11月2日、昨夜は疲れのピークだったのか、10時間ほどぐっすり寝た。 起床前のSPO2は86、脈拍は56とまずまず数値は良い。 今日も快晴だが上空は風が強そうで、カンテガの山頂には雪煙が舞っていた。 キッチンテントも風でバタついている。 指先が冷たく、なかなか温まってこない。 意外にも朝食前に平岡さんから、今日から山頂アタックに向けて出発するという突然の指令があった。 今日から山頂へのルート工作が始まるが、最新の天気予報では真冬のような気圧配置のため、風が穏やかなのは明後日までなので、ルート工作が明日までに終わるという前提で、同時並行的に上部キャンプに上がり、速攻で登頂を狙う作戦のようだ。 説明の最中にルート工作隊員に選ばれたナムギャルとパサン・カミがC.1へ出発していったが、彼らを見送る余裕もなかった。 朝食のテーブルは緊張感に包まれ、メンバーは終始無言だった。
朝食後に上部キャンプで自炊するためのフリーズドライの食料や行動食を選ぶ。 アタックに向けての準備は何もしていなかったので、出発は10時になってしまった。 通常C.1までは雪が無く、トレッキングシューズで登れるが、途中からアイゼンを着けるため仕方なく高所靴を履いて登る。 C.1への案内役は年配のニマソナとカルマの二人だ。 B.Cの真ん中を流れる小川を渡り、まだ雪に覆われた牧草地の丘を登っていく。 B.CからC.1への標高差は1200mもあり、ザックには登攀具とエアーマット、そして3泊4日分の食料が入っているため、C.1まで登るのは結構大変だ。 登り始めて間もなく、昨日から順応でC.1に泊まっていた別働隊の林さんとすれ違ったが、意外にもその直後に、2年前のマナスル登山でラッセル・ブライス隊の隊医だったモニカとすれ違い、思わぬ所で嬉しい再会となった。 今回はモニカも登山隊員として、自ら山頂を目指すとのことだった。 林さんやモニカから、ここから上では風が強まり、とても寒いという情報を得た。
モニカ達の言うとおり、次第に風が強くなり、また刺すように冷たかったので、持っている装備を全て着込んだ。 風が強くて落ち着かないが、明日以降の体力を温存するため、マイペースでゆっくり登る。 傾斜は全般的に緩やかだが、所々にちょっとした下り坂やトラバースがあり、なかなか標高が稼げない。 登るにつれてアマ・ダブラムはその姿を変え、ますます凄みを帯びてくる。 昼食の休憩後に岩野さんが遅れ始め、平岡さんと最後尾で登ることになった。
アマ・ダブラムの頂稜部がだんだんと大きくなり、C.1の手前にも他の隊のテントが数張見られた。 ルート上に岩が点在するようになってくると、ようやくC.1のテントが頭上に見えた。 積雪が次第に多くなり、トレースを少し外しただけで深い雪に足を取られる。 疲れと高度の影響で登高は遅々として捗らなくなり、明日の行動にも影響が出そうな雰囲気が漂ってきた。 先にC.1に着いたニマソナが足早に駆け下りてきて、岩野さんのサポートに向かった。 間もなく岩野さんのザックを担いで上がってきたニマソナが、前を登る滝口さんのザックも担いで、滝口さんを連れていってしまった。
C.1直下の岩場では傾斜が急になり、フィックスロープが張られていた。 疲れていたのでハーネスやアイゼンを着けるのが煩わしく、そのまま強引に手で掴んで登り始めたが、ベルグラが所々にあって登りにくいので、仕方なく途中からハーネスをだけを着けてユマーリングで登る。 日没が近づき、周囲が暗くなり始めた頃にようやくC.1に着いた。 C.1にはテントが20張ほどあったが、暗くて私達の隊のテントが分からずに困っていると、他の隊のサーダーらしき人が、私達の隊のテントはここからはまだ見えない一番奥だと教えてくれた。 日没後、テントの傍らで待っていたニマソナに迎えられ、先に到着していた工藤さんと同じ小さなテントに転がり込む。 時計を見るともう6時前だった。 休む間もなく自炊用の水作りを始める。 テントは岩棚にへばりつくように狭いスペースぎりぎりに設営されているため、床も凸凹で居住環境は極めて悪い。 雪はテントの中から半身を乗り出し、ピッケルで削って集めた。 平岡さんと岩野さんは1時間ほど後に着いたが、テントの間が離れているので、隊の状況は全く分からない。 疲れで食欲は無いが、アルファー米とフリーズドライの親子丼を食べた。 疲労と倦怠感でSPO2や脈拍を測る余裕すらなかった。
8時過ぎには寝ることが出来たが、エージェントが用意したシュラフは薄くて寒かったので、足にダウンミトンを履いて寝た。 ありがたいことに風のない静かな夜だったが、疲れと寒さで脈が下がらず、殆ど熟睡することが出来なかった。
11月3日、昨夜は今日のスケジュールの打ち合わせが出来なかったので、出発時間などの詳細は分からないが、6時に起床して雪からお湯を沸かし、出発の準備を始める。 殆ど熟睡出来なかったので頭痛はないが食欲もなく、フリーズドライのカルボナーラを食べるのが精一杯だった。 岩稜にへばりつくように設営されたテントサイトは素晴らしいロケーションで、これから辿る山頂までのルートが良く見えるが、明るい時間帯では用便をする場所がない。 朝食を食べ終わると、ようやく平岡さんが現れ、頂上までのルート工作が今日中に完了する見通しが立たなくなり、特にC.2.7以降の雪の状態が極めて悪いので、とりあえず明日のアタックは中止し、今日は午前中にC.2(6100m)まで順応を兼ねた偵察に行ってB.Cへ下るか、あるいはこのままB.Cへ下るかのどちらを選択しても良いということになった。 昨日無理して登ってきたことが無駄になってしまいがっかりしたが、状況が状況なだけにこの決定も想定内のことだと受け入れるしかなかった。
体調はあまり良くないが、もちろんC.2まで行くことにし、8時半前にニマソナとカルマと一緒にC.2に向けて隊の先頭で出発する。 結局、滝口さん以外は全員C.2へ行くことになった。 天気は快晴無風で暖かく、登り始めると意外と順調に体が動いたので自分でも驚いた。 新旧のフィックスロープが張られた岩稜のルートは予想より難しくはなかったが、岩と高所靴との相性が悪いので登りにくい。 また、垂壁の登攀ばかりをイメージしていたが、切り立った稜上を登らずに岩や雪の斜面をトラバースする部分もあった。 日本の山のように酸欠の心配が無ければ得意な登りだが、偵察とはいえ少しでも体内の酸素を温存したいので、意識的に腕力に頼らない登りを心掛ける。 それでも強引にユマールで登らなければならない所もあるため息が切れる。 他の隊もほぼ同じ時間に出発したため、ルート上は所々で渋滞気味だったが、その方がゆっくり登れて写真も撮れるので良かった。 ルート上の高度感とロケーションは抜群で、偵察ということでリラックスして登れるのが嬉しい。 10時半過ぎにルート上の一番の核心となるレッドタワーの下まで登ったが、ここから先の岩壁の渋滞が激しく、レッドタワーの上のC.2まで往復するとB.Cへ帰り着くのが遅くなってしまうので、標高6000mほどの地点で引き返すことになった。 最終到達地点からはB.Cが遥か眼下に見えた。 下りの急斜面は基本的に懸垂下降だが、高所では何をするにも疲れる。
最終到達地点から1時間ほどでC.1に戻り、羽毛服、アイゼン、ピッケル、羽毛ミトン、食料などをテントにデポして、正午過ぎにB.Cに向けて下る。 昨日は暗くて分からなかったが、C.1には他隊のテントが30張ほどあった。 C.1から仰ぎ見た紺碧の空の下のアマ・ダブラムの頂がとても神々しい。 昨日のB.CからC.1への登りも長かったが、下りも同じように長い。 C.1からの岩稜登攀がこの山の正念場だが、B.CからC.1へのアプローチも結構大変だ。 皆それぞれマイペースで下る。 午後になっても快晴の天気は続き、何度も後ろを振り返りながら、刻々とその姿を変えるアマ・ダブラムの写真を撮った。 B.CとC.1の中間点辺りは風の通り道になっているようで、それまで全くなかった風が途中から急に吹き始めた。 昼過ぎになると谷底から雲が湧き、山々の景色に変化をつけてくれた。 B.Cまであと1時間足らずとなった所で、タシとナムギャルとフィンジョの三人が温かいミルクティーが入ったポットを携えて迎えにきてくれたが、彼らの余りにも穏やかな表情を見て、“今回のアマ・ダブラムはもう終わったな”と直感した。
5時前にようやく霧に煙るB.Cに着いたが、今日は予想以上に疲れた。 夕食はモモと野菜を具にした海苔巻き寿司。 昨夜からあまり食べてなかったので、お腹いっぱいになるまで食べた。 夕食後、ラッセル・ブライスの隊が北稜ルートの登頂を断念したという情報が、スタッフを通じて伝えられた。 明日の午前中に平岡さんとサーダーのパサンが今後の行動について協議することになったが、パサンの表情は終始曇りがちだったので、すでにスタッフの側では敗退の方向に傾いているのではないかと思えた。