10月31日、テントを叩く風の音は全くなかったが、鼻詰まりと気持ちの昂りで、酸素を吸っているにも関わらず殆ど眠れなかった。 1本目の酸素ボンベの酸素の残量がギリギリだったことが気になっていたことも原因かもしれない。 零時半の出発に合わせ、2時間前の10時半に起床することにしていたが、倉岡さんは10時から起きてお湯を沸かしていた。 起床後のSPO2は82、脈拍は68で相変らず酸素の効用は申し分ない。 ゆっくり準備を始めると体調は次第に良くなり、予想に反して朝食のカレーとアルファー米を完食出来た。 懸案だったトイレも同じ境遇だった倉岡さんに続いて食後に済ませることが出来た。 登頂後はC.1まで下りることになり、シュラフやマットなどの個人装備をパッキングしてからテントの外に出る。 天気は予報どおりの快晴で満天の星空だ。 風も全くないため、体感気温はマイナス5度くらいと予想以上に暖かい。
予定どおり零時半にC.2を出発。 ウォンチューの意見で倉岡さんが先行し、その後にウォンチューと私が続く。 まだ足元には雪が殆どないのでアイゼンは着けずにいく。 当初は登りが毎分2L、下りは1Lの酸素を吸うことになっていたが、最初の岩場の区間のスピードを上げるため2.5Lになった。 ゲルは留守番かと思ったが、彼も登頂したいのか私の後をついてきたので、結果的に私一人に3人のサポートが付くことになった。 ウォンチューの話どおり、C.2からの岩場の登りは昨日のC.1からC.2の間ほど難しくなく、今日から履いた高所靴でも問題なく登ることが出来た。 まだスタートしたばかりだが不安材料は全くなく、登頂の可能性がにわかに高まり嬉しくなる。
しばらく登っていくと酸素の濃さのせいか暑くなってきたので、思い切ってアウターのダウンジャケットを脱ぎ、三重にしていた手袋のうち中間のウールの手袋も外した。 少し身軽になって登り始めると、地形はクーロワール状となった。 その直後、不意に右手の甲に強い衝撃を受けた。 周囲が暗いので一瞬何が起きたのか分からなかったが、数秒後に落石が当たったのだと思った。 手の甲は痛いというよりも痺れている感じだったが、それとは別に人差し指が痛くなってきた。 先行している倉岡さんやウォンチューはまだ私が落石に当たったことに気が付いていないようだ。 オーバー手袋を外すと、インナー手袋の人差し指の部分に血が滲み、指は痛くて全く曲らなかった。 直感的に“ああこれで終わったな”と悲しみにも似た悔しさがこみ上げてきた。 直前にウールの手袋を外してしまったことが悔やまれた。 恐る恐るインナー手袋を外すと、人差し指の第一関節付近の皮がペロンと剥けて血が滲み出ていた。 凍傷を併発すると怖いのですぐにインナー手袋をはめ、酸素マスクを外して倉岡さんとウォンチューを呼ぶ。 倉岡さんは落石に当たっても程度によっては続行可能だと思っていたようだったが、私の血の滲んだインナー手袋を見るなりすぐに登山の中止を決めた。 もちろん私もこの状態で続行したいとは微塵も思わなかった。 ウォンチューは自分の責任ではないのに、何度も何度も私に謝っている。 倉岡さんがウォンチューにヘリでのレスキューを確認すると、C.2にはヘリは来られないということで、B.Cまで自力で下山することになった。 寒くはないが凍傷の防止と傷の保護のため再びウールの手袋をはめて直ちに下山体勢に入った。 思いがけない出来事に、“好事魔多し”という諺しか頭に浮かんでこなかった。
再び倉岡さんが先行し、ウォンチューに全てを委ねながら岩場を下る。 C.2までは特に難しい所はなかったので、30分ほどで戻ることが出来た。 テントに置いた個人装備の回収はせず、また休むこともなくそのまま下り続ける。 核心部となるC.1までの道程はとても険しいが、まだ登ってくる人がいないのが救いだ。 ウォンチューはテクニックというよりは力任せに私を導いていくが、そのスピードはかなり遅く、下降は遅々として捗らない。 業を煮やした倉岡さんがウォンチューに代って私を同時懸垂で下すことになり、ウォンチューとゲルは再びC.2に戻って個人装備の回収をすることになった。 私は下降でもそのまま2.5Lの酸素を吸い続けたので全く疲れることはなかったが、腰痛持ちの倉岡さんは相当大変な作業を強いられることになってしまった。 静寂の暗闇の岩稜で黙々と二人の逃避行が続いた。
どのくらいの時間が経過したのだろうか、ようやくC.1に近づきトラバース地帯に入った。 ここまで下れれば後は自力でも下れるため気は楽だ。 C.1から少し離れた岩棚にテントが2張あり、その直下の僅かな平坦地で一息入れる。 アマ・ダブラムのシルエットがとても神秘的だ。 何事もなければもうアイゼンを着けてC.3付近の雪壁を登っていたことだろう。 少し落ち着いたせいか、行き場のない悔しさが再びこみ上げてきた。 異変を察知したのか、近くのテントからヘッドランプの灯りが一つこちらに向かってきた。 ヘッドランプの主はペンバ・ギャルツェンで、テントには明日の登頂を目指す石川さん達がいることが分かった。 ペンバにお見舞いの言葉をかけられてC.1へ向かう。 まだ暗いC.1はひっそりと静まりかえっていた。 C.1でウォンチュー達と合流し、靴をシングルブーツに履き替えようと思ったが、まだ二人のヘッドランプが遠かったので高所靴のままB.Cへ下る。 緊張感から少し解放されると指の痛みだけではなく、脱力感からか足が重たく感じられるようになった。
ウォンチュー達がC.1に着いたことを見計らってヤクキャンプの手前で休憩し、ハーネスを外して二人が下りてくるのを待つ。 周囲が白み始めアマ・ダブラムが良く見えるようになると、また悔しさがこみ上げてきた。 間もなく休憩場所に下りてきたウォンチュー達から靴を受け取り、ダウンパンツなども脱いで身軽になる。 C.2にデポしたオキシフルを傷口につけようとしたが、凍っていて駄目だった。 ここからはウォンチュー達が先行して下る。 二人共相当な荷物を背負っているが、しばらくすると視界から見えなくなってしまった。 私も酸素の力を借りて休まずに可能な限りの速さでB.Cへ下った。 間もなくご来光となり、アマ・ダブラムが美しく輝き始めた。 山を見るのは辛いが、もう二度とここに来ることはないだろうと思い、何枚も写真を撮った。 B.Cを眼下に望む5000m地点に着くと、後ろを歩いていた倉岡さんがしばらくしてから追いついてきたが、途中のサイドモレーンのトラバース区間で転んだらしく、全身に擦り傷を負い左手の薬指が曲がっていた。 先ほどの想定外のハードなレスキュー作業で相当疲れたのだろう。 B.Cを目がけて下っていくと、ようやくC.1方面に向かう登山者とすれ違うようになった。 予想どおり、間もなくキッチンボーイのパサンがティーポットを携えて迎えにきてくれた。 暖かいオレンジジュースをがぶ飲みして生き返る。 予想よりもだいぶ早く、9時ちょうどにB.Cに着いた。