エベレスト(8848m)

   5月18日、酸素を潤沢に吸って寝たので、起床後のSPO2と脈拍は90と60で脈が低かった。 今日からいよいよ8泊9日で山頂へのアタックステージに入る。 風邪や倦怠感、そして下痢や鼻詰まりなどB.Cでの長いレストの期間中に色々な体調不良があったが、それらを何とかリカバリーしてこの日を迎えることが出来た。

   朝食前に倉岡さんがカーリーに呼ばれたので、ただごとではない感じがした。 予感は当たり、朝食後に倉岡さんから、登頂予定日の24日の天気予報が信頼出来なくなり、もしかしたら次の好天が予想される27日にアタック日が順延となるか、最悪の場合は一旦B.Cに戻ってから仕切り直して6月にずれ込む可能性があるという説明があった。 通信は可能だったので、妻に現時点でのアタックの日程についてのメールを入れる。

   10時過ぎにカーリーに見送られてB.Cを出発。 前回の順応ステージと同じ行程で、今日はI.R.C(インター・リム・キャンプ/5800m)まで行く。 健脚のヨーロッパ隊は昼食後に出発するようだ。 前回はI.R.Cまで7時間半ほど掛かり、しかもかなり辛かったので、2週間ぶりに歩く今日はどうなるのか心配だ。 歩き始めは皆よりも少し遅いペースで歩いたが、散歩の時に積んでおいた幾つかのケルンまでの所要時間よりも早く歩けた。 今日も良い天気でありがたい。 ゆっくり歩いていれば勾配が急になっても息が切れず、また前回のように1時間毎に休憩しなくても歩き続けることが出来る感じで、まさしく“筋力は落ちているが順応は進んでいる”ため、結果的に前回よりも早いペースで歩くことが出来た。 私達と同じ24日の登頂を目指している隊が少ないのか、A.B.Cに滞在している隊が多いのか、あるいはB.CからA.B.Cまで1日で行く隊が多いのか、私達の前後を歩くパーティーは殆ど見られなかった。


B.CからI.R.Cへ


10時過ぎにカーリーに見送られてB.Cを出発する


B.CからI.R.Cへ


B.CからI.R.Cへ


昼飯のおにぎり


B.CからI.R.Cへ


B.CからI.R.Cへ


   倉岡さんが予想したとおり前回よりも1時間半ほど早く、しかも前回よりも余裕をもって6時間足らずでI.R.Cに着いた。 B.Cでの長いレストも順応のためには決して無駄ではなかった。 陽が当たって暖かいダイニングテントでティータイムをしながら寛いでいると、三々五々ヨーロッパ隊が到着したが、一番早かったのは女性のパティで4時間で着いたとのことだった。 夕食はヨーロッパ隊の口に合わせた洋食メニューで少しスパイシーだったので、腹八分目にしておいた。 夜はデポしてあった酸素を毎分1L吸って寝たので、指先までポカポカに暖まった。


余裕をもって4時にI.R.Cに着いた


I.R.Cの個人用テント


ヨーロッパ隊と夕食を共にする


夕食はヨーロッパ隊の口に合わせた洋食メニューで少しスパイシーだった


   5月19日、早朝から良い天気でエベレストの山頂が良く見えた。 テントサイトに陽が当たり始めた7時半にダイニングテントに行くと、すでにヨーロッパ隊のメンバーが慌ただしく朝食を食べていた。 私は日本人向けに用意されたお粥を選んだ。 昨日とは逆に、8時になるとヨーロッパ隊は各人バラバラにA.B.Cに向けて出発していった。

   前回はA.B.Cまで8時間近く掛かっているため、私達も8時半に出発する。 昨日と同じように良い天気でありがたい。 睡眠酸素を吸ったおかげで昨日以上に足取りが軽い感じがするが、1時間ほど登ると冷たい風が吹き始めて指先が冷たくなってきた。 今日も1時間に1回程度の休憩を取りながらスローペースで進むが、昨日と同じように順応が筋力の低下を上回っているため、前回よりも早いペースで歩くことが出来た。 ルート上にあった雪はだいぶ減り、それによって歩き易くなった所と歩きにくくなった所があった。 今日も6200mを越えた辺りでシェルパ達がミルクティーが入ったティーポットを携えて迎えにきてくれたが、それほどありがたみを感じなかった。


I.R.CからA.B.Cへ


朝食のお粥


8時半にI.R.Cを出発する


I.R.C付近から見たエベレスト


I.R.CからA.B.Cへ


I.R.CからA.B.Cへ


I.R.CからA.B.Cへ


   昨日に続いて倉岡さんの予想どおり前回よりも2時間ほど早く、しかも前回よりも余裕をもって6時間でA.B.Cに着くことが出来た。 ちょうど先行していた平岡隊もA.B.Cに着いたところだった。 先に到着したアンプルバにスープを頼んでダイニングテントで一息つく。 倉岡さんがA.B.Cに滞在していたサーダーのミンマから情報収集すると、意外にも中国隊に依頼しているフィックスロープがまだ山頂まで延びていないということが分かり愕然とした。 明日は山頂付近の風が強いという予報なので、早くても明後日になるだろうということらしく、そうなると余計に登頂予定日の24日にアタックが集中してしまう恐れが出てきた。 また、一方で前日の23日の方が天気が良いという予報もあるようで、ますますサミット・デイ(登頂予定日)が定まらなくなってきた。 明日はA.B.Cでレストの予定だったが、天気予報次第では明日から上部キャンプに上がる可能性も出てきた。 エベレストの天気予報は当たるというのは神話だったのか、土壇場に来て全く予断を許さない状況になってきた。 夕食前にあらためて倉岡さんから、酸素マスクの使い方と今後の酸素の使用計画についてレクチャーがあった。


余裕をもって2時半にA.B.Cに着いた


同時にA.B.Cに着いた平岡隊


倉岡さんから酸素マスクの使い方についてレクチャーを受ける


C.1からの酸素のスケジュール表


夕食のカツ煮


   5月20日、テントサイトに陽が当たり始めた6時半に起床し、食料や装備品などを整理してアタックの準備を始める。 昨日は気持ちの昂ぶりで眠りは浅かったが、睡眠酸素の力を借りて久々のA.B.Cとしては良く眠れた。 今日出発する可能性があったため、朝の食卓は緊張感に包まれていたが、朝食後に倉岡さんがエイドリアンやアンドレアスなど同じエージェントに属する他隊のガイドやB.Cのカーリーと今後の天気予報やフィックスロープの予定日などを確認し、私達は当初の予定どおりC.1への出発は明日になった。

   今シーズンは未だにフィックスロープが張られていないことに加え、サミット・デイが限られているため、各登山隊の間ですでに駆け引きが始まっている。 天気の良い日に登山者が集中すると必然的に渋滞が起きるため、最悪の場合時間切れで酸素が無くなってしまうからだ。 もちろんどの隊もサミット・デイについては秘密にしているが、親しいサーダーやシェルパを通じて水面下で情報が漏れているのも事実だ。 私達のエージェントに属するアメリカ隊は人数が多いので23日と24日の半々ずつ、ヨーロッパ隊は23日、私達の隊は24日となった。 平岡隊は23日をサミット・デイに選んだようで、9時頃にC.1に向けて出発していった。

   午前中に明日からの3泊4日の山頂アタックの準備を終える。 昼前のSPO2と脈拍は85と70でとても良かった。 午後は雪が降ってきたので寒くなり、ダイニングテントで読書をしながら寛ぐ。 夕方のSPO2と脈拍は77と69だった。 夕食は3日連続でアンプルバにオーダーしたカツ煮を美味しく食べられた。


朝食の卵焼き


朝のA.B.Cのテントサイト


昼食の蕎麦と手巻き寿司


夕方のA.B.Cのテントサイト


夕食のカツ煮


   5月21日、昨夜は睡眠酸素を毎分0.5L吸って寝たが、鼻詰まりで酸素の吸い込みが悪かったため寒かった。 起床後のSPO2と脈拍は82と66で体調は悪くない。 朝食後にカーリーから今後の天気予報について無線連絡があり、23日は風は弱いが曇りで午後からは雪、サミット・デイの24日は晴れるが午後からは風が強く、25日は風が強いということだった。


A.B.Cから山頂へ


朝食


朝食後にカーリーから今後の天気予報について無線連絡があった


   10時半にA.B.Cを出発。 天気が良く風も弱いので、ヴァランドレの厚いダウンジャケットはザックに入れ、ダウンパンツの裾を膝の上まで折り返す。 スタートからエキストラの酸素を毎分2L吸っていくので、ゆっくり登れば重たい荷物や二重靴での歩行もそれほど苦にならない。 途中1回休憩して1時間半ほどでアイゼンをデポしたクランポン・ポイントに着く。 クランポン・ポイントから先は傾斜の緩い広い雪原を淡々と登る。 フィックスロープの取り付きまで風がなく快適に歩けた。 前方に見えるC.1への雪壁にはフィックスロープに沿って登山者の姿が点々と見えたが、やはり23日にアタックする隊が多いようで渋滞はしていなかった。


10時半にA.B.Cを出発する


スタートからエキストラの酸素を毎分2L吸う


A.B.Cからフィックスロープの取り付きへ


A.B.Cからフィックスロープの取り付きへ


A.B.Cからフィックスロープの取り付きへ


フィックスロープの取り付き


   1時半にフィックスロープの取り付きに着き、ストックを1本デポする。 取り付きからは酸素の流量を毎分2.5Lに増やし、ハーネスにユマールをセットしてフィックスロープを登り始める。 雪原から仰ぎ見たノースコルへの雪壁は急に見えたが、取り付いてみると斜面の傾斜はそれほどでもなく、昨日登った隊が多かったことが幸いし、階段上のトレースがあって登り易かった。 唯一休憩するのに相応しい場所がないのが玉にキズだ。 取り付きから1時間半ほどでようやく休憩ポイントがあり、大きな荷物を背負って登ってきた私達のシェルパ達に道を譲る。 天気はやや悪くなってきたが、風がないので寒くはない。 休憩ポイントから先のルートも同じような状況で難しい所はなく、途中1回の短い休憩を挟んで4時半にノースコルの手前のC.1(7050m)に着いた。


フィックスロープの取り付きからC.1へ


後続のシェルパ達


休憩ポイントでシェルパ達に道を譲る


フィックスロープの取り付きからC.1へ


フィックスロープの取り付きからC.1へ


フィックスロープの取り付きからC.1へ


C.1のテントサイト


4時半C.1に着いた


   C.1は予想以上に広く快適なテントサイトで、明日登るC.2や山頂へのルートが良く見えた。 テントは鈴木さんと一緒になる。 A.B.Cから吸ってきたエキストラの酸素がまだ余っているので、テントに入ってからも毎分1Lに減らして吸い続けた。 夕食はレトルトのカレーとフリーズドライの白米で、お湯はシェルパ達が作ってくれたので助かった。 酸素を吸い続けているので食欲は落ちずに美味しく食べられた。 テントの中は二人だと狭いがその反面暖かい。 夕食後も酸素を吸い続けたので、SPO2と脈拍は90と80だった。 夜になっても不思議と風は全く吹かなかったので終始快適に過ごせた。 今晩の睡眠用から用意されている酸素を計画どおり毎分1L吸って寝た。


C.1から見たエベレストの山頂(右)


C.1から見たA.B.C(中央)


C.1のテント


C.1に到着してからもエキストラの酸素を毎分1L吸い続けた


夕食のレトルトのカレーとフリーズドライの白米


C.1の睡眠用から用意されている酸素を計画どおり毎分1L吸って寝た


   5月22日、睡眠酸素を毎分1L吸って寝たため夜中に頭痛はなく、起床後のSPO2と脈拍は80と70だった。 体調はなぜか今までになく良い。 テントサイトにはA.B.Cと同じように6時半に陽が当たった。 いつものように鼻詰まりがあったが、テルモスの蓋に入れたお湯で鼻を洗って鼻糞を取った。 朝食はレトルトのカレーとフリーズドライの五目飯で、体調が良く食欲があったので無理なく完食できた。


体調はなぜか今までになく良かった


朝食のレトルトのカレーとフリーズドライの五目飯


サーダーのミンマ・テンジン・ギャルツェン(左から)


C.1から見たエベレストの山頂(右)


   9時半過ぎにC.1を出発。 明瞭なトレースと先行パーティーの人影でC.2までのルートが良く分かる。 酸素のスケジュールはC.2まで毎分2.5Lを吸うことになっていたが、傾斜が緩やかで登り易そうだったので、とりあえず最初は毎分2Lで登ることになった。 山頂付近には雪煙が舞っていたが、C.1付近には風が全く無かったので、厚いダウンジャケットの下はアンダーシャツだけにした。 C.1のすぐ先のノースコルまで少し下り、コルからはフィックスロープが要らないような緩やかなスロープを登っていく。 風が少し吹いてきたが、暑さに苛まれずにちょうど良い。 傾斜がやや急な所では階段状のトレースが一段と明瞭になるため登り易い。 2回目の休憩ポイントを過ぎると手先の指が冷たくなり、明らかに酸素が欠乏してきたので毎分2.5Lに増やした。

   C.1から3時間ほど登った辺りから、頭上にC.2のテントサイトが良く見えるようになり、今日は昨日以上に楽にC.2に着けると思ったのも束の間、次の休憩ポイントと思われる場所に近づくと突然強い風が吹き始めた。 氷河が途切れた先の岩稜を少し登ればC.2は近く、強い風も収まってくるだろうと期待したが、岩稜地帯に入っても強風は一向に収まらず、それどころかますます強くなり、爆風と呼べるほどの風になってしまった。 C.1を出発した時は暑さに苛まれることを危惧していたが、今は冷たい風で身の危険さえ感じる。 もちろん休憩することもままならない。 この山は高さのみならず気象の変化も世界一だった。 C.2直下からは雪が全く無くなり、細かい石が混じった登りにくい岩場となった。 酸素マスクの上から漏れる空気との温度差でサングラスが曇ってしまい、視界が殆ど遮られてしまったが、為す術もなく我慢して登り続けた。


9時半過ぎにC.1を出発する


C.1からC.2へ


C.1の背後に聳えるチャンツェ(7583m)


C.1からC.2へ


C.1からC.2へ


C.1とC.2の間から見たC.2


   2時半に岩場にへばりつくように設営されたC.2(7650m)のテントサイトに着いたが、アイゼンを外すことも出来ない状態で傾いたテントの中に転がり込む。 しばらくは何もすることが出来ず、呆然としたままテントの縁に座り込んだ。 テントに入ってからも強風は収まらなかったが、ようやく気持ちや呼吸が落ち着いてきたので、アイゼンや靴を脱いでテントの中に入り、エアーマットの下に靴や食料の入った袋を入れて傾いたテントの床を平らに均す。 テントを叩く風の音や圧力は一向に衰えず辟易するが、淡々と少しずつ身の回りの整理をする。 残っている酸素を毎分1.5Lに減らして吸い続けたのでSPO2は依然として90台だったが、脈拍は水分不足もあって平脈の2倍の100を超えていた。


アイゼンを外すことも出来ない状態で傾いたテントの中に転がり込んだ


しばらくは何もすることが出来ず、呆然としたままテントの縁に座り込んだ


   夕方になるとようやく風が少し収まってきたが、今度は雪が降ってきた。 お湯は今日もシェルパ達が作ってくれたが、頼んでも昨日のようにすぐには出来ない。 夕食は昨日と同じレトルトのカレーとフリーズドライの白米だ。 8000m近い高度にもかかわらず、酸素のおかげで依然として食欲は落ちずに美味しく食べられた。 夕食後しばらくすると嘘のように風が止み、鈴木さんのiPhoneが辛うじて繋がった。 鈴木さんが天気予報をチェックすると、明日の23日の方が24日よりも風が弱い予報になっていたので、今晩これからアタックするヨーロッパ隊や平岡隊が羨ましく思えた。 風が無くなって静かになったので、7700m近い高度でも毎分1Lの酸素で心地良く眠れた。


夕食後にようやく強風が収まった


   5月23日、夜中は予想以上に風が無かったが、6時前にテントに陽が当たり始めると再び風が強く吹き始めた。 隣のテントのミンマにお湯をオーダーして朝食のレトルトカレーを食べる。 天気は良く体調も悪くないが、断続的に吹いている強い風が登高意欲を萎えさせる。 少し離れたテントにいる倉岡さんから出発時間などについて打診がなかったが、天気予報を確認しながら風が吹きやむのを待っていると理解するしかなかった。 8時を過ぎるとテンジンがテントに来たので、シェルパ達が持っている天気の情報について聞いてみると、今日はまずまずの天気だが、明日は良くないとのことだった。

   9時を過ぎても強い風は一向に収まる気配はなく、倉岡さんから未だに何も指示がなかったので、明日の天気予報が再び悪い方に転がり、もう時間的にもC.3には行かずに、風が収まるのを待ってA.B.Cに下るのではないかとさえ思えた。 ここで敗退するのはあまりにも残念だが、この強風の中をデスゾーン(8000m)を超えてC.3まで休まずに登り続ける自信はないし、仮にギリギリ登れたとしても消耗が酷くて明日のアタックに悪影響が出ることは必至だろう。 ましてや明日の天気予報も決して良くないようなので、どれを取っても登頂の可能性は低く、逆に遭難や事故の可能性が高まるので、登頂への未練よりも下山したい気持ちが時間の経過と共に強まってきた。 10時になってようやくミンマがテントに来たが、意外にも11時に出発するので準備をするようにということだった。 すでに準備は出来ていたが、むしろ準備が必要だったのは下山に向いていた気持ちをもう一度奮い立たせて山頂に向かわせることだった。


C.2のテントサイト


隣のシェルパ達のテント


C.2から見たC.1方面


テントの中で強風が吹き止むのを待つ


10時にミンマがテントに来て11時に出発することを伝えられた


   意を決して11時半にテントから這い出し、下のテントから登ってくる倉岡さんと進藤さんを待ったが、結局出発したのは正午前になっていた。 倉岡さんから「登頂の可能性は低いが、C.3に行かないと登頂は出来ないので、とりあえずC.3に向かいます」というシンプルな説明があった。 今朝から今までの経緯についてもっと知りたかったが、今はそれを聞いている場合ではない。 むしろその発言で倉岡さんの今の心境が分かったような気がした。 風の強さも影響し、ザレた岩場に張られたフィックスロープは登りにくく、今日も酸素マスクの上から漏れる空気との温度差でサングラスが曇ってしまい視界が悪い。 雪の上ではそれほど問題ないが、ザレた岩場では足の置き場に正確性が求められるため、思わぬ苦労を強いられた。 酸素を毎分2.5L吸っているので、7時間以内にC.3に着かなければならない。 強い風は弱まる気配は全くなく、写真を撮ることもままならず、足元に注意を払いながら登ることだけに集中する。 風は爆風だった昨日よりは弱いが、高度が増すにつれてその脅威は増してくる。


意を決して11時半にテントから這い出す


C.2から見たA.B.C(中央)


正午前にC.2を出発する


   無我夢中でC.2から1時間ほど登り続けると、フィックスロープを外れて休める所があり、風を背にして座り込む。 意外にもエベレストに9回登頂し、そのうちの5回をチベット側から登っている倉岡さんが、チベット側からは初めて登るミンマに今後の動向についてのアドバイスを求めた。 ミンマは「相当厳しいです」と一言だけ倉岡さんに答えると、すかさずB.Cのカーリーに無線で連絡を入れ、途中から倉岡さんが代わった。 長い無線でのやりとりが終わると、倉岡さんから「残念ですが、今回はここで引き返すことにします」というシンプルな説明があった。 理由は聞かなくても分かっているので、私を含めてメンバー一同この決断に対して意見を言う人はいなかった。 最終到達地点となった所の標高は、鈴木さんのGPSで7750mだった。


強風が吹き止まずC.2の上部で進退について倉岡さんの判断を待つ


B.Cのカーリーと長い無線でのやりとりが続いた


C.2の上部(7750m)で登頂を断念して下山する


   記念写真を撮らせてもらい、1時半にA.B.Cへの下山を開始する。 C.2のテントサイトを通過し、昨日風が急に強まった7500m付近の氷河との境を通過すると、ようやく風が弱くなってきた。 フィックスロープの切り替え地点で何度か休憩しながら、後ろ髪を引かれる思いで4時半過ぎにC.1に着いた。 C.1のテントサイトには風がなく、しばらくすると寒々しい雲が纏わりついた山頂が見えてきた。


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


4時半過ぎにC.1に着いた


C.1から見たエベレストの山頂(右)


   酸素ボンベを交換しながら30分ほどゆっくり休憩し、5時半前にA.B.Cに向けて出発する。 C.1からの下りは傾斜がそれほど急ではなくトレースも残っていたのでアームラップで下りられ、懸垂で下りた所は僅か1か所だけだった。 C.1から1時間ほどでフィックスロープの取り付きまで下り、デポしたストックをピクアップして黄昏の雪原を黙々と歩く。 緊張感から解放されると、敗退したという現実に引き戻されて足取りは重くなった。


C.1で酸素ボンベを交換しながら30分ほどゆっくり休憩する


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


   間もなく前方から人影が近づいてきた。 それはティーポットと食料や飲み物を携えて私達と後続のシェルパ達を迎えにきてくれたタシだった。 タシが運んできてくれたコーラを一気に飲み干し、ポテトチップを頬張った。 さらに前進するタシと別れ、敗残兵のような歩みを続ける。 クランポン・ポイントで日没となり、ヘッドランプを灯して歩く。 振り返ると、幾つものヘッドランプの灯りがC.2からC.1に向かって下っていくのが見えた。 彼らは勝ち組で私達は負け組だ。

   9時前に静かなA.B.Cのテントサイトに到着。 憧れのエベレストへのチャレンジは終わった。 しばらくは放心状態で着替えをする気力もなく、ダイニングテントの椅子に座ったまま動けなかった。 間もなくアンプルバが夕食のカレーを運んできてくれた。 夕食後に個人用テントに入ると再び悔しさがこみ上げ、疲れているにもかかわらず眠ることが出来なかった。


タシがティーポットと食料や飲み物を携えて私達を迎えにきてくれた


クランポン・ポイントで日没となり、ヘッドランプを灯して歩く


9時前にA.B.Cに着く


しばらくは放心状態でダイニングテントの椅子に座ったまま動けなかった


夕食の和風カレー


   5月24日、日付が変わる頃にようやく寝入ったが、今朝は4時から目が覚めてしまった。 未明から快晴の天気でエベレストの山頂が良く見えた。 登頂予定時刻だった6時にはテントサイトでは全くの無風だったが、山頂直下の三角雪田に雪煙が舞っているのが見えた。 果たして今の山頂の状況はどうなのか、登っている人にしか分からない。 時間の経過と共に張りつめていた気持ちが緩むと、足の太ももの筋肉痛にようやく気がついた。 今朝の朝食はいつもより1時間遅い9時からだ。 私を含め、皆もそれほど悲壮感はなく淡々としていた。


ご来光


登頂予定時刻だった6時にA.B.Cから見たエベレストの山頂(中央奥)


朝食のパンケーキ


   朝食をゆっくり食べ終えてから、タイミングを見計らって倉岡さんにあらためて昨日の午前中の状況や下山を判断された理由について聞いたところ、次のとおり丁寧な説明があった。 早朝よりB.Cにいるカーリーと無線で今日・明日の天気予報を確認すると、アメリカのマウンテンフォーキャストの予報とカーリーが買っているヨーロッパの会社の予報が正反対で、どちらとも判断が出来なかったが、カーリーはスイス人なのでヨーロッパの予報を信じたいという気持ちが強く、その予報では風は次第に弱くなるとのことだった。 正午を過ぎても強風は一向に収まらず、雪のない岩場をアイゼンを着けて登ることに予想以上に時間が掛かったので、全員がC.3に安全に到着することは難しいと判断し、下山を決断されたとのことだった。 また、最終到達地点でカーリーと無線で話した内容は、ヨーロッパ隊が下山中に風で相当苦戦し、死者も出ているので無理をしない方が良いということと、相変わらず天気予報が正反対なため、現場にいる倉岡さんがどちらの予報を選ぶか決めて欲しいと下駄を預けられたということだった。

   倉岡さんから衛星携帯を借りて妻に電話をすると、意外にも登頂出来なかったことを私以上に悔しがっていた。 ミンマと3人のシェルパ達はこれからC.1に上がって撤収作業に入るとのことで、A.B.Cでお別れすることになった。 その後カーリーなどから入った情報で、ヨーロッパ隊はメンバー全員が登頂したが、C.2まで下山出来たのはパティともう一人の女性のみで、アンドレアスや他のメンバーはC.3までしか下山出来なかったこと、平岡隊は松平さんとアルゼンチン人が登頂してC.1まで下山したことなどが分った。 予報どおり昼前から山頂付近は強い風が吹き始め、夕方には一時的に天気が崩れた。


昼前から山頂付近は強い風が吹き始めた


スタッフ達との記念撮影


昼食のうどん


夕方には一時的に天気が崩れた


   夕食前にマネージャーのディンリがダイニングテントに現れ、ヨーロッパ隊のメンバーのアーンストが下山中にセカンドステップで亡くなったことや、プジャでラマ僧の代わりに祈祷したシェルパのナムギャルが落石に遭って額を怪我したことなどを知らせてくれた。 セカンドステップでの順番待ちは2時間だったとのことで、倉岡隊は良い判断をされたと慰められた。


ディンリがヨーロッパ隊のアーンストが亡くなったことを知らせてくれた


夕食のカツ煮


   5月25日、今朝も山頂付近は雪煙が舞っていた。 本当に今シーズンのエベレストは一日中安定した天気という日が一度もなかったように思えた。 登頂後のダメージを和らげるためにキープしておいたエキストラの酸素を毎分3L吸って9時にA.B.Cを出発する。 アタックステージでの再訪を前提としていた前回とは違い、何度も後ろを振り返りながらB.Cへ下る。 酸素の力は絶大で高度を全く感じなかったが、昨日までの疲労がまだ残っているため、下るにつれて逆にペースが落ちていくような感じがした。


今朝も山頂付近は雪煙が舞っていた


エキストラの酸素を毎分3L吸う


9時にA.B.Cを出発する


   前回よりも1時間ほど早く3時間少々で中間点のI.R.Cに着くと、ヨーロッパ隊のラインハルトが追いついてきたので、登頂を祝福して一昨日のサミット・デイの話を聞かせてもらう。 ラインハルトの話では、前夜の11時にC.3(8300m)を出発したが、核心部のファースト・セカンド・サードの各ステップ(岩場)の渋滞が酷くて山頂まで10時間も掛かり、山頂からC.3への下りも渋滞で相当時間が掛かった。 C.3からは風が強くてC.2へ下れなくなってしまったが、C.3に酸素が余分にあった(私達のものか?)ので助かったとのことだった。 同僚のオーストリア人のアーンストが下山中にセカンドステップで滑落して亡くなったが、自分よりも後だったので遺体は見ていないとのことで、アーンスト以外にも亡くなった人がいたり、酸素切れで凍傷になった人も沢山いて、C.3は酷い状況だったと吐き捨てるように話を結んだ。 ラインハルトの話を聞く限り、仮に私(達)が23日をサミット・デイにしていたら、酸素切れで生死の境をさまようことになったかもしれないと思えた。


A.B.CからI.R.Cへ


A.B.CからI.R.Cへ


登頂したヨーロッパ隊のラインハルトを祝福する


ラインハルトから一昨日のサミット・デイの話を聞く


   体力に優るラインハルトを見送り、私達も気合いを入れ直してゴールのB.Cに下ったが、目標を失った身には本当に長く感じる道のりだった。 それでも潤沢な酸素のおかげで、まだ陽の高い4時にB.Cに着くことができた。

   ダイニングルームでゆっくり寛ぎたいところだが、あと12時間後にはB.Cを発つというハードスケジュールのため、夕食の時間まで寸暇を惜しんで荷物の整理とパッキングを行う。 夕方B.Cに下りてきたヘンドリーを偶然見かけたので登頂を祝福した。 B.Cでの最後の夕食は皆の総意でもう何回も食べているカツ煮だったので笑えた。 登頂ケーキとして用意されたケーキには心優しいアンプルバの機転で“SEE YOU AGAIN”の文字が描かれていた。


I.R.CからB.Cへ


I.R.CからB.Cへ


陽の高い4時にB.Cに着く


B.Cから見たエベレスト


夕食のカツ煮


登頂ケーキとして用意されたケーキ


想い出の山    ・    山 日 記    ・    T O P