サハマ(6542m)

   8月16日、各々の時間で朝食を食べた後、サハマ村に向けて9時前にロビーに集合したが、メンバーが2人減っただけでとてもこぢんまりとした隊になったような気がする。 実際にはイリマニには内田さんは行かれなかったので1人しか違わないのだが、全く不思議なものである。 コックのマリオの姿が見られなかったので、異常を察知した平岡さんがエロイに訊ねたところ、やはり今回のメンバーからマリオを外し(ガイドが料理を作る)、さらにテントの数も1つ減らしたことが判明した。 話し合いの結果、平岡さんの強い要請でラ・パスの郊外に住んでいるマリオを呼び出し、途中彼らの事務所に寄ってテントを調達し、その後マリオも合流してようやく一件落着した。

   ボリビアとの関わりが深い革命家のチェ・ゲバラの大きな像のある広場を過ぎると、意外にも料金の徴収ゲートがあった。 ゲートを過ぎても道路の状況は特別変わることはなかったが、ラ・パス市内に比べて車の数は激減し、大きなコンテナトラックや長距離の大型バスが多く見られるようになった。 サハマ村までの距離はラ・パスから400キロほどらしいが、ワイナポトシやイリマニの登山口までのアプローチとは違い舗装道路を走行するため、その点は快適であった。 しばらくすると交差点や信号機は全く無くなり、11人の人間と荷物を満載したワゴン車は時速80〜100キロ位のスピードで疾走していく。 イリマニを左手に見送ると風景には変化が無くなり、荒涼とした枯れ草の大地が延々と続く。 所々にオアシスのような川が流れ、その周囲には必ず牛やリャマなどの家畜が放牧されていた。 窓側に座っていると強烈な陽射しが襲いかかり、帽子だけでは足りずにテントマットで遮断する。

   ラ・パスから2時間ほどでパタカマヤという集落に着いた。 ここはこれから向かうサハマ村方面(その先は国境を越えてチリへ)との分岐点になっており、道路の両脇には飲食店などが所狭しと並んでいる。 ガイド達は迷うことなく、串刺しにされた鳥の丸焼きが大きな保温器付きのショーケースに陳列してある店に入った。 この辺りではポピュラーなファーストフードの店なのであろう。 鳥の照焼きとフライドポテトに味の無いパスタが一つの皿に盛られたスナックメニューのようなものを食べたが、予想どおり味は今一つであった。 それ以上に店内のトイレが想像を絶する汚さで、女性陣は町外れにあった有料のトイレに行かざるを得なかった。

   昼食後は一旦僅かにラ・パス側に戻り、標識に従ってT字路をチリとの国境に向けて左折する。 正面には小さいながらもサハマがはっきりと望まれ、気分が一気に高揚する。 意外にも分岐からすぐの所に検問所があった。 チリとの国境に通じているためか、あるいは近くに軍隊の駐屯地があるためだろうか?。 検問所にありがちな渋滞もなくスムースに通過出来ると思われたが、何故かしばらく検問所の係官と運転手のやり取りが続いた後、通行が不許可となった。 今回の旅ではこれまで色々なアクシデントがあったが、これには本当に焦った。 路肩に車を停めて指示を待てという。 お金でも要求されるのかと思ったら、何故か医療品の提出を求められた。 仕方なく平岡さんが没収されることを覚悟に遠征用の大きな救急箱を差し出すと、しばらくしてから何も取られずに返却された。 彼らの目的は不明であったが、通行が許されて一同安堵した。

   交通量がさらに少なくなった舗装路をしばらく走行すると丘陵地帯に入り、起伏やカーブが多くなってきたが、周囲には相変わらず目立った山などは一切見えなかった。 イリマニのH.Cから遠くサハマを見た時も傍らのパリナコタ以外の山は見えなかったことが思い出された。 丘陵地帯を越えると、車窓から白い帽子を被ったサハマやパリナコタが右手に大きく望まれるようになり、一同の目が釘付けとなる。 車を路肩に停めてもらい、皆で写真タイムとなった。

   間もなく標識に従って右折し、サハマ村へ通じる未舗装路に入る。 荒涼とした砂漠のような風景が展開し、車の巻き上げる砂埃が酷かったが、起伏がないので路面の状態は良好であった。 時計周りにサハマの山麓を回り込むようにして進むと、サハマの南西面は先ほどまでの容姿とはまた一味違う凄みのある面持ちとなり、再び車を停めてもらい写真を撮る。 空気が大変乾燥しているため、午後になっても雲一つ湧かず、空は真っ青である。 登る前に麓から充分に山を観賞することが出来てとても嬉しい。 これでもし登頂が叶ったらボリビアの山旅としては本当に完璧だ。

   予定より大分遅れて夕方の5時前にようやくサハマ村に着いた。 村といっても見渡す限り十数軒しかなさそうなこぢんまりとした集落だ。 入口には国立公園の管理事務所があり、ガイド達と平岡さんが入園手続きをしてくれた。 入園者の名簿には5月に僅か一組の日本人の名前が記されていた他は予想どおり皆無であった。 昨夜の打合わせでは今晩はテントに泊まることになっていたが、到着が遅くなったためか、管理事務所から指定されたのか理由は不明であったが、管理事務所の傍らのロッジに泊まることになった。 ロッジといっても扉の鍵もなく、まるで避難小屋のような簡素な作りの建物であり、狭い室内にはちょうど私達の人数分の6つのベッドが置かれているだけだった。 布団も薄くて粗末なものだったので寝袋で寝ることにしたが、それでもテントに泊まるよりは遥かに快適でありがたかった。

   夕焼けでサハマが黄金色に染まり、その一瞬の素晴らしい光景に一同の目が釘付けとなる。 夕食は村で一軒のよろず屋の店内にある簡素なテーブルを囲み、ヘッドランプの灯火でガイド達が作ってくれた簡素な料理を食べる。 砂漠のような環境のため日が沈むと室内も急速に冷え込んでくる。 食後のティータイムもそこそこに切り上げ、寝場所のロッジに戻る。 今日も南十字星がはっきりと見える星空がとても綺麗だ。 明日もこのまま晴天が続くのだろう。


ボリビアとの関わりが深い革命家のチェ・ゲバラの大きな像


道路の両脇に飲食店などが所狭しと並んでいるパタカマヤの集落


串刺しにされた鳥の丸焼きが大きな保温器付きのショーケースに陳列してある店で昼食を食べる


検問所では何故か通行が許可されず、路肩に車を停めて指示を待つ


車窓から白い帽子を被ったサハマが大きく望まれるようになる


車を路肩に停めてもらい、皆で写真タイムとなる


富士山のような秀麗な山容のパリナコタ(6330m/左)と姉妹峰のポメラタ(6240m/右)


見る方角によって全く違う姿を披露するサハマ


国立公園になっているサハマ村の入口


サハマ村から見たサハマ


扉の鍵もない避難小屋のような簡素な作りのロッジ


狭い室内にはベッドが置かれているだけだったが、テントに泊まるよりは遥かに快適だった


見事な黄金色に染まるサハマ


   8月17日、陽が当り始める時刻に合わせて7時過ぎに起きると、今日も上空には雲一つない快晴の天気だったが、周囲の砂漠のような荒涼とした風景がそれを当然のように受け容れている。 サハマの背後から強烈な朝陽が射し込んで来ると、体感気温は劇的に上昇する。 生憎サハマは逆光であるが、順光となるパリナコタ(6330m)とすぐ隣に聳える姉妹峰のポメラタ(6240m)のコンビが絶好の被写体となる。 パリナコタは今回のこのツアーがなければ、いつか是非登りたいと思っていた山だ。 富士山のような秀麗な山容で一見登り易そうだが、以前平岡さんが登った時はやっかいなペニテンテス(氷の尖塔)に苦しめられたという。

   朝食後、平らではあるが埃っぽい未舗装の車道を北の方角に向かって歩き始める。 今日はここから標高差で約600mを登り、標高4800mにあるB.Cを目指す。 時折、白・黒・茶色・雑色と様々な色をしたリャマの群れが車道を横切る。 間もなく私達の荷物を満載したロバ達が、ポーターに引かれて傍らを追い抜いていった。 1時間ほど車道を水平に歩き、踏み跡に従って車道の一部をショートカットして少し勾配のある砂礫の斜面を登り、石の車止めのある実質的な登山口に着いた。 傍らには古い小屋があったが、以前は休憩舎として使われていたのだろうか?。 潅木の茂みの中に日陰を求めてしばらく休憩する。

   トレイルは次第に幅の広い沢のような地形の縁を行くようになり、一旦手前の丘に隠れていたサハマが再び正面に仰ぎ見られた。 サハマの北西面は火山活動の影響か中央部の斜面が大きく崩れ落ち、穏やかな山容のパリナコタやポメラタとは全く違う迫力がある。 標高4500m位を過ぎると意外にも沢幅はさらに広くなり、辺りは黄金色の枯れた草地となった。 周囲を良く見渡すと、枯れていると思われた沢も、所々の窪みに僅かであるが水が流れている。 再び耳に鑑札を付けた家畜のリャマがいたる所に見られるようになった。 首や足の細いグアナコも僅かに見られたが、こちらは野生のようだ。 ガイド達の話ではアルパカはこの辺りには殆どいないとのことだった。 昼食は一足先行していたマリオが、村で調理したパスタを温めてくれた。 デザートにバナナやオレンジもあったが、今日も“ポキート”を心掛ける。 のんびりランチタイムを過ごし大地に寝転ぶと、草の感触は心地良かったが、たまに吹く風は冷たかった。

   昼食後しばらくは勾配の緩い気持ちの良い草地の中のトレイルを歩く。 所々の岩にその表面を隙間なく覆っている鮮やかな緑色の苔が見られた。 雨季にはこの辺りの涸れ沢も増水するのだろうか?。 午後に入ると空の色は益々青みを増し、覆いかぶさるような威圧感のあるサハマの雄姿に圧倒され続ける。 ガイドブックどおりであれば左の稜線が登攀ルートだろう。 H.Cの位置や明日登るH.Cへのトレイルも大体見当がつく。 遠目にはB.Cと思われた草原を左手に見送り、その先を少し行くと広大な砂漠化した平原が眼前に広がり、その一番手前の片隅に背の低い石垣に一部を囲まれたB.Cのテント場が見えた。 午後3時前にB.Cに到着すると、先行したポーター達が設営してくれた私達のテントの他に、H.Cへ上がっているパーティーのデポ用のテントなどが僅かばかり見られた。

   強烈な陽射しから逃れるため早速テントの中に入るが、風通しを良くするためテントのファスナーを開けると、少しの風でも容赦なく砂埃がテント内に入ってくるため、非常に不快である。 快適だったイリマニのB.Cが恋しい。 まだアタックは明後日だが、風の心配が頭をかすめる。 アコンカグア同様に、この山の登頂の成否は風の有無にかかっている。 B.Cがこんな感じであるからH.Cの環境はもっと悪いだろう。 平岡さんからも、明後日のアタック日はH.Cから山頂を往復した後に、出来ればB.Cまで下山したいという打診があった。

   昨夜は良く眠れたが、先日のイリマニの時と同じように左の額に熱がこもり、時々ズキンと痛みが走る。 もういい加減高山病という感じでもないので、長旅の疲れが溜まっているのだろう。 いずれにしても早く治さないと明日・明後日が厳しいので、テント場の周囲を散歩したり、深呼吸をまめにすることを心掛ける。 6000mの山を二つ登り、体も充分順応しているはずなのに情けない。 B.Cの夜は驚くほど寒くはなく、下のサハマ村と同じくらいだった。 ここから900m上のH.Cでも最低気温はマイナス10〜15度位ではないだろうか?。


埃っぽい未舗装の車道を北の方角に向かって歩き始める


順光となるパリナコタ(左)とすぐ隣に聳える姉妹峰のポメラタ(右)のコンビが絶好の被写体となる


私達の荷物をB.Cへ運ぶロバ


車道の終点には石の車止めがあり、ここが実質的な登山口となる


サハマを正面に仰ぎ見ながら幅の広い沢のような地形の縁を辿る


黄金色の枯れた草地には、白・黒・茶色・雑色と様々な色をした家畜のリャマがいたる所に見られる


気持ちの良い草地でランチを食べてからのんびりと寛ぐ


荒々しいサハマの北西面を仰ぎ見ながら相変わらず勾配の緩いトレイルを歩く


岩の表面を隙間なく覆っている鮮やかな緑色の苔が所々に見られる


広大な砂漠化した平原の片隅にあったB.Cのテント場


残照のサハマ(左の尾根を登る)


   8月18日、今日も素晴らしい快晴の天気だ。 風も無く絶好の登山日和である。 この分なら明日のアタック日も多分同じような快晴の天気になってくれるだろう。 打合わせどおり7時起床・8時朝食・9時の出発で、目的地のH.C(5700m)へと向かう。 もちろん今日もサハマ村の人達に荷上げをしてもらう大名登山だ。

   背の低い雑草が僅かばかりに生えている平らな砂地のトレイルを、威圧的な面持ちのサハマを正面に仰ぎ見ながら歩いていく。 しばらくすると草もなくなり、岩屑が混じった緩やかなトレイルをだらだらと1時間ほど登った小広い平坦地で休憩となる。 ここからはパリナコタとポメラタが肩を並べて良く俯瞰される。 その先も緩やかな登りがしばらく続いたが、山頂に向かって伸びる顕著な尾根に取り付く手前から勾配が増し、足取りが急に重たくなる。

   尾根の取り付き点にはケルンのように大小の岩が堆積し、良い目印となっていた。 尾根を見上げると、かなり上の大きな岩塔までずっとガレ場が続いているのが良く分かった。 その大きな岩塔の上がH.Cとなっているようだ。 この先はしばらくガレ場が続くので、ここで長い休憩となる。 思い出したかのように突然左の額にズキンと痛みが走り、少しナーバスになる。 ガレ場にはジグザグの小刻みなトレイルがつけられていたので意外と歩き易く、ゆっくり登っても効率良く標高を稼ぐことが出来た。 1時間も登らないうちに休むのにちょうど良い場所があり、ここでランチタイムとなる。 今日も“ポキート”だが、食欲は普通にあり、食べ物が美味しく感じられる。 果てしなく広がる麓の荒涼とした大地を眺めていると、意外にもコバルトブルーの水を湛えた小さな湖が二つ見えた。

   長いランチタイムの後、再びガレ場を小刻みにジグザグを切って登っていくが、頭上の大きな岩塔の基部までくるとトレイルには砂が混じり、また勾配も一段と増したため、非常に登りにくくなった。 岩塔を左から巻いて登る所では上から時々落石があり、ガイドに注意を喚起されながら登った。 間もなく頭上にテントが見えた。 少し着くのが早い気もするが、他にキャンプ地はないので、あそこがH.Cなのだろう。

   午後2時半に5700mのH.Cに到着。 痩せ尾根の末端の猫の額ほどの狭いスペースには私達のテント2張と、ガイドのテント、そして他の隊のテントが数張あるだけで一杯だった。 昨日のガイド達との取り決めでは私達のテントは3張(一つのテントに二人ずつ)ということであったが、テント場が狭いという理由で1張減らされてしまったようだ。 仕方なく私の妻と白井さんの女性陣のテントに私がお邪魔する形で3人となり、体の大きな平岡さん、宗宮さん、内田さんの3人がもう1張のテントに入ることになってしまった。 意外にもテント場は氷河の舌端ではなく、頭上に見える氷河の取り付きまで先ほどと同じような砂混じりの登りにくいガレ場が続いていた。 B.Cと同様にテントのファスナーを開けると容赦なく砂埃が中に入ってくる。 展望はすこぶる良いが、テントは傾いていて住環境はあまり良くない。 トイレをする適当な場所もなく、妻と白井さんは本当に可愛そうだ。

   夕方、平岡さんが久しぶりにパルスオキシメーターで血中酸素飽和度を計測してくれた。 高所に強い白井さんは80%台であったが、私は70%台しかなかった。 未だに順応していなかったのかとがっかりしたが、昨日からの偏頭痛がようやく治ったことが嬉しかった。 明日で登山も終わりなので、最後まで気を抜かず深呼吸を励行する。 明日のアタックのスケジュールは前回のイリマニとほぼ同じで、午前零時に起床し、朝食を自炊して食べて1時半頃に出発ということであり、今日の夕食と明日の朝食も、各自のテントでアルファー米とふりかけ、味噌汁を自炊して食べることとなった。 先ほどまでの決意とは裏腹に、夕食を食べると眠くなってきたので7時過ぎにシュラフに潜り込むと、11時頃まで熟睡してしまった。


朝陽が当たり始めたB.Cのテント場


B.Cを出発し、H.Cへ向かう


背の低い雑草が僅かばかりに生えている平らな砂地のトレイルを歩く


B.Cから1時間ほど登ると、パリナコタとポメラタが肩を並べて良く俯瞰されるようになる


山頂に向かって伸びる顕著な尾根に取り付く手前までは勾配の緩やかなトレイルが続く


尾根の取り付き点にはケルンのように大小の岩が堆積し、良い目印となっていた


果てしなく広がる麓の荒涼とした大地を眺めながらのランチタイム


大きな岩塔の基部からはトレイルに砂が混じり、勾配も一段と増したため、非常に登りにくくなった


時々落石のある大きな岩塔を左から巻いて登ると、間もなく頭上にテントが見えた


猫の額ほどの狭いH.Cは、あまり良い住環境ではなかった


H.Cからの風景


H.Cは氷河の舌端ではなく、頭上に見える氷河の取り付きまで登りにくそうなガレ場が続いていた


   日付が変わって19日となった。 すでに零時前から半身起き上がり、昨夜のうちにお湯を入れて作っておいたアルファー米をお茶漬けにして食べる。 妻も体調は悪くなさそうで安堵する。 白井さんは全く問題なさそうで、テキパキと準備を進めている。 ワイナポトシへ入山する日に突然襲ってきた下痢の悪い記憶が今日までずっとつきまとっていたが、ようやく最後の最後で体が本調子になってきた。 今のところ心配していた風もなく、このまま天気が安定すれば本当に3週間で三つの6000m峰、そしてボリビアの最高峰の頂に辿り着くことも夢ではなさそうだ。

   予定どおり1時半過ぎにH.Cを出発。 ロッキーを先頭に、氷河の取り付きまでは各々のペースで昨日の続きの砂混じりの登りにくいガレ場を登る。 ただでさえ登りにくいガレ場のトレイルは暗いと余計に負荷がかかる。 後ろを振り返ると妻も遅れ気味で、隊列もバラバラになっている。 30分ほど喘ぎ喘ぎ登り、100mほどの標高を稼いでようやく氷河の取り付きに着いた。 休憩する間もなく早速アイゼンを着ける。 ガレ場でのボディーブローが堪えたのか、意外にも突然妻が体の不調を訴え、登頂を諦めて下山したいと平岡さんに申し出た。 昨夜からつい先ほどの出発時点まではそれなりに元気に見えたので安心していたが、何せ高所なので色々な要因があったのだろう。 前回のイリマニのこともあり、少しここで休めば体調が回復するのではないかと諭したが、本人の意思は固く、平岡さんも前回のことがあるので逆に下山を勧める結果になってしまった。 妻のことは心配だったが、エロイが付き添ってH.Cに戻ることになったので、一緒に下山することなく私だけ頂を目指すことにした。 平岡さんの指示で私は宗宮さんと2人でロッキーとアンザイレンし、内田さんがラミーロと、そして白井さんが平岡さんとそれぞれマンツーマンで行くことになった。

   妻の見送りを受けてロッキーを先頭に私、宗宮さんと続いて氷河の舌端である雪の斜面に取り付く。 右方向に斜上していくものの勾配は急で決して楽な登りではない。 ワイナポトシやイリマニとは明らかに違う雰囲気がする。 この山のヨーロピアングレード(難易度)は一般ルートでもAD+(ワイナポトシはF+、イリマニはPD)であるのも頷ける。 意外にも雪の斜面はすぐに終わり、岩場となった。 大したことはなさそうであるが、暗くて先が見通せないので少し緊張する。 ロッキーが「ロッククライミング!」と珍しく英語で叫び、所々で先行しては私達を上から確保してくれた。 こういう場面では相応しくないアルミのアイゼンが悲鳴を上げる。 幸いにも岩場は3級程度で難しくなく、間もなく休憩するにはちょうど良い平らな広場に着いた。

   宗宮さんが用便をロッキーに申し出ると、全く問題ないということで、図らずも15分もの間そこで休憩することとなった。 その間に後続の内田さんもラミーロと共に登ってきたが、白井さんは岩場で苦戦されているのか、まだ現われなかった。 外国人のパーティー(スペイン隊)も1組登ってきた。 ガイド同志がなにやら込み入った話をしている。 ここから先のルートのことであろうか?。 スペイン隊もそこで休憩することになり、再び私達のパーティーが先行することとなった。

   右手には月明かりで雪の斜面が見えているのに何故かロッキーはそこに取り付こうとせず、岩場から今度は先ほどと同じようなガレ場をアイゼンを着けたまま登っていった。 昨日下山してきた外国隊から、クレバスの状態が悪く登頂出来なかったという情報があったので、それを迂回しているのであろうか?。 いずれにしてもこの高さで再びガレ場を登ることになるとは思わなかった。 時々ロッキーは立ち止まって雪の斜面に取り付く機会(場所)を模索していたが、先ほどの広場から30分ほど登ったところでようやく再び雪の斜面に取り付いた。 しかしながらそれは普通の雪ではなく、アンデス特有の乾燥した空気と強い陽射しによって作り出されるペニテンテス(氷の尖塔)だった。 ペニテンテスはアコンカグアでは良く見られたが、目の前のものは背丈こそ低いものの密集度が高く、それが段々畑のように一面に広がっていた。 昨日までの先行者が通った跡が微かに見られるが、気温が低く氷がコチコチに凍っているのでとても登りにくい。 ロッキーはこの山(ルート)は何度も経験があるのか、時々右往左往するもの、バイルで邪魔な氷塔を叩き落とし、登り易そうな所を巧みに見つけて私達を導いてくれる。 しかしながら単純な雪面の登高に比べて負荷がかかるばかりか、標高がなかなか稼げない。 後ろの宗宮さんもさすがに少し疲れてきた様子だったが、不思議にも私の体調は登るにつれてますます快調となり、日本の山と同じくらいのペースで登れるようになった。 宗宮さんとのザイルは緩むことはなく、セカンドの私が引っ張るようにさえなった。 体のコンディションは良くてもルートのコンディションが悪くて山頂に辿り着けないのではないかという不安な気持ちが頭をよぎる。 下を見ると後続の隊のヘッドランプの灯りはどんどん離れていく。

   夜が明けてきた。 短時間で通過出来ると思われたペニテンテス帯はまだ終わる気配はない。 このまま山頂まで続いているのだろうか?。 ペニテンテスの背丈が大分低くなってきた所で意外にもロッキーが用便をしたいということで、我慢していた私もお付き合いすることになり、15分ほどの長い休憩となった。 空の色は水色から次第に青へと変わりつつあり、今日も快晴の天気が約束されたが、少しでも早く山頂に辿り着きたいという思いが募り、休憩後も宗宮さんをどんどん引っ張る。

   傾斜が一段と緩くなった所でようやくペニテンテス帯は終わり、普通の雪の斜面となった。 勾配の緩急もペニテンテスの生成に関係があるのだろうか?。 ありがたいことに風は全く無く、暖かな太陽の光が体全身に当たり始め、アンデスの山の神に歓迎されたようだ。 視界には青空の占める割合が多くなり、山頂が近いことを教えてくれた。 ロッキーを呼び止め、今見えている所が山頂かと訊ねてみると、頷きながらあと僅かで着くという答えが返ってきたので、ようやく登頂を確信した。 指呼の間となった山頂まであと30分もかからないだろう。 はやる気持ちをぐっと抑えるのに苦労するが、高所では何が起こっても不思議ではないので、ギアを一段落としてゆっくり登る。 ロッキーもそれを察して全く急ぐ素振りもなく私達のペースに合わせてくれる。 じわじわと目頭が熱くなってくるのを感じたが、先日のイリマニの時とは全く違う爽やかな気分である。 次第に勾配が緩くなる丘のような雪の斜面を10分、20分と登るが、何故か山頂にはなかなか着かず、やきもきする。 ペースを落としたにもかかわらず、足が鉛のように重たくなってきた。 先ほどまでのオーバーペースがここにきて響いてきたようだ。

   緩い傾斜が更に緩み、ついにモラレス大統領がサッカーをしたという逸話のある広い山頂の一角に辿り着いた。 眼前にはおよそ山頂とは思えないほどの広大な雪原が広がっていた。 はたして山頂の標識や目印といったものはあるのだろうか?。 ロッキーはまだ歩みを止めず、“雪原”をさらに奥に進んでいく。 右手にはいつの間にか眼下となっていたパリナコタとポメラタの頂稜部が見えた。

   突然ロッキーが地面にピッケルを突き刺し、後ろを振り返った。 何も標識はないが、ここが山頂ということだろう。 すでに涙はイリマニで枯れ果てていたので今日はその出番はない。 爽やかな、そして嬉しさだけの頂だ。 イリマニよりもさらに深みを増した群青色の空がそこにあった。 高地のボリビアで一番高い所にいるのだから当然だろう。 ロッキーと固い握手を交わし、宗宮さんと肩を叩き合ってお互いの登頂を称え合う。 単にサハマの頂に辿り着いたということだけではなく、チャカルタヤから始まったボリビアの山旅の集大成がここで完結したという感じであった。 出発前は3週間で6000m峰を三つも登れるとは正直思っていなかったので、これ以上何も望むことはないが、唯一相棒の妻が傍らにいないことが残念だった。 ザックを下ろすことも忘れ夢中で周囲の写真を撮るが、パリナコタとポメラタの他は近くに山がないので、殆ど山頂の広い雪原が絵になってしまうのが玉にキズだ。 ロッキーはイリマニが見えると言ったが、目の悪い私には見えなかった。 少し興奮が冷めてきたところで、皆で記念写真を撮り合う。 時刻は8時半だった。 間もなく後続のパーティーの姿が見えてきたが、内田さんや白井さんではなく、スペイン隊だった。

   快晴無風の山頂で30分ほど登頂の余韻に浸り、二度と訪れることは叶わない孤高の頂に別れを告げて下山にかかる。 間もなく平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違った。 白井さんの余裕の表情と堅実な足の運びは健在で、登頂は間違いないと思われ安堵したが、内田さんは残念ながら途中で引き返されたとのことだった。 白井さんを激励して見送り、途中からは登りとは違うルートで下る。 こちらの方が断然ペニテンテスが少なくて快適だ。 このままずっとH.Cの方向に下っていけるのかと思ったが、しばらくすると後ろから追い着いてきたスペイン隊に従って再びペニテンテス帯に突入した。 登りほどではないが、下りもやっかいで時間がかかる。 間もなく登った時のルートと合流したようで、新しいアイゼンの爪跡が見られた。 眼下に岩場が見えてくると、下から単独で登ってくる人影が見え、間もなくそれがラミーロであることが分かった。 恐らくロッキーが白井さん達の下山をアシストするように無線でラミーロを呼んだのであろう。 間もなく頭上に白井さん達の姿も小さく見えてきた。 登りに通ったガレ場は通らず、ペニテンテス帯をそのまま岩場まで下る。 岩場の手前でラミーロとすれ違う。 アイゼンは邪魔だが、明るければ何でもない岩場を通過し、最後の急な雪面を取り付きに向かって下る。 取り付きで休憩していたスペイン隊に追い着き、サミッター全員でお互いの労をねぎらう。

   取り付きでザイルが解かれると、休むことなくロッキーと宗宮さんを残して一足先に妻の待つH.Cへと下る。 途中で何度もストックを振り回して無事を伝えるが、果たして妻は元気なのだろうか?。 足元のガレ場の急斜面は本当に状態が悪く、気を抜くとすぐに尻もちをつく羽目になる。 テントの傍らに妻の姿が見えたので、こちらもようやく安堵した。 未明から首を長くして待っていてくれた妻に出迎えられ、12時半にH.Cに到着した。 開口一番控えめに妻に登頂の成功を報告すると、内田さんのみならずスペイン隊のメンバーも何人か途中で引き返してきたようで、私達の登頂の成否は全く予想がつかなかったようだ。

   毎度のことであるが、登頂後は気持ちが昂ぶり、ろくに食べていなかったので、行動食の残りを頬張りながら下山の準備をする。 1時間後に白井さんと平岡さんも笑顔で凱旋され、あらためて登頂を称え合った。 間もなく助っ人のポーター達が麓から登ってきてくれ、私達と一緒にB.Cへと下る。 大きな岩塔の基部の砂混じりのガレ場を落石に注意しながら走るように下り、大小の岩が堆積した尾根の取り付き点まで休まずに下る。 ここからはトレイルも良く踏まれておりB.Cも見えるので、皆それぞれのペースでバラバラに下る。 体は相当疲れているはずだが、登頂で気持ちが昂ぶっているせいか、それとも気圧がどんどん上がっていくためか、B.Cへの足取りは軽い。 夕方の4時半に今日の宿泊地となるB.Cに着いた。

   今日も先行してくれたポーター達によりテントが設営されていたが、B.Cのテントの数は私達のものを含めて7〜8張りであり、一昨日と変わることはなかった。 一国の最高峰であるが、やはり登山者の数は今回の三山の中で一番少なそうだ。 たまたま今回は風も無く好天に恵まれたが、この山の登りにくさを考えると登頂者もそれほど多くないことを実感した。 B.Cからはそのサハマが圧倒的な迫力で望まれたが、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ。 テントの中で寝転びながら、妻に今日の登頂の過程を一つ一つ思い出しながら熱く語る。

  夕食は麓からの食材の調達が出来なかったのか、行動中のランチと同じようなシンプルな料理をガイド達が各人のテントに差し入れてくれただけで、皆との一緒の打ち上げの宴は明日以降に持ち越しとなった。


快晴無風の天気に恵まれたサハマの山頂


宗宮さんとお互いの登頂を喜ぶ


ガイドのロッキー


山頂は広大な雪原となっていた


後続のスペイン隊が山頂に着く


山頂直下から見たパリナコタ(左)とポメラタ(右)


山頂直下で平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違う


白井さんを激励して見送る


上部のペニテンテス帯


中間部のペニテンテス帯


ペニテンテス帯から見たH.C(左)とB.C(右下)


岩場を経て氷河の取り付きに下る


氷河の取り付きから登攀ルートを振り返る


氷河の取り付きで休むことなくガレ場をH.Cに下る


H.Cに凱旋する白井さんと平岡さん


H.Cから砂混じりのガレ場を尾根の取り付き点まで休まずに下る


尾根の取り付き点からは皆それぞれのペースでB.Cへ下る


登頂で気持ちが昂ぶっていたせいか、B.Cへの足取りは軽かった


B.Cからはサハマが圧倒的な迫力で望まれ、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ


   8月20日、入山以来の快晴の天気は今日も続いた。 天気もさることながら、目標としていた三山の全てに登れ、何とも言えない清々しい気分である。 眼前に鎮座している朝焼けのサハマは、登頂してもなおその迫力は変わることなく、ボリビアの最高峰としての威厳に満ちていた。 天気に恵まれ予備日を使わなかったことと、昨日順調にB.Cまで下ってこれたことで、今日一日の行動は麓のサハマ村までとなった。 僅か数時間で着いてしまうサハマ村には観光する所が何もないので、平岡さんがサハマから下山したら是非行きたいと出発前から提案していた源泉掛け流しの露天風呂に行くことになったが、果たして砂漠の中の露天風呂とはどんな感じの所なのだろうか?。

   砂漠化しつつある冬枯れの牧草地を何度も後ろを振り返りながらサハマの雄姿を写真に収め、サハマ村へと下る。 登山活動の全てが終わったという独特の解放感、もう完全に高所に順応した体、そして目標を全て達成したことへの満足感で足取りは軽い。 3年前のエクアドルでは、目標にしていたコトパクシとチンボラソの両山とも大雪のため登れなかったが、今回はそれを差し引いてもお釣りがくるくらいだ。 所々でビクーニャが飛び跳ねている姿が見える。 沢状となっている地形が終わるとパリナコタとポメラタが並んで見え始め、間もなくトレイルの唯一の目印である石の車止めのある登山口に着いた。 しばらくここで休憩した後、サハマ村への車道を左に見送り、殆ど起伏がなくなった潅木の茂みの中を通って目的の露天風呂を目指す。 潅木帯を抜けると再び砂漠化しつつある冬枯れの牧草地となり、周囲には家畜の羊やリャマが草を食んでいる姿が見られた。 突然、オアシスのような清々しい小川が目の前に現れ、その傍らには平らな絶好のキャンプサイトがあった。 ここを今日のキャンプ地としてテントを設営し始めたところ、先行していたガイドからの情報で、露天風呂のすぐ脇に宿泊施設があることが分かり、急遽テントを撤収して少し離れた所にある露天風呂へと向かう。 地表の所々に白い塩の塊が見られるようになったが、温泉とは何か関係があるのだろうか?。

   遠目にはただの牛小屋のように見えた平屋のこぢんまりとした建物は真新しいロッジであり、目の前には人の手が加えられていない、まるで池のような露天風呂があった。 ガイドが値段の交渉をすると、とても安く泊まれることがわかり、また予約も全く入っていなかったので、図らずも私達だけで貸切りとなった。 サハマやパリナコタが遮るものなく見えるロッジは素晴らしいロケーションを誇り、露天風呂の脇にはまだロッジが無かった頃の古い石造りの簡素な脱衣所もあった。 早速ガイド達が厨房で腕を奮い、ランチにはこの村で一番の御馳走であるリャマのステーキが出たが、意外にも肉は柔らかく、とても美味しかった。

   昼食後はパンツ一枚になり、次々と野趣溢れる露天風呂に突入する。 温泉も私達だけで貸切りだったが、あいにく混浴だったので、水着がない白井さんと妻は可愛そうに足湯だけになってしまった。 鉄条網で周りを囲まれた源泉からは熱い温泉がこんこんと湧き出し、源泉に近い“上流” の方は川のような細長い形で温度が高く、まるで池のような“下流”の方は当然のことながら温度が低かった。 外気温は5度くらいしかないが、露天風呂の中は天国のような居心地だ。 今までに経験したことのない開放感溢れる露天風呂の雰囲気に、泳いだり写真を撮り合ったりして、私達もガイド達も皆で大はしゃぎだ。 湯加減がちょうど良いので何時間でも入っていられる。 こんなユニークな温泉が標高4200mの砂漠地帯の中にあるのが本当に不思議だ。 意外にも1時間ほどすると、近くでトレッキングをしていたというフランス人のグループが露天風呂に入りにやってきたのを皮切りに、他の外国人のグループもやってきて、ロッジで許可を貰ったのか、脱衣所の脇にテントを設営していた。 雑誌の取材のような人達も訪れ、一時は温泉も賑やかになったが、夕方近くになると再び静寂を取り戻したので、ガイド達が広い湯舟でテントを洗い始めた。

   夕食は再びリャマの肉が中心であったが、登山が終わったのでようやく自主解禁となったワインとビールで祝杯を重ね、貸切となった居心地の良い食堂で図らずも最高の打ち上げとなった。 夕食後は再び星空を肴に皆で露天風呂に浸かる。 空気が澄んでいるので素晴らしい星空だ。 目を凝らせばうっすらとサハマのシルエットが浮かんでいる。 日本人の温泉好きにはさすがのガイド達も呆れていたが、彼らも長期間の仕事が終わった解放感からか、間もなく私達のあとから入ってきて大いに盛り上がっていた。 当初温泉には全く期待していなかったが、もしこの露天風呂が無かったら、ボリビアの山旅の想い出も半減してしまうところだった。

   ブランカ山群の山々に憧れペルーの山に思いを馳せた私が、今回のボリビアの山旅で最後に辿り着いたのが、この別天地の『サハマの湯』だった。 波乱万丈の3週間だったが、この素晴らしいボリビアの山旅の企画をし、その頂に導いてくれたガイドの平岡さんには感謝の気持ちで一杯である。 また、自分の好みには合わない辺境の地に付き合ってくれた妻と、このツアーに参加された白井さん、鈴木さん、宗宮さん、内田さん、中村さんそして友人の伊丹さんにもあらためて御礼を申し上げたい。 ブランカ山群のみならず、南米各国の名峰を訪ね歩きたいという思いはますます募るばかりだ。


早朝のB.C


B.Cを出発し、麓のサハマ村へ下山する


登山活動の全てが終わったという独特の解放感と満足感に満たされる


何度も後ろを振り返りながらサハマの雄姿を写真に収める


サハマ村への車道を左に見送りしばらく進むと、露天風呂の看板があった


冬枯れの牧草地には家畜の羊やリャマが草を食んでいる姿がそこら中に見られた


突然、オアシスのような清々しい小川が目の前に出現した


遠目には牛小屋のように見えた平屋の建物は真新しいロッジだった


人の手が加えられていない、まるで池のような露天風呂


ロッジが無かった頃の古い石造りの脱衣所


山中での粗食から一変し、村で一番の御馳走であるリャマのステーキを堪能する


野趣溢れる貸切りの露天風呂の中は天国のような居心地だ


今までに経験したことのない開放感溢れる露天風呂『サハマの湯』


湯加減がちょうど良いので何時間でも入っていられる


ガイド達と写真を撮り合い皆で大はしゃぎする


露天風呂は混浴だったので、水着がない白井さんと妻は足湯だけになってしまった


毎日同じように見られる夕焼けのサハマ


想い出のサハマ村を後にする


ラ・パスでの最後の打ち上げ


山 日 記    ・    T O P