アコンカグア(6959m)

  1月7日、午前4時半起床。 夜半から吹き始めた風は朝まで止むことはなく、寒さにめげて用足しに行きそびれてしまった。 天気が悪くなる前兆ではないかと思われるような黒い雲が、足下に広がっているのが月明かりで見えた。 暗く狭いテントの中で、アルファー米とふりかけの朝食を食べながら身支度を整える。 昨日何度も練習したにもかかわらず、準備に時間がかかる。 テントの中の荷物を整理して、午前6時の出発時間ぎりぎりにスタートラインに立った。 寝不足だか体調は万全である。 気温は低く、多少の風はあるものの、羽毛の手袋、宇宙服のような分厚い羽毛服、プラブーツで“完全武装”しているため寒さは感じない。 予定より少し遅れたが、一人も欠けることなく“C4”から出発する宮澤さんと飯塚さんを除く、7人の隊員(熊本さん、植木さん、淑美さん、廣永さん、晝間さん、稲村さん、そして私)と貫田隊長、奥田さん、そしてガイドのヘラルドとイワンに見習いのマルセイロと助っ人のビルフィーニャを加えた4人の現地スタッフは全員一丸となって、いよいよ憧れの頂を目指してアタックを開始した。

  登攀隊長のヘラルドを先頭に、お腹の調子が悪い淑美さんが続くが、なぜかペースはとても速く、ついていくのが精一杯である。 まもなく夜は明け、ヘッドランプは不要となった。 ジグザグの踏み固められた岩屑のトレイルをただ黙々と登って行く。 傾斜もそこそこあるので、標高は着実に稼いでいるはずだ。 C3から1時間ほど登った時、突然ヘラルドが足を止め、足下の雲海を指しながら「シャドー!」と言った。 何と見事な“影アコンカグア”が雲海のスクリーンに映し出されていた。 素晴らしい天からの贈り物に感謝したが、標高が上がるにつれて風は次第に強まってきた。 風が強まるとヘラルドのペースも速くなるような気がした。 夜は明けたが、北側の斜面を登っているため陽射しには当分恵まれず、これから先のことを考えると緊張感がなかなか解けない。 再びただ黙々と登り続ける。 “もっと楽しまなくては・・・”。 しかし、ますます強くなってくる風の勢いに、その気持ちもかき消されていった。

  いつの間にか隊列は長くなり、中程にいた私も先頭集団から少し遅れ気味になったが、前を歩く廣永さんの背中だけを必死に追いかけながら登る。 殿(しんがり)との間もだいぶ開いているようであった。 登ることに集中し過ぎたせいか、時間の観念がなくなってきた(時計を見たくても三重の手袋で見ることが出来なかった)。 風に追い立てられながら喘ぎ喘ぎ登っていくと、岩で囲まれたトレイルの脇のこぢんまりとしたスペースに、宮澤さんと飯塚さんの二人が泊まったと思われるテントがあった。 標高は6300m位のはずである。 テントの脇で一服することもなく、上を目指して再び単調な岩屑のジグザグのトレイルを黙々と登り続けた。

  お腹の調子が良くなられたのであろうか、相変わらず淑美さんの足取りは軽く、ついていくのが精一杯である。 しばらくするとまたズルズルと先頭集団から遅れ出してしまった。 先程のテント場から30分ほど登ったところで、目の上に稜線のコルのような所が見え、先頭集団が一服している様子がうかがえた。 やっとの思いで稜線に上がると待望の陽射しには恵まれたが、風速20mを超えるような強風も吹き荒れていた。 傍らに朽ちた避難小屋の残骸があったので、そこが資料に記されたインディペンデンシアと名付けられている所であることが分かった。

  常に風に追い立てられながら、C3から3時間近く歩き続けてきたのでとても疲れた。 風が強いためか、休憩というよりは足踏みしたまま先に進む気配がなかったので、少しでも風の弱い所を選び、風上に背を向けて座り込んだ。 貫田隊長は殿を務めているのか、しばらく周囲には姿が見えなかった。 資料によれば、ここの標高は6546mとなっているので、これが本当に正しいとすればC3からここまでの標高差約750mを3時間足らずで登ったことになり嬉しいが、ますます強くなる風はその嬉しさをもかき消した。 座りながら煎餅を食べ、腹式呼吸で体力の回復に努める。 情けないことに自分のことだけで精一杯だったため、周囲の状況が全く分からず、いつの間にかベテランの宮澤さんは飯塚さんと共に下山され、一番元気そうに見えた淑美さんもお腹の調子が回復しないため、これからマルセイロと下山されるという話を聞いて驚いた。 20分ほど経っても出発する気配がなかったので、“強風のため今日の登山は中止になるのではないか”と思い始めた時、突然貫田隊長から「ここでアイゼンを着けて下さい」との指示があった。 この程度の風はアコンカグアでは当たり前ということであろうか、エル・プロモ登山のことが頭をよぎり、にわかに緊張する。 風が強いためアイゼンを着けるのも一苦労で、脱いだ羽毛の手袋が危うく飛んでいくところだった。

  インディペンデンシアから短い雪の稜線を登る。 アイゼンを着けたせいか、先程よりもさらに足が重たくなったが、意外にも風はだんだんと弱まり、雪の斜面を登りきった稜線の肩のような所で風は止んだ。 先に登った隊員はここで一服し、後続隊を待つことになった。 ここからは稜線上から一歩右に下がり、広大な砂礫のスロープをトラバースしていくトレイルが延々と続いているのが見渡せた。 風もなくなりホッとしたのも束の間、トレイルに一歩足を踏み入れたとたん状況は一変し、先程と同じ風速が20mを超えるような強風が吹き始めた。 たまたま突風が吹いただけですぐに止むだろうと思ったのは甘かった。 風はますます強まり、ザックからジャケットを取り出して着るのもままならぬ状況になってしまった。 先程の風のない所まで引き返そうとも思ったが、団体行動のためそれも出来ず、寒さに耐えながら歩き続けた。 この時の風のボディーブローが私の体力を徐々に奪っていった。 風は一瞬たりとも止むことはなく、右横から容赦なく吹きつけてくる。 ダウンジャケットのフードを深く被り、斜め左側を向いて歩く。 30分ほど強風に耐えながら歩いていくと、トレイルの脇に風を遮る大きな岩が一つだけあり、一同そこで一息ついていた。 三重の手袋の脱着は一苦労であるが、ここでやっとジャケットを着ることが出来た。

  ジャケットを着て出発すると、不思議と風が少し弱まったような気がした。 再び長いトラバースのトレイルを風に追い立てられながら黙々と歩く。 トレイルの傾斜が増してくると間もなく、雪渓がトレイルを塞いでいる所があり、その手前で図らずも休憩となった。 休憩している間にヘラルドと奥田さんが雪渓にフィックスロープを張ってくれたので助かった。 雪渓を登りきるとトレイルは階段状となり、無意識には足が前に出なくなってきたので、一歩一歩気合を入れながら意識的に足を持ち上げる。 間もなく大小の岩屑が堆積した崩れやすい急斜面として悪名高い“グラン・カナレータ”の難所が左上方に見えてくると、トレイルは落石の巣のような所を通過することとなった。 貫田隊長が急いで通過するように指示したが、足はすでに言うことを聞かなくなっていた。

  幸いにもグラン・カナレータに近づくにつれて風はだんだんと収まり、健脚派の揃った奥田隊が待つグラン・カナレータ直下の大岩の基部の所までやっとのことで辿り着き、崩れ落ちるようにへなへなと座り込んだ。 食べる気力もないほど疲れていたが、これから山頂まで休憩は出来ないであろうから、一息つく間もなく煎餅やチョコレートを無理やりお湯で胃袋に流し込んだ。 熊本さん、植木さん、晝間さんの3人の表情にはまだまだ余裕が感じられるが、廣永さんは相当疲れているようで、座りながら私にもたれかかっていたが、その体はまるで氷のように冷たかった。 その様子と先程までの足取りを見て心配した貫田隊長が、廣永さんにイワンと一緒に下山することを勧めた。 私は相変わらず自分のことだけで精一杯だったので、私以上に疲労困憊している廣永さんに励ましの言葉をかけることが出来なかったが、このことが後々まで私を後悔させることになった。 C3を出発してからすでに6時間以上が経過し、いつの間にか正午を過ぎていた。 「山頂まであと2時間位かかりますが、すでに予定の時間より遅れていますので、ザックをここにデポしていきましょう」という貫田隊長の提案に、往復3時間以上はかかる(実際はここに戻って来るまでに4時間以上かかった)ことを全く考えずに、言われるままに水や食料の入ったザックをデポしたことが、後で考えると恐ろしいかぎりであった。 経験不足のため、低い気圧が体のみならず脳の働きをも鈍くさせていたことは、この時は知る由もなかった。

  断腸の思いで廣永さんと別れ、無意識にカメラだけをジャケットのポケットにねじ込み、奥田隊の熊本さん、植木さんに続き、晝間さん、稲村さんと共に最後の力をふりしぼって頂を目指した。 トレイルはすぐに雪の急斜面となったが、足跡のトレイルが階段状についていたのでピッケルを使わずに登ることが出来た。 休憩後しばらくの間はなんとか先頭集団のスピードについて行けたが、次第にそれもままならなくなり、ずるずると一人遅れだした。 先頭集団が要所要所で足を止め、私が登ってくるのを待っていてくれることが心苦しかったが、貫田隊長とマンツーマンで登ることとなった稲村さんが、さらに遅れていることが唯一心の救いだった。 途中奥田さんから、西田敏行さんが登頂を断念したのはこの辺りだという話を聞いた。

  幸いにも“一歩登ると二歩崩れ落ちる”というグラン・カナレータの核心部は大部分が雪で埋まり、登りにくいと感じる所はあまりなかった。 また風も収まったままであり、アコンカグアの山の神にやっと歓迎されたようであった。 しかしながら相変わらず登高ペースは上がらず、一歩登っては気合を入れ、また一歩登るという亀のような登り方が続いた。 周囲の景色を眺めたり、後ろを振り返ったりする余裕などは全くなく、ひたすら頂だけを目指して登ることに集中していたので、ビルフィーニャがずっと私の後ろでサポートしていてくれたことに最後まで気が付かなかった。
  南峰(6930m)が垣間見られる稜線に上がった所で、ヘラルドが「ここまで来ればもう大丈夫ですよ」と言わんばかりに、ふくらはぎを笑顔で摩ってくれた。 再び先頭集団から遅れての一人旅となったが、次第に視界には青空の占める割合が多くなり、山頂が近いことが分かった。 山頂直下の岩場を登っていると、ヘラルドがわざわざ私を迎えに下りて来てくれ、「もう山頂はすぐそこですよ」とニコニコしながら優しい目で疲労困憊している私を励まし、ゆっくりと一歩一歩足の置場を教えてくれ、ゴールに導いてくれた。

  午後2時45分、アメリカ大陸で最も高い6959mのアコンカグアの山頂に這いつくばるようにして辿り着いた。 想像していたよりも広く平らな山頂には、資料の写真で見た金属製の丸みを帯びた小さな十字架が立っていた。 「ありがとうございました!、お蔭様で登ることが出来ました!」。 先に登頂した奥田さん、熊本さん、植木さん、晝間さんの4人と力強い握手を交わして登頂の喜びを分かち合った後、ヘラルドとビルフィーニャにもお礼の気持ちを伝えながら、力強い握手を交わし合った。 夢にまで見た憧れの山頂であったが、達成感よりも安堵感と疲労が先行し、崩れ落ちるようにその場にへなへなと座り込んでしまった。 写真を撮るエネルギーもすぐには湧いてこなかったが、本能的に座ったまま手の届く所にあった小石をかき集めてポケットにねじ込んだ。 今までずっと風に悩まされ続けてきたにもかかわらず、不思議なことに山頂に吹くアンデスの風は優しかった。 アコンカグアの象徴とも言える、鋭く切れ落ちた純白の南壁が目に飛び込んでくると、やっと登頂したという実感が湧いてきた。 しばらく呼吸を整えてから、各国のサミッター達が貼りつけたステッカーやペナントで飾りつけられた十字架を入れた記念写真を植木さんに撮ってもらったが、山頂での隊員一同の集合写真が撮れなかったことが本当に残念であった。 夢が叶ったことで気が抜けてしまったのか、しばらく座ったまま何もせずに南壁を眺めながらボーッとしていたが、二度と来ることが出来ない所にいるのだから充分に楽しんでいこうと思い、ヘラルドからチョコレート菓子と凍ってシャーベット状になったジュースを一口もらって鋭気を養い、小広い山頂の縁をぐるっと一回りしてパノラマの写真を撮り、全てが足下になったアンデスの山々を見渡しながら、ここまでの長かった道のりを思い出して一人登頂の余韻に浸った。

  午後3時半になっても貫田隊長と稲村さんは頂上に姿を現さなかったので、二人を待たずに下山することになった。 ヘラルドが私のおぼつかない足取りを心配してくれ、アンザイレンしてくれた。 下山を開始した直後、ようやく貫田隊長と稲村さんの姿が見えた。 稲村さんは私以上に疲労困憊していたが、貫田隊長に付き添われるようにして登頂寸前であった。 稲村さんに伴走して山頂に戻ろうかとも思ったが、ヘラルドに下山を促されたため、稲村さんを激励してそのまま下山を続けた。 しばらく下っていくと、前を下っていく二人のパーティーの様子がおかしい。 初めは何かのトラブルで喧嘩をしているように見えたが、心配したヘラルドが仲裁に入り状況を訊ねたところ、どうやら一人が高山病にかかり、訳の分からないことを言いだして騒いでいたようであった。 ビルフィーニャが少しでも症状が緩和するようにと力水を与えた。

  1時間ほどで荷物をデポしたグラン・カナレータ直下の大岩の基部の所まで下り、ザックに入っていた煎餅をむさぼるように食べ、水をがぶ飲みするとやっと体に力が蘇ってきた。 しばらく雑談しながら休憩した後、貫田隊長らを待たずに下山を続けた。雪渓を通過して長大な砂礫のスロープのトラバースにさしかると、ここから先には登りの時と同様に強い風が吹き荒れていた。 気温が上がったので寒さはそれほど感じなかったが、ジャケットのフードを深く被り足元だけを見つめて歩かざるを得なかったので、残念ながら登りも下りも周囲の景色を愛でることは出来なかった。 再び風に追い立てられるように黙々と休まずに下り続けインディペンデンシアに着くと、ヘラルドはザイルを解いてからわざわざアイゼンまで外してくれ、笑顔で「フィニート!(やり遂げましたね)」と力強く言った。 ここからC3まではジグザグの踏み固められたトレイルを淡々と下るだけなので、登頂の余韻に浸りながら晴れがましく意気揚々とC3に凱旋したかったが、廣永さんが傍らにいないことや、宮澤さんや淑美さんが登頂することが出来なかったことが下りの足を重たくした。

  午後7時前、出発してから13時間ほどで無事C3のキャンプ地に帰還した。 真先にイワンが小走りにトレイルを駆け登ってきて出迎えてくれた。 「パーフェクト!」。彼の口癖を逆に言ってお礼の固い握手を交わした。 次々に出迎えてくれた宮澤さんと淑美さんが満面の笑みで祝福してくれたが、廣永さんはやはり控え目であった。 廣永さんの気持ちが痛いほど分かり登頂の喜びも半減してしまった。 緊張感と気持ちの昂りですっかり忘れていたが、長時間の行動で体はすでにガタガタであり、テントに戻ったとたんに疲れがどっと出た。 飯塚さんから手渡された熱いスープを口にすると、消耗していた体に少し活力が蘇ってきた。

  テントの中で貫田隊長と稲村さんの帰りを待ちながら、廣永さんにグラン・カナレータの直下で励ましの言葉もかけることが出来なかったことを詫びると共に、自分の実力の無さをあらためて嘆き、自分を責め続けた。 もしあの時の自分に余裕があれば、きっと廣永さんも山頂に立つことが出来たに違いなかった。 午後8時過ぎに貫田隊長が各テントを回り、私達を労いに来てくれたので、稲村さんも無事下山出来たことが分かった。 貫田隊長の話では稲村さんは下山中に高山病(視野狭窄)で目が見えなくなってしまい、下りも大変苦労したようであったが、今はテントの中で静養しているので心配は要らないとのことであった。 テントの中で簡単に夕食を済ませ、祝杯を上げることもなくシュラフに潜りこんだが、疲れ切っていたにもかかわらず、後悔の気持ちに苛まれてなかなか寝つけなかった。


山頂を目指してアタックを開始する


グラン・カナレータ手前


アコンカグアの山頂(左は南壁)


アコンカグアの山頂(晝間さんと)


アコンカグアの山頂からの景色


アコンカグアの山頂からの景色


アコンカグアの山頂からの景色


キャンプ・ベルリン(C3)に帰還する


写  真    ・    南アメリカ    ・    想い出の山    ・    T O P