マッキンリー(6194m)

   入山12日目(6月13日)、ありがたいことに天気は昨夜のまま変わらず、快晴の朝を迎えた。 風もここでは全く感じない。 予定どおり今日HCへ上がることになった。 ここまで順調にきているので頂上アタックの予備日はまだ3〜4日あるが、AAI社の方針ではHCには最大3泊くらいしかしないようであった。 つまり、頂上アタックを含め、これが最初で最後のHC行きとなるわけである。 幸運なことに、昨日登頂に成功したAAI社の第2次隊のパーティーが今日HCから下山してくる(竹下さんはこのパーティーと一緒に下山することとなった)ため、MCの私達(第3次隊)のパーティーのテントとHCの第2次隊のパーティーのテントを撤収せずに交換することになった。 つまり、HCにテントを上げなくて済むばかりか、すでにHCにはテントが設営されている状態になっていることになり、その思いがけない朗報に身も心も軽くなった。 しかし、もし今日HCに辿り着けなければ今晩以降の私達のテントは無いわけであるから、見方を変えれば退路を絶たれたことにもなる。

   HCから下山してくる第2次隊のパーティーとの連絡や打合わせ、荷物のパッキング、そして竹下さんとのお別れを惜しんでいるうちに、出発はお昼になってしまった。 日本の山では考えられないが、ここでは午後3時が正午くらいの感じだ。 竹下さんに見送られ、最低限の目標だったMCから次の目標のHCへと向かう。 悲しそうな素振りは微塵も見せず、笑顔で見送ってくれた竹下さんと一緒の隊員であったことを誇りに思った。 テントはなくなり、個人装備と燃料や食料の一部は途中まで荷上げしてあるので荷物はだいぶ軽くなったが、それでもまだ15キロほどある。 しかし、辛い荷上げも今日限りなので、ここは頑張るしかない。 反面、ウエストバットレスの稜線での風の心配を除けば昨日と同じスケジュールでHCに行けるはずなので気は楽だ。

   昨日同様フィックスロープの手前で休憩となる。 今日も天気が良いため、荷上げやHCに上がる沢山のパーティーでフィックスロープは渋滞気味だった。 気温の上昇による霧で視界は一時遮られたが、稜線に上がる手前で紺碧の青空は戻り、MCから4時間弱でウエストバットレスの稜線上のコルに着いた。 今日こそは稜線上でマッキンリーの強風の洗礼を受けることを覚悟していたが、今日も穏やかで風は殆どなく本当にラッキーだった。 そして何よりもこれで何とかHCに辿り着けそうになったので安堵した。 遥か眼下となった長大なカヒルトナ氷河のみならず、稜線の反対側の足下の氷河も一面厚い雲海で埋まり、そのスケールの大きさに5000m以上の高度を感じる。 コルの上部でしばらく休憩した後、デポ地点の目印であるウォッシュバーン・サムの岩塔を目指す。 昨日は霧で視界が悪かったが、今日はウエストバットレスのルートの状況が良く分かる。 足下にはMCのテント村も米粒のように見える。 しかし、まだ肝心の山頂らしき所は見えず、この山の奥深さをあらためて感じた。


MCから下山することになった竹下さんとのお別れを惜しむ


竹下さんに見送られHCへ向かう    ザイルパートナーの栗本さん(右)と細江さん(左)


荷上げやHCに上がる沢山のパーティーで今日もフィックスロープは渋滞気味だ


   昨日よりも少し時間がかかったが、コルから2時間弱でデポ地点に着き、個人装備と食料や燃料を積み増す。 ザックの重さはこれまでにない25キロ以上になったが、この程度でへこたれていては登頂はおぼつかないばかりか、アタックメンバーから外されると自らに言い聞かせて、HCまでの最後の荷上げに耐える。 ゆっくりではあるが喘ぎ喘ぎ1時間半近く登り続け、まだ明るい夜の8時過ぎに待望のHC(5250m)に着いた。

   予想以上に広く開放的な絶好のキャンプ地には、打合わせどおり立派なブロックに囲まれたAAI社の第2次隊のパーティーのテントが3張あり、辿り着けた安堵感と重荷から解放された喜びと疲れで、その前に着くやいなや崩れ落ちるようにへなへなと座り込む。 気象条件が悪ければテントの設営も大変困難になるので、偶然とはいえ今回のAAI社の計らいは本当にありがたかった。 HCでは気象条件が厳しい(風が強い)ため、キッチンテントは設営しないので、夕陽で暖をとりながら立ったままフリーズドライの夕食を食べる。 夕食後デビットから予定どおり明日は休養(順応)日にする旨の指示があった。 疲れもピークに達していたので嬉しい反面、もし明日が最後の好天で明後日以降天気が崩れた場合は、登頂(アタック)のチャンスを逃してしまうので、もし明日も好天が続くようであれば是非アタックしたいと願ったが、全てはAAI社の方針とデビットの判断に委ねるしかなかった。 テントの数が一つ減ったので、今日から細江さんが同じテントの住人となった。


ウエストバットレスの稜線(ウォッシュバーン・サムの岩塔直下のデポ地点付近)の登高


デポ地点から見下ろしたMC(左下)


ウエストバットレスの稜線(デポ地点からHCへ)の登高


HCから見た山頂方面    左に登攀ルートであるデナリパス(5547m)への明瞭なトレイルが見えた


高いブロックに囲まれ磐石の体制のHCのテント(翌日の撮影)


   入山13日目(6月14日)、シュラフから顔を出すと昨日以上の好天だった。 空には雲一つ無い快晴で、おまけに風も全く無かった。 休養日としても最高の日和となったが、こんなに良い天気は気象条件の厳しいこの山で明日も続くとは思えず、何とも言えない複雑な心境だった。 HCはMCほどの広大さは無いものの、下からでは想像出来ないような開放感に溢れたオアシスのような所で、また今日のように天気に恵まれれば、辿ってきたウエストバットレスのルートや長大なカヒルトナ氷河を上から俯瞰し、ハンターやフォレイカー等の周囲の秀峰を眺める絶好の展望地であり、最終キャンプ地としては申し分ないロケーションを誇っていた。 明日の登攀ルートであるデナリパス(5547m)への明瞭な一筋のトレイルが見える。 大きな山ゆえ、入山前は山頂へのアタックが出来るかどうかさえも予想がつかなかったので、HCまで辿り着けたのみならず、淑子さんも見たこの素晴らしい眼前の景色を見れたことで、当初の目標は充分に達成出来たという謙虚な気持ちと、ここまで来たら何が何でも山頂まで辿り着きたいといういつものような頂への強い憧れとが交錯している。 しかしながら、淑子さんが歓迎して下されば素人の私でも山頂に辿り着くことが叶うだろうし、もしそうでなければ叶わないだろうという考えは依然として変わらなかった。 ただ山頂はこのHCからでは見えないので、明日は何とか山頂が見える所まで登り、その場所で今回の一番の目的である淑子さんの散骨を行いたいと切に願った。 それが山頂であれば何も言うことはない。

   気温はもちろん零下であるが、陽光に暖められたテントサイトはまるで天国のようだった。 シュラフやシュラフカバー、インナーブーツ等を干し、隊員一同思い思いに明日のアタックへの準備や休養、テントの周囲の散策をして山頂への思いを馳せる。 DCからずっと気になっていた指先の変色は治ることはなかったが悪化することもなく、高度や寒さの影響はあるものの凍傷ではないという確信が持てた。 意外にもデビットから明日のアタックは早朝からではなく、トレイルに陽が当たり始める9時以降となるとの指示があった。 デビットは山頂までの往復に12時間位を考えているようだ。 結局、今日は一日中雲一つ無い快晴の天気が続き、夕陽も夜の10時過ぎまでテントサイトを照らしていた。 周囲の山々にも雲は取り付いておらず、もしかしたら淑子さんの計らいで本当に明日もこの絶好の天気が続くかもしれないという希望が湧いてきた。


最終キャンプ地としては申し分ないロケーションのHC


山頂へアタックするパーティーが次々とデナリパス(左上のコル)へ登っていく


HCから見たハンター(4441m)


HCから見たフォレイカー(5304m)



LP(ランデイングポイント)から辿ってきた長大なカヒルトナ氷河


HCから見たMC


昨日登ったウエストバットレスの稜線(左下の急峻な雪壁と右上の岩稜上に登山者が見える)


一日中快晴無風の天気となり、テントサイトはまるで天国のようだった


   入山14日目(6月15日)、気持ちの整理もついていたせいか、あるいはテントを叩く風も無かったためか、夜中に尿意で目覚めたものの良く眠れた。 淑子さんの足跡を辿りたいという強い思いが通じたのか、逆に淑子さんが私を呼んで下さったのか、嬉しいことに昨日と変わらない素晴らしい青空が広がっていた。 思わず歓声を上げ、躍り出したくなるような気持ちを抑えるのに苦労する。 もう何も迷うことはない。 山頂でピッケルを頭上に掲げる淑子さんの勇姿も鮮明に脳裏に焼きついたままだ。 “淑子さん、待っててください!。 今、私もそこに行きます!”。

   すでに何組もの先行パーティーがデナリパスに向けて陽の当たり始めた明瞭なトレイルを登って行くのが見える。 デビットには栗本さん、細江さん、そして私が、エイ・ジェイには徳田さん、山田さん、梶山隊長が、それぞれアンザイレンし、予定より少し遅れて10時過ぎに出発。 7時の気温はマイナス20℃だったが、陽が当たってくれば寒さは感じない。 快晴無風の天気のお陰で緊張感やプレッシャーというものはあまり無く、ここまで辿ってきた長い道のりを噛みしめながら、その集大成として一歩一歩淑子さんの待つ山頂に向けて登って行く。 気圧はさらに低くなっていくが、羽毛服・羽毛のミトン・ビバーク用の3Lサイズの雨具・行動食・1Lのテルモスだけとなった軽いザックのお蔭で、今までのような辛さはない。 これ以上望めないと思える絶好の登山日和に、逆に何か不測の事態が起きるのではないかと疑いたくなってしまうほどだ。

   デナリパスに上がる手前には何箇所にもわたって確保支点が設けられており、強風やルートの状態が悪い時の登攀の困難さが想像出来る。 渋滞気味であったにもかかわらず好天に恵まれたため、デナリパスまで概ね予定どおりの2時間半で着くことが出来た。 MC手前のウィンディー・コーナー同様、風の強い場所として悪名高いデナリパスも、今日は不気味なほど風が弱く、相変わらず私一人余裕はないが、隊員一同の足並みは快調で、登頂の可能性はにわかに高まった。 淑子さんが私達の隊を暖かく迎えてくれたのだ。

   デナリパスでほんの少しだけ休憩した後、所々で岩が露出している顕著な雪稜に取り付く。 すぐに短いフィックスロープも見られたが、幾つかの岩場の基部を左から巻いた後は、幅の広い緩やかな雪の斜面となった。 帰路に立ち寄ることが出来たが、そのうちの一つの岩場の上に大蔵さんが設置した気象観測機器が置かれていた。 下部の氷河上と同じように、再び要所要所にレンジャーやガイド会社が立てた目印の細い竹竿が見られるようになり、アイゼンの爪跡のトレイルも明瞭である。 相変わらず風も無く天候が安定していたお陰で、デナリパスから1時間ほど登ったちょっとした平坦地で図らずも休憩することとなった。 高度計の針は電池の消耗で作動しなくなってしまったが、標高はすでに5800mくらいだろう。


快晴無風の天気のお陰で緊張感やプレッシャーというものはあまり無い


ガイドのデビットと栗本さん、細江さん、そして私がザイルで繋がる


デナリパスに上がる手前には何箇所も確保支点が設けられているので渋滞気味だった


デナリパス(中央)を通過して顕著な雪稜に取り付く


デナリパスからは幅の広い雪稜を幾つかの岩場の基部を左から巻いて登る


雪稜は徐々に広く、また勾配も緩くなっていく


デナリパスから1時間ほど登ったちょっとした平坦地で2回目の休憩となる


   前方には悪天候の時に山頂と誤認し易いと言われるアーチデコンズタワーの小さなピークが見えた。 先行パーティーのお陰で、これから辿るルートの状況も良く分かる。 傾斜は緩くなる一方だったが、行動食でお腹を満たし過ぎたのか、6000m近い高度のせいか、足取りがだんだんと重たくなってきた。 波打つような凸凹の緩斜面をだらだらと越えて行くと、トレイルは一旦下りとなり、足下には『フットボール・フィールド』と呼ばれる広大な雪原が広がっていた。 その雪原の向こうにはネットの写真で見た幅の広い巨大な雪壁となっているマッキンリーの山頂が大きく望まれ、その迫力とスケールに思わず息を飲んだ。 “何と大きな山であろうか!”。 淑子さんもここからあの神々しい頂を見据え、渾身の力を振り絞って最後の雪壁を登られたのだろう。 雪原までは僅か数十メートルの下りだったが、もし天候や体調が悪ければ、その威圧的な姿に圧倒され、ここから引き返すことになるだろう。

   雪原へと下ると、そのほぼ真ん中辺りで最後の休憩となった。 すでにMCを出発してから5時間半が経過していた。 デビットから、あと1時間で山頂に着く(実際には渋滞により2時間以上かかった)ので、不要な荷物(ザック)をデポし、羽毛服をジャケットの上から着ていくようにとの指示があった。 眼前の雪壁を登り詰め、頂上へと向かう最後の稜線(カシンリッジ)で風に吹かれなければ、本当にもう山頂も夢ではない。 相変わらず寒くはなかったが、羽毛服を着込み、行動食をお腹に詰め込んで、羽毛のミトンとカメラと淑子さんの遺骨だけをポケットに入れて、いよいよ最後の雪壁の登りにかかる。 上部に行くにつれ雪壁は見た目よりも急になり、足は上がらず息だけが上がるが、幸か不幸か先行パーティーの渋滞により、カシンリッジまで登るのに1時間ほどかかった。


先行パーティーのお陰でこれから辿るルートの状況が良く分かる


標高6000m付近でようやく真のマッキンリーの山頂が正面に見えた


『フットボール・フィールド』と呼ばれる広大な雪原へ下る    山頂は幅の広い雪壁の左端


羽毛服を着込み、カシンリッジへの雪壁を喘ぎ登る


   意外にもカシンリッジとの合流点はちょっとした広場のようになっていて、何組かのパーティーが休憩していた。 山頂方面に目を遣ると、指呼の間に写真で見た山頂直下の巨大な雪庇が見えた。 ほんの一瞬風を感じたものの、すぐにそれも収まり、ようやく100%登頂を確信した。 山頂に伸びる雪稜は急に痩せ細り、相変わらず先行パーティーにより渋滞していた。 山頂の写真を撮ると一瞬気持ちが緩んだのか、不意に目頭が熱くなり、目から涙が溢れてきた。 まだ山頂に辿り着いた訳ではないが、その夢が叶うことが時間の問題となり、山頂を待たずに淑子さんと二人だけで感動を分かち合うことが出来たのである。 願いは叶った。 素人の私の身を案じて、最後の最後までこのような素晴らしい天気を用意してくれたのも淑子さんをおいて他になかった。 きっと淑子さんはデナリ(先住民がマッキンリーにつけた名称で“偉大なるもの”の意)の山の神になられたのだろう。 下山してくるパーティーとの行き違いもあり、あと僅かばかりとなった山頂への登攀は遅々として捗らなくなったが、もうそんなことはどうでも良かった。 今の私にはもはや山頂さえも不要だった。 淑子さんがこの最後の雪稜を辿られた時の情景や、山頂に立たれた時の感激の場面を思い浮かべながら一人悦に入った。 そして今までとは別人のように、最後はまるで雲の上を歩くような軽やかな足取りとなり、万感の思いを込めて夢にまで見た憧れのマッキンリーの頂に辿り着いた。 時刻は夕方の6時25分、HCを出発してから8時間を超える長い道のりだった。


カシンリッジとの合流点はちょっとした広場のようになっていて、何組かのパーティーが休憩していた


カシンリッジとの合流点からは指呼の間に山頂直下の巨大な雪庇が見えた


山頂に伸びる雪稜は急に痩せ細り、先行パーティーにより渋滞していた


憧れのマッキンリーの山頂に辿り着く


   ふと我に返り、山頂に導いてくれたデビット、ザイルパートナーの栗本さんと細江さんと交互に握手を交わし、肩を叩き合ってお互いの登頂を讃え合い、登頂の喜びを新たにした。 残りの隊員達のパーティーは、カシンリッジとの合流点で休憩していた他のパーティーが割り込んだため、すぐには山頂に到着しそうもなかった。 当時の淑子さんと同じくピッケルを頭上に掲げたポーズで写真を一枚だけ撮ってもらい、早速淑子さんの散骨をさせていただく。 気持ちが昂揚していたのか、快晴無風とは言えマイナス20℃の世界で3重の手袋を外し、指先の症状のことも忘れて、素手でご主人の晃三さんから託された細かな骨を山頂の片隅の雪の中に祈りを込めて埋めさせていただいた。 「本当にここは素晴らしい所ですね!。 今日は良い天気をありがとうございました!」。 淑子さんも見た紺碧の空の下、入山前の感傷的な気持ちに苛まれることなく、爽やかな気持ちで淑子さんに語りかけることが出来たことが自分でも嬉しかった。

   間もなく到着したエイ・ジェイの率いる山田さん、徳田さん、そしてしんがりの梶山隊長と皆で再び登頂の成功を祝い、猫の額ほどの狭い山頂で何枚も記念写真を撮った。 唯一、苦楽を共にしてきた竹下さんがいないことが本当に悔やまれる。 長く遠かった道のりの果てに、ようやく辿り着いた愛しい山頂からの眺めは正に筆舌に尽くし難く、周囲に聳える無数の白い山々と、この山を源とする全ての氷河が眼下に納まり、唯一この場所がその展望を可能にしていることを教えてくれた。 これほどまで感動的な頂が他にあっただろうか?。 “夢のようだ、夢ならいつまでも覚めないで欲しい”。 傍らにいる淑子さんと共に私も心の中で呟いた。 そして、もう二度と来ることは叶わない山頂を辞する時、淑子さんに再び語りかけた。 「お会い出来て嬉しかったです!。 安らかに、いつまでもここで夢の続きを見ていて下さい!」。

   淑子さんの眠るデナリの頂は、私にとっても一番の記憶に残る場所となった。


山頂の片隅で淑子さんの散骨をさせていただく


猫の額ほどの狭いマッキンリーの山頂


(左から)梶山 ・ 山田 ・ 酒井 ・ 徳田 ・ 細江 ・ 栗本 ・ エイ・ジェイ ・ デビット(手前)/敬称略


快晴無風の山頂で何枚も記念写真を撮る  (左から)酒井 ・ 山田 ・ 栗本 ・ 細江 ・ 徳田/敬称略


山頂から見たフォレイカー


山頂から見たハンター


夜の11時前にHCに戻る


山 日 記    ・    T O P