チョ・オユー(8021m)

   9月30日、10時前に起床。 酸素を潤沢に吸っていたので体調はとても良い。 唯一心配なのは右手の人差し指で、まだ少し指先が冷たく感じる。 雪はやんで星が見えていた。 ありがたいことに風もなく暖かい。 5日前の天気予報は果たして当たるのだろうか。 お湯を沸かしてカップそばを食べ、900CCの大きなテルモスにほうじ茶、250CCの小さなテルモスにコーヒーを作って入れる。 柴田さんも元気で頼もしい。 11時半過ぎにテントから這い出し、出発の準備を整える。 気温はマイナス10度くらいだろうが、風がないので羽毛ミトンではなく、5本指のオーバー手袋でいくことにした。 最後に酸素ボンベの流量を4リッターに上げ、念のためペンバ・ヌルにレギュレターの目盛をチェックしてもらう。 出発前のテントサイトの写真を撮り、カメラをザックにしまった。

   予定よりも少し遅れて12時15分にC.2を出発する。 倉岡隊は今日も私達の後から出発するようだ。 昨夜の新雪が少し積もっている。 フィックスロープがないので、登攀隊長のペンバ・ヌルが先導し、ペンバ・ヌルと組む私がその後に続く。 私の後ろは柴田さん、テンジン、るみちゃん、ニマ・ヌル、そして殿に平岡さんという形になるのだろう。 すでにヘッドランプの灯りが上方に数珠のように連なっている。 人気のある山では良く見られる光景だ。 昨日C.3へ登っていった中国隊のトレースは新雪で消えてしまったため、私達よりも少し早くC.2を出発したヒマラヤン・ガイズ社が率いるイギリス隊のシェルパ二人が先頭をラッセルしながら進み、そのすぐ後ろからそのトレースを利用して他隊や私達の隊が登ることになった。 マナスルのアタックの時と同じ毎分4リッターの酸素の効果は絶大で、普通に歩いてさえいれば、息切れすることは全くない。 右手の人差し指の感覚をこまめにチェックしながら登った。

   1時間近く単調な斜面を直登気味に登るとようやくフィックスロープがあり、そこから先は傾斜がやや急になった。 フィックスロープのある所ではシェルパはクライアントの後ろから登るが、フィックスロープが渋滞していたのでペンバ・ヌルがそのまま先頭で私達の隊を先導する形になった。 先行パーティーのペースは非常にゆっくりで、始めは心地良かったが、しばらくすると酸素を潤沢に吸っている私達にとっては少し遅く感じられるようになった。 このペースがこのままが続くと、時間的にかなりのロスとなってしまうが、トレースの脇の雪は深いので追い抜くことは容易ではない。 前方の状況を把握しようと、平岡さんが何度かフィックスロープから外れて偵察をしていた。 足が完全に止まるほどの渋滞になると、ペンバ・ヌルがこまめに私の酸素の流量を減らしていた。 それでも2時前に高度計の標高は7250mとなり、C.2を出発してから1時間半で200mほど登っていたので、このペースでも9時頃には登頂出来るのではないかと思えた。 

   C.3に着く手前で私達よりも15分ほど遅い12時半にC.2を出発したという倉岡隊が追いついてきた。 暗闇で酸素マスクをしているものの、メンバー全員元気そうであることが良く分かる。 間もなく傾斜が緩み始めると、前方で他隊のパーティーが休憩しているように見えたが、図らずもそこが中国隊などのテントがあるC.3だった。 テントはフィックスロープのすぐ脇に張られていたが、横になって痙攣しているような女性の姿も見られて驚いた。 C.3のすぐ先でようやくペースの遅い前のパーティーを追い抜き、そこからは徐々に登高スピードが速くなったが、後ろを歩いていた柴田さんから私のレギュレターから異音がするという指摘があり、ペンバ・ヌルが確認すると目盛が0に近くなっていたので、予定よりも少し早いが皆も一斉に酸素ボンベを交換することにとなった。 出発してから水を一口も飲んでなかったので、交換が終わった後にペンバ・ヌルに休憩をリクエストすると、意外にも「ノー・ノー、ゴー・ゴー!」と全く取り付く島がなく、マッターホルンを登った時のことが思い出された。 

   間もなくルート上で一番の難所と言われるロックバンド(岩稜帯)の通過となったが、ルンゼ状の岩の部分は短く予想より難しくなかった。 片手で凍った岩を掴みながらユマールのみで登れそうだったが、手袋を雪に触れさせたくなかったので、補助的にピッケルを使って登った。 ロックバンドの先にも岩とのミックスとなっている急な雪壁があったが、ここも全く問題なく短時間で通過することが出来た。 シェルパ達が先を急いでいたのは、ロックバンドでの渋滞を危惧していたからだろう。


C.2 ⇒ C.3 ⇒ 山頂


出発の準備をする柴田さんとるみちやん


C.2から山頂にアタックする


   ロックバンドを通過すると夜が白み始め、一生のうちに数えるほどしか見ることが出来ない神々しい朝焼けの風景が背後に見られた。 昨日まで目線の高さにあった周囲の7000m峰が眼下となり、 雲海の上に浮かぶシシャパンマの頂もはっきり見えた。 残念ながら今日は手元にカメラはないが、何度も何度も“心のシャッター”を切り続けた。 人差し指の違和感は取り越し苦労だったのか次第に薄らいできた。 相変わらず風もなく、登頂の可能性と期待はますます大きくなった。  

   ロックバンドから先は山頂に向けて傾斜がだんだんと緩くなっていくのがこの山の特徴で、“最も登り易い8000m峰”と言われるゆえんだ。 先頭でラッセルしながらフィックスロープを伸ばしている二人は依然としてイギリス隊のシェルパなのか、その後ろには登山者が数珠繋ぎになっている。 もう先を急ぐ必要はなくなったようで、C.2を出発してから7時間近く経った7時にようやく休憩となった。 酸素マスクを初めて外して小さなテルモスに入れたコーヒーを一気に飲み干し、煎餅とチョコレートを夢中で頬張った。 食べ終わるとすぐにその場で小用を済ませ、人差し指の状態を目で確認したが、全く問題ないことが分かって安堵した。 柴田さんやるみちゃんは私以上に元気そうで、全員一緒に登頂出来ることを確信した。

   休憩後は倉岡隊のメンバーと相前後しながら、集団となって登っている先行パーティーの後に続き、張られたばかりのフィックスロープを登る。 昨日までの不安定な天気が嘘のように安定した快晴の天気となり、8000m付近を登っているとは思えないほど足取りは軽い。 所々で渋滞もするが、もう急ぐ必要は全くない。 傾斜が一段と緩むと、夢にまで見た広大な頂上雪田の末端となり、眩しいばかりの太陽の光が全身に降り注いだ。 予想していた風は全く吹いていない。 フィックスロープは無くなり、足元のモナカ雪を割りながらの爽快な歩みとなった。 頂上稜線は果てしなく長いと聞いていたが、どこまでも歩いて行けそうな感じがした。 登頂はもう時間の問題となり、不意に目頭が熱くなってきた。 傾斜が殆ど無くなり、先頭を引っ張っていたシェルパとの間隔が詰まってくると、左前方にエベレストの頂が目線の高さに見えた。 そしてその僅か数分後の9時ちょうどに各隊のサミッター達で賑わう憧れのチョ・オユー(8201m)の山頂に両隊のメンバーが全員一緒に辿り着いた。

 

ロックバンドを通過すると夜が白み始めた


周囲に見えた7000m峰


周囲に見えた7000m峰


雲海の上に浮かぶシシャパンマ(右)


先頭の二人のシェルパの後ろには登山者が数珠繋ぎになっていた


山頂直下を登る平岡隊(左端)と倉岡隊(右端)


山頂から見た広大な頂上雪田


   すぐ後ろを歩いていたるみちゃん、柴田さん、平岡さん、五味さん、星野さん、羽山さん、倉岡さん、ペンバ・ヌル、ニマ・ヌル、テンジン、パサン、ニマ・カンチャ、そしてサーダーのペンバ・ギャルツェンと次々に握手を交わし、肩を叩き合って登頂を喜ぶ。 誰彼となく写真を撮り合い、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。 だだっ広い山頂には今シーズン初登頂したシェルパによってタルチョが張られ、眼前にはエベレストが見慣れない角度で神々しく望まれた。 エベレストのすぐ隣にはローツェ(8516m)とヌプツェ(7855m)が、180度反対の方向にはシシャパンマ(8027m)が見えたが、雲海に浮かぶネパール側の6000m峰や7000m峰はなかなか同定することが出来なかった。 山頂には30分以上滞在していたが、興奮していると酸欠になって危ないので、酸素マスクは外さずに(ザックを背負ったまま)周囲の山々の写真を撮り続けた。 下山直前になって少しだけ酸素マスクを外し、煎餅とチョコレートをほうじ茶で流し込んだ。


快晴無風のチョ・オユーの山頂


チョ・オユーの山頂(柴田さんと私)


チョ・オユーの山頂(柴田さん ・ 私 ・ るみちゃん)


チョ・オユーの山頂(テンジン ・ 柴田さん ・ 私 ・ るみちゃん ・ ペンバ・ヌル ・ ニマ・ヌル)


チョ・オユーの山頂


各隊のサミッター達で賑わうチョ・オユーの山頂


チョ・オユーの山頂(五味さん ・ 羽山さん ・ 倉岡さん)


山頂から見たエベレスト


山頂から見たギャチュンカン


山頂から見た雲海に浮かぶネパール側の山々


山頂から見た雲海に浮かぶシシャパンマ(中央奥)


   下りも登りと同じようにペンバ・ヌルが先導し私がその後に続いた。 急ぐ必要は全くないので、カメラをポケットに入れ、所々で足を止めて写真を撮りながら下った。 登りでは暗くて分からなかったルートの状況などが良く分って面白い。 酸素は相変わらず4リッター出ているので普通のスピードで下れる。 ロックバンドは懸垂ではなくロープを掴んで下った。 ロックバンドの通過で少し渋滞したものの、山頂から僅か1時間半ほどでC.3に着いた。

   当初の計画では最終キャンプ地としていたC.3は傾斜は緩いが決して平らではなく、あまり快適なキャンプ地ではないように思われ、天気が良ければ今回のようにC.2からアタックした方がメリットが大きいと思えた。 C.3でしばらく休憩してから意気揚々とC.2に下る。 C.2の直前で無酸素でC.3に登っていくビリーとすれ違ったので登頂の報告をすると、まるで自分のことのように喜んでくれた。 明日無酸素で山頂にアタックするビリーにエールを送り、周囲の景色の写真を撮り続けながら正午にC.2に着いた。 下りも酸素を潤沢に吸っていたことと、登頂出来た昂揚感で疲れはそれほど感じなかった。 陽射しに恵まれたキャンプサイトは日溜りのように暖かく、山頂に導いてくれたペンバ・ヌルにお礼を言ってから順次到着するメンバーやシェルパ達を迎えた。

 

山頂からは所々で足を止めて写真を撮りながら下った


山頂からC.3へ


ロックバンドの通過


ロックバンドの直下


C.3


C.3付近から見たロックバンド


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.3からC.2へ


C.2の直前で無酸素でC.3に登っていくビリーとすれ違う


C.2


C.2から見たロックバンドと山頂方面


C.2で五味さんと


C.2で寛ぐるみちやん


C.2で寛ぐ柴田さん


   予定では今日はC.2に泊まることになっていたので、テントの中で柴田さんと今日の思い出を語り合いながらのんびり寛いでいると、仕事を終えたシェルパ達が早く下りたがっている様子を感じ取った平岡さんの提案で、急遽C.1まで下ることになり、荷物を整理して3時にC.2を出発した。 今日の睡眠用の酸素が要らなくなったのでメンバー全員酸素を吸いながら下る。 ヒマラヤンブルーの空の色は全く変わらず、登りでは見られなかった山頂方面が良く見えた。 途中、今度はスキーを背負ったエイドリアン(マナスル登山の時のラッセルブライス隊のチーフガイド)とすれ違った。 一昨日登ってくる時は風で寒かったが、今日は強烈な陽射しと照り返しで暑く、途中でジャケットを脱いだ。

   登りでレギュレターがロープに絡んでしまい苦労したセラック帯にはC.2から1時間足らずで着いたが、ここだけは懸垂で下るため先行パーティーで渋滞していた。 懸垂の順番待ちをしていると、私達のシェルパが重荷を背負って下ってきたので先を譲ったため、殿の私は1時間半ほどそこで待たされることになってしまった。 更に途中で付け変わるロープを上手く乗り換えられず、下降に30分ほど要したので、セラック帯の下で首を長くして待っていた平岡さんと一緒にヘッドランプを灯し、6時半過ぎにようやくC.1(6400m)に着いた。 C.1にはAG隊が順応で泊まりに来ていて、皆から登頂の祝福を受けた。

   酸素の必要がないC.1は体が楽だが、柴田さんは初の8000m峰の登頂でかなり疲れている様子だったので、私のボンベに残っている酸素を吸って寝るよう勧めた。 私も未明からの長時間行動で疲れてはいたものの、登頂の喜びと安堵感はそれを遥かに上回っていた。 登頂の余韻に浸りながら夕食を自炊し、今までにないような深い眠りに落ちた。


スキーを背負ったエイドリアンとすれ違う


セラック帯の上で懸垂の順番待ちをする


セラック帯の上から見た山頂方面


セラック帯を懸垂で下る


薄暮のセラック帯


平岡さんと一緒にヘッドランプを灯してC.1に着く


写  真    ・    アジア(ヒマラヤ)    ・    想い出の山    ・    T O P