キタラフ(6036m)

   7月18日、H.Cで泊まるのは昨晩で2日目だったが、アルパマヨの登攀で酸素を使い過ぎたため、夜中は軽い頭痛で何度も目が覚めた。 体も火照っている感じだ。 幸いにも手の甲の打撲は内出血だけで済んだ。 昨日の夕方から夜にかけてまた雪が降ったが、意外にも今日は早朝から快晴の天気になった。 レスト日が登山日和になってしまって悔しいが、アルパマヨとキタラフ、そしてキタラフの稜線越しに見えるサンタクルス(6241m)の頂稜部の写真を撮りまくる。 天気が良いのでアルパマヨを登っているパーティーの姿が良く見える。 よくあんな所を登ったものだと今更ながら感心する。 マックスは今朝キタラフに2人パーティーが登って行くのを見たという。 他の外国人のパーティーの殆どがアルパマヨだけを登り、キタラフのみ、あるいはその両方を登るパーティーは殆どいないようだ。

   スタッフ達がテントサイトの傍らに作ってくれた雪のテーブルと椅子で三々五々寛ぐ。 今日の好天と関係があるのか、山深いH.Cに次々と登山者がやってくる。 私達のパーティーを含めるとその数はおよそ30人くらいとなり、あらためてアルパマヨの人気の高さを実感した。 ガイドのエイドリアンもお茶を飲みにやってきた。 明日のキタラフへの登攀ルートがここから良く見えるためか、マックス達は偵察には行かなかった。 アルパマヨでの登りの所要時間を考慮して明日の出発時間は1時間早い1時となった。 不安定な天気の周期もようやく終わり、今日こそは一日中晴天が続くと思われたが、予想に反して午後から天気は下り坂となり、昼過ぎからまるで夕立のように雪が降り始めた。

   テントの中で頻繁に深呼吸を行い、少しでも酸素を蓄えるように努める。 足の指先の痛みはすでに解消していたが、血行が良くなるように指先を揉んでおく。 これまでの疲れと睡眠不足で、左目の奥に僅かな痛みがある。 雪は夕方になっても降り止まず、明日のアタックが懸念された。 当初から危惧していたとおり、5400mの高度のレストでは順応よりも消耗する方が大きい。 雪が降り止んでからテントの外で簡素な夕食を食べ、7時前には横になったが、3日目の夜も軽い頭痛と動悸で何度も目が覚めて殆ど眠れなかった。


H.Cから見たアルパマヨ


H.Cから見たキタラフ


H.Cから見たサンタクルス(左から南峰・チコ・北峰)


スタッフ達が作ってくれた雪のテーブルと椅子


H.Cに次々と登山者がやってくる


テントの外で簡素な夕食を食べる


   7月19日、零時前に起きると、奇跡的と思えるほど満天の星空になっていた。 しかも今のところ風は全くない。 半月がこうこうと頭上で輝いている。 朝食のアルファー米を食べる。 ありがたいことに今日も快便だ。 妻やスタッフ達に見送られて1時過ぎにH.Cを出発する。 パーティー編成は昨日と同じだ。 雪壁の取り付きまでは雪原を緩やかにしばらく下った後、緩やかにだらだらと登っていく。 予想どおり今日は先行パーティーはいない。 マックスが言ったとおり昨日は1パーティーだけキタラフに登ったようで、10センチほどの新雪があったにもかかわらず、所々に微かな踏み跡が残っていた。 アグリが先頭でラッセルしながら進むのでペースはゆっくりだ。 緩やかな雪原をしばらく登っていくと幅の広い雪稜の末端となり、ジグザグを切りながら標高を稼いでいく。 H.Cから1時間半ほどで雪壁の取り付きに着いた。

   取り付きにはアルパマヨと同様に複雑な地形をしたクレバスがあり、暗闇の中をアグリが安全なルートを模索しているためしばらく待たされる。 気温はマイナス10度くらいだろうが、高度の影響で足の指先が冷たくなってくる。 セカンドの私とラストの平岡さんが入れ替わり、際どいクレバスの縁を上からアグリに確保されながら平岡さんとコンテで足早に駆け登る。 意外にもいつの間にか他のパーティーが追いついてきたが、何故かクレバスの手前で引き返していった。 クレバスを越えると傾斜が急になり、そこから頂上稜線まで終始ダブルアックスでの登攀となった。 登攀のシステムはアルパマヨと全く同じだが、アルパマヨはシーズン初めにガイドたちが要所要所にビレイポイントを作るが、キタラフは1ピッチごとにスノーバーを打ち込んでビレイポイントを作らなければならないため必然的に時間が掛る。 雪壁の傾斜は45度から50度くらいでアルパマヨに比べると楽で、また登山者が少ないことでルートも荒れていないので、雪は落ちてきても氷の塊が落ちてくることはなかった。 昨夜の新雪の影響は全くなく、雪壁のコンディションは良いが、待ち時間が長いので足の指先が痛くなり、今日も凍傷の心配ばかりしていて嫌になる。

   雪原を隔てて、アルパマヨを登っている登山者のヘッドランプの灯りがまるで星座のように見えて面白い。 次第に夜が白み始め、アルパマヨやサンタクルスの黒いシルエットが闇から浮かび上がってくる。 取り付きから4ピッチ目に入ると東の空が茜色に染まり始め、今回の山行中で一番美しい朝焼けの景色が見られた。 ビレイ中だったので写真を撮ることは出来なかったが、その荘厳な美しさにセブンサミッターの島田さんも下山後に“未だかつてない美しい朝焼け”と評していた。 サンタクルス(6241m)の頂稜部に朝陽が当たり、間もなくプカフィルカ(6039m)の山頂からのご来光となった。 遠くタウリラフ(5830m)もすでに目線の高さになった。 足場の悪いビレイポイントで細心の注意を払って写真を撮り、サングラスをかけて一息入れる。 頂上稜線も視野に入り、あと2〜3ピッチで稜線に届くことが予見された。 強烈な陽射しで体も暖まり、足の指先の心配からもようやく解放された。

   6ピッチ目に入った時、突然“ドスン”と体に強いショックを感じてハッと目が覚めた。 ビレイポイントでセルフビレイを取っていたスリングが伸び切り、それに体を完全に預ける形で後ろにのけぞっていた。 一瞬自分でも何が起こったのか分からなかった。 すぐ近くにいたマックスは、私に大きな落氷が当たったのではないかと心配してくれたが、ロープを繰り出しながら居眠りをしてしまった事に気が付き愕然とした。 酸欠により疲労が蓄積していたことに加え、体が暖まって気持ちが緩んだことが原因だった。 トップのアグリを巻き込まなくて良かったと思ったのも束の間、手の指先と甲が熱くビリビリと痺れ始めた。 痺れはみるみる増幅し、体全体に回りそうな勢いで、まるで感電しているような感じだった。 明らかに過呼吸による高山病の症状だ。 呼吸をあまりせず、無意識にロープを繰り出していたせいだろうか。 平岡さんに症状を説明し、アグリの確保を代わってもらう。 テルモスの紅茶を何杯も飲んでから、雪壁に体を預けてゆっくり深呼吸を繰り返す。 平岡さんから他に高山病の症状が出ていないか訊かれ、両目がそれぞれ見えているか、頭が働いているかといった基本的な確認をあらためて行う。 平岡さんから上に行くほど症状は悪くなるので、症状が良くならなければH.Cへ下山することを勧められた。 症状の変化をつぶさに観察しながら進退について真剣に思い悩む。 この程度のことで下山してはこの先8000m峰の登頂はおぼつかないし、だからと言って高山病を甘く見てはならない。 今回はマンツーマンだったことが救いだ。 休んでいる間に島田さんが下から追いついてきた。

   20分ほど休んでいるとようやく痺れが弱まってきたので、様子をみながら登り続けることにした。 ありがたいことに手や足は正常に動き、呼吸も苦しくなかった。 手の痺れ以外は体が正常に機能することが分かり自信が持てた。 それまでの半分以下のペースで這うように1ピッチ登ると、逆に呼吸が促進されて痺れはほぼなくなった。 図らずも次の8ピッチ目で稜線上の小さなピークに辿り着いた。 アルパマヨの眺めが素晴らしいが、いつの間にか霧が周囲を覆い始めていた。


1時過ぎにH.Cを出発する


H.Cから見た未明のキタラフ<妻の撮影>


H.Cから見た黎明のサンタクルス<妻の撮影>


黎明のアルパマヨ


後続の島田さんのパーティー


朝陽に照らされるサンタクルス


H.Cから見た朝のキタラフ<妻の撮影>


プカフィルカの山頂からのご来光(右端がタウリラフ)


アルパマヨ


5ピッチ目をリードするマックス


6ピッチ目をリードするアグリ


サンタクルス南峰


   雪庇の発達した頂上稜線には新雪が数10センチ積り、100mほど先に見える山頂までまだ相当時間が掛かりそうに思えた。 すでに10時半になり、H.Cを出発してから9時間以上が経過していたので、もしかしたら今回はここで終了とするのかアグリに訊くと、意外にも山頂まであと10分で着くとのことだった。 小さなピークから僅かに山頂側に下ると平らなスペースがあり、しばらくそこで休憩して英気を養う。 ザックをデポし、ここからはマックスを先頭に1本のザイルで6人が繋がり、要所要所に青い小旗を立てながら指呼の間の山頂に向かう。 新雪のラッセルは見た目ほどではなく、アグリが言ったとおり山頂の雪庇の基部まですぐに着いた。 雪庇の基部でロナウがマックスを確保し、マックスが10mほど先の山頂に慎重にトレースをつける。 11時半に猫の額ほどの狭い山頂に全員が寄り添うように乗っかり、肩を叩き合って登頂の感激を分かち合あった。 生憎の霧で山頂の向こう側に見えるはずのアルテソンラフやチャクララフそしてワンドイなどの山々の展望は叶わなかったが、一度は諦めかけた山に登れたことで本命のアルパマヨ以上に感動した。

   記念写真を撮り終えると雪庇で不安定な山頂を辞して、ザックをデポした場所でゆっくり休憩する。 湧き上がる雲が多いのが玉にキズだが、アルパマヨやプカフィルカ、そしてサンタクルスの眺めが圧巻だ。 12時半に重い腰を上げて下山を開始する。 バイルをザックの中にしまい、小ピークから雪壁の取り付きまで全て懸垂下降で下る。 間もなく下から登ってくるパーティーとすれ違ったが、彼らは時間切れで稜線上の小ピークまでしか登らなかったようだ。 夕方の4時前にようやくクレバスを越えて雪壁の取り付きに着いた。 予定よりも下山が大幅に遅れたため、テントキーパーのスタッフ達が気を利かせて食べ物や飲み物をH.Cから運んできてくれた。 すでに水もなくなり、雪を拾いながら口に含んでいたのでありがたかった。 しばらく寛いでから島田さんのリクエストでH.Cまでの勾配の緩やかな雪原を足早に歩き、5時に留守番役の妻が首を長くして待つH.Cに着いた。

   一日中無事を祈り続けていた妻と抱擁し、アグリ・マックス・ロナウそして平岡さんや島田さんと再び力強く握手を交わして登頂の喜びを新たにする。 間もなくまた小雪が舞い始めたが、アーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨの姿を堪能することが出来た。 14時間にも及ぶ行動で疲れ果てていたが、テントの中で簡素な夕食を食べながら今日の出来事をつぶさに妻に報告する。 昨年に続き、計画した3つの山の全てに登ることが出来て本当に幸運だったとしみじみ思い、私に付き合って4日間も低圧の過酷な環境に耐えてくれた妻には本当に頭が下がる思いだった。


雪庇の発達したキタラフの頂上稜線


頂上稜線の奇妙な雪庇


頂上稜線から見たプカフィルカ


キタラフの山頂へマックスが慎重にトレースをつける


猫の額ほどの狭いキタラフの山頂


山頂直下から見たアルパマヨ


山頂直下から見た頂上稜線


山頂直下から頂上稜線の小ピークへ


小ピークから見たキタラフの山頂


小ピークから見たサンタクルス


小ピークから雪壁の取り付きまで全て懸垂下降で下る


クレバスを越えて雪壁の取り付きに着く


雪壁の取り付きから見たキタラフ


雪壁の取り付きから見たアルパマヨ


H.Cから見たキタラフ<妻の撮影>


H.Cに戻る


H.Cから見た夕焼けのサンタクルス


アーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨ


   7月20日、疲れていたせいか、ようやく順応したのか、夜中に頭痛や動悸で起きることもなく朝を迎えたが、両目の瞼が見事に腫れ上がっていた。 今日も朝から快晴の天気となり、すでにアルパマヨの壁には何組ものパーティーが取り付いていた。 今日はB.Cまでの半日行程なので、ゆっくりと帰り支度をして10時過ぎにH.Cを発つ。 アルパマヨとキタラフの間のコルまで標高差で100mほど登り返し、記念写真を撮りながら最後の展望を楽しむ。 コルからは急斜面のセラック帯を2ピッチ懸垂下降し、氷河の取り付きに向けて明瞭なトレースを下る。 今日も何組かのパーティーがH.Cに向けて登っていく。 氷河の取り付きでザイルを解き、岩場を僅かに下ったキャンプ・モレーナでスタッフ達が用意してくれたランチを車座になって食べる。 キャンプ・モレーナからジグザグの登山道を一気に下り、僅か1時間ほどでB.Cのアルアイコーチャに着いた。

   スタッフ達が用意してくれた洗面器のお湯で体や足を洗い、着替えをしてから快適なダイニングテントで寛ぐ。 次はここに登っておいでと言わんばかりにアルテソンラフが良く見える。 おやつに用意された炒りたてのポップコーンが今日は一段と旨い。 夕食は期待どおりロナウが手の込んだ料理とデザートのケーキを作ってくれた。 もうお腹のことを気にせず、食べたいだけ食べられるのが嬉しい。 島田さんの提案で、私達のために献身的に尽くしてくれたスタッフ達とワラスのレストランで打ち上げをすることになった。


H.Cから見たアルパマヨ


H.Cから見たキタラフ


アルパマヨとキタラフの間のコルまで標高差で100mほど登り返す


コルから見たアルパマヨ


コルから見たキタラフ


コルから見たリンリフィルカ(中央左)とタウリラフ(中央右)


コルからは急斜面のセラック帯を懸垂下降する


氷河の取り付きに向けて明瞭なトレースを下る


ザイルを解いてキャンプ・モレーナに着く


B.Cのダイニングテントで寛ぐ


炒りたてのポップコーン


夕食は期待どおりロナウが手の込んだ料理を作ってくれた


デザートのケーキ


   7月21日、今日も未明から快晴の天気となり、早起きしてモルゲンロートに染まるアルパマヨとキタラフの雄姿を目に焼き付ける。 当初の計画では登山口のカシャパンパ(3000m)まで往路を辿ることになっていたが、タウリラフ(5830m)を間近に望むタウリパンパ(4200m)に是非行きたいという私の強い希望を島田さんに了解いただき、1時間ほど時間を割いてタウリパンパを経由して下山することになった。

   まだ薄暗いB.Cのアルアイコーチャを6時半過ぎに発ち、サンタクルス谷へ下るジグザグの登山道の直前から左に入る踏み跡をトラバース気味に辿ってタウリパンパに向かう。 1週間前にB.Cに入った時は天気が悪くて展望もなかったが、今日は今のところ雲一つなく、背後のアルパマヨとキタラフは言うに及ばず、眼前のアルテソンラフ(6025m)やパロン(5600m)の眺めが素晴らしい。 アルアイコーチャから1時間少々で広々としたキャンプ指定地のタウリパンパに着く。 生憎の逆光でタウリラフの写真が上手く撮れないのが残念だったが、そのストイックで神々しい山容は正にブランカ山群の山を象徴しているかのようだった。 タウリラフを登ることは非常に困難で、日本の先鋭的なクライマーも数人しか登っていない。 アグリは以前、山頂目前で登攀不能になったことから、同峰を“心の山”と呼んでいた。 タウリパンパから仰ぎ見たタウリラフは一幅の絵のようで、この先の名勝ウニオン峠(4750m)まで行くことは叶わなかったが、今回の山行のフィナーレに相応しい風景だった。 あとは登山口のカシャパンパに向けてサンタクルス谷を20キロほどひたすら歩くだけだ。

   ハトゥンコーチャ(湖)を眼下に望みながら歩いていると、少し離れて最後尾を歩いていたアグリが無線機を片手に血相を変えて先頭のマックスのところに走ってきた。 単独の登山者(後でアルゼンチンのガイドと判明)が今朝アルパマヨで滑落して死亡し、これに巻き込まれた後続のパーティーが大けがをしたので、その事後処理のため急遽これからH.Cに戻らなければならないとのことだった。  マックスとアグリには明日再会することを誓って別れ、私達四人だけでカシャパンパへ下ることになった。 ハトゥンコーチャ・イチコーチャそしてキャンプ指定地のヤマコラルから何度も後ろを振り返り、タウリラフに別れを告げる。 今日は午後になっても天気は崩れず陽射しが強かったが、好天をもたらすという西からの風が初めて吹き、暑さから救ってくれた。

   ヤマコラルを過ぎると、今朝ワラスを発ったと思われる登山者やハイカー達が続々と登ってきた。 後から出発したロナウやその他のスタッフ達は滑落事故の影響で私達になかなか追いつかず、登山口のカシャパンパの直前でようやく合流して遅い昼食となった。 カシャパンパでは他の隊のコックとして働いていたラウルと再会した。 カシャパンパを出発したのは4時だったが、運転手が車を飛ばしてくれたので6時にワラスに着いた。 計画していたスタッフ達との打ち上げはもちろん中止となり、私達と平岡さんだけでレストラン『モンテローザ』でフォルクローレの生演奏を聞きながら、ささやかに山行の打ち上げをした。


B.Cから見たアルパマヨ(右)とキタラフ(左)


B.C付近から見たアルパマヨ


B.C付近から見たキタラフ


B.C付近から見たアルテソンラフ


タウリパンパに向かうトラバース道から見たパロン


タウリパンパから見たタウリラフ


タウリパンパ付近から見たキタラフ


タウリパンパ付近から見たアルテソンラフ


サンタクルス谷


サンタクルス谷から見たアルパマヨ


サンタクルス谷から見たアルパマヨ


アグリが無線機を片手に血相を変えてマックスのところに走ってきた


ハトゥンコーチャ付近から見たキタラフ


ハトゥンコーチャ


ハトゥンコーチャから見たタウリラフ


イチコーチャ


イチコーチャから見たタウリラフ


キャンプ指定地のヤマコラル


カシャパンパでラウルと再会する


カラツに下る車道から見たサンタクルス


『モンテローザ』でささやかに山行の打ち上げをする


夕食のステーキ


想い出の山    ・    T O P