イリマニ(6438m)

   8月9日、当初の予定では今日はラ・パスでの休養日だったが、現行のモラレス大統領の信任を問う国民投票が明日行われるため、ラ・パスの市内を車で通行できない恐れがあるとのことで、急遽お昼過ぎにラ・パスを出発することになった。 5泊6日の日程となるイリマニ登山の準備を慌しく行う。 正午にガイド達がホテルに迎えに来たが、ロベルトとアントニオに代わって若いイリネロというガイドが新たに参加することとなった。 一方、内田さんは次のサハマ登山までの間ラ・パスでゆっくり休養したいとのことで、今回のイリマニ登山には参加しないことになり、メンバーは私を含めて6人となった。

   すり鉢の底のラ・パスの町の中心からイリマニの聳える東の方向に坂道を登っていくが、こちらの方が中心部よりもあか抜けていて、大型のスーパーマーケットや洒落たレストランなどが随所に見られた。 町並みが新しく綺麗になると、付近を走行している車も高級車や新車が多く見られて面白かった。 昼食はファーストフード店でハンバーガーを買って車内で食べたが、ガイド達はハンバーガーが高いのか、それとも口に合わないのか、町外れの街道脇にある露店で地元の料理を食べていた。

   ラ・パスの町から外れて道路が未舗装となると、国立公園の入口のゲートがあった。 『イリマニまで42km』という標識があり、意外にも一つ目の集落までは石畳の道となった。 間もなく奇妙な柱状節理の巨大な屏風状の岩壁が道の脇に見えたので、車を停めてもらい皆で見物する。 日本なら間違いなく観光名所になるだろうが、周囲を見渡すと他にも似たような岩壁が沢山見られ、この辺りでは珍しくないものであることが分かった。 私達とガイド達の総勢12人と登山用具を屋根に満載したワゴン車は、路肩の弱い九十九折の山道を苦しそうに登っていく。 運転手は慣れたものだが、ぬかるみの手前では皆で車を降りる。 途中何箇所かイリマニが良い角度で見えるビューポイントがあると、その都度運転手に声をかけて車を停めてもらい皆で写真を撮る。 登る前から目標の山を充分観賞することが出来てとても嬉しい。 ラ・パスの町からはイリマニが近くに見えたが、九十九折の悪路に加え、やっとのことで峠を越えたかと思うと遥か眼下に見える小さな集落まで下り、また次の峠に登り返すということを何度も繰り返すため、なかなか目的地のピナヤ村に着かない。 意外にも途中のタハカという小さな集落には立派な病院があり、皆でトイレを借りて膝を伸ばす。

   夕方の6時過ぎにようやく山麓のピナヤ村(標高約3900m)に到着。 僅かばかりの家々が点在するだけの寒村で、道もここで終わっていた。 キャンプ地は村のサッカー場で、ガイド達がテントを設営している傍らで村の少年達が日没まで練習していた。 ここから見たイリマニは、北峰や南峰がそれぞれ独立した山のように見え、ラ・パスの町から見た山容とはまるで違う。 間もなくイリマニの白い峰々がピンク色に染まり、今日一番の景色を披露してくれた。 宿泊用のテントとは別に設営された食堂テントは、狭いながらも折りたたみ式の椅子に座って食事をすることが出来て快適だった。 夕食は蒸したパンと鶏肉、フライドポテト、炒めたライスと至ってシンプルだったが、食べ過ぎは禁物なのでちょうど良かった。 アルコールはないが、ヘッドランプの灯りの下でお茶やコーヒーを飲みながら話の花が咲き、野外ならではの楽しい雰囲気に包まれた。 今日から加わったガイドのイリネロが食堂テントに挨拶に来たので、拙い英語と知っている限りのスペイン語で会話のやりとりをする。 イリネロはラミーロと同じく、この村で生まれ育ったということだった。 外は満天の星空で、南十字星も良く見えた。 ワイナポトシは何かと慌しい登山だったが、今回は山にどっぷり浸かれそうだ。


国立公園の入口のゲート


奇妙な柱状節理の巨大な屏風状の岩壁


路肩の弱い九十九折の山道が続き、ぬかるみの手前では皆で車を降りる


イリマニが良い角度で見えるビューポイント


イリマニ


イリマニの隣に聳えるムルラタ(5869m)


いくつもの峠を越えてようやくイリマニが近づく


山麓のピナヤ村ではサッカー場がキャンプ地となった


   8月10日、日向と日陰では体感温度が全く違うので、キャンプ地に陽が当り始めるのを待ってから起床する。 今日も昨日に続き快晴の天気で、イリマニの銀嶺が朝陽に照らされて眩しいほど光り輝いている。 正に絶好の登山(アタック)日和で、ワイナポトシでの二日続きの悪天候が嘘のようだ。 風もなく陽射しが暖かいので、朝食は食堂テントではなくイリマニを眺めながらテントの外で優雅に食べる。 昨夜は良く眠れたので体調は良かったが、意外にも昨夜はとても元気だった伊丹さんがお腹の不調を訴えた。 ベテランの白井さんも珍しく本調子ではなさそうだ。 今日はここから標高差で500mほど上にあるB.Cの『プエンテ・ロト』まで登る予定になっていたが、食後のミーティングで平岡さんから、予備日はなくなるがここでもう一泊し、体調を整えてからB.Cに上がるという選択肢もあるという提案があり、皆にも意見を求めた。 今日の行程はハードではなさそうで、B.Cの環境もここと同じくらい良いとのことだったので、天気の良い時に少しでも前進した方が良いのではないかと提言した。 メンバーの意見を総合して最終的には平岡さんが決断し、予定どおりB.Cに行くことになった。

   10時半にキャンプ地を出発。 今日もポーター(ピナヤ村の住人)達に荷上げをしてもらう大名登山だ。 B.Cまでのトレイルは終始イリマニを正面に仰ぎ見ながらの緩やかな登りだ。 急ぐ必要は全くないし天気も安定しているので、おしゃべりをしながらのんびりと歩く。 傍らの潅木の茂みにはリャマの姿が時折見える。 すでにワイナポトシで高所に順応しているはずだったが、疲れが取れていないのか足取りは意外と重い。 1時間ほど歩くと潅木もなくなり、一面が黄金色をした冬枯れの牧草地となった。 間もなくポーター達が後ろから追いついてきたが、驚いたことにその中心は若い女性と子供達で、小学生くらいの男の子が荷物を背に乗せたロバを引いていた。 足元を見ると何と皆素足にサンダル履きで、村人達にとってこの荷上げ作業はまさに普段の野良仕事の延長のように思えた。

   キャンプ地から3時間ほどでB.Cのプエンテ・ロト(“壊れた橋”の意味)に到着。 すでに先行していたポーターとガイド達によってテントは設営されていたが、そこはまるで整備されたキャンプ場のようだった。 H.Cへ上がっている他の隊のデポ用も含めてテントが数張り見られたが、ワイナポトシのような賑わいは全くない。 昨日の車での長いアプローチもそうだが、この山の懐の深さを表すかのようにB.Cの背後には数haの平らな黄金色の牧草地が広がり、イリマニの氷河から溶け出した水が小川となって幾筋も流れ、B.Cはまるでオアシスのような場所だった。 イリマニの三つの白いピークが間近に迫り、登山ルートとなる南峰の尾根もはっきりと見える。 遠くワイナポトシも遠望され、ロケーションもB.Cとしては申し分なかった。

   早速皆で山を眺めながらランチタイムとする。 伊丹さんのお腹の調子も良くなったようで安堵した。 B.Cの標高は約4400mで、ここから目標の南峰の最高点までの標高差はまだ2000mあるが、南峰が一番丸みを帯びているので威圧感は感じない。 イリマニをバックにガイドのエロイ、ラミーロ、ロッキー、イリネロそしてコックのマリオとも肩を組んで写真を撮る。 個人用テントは昨日同様に妻と二人だけで使えるので広々として快適だった。 強烈な陽射しでテントの中は暑いが、風も適当にあるので苦痛なほどではない。 高所でなければ昼寝でも決め込みたいところだが、呼吸が浅くなるためなるべく寝ないように努める。 明日H.Cへ持っていく荷物とB.Cへデポする荷物の整理を終えてから周囲を散策する。 テント場から少し離れた所には牛や羊ではなくリャマや馬が沢山放牧されていた。

   夕方、昨日以上にイリマニの白い峰々がピンク色に染まり、感動を新たにする。 明日も良い天気になるに違いない。 食堂テントで今日もヘッドランプの灯りの下で夕食を食べ、お茶やコーヒーを飲みながら楽しく歓談する。 明日のH.Cでの夕食は各人のテントで自炊となるので今日が最後の晩餐だ。


朝食後のミーティング


ピナヤ村を全員で出発


キャンプ地からB.Cへ


キャンプ地からB.Cへ


キャンプ地からB.Cへ


ポーター(ピナヤ村の住人)達に荷上げをしてもらう


ポーター達の中心は村の若い女性だった


B.C付近は黄金色をした冬枯れの牧草地になっていた


B.Cのプエンテ・ロト


B.Cでのランチタイム


B.Cはまるでオアシスのような場所で、ロケーションも申し分なかった


ガイド達と写真を撮り合って親交を深める


夕焼けに染まるイリマニ南峰


   8月11日、今日も三日連続で快晴の天気となった。 これが本来の乾期の天気なのだろう。 9時過ぎにB.Cを出発。 今日はここから標高差で1000mほど上のH.Cの『ニード・デ・コンドル(“コンドルの巣”の意味)』(5400m)まで登る。 ありがたいことに今日も荷上げなしの大名登山だ。 昨日は一日中体調が良く、これで完全に高所に順応したかと思ったが、今日は朝から左の額の一部が“痛い”というよりも“熱い”という感じがしてとても気になる。 高所で体調を万全に維持し続けることは難しいとあらためて痛感した。

   B.Cの背後の平らな牧草地を横断して勾配のある山道に入ると、周囲は次第に土から岩へと変わっていった。 幾重にも重なる茶色の低い山並みの向こうにワイナポトシの白い峰が孤高を誇っている。 今日も後から出発したポーター達にあっという間に追い越された。 さすがに今日は子供達はおらず、重い荷物はロバに代わって村から登ってきた男衆が担いでいた。

   間もなくB.Cを潤している水量の多い沢を飛び石伝いに渡ると、左手には荒々しいイリマニ北峰の雪壁が圧倒的な迫力で仰ぎ見られ、その氷河の舌端を回り込むようにして南峰へ突き上げている尾根に取り付く。 トレイルは砂礫のジグザグの道となり、ゆっくりでも短時間で標高が稼げるのがありがたい。 次第に赤茶けた岩屑が多くなっていくトレイルを大きなケルンが積まれた岩塔の基部まで登ると、マリオがランチの用意をして待っていた。 食欲はあるが今日も腹八分目“ポキート”(少量)で我慢する。 すでにB.Cは遥か眼下となり、辿ってきたトレイルがつま楊枝の先でなぞったように見える。 空気が澄んでいるので、旅の最終目標のサハマやその隣のパリナコタが遠望された。

   頭上の巨大な岩塔は顕著な岩尾根の末端で、その先がH.Cとなっているようだ。 トレイルは大きな岩屑の堆積したジグザグの急登から痩せた岩稜帯となった。 間もなく荷上を終えたポーター達が次々と下ってきたが、およそ5000mを超える高所とは思えない普段着姿と背後に迫る雪山の景色とのコントラストが何かとても絵になる。 岩尾根に隠されていたイリマニ南峰も大きくその雄姿を見せるようになり、3時過ぎに氷河の舌端にあるH.Cに着いた。 H.Cからはイリマニ南峰の丸い頂がボリューム感たっぷりに眼前に迫り、荒々しい懸垂氷河を身に纏ったイリマニ北峰がクレバスの多い谷を挟んで屹立している。 家畜が草を食む長閑なB.Cとはまるで違う雪山の迫力ある景色に胸が高鳴った。

   H.Cはそれなりに広い平坦地だったが、半分以上が硬いペニテンテス(尖った氷塔)に覆われ、少数ではあるが他の登山隊もいたので、一部のテントの設営場所が悪かった。 宗宮さんと中村さんが女性陣に配慮して率先的に立て付けの悪いテントを選んでくれたことには頭が下がった。 今回はH.Cでもテントを二人で使えたので快適だった。 一通り周囲の写真を撮り終えたあとは、狭いスペースにテントが目一杯張られたH.Cを歩き回る気にはなれず、代わりにテントの中で深呼吸を繰り返し行う。 左の額の熱は下がらないが、あまり神経質になっても仕方がないので気にしないように努める。 慣れない高所での山旅が続いているが、意外にも初心者の妻はそのような高山病特有の症状がないようで感心する。

   夕方、平岡さんから夕食用のアルファー米とインスタントの味噌汁とふりかけ、そして明日の朝食用の水もどし餅が配られた。 明日のスケジュールは基本的にワイナポトシと同じで、午前零時に起床し、各自がテント内で朝食を自炊して食べ、1時半から2時の間に出発するとのことだった。 ワイナポトシのH.Cでは下痢を患っていたことに加え、1日で就寝高度を1500mも上げたため、熟睡しようとは思わなかったが、今日は適度な疲れもあり高所にも少し慣れたので、夕食後は成り行きに任せてシュラフにもぐり込んで眠ることにした。


早朝のB.C


B.Cを出発しH.Cへ向かう(正面が登頂予定のイリマニ南峰)


B.Cから見たワイナポトシ


B.Cの背後の平らな牧草地を横断する


ゆるやかな勾配の山道に入る


南峰へ突き上げている尾根に取り付く


砂礫のジグザグのトレイルを登る


遥か眼下となったB.C方面


イリマニ北峰の雪壁を左手に仰ぎ見ながら赤茶けた岩屑のトレイルを登る


H.Cに近づくと痩せた岩稜帯となる


H.Cの直下からイリマニ南峰が大きく望まれた


5000mを超える高所にいるとは思えない普段着姿の女性ポーター


氷河の舌端に設営されたH.C


荒々しい懸垂氷河を身にまとったイリマニ北峰


H.Cでもテントを二人で使えたので快適だった


夕焼けに染まり始めるイリマニ南峰


ペニテンテスに覆われたH.Cから最終目標のサハマが豆粒ほどに見えた


H.Cでの日没の風景


   8月12日、さすがに高所に慣れたのか、息苦しさを感じることもなく午前零時の起床時間となった。 妻も相変わらず体の不調はないようで安堵した。 ありがたいことに多少雲はあるものの風はなく、穏やかなアタック日和となりそうだ。 ワイナポトシと同じくイリマニも独立峰のため、風の有無は登頂の成否を左右する。 夕食の余りのアルファー米にお湯を注ぎ、お粥にして食べた。

   宗宮さんと中村さんがロッキーとアンザイレンして先発し、次に私達夫婦がエロイとアンザイレンして続き、最後に白井さんと伊丹さんがラミーロとイリネロとアンザイレンして暗闇の中を登り始めた。 幅の広い雪稜は単調ではあるものの、見かけ以上に緩急の差があった。 エロイはアルプスのガイドのように急斜面では足早に登り、緩斜面では意識的にゆっくり登っているような感じだった。 高所で生まれ育ったエロイからすれば1時間で200m以上の標高は稼ぎたいだろうが、私達はそうはいかない。 前を登る妻がエロイのペースに引き込まれようとするのを、後からザイルを張り気味にしてペースダウンを促す。 経験上、オーバーペースとなった体で6000mを越えるとペースが極端に落ち、足がどうにも言うことを聞かなくなるからだ。

   2回目の休憩で妻がハーネスを外して用を足していると、後から白井さんと伊丹さんのパーティーが追い着いてきた。 最後尾で全体の指揮を取っていた平岡さんから、妻のペースはそのままで良いが、休憩時間を短くするようにとの強い口調での指示があった。 平岡さんは白井さんと伊丹さんをラミーロとイリネロに託して先行させ、代わって最後尾となった私達のザイルに加わった。 平岡さんは妻に登頂の意思を確認すると、妻のザックから中身のテルモスなどを取り出して私に持たせ、空になったザックを自らのザックに括りつけた。 後で平岡さんに聞いた話では、経験上こうすることによって弱者に心理的なインパクトを与え、登頂に導いたケースが多々あるとのことだった。 少し身軽になった妻は先ほどよりも早いペースで登っていき、間もなく傾斜が一段と急になる所の手前で休憩していた白井さんと伊丹さんのパーティーに追い着いた。

   夜が白み始め、先行しているパーティー(ロッキーに率いられた宗宮さんと中村さんだろうか?)の姿が朧げに見え、この先のルートのイメージが少し掴めた。 高度計は機能していないが、ここまでの所要時間などを考えると、ここを登りきれば山頂へと続く稜線に出られそうだった。 相変わらず風もなく天気は安定しており、間もなくここも暖かな陽光に恵まれるだろうと思ったのは甘かった。 この先のルートの状態が悪いのか、先行しているパーティーの歩みは遅くなり、僅か200m〜300mほどの標高差の登りは遅々として捗らなかった。 登る時間よりも待つ時間のほうが長くなり、まるで岩場での順番待ちをしているようだった。 傾斜は確かに今までよりきついが、踏み固められたつぼ足のトレイルは登りやすく全く問題ない。 なぜこの先が渋滞しているのか理解に苦しむ。 しかしながらボリビアの山での暗黙のルールなのか、ラミーロやエロイは先行パーティーを追い抜く気配は全くなく、ただじっと前のパーティーが登るのを待っているだけだった。 後ろを振り返ると、最後尾の平岡さんも遅い歩みに少しイライラしている様子が伺えた。 動きが緩慢なのでだんだんと足先が冷たくなってくる。 体は楽だが、先が見えているだけに精神的に疲れてくる。

   しばらくこのような状況が続いたが、傾斜が緩んでくると渋滞もなく登れるようになった。 太陽の恵みだけではなく、もうじき頂稜部の新鮮な景色が見られると思うと心が弾む。 間もなく私達の体にも待望の朝陽が当たり始めた。 軽やかな足取りで山頂へと続く稜線まで登り詰めると、今までの暗く寒々しい風景は一変し、眩いばかりのイリマニの中央峰が圧倒的なスケールで眼前に鎮座し、ヒマラヤ襞も見られるストイックな北峰がもう目線の高さに迫っていた。 幅の広い雪稜がまるで紺碧の空に吸い込まれていくように痩せ細っていく先に、目指す南峰の頂稜部がはっきり見えた。 ありがたいことに風も殆どなく、登頂の手応えをひしひしと感じた。

   ところが、その直後に前を登っている妻が突然うずくまった。 すかさず妻の所に歩み寄って事情を聞くと、寒気がして体の震えが止まらないという。 高度障害かと一瞬思ったが、先ほどまでの状況を考えると体力の消耗で低体温症になってしまったのかもしれない。 そこへ後から何も知らない平岡さんが追い着き、妻に向かって「もう少しだから頑張りましょう!」とハッパをかけた。 事情が分かっていない平岡さんに妻の突然の体の異変を説明したが、意外にも平岡さんはそれほど心配していない様子だった。 それどころか、しばらく休めば大丈夫という認識で「頑張りましょう!」と繰り返し妻にハッパをかけたので、たまらず私が「妻を殺す気ですか!」と声を荒げて叫ぶと、ようやく真剣に妻の介護をする気になってくれた。 ザックを妻のお尻の下に敷き、テルモスの暖かい紅茶を飲ませ、しばらくしてから行動食も少し食べさせた。 平岡さんが予備に持ってきたダウンのベストとエロイのジャケットを上から着せ、妻の背中に体を密着させて冷え切った体を少しでも温めるように努力する。 風もなく陽射しにも恵まれているから出来ることで、条件が少しでも悪ければこんな悠長なことはやってられない。 登頂を目の前にしてこれからどうするか悩んだが、もともと今回の山行は私が是非にと妻を誘った経緯もあり、今の状況では妻を一人で(もちろんガイドのエロイは一緒だが)下山させる訳にはいかないので、妻の症状が少し良くなってきたら、登頂は諦めて私も一緒に下山することを心に決めた。

   30分以上が過ぎ、陽射しも先ほどに比べてだいぶ強くなり、目に見えて暖かくなってきた。 消耗しきっていた妻の体にもようやく生気が蘇ってきたようで安堵する。 この様子ならエロイと2人だけで下山することが出来るかもしれないと思ったが、高所では何が起こるか分からないので、妻と一緒に下山することに迷いはなかった。 そんな私の気持ちを察してか、少し元気を取り戻してきた妻は、意外にももう少し頑張って登ってみると言い出した。 いつもに増して妻の意志は固く、とりあえず天気も安定していたので、妻の様子を見ながら再び登り始めることになった。

   真の山頂はまだここからでは見えないが、山頂へと続く幅の広い雪稜の傾斜は緩く、今の状況では本当にありがたい。 平岡さんと私で妻の両脇を固め、タイトロープでエロイが妻を引っ張る。 まるで荷物のような扱いで可愛そうだが仕方がない。 妻はけなげにも私達に迷惑を掛けたくないという一心でひたむきに頂を目指して登っている。 その姿を見て思わず目頭が熱くなり、不意に涙が溢れ出てきた。 登頂はとうに諦めていたので、「無理しないで、いつでも下山して良いよ!」と声を掛けるが、涙で声が詰まる。 ちょうどその時、上から宗宮さんと中村さんのパーティーが登頂を果たし、晴れがましい笑顔で下ってきた。 すれ違い際に祝福の言葉を掛けようとしたが、全く声にならなかった。 お二人は私達の状況を察して、そのまま静かに下山していった。 間もなく白井さんと伊丹さんのパーティーも相次いで下山してきた。 伊丹さんに一言だけ祝福の言葉を掛けたが、お二人も妻の異常を察知したようで、私達を静かに見送ってくれた。

   幅の広い雪稜は次第にやせ細り、ようやく中央峰や北峰が目線の高さになってきた。 相変わらず風もなく穏やかな天気でありがたい。 妻の足取りも先ほどよりしっかりしてきたようだ。 間もなく傾斜のなくなった稜線の僅かばかり先に山頂と思われる所が見えた。 大きな山に相応しい平らな広い頂だった。 先日のワイナポトシ同様、達成感よりも安堵感が先行し、違った意味での緊張感からも解放された。 枯れ果てたと思った涙が再び溢れ出てきた。

   11時過ぎ、H.Cを出発してから9時間以上を要して憧れのイリマニの山頂(南峰)に辿り着いた。 真っ先に妻を抱擁し、そのまま二人とも地面に崩れ落ちた。 一度は諦めた頂だったが、本当に登れて良かったとあらためて妻に感謝する。 そして平岡さんやエロイとも肩を叩き合いながら、感謝と喜びの気持ちを体全身で伝えた。 ボリビアのシンボルとも言われる名峰の頂に、今こうして立つことが出来たのだ。 何とドラマチックなサミットだろうか!。 皆で記念写真を撮り合い、登頂の喜びに浸りながら周囲の写真を撮りまくる。 山頂からの展望は、北峰と中央峰が隣接しているため、独立峰とは思えないユニークな景観だ。 一番近くのムルラタ(5869m)がラ・パス付近から見た台形の穏やかな山容とはまるで違う荒々しい岩肌を惜しみなく披露し、その左奥には僅か4日前に登ったばかりのワイナポトシとその背後にレアル山脈の山々が遠望された。 そして反対側に目を遣れば、果てしなく広がる赤茶けたアルティプラーノの先に次の目標のサハマが米粒ほどの大きさに見えた。

   もう誰も登ってくることのない山頂に20分ほど滞在し、二度と来ることは叶わない想い出の頂に別れを告げて下山にかかる。 妻の下山をサポートするため、途中の写真撮影は平岡さんに任せてカメラをザックにしまった。 妻は相当疲れているようだったが体調は悪化することなく、僅か3時間足らずでH.Cまで下ることが出来た。 私達の無事の下山を心配していた皆に遅ればせながら登頂報告をし、あらためて皆で登頂の成功を称えあう。 マリオが差し出してくれた暖かいスープがありがたい。 結局、イリマニにはメンバー全員が登頂することが出来たわけで、まだサハマは残っているものの当初の目標は充分に達成出来た。 これだけの短期間で6000m峰を2つも登れて夢のようだ。 着替えもそこそこにテントの傍らで仁王立ちし、登ったルートを目で追いながら一人悦に入った。

   今日はB.Cまで下りず、予定どおりここでもう1泊することになった。 外国人のパーティーが2隊ほどH.Cに登ってきたので、狭いテントスペースは更に狭くなり、ペニテンテスの上にもテントが張られた。 サハマが夕陽に照らされてはっきり見えるようになり、まるで私達を手招いているようだった。 未明から12時間ほどの行動で疲れてはいたものの、5400mの高度とテントを叩く強い風は安眠を許してくれなかった。


ロッキーに率いられて先行する宗宮さんと中村さんのパーティー


傾斜が緩んでくると渋滞もなく登れるようになった


待望の朝陽が当たり始め、軽やかな足取りで山頂へと続く稜線に躍り出る


圧倒的なスケールで眼前に鎮座しているイリマニ中央峰


ヒマラヤ襞も見られるストイックな北峰が目線の高さに迫る


幅の広い雪稜がまるで紺碧の空に吸い込まれていくように痩せ細っていく


イリマニの山頂


イリマニの山頂


山頂から見たワイナポトシ


山頂から見た荒々しいムルラタの山塊


山頂から見たサハマ


二度と来ることは叶わないイリマニの頂を辞する


荒々しい山肌を見せるイリマニ北峰


イリマニ南峰の登攀ルート


山頂から僅か3時間足らずでH.Cまで下る


夕焼けに染まるイリマニ南峰


H.Cから見たワイナポトシ


H.Cから見たサハマ


   8月13日、今日も快晴の天気だが、昨夜はずっと強い風が吹き荒れていた。 今日がアタック日でなくて本当に良かった。 テントに陽が当り始めてからゆっくり起床して朝食を済ませる。 登頂の余韻に浸りながら昨日登った南峰の登攀ルートを双眼鏡で眺めていると、上の方はまだ風が強いのか、未明に出発した2組のパーティーが相次いで下山してくる姿が見えた。 間もなくポーター達がB.Cから登ってきてくれた。 彼(彼女)らは今日も全くの軽装だ。 南峰を背景に皆で記念写真を撮り、10時に想い出のH.Cを後にする。

   H.Cから少し下った急な岩稜帯では、ガイド達がわざわざ先行してフィックスロープを張ってくれたが、足の疲労感は少なく目印の大きなケルンまで楽々と下る。 所々で写真を撮るために足を止めながら、B.Cのある広大な牧草地の手前まで下ってくると、突然カメラのレンズがボディに収まらなくなってしまった。 旅慣れている白井さんが、レンズが砂を噛んでしまったのではないかと教えてくれた。 砂の粒が日本のものより細かいのだろうか?。 すでにもう1台の新品のカメラも先日レンズフードの開閉に支障をきたしてしまったが、それも同じ原因だったのかもしれない。 まだこれから始まるサハマへの山旅を始め、撮りたい風景は一杯あるのに本当に残念だ。

   H.Cから2時間半ほどでB.Cに下り、イリマニの白いピークを愛でながら優雅にランチタイムとする。 こんな幸せな気分に浸れるのも全員が登頂出来たからに他ならない。 潤いのある広大な牧草地の片隅に位置するオアシスのようなB.Cは、ロケーションが本当に素晴らしい所だ。 今日は下のピナヤ村ではなくここに泊まって行きたいと願わずにはいられなかったが、時間もまだ早いのでピナヤ村へと更に足を延ばす。

   午後3時にピナヤ村に到着。 先日幕営したサッカー場ではなく、そこから一段下がった空き地にポーター達がテントを設営して迎えてくれた。 B.Cとの標高差は僅かだが、風もなく強烈な陽射しと下草の照り返しでとても暑く感じる。 テントの中で寛いだり、外で日向ぼっこしたり、木陰で涼んだり、昼寝を決め込んだりと、皆思い思いに夕食までの時間を過ごす。 予定していた時間よりも少し前に、食堂テントではなく外のテーブルに料理が並べられた。 少し豪華なものを期待していたが、この寒村では望むべくもなく、蒸かしたジャガイモと味付けのされていない骨付きの肉だけという至ってシンプルなものだった。 ジャガイモの中には日本では見たことがない紫色の原種のようなものがあり、皮を剥くと中は栗のような色と甘さがしてとても美味しかった。 また、鶏肉のように見えた肉は羊の肉で、少々硬かったがとても素朴で味わいがあった。 誰ともなく「ビールがあったら良いのにね〜!」と言うと、急遽ガイドやポーター達が村の家々を回り、どこからともなく1ダースものビールを調達してきてくれ、めでたく打ち上げの祝杯を上げることが出来た。 残照のイリマニが美しい。 間もなく日が暮れて寒くなってきたが、食堂テントには入らずダウンジャケットを着込み、星とイリマニのシルエットを肴に夜遅くまで話しの花を咲かせた。 隣では今日が運転手さんの誕生日とのことで、ガイドやポーター達も立ちながら私達が差し入れたビールを飲んで大いに盛り上がっていた。


昨夜はずっと強い風が吹き荒れていたが、今日も快晴の天気となった


ポーター達がB.Cから登ってきてくれた


イリマニにはメンバー全員が登頂出来た


H.CからB.Cへ


氷河から溶け出した水量の多い沢を飛び石伝いに渡る


H.CからB.Cへ


H.CからB.Cへ


B.Cの背後のオアシスのような広い牧草地


ロケーションが素晴らしいB.Cで優雅にランチタイムとする


後ろ髪を引かれる思いでB.Cを後にする


ピナヤ村の空き地のテントサイト


蒸かした原種のようなジャガイモと味付けのされていない骨付きの羊の肉


日が暮れて寒くなってきたが、食堂テントに入らずに談笑する


残照のイリマニ


ガイドやポーター達も夜遅くまで大いに盛り上がっていた


   8月14日、今日も乾期らしい快晴の天気が続き、早朝からイリマニが良く見える。 カメラが故障しているので、モルゲンロートに染まる山肌をしっかりと目に焼き付ける。 朝の食卓は相変わらず質素だが、イリマニに登れた達成感に満たされているので、和気あいあいと会話も弾む。 ラ・パスからの迎えの車はいつ来るか分からないが、長閑な村の風景とその背後に聳え立つ別世界の雪山の風景に心を癒されながら気長に帰りの支度を行う。

   10時過ぎに待望のワゴン車が見えてくると、皆から自然と歓声があがる。 この国の時間に対する感覚からすれば、この時間でも早かったと思えるから不思議だ。 屋根に沢山の荷物を括り付け、定員一杯の12人が乗車した中古のハイエースは今日も悲鳴をあげながら悪路の峠をいくつも越えていく。 今日も急ぐ必要は全くないので、山の写真を撮るために所々で車を停めてもらう。 途中、道路脇に大勢の人影が見えたので不思議に思ったところ、土砂崩れにより路線バス(この道を大型のバスが通行していること自体が日本では考えられない)が立ち往生していた。 先日のワイナポトシの帰路の悪夢が脳裏をよぎったが、私達が“専務”という愛称で呼んでいた気の利くスタッフが、車に常備してあったつるはしとスコップを持って現場に駆けつけ、バスの運転手と共に道路に積った土砂を均し始めた。 作業中も常に上からの落石があったが、二人とも全く気に留めることなく手際よく作業を進めていく。 こちらでは土砂崩れは日常茶飯事なのだろう。 もしこれが日本だったら、レスキューを待つしか術がないが、彼らは全く手馴れたもので、30分ほどで何とか通行出来るように修復してしまった。 もちろん全員で彼を拍手で車に迎え入れたことは言うまでもない。

   悪路の山道は石畳へと変わり、国立公園の入口のゲートを過ぎると喧騒のラ・パスの町に入った。 今までの静けさが嘘のように車の往来が激しくなる。 山村地帯から初めてラ・パスの町に出て来る人はその光景に驚くことだろう。 文明の匂いを嗅いだとたんお腹の虫が鳴き出し、ファーストフードの店でフライドチキンとアイスクリームを頬張る。 ホテルに戻ったのは夕方近くになってしまった。 明日の未明にはサハマに行かない伊丹さんと中村さんが帰国してしまうので、平岡さんの提案でワイナポトシとイリマニの登山の打ち上げをフォルクローレの生演奏を聴かせるラ・パスでは有名なレストランですることになった。

   シャワーを浴びてから、タクシーでサガルナガ通りへ向かう。 レストランには私達以外の客はいなかったが、間もなく予約の団体客が次々に来店し、あっという間に店内は満席となった。 食事は前菜がバイキング形式となっていたが、品揃えが豊富なばかりか、質・量共に充分満足のいくものだったので、メインディッシュは要らないくらいだった。 昨日までの質素な食事から一変し、ボリビアの山を登りにきていることを忘れてしまいそうだ。 しかしながら、サハマを終えるまではアルコールは飲まないと心に誓っていたので、今日もソフトドリンクで乾杯する。 間もなく前座に続き、ギターやケーナを携えた5人の演奏者が私達のテーブルのすぐ脇のサブステージで賑やかにフォルクローレを奏で始めた。 最近では演奏会などに全く足を運ばなくなった私にとって、このかぶりつきの生演奏は強烈な印象だった。 一通りの定番曲の演奏が終わると、仮装した大勢の男女のダンサー達がメインステージに勢い良くなだれ込み、テンポの良い演奏に合わせて踊り始め、店内は大いに盛り上がった。 まさに打ち上げには相応しい宴であったが、最後の方は食べ過ぎと疲れで居眠りをしてしまった。 身も心も満足感に満たされた気分でホテルに戻り、あと数時間後には帰国される伊丹さんと中村さんと再会を誓い合い、久々のベッドに倒れ込んだ。


長閑なピナヤ村を後にする


所々で記念写真を撮り、登頂の喜びを新たにする


土砂崩れで立往生する路線バス


イリマニの雄姿を目に焼き付ける


ラ・パスのファーストフードの店


ラ・パスでは有名なレストランで登山の打ち上げをする


メインディッシュの牛肉のステーキ


ギターやケーナを携えた5人の演奏者が賑やかにフォルクローレを奏でる


仮装したダンサー


想い出の山    ・    T O P