ロブチェ・イースト(6119m)

   11月7日、今日はB.C(4600m)を発ってロブチェ・イースト登山のB.Cとなるトゥクラ(4620m)に向かう。 ロブチェ・イーストへの登山は英語が堪能で交渉力もある若いパサン・カミとベテランのニマソナの二人がサポートしてくれることになった。 本隊も明日からの下山に備えて本格的に撤収の準備に入った。 今日もB.Cは快晴無風の良い天気だ。 朝食後は平岡さんの音頭で、お世話になったスタッフ一人一人に感謝の気持ちを込めてチップを手渡すセレモニーを行った。 

   アマ・ダブラムに再訪を誓い、9時半に本隊のメンバーに見送られてB.Cを発つ。 案内役はニマソナだ。 B.C入りしてからまだ10日も経ってないが、登れなかったせいかB.Cでの滞在がとても長く感じられた。 間もなくクーンブ氷河の末端の谷の向こうに目指すロブチェ・イーストの頂が見えた。 パンボチェ(3930m)へは下らず、途中から道を外れて微かな踏み跡を辿ってディンボチェ(4410m)の方向に下る。 目印となる大きなカルカを過ぎるとローツェやヌプツェ、そして雪煙の舞うエベレストの頂も見えた。 景色は抜群だが風が吹いていて落ち着かない。 微かな踏み跡はイムジャ・コーラ(川)に次第に近づいていったので、飛び石伝いに川を渡ってエベレスト街道に合流するとばかり思っていたが、良い渡渉ポイントが見つからなかったのか、初めから渡るつもりはなかったのか、川を渡ることなく左岸に沿って藪っぽい獣道のような踏み跡をディンボチェ方面に延々と歩き続けた。 間もなくディンボチェの集落が川の対岸に見えるようになったが、川の幅が広くて渡ることが出来ないのみならず、踏み跡は高巻きをするようになり、パンボチェ経由の方が良かったのではないかと思えてならなかった。 結局ディンボチェから1キロ以上も川を遡り、小さな橋を渡って右岸のチュクンからのトレッキングルートと合流し、下り気味に歩いて12時半過ぎにようやく以前連泊したディンボチェのロッジに着いた。

   ロッジで久々に定番のフライドライスを食べ、1時半過ぎにトゥクラに向けてエベレスト街道を歩き始める。 二週間ほど前に往復したばかりなので、ルートや周囲の景色の記憶は新しい。 目標のロブチェ・イーストがだんだんと近づいてくるが、まさかこの道を再び辿ってこの山を登りにくるとは夢にも思わなかった。 天気は良いがすでに昼過ぎとなっているので、行き交うトレッカーやポーターも少ない。 牧草地の雪は殆ど溶けたが、今日は風があるので初冬のように寒々しい。 トゥクラの手前でペリチェ方面からエベレスト街道を登ってきたパサン・カミと合流した。 彼はディンボチェの手前でイムジャ・コーラ(川)を渡渉したとのことだった。 3時半にトゥクラの一軒宿のロッジに到着。 陽当たりの悪いロッジは残雪が建物にへばりついているため、アマ・ダブラムのB.Cよりも寒かったが、荷物がB.Cから届かず着替えも出来なかった。 国内で山のガイドをされている高橋さんと帰国するまでずっと同じ部屋になり、色々な話を聞けてとても有意義だった。 到着後のSPO2は90、脈拍は75と、やはり脈が高かった。 ロッジの食堂にはカラ・パタールを目指してトレッキング中の日本人の若い夫婦がいたが、初めての高所で高度障害に苦しんでいるようだった。 

   夕食は再びフライドライスと茹でたジャガイモを注文した。 夕食後はH.Cへ上げる荷物の仕分けをする予定でいたが、安全管理上ロッジには荷物を預けられないとのことで、二人のポーターが4人分の荷物を全てH.Cへ上げるとのことだった。


B.C (4600m) ⇒ ディンボチェ (4410m) ⇒  トゥクラ (4620m) ⇒ ロブチェH.C (5300m)


スタッフ全員との記念写真


お世話になったスタッフ一人一人に感謝の気持ちを込めてチップを手渡す


撤収が進んだB.C


アマ・ダブラムに再訪を誓ってB.Cを発つ


クーンブ氷河の末端の谷の向こうに目指すロブチェ・イーストの頂(左端)が見えた


パンボチェへは下らず、途中から道を外れて微かな踏み跡を辿ってディンボチェの方向に下る


ローツェやヌプツェ、そして雪煙の舞うエベレストの頂も見えた


イムジャ・コーラ(川)の左岸に沿って踏み跡をディンボチェ方面に延々と歩き続けた


ディンボチェの集落と背後に聳えるタウツェ


ディンボチェから1キロ以上も川を遡り、小さな橋を渡って右岸のトレッキングルートと合流した


イムジャ・コーラから見たアイランド・ピーク


ディンボチェのロッジで寛ぐ


エベレスト街道を歩き始めると、目標のロブチェ・イーストがだんだんと近づいてくる


登れなかったアマ・ダブラム


トゥクラの手前から見たロブチェ・イースト


陽当たりの悪いトゥクラのロッジ


ロッジの寝室


ロッジの食堂


夕食のフライドライス


   11月8日、6時に起床。 起床後のSPO2は90、脈拍は70と、昨日に引き続いて脈が高い。 緊張感で自覚症状は出ていないが、やはり疲れによる風邪のようだ。 今日は半日行程でロブチェ・イーストのH.Cに向かう。 H.Cの標高は5300mほどだが、雪が無いのでトレッキングシューズで登れるらしい。 ロッジの裏にはタウツェ(6367m)とチョラツェ(6335m)のコンビが屹立し、トゥクラ・パス(峠)の向こうにロブチェ・イーストの頂稜部が見えた。 8時前にニマソナやパサン・カミと一緒に6人でロッジを出発。 快晴無風の登山日和だ。 ロブチェ・イーストを正面に見ながら、トゥクラ・パス(峠)まで小さくジグザグを切りながらゆっくり登っていく。 4830mの峠まで標高差は200mほどだ。 トレッキングルート上には残雪が無く、トゥクラのロッジから50分ほどでタルチョがたなびくトゥクラ・パス(峠)に着いた。 風光明媚な峠で一息入れ、傾斜が殆ど無くなった道を進んでいくと、間もなくプモ・リが正面に見えるようになり、左手にロブチェ・イーストが徐々にその全容をあらわした。 

   トレッキングルートの傍らの岩に、赤い字で『←Lobuche・H.C』と記されている所から左に外れ、カールの底の扇状地に入る。 前回B.Cを設営した場所の雪は少なくなり、テントも無かった。 扇状地を緩やかに登って大きな池の畔を通り、H.Cに上がるカールの取り付きへ向かう。 取り付きには目印の大きな岩があり、そこから大小の岩が散在するカールの中を要所要所に積まれたケルンに導かれて登る。 H.Cが近づいた所でルート上に残雪があらわれたので、パサン・カミが迂回するためのロープを岩場に固定してくれた。 緩やかなスラブ状の岩を登り、11時半過ぎに労せずしてタルチョが張られたH.C(5300m)に着いた。 

   H.Cは予想よりも良い環境で、山々の展望が素晴らしいのみならず、近くに小さな池があるので水を作るのも楽だった。 テントサイトには他のパーティーのテントキーパーとテントが一張あった。 山頂方面へのルート上にはスラブ状の岩が続いており、3〜4人のパーティーが雪線に向かって登って行く姿が見えた。 暖かく風も弱いが、ポーターがまだ着かないので、テントが立たない。 1時間ほど待ってようやく二人のポーターがH.Cに上がってきたので、早速皆でテントを設営した。 昼過ぎのSPO2は85、脈拍は75だったが、ここの標高を考えれば許容範囲だろう。 順応は十分にしているので、頭痛などの症状はない。

   先ほどからヌプツェの山頂に笠雲がかかっているのが気掛かりだったが、夕方前に一時的に天気が崩れ小雪がパラついてヤキモキする。 明日の天気予報は分からないし、仮に悪くても日程の都合上予備日はないので、明日はアタックするしかない。 結局、私達の後からは誰も登ってこなかったので、明日山頂にアタックするのは私達の隊と、上で幕営している1パーティーのみだ。 フリーズドライの夕食を自炊して食べていると、下見に行ったパサン・カミから明日の出発は5時で良いとの指示があった。 テントが狭かったこともあるが、やはり高度の影響で殆ど眠れなかった。


ロッジの裏に屹立するはタウツェ(左)とチョラツェ(右)


ロブチェ・イーストを正面に見ながら、トゥクラ・パス(峠)へ登る


タルチョがたなびくトゥクラ・パス(峠)


トゥクラ・パス(峠)から見たロブチェ・イースト


トゥクラ・パスを過ぎると間もなくプモ・リが正面に見えるようになる


前回B.Cを設営した扇状地とロブチェ・イースト


前回B.Cを設営した場所の雪は少なくなり、テントも無かった


扇状地を緩やかに登る


扇状地の中枢にある大きな池


H.Cに上がるカール(中央)


ケルンに導かれてカールの中を登る


大小の岩が散在するカールの中


ルート上に残雪があらわれたので、パサン・カミが迂回するためのロープを岩場に固定してくれた


H.C直下の緩やかなスラブ状の岩


ヌプツェの山頂には笠雲がかかっていた


辿ってきたカールの底の扇状地と池


H.Cのあるコル


タルチョが張られたH.C


H.Cから見たアマ・ダブラム


H.Cから見たロブチェ・イーストの山頂(中央左奥)


ポーターが到着するのを待つ


H.Cは予想よりも良い環境だった


夕方前に一時的に天気が崩れ小雪がパラついた


   11月9日、3時過ぎに起床。 不思議なくらい昨夜からずっと風がなく、テントから外を見ると満天の星空だった。 お湯を沸かしてフリーズドライのカルボナーラを食べる。 準備は早くから出来ていたが、出発直前に用便に行きたくなってしまい、最後尾でH.Cを出発することになった。 出発は予定どおり5時ちょうどだった。 

   パサン・カミを先頭に雪のないスラブ状の滑りやすい岩場を登って行く。 間もなく夜が白み始め、アマ・ダブラムのシルエットが暗闇から浮かび上がってきた。 足元に雪が出てきたが、昨日下見とルート工作に行ったパサン・カミが良いルートを選んで先導してくれたので、アイゼンは着けずにミックスの岩場を登り続けた。 西の空がモルゲンロートに染まり始め、何度も足を止めて写真を撮る。 

   H.Cから1時間半ほどで雪稜の末端に着くと、ちょうど朝陽が当たり始めて暖かくなった。 雪稜の末端には猫の額ほどであるがテントを張るスペースがあり、昨日後ろ姿を見たパーティーのテントが2張あった。 ロブチェ・イーストと隣のロブチェ・ウエスト(6145m)の山頂らしきピークが並んで見え、目を凝らすと先行しているパーティーの姿も見えた。 嬉しいことに稜線には風が無く、上空も雲一つない快晴の天気だ。 

   雪稜の末端で一息入れながらアイゼンやハーネスを着けて7時に出発する。 踏み固められた明瞭なトレースがあったのでロープは結ばずに登る。 ペースの速い林さんと安倍さんが終始パサン・カミと先行し、私と一番年配の利岡さんが殿を務めるニマソナと一緒に登る形になった。 30分ほど明瞭なトレースを辿っていくと、次第に傾斜がきつくなってきたので、ここからは全員でロープを結んで登る。 今まで仰ぎ見ていたタウツェ(6367m)とチョラツェ(6335m)のコンビが次第に目線の高さになってくる。 しばらくアンザイレンして登ったが、本当に順応しているのかと疑いたくなるほど足が重く息が切れる。 斜面の傾斜が一段と強まると、そこからは昨日パサン・カミが取り付けたフィックスロープが張られていた。 頭上には大きなセラックが見えたが、すでに登頂したと思われる先行パーティーが笑顔で下ってきたので登頂を確信した。 フィックスロープの終了点の手前にある大きなセラックとクレバスを左右に迂回しながら登って行くと、ようやく指呼の間に今まではっきりと特定出来なかったロブチェ・イーストの山頂が見えた。

   パサン・カミと共に先行している林さんと安倍さんの姿が見えなくなったが、山頂直下で私達を待っているのだろう。 案の定、山頂の手前にテントが何張か張れそうな平らな場所があり、皆がザックを置いて寛いでいた。 目と鼻の先の山頂へは、ここで一息入れてから再び皆でロープを結んで登るのだろうと思ったが、どうやら山頂には登らずここで終わりにするような気配を感じた。 パサン・カミに聞いてみると、この先にある大きなクレバスを渡るのがとても危険なので、ここを今回の山頂とするということだった。 クレバスを渡った先にはトレースも見えるが、大雪の影響で山頂部分の雪の付き方が悪く、確保するスノーバーもない状況で6人が1本のロープで登るには少し無理があるように思えた。 ロブチェ・イーストの真の山頂には辿り着けなかったが、マイナーな山と急遽決まった“弾丸ツアー”の宿命なので仕方がない。 時刻は9時10分、H.Cを出発してから僅か4時間ばかりのあっけないサミットだった。

   気を取り直して、あらためて皆で登頂を祝い、記念写真を撮りあった。 展望は360度ではないものの、眼前には重厚なヌプツェとその背後にエベレストの山頂が見え、足下のクーンブ氷河の源頭にはプモ・リとチャンツェ、そして目を右に転じると、マカルーと先日登ったアイランド・ピーク、アマ・ダブラム、カンテガとタムセルク、タウツェとチョラツェ、そして南西の方角にはコンデ・リを始めとするおびただしい山々が一望され、何もいうことはない。 写真を撮り、ビデオを回してヒマラヤの大展望を満喫した。 喧噪のカラ・パタールやアイランド・ピークとは違い、私達のパーティーだけで山頂を貸し切りに出来たことも嬉しかった。


 

5時ちょうどに最後尾でH.Cを出発する


夜が白み始め、アマ・ダブラムのシルエットが暗闇から浮かび上がる


西の空がモルゲンロートに染まり始める


アイゼンは着けずにミックスの岩場を登る


雪稜の末端に着くと、ちょうど朝陽が当たり始めた


雪稜の末端から見たロブチェ・イースト(中央左)とロブチェ・ウエスト(左奥)


雪稜の末端からは踏み固められた明瞭なトレースがあったのでロープは結ばずに登る


ペースの速い林さんと安倍さんが終始パサン・カミと先行する(中央奥が山頂)


傾斜がきつくなってきた所から全員でロープを結んで登る


タウツェ(左)とチョラツェ(右)のコンビが次第に目線の高さになる


頭上の大きなセラックに向けてフィックスロープを使って直登する


フィックスロープを登る利岡さん


フィックスロープの終了点の手前にある大きなセラックを越える


指呼の間に今まではっきりと特定出来なかったロブチェ・イーストの山頂が見えた


ロブチェ・イースト(偽ピーク)の山頂


ロブチェ・イースト(偽ピーク)の山頂


山頂で寛ぐ林さんと安倍さん


山頂から見た重厚なヌプツェとその背後のエベレストの山頂(中央右奥)


山頂から見たプモ・リ(右下がカラ・パタール)


山頂から見たチャンツェ(中央奥)


山頂から見たマカルー(中央奥)とアイランド・ピーク(中央左下)


山頂から見たアマ・ダブラム


山頂から見たタウツェ(左)とチョラツェ(右)


山頂から見たカンテガ(中央)とタムセルク(右)


南西の方角にはコンデ・リ(左端)を始めとするおびただしい山々が一望された


   いつまでも佇んでいたい快晴無風の山頂だったが、パサン・カミに促されて9時半過ぎに下山を開始する。 皆はどんどん先に下っていってしまったが、私は最後尾で写真を撮りながらマイペースで下ったので、フィックスロープを回収してくるパサン・カミにも追いつかれ、11時半過ぎにようやくH.Cに着いた。 

   しばらく休憩してからテントの中の荷物を整理し、1時にH.Cを後にして下山を続ける。 登りと同じように元気な林さんと安倍さんの速いペースにはついていけず、疲れた足を労りながら利岡さんと共に足下の扇状地に向けて大小の岩が散在する急斜面のカールを下る。 エベレスト街道との合流点で首を長くして待っていてくれた二人と合流してB.Cのトゥクラに向かう。 天気は相変わらず良く、雲もさほど湧いてこない。 何度も後ろを振り返りながら、ロブチェ・イーストを眺め、その雄姿を写真に収めた。 意外にもトゥクラ・パス(峠)でパサン・カミから、まだ陽も高いのでトゥクラの先のペリチェ(4240m)まで下りましょうという提案があった。 標高がトゥクラよりも400mほど低いペリチェまで下れば体も楽だし、明日の行程も短くなるので、皆でこの提案に乗ることにした。 予想よりも早く3時にトゥクラのロッジに着いた。 昨日までとは別人のように食欲が旺盛になり、あっという間に注文したフライドライスを平らげてしまった。 

   すでに日陰となった寒々しいトゥクラのロッジを3時半に出発。 ロッジの女将さんに、これからペリチェに下ることを告げると、「クレイジー!」と笑っていた。 ディンボチェへのルートを左に分け、クーンブ氷河の末端の谷に向けて高度を落とすと、後はドゥードゥ・コシ(川)の源流に沿って緩やかな下りが延々と続いた。 谷は暗いが正面のアマ・ダブラムと背後のロブチェ・イーストには陽が当たり、その頂はどんどん高くなっていく。 途中で私達の荷物を背負ったポーターにも抜かれ、4時半過ぎにようやくペリチェのロッジに着いた。 ペリチェのロッジはトゥクラとさほど変わらないと思っていたが、意外にもロッジの食堂は暖かく快適で食事も美味しかった。 足はすっかり棒になってしまったが、パサン・カミのアドバイスどおりペリチェまで下ってきて良かった。


山頂からH.Cへ下る


マイペースで写真を撮りながら最後尾で下る


フィックスロープを回収して下るパサン・カミ


雪稜の末端からH.Cへ


H.Cに戻る


H.Cを後にする


大小の岩が散在する急斜面のカールを下る


カールの底の扇状地


扇状地から見たロブチェ・イースト


トゥクラ・パス(峠)


トゥクラ・パス(峠)から見たロブチェ・イースト


トゥクラのロッジ


ペリチェのロッジ


ペリチェから見たロブチェ・イースト


ロッジの食堂は暖かくて快適だった


ロッジの寝室


山 日 記    ・    T O P