8月1日、快晴の天気は今日も続いた。 今日から5泊6日の日程で、ペルーそしてブランカ山群の最高峰のワスカラン南峰(6768m)へ登る。 朝食を食べているとガイドのエロイとスタッフ達がホテルに集合し、登山口までのアプローチには相応しくないような大きなバスで8時過ぎに出発する。 途中でガイドのアグリやマックスを自宅の前でピックアップしたが、彼らの家は意外と広くて大きかった。 先日滞在したカルアスのディアスさんの店にアイスクリームを食べようと立ち寄ったが、あいにくまだ開店しておらず空振りに終わった。 もちろんディアスさんも三井さんのことで大変ご心労のようだった。 ユンガイの手前のマンコスという小さな村から幹線道路を右折して山道に入る。 道路は未舗装だが全く問題なく、僅かな時間で登山口のムーショの集落に着いた。 高度計の標高は3160mで、ワラスとほぼ同じ高さだ。 バスが停まった所には昔ながらの素朴な食堂とトイレやベンチがあり、ロバやスタッフ達が揃うのを待つ。 村の子供達が珍客にお菓子をねだりにやってくる。
10時半に今日の目的地のB.C(4300m)に向けて出発する。 眼前には目指すワスカラン南峰や北峰が大きく鎮座し、そのスケールの大きさと頂の遠さに今更ながらため息をつく。 僅かに進んだ車道の終点から登山道に入る。 入口には『B.Cまで5.5キロ』と記された標識があった。 季節は冬だが陽射しは強く、氷河から流れ出す沢の水が豊富なため、周囲には青々と葉を茂らせた畑が多く見られた。 女性や子供達が農作業に励んでいる姿が見られたが、皆活き活きとして楽しそうだった。 植林されたユーカリの木々に覆われた登山道を緩やかに登って行く。 所々で木々が疎らになると暑いので日陰を選んで歩く。 休憩を挟んで2時間ほど登った所に大きな露岩があり、その岩の上でランチタイムとする。 まだB.Cよりも下なので行動食ではなく、先行したラウルが用意してくれた豚肉料理をパンでいただく。 露岩の上は適当に風もあり、昼寝をしたくなるような心地良さだったが、近藤さんが少し遅れて到着したことが気掛かりだ。
露岩を過ぎると登山道の傾斜は増し、間もなく森林限界となって展望が良くなった。 前方にはワスカランの南峰と北峰の頂稜部が中間部の巨大な岩盤層の上に神々しく仰ぎ見られたが、その距離や高さは先程よりも大分縮まったように感じられ、少しばかり現実的なものになってきた。 北峰は今回目指す山ではないが、三井さんのことを思うとカメラを向ける回数が南峰よりも多くなる。 相変わらず近藤さんの歩みが捗らず、所々で休憩しながら待つ。 抗癌剤治療の後遺症を克服して頑張っている姿には本当に頭が下がる思いだ。
荷上げ用のロバ達と入れ違いに夕方の4時半にB.Cに到着。 傍らの標識には4200mと記されていた。 高度計の標高は4280mだったので、ムーショからの標高差は1120mだった。 B.Cは背後に迫る岩盤層との境目に人工的に作られたような感じで、テントサイトは小さな段々畑のようだった。 すでにスタッフ達によりテントは設営されていたので、荷物を運び入れてから食堂テントで寛ぐ。 他のパーティーはいないようだ。 夕食前にC.1とC.2の雪上のキャンプ地で自炊するアルファー米とふりかけ、インスタントの味噌汁、水もどし餅などが配られた。
巨大な岩盤層の真下にあるB.Cからは山頂方面は見えない。 眼下には麓の集落や畑といった牧歌的な風景が広がり、その向こうには目線の高さに雪のないネグロ(黒い)山脈が延々と連なっている。 夕焼けが綺麗で、明日も晴天が続きそうだ。 美味しいラウルのディナーが食べられるのも今日で最後なので、お腹一杯という訳にはいかないが、それなりにお腹を満たす。 順応は進んでいるので明日のC.1(5200m)も問題ないと思うが、今日が最後の幸せな夜だ。
8月2日、周囲が明るくなった6時半に起床する。 妻共々睡眠中の頭痛もなく体調は良い。 食堂テントで朝食を食べるが、まだ陽が当らずに寒い。 9時に今日の目的地のC.1(5200m)に向けて出発する。 B.Cの片隅に『キャンプ・モレーナ(標高4850m)まで3キロ』と記された標識があった。 B.Cの裏手のロープが付けられている急な岩場をひと登りすると巨大な岩盤層があらわれ、ケルンに導かれながら右方向に平らな岩盤の上をトラバース気味に延々と登る。 岩盤は古くは氷河で覆われていたそうで、氷河により表面が磨かれスラブ状になっていた。 間もなく岩盤層に隠されていたワスカラン南峰と北峰の頂稜部が頭上に見え始めた。
正午前に数年前に建てられたという新しい山小屋に着いた。 高度計の標高は4680mで、山小屋の入口の看板にはそれとほぼ同じで4675mと記されていた。 B.Cにあった標識の表示とだいぶ違うのはなぜだろうか。 石造りの山小屋はとても大きくて立派だったが、登山者よりもトレッキングをする人達に利用されているような感じがした。 傍らに国立公園の管理事務所があり、エロイが代表して全員の名前などを入山届けに記入する。 三井さんの入山届けを管理人さんにお願いして見せてもらう。 入山日は7月22日で、行き先は意外にもワスカラン南峰となっていた。 管理人さんに話しを伺うと、やはりまだ下山されていないとのことだった。
山小屋の前で30分ほど休憩し、再び傾斜を増した岩盤の上をジグザグに登る。 1時間ほど登るとようやく氷河の舌端(取り付き)に着いた。 取り付きで1時間ほど大休止してランチタイムとし、休憩後はアイゼンを着けて“盾”と呼ばれるワスカラン南峰の切り立った西壁に向かってなだらかな雪面を真直ぐに登る。 クレバスはないようでザイルは結ばない。 一般的には西壁を登ることは出来ないので、明日はC.1から左方向にトラバース気味に登ってC.2のガルガンタのコル(南峰と北峰の間の広い鞍部)を目指す。 そして明後日のアタック日はコルから右に伸びる稜線を登ることになる。 今日は風もなく穏やかで、先日の強風に苛まれたトクヤラフとは大違いだ。 次第に凄みを増して近づいてくる南峰と北峰に胸を躍らせながら、足取りも軽く淡々と登って行く。
取り付きから休憩も含めて2時間ほど登り、夕方の4時半にスタッフ達によりテントが設営されていたC.1(5200m)に着いた。 高度計の標高は5280mだったので、B.Cからの標高差はちょうど1000mだった。 左手には北峰が岩盤帯から仰ぎ見た山容とは違う尖った頂に姿を変えて偉容を誇っている。 C.1にも他のパーティーは見られなかった。
今日からテントは3人住まいとなり、前回同様に栗本さんと田路さんと一緒になる。 キャンプ地から見た夕焼けはとても綺麗で、ピンク色に染まる南峰をバックに皆で交互に写真を撮り合った。 体調は今のところ良く、ここが最終キャンプ地なら嬉しいが、明日はもう一つキャンプを上げなければならない。 陽が沈むと急に寒さが厳しくなった。 今日からはアルファー米とふりかけ、そしてインスタントの味噌汁だけの夕飯だ。 明朝は危険なセラック帯を通過するために暗いうちからの出発となるので、夕食後は早々に眠りに就いた。
8月3日、4時半の出発に合わせて3時に起床する。 夜中に軽い頭痛が一度だけあったが、この高度にしてはほぼ順調だ。 パルスでの計測でも酸素飽和度は81%あった。 妻もまずまずの体調らしく安堵する。 今日は明日のアタックと同じメンバーでザイルを結ぶことになり、マックスには栗本さん、三栗野さん、割石さん、エロイには近藤さん、伊丹さん、田路さん、そしてアグリには私と妻が繋がり、殿(しんがり)を平岡さんが務める。
まだ真っ暗な5時前に今日の目的地のC.2のガルガンタのコル(5900m)に向けて出発する。 早朝の出発は寒くて辛いが、明日のアタックに向けての装備の最終チェックが出来ることがありがたい。 スタッフ達も素早くテントを撤収して後から続く。 今回はスタッフ達の殆どがガイド見習いの精鋭で、荷上げはもちろんのこと、時には先頭でラッセルもする強者揃いだ。 C.1から上もしばらく緩やかな登りが続いたが、傾斜がやや増してくるとクレバスがあらわれ、迂回しながら進む。 周囲が白み始め、頭上に核心部のセラック帯が見えてきた。 C.1から1時間半ほど登り、セラック帯の手前で休憩となった。 やや風があり寒さが予想以上に厳しい。 セラック帯に入ると傾斜は一段と急になり、スタカットで登る急斜面では渋滞もあった。 帰りのルートを担保するため、ガイド達が小さな赤い旗を要所要所に立てていく。 上空には昨日までは見られなかった寒々しい白い薄雲が見られ、時折風花が舞うようになった。
1時間ほどで核心部のセラック帯を抜け一息入れるが、風が冷たくて休んだ気にならない。 昨日はまずまず順調そうだった近藤さんが今日はまた辛そうだ。 先行したスタッフ達がつけてくれた立派なトレースに助けられ、左方向のガルガンタのコルへと斜上していく。 小さな尾根を乗越すとようやく広いガルガンタのコルの末端が見えてきたが、そこから先は沢状地形となっていて50mほど下る。 相変わらず風が冷たく、高所の影響もあり体が全く温まらない。 自然に登るペースも速くなり、一番後ろを登っていた私達のパーティーがいつの間にか先頭になっていた。
朝陽がようやく当たり始めた所で後続のパーティーを待ちながら休憩し、平岡さんが私達のザイルから外れて後続隊と繋がり、そこからはアグリと私と妻が3人で先行する。 すでにスタッフ達の姿は見えなくなっていたので、この先のルートの状況やC.2の位置が掴めず少しやきもきしたが、そこから僅かに登った所がちょっとした平坦地になっていて、すでにスタッフ達によりテントが設営されていた。 本来のC.2は地形的にもう少し先のように思えたが、風が強いのでこの場所になったような感じがした。 高度計の標高は見忘れたが、早出したため時刻はまだ10時だった。 テントサイトも結構風があり、じっとしていると寒い。 10分ほど後続隊が登ってくるのを待ち、テントを割り振って荷物と共に中に入る。
風は次第に強まり、風に飛ばされた雪が地吹雪のようにテントを叩く。 時折雲間から陽が射すとテントの中が猛烈に暑くなるが、風が強いのでテントの入口を開けることも出来ず、逆に陽が陰って風が強まると急に寒くなるので温度調整がとても難しい。 狭いテントの中で座ったり横になったりしながら我慢して過ごすしか術がなく、ただでさえ負荷がかかる高所ではとても辛い。 隣のテントの妻のことが心配だったが、様子を伺うことも今日はままならない。 この風の中をガイド達は明日のルートの下見に行ったようだったが、風が強いのでトレースは残らないだろう。 少し離れたスタッフ達のテントでは常に笑い声が聞こえ、その余裕が羨ましかった。
夕方、平岡さんが明日のスケジュールの説明と健康状態の確認のためテントに顔を出した。 パルスでの計測では酸素飽和度は57%しかなく脈も90だったので、慌てて複式呼吸を繰り返す。 高山病の自覚症状はないが、数値を見ると気が滅入る。 明るいうちに夕食のアルファー米を食べ、6時には皆シュラフに潜り込んだ。 その後も風は一向に収まらず、前回のトクヤラフと似たような状況になり、ふと三井さんのことが頭に浮かんだ。
8月4日、2時の出発に合わせて零時過ぎに起床する。 風の音でほとんど眠れなかったが、緊張と興奮で全く眠くはない。 この高度で一晩大過なく過ごせたので数値に関係なく順応はOKだろう。 風は少し弱まったが、依然として小雪が舞っている。 平岡さんからアタックの有無についての指示はなかったが、昨夜食べ残したアルファー米にお湯を足してお茶漬けにして食べ、狭いテントの中で身支度を整える。 雪が降り止まないので出発は少し遅れるだろうと思い始めたころ、平岡さんがテントに顔を出し、予定どおり2時に出発するとの指示があった。 意を決して用便に行くが、テントの周りにはクレバスがあり、足元の安定している所は風が強い。 ほんの少しお尻を出しただけで、凍傷になるほど寒さが厳しかった。 妻に体調のことを聞くと、まずまずのようで安堵する。
パーティーの編成は昨日と変わり、チーフガイドのマックスには栗本さん、田路さん、割石さん、ガイド見習いのアブラン、エロイには近藤さん、三栗野さん、ガイド見習いのホエールとロナウ、アグリには私、妻、ガイド見習いのロベルト、平岡さんには、伊丹さん、ガイド見習いのバレンティンがそれぞれザイルで繋がり、磐石の体制で臨むことになった。 2時過ぎに準備の出来たパーティーから順次出発していく。 結局私達が一番遅くなり、2時半近くになってようやく出発した。
キャンプ地から少し下り、だだっ広いガルガンタのコルの中心に向かって緩やかに登っていく。 雪は降っているのか風で飛んでくるのか分からないが、一向に降り止む気配はなかった。 今日も帰りのルートを担保するために、ガイド達が赤い旗を要所要所に立てていく。 予想どおりコルは風の通り道となっていて、まるで吹雪の中を歩いているような感じだった。 それでも風はトクヤラフの時よりは弱くて助かった。 ジャケットのフードを深く被り、目線を足元だけに置いて黙々と勾配の緩い単調な登りを続けていく。 こんな状態では身も心も山頂までもたないだろう。
C.2を出発して1時間ほどでようやくガルガンタのコルから勾配のある南峰への登りに入った。 アグリはセカンドの妻との間のザイルだけを短く直した。 風雪に耐えながら幅の広い雪稜をしばらく登っていくと、オーバーハングした雪壁の基部で前のパーティーが足を止めていた。 先頭のマックスがこの先でルートファインディングをしているのだろう。 図らずもそこで休憩となったが、近藤さんは体調が思わしくなく、残念ながらすでにホエールとC.2に引き返したようだった。 雪が降り止まないので今日はここで撤退かと思い始めた時、ようやく前のパーティーが動き出した。 ピッケルを打ち込みながら雪壁の基部に沿って左から回り込むように登る。 この天気でもまだ先に進むということは、マックスが撤退を考えていない証拠だ。 嬉しい反面、不安な気持ちもあり複雑な心境だ。
6時を過ぎたが天気が悪いので周囲はまだうす暗い。 先頭のマックス達のパーティーが新雪に印したトレースをジグザグを切りながら黙々と登る。 すでにジャケットは風雪によりバリバリに凍り付き、まるで鎧を着ているような感じになっていた。 間もなく頭上に大規模なセラック帯が朧げに見え始めた。 セラック帯の入口から私達のパーティーが先行することになったが、視界が悪いのでルートファインディングに時間が掛かる。 先頭のアグリが行き詰まった状況を見て、後ろのマックス達が違うルートで進んだので、私達はそこから渋々引き返して再びマックス達の後に続いた。
しばらく登るとちょっとした平坦地があり、ようやくまともな休憩となった。 高度計は電池の消耗で標高が表示出来なくなっていたが、恐らく6300mくらいだろう。 雪は止んだが霧が濃く、周囲の状況は全く分からない。 風は弱まったものの吹き止むことはなかった。 すでに8時半になっていたが頼みの陽射しにも恵まれず、体力の消耗も手伝って寒気がする。 私のみならずパーティー全体も明らかに消耗していた。 最後尾の三栗野さんのパーティーの姿はまだ見えない。 この状況を見た平岡さんから、登山の継続の意思についてメンバー各人に意見が求められた。 平岡さんの説明では山頂まで少なくともまだ3〜4時間掛かるので、山頂まで登る自信がない人はここから引き返すことも選択肢としてあるとのことだった。 私はギリギリだがまだ体力と気力は残っていたので、マックスや平岡さんが撤退を決断しない限り、今の時点では登り続けることに迷いはなかった。 一方、前回のトクヤラフの件があったので、今日こそは何とか妻と一緒に山頂に立ちたいと願っていたが、今の状況では自分のことだけで精一杯で妻のフォローは出来ないため、あらためて妻と話し合ったところ、妻は迷わず引き返すことを決めた。 私も妻の経験と体力を考えると、それが正しい選択だと思えた。 メンバー各々が苦渋の決断した結果、妻と割石さん、栗本さんの三人がアグリ、アブラン、ロベルトと共にC.2に引き返すことになり、私と田路さん、伊丹さんの三人がマックス、アブラン、バレンティン、そして平岡さんと山頂を目指すことになったが、この状況下ではメンバー各々が正しい選択をしたと思った。
ここからはパーティーの編成を変え、マックスにアブランと私、そして平岡さんに伊丹さん、田路さん、バレンティンがザイルで繋がった。 濃霧で周囲が見えないため、セラック帯が終わったのかどうか判然としなかったが、雪が深いこと以外は特に困難な局面はなく、高所らしいゆっくりとしたペースで登る。 相変わらず陽射しはないが風は少し収まり、歩いていれば寒さはさほど感じなくなった。 小1時間ほど登ると先頭のマックスが足を止めた。 どうやら大きなヒドゥンクレバスが斜めに走っているようだ。 マックスはクレバスの縁に沿って上下に歩き、渡れる場所を探していたが、その慎重さは尋常ではなく、30分以上もアブランと共にクレバスの中を覗きこんでいた。 三井さんの一件があったせいだろうか。 その様子を静観していた平岡さんが業を煮やしてマックスに確保を頼み、クレバスを勇んで飛び越えたので一件落着したが、ヒドゥンクレバスを発見してから平岡さんに確保されて全員がクレバスを渡り終えるまで1時間近くかかった。 しかしながらその間に一瞬霧が晴れ、背後の北峰が目に飛び込んできた。 上空は晴れていることが分かり、冷え切っていた心と体に勇気と希望がみなぎった。
クレバスを越えてからも単調な登りが続き、やがて傾斜が緩くなってきた。 時々周囲の霧が部分的に晴れ、山頂方面や背後の北峰が見えるようになり、天気の回復が僅かばかり期待された。 後続のパーティー(エロイ・三栗野さん・ロナウ)の姿も豆粒ほどに見えた。 風が収まってきた所でようやく休憩となった。 平岡さんの提案で私とバレンティンが入れ替わり、ここからはマックス、アブラン、バレンティンの3人が先頭でトレースを作り、平岡さん、伊丹さん、田路さん、私の4人が後に続くことになった。 ペースは相変わらずゆっくりで楽だが、広大なスロープを右方向に延々と斜上しながら登っていく感じで標高が全然稼げない。 あらためてワスカランのスケールの大きさを実感する。 1時間ほど登ると暖かな陽が射してきた。 ワスカラン北峰がようやく目線の高さになり、トクヤラフの再来かと喜んだのも束の間、しばらくすると再び濃霧に閉ざされてしまい、以後二度と晴れることはなかった。
傾斜が一段と緩んだ所で最後の休憩となった。 すでに正午を過ぎ、予定よりも大幅に遅れているので、時間切れになるのではないかと心配になる。 小用の痕を消そうとアイゼンで雪を削ったことが原因で右足のアイゼンが外れてしまったことに気が付かず、後ろから大声で平岡さんに報告する。 平岡さんは顔色を曇らせたが、ここで対策を講じていたら登頂はおぼつかないので、無理やり拝み倒してそのまま登らせてもらう。 幸い傾斜が緩かったので登りに関しては全く支障はなかった。
霧はますます濃くなり、視界は20mほどしかなくなった。 殆どホワイトアウトしたこの状況で登山を継続出来るのは、この山を知り尽くしたマックス達のお陰だ。 前方でマックスが両手で頭の上に○印を作っている姿が見えた。 いよいよサミットかと思い胸が高鳴ったが、そこに着くとマックス達は再び逃げるように先に進んで行った。 さてはすぐその先が本当の山頂かと思ったが、一向にそれらしき所が見えてこない。 そのうち再び風が強まってきて、消耗している体に追い討ちをかける。 殆ど平らに近い頂上稜線を風雪に耐えながら開き直って歩き続ける。 もう何が起きても頂を踏むしかない。
前方で再びマックス達が佇んでいる姿が見えた。 その傍らには朧げに何本かの旗が見えた。 田路さんとマックスが抱き合っている。 今度こそ本当のサミットだ!。 平岡さん、伊丹さん、田路さん、マックス、アブラン、バレンティンと次々に握手を交わし、肩を叩き合って登頂を喜び合う。 辿り着いた憧れのブランカ山群の最高峰の頂からは、紺碧の青空も、周囲の名峰の数々も、そしてペルーの大地も見ることは叶わない。 しかしながら、風雪に耐えて登頂出来た達成感と安堵感がそれに勝り、感動と興奮がいつまでも覚めやらない。 妻、そしてメンバー全員の登頂が叶わなかったことが唯一惜しまれる。 風景の写真は撮れないので、皆で記念写真を何枚も撮り合う。 登頂時刻は2時20分で、C.2を出発してからちょうど12時間だった。 マックスがC.2のアグリと無線で交信する。 C.2へは明るいうちに下山出来そうにないので、無線の存在が本当に心強い。
愛しい山頂に20分ほど滞在して下山する。 右足のアイゼンがないので私達のパーティーの先頭を田路さんに代わってもらう。 最後に休憩した所でアブランが私のアイゼンを見つけてくれたので助かった。 残念ながら後続の三栗野さんのパーティーはどこかで引き返したようですれ違わなかった。 時間に余裕はないが、マックスは所々でクレバスの状態を慎重に確認しながら進んだため、セラック帯の途中で暗くなった。 ヘッドランプを点けての下山はさらに時間が掛かかった。 すでにテルモスの紅茶などは飲みきってしまったので、高山病の予防に時々雪を拾って口に含む。 下方のガルガンタのコルに灯りが見えた。 間もなくC.2からアグリ達が温かい飲み物を持って私達のサポートに来てくれ、消耗しきっていた体も心も一気に温まった。
山頂からの下山も登りの半分の6時間近くを要し、夜の8時半過ぎにようやくC.2に戻った。 18時間にも及ぶ長い道のりだった。 あらためて平岡さんやマックス、アグリ、エロイ、そしてスタッフの皆に感謝の気持ちを伝え、伊丹さんと田路さんを労いながらザイルを解く。 寒々しいテントの中で私達が下山してくるのを首を長くして待っていた妻らに控えめに登頂の報告をし、スタッフが作ってくれた温かいスープをいただいて装備を解く。 全てを終えて眠りについたのは夜も更けた頃だった。
8月5日、8時の出発に合わせて6時過ぎに起床する。 昨夜は疲れていたが興奮していたのであまり良く眠れなかった。 少し風はあるが上空は青空で、昨日とはうって変わって良い天気だ。 この天気だったらもっと楽しく全員が登頂出来たに違いない。 今日の青空が本当に恨めしい。 8時半近くなってC.2を出発。 今日はC.1を経てB.Cまで下る。 間もなく下から登ってきたパーティーは三井さんの捜索隊だった。 悲しいかな今の私にはその輪の中に入ることも出来ず、彼らの手に捜索を委ねるしかなかった。 登頂という夢は叶ったものの、再び現実を突きつけられ、後ろ髪を引かれる思いだった。
一昨日は気が付かなかったが、セラック帯の上部からは氷河とその下の岩盤帯との境目が見えた。 セラック帯の雪の状態は非常に良く、スノーブリッジやトレースもしっかり残っていた。 核心部の30mほどの急斜面はロアーダウンで順番に下る。 セラック帯の下部からは待望の陽射しに恵まれるようになり、C.2から3時間足らずでC.1に着いた。 稜線から雪煙が上がっているので風は強いかもしれないが、本当に今日は良い天気となり悔しい限りだ。 ここから先は危ない所はないので、所々で写真を撮りながらのんびりムードでキャンプ・モレーナへ下る。
C.1から1時間足らずで氷河の舌端(取り付き)に着き、ザイルを解いてランチタイムとする。 もう何も気にすることなく食べられるのが嬉しい。 ランチの後も取り付き付近でのんびり寛ぎ、スタッフ達がわざわざB.Cから担ぎ上げてくれたトレッキングシューズに履き替えてB.Cへ下る。 身も心もすっかり軽くなり、岩盤帯をハイキングモードで歩く。 3時半に待望のB.Cに着き、夕食の時間まで昼寝を決め込んだ。
夕食は期待どおりラウルが手の込んだ料理を沢山作ってくれ、久々に皆で舌鼓を打つ。 明日以降も下界で打ち上げの宴が続くだろうが、登頂の記憶が新しいB.Cでの打ち上げが一番だ。 アルコールはないが、登山活動も実質的に今日で終わったことで、夜遅くまでダイニングテントは賑わった。
8月6日、今日は登山口のムーショの集落まで下山し、迎えのバスでワラスのホテルに行くだけなので、ゆっくりと陽が当りはじめてから起床する。 昨夜の打合わせどおり、朝食後にガイドやスタッフ達にチップを手渡すセレモニーを行う。 マックスを頭とする今回のガイドチームの働きぶりは本当に素晴らしく、とても頼りがいがあった。 度重なる悪天候の中、素人の私がトクヤラフやワスカランの頂に立つことが出来たのも彼らの存在があってのことだ。 平岡さんがこのチームに“世界一”と太鼓判を押す理由も充分納得出来た。 チップを手渡す前に、平岡さんの提案で不用となった山道具や身の回りの物を個人的にガイドやスタッフ達にプレゼントする。 太っ腹にも伊丹さんと近藤さんが今回使った登山靴を供出すると、皆次々と色々な山道具を惜しみなく彼らに贈ったので場の雰囲気はさらに盛り上がった。 私はペルーにはない中型のテルモスを下山後にマックスにあげることにした。
登山隊全員での記念写真を撮り、ムーショから上がってきたロバに荷物を託して10時過ぎにB.Cを発つ。 何度も後ろを振り返りながら山を眺めて登頂の想い出に浸るが、三井さんのことを思うと手放しで喜べないのが辛い。 途中の大きな露岩を過ぎると緑がぐっと濃くなり、下山したという実感が湧いてくる。 足取りも軽くユーカリの林を抜け、1時半に登山口のムーショの集落に着いた。
迎えのバスの到着を待つ間に、昔ながらの素朴な食堂で昼食を兼ねた下山祝いをする。 今日から私もアルコールは解禁だ。 食堂は自炊となっていたので、ラウルが酒のつまみを作ってくれた。 意外にも冷蔵庫には沢山のビールが置いてあり、スタッフ達にもビールを振舞い、皆で乾杯して楽しい時間を過ごす。 久々に飲むビールで一同上機嫌となった。 ここでお別れとなる一部のスタッフ達との別れを惜しみながらほろ酔い気分でバスに乗る。 満場一致でカルアスのディアスさんの店に立ち寄り、酔い覚ましにお約束のアイスクリームを食べる。 夕方の5時過ぎにワラスのホテルに着き、シャワーを浴びてから皆で夜の街に繰り出した。