チョ・オユー(8201m)

   9月27日、ようやく熟睡出来るようになったが、まだ鼻が少し詰まっていた。 起床前のSPO2と脈拍は77と57でようやく脈が下がった。 天気は予報どおり良く、チョ・オユーの山頂が良く見えた。 強い陽射しでテントの周りの雪が溶け始めると、テントの脇にネズミのような小動物が動いた。 良く見ると何とそれは私の大好きなナキウサギだったので驚いた。 しばらく愛くるしく動き回る姿を観察していたが、なぜ全く鳴かないのか不思議だった。 また、この高度と環境の下で動物がいたということがそれ以上に不思議だった。

   今回のアタックステージではC.3(7400m)を建設せずC.2(7000m)から一気に山頂を目指すという倉岡隊のメンバーとキッチンスタッフ達に見送られ、8時半にA.B.Cを出発する。 モンスーン明けが近いのか、空の青さが今までになく濃くなってきた。 C.1からA.B.Cに戻ってきてから全く歩いていなかったので、体が動くかどうか心配だったが、出発してから2時間ほどは足取りも軽く絶好調だった。 ガレ場の取り付きが近づくにつれて足が次第に重くなったが、今までで一番早い3時間半足らずで取り付きに着いた。 ガレ場の斜面の雪はすっかり溶けていた。 天気が安定していたので、取り付きでおにぎりを食べながらゆっくり寛ぐ。

 

天気は予報どおり良かった


テントの脇にナキウサギがいた


8時半にA.B.Cを出発する


倉岡隊はC.3を建設せずC.2から一気に山頂を目指すため、明日A.B.Cを出発することになった


モレーン帯から見たチョ・オユー


モレーン帯から見たチョ・アウイ


ガレ場の取り付きでゆっくり寛ぐ


ガレ場の斜面の雪はすっかり溶けていた


   正午過ぎにガレ場の急斜面を登り始める。 今日は今までで一番天気が良く、三度目にして初めて登りながらヒマラヤンブルーの空を背景にチョ・オユーの山頂が見えた。 中間点で一休みしてからC.1直下のフィックスロープに取り付くと、上から団体のパーティーが下ってきた。 意外にもそのパーティーのメンバーは日本人で、私達よりも1週間ほど遅くチベット入りしたAG隊だった。 AG隊の情報は入っていたものの、広いA.B.Cのどこに居を構えているのかも分からずにいたが、図らずもこのタイミングで出会うことになった。 AG隊のメンバーの中には9年前にデナリを一緒に登った徳田さんがいたので嬉しい再会となった。 徳田さんとしばらく雑談を交わしてから、アタック後にA.B.Cでの再会を誓って見送った。 間もなくC.1を見下ろすガレ場の終了点で、AG隊のガイドでデナリを一緒に登った梶山さんともマナスルのB.C以来5年ぶりに再会した。 

   C.1のテントサイトは前回と殆ど同じ場所だったが、中国隊の大きなダイニングテントが無くなったので、とてもすっきりしていた。 今回のアタックステージでもテントは柴田さんと一緒になった。 テントは張り替えられ、前回のように斜めに傾いていることもなく快適だった。 風も今日は殆どなくて良かった。 テントに入るとすぐにスタッフから酸素ボンベが届けられた。 水作りは今日も柴田さんが積極的にやってくれたので助かった。 一休みしてから練習も兼ねて酸素を吸ってみると、すぐにSPO2は95まで上がり、酸素の絶大な効果を実感した。 この酸素ボンベ1本は毎分1リッター吸っても20時間使えるため、明日のC.2までの行動用のみならず、今日の睡眠用からも吸うことが出来る。 450ドルの出費はこの土壇場の状況下においてはむしろ安いくらいだと思えた。 夕食はフリーズドライの味噌汁に親子丼と白米で、一人前を美味しく食べられた。 夕食後のSPO2と脈拍は78と86で脈が予想以上に高かった。


ガレ場の急斜面を登りながらヒマラヤンブルーの空を背景にチョ・オユーの山頂が見えた


C.1直下のフィックスロープに取り付く


デナリを一緒に登った徳田さんと9年前ぶりに再会した


AG隊のガイドの梶山さんと5年ぶりに再会した


C.1のテントサイトは前回と殆ど同じ場所だった


アタックでコンビを組むシェルパ    私とペンバ・ヌル(左) ・ 柴田さんとテンジン(右)


練習も兼ねて酸素ボンベの酸素を吸う


夕食のフリーズドライの親子丼と白米


C.1でも食欲旺盛な柴田さん


   9月28日、5時半に起床。 起床前のSPO2と脈拍は67と67だった。 昨夜は2時間毎に尿意で目が覚めたものの、眠りが浅かったせいか不思議と頭痛はなかった。 晴れてはいるが天気は昨日よりも少し悪く、風も少し吹いていた。 朝食のカップ麺を食べ、8時の出発予定よりも少し遅くC.1を出発。 今日は明後日の山頂アタックに向けてC.2(7000m)に向かう。 

   慣れない酸素ボンベとマスクの装着には時間が掛かるため、平岡さんを先頭に柴田さんとるみちゃんは少し前に出発していった。 C.1の各隊もほぼ同じ時間帯に出発していく。 C.2までの所要時間を6時間と予想し、酸素の流量を3リッターに設定する。 他の荷物もそれなりに重いので、酸素ボンベの重さはそれほど気にならなかった。 C.1から酸素を吸って登っている私の姿は、各隊のメンバーからは奇異に見られたに違いない。 度重なる降雪にもかかわらず、トレースの状態は前回と変わらなかった。 

   出発してすぐには酸素の効果は実感出来なかったが、普通のスピードで歩いてさえいれば息が切れるということはなく、何よりも絶大な安心感があった。 出発して間もなくるみちゃんと一緒に行動していた平岡さんに追いついたので、自分では気が付かないが、いつもより速いペースで登っていることが分かった。 るみちゃん達を追い越すと、今度は柴田さんの後ろ姿も視野に入ってきた。 最初の平坦地で休憩していた柴田さんに追いついたが、風が少し強くなってきたので休まず先へ進んだ。 快速の柴田さんを追い越したことで登高ペースが客観的にも速いことが分かり、酸素の効果をさらに実感したが、一方で天気が悪いとザックを下ろすことはもちろん、酸素マスクを外して飲んだり食べたりすることが煩わしく、ついつい我慢してしまうという欠点も見えてきた。 前回はC.1から3時間近くを要した6700m弱の二つ目の平坦地に2時間足らずで着いた。 

   平坦地でザックを下ろして少し休憩し、眼前のセラック帯を左から迂回しながら登る。 ルートは急斜面のみならず、フィックスロープの張り方が悪く非常に登りにくい。 あともう少しでセラック帯の上に出られそうになった所で、下降用の別のフィックスロープをくぐったところ、レギュレターがロープと奇妙に絡んでしまい、自力でロープを外すことが出来なくなってしまった。 仕方がないので後ろから登ってくる人を待ってロープを外してもらったが、この時のトラウマが山頂アタックの時に影響することになった。 トラブルがあったこともあり、セラック帯の通過には1時間近くを要した。 セラック帯の先は予想どおり緩やかで広い斜面となっていたが、天気は上の方ほど悪くなり、C.2付近はホアイトアウトしていた。


C.1 ⇒ C.2


C.1から酸素を吸ってC.2へ登る


C.1の各隊もほぼ同じ時間帯に出発していった


C.1の上から見たC.1


出発して間もなくるみちゃんと一緒に行動していた平岡さんに追いつく


先行する柴田さん(中央)


最初の平坦地から見た山頂(右上)とC.2(中央上)


最初の平坦地で休憩していた柴田さんに追いつく


6700m弱の二つ目の平坦地


セラック帯を左から迂回しながら登る


セラック帯の上に出た所


セラック帯の先は予想どおり緩やかで広い斜面となっていた


   核心部のセラック帯を登り終えたので少し休もうと思ったが、相変らず風が収まらないので休まずに歩き続けた。 しばらく緩やかな斜面を登っていくと、キャンプ地として相応しいかなり広い平坦地があり、テントが3張あった。 もしかしたらここがC.2なのかと思ったが、高度計の数字はまだ6800mを少し超えたばかりだった。 平坦地の周辺にはフィックスロープがなく、赤い小さな旗が所々に立てられているだけだった。 風が運んでくる雪が先行者のトレースを消してしまうため思わぬラッセルを強いられ、あらためて酸素のありがたみを痛感した。 遥か前方に点々と見える先行者の姿と微かに雪面に残る足跡だけを頼りに黙々と登り続ける。 ルートのすぐ脇にはクレバスがあるが、フィックスロープは所々で途切れていたので怖かった。 後ろから登ってくる人影も見えなくなり、今後の天気次第では無事C.2に辿り着けるのか心配になってきたので、酸素の流量を3リッターから2リッターに減らす。 予想どおり上に行けば行くほど視界が悪くなり、とうとう完全にホワイトアウトしてしまった。 高度計の数字がすでに7000mを超えていたのが唯一の救いだ。 しばらくすると、雲の切れ目からC.2と思われる平坦地が見え、C.1から5時間半を要して1時半過ぎに待望のC.2に着いた。 天気が悪いので留守番のスタッフもテントの中にいた。

   C.2のテントの数はC.1の半分ほどしかなく、まだこれから建設する隊が多いようだ。 途中で殆ど休憩せずに登り続けてきたので、テントの中で行動食を頬張りながらゆっくり寛ぐ。 C.2に着いてから酸素を吸わないでいると、SPO2と脈拍は68と76になった。 柴田さんは私より1時間半ほど遅い3時に、平岡さんに続いてるみちゃんも3時半に無時C.2に着いた。 高度計の数字は7060m、柴田さんのGPSでは7130mだった。 水作りを始めると今日の睡眠用の酸素がスタッフから届けられた。 風は一向に収まらず、テントがバタついて落ち着かない。

   夕方になって平岡さんから、明日の天気も今日と同じようなので、明日はC.2に滞在し、明後日ここから一気に山頂を目指すという説明があった。 C.2からC.3の間で吸う酸素の量は当初3リッターだったが、スケジュールの変更に伴い、明後日のアタック日はC.2からC.3の間もC.3から山頂までの間と同じ4リッターの酸素を吸えることになったが、逆に今日と明日の睡眠用として吸う酸素の量を予定していた1リッターから0.5リッターに減らすことになった。 夕食はフリーズドライの味噌汁にカレーと白米だったが、残念ながら一人前を完食することが出来なかった。


6800mを少し超えた所にキャンプ地として相応しい広い平坦地があり、テントが3張あった


平坦地の周辺にはフィックスロープがなく、赤い小さな旗が所々に立てられているだけだった


遥か前方に点々と見える先行者の姿と微かに雪面に残る足跡だけを頼りに登る


上に行けば行くほど視界が悪くなった


C.2直下では完全にホワイトアウトしてしまった


C.1から5時間半を要して1時半過ぎに待望のC.2に着いた


C.2のテントの数はC.1の半分ほどしかなかった


C.2のテントサイト


C.2から見た山頂方面


C.2に着いたるみちゃん


睡眠用の酸素を吸う柴田さん


夕食のフリーズドライの味噌汁とカレーと白米


   9月29日、6時半に起床。 睡眠用の酸素は0.5リッターでも全く問題なく良く眠れた。 起床前に昨日から吸っていたオプションの酸素が無くなったので新しい酸素ボンベと交換する。  テント内の気温はマイナス6度とさすがに寒いが、一晩中酸素を吸い続けていたので起床後のSPO2と脈拍は80と60でA.B.Cと変わらなかった。 酸素の効果はやはり絶大だ。 今日も柴田さんが率先して水を作ってくれたので助かった。 朝食のカップラーメンは昨日のC.1以上に美味しく食べられた。 平岡さんと一緒のテントのるみちゃんも元気そうだ。 晴れてはいるが風はやや強く、山頂方面には雪煙が舞っていた。 今日は昨日の指示どおりC.2での待機となった。 C.2は北側斜面なので、8時半にようやくご来光となった。 

   朝食後は酸素を吸わずに過ごすが、じっとしていれば頭痛はなかった。 周囲の山々の景色は素晴らしいが、靴を濡らしたくないので写真を撮るのは我慢してテントから出ないようにした。 明日はここから8201mの山頂まで標高差で1000m以上という予定外の長いアタックとなり、好天の予報はここ数日の天気からすれば全くあてにならない。 数日前から調子が悪かったカメラは、レンズの開閉時に一旦止まるような動作が頻繁に見られるようになり、また昨日から右手の人差し指が少し痛く、凍傷の恐れも出てきたので、思いきってカメラをザックの胸元から外し、行動中は写真を撮らないことにした。 併せてザックの胸元に付けているテルモスも、酸素ボンベとの干渉を避けるために外して、登頂に専念することにした。

   昼前になってもSPO2と脈拍は72と80で、C.1と変わらなかった。 風は収まってきたが、天気は昨日と同じように悪くなり、山頂方面はホワイトアウトして見えなくなった。 それでも隣の中国隊はC.3に向けて出発していった。 曇っているがテントの中は暖かく、柴田さんと歓談しながら予想以上にリラックスして過ごせた。

   昼食は明日のアタックが確実となったので、予備のカップそばを食べた。 平岡さんから明日の出発は零時で、私がペンバ・ヌルと、柴田さんはテンジンと組んで登るよう指示があった。 午後は色々な場面を想定しながら酸素マスクの脱着などを繰り返し行う。 3時半過ぎに当初からC.2からのアタックを計画していた倉岡隊が到着したが、意外にも私と同じようにメンバー全員がC.1から酸素を吸って登ってきた。 

   早めの夕食はカップラーメンだけで済ませ、5時半にシュラフに入って横になったが、雪が降ってきたのでガッカリした。 睡眠用の酸素は少し余裕があったので、1リッターを吸って寝た。


平岡さんと一緒のテントのるみちゃん


C.2から見た周囲の山々の景色は素晴らしい


C.2は北側斜面なので、8時半にようやくご来光となった


昼前から風は収まってきたが、天気は昨日と同じように悪くなった


柴田さんと歓談しながら予想以上にリラックスして過ごせた


他隊の動向をうかがうスタッフ達


昼食のカップそば


色々な場面を想定しながら酸素マスクの脱着などを繰り返し行う


倉岡隊は私と同じようにメンバー全員がC.1から酸素を吸って登ってきた


   9月30日、10時前に起床。 酸素を潤沢に吸っていたので体調はとても良い。 唯一心配なのは右手の人差し指で、まだ少し指先が冷たく感じる。 雪はやんで星が見えていた。 ありがたいことに風もなく暖かい。 5日前の天気予報は果たして当たるのだろうか。 お湯を沸かしてカップそばを食べ、900CCの大きなテルモスにほうじ茶、250CCの小さなテルモスにコーヒーを作って入れる。 柴田さんも元気で頼もしい。 11時半過ぎにテントから這い出し、出発の準備を整える。 気温はマイナス10度くらいだろうが、風がないので羽毛ミトンではなく、5本指のオーバー手袋でいくことにした。 最後に酸素ボンベの流量を4リッターに上げ、念のためペンバ・ヌルにレギュレターの目盛をチェックしてもらう。 出発前のテントサイトの写真を撮り、カメラをザックにしまった。

   予定よりも少し遅れて12時15分にC.2を出発する。 倉岡隊は今日も私達の後から出発するようだ。 昨夜の新雪が少し積もっている。 フィックスロープがないので、登攀隊長のペンバ・ヌルが先導し、ペンバ・ヌルと組む私がその後に続く。 私の後ろは柴田さん、テンジン、るみちゃん、ニマ・ヌル、そして殿に平岡さんという形になるのだろう。 すでにヘッドランプの灯りが上方に数珠のように連なっている。 人気のある山では良く見られる光景だ。 昨日C.3へ登っていった中国隊のトレースは新雪で消えてしまったため、私達よりも少し早くC.2を出発したヒマラヤン・ガイズ社が率いるイギリス隊のシェルパ二人が先頭をラッセルしながら進み、そのすぐ後ろからそのトレースを利用して他隊や私達の隊が登ることになった。 マナスルのアタックの時と同じ毎分4リッターの酸素の効果は絶大で、普通に歩いてさえいれば、息切れすることは全くない。 右手の人差し指の感覚をこまめにチェックしながら登った。

   1時間近く単調な斜面を直登気味に登るとようやくフィックスロープがあり、そこから先は傾斜がやや急になった。 フィックスロープのある所ではシェルパはクライアントの後ろから登るが、フィックスロープが渋滞していたのでペンバ・ヌルがそのまま先頭で私達の隊を先導する形になった。 先行パーティーのペースは非常にゆっくりで、始めは心地良かったが、しばらくすると酸素を潤沢に吸っている私達にとっては少し遅く感じられるようになった。 このペースがこのままが続くと、時間的にかなりのロスとなってしまうが、トレースの脇の雪は深いので追い抜くことは容易ではない。 前方の状況を把握しようと、平岡さんが何度かフィックスロープから外れて偵察をしていた。 足が完全に止まるほどの渋滞になると、ペンバ・ヌルがこまめに私の酸素の流量を減らしていた。 それでも2時前に高度計の標高は7250mとなり、C.2を出発してから1時間半で200mほど登っていたので、このペースでも9時頃には登頂出来るのではないかと思えた。 

   C.3に着く手前で私達よりも15分ほど遅い12時半にC.2を出発したという倉岡隊が追いついてきた。 暗闇で酸素マスクをしているものの、メンバー全員元気そうであることが良く分かる。 間もなく傾斜が緩み始めると、前方で他隊のパーティーが休憩しているように見えたが、図らずもそこが中国隊などのテントがあるC.3だった。 テントはフィックスロープのすぐ脇に張られていたが、横になって痙攣しているような女性の姿も見られて驚いた。 C.3のすぐ先でようやくペースの遅い前のパーティーを追い抜き、そこからは徐々に登高スピードが速くなったが、後ろを歩いていた柴田さんから私のレギュレターから異音がするという指摘があり、ペンバ・ヌルが確認すると目盛が0に近くなっていたので、予定よりも少し早いが皆も一斉に酸素ボンベを交換することにとなった。 出発してから水を一口も飲んでなかったので、交換が終わった後にペンバ・ヌルに休憩をリクエストすると、意外にも「ノー・ノー、ゴー・ゴー!」と全く取り付く島がなく、マッターホルンを登った時のことが思い出された。 

   間もなくルート上で一番の難所と言われるロックバンド(岩稜帯)の通過となったが、ルンゼ状の岩の部分は短く予想より難しくなかった。 片手で凍った岩を掴みながらユマールのみで登れそうだったが、手袋を雪に触れさせたくなかったので、補助的にピッケルを使って登った。 ロックバンドの先にも岩とのミックスとなっている急な雪壁があったが、ここも全く問題なく短時間で通過することが出来た。 シェルパ達が先を急いでいたのは、ロックバンドでの渋滞を危惧していたからだろう。


C.2 ⇒ C.3 ⇒ 山頂


出発の準備をする柴田さんとるみちやん


C.2から山頂にアタックする


   ロックバンドを通過すると夜が白み始め、一生のうちに数えるほどしか見ることが出来ない神々しい朝焼けの風景が背後に見られた。 昨日まで目線の高さにあった周囲の7000m峰が眼下となり、 雲海の上に浮かぶシシャパンマの頂もはっきり見えた。 残念ながら今日は手元にカメラはないが、何度も何度も“心のシャッター”を切り続けた。 人差し指の違和感は取り越し苦労だったのか次第に薄らいできた。 相変わらず風もなく、登頂の可能性と期待はますます大きくなった。  

   ロックバンドから先は山頂に向けて傾斜がだんだんと緩くなっていくのがこの山の特徴で、“最も登り易い8000m峰”と言われるゆえんだ。 先頭でラッセルしながらフィックスロープを伸ばしている二人は依然としてイギリス隊のシェルパなのか、その後ろには登山者が数珠繋ぎになっている。 もう先を急ぐ必要はなくなったようで、C.2を出発してから7時間近く経った7時にようやく休憩となった。 酸素マスクを初めて外して小さなテルモスに入れたコーヒーを一気に飲み干し、煎餅とチョコレートを夢中で頬張った。 食べ終わるとすぐにその場で小用を済ませ、人差し指の状態を目で確認したが、全く問題ないことが分かって安堵した。 柴田さんやるみちゃんは私以上に元気そうで、全員一緒に登頂出来ることを確信した。

   休憩後は倉岡隊のメンバーと相前後しながら、集団となって登っている先行パーティーの後に続き、張られたばかりのフィックスロープを登る。 昨日までの不安定な天気が嘘のように安定した快晴の天気となり、8000m付近を登っているとは思えないほど足取りは軽い。 所々で渋滞もするが、もう急ぐ必要は全くない。 傾斜が一段と緩むと、夢にまで見た広大な頂上雪田の末端となり、眩しいばかりの太陽の光が全身に降り注いだ。 予想していた風は全く吹いていない。 フィックスロープは無くなり、足元のモナカ雪を割りながらの爽快な歩みとなった。 頂上稜線は果てしなく長いと聞いていたが、どこまでも歩いて行けそうな感じがした。 登頂はもう時間の問題となり、不意に目頭が熱くなってきた。 傾斜が殆ど無くなり、先頭を引っ張っていたシェルパとの間隔が詰まってくると、左前方にエベレストの頂が目線の高さに見えた。 そしてその僅か数分後の9時ちょうどに各隊のサミッター達で賑わう憧れのチョ・オユー(8201m)の山頂に両隊のメンバーが全員一緒に辿り着いた。

 

ロックバンドを通過すると夜が白み始めた


周囲に見えた7000m峰


周囲に見えた7000m峰


雲海の上に浮かぶシシャパンマ(右)


先頭の二人のシェルパの後ろには登山者が数珠繋ぎになっていた


山頂直下を登る平岡隊(左端)と倉岡隊(右端)


山頂から見た広大な頂上雪田


   すぐ後ろを歩いていたるみちゃん、柴田さん、平岡さん、五味さん、星野さん、羽山さん、倉岡さん、ペンバ・ヌル、ニマ・ヌル、テンジン、パサン、ニマ・カンチャ、そしてサーダーのペンバ・ギャルツェンと次々に握手を交わし、肩を叩き合って登頂を喜ぶ。 誰彼となく写真を撮り合い、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。 だだっ広い山頂には今シーズン初登頂したシェルパによってタルチョが張られ、眼前にはエベレストが見慣れない角度で神々しく望まれた。 エベレストのすぐ隣にはローツェ(8516m)とヌプツェ(7855m)が、180度反対の方向にはシシャパンマ(8027m)が見えたが、雲海に浮かぶネパール側の6000m峰や7000m峰はなかなか同定することが出来なかった。 山頂には30分以上滞在していたが、興奮していると酸欠になって危ないので、酸素マスクは外さずに(ザックを背負ったまま)周囲の山々の写真を撮り続けた。 下山直前になって少しだけ酸素マスクを外し、煎餅とチョコレートをほうじ茶で流し込んだ。


快晴無風のチョ・オユーの山頂


チョ・オユーの山頂(柴田さんと私)


チョ・オユーの山頂(柴田さん ・ 私 ・ るみちゃん)


チョ・オユーの山頂(テンジン ・ 柴田さん ・ 私 ・ るみちゃん ・ ペンバ・ヌル ・ ニマ・ヌル)


チョ・オユーの山頂


各隊のサミッター達で賑わうチョ・オユーの山頂


チョ・オユーの山頂(五味さん ・ 羽山さん ・ 倉岡さん)


山頂から見たエベレスト


山頂から見たギャチュンカン


山頂から見た雲海に浮かぶネパール側の山々


山頂から見た雲海に浮かぶシシャパンマ(中央奥)


   下りも登りと同じようにペンバ・ヌルが先導し私がその後に続いた。 急ぐ必要は全くないので、カメラをポケットに入れ、所々で足を止めて写真を撮りながら下った。 登りでは暗くて分からなかったルートの状況などが良く分って面白い。 酸素は相変わらず4リッター出ているので普通のスピードで下れる。 ロックバンドは懸垂ではなくロープを掴んで下った。 ロックバンドの通過で少し渋滞したものの、山頂から僅か1時間半ほどでC.3に着いた。

   当初の計画では最終キャンプ地としていたC.3は傾斜は緩いが決して平らではなく、あまり快適なキャンプ地ではないように思われ、天気が良ければ今回のようにC.2からアタックした方がメリットが大きいと思えた。 C.3でしばらく休憩してから意気揚々とC.2に下る。 C.2の直前で無酸素でC.3に登っていくビリーとすれ違ったので登頂の報告をすると、まるで自分のことのように喜んでくれた。 明日無酸素で山頂にアタックするビリーにエールを送り、周囲の景色の写真を撮り続けながら正午にC.2に着いた。 下りも酸素を潤沢に吸っていたことと、登頂出来た昂揚感で疲れはそれほど感じなかった。 陽射しに恵まれたキャンプサイトは日溜りのように暖かく、山頂に導いてくれたペンバ・ヌルにお礼を言ってから順次到着するメンバーやシェルパ達を迎えた。

 

山頂からは所々で足を止めて写真を撮りながら下った


山頂からC.3へ


ロックバンドの通過


ロックバンドの直下


C.3


C.3付近から見たロックバンド


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.2の直前で無酸素でC.3に登っていくビリーとすれ違う


C.2


C.2から見たロックバンドと山頂方面


C.2で五味さんと


C.2で寛ぐるみちやん


C.2で寛ぐ柴田さん


   予定では今日はC.2に泊まることになっていたので、テントの中で柴田さんと今日の思い出を語り合いながらのんびり寛いでいると、仕事を終えたシェルパ達が早く下りたがっている様子を感じ取った平岡さんの提案で、急遽C.1まで下ることになり、荷物を整理して3時にC.2を出発した。 今日の睡眠用の酸素が要らなくなったのでメンバー全員酸素を吸いながら下る。 ヒマラヤンブルーの空の色は全く変わらず、登りでは見られなかった山頂方面が良く見えた。 途中、今度はスキーを背負ったエイドリアン(マナスル登山の時のラッセルブライス隊のチーフガイド)とすれ違った。 一昨日登ってくる時は風で寒かったが、今日は強烈な陽射しと照り返しで暑く、途中でジャケットを脱いだ。

   登りでレギュレターがロープに絡んでしまい苦労したセラック帯にはC.2から1時間足らずで着いたが、ここだけは懸垂で下るため先行パーティーで渋滞していた。 懸垂の順番待ちをしていると、私達のシェルパが重荷を背負って下ってきたので先を譲ったため、殿の私は1時間半ほどそこで待たされることになってしまった。 更に途中で付け変わるロープを上手く乗り換えられず、下降に30分ほど要したので、セラック帯の下で首を長くして待っていた平岡さんと一緒にヘッドランプを灯し、6時半過ぎにようやくC.1(6400m)に着いた。 C.1にはAG隊が順応で泊まりに来ていて、皆から登頂の祝福を受けた。

   酸素の必要がないC.1は体が楽だが、柴田さんは初の8000m峰の登頂でかなり疲れている様子だったので、私のボンベに残っている酸素を吸って寝るよう勧めた。 私も未明からの長時間行動で疲れてはいたものの、登頂の喜びと安堵感はそれを遥かに上回っていた。 登頂の余韻に浸りながら夕食を自炊し、今までにないような深い眠りに落ちた。


スキーを背負ったエイドリアンとすれ違う


セラック帯の上で懸垂の順番待ちをする


セラック帯の上から見た山頂方面


セラック帯を懸垂で下る


薄暮のセラック帯


平岡さんと一緒にヘッドランプを灯してC.1に着く


   10月1日、緊張感から解放された清々しい朝を迎えた。 昨日ほどの快晴ではないが、チョ・オユーの山頂方面が良く見える。 今日はA.B.Cへ下るだけなので、朝食は行動食の余り物などで簡単に済ませた。 チョ・オユーの山頂からのご来光を拝み、出発の準備をしていると、意外にもC.2に順応に向かうAG隊のメンバーの中に、2003年に故坪山淑子さんと共にチョ・オユーに登られた高田さんの姿があった。 

   沢山の荷物で膨れ上がった荷物を担いで8時半過ぎにC.1を出発する。 順応はしているが、重荷と全身の疲労で足が重い。 ガレ場の急斜面をおぼつかない足取りで下り、取り付きからもう3度目となるA.B.Cへの登り下りが繰り返し続くモレーンの道を歩く。 目標を失った身には堪えるが、それも今日で終わりだ。 昨日の今シーズン初登頂の報を受けてか、今日はA.B.CからC.1に向かう人や隊が今までになく多い。 朝方良かった天気は昼前から早くも下り坂となり、昨日のうちにC.1に下りてきて良かった。


A.B.Cから見た山頂方面


A.B.Cからの風景


A.B.Cからの風景


AG隊の高田さん


AG隊の徳田さん


A.B.Cを出発する


ガレ場の急斜面をおぼつかない足取りで下る


登り下りが繰り返し続くモレーンの道


待望のA.B.C


キッチンスタッフのタシ・ドゥルゲ・クインジョに迎えられる


   一足先にA.B.Cに着いていた五味さんやキッチンスタッフのドゥルゲ・タシ・クインジョに迎えられ、正午に待望のA.B.C(5700m)に着き、間もなく到着した柴田さんやるみちゃんと早速ビールやスプライトで祝杯を上げた。 昼食は鶏丼にツナサラダ、ランチョンミート、いんげんのゴマ和えなどの付け合せで、ここ数日ろくなものを食べてなかったのでお腹一杯に食べた。 もうこれからは一切制約なく飲み食い出来るのが嬉しい。 倉岡隊のメンバーや重荷を背負ったシェルパ達も順次A.B.Cに下りてきた。 昨日の安定した好天が嘘のように再び不安定な天気に逆戻りしたのか、夕方前から雪が降ってきた。 夕食後は登頂ケーキが振る舞われ、メンバー一同大いに盛り上がった。


ビールやスプライトで祝杯を上げる


昼食の鶏丼


登頂ケーキ


登頂ケーキに入刀する


夕方前から雪となった


山 日 記    ・    T O P