7月26日、夜中に時々テントを叩いていた雨は未明には雪となったようで、B.Cもうっすらと白くなっていた。 夜中に2〜3度目が覚めたが、疲れもあってまずまず熟睡出来た。 朝のパルスの数値は83%、脈拍は67だった。 4300mの高度なので私としては普通だ。 今日はレスト日なので朝食をのんびりと時間を掛けて食べる。 昨日の疲れもあるのか、パルスの数値とは別に自分も含め皆の目や顔が少し腫れぼったいような気がする。 午前中は風も強まり、再び雨がパラつく生憎の天気となったが、レスト日でちょうど良かった。 平岡さんの話では、今シーズンの天気は例年に比べて不順で、山にも雪が多いとのことだった。 確かに昨日登ったイシンカもガイドブックの写真より雪線が低かった。 明日向かうトクヤラフのH.Cも例年雪は無いが、今年は雪に覆われているようだ。
個人用テントに戻り、アイポットの音楽を聴きながら明日以降の準備をして過ごす。 午後に入ると天気は少し回復してきたが、時々強い風がテントを叩く。 昼食は温野菜を鶏肉や牛肉で巻いたシンプルなものだったが、ソースの味が絶品でラウルが皆の舌を驚かせた。 登山者相手の商売ではもったいない腕前だ。 食後は平岡さんから明後日のアタック時に使うユマール(登降器)の使い方の説明があり、テントの周りで掛け替えの練習をした後、未経験者と希望者を募って実地の訓練を行った。
夕方再び雨が降り出し、明日以降のことが気になりテントの中でやきもきする。 当初から危惧していたことだが、予備日がないのは精神的に辛いものだ。 そんな気持ちを和らげてくれるのはラウルの料理で、夕食もまた美味しい鶏肉の煮込み料理を堪能した。
7月27日、夜中は強い風が吹き荒れ、この分ではトクヤラフへの登頂はおろか、H.Cに行くのも危ぶまれたが、朝には風は収まり青空が見えていた。 昨日のような悪天ではないが、まだまだ天候は不安定のようだ。 予定どおり8時過ぎにトクヤラフのH.Cに向けてB.Cを出発する。 キャンプ地の傍らに建つ石造りの大きな山小屋(イシンカ小屋)の前を通るが、意外にも誰も利用していないようだった。 キャンプ地の環境が良いためか、それともシーズンが終わりに近いからだろうか?。 牧草地の外れからモレーンの縁に沿って緩やかに登る。 目指すトクヤラフの方向は相変わらず雲に覆われているが、イシンカ谷を挟んで反対側のランラパルカの上空には青空が広がっていた。 一昨日も同じような感じだったので、イシンカ谷を境に天気が違うのだろうか?。
間もなくトレイルはウルスの主稜線に登るような感じで90度左に折れてジグザグの急登となった。 私達の引率をアグリに任せ、マックス達がルートの偵察をするため先に進む。 間もなくトレイルに昨日の新雪が見られるようになり、スタッフ達にも追い越される。 登るにつれて風は強まり、そして冷たくなった。 先ほどまで青空だったランラパルカの上空も次第に雲に覆われ始め、天気は下り坂に向かっているように思えた。 氷河(残雪)の取り付きでアイゼンを着けながら簡単な昼食を食べる。 止まっているとダウンジャケットが欲しくなるほど寒かった。
昼食後、氷河に足を踏み入れると風は一段と強まり、時々耐風姿勢を取らなければならないくらいの突風が吹いた。 まだここから2〜3時間登らなければH.Cに着かないと思うと気が重い。 アタック日ならまだしもアプローチで消耗するのは御免だ。 強風に耐えながら1時間ほど登ると、寒々しい吹きさらしの雪稜に上がる手前の岩塔の基部で先行していたスタッフ達がテントを設営するための整地作業をしていた。 マックス達が偵察から帰ってこないが、恐らく当初予定していたH.Cは風が強すぎてテントが張れないので、この場所を今回のH.Cとするような雰囲気だった。 本来のH.Cまでは標高差で200mくらい、時間にして1〜2時間手前だろう。 間もなくそれが正式に決まり、岩陰で風を避けながらスタッフ達がテントを設営してくれるのを待つ。 強風が吹き荒れる中、近くの石などを巧みに積み上げて短時間に整地してしまう土木技術は一朝一夕のものではない。 ガイドのみならず、この“サポート軍団”の頼もしさをあらためて感じた。
テントに収まり、ようやく一息つく。 メンバーの割り振りは一昨日のH.Cと同じだ。 狭いテントだが、何の遠慮もなく過ごせるのが嬉しい。 妻の様子を見に女性陣のテントを訪ねると、伊丹さんや近藤さんも体調はまずまずのようで安堵する。 明日のレイヤードや装備のチェック、行動食の準備などを入念に行う。 トクヤラフで着ることを考えていなかった中厚のダウンジャケットはB.Cに置いてきたので、メリノウールのアンダーシャツを2枚重ねて着ることにした。 明日の起床は午前零時なので、出発は1時過ぎになるだろう。 田路さんから昨年のマナスルや40年前に挑んだマッキンリーの話しなどを聞いたりして過ごす。 夕食は各自のテントでアルファー米と味噌汁を好きな時間に食べ、日没後の6時過ぎにシュラフに入る。 即席のH.Cは稜線から外れているため風は弱いが、風は一晩中吹き止むことはなかった。 予備日がないので天気が悪くても予定どおりのアタックとなるが、もともとトクヤラフは難しい山なので、何とか明日は晴れてくれることを神に祈った。
7月28日、憧れのトクヤラフに登る時が来た。 零時前に起きて準備を始めるが、緊張と気持ちの昂ぶりで全く眠くない。 寝起きのパルスの計測は71%とあまり良くなかったが、頭痛もなく体調は悪くない。 テントから身を乗り出して空を見上げると星が見えた。 風も昨日より確実に弱まっている。 一人前のアルファー米を半分以上食べると、運良く用便も済ませることが出来た。
マックスを先頭に私達の隊が先発する予定だったが、色々と忙しいマックスの準備が遅れ、一番最後の出発となった。 先に行く妻らのメンバーに励ましの声を掛ける。 まだ順応途上なので完璧な体調の人はいないが、イシンカ同様全員揃って出発出来ることが何よりだ。 私達のパーティーは先頭のマックスの後にラッセル要員としてガイド見習いのビクトルが続き、栗本さん、私、田路さんの順番にザイルを繋いだ。 1時半過ぎにH.Cを出発。 吹きさらしの雪稜に上がると、予想どおり昨日ほどではないものの強い風が吹いていた。 風で飛ばされた雪が乱舞し、穏やかだったH.Cとは全く違う状況で寒さが身にしみる。 酸素の希薄さや暗さがさらに体感気温を下げ、昨日の強風が良い免疫になっているものの、果たしてどこまで持ちこたえられるか不安が募る。 緩やかな登りが延々と続き、時間の割に標高を稼いでいないのが良く分かる。 H.Cも予定よりだいぶ下だったため、今日は長丁場となりそうで気が重い。 間もなく先行していた妻らのパーティーを全て追い越し、私達のパーティーが先頭に立つ。 今日のマックスは先日のイシンカよりも少し早いペースで登るが、ルートやクレバスを確認しているのか度々足を止める。 長い時は2〜3分も立ち止まるので体が冷える。 寒さで電池が消耗したのかヘッドランプの灯火が暗く、風が正面から吹き付ける時も目をしっかり開けていなければならず疲れる。 遥か眼下に麓の村の夜景がおぼろげに見えた。
4時過ぎに風の弱い場所で初めて休憩となった。 今のところ指先や足先は温かくはないものの、冷たさを心配することはなくありがたい。 マックスは引き返そうという素振りも見せず、後続のパーティーと入れ違いに先に進む。 相変わらず強い風に苛まれながら緩やかな斜面をトラバース気味に登る。 1時間ほど登ると、急な雪壁の手前で後続のパーティーを待ちながらの休憩となった。 私のみならず、間もなく到着した妻を始め皆一様に強風でかなり消耗しているように見えた。 残念ながら三栗野さんの姿はすでになかった。 寒さに弱い妻も上へ行く自信がなくなったようで、引き返すことを考えていた。 トクヤラフの山頂には是非二人揃って立ちたいが、確かにこの状況が続けば私自身も相当厳しいので、妻には無理して登ることはないことをアドバイスする。 もう1時間もすれば明るくなるが、今日は陽射しに恵まれるかどうか定かでない。 平岡さんもこの強い風では山頂直下まで行けても、最後の核心部は登れないだろうと思っていたと下山後に語った。
全員が揃ったところでマックスを先頭に急な雪壁に取り付く。 長いアプローチが終わり、いよいよここからが本番のようだ。 すぐにセラック帯となったが、ルートを熟知したマックスは迷わずその間を縫うようにして通過する。 急斜面をジグザグに登っていくとようやく周囲が明るくなり、素晴らしい朝焼けのブランカ山群の山並みが目の前に広がった。 風も幾分弱まり、ようやく快晴の天気となったので嬉しかったが、女性パーティーの歩みが捗らなくなり、次第にその差は開いていった。 頭上には切り立った巨大な雪壁と芸術的とも思える頂稜部の雪庇(キノコ雪)が見え、その迫力ある姿に圧倒されるばかりだった。
マックスとアグリは立ち止まってしばらくルートを模索していたが、マックスはガイドグックに記されたノーマルルートを選び、北西稜に向かって左へトラバースを始めたが、アグリと割石さんのパーティーは違うルートを選び、後続の女性パーティー共々間もなく視界から消えた。 私達はしばらくトラバースを続けた後、一旦少し下ってから20mほどの急な雪壁を上からマックスに確保されながら登った。 ダガーポジションで前爪を利かせながらの登攀に息が上がったが、雪壁を登りきると意外にもそこはなだらかな雪原になっていた。 上空はようやく乾期らしい澄み切った青空となり、周囲の山々も輝き始め、山頂を待たずに素晴らしい展望が叶った。 意外にもマックスは自ら写真を撮り始め、私達にも写真を撮るように勧めた。 再び前方に切り立った雪壁を望みながら右方向に緩やかな斜面を登って行くと、頂稜部の巨大なキノコ雪の直下でアグリと割石さんのパーティーと合流した。 間もなく伊丹さんが平岡さんと二人で登ってきたが、話しを訊くと残念ながら妻と近藤さんは途中で引き返したとのことだった。 今は風も弱くなり暖かな陽射しにも恵まれるようになったが、やはりあの強風は相当堪えたに違いない。 周囲を見渡すと私達以外の登山者の姿はなかった。
生き残った隊員5人とガイド達は一丸となって核心部のキノコ雪の基部まで登ると、あれほど吹き荒れていた風は嘘のように止み、そこは日溜りのように暖かかった。 時刻は8時半になり、出発してからすでに7時間が経過していた。 空はますます青くなり、双耳峰のコパ(6188m)やワルカン(6125m)の向こうにワスカラン南峰(6768m)の山頂も見えた。 キノコ雪の基部からマックスがダブルアックスでルート工作に向かう。 1時間ほどの長い時間を費やし、私達が安全かつ確実に登れるように頂上直下からフィックスロープが張られた。 ザイルを解いて伊丹さんから順番にキノコ雪をユマールで登り、中間点で確保していたアグリの所に順次辿り着いた。 中間点からは高度感のある雪稜をユマールで登り、頂上直下の垂直に近い数メートルの雪壁を上からマックスに確保されながら最後の力を振り絞って登りきると、伊丹さんが放心状態で座っていた。 そこから先は威圧的なキノコ雪の下からは想像もつかないような緩やかな雪のスロープが指呼の間となった山頂に向けて延びていた。 荒々しい氷河を身にまとったパルカラフ(6274m)が眼前に迫り、イシンカからも良く見えたワンサン(6395m)もすっきりと望まれ、登頂を目前にして最高の気分だ。 雪壁の上で写真を撮りながら皆を待つ。 田路さん、栗本さん、割石さんが続き、最後に殿の平岡さんの笑顔が見えた。
再び皆でザイルを繋ぎ、目頭が熱くなるのを抑えながら紺碧の青空に吸い込まれるように山頂に向かう。 ほんの僅かな登りで全員一緒に憧れのトクヤラフの頂に辿り着いた。 眼下にはトルコ石のような青い氷河湖が望まれ、ランラパルカ(6162m)も目線の高さだ。 あれほど吹いていた風が嘘のように止み、快晴無風の頂となることを誰が想像しただろうか!。 皆で肩を叩き合いながら登頂を喜び、はちきれんばかりの笑顔で写真を撮り合う。 登る前からメインのワスカランよりむしろこの山に登りたかったので、登頂が叶って本当に嬉しかった。 時計を見るとすでに11時を過ぎていた。
下りはユマールと懸垂下降でキノコ雪の基部まで下り、登りと同じパーティー編成でH.Cに下山したが、途中から再びマックスはアグリや平岡さんのパーティーと違うルートを下ったので、私達の隊が一番遅く2時半過ぎにH.Cに着いた。 途中で引き返した妻ら3人も元気でH.Cで過ごしていたようで安堵した。 妻に簡単に登頂報告をしてから、休む間もなくB.Cへ下る支度をする。 疲れてはいるものの、ここより遥かに快適なB.Cへ下れると思えば苦にならない。 昨日はH.Cから見えなかったトクヤラフが間近に仰ぎ見られたが、その頂は登った後でも神々しく、あらためて登れて良かったと思った。
3時半にH.Cを出発。 下るスピードは早く、僅か2時間足らずでB.Cに下山した。 間もなくトクヤラフが夕焼けに染まり、有終の美を飾ってくれた。 夕食は暖かいクリームシチューだった。 味はもちろん言うまでもない。 トクヤラフには全員登頂出来なかったが、予定どおりの日程で無事プレ登山が終わったことで皆の気持ちも和らいでいた。 明日は登山口へ下山するだけなので、体のことは考えずに久々にお腹一杯に食べた。
7月29日、山の神の気まぐれか、早朝から雲一つない快晴の天気で風もない。 今日がアタック日だったら全員登頂出来たに違いなく、一日違いの好天が恨めしい。 荷物をロバに託し、9時過ぎに想い出多いイシンカ谷のB.Cを後にする。 途中何度も振り返りながらトクヤラフの写真を撮る。 次第に狭隘となるイシンカ谷を下り、正午前に往きと同じ広い牧草地の傍らでランチタイムとなるが、またもやここでアブに額の同じ所を刺されてしまった。
牧草地から谷を離れると、登山口のコチャパンパに向けて緩やかな起伏の尾根道となる。 間もなく往きには見えなかったワスカラン南峰やコパ(6188m)が大きく望まれ、思わず皆で歓声を上げる。 今日はウルス(5495m)やオシャパルカ(5888m)もすっきり望まれ、図らずもペルーに来てから一番の好天となった。 コチャパンパにはすでにエージェントの車が待っており、お世話になったスタッフ達と再会を誓ってワラスに向かう。
山の斜面に広がるワラスの町は坂道が多かった。 今日から滞在するホテル『アンディーノ』も町を見下ろす高台に建っていたが、このホテルはワラスで一番高級らしい。 ホテルの展望台からもワスカランが良く見えた。 チェックインを終えると、平岡さんから日本人の登山者一人がガイドと共にワスカラン北峰で遭難したというニュースが伝えられた。 風が一番強かった一昨日のことだろうか?。 それにしてもマイナーなワスカラン北峰にガイドと登る日本人がいたということがとても意外だった。 やはり今年は天候が不順なので、ワスカランもルートのコンディションが悪いのだろうか?。 トクヤラフには運良く登れたが、ワスカランは登れないかもしれないという思いが脳裏をかすめた。
久々にシャワーを浴びてから、プレ登山の打ち上げをするため皆で街の中心部に歩いて下る。 途中のクリーニング屋に洗濯物を預け、地元の人で賑わうレストランに入る。 牛の心臓の串焼きなど沢山のメニューがありなかなか面白い。 注文を終えると平岡さんから、ワスカラン北峰で遭難した日本人は知人でペルーの山の師匠の三井さんだったという最新の情報が伝えられ、あまりの驚きに思わず大声で叫んでしまった。 もちろん今夏も三井さんがペルーに滞在し、山を登られていることはメールでのやり取りで知っていたが、ホテルでの遭難の第一報の時は全くそんなことは思いもつかなかった。 打ち上げの宴も上の空だ。 平岡さんがエージェントからその後に聞いた情報では、馴染みのガイドのクラウディオと共に深いクレバスに転落し、後日仲間のガイドがクレバスの中で遺体を確認したらしいが、依然として詳細は不明のようだった。 帰国後は真っ先に今回のペルーの山行の報告をすることを楽しみにしていたので、全く想像も出来ない事態にただ呆然とするばかりだった。