サハマ(6542m)

  日付が変わって19日となった。 すでに零時前から半身起き上がり、昨夜のうちにお湯を入れて作っておいたアルファー米をお茶漬けにして食べる。 妻も体調は悪くなさそうで安堵する。 白井さんは全く問題なさそうで、テキパキと準備を進めている。 ワイナポトシへ入山する日に突然襲ってきた下痢の悪い記憶が今日までずっとつきまとっていたが、ようやく最後の最後で体が本調子になってきた。 今のところ心配していた風もなく、このまま天気が安定すれば本当に3週間で三つの6000m峰、そしてボリビアの最高峰の頂に辿り着くことも夢ではなさそうだ。

  予定どおり1時半過ぎにH.Cを出発。 ロッキーを先頭に、氷河の取り付きまでは各々のペースで昨日の続きの砂混じりの登りにくいガレ場を登る。 ただでさえ登りにくいガレ場のトレイルは暗いと余計に負荷がかかる。 後ろを振り返ると妻も遅れ気味で、隊列もバラバラになっている。 30分ほど喘ぎ喘ぎ登り、100mほどの標高を稼いでようやく氷河の取り付きに着いた。 休憩する間もなく早速アイゼンを着ける。 ガレ場でのボディーブローが堪えたのか、意外にも突然妻が体の不調を訴え、登頂を諦めて下山したいと平岡さんに申し出た。 昨夜からつい先ほどの出発時点まではそれなりに元気に見えたので安心していたが、何せ高所なので色々な要因があったのだろう。 前回のイリマニのこともあり、少しここで休めば体調が回復するのではないかと諭したが、本人の意思は固く、平岡さんも前回のことがあるので逆に下山を勧める結果になってしまった。 妻のことは心配だったが、エロイが付き添ってH.Cに戻ることになったので、一緒に下山することなく私だけ頂を目指すことにした。 平岡さんの指示で私は宗宮さんと2人でロッキーとアンザイレンし、内田さんがラミーロと、そして白井さんが平岡さんとそれぞれマンツーマンで行くことになった。

  妻の見送りを受けてロッキーを先頭に私、宗宮さんと続いて氷河の舌端である雪の斜面に取り付く。 右方向に斜上していくものの勾配は急で決して楽な登りではない。 ワイナポトシやイリマニとは明らかに違う雰囲気がする。 この山のヨーロピアングレード(難易度)は一般ルートでもAD+(ワイナポトシはF+、イリマニはPD)であるのも頷ける。 意外にも雪の斜面はすぐに終わり、岩場となった。 大したことはなさそうであるが、暗くて先が見通せないので少し緊張する。 ロッキーが「ロッククライミング!」と珍しく英語で叫び、所々で先行しては私達を上から確保してくれた。 こういう場面では相応しくないアルミのアイゼンが悲鳴を上げる。 幸いにも岩場は3級程度で難しくなく、間もなく休憩するにはちょうど良い平らな広場に着いた。

  宗宮さんが用便をロッキーに申し出ると、全く問題ないということで、図らずも15分もの間そこで休憩することとなった。 その間に後続の内田さんもラミーロと共に登ってきたが、白井さんは岩場で苦戦されているのか、まだ現われなかった。 外国人のパーティー(スペイン隊)も1組登ってきた。 ガイド同志がなにやら込み入った話をしている。 ここから先のルートのことであろうか?。 スペイン隊もそこで休憩することになり、再び私達のパーティーが先行することとなった。

  右手には月明かりで雪の斜面が見えているのに何故かロッキーはそこに取り付こうとせず、岩場から今度は先ほどと同じようなガレ場をアイゼンを着けたまま登っていった。 昨日下山してきた外国隊から、クレバスの状態が悪く登頂出来なかったという情報があったので、それを迂回しているのであろうか?。 いずれにしてもこの高さで再びガレ場を登ることになるとは思わなかった。 時々ロッキーは立ち止まって雪の斜面に取り付く機会(場所)を模索していたが、先ほどの広場から30分ほど登ったところでようやく再び雪の斜面に取り付いた。 しかしながらそれは普通の雪ではなく、アンデス特有の乾燥した空気と強い陽射しによって作り出されるペニテンテス(氷の尖塔)だった。 ペニテンテスはアコンカグアでは良く見られたが、目の前のものは背丈こそ低いものの密集度が高く、それが段々畑のように一面に広がっていた。 昨日までの先行者が通った跡が微かに見られるが、気温が低く氷がコチコチに凍っているのでとても登りにくい。 ロッキーはこの山(ルート)は何度も経験があるのか、時々右往左往するもの、バイルで邪魔な氷塔を叩き落とし、登り易そうな所を巧みに見つけて私達を導いてくれる。 しかしながら単純な雪面の登高に比べて負荷がかかるばかりか、標高がなかなか稼げない。 後ろの宗宮さんもさすがに少し疲れてきた様子だったが、不思議にも私の体調は登るにつれてますます快調となり、日本の山と同じくらいのペースで登れるようになった。 宗宮さんとのザイルは緩むことはなく、セカンドの私が引っ張るようにさえなった。 体のコンディションは良くてもルートのコンディションが悪くて山頂に辿り着けないのではないかという不安な気持ちが頭をよぎる。 下を見ると後続の隊のヘッドランプの灯りはどんどん離れていく。

  夜が明けてきた。 短時間で通過出来ると思われたペニテンテス帯はまだ終わる気配はない。 このまま山頂まで続いているのだろうか?。 ペニテンテスの背丈が大分低くなってきた所で意外にもロッキーが用便をしたいということで、我慢していた私もお付き合いすることになり、15分ほどの長い休憩となった。 空の色は水色から次第に青へと変わりつつあり、今日も快晴の天気が約束されたが、少しでも早く山頂に辿り着きたいという思いが募り、休憩後も宗宮さんをどんどん引っ張る。

  傾斜が一段と緩くなった所でようやくペニテンテス帯は終わり、普通の雪の斜面となった。 勾配の緩急もペニテンテスの生成に関係があるのだろうか?。 ありがたいことに風は全く無く、暖かな太陽の光が体全身に当たり始め、アンデスの山の神に歓迎されたようだ。 視界には青空の占める割合が多くなり、山頂が近いことを教えてくれた。 ロッキーを呼び止め、今見えている所が山頂かと訊ねてみると、頷きながらあと僅かで着くという答えが返ってきたので、ようやく登頂を確信した。 指呼の間となった山頂まであと30分もかからないだろう。 はやる気持ちをぐっと抑えるのに苦労するが、高所では何が起こっても不思議ではないので、ギアを一段落としてゆっくり登る。 ロッキーもそれを察して全く急ぐ素振りもなく私達のペースに合わせてくれる。 じわじわと目頭が熱くなってくるのを感じたが、先日のイリマニの時とは全く違う爽やかな気分である。 次第に勾配が緩くなる丘のような雪の斜面を10分、20分と登るが、何故か山頂にはなかなか着かず、やきもきする。 ペースを落としたにもかかわらず、足が鉛のように重たくなってきた。 先ほどまでのオーバーペースがここにきて響いてきたようだ。

  緩い傾斜が更に緩み、ついにモラレス大統領がサッカーをしたという逸話のある広い山頂の一角に辿り着いた。 眼前にはおよそ山頂とは思えないほどの広大な雪原が広がっていた。 はたして山頂の標識や目印といったものはあるのだろうか?。 ロッキーはまだ歩みを止めず、“雪原”をさらに奥に進んでいく。 右手にはいつの間にか眼下となっていたパリナコタとポメラタの頂稜部が見えた。

  突然ロッキーが地面にピッケルを突き刺し、後ろを振り返った。 何も標識はないが、ここが山頂ということだろう。 すでに涙はイリマニで枯れ果てていたので今日はその出番はない。 爽やかな、そして嬉しさだけの頂だ。 イリマニよりもさらに深みを増した群青色の空がそこにあった。 高地のボリビアで一番高い所にいるのだから当然だろう。 ロッキーと固い握手を交わし、宗宮さんと肩を叩き合ってお互いの登頂を称え合う。 単にサハマの頂に辿り着いたということだけではなく、チャカルタヤから始まったボリビアの山旅の集大成がここで完結したという感じであった。 出発前は3週間で6000m峰を三つも登れるとは正直思っていなかったので、これ以上何も望むことはないが、唯一相棒の妻が傍らにいないことが残念だった。 ザックを下ろすことも忘れ夢中で周囲の写真を撮るが、パリナコタとポメラタの他は近くに山がないので、殆ど山頂の広い雪原が絵になってしまうのが玉にキズだ。 ロッキーはイリマニが見えると言ったが、目の悪い私には見えなかった。 少し興奮が冷めてきたところで、皆で記念写真を撮り合う。 時刻は8時半だった。 間もなく後続のパーティーの姿が見えてきたが、内田さんや白井さんではなく、スペイン隊だった。

  快晴無風の山頂で30分ほど登頂の余韻に浸り、二度と訪れることは叶わない孤高の頂に別れを告げて下山にかかる。 間もなく平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違った。 白井さんの余裕の表情と堅実な足の運びは健在で、登頂は間違いないと思われ安堵したが、内田さんは残念ながら途中で引き返されたとのことだった。 白井さんを激励して見送り、途中からは登りとは違うルートで下る。 こちらの方が断然ペニテンテスが少なくて快適だ。 このままずっとH.Cの方向に下っていけるのかと思ったが、しばらくすると後ろから追い着いてきたスペイン隊に従って再びペニテンテス帯に突入した。 登りほどではないが、下りもやっかいで時間がかかる。 間もなく登った時のルートと合流したようで、新しいアイゼンの爪跡が見られた。 眼下に岩場が見えてくると、下から単独で登ってくる人影が見え、間もなくそれがラミーロであることが分かった。 恐らくロッキーが白井さん達の下山をアシストするように無線でラミーロを呼んだのであろう。 間もなく頭上に白井さん達の姿も小さく見えてきた。 登りに通ったガレ場は通らず、ペニテンテス帯をそのまま岩場まで下る。 岩場の手前でラミーロとすれ違う。 アイゼンは邪魔だが、明るければ何でもない岩場を通過し、最後の急な雪面を取り付きに向かって下る。 取り付きで休憩していたスペイン隊に追い着き、サミッター全員でお互いの労をねぎらう。

  取り付きでザイルが解かれると、休むことなくロッキーと宗宮さんを残して一足先に妻の待つH.Cへと下る。 途中で何度もストックを振り回して無事を伝えるが、果たして妻は元気なのだろうか?。 足元のガレ場の急斜面は本当に状態が悪く、気を抜くとすぐに尻もちをつく羽目になる。 テントの傍らに妻の姿が見えたので、こちらもようやく安堵した。 未明から首を長くして待っていてくれた妻に出迎えられ、12時半にH.Cに到着した。 開口一番控えめに妻に登頂の成功を報告すると、内田さんのみならずスペイン隊のメンバーも何人か途中で引き返してきたようで、私達の登頂の成否は全く予想がつかなかったようだ。

  毎度のことであるが、登頂後は気持ちが昂ぶり、ろくに食べていなかったので、行動食の残りを頬張りながら下山の準備をする。 1時間後に白井さんと平岡さんも笑顔で凱旋され、あらためて登頂を称え合った。 間もなく助っ人のポーター達が麓から登ってきてくれ、私達と一緒にB.Cへと下る。 大きな岩塔の基部の砂混じりのガレ場を落石に注意しながら走るように下り、大小の岩が堆積した尾根の取り付き点まで休まずに下る。 ここからはトレイルも良く踏まれておりB.Cも見えるので、皆それぞれのペースでバラバラに下る。 体は相当疲れているはずだが、登頂で気持ちが昂ぶっているせいか、それとも気圧がどんどん上がっていくためか、B.Cへの足取りは軽い。 夕方の4時半に今日の宿泊地となるB.Cに着いた。

  今日も先行してくれたポーター達によりテントが設営されていたが、B.Cのテントの数は私達のものを含めて7〜8張りであり、一昨日と変わることはなかった。 一国の最高峰であるが、やはり登山者の数は今回の三山の中で一番少なそうだ。 たまたま今回は風も無く好天に恵まれたが、この山の登りにくさを考えると登頂者もそれほど多くないことを実感した。 B.Cからはそのサハマが圧倒的な迫力で望まれたが、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ。 テントの中で寝転びながら、妻に今日の登頂の過程を一つ一つ思い出しながら熱く語る。

  夕食は麓からの食材の調達が出来なかったのか、行動中のランチと同じようなシンプルな料理をガイド達が各人のテントに差し入れてくれただけで、皆との一緒の打ち上げの宴は明日以降に持ち越しとなった。


快晴無風の天気に恵まれたサハマの山頂


宗宮さんとお互いの登頂を喜ぶ


ガイドのロッキー


山頂は広大な雪原となっていた


後続のスペイン隊が山頂に着く


山頂直下から見たパリナコタ(左)とポメラタ(右)


山頂直下で平岡さんと白井さんのパーティーとすれ違う


白井さんを激励して見送る


上部のペニテンテス帯


中間部のペニテンテス帯


ペニテンテス帯から見たH.C(左)とB.C(右下)


岩場を経て氷河の取り付きに下る


氷河の取り付きから登攀ルートを振り返る


氷河の取り付きで休むことなくガレ場をH.Cに下る


H.Cに凱旋する白井さんと平岡さん


H.Cから砂混じりのガレ場を尾根の取り付き点まで休まずに下る


尾根の取り付き点からは皆それぞれのペースでB.Cへ下る


登頂で気持ちが昂ぶっていたせいか、B.Cへの足取りは軽かった


B.Cからはサハマが圧倒的な迫力で望まれ、僅か数時間前にその頂にいたことが嘘のようだ


写  真    ・    南アメリカ    ・    想い出の山    ・    T O P