11月3日、昨夜は今日のスケジュールの打ち合わせが出来なかったので、出発時間などの詳細は分からないが、6時に起床して雪からお湯を沸かし、出発の準備を始める。 殆ど熟睡出来なかったので頭痛はないが食欲もなく、フリーズドライのカルボナーラを食べるのが精一杯だった。 岩稜にへばりつくように設営されたテントサイトは素晴らしいロケーションで、これから辿る山頂までのルートが良く見えるが、明るい時間帯では用便をする場所がない。 朝食を食べ終わると、ようやく平岡さんが現れ、頂上までのルート工作が今日中に完了する見通しが立たなくなり、特にC.2.7以降の雪の状態が極めて悪いので、とりあえず明日のアタックは中止し、今日は午前中にC.2(6100m)まで順応を兼ねた偵察に行ってB.Cへ下るか、あるいはこのままB.Cへ下るかのどちらを選択しても良いということになった。 昨日無理して登ってきたことが無駄になってしまいがっかりしたが、状況が状況なだけにこの決定も想定内のことだと受け入れるしかなかった。
体調はあまり良くないが、もちろんC.2まで行くことにし、8時半前にニマソナとカルマと一緒にC.2に向けて隊の先頭で出発する。 結局、滝口さん以外は全員C.2へ行くことになった。 天気は快晴無風で暖かく、登り始めると意外と順調に体が動いたので自分でも驚いた。 新旧のフィックスロープが張られた岩稜のルートは予想より難しくはなかったが、岩と高所靴との相性が悪いので登りにくい。 また、垂壁の登攀ばかりをイメージしていたが、切り立った稜上を登らずに岩や雪の斜面をトラバースする部分もあった。 日本の山のように酸欠の心配が無ければ得意な登りだが、偵察とはいえ少しでも体内の酸素を温存したいので、意識的に腕力に頼らない登りを心掛ける。 それでも強引にユマールで登らなければならない所もあるため息が切れる。 他の隊もほぼ同じ時間に出発したため、ルート上は所々で渋滞気味だったが、その方がゆっくり登れて写真も撮れるので良かった。 ルート上の高度感とロケーションは抜群で、偵察ということでリラックスして登れるのが嬉しい。 10時半過ぎにルート上の一番の核心となるレッドタワーの下まで登ったが、ここから先の岩壁の渋滞が激しく、レッドタワーの上のC.2まで往復するとB.Cへ帰り着くのが遅くなってしまうので、標高6000mほどの地点で引き返すことになった。 最終到達地点からはB.Cが遥か眼下に見えた。 下りの急斜面は基本的に懸垂下降だが、高所では何をするにも疲れる。
最終到達地点から1時間ほどでC.1に戻り、羽毛服、アイゼン、ピッケル、羽毛ミトン、食料などをテントにデポして、正午過ぎにB.Cに向けて下る。 昨日は暗くて分からなかったが、C.1には他隊のテントが30張ほどあった。 C.1から仰ぎ見た紺碧の空の下のアマ・ダブラムの頂がとても神々しい。 昨日のB.CからC.1への登りも長かったが、下りも同じように長い。 C.1からの岩稜登攀がこの山の正念場だが、B.CからC.1へのアプローチも結構大変だ。 皆それぞれマイペースで下る。 午後になっても快晴の天気は続き、何度も後ろを振り返りながら、刻々とその姿を変えるアマ・ダブラムの写真を撮った。 B.CとC.1の中間点辺りは風の通り道になっているようで、それまで全くなかった風が途中から急に吹き始めた。 昼過ぎになると谷底から雲が湧き、山々の景色に変化をつけてくれた。 B.Cまであと1時間足らずとなった所で、タシとナムギャルとフィンジョの三人が温かいミルクティーが入ったポットを携えて迎えにきてくれたが、彼らの余りにも穏やかな表情を見て、“今回のアマ・ダブラムはもう終わったな”と直感した。
5時前にようやく霧に煙るB.Cに着いたが、今日は予想以上に疲れた。 夕食はモモと野菜を具にした海苔巻き寿司。 昨夜からあまり食べてなかったので、お腹いっぱいになるまで食べた。 夕食後、ラッセル・ブライスの隊が北稜ルートの登頂を断念したという情報が、スタッフを通じて伝えられた。 明日の午前中に平岡さんとサーダーのパサンが今後の行動について協議することになったが、パサンの表情は終始曇りがちだったので、すでにスタッフの側では敗退の方向に傾いているのではないかと思えた。