7月21日、6時に起床。 5時には明るくなったが、テントに陽が当たるのは6時半だった。 夜中に何度か目が覚めたものの、意外にも頭痛や動悸はなかった。 起床後のSPO2と脈拍は90と56で数値も驚くほど良かった。 テント内の気温は7℃だったが、数値以上に暖かく感じる。 外も4000mの高度にしては暖かい。 高度計の数字は相変わらず3800mのままだが、平岡さんのGPSでは4050mほどあるとのことだった。 B.Cには家型のテントが30張ほどあった。 私達のテントはトイレから一番遠いようで、50mほど離れていた。 朝食は8時からだったが、残念ながらカルカラのキャンプ場と同じオートミールだった。
朝食後にルダから、ハン・テングリのルートの状態が悪いので、今日はこれからB.Cに下りてくるパーティーが多いという情報が伝えられた。 ガイドやパーティーの責任者が毎日定時に無線でB.Cと連絡を取っているようで、山の状況が良く分かるのがありがたい。 今日からのカーリィー・タウ登山の打ち合わせをガイドのワディム、セルゲイ、イゴールとボスのムハを交えて行った。 出発前にB.Cに常駐している女医さんからの問診と血圧測定があった。 血圧は110と70だったので、女医さんから20歳台ですねと褒められた。
10時半前にB.Cを出発し、幅の広い北イニルチェク氷河を上流に向けて遡上する。 道案内(ガイド)は一番年配のワディムで、若いセルゲイとイゴールは後から荷物を担ぐポーター役として来ることになった。 氷河は単調で勾配が殆どなく歩き易いが、クレヴァスを流れる小沢が多いため、なかなか真っ直ぐに進めず、迂回したりロープを使ったりスノーブリッジを探したりしながら進む。 間もなくB.Cからは見えないバヤンコール(5841m)などの山が左手に見えてきた。 1時間歩いても標高は50mほどしか上がらなかったが、左前方には目的のカーリィー・タウ(5450m)とその隣のMt.カザフスタン(5761m)が望まれるようになった。
1時間毎に適当な場所で休憩しながら、2時前に北イニルチェク氷河の源頭部に着くと、ワディムが明日の下見を兼ねて今日泊まる場所を探しに行ってくれた。 高度計の標高は4020m(GPSでは4270m)と、B.Cから220mしか上がってなかった。 ワディムのロケハンの結果、ここをC.1とすることになり、少し遅れて到着したセルゲイ達が担いできてくれたテントを設営する。 平岡さんが日本から持ってきた新しいニーモ社製のテントはとても機能的だが、初めてということもあり設営に時間が掛かった。 今日は田路さんと一緒のテントとなる。
夕方5時のSPO2と脈拍は83と66と数値はあまり良くなかったが、体調は良く食欲もあった。 夕食はアルマトゥイで買った馬肉と麦を混ぜたような料理の缶詰を食べたが、脂が多く順応途上のお腹に悪そうだった。 案の定、消化不良のため夕食後は脈が80台になってしまった。 ここからC.2までは半日行程だが、ワディムから気温が高くて雪の状態が悪いため、明日は5時に出発するとの指示があった。
7月22日、3時に起床。 昨日とは一変して夜中は動悸と頭痛で殆ど眠れなかった。 起床前のSPO2と脈拍は86と58で数値だけは良い。 テントの中は暖かいが手先は冷たい。 カップ麺を食べ、テントを撤収してから予定どおり5時にC.1を出発する。 すでに周囲は薄明るく、ハン・テングリの頂稜部も見えた。 氷河を10分ほど歩いてから大小の岩が堆積したモレーンのガラ場を登り始める。 昨日はとてもゆっくりだったワディムのペースが急に速くなった。 足元には浮石が多かったので、おそらくここは落石の危険があるのだろう。 田路さんと割石さんの70台コンビはワディムのスピードに合わせて登っていくが、私は息を切らしながらついていくのがやっとだ。 ガラ場を1時間ほど登った所に下からも良く見えた大きな岩があり、ようやくそこで一休みすることが出来た。 朝陽に輝くハン・テングリの頂稜部が神々しい。
大岩から先では足元の岩が次第に小さくなり傾斜も少し緩んだ。 大岩から小1時間で足元の岩を雪が覆うようになりアイゼンを着ける。 ここまでC.1から標高差で300mほどだった。 間もなく氷河の取り付きとなり、私と田路さんがワディムと、割石さんは平岡さんとロープを結んで登った。 懸念していた雪の状態は悪くなく、ロープを結んでからはペースも落ちたので安堵した。 それほど勾配のない斜面を30分ほど快適に登っていくと、ちょっとした凹地にテントが見られた。 少し違和感を感じたが、その理由はすぐに分かった。 そこから目と鼻の先のセラックの基部が深いギャップとなっていて、ルートを遮断していたのだった。 ワディムがギャップに下りてその先のルートを偵察してから、フィックスロープを固定するのに1時間近く掛かった。 ワディムが気にしていたのは、このギャップのことだったのかもしれない。
短いフィックスロープを懸垂で下ってギャップを通過すると、その先は純白の広い雪原になっていた。 眼前にはボリューム感たっぷりのカーリィー・タウと、5000m峰とは思えない重厚な面持ちのMt.カザフスタンが鎮座して威容を誇っていた。 振り返るとハン・テングリもさらに凄みを増して望まれるようになり、そのロケーションの素晴らしさに思わず歓声を上げた。 目標のカーリィー・タウのみならず、Mt.カザフスタンも本当に魅力的な山で、近くにハン・テングリがなければ、もっと登山者が増えるのではないかとさえ思えた。 もっともハン・テングリがなければ、B.Cまでヘリが飛ばないだろう。
まだ時間は早いが、陽光に暖められた雪原の雪は柔らかく、またヒドゥンクレヴァスもあるようで、ワディムはロープを長く伸ばして慎重に前へ進んだ。 すぐに広い平坦地となったが、まだC.2には早過ぎると思ったのでワディムに尋ねると、さらに1ピッチ登った先にも同じような平坦地があり、どちらを今日のキャンプ地にしても良いとのことだった。 まだ時間も早いし、もともと順応のために来ているので、少しでも標高が高い上のキャンプ地まで行くことに異論はなかった。
雪原の勾配はかなり緩やかだが、トレースが無いためペースはさらに遅くなった。 最初の平坦地から小1時間を要し、10時半にワディムが言った次の平坦地に着いた。 高度計の標高は4520mだったので、C.1からちょうど500m登ったことになる。 山頂方面から二人組のパーティー(先ほどのテントの主)が下ってきたので、ワディムがすかさずその二人に走り寄り、上のルートの状況について情報収集をしていたが、二人は順応不足でカーリィー・タウとMt.カザフスタンの間のコルで引き返してきたとのことだった。
傍らに純白のカーリィー・タウが屹立するC.2は、ハン・テングリを眺めるのにも格好の場所で、まさに“百聞は一見にしかず”の諺どおり、飯塚さん夫妻がこの素晴らしいロケーションに大いに感動されたということが、ここに来てあらためて良く分かった。 一息入れてから足で雪を均してテントの整地をしたが、これがけっこうくたびれる。 テントを担いで登ってくるセルゲイ達の姿は全く見えず、暖かく風のないC.2で居眠り大会となってしまった。 C.2に着いてから2時間以上経った12時半過ぎに、ようやくセルゲイ達がC.2に着いた。 さっそくテントを設営して水作りを始め、一刻も早く脈を下げるために水分の補給に努める。 2時半頃にB.Cから登ってきたスペイン隊の男女二人のパーティーがC.2に着いた。 正午のSPO2と脈拍は80と80だったが、4時過ぎには85と68になり、気持ちよく昼寝が出来るほどになった。
夕方になると空が曇り始めたので、明日の天気が心配になった。 夕食は魚肉ソーセージとインスタントラーメンをケチャップでスパゲテイ風にして食べた。 夕食後にワディムから、明日は3時に出発するとの指示があった。 昨夜のように夕食後は消化不良で脈拍が上がり、SPO2と脈拍は78と78になってしまった。
7月23日、1時半に起床。 今日は妻の誕生日だ。 昨夜は予想どおり動悸と頭痛、そしてまるで心臓病のように胸の奥が締め付けられるような不快感で殆ど眠れなかった。 起床後のSPO2と脈拍は76と63で意外と脈は低かった。 残念ながら空には星が見えず曇っている。 食欲はないのでチキンラーメンだけをお腹に流し込む。 3時に出発の予定だったが、ワディムがカーリィー・タウとMt.カザフスタンの間のコルまではロープを結ばずに行くということに平岡さんが猛反対し、しばらく二人で議論を交わしていたが、結果的に効率面より安全面を優先するということで、昨日と同じように私と田路さんがワディムと、割石さんが平岡さんとロープを結んで登ることになった。
セルゲイとイゴールに見送られ、3時過ぎにC.2を出発。 相変らず風も無く暖かい。 まるで夏のヨーロッパアルプスの山を登るような感じだ。 昨日C.2から見えていた峠のような所までは勾配の緩やかな登りが延々と続く。 昨日の二人組のパーティーの薄いトレースはあるが、先頭のワディムが柔らかい雪をラッセルしながら進むためペースは遅い。 体調の悪い私には真に好都合だ。 40分ほどで峠のような所に着き一息入れるが、C.2からまだ標高差で60mほどしか登っていなかった。 天気は良くならず、時折小雪が舞ってくるようになった。
峠からは一旦僅かに下り、カーリィー・タウとMt.カザフスタンの間のコルまで再び緩やかで単調な登りとなる。 相変らずペースは遅くてありがたい。 突然、後ろから単独者が勢いよく傍らを追い越して行った。 良く見るとそれはイゴールだった。 今回イゴールはポーター役なので、C.2で留守番をするとばかり思っていたが、どうやら先行してトレースをつけてくれるようだ。 あるいは単にカーリィー・タウに登りたかったのかもしれない。 いずれにしても、あっという間にその姿は見えなくなった。 間もなく周囲が薄明るくなり、前方に顕著なコルが見え始めると、今度はセルゲイが追い付き、ワディムに一声掛けると足早に追い越して行った。
峠から1時間半ほど登り、5時半前にカーリィー・タウとMt.カザフスタンの間のコルに着いた。 コルの右手にはカーリィー・タウの山頂方面に伸びる長い雪稜が見え、目を凝らすと雪稜を登るイゴールとセルゲイの姿も見えた。 高度計の標高は4730mで、C.2からの標高差は200mほどだった。 雪は止んだが天気はあまり良くなく、残念ながらここから見えるはずのハン・テングリは全く見えない。 一方、ここから見た雪稜を登るルートは易しそうで、先行しているイゴールとセルゲイの新しいトレースもあるので、あと3時間もあれば山頂に届きそうに思えた。
峠でしばらく休憩し、5時半過ぎにやや急な広い雪稜を登り始める。 ありがたいことに稜上も風が全くなかった。 体調も少しずつ回復してきたので、何とか山頂まで登れそうな感じがした。 すぐに小さな岩場があり、短いフィックスロープをユマールで登る所があったが、そこを過ぎるとコルから見たとおりの易しい雪稜歩きとなった。 天気も徐々にではあるが回復し、上空には青空も僅かに見えるようになった。 ワディムのペースも相変わらずゆっくりなのが嬉しい。 いつの間にか体調も良くなり、間もなく先行していたイゴールが下ってきたので登頂を確信した。
頭上に山頂らしき所が見えた所で最後の休憩となった。 高度計の標高はようやく5000mになった。 ちょうど後ろからスペイン隊の二人が追い付いてきた。 彼らはC.2を4時半に出たとのことだったが、先ほどから高度の影響で登るペースが急に落ちたという。 しばらく彼らと雑談を交わすと、休憩後は私達の隊と一緒に登るような感じになった。 もちろん、今日カーリィー・タウに登るのは、今ここにいるメンバーだけだ。 間もなく今度はセルゲイが下ってきた。 セルゲイもワディムに一声掛けただけで、足早に下って行った。
ここからは平岡さんと割石さんのパーティーが先行し、スペイン隊のパーティーを間に挟んで私達のパーティーが最後尾となった。 右に見えるMt.カザフスタンの山頂がいつの間にか目線の高さとなり、山頂直下では雪稜も痩せてきたが全く難しい所はなく、8時過ぎに山頂のような雰囲気の広いピークに着いた。 指呼の間にここよりも少し高い巨大な雪庇のドームが見えたが、ここから先は氷河の状態が非常に悪いため、一般的にはこの広いピークをカーリィー・タウの山頂としているようで、ワディムはあえて雪庇の方に近づこうとはしなかった。 高度計の標高は5108mとなっていたので、実際のこの広いピークの標高は5350mくらいだろう。 休憩もそこそこに、寸暇を惜しんで周囲の山々の写真を撮りまくった。
未明から早朝に比べると天気は少し良くなり、雲は多いながらも東の方角には端正なムラモルナヤステナ(6400m)が大きく望まれ、西には手が届きそうな近さにMt.カザフスタンの頂が迫っている。 あいにく一番楽しみにしていたハン・テングリには雲が取り付き、すっきりとその姿を見ることは出来なかった。 スペイン隊の二人は、人の多いハン・テングリには登らず、静かな山を求めてこの山を登りにきたとのことだった。 目的は違うがお互いの登頂を祝福して写真を撮り合った。 順応が目的ではあるものの、なかなか簡単に来れる場所ではないので、今回カーリィー・タウに登れて本当に良かった。
山頂での至福の時間はあっという間に過ぎ、8時半過ぎにスペイン隊のパーティーに続いて山頂を後にする。 登りとは反対に下りは私が先頭になった。 ゆっくり下ったつもりだが、まだ雪の状態が良くトレースも充分あったので、山頂から1時間足らずでコルに着いた。 予想よりも早くコルに着いたので、コルで少し休憩してからC.2への緩やかな斜面をワディムを先頭に下る。 天気は下の方ほど良く、気温の上昇による暑さと雪面からの照り返しが苦痛になってくる。
コルからはちょうど1時間、山頂からは2時間少々でC.2に着いた。 喉がだいぶ渇いていたので、出迎えてくれたセルゲイから差し出された温かい紅茶をガブ飲みする。 二日続けての睡眠不足と行動食をあまり食べていないことによるシャリバテ、そして一番の原因は高度障害のため、C.2に着いたとたん気分が悪くなってしまったが、正午にC.2を発つことを目標に、休む間もなく荷物のパッキングとテントの撤収を始める。 当初の計画ではC.2で順応のため連泊することになっていたことを思うと余計辛い。
正午ちょうどにC.2を発つ。 スペイン隊の二人は、明日はMt.カザフスタンを登るとのことで、B.Cに下る私達を見送ってくれた。 午後に入ると気温はさらに上昇し、時々雲間から陽が射すと雪原の上は地獄のような暑さとなったが、幸か不幸か午後も曇りがちの天気だったので助かった。 昨日越えたセラックの基部のギャップはユマールを使って登った。 氷河の取り付きでロープを解き、浮石の多いガラ場の下りでは、あともう少しで北イニルチェク氷河に下れるという所で、傍らの直径1mほどの大きな岩が突然動き出し、割石さんと田路さんを後ろから襲ったが、幸いにも割石さんが足首を打撲しただけで済んだ(帰国後に骨折していたことが判明した)が、一歩間違えれば二人とも大けがをするところだった。 落石騒ぎでC.1への到着は少し遅くなったが、C.1からB.Cへの北イニルチェク氷河の下りは、先行したセルゲイとイゴールの後を追って登りよりも効率的なルートを辿れたので、予想よりも早く5時半にB.Cに着いた。 未明からの長時間の歩行で、足はすでに棒のようになっていた。