レーニン・ピーク(7134m)

   8月16日、早いものでいよいよ今日から3泊4日で山頂アタックに向かう。 順応はほぼ出来ているので、あとは天気と風の強さ次第だ。 前回と全く同じスケジュールで3時半に起床し、上部キャンプでの朝食と同じカップそばと行動食の煎餅を試食を兼ねて食べ、5時前にC.1を出発する。 頭上には上弦の月がこうこうと輝き、金星も見える快晴の天気だ。 前回と同じように他のパーティーはすでに出発していったので周囲に人影はない。 先頭のビシュヌが私達の荷物をボッカしているため、また私達も一昨日までの疲労が残っているため、ペースは前回よりもむしろ遅いくらいだ。 モレーン上のルートの記憶は新しく、前回と同じ1時間半ほどで氷河の取り付きに着いた。 アイゼンとハーネスを着け、ビシュヌと工藤さんと私が、そして平岡さんと山本さんと田路さんが、それぞれロープを結んだ。

   快晴の天気で絶好の登山日和となりそうだったが、氷河を登り始めてから30分ほど経つと吹き下ろしの風が徐々に強まり、以後C.2まで吹き止むことはなかった。 休んだり止まったりすると寒いので、トイレ以外では休憩することなしに登り続けたが、順応よりも疲労の蓄積が勝ってしまったようでメンバーのペースは上がらず、奇しくも前回と同じ正午ちょうどにC.2に着いた。


未明のダイニングテント


3泊4日で山頂アタックに向かう


1時間半ほどで氷河の取り付きに着く


前回と同じようにビシュヌと工藤さんと私がロープを結んだ


氷河を登り始めてから30分ほど経つと吹き下ろしの風が徐々に強まった


休んだり止まったりすると寒いので、トイレ以外では休憩することなしに登り続けた


順応よりも疲労の蓄積が勝ってしまったようでメンバーのペースは上がらなかった


正午ちょうどにC.2に着いた


   今回も前回と同じテント割で工藤さんと一緒になった。 C.2に上がったパーティーが少なかったようで、私達の入ったテントは地面の凹凸が激しく底も濡れていたが、3人用の大きなテントだったので、少し手を加えるとまずまず快適に過ごせるようになった。 順応はそれなりに進んでいるので体調は良いが、脈が60台までなかなか下がらず、夕方4時のSPO2と脈拍は83と70だった。 夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来たが、夕食後のSPO2と脈拍は84と74で、まだ依然として疲労のバロメーターとなる脈が高かった。


順応はそれなりに進んでいるので体調は良い


3人用の大きなテントで快適に過ごす


夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来た


   8月17日、一晩中風が吹いていたが、頭痛は一切なく疲れていたので良く眠れた。 辛い夜を過ごした前回とは全く違うのが嬉しい。 起床前のSPO2と脈拍は77と58で体調は良く、朝食のカップそばを2個くらい食べられそうな感じだった。 ありがたいことに天気は今日も快晴で、風もようやく収まった。 エージェントのスタッフがC.3への荷上げのためC.1から上がってくることになっていたが、若い女性が荷物のパッキングをビシュヌとやっていたので驚いた。 C.2からC.3への荷上げは1キロ当たり8ドルとなっていて、私の荷物は7キロだったので56ドルをその場で支払った。


体調は良く、朝食のカップそばを2個くらい食べられそうな感じだった


C.3への荷上げをするのは若い女性スタッフ


先行する女性スタッフ


   ビシュヌを先頭に8時半前にC.2を出発する。 顕著な広い尾根に乗るまで風は殆どなかったが、尾根に上がってからは昨日と同じように風が徐々に強まり、以後C.3まで吹き止むことはなかった。 風は色々な方向から吹くばかりか、時々飛ばされそうになるほどの突風が吹くので、その都度足を止めて耐風姿勢をとらなければならなかった。 レーニン・ピークの山頂のみならずC.3付近にも雪煙が舞っていたので、主稜線には更に強い風が吹いているのだろう。 前回と同じように指先が時々冷たくなり、ダウンミトンをするかどうか迷ったが、オーバー手袋の中で指を丸めて暖め、ダウンミトンは使わずに登り続けた。 一方、前回よりも順応が進んでいるため、登ることに関しては全く問題なく、むしろ余裕すらあったので、明日の登頂への手応えをひしひしと感じて胸が高鳴った。 登れば登るほど風は強くなり、私達の荷物の荷上げを終えて下ってきたスタッフの女性から、上はもっと強いと言われて嫌になる。 休んだり止まったりすると寒いので、休憩もそこそこに登り続け、C.2を出発してからちょうど5時間が過ぎた1時半前に最終キャンプ地のC.3(6100m)に着いた。 C.3では予想どおりそれまで以上に強い風が吹いていたが、むしろその冷たさが前回と同じように尋常ではなかった。

 

C.2から顕著な広い尾根に乗るまで風は殆どなかった


C.3付近には雪煙が舞っていた


尾根に上がってからは風が徐々に強まり、以後C.3まで吹き止むことはなかった


C.2とC.3の間から見たレーニン・ピークの山頂


登れば登るほど風は強くなった


C.3直下から見たレーニン・ピークの山頂


C.2を出発してからちょうど5時間で最終キャンプ地のC.3に着いた


C.3ではそれまで以上に強い風が吹いていた


   他の隊よりも早く着いたので、エージェントのテントは空いていたが、テントキーパーから一番端の新しいテントを勧められたので、爆風から逃れるように中に転がり込んだが、一番風上だったためテントがバタついて落ち着かなかった。 間もなく到着した工藤さんと今日も一緒になった。 先程までの好調さが嘘のように、しばらくすると頭が熱くなり、軽い頭痛が始まった。 疲労で顔が少しむくみ目も腫れていた。 SPO2と脈拍は74と90で、気分も少し悪かった。 強い風はなかなか止まなかったが、夕方になってようやく収まった。 平岡さんから、明日は1時に起床し、1時半から朝食と行動用のお湯を配り始め、2時半に出発するという説明があった。 もし出発時に風が強ければ、風が弱まるまで待機するとのこと。

   夕食前のSPO2と脈拍はようやく86と68となり、食欲はあまりなかったが夕食のフリーズドライのカレーは予定した分を完食出来た。 夕焼けに染まるレーニン・ピークの写真を撮りたかったが、今日は自重してシュラフにもぐり込んだ。 周囲が暗くなると一旦収まった風が再び強く吹き始め、テントの生地がシュラフに当たって全く眠れなくなってしまった。 日付が変わってもこの状況は変わらず、2時半の出発は無理かと思えた。


C.3のテントサイト


工藤さんと今日も一緒になった


夕食のフリーズドライのカレー


   8月18日、爆風は全く止む気配はなかったが、予定より少し早い1時前に起床して準備を始めると、テントの外から平岡さんが大声で、出発を4時に変更すると叫んでいるのが聞こえた。 この風では出発出来ないばかりか、炊事用のお湯を作るのも困難だろう。 再びシュラフにもぐり込み風が弱まるのを待ったが、風は一向に吹き止む気配はなく、4時の出発に向けて準備を始める2時半になってしまった。 先ほどと同じタイミングでテントの外から平岡さんが、出発を6時に変更すると叫んでいるのが聞こえ、これは半ば今日のアタックは無理だなと諦めつつ再びシュラフにもぐり込んだ。 それをダメ押しするかのように風は一層強く吹き続けた。 一昨日C.1で見た天気予報からすると、明日以降は風が強くアタックするのが難しそうなので、4時に起きて出発の準備を始めたが、しばらくすると再度平岡さんから、今日のアタックは中止するという指示があった。 すでに覚悟は出来ていたし、仮に6時に出発したとしても、途中で時間切れになる可能性も大きいので、それほど落胆はしなかった。 今朝は珍しく体調が良かったので、予報が外れて好天が明日にずれ込んでいるのであれば、明日の好天に賭けるのも悪くないと気持ちを切り替え、装備を解いて再度シュラフにもぐり込んだ。

   ところが、それから思いもよらぬ事が起き、登頂の夢は一瞬のうちに潰えてしまった。 周囲が明るくなり、平岡さんからアタックを明日に順延するという説明を聞いてから、昨日から少し白くなっていた右手の親指の先を平岡さんに見せたところ、これは凍傷だと即座に宣告されてしまったのだ。 急遽、応急処置ということで、コッフェルに張ったお湯で1時間ほど指を温めてもらうと、少しふやけた指は全く異常が無いように見えたので、取り越し苦労だったと安堵したが、意外にも平岡さんから、下山すれば治る可能性はあるかもしれないが、凍傷には間違いないので、今すぐ下山してC.1常駐しているエージェントのドクターの治療を受けるようにと強い口調で言われてしまったので、有無を言わさずこれに従うしかなかった。 その数秒後にはウールの手袋と羽毛のミトンまで右手にはめられてしまい万事休すだ。 たまたまアタックが中止になったことで、軽い気持ちで平岡さんに相談したことが裏目に出てしまい、地獄の底に突き落とされたような気持になった。 「好事魔多し」の諺は正にこのことだろう。

   右手が不自由になってしまったので、工藤さんに色々と面倒を見てもらいながら、急いで朝食を食べ、テントの中の荷物を整理して下山の準備をする。 C.1まで一人で下るつもりでいたが、平岡さんの指示でビシュヌと一緒にC.1に下ることになった。 明日の登頂を目指してC.3に残る田路さん、山本さん、そして工藤さんに別れを告げ断腸の思いでC.3を後にする。 気が付けば天気は嘘のように回復し、風の弱い絶好の登山日和となっていた。 一昨年登れなかった同じ山域のハン・テングリのリベンジを誓ってこの山にチャレンジしに来たが、逆に傷口に塩を塗るような結果となってしまい、自分に対する慰めの言葉も見当たらない。 ミトンをした右手では写真を撮りにくいが、それ以上に写真を撮りたいという気持ちが湧いてこなかった。

   昨日の強風、そして未明の爆風が嘘のようにC.2への下りは無風となり、一度も休憩することなく僅か1時間ほどでC.2に着いた。 C.2では私と同じように何らかの事情で隊から離脱しC.1に下る単独の外国人と一緒にビシュヌとロープを結ぶことになった。 C.2からC.1への下りでは気温が上昇し暑くなってきたが、気力が失せてしまったことで着替えるのが面倒臭く、汗をかきながら氷河の取り付きまで殆ど休まずに下り続けた。 氷河の取り付きまで下ると、ようやく少し現実を受け入れられるようになり、ロープを解いてからゆっくり寛いだ。

   1時前に今まで以上に閑散としたC.1に着き、すぐにエージェントのドクターのテントに向かう。 ビシュヌと一緒にドクターに事情を説明し、手袋を外して右手の親指を見せると、すでに指の白さは殆どなく、ドクターからは全く問題ないという診断があった。 ドクターの診断で安堵した反面、再び悔しさがこみ上げてきたが、もう後の祭りだ。 ビシュヌに個人装備の荷下げ料を支払い、相応のチップを手渡す。 ガランとしたダイニングテントで遅い昼食を食べ、掲示板に貼り出された明日以降の天気予報をチェックすると、明日と明後日の風は出発前よりも少し弱くなっていた。 ビシュヌは登頂後の私達の隊の下山をサポートするため、明日の未明から再びC.3に上がるとのことだった。


C.3から見たレーニン・ピーク


氷河の取り付き付近から見たレーニン・ピーク


今まで以上に閑散としたC.1


掲示板に貼り出された明日以降の天気予報


夕食のピザ


C.1から見たレーニン・ピーク


   8月19日、登頂を逃した悔しさで一晩中眠れないかと思ったが、色々と余計なことを考えているうちに朝まで一度も目覚めることなく熟睡した。 早朝から予報よりも良い快晴の天気で、純白のレーニン・ピークが澄みきった青空に良く映える。 稜線には雪煙は見られず、強い風は吹いていないようで、奇しくも一昨年のハン・テングリの時と全く同じように、アタック日が滞在中で一番良い天気となった。 再び悔しさや空しさがこみ上げてきたが、これは運命だと受け容れるしかない。 昨日とは逆にレーニン・ピークの写真を何枚も何枚も撮り続けた。 朝食後のSPO2と脈拍は87と58で、肉体的な疲労感は全くなかった。  時間はたっぷりあるので、シュラフを干したり靴を洗ったりしながら、いつもはB.Cでやるような登山用品の細かい片付けや整理をする。 そろそろシーズンが終了になるため、エージェントのスタッフ達も使われていないテントを解体したりして撤収の方向に動いていた。 昼を過ぎても雲一つない快晴の天気が続いていたので、私達の隊の登頂は間違いないと思われた。

   夕方の昼寝から目覚め、そろそろ7時の夕食の時間になろうとした時、隣の平岡さんの個人用テントから何やらゴソゴソと音が聞こえてきた。 テント荒らしかと思い、声を掛けながらテントを開けると、当の平岡さんの姿があったので驚いた。 登頂後にC.1に下ってくるには早過ぎるし、この天気で登頂していないことは考えられない。 不思議に思いつつ話を伺うと、昨日と同じように夜中の風が強く、今朝5時半にようやくアタックを開始したが、結局強い風は吹き止まず、2時間ほど登ったところで登頂を断念しC.3に引き返したとのことだった。 田路さん達はまだこれからビシュヌと一緒に下ってくるとのことで、氷河の取り付きに向かって迎えに行くことにした。 間もなく出会った田路さんと山本さんを労い、さらに歩いていくと、ビシュヌと一緒にこちらに向かってくる工藤さんの姿が見えた。 登頂こそしていないものの、6100mのC.3に2泊したことで消耗している感じが見て取れた。 思いもよらぬことで、皆と夕食の席を共にすることになった。 予備日はまだ3日残っているが、この状況で再度アタックすることは事実上無理なので、今回のレーニン・ピークへの登頂は隊としても不成功に終わった。


C.1から見た早朝のレーニン・ピーク


C.1から見たラズレルヤナ・ピーク


昼を過ぎても雲一つない快晴の天気が続いていた


昼食のデザートのスイカ


C.3から下山してきた田路さんと山本さん


C.3から下山してきた工藤さんとビシュヌ


皆と夕食の席を共にする


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