一番の天気になった。 再び山頂への淡い期待が芽生えてくる。 他のパーティーよりも一足早く予定どおり10時にウインパー小屋を出発する。 氷河の取り付き付近は融雪による落石が頻繁にあるとのことで、ヘルメットを被っていく。 足元の雪は10センチほどだ。 昨日誰かが下見に行ったようで新しいトレースがあったが、この山の主とも言えるマウリシオにはそれは無用のようで、所々にケルンが積まれた正しいルートを無駄なく辿って行く。 体を温めるためだろうか、最初のペースはかなり速かったが、次第にそれも落ち着いてきた。 振り返ると、下から次々と登ってくる後続のパーティーのヘッドランプの灯りが見えた。
ウインパー小屋から1時間ほど登った所でアイゼンを着ける。 マウリシオから、ここから先は落石地帯となるので、スピーディーに行動することを優先してロープは結ばないという説明があった。 30分ほど岩の混じった雪の斜面を前の人との間隔を空けずに登る。 落石地帯を脱したと思われる所でロープを結ぶ。 先程の打ち合わせどおり、マウリシオに哉恵さんと私、Oさんは平岡さんとマンツーマンだ。 哉恵さんと二人揃って登頂しなければリベンジしたことにならないとエクアドルに誘った時から心に決めていたので、図らずもそれに相応しいペアとなった。
さすがにチンボラソを狙う外国人のパーティーは健脚揃いで、いつの間にか数パーティーが追い着き、追い越して行った。 平岡さんから、朧げに頭上に見える“カスティージョ”(スペイン語で城という意味)と呼ばれる岩塔の基部まであと1時間くらいですよと励まされる。 先行パーティーのトレースのみならず、古いトレースも残っている感じで、昨日までの降雪量は思ったより少なく、また元旦前後の入山者が多かったことが分かった。
予想よりも早く零時半前に西稜のコル(5400m)に着き、そこから90度右に折れて西峰(6267m)に突き上げている長大な西稜をひたすら登る。 尾根は顕著でルートとしては分かりやすい。 ありがたいことに風は殆ど感じなかったが、いつの間にか小雪が舞い始めた。 本当にこの山の天気は安定しない。 先ほどまでの淡い期待に少し翳りが見えた。 間もなく何ら特徴のない場所で休憩となったが、意外にもマウリシオはピッケルで哉恵さんのみならず私の分まで足場を作ってくれ、テルモスの温かい紅茶とチョコレートを勧めてくれた。 また、頼んでもいないのにわざわざ私の写真まで撮ってくれた。 予期せぬマウリシオのサービスに好感が持てたが、一方で今日は西峰までしか行けないことが予見されたためではないかとさえ思えた。
西稜の勾配はウインパー小屋から見たよりも急で、もし降雪直後でトレースがなければラッセルは相当厳しいものとなるに違いない。 少なくとも大晦日から2日までの3日間は天気が良かったので、足元の立派なトレースが出来たのだろう。 クレバスは殆ど見られず、トレースはひたすら真っ直ぐ上に向かっていて無駄がなかった。 上方で揺れている先行パーティーのヘッドランプの灯がどんどん先へ行ってくれることを願い続けた。
登頂の目処が立ったのか、マウリシオは1時間おき位に休憩を取るようになり、平岡さんとOさんのパーティーが途中から先行することになった。 風はまだ弱く寒くはなかったが、ここから先のことを考えて薄手のダウンジャケットを着込む。 その後も先行パーティーのヘッドランプの灯との間隔が縮まることはなかったので、このまま西峰までトレースが続いているという期待が持てた。 あとは西峰から山頂までのトレースがあるかどうかだ。 ひたすら変化のない真っ直ぐなトレースを辿って行くと、次第に傾斜が緩み始め、西峰の頂が近づいてきたことが分かった。 すでに下ってくるパーティーがあった。 私達よりも厳しいタイムリミットがあるのだろうか。 いずれにしても時間から推して西峰までで、山頂まで行ってないことは確かだ。 それまで殆ど感じなかった風が次第に強まり、また刺すように冷たかった。
地面が広場のように平らになった所でマウリシオが足を止めた。 まだ夜明けは遠く周囲は暗くて何も見えないが、ここが西峰の頂ということだろう。 すでに山頂に向かっていることを期待していた先行パーティーの姿が傍らに見られた。 とりあえず西峰まで登れてホッとしたが、風雪が強過ぎて休憩することもままならない。 時計を見るとまだ5時前だったが、ウインパー小屋を出発してからすでに7時間近くが経っていた。 この強風の中を山頂まで往復するのは辛いが、そんな弱音は吐いてられない。 それ以前にマウリシオが山頂まで行く判断をするかどうかが心配だ。 とりあえず防寒のため羽毛のミトンをザックから出そうとした時、目が急に見えなくなった。 視野狭窄にでもなったかと思いヒヤリとしたが、刺すような冷たい風でメガネのレンズが結露して凍ってしまったことが分かった。 メガネのスペアもあるが、この状況下で取り替えるのは難しい。 オーバー手袋の滑り止めの突起でレンズに付いた氷をこすり落としながらあれこれ悩んでいると、山頂に向けて出発することになった。 皆を待たせるわけにはいかないので、その状況を哉恵さんだけに伝えた。
足の疲れや呼吸の苦しさは無いが、目が急に不自由になってしまったことで、気持ちがブルーになる。 足元にトレースがあるかどうかも分からず、何度も足が雪に取られ転びそうになるが、その理由すら分からない状況だった。 横殴りの風が断続的に吹いているので、目を開くのもままならない。 自力ではまともに歩くことが出来ず、ロープを掴んで哉恵さんに引っ張っていってもらうようになる。 申し訳ないやら情けないやらの気持ちで一杯だが、あと僅かで待望の山頂に立てるという希望に救われる。 先頭のマウリシオがラッセルしているのか、ペースは遅くて助かった。 西峰から山頂へは一旦少し下ってから登り返すはずだが、なかなか登りに入らない。 30分近く歩いた所からようやく最後の登りに入った。 登る方が足元が安定しているので楽だ。 ようやく周囲が白み始め、風も山頂の陰に入ったので収まった。 不思議とメガネの結露もなくなり、足元が見えるようになってきた。 空がモルゲンロートに染まり、高い山ならではの荘厳な景色が見られた。 登頂を確信し、目頭が熱くなってくる。
両手を振り上げ歓喜の声を上げながら、6時過ぎに誰もいないチンボラソのたおやかな広い山頂(ウインパー峰)に辿り着く。 図らずもコトパクシの山頂に着いた時刻と全く同じで、まさに大海原のような雲海から太陽が上がってくる寸前だった。 すぐ後ろから平岡さんとOさんも心を弾ませながら山頂を踏んだ。 土壇場での登頂、そしてリベンジが叶った哉恵さんと抱き合うようにしてお互いの登頂を称え合い、夢を叶えてくれた百戦錬磨のマウリシオ、登頂請負人の平岡さん、そして私達と同様リベンジを果たしたOさんとも肩を叩き合って登頂を喜び合う。 何度も諦めた頂だっただけに、喜びはその何倍も大きかった。 その反面、妻や朋子さん、そしてIさんがいないことが本当に悔やまれる。 皆で写真を撮り合っていると、私達を祝福するかのように大きな太陽が力強く雲海から姿を現した。 身に着けているものは全て風雪でバリバリに凍り、ヘッドランプのスイッチも凍って消せないほど気温は低かったが、太陽の光に照らされて身も心も暖まった。 コトパクシとチンボラソの両方の頂でご来光を拝むことになるとは、全く想像もしてなかった。 おびただしい雲海が周囲を埋め尽くし、山頂からは唯一辿ってきた西峰が見えるだけだったが、エクアドルの最高峰に相応しいスケールの大きな山だった。
予定より1時間ほど早く山頂に着いたが、今日は時間制限があるので早々に山頂を辞する。 興奮のあまり山頂でストックを足で踏んで折ってしまったので、下りもバランスが悪く苦労する。 西峰までのトレースは薄く、雪の締まった早い時間帯に登っておいて正解だった。 全てはマウリシオの計算どおりなのだろう。 西峰まで30分ほどで戻れたが、相変わらず風が強かったので、休むことなく西稜を下る。 時間が早かったので西稜にはまだ陽が当たらず、雪が腐ってなかったので、ストックなしでも何とか転ばずに下れた。 西稜のコルの手前まで1時間足らずで一気に駆け下り、ようやく行動食を口にして一服する。 西稜のコルから少し下った所から氷河の取り付きまでの間は、気温がまだ低かったので落石の兆候は全くなかった。
予想よりも早く西峰から1時間半ほどで氷河の取り付きまで下り、ロープを解いてアイゼンも外す。 もうあとはウインパー小屋まで30分とかからないだろう。 ジャケットに付いた雪はまだ凍ったままで、カメラのレンズも結露により曇ってしまったが、それも忘れられない想い出となるだろう。 マウリシオには先に行ってもらい、登頂の余韻に浸りながら最後はのんびりと三々五々ウインパー小屋に下る。 西峰の頂には相変わらず雪煙が舞っていた。 タイムリミットとしていた11時よりもだいぶ早い9時半前にウインパー小屋に着いたので、荷物の整理をしてから食堂で軽めのランチを食べる。
10時過ぎに想い出深いウインパー小屋を後にする。 チンボラソはもう深い霧に包まれ見えなくなってしまった。 カレル小屋に下り、エージェントが手配したアメ車のロングバンに乗って一路キトに向かう。 途中のアンバトで再会を誓ってマウリシオを見送る。 彼の存在なしではチンボラソには登れなかっただろう。 週末だったが車は渋滞にも遭わず順調に移動出来たので、空港に直行することなく滞在先のキトのホテルで皆と合流することになった。
カレル小屋から4時間足らずでキトのホテルに着くと、ランチに出掛けていた妻達も帰ってきたので、控えめながら登頂報告をする。 特にアタックした私達のサポートをするために下山しなければならなかった朋子さんには感謝の気持ちで一杯だった。 ホテルで着替えをしていると、ハビエルの運転するバスでセバスチャン夫妻が現れ、チリの最高峰のオホス・デル・サラド(6893m)に登るため帰国しない平岡さんと朋子さんと一緒に空港で私達を見送ってくれた。