7月12日、天気は生憎の曇天だった。 今日は昼過ぎにホテルを出発し、エージェントのマイクロバスで明日からのアルパマヨとキタラフの登山に向けて登山口のカシャパンパ(3000m)という小さな集落に向かう予定だ。 正午にホテルをチェックアウトし、昨夏行ったフランス料理の店で、牛肉・鶏肉・魚介そしてアイスクリームをクレープの生地で包んだ料理に舌鼓を打つ。
2時にガイドのマックスとアグリそしてロナウとホテルのフロントで落ち合い、いよいよ後半戦のスタートだ。 マックスとアグリに昨夜コピーした『西和用語集』をプレゼントすると、途中のカラツの商店でいとも簡単に製本してしまった。 そのような商店がこの小さな町にあるのかと驚いたが、意外にもカラツの方がカルアスよりも大きな町だという。
カラツの町外れから未舗装の山道に入る。 路面の状態は今までの山道の中で一番良かった。 途中にゲートはあったが無人で開いていた。 緩やかな勾配で徐々に標高を稼ぎ、ワラスから正味2時間ほどで登山口のカシャパンパに着いた。 カシャパンパはブランカ山群で一番メジャーなトレッキングコースのサンタクルス谷への起点で、水洗トイレのある有料のキャンプ場があり、今日はそこで泊まる。 天気は回復せず、テントを設営していると小雨が降ってきた。 キャンプ場の周囲の集落には犬やニワトリやガチョウといった家畜が多く、夜中じゅう鳴き声がうるさかった。
7月13日、入山1日目はカシャパンパ(3000m)から今日の目的地のイチコーチャ(3850m)のキャンプ地までサンタクルス谷のトレッキングコースを辿る。 今日から私と妻と島田さんと平岡さんの4人のこぢんまりとした隊となる。 トレッキングコースの入口の国立公園の管理事務所(詰所)で入山手続きを行い、8時に出発する。
入山者の多くはワラスを朝出発してくるので、私達の前後に他のパーティーの姿はない。 先頭を歩くマックスは私達の歩みが遅いので、『西和用語集』を片手に見ながら歩いていた。 最初は狭隘で勾配のあったU字谷のトレイルは、谷を流れる沢と合流してからは広く平らになった。 谷は上流にいくほど広くなり、明るく開放的になってきた。
カシャパンパから昼食を挟んで5時間ほどで、最初のキャンプ指定地のヤマコラル(3760m)に着いた。 ヤマコラルには小さな売店もあった。 生憎の曇天で谷の両側に聳えているカラツ(6025m)やサンタクルス(6529m)の頂稜部は見えなかったが、ここからようやく待望のタウリラフ(5830m)の雄姿を谷の奥に望むことが出来た。 標識には『カシャパンパまで9.2キロ/イチコーチャまで3.7キロ』と記されていた。
ヤマコラルから沢沿いにほぼ平らなトレイルを1時間ほど歩き、今日の目的地のイチコーチャの湖畔のキャンプ地に着く。 “コーチャ”とはケチュア語で湖のことだが、湖の水量は少なく一部が湿原化していた。 水辺にはカモやその他の水鳥の姿も見られ、癒される風景だった。 メジャーなトレッキングコースなので途中何組ものパーティーとすれ違ったが、先ほど通過したヤマコラルとこの先にタウリパンパという広いキャンプ指定地があるため、他にここで泊まるパーティーはなかった。
7月14日、入山2日目はイチコーチャ(3850m)のキャンプ地からB.Cのアルアイコーチャのキャンプ地(4330m)に向かう。 残念ながら今日は昨日よりもさらに天気が悪く、山は霧に煙っていた。 島田さんはマックスと二人で先行し、私達は予定どおり8時に出発する。
昨日に続き勾配の殆どないトレイルを歩く。 陽射しがなく涼しいので歩くにはとても快適だ。 30分足らずでハトゥンコーチャという湖が見えてきた。 イチコーチャとは違い水量は豊富だが、曇天なので湖面の色は全く冴えない。 予想していたよりも大きかったハトゥンコーチャを過ぎると、ようやく青空も少しだけ覗くようになった。 サンタクルス谷はますます広くなり、谷の入口からは想像も出来ないほどの平らな牧草地となった。
イチコーチャから2時間ほどで、アルアイコーチャのキャンプ地へのトレイルとサンタクルス谷のハイライトのウニオン峠(4750m)へのトレイルとの分岐に着いた。 下山してきたパーティーからの情報では、数日前から悪い天気が続き、一昨日はH.Cで停滞していた20名ほどの登山者が山(アルパマヨ)に一斉に登ったため、落氷で顔などに怪我をした人もいたようだった。
分岐でしばらく休憩してからサンタクルス谷を離れ、アルアイコーチャ谷に向かってジグザグに切られた登山道を登る。 分岐から標高差で250mほど一気に登るとアルアイコーチャ谷に入り、再び平らな草原となった。 晴れていればここからアルパマヨとキタラフが一望出来るとのことだったが、今日はどちらも雲の帽子を被っていた。
正午前、イチコーチャから3時間半ほどで、広く平らな牧草地の片隅にあるB.Cのアルアイコーチャのキャンプ地に着いた。 もう少し先にもキャンプ地があるらしいが、湿っぽくて蚊が多いとのことで、こちらにテントが設営されていた。 今日は歩行距離が9キロで、昨日の3分の2くらいの労力で済んだので楽だった。 B.Cに着いたとたん小雨が降り出し、不安定な天気が今日も続いた。
B.Cの快適なダイニングテントで昼食を食べる。 順応もだいぶ進んできたので、食欲が旺盛になっているが、今日からはまた腹八分目にしておく。 午後は雨(山は雪)が降ったり止んだりしていた。 新雪が積もった状態では、アタック当日の天気が良くてもアルパマヨは登れないので、明日以降は良い天気が続いてくれることを祈る。 夕食前にH.Cで食べるアルファー米とカレー等のレトルト食品の配給があった。
7月15日、入山3日目はB.Cのアルアイコーチャ(4330m)から氷河の取り付きの手前にあるキャンプ・モレーナ(4900m)に登る。 今日は久々の快晴で、早朝から山を眺めて興奮しながら写真を撮りまくる。 眼前には憧れのアルパマヨとキタラフが並んでその雄姿を惜しみなく披露し、サンタクルス谷を挟んでアルテソンラフ(6025m)やパロン(5600m)の尖峰も見えた。
今日こそは乾期らしい快晴の天気が一日続くと思われたが、まだまだ天気は安定していないのか、8時半にB.Cを出発した時は早くも雲が広がり始めていた。 B.Cの外れに古い山小屋があり、そこからジグザグの登山道となった。 良く踏まれた登山道を1時間ほど登ると、思いがけずプカフィルカ(6039m)やリンリフィルカ(5810m)、そしてその懐に抱かれたエメラルドグリーンの氷河湖(アルアイコーチャ)が見えるようになり、酸欠で重たい足取りが急に軽くなった。
登山道は終始とても登り易く、最後は大小の岩が積み重なったモレーン帯を少し登り、B.Cから2時間半ほどで今日の目的地のキャンプ・モレーナに着いた。 もっと高所に順応していれば、イチコーチャからB.Cのアルアイコーチャを経てここまで楽に登れるだろう。 キャンプ・モレーナには岩盤上の僅かな平らなスペースを巧みに利用したテントサイトが所々に見られた。 アルパマヨの頂稜部が頭上に大きく迫り、ロケーションはとても素晴らしい。 もちろんキタラフやアルテソンラフも見える。 何組ものパーティーが次々と下山してきたが、果たして皆登頂出来たのだろうか?。
早朝の青空が嘘のように今日も午後から次第に天気が崩れ始め、昼食を食べ終わると間もなく小粒の霰が降ってきた。 マックスとアグリ、そしてエルセリオがスノーバーを使ってテントサイトを巧みに整地していたが、毎度のことながら彼らの土木技術には驚かされる。 キャンプ・モレーナは実質的にはH.Cだが、メンバーが4人なのでB.Cと同様にテントは2人で使え、風もなく快適に過ごせた。 夕方になると少し天気が回復し、夕食はペルーの伝統的な家庭料理のロモ・サルタードを外の石のテーブルで食べる。 夕食後は素晴らしい夕焼けの景色を堪能出来た。 夜中に動悸と軽い頭痛で4〜5回目が覚めた。 B.Cとは僅か600mの標高差しかないが体は正直だ。 まだ順応が出来ていないのかと嫌になる。
7月16日、入山4日目はキャンプ・モレーナ(4900m)から氷河上のH.C(5400m)に登る。 昨夜の夕焼け空はあてにならず、早朝から小雪が舞っていた。 テント内の気温も3度と冷え込んでいた。 このままでは明日のアタックも天気に悩まされそうだ。
天気は少し良くなり、キャンプ・モレーナを8時過ぎに出発する。 氷河の取り付きまで僅かに岩場を登り、取り付きでアイゼンを着け、アグリに島田さんと平岡さん、マックスに妻と私がそれぞれアンザイレンして明瞭に印されたトレースを辿る。 勾配の緩い斜面をトラバース気味に登るが、島田さんのペースが遅いので疲れる。 最初は暑いくらいの陽射しがあったが、次第に再び曇りがちの天気となった。 今日も不思議と風は全くない。 氷河の取り付きから2時間ほど登ったセラック帯直下の平坦地で休憩し、アルパマヨとキタラフを繋ぐ稜線上のコルに向けてセラックの間を縫うように登る。 コルの直下の急斜面をスタカットで1ピッチ登ると、眼前に写真で見たアルパマヨの南西壁が神々しく望まれた。 明日はあの雪壁の真ん中を直登するということか。 そのあまりの迫力に、気後れするというよりも現実味が湧かなかった。 以前はこのコルをH.Cとしてたようだが、今は氷河の状態が不安定なので、コルを越えて少し下った平坦地がH.Cになっているとのことだった。
コルから標高差で100m近く下り、キャンプ・モレーナから5時間ほどで今日から4泊するH.Cに着いた。 アルパマヨとキタラフを登らない妻はここが今回の最終到達地点となる。 ハイシーズンなのでテントの数もそれなりにあり、アルパマヨの南西壁を下降している登山者が肉眼でもはっきり見えた。 H.Cは予想よりも広くて平らだったばかりか絶好のロケーションを誇っていて、曇天ながらキタラフもその全容を披露し、サンタクルスも初めて見えた。 アルパマヨから登頂者が下山してくると、敬意を表してテントサイトから自然と拍手や歓声が上がる。 登れた人の表情もちょっと誇らしげだ。
スタッフが作ってくれたスープを飲み終えると、平岡さんから登山者が意外と多いので、明日は渋滞を避けるために2時に出発するとの指示があった。 当初予定していたフィックスロープは一切張らずに、終始ダブルアックスで登ることになり、にわかに緊張が高まった。 パーティーの編成はアグリがトップで私と平岡さん、後続にマックス・島田さん・ロナウとなった。 セカンド以下は2本のロープで並行しながら同時に登攀する方式だ。 以前は『フェラーリ・ルート』という南西壁の中央左の一般ルートを直登したが、数年前に稜線の雪庇が崩壊してからはルートの状態が悪くなり、現在ではその当時上級グレードとされていた『フレンチダイレクト・ルート』という南西壁の中央を直登するルートが一般ルートになっているとのこと。 天気は相変わらず不安定で、夕方から雪が舞い始めたが、燃えるような夕焼けとアーベンロートに染まる妖艶なアルパマヨを見ることが出来た。 雪は小降りだがなかなか降り止まず、明日のアタックは中止になるのではないかと思った。
7月17日、予想どおり軽い頭痛と動悸で殆ど眠れないまま零時半に起床する。 当初はこの高度で4泊しなければならない妻のことが心配だったが、逆に私よりも体調が良さそうで安堵する。 アルファー米を少量ずつゆっくり食べ、無理やり用も足す。 雪は降り止んだが星は見えず、天気の予想は全くつかない。 今日は登攀に集中するためカメラをザックにしまった。
留守番役の妻に見送られ、渋滞を避けるため予定どおり2時に出発したが、すでに先行パーティーのヘッドランプの灯りがいくつか上に見えた。 頂上に至る雪壁の基部にある巨大なシュルントまでは明瞭なトレースを辿る。 次第に勾配が急になり緊張感が高まってくるが、昨日の降雪の影響はなさそうで安堵する。 今日も不思議と風は全くない。 予想どおりシュルントの縁を越える所が非常に困難で、先行パーティーで渋滞していた。 核心部は僅か数メートルだが、かぶり気味の雪壁に暗さが手伝って初見では正しいルートを見極めるのは大変だ。 30分以上も待たされ、寒さと高度の影響で足の指先が冷たくなってくる。 穏やかなアグリもしびれを切らして強引に割り込み、平岡さんがそれに続く。 私も上から確保されながら両手のバイルを頭上に深く打ち込み、垂壁を強引に乗り越える。 結局ここが今日一番の難所で、ここで敗退したパーティーもいたようだ。
シュルントから先では常に傾斜が50度を超え、山頂まで終始ダブルアックスでの登攀となった。 トップのアグリが60mのダブルロープ一杯で登り、私と平岡さんが各々1本ずつのロープで確保されながら同時に登攀する。 アグリが待つビレイポイントに着くとセルフを取り、休む間もなくアグリを確保するために2本のロープを繰り出す。 足場が不安定なこともあり、6000m近い高度ではこの作業だけでも大変だった。 酸素の供給が追いつかず、足の指先の冷たさが治らない。 先行パーティーとアグリが落とす雪や氷の塊が容赦なく頭や肩、そして腕や足に断続的に当たる。 ヘルメットを被っていても頭にたんこぶができ、ムチ打ち症になるほどの衝撃だ。 間もなく先行している2パーティーのうち、男女のペアのパーティーを追い抜く。 周囲が明るくなり朝焼けが始まったが、落雪(氷)はますますひどくなり、写真を撮るどころではない。 平岡さんも右手首を痛烈に打撲した。 天気はあまり良くないが、相変わらず風がないのが幸いだ。 気温も少し上昇したのか、ようやく足の指先の冷たさからも解放された。 頂上稜線が見え始めた頃に先行パーティーを追い抜いてトップに立つ。 最終ピッチでアグリがあと20分で山頂だと励ましてくれ、ようやく登頂を確信した。
合計8ピッチの刺激的な登攀を終えると、『フレンチダイレクト・ルート』の名称どおり終了点がそのまま猫の額ほどの狭い山頂だった。 陽射しは感じるが霧が山頂付近を覆い、楽しみにしていた大展望は叶えられなかったが、世界一美しい山の頂に辿り着けただけで充分満足だった。 山頂には9時少し前に着いたので、H.Cからは7時間弱を要していた。 アグリと平岡さんに喜びと感謝の気持ちを体全身で伝え、仁王立ちして登頂の余韻に浸る。 無線でH.Cいる妻に登頂の喜びを伝えると、妻も下から双眼鏡で登攀の様子を眺めていたとのこと。 間もなく山頂に着いたアメリカ人のパーティーと登頂を称え合い、お互いのパーティーの写真を撮り合った。 風もなく穏やかだったので、霧が晴れることを願いながら山頂で後続の島田さんのパーティーを待つ。 10時半過ぎになってようやく島田さん達が到着し、皆で記念写真を撮って早々に下山する。 ようやく少し霧が晴れてキタラフや足元のH.Cが見えた。 下りはバイルをザックにしまい、全て懸垂下降で下る。 相変わらず下りも落雪(氷)に悩まされ、最後の最後で手の甲を痛烈に打撲し、もうこれでキタラフは駄目かなと思った。 島田さんもスネをやられたようだ。
午後の1時半過ぎに留守番役の妻に出迎えられ、テント村からの熱い視線を感じながら誇らしげにH.Cに戻った。 妻は相変わらず元気そうな様子で安堵した。 装備を解いてから妻に今日の出来事を詳しく報告する。 意外にも私達以外に山頂まで登れたのは2パーティーだけだった。 夕方になるとまた雪が舞い始め、日没後はかなりの降雪があった。 夜半にはスタッフ達がテントの周りの雪かきをしてくれた。