エル・プロモ(5424m)

   12月23日午前9時、2台のワゴン車に分乗して今日の宿泊地であるファレヨネス(2300m)のロッジへと向かう。 終点にあるラパルバのスキー場への専用道路となっているつづら折りの山道を約1時間ほど車に揺られて行ったが、意外にも一番強そうだった貫田隊長が車酔いでダウンしてしまった。 想像していたより小綺麗なロッジのラウンジには翼を拡げたコンドルの剥製が飾られ、アンデスの山の雰囲気を盛り上げていた。

   貫田隊長の体調の回復を待って、パロマ氷河を見渡す丘までのハイキングに出掛けた。 エージェントのKL社が用意した昼食のいわゆる“ランチパック”は、乾燥した硬めのパン(あまり美味しくない)とサラミ、チーズ、チョコレート菓子、ポテトチップス、オレンジ等の柑橘系果物等であり、この組み合わせは最後まで変わらなかった。 ロッジの入口にゴロゴロと寝そべっていたぬいぐるみのような大きな黒い犬が、私達が出発するや急に元気いっぱいに走り出し、常に私達をリードして先頭を歩いてくれたが、のっけから次々に出現する珍しい高山植物やサボテン(カクタス)の花に一同釘付けになり、歩みは全くはかどらなかった。 今日のハイキングは高所順応と時差ボケの解消が目的なので、現地ガイドとのコミュニケーションも徐々に図りながら、和気あいあいとした楽しい雰囲気で進められた。 途中本物のコンドルが間近まで飛んできて、地球の反対側からやってきた珍客を歓迎してくれた。

   午後3時前に目的地であるパロマ氷河を見渡す丘の上に建つ壊れた避難小屋に着いた。 先ほどから天気は少し下り坂となっていたが、とうとう雨が降りだしてきたので避難小屋の中に逃げ込んだ。 生憎の雨と霧で展望は得られなかったが、最近1か月ほど山に登っていなかったので、ウォーミングアップにはちょうど良いハイキングであった。 雨は30分ほどであがったが、結局これが滞在期間中唯一の“お湿り”になろうとは知る由もなかった。

   午後4時過ぎにロッジに戻ると、食堂で紅茶やコーヒーを飲みながら、貫田隊長から高山病と高所順応についての“特別講義”があった。 講義の後、早速第1回目のパルスオキシメーターによる血中酸素飽和度の測定があった。測定の結果まだ95%あり、平地との差は殆どなかった。 明日からは朝夕1回ずつの測定となる。 ガイドのイワンやヘラルドと夕食を共にし、最後のシャワーを浴びてから就寝した。 再びベッドで寝られるのは1週間後だ。


ファレヨネスのロッジ


パロマ氷河を見渡す丘までのハイキングに出掛る


サボテン(カクタス)の花


コンドル


   12月24日、午前7時起床。 時差ボケで夜中の1時頃から眠れなかった。 貫田隊長と奥田さんが各隊員の室を回って、朝の血中酸素飽和度の測定を行う。 とりあえず94%あったが、今日からは深呼吸を8回ほどした後の数値も測定する。 99%、ずっとこのままであって欲しいと願う。 いよいよ今日から高所順応と訓練を兼ねたエル・プロモへの5泊6日のプレ登山が始まる。 今日は3300mの高さにあるピエドラ・ヌメラダというキャンプ地まで車と徒歩で行く予定であるが、身の回りの物以外は全てムーラと呼ばれるラバ(馬とロバをかけ合わせたもの)が運んでくれることになっているので楽チンだ。

   午前10時前に2台の4輪駆動車でロッジを出発し、カーブの多い坂道を登ってラパルバのスキー場へと向かった。 イワンの話では同スキー場は南米一の規模を誇っていて、ヨーロッパを始めとする北半球のスキー選手達もオフ・シーズンの練習に訪れるとのことであった。 スキー場の入口からもさらに未舗装の道路が上に延びていたが、今年は残雪が多く道路を塞いでいるため、予定より手前の標高2700m位の所で車を降りて歩き出すこととなった。 若干雲が多めの天気であったが、暑くもなく寒くもなく、歩くにはちょうど良い登山日和である。 私達よりも前に到着していた“荷物”はムーラの背中に積まれ、100mほど上の所を登って行くのが見えたが、ムーラのスピードは想像していたよりも遙かに速く、すぐに私達の視界から消えていった。

   道路の終点からスキー場のスロープを登り、一つ目の峠を越えて下りにかかると周囲の景色は一変し、残雪を戴く荒々しい岩峰を望む素晴らしいハイキングトレイルとなった。 午後1時、二つ目の峠を登りきった所で昼食の休憩をしていると、旅行会社『Aガイズ』のガイドの平岡さんとその隊員達10名ほどが、後から追いついてきた。 隊員の一人に話を伺うと、アコンカグアに登るため私達と同様にエル・プロモで高所順応をされるとのことであった。 手持ちのアコンカグアの資料の筆者でもある平岡さんは南米の山々の登山事情に明るく、この山域のエキスパートであるらしい。

   私達の隊より平均年齢が10歳以上は若そうなAガイズ隊に先を譲り、のんびりと再出発する。 後ろから聞こえてくる貫田隊長と奥田さんの興味深い登山界のよもやま話(裏話?)に耳をそばだてながら、岩屑のトレイルをだらだらと下っていく。 乾燥した気候のせいか標高が高いためか周囲の緑は乏しく、緑豊かなカナダやスイスの山々との景観とは明らかに雰囲気が違う。 午後2時過ぎに三つ目の峠に着き、やっと山並みの左奥に鎮座するエル・プロモの雄姿を拝むことが出来た。 なだらかではあるが、雪を多く戴いたスケールの大きい山容に圧倒され、アコンカグアの頂はおろか“果してあの頂に辿り着くことが出来るのだろうか”という思いが頭をよぎった。 しばらくするとKL社の社長のホワキンがムーラにまたがり、颯爽と反対側から峠に登ってきた。 こちらでは馬方の頭領を『ガウチョ』と呼ぶらしいが、少し恰幅の良い彼の姿はまさにそれであった。 ホワキンは私達のテントの設営を終え、これから町に帰るとのことであった。

   エル・プロモを正面に見据えながら再びだらだらと下り始めると、まもなく足下にピエドラ・ヌメラダのキャンプ地が見え、午後3時に到着した。 小さな池の畔にあるキャンプ場にはイベント会場に似合いそうな巨大なオレンジ色のドーム型のテントがあった。 貫田隊長からKL社が用意した食堂用のテントであるとの説明があったが、半径6m・高さ3m程の床のないテントの一部は透明のビニールとなっていて、明るい“ダイニング”にはテーブルクロスが掛けられたテーブルと折り畳み式の椅子が置かれ、私達の目をさらに驚かせた。 イワンの話によれば、邦貨で80万円位はする代物らしい。 我が家(テント)も新品のブランド品であり、KL社は装備品にかなりお金を注ぎ込んでいるようだ。 ムーラが運んでくれた荷物をテント内に搬入する。 ホテルと同様、パートナーは廣永さんであり、結局今回の山行中ずっとお世話になることになった。

   荷物の整理を終えて、早速食堂テントでティータイムと洒落込んだ。 快適さはテントのみではなく、食事の献立にも表れていた。 意外なことにガイド達は料理の腕前もなかなかで、また“料理研究家”を自称する稲村さんもガイド達を手伝って腕を奮ってくれたので、テント内での食事はアンデスの山中にいることを忘れさせるほど豪華な内容となった。 また今夜はクリスマス・イブであり、チリの名産品であるワインや怪しげな地酒で登山の前祝いを行った。 廣永さんがハーモニカで賛美歌等を演奏し、貫田隊長がイワン、ヘラルド、そして今日から合流したガイド見習いのマルセイロに日本から持参したプレゼントを手渡し、のっけから非常に楽しい雰囲気となった。


高所順応と訓練を兼ねたエル・プロモへのプレ登山に出発する


ラパルバのスキー場を過ぎると残雪を戴く荒々しい岩峰が望まれた


貫田隊長とチーフガイドのヘラルド


テントの設営を終えたKL社の社長のホワキンと峠で出会う


ピエドラ・ヌメラダのキャンプ地と巨大な食堂テント


快適な食堂テントでの夕食


イワン(右)・ヘラルド(中)・マルセイロ(左)にクリスマスプレゼントを手渡す


   12月25日、午前6時過ぎには明るくなってきたが、周囲を高い山々に囲まれたキャンプ地にはなかなか陽射しが届かず、テントの外に出るととても寒い。 アンデスの山中では陽射しが有るのと無いのとでは大違いであることを体感した。 貫田隊長がパルスオキシメーターを持ってテントを訪問する。 血中酸素飽和度の数値は標高のわりには悪く、86%であった。 午前8時頃になってやっと陽が当たり始め、食堂テントに集合して朝食となった。

   ゆっくりと朝食を食べ、午前9時半に高所順応の訓練登山に出発した。 今日の目的地は、標高4200mの所にあるエル・プロモ登山のB.Cとなるラ・オーヤのキャンプ地であり、明日以降の宿泊及び頂上アタックに備えてそこを往復するということであった。 快晴の天気であったが、これから先2週間以上もこの晴天が続くことになるとは、誰も予想出来なかった。 高所での経験が豊富な宮澤さんは、マルセイロと共にキャンプ地で留守番をされることになった。

   キャンプ地の脇の潤いのある小さな草原を通過すると、その後は単調な岩屑のトレイルが続き、次第に傾斜が増してくると皆だんだん無口になってきた。 その重苦しい雰囲気を打破するかのように突然ムードメーカーの淑美さんが山の歌を口ずさむと、廣永さんがこれに続き隊は再び活気づいた。 途中ほぼ1時間毎に休憩となったが、今度は廣永さんがハーモニカの演奏をして、皆を楽しませてくれた。 後ろを振り返ると、すこし先の尖った秀峰が見えてきたので、イワンに山の名前を訊ねてみたところ、サンホセ(5350m)という火山であると教えてくれた。 ラ・オーヤのキャンプ地が間近になった辺りで、『アコンカグア山頂の嵐』(チボル・セケリ著)に記されていた“ペニテンテス”という名称の無数の氷塔が目の前に出現した。 高さが1〜2mほどのユニークな形をした氷塔は、強い風が氷河を削り取って出来た自然の芸術品であり、アンデスの山に多く見られるらしい。 氷河とは全く趣を異にした白い妖精達に、隊員一同目を奪われた。

   午後2時前にラ・オーヤのキャンプ地と思われるテントの張られていた広場に着いたが、イワンの話によると、ここはまだラ・オーヤではないとのことであった。 ラ・オーヤはまだ残雪に覆われているため、今日の訓練は標高約4000mのこの広場までで終わりとなり、明日以降の宿泊もここで行うことになった。 “ラ・オーヤ下”からは眼前にエル・プロモが大きく望まれたが、ここからの標高差はまだ1400mほどあり、その頂は遙か遠くに見えた。 ラ・オーヤ下では風が強かったため、のんびりと寛ぐことが出来ず、隊員一同思い思いに休憩した後、僅か40分ほどで下山することとなった。

   午後4時過ぎ、宮澤さんとマルセイロに迎えられてキャンプ地に戻ってきたが、“写真家”の廣永さんはキャンプ地の手前で見かけた高山植物の群落につかまって帰ってこない。 食堂テントでは何とスイカが振る舞われ、KL社の心憎いばかりの演出には脱帽した。 夕食は前菜のメロンと生ハムに続き、スパゲティーであったが、味付けも良くとても美味しかった。 今回の登山ツアーではテントで14泊することになっていたが、まさかこんなに素晴らしい環境が用意されているとは思わなかった。 夕食中に今度は『Aトレック』のガイドである大波さんが、貫田隊長を表敬訪問しにきた。 どうやらアコンカグアの登山ツアーを催行しているこちらのエージェントのプログラムが似かよっているため、他の登山隊と殆ど同じ行程になっているようであった。 血中酸素飽和度の数値は84%とあまり芳しくなく、夜中に初めて軽い頭痛の症状が出た。


ピエドラ・ヌメラダのキャンプ地とエル・プロモ


高所順応にB.Cとなるラ・オーヤのキャンプ地に向かう


この日から快晴の天気が2週間以上続いた


ほぼ1時間毎に休憩しながらゆっくり登る


ペニテンテス(氷塔)


ラ・オーヤのキャンプ地直下の標高約4000mの広場で引き返す


ピエドラ・ヌメラダのキャンプ地に戻る


   12月26日、午前6時起床。血中酸素飽和度の数値は90%に上がったが、軽い頭痛の症状は続いていた。 荷物を整理してテントをたたみ、ラ・オーヤ下へ荷上げしてくれるムーラの到着を皆で出迎えた。 朝食後、皆で食堂テントをたたみ、午前9時前にラ・オーヤ下のキャンプ地に向けて出発した。 今日も快晴の素晴らしい天気である。 多少高所に順応したせいか、昨日より少し速いペースで午後1時前にラ・オーヤ下のキャンプ地に到着した。 早速テントの設営にかかるが、ただでさえ気圧が低いのに、風が強いため骨が折れる。 設営後、外は風が強くて寒いのでテントの中で寛ごうとしたが、強烈な陽射しで暖められたテントの中は暑くていられず、居場所に困ってしまった。

   平岡さんの率いるAガイズの隊員達は昨日ここに泊まり、きょう早速エル・プロモにアタックしたらしい。 午後2時半頃その隊員達のうちの何人かが下山してきた。 そのうちの一人の方に話を伺ったところ、午前5時過ぎに出発したが、途中で風が強くなって思うように登れなくなり、時間切れとなってしまったので、午前10時半頃に山頂を目指す本隊と別れて下山してきたとのことであった。 またトレイルはザレていて歩きにくく、風で雪が凍結しているような危ない所もあったこと、そして足は寒さを感じなかったが、指先は手袋を三重にしていても寒かったとのことであった。 結局本隊は登頂に成功し、午後4時頃に下山してきたが、エージェントの方針なのであろうか、その足でピエドラ・ヌメラダのキャンプ地に下っていった。

   夕食は具の沢山入ったカレーライスと豆腐の味噌汁の御馳走であったが、さらにそれに輪をかけるように淑美さんがわざわざ日本から持ってこられた“蕗味噌”を堪能することも出来た。 血中酸素飽和度の数値は89%であり、意外にも人並みに順化しているようで、お腹も絶好調であった。 高山病の予防薬であるダイアモックスは、貫田隊長もまだ服用していないということだったので、私もまだ服用しないことにした。

   真夜中に突然激しい頭痛に襲われて目が覚めた。 初めての経験であれば焦ったであろうが、頭痛はキリマンジャロ登山で経験済のため、慌てることなく半身を起こして何度も腹式呼吸を繰り返した後、外のトイレまでゆっくりと散歩してから水を沢山飲み、再びテントの中で座って腹式呼吸を続けると、少し痛みが和らいだ。 どうやら“熟睡”しすぎたようだった(寝ている間が一番呼吸が浅くなるため)。 外では稲妻が全く音をたてずに夜空を切り裂いていた。 明日は破天荒になるのであろうか?。 その後は1時間位毎に起きて腹式呼吸をしたので、頭痛はさらに軽くなった。 明け方、強い風がテントをゆすり始めたので、トイレに行くのがおっくうになり、初めて尿瓶(古い1Lのプラスチックの水筒)を使ったが、なかなかこれが便利で、以後ずっと愛用し続けることになってしまった。


B.Cのラ・オーヤ直下までムーラが荷上げをしてくれる


ラ・オーヤ直下から見たエル・プロモ


   12月27日、頭は“痛い”から“重たい”に変わった。 血中酸素飽和度の数値は83%に下がった。 貫田隊長も同数値で、やはり昨夜頭痛がしたとのことであった。 どうやら高山病の症状は緩和されたが、時差ボケがまだ続いているようであった。 今日は明日のプレ登山に備えての軽いメニューで、ラ・オーヤのキャンプ地の少し上の氷河の辺りまで往復することになった。 本番を意識して新品のプラブーツに足を通し、オーバーパンツを履いていくことにした。 気温が上がった午前10時に出発し、40分ほどでラ・オーヤのキャンプ地(4200m)に着いた。 テントが2張ほどあったが、キャンプ地の前にあるという氷河湖は雪で埋まっていた。 希望によりキャンプ地の裏手の雪の斜面を登るグループと、稜線上のトレイルを登るグループとに別れてそれぞれ高所順応を行うことになり、プラブーツにアイゼンを着け、感触を確かめながら雪の斜面をゆっくりと登った。 呼吸も全く苦しくなく、明日のアタックに向けて自信がついた。 1時間後に標高4400mの地点で一同合流し、下山することになった。 稜線上は風が強く寒かったが、イワンは「アコンカグアの風はこんなもんじゃないですよ!」と言った。

   午後0時半にキャンプ地に戻った。 稲村さんが作ってくれた昼食の讃岐うどんはとても美味しかったが、高山病の予防に腹八分目にしておいた。 午後は隊員一同思い思いに寛ぐ。 昨日と同じような快晴の天気だが、今日はテントの中にいてもそれほど暑くは感じなかった。 気候に順応したのか、それとも大気中の湿度が昨日より高いためであろうか、明日の天気が気がかりだ。 ありがたいことに体はやっと高所に順応してきたようで、昼寝をしていても頭痛はしなかった。 明後日再びサンチァゴに下ってしまうのがもったいない。 いったん下って、またこの面倒臭い“手順”をふまなければならないと思うとうんざりする。 大きな山を登るためには高所順応のみならず、モチベーションの持続も結構難しいことをあらためて実感した。 夜中に再び強い風が吹き荒れていたが、昨日の稲妻に代わって天の川にかかっている南十字星が見えた。


指呼の間のラ・オーヤのキャンプ地に向けて出発する


ラ・オーヤのキャンプ地


キャンプ地の裏手の雪の斜面で高所順応を行う


今回のB.Cとなったラ・オーヤ直下の広場


   12月28日、午前4時起床。風はまだ収まっていないが、空は明るい満天の星空であり、天気は今日も良さそうである。 陽が当たってくるまではとても寒いので、ダウンジャケットを着込み、オーバーパンツを履いた。 勿論、靴はプラブーツである。 支度を整えてから食堂テントで朝食を食べ、午前5時にいよいよエル・プロモ(5424m)に向けて出発となった。 昨夜の天気予報では午前中は風が強いが、午後は穏やかな天気になるという。 アコンカグアには登れるかどうかも全く定かではないので、プレ登山とはいえ、この山の頂には是非立ちたいと願った。

   経験豊富で高所順応の必要がないというベテランの宮澤さんをB.Cに残し、ヘラルドを登攀隊長、イワンを副隊長とする総勢12名は昨日高所順応のために登った岩屑の急斜面を、ヘッドランプの灯を頼りに黙々と登り始めた。 2人の現地ガイドに加えて貫田隊長・奥田さんといった登山家がサポートしている本当に贅沢なパーティーである。 風はずっと吹き続けている訳ではないが、登るにつれて強さが増してくるようで、そのせいかペースは昨日よりも幾分速いように感じられた。 二重山稜となっている尾根道を登っていくが、高所順応が足りないせいか、体がまだ起きていないせいか足の運びが鈍い。 山頂までの標高差1400m余りが心に重くのしかかってくるが、“この山をクリアー出来なければ、アコンカグアなど夢のまた夢だ”と気合を入れる。

   登り始めて1時間ほどすると辺りは白み始め、ヘッドランプの灯を消す。 時折強い風が吹くと、分厚いダウンジャケットのせいで寒さは我慢できるが、昨日の情報どおり手袋を三重にしていても指先が冷たい。 たまに後ろを振り返るが、ラ・オーヤ下のキャンプ地から登ってくるパーティーは他に見られなかった。 午前7時になってやっと待望の朝陽が当たってきたが、風の強さは衰えることなく、時々耐風姿勢をとらざるを得ないほどになってきた。 風は所々で急に止むこともあるが、突然耐風姿勢もとれないような爆風が吹き、地面に顔を伏せて爆風が通り過ぎるのを待つ場面もあった。 呼吸をするのもままならず、“このまま登り続けて行って大丈夫だろうか?”と経験の無さも手伝って緊張したが、他の隊員達は皆平気な顔をしていた。

   しばらく強風に耐え続けて登っていくと、ありがたいことに周囲に1mほど石を積み上げた2坪ほどの広さの馬蹄形の壕があり、一同そこに逃げ込んで一息つくことが出来た。 そこはまさに山の神に生贄を捧げるための“儀式”を行った場所であった。 あまりの風の強さから、“おそらく今日の登山はここで打ち切りとなってしまうだろう”と内心思った。 ここで引き返すのは残念だが、本番前にアクシデントがあっても困るので仕方がないと思い始めた時、意外にも貫田隊長から「ここでアイゼンを着けて下さい」との指示があった。 不安な気持ちで一杯だったが、下山したいと言い出す軟弱な隊員は誰もいなかった。 私は自分のことだけで精一杯だったので全く気が付かなかったが、壕のなかで一息ついている間に、奥田さんと飯塚さんがこれから先のルート上にある雪の斜面にフィックスロープを張りに行ってくれた。

   壕を出ると風は一段と激しさを増し、前を登る隊員のザックや体を掴みながら、頭を下げて間隔を開けないように一団となって、さながら“ムカデ競争”のように進むこととなった。 間もなく雪の斜面となったが、風で飛ばされても平気なように、奥田さんと飯塚さんが脇を固めてくれたので安心だった。 雪の斜面を過ぎるとようやく風も弱まってきたが、高度のためかシャリバテか足が思うように上がらなくなり、一歩進む毎に立ち止まることもしばしばであった。余りのペースの遅さを見かねた奥田さんが、「隊のペースが落ちるので、ザックを持ちましょう」と提案してくれた。 本当に情けなかったが、他の隊員の迷惑になるといけないと思い、言われるままにザックを預けることにした。しかし、すぐに“素人とは言え私も登山者の端くれだ。こんなことで人を頼っていたのでは、今後登山を続けていく資格はない”と思い直し、奥田さんに「再び遅れるようなことがあったら、その時は必ず従いますから」との条件を付けて、ザックを返してもらった。 大変失礼なことだとは分かっていたが、違う意味でこの登山が苦痛なものとなってしまうので、あえて自我を押し通すことにした。

   呼吸は追いつかず足は上がらないが、頭痛や吐き気といった高山病の症状が出ている訳ではないので、奥田さんと約束した以上何が何でも遅れてはならないと、気合を入れ直し歯をくいしばって登っていくと、トレイルの脇の風の当たらない所で、高度障害で登れなくなり、ぐったりと座り込んでしまっている先行者の姿がポツリポツリと見られるようになってきた。 一瞬彼らの姿を自分にダブらせたが、“ここで脱落するようなことがあれば、アコンカグアには行けないぞ”と何度も何度も自分に言い聞かせた。

   正午を過ぎ、すでに山頂らしき所は頭上に見えてきたが、隊の登高ペースは明らかに落ち、先頭のイワンのすぐ後ろについて登っていた稲村さんの足がとうとう止まった。 間もなく貫田隊長が、あまりここで無理をしないようにとの配慮からであろうか、「現在午後0時半ですが、予定よりも登頂に時間がかかっているため、一応ここで隊としての登山は終了したいと思います」と皆に説明をした。 奥田さんも「このままのペースでは山頂まで1時間半以上はかかると思います」と念を押したが、皆ここまで苦労して登ってきたので、プレ登山とはいえ是非山頂を踏みたいという気持ちが強く、誰一人ここで下山したいと言う隊員はいなかった。 隊員一同の心情を察してか、貫田隊長が「それでは、あと1時間ということで時間を区切り、山頂に辿り着けなくてもその時点で引き返すことにしましょう」と提案し、隊員一同最後の力をふり絞って再び黙々と頂を目指して登り始めた。 やっと高度に順応し足が上がるようになってきた私は、標高差であと150mほど先に見える青空との境目が山頂であれば、あと1時間あればきっと辿り着けるはずだと確信した。 ありがたいことにトレイルを吹き抜ける風の勢いもようやく弱まり、やっと登ることに集中することが出来た。

   午後1時過ぎ、先ほどの地点から1時間を費やすことなく、いちばん元気な淑美さんを先頭に一同順次エル・プロモ(5424m)の山頂に辿り着いた。 どこが一番高い所か分からないような広い山頂はさすがに風が強く、30mほどの爆風が吹き荒れていたが、イワンが指さす先に目指すアコンカグアの雄姿がハッキリと望まれた。 苦労を共にしてきた隊員一人一人と肩を叩き合い、お互いの登頂の成功を祝福しあった。 日本を発つ時には考えもしなかった、感激一杯の登頂だった。 貫田隊長と一緒に最後に登ってきた稲村さんを待って、僅か10分ほどで早々に山頂を辞することとなったが、このプレ登山は“全員登頂”という嬉しい結果に終わったのみならず、アンデスの強風に打ち勝ったことによる自信は“本番”のアコンカグア登山においても非常に役立つこととなった。

   風の強さを除けばトレイル上には危ない所は全くなく、下りは引力の法則に従うだけなので、山頂から3時間余りで宮澤さんとマルセイロが首を長くして待つラ・オーヤ下のキャンプ地に下り、全員登頂の嬉しい報告をすることが出来た。 着替えをして一休みした後、食堂テントでささやかにエル・プロモ登山の打ち上げの祝杯を上げたが、さすがに屈強な廣永さんも胃痛のため打ち上げに参加出来ないほどの大変なプレ登山であった。 私はアコンカグアの頂に立つまでは山中での飲酒は控えようと心に固く誓っていたので、下戸の貫田隊長と二人でジュースで乾杯した。 苦労して登った直後の打ち上げだけに、皆の口は滑らかであったが、ヘラルドが強風で肩を脱臼してしまったことや、稲村さんが強風で舞い上げられ、貫田隊長が飛びついて止めたという話を聞いて驚いた。 当のヘラルドは肩を脱臼しているにもかかわらず、何事も無かったかのように元気に振る舞っている姿には本当に頭が下がった。


風が非常に強く、フィックスロープを頼りに進む


エル・プロモの山頂


エル・プロモの山頂


エル・プロモからの下山中に見た風景


エル・プロモからの下山中に見た風景


山 日 記    ・    T O P